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収蔵品検索サービスについては、一般の検索エンジンが入り込めないようにしてあるとのことだが、外部から、収蔵品すべてのデータベース化を含めた検索システム整備のようなオファーはないのか。例えば、今グーグルは、大学の図書館にある本すべてをデータベースにのせようとしており、各大学がどう対応するかで大変なことになっている。
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共同のシステム開発とかノウハウ共有に関するオファーはあるが、美術館の収蔵品すべてを対象とするような検索システム整備に関しては、今のところ話はない。
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文化財保護の観点から言うと、作品撮影の危険というのは具体的にどんなことか。
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例えばライトの横転など、作品撮影の環境は常に危険なもの。強い光や熱などの問題もある。
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旧ハイビジョンのプロジェクトの反省から言うと、その時はせっかくデータを集めたものの、フォーマットが特殊で応用が利きにくかったこと、その後技術が更に進化したことから、非常に閉じたシステムになってしまった。同じことを繰り返すべきではない。
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近現代美術館は、基本的に作家のコントロールを前提にしたあり方になっているので、作家自身が鑑賞環境にも非常に関心が強いところで、第三者がデジタルミュージアムを作るというのはなかなか難しいだろう。そういった意味で、近現代美術はデジタル化に一番乗りにくいといえる。デジタル化には、どこからも文句の出ないような素材を使うのがやりやすく、また知的な面白さという点でも大いに可能性があると思う。
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作品を展示するのとウェブやカタログに掲載するのとでは、著作権上の問題はあるのか。
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通常、展覧会のカタログも含め、印刷物、ウェブ上、館内での展示すべてに了解を取る必要がある。展示権は作品所有者に留保されるので、美術館自身が所有している作品については、館内展示までは可能。
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鑑賞と参照は確かに区別されるものだとは思うが、将来的にも分かれて存在するものなのだろうか。一体化してもいいのでは、という議論がありそうな気もするが。
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今後技術が高くなって高精細でもウェブに流したり、比較的簡単にシステム化したりできるようになれば、鑑賞と参照が一体化していく可能性はある。ただ、美術館側からすれば、お客さんにはディスプレイでなく、まずは現物を見てもらいたい。 鑑賞に耐える高精彩のシステムを維持できるほどの体力も美術館は持ち合わせていない。
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仮設か可搬性の要件検討という点について、高精細画像を高解像度で映し出すことの可能なディスプレイがあって、それがブロードバンド・ネットワークで全国的につながっているとすれば、可搬性は大して問題にならないのではないか。
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近い将来、そうなってもらいたいとは思う。これまで高い性能を持ったディスプレイがレンタル可能な状態になっているのを見てきて、ブロードバンドでのネットワーク化が進んでほしいと強く思う。
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鑑賞か参照かを区別する必要はないのではないか。博物館や美術館など収蔵品を保有する側が現物のオリジナリティを重要視するのは理解するが、一方ですべての収蔵品を常設展示することは不可能なのを考えれば、それらをいろいろな方法で見せることを考えるべきだと思う。文化財でいえば、東京に一極集中的に収蔵されているが、そういうものも最先端の技術を使って地方とも共有できるだけのインフラがどんどん整備されている。そうした最先端技術をうまく使っていく、というのを議論するのがこの研究会の趣旨だろう。
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一面としては正しいが、だからと言ってこの研究会の議論の中から、10年あるいは20年後のデジタル画像の作り方のスペックを示すことはできるのだろうか。技術の進歩にあわせてやっていくとは言っても、技術の変わり目ごとに作品撮影をするようなことになると、現場にとっても作品にとっても負担が大きい。そのあたりの指針を示さなければ、現場にとっては受け入れがたい。
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鑑賞か参照かというのは、受け手の感性によるところが大きいので、高精細でなければ鑑賞でない、というわけではなく、むしろ供給者側の理屈といえるかもしれない。鑑賞の代替としてどんな選択肢があり、それが現行の博物館・美術館の持っている技術や予算で可能かどうかというのが一つ、もうひとつは技術面で長いスパンを見越して議論すべきもの、とそれぞれ区別して考えた方がいいと思う。
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現在開発中のスーパーハイビジョンは、2次元画像としては最終形態になる予定で、その後は、像再生型と立体システムの開発を目指している。2次元画像については、いろいろな企画が出てくる可能性があるので、今開発中のものを世界統一規格にするよう関係方面への働きかけを行っているところ。ただ解像度のいい2次元画像というだけでは面白くないので、ライトを動かすような工夫をすれば、テレビ画像を見ている人が本物の絵を見ているのに大変近い感覚を得ることも可能かもしれない。 |