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女性の多様なキャリアを支援するための懇談会

2003/01/07 議事録
女性の多様なキャリアを支援するための懇談会(第4回)議事要旨

女性の多様なキャリアを支援するための懇談会(第4回)  議事要旨

1  日  時  平成15年1月7日(木)15:00〜17:30

2  場  所 文部科学省別館11階  大会議室

3  出席者
(委員) 丹羽座長、工藤委員、郷委員、篠塚委員、都河委員、広岡委員、神奈川県教育長生涯学習文化財課湯川課長代理(曽根委員代理)、吉本委員、渡辺委員
(文部科学省) 有本審議官、名取主任社会教育官、大木男女共同参画学習課長、渡部女性政策調整官、舟橋企画官、伊藤計画官、工藤教科書調査官  他

  議事  (○:委員、△:文部科学省)
渡辺委員より、「学校教育におけるキャリア教育、教員のキャリアアップ」について発表。
  変化する社会において若者の生きる力を育み、自分自身のライフスタイルを形成するよう若者を育てる学校教育の方策、進路指導について、きちんと理論的な枠組みを構築してカリキュラムを作る必要がある。数年前に当時の文部省からの依頼を受けて、それまでの進路指導を見直し、他の先進国のモデルも検討しつつ、これからの若者が自分の足で生きていくために学校教育で何ができるかという議論をした。
  子供たちが自己責任をとれ、自己決定でき、自分でキャリアを構築する力をつけるためには、キャリア設計能力、キャリア情報探索・活用能力、意思決定能力、人間関係能力と、少なくとも4つの能力を育てる必要があり、小学校から段階的に子供たちが様々な教育場面の中で能力をつけていくプログラムを呈示した。適性と適職をマッチングさせるのはもう古く、世の中が変化しているので、適性や適職は自分と環境との変化のなかで、その時々で意思決定して選んでいくものである。生涯学習が求められる時代であり、変化に対応していく能力、自分自身の能力を発達させる姿勢、そのために必要な基礎能力を育てるキャリア発達モデルに移行させることを目指し、12ヵ年で能力を段階的に育てるモデルを構築した。このようなモデルに基づいて学校の進路指導、さらにキャリア教育を、実践可能な形で広げる活動が、文部科学省で行われている。
  とくに専門職などを含めていったとき、役割の葛藤の問題がある。幼いときから様々な役割を複合的にとっていき、そのなかで自分の役割を見すえていける能力をつけていく必要がある。また1980年代のアメリカなどでは、女性の問題は役割の取り方の複雑さにあり、そのなかで個人がいかに自分の役割をとっていくか、そして役割をとるために前述の4つの能力をつけていくことが強調された。小学校において生活上役割を把握したり、役割を認識する能力から、だんだんに自分の好みや適性を考えていくという方向で進めてきた。幼いときから学校教育、家庭教育の中で、自分のキャリアを作っていく基礎となるために必要な能力を養う視点が、これからの女性のキャリア支援のひとつの回答となるのではないか。
  現場の教員たちは、どうしても性的なステレオタイプを持ち込んでしまう。その子のためになるという論理で、指導的立場にある教師、保護者が押し付けるのが大きな問題である。私の携わる臨床心理学の分野は女性が多いが、女性だからパートタイムの仕事でいいという論理により、日本では臨床心理士がフルタイムになかなかならないという状況が起きているようにもみられる。女性は、専門を活かすとしてもフルタイムである必要はない、女性のキャリアは家庭にあるとして、葛藤を避けさせる道を選んでいるように思える。
  最後に教員のキャリアアップの問題について、私はこの2〜3年小学校の中堅教員の研修をやっており、300名ほどの教員が全国から集まるが、そのうち女性は1割半である。新人や10年研修ではほとんど女性だが、中堅教員では圧倒的に男性が多い。女性の中堅教員は優秀で、研修のあいだリーダーシップをとって活動しているが、教頭、校長は男性と、性で決められてしまう。その1つの原因は、保護者が女性の管理職を望まないことである。女性の管理職としてのモデルを作るのを待っていると間に合わないので、学校教育の中で、男女の区別なくライフスタイルを作っていくのが望ましい。

工藤委員より、「女性の視点から見た教育研究施設や文化施設のあり方」について、配布資料に沿って発表。
  日本では、女性の頭脳や体験が住宅でしか生かさせていないというのが現状である。
  研究所の施設は女性の職場として魅力的かどうかが、女性がキャリアを選ぶに当たって重要である。あまりに女性の職場としての魅力がなさすぎると思う。研究室のイメージは一般の人から見ると「きつい」「汚い」「危険」であるが、「極める」「きれい」「かっこいい」に変えていかなければならない。「かっこいい」がないと、最近の女子学生はついてこない。研究室は長い時間いるケースが多いが、そのとき泊まれるような設備やものを食べる場所を、施設計画に入れなければならない。また、仕事場も学校も、一日の大半を過ごす場所なので、食事や話をする場所を作るべき。いまの理工系の大学では対話の場所が必要で、同性との対話がまったくできないと、息が抜けないというのも事実である。

  女性にとって不利な現状は、日本で一番大きな設計組織でも女性技術者が1%以下で、チーフ格は皆無なので、基本的に個人でやるしかないことである。また、日本の公共施設の発注は、過去の実績と組織の大きさが過大に評価されるので、よほどのことでないと公共の設計に女性の能力が活かされない。実務の現場は非常に労力を要し、タフでなければならない。女性もタフなのでそれはハンディにはならないが、ハードな仕事の状況への周囲の理解が必要。とくに男性の家事への参加時間は、日本は欧米諸国の5分の1くらいである。また建築の世界は男社会で、実力より、付き合いや接待や銀行の後押し等で仕事が動いており、現状では、新規女性の参画には馴染めない。よい事例をもっと生み出す必要がある。

  逆に、女性にとって有利な現状としては、出産や育児の期間は女性としての母性を発揮する期間なので、仕事の第一線から遠のく事があるが、自分の体験でいうと、その瞬間は世界のなかでの自分の位置づけが見えなくなる気がしても、宇宙が見えてくる。建築は人間の肉体と絡むわけだが、たとえば、人間がどうやって二本足で立っていき、どうやって子供が光や音に反応するか、その本能を1日中見て観察できた貴重な経験である。復帰後やペースダウン間の移行期にスムーズに仕事をできるようにすべき。
  また、男性だけの偏った視点での施設計画が長い年月なされてきており、女性の日常的な視点で発言しても有効に生かせるので、この分野に女性はまだまだ進出できる。
  公共の施設はいまエンドユーザが入って設計することが多くなっており、その大半は女性が参加している。女性設計者は、そういう人たちとのコミュニケーションが取りやすい。
  コミュニケ―ション、リーダーシップをとるのは女性のほうが上手であり、地域に入っていったり施設計画をするとき、有利な点がある。
  仕事の内容で男女格差はなく、半分は女性であることを意識した計画をスムーズにできるという点で女性にとって有利である。

  女性の視点を入れて変わる公共施設の例を、具体的にあげたい。私は、幕張ベイタウンのマスタープランに携わった。1983年に依頼がきた当時、女性は団地で夫の帰りを待ち子供の面倒をみるというプロトタイプのなかで計画がされていたが、私達は「街」を作ろうと考えた。たまたま、このそばに私の姉が住んでおり、住人の志向を知っていた。それまで銀座や丸の内で仕事をしていて、子供が生まれて退社し、団地に住む人々が、もっと街のなかで、楽しさをもって生活できるようにしようと計画した。このベイタウンのなかの小学校を設計したが、父と子が一緒に学校を通り抜けて駅まで行く風景をイメージして小学校のなかに1本道を通したり、天気のいいときに外で勉強するという今までにない発想を入れた。
  また、大阪の天保山にある消防署を設計した。消防署では、窓もひとつもない部屋で40人分の2段ベッドがあり、他人とベッドを共有して仮眠をとる状況だった。隊員たちが寝る場所の環境をよくするよう、光も入るし窓を開ければ風も入るようにした。彼らは集中力を持って人を救助する訓練をしているので、体を休ませるのが大変重要だが、男性だけの社会なのでそういうことを言えないのである。私が一言そういうことをいうと、みな同意する。
  福岡市立博多小学校の設計で、今年の文部科学大臣奨励賞をいただいた。たとえば子供がいつも見下げられている関係を逆転するような目線の関係を作ったり、また少ない人で管理するので、上下二層にわたって見えるようにした。子供は、基本的に狭い場所が好きなので、わざと狭い場所を作った。学校であっても、色彩面できれいなものを取り入れ、それを大切にするという教育をしたい。従来型の職員室をなくして、教師のコーナーをナースステーションのようなオープンスペースにとり、先生からいろいろな教室の様子が見えるようにして、子供たちは安心でき、親御さんたちからは感謝された。これまでの職員室の代わりに、作業スペースとラウンジを別に作った。
  
  人と施設は、スポーツ選手と道具の関係のようなものだと思う。潜在的能力を引き出す上で、施設には力がある。たとえば欧米では職場に家族の写真があり、家族も訪れる。仕事をしている母や女性の姿を、子どもや夫も家族も気軽に訪れるような施設計画があってもいい。欧米の会社のキャンティーンでは、仕事を抜けられないお父さんと家族が食事をする姿も見受けられた。
  オランダなどではよくあるが、研究者への芽が育つ小さな子ども達に、夢を持たせるようなプレゼンテーションルームの充実。気軽に研究機関を訪れることができるようなスペースを配備する。保育所を充実させるだけでなく、子どもに親が何をやっているのかを理解してもらうことも大切。

  女性の目と知恵を生かすために、たとえば国や公的機関の施設計画・設計に女性が参画する政策をとれないだろうか。特に児童・福祉・生涯学習関連の施設、女性センターや子どもセンターなどの女性参加の多い施設に義務付けるべき。
  具体的な施設の検討として、託児所の問題があるが、本当に仕事場の中がよいのか疑問がある。子どもたちの活動範囲は非常に狭いので、親の都合に合わせて仕事場までもっていくのも疑問があり、本当は、職住近接できるとよい。

  女性の視点を生かす施設計画を実現するためには、施設計画をやっていける女性の指導者を増やす必要がある。私の実感として、建築学科の25〜30%は女学生で、優秀者の半数は女性であるが、就職の段階で蹴られてしまう。
  建築や設計の分野は机の上では分からないことばかりで、一度社会に出ていろいろなことを経験したほうがよい。男性社会のなかでは、マニュアルに沿ったこと以上できず、同じことの繰り返ししかできない。一度社会に出た人がまた大学で次の後輩を教えられる土壌が必要である。
  もう1つ、PTA活動や街づくりやNPOやボランティア活動では、女性が非常にたくさん活躍している。そういう人たちは給与をもらっていないが立派な仕事をしており、そういう人々の活躍を援助すべき。
  私の後輩の女性はオランダの首相官邸の設計をしており、女性であっても男性であっても施設計画はできるので、なんとかその道筋を作りたい。


・事務局から配布資料について説明を行ったのち、質疑応答・意見交換が行われた。
  資料5で女性の理工系分野への進学拡大とあるが、この懇談会で女性研究者といったとき、理工系に特定するならその説明が必要である。必ずしも理工系の研究者だけの問題ではないと思うので、そのあたりを書き分けていただきたい。

  人文社会系、自然科学系は違うので、そこをもっときめ細かく考えていただきたい。

  工藤委員のプレゼンテーションについては、資料4の図で、背景のところに書き込めばよいと思う。工藤委員の発表は、今までの施策決定のプロセスが成り立たなくなっているということだと思う。学校教育のなかでの建物の考え方が大きく変わっており、世の中の仕組みを変えていくとき、いろいろな視点が入らなければ立ち行かなくなっているということが、背景のなかに入ってくる。それは日本だけの問題でなく、世界的な動きである。

  女性が家から出てきて社会で活動するようになると、都市が変わってくる。女性の視点を有効に社会に還元するシステムを作ることが次のステップである。
  女性には様々なライフスタイルがある。施設計画の面では、女性のためにトイレのなかに全部ベビーチェアーをつけたケースもあるが、実際は子供を産めない女性もいる。女性と結婚、出産をセットにするのでなく、多様な視点が必要。

  工藤先生の話は、課題の中の環境の整備のところに入るのではないか。

  資料の表は未完成で、施設の視点は背景に入れなければならない。また、課題としてあげたのは議論の例示なので、総論をつめて各論に入る段階で先生方のご意見をいただいて整理していきたい。

  先ほど篠塚委員が女性研究者の定義の話をされたが、科学技術分野における女性研究者が文科系に比べて教授の数も圧倒的に低い状況なので、底辺を先に引き上げるという意味で、女性研究者を科学技術分野に限るのだろうか。底辺を引き上げて、なおかつ全体が引き上がればよいかとも思うが。

  この懇談会で取り上げる女性研究者には、人文社会系、理工系を全部含む。ただ理工系分野がとくに進学、研究者が少ないので、人文系と理工系を分けて丁寧に考える必要はある。

  軸の中に男と女という関係と同時に、PTAなど地域に住んでいる人々という別の軸がもうひとつあり、行政・大学・地域の連携といったことが1つの柱になる。「学習する地域と大学」という議論があり、地域社会の枠組みが大学と連携して回りだしたとき、地域がグローバルな地域になるという言い方があるが、そういう部分をうまく書ければいい。
  職場は隔離された世界というが、私は国際会議に行くとワークシャドーイングとして息子を後ろに座らせて、自分の発表を見せている。裃をつけて生活する世界であると男が決めた部分をブレークスルーするのは、コミュニティーや地域である。別のコンセプトを持ってくることにより、多様なキャリアを支援するという図式になる。広く言えば生涯学習の充実ということだが、もっと工夫して、コミュニティーや地域の役割として別の柱が立てられると思った。

  私は学生結婚して、すぐに子供ができ妻は大学を中退した。キーワードの1つはリカレントである。1回も働いたことがないのでどうしたらよいか分からず、孤立していた。ネットワークやキーパーソンに出会う、1回でも勤めたことがあれば相当違ったと思う。学校を卒業したあと、働く期間が短かったりするとネットワークが切れてしまうが、絶やしてはならない。そのためには生涯学習はとても重要である。たとえば公民館で登録すると自治体などのイベントについてのお知らせが来て、情報のネットワークができ、それをきっかけに次のステップに進み、仕事ができたり活動をはじめるという話をたくさん聞いた。生涯学習は、情報や人的なネットワークを作るのに大事な役割を果たす。
  地域には必ずキーパーソンがいて、生き方のモデルとなる。キーパーソンが上手に活動できるような、きっかけの豊かな社会がいい。
  大学院の機能について、文科系についてだが、いま女性で正規でなく、研究生や聴講生として入ってくる院生が面白い。自分の人生の問題について勉強したいという意欲を持っている。問題意識がはっきりしていて成果物も早く出てくるが、そういう人々が大学の教員のポストをつかむことはたいへん難しい。大学院は専門の研究者を育てるだけでなく、公民館などよりも、生涯学習の大事な場所になると思う。

  社会人で入学してドクターをとったり、その後社会活動に専念する人が多くなってきている。そういう人たちがうまく社会に貢献できるようシステム化したい。

  2足、3足、4足のわらじを履くのが可能というのも、多様なキャリアである。そういう人を企業、大学が正規のスタッフとして採用していくよう、大学も頭を切り替えなければならない。

  2、3年前に大掛かりな意識調査を行い、生涯学習をどう使おうとしているか、年齢階層別にチェックした。一般的に生涯学習はお年寄りの趣味や稽古事と捉える傾向があり、確かに高齢者の方は生きがい作りや友達の発見が多かったが、若い方はたとえばコンピューターなど社会に出て行くための勉強、40代くらいはキャリアアップ、スキルアップの項目という傾向が出る。自治体としては、生涯学習というと趣味、教養、稽古事に傾斜し、スキルアップに関しては若干弱かったことを反省している。
  生涯学習をした方が、それを活かすよう、つなぐ部分ができていない。学んだ結果の成果がつながっていないのは問題である。
  渡辺先生にいただいた資料を、タテとヨコに広げると懇談会に有益ではないか。タテというのは大学、社会人になってからのリカレント、スキルアップ、さらに必要とされる能力についてである。ヨコというのは、たとえば中退した生徒、フリーターになった生徒について、誰が面倒をみるのか、いまは社会的な仕組みが何もないが、どういう教育を誰が担うか。またドロップアウト、たとえばリストラされた人々に対して、どういう教育的なバックアップをしていくか。タテヨコに広げていくと、広い意味でのスキルアップ全体への視点ができるのではないか。
  キャリアガイダンス、プランニングについて、そのスキルが全然蓄積されてないのではないか。地域で、退職した教員やサラリーマンでスキルを持っている人が、それまでのキャリアを活かすはけ口がないが、これをうまく使う仕組みができないだろうか。

  理系の人は、途中研究を中断しても、後からまた同じようにできるかという問題がある。理系でない場合は、大学を卒業してブランクがあってもまたトライできる。女性研究者の支援といったとき、理系と文系では違ってくると思う。

  たとえばIT関係では、育休をとり1年間のブランクは大きいので、IBMではe-ラーニングのプログラムを作って、家庭でも子育てのあいだに勉強させるというプランを普及させようとしている。
  一番の問題は、たとえば分子生物学の遺伝子関係の発展途上の分野では、自分で実験しないとできないということがあるが、何年もやっていた場合、戻る時の年齢制限がいま問題になっている。今まで研究者というのは井の中の蛙で、狭い分野を深く専門的にやっているときに、育休でふと離れて広い視野で見られるというのは、発想の転換になると思う。

  生物学は非常な勢いで進んでいる。一時中断して家庭に入り、また大学院に入りなおして50代でドクターをとり、いま助手をやっている人も知っており、必ずしも不可能ではないと思う。
  私自身も、子育て時にコンピューターを使い、自宅で研究を行ってきた。今はネットワークの時代なので、そういう条件は非常に整っている。やる気があり、理解ある指導者につけば、時間はかかるかもしれないが、分野によっては可能と思う。

・郷委員より「女性研究者の支援方策」について、配布資料に沿って発表。

  理科教育を充実させようという議論のなかに、中学高校の技術家庭という位置づけのものはありえないのだろうか。技術の領域、理科というより生活に近づけた部分のPR、職業教育科目の部門をもっと強調してもいいのではないか。
  男女共同参画ということで家庭科は共修になったが、技術は置き去りになっており、技術は男の人に手伝ってもらうと子供たちが思いがちになるのではないか。技術はいま変わってきており、パソコンをいじるのは男も女も関係ない。技術面の科目を含めて議論していただきたい。

  女性のキャリアを支援するとき、生活の大切な部分を皆で担うという課題が出てくる。いま衣食住の根源が乱れているというのが大きな社会問題である。そういうことも含めて、女性のキャリアの支援というところで、大きな問題になる。
  キャリアを伸ばす学びの場をもっと支援するということと、学んで開発したキャリアをどう位置付け、つなげていって社会の中で生かしていくかという支援の方向性がいま限られていて、研究者になるか企業で働くか以外にも、生かし方が多様になっていくことが大切である。学びの機会を増やすと同時に、受け皿の多様性を確実にしていくことが重要。学んだものを企業や地域が連携して生かしていく多様な場を作ることや、つなげる役割を果たす人、実効性のあるキーパーソンを作ることや、ネットワークの継続性をもっとシステム的に立てるためにどうするかが問われていく。
  キャリアを開発するとき、皆が働いて皆が同じ方向にいくのではなく、生活が豊かになる方向性を作るためには、技術の面や、生活する力をつける教育が重要と思う。

  それは今考えられていることで、たとえばスローフードや食育といったことを先取りして政策として提示してもよいかと思う。

  生活科など教育の中身は変わってきている。男の子でも女の子でも、学校でパンの焼き方を教わってきて、私に焼いてくれたりする。バブルの絶頂期に就職した世代は、男性でも食に強く関心をもつなど親が変わってきていて、子供も食文化に対して意識を持っている。
  研究などの環境を整える視点のなかに、女性の視点を入れていくことが、誰にでも居心地のいい場を作っていくことになる。生活者の視点を入れることが、研究者を育てる重要な視点である。

  次回はぜひ、集中的に施策についてまとめていくという方向と、全体的な話と、2つに分けて討論したほうがよい。具体的な施策と、グローバルな多様化に関する提言と、別々に議論してはどうか。

  次回は研究者分野の支援のところでたたき台を事務局で用意して、それをもとに研究者についてご議論いただきたい。

  郷先生の資料の最後で、性差の研究と、女性の特性を発揮できる研究分野について、ご説明いただきたい。

  いわゆる社会的性差、ジェンダー研究はすでに行われているが、生物学が発展してくると遺伝子の情報が無視できない。人間はゲノムを見れば多様であるが、そのうえで男女(一人一人)の特性があるのは間違いない。それを研究の対象として、そのうえで本当に一人一人が特色を生かせる社会が実現できると考えている。
  女性の特性を発揮できる研究分野があると思うが、女性研究者が少ないので証明が難しく、主観的な言い方しかできない。しかし女性の研究者が多く出てくれば、女性の特性を発揮できる分野が見えてくると考える。

・事務局より次回懇談会について説明があり、閉会となった。



(生涯学習政策局男女共同参画学習課)

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