(1)義務教育の目標を達成するための評価の在り方

 義務教育段階における学習成果の評価や各学校の修了の認定に当たっての考え方は,義務教育の目標の達成の在り方に大きくかかわるものである。
 本分科会においては,義務教育における修了の認定や評価の考え方として,児童生徒に学力を保障するためにはどのような制度が望ましいかという観点から,「課程主義」・「修得主義」,「年齢主義」・「履修主義」に関する議論が提起された。

  • ※ 注1
     「課程主義」・「修得主義」
     「課程主義」とは,義務教育制度における「義務」の完了を認定するに当たり,一定の教育課程の習得をもって義務教育は終了したとみなすものである。我が国の明治期から戦前にかけての義務教育はこの課程主義に属しており,例えば,「小学校令」(明治33年)においては,「尋常小学校ノ教科ヲ修了シタルトキヲ以テ就学ノ終期トス。」と定められていた。
     また,「修得主義」とは,当初は成績の評価・評定と深く関係付けられていた用語で,児童生徒は,所定の教育課程を履修して,目標に関し,一定の成果を上げて単位を修得することが必要とする考え方を指すものである。我が国の初等中等教育においても,高等学校については,単位制が採用されており,「修得主義」の原理に立つものとされている。
  • ※ 注2
     「年齢主義」・「履修主義」
     「年齢主義」とは,義務教育制度における「義務」の完了を認定するに当たり,年齢に達したならば自動的に義務教育は終了したと認めるものである。我が国では,「国民学校令」(昭和16年)において,「満14歳ニ達シタル日ノ属スル学年ノ終迄」として年齢主義の規定に転換し,現在の学校教育法においても引き続き年齢主義が継承されている。
     また,「履修主義」とは,当初は成績の評価・評定と深く関係付けられていた用語で,児童生徒は,所定の教育課程をその能力に応じて,一定年限の間,履修すればよいのであって,特に最終の合格を決める試験もなく,所定の目標を満足させるだけの履修の成果を上げることは求められていないとする考え方を指すものである。我が国の小・中学校においては「履修主義」が採られている。

 (参考文献:安彦 忠彦・新井 郁男・飯長 喜一郎・木原 孝博・児島 邦宏・堀口 秀嗣編「現代学校教育大事典6」1993年,ぎょうせい,安彦 忠彦・新井 郁男・児島 邦宏編「新版・学校教育辞典」2003年,教育出版)

 具体的には,例えば,課程主義や修得主義の考え方を重視する立場からは,主に次のような意見があった。

  • 我が国の教育は,これまでは履修主義で,ともかく一定の年限を学校で過ごせばよいということだったが,修得主義に転換することについても検討すべき。中学校を卒業しても学力の不十分な子どもをただ送り出すだけで責任を果たしたことになるのか。例えば,1学年ごとに一定の内容の習得を求めるかどうかなどを検討すべき。
  • 修得主義を確立すべき。一定の年限の中で習得すれば良いという仕組みにすべき。
  • 入試で厳しい選抜にして簡単に卒業させるのではなく,入試そのものを全体に緩める方向にした上で,中でしっかりと勉強させる仕組みにすべき。
  • 児童生徒の状況によって,義務教育9年の中身を6年や7年で終わることのできる子どもも認めていかないと,親の支持が得られないのではないか。
  • 進級について,個に合わせて柔軟にしてもよいのではないか。まだその学年に相当するレベルに達していないならもう少し同じ学年で学習させ,達成できれば年度ごとでなくても進級できるような仕組みにするとよい。
  • 子どもたちが十分な学力保障をされずに卒業している現状を考えると,修得主義についてもっと関心を持つべき。

 また,課程主義や修得主義の完全な実現は現実的には難しいが,むしろ現行の年齢主義・履修主義を前提としながら,修得主義的な指導を重視することが望ましいこと,また,年齢主義や履修主義にも一定のメリットがあることを主張する立場からは,主に次のような意見があった。

  • 一定期間教えればそれで終わりとするのでなく,例えば,小学校6年生で十分に学習内容が身に付いていない子どもには,しっかりと補習を行った上で責任を持って中学校に送り出すなどの取組を進めるべきである。
  • 制度を大きく変えるよりも,足りないものを補充していくやり方が望ましく,必要に応じ自治体を中心に小学校5,6年生への補充教育を行うなどの仕組みを用意すべき。
  • 修得主義を採用し,学力テストによって評価をするようになると,知力に偏りがちになり,知・徳・体のバランスのとれた教育が難しくなるのではないか。
  • 明治の初めに課程主義を採り,学校教育が行き詰って年齢主義に改めたことを考えると,修得主義は大事な要素であるが,どこまで貫徹できるか非常に難しい。
  • 厳格な修得主義は実際にはできない。ただ,学習の基本的構造は積み上げ式であり,修得主義に向けた努力を重ねつつ,柔軟に運用していくということではないか。
  • 年齢主義と修得主義は二項対立的なものではない。現行制度は年齢主義的だが,実際に教える教員は修得主義的な考え方で指導している。年齢主義は日本の社会や日本人の意識に合っている。年齢主義を基盤としつつ具体の指導方法として修得主義の視点を入れればよい。
  • 例えば学習指導要領は最低基準だが,その中でも最低限必要な部分と,文化として知っておいてほしい部分とがある。最低限必要な部分については,履修主義のみでは甘くなるので修得主義的に扱うことが必要だが,その場合も個々の子どもの修得状況に照らして落第させたりするのではなく,学校の指導内容や状況を見直し,改善を求めるという方向に向かうべきである。
  • 日本は履修主義の社会であり,修得主義を強引に持ち込むことには無理がある。これからは評価も無視できないが,履修主義にも意味があることを自信をもって説明する必要がある。

 さらに,戦前の課程主義・修得主義は,いわゆるキャッチアップポリシー(追い付き型の政策)に結びついたものであって,今後課程主義・修得主義に重点を置くとしても,過去の考え方とは異なる新しい制度として議論する必要があるとの意見があった。

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