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資料4


大学入学資格検定の在り方に関する大検部会(第6回)(懇談会)での主な意見について

 アメリカでは高卒と同等の学力を認定するという評価の仕方が社会的に通用している。いわゆるハイスクールカルチャーを高卒資格の取得上重視している。あくまで高等学校卒業と高卒と同等の学力の認定は異なるものである。今回の資料にあるようなアクションプランは重要なことだと思う。

 今回の案では全日制高校の生徒にも新試験の受験資格を与えることが謳われているが、18歳の年齢制限については、慎重に議論すべきだと思う。飛び入学はまだ一般的ではない。18歳の年齢制限については現在の大検と同様に守るべきだと思う。

 年齢制限を撤廃することは、高等学校の存在意義にも関わる問題である。
  なお、企業では表には出さないが、採用試験の際に人と一緒に生活できるかということを重視している。新試験が学力の認定であった場合、その評価が企業に浸透するには時間がかかると思われる。
  また、最近はネットを利用しての採用が増えている。アクションプランではそのことにも触れるべきである。

 この部会では諮問文に縛られた非常に狭いところで議論してきたと思われる。高卒程度の学力認定では、現在の制度と何が変わったのかと世間にとらえかねないというのが率直な感想である。

 全日制の高校にも受験資格を拡大するのが大きな変更になる。新試験に高卒資格を付与することとすると、受験科目が増えるなどかえってハードルが高くなりすぎるのではないかと思う。

 自分はもっと幅広で使い勝手の良い制度を考えていたが、高卒資格を付与することは確かにハードルが高くなるという印象を持った。
  しかし、全日制にも対象が広がったことで、幅広い使い方ができると思う。新試験は生涯学習社会の今後の展開を意識したものになっていると思う。

 当初は自分は高卒資格付与派であったが、議論を重ねて付与するにはハードルが高すぎることがわかった。
  ただ、受験科目の英語については、年齢的な配慮が必要である。
  また、これは、学校教育で考える問題であると思うが、個人的には全日制の高校生に対する統一的な学力認定があってもいいと思う。ただ修了したというだけでなく、きちんとした形で学力を認定できるものが必要である。

 全日制にも受験資格を拡大するというのは良いが、現在、実際の高校の現場ではどのような指導が行われているのであろうか。アクションプランの中では学校現場との関わりについても触れるべきである。
  なお、高校卒業には74単位と出席日数が必要であり、新試験を6教科で構成した場合、高校の在学生には、高卒資格を付与するのは厳しい。
  また、受験科目に挙げられている英語については、現在、選択科目であり、他の科目の方が簡単のような感じを受ける。新試験の受験生にとっては、実質的に難しく感じるのではないだろうか。経過措置を工夫しなければならない。

 英語を受験科目に入れるのは、国際化社会の流れであり、英語に触れる機会が増えている現状がある。将来の日本を見据えた場合、受験科目に英語は必要である。
  なお、新試験では、簿記が科目から外されているが、簿記ができる人はバランスシートが読める。これはビジネスにおいて非常に有用な能力である。社会に出る時には重要な視点であるのに、外すのはいかがなものか。

 今までも繰り返し述べているが、一般の人には高卒程度の学力認定という概念がわかりづらい。
  新試験に高卒資格を付与するのはハードルが高いということは理解できる。それならば、高卒資格を付与できる試験と学力認定する試験の2本立てでいけないだろうか。レベルの設定は慎重になるべきだが、今後検討の余地はないだろうか。

 現場の意見としては、新試験は利用しづらいと思う。現場では学校が合わなくなった生徒に対して、大検があることを指導している。しかし、全日制の生徒が新試験に合格し、その科目を学校の単位として認定した場合、その生徒は学校に来なくなるのではないだろうか。これでは学校生活がないまま卒業になってしまう。新試験の施行によって、学校現場は大きなカルチャーショックを受けると思われる。
  また、新試験は学校の外に位置づけられると思うが、保護者は学校の思惑の外で動いていく。保護者にとっては、いかにいい大学にいかせるのかが第一であり、学校生活は二の次になってしまうのではないか。

 保護者の立場から言えば、今の高校教育に不満を持っている親は多いと思う。一端には保護者の子供への対応に責任があると思うが、反面、もう少し学校教育にも改善する余地があるのではないかと思う。今回の議論で高校側も、組織防衛を考えるばかりでなく、生徒に将来の目標を与えるという本来の在り方を考えるべきである。

 現在の大検の問題を実際に解いてみたが、これは高等学校で行われている試験より難しい。普通の高校生が受験するにしても問題のレベルは相当高いと思う。

 何をやっているかわからないフリーターを見ると胸が痛む。その全てではないにしろ、7〜9割くらいの人たちに学習を見直す機会を与えることができれば、すばらしい制度になると思う。

 学歴社会から生涯学習への転換はこれまでいろいろと議論されているが、なかなか進展していない。学校教育中心ではなく新たに社会の教育システムを構築することが重要である。このシステムにおいて一番重要なのは学習成果の評価である。この学習成果の評価を変えていかないと、いつまでたっても日本の教育は変わらない。
  全日制の学校現場でのショックが大きいことという意見については、現在受検が認められている定時制では先生と生徒が真剣に対話し、個別に対応して、大検を利用している例からも、うまく教育の中で使っていけると感じる。逆に何故できないかということについては、全日制高校の教育自体に問題があるのではないかと思う。

 集団生活になじめない人たちのことを真剣に考えるべきである。真面目に勉強しようという子供でも、質の悪い教師との折り合いで子供が被害者になっている例も多いのではないのか。

 生徒にとって、学校から籍を抜くというのは大きな問題である。新試験の合格を目指しながら、全日制に平行して通えることは大きな利点である。ただし、学校での単位履修と新試験で合格した科目の単位の兼ね合いが複雑になると思うので、整理しなければならない。

 現在の大検では予備校に通いながら、合格を目指している人が多いと聞いている。全日制にも、門戸を広げた場合、学校に通いながら予備校にも通うのではないかという、懸念がある。原点に戻って、もともとの経済的事由により大学に行けない人をいかに救済するかという視点を考えるべき。
  英語については、世代的な配慮が必要であり、大学を受験する人については、英語を必修科目にする等の対応が必要である。

 高校中退者9万人をどのようにするのかということについては、大検部会の範疇に収まる話ではない。ただし、我が国の将来にも関わる問題であり、さまざまな場所で今後も議論すべき重要な問題である。

 新試験合格のための勉強方法を、受験生の身近な学校・市町村が積極的に行う必要性について、アクションプランに盛り込むことが必要である。
  高校中退者からフリーターになる人も多いと聞いており、各地方公共団体においても積極的に取り組んでいくべきである。

 一人で勉強することは確かに難しい。しかし、周りの人が支えてくれると思う。それは、先生と生徒がコミュニケーションを図ることにもつながっていく。地方公共団体にも責任の一端があり、今後、積極的な役割を果たすべきである。

 教職課程において、新たに先生になる人が教壇に立つ前に、新試験の存在・意味を理解できるようにする制度を、アクションプランに追加してもらいたい。

 図書館で新試験の情報提供できるようなシステムの構築をアクションプランに盛り込んでもらいたい。このような図書館の活用を中間報告にうまく盛り込めないだろうか。

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