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大学入学資格検定の在り方に関する大検部会等での主な意見について


7.その他

 高等学校を卒業していなくとも、技能等を修得していれば評価される社会としなければならない。
 高等学校の中途退学者などは、様々な行政的な支援から漏れているように思う。そのため、学習面での支援,不登校に対する支援,青少年の育成という観点から学校教育の関わり方も含めて総合的に検討をしなければならないのではないのか。
 時代の要請に応えるためには,大検だけを見直すだけではなく,モノカルチャーで生徒の能力、興味・関心の多様化に対応しておらず硬直化している学校教育の在り方についても見直すことが重要である。
 高卒程度認定試験の周知方法,開始時期の検討については,11月の2回目の試験は,高等学校を挫折した者等の大学受験に対応するために,12月〜1月くらいに実施すると充分な学習の時間が取れると思う。ただし,その場合、採点事務等から結果の発表までの時間がタイトになるなどの問題は残る。
 現在の高校においては,目的意識のはっきりしない生徒が多数入学してきている。そういった生徒が大検の科目を卒業単位に振り替えた場合,高等学校に通う意味が薄れてしまうのではないか。
  高等学校は本来であれば,生徒が要求するような授業を展開したいと思っているが,現実的にはそのような教育ができていない。生徒側も優秀な先生がいても自由に選べないのが現状で,ミスマッチなどから安易な考えで,大検の科目にたより,生徒指導に翻弄されるような高校になってしまうのではないか。
  高等学校を中退した生徒には、大検があるから中退しても上級学校を目指せるなどの理由で学校を辞めていくケースが多いようだが、実際には,逃げの理由にしているのが実態ではないか。
  新試験を高校の学力の判定試験として統一的な試験にしてしまうと,どうしても試験結果の公表は避けられなくなり、現状でも問題となっている学校間のランク付けを一層推進してしまうため、受検のための勉強のみが激化してしまうのではないかという懸念もある。
  合格科目の単位認定については,卒業の認定は校長が行うべきものであるが,大検を高等学校の生徒全てに課す場合には,その校長の権限を犯すことになり抵抗が激しいだろう。
 新試験で学習を評価する際、学習を評価する場を学校以外にも作るなど、生涯学習社会において、適応したシステムとして構築する必要があるのではないか。
 大学入学資格検定は、大学入学を目標とした試験だったが、今後、新試験となるにあたって別の目標となる何かを作る必要があるのではないか。
 現在、基本的な資格の受験要件として、高卒程度が大半となっているため、新試験の名称などについて工夫すべきであろう。
  また、高校卒業者と新試験合格者の社会的取扱いは同等であるべきである。例えば、大学では、博士号について論文博士・課程博士と区別されており、新試験についても高等学校卒業という名称に何か付け足したりして、区別をしても良いのではないか。

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