令和7年5月26日(月曜日)10時~12時
Web会議による開催
1.外国人児童生徒等を包摂する教育、指導内容の深化・充実について(ヒアリング)
2.ヒアリングを踏まえた意見交換
3.その他
【佐藤座長】
皆さん、おはようございます。
定刻になりましたので、ただいまから外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議、第3回になりますけれども、開催いたします。
委員の皆様には、御多用のところお集まりいただきまして、ありがとうございます。
本日は議題が2つあり、議題1において、引き続き外国人児童生徒等を包摂する教育、指導内容の深化・充実に関するヒアリングとして、母語の力の活用の観点でオチャンテ委員、そして、学習語彙の観点でバトラー委員から御発表をいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
また、議事に入る前に、本会議の委員について事務局より説明があるとのことですのでお願いします。
【片桐調査官】
ありがとうございます。本会議の委員につきまして、このたび大西委員が退任されまして、新たに大阪府立大阪わかば高校の高階校長に御参画いただくことになりました。どうもありがとうございます。
参考資料1のとおり、設置要綱の改訂を行っておりますので御報告いたします。
【佐藤座長】
ありがとうございます。それでは、高階委員、ぜひ一言、自己紹介をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
【高階委員】
皆さん、初めまして、大阪府立大阪わかば高校の学校長、高階といいます。
私のほうは、もともと高校の教員ということで、学校現場で8年務めた後、実はこの3月まで、11年間教育委員会のほうに勤めておりました。
教育委員会のほうで、まさに府内の日本語指導の必要な生徒への支援であるとか、ほかに、セーフティーネットに関わる仕事を多く関わってきまして、スクールカウンセラーの配置とか、いじめ防止対応、不登校対策、中退防止対策といった業務にたくさん携わってきました。そういった経過があって、この4月から大阪府立大阪わかば高校のほうに着任したという経緯でございます。
なので、少し学校現場から離れておりましたので、教育委員会のほうに少し長くおりましたので、そこはちょっと行政的な視点も多く残っているかなと思うんですが、私のほうからは、学校現場からの視点、また、教育委員会の立場から何か皆様のお役に立つようなことが発言できたら、提言していきたいなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
【佐藤座長】
高階委員、ありがとうございました。どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、議題1、外国人児童生徒等を包摂する教育、指導内容の深化・充実について、オチャンテ委員、バトラー委員から御発表いただきます。
最初に、オチャンテ委員よりお願いいたします。
【オチャンテ委員】
皆さん、こんにちは、桃山学院教育大学人間教育学部のオチャンテと申します。本日は、私の当事者としての体験を交えつつ、日本語指導や教科学習などにおける母語の活用などについてお話しさせていただければと思っております。
まず、私が来日したのは1996年の12月で、その次の97年から中学校に入学しました。当時は、15歳でした。兄は16歳、学齢超過で、弟は6歳です。
同じ兄弟であっても、来日年齢によって、適応までの経験とか日本語での学習の過程とか、学校生活の状況など全てが異なっていたわけです。何歳で来日しているかとかで、その後の学習にも影響していくということをやっぱり忘れてはいけないかなと毎回思っています。
私の中学校の体験は、僅か2か月で終わり、初期適応という役割を果たしました。そこで平仮名、片仮名を覚えていきました。
その後、高校に進学をして、高校では日本語しかできない先生と2年間、主に留学生向けの教科書を使っていたんですけれども、すごく熱意のある先生ではあった。もちろん日本語指導の専門ではなかったが、熱意がある先生だったので、教材とか一から作成していました。
3年生になってから、この支援体制が整備され、母語による支援、母語によるサポートが始まりました。やっぱりそれまでに曖昧にしか理解できなかった内容は、母語を補うことによって正確に把握することができましたし、理解のスピードも向上していって、学習の意欲にもつながったのではないかなと思っています。
これは、私の学習者としての体験にはなるんですけれども、もちろん母語だけではないとは思うんですけれども、最初は、日本語のみで日本語の指導を受けて、すごく熱心で一生懸命やっていた先生だったので、プラス母語のサポートが入ることで、さらに私の理解が増したと実感はしました。
その後、私も5年間、外国人児童生徒巡回指導員という仕事をしていて、母語支援員というお仕事もやった経験もあります。主に、来日間もない子供たちの支援で、特に安心感につながるような、教科の学習にできるだけ参加できるようなサポートをすごく意識していました。
子供の反応は様々ではあったんですが、本当に楽しみにして、私を待っていた子供たちもいれば、やっぱり最初は嫌がる子供たちもいました。でも学習の理解が進むと、理解していくとすごく受け入れやすくなったりしました。
あとは、やはりその環境も影響はしていて、日本人の児童生徒、または担任の先生がどう支援員を見ているのか。この理解や、周りの態度がすごく影響していて、母語支援者の先生、また、これもきっと登録日本語教員もそうだと思うんですけれども、周りが先生として見ているかで、外国人児童生徒の母語支援員による支援の受入れも違ってくると思うので、この周囲の理解も鍵となるのではないかなと思っています。
特に、私が予習に重視を置いて、個別指導が多かったんですけれども、限られた時間内、限られた支援体制の中で授業についていけるように、常に担任の先生と連携を整えながら、どこを一番フォーカスして指導していけばいいのかと、そういった共有をしながら個別の対応をしていました。あとは教科書とか資料の一部を翻訳したりとか、リライト教材を活用したり、また、情報検索サイト「かすたねっと」の多言語資料とかも参照したこともたくさんあります。あと、語彙のリストを活用したりとか、継承語プラス日本語、中学校になってくると英語も交えて、3言語とも力を伸ばしていけるような工夫もしていました。そして、家庭との連携、特に同じ言葉を話す保護者には、今どこをやっているのかとか、共通するような内容であれば、そういった補足したプリントとかを何々語とかで保護者に渡して、できるだけおうちでもこういった内容について話してほしいというような依頼もしたこともあります。
私が研究者としていろいろな若者等にインタビューしたことがあるんですけれども、やっぱり大学生になってから母語の大切さを再認識したりとか、または気づいたりするようなときがあるわけです。
なぜ、もう少し子供のときに学ばなかったのかと聞くと、やっぱり学校で母語を使うとからかわれる、恥ずかしいという思いで使用を避けていましたという答えが出てくるわけです。
ですので、やっぱり学校の中でのバイリンガルを励ます、または肯定する学級づくりは非常に重要なのではないかなと。様々な言葉を尊重する、リスペクトする、多文化、多言語に開かれた教育環境が求められるのではないかなと思っています。
先行研究の中でも、やっぱりバイリンガルの力を伸ばす環境づくりとか、子供たちの母語を活用しながら、日本語の学習を行っていく。同時に、継承語を保持していくというようなことも言われてきています。両言語を大切にする日本語の指導ということも言われてきています。
こういった母語、継承語に触れる機会とかは、例えば、国際理解教育も関係はしているんですけれども、重要になってきています。しかし、やはり人材とか体制が整っていないとかで実施が困難なところもあるかと思います。でも、やっぱりこういったバイリンガルの児童を励ます環境づくりとか交流の時間とか、いろいろな言葉、全ての言語に価値があると理解できるための交流の時間は持てる、築けるのではないかなと思っています。
私は、大阪府で、民族学級という、今、ワールドクラスという名前に変更はしているんですけれども、2年間関わったことがあります。とてもすばらしい活動ではあるけれども、やっぱり放課後に設定すると一部の生徒しか参加しないというようなこともあるので、こういった正規の授業時間内に、例えば総合的な学習の時間とかに位置づける、国際理解教育にも関連づけるような、みんなが触れるような、みんなが言葉の豊かさに触れるような時間を設ける必要があるのではないかなと感じています。
日本人の子供たちにとっても、やっぱり言語能力とか読解力の向上も期待されますし、異なる言語への関心とか育まれると思いますし、外国語イコール英語だけではないと、いろいろな言葉がある、全ての言葉に価値があるというようなことを気づかせられるのではないかなと思います。
これは、ちょっと時間の関係で今日は省いていくんですけれども、私がいろいろな子供たちと関わってきて、うまくいっているケースの中では、自信を持てる、特に自信を持てる教科があることですごくモチベーションが上がって、進学に繋がったケースがある。その中で言語の力、英語には自信があって、英語が得意と感じている若者が少なくない。それは、周りの友達から発音がきれいとか、担任の先生から、あなたは語学に向いているんじゃないかとかと言われて、自分から勉強して、英検とかを取ったり、そのような子供たち、若者に出会ってきたんです。だからこそ、やっぱり彼らの持っている強みというのは言語だけではないと思うんですけれども、コミュニケーション力、適応力に気づかせる環境も重要なのではないかなと思い、早い段階、早期の支援とか、子供たちの将来の展望を描けるような支援も大切なのではないかなと思っています。
今度、ちょっと課題のほうに入りたいと思います。
母語支援員として自分も働いた経験もあるし、現場の知り合いとかも多いんですけれども、やっぱり支援者の数が足りないとか、雇用や待遇とかが不安定とか、これも恐らく全ての支援員、登録日本語教員も含まれると思うんですけれども、実態を把握する、今、何人ぐらいで待遇はどうなっているのかとか、こういった現状を把握する必要もあるのではないかなと思っています。
あとは、支援者の質を高めるための研修が不足したり、母語支援者に全てを任せるようなところもあると思うので、全て任せるのではなく、それぞれの持っている専門性を活かす、例えば、日本語教育の専門性のある方、教科学習の専門家とかで連携して、協力し合うような体制づくりを求められると思うんです。ただ、その連携の在り方ってどんなのかとか、分からないところもあるではないかと思います。その効果的な取組、うまくいっているような事例、ケースとかも既に出てきていると思います、いろいろな自治体とかでは。やっぱりそれも紹介していく必要があるのではないかなと思っています。
母語継承に関する課題についてなんですけれども、やっぱり現場の声から、私、実際にも体験してきているんですけれども、来日直後の子供たちは急速に母語を失っていくわけです。半年たっていくと、もう忘れていくような事態があるわけです。あとは、例えば、日本で生まれ育った子供たちの母語力が乏しいとか、または大きくなっていくと保護者と子供の意思疎通が困難になるケースとかも多くいます。
私もいろいろな保護者のインタビューをしていて、やはり特に子供たちが大きくなっていくと、子供たちが抱える問題とかも大きくなっていくわけです。なかなか本当に心から通じ合う会話ができていないか不安になっていく保護者の声とか、もっと心から通じ合う、流暢に会話したい、深い会話をしたいというような思いがあるけれど、それができずにいるんです。ただ、コミュニケーションが途切れないように様々な工夫を行っている保護者がいます。
先行研究とかで見ると、やっぱり家庭の役割は非常に大きいと言われています。家庭の環境は母語継承には非常に大きな影響しています。家族とかコミュニティーは家庭内の言語を維持するのに不可欠な役割を果たすと言われています。
私が関わっている保護者の中では、もちろん、子供たちの成長を考えて、日本語の習得、母語の保持を強く望んでいるし、あとは、例えば第三言語、英語とかに触れてほしいから、語学スクールに通わせたりするような家庭もいますし、または、母国の教材とか持ってきて、スペイン語とかポルトガル語とかを教えようとはしている家庭もたくさん見てきました。しかし、やはり課題としては、なかなか子供が積極的に取り組まず、うまくいかなかったと語る保護者が多いんです。特に、やっぱり幼少期において、この継承語の重要性が理解できず、また、その学習が非常に負担と感じる子供たちは少なくないんです。
あとは、もちろん保護者の置かれている現状、経済的な余裕のない家庭では、例えば、塾に通わせたい、英語の教室には通わせたいというような気持ちがあるけれど、やっぱりそれが授業料を払えず、長続きができないとか、また、親子で過ごす時間が限られている、家庭内で、または家庭の外で継承語を使う機会も極めて少ないというような課題があります。それは、保護者や家庭の工夫や努力だけでは、母語の維持は難しいのではないかなと感じています。
だからこそ、こういったバイリンガルの児童を励ます環境の整備が求められるのではないかなと思います。これは、学校、地域とか行政とかNPOなどと連携して、多文化共生を目指した学校づくりとか地域の理解の促進も重要なのではないかなと思っています。
最後は、私の当事者としての体験にはなるんですけれども、やっぱり来日当時、初期適応段階では、同じ言葉を話す仲間の存在が非常に大きな支えとなったわけです。ある意味では依存していたような部分もあります。日本語と、私の場合はスペイン語なんですけれども、両方の言語は堪能な女子生徒に支えてもらったりとか安心感を得られましたし、学級生活の負担がすごく軽減されたんです。ただ、一部の先生には、やはり日本語の学習の妨げとなるのではないかという指摘も入ったりするんです。
私が日本語に自信がついてから、やっと日本人生徒との関係が深まっていったし、日本語力の向上により、日本人生徒と私の直接的な関係をつくることができたわけです。これはやっぱり時間がかかったものなんです。
これも私の体験ではあるんですけれども、日本語と母語が中途半端で、来日をしてからポルトガル語とか英語とか学んではきているんですけれども、やっぱりどれも十分に取得できていないという感じで劣等感を抱いたこともあるわけです。
こういった研究を通じて、第二言語の習得の過程とか、困難とかを理解するようになって自分を受け入れやすくなった、自分自身も受け入れやすくなったんです。
しかし、この状況を分からないとか、同じく悩んでいる若者も少なくないと思うんです。そのため、保護者とか教員の理解も求められます。
母語継承ができず、よく周りから「何々語はできる?」、「できません」、「もったいない」と言われて傷つく子供もいます。やっぱり国籍で言語能力を決めつけないことも必要なのではないかなと思っていますし、こういった子供たちの嫌な思いを聞いて、一緒に関わっていく中では、彼らもちょっとやってみたい、もう少し何々語をやってみよう、継承語をちょっとやってみようという気持ちにはつながっていました。
あとは、日本語も継承語にも課題を感じている若者も、または既にそういった若者が保護者になっている第二世代の存在も忘れてはいけないかなと思っています。日本語の学習、どの言語もそうだと思うんですけれども、一生続くものという理解も必要なのではないかなと思っています。
やっぱり日本語習得や異文化への適応はストレスが伴いますし、家庭の事情の背景も様々ではあります。こうした状況の中では、やっぱり子供たち、日本の将来を築いていくためには、孤立を避けて、子供たちや移民家族への包括的な支援が不可欠になるのではないかなと思っています。
すみません、早口で言ってしまったんですが、これで終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。
【佐藤座長】
オチャンテ委員、ありがとうございました。
それでは、いろいろ問題の提起をしていただきましたので、まず、オチャンテ委員の御発表について、御質問ありましたら、ぜひ、どのような視点からでも結構ですのでお願いします。いかがでしょうか。
挙手をお願いできればありがたいですが、浜田委員、どうぞ。
【浜田副座長】
ありがとうございました。改めて、やはり子供たちの言語の状況をきちんと捉えた上で支援していくことの重要性というのを考えさせられる御発表だったと思います。
それで、やはり母語で支援をできる人材の育成が必要というようなお話があったかと思うんですけれども、具体的に例えばどんなことがあれば、そういった人材というのは育っていくかということについて、ぜひお考えを伺いたいと思います。
私の大学でも外国ルーツの学生が入学してくるということはあるわけですけれども、やはりいろいろな言語ができる学生ほどいろいろな可能性があって、本当にいい仕事が幾らでもあるわけですので、実際に教壇に立つという学生は非常に少ないという課題があります。そういった中で、どういったことが、あるいはどういった条件整備があれば、そういった支援ができる人たちというのが育ってくるというか、そういった志望を持ってくれるのかということについて、何かお考えがあれば教えてください。お願いします。
【佐藤座長】
オチャンテ委員、どうぞ。
【オチャンテ委員】
ありがとうございます。
まず、その人がプロフェッショナルと感じているかどうかだと思います。これも恐らく登録日本語教員にも言えると思うんですけれども、この仕事で生活ができるかどうかというのは、まずあるんです。多分、非正規的な、不安定な中で、さらにいい条件があると、どうしてもほかの企業とかに行ってしまうような、いろいろな人たちのケースを見てきたんです。
ですので、まずは、そうした仕事だけで生活していけるような職業として確立する必要があるのではないかなと思います。登録日本語教員もそうですし、母語支援員などの役割は非常に重要だと感じています。まず、自分たち自身が自信を持って活躍できる環境を整うこと、そして、周囲、学校全体が、彼らを単にサポート要員としてではなく、教員の一員、つまり先生として見ているかどうかで、変わってくると思います。ですので、まずは、受入れ側の理解が重要であり、彼らを専門職としてきちんと認識し、受け入れているかどうかが大きなポイントになると思います。
私も同じような、そういった青年と出会ってきているんですけれども、語学ができるので、そういう語学を学校現場では生かしていきたい。でも、英語以外の語学力を例えば教員採用試験の中でも加点になったりするような自治体は存在するが、少ないです。そういうような力を持っている若者を、もっとその力を伸ばしていこうというような取組が必要なのではないかなと思います。
そして、例えば、何か資格があったり、○○語ができたりすることに対して加点されるなどの仕組みや、また、日本語教室などで働いている先生方の中には、不安定な待遇のもとで働いている方もいます。そうした方々を、本来であれば正規の教員として採用されるべきではないかと感じています。うまくお答えできず申し訳ないですが、やっぱり専門性を生かせる環境が、まだ学校現場には十分に整っていないと感じています。だからこそ不安定な立場に置かれ、結果として他の分野や企業に流れていってしまうのではないかと思います。それは大きな課題なのではないかと感じています。
すみません、あまり明確なお答えにはなっていないんですけれども。
【浜田副座長】
ありがとうございました。
【佐藤座長】
ほかにいかがですか。
小島委員、どうぞ。
【小島委員】
オチャンテ委員、御発表ありがとうございました。私から1つ質問させてください。
オチャンテ委員が母語支援員さんのときのことを御発表くださったんですけれども、そのときに、予習型がいいよというお話だったりとか、また、学校との学級との連携というところのお話をくださったので、その点について、少し具体的にどんなふうな子供たちを対象に、予習型のような授業をされた場合、すごく効果的であったですとか、また、学級の先生だったりとか、連携のときのグッドプラクティスについて、どういう体制があったり、環境があったりすると、そうした連携というのがすごくスムーズにいったのかという点について教えていただけたらなと思います。
【佐藤座長】
じゃ、オチャンテ委員、お願いします。
【オチャンテ委員】
ありがとうございます。
私は、巡回相談員だったとき、定期的に、週1回あるかないかの頻度で学校を回っていたため、いろいろな学校を見てきました。
やはり担任の先生は、母語支援員が来ると、先生、お願いします、ここを重点的に進めてください。ここをぜひともというように、その中でお互いに話し合い、この限られた1時間の中でこれをやっていきましょうと決めていました。終わった後に一言、ここをやりました、ここは分かった、ここはできていないというようなやとりを通じて連携はできたところと、実際に行ったら何をすればよいか分からない学校もありました。常に担任の先生と交流できるように、私が積極的にアプローチをしていました。やぱり、連携があるかないで大きく状況が変わってきます。
担任の先生が、先生、来てくれてありがとう、ここを助けてほしいんですとはっきり言ってくれる現場では、子供たちの力もどんどん向上していきました。ですから、話し合いを重ね、特に大切な部分を共有することが重要でした。一番子どもたちのことをよく理解しているのは、毎日子どもたちを見ている、担任の先生方です。そのため、連携をとりながら学習内容や子どもの状況を教えてもらい、例えば次回から使う資料を工夫して作るなど、常に話合いをしながら進めていきました。
あとは、例えば、教科書の内容を読みながら、これは外国語にも同じ内容があります。低学年では、「スイミー」とか「おおきなかぶ」など、国際的にも知られているお話が使われることが多いです。こうした絵本は多言語版もあり、そういったものを購入してもらったりとか、それを子供たちに聞かせることもありました。または、保護者にも、こういった絵本がありますので、おうちで読み聞かせしてあげてくださいとお願いすることもありました。このように、担任の先生、私、そして保護者の三者の連携ができていたところは、うまくいっていた、よいケースだったのではないかなと思っています。
やはり、担任の先生と保護者の間では、すぐに連絡が取れないことも多く、言葉の壁がある場合もあります。私が、意識して工夫していたのは、私がいなくてもこの関係が途切れないように、できるだけ保護者の気持ちと担任の先生の気持ちをつなぐことでした。そのため、保護者の力も積極的に取り入れながら、担任の先生の理解も得て進めていました。すみません、お答えになっていないけれど。
【小島委員】
ありがとうございます。
家庭のリソースというところを、母語の力で巻き込みながら、そして、母語の力も活用して日本語の力を伸ばしながら学級で理解できるような教科の学習にしていったんだということがとてもよく分かる御説明でした。ありがとうございます。
【オチャンテ委員】
ありがとうございます。
【佐藤座長】
ありがとうございました。まだほかにあるかもしれませんが、後ほど全体の討議の中で、また質問等お受けしたいと思いますけれども、それでは次に、バトラー委員より御発表お願いいたします。
【バトラー委員】
おはようございます。ペンシルバニア大学のバトラーです。
では、ちょっと画面を共有させていただきます。見えますでしょうか。
では、改めて、ペンシルバニア大学のバトラー後藤裕子です。今日は、学習言語とはということで、学習語に焦点を当ててちょっとお話をさせていただきたいと思います。
今日の話は、4本の柱で行きたいと思っています。
まず最初に、そもそも私が学習言語、学習語に興味を持ったきっかけというのを、カリフォルニアでの実践を踏まえながら簡単に御紹介したいと思います。
次に、学習言語、学習語とは何かということについてお話をします。
学習言語、学習語ということの重要性は指摘されている一方で、いろいろな批判もあります。ということで、3番目には、アメリカの実践例と、そうした批判などを含めながら、課題についてお話をします。
そして、最後にまとめとして、日本での実践への示唆ということでお話をさせていただきたいと思います。
まず最初に、カリフォルニアでの実践ということですが、私がアメリカで英語学習者への教育に携わることになったそもそものきっかけというのが、あるカリフォルニアの州立大学でCLADというプログラムで教える機会を得たことに始まります。
CLADとは、Cross-cultural Language and Academic Developmentということで、英語、ESLの先生及び教科、それから担任の先生が、1人でもそのクラスに英語学習者がいる場合に取らなくてはいけない資格ということになっておりました。これは、一般の教員資格、例えば小学校の教員資格といったようなものにプラスアルファする形で取らなくてはいけない資格ということです。この資格を習得するための内容としては、例えば文化理解であるとか、第二言語習得などへの理解を深めていただくということもあったんですけれども、何といっても、特に教科担任の先生にとっては、SDAIEと言われているところが目玉になっておりました。
このSDAIEというのは、Specially-designed Academic Instruction in Englishということで、簡単に言ってしまえば、英語学習者にも教科の内容を分かりやすく指導するための指導アプローチということになります。
私が担当した部分というのは、このSDAIEを対象とした、つまり教科の先生方が生徒さんになっているようなプログラムだったんですけれども、このSDAIEを見ながら、学習者にとって分かりやすい指導というのは、多くの場合、他の児童生徒にとっても分かりやすい指導なのではないかというふうに思うようになりました。もちろん、英語学習者にとって特に必要な独自の支援というのは、もちろんあります。ですから、何でもかんでも一緒くたにしていいという乱暴な意見ではないのですけれども、多々オーバーラップする部分がある、そして、オーバーラップする部分に関しては、教科の先生に理解していただくことで、できるだけ多くの生徒、児童にとって分かりやすい指導につなげていけるのではないかというふうに考えたわけです。このSDAIEの中核となるものが、まさにこの学習言語という概念でした。
では、2番目の柱、学習言語とは何かということですけれども、一般的には、知識を得たり、それから発信したりするために、学習の場面で使う言語、これを学習言語というふうに言っております。書き言葉だけではなくて、話し言葉と書き言葉の両方を含みます。
学習言語というと、日常生活で使う言語とは違うものであるという考え方、これを二元的なアプローチなどとよく言ったりしますけれども、この考え方自体は古くから存在していて、皆さんもカミンズの理論などを御存じだと思います。一方で、こうした二元的なアプローチに対する批判もあります。これは後で、もう少しお話をいたします。
では具体的に、学習言語というのは何を指すのかということに関しては、異なる見解が存在しています。学習言語という概念そのものを批判する研究者もいます。
学習言語を理解するためのフレームワーク、モデルというのはいろいろ提示されているわけですけれども、例えば、ここで、スカーセラの学習言語の構成要素というのをちょっと紹介させていただきます。
このフレームワークは、カリフォルニア州なんかでも採用されていたものなんですけれども、これを見ると、学習言語の構成要素としては、言語的なもの、認知的なもの、それから社会文化的、心理的なものを含むということで、言語だけにとどまらない非常に広範なものを含んでいるということが言えるかと思います。
学習言語の特徴としては、教科によって、談話、文法、それから、語の使い方にいろいろな違いがあるということが言われています。算数の中で出てくる文法の使い方、語の使い方というのは、社会科とは違いますということですね。
それから、ここがすごく重要なんですけれども、社会的コンテクストの中で存在するものであるということです。学習言語では、「意味」は教科学習をする中で構築されるということで、体系的機能言語学を使った分析なんかも広く行われています。それから、最近では、デジタルテクノロジーの普及ということで、マルチモーダル的な要素を持ったものであるというような考え方も広まってきています。
では、なぜ学習言語がそもそも大切なのか。アメリカにおいては、英語学習者の教科学習における様々な課題から、関心が寄せられてきたという経緯があります。例えば、日常会話が堪能になっても教科学習が難しいケースなどがあったりした場合に、それは、その生徒の意欲であるとか学力の問題であるというような誤った認識というのが多々ありました。でも、そうではなくて、もしかしたら学習を行うための言語の問題なのではないかという疑問、そういったような考え方から学習言語というものが関心を得ることになったわけです。
ここで重要なのは、冒頭でもちょっと申し上げましたけれども、学習言語というのは、英語学習者だけでなく、全ての児童生徒の間で重要なものであるということです。したがってカリキュラムを作成するにおいても、スタンダードの作成においても、学習言語の把握が重要であるというふうに認識されています。その中で学習語と言われている語彙の部分、これは学習言語の一部となります。
語彙というのは、教科理解にとって非常に重要なものです。読解能力、ひいては教科学習の理解に深く影響しているということで、語彙の部分は多くの関心が寄せられてきました。
よくアメリカの教員研修で先生方に出される質問の中で、こんなものがあります。生徒が他の人の助けを借りずに自力でテキストを読みこなすためには、テキストに使われていることばの何%程度の語彙を知っている必要があるかという問いです。
皆さん、何%ぐらいだと思われますか。実は、自力で読めるレベルというのは、テキストで使われている言葉の95%から99%以上の単語を知っている必要があると考えられています。このレベルのテキストだと自力で正確に理解することができるので、多読のテキストとして効果的だと言われています。
指導に適切なテキストの場合は90%から95%程度の語彙をテキストの中で知っていなくてはいけないといわれています。ただし、このレベルはあくまでも指導が必要なレベルであり、読むスピードは遅く、生徒の動機を維持させるための努力というのが必要になってくると言われています。
そして、90%以下の語彙しか理解していない、知っていない場合は、ストレスレベルということになり、テキストから学ぶのはほぼ不可能なレベルとされています。児童生徒の自信を損なう可能性があるので、こうしたレベルのテキストの使用は避けたほうがいいという、こういったような目安になっています。
ここで分かるように、恐らく皆さんが思うよりもずっと高いパーセンテージで語彙を知っている必要があるのです。この表は、すでに申し上げたように、アメリカの教員研修でよく紹介されています。ただし、これは英語の場合です。英語の例ですけれども、恐らく他の言語でも同じような指標が当てはまるのではないかと推測されています。いずれにせよ、英語以外の言語のケースに対しては、もっと研究が必要だというふうに考えられます。
多くの教育制度の中では、4年生頃から学習場面での語の習得は難しさを増すと言われています。アメリカでは、4年生のスランプなどというふうな言葉をよく使ったりします。小学校の中学年あたりから、抽象概念が教科書の中、授業の中で増えてくるため、学習場面での語の習得がなかなか難しくなってくるということだと考えられています。
例えば日本語の場合、これは2005年に、当時の教科書コーパスを基にした資料ですけれども、日本でも教科書での漢語の数が小学校の後半あたりから急速に増えていくことがわかります。ここで重要なことは、漢語というのは、往々にして子供たちの日常会話ではなじみのないものが少なくないということです。
漢語と和語ということですけれども、もともと日本語の動詞には和語が多いと言われています。このグラフのブルーの部分で示したところです。和語の動詞に対応する和語の名詞がないケースが少なくないということです。そのため漢語で対応することになります。例えば、「動く」に対して「運動」、「教える」に対して「教育」といったような対応関係です。中学生で漢語の動詞が教科書等々で増えてくるのは、漢語名詞プラス「する」という形が増えるからというふうな指摘があります。
ただ、ここですごく難しいのは、「動く」と「運動する」というのは必ずしも同じ意味とは限らないですよね。「動く」ことは必ずしも「運動する」ことではありません。微妙に意味が違う。一般的に、漢語は意味を限定するというふうに言われています。
学習の場面で使われる言葉は、大きく分けて3つのタイプに分かれると言われています。一般語、専門語、学習語です。
一般語というのは、意味範囲が特化されておらず、分野を超えて使用されるもので、例としては、「学校」であるとか、「動く」といった言葉が当てはまります。
次に、専門語ですけれど、これは意味範囲が非常に特化したもので、分野限定で使われるものです。「光合成」、「為替」といったような言葉が例になるかと思います。
最後に、学習語というものがありまして、これは意味範囲としては、特化される場合もされない場合もある、分野を超えて使用される言葉というふうに定義されています。例としては、「比較する」、「分析する」というような言葉で、こういう言葉はいろいろな教科の中にまたいで出てくるのです。
ここで重要なのは、学習語の習得が、子供たちには時として厄介なものになる、またはなりやすいという点です。
専門語は、まさに教科学習の根幹でありまして、その概念を理解すること自体が、教科の学習になるというふうに考えられます。この専門語に関しては、先生が板書したりとか、教科書にも定義がきちんとされていたりするわけです。ただ、こうした定義の中でよく使われるのが、実は学習語なわけです。
学習語は、もう既に知っているものとして扱われて、その意味が教科書でも説明されていないし、先生も一々説明してくれないということが普通です。ということで、何らかの理由で学習語の理解が曖昧になっていると教科学習に大きな影響を及ぼしかねないのです。
学習語のリストは、英語圏では、コーパスを基に幾つかつくられています。その中でもコックスヘッドによるリストがよく知られています。私もコックスヘッドの学習語の算出過程をそのまま採用しながら、2010年に日本の当時の教科書コーパスを使って、小学校1年生から中学3年生までの教科書に出てくる日本語の学習語のリストというのを作成してみました。
このリストはほぼ1,500語からなっています。この1,500語を見てみますと、学習、手順に関わる語が多いということに気づかされます。解決、学習、観察、記録といったような言葉です。そして、同じ語でも教科によって意味や使い方が違うものも少なくないということで、理科に出てくる「てこの動き」と社会に出てくる「社会の動き」とでは意味が違うわけですよね。それから、国語の中で出てくる「和の言葉」は、算数の中で出てくる「和を求めなさい」とも違うということで、この辺りがややこしい元凶になってくるかなというふうに思われます。
ただ、今まで漢語にフォーカスを当てて話をしてきましたけれども、漢語イコール学習語ではありません。
ある区立の中学校で調査をさせていただいたときに、この調査の対象者はほとんど日本語の母語話者だったんですけれども、学習語の意味がどれくらい分かるかどうかの自己評価をしてもらいました。これは自己評価なので、実際の理解とは少しずれているかもしれませんが、ある程度の傾向はつかめるかと思います。
そこで出てきた学習語の中で、子供たちがあまり意味がよく分かっていないと自己申告したものの中に、「かつ」がありました。「かつ」は200人中88人が意味がよく分からないというふうに言っておりました。これは数学で、「AかつB」なんていうのでよく出てくる「かつ」です。それから、「なお」、「ただ」、「しかも」、「ただし」、「経る」、「あるいは」、「すなわち」といったような漢語ではないが、生徒が意味があまりよく分からないと答えた学習語の中には、論理的思考に影響を与えそうなことばも多々含まれていたということです。繰り返しになりますが、この調査は主に日本語を母語とする生徒を対象にしたものです。
学習語、学習言語の習得というのは、全ての子供たちにとって非常に重要で、その習得が何らかの理由で滞っている場合には、教科学習に悪影響を与える可能性があるのです。
次に3番目の柱、アメリカでの実践例を簡単にお話しします。いろいろな実践例があるので、今日は時間の都合上、特に多くの州で採用されているWIDAを御紹介します。
このWIDAというのは、様々な言語背景を持つ児童生徒の学習言語の習得と学力向上のための支援を行うコンソーシアムということになっています。スタンダード、それからアセスメント、カリキュラム・指導、これらを一体化すことを目的としています。
ここですごく重要なのは、英語学習者向けの英語熟達度スタンダードと、教科のスタンダードを連携させているという点です。それから、アセスメントもくっついておりまして、ACCESSと言われているテストであるとか、Can-do statements、それからポートフォリオの評価などもここの一部に入っています。さらに、教材を含む、教員への様々なサポートなどがありまして、現在42州が採用しています。私が住んでいるペンシルバニア州もWIDAを採用しています。
もう少し具体的には、例えば6年生の算数の中で、比率の単元に関して言うと、比率を理解するのに、聞く、話す、読む、書くというそれぞれのスキルにおいて、談話レベル、文レベル、語・句レベルでこういったような言葉が必要だということがリストアップされているわけです。さらに、英語学習者に関しては、1から6までの熟達レベルがありまして、6はブリッジレベルということで、メインストリーム、つまり原教室の子供たちと同じレベルということになるんですけれども、それぞれの熟達度レベルの児童生徒は、大体こういうような言葉を知っているというような目安がリストアップされています。これは、教科の先生にとっては非常に参考になりうる指標であるというふうに考えられます。
ただ、学習言語に関しては課題もあります。特に言語マイノリティーのほうからの批判は非常に重要なものであるというふうに考えています。
まずは、スタンダードを強調し過ぎているのではないかという点です。スタンダードの達成に寄り過ぎているために、テストのための学習というのが教室の中で多々行われてしまっているという問題です。
それから、文化的、社会的な配慮が不十分であるという指摘です。パワーとかエクイティーの問題というのを十分に考慮していないとか、学習言語という一定の価値観、これは多数派・マジョリティーの価値観であり、これをマイノリティーの学生に押しつけているのではないかというような批判もあります。それから、日常の授業、教室で行われている通常の指導と、スタンダードが乖離しているということも指摘されています。さらに、先ほどもオチャンテ先生の発表にありましたけれども、子供が既に持っている母語を含めた言語リソースを十分に生かし切れていないというような批判があります。
批判的アプローチにのっとった実践などの報告もあります。ただ、今のところケーススタディーが多くて、効果の実証が十分とは言えないという段階だと思います。ただ、この批判的アプローチを持った実践というのは、これからの方向性を考えて行く上で非常に重要な視点もたくさん含んでおりますので、こうしたケーススタディーは十分に細かく吟味をしていく必要があると思います。
最後、まとめとして、日本の実践への示唆ですけれども、まず、日本語学習者にとっての学習言語の発達を促していく、そして継続的な支援を行っていくためには、どうしてもやはり教科、それから担任の先生方への周知が非常に重要であるというふうに思います。冒頭でお話ししたカリフォルニアのCLADのような研修の機会があればいいですけれども、そうでなくても、担任の先生、教科の先生に教科学習の中で使われる言語に興味を持っていただくために、校内でその周知の機会をできるだけ増やしていく努力が必要なのではないかというふうに思います。
それから、学習言語を包括的、柔軟的に捉え、対日常語ではない、固定化しないアプローチをとるというのが重要であるというふうに思います。これは昨今、いろいろな言語使用、例えばSNSなど、デジタルテクノロジーを媒介としたコミュニケーションが私たちの生活に大きな影響を及ぼしていますが、こうした新しい言語使用というのも学習言語の中に取り入れていっていいのではないかというような考え方です。この中には学習者の母語の使用も含まれます。
それから、やはり学習言語というのは、教科学習の中で意味が構築されて、習得されていくものなので、授業の中での細かい学習語のチェックというのを教科や担任の先生にお願いするということが重要かなと思います。
そして、この学習語、学習言語の習得は、多くの児童生徒にも有効なので、外国につながる児童生徒には、文化的、言語的な特別な配慮が不可欠であるということは十分に承知しながらも、多様性を育むような形で多くの児童生徒を対象とした形で実践を広げていきたいと思います。
最後に、学習語等々の質問を、授業の中で質問してもいいような雰囲気づくり、場所づくりというのを授業の中、学校の中でつくっていくことが必要なのかなというふうに思います。
以上です。御清聴ありがとうございました。
【佐藤座長】
バトラー委員、ありがとうございました。
それでは、ただいまのバトラー委員の御発表につきまして、御質問がありましたら、ぜひお願いします。どなたでも結構ですので。
まず、じゃ、小島委員にお願いします。
【小島委員】
先生、御説明ありがとうございました。私からは、2つ教えてください。
冒頭に御説明ございましたCLADとSDAIEについてなんですけれども、こちらはどのように養成されていらっしゃるのか、また、教員の要件など、もし御存じでしたら教えていただきたいです。
2つ目が、対象の子供なんですけれども、アメリカ国籍を持たない子供たちというのはどのように扱われているのか、就学扱いも含めて教えていただきたいなと思いました。
以上です。
【佐藤座長】
バトラー委員、お願いします。
【バトラー委員】
ありがとうございました。
まず、CLADに関してですけれども、基本的に、自分のクラスの中に1名でも英語学習者がいる場合に取らなくてはいけない資格ということになっています。アメリカの場合は、日本とちょっと制度が違いまして、まず一般の小学校、中学校、高校の教員資格を取るのに、4年制の大学を一旦卒業してから大学院のレベルで取得することになります。
州によって非常に差があるので一概には言えないんですが、大学院で一般の小学校免許、中学校免許を取得した後に、例えば、TESOLの資格をその上に載せて取っていくというような形が一般的です。このCLADというのもその一部だというふうに考えていいかと思います。例えば中学の数学の先生が数学の免許を取った後に、自分のクラス、自分が勤務する学校には英語学習者がいるのでということでCLADを取るということになります。
CLAD の取得の仕方は、大学院に戻って、一定の単位を修得するという形で取るのが一般的ですけれども、試験もありまして、自分で勉強して、試験を受けて、試験をパスすることによって取得するということもできます。
2番目のご質問ですが、アメリカ国籍を持っていない子供たちのケースですけれども、アメリカの場合は国籍の有無にかかわらず、それから、いわゆるレジデンシー、つまり居住権を持っているかどうかにかかわらず、全ての子供たちが学校に通う権利があるとされています。この中には、不法滞在の子も含まれています。不法滞在の子供も学校に行かなくてはいけない。
今、ちょっとトランプ政権でいろいろと揺れ動いている部分もありますけれども、今のところ、法的なステータスにかかわらず、全ての学齢期の子供が学校に通わなくてはいけないということで、もちろんその周知のために、コミュニティーを通してであるとか、SNSとか様々なツールを使いながら、あなたの子供も学校に通う権利がありますよということを保護者に訴えかけていくという努力をしています。
全ての子供たちが平等に学習する権利を奪われてはいけないということで、これは憲法で定められていますので、もしそれが、例えば教育委員会とか州が怠るとそれは憲法違反になってしまいます。したがって、皆さん一生懸命、周知に努力していると思います。
【小島委員】
先生、御丁寧にありがとうございました。
【佐藤座長】
いっぱい手が挙がっているので、簡潔にお願いできますか。
まずは、斎藤委員、どうぞ。
【齋藤委員】
ありがとうございます、お時間いただいて。
私のほうからは、WIDAについて2つほど質問させていただきます。1点目ですが、スライドの13ページ目ですが、スタンダード、アセスメント、カリキュラム・指導の一体化と示されていますが、ここで言うスタンダードは、英語に関するスタンダードを指しますか、それとも教科についてのスタンダードを指すのかを教えていただければと思います。というのも、今、日本国内では日本語指導についてのスタンダードはなく、アセスメントとしては、DLAとものさしが示されていますが、カリキュラムと指導に関しては担当する教員にお任せ、先生頼りとなっている中で、仕組みとしてどのようなものが必要かを考える上で、参考にさせていただきたいと思いますので、教えていただけますか。
2点目として、同じ13ページのスライドの右側の算数の例を見ますと、技能、言語単位、レベルとありますが、最初にバトラー先生がシュレッペグレルを引いて指摘していらした社会的コンテクストの体系的機能言語学に関する考え方も、WIDAの中で示されていたかと思うのですが、その重要性について教えていただければと思います。お願いします。
【バトラー委員】
ありがとうございます。
WIDAのスタンダードは、教科と英語のスタンダードの両方を指します。アメリカの教育方針として、英語学習者を対象とした英語のスタンダードを各州がつくらなくてはいけない決まりになっています。以前は多くの州がそれぞれ独自のスタンダードを作る努力をしていました。ただ、英語学習者が多い州、例えばカリフォルニア州などはリソースもありますし、独自のスタンダード、非常に精密なスタンダードをつくっているんですけれども、英語学習者がそれほど多くなかった州というのは、やはり自力でスタンダードをつくるのはなかなか大変なこともあり、現在では、多くの州がWIDAというのを採用しています。WIDAは英語のスタンダード、それから各教科のスタンダード、これを結びつける指標を提供しています。
ですから、英語の熟達度がここまで進んだ場合は、教科内容がこれぐらい理解できるのではないかみたいな、両方を一緒にする、結びつける、その指標というのがWIDAになります。この連携は、カリフォルニア州などは独自にやっているわけです。
もう一つ、社会的なコンテクスト、これは、もちろん重要で、ここに出された単語というのは、あくまでも目安としての扱いです。学習語、まあ、全ての語彙がそうですけれども、語彙の意味というのは、コンテクストの中で構築されるわけですよね。だから、先ほどちょっと日本語のケースでもお話ししましたけれども、同じ言葉でも、教科コンテクストが違えば違う意味になるということですよね。
ですから、これはあくまでも指標であって、例えば教材をつくるときとか、テストをつくるときとか、それから、先生が実際に教室の中で指導するときの指標として考えていただければいいのかなと思います。私の知る限り、WIDAは、社会コンテクストの重要性は認めながら、ただ細かい社会コンテクストについての説明は提供していないというふうに言っていいかと思います。
WIDA自身も教材をつくっていますので、その教材の中には、もちろんコンテクストに即した語彙が使われているということになります。よろしいでしょうか。
【佐藤座長】
それでは、高階委員、どうぞ。
【高階委員】
すみません、貴重な御発表ありがとうございました。
1点だけ簡潔になんですが、CLADのほうですけれども、それを取得している先生の割合というのは、ほぼほぼ全ての先生方が院に行って、CLADと言うんですかね、その資格をお持ちだという解釈で合っているのでしょうか。
【バトラー委員】
これはカリフォルニア州の話ですので、どのクラスでも英語学習者がいるような状況なので、ほぼ100%の先生がCLADを取得しなくてはいけない、もう事実上、ほぼ義務化しているというふうに言っていいかと思います。
以前にはBCLADというのもありまして、このBは、バイリンガルのBでありまして、バイリンガルで指導できるCLAD資格というのもありました。ただ、現在では、BCLADはなくなっています。CLADに関してはもう、ほぼ100%取得というふうに考えていいかなと思います。
【高階委員】
ありがとうございます。
【佐藤座長】
それでは、野口委員、どうぞ。
【野口委員】
ありがとうございました。
私もWIDAについて、ちょっとぜひお聞きしたいなと思ったんですけれども、アセスメントもあって、アセスメントに基づいて恐らく教材とかがあるのかなと思っているんですが、前回の1階、2階の話で、いわゆるスクリーニング的な全体に対するアセスメントがあって、それを基に、この子にはよりプラスアルファの支援が必要だなみたいなことを見いだして、次のステップに進むというか、よりインテンシブな指導をするみたいな形になっているのか、何かどういう構造になっているのかなというのをぜひ、アセスメントとその教材のひもづけというのはどういうふうになっているのかなというのを知りたいなというふうに思ったところと、障害のある子供との関連で、同じようなパッケージって障害の分野でもあって、いわゆるユニバーサルデザインみたいなインストラクションを全体にしましょうと、アセスメントをした上で、プラスアルファで支援をつけ足していきましょうみたいなものがあるんですけれども、それとWIDAのプログラムというのは、言語的に多様な子供たちのみでなく、もうちょっと広い意味での多様、例えば学習障害の傾向がある子とかも含めて有効というふうにされているかどうかというところをぜひお聞きしたいと思ったので。
すみません、最後にもう一つなんですが、やっぱり学習語のアセスメントがあるというのがすごく重要だなというふうに思っていて、これって、いわゆる外国人等児童生徒じゃなくても、特別支援が必要な子じゃなくても結構難しいというのが分かったということなので、日本において、学習語のアセスメントを全ての子供に対してユニバーサルにやるような指標みたいなものがあるかどうかというのをお聞きしたいなというふうに思いました。
以上です。
【佐藤座長】
お願いします。
【バトラー委員】
ありがとうございます。一番最初は、アセスメントとスタンダードとの関係ですよね。
WIDA のアセスメント、ACCESSと言われているのはいわゆる標準テストになります。それだけじゃなくて、ポートフォリオがくっついていたりとか、Can-doがくっついていたりして、複数のアセスメントをそれぞれの目的に応じて使うという形になっているかと思います。
英語学習者の熟達度レベルの見分け方というのは、各州どころか、各学校区、各学校によってもいろいろ差があったりして、一概ではありません。そこにWIDAが入ってきて、もう少しスタンダードにやってみませんかという形になっています。ですから、実際にどのように使われているのかというのは、正直なところすごく差があるというふうに思います。
WIDAのもともとの考え方としては、スタンダードとアセスメントと教材を一体化させて、例えばアセスメントをしてこれだけの点数だったらば、大体これぐらいの指導が次に必要ですよという橋渡しができるようなフレームワークとして提示しましょうということになっています。ただ、実際の使われ方は、もう非常に多岐にわたっているというふうに思います。
それから、特別支援等々が必要な子供たちも、もちろんここの中に入ってきます。例えば視覚障害がある場合とか、ケースに応じて、このような場合にはこういうふうにしてくださいみたいな、そういう細かいインストラクションが含まれております。
3番目は何でしたっけ。
【野口委員】
日本において、そういう学習語のアセスメントが存在するのかどうかという。
【バトラー委員】
私はちょっと日本語の専門家でないので、ちょっとそこはお答えできないんですが、どうなんでしょう、恐らくまだないのではないかと思うんですが。すみません、お答えできなくて。
【野口委員】
ありがとうございます。
【佐藤座長】
ありがとうございます。
それでは、最後、吉田委員、お願いします。
【吉田委員】
SDAIEという指導アプローチが、大変興味深いと思いました。私も現在、教科担当教員を対象として、「日本語指導が必要な児童生徒に対して教科指導場面でどのように支援するのか」を考える研修に力を入れています。そこでぜひ、SDAIEの具体的な指導アプローチについて、ごく簡単で結構ですが、お話しいただけたらと思います。また、CLADの取得条件や取得割合については、先ほど教えていただきましたが、SDAIEについても、取得条件や取得割合を教えていただけたらと思います。お願いします。
【バトラー委員】
SDAIEはCLADの一部になります。CLADを習得するために、その科目の1つとして、英語学習者にも分かりやすいような特別な指導というものが、SDAIEです
具体的な内容というのは、SDAIE担当の指導者に任されている部分が多々あるんですけれども、学習語というのはもちろん一つの大きな目玉になってきます。教科の先生というのは、言語の専門家ではありませんので、言語というものが教科学習の中で果たす意味というのをまず理解していただくこと、そして、その導入として、学習語というものの認識を高めていただくということになります。やはり単語の部分だと教科の先生にも分かりやすいし、入っていきやすいということになります。
具体的には、教科学習をしているときに、小まめに学習語のチェックをしてもらう、「分析という意味分かる?」という感じで、小まめにチェックをしてもらうというところから始まって、例えば研修の中では、マイクロティーチングみたいな形で自分の授業を録画する、ないしは先輩教員の授業を録画して、この言葉の使い方というのは子供たちに本当に伝わっているのだろうかとか、もう少し易しく言い換えることはできないだろうかとか、そういったようなことを確認していく作業を行います。もちろん、単語だけじゃなくてディスコースの部分の確認作業も行います。これは実証研究でも言われていることなんですけれども、教科の先生は、どうしても英語学習者に質問をする頻度が少ない傾向があります。メインストリームのほかの子供に比べて、質問する機会が少なかったり、また、質問の内容も事実確認をするような質問が多くて、例えば理由を聞くとか、そういう高次の認知力を必要とするような質問をしていない、する頻度が少ないということが指摘されています。ただ、これは無意識に行われている場合が多いのです。研修ではそういう事実を実体験、認識してもらうということになります。
ふだん教科の先生はそういうところに気を寄せるということがほとんどないので、自分の授業を振り返りながら、あっ、本当だと、英語学習者に質問していなかったというようなことに気づいていただくとか、そういったようなことをSDAIEの中で取り入れてやっています。
【吉田委員】
ありがとうございます。とても興味深くお聞きしました。
【佐藤座長】
ありがとうございました。ほかにまたあれば、後ほどまた議論の時間がございますので、そこでお願いしたいと思います。
続きまして、議題の2に移りたいと思いますけれども、ヒアリングを踏まえた意見交換です。
まず、事務局に資料を準備いただいていますので、説明をお願いしたいと思います。
【片桐調査官】
ありがとうございます。
前回の会議では徳永委員、小島委員、齋藤委員から御発表をいただきましたけれども、質疑応答や意見交換の時間を十分に設けることができませんでした。申し訳ございませんでした。
そのため、本日は、前回の御発表、また本日のオチャンテ委員、バトラー委員の御発表も含めまして、委員の皆様の意見交換の時間を設けさせていただきました。
資料3に指導内容の深化・充実に関する主な検討事項をまとめさせていただいております。
まず、総論としまして、ストレングス・アプローチやエンパワーメントの視点から、子供たちの長所、強みを生かし、伸ばす教育を実現するためにはどのような方策が必要か。
学校全体で多様性を尊重した学校づくりや異文化理解、多文化共生の考え方に基づく教育を推進する等、マジョリティーの変容につなげていくためにはどのような方策が必要か。
指導内容の深化・充実につきましては、漢字や文法等の初期指導にとどまらずに、子供たちの資質・能力を育成するためにはどのような視点が重要か。「ことばの力のものさし」等の活用も。
子供たちの母語の力をはじめとする子供たちの様々な力を引き出し、効果的な指導を行うに当たり、デジタル技術の活用等、どのような方策が考えられるか。
児童生徒の来日時期や年齢等を踏まえ、教師、支援員等が指導、支援する際に特に意識すべきこととしてどのようなものが考えられるか。
日本語指導のための特別の教育課程、在籍学級での学び、そして学校教育全体での取組を関連づけ、好循環を生み出していくためにはどのような方策が考えられるか。
これらの事項に限らず様々な論点があるかと思いますので、ぜひ御議論いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
前回盛りだくさんで、少し時間が取れませんでしたので、今日、皆様にぜひ、それぞれお一人ずつ、一言ずつ御発言いただければというふうに思いますけれども、質問あるいは今の論点、幾つか総論、それから指導内容の深化・充実に4点示していただきましたけれども、これについて、どこからでも結構ですので御意見をいただければと思いますが、どうぞ、いかがでしょうか。
最初に発言するのはハードルが高いですか、どなたからでも結構ですけれども。
では、吉田委員のほうからお願いします。
【吉田委員】
よろしくお願いします。
前回、最後の意見交換の際に、これまでの「日本語」プログラムの図では、指導期間が2年で示されているけれども、今回の有識者会議でテーマとなっている「資質・能力を伸ばす」ことまで視野に入れたときには、それでは短いのではないか、というお話をさせていただきました。そうしたところ、それは、文部科学省が論点資料③で示されている、全ての子どもを対象とした教育課程という意味での1階と、個々の児童生徒に着目した対応という意味での2階の話を混同しているのではないかという御意見もいただきました。
それで、前回の会議後にいろいろと考えました。結果として、私がお伝えしたかった資質・能力を伸ばすための指導の全体像のイメージは、1階と2階という図で説明されている内容とは少し違うと思いました。
私の考えているイメージは、今日のオチャンテ委員の御説明にあった、母語支援員と教科指導の先生の連携が大切だというお話ともつながります。母語支援というスペシャルな支援が入ったときに、母語支援員と、担任の先生や教科指導の先生がどう連携するかがとても重要なわけですから、そのことを指導の全体像のイメージに明確に示していく必要があると思うのです。もちろん、指導の全体像のイメージには、第2回で話題になったストレングス・アプローチや、母語・継承語の尊重といったことも重要な要素として入ってくると考えます。
今年度の有識者会議で発信していく内容は、日本語指導者だけに向けたものというよりは、むしろ教科指導担当者に向けたメッセージ、あるいは学校全体の取組に関するメッセージではないか、そこが非常に重要になってくるのではないかと考えています。バトラー委員のお話にもあったように、教科指導を担当する先生方がどういうことを理解し、配慮しなければならないのかという点が、極めて重要だと思うからです。
それで、ちょっと図を考えてみました。あくまで試案ですし、本当にお恥ずかしいものですけれども、御覧いただけたらと思います。画面共有させていただきます。
この試案は、「学習指導要領で全ての子供たちに求められている資質・能力を、日本語を第二言語・第三言語としている子どもたちに保障するためにはどのような指導が必要か」という視点でまとめたものです。もちろん、学習指導要領に示されている資質・能力については、全ての子供が獲得できるように指導していくことが大前提です。しかし、実際には、第二言語あるいは第三言語で学んでいる子供たちの場合には、より多くの支援や配慮がないと、なかなかこの資質・能力を伸ばしていくことができないという実態があると思います。それを保障していくためにどうしたらいいのか、ということで考えてみたものです。皆さんの中にもそれぞれイメージがおありになるのではないかと思いますし、今後意見交換させていただきたいのですが、議論のひとつの素材としてご覧いただければと思います。
図では、左側に日本語指導担当者と書いてあります。日本語指導担当者が対応するのが、この緑色の部分です。初期の場合、例えばサバイバル日本語などを一生懸命やっている時期は、この日本語指導担当者の果たす役割が非常に大きいのは間違いないと思います。でも同時に、子供たちの周囲には、青色で示した部分を担当する教科指導担当者や担任などの先生方がいます。子供たちの指導において、最初は日本語指導者の役割が非常に大きいけれども、徐々に教科学習に関わる内容が重要になってきて、教科担当者や担任の果たす役割が大きくなってくるのだと思います。大切なのは、この緑色の部分と青色の部分の担当者が常に連携・協働することです。そして、指導にあたっては、どちらの場面でも母語の活用が大切になるでしょうし、日本語指導の中で在籍学級での学習を支える先行学習や教科志向型JSLカリキュラムなどが扱われたり、教科学習指導の中で視覚的な教材ややさしい日本語が活用されたり、といった工夫が重要になってくるのではないかと思います。
そして、この図で、何より大切なのが、学校全体の環境づくりです。学校全体の環境づくりが、さまざまな指導の全体を包み込んでいるというイメージです。ストレングス・アプローチの指導の文化が学校全体に、全ての先生に共有されていくこと、そして、母語・継承語・母文化の尊重を全ての先生が意識していくことが、大切な前提になると思います。今日のオチャンテ委員のお話にもあったように、全ての子供を対象にした多文化共生の実践も必要です。そして、それを通してマジョリティーの子供たちが変容していく。そうした内容も、ここに含まれます。そうした環境をつくるのは、教員の責任だと思いますし、そうした環境の中で日本語指導が行われていくことが大切なのだと考えます。
この図の中の具体的な工夫については、私が経験的に知っていることを書いただけで、まだまだ検討の余地があると思いますが、少し説明させていただきます。今日、バトラー委員から学習言語を確認していくことが大切というお話がありましたが、それと関連するところでは、「キーワード支援」があります。実際に青森の中学校の中で行われている支援なのですが、教科を学ぶとき、この単元を学ぶ上で一番ポイントになることばは何かということを教科担当の先生にお考えいただいて、それをリストアップしてもらいます。あまり多いと大変なので、数を絞ってリストアップしてもらって、それにやさしい日本語であったり、母語での訳をつけたりしたプリントを用意してもらって、それを日本語指導の時間の中で教えるという取組をしています。
なぜこうした取組を進めているかというと、学校現場では、日本語支援員が頼られ過ぎて負担が大きくなったしまうことがよくあるからです。支援員が日本語を教えていく中で、在籍学級の授業が分かるようにしてあげたいと思って教科の内容にも関わっていく。そうすると、教科担当の先生方から「理解させてあげてください、お願いします」と頼られてしまう。でも、中学校や高校になってくると、教科内容はそれぞれ専門の免許状がある先生が教えるように、専門性が高いわけです。支援員にとっては負担が大きい。私は、日本語支援員を派遣する団体にいるので、立場上、「そうではありません。教科指導をするのは先生方の責任です」ということを言わなければなりませんし、教科指導の先生と日本語支援員がそれぞれどういう役割で何を担当し、どう連携するのがいいのだろうかということを常に考えざるを得ません。そこで最近では、教科指導の先生方を主なターゲットにした校内研修などをやらせていただいて、やさしい日本語を使ってください、キーワード支援もやってみてください、ICTも活用できますよ、というようなお話をいろいろさせていただいています。そういう実践を踏まえて、この図の中の工夫を書かせていただきました。
校内研修を進める中で、日本語指導者だけでなく教科指導担当者も含めて、何にどう取り組むのかを分かりやすく伝えることは本当に大切だなと感じています。そこに前回の議論もあったので、この指導の全体像のイメージ図を試行錯誤しながら作ってみました。最近の研修では、実際にこの図をお見せしながら、説明しています。
最初のお話に戻りますが、指導の期間については、教科学習言語能力まで含めて考えるということで、2年ではなく、個人差も想定してこの図では5~10年としました。
以上、私が抱いているイメージを紹介させていただきました。もちろん全く違う発想もあり得ると思うので、これからの議論の中で、皆さんからいろいろ御意見をいただきながら考えていきたいと思います。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
それぞれお一人ずつ、全員、御意見を今日は伺いたいと思いますので、ほぼ全員から手が挙がっていますので、名簿順でよろしいですか。
小島委員のほうからお願いしますか。
【小島委員】
ありがとうございます。
今の吉田委員のお話も伺いながら、そして前回、私自身、時間の関係でお伝えできなかったことについて3つ、そして、議題、論点として2つをお伝えしたいなと思います。
1つは、前回、「ことばの力のものさし」を報告させていただいたんですけれども、そちらについては、国内外の研究者と現場のプロの方々と協働の成果でつくったものであるということを強くお伝えしたいです。
国内外の研究者とは言語教育学やバイリンガル教育をはじめ、地域研究や教育社会学などを専門とする学際的研究を示し、現場のプロというのは、これまで外国人児童生徒等教育を牽引してこられた教育委員会や小中高の学校の先生方、また、NPOのボランティアの関係者を示します。
そして、2つ目なんですけれども、そうした皆さんプロ集団たちと協働してつくってきた中で、私自身は、この「ことばの力のものさし」の検証を先生たちと、実際に目の前にいる子供たちと行うというところを担当しました。
52の現場で行ってきたんですけれども。そこで分かったことというのが、「ことばの力のものさし」の活用によって子供たちの強みが可視化された、可視化できたことで、それを共有できるようになったというところが、すごく大きかったなと思っています。
先生方は子どもの強みと現在の力が分かると、次に目指す力と目標が分かる。それによって先生方のスタンスが大きく変わって、子供中心の授業になっていって、授業の進め方や授業のつくり方が大きく変わってくる。さらに、学校内の連携ですとか、母語支援員さんとのコラボの方法というのが大きく変わっていくということが明らかになったのです。前回、その点がうまくお時間の関係で伝えられなかったなと思ったので、伝えさせていただきたいと思います。
3つ目なんですけれども、前回お伝えできなかったところですが、子供たちの強みが分かる、先生がそこを認めてくれるということは、子どもたちをとってもエンパワーメントすることに直結するということです。子供たちの強みを活用して授業をつくるということを先生たちが教室でされるからです。強みの可視化のため、日本語で求められる固有の力と、今日のオチャンテ委員も、そして、バトラー委員も重要性をおっしゃっていた、思考、判断、表現を支える力ですね、そこを区分して、「ことばの力のものさし」では示しました。そうすることによって、先生たちはものすごく指導しやすくなったということが、検証から明らかになりました。
それは、特に、長年に渡って外国人児童生徒等に携わってきた先生たちからも、これまで何となく感覚で思ってきたことが言語化され、可視化されたと。例えば、この子はとても流暢に日本語で話すことはできるんだけれども成績がなかなか伸びない。そのようなところが言語化されたことですっきりした、ですとか、これまでの指導に間違いがなかったんだとか、そうした先生たちの感覚的な見取りを援護射撃するようなものになった場面も何度もありました。子どもの強みについて、いわゆる共通言語が指導者間でできたというところが「ことばの力のものさし」の強みではないかなというふうに思っています。
そこでの、子供の強みを見取ると言ったときに、子どものもつ全てのことばの力が引き出せるようにするというところなんですけれども、それが単なる母語とか日本語とか区分するような話ではなくて、そんな次元の低い話ではないということを先生方との実践を通じて強く感じています。
なので、前回の資料の中の3番目だったでしょうか、参考資料8の資質・能力の育成のための新たな日本語指導(仮称)で、子供が目指す未来というので、イメージという図があったかなと思うんですけれども、その中で「表面的な日本語指導」という言葉があったことが一部SNSとかで違う方向に広まっているところを散見したので、そこは大きな誤解があるということを、ここでもちょっと説明したほうがいいのではかと感じています。
その前のページの参考資料7でしたか、カミンズ先生の二言語相互依存説のなかで表層面と深層面の理論の説明があります。そこでの表層面を踏まえたうえでの事務局資料であったものの、それらが違う形で言葉尻だけで走ってしまった、一部だけカットされて、ちょっと違う形で広まっていたのかなというふうに思うところがあったので、改めて会議内で確認しておきたいと思いました。
表層面だけのアプローチだけでなく、カミンズ先生のいうところの深層面の力を育てていこうという内容について、この場では議論しているのです。そのことが、先ほどの吉田委員がおっしゃった学年相当、そして年齢相当、学習指導要領で求められている力、資質、能力を育成するために、どんな体制が必要なのかですとか、どんな環境が必要なのか、私たち大人たちが何をすべきなのかという議論にしていくべきなんじゃないかという御提案があった、というふうに私は理解しています。
そこで、2つ、議論として、今後できたらいいなと思うところが、今日のお二人の委員からの御提案も踏まえると、やはり外国人児童生徒等に関わる教員たち、教員の専門職というようなところの扱いがクローズアップされていくべきでしょうし、また、母語支援員さんと今言われていますけれども、その方たちの地位向上につながるような体制というところがすごく必要なのかなと思っています。
どうしても母語支援員さんたち、私の周りでも女性の方が多いです。特に主婦の方が多かったりというところで、子供たちに最も最前線で関わっている職業であるにもかかわらず、子供たちにとって物すごいエンパワーメントされる人物、大事な仕事であるんだけれども、目標となれる職業になっていないというところがたいへん残念だなと思っているところです。
ですので、そうした母語支援員さんの地位向上に関わること、また、現在、教員の国籍の問題もあったりするかと思います。せっかく外国につながる方たちが教員になっていらっしゃるにもかかわらず、その方たちが、今、10年、15年を迎えるような方たちがいらっしゃっても学年主任になれないというようなところもありますので、そのところも含めて、もう少し体制というのは考えるべきなんじゃないかなと。
最後になります。自治体間の格差の解消です。今回の参考資料3の34ページだったでしょうか、子供たちの就学実態というのが、この4年間把握されてきている。そして、確かに不就学状態の子供たちというのは全体数の中では減ってきているけれども、不就学の子供たちの実数は確実に増えているのが実際です。ですので、そうしたところを鑑みたときに、そうした解消をしていくためには、先ほどバトラー委員の米国のお話にもありましたけれども、「就学扱い」を示すことが必要なんじゃないでしょうか。そうでないと自治体が不就学問題解消に向けて動ける根拠がないわけですよね。また、公立高校の入試の扱いというところも、現在は自治体任せになっていて、そこもばらばらになってしまっているというところがございますので、そんなところにつながっていけるようなことが、方針として示せるようなことが、この会議の中でできたらいいんじゃないのかなというふうに思いました。
以上になります。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
それでは、齋藤委員、お願いします。
【齋藤委員】
齋藤です。すみません、時間があまりないかと思うので、手短にお話しさせていただきたいと思います。
3点お話ししたいと思うのですが、1階建て、2階建ての話で言うと、1階における充実というのは当然必要なことで、それがないことには、この子供たちの教育を推進できないと思いますので、これまで議論されてきたことについて、私もぜひ進めていただきたいと思います。
その上でですが、2階建て部分の指導・支援として取り出して指導しているわけですから、そこの指導の内容を充実させないことには、取り出し指導をすることの意味を理解してもらい、担任の先生なり学校の積極的な教育を、していただくことも難しくなります。この部分の充実について、今回、ぜひともしっかり議論した上で提案していくということが必要だと思います。
その上で、先ほどWIDAのところで御質問させていただきましたけれども、2階建ての部分の充実に関しては、まずは日本語のスタンダードについてぜひとも検討いただきたいと思います。
2番目に、今、アセスメントに関してです。現在、DLAの改訂やものさしの開発が行われているわけですけれども、先ほどバトラー先生から標準テストも含めて、目的によって使い分けながら力を総合的に捉える必要があるというお話がありましたように、言語能力のアセスメントツールとしてのものさし、DLAを、学校教育の全体的な評価活動の中に、仕組みとしてどう位置づけながら、次の教育活動の決定に生かしていくのかを見える形で示す必要があるかと思います。
自治体によって実際の取り出し指導の時間も担当する教員の専門性も異なる中で、先生方に「あとはお願いね」というのはなかなか難しいわけなので、今回、できれば文部科学省さんのほうで、プログラムとしてのモデルと、そのプログラムに基づいて実施した実践例を示していくということが必要かというふうに思います。今も、様々な実践例があちらこちらで紹介されていますが、それをプログラムに関連付けて見せるなど。
そこで重要なのが、社会的文脈に基づいて、その言語の形式面を彼らの生活や学習の文脈の中でどのように使うかが見える形で示していくということだと思います。言語の形式面だけ、例えば、学習語彙だけポンと出すことの危険性については、バトラー先生からも御指摘があったかと思います。
最後になります。母語の重要性ということや多様性を生かす教育を行っていくという上で、教員の研修、養成はやはり非常に重要だと考えます。
カリフォルニアの例のように、通常の教員養成課程の上にさらに専門性を求めていくことを、日本で今すぐに求めることは難しいとして、現職教員向けの研修を充実させていくとが重要になります。その中には、日本語指導担当教員に加えて学級担任、それから管理職と、それぞれの立場向けの官制研修の中で、必ずこの分野の内容を扱っていくというようなことを推進していく必要があるかと思います。
また、養成段階では、現在、私どもの大学でも日本語教育サブプログラムというコースがありますけれども、国語科か日本語指導かを選ぶというように学生には捉えられがちです。そうではなく、教員になる養成段階の学生が必ずこの教育分野を学んでいく仕組みをつくっていただくことが必要かと思います。短くと言いながら長くなってしまいまして申し訳ありません。
以上です。ありがとうございます。
【佐藤座長】
ありがとうございました。では、佐古委員、お願いします。
【佐古委員】
ありがとうございます。私は、教員の養成という観点で、この会に参加させていただいておりますけれども、本日、オチャンテ先生、それからバトラー先生から非常に印象的なお話をお聞きできました。
それとこれまでの御議論を私なりに聞いておりまして、例えば多様性を包摂する教育であるとかストレングス・アプローチ、あるいは今日の言葉で言うと強みを認識するというようなことについては、これは日本語指導に限らず、恐らく、今、学校の教育活動の中で、かなり広く求められていると思っておりますので、例えばそういう事柄、つまり、多様性の理解と、その中でそれぞれの子供たちが強みを認識するということについての理解あるいは指導方法のようなものは、これは学部段階で、様々な日本語指導に限らず、特に指導が必要な子供たちを対象にするような教育の中で共通に扱うことができるだろうと思います。
私は今日、バトラー先生の中で興味を持ちましたのは、何人もの先生がおっしゃっていますが、CLADでして、結局、そういう教員としての基本的な資質の上に、例えば日本語指導に当たらなきゃならない指導者についてはある資格を取るというように義務化する、これは主に大学院レベルでやるという場合と、それから先ほど御発言ありましたが、研修ということでやるということを考えながら、その方向で教員の養成段階だけではなくて、大学院もしくは研修を通してのこういう日本語指導の必要な子供さんたちに対する教育の指導力というものを高めていくという設計図を、考える必要がある、何でもかんでも学部の教員養成に詰め込むというわけには、今の日本の教職課程の中で難しいと思いますので、その辺の整理が必要かなと思っています。
それから2点目は、多様性を包摂するような環境づくり、これはオチャンテ先生が随分おっしゃっていましたが、そういうものをいかに進めるかということについても、これは主に管理職の御理解が必要かと思いますが、そういうものも必要だろうと思います。
それから3点目は、連携の問題です。今も述べましたように、教員としての基本的な教育を受けて、仮に外国人の指導を行うということで何らかの研修を受ける。それにしましても、やはり日本語指導については、そんなに高い指導力が身につくわけではないと思いますので、そういう先生方に、専門的な日本語指導の行える先生方と連携していく仕組みができるのかということを考えていくことが必要だろうなと思いました。ありがとうございました。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
それでは、バトラー委員、お願いします。
【バトラー委員】
私のほうからは3点あります。3つとも教科、それから担任の先生と日本語の先生の連携に関する問題です。
まず、第1点なんですけれども、先ほどもちょっと発表のときに申し上げましたが、学習言語の習得は全ての子供にとって重要であるという点をすべての先生にもっとアピールしていくということが大切なのかなというふうに思います。
現実問題として、教科、担任の先生にとって、例えば学校で1人、2人いるかもしれない、外国につながる生徒のために何か特別にしてくださいというふうに呼びかけても、「いや、ほかにいろいろ仕事がありますから、それは日本語の先生にお願いします」というふうな形になってしまうのは、やはり仕方がない部分というのは当然あるかと思うんです。そのときに、「いやいや、これは外国につながる子供たちだけの問題ではなくて、多くの子供というか全ての子供にとって非常に重要な問題なんですよ」というような形の投げかけ方をしていくことで、教科や、それから担任の先生にとってもこれは人ごとではなく、自分の教科の指導をよりよいものにしていくための非常に重要なことなんだという認識をしていただけるのではないかと思います。そのためにも、学習言語は全ての子供にとって重要なんだという呼びかけ、アプローチの仕方というのが重要なのかなというのが第1点です。
第2点は、やはりその一方で、学習言語というのが、やはりマジョリティーの価値観を押しつける、言語マイノリティーの人たちに押しつけるという形になってはいけないわけです。ですから、ここは、やはり日本語の先生とそれから教科の先生がタッグを組んだ形で、例えば教科の中で、言語マイノリティーの子供たちの持っているリソースだとか文化だとか、そういうものにやはり焦点が当てられるような、そういう指導の時間というのを意識的につくっていく必要があるかなと思います。
例えばオーラルヒストリーがすごく豊富なところから来ている子供がクラスにいたときに、国語や総合の学習の時間にオーラルヒストリーを取り上げて、それが必ずしも学習言語と対峙するものではなく、ましてや劣るものでもないというようなことをみんなで確認しながら、「オーラルヒストリーってすごくリッチですてきね」というよう
なことを子供たちの間で共有できるような指導というのは、やはり教科や担任の先生の肩にかかっていますので、そこは日本語の先生とタッグを組みながらやっていただきたいと思います。つまり、マジョリティーの価値観を一方的に押しつけるような指導の仕方というのはまずいだろうということです。そうならないために、日本語学習者の文化やニーズを理解しやすい立場にある日本語の先生が積極的に貢献できる部分があると思います。
それから3番目、日本では2年間の日本語の指導というのがあるようですけれども、アメリカでは、メインストリームに行った後にさらに2年間のフォローアップが必要であるというふうに考えられています。義務化されている州もあります。
この2年間のフォローアップの時期に一体何をするのかというのは、基本的に教科の先生が責任を持って行うことになっています。ここで何をするべきかがきちんと示されていないと教科の先生によって対応がばらばらになってしまいます。ですから、子供たちがメインストリームの中に入った後に、2年間でも3年間でもいいんですけれど、教科・担任の先生がフォローアップをしていく際に、どういう点に気をつけて、どういうところが重要なことだというふうにに認識していただけるか、そのガイドラインといいますか、そういったようなものをつくっていただけるとすごくいいかなというふうに思います。
以上です。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
それでは、徳永委員、お願いします。
【徳永委員】
ありがとうございます。本日のお二人の委員の発表、大変参考になって、いろいろ考えさせられました。
その中で特に3つ、私のほうからはお伝えしたいと思います。1点目は、本日お話があった母語の活用や尊重というところで、改めて外国につながる生徒にとって、学校で母語を活用することは日本語の習得や教科学習にとどまらず、それ以上に深い意味があるということを考えさせられました。自己肯定感を育んだり、肯定的なアイデンティティーを形成したり、子供たちが学校の中で安心して自分を出せる、そういった学校風土づくりにも貢献するということを改めて感じました。狭い意味での母語の活用ではなく、学校全体の多言語・多文化を尊重する環境づくりや学校風土づくりにも意味があるということを打ち出す必要があると今日改めて思いました。
2つ目は、ストレングス・アプローチの話を前回しましたけれども、子供の強みを生かしたり、伸ばす教育を実現する上で、子供理解がとても大事だと思います。複雑な背景や属性を持っている子たちですので、こういった子供の実態把握をしっかり行っていく、そういう仕組みづくりが重要だと思います。これまでの議論ではあまり出てこなかったと思いますが、例えば出身国での就学状況、国籍、来日時期やどういう経緯で日本に来たのか、家族の状況、あるいは日本語や母語の力、将来展望をどう考えているのか、宗教や文化的な配慮が必要なのか、またどういう配慮が必要なのか、地域でどのような支援を受けているのかなど、本当に様々な背景を持っている子供たちだと思いますので、それらを丁寧に学校が理解して、そのニーズに応じた支援をしていくことが求められていると思います。また、それが子供の強みを生かした支援にもつながると思いますので、入学時の面談などで、通訳を通してこういった子供たちの実態把握をするとともに、その地域の支援団体などとも連携して、子供や家族の状況を理解していくということが重要だと思います。
これを学校だけでやるのではなくて、やはり教育委員会が率先して行い、外国につながる子供が在籍する学校でこういった情報を収集して、支援の充実化のために、制度設計に生かしていくということがとても重要なのではないかと思いました。
3点目は、今日、皆さんからも意見がありましたように、やはり私も学校と家庭、地域との連携というのは本当に重要なコンセプトだと思います。今回、指導内容の深化・充実というところで議論されていますけれども、これは、多分日本語指導担当教師等の指導力の向上とか、就学、進学、就学機会の確保など、全てに通底する重要なコンセプトではないかと思います。こういった子供たちの強みを十分に伸ばしていくためには、やはり子供を取り巻く家庭や地域、学校、そして教育行政などがつながってネットワークをつくっていく、その中で子供の強みを伸ばしていく支援を行うということ、学校中心ではなく、このつながりの中で支援していくということをもっと強調してもいいと思います。
国内外の移民の子供の研究でも、学校と地域のパートナーシップの重要性が言われていて、連携することによって生徒が利用できる資源やネットワークが増加して、言語の習得、学業や社会情動的支援、キャリア支援などにもつながっていくことが実証的に明らかにされていますので、一つの重要な概念として、毎回議論していく必要があると思います。
これは多分、外国につながる子供に限るわけではなく、貧困世帯の子供やヤングケアラー、障害のある子供などの支援においても、連携の重要性や、コーディネーターが学校と地域をつないでいくことなどが言われていますので、多様なニーズのある子供の支援と重ね合わせながら、どのように連携体制をつくっていけるのか、そういった仕組みづくりをどのように教育委員会や学校が主導できるのかなどをぜひ考えていけたらと思います。
以上です。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
それでは、浜田委員、お願いします。
【浜田副座長】
失礼いたします。委員の先生方、たくさん御意見をおっしゃってくださいましたので、重ならないところだけ、2点、お伝えさせていただきたいと思います。
まず1点目なんですけれども、本日もたくさんいろいろな情報をいただきましたし、それから、前回もいろいろ御提案いただいた中で、私自身がいろいろな現場の先生方の工夫ですとか、研究者のいろいろな研究から学んできたことが間違っていなかったなということを改めて確認したというようなことがございます。
実はそういったことって、これまでも文部科学省のほうから手引として発信されていたり、あるいは研修用の動画として、誰もが見られるようにという形で公開されてきているんですけれども、ただ、残念ながらいまだに現場の先生方に広まっていないというところに非常に問題を感じております。
やはり佐古委員もおっしゃいましたように、教員養成課程あるいは現職教員の研修の中に、きちんとシステムとして組み込んでいくことが大事だというふうな点に、私も全く同感でございまして、例えば教職のコアカリキュラムがございます。あの中に具体的に、言語文化が多様な子供たちに対する教育の在り方について学ぶという項目を入れるということ、あるいは教員育成指標という、これは各自治体がつくっているものですけれども、その中にも多様性のある子供たちへの対応というようなものが項目として上がっていますが、その多様性の一つとして、きちんと言語文化の多様性への対応についても、現職教員として学ぶ必要があるということを入れていただけるようにぜひとも働きかけをお願いしたいと思います。
それから2点目です。母語、母文化の学習について今もたくさん御意見いただきましたけれども、今日のオチャンテ委員の御発表にもありましたように、まず1つは、家庭のリソースを活用するということが非常に重要なことだと思います。それを考えますと、やはり幼稚園、保育園との連携というのが非常に重要だろうと。もちろん小学校に入ってからも大事なんですけれども、幼稚園、保育園段階から保護者の方と非常に強い連携がございますので、そこのところできちんと保育園、幼稚園の指導者の方に連携していただけるような形というのをつくっていくということが非常に重要ですし、それから、マジョリティーの子供たちの多文化に対する態度につきましても、やはり幼い年齢の子供たち、いろいろな大人の持っている偏見などを獲得してしまう前に、いろいろな働きかけをするということが重要かと思いますので、ぜひ、幼稚園、保育園等との連携についても、具体的に取組をお願いできればというふうに考えております。
以上です。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
次、横溝委員、どうぞ。
【横溝委員】
今までのお話を聞いて、強みを発揮するためには、やっぱり在籍級や国際教室での居場所を確立していくことが大前提として大事だなというふうに思いましたし、同時に、オチャンテ委員の報告から、彼らが母語で意思疎通できる場面を校内にやっぱりつくっていくことが大切だなというふうに感じました。
日本語や母語が重要ということは大前提として、学校の中では、言葉を使わなくても強みやよさを引き出せる場面はたくさんあると思っています。例えば、体育だったり、美術だったり、音楽だったり、在籍級の担任が言葉を使わない場面で彼らの強みを引き出していって認めていくことも、この先とても重要じゃないかなというふうに思っております。在籍級担任が外国につながる子供たちにどのように関わるかによって、周りの日本人の子供たちの関わり方も変わってきますし、クラスに認められることで自己肯定感もさらに高まっていくというふうに思っております。
教員研修が大事だという話もたくさん出てきましたが、これから先、教員研修をたくさんしながら教員の考え方をアップデートしていく必要があるなというふうに感じました。
横浜市では、教員経験年数に合わせて、様々な切り口から外国につながる児童生徒に関する研修を行っています。先日も学年主任を担うような経験ステージの先生方に研修を行い、そこに100人ぐらいの方が受講してくださいました。振り返りを見るとたくさんの気づきがあったようですし、外国につながる子供たちが来たときに、どのように外国につながる子供たちを受け入れて、指導、支援するかというアイデアもたくさん出ていました。振り返りには、研修の内容を校内で広めていきたいというものもあって、研修を受講した先生方がよりよい形で校内に、外国につながる子供たちの現状だったり、指導、支援を広めていってくれるというのを期待したいなと思っております。
この先、日本語指導担当教師等の指導力の向上も会議の中で話題になると思いますので、ぜひそういった場面で研修についてもしっかり話し合っていけたらというふうに思っております。
以上です。
【佐藤座長】
どうもありがとうございました。
それでは、高階委員、お願いします。
【高階委員】
高階です。ありがとうございます。
今日の皆さんの話をお伺いしていて、学校現場として何ができるのかなということを考えながら聞かせていただきました。先ほどどなたかも言っていましたけれども、大阪府でも派遣というのがありますので、どうしてもそういった専門家の人に丸投げといいますか、お願いするというようなことというのは往々にして起こっていますので、そうではなくて、連携して教科の担当の先生が主体的にやるんだという視点というのは非常に大事だなと思いました。
どうしても先生方は、ほかにいろいろな業務があって、そこまで余裕がないというような、そんな声も聞こえてきますけれども、やはり原点は、そういったマイノリティーの生徒とか人々が生きづらさを感じるような社会、また、学校であってはいけないんだというマインドを持っている先生をいかに学校現場の中で育成するのかというのが非常に大事だなというふうに感じています。
大阪府のほうでは、平成13年度からそういった特別枠の枠校という選抜でやっていますけれども、その卒業生が、今、実は府立高校の教諭として、何人か高校のほうに戻ってきてくれています。これは本当に私も関わってきて非常にうれしいことで、こういった好循環を今後も続けていって、本当に持続可能なシステムというのを、まず大阪府でできることというのを引き続きやっていきたいなと思っているところでございます。
以上でございます。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
最後、オチャンテ委員、お願いします。
【オチャンテ委員】
ストレングス・アプローチ、エンパワーメントの視点からなんですけれども、現在、外国につながる子供たちに対して何々ができない、課題がある、つまずきがあるという視点が強くなっているように感じます。しかし、彼らが持っている力は見えにくくなってきているのではないかなと思います。たとえば、優れたコミュニケーション力を持ち、両言語を使いこなし、両方の文化をつなぐかけ橋となる人材であるという視点を、もっと現場の先生方が持つことができれば、その対応も変わってくると思います。そうすれば、周りの日本人の子供たちの対応も変わっていくのではないかなと考えています。また、日本語の学習には、非常に長い時間がかかること、そのプロセスの長さも併せて理解する必要があるのかなと思っています。
先ほどバトラー先生も言っていたんですが、やはり分かりやすい授業が大切だと感じます。私もいろいろな現場や学校を見てきたんですけれども、分かりやすい授業というのは、担任の先生が常に行っている工夫というのは、もちろん、外国につながる子供たちの理解を深まるだけでなく、全ての子供たちにとっても分かりやすい授業になります。また、居心地のよい学級というのは、外国の子供たちだけではなく、その学級にいる全ての子供たちにとって居心地のよい環境になるということを、忘れてはいけないと思います。
やぱり、早い段階、早期からのキャリア教育、年齢に応じたキャリア教育が重要だと感じています。日本語の指導を行いながら、様々な職業がある、いろいろな職業選択があるということを子供たちが小さいうちから気づかせるような、取り組みが必要ではないでしょうか。また、彼らが将来の就職に役に立つようなスキルを身につけ、実際に体験できるような機会も重要だと思います。どうしても何々ができないといった課題の側面が強調されがちですが、そうではなく、子どもたちが持っている力を早い段階で気づかせるような取組が、今こそ求められるのではないかなと思っています。
先ほども出たんですけれども、私がいろいろな子供たちと関わってきて、やっぱり嫌な思い、傷ついたいじめの体験とかを語る子供たちの中には、割と早い段階、幼稚園とか保育園で嫌なことを言われて、嫌だったと語る子供が多いんです。
ですから、幼稚園、保育園、小学校との連携が、非常に重要で、早い段階から子供たちに多様な文化を尊重するし、理解する力を育む必要があると思います。特に小さい子供たちは、無意識のうちに言ってしまうこともあるため、多様な文化があることを知り、尊重し合うという理解を早期から促すことが求められるのではないかなと思います。
私が見てきた保護者の中には、幼稚園や保育園でママ友になったことで、そのつながりを小学校に入ってからも続け、学校のことを教えてもらったり、いろいろな面で支え合ってうまくいっているケースがありました。こうした保護者同士の関係は、幼稚園や保育園の段階から築かれていくものだと思います。だからこそ、このような保護者同士のつながりを、小学校へと自然につなげていけるような取り組みができればいいなと思っています。
あとは、あまり話題に出ていないんですが、やはりスクールカウンセラーの役割が非常に大きいと思うんです。特にいろいろなストレスを抱えたり、嫌な思いをしたりする外国につながる子供たちが少なくないんです。でも、やはりなかなかスクールカウンセラーとのお話は、私も勧めて、学校にはカウンセラーの先生がいるよと保護者にも伝えたりはしているんですけれども、何か抵抗感があるように感じるんです。学校側の立場にいる人たちだから話したくない、話をしても理解してくれないというようなことをよく耳にします。だからこそ、スクールカウンセラーにも、外国にルーツのある子供たちの実態や背景について、より深い理解を持ってもらうことが求められているのではないかなと思います。そして、子供たちに関わるすべての大人が、こうした理解を共有していくことが重要になってくるのではないかなと思っています。
最後になりますが、私自身、現在は教員養成の大学にいるんですけれども、学生たちは本当に忙しく、様々な免許も取らないといけないし、アルバイトもしながら日々を過ごしています。そのような中で、日本語教育に関する登録日本語教員養成プログラムについて、こういう取組があるんだよと伝えても、難しいとか、時間がないといった理由から、なかなか多くの学生が興味を持ってくれないのが現状です。ごく一部の学生しか登録日本語教員養成プログラムを取ってみようと前向きに考えない状況を見ると、やはり何かしらインセンティブとなる仕組みが必要なのではないかと思っています。たとえば、このプログラムを終了することが教員採用試験の加点につながるとか、自分の将来にプラスになると実感できるような仕組みが求められているのではないでしょうか。すみません、長くなりました。
以上です。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
多分、全員、これで御発言いただいたと思います。
前回、意見交換の時間がほとんど取れませんでしたので、今日はそれぞれ皆さんから御意見をいただきました。
今日、多様な御意見いただいたんですが、1回目の柱を示していただいたように、指導体制の問題、あるいは担当教師の問題、あるいは就学、進学、就職機会の拡充といったようなところまで、今日いろいろな御提案いただきましたので、これは少しまた事務局で整理していただいて、次回につなげていきたいというふうに思います。
ちょうど12時になってきましたので、本日の議論はここまでとさせていただきたいと思います。
本日は、オチャンテ委員、バトラー委員から御発表いただき、本当に参考になりました。
また、さらに皆さんから、前回ちょっと時間が取れなかった分、様々な御意見、御提案をいただきまして、ありがとうございました。先ほど申しましたように、事務局で整理をしていただいた上で、次回につなげていきたいというふうに思います。
最後に、事務局より連絡事項があればお願いします。
【片桐調査官】
それでは、皆様、今日も活発な御意見をどうもありがとうございました。
佐藤座長がおっしゃってくださったように、意見はこちらのほうでまとめさせていただきますので、また議論を深めていけたらと思っております。
それでは、次回以降のスケジュールについてです。
資料4を用意してございますが、第4回は、7月7日月曜日の13時から、第5回は、7月25日金曜日の16時からを予定しております。どうぞよろしくお願いいたします。
【佐藤座長】
ありがとうございました。
それでは、本日の会議はこれにて閉会したいと思います。どうも今日はありがとうございました。また引き続きよろしくお願いします。
―― 了 ――
総合教育政策局国際教育課