参考
2008年1月6日
溝手 康史
研修の対象となる時期やルートの危険性
危険を伴う時期やルートの登山では、些細な判断ミスが大事故に直結しやすい。
従来、この冬山研修会は、「基本的には通常の冬山登山と同じ考え方に立ち、実践的な登山の範囲で可能な限り安全対策を講じる」とされてきた。実践的な冬山登山研修では、危険を経験することにより、危険への対処方法を学ぶことを目的にしているとされるが、このような登山ではある程度の危険が伴うことは避けられない。
大日岳事故に関する富山地裁判決は、国が主催する研修会では安全であることが要請されるとしているが、そこでは、引率するという登山形態だけではなく、国は、国民の信託を受けて、国民の生命身体に対する安全を守るべきであるという国民の信頼があることが判断の前提となっている。この考え方は、国が主催する研修登山は、通常の冬山登山とは異なって安全でなければならないというものであるが、このような裁判所の考え方は、国民の意識、及び、研修の実態を反映したものである。ほとんどの国民は国が主催する冬山研修は安全だと考え、同時に、国も冬山研修を安全なものとして実施してきた。国や自治体の行事の安全性に対する国民の信頼と期待は大きく、それは裁判所の判断に反映する。
安全なはずの研修会で事故が起これば、「おかしい」と考えるのが国民の率直な受け止め方であるが、登山家は、「冬山は危険なのが当たり前」と考える傾向がある。
もともと冬山登山は危険なものであるが、安全管理を徹底させれば、安全なものになるのかどうか、また、そこでいう安全性の中身が問題となる。
例えば、自動車の運転に伴う危険はほとんどの場合に人間による管理が可能であり、注意すれば自分の過失に基づく事故を回避できる。ゲレンデでのクライミングやハイキングなどにも危険がないわけではないが、ほとんどが管理可能な危険であり、安全対策を施すことにより、かなりのレベルまで安全なものになる。人工壁でのフリークライミングは、落ちれば死ぬという意味では非常に危険であるが、正しい登り方や正しい落ち方をすれば墜落してもほとんど怪我をしない。
他方で、高山での岩登りや冬山登山は、管理の困難な危険を伴うので安全対策を尽くしてもかなりの危険性が残る。自動車の運転でも、雪道でのスリップ事故については、雪用タイヤを装着して徐行運転していてもスリップすることがあり、管理の困難な危険があるが、これは積雪や凍結という自然条件が関係するからである。管理の困難な危険であっても不可抗力でなければ、法的責任の対象となる。
一般に人工的施設における行為は危険性を管理しやすいが、自然と関わりを持つ行為は、自然物のメカニズムを簡単に把握できないので危険性の管理が困難な傾向がある。目で見ただけではそこが雪庇の吹きだまりなのか地山の上なのか判別しにくく、外観からは雪庇の吹きだまりの内部構造や雪の安定度はわからない。
同時に、自然物のメカニズムを完全に解明できていないことや自然の持つ危険性を把握しにくいことが、人間の判断ミスにつながりやすいという問題がある。登山者が山頂付近の広い雪面が雪庇ではないと勘違いをしたり、たとえ雪庇の吹き溜まりの可能性を疑ったとしても、雪が安定していない可能性に気づかないことがある。過去の雪庇に関する情報を把握し、吹きだまり部分の危険性を理解しておけば、安全な行動が期待できるが、そのためには事前の調査が必要になる。雪崩れるか雪崩れないかの限界事例において、それを的確に判断できないことは人間の判断ミスにつながる。
これらの点は注意義務の内容にも影響する。自動車の運転においては、一定の運転技術を持った者が制限速度や信号などをまもり、脇見運転などをしなければ、事故を起こさないことがかなり高い確率で期待できる。しかし、冬山登山ではそれなりの注意をしていても、事故が起きることがある。信号無視の運転と、雪崩れるかどうか微妙な雪の斜面で雪崩の判断を誤った場合では、同じ過失でも違法性と責任の程度が異なる。大日岳事故の講師が刑事事件で不起訴になったのは、講師の判断ミスの違法性と責任の程度が低いこと等が考慮されたものと考えられる。
国が主催する研修会では安全であることが要請されるが、安全であるためには、危険性の管理、すなわち、いつ、どこで、いかなる危険があるかを予測し、それに対処できることが必要である。国が主催する研修会における安全性は、危険性の管理が可能かどうかを基準に考える必要がある。
例えば、次のような危険がある。
冬山では、過去に雪崩れたことがない小さな斜面で、積雪もそれほど多くないのに10メートル程度雪崩れて登山者が死亡した事故がある(大山での事故)。事前の弱層テストでは雪崩れないと判断されたが、弱層テストをしていない数百メートル上方の雪面から雪崩れた事故もある(ニセコ・春の滝散策ツアー事故。この時、山岳ガイドは「今日は絶対に雪崩れない」と確信していたそうである)。
冬山では、晴天でも強風が吹き荒れれば、ちょっとした不注意から凍傷になることがあり、それが原因で指を切り落とすことがある。また、不注意から雪盲になることがあるが、それが原因で滑落などの事故につながる恐れがある。
事前に研修生の健康診断で異常がなくても、登山中に体調不良となることがあり、登山ではそれが事故につながる危険がある。
それほど天候が悪化しないと予測していても、予想以上に悪化したような場合、停滞をしたり、下山が遅れることがある。停滞した時、体調が悪ければ疲労凍死する可能性があり、動けなくなった研修生を迅速に救助できるかどうかは時期やルートに左右される。国の研修会では、下山が遅れれば世論から厳しい非難を受けることになる。
これらは絶対に避けることができない危険ではなく、事故後に検討すれば、どこかに引率者の判断ミスが認められる可能性がある。研修会といえども通常予想される危険については研修生の自己責任とされる場合もあるが、重大な事故は、安全であるという研修会の性格に明かに反するので、講師の注意義務違反が問われやすい(安全配慮務は、行為規範としての性格よりも、事後的に損害の公平な分担を実現するという性格が強いとされている)。
今回の事故を教訓にすれば、今後、山頂付近での雪庇崩落事故は起こらないと思われるが、それ以外にも冬山には無数の危険があり、それらをすべて予測し、あらかじめ対処方法を考えることは困難である。管理可能な危険性という観点から言えば、ゲレンデ的な山域での技術研修や、自然条件が安定した時期の雪山登山は、危険性を比較的管理しやすい。
人間はどこかでミスをする可能性があり、人間自身がもっとも管理の困難な自然物であると言える。
実践的な登山は、登山中に、予想外の危険が起こりうることを想定したうえで、それに対して、その場で対処方法を考えるという判断過程を伴うが、判断過程が多ければ多いほど判断ミスが起こる可能性が生じる。人間のミスはあってはならないが、人間はしばしばミスを犯すのが現実である。
日常生活では判断ミスが命にかかわることは稀だが、自動車や航空機の運行、医療、危険な作業、登山などの危険を伴う行為では、些細な判断ミスが致命傷になることがある。自動車や航空機の運行などは社会経済的必要性が高いので、人間のミスによる事故というリスクがあったとしても、自動車や航空機を利用するという暗黙の社会的合意がある。しかし、登山には社会経済的必要性はない(と一般に考えられている)ので、事故のリスクがある中で敢えて危険な登山を行うことは、日本では社会的に容認されにくい。
人間がミスを犯す恐れがあることを前提に考えれば、ミスがあっても大事故に至らない条件下で登山を行うか、あるいは、事故が起きても他人に責任が生じないようにして、すなわち自己責任のもとで危険な登山を行うことが望ましい。登山は危険性と安全性という本質的に相容れないものを追求する人間のわがままな行為に他ならないが、本来、それは自己責任の世界に属する。
国の行事は、危険を伴うことを行うことに高度の社会的必要性がない限り、可能な限り危険性の少ない方法を選択すべきである。
どんな登山であろうと、安全管理がきちんとなされなければ事故が起きるが、3月上旬の大日岳登山では、管理の困難な危険が少なくない。
国が主催する冬山研修としては、「危険性のかなりの部分が管理可能」という前提で、研修の時期や山域、ルートを考えるべきである。
案としては、
ことなどが考えられる。
そのうえで、大日岳事故をふまえて、今後の安全管理体制のあり方を検討する必要がある。
従来の冬山登山研修会では危険性の説明がほとんどなされていなかったようであるが、参加者が危険を伴う研修会に参加するかどうかを決めるうえで、具体的な危険性の説明が必要である(ただし、それを説明すれば法的責任が生じないということではない)。
研修制度を考えるうえで、国が、本来、私的な行為である登山とどのように関わるべきかという問題がある。
フランスのスキー登山学校のように、国が山岳ガイドの養成に全面的に責任を負う国があるが、日本の冬山登山研修は位置づけが曖昧である。
登山研修の性格に関して、(イ)安全管理が困難で危険を伴う研修と、(ロ)基本的に安全管理できる研修に分けることができる。
(イ)の形態は、あらかじめ危険を伴う研修であることを明示し、研修生が危険を了解したうえで参加することになるが、事故が起きる可能性を否定できないので、事故の場合の補償を考える必要がある。しかし、短期間の一時的な研修で補償制度を設けることは、他の制度との整合性を欠く。フランスのスキー登山学校のように、研修生を公務員として扱えば公務災害の対象になる。日本ではこのような研修は認められにくいだろう。
(ロ)は、前記に該当する。
登山研修所の夏山研修や岩登り研修は(ロ)に該当すると思われるが、従来の冬山研修は、(イ)と(ロ)の折衷的形態である。つまり、ある程度の危険を伴う実践的な冬山研修を、「安全な研修」として実施してきたのだが、今までに述べたように、安全管理上の困難がある。
日本の従来の冬山研修のような研修を実施している国は、ほとんどないのではないかと思われる。