地方教育行政部会(第3回) 議事録

1.日時

平成16年5月10日(火曜日) 14時~16時

2.場所

グランドアーク半蔵門 「富士(東)」(4階)

3.議題

  1. 「地方分権時代における教育委員会の在り方について」ヒアリング並びに委員の意見表明及び自由討議
  2. その他

4.出席者

委員

 鳥居部会長、国分副部会長、木村副会長、浅見委員、田村委員、渡久山委員、山本委員、吾妻委員、稲田委員、大澤委員、小川委員、片山委員、門川委員、佐藤委員、千代委員、津田委員、土屋委員、藤田委員、宮崎委員、森田委員、八代委員

文部科学省

 結城文部科学審議官、銭谷生涯学習政策局長、藤田生涯学習政策局審議官、樋口初等中等教育局審議官、松元生涯学習総括官、布村生涯学習政策局政策課長、辰野初等中等教育企画課長、山田生涯学習企画官、角田初等中等教育企画課課長補佐(その他関係官)

5.議事録

午後2時3分 開会

○ 鳥居部会長
 定刻でございますので、ただいまから中央教育審議会教育制度分科会地方教育行政部会第3回目を始めさせていただきます。
 本日は、大変お忙しいところを御参集賜りまして、ありがとうございます。
 池端委員と宮崎委員がまだお着きではございませんが、始めさせていただきます。
 本日は、前回に引き続きまして、教育委員会制度の意義と役割についての審議をさせていただきたいと思っております。
 前回は委員の意見表明をお願いいたしましたが、今回も委員の意見表明をお願いしております。森田委員と藤田委員にお願いしてございますが、その前に、今日はヒアリングということで、元文部次官で、現財団法人松下教育研究財団顧問の木田宏先生から少しお話を承りたいと思っております。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」、地教行法と略称しておりますが、この法律の制定当時の基本理念について教えていただきたいということで、お願いしました。
 木田さんは、昭和31年に地教行法が制定された当時、当時の文部省の担当課長でいらっしゃいまして、その後、この制度を成熟させるために次官として御活躍をなさった方でございます。今日の本題とは関係ありませんが、放送大学をつくるときも大変な御苦労をなさっておられます。いろいろとお教えいただきたいこと山々ございますが、今日は地教行法についてお話を承りたいと思っております。
 20分ほどお話をしていただいて、その後、質疑ということでお願いしておりますが、せっかくの機会ですので、多少時間をオーバーしても結構ですので、よろしくお願いいたします。それでは、よろしくお願いいたします。

○ 木田意見発表者
 木田でございます。今日は、お招きをいただきまして、ありがとうございました。
 貴重な短い時間とも伺っておりましたので、お手元に、私がヒアリングの参考資料として用意させていただいた少し分厚いものがございます。これは岐阜大学の教育学部で、当時のことを知りたいという岐阜大学の先生方のお招きを受けまして、実は戦後の、私自身が文部省へ入りましてからずっとレクチャーをさせられたもののうちの教育委員会に関する部分でございます。今でも大体、私はこの同じ発想でいいなというふうに思っておりますものですから、今日は時間も限られておりますので、そのときの速記をつけていただいております。ただ、この速記が本のようにきちんと整理してあるものではありませんので、多少読みにくいところがあろうかと思いますけれども、今日お話し申し上げなかった点は、これによって御理解をいただいたら、と思っております。
 まず最初に、教育委員会制度は戦後初めて導入したと言われておりますし、そうなのでございますけれども、戦前の学校制度と戦後の学校制度とを対比して頭に入れておいていただきたいということで、資料の3ページにございますが、国民学校というのはどういうでき方をしていたかということの御説明を申し上げておきます。そして、教育委員会法ができたのが昭和23年でございまして、それを昭和31年の地方教育行政法で少し直した、これが大ざっぱな流れなのでございます。
 国民学校というのは、昭和12年、戦争になりましてから、「小学校」と言っておりましたものを「国民学校」というふうに改称しただけで、名称だけの問題でございますから、小学校と呼んでいた時代も含めて御理解をいただければいいと思います。

〔銭谷生涯学習政策局長出席〕

 学校をつくりました設置者は、当時、市町村でございました。そして、それをどう考えたかといいますと、江戸時代とは違った、寺子屋とか、藩校とかというものではなくて、国の教育施設だというふうに考えたものですから、監督などは国、そして国の出先でございました地方長官 ―県知事ですけれども、小学校や何かに物を申すときには、「地方長官」という名前でいろいろな通達を出していたわけで、国の事務だ、やっていることは国の活動であるという前提でした。
 実は、教育委員会につきましては、その前に前史がございます。これは明治12年、市制・町村制のできていないときに、「学務委員を置く」という小学校令の改正によりまして、突如、学務委員というのが置かれたのでございます。その学務委員というのは、それぞれの市町村が適宜決める。しかし選挙でやれということになって、私は大津市にありました記録を見せてもらったことがあるのですけれども、市制・町村制のできていないときに学務委員だけ選挙でやったのですから、恐らく混乱したのだと思いますね。1年で変わりまして、学務委員の選挙は府知事県令の推薦する人の中から地元で選ぶ、こういう形になって、小学校令の中に学務委員というのが入ってきたのでございます。
 明治18年、19年のころに市制と町村制という制度が整いまして、そして、学務委員というのは、ある意味で大変高い権限を持っておりました。授業料を決めるとか、教育内容、教育課程を決めるとかというのは、それぞれの市町村の学務委員の権限とされていたのですけれども、今度は、市長・町村長の諮問のような形で学務委員が置かれました。しかし、当時の経緯があったものですから、市長・町村長が教育事務をするときには学務委員の意見を聞くというのが非常に大きな意味づけを持ったものとしてつながってきていたわけであります。それが何と、私も記録を見ておやっと思ったのですが、昭和22年まで続いたのです。続いたのですけれども、世の中は軍国時代で戦争の気配になっていくものですから、市町村の仕事というのが実質的には壊れていきますね。ただ、制度として見ますと、おやっと思って……。
 教育委員というのは学務委員にかわるものとして昭和23年にできたわけですが、22年の国民学校令の廃止とともに学務委員というのがなくなって、それまで学校のことというのは、それぞれ地元の学務委員の方々が世話してくださって、予算についても、いろいろなことについても、運営上の問題について物を言っていた。それがだんだん戦争の過程で職分が薄れていって、そして戦後、アメリカの教育使節団の指導で、日本の教育は上からの上意下達ばかりやっているのではないか、そうではないのだというので、私は今読んでみまして、忘れがたい印象を持っておりますが、ちょうどお手元の資料の4ページの一番下の段に「【木田】」という欄がございます。米国の教育使節団が、これは昭和20年に敗戦をいたしまして、すぐ準備をしたのでしょうか、昭和21年の1月に日本に来て、1月末か何かにこの膨大な答申を出しております。こんな短期間によその国へ来てこれだけのものが言えるのかという、相当充実した内容の答申でございます。そこに教育委員会のことはこういうふうに書いてございます。
 まだ教育委員会という名前も何もございませんから抽象的に書いてございますが、ちょっと読んでみますと、「米国教育使節団の報告書の教育委員会の関係のところに、『もし学校が強力な民主主義の効果的な道具になるべきものだとすれば、学校は住民と密接な関係を持たなくてはならない。教師、校長、及び学校組織の地方責任者はより上位の学校関係管理によって管理ないし支配されないことが重要である。また、あらゆる段階での学校行政に直接あたる教育者は、彼らが奉仕すべき地区住民に対して責任を負うとみなされることが重要である。我々は各郡市その他都道府県の下部行政区画においては地区住民によって選ばれた一般人による教育機関が設立されるべきであり ―教育委員会という言葉を使わないで、こういう言い方をしております ―この機関は法令に基づいて、その地方の全ての公立初等、中等学校の行政管理にあたるべきである、と勧告をする。』」、これが基本的な命題だったのです。
 それまでは、教育の仕事は国の仕事であって、文部大臣が地方長官をして指示した教科科目によって学習をやる、全国斉一にこれをやるという流れで、特に戦争中はそれを強化してきたわけでございますから、それをひっくり返すようなこの書き方があり、これは当時の大臣の森戸先生が一番お書きになって物を残していらっしゃいますが、後でそれも引用してございますので、ちょっと御覧おきをいただければと思いますが、非常に苦い思いをしながら、そうじゃないんだ、あなたのように下から物を積み上げてこいといっても、今の日本ではそうはいかぬと繰り返し繰り返し押し返したのですけれども、結局、占領中ですから押し切られてしまった、こういう形で市町村の教育委員会というのができました。
 私は、その初期のころに実は県へ出て、千葉県で勤めていたことがあり、行ってみましたら、千葉県には昭和23年に千葉市と野田町というところに教育委員会ができておりました。県は、市町村に教育委員会ができるまでは従来のことを同じようにやっているわけでございますから、上意下達の教育の流れと、それから目の前に千葉市と野田町というのを見て、だいぶ様子が違うかなと思ったのですが、一番違うと思ったところは、実は役場へ行ったときのスタッフなのです。前、教育事務というのは全部、市町村役場で扱う教育事務は戸籍事務なのです。学校へ連れてきさえすれば、あとは管理なのです。国の公務員の文部教官である校長さんが教諭を使って教育をしてくれる、それは全く市町村に関係がない。ですから、市役所には戸籍事務さえやってくれるのがいたらよかったわけでして、〈ははあ、こういうものか〉と思いました。
 ところが、千葉市と野田町へ行きますと、校長会の会長さんをやられたようなすばらしい方々が教育の責任者として市役所の中へ入っていらっしゃる。そして、指導主事というスタッフがいて、学校の指導というのをやっていらっしゃる。これはだいぶ体制が違うなと思いました。今は仕事が増えて、給食だとか何だとかいろいろなことが学校でも増えておりますから、市役所へ行ったときに戸籍事務ということだけではないと思いますけれども、教育委員会をつくるのとつくらないのとでは、その座っている人柄から何から、えらい違うなという経験をいたしました。
 そのあたりのことがこれにずっと書いてございますので、読むとこれだけで2時間ほどかかりますから、出だしのところだけそういうふうにお話を申し上げて、幸いに岐阜大学でこんな分厚い本をつくってくださったのです、何冊も。その一部を皆さんに読んでいただければ、短い時間で、私が長話をするよりはよかろうということで持ってまいりました。
 その当時、市町村の権限は何だといったら、学校の建物をつくることだけなのです。しかし、これは地元へ行ってみてびっくりしましたが、知事さんの首が飛ぶほどの大問題なのですね。学校をどこにつくるかということは、本当は市町村で、市町村だけの問題のはずなのですけれども、どうしてどうして、大問題になってくるのですね。千葉でも、私の担当のときの知事ではなかったのですが、歴史を見てみますと、以前の知事さんで、学校を下手に動かしたものですから首になった人がいる。これは、学校というのはやはり、何もないにしても、父兄の、住民の力のあるところだなというのが、正直言って私の感じでございました。
 しかし、学校を建てたのだけれども、そこへ入ってくる人間は国の公務員、国家公務員であり、やっていることの中身は国の教育であって、そして、それを指揮監督するのは地方長官である。市町村長にはない。その具体的な一つの在り方が人事にあらわれていたのですが、私は、ちょうど3学期の初めごろに、24年の1月に千葉へ赴任いたしまして、課長さんの第一の仕事は、定年近い人の首を切ってやめてもらうことだ、そうすれば後を視学の人たちへというのですが、「私どもが新人の当てはめをやります」と、こういうことを言ってくれましたから、仕方ないので、各郡の筆頭が校長のところへ行って辞表をもらって歩きました。
 そして、旧制度のもとでやっておりますから、皆、郡視学が集まって人事の案件をつくるわけです。ところが、選ばれてきている教育委員は、これは組合の猛者も入っておりましたし、加瀬完さんというのはもう国会まで上がっているほどのことでしたから、それは学校のことをよく知っています。新米の課長なんて何もわからないで座っているだけですから、郡視学の言うことを聞いて、ちゃんと年功序列に立派な人事案件をつくって教育委員会を通した。どこからもその場では文句は出なかったのですが、それを新聞に発表した途端に、津田沼町長がすっ飛んできて文句を言われました。その当時はどういうことになったかといいますと、市の学校の場合には市の視学の意見を聞いて人事をやるというふうになっていたのです。ところが、町村は相手にされないのですね。教員がどういうふうになるかというようなことは、みんな地方長官の考えることであって、町の関係者の言うことではないと。そのとおり私はやったわけですから。
 そこで発表した途端に津田沼の町長が飛び込んできまして、「課長、おまえは、わしがこの津田沼の一中の校長とどんな夢を持って町をつくろうとしておるか知っとるか」と、こう言うわけですね。何もそんなことはわかりません。年功で議論をして、「文句がありません」と言って、視学が持ってきたものを教育委員会に運んでいって、「これで結構だ」となったのですから、私にはそんなクレームがつくなんて考えてもいなかった。しかし、新制中学ができるころ、そして町長が中学にある夢を持って仕事をしておられたということも、文句を聞きながら、当たり前の話だなと思って聞いておりました。当時のことですから、もとへ戻すわけにはいかないので、平謝りに謝りまして、それを勘弁してもらったわけです。
 町の都合も聞かずに、町長の考え方も聞かずに、県が人事をやる。今でもあるいはそういうことが多いかもしれませんが、県は師範卒の年功序列の表を持っていますから、そして優秀な人を上から持っていくわけですね。地元の事情なんていうのは、それは個人の経歴のほうが先になってしまうので、出てこないのです。私は、これは幾ら何でもいかぬなと思って、平謝りに謝りました。
 ところが、この津田沼の町長さんというのが、その後、私が文部省に帰りまして教育委員会制度の手直しをやるときに全国町村会長になっていたのです。教育委員会法を直すということについては、各方面、全部反対でございまして、知事会も市長会も議会もみんな、あんなものは要らぬ、なくせと。私は、そうは言っても、教育委員会をつくっていたところ、この千葉の野田だけではなくて、少しほかでもつくってくださった表をお手元の資料の10ページに入れてあるのですが、これが一番最初にできたところです。今でも忘れませんが、岸和田の教育委員の方が見えまして、「戦災で全部焼けてしまった。しかし、何とかして子どもたちにいい教材をそろえてやりたい。そのためには、市の公園というのを教育の場で使うという工夫を一つシステムとしてつくってほしい」、こういう申し入れを受けまして、私もこれは感激をいたしました。
 県にいる間は、誰ひとり教育内容のことについて言ってきた人はありません。それは、私が担当が違うということもあったでしょうけれども、カリキュラムのことは、文部省からお下げ渡しをしたら、それは国民学校の時代で申しますと、師範学校の校長と県視学のところへ行くのです。文部省のお役人も、上級のお役人は県庁へ入らないで、地元の師範学校長室へ入って、県の視学を呼ぶのです。ですから、今で見たら、何てことをやったのというのですけれども、それは県が関係ないのですからね、カリキュラムについては。そういうシステムでやってきたということを、ちょっと皆さんに、歴史的な経緯ですが、お話をしておきたい。
 やはり学校のことというのは、地元の御父兄が一番関心の深いことなので、岸和田の教育委員の方からは、「何とかしてあの公園をいい植物園として子どもたちの教材の場に供したい。どうすればいいか教えろ」と。私は何も知りませんから、まごまごいたしましたが、こういう御相談を受けるということについて、大変これは大事なことだなと思ったのです。
 文部省へ帰りまして、昭和25年から31年、この法律をつくるときまでずっと担当をしました。いろいろな委員会が全部、「教育委員会は廃止したらいい」ということでした。そして、当時、先ほど読み上げましたように、これまでやってきた国の教育という考え方と全く違う考え方で、「市町村住民から上へ上がってくる教育」という考え方で、子どもたちの教育の仕方、育て方というのを考えるという発想なのですから、ちょっとやそっとその調整を合わせたぐらいでは物の考え方はうまくいきません。これは何とかして、国一辺倒でないほうがいいなと思ったものですから、私は頑固に、市町村に教育委員会を残すということで動きました。
 そのときの最大の問題は、実は組合のこともございましたけれども、学校の先生の給与なのです。学校の先生の給与は、明治の初めから、国の公務員であったのですが、地方教官であったものですから、当初は市町村負担できたのです。それが昭和になった前後のところですが、日本の経済不況との絡みがありまして都道府県に持ち上がったのですね。戦争になってからで、昭和10何年だったかもしれません。そして、義務教育国庫負担金というのができた。ところが、義務教育国庫負担金というのができて、国が2分の1給与は負担します、こうやったのですが、昭和24年でしたが、シャウプさんというのが来まして、税制改革の勧告があって、市町村がやっている仕事に国が負担金を出すなんてばかなことがあるかと。ちょうど私が県に出ておりますときに、その2分の1国庫負担というのはなくなってしまったのです。それで、慌ててどういうことをやったかというと、これは内藤さんが庶務課長のときに、実際問題として各県の給与がまちまちになって、めちゃくちゃになるという現実に遭遇したものですから、義務教育の学校の先生の数の標準に関する法律というのをつくりまして、県費負担で教員を配分し、それはこの標準の法律で数はそろえてくれよということを言う法律を慌ててつくったりいたしました。
 そこで、義務教育費の国庫負担金というのがなくなったものですから、これを復活するのが最大の課題でした。それで、天野貞祐先生が昭和25年に文部大臣におつきになりましたときに、国会議員、自民党、民主党、当時の与党の先生方の中から文教族という結束ができて、そして、どうしてもこの義務教育の2分の1国庫負担金というのは起こさぬことには、こんなめちゃくちゃな県の教員配分では義務教育にもならないではないかというので、文教族という名前がそのころから私どもの耳にも聞こえてきたなと思っております。ちょうど私は、その補助金のないときに県におりました。帰って、国庫負担金の問題と、それから昭和27年に全部つくらなければならないことになっていた教育委員会をどうするかという問題に当面したわけです。
 今でも、理屈の上からいって一番ずれているのは、教員の給与費を県で負担するというところなのですね。これは、ほかにそんな類似の職種はございませんし、市町村の職員であるならば市町村が負担するというのが自治の建前からいっても当たり前の話なのですが、どうも義務教育という、その「義務」というものをどういうふうに残しておくかということを考えたときに、これだけはどうしてもやりたい。それは、天野貞祐先生が、小学校はみんな地元でやってもらっているのだけれども、国の教育なのだよ、国民の育成なのだよ、だから、1年生に来たときの教科書はただでやるようにしようよと。天野先生のときに、義務教育無償というやつの、1年生だけお祝いとして無償で出すということが決まったのです。
 その次に給与の問題で、これは何とか復元してほしいというのを政治家に頼まれまして、坂田さんや原田さん、この辺では竹尾さんというような方々が走り回って結成して、大変な勢いでこれを物にされたのです。そのときは、自治省からは猛烈な反対がありました。反対の先達だった人が、金融界出身の方でございまして、その人が事もあろうに、天野先生のこの国庫負担金が実現した、そして天野先生がおやめになった後に、あんなものなくせと言っていたその大臣が入ってきたのです。
 調整のとりようがなくて、今度は逆に、何とかしてお金のそろばんを合わせるためには国家公務員にしなければしようがないので、私は一方で、市町村に教育委員会をつくり、学校の先生の給与は国家公務員にする、2分の1負担して県で持たせるということはやめます、こういう法律を、両方国会に出しました。それが昭和27年の春の国会で、解散になってしまってパーになったのです。まあ、政治家と役所と、それから組合もこれは自分のことですから一所懸命になりまして、そして給与の負担をどこへ持っていくかというのが大問題であったわけです。
 その負担からしますと、実は、昭和27年に政府の準備の整わないところで市町村に教育委員会ができた。そこで、一番冒頭にちょっと御覧いただきました資料ですが、教員の身分というのは市町村の職員であって、市町村の教育委員会で任命するけれども、給与は県が負担する、このまま昭和27年に教育委員会が設置されたわけです。そうしますと、それは皆さんが乱暴なことをしたというわけではないのですが、教員の発令は全部市町村の教育委員会。学校の先生方は嫌がりました。「今までは、こっちが先生で相手が父兄だと思っているのに、今度は父兄の前へ行って辞令をもらわなければならないというようなのはどうも我慢なりません」という声が聞こえたりしました。ですが、一番問題は、県が怒ってしまったわけです。市町村が勝手に先生を発令すると、そのツケが全部県に上がっていくようになってしまった。それで、知事会から、何とかこれはしなければしようがないじゃないかというので、昭和31年の改正のときに、それらの問題を全部始末するということで処理をしたのが地方教育行政法でございました。
 私は、人事について、市町村の関係者が知らないうちに県が人事をやるというのはよくないと。これはやはり市町村の学校だから、どうしても自分の学校の校長、職員について、知らないうちに誰かが持ってきてやっているのだということではどうにもならぬし、それから誰の話を聞いて子どもの教育をしているかといったら、市町村の関係者の知らない人の話を聞いてやっている、これではやはり自治にならぬだろうと思いましたから、学校の管理、それから何をどういうふうにやるかということは、全部、市町村の教育委員会、あるいは県立学校だったら県の教育委員会がやるのだと。この建前は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の、その「権限」のところにぴしっと書いたわけです。
 ところが、文部省にいたのがそういうことを言っていいのかというような御意見もあるかもしれませんが、役人全体の意識は、そう急に法律が変わったようには動かないのです。それから、もっと動かないのが、市民の人の動き、それからマスコミの動きでして、今でもそうですけれども、カリキュラムのことというと、何か中央教育審議会でこう言って、学習指導要領がこうなったというので、全部がひっくり返ったようなことを新聞で書きます。あれはうそなのですよね。それは、学習指導要領の改訂をやったということですが、最初に青木誠四郎先生のお供をしながら学習指導要領というのをつくりますときは、青木先生は非常に慎重でございまして、小学校、中学校それぞれがどういうことを教えるのだということは言わなければならぬ、しかし、上手に言う言い方がないか、これは指示するのではないのだというので、「学習指導要領の基準による」という言い方をしましたけれども、学習指導要領というのは参考なのですという非常に控えた表現でスタートしたのです。

〔結城文部科学審議官退席〕

 ところが、長い間の文部行政のくせもありますし、県と市町村との関係のこともありますから、県におります視学の人たちは市町村に物を言うということをしないわけなのです。いきなり学校に向かって物を言う。文部省は、市町村にまで物を言うというのは言いにくいものですから、どうしても県の教育委員会を相手にして物を言っているわけですね。そうすると、カリキュラムから何から全部国で決まったようなことを言うのです。本当は、今のシステムを見ていきますと、学校のカリキュラムは市町村の教育委員会で決まるのです。決して県で決まるわけでもないし、国で決まるわけでもない。国で書いた学習指導要領というのは一つのサンプルにすぎない。法律上の組み立てはそうなっているのですけれども、役所全体の立て方は、前の意識がこう、徐々に変わってきても変わりませんから。
 そこで、学習指導要領というのは国がつくるもの、これを何とかしてそのとおり実行させるというところにプレッシャーがかかるのですね。もう少しそれぞれが自分でしんしゃくをしてやればいいじゃないかという、そのしんしゃくの余地が、だんだんやっているうちに少なくなってしまう。法律上は、小・中学校のカリキュラムは地方教育行政法の17条か27条に、市町村の教育委員会が管理し、決定するようになっているのですから、学校長がそれと相談して決めれば、そこで全部ぴしゃり決まる。ところが、この自治の実態というのはなかなか実現できないですね。関係者の意識がずっと動いていくのに暇がかかりますから。
 その意味で、市町村の教育委員会は、教育活動については市町村の事業で、市町村が決めること、経費は市町村のこと、そして責任者は教育委員会の委員として選ぶ。ここだけは教育委員会改正のときに頑張って、選挙だけやめたのです。というのは、選挙は、市町村長や知事のかたき役になるような選挙地盤を用意して、そして、あわよくばという人が政治の世界に出るために教育委員の選挙を使うものですから、それではぐあいが悪いなというので変えさせてもらいました。

〔松元生涯学習総括官退席〕

 しかし、アメリカへ行って見ておりますと、教育委員というのに安定した体制をつくるために、16人の委員がいると任期は16年だと。これは、ある州でしたけれども、僕はびっくりしました、気の長い話で。州知事の任期は4年なのですが。教育長は、これを選挙でやっているところもございますね。
 いろいろありますが、やはり何をどういう方向で教えるか。これはアメリカのように、進化論なんていうのは教えちゃいかんという教育委員会がまだ今でもかなりありますから。それで頑張っている教育委員の人たちもいますのでね。それだけの幅がありますと、相当のゆとりを持って、ゆっくりゆっくり物が動くというふうにしておかないと、それはちょっとやそっとで、美濃部さんが知事になったらこうなったなんていうのではぐあいが悪いのですね。
 そういう意味で、市町村の学校を市町村民が、自分の子どもにこういう教育をしたい。今で言えば、今度は少子高齢化の時代になった少子をどういうふうにするか、高齢者の教育をどうするかという問題になって、地域の課題としてますます大きな課題になっているときに、教育は関係ないという形に持っていくことはよくないなというので、この「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」というのを書いたつもりです。何とかして地元の学校教育と地元の青少年教育や文化とが一緒になる、そして市役所の職員に学校の先生が出入りしたっていいではないか、こういう気持ちでつくったものです。
 これで御指示のありました項目をお話ししたことになったかどうか知りませんが、一応気づきましたことを申し上げておきます。

〔田村委員退席〕

 私が怒られました津田沼の町長が、四面楚歌の教育委員会法のときに町村会長としては助けてくださいました。公の立場があるものですから、あんなものは要らぬ、要らぬと知事会も市長会もみんな言っているときに、町村会だけ、必要だから残せと、こういうふうにはおっしゃらなかったのだけれども、津田沼の町長、白鳥義三郎という人でしたが、全国町村会長になっておられまして、「木田さん、全部県へ持っていかないほうがいいよ。教育のことというのは地元の仕事にしておいてくれよ」と。これは、私はやはり一本とられたこともありますし、腹に残っておりまして。そして、「内申を待って」というのは、県の関係者からは文句を言われておりますけれども、県は自分がやるのではないのだ、市町村の意見でやればいいのだというふうにするために、「内申を待って」ということを入れております。これが労働運動の処罰なんていうときには邪魔になるのですね。こういうことを書いているばかりに、困るという意見がだいぶ聞こえたことがございました。
 まあ、世の中がこう動いておりますからですが、だんだん世の中が何か全部文部省と直結しているような動きになっているなというふうに。でも、それは、私は、教育問題を考えるときに、いいことではないのではないかなと思っておりますので、つたない私見ですけれども、体験をあわせて御説明申し上げました。何か御質問がございましたら。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。大変貴重なお話を承ることができました。
 時間があまりありませんが、御質問をという方がおられましたら、どうぞお願いいたします。
 ございませんようでしたら、時間の関係もございますので、木田先生はまだおられますので、後ほどまた御質問があればということで先へ進ませていただきます。一通り御説明をいただいた後でまた御質問のタイミングをつくりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、続きまして、森田先生からお願いします。森田先生の資料は1枚紙で皆様のお机の上にあると思います。森田先生、恐縮でございますが、約10分ということで進めさせていただきます。後ろに少し質疑の時間を残したいものですから、よろしくお願いいたします。

○ 森田委員
 今、制度をおつくりになった木田先生のお話を伺いまして、私のような教育の専門家でない者が何となく話しづらい雰囲気になっておりますけれども、10分ということですので、今日の私の意見を述べさせていただきます。
 私自身は、前にも申し上げたかと思いますが、専門は行政学という学問でございまして、教育行政についてはあまりこれまでも勉強してきたことはございません。したがいまして、今日も教育制度の観点からどうというよりも、むしろ行政組織の観点から、あるいは近年かかわっております地方分権の観点から教育委員会制度について意見を述べさせていただきたいと思います。
 中身につきましては、1枚しか用意してまいりませんでしたが、おおむねこのレジュメの流れに沿ってお話をさせていただきたいと思っております。
 行政学に限らず、社会科学といいましょうか、一般的に言えることだと思いますが、行政の制度を含めまして、制度というのは一定の社会環境といいましょうか、歴史的・社会的な状態を前提にして一定の行政上の目的、例えば教育なら教育ですが、その目的を達成するためにその制度というものはつくられるものと考えられます。
 しかしながら、世の中というのは移り変わってまいりますので、その前提にしている環境というものが、内外の情勢の変化であるとか、あるいは技術革新等様々な理由によって変わってまいります。そして、多くの制度はある程度の環境の変化の中でも十分対応できるわけですが、周りの環境の変化が大きくなってまいりますと、なかなかその制度が本来の機能を発揮しなくなってくる。今流に言いますと、こういう状態は「制度疲労」というような言い方をされているのではないかと思いますが。
 現在、我が国の多くの基幹的な制度に関して生じておりますのが、前提とします社会状況が大きく変わってきたことではないかと思います。要するに社会の状況と制度とのミスマッチがあちこちで発生しているわけでして、前々回ですか、少しお話もございましたけれども、裁判の制度であるとか、あるいは公務員制度も、そうした前提の変化に対応できないという状況が生じて、そこから制度改革の動きが出てきているのではないかと思っております。そして、地方制度はもちろんそうですし、私に関係するところで言いますと、大学制度も大きく変わってきたところです。
 いずれにいたしましても、こうした制度につきましては根本的な見直しというものが必要とされているわけでして、現実に改革に今取り組まれているところではないかと思います。
 こうした改革が行われます前提として、社会がどう変わったか。これにつきましては改めて申し上げるまでもないかと思いますが、これまでになかった大きな傾向としまして、間もなくピークアウトして人口の減少が始まりますし、その原因といいますのは少子高齢化である。さらに、経済の右肩上がり状態も終わりに近づいてきておりますし、産業構造の変化がそれによって引き起こされている。さらに、国際化の進展であるとか、いろいろな変化がありますし、特にいろいろな制度、この教育制度等に関連しまして大きな要因と考えられますのは、もう10年ほど前になりますが、東西の冷戦構造が終結して、いわゆるイデオロギーによって政治であるとか、物事が動くという時代が終わった。まあ、終わり切ったかどうかは知りませんが、大きく変わったということではないかと思います。
 こうした様々な変化から、何よりも国民の意識も大きく変わってきているのではないか。こうした戦後制度が形成されたときの社会状態に比べて大きく変わってきた社会、その中で制度の見直しが指摘されているわけですし、その一つがこの教育委員会制度ではないかと考えるわけです。
 そもそも、制度といいますのは、冒頭にも申し上げましたが、社会的あるいは行政上の目的を達成するための一つのツールである、手段である、かように考えることもできるわけでございまして、環境が変わってきますと、前提が変わってきますと、これまでのツールではなかなかうまく目的が達成できないとするならば、そこから新しいツールを模索していくということ、これは考え方の在り方として合理的なものではないかと思うわけでございますし、改革というのはそういうものであろうと考えているわけです。
 そこで、そもそも制度の話で、「教育委員会制度とは」ということを少し考えてみますと、教育委員会制度そのもの、我が国の教育委員会制度がどういう経緯でできたかということにつきましては、今もお話がございましたが、この教育委員会のモデルとしております、アメリカにおける行政委員会制度というものがどういう経緯によって出てきたのか、そのあたりから探ってみる必要もあるのではないかと思って、少しお話をさせていただきます。
 これも第1回にたしか片山委員のほうから少し触れられたところがあったかと思いますが、アメリカでつくられました行政委員会といいますのは、19世紀におけるアメリカの様々な改革の中、20世紀の初頭にかけてですが、その過程で出てきたものです。そもそもアメリカという国は、申し上げるまでもなく、権力の集中ということを非常に嫌う、民主主義を非常に重んじる政治的伝統を持っているわけでして、その考え方を敷衍しますと、一般人、素人の人が政治・行政を担うというのが一番デモクラティックである、そういう考え方に行き着くわけです。そういう考え方に基づいて制度もつくってきたと言えるかと思います。
 しかしながら、社会の仕組みが、シンプルな時代はともかくといたしまして、だんだん工業化が進み、都市化が進んで複雑になってきますと、行政の仕事というものもそれほど簡単ではない。そうなると、一般の方、素人の方による政治・行政というのは、例えば政治的な腐敗であるとか、あるいは非能率というものを発生させていく。そういう時代を経てアメリカの場合には、行政の専門性・中立性というものをいかにして確保していくかということが大きな課題になってきたわけです。
 しかしながら、専門家による行政というのは、反面においては専門家への権力の集中を招くという可能性もあって、民意を離れて暴走する危険があるのではないか。だから民主主義が重要だということになるわけでして、そこで、民主的な統制(デモクラティック・コントロール)と行政の専門性・中立性・効率性、そうした要素をどのようにして両立させることができるのか、こういう課題が出てきたわけです。その課題の解決を求めるために成立した学問が、手前みそになるかもしれませんが、行政学という学問だと申し上げていいかと思います。現在でもこのバランスについては、いろいろな実験がなされておりまして、今も木田先生のほうから御紹介がございましたが、アメリカの教育委員会制度というのはいろいろなものがあります。絶えず変わっているというふうに私も聞いております。
 こうした素人による民主主義と専門家による行政のジレンマをどう解決するかというところで出てきたのが行政委員会という制度なわけで、これは高度の専門性ないし特定の利益や立場に偏ることなく公正な決定を行うことをねらいとして、複数の専門家や代表から構成される合議制の機関として設けられているものです。これは、いわゆる権力分立というよりも、むしろ委員の間のバランスをとるということが重視されたわけでして、専門性、公正さというものを重視して、そこでは典型的なケースで言いますと、執行権のみならず、規則制定権、一種の立法権であるとか、準司法的な権限も付与されているということで、現在の我が国では公正取引委員会が一番それに近い形かと思います。
 こうした制度は、いろいろな分野におきましていろいろなものがあります。しかし、専門性、公平さというものを重視しているというところから、他面におきましては、いわゆるトップが1人である独任制の組織と比較して別な問題点もある。一つは、しばしば言われておりますが、決定の非効率であり、2番目が、やはり責任が不明確である。合意調達のコストがかかるというところかと思います。
 さらに言いますと、先ほど触れましたけれども、近年の行政、現代の行政といいますのは大変複雑になってきております。そして、特に非常勤の委員の方がそれをきちっと処理していくのはなかなか大変ですので、そこで、事務局というものの役割がだんだん重要になってくる。事務局の官僚制化というものも進んでくる。これもまた、ある意味で言いますと、行政委員会制度の前提に大きくかかわってくるものと考えられるわけです。
 日本の話に移りますが、戦後、日本で占領軍の示唆によって行政委員会制度の導入がかなり各方面で図られたと思います。ただ、アメリカの場合は、どちらかといいますと、過剰な民主主義に対して行政の専門性を確保するというのが改革のねらいだとしますと、日本の場合にはむしろそうではなくて、特定の立場に偏らないという意味での公正さ、あるいは民主主義的要素の導入というのが、この委員会の導入の動機といいましょうか、ねらいではなかったのかなと思っております。そのために、政治的な中立性というものがかなり強調されているように感じています。
 当初、我が国におきましては、国・地方に導入されましたこの種の行政委員会は多数あります主だったところでも、人事院、公安委員会、公正取引委員会、また、今はもう行政委員会ではなくなりましたが運輸審議会などもそうですし、この教育委員会もそうです。それぞれ制度の性格は少しずつ異なっておりますし、それは制度創設時におけるアメリカの当局者と日本の当局者とのやりとりの結果、決まってきたものです。
 先ほども教育委員会についてお話がございましたように、必ずしも行政委員会というモデルに従ってできたというよりも、むしろ多分に日本的な事情を反映したものとしてつくられていると思います。これにつきましては、私の専門としております行政学においてもあまり研究がなかったのですが、本年ですが、ここに持ってまいりましたが、東京都立大学の伊藤正次助教授の研究で「日本型行政委員会制度の形成」という大変すばらしい研究が発表されております。私が今日お話しするのはかなりこれに依拠しておりますが、まさに本書のタイトルが示しておりますように、「日本型行政委員会」というものがたくさんつくられたということです。
 幾つか例を挙げますと、国の人事行政をつかさどっている人事院というものは、人事行政の中立性を大変重視してきたわけですが、最近の公務員制度改革でそれ自体が問題にされております。余計なことですが申し上げますと、これは3人の人事官から成る仕組みでですが、国家公務員法の第5条5項によると、「そのうちの2人が同一政党に属し、または同一の大学学部を卒業した者となることとなってはいけない」と。後者の方は憲法違反ではないかという気がしないでもないのですが、いずれにしましても、そういう規定もございます。また、政党に属するということも、この条文を見る限りではある程度前提とされていると考えられます。
 また、公安委員会につきましては、国と地方に設けられているわけですが、他方、教育委員会に関しては地方だけで、国に中央教育委員会というものは置かれておりません。
 その後、戦後改革の過程で、先ほど申し上げました行政委員会制度の様々な問題点がいろいろと指摘され、その結果、次第に独任制の機関に変えられていったというのが多いかと思います。あるいは、そうでないにしても、独任制的な要素を加える形での制度改革が行われてきたのではないかと思います。
 こうした経緯を経てつくられてきております行政委員会でございますが、したがって、行政委員会とはこういうものであるということを、一貫した論理あるいは一つのモデルでもって説明することはなかなか難しいのが現実です。そこが、先ほどの本のタイトルで言いますと「日本型」というところである。様々な矛盾する価値をその中に含んでいて、立場によって、ある面は評価し、ある面は批判する、そういう形での議論が展開されているのではないかと思っております。
 教育委員会制度につきましても、これまでの議論を伺ってきたところで幾つかのそういう点を指摘させていただきますと、一つは、やはり民意の反映という民主的な要素と、また政治的中立性との問題です。これはアメリカでもいろいろな考え方はございますが、アメリカ流の考え方を単純に適用しますと、民主主義というものは、最終的には多数の意見である、多数決による決定を原則とするとしますと、客観的な意味での政治的な中立性というものはそもそも存在するのかどうか。むしろ向こうの場合には、中立性の確保というのは、決定に至る手続の問題として議論をされていると思われます。したがいまして、「民意」とは、まさに十分な議論を経ることを前提として、多数の人が賛成する見解である。このことは、その民主主義の要素を多くした場合に、どのような形で委員会の審議を行うか、さらに言えば、委員の任命というか人選をどういうふうに行うかということともかかわってくる論点かと思います。
 関連する論点ですが、合議制あるいは政治的中立性にもかかわりますが、合議制の機関のメリットして、その継続性・安定性も特に教育については重要だと言われております。これは確かにそうかと思いますけれども、一般論といたしましては、政権の変化に応じて政策が変わるということも、これまた必要なことであると考えられているわけでして、そこが、安定性を過度に重視するという根拠は何かといいますと、これもいろいろと議論のあるところではないかと思います。朝令暮改に対する批判というのと制度疲労に対する批判というのは、これはどちらが正しいということはなかなか言いにくいのではないかと思います。
 第2点目は、教育の専門性と、いわゆるレイマン・コントロール(一般の方のコントロール)の問題でございますが、アメリカ流の理解によりますと、最初は、レイマン・コントロールがいろいろと問題があることから、専門家による行政に変えるべきであるということですが、他方、専門家に対する不信感というものもある程度存在しているわけです。そこで、どのような形でバランスをとるのか、民主的なコントロールと住民参加のバランスをどこに見出すのか。安易な調和というものは非常に難しいわけでございますし、制度といいますのは、うまく運用されているときにはどちらでもいいのかもしれませんけれども、やはり問題が起こったときに物事をどう処理するかという、そのための枠組みですので、この辺も大きな論点であろうかと思います。
 3番目といたしまして、このジレンマを解決する一つの在り方としまして、先ほども少し触れましたけれども、いわゆる一般人(レイマン)による委員会と専門家による事務局の連携が非常に有効であると主張されることもございます。確かにそうですが、これも冒頭に申し上げましたように、いわゆる事務局の在り方、そこが実質的な力を持つということになりますと、レイマン・コントロールの意味も失われてしまうのではないか。そこのバランスをどうとるかというのも制度的に必ずしも明確ではないところだと思います。
 以上申し上げたことから私が申し上げたいのは、戦後制度創設期を前提とする社会環境が大きく変わってきているときにあって、「教育」という目的を達成するための一つのツールとしての制度につきましては、その合理性というものを検証し、有効性というものを再度確認する時期に来ているのではないかなという気がしております。もちろん、これだけの長い間続いてきたことから、存在するものは合理的であると、経験論哲学のような考え方もあり得るのかと思いますけれども、これも前提が変わらないということで言えることではないかと思っております。
 しかし、かといって、それではどう変えたらいいかということになると、最適解がすぐ見出せるわけでは必ずしもないと思います。そのような場合に、これは人類の経験かどうかは知りませんが、我々がやってきたことはどういうことかというと、いろいろな可能性について検討し、それについて実験を行い、そして、その結果を評価することによって、よりよいものをつくっていくという道があるのではないかと思うわけです。その意味で、前々回も述べさせていただきましたけれども、地方分権の観点から言いましても、私自身は、やはり現在の必置規制というものがどの程度合理性を持つのかということについてはかなり疑問に思っております。多様な選択肢を認める、その中からよりいいものを見出していく、可能性を探っていくということが必要なのではないかと思っております。
 なお、ここで申し上げておきたいのは、必置規制を廃止するということの意味ですが、しばしば教育委員会制度そのものを廃止するというふうに理解されることもあるわけですが、私が申し上げているのは決してそういうことではございません。オールの反対はノット・オールでありまして、ノット・エニーではないということです。そこはしっかりと申し上げておきたいところだと思います。
 要するに、規制緩和と制度選択の自由という、その余地をもう少し広げていく必要があるのではないかというのが私の意見でございまして、「画一」から「多様性」へ、「一律」から「選択」へ、そういうキャッチフレーズに集約できるのではないかと思っております。ちなみに申し上げておきますと、今の「画一」から「多様性」へ、「一律」から「選択」へといいますのは、これは地方分権改革推進会議で文部科学省の総括審議官がおっしゃったことでございますので、まさにそのとおりだというふうに考えているということでして、これで終わらせていただきます。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 御質問は後でまとめて伺うことにさせていただきまして、続きまして、藤田先生からお願いします。

○ 藤田委員
 それでは、お手元に3ページにわたります資料を用意しました。既にここでは言及する必要もないような、常識に属する、あるいはまたそれぞれの分野で経験的にも、また専門的にも御存じの事柄が多いと思いますが、私なりの考え方を理解していただくために、言うまでもないようなことまで書いてありますけれども、簡単に説明をしていきたいと思います。
 まず、私は、教育行政改革を考える際の前提として、教育そのものがどうなっているのか、また、その教育改革の動向がどうなのかということを確認しておきたいと思います。学校教育の基本的要件として、既に繰り返し言われておりますように、「教育の安定性・継続性・中立性」「教育機会の均等・開放性」「水準の維持・向上」といったことは十分に満たさなければいけない条件でありますが、現在進んでおります日本の教育改革というのは非常に問題が多いと私は見ております。そして、一連の地域における改革におきましても、そういう点でかなり問題が多い、また、その問題がさらに増幅している傾向があると見ております。
 教育の枠組みや内容の頻繁かつラディカルな改変は、必要性・合理性が乏しく、有害である場合が多い。改革は合理的かつ適切・有益なものでなければならない。1義務教育は、共通・普通・基礎教育でありますから、基本的にこれは、内容面で中心・中核的な部分で特色を出すということはほとんど不可能な事柄であります。2日本の教育は、国際的に見て、実践・成果面ともに総じて非常に高い水準である。3日本の教育システムは国際的に見て、理念的にも機能的にもかなり高度に整備されている。したがって、必要・可能な領域での適切な改革・改善を進める必要がある。しかし、私は、今まで述べた「1」「2」「3」の条件を低下させるような、あるいは揺るがすような改革が現在進んでいると見ております。そういうわけで、ラディカルな改革よりも、ピースミールの改革・改善が必要であり、また重要だと考えております。
 改革に際しての留意点といたしまして、近年の傾向は非常にポピュリスティックで短兵急な改革が目立っていると思います。少なくとも「a)理念・目的・意図のレベル」、「b)制度・装置・枠組みのレベル」、「c)活動・実践・運営のレベル」、「d)帰結・成果・機能のレベル」の四つのレベルを区別する必要があると思いますし、また、できると思いますが、現在進んでいる改革の多くは「a)」と「b)」のレベルに終始しており、あるいは議論もそこに終始しており、しかも、事前の合理性・適切性・有効性の検討も不十分で、かつ、事後の政策検証もほとんど行われていないというのが実情であります。その結果として、「c)」と「d)」のレベルで様々な混乱が起こり、危機がもたらされていると見ております。そうであるとするならば、政策担当にかかわっている人たちは極めて無責任であると言わざるを得ないことになります。
 さて、地方分権化時代の地方教育行政・教育委員会制度の在り方についてでありますけれども、この場合にも、既に前回までの議論でも出ておりましたように、制度レベルと運用レベルと人材レベルを区別する必要があると思いますが、制度の適切な改革は必要でありますけれども、基本的には、運用レベル、人材レベルがクリティカルであると考えております。
 そこで、教育行政の地方分権化でありますが、この流れは基本的に私は必要であり、かつ、望ましいことと見ておりますし、現にどんどん進んでおりますが、そういう中でコーポレート・ガバナンスの在り方が改めて問い直されているのだと思います。「1」から「3」につきましては後で述べます。基本的に、「4」の「行政・学校と地域住民との関係」につきましては、現在進んでいる改革の基調は、住民参加・開放性、感応性・迅速性・透明性といった傾向でありますが、これについては基本的に必要かつ望ましいものであり、適切な形で促進していく必要性があると考えております。
 そこで、地方教育行政の役割・課題を確認しておきたいと思いますが、学校教育の振興と教育的・文化的環境の整備、それに加えて、「3」は微妙でありますけれども、地域経済社会の活性化・持続的発展や、産業・科学技術・学問の振興等も一応ここには触れておきますが、教育委員会は主として1>2>3のウエートで事務あるいは業務を進めているというふうに私は受けとめておりますが、それに対して、首長部局は、ウエートとしては3>2>1というふうになっているのではないかと思います。
 問題の一つは、「2」の側面、「教育的・文化的環境の整備」、つまり、社会教育・生涯教育、文化・スポーツ等の振興については、誰が主管すべきか。先ほどの木田先生のお話の中にも、一体となってやることが必要だというお話がありましたが、これは規模や制度的普及度によって評価あるいは意見は分かれるのではないかと考えております。
 教育委員会が行う場合、学校教育との連携性、あるいは事業の安定性・継続性といったことがメリットとして挙げられますが、当然、そういうメリットを重視するなら、その事業の運営・監督・支援を教育委員会が担当する必要があるということになります。首長部局の場合には、むしろ新規事業の企画・実現ということを、早く、また予算確保等も含めて進めやすいという利点があるのだろうと思います。
 基本的には、私は現行制度に特に問題があるとは考えていませんが、新規事業の企画・実現については、首長部局と教育委員会との双方で行えば構わないのだと思いますが、制度的な普及・拡大が進む場合には、運営・監督・支援は、専門性・継続性を確保できる教育委員会が担当するという方式で問題がないと考えております。
 問題は「1」の部分でありまして、「学校教育の振興」については、先ほどの森田先生のお話にもありましたし、木田先生のお話にもありましたように、中立性・安定性・継続性・専門性が極めて重要でありますから、基本的には教育委員会の担当とするのが妥当であると考えます。様々な昨今の時代の変化、環境の変化の中で、もっと根本的な検討が必要だという場合には、首長と教育委員会との定例懇談会や、あるいは特別な場合には首長のもとなに臨時審議会なり懇談会なりを設置して、教育委員会を含めて検討するということもあって構わないと思っております。
 教育委員会制度の意義・役割・課題についてでありますが、教育行政の独立執行機関としての意義は、これも教育行政の中立性・安定性・継続性の確保。この点について、形骸化、守旧性、非感応性といった批判が出ていることは周知のところです。
 地域住民の意向と地域社会のニーズの反映。この点について、地方分権化・住民参加と民意・ニーズの多様化が進む中で、この部分を、さらにいかに向上・促進するかということが課題になっているものと思われます。
 教育行政の説明責任、透明性・迅速性・効率性等への関心が高まっていることも言うまでもありません。
 そこで、これまでの教育委員会の機構と理念でありますが、レイマンとしての教育委員と専門家としての教育長・教育委員会事務局、この両者のチェック・アンド・バランスと連携・協働による地方教育行政が望ましいとされ、また、そのように組織され、制度化されてきているのだと考えておりますが、レイマンにつきましては、人格高潔・幅広い識見等といった人材を当てるということは書かれているわけでありますが、偏見・党派性に左右されない理知的判断力が問われているのだと私は考えております。
 この教育委員の在り方を考えるに際して、その役割・機能をどのように考え、それをどのようにして充実していくのかということが課題になると思いますが、私は、ここでは三つに区別してみました。「1企画・立案」、「2監督・指導」、「3オンブズマン的な役割」という三つであります。
 「1」につきましては、政策・施策の提言・助言・点検ということでありますが、これにつきましては、必要に応じて教育委員会のもとに審議会、協議会等を設置するという方向でもいいのではないかと私は考えております。
 「2」につきましては、行政・学校運営・教育実践の点検・指導・助言等、現に教育委員がやっているはずのことですが、この点につきまして、もっと適切な学校視察や、あるいは研修が必要でありましょうし、先ほどの森田先生のお話にもありましたように、行政が非常に複雑・高度化・巨大化しておりますので、事務局の用意する説明資料等も簡潔かつ適切でわかりやすいものが用意される必要があるのだろうと思います。
 「3」のオンブズマン的な機能につきましては、必要に応じて調査委員会、公聴会等を設置することもあっていいとは思いますが、その機能を教育委員会が果たしているのであろうし、また、必要があるのだと思っております。
 そこで、教育長・教育委員会事務局の専門性・感応性・柔軟性をどう高めるかという問題が次の問題でありますけれども、教育長のリーダーシップと専門性が問われているわけでありますが、ここでは適切な人材の確保がクリティカルでありますけれども、先ほどの木田先生の報告の中でもありましたように、設立当初、これは資格制あるいは免許資格制になっていたわけでありますが、それが29年に資格制になり、昭和31年に地方教育行政法の改正で資格制が廃止されたわけでありますけれども、アメリカ等では資格制が残っているわけですが、これをいま一度検討する必要があるのではないか。
 ここに来られているような教育長の方々は非常に優れた方ですから、資格云々をする必要はないのでありましょうが、全国的に見れば膨大な数の教育長さんがいらっしゃるわけでありますから、そういう意味でも、そのリーダーシップと専門性を確保するためにも、資格制というものの再検討をしてもいいのかもしれないと考えております。
 もう一方で、教育委員会事務局の官僚主義・権威主義・守旧性の打破ということも課題になっているわけですが、これにつきましては、研修・啓蒙や教育委員による点検・指導、そしてまた、人事の適切な実施ということが課題になるのだろうと思います。
 次に、幾つかの懸案事項でありますが、ここのところは、これまでの会議でもいろいろ御指摘があって、私自身もどのように考えたらいいか明確な考えがないわけでありますが、都道府県と市町村・学校との権限関係の再編が問われているわけですけれども、何をどこまで市町村・学校に委譲するのが望ましいのか。
 まず第1に、教育におけるコーポレート・ガバナンスの単位はどのくらいが適切かということで、すべてを一律に決める必要はないとは思いますが、基本的には政令指定都市あるいは中核市、特例市。先ほどの木田先生のお話では、市町村レベル、地元ということが強調されておりましたし、そのことは極めて重要であるとは思いますが、現実に教育行政が非常に複雑・高度になっていることを考えるならば、小さな市町村レベルで十分に対応し切れない、あるいはまた、人材確保という点でも十分にうまくいかないといった話はしばしば聞かれるところでありますから、私は、多くの部分は特例市あたりまではおろしてもいいのではないか。それ以外のところでは、既に行われていますような共同処理方式、様々な方式があるようですが、そういったものの可能性を検討するというのがあり得るのではないか。
 問題は、人事権と予算権でありますが、人事権につきましては、広域人事のメリットが基本的に大きいと私は考えております。域内における教職員の適正配置と人事交流ということが基本的なメリットとされておりますが、参考までに、前回も言及したと思いますが、アメリカではスクール・ホッピング、公立学校間で、より条件の優れた、恵まれた学校へ、優れた先生方がどんどん移っていく。年間に大体18%の公立学校教員が、都市部におきましては退職ないし他の学校へ移っていくというような事態が報告されております。そういう状況の中で、問題を抱えた学校ほど非常に困難な状況に追い込まれるということも問題になっております。そういったような意味で、学校単位で教員を採用するということには非常に問題が大きいと予想されますけれども、どのあたりの広域性を確保するかということだと思います。
 基本的には、広域人事を前提に、市町村・学校の裁量権あるいはイニシアティブをどのように拡大・促進するかということでありますが、人事の単位を中核市・特例市あたりまでおろすのかどうか、あるいは異動のシステム・方法等を改善・工夫するのか。一つは、市町村の内申や校長の意見具申がより生かされるような方法があり得るとすれば、どういう方法なのか。また、大阪府等は既に始めていると聞いておりますが、域内教職員からの部分的な公募方式を採用することはあり得るのかどうか。教職員の一定枠を市町村の採用枠とするというようなことは考えられ得るのか。それぞれメリット、デメリットがあると思いますので、詳しい方々に検討をしていただければと思っている次第です。
 予算権につきましては、義務教育費国庫負担制度、県費負担教職員制度、人確法のメリットは、私は極めて大きいと考えております。そこで、上記諸制度を前提に、市町村、学校の裁量権・イニシアティブをどう拡大・促進するのかということで、国庫負担金の総額裁量制が既に4月から始まっておりますが、それをどのように適切かつ有効に活用するかが問われているのだと思います。もう一方で、都道府県と市町村との間にも国庫負担金の総額裁量制のようなものが一定範囲で考えられ得るのかどうかということも検討に値するかと思います。それから、人件費。実際には、義務教育費予算の大半は人件費なわけですが、人件費以外の消費的支出金について、市町村、学校の裁量範囲の拡大はどのように可能なのかといったことも検討に値するのかと思います。
 「4」点目、学校、校長の裁量権・イニシアティブをどう拡大・促進するのかということにつきましては、既に教育委員会の関与縮減が進められておりますけれども、基本的には「監督・指導行政から支援行政へ」という基本的なスタンスと、そして、その様々な施策あるいは活動の転換が求められているのだと思われます。
 「6)」点目の、学校評価・教員評価につきましては、直接的には教育委員会制度とは関連ありませんが、ここには各自治体の首長さん、あるいは教育長さんが多々いらっしゃいますので、私はこの問題は極めて重要だと思っているものですから、あえてここに書かせていただきましたので、後でお読みいただければと思います。
 ただ、1点、「参考」として書いてありますように、イギリスで査察文化(audit culture)あるいは序列文化(ranking culture)といったことが、今、様々な形で問題視されるようになってきております。日本は長らく序列文化(ranking culture)、あるいは大学・高校の序列を批判し、そこに問題の源泉があると言ってきたわけでありますけれども、今、怒涛のように日本の学校、特に初等中等教育段階の学校が再びこちらに向かっているようにも見受けられますので、ぜひ御検討、お考えいただければと思います。
 最後に、改革の基調と指針といたしまして、地方分権化と住民参加は基本的な方向であり、また、必要かつ望ましいことでありますから、適切なレベルでの現場裁量権の拡大と、当事者の参加・協働をいかに促進し高めていくのかということが課題、重要なのだと思います。
 「2」点目といたしまして、ほかの領域でもそうでありますけれども、教育においては、特に信頼・支援と安定した豊かなリズムが確保されない限り、教育が成功するということはまずあり得ませんし、また、教育は、その内容や新たに取り込まなければいけない要素が増えているとはいえ、その基本は変わらないのだと思っております。その基本の重要なところが、信頼・支援や、あるいは豊かな安定したリズムだと思っておりますが、その点を確保しながら改革を進めていく必要があると思います。
 そのために、教育行政改革におきましては、今、関連各層において改革・改善・参加の機運が現に高まっておりますし、様々進んでいるわけでありますが、それを適切に方向づけ、適切な改革を進めることが重要なのだと思います。
 以上です。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 お三方から貴重なお話を承りました。時間はあと33分ぐらいございますので、御質問と、それから御意見の開陳等、あわせまして御審議をいただきたいと思います。御質問でも御意見でも結構でございますので、お願いいたします。
 八代委員、どうぞ。

○ 八代委員
 ありがとうございました。お三方いろいろお話しになったと思うのですが、基本は、私はそんなに違わないと思います。特に、森田先生と藤田先生の言っておられることは、考え的にはそんなに違わないと思うのですが、問題は程度でありまして、特に藤田先生にお伺いしたいのは、最後におっしゃいました「教育の基本は変わらない」というときの「基本」の範囲ですね。
 これは森田先生もおっしゃいましたけれども、今、制度疲労という形で、過去の教育、特に義務教育の在り方について不満というか、一般のユーザーの変化を求める声が高まっている。そのときに、例えばもっと多様性を重視することによって、これまでできなかったこともできるようにすることで、選択を通じて全体をよくしていこうということを言われたわけなのですが、ちょっと具体例を、どこまでが基本で、どこまでが変化できるものかというようなイメージを藤田先生に教えていただければありがたいと思います。
 例えば、今、問題になっている、小学校で英語を教えるかどうかというような問題。これは義務教育の基本にかかわることなのか、それとも例えばどこかの学校で実験的に変えてもいいようなものなのか。もっとほかにいい例があれば教えていただきたいと思います。その「基本」の中身ですね。

○ 鳥居部会長
 藤田さん、どうぞ。

○ 藤田委員
 教育内容につきましては、時代の変化とともにどんどん変わっていく、あるいは新たに追加していくものだと思いますけれども、しかし、新たにできたものを、旧来のものをすべて維持しながらどんどん盛り込むということは、とてもできることではないわけですから、適切な再編が必要になってくると思われます。例えば、IT関連の様々なコンピュータ教育等は既に入っておりますし、英語教育につきましても、小学校で行う必要性というものも十分にあり得ると思いますけれども、これにつきましても私は、適切に、どの段階からどのように入れるかということを検討して進めればいいことなのだと考えております。そういったことは、基本は変わらない、その変わらない中に入っています。つまり、新たにつけ加わるものは、教育の在り方そのものを変えていくものではないということであります。
 それに対して、学校選択制というのは、どこかの学校、小・中学校段階における学校選択制は、先ほども言いましたように、教育の内容が、基本的には共通・基礎的なものでありますから、その共通・基礎的な部分というのは、基本的に日本の社会のすべての子どもたちが習得してもらわなければいけないものと考えていいと思いますが、それを変えるということになりますと、あるいは学校によって違いがあるということになりますと、内容的な違いというよりもレベルの違いということになりますから、学校選択制というのは、基本的には小・中学校段階においては学校間の優劣の序列をつけるということを前提にして進むものだと私は見ております。
 そうなってきますと、学校というのは、そのよしあしの半分は子どもたち、あるいはその保護者や地域の人たちによって決まりますから、そういった意味で、学校のよしあしは、実はある学校はそういう子どもたちを集めているからいい、別の学校はそうでないからだめだというふうな形で相対的に序列化されることになるとするならば、義務教育段階においての学校が、好ましいと言われる学校に一部行く子どもたちがいる背後で、そうでない学校に陥れられ、あるいは追い込まれていくという形で、一部の人の利益が他の子どもたちの不利益をもたらすような構造を持っていることになりますから、それを義務教育段階で進めることは適切ではないと私は思います。
 ですから、ここの部分の改変というのは原理的な改革になりますから、非常に問題が多い。十分に検討して、あるいは民意を反映するとしても、そのメリット・デメリットを適切に公示して、その間でどちらを選ぶのかということを決めるべきであると思います。それがポピュリスティックに、今、付和雷同的にそれがどんどん広まっているというのが実情だと見ております。
 ですから、学校教育の基本が変わらないと言うときには、「基本」というのは、そういう意味で、時間をかけなければ学力はつかないし、努力をしなくては学力がつきませんし、適切な内容を学ばなくては学力がつきませんから、そういった基本は変わらないという意味であります。

○ 鳥居部会長
 八代委員、どうぞ。

○ 八代委員
 一言だけ。つまり、藤田先生のおっしゃる点は、全国一律であれば英語教育とか、IT教育をやってもいいけれども、地域によって、ある地域はIT教育、英語教育をやる、別の地域はやらないという形で、このITとか英語教育というものを、本来、小学校でやるべきかどうかというのを試すということは望ましくない、そういうお考えと理解してよろしいわけですね。

○ 藤田委員
 いや、そうではありません。先ほども言いましたように、教育内容は基本的に市町村の教育委員会あるいは学校が決めていいということになっているわけですから、基本的には私は、市町村単位でどういうふうにするかということを考えるのが、特に義務教育段階では決めればいいことだと考えております。

○ 八代委員
 でもそうしたら、住民が、あるところはITをやっていて、あるところは英語をやっているとしたら、そちらに移っていくということは防げないわけですよね。

○ 藤田委員
 ですから、英語教育は、実は極めて微妙な問題でありまして、これは既に総合的学習の時間で英語教育というか、国際理解教育の一環としてやっていいということになっていたわけであります。この国際理解教育を含む総合的学習の時間は、「特色ある学校づくりを促進する」という名目で始まったわけでありますけれども、それは、私は、一面では望ましい部分がありますけれども、もう一面では、学校選択制と結びつくときには総合的学習の時間の理念や目的、意図は裏切られて、要するに受験や、あるいは様々なことで有利かどうかの基準として英語をやっているかどうかということが問題になります。
 もう一つには、中学校は、3校、4校の小学校から来ますから、ある小学校が英語をやっていて、別の小学校は英語をやっていないということになりますと、中学校1年生段階から既に英語に関しては、習熟度別なり、あるいは既に勉強したかどうかによって分けるということになりますから、どんどん早期選抜の方向におりていくということになりますから、私は、市町村単位で、最低限どちらにするのかということは、この問題は検討して決めるほうが望ましいと考えております。

〔宮崎委員出席〕

○ 鳥居部会長
 八代委員、よろしいですか。
 それでは、小川委員、どうぞ。

○ 小川委員
 意見というよりも、まず質問なのですけれども、よろしいでしょうか。
 森田委員のお話は、私も基本的にはこういう基調に賛同なのですが、特に改革の方向について、具体的にこれから議論していく必要があると思うので、少しお尋ねしたいのです。
 私自身は、基本的には、今の教育委員会制度というのは、日本の二元代表制という日本的な地方自治の政治・行政システムにマッチした、日本独特の教育行政の仕組みであると考えておりますので、これを大幅に変更するというふうなことについては、私自身は今考えていません。
 ただ、前回も言いましたように、教育委員会といっても、例えば市町村レベルでいいますと、三百数十万の市と数百人の村が、全然違った環境ないしは行政的な資源を持っている自治体が同じような地教行法に立脚して一つの教育委員会を組織化し運用するということについて、やはり幾つかの点で多少の無理があるのかなと。そういう点で、私自身は、非合理な必置規制というふうには考えないのですが、そういうふうな事情と、持っている行政的な資源に対応した教育委員会の組織とか、運用の在り方ということで、もう少し弾力化・多様化していいのではないかなと考えております。
 私自身は、例えば今の教育委員長制度の問題とか、例えば教育委員会というのは果たして合議制でなければならないのだろうかとか、少し考えるところはいろいろあるのですが、森田委員がここで掲げている「非合理的な必置規制」というところで、お考えになられている点が具体的にもしあれば、少し御説明いただきたいのですけれども。

○ 鳥居部会長
 どうぞお願いします。

○ 森田委員
 お答えいたします。現在の教育委員会制度は現在の地方公共団体の二元代表制にマッチしているのではないかというお話がございましたけれども、地方分権をやっている観点から言いますと、あの二元代表制自体も見直す必要があるのではないか。小さいところで、今おっしゃいましたように、どうしてみんな置かなくてはいけないのか。この辺の議論も実は分権改革推進会議でいたしてまいりました。シティマネジャー制とか、いろいろございますけれども。ただ、これは現行では憲法第93条の制約があるのではないかという見解もありますので、憲法改正のお話が出ているならば、そこもという議論までしたいところでございます。
 2点目のところについて申し上げますと、私が、必置規制は合理的でないというふうに申し上げたのは、全部教育委員会を置かなければいけないという仕組みはいかがなものかということでございまして、教育委員会の中でもいろいろなバリエーションがあると同時に、今もおっしゃいましたように、十分に民意を代表して、それを専門家の方がおできになるという、そうした仕組みをお考えになるところがあれば、そこはそういう制度を採用してもよろしいのではないか。
 恐らく、どうなるかわかりませんが、例えば80%以上のところが現行の教育委員会制度がベストだとお思いになれば、それはそれでいいと思いますけれども、残りの5%は、教育委員会よりも首長さんのところで一元化するほうがいいのではないかと。あるいは今、「独任制の教育委員会」とおっしゃいましたけれども、ちょっとそれ自体は概念矛盾だと思いますけれども、そうした首長さんから独立した形での独任制の教育担当者がいるという仕組みもあり得るとお考えならば、そういうところを、きちっとした制度設計をおやりになって実験してみるという可能性を認めるのがいいのではないか、そういうことを申し上げているわけです。私は、改革のスタンスとしましては、非常に緩やかに、一律のものに対して小さな風穴をあけて、そこから実験をしてみればいいのではないかという考え方です。
 お答えになったかどうかわりませんが、以上でございます。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、片山委員、どうぞ。

○ 片山委員
 それぞれ御意見を伺いまして、私も大変参考にすべき点があると思いました。
 私は、今の教育委員会の在り方、特に市町村の教育委員会の在り方を見ていますと、教育委員会といいますか、教育行政体制というか、教育行政の仕組みを強化することが必要だと思っています。ありていに言って、市町村の、特に小さな町村の教育行政体制というのは非力であります。ですから、これを質的にも充実させて、それから力量もつけなければいけない。その上で初めて本当に子どもたちにとって必要な教育を行う環境が市町村レベルで整うのだろうと思います。
 しからば、どういう強化があるのかということですが、一つは制度面だと思います。これは第1回目のときに私が申し上げましたけれども、やはりちょっと中途半端な教育行政体制になっておりますので、これを何とかしなければいけないという問題意識があるのですが、それより前に、市町村の教育行政体制を強化するときに一番必要なのは、市町村の関係者が自分たちでよく考えるというくせをつけることだと思うのです。これは教育行政に限らず、自治行政一般につながるのですが、あまり今まで物を考えないで、上意下達をそのまま受けて、国からきたものに合わせる、そしゃくをすることに一所懸命になっているところがあるのです。これからはやはり自分で本当に考えて、地域の問題に自分たちで責任を持って対応するという、そういう力量をつけなければいけないと思うのです。
 そうした場合に、先ほど森田委員の提案にもありましたけれども、選択制、多様性をある程度導入するというのは、私は、市町村の教育関係者が物事を責任を持って考えるという意味では非常にいいことだと思います。その選択の範囲をどの程度までにするかというのは、これはよく考えたらいいと思いますし、あまりぶれの大きい選択は当面必要ないかもしれませんけれども、ある程度選択肢がある、その中でどれが一番自分の地域にふさわしいかということを選び取るという、そういう枠組みをつくってあげるということは非常に重要だろうと思っています。
 例えば、私なんかが思いますのは、教育委員さんというのは非常勤なものですから、どうしても遠慮がちなところがあります。これを、全員とは言いませんが、場合によっては一部常勤化してもいいのではないかというようなことも考えられると思います。
 それから、教育委員長と教育長との関係というのも非常にデリケートな問題があるわけです。建前で言いますと、教育委員長がトップということになるのですけれども、実質は教育長がトップであります。この辺をどうするのか。例えば、場合によっては、教育委員長が常勤でトップであってもいいのではないか。これも選択肢だと思います。
 それから、ずっと前ですけれども、東京の中野区で教育委員の準公選制というのをやったのでしょうか、あのとき文部省は、それはだめだということを言われたのですけれども、ああいうことも私は事実上あってもいいのではないかと思うのです。それは、その自治体の首長、議会の選択だろうと思うのです。選択肢に明示的に入れる必要はないかもしれませんが、そういうことをやろうというところがあったら、それについてあえて妨げることはないのではないか。
 それから、小規模の町村は、先ほどもどなたかが言われていましたけれども、麗々しく教育委員会を設けなくてもいいという選択肢があってもいいと思います。教育は首長がやって、諮問委員会のようなものがレイマンの機能を果たすということであってもいいとか、そういうような幾つかの選択肢を用意して、その中で市町村にやってもらって、試行錯誤の結果、いいところがあればそれを広げていく、悪いところがあればそれは規制していくという、そういう対応で整理されたらいいのではないかなという気がしています。
 二つ目は、教育行政を強化するという意味で、やはり財政の問題というのは非常に重要です。財政がちゃんとしていないと、やはり教育行政は弱くなります。アメリカのように教育委員会が課税権を持つというのは、ちょっとまだ日本ではなじまないと思いますから、そこまでは私も考えておりませんが、例えば教育目的税のようなものを地方税法の枠組みの中に用意する。それで、選択で、例えば、今、政府が想定している標準的な教育行政を上回って何か教育水準を高めるようなことを自治体ないし県でやろうとするときには、地方税法に基づいて任意に教育目的税を課税することができますというような枠組みがあってもいいのではないか。
 例えば今、地方税法の中では、都市計画税というのがあるのです。これは、都市計画事業を、水準を上回ってやるようなところについては、固定資産税に上乗せして都市計画税を課税することができますという仕組みがあって、これは任意でその自治体が判断する仕組みで、多くの団体で課税しています。もちろん課税していないところもあります。そういうことが例えば教育の分野でも、個人住民税に対して県ないし市町村が上乗せで任意に一定の範囲内で課税することができる、それを教育財源に使うという仕組みを制度として設けてあげてもいいのではないか。これが教育行政の強化につながるのではないか、こんなことも思います。
 もう一つは、これも前から申し上げているのですが、今の教育委員会が、運用がなかなかうまくいっていない。首長があまり教育に熱心でない。議会があまり熱心でないというのは、教育行政体制自体に問題があるということもありますけれども、もう一つは、やはり自治制度自体がうまく機能していないという面が私はあると思うのです。本当にこれだけ教育が問題になっている。だけれども、市町村の議会に行くとあまり教育問題は真剣に議論されない。そこでは専ら農業とか、公共土木事業のことが議論されるという実態が仮にあるとすれば、そこは自治制度自体を変えてあげないと、ひとり教育委員会の問題、教育行政の問題だけ論じても、ちょっと十分ではないのではないかと思うのです。
 何が問題かというと、今、教育に一番関心があるというのは、やはり保護者だと思います。一番のクライアントは保護者だと思います。保護者は一番子どもの教育環境が気になるわけです。私も6人子どもがいて、一番下が中学校3年生なものですから、非常に気になるのですが、その気になる世代、気になる人たちが、実は市町村の議会には登場できないような現実が今あるわけです。今、議会の議員になろうと思ったら、事実上、仕事をやめなければいけないです。公務員はもちろんですし、教員もそうですし、民間のサラリーマンの人だってやめなければいけないのです。そうすると、今、子育てで一番教育に関心があって、教育の環境を整えたいという、そのタックスペイヤーとか、クライアントが、議会から排除されているわけです。これが、今の教育行政、特に市町村の教育行政を強化するとか、それからこれをいい意味で監視するとか、それから評価するとか、そういう機能が自治体の行政からかなり欠落している大きな原因ではないかと思うのです。
 ですから、教育を論ずる場合には、ひとり教育行政体制だけの問題ではなくて、それを取り巻く環境としての自治制度にも、ぜひ中教審としては一家言あってもいいのではないかと思うのです。その場合には、真のクライアントが教育行政に対して監視とか評価という機能を、議会を通じてなし得るような仕組みを、ぜひ自治制度の改革の論点として挙げたらいいと思うのです。地方制度調査会では全然そんな議論はしていないですから、中教審からそういうことを発するのは、私はいいのではないかと思うのです。
 具体的にどうすればいいのかというのは、今の市町村の議会の在り方を変えて、本当の普通の市民が、子どもを今持っていて教育に関心のある、人ごとではない市民が議員になれる、そういう制度改革も必要ですし、議会の運営も今のような運営ではなくて、アメリカとか北欧にあるような、普通の市民が議員になって議会運営ができるような仕組みに変えたらいいと思うのです。
 例えば、北欧などへ行きますと、教員が議員になっています。かなりなっています。そうすると、市町村の議会で教育問題というのが非常に熱心に論ぜられるわけです。私なんかはそれを見て、うらやましいなと思うのです。日本ではそういう光景はほとんどありません。ですから、教員も市町村の議会の議員になれる。兼職の禁止規定が今ありますから、そういうものをとってしまうとか、そういう議会制度の見直しということも、教育の観点から提起したらどうかなと思ったりしています。そういうことが市町村のレベルでの教育行政力といいますか、教育に対する力量というものを強化することになるのではないかなと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、大澤委員、どうぞ。

○ 大澤委員
 学校で日々教職員を束ね、そして、保護者、地域の皆さんの声を聞き、子どもたちの様子を見ながら教育活動を進めております現場の校長の一人として発言させていただきたいと思います。
 教育委員会制度が学校教育との関連で論議されておりまして、教員の質の低下は目を覆うばかりだとか、校長のリーダーシップが十分ではないといったような発言がありまして、私は身を小さくしながら聞いているわけでございます。確かに、教員の資質の問題、指導力不足の問題、不祥事といったことについては、厳しく受けとめていかなければならないところがあると思っておりますが、全国2万3,000の小学校、中学校は約1万1,000校ありますけれども、ほとんどの学校は、教職員、校長が一体となってかなり頑張っております。私が学級担任のときは、教材の準備にかなり頭を使うことができた、そのことに集中することができた。今の教員は、かなり広範なことに気を使い、エネルギーを使っているという現状の中にいるということについては、全国の校長の代表として、一言、最初に申し上げておきたいと思っております。
 次に、義務教育の中立性・安定性・継続性といったことがお話をされておりまして、このことについて、学校で現場を預かっている者として、このことはしっかり申し上げておきたいと思います。今、いろいろな教育改革が進みまして、矢継ぎ早に次々と新しいことが行われております。確かに、変えるべきところは変えていかなくてはいけないと思っておりますが、自治体によりましては、何かほかと違うことをしなければならない、マスコミに乗って宣伝をしてもらえるようなことをしなければならない、あるいは学校選択にしても時流だからやらなければならないと、何かそういったような、十分な研究と準備をしないままに走っているという感が幾つかしているわけです。
 全国のいろいろなところで取り組んでいる先進的な事例を聞いておりまして、これはすばらしいと思う事例もたくさんあるわけですが、その一方で、どういう問題が生じてきているかということを聞いてみますと、二、三年がたってまいりまして問題点等も出てきております。私ども心配しておりますのは、首長がかわる、選挙の公約に教育問題を掲げますと大変人々にわかりやいので、そういったことを掲げて選挙が行われ、首長が交代する。そこで、教育の施策が変わるということについて大変危惧をしております。
 その子どもにとって、1年生は1回しかないわけです、5年生は1回しかないわけです。そういう中で私たちは責任を持って教育をしていかなければいけない。次々と変わるということについては、どんなものだろうか。もう少し十分な研究をし、そして様々な方面の声を聞いて、理念をしっかり持って、「よし、これでいくぞ」ということでやって、そして、そのことがどういう成果を上げているかという評価をしながら、施策を続けていくということが今大事なのではないかなと思っております。
 特に、教育委員会制度の資料を見ておりましたら、校長会、教頭会等との意見交換をしている教育委員会は、県レベルになりますと大変少なくなってまいります。実際に、保護者の声ですとか、地域の声ですとか、それから教職員の動きですとか、学校の組織・運営の在り方ですとか、いろいろなことについて課題も考え、そして、こんな改善策をというようなことで私ども考えておりますので、ぜひ現場の声をしっかり集約し、現場の状況をつかんで、理念を持って、長期の見通しを持ってかじを切っていただきたいと思っております。
 全国どこに住んでいようと一定の教育が受けられる、これが日本の教育のよさであったと思っておりますので、特色を出すことが目的化してしまわないように、地域の実態、学校の実態、そして条件等を十分生かしながら教育の質を高めていく。それが結果として特色になっていく、そんなふうに私は考えております。
 3番目ですが、学校の自主性・自律性の確立ということで様々改革が行われてきております。学校も自己点検・自己評価をして改善を図るべきことはやっていかなければいけないと思っております。様々なことが学校に任せられるようになってきておりますが、一方で条件整備のほうをぜひお願いしたいと思っております。
 例えば、義務教育費国庫負担制度がどうも俎上にのせられて揺らいでおります。学校で校長の予算編成の権限を少し拡大しようということで、特色ある教育をどんどん進めていきたいと思ったときに、事務職員は大変重要なスタッフです。こういうスタッフを義務教育費国庫負担制度の対象から外そうとか、あるいは子どもたちに読書活動を推進させるために司書教諭を配置する。司書教諭を配置するといいますと、一般の方々は、学級担任のほかに司書教諭が一人来ると思うのですね。実際には違うのです。学級担任をしている者が司書教諭資格を持って図書館の運営に当たっているのが現状なのです。本校でも6年の担任に司書教諭をさせていますから、6年の学級の指導をしながら図書館の運営に当たっています。そうすると、放課後の時間ですとか、休みに来てするとか、そんなことをしながらやっているのが実情です。
 ですから、掲げる施策はいいのですけれども、それに伴う措置をしていっていただきたい、そんなふうに思っているわけです。ぜひ、学校、校長、頑張っていきたいと思っておりますけれども、大きな見地から条件整備、支援体制をしていただきたいと思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、渡久山委員、お待たせしました。

○ 渡久山委員
 木田先生に御質問あるいは御意見をお伺いしたいと思います。先ほど、日本における教育委員会制度の導入について、あるいはその後の経過についてもございました。確かに今、50年以上たっているわけですね。幾らかの改正も出てきたのですけれども、やはり制度疲労だとか、あるいはまた、あるところでは廃止ということまでも言われているのですけれども、先ほど片山知事からも、幾らか改善すべきところということなども具体的な話もあったのですけれども、昨今の教育委員会制度をめぐっての議論について、先生はどういう御意見を持っていらっしゃるのか教えていただきたいというのが一つです。
 それから、藤田先生、先ほど教育長の関係が出ましたけれども、教育長の資格制の復活といいましょうか、あるいは資格制をどう考えるのか。それの背景、あるいはまた、なぜそういうことを考えていらっしゃるのか教えていただきたい。

○ 鳥居部会長
 まず、木田先生からどうぞ。

〔八代委員退席〕

○ 木田意見発表者
 私の別刷りで、私がしゃべったことをまとめてくださった岐阜大学のペーパーの中に、私がニューヨークの地方を回って教育委員会を訪ねていったときのことをちょっと入れておきました。それはニューヨーク州の少し外れではあったのですけれども、当時、ワンルームスクールの学校がたくさんあったのです。1学級だけの教育委員会というのがいっぱいあるわけです。州の当局は、ワンルームではどうにもならないから、これを統合しようというふうにやっていて、統合の学校とワンルームの学校とを見せてもらったのです。
 ところが、私がびっくりしましたのは、ワンルームスクールの学校へ行ったときに、6人の教育委員がみんな、お客さんが来るというので私を迎えてくださいまして、窓の向こうに大きな統合学校が見えているわけです、中学校を中心にした大きな統合学校が。お訪ねをしたワンルームスクールの教育委員会は、ワンルームスクールだけ持っているわけです。その委員の方が口々に、自分らのこのワンルームスクールを任せてある学校の先生がいかに立派であるか。本当かどうか、私にはその判断の能力はないのですが、口々に、こういうことをやり、こういう教育をやり、熱心な先生だということを話してくれました。そして、「あの向こうの統合学校を、木田さん、見てみろ。ただ数がそろって、格式がそろっているだけで、教育になっちゃおらん。ビジネスをやっているだけだ」と、こういう言い方をして、これは参ってしまいました。
 日本ですと、北海道へ行ったりしますと、「僻地の学校は学校になりません」と言うのです。ところが、そうではないので、そのワンルームスクールの子ども数名あるいは10名ですね、せいぜい。それに子どもを託している方々が、その先生に対して真剣に頼っているといいますか、そして、それを褒めてくれるのですよ。私は何も知らないのですけれども。「ああいう大学校というのは形式主義でだめなのだ」ということを盛んに言ってくれました。
 これは、なるほど、そういうふうに自分の子どもの教育と、それを担当してくれている先生のことを、この親御さんたちは真剣に考えているのだなということを教えてもらったわけなのです。ところが、一方、行政の制度の上からいくと、ワンルームスクールで1年から6年まで10数名ばかりの子どもの学校に教育委員会を置いてどうするのだという議論があることは、向こうも同じなのですね。それで、全部まとめて、200人ばかりの子どもをまとめた、きちんとした学校にしようと。それで教育になるかならないかという議論をしているところが私は立派だと思いました。
 日本の場合にどういうふうにしたらいいかということは、これは地方自治の仕事として、そして、父兄の意向が子どもを育てる学校をいろいろとよくしていくということを考えるのだったら、それが日本の現在の実情でどうあるのがいいのかということは真剣に考えてみていいのではなかろうか。それは地域の体制と歴史と、いろいろなやり方がみんな違いますから、一律に今、こうしたらどうだというようなことがなかなか言い切れない。
 教育委員会制度というのは、私自身が直して30数年になるのですけれども、それでは今、希望のようにいっているかといったら、私は、教育委員の人たちが何をしていいかわからないで座っていらっしゃるなという感じを受けることが少なくありません。それはなぜかというと、実は、ひところは、教育委員の方にこういうことをこういうふうに考えてほしいのだということを言ったこともあったのですけれども、何もお願いもしていないし、インフォメーションを差し上げていない、ただほうりっ放しで任せているというのが正直なところではないのかなと。私は現場を離れてもう30年近くになるものですから、こちら側の方が「そうでない」と言われるかもしれませんけれども、何をしたらいいのかということを提起していない。そして、どういう問題をどういうふうにしたらいいのかということを提起していないところに問題があるなと思っております。
 それは、もっと広い意味で言えば、日本の地方自治というのは、もうちょっとスリムに、簡単に持っていけばいいのだという意見もございましょう。ですから、それはこういうところで大きな御議論をしていただかなければなりません。教育委員会というのは、子どもだけではないのですけれども、住民の教育をどうするかということを考えるところなのですよということを念頭に置いて、今の少子高齢化の地域社会にどういう対応をしたらいいのかということをいろいろな意味でお考えくださればいい。私は、もう少し生涯学習なり、高齢者が病気にならない保健活動というものをしていただいたら、介護費用よりも教育費用をちょっと出すぐらいで、うんと介護費用が助かるのではないのかなと思ったりしておりますけれども、自分でやるわけにいかないものですから、よくわかりません。

○ 鳥居部会長
 どうもありがとうございました。
 藤田先生、今の渡久山さんの御質問にお答えいただけますか。

○ 藤田委員
 では、簡単にお話ししたいと思います。
 今、木田先生からワンルームスクールのお話が出ましたが、もともと19世紀、アメリカの学校の場合にはほとんどワンルームスクールで、それが小学校の教育が義務教育、コモンスクールとして発展していきますけれども、その中で当然、教育行政規模が非常に拡大していき、専門分化していく中で、いわゆるスクール・ディストリクトというものが明確に設定され、教育委員会というのが発展していくわけです。
 そういう中で、専門職性を持たなければスクール・ディストリクトのスーパーインテンデントは務まらないということで、1920年代だったと思いますけれども、資格制が入ってくるわけです。それが戦後、日本で導入されたときに同じようになったわけです。本当は木田先生にお聞きしたかったのですが、アメリカ側の教育使節団等は、日本に行政単位としてのスクール・ディストリクトを入れようとしたと思うのですが、それが通学区域制とかに変わってしまったと思うのです、事実上は。行政単位は教育委員会であっても市町村になったわけですけれども、その辺の経緯も本当はお聞きしたかったのですが、あまり関係ないので。
 そういったことで日本に入りましたけれども、基本的にはそういったことで、非常に複雑かつ専門的に高度な職務を、リーダーシップを持ってやっていくためには、それなりの資格を持っている専門的な知識あるいは素養、教養が必要だ。同時に、またそれはリーダーシップの、あるいはまた正統性の基盤にもなるということで導入されたと思いますけれども、それが廃止されたわけです。
 これからもし検討するとすればどういうふうにするかということにつきましては、資格につきまして、その資格要件を何にするかですが、例えば校長資格プラス行政研修であるとか、あるいはアメリカなどの場合ですと、教育資格はいわゆる修士号なり、州によって違いますが、教育分野における Ph.Dとか、そういった学歴、資格プラス研修とか、それからそもそもアメリカの場合の校長資格の場合には、校長資格の条件そのものの中に非常に長期間の研修が入っておりますので、そういった形のいろいろな事例を参考にしながら検討するということになると思います。本当にそれがいいかどうかは私も定かでない部分はありますけれども、いずれにしても、教育と行政と両方についてそれなりの見識と知識を持ち合わせているということが重要だと思いますから、そういった意味で検討に値すると思います。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 それでは、時間がなくなりましたので、お一人だけ。土屋委員、手短に。御意見でしょうか。

○ 土屋委員
 質問を二つほど。意見もありますが、時間がないので、また別な機会に譲りたいと思います。
 質問を二つほど申し上げたいと存じますが、森田先生にお尋ねしたいのですけれども、教育委員会制度は制度疲労をしているということの御意見がございましたが、具体的にはどんなところが端的に今、象徴的な制度疲労だということなのか、重ねてお聞かせいただければと思っております。
 もう一つの質問は、現在の教育の行政というのは、文部科学省の役割、都道府県の役割、市町村の役割というふうに、それぞれある面では重なり合ってやっている、いわゆる融合的な自治制度をとっていると思っております。これは教育行政だけではなくて、すべての行政が融合的自治制度をとっているわけですけれども、例えば教育委員会制度を強固にして一定のディストリクトなどをつくるというようなことになれば、一種の分離的自治の方向に行こうとされておられるか、あるいは融合的な自治で、その中での役割をある程度強化しようとされておられるのか、お尋ねできればと思います。

○ 鳥居部会長
 それでは、森田先生、どうぞ。

○ 森田委員
 簡単にお答えいたします。
 教育委員会の制度疲労につきましては、既にここの場でもいろいろな御批判が出ているところだと思います。私自身が申し上げましたのは、この制度疲労といいますのは、少なくともこれから人口が減ってくる、そして子どもたちの数が極端に減ってくる時代なわけでして、そして、その中で大変大きな財政上の問題が出てきているときに、今までと同じような形の制度がそのまま持続できるのかどうか。その辺について見直す必要があるのではないかというのが、冒頭のところで御指摘させていただいたところです。
 2番目の点ですけれども、融合的か分離的か、ディストリクトのようなものがあるのではないかと。これは私の考え方を言いますと、ある県でもってそういうものをおつくりになる、あるいはある市町村でもっていろいろおやりになる、融合型も分離型もいろいろと実験されてみるのがいいのではないかというのが、私の申し上げたかったところでございます。以上でよろしゅうございますか。

○ 鳥居部会長
 ありがとうございました。
 まだほかにも御意見がおありだと思いますけれども、時間を7分ほど超過しておりますので、大変申しわけないのですが、今日はここまでにさせていただきます。
 3人の先生方には、今日、大変貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。とりわけ木田先生には、この法律の制定当時の精神を我々にもう1回思い起こさせていただきまして、木田先生のお言葉によると、「教育委員会を君たちは使っていない」というお言葉でありまして、その「使っていない」という意味を、もう1回これから我々は吟味しなければいけないと思います。またこれからもお教えをいただきとうございます。ありがとうございました。
 最後に、今後の日程につきまして事務局から説明をお願いいたします。

○ 山田生涯学習企画官
 今後の日程でございます。資料7でございますが、次回は、5月31日、2時半から4時半まで、東京會舘のロイヤルルームで開催の予定ですので、よろしくお願い申し上げます。

午後4時9分 閉会

お問合せ先

生涯学習政策局政策課