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大学入学資格検定の在り方に関する大検部会等での主な意見について

1.新試験の性格について
(1) 高卒程度の学力の認定にとどめるのか、高卒資格を付与するのか。
総論】
 大学や社会へのバイパスとしての役割は維持していくことが必要。
 様々な事情で高校に行けない人がいるが,そのような人が勉強をしたいと思った時にスムーズに挑戦できる制度であって欲しい。
 新試験を考えるにあたり,様々な動機で受験してくることを想定して,使い勝手の良い試験にしなければならない。大学入学のための試験と限定してしまうことでよいか議論すべき。
 大検の在り方を考える際には,バイパスとしての機能を狭くしてしまうような方策には反対である。できる限り多くの者が,受検しやすい方策・制度とすべきだと考える。
 バイパスとしての新試験は,高校の存続を危うくするものなのだろうか。
 新試験が日本の教育にとって,プラスなのかマイナスなのか,また,これからの生涯学習社会において,どのような資格にするべきかを議論するべきであろう。

高卒程度の学力を認定する試験にとどめるべき。】
 高卒資格は、高等学校における教科指導と社会性を身につけるための指導のトータルで与えられるべきであり、学力試験だけで高卒資格を付与することは疑問。
 学力試験だけで高卒資格を取得できるということで、高校に行かなくなると社会問題化するのではないのか。
 高校で学ぶことが中心であるとの仕組みは堅持することが必要。
 高等学校教育に悪影響を与えることのないように検討を進めるべきである。
 新試験の性格については,高等学校卒業資格を付与することになると,受検科目数を増やすなど、受検者が受けにくい試験となると本末転倒である。現行の高等学校卒業程度の学力を認定する試験でよいと考える。
  なお、高卒資格を取得できないという不満に対しては,大検の通用性を高めるとともに社会における認知度を向上させる施策について別途検討することが必要である。
 企業で求めている人材は,感性が豊かで,問題を発見し対応ができ、それを理論的に発言できる人材である。
  また、高等学校は、確かな学力を付け、豊かな人間性を磨くために存在しているものであり、試験で高等学校卒業資格を付与することとなると、これらの高等学校の機能の否定となり、その存在そのものを否定することになるのではないか。
 高等学校間において学力の格差があるなかで,高卒程度認定試験について高卒程度をどのように捉えるのか検討が必要である。
  また,高卒資格と同等というと,現場の教員は、反感を感じるのではないか。仮に高等学校卒業資格を与えるとするならば,「総合的な学習の時間」に類するものを試験に盛り込まなけらばならないと考える。
 卒業資格とした場合,何科の卒業資格とするのか。おそらく総合学科になると思うが,その場合、現行の通信制高校卒業おいても74単位が必要となり、大検よりも負担が大きくなるのではないか。
 高卒資格は、学校生活や学習を3年間継続した実績が評価されているものであり,試験による学力だけで評価することには抵抗を感じる。
  大検はあくまで大学の入学資格として整理した方がよいのではないか。
 高等学校教育と、新しい試験制度による高等学校卒業資格の付与することによる効果を比較した場合、高等学校に在学する生徒の数からみても高等学校教育を重視する必要があるのではないか。
 新試験については、現在の大検と同様にバイパスとして検討するべきである。
 仮に高卒資格を付与することとした場合、総合的な学習などを課すことについても考えなければならない。高校のレベルも様々であり、高校において必ずしも確かな学力や豊かな人間性が身に付けられるとは言いがたいが、少なくとも、試験のみによって高卒資格を付与することは難しのではないか。
 高等学校教育は、豊かな心を育てるものであり、高等学校卒業程度の学力認定で高卒資格の付与は考えられない。
  今回の諮問では、「高等学校卒業程度の学力を認定する試験としての性格をより明確にすること、各種職業資格の受験資格における取扱いなどにおいてより広く活用されるようにする。」と目的が謳われているように、無理をしてまで高卒資格を付与しなくてもよいのではないか。
  高校に行かなくても、高卒資格を付与できることとなると,現行の高校現場から見ると、高校に魅力を感じていないものが多く、中退者が多くでる可能性が高く、ひいては、協調性のある豊かな心を持った人が育たない。
  ここでは、多数の高校中退者側に立って、新試験をいかに受けやすい制度にするのかについて、どのような方策があるかについて議論することが重要であると考える。
  新試験については、合格・不合格ではなく、英検などのようなシステムにして、大学や短大を受験するためには何点必要といった段階表記にすればよいのではないか。そうすれば,社会的認知度もあがると思う。
 大学が独自に個別審査を行えるようになったが,大検の役割は終わっていないと考えている。高等学校の教育は進学や就職に役立つ知識以外にも身につけるものが多いことを考えると,高卒資格を付与することは,高校の存在そのものに大きな影響を与えるので,慎重にすべきであろう。
 新試験の性格は高卒程度の学力認定にとどめるべきである。バイパスとしての機能・役割は維持し強化していくべきだが,高卒認定とは相容れないものと考えている。
  現行の教育システムにおいて,高校はそれぞれの教育課程にしたがって教育を行っている。大検はあくまで,何らかの事情で高校を卒業できなかった者が,進学の道を閉ざされないよう,学力を認定するものである。両者を区別しないことには現行の高校教育体制を危うくするものであり、高校教育を守る立場としては賛成できない。
 高等学校の卒業者以外にも新試験の合格者に高等学校卒業資格を付与するととなると、教育産業等に悪用されるのではないかという懸念がある。学力を養成する能力が高い民間教育機関に高校生が流れる危険性が高く、多くの高校にとっては悪影響がある。
 試験での合格者に学歴としての高等学校卒業を付与することは問題があるのではないか。
  新試験となっても、あくまで次の段階で学ぶための途であってほしいと思う。また、高卒資格付与などにより、敷居を高くすることには反対である。年間10万人にも及ぶ高校中退者が受けやすい試験とすることが必要。
  新試験に移行するに当たっては,これらの点を留意し受検者の多様化に対応できるよう,十分検討しなければならない。
 新試験合格者に高等学校卒業資格を付与することになると、学習指導要領にある必要な科目全てを試験として課さなければならないのではないか。
  また、これからは、今までの学歴社会ではなく、多様な学習歴が評価される社会に移行していくというのに、高卒資格が付与されるということはそんなに重要なことなのだろうか。依然として、重要と認識されているのなら、企業側としても認識を改める努力が必要となる。

高卒資格を付与してもよい。】
 学校を退学して大検を受けたいという生徒もいるが、ほとんどの高等学校の教員は学校に通うよう指導している。今回の制度の見直しによって大多数が、学校に通わなくなることはないと思う。
 社会の価値観も変化しており、高校においても、高校側からの一方的な押し付けでなく、保護者や生徒の目線でカリキュラムを組むなど改革を進めているところもある。大検もこのような方向で検討を進めるべき。
 高等学校の中にも、学力向上のために予備校化しているところも多く、社会性を身に付けるための教育が行われているのか甚だ疑問である。
 大検の合格者の方が社会に出て働くなどしており異年齢の交流も多く高等学校卒業者よりも社会性を身に付けているのではないのか。
 高校といっても通信制の高校と自学している大検の合格者の間にはスクーリング以外に大きな違いはないのではないのか。
 今まで,小学校から就職までの進路については,ワンウェイだったが,現在は多様化している。今後は,いくつもの進路があって,その中から自分にあった進路を選べるような体制が望ましい。
  このように考えると,新試験について,高卒の資格を付与するという方法で何も不都合はないように思う。そのためには,受検者のそれまでの経験をどのように反映させるのかを考えるべきである。
 現行の日本の学校制度においては、高等学校を卒業すれば,確かに高卒資格を取得できるが,その選択肢を選べない者に対して,日本の制度は永遠に道を閉ざしている。このような人に対して試験によって高卒資格付与する制度があってもよいのではないか。
  また,現在、高校中退者に対しては、学校から職場や社会へのスムーズな接続が準備されていない。現行の大検も学校から学校への接続を可能とする制度に過ぎず、これに,高卒資格付与機能をもたせることで,大検が職業生活への接続を容易にしてくれるものと考える。
 新試験については,義務教育を過ぎてからの話でもあるし,多元的な進路を考慮にいれて検討することが望ましいと思う。通信制,単位制といった高校の多様化の中で,最低限の必修科目の学力を持っていることが確認できればよいのであって,それ以外の面については,選択として各学校に任せればいいという考え方もバイパスの機能を生かす為にはあると思う。
  大学入学における高等学校の学力認定試験という中途半端な在り方をやめて,合格者の社会的位置づけを明確にするためにも,高等学校卒業資格を付与する方がいいと考える。
 単一的な教育内容や教育方法でなく,もっとチャンネルを増やす必要がある。
 定時制・通信制や,全日制の高等学校側の倫理で考えるだけではなく,機会均等という観点から,高校に行っていない人に対して、社会へのいろんなルートを授けても良いのではないかと考える。現行の高等学校教育にとっても競争的な環境となることで、生徒の学力向上などに本気で取り組むことが必要になるなど、活性化するのではないか。
  また、仮に高卒資格を付与したとしても、大学や企業において入口でチェックをしているので、問題は無いのではないか。
 高卒資格付与機能を認めるとすれば,例えばアメリカ合衆国カリフォルニア州のCaliforniaHighSchoolProficiencyExaminationという試験の合格者は,HighSchoolDiplomaと同等とされている。これは,高校中退者のための制度ではなく,高校に在学している者の試験であり、試験に合格し許可が出れば,大学への進学ができる。いわゆる試験による早期卒業の制度であり、この制度によってとび入学する生徒も高卒資格を付与されるという点である。
  また,アメリカには,高校中退者などが受検し,高校卒業と同等の取扱いを受けることのできる民間資格のGEDという大検とよく似た試験もある。他方で,高等学校を卒業するのにふさわしい最低の能力を持ってほしいということがアメリカのアカウンタビリティであり,州によっては,高校卒業要件として学力試験を課している。
 新試験の性格については,高卒資格を付与する制度にするのが良い。受検者の年齢,動機も多様化しており,これからの生涯学習時代に合わせて,使い勝手の良い幅広い制度にすべきである。
  ただし,全高校生・全大学志願者に義務付けることはせず,バイパスにとどめるほうが良い。高校中退者が年間10万人を超えるなど、今回の問題は、高校教育のひずみによってもたらされたものである。こうした高校をドロップアウトしたものについても、高卒資格を付与することによって,1大学入学資格を得る2不登校・引きこもり,中退問題への一助となる3就職の学歴・初任給の扱い・職業資格への挑戦等の外部への証明機能や社会的認知を高めるなどのメリットが多い。
 高卒程度の学力の認定という言葉が分かりづらく、一般の人には高卒資格との違いがわからない。
 現在の制度下では、大検は、大学に入学したい人が受検していることとなっているが、実情として多くの親にとっては,「大学に入ってくれ」ではなく、「高校は卒業してくれ」という考えが一般的ではないかと思うので、そういった現状を踏まえれば新試験は高卒資格を付与すべきであるといえる。
 大検をどのような人が受けているのかを考えると、中学校で不登校を経験した人や高校中退者が多数を占めているのではないだろうか。
  まず,これほど多くの高校中退者や不登校者がいること自体が問題で、このような人たちを救済することは重要なことである。そのためにも、新試験では高卒資格を付与すべきである。
  高校に与える影響として、新試験に高卒資格を付与したとしても、安易な考えによって高校に通わないものが増えるなど考えられなくもないが、高校には高校の良さがあり,高卒資格を得たいからといって高校に生徒が通わなくなるということはないのではないか。高校中退者が増えるとしたら、高校教育の別のところに問題があるのではないのか。
 新試験の合格者には,高卒資格を付与しても良いのではないかと考える。
  理由としては、高等学校においても特色ある学校作りなどにより、学校間の学力の格差が広がっているのが現状であり、一定の学力を有していることを証明する試験があっても良いのではないのか。
  親の立場からすれば、自分の子供には、最低でも就職などのことを考えると高校卒業の資格を持ってもらいたいと考えるのが普通である。
 新試験の合格者に高卒資格を付与したとしても,高等学校教育の本体を揺るがすものではないと思う。逆に,このような制度ができることによって,相対的な関係となり高等学校の教育が一層改善されるのではないだろうか。
 新試験の合格者に高卒資格を付与しても、学校をやめる生徒が増加するとは思えない。
  一般家庭にとって、子供が高等学校段階までは、学校に通っている姿が一番経済的でもあることや、子供自身も学校へ通うことが一番楽しいものであるならば、卒業資格を得たからといって学校へ通わなくなるというのは、考え難いことではないか。不登校や中退は高校教育の別のところに問題があるのではないのか。高校教育については、守りに入るのではなく、もう少し魅力あるものにする努力をした方が良い。
 大検受検者は純粋な気持ちで、大検を受けているように思う。実際の高卒者の現状や矛盾を考えると、高卒資格を付与しても問題ないと思う。
  また、高等学校卒業と同等という点では、専修学校の専門課程修了者も同様であり、就職や進学の際に理解を得るために苦労している。
 新試験の合格者に高卒資格を付与するといった考え方について、高校関係者は不安を覚えているようだが、高卒資格を付与するということで高校教育が活性化するなど、お互いのためにも利の方が多いのではないかと思う。
  日本では、教育の結果責任についてはタブー視されているが、高校関係者も不登校や中退を生み出している現状を認識すべきである。
 多様化してきている高等学校教育の現状において、新試験で合格者に高卒資格を付与することとしても、あまり影響がないのではないか。


(2) 大学入学のための資格試験とするのか。(大学入試センター試験との関係)
 日本では資格試験が少なく選抜試験が大多数を占めているため、高等学校の学習が教養のためではなく、受験のための勉強になっている。
  18歳前後で全員に受験させるなど、大学入学のための資格試験化することはできないか。将来的には大学入試センター試験と連携して、アメリカのSATのような形にできないかについても検討を行うべきである。
 大検の見直しを通じて大学へ進学するための途も整理する必要がある。大学進学のための途の一つと捉えた場合には大学入試センター試験の在り方とリンクさせて検討を行うべき。
 センター試験と大検の関係については,センター試験は大学の入学者選抜のための競争的試験であり,高卒資格認定のための試験とは,大きな違いがあると考える。わが国の文化や国民感情では大学入学資格試験でもって一線を画することには抵抗があると思う。
 大学入学の資格試験とするならば,センター試験と統合してもよいのではないのか。全高校生に義務付けることについても,絶対評価の観点からは望ましいと考えている。


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