令和6年6月10日(月曜日)15時00分~18時00分
WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式
【天笠座長】 それでは、ただいまから、第12回今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会を開催いたします。
皆様、大変御多忙の中、御参加いただきまして、誠にありがとうございます。
本日は、各教科の目標・内容の示し方、教科書・教材の在り方をテーマとし、本有識者検討会の委員である私と石井委員、奈須委員から、それぞれ御意見をいただきます。
流れとしましては、初めに石井委員から発表を行い、一度委員の皆さんとの意見交換を行いたいというふうに思います。その後休憩を挟みまして、奈須委員と私から発表を行い、残りの時間で再度意見交換の時間ということで進めさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、本日の議題に先立ちまして、事務局より本日の議題に関して説明をお願いいたします。
【栗山教育課程企画室長】 失礼いたします。教育課程企画室長の栗山でございます。私のほうから簡単に、本日の議題に関して御説明させていただきます。
お手元の事務局説明資料の2ページを御覧ください。第4回の検討会におきまして、委員の皆様から議論する必要があると示された課題のうち、赤枠の各教科等の目標、内容、方法、評価の在り方をどのように考えればよいのかとの課題意識を御提示いただいております中で、第12回であります今回は、各教科の目標・内容の示し方、教科書・教材の在り方等について、集中的に取り上げているところでございます。
4ページを御覧ください。現行の学習指導要領におきます各教科の目標・内容の示し方等について理解する前提として、現行の学習指導要領におきましては、育成すべき資質・能力を、知識及び技能、思考力・判断力・表現力等、学びに向かう力・人間性等の3つの柱に整理したところでございます。
5ページを御覧ください。その上で、各教科等の目標・内容の記述について、資質・能力の3つの柱で再整理したところでございます。御覧いただいておりますのは、上のほうが小学校の国語の目標、下のほうが中学校の数学の内容について再整理した例になっております。
6ページを御覧ください。また、平成28年の中央教育審議会の答申におきましては、各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方として、見方・考え方が教科等別に整理されております。御覧いただいておりますのは、中学校の各教科等の見方・考え方の一覧になりますが、現行学習指導要領におきましては、各教科等の解説において具体的に整理されているところでございます。
8ページを御覧ください。本日は、教科書・教材の在り方も議題とする中で、我が国におきます教科書制度について、ごく簡単に御説明を申し上げます。前回改訂時におきます教科書が実際に使用されるまでのプロセスを、下のほうに示しております。
学習指導要領改訂に係る中教審の答申を受けまして、教科用図書検定調査審議会におきまして、その内容に対応した教科書の改善方策について議論をし、検定基準等の改善の方向性等について提示がなされ、教科書会社向けの説明会も実施されております。その上で、学習指導要領や教科用図書検定基準等を基に、民間の教科書発行者の創意工夫により、教科書の著作・編集が行われております。検定におきましては、教科用図書検定調査審議会が調査審議を行いまして、その結果に基づきまして検定の合否が決定されております。実際に使用される教科書は、検定を経た教科書のうちから、教育委員会等の採択権者が選定するということになっているところでございます。
9ページを御覧ください。教科書のページ数の推移についてでございますけれども、約50年前から、小学校の4教科、中学校の5教科について、標準授業時数が減少している一方で、教科書のページ数は、A5換算でございますけれども、小学校で約3倍、中学校で約1.5倍に増加をしているところでございます。増加はこのグラフに見られますように、特に小学校で平成23年以降、中学校で平成24年以降に見られているところでございます。
そのまま10ページを御覧いただければと存じます。本日はデジタル学習基盤に関連する御議論もございますので、デジタル教科書についても、ごく簡単に御説明をいたします。
資料上部に記載がございますように、デジタル教科書につきましては、紙の教科書の代替教材として、令和元年度から制度化されているところでございます。そうした中で、資料中部に記載がございますように、令和3年度から実証事業として、小学校5年生から中学校3年生を対象に国からデジタル教科書を提供いたしまして、令和6年度からは本格導入として、英語は100%、算数・数学は50%から60%を提供しているところでございまして、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実につながるツールとして、学校現場における活用を推進しているところでございます。
最後に、11ページを御覧いただければと存じます。最後に、本日は議論の内容が重要でありますことはもとより、また広範にわたることもございますので、事務局として、本日の議論の視点案として、6点お示しをさせていただいております。
まず1番について、目指すべき授業や学びの在り方と、そうした授業や学びづくりに直結する分かりやすい目標・内容の在り方。2番といたしまして、教育課程の実施に係る学校現場の負担感はどのように生じ得るか、またその軽減の在り方。3番といたしまして、現行の学習指導要領における資質・能力の3つの柱の在り方。この3点につきましては、本日、主に石井委員から御発表をいただくこととなっております。
そして4番といたしまして、1人1台端末というデジタル学習基盤を前提とした学びの在り方。5番といたしまして、子供たち一人一人の特性や多様性に配慮した柔軟な対応を一層可能とするための在り方。この2点については、本日、主に奈須座長代理から御発表をいただくこととなっております。
最後に6番といたしまして、今後の授業や学びの在り方を踏まえた教科書・教材の在り方とさせていただいております。この点については、本日、主に天笠座長から御発表をいただくことになっております。
雑駁ではございますが、本日の議論に関連する内容について簡単に御説明させていただきました。
以上でございます。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
ただいまの事務局からの説明につきまして、何か確認等を含めまして、御質問等ありましたらお願いできればと思いますけれども。いかがでしょうか。ありましたらよろしくお願いいたします。ということで、先に進めさせていただきますけれども。
それでは、本日の議題に入ります。石井委員より資料2を提出いただいております。石井委員より発表をお願いしたいというふうに思いますが、およそ時間的には、これから40分程度を目途ということで御発表をお願いできればと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
【石井委員】 そうしたら始めてもよろしいでしょうか。
【天笠座長】 はい。どうぞ始めてください。
【石井委員】 それでは、改めまして、皆さん、こんにちは。京都大学の石井と申します。よろしくお願いします。
それでは、今から40分ほど頂戴いたしまして、それで、この「学習指導要領の目標・内容の示し方について」という内容で報告させていただきます。資料のほうは、様々資料集的なものも含めて載せておりますが、基本的にこの次葉で説明しているところを中心にお話ししていくことになろうかと思いますので、よろしくお願いします。
まず現状の認識といいますか、現行の学習指導要領をどういうふうに見ているのかというところでありますが、1つは、まず現行の学習指導要領の基本的な枠組みに関しましては、かなり現在においても妥当性が一定あるものだというふうに、私自身見ておるところがあります。その大枠の部分は割とよくできているところもありまして、ですからそれで申しますと、改革をここで熟成させていくことが大事なんではないかなというところです。
様々令和答申等、学習指導要領が改訂された後の社会の変化に応じた様々な要請であるとか、そういったものが出てきておりますけれども、そういったものを踏まえて、しかしそれはやはり現行の学習指導要領でかなり吸収可能なところもあるだろうと。それを徹底させることによって、むしろ令和答申が一定言わんとするところも実現できるんではないかと。
やはりそのメッセージとして熟成させた先にということで言えば、ここに書きましたように、全ての子供に、社会の創り手としての資質・能力を育成する有意味で深い学び、真正の学びとでも言いましょうか、を保障すると。もともとの世界的なコンピテンシー・ベースの改革、その日本における展開としての資質・能力ベースの改革の一番の趣旨は、そこであろうと思います。特に社会に開かれた教育課程ということをもう一歩進めて、社会の創り手としてという、この辺りは令和答申から引き継ぐべきところではないかなと思っております。
しかしながら、そういうふうに枠組みとしては割とうまくつくられているところがあるわけですが、その分やっぱり理解が難しいというところはあるかなと思います。やっぱりその辺の複雑さみたいなものがあると。
ですからそこをちゃんと現場において理解して、それをつかみ直していくという意味で、「熟成」ということになるわけですけれども、さらにその後、実際に実施されていく中で、様々な学び方に関する○○な学びというキーワードが出てきてしまったのがあって、それで若干方向性がぶれていないかというところがございます。ですから、改めて軸足を確認することが大事なんではないかなというところです。
さらにそれが、実際伝言ゲームとかもそうですが、実装されるに至って、ちょっとやっぱり問題も出てきているんじゃないかと。だからそこは「遠さ」というふうに表現させていただきましたけれども、学習指導要領そのものを見て授業をつくるということは、これまでもそんななかったとは思うんですが、なおのこと、この間、学習指導要領でなくても指導書を見て、教科書を見てであったのが、最近は、教科書自体が指導書化している側面があるというふうに思っています。
先ほどの教科書が分厚くなったということも、これは何かといいますと、目標・内容そのものだけではなくて、後のほうでも少しお示ししますけれども、この学習指導要領のキーワードをうまくちりばめようとするがために、分厚くなる。さらに言うと、それが単元等というロングスパンで処理するんじゃなくて、1コマの授業に落とし込まれる。その結果として、かなり授業といったものが窮屈になっていないか。
さらに言うと、そのいろんなものを1時間の授業とかで考えることが多過ぎて、特に若い先生とかも多くなってくると、どうこなしたらいいのか分からなくなって、やっぱりこなすということになってしまっているんじゃないかと。この辺があろうかというふうに思います。そうすると、最終的な、資質・能力の育成という目標から遠ざかってしまうというところです。
ですからそれらを踏まえますと、やはりこの学習指導要領の向かう方向性であるとか、ある種この資質・能力観の部分、ここの部分のメッセージをよりシンプルにしていくというところ。さらに言うとその先に、単にこなすではなくて、実質的な学びの変革に向かっていくというところが重要かなと思います。
ですからやっぱりできる限り、学習指導要領本体にちゃんと戻って、授業づくりとか単元づくりをしていけるような、そういった状況をつくっていくと。ですから、教育課程であるとか教科書等の在り方を、そういった観点から見直していくことが重要ではないかなというふうに思います。
それで具体的な基本的な方向性とゴールイメージということで、まずこの間、学習指導要領本体、それから令和答申という、この両方を踏まえますと、それらは最終的に煎じ詰めて言えば、多分こういうメッセージになると思います。令和答申が一番大事にしたのはやっぱり公正、全ての子供たちにちゃんと学びを保障していく、この1点だと思います。
さらに言うと学習指導要領は、学びの質の追求、資質・能力の育成という意味で、深い学びとも書かせていただきましたけれども、これを保障していく。それを実現していくというときに、目指す授業であるとか学びのデザインに直結するような、シンプルで理解しやすい学習指導要領。シンプルさ、これが大事かなと思います。
そのためには重要な事柄を中心に内容を構造化し、単元でつくる。このメッセージは実は当たり前のように見えるんですが、現場にとっては案外ラディカルだと思います。なぜなら日本の授業は1時間主義で大体組み立てられているので、ここはちょっと実は精神的負荷がかかっちゃうかなと思うんですけれども、その部分を逆に突破していくことによって、その学びの在り方といったものを変えていく。さらに下に書きましたが、負担感といったものの軽減にもつなげていくというあたりです。
特にそのためには、教科の本質に迫るような問いとか、あるいは課題、こういったものをイメージしやすい。さらに言うとそういう形で、そもそも教科の本質、そこを考えていくことで、長い目で見たときに先生方の成長にもつながっていくような、そういう部分が実装できるといいんじゃないかということです。
まずは幹となる部分、メッセージ性といったもの、この改革の方向性といったものを改めて再確認して、明確に分かりやすく提示する。一方において、学びとか授業をデザインする、その方法における自由度といったもの、この辺は担保するというところかなと思います。
ですから、教師から見て、「観」をしっかりと示す。一方で授業のつくり方の点で試行錯誤の余地、さらに言うとそのためには条件整備も必要かと思いますが、そういったものを考える。子供から見たらどういった方向性というか、学びを実現していくのかとか、これを学んだ先にどういった社会が見えるのかというあたり、子供の側からもゴールが見えやすいような、そういったものになっていくのかなと思います。
それによって、目新しく何かするというんじゃなくて、ちゃんとこの趣旨を徹底するというところ。概念を整理するだけでも方向性はかなり明確になってくるだろうと思います。その上で、教育課程の実施に伴う過度な負担感が生じにくいような仕組みを整えていく。この両面で考えていくということかなと思います。
主に、1番目のこの柱について、3つぐらい大きなスライドを準備しておりますので、今から説明していきたいと思います。
内容の構造化云々ということになりますけれども、まず1つ、各教科等の目標・内容の全体構造としましては、1時間の授業でいろいろと複雑に考え過ぎないように、○○な学びというのは今十分あると思うんです。ですからそこは逆に再整理して、これ以上あまり増やさない。現行学習指導要領のキーワード間の関係性を分かりやすく整理することによって、逆にその先の、学びの変革のイメージをちゃんと示していくということかなと思います。
それでまさに目標・内容の示し方ということで言えば、各教科等における重要で中核的な概念であるとか方略、永続的な理解なんていうのは、前回、西岡先生の御発表の中にもありましたけれども、これは何かといいますと、要は入試とかいろいろなものが終わったあと、個別の知識とか技能とかは忘れちゃっても、何か残っているものってあるじゃないですか。それが教科らしいものの見方・考え方みたいなものなわけです。それに当たるもの、それが概念とかって、あえて概念化すればそうなると。方略。そういったビッグアイデアなんていうのがあるわけですけれども、そういった各教科の目標・内容を大くくりにして、構造化して、メタな目標に重点化する。これはメタ認知ではありません。メタな目標です。これは何か難しいこと言っているように思うんですが、実は既に体育ってそうなっているんですよね。例えばゴール型なんていう大くくりな概念があるんです。ゴール型というのが実は目標・内容として示されていて、バスケットとかサッカーとかというのは、これはあくまで例示なんです。ですからそれで言いますと、ゴール型という大くくりなものがあって、バスケットを深くやることもあるし、バスケとそれからサッカー、これを両方やるということも、その辺は実は裁量として任されているところがあります。だから、そういう形で大くくり化にしていく。これが概念ベースという発想なんです。何か概念ベースって難しいことのように思うかもしれませんが、余計なものを付け加えるんじゃなくて、もともと実は学習指導要領上に結構あったりするということです。
メタに目標を重点化するというのは、これは日々の授業づくりにおいても、最近ちょっと教材・トピックベースになっちゃっているところが実はあって、そうじゃなくて、例えば五角形の内角の和の求め方というのをやりました。そうしたら、五角形の内角の和の求め方を学んだ授業というふうに意味づけるんではなくて、メタってどういうことかといえば、多角形の内角の和の求め方を学んだ授業と意味づける。これがメタということです。
さらに言うと、もっとメタ。これはもう本当に玄人の発想になりますけれども、要は困ったときは既習事項に落とし込む。つまり三角形に還元する、切り分ける。というふうに、既習事項に戻って考えていく、そういった数学的な学び方を学んだ授業と。メタに考えるというのはそういうことなんです。だから現場の日常においても、トピックじゃなくてよりメタな内容を意識していく。そういう授業づくりを日々考えていくというところかなと思います。
そのとき、概念ベースというふうに言うと、例えば国語とか英語とかというのはちょっとぴんとこない。社会科、理科は結構分かりやすいんですが、というところもありますので、これは小中高とか各教科のそれぞれの課題に応じて、対応を考えていく必要性があるんじゃないかというところです。
例えば内容知優先。後のほうで言いますが、要は、年号、これこれは何年に起こったみたいな、それは内容に係る知。それが優勢になってくる社会とか理科は概念ベース、ビッグアイデアとかということで、割と相性がいいんですが、方法知優先、つまりやり方に関する知。だからそれは国語であるとか、あるいは英語とか割とそうですね。だからdoですね。動詞が大事になってくる。そういった部分は方略ベースと。
これはプロセス・スタンダードというふうに言いましたが、例えばCEFRとかという、初心者、自立している、熟達者みたいな、そういった熟達イメージみたいなもので考えていく。それでどちらにしてもメタな大きな目標・内容とか、本質的な問いを指し示す、そこを中心に、学習指導要領の目標・内容を構造化することが考えられるんではないかということです。
そのときにちょっと補助線になるのは、学力とか学習について、質の違いとか階層性を意識するということです。知っている・できる、分かる、使えるというふうに私はいつも言いますけれども、簡単に言いますと、例えば二次関数とかで言うと、変化の割合という用語とかグラフの書き方とか、こういったものは知っている・できる。それに対して分かるというのは、二次関数の概念が分かる。さらに言うと使えるというのは、二次関数を眼鏡にして、それこそコロナの感染者数の増減とかも、あれは指数関数ですけど、二酸化炭素排出量の変化とか、環境問題に向けての未来予想を考える。これって使えるレベルです。
だから、そういうふうに学力って、質の違いがありますよと。実は、それと先ほど言いましたこのメタにいうことが対応する。先ほど内容知と方法知ということを言いましたけど、これは図の右側です。つまり知識にもタイプがあるんです。それを意識しながら、学習指導要領の目標・内容といったものを構造化していくことが大事じゃないかという話です。
さらに言うと、大きな方向感としては、この間、学習指導要領改訂というのは、知っている・できる、分かる、この2層じゃなくて3層目の使えるレベル、使える、あるいは知識や何かを創るでもいいですね。使える、創るレベルの学力、そういったものに向けて、全国学力・学習状況調査もそうですし、近年の共通テストもその方向で学力観が実装されていると思います。そういった方向性をより確かなものにしていく。それでそれに合わせる形で、目標・内容の内容の部分、コンテンツのところを整理する。
そのときの枠組みとしては、この内容知、方法知ということを書いたんですが、これこれはこうであるというのが内容知、何とかのやり方というのは方法知。それぞれも3層あり。ここに書きましたが、元素記号というよりも化学変化のほうがメタですよね。元素記号というこの記号、そこをパーツにしながら、結局化学反応式を書くわけです。で、化学変化を捉える。さらに言うとそういったものを繰り返し、様々な単元でやっていくことによって、原子論的な見方、物事は粒子でできている、そういうものの見方を獲得していくというところです。
方法知に関しても、ガスバーナーの使い方みたいなものは断片的なスキルです。個別的スキル、技能。それに対して実験計画を立てるというのは、〇×で点検するんじゃなくて、結局そういったガスバーナーを使ったりとか実験ノートをまとめたりとかいったパーツを適用しつつ、少し戦略的に考えていくところがありますよね。これが方略というものです。さらに言うとその先に、科学的な見方・考え方というか、探究の方法みたいなものがある。だからよりメタなもの、そこが注目されるような学習指導要領にしていくことが大事なんではないかなということです。
内容知に関しては、この「問い」なんていうのが割と相性がいいと。これは西岡先生等もされている逆向き設計論からの引用になってきますけれども、ここに書いてありますように、平安から鎌倉、江戸から明治、社会がどのように変化したのかというふうに、時代ごとの個別のもの、単元ごとの問いもありますが、大きくざっくり社会はどのような要因で変わっていくのかという問いのほうがメタですよね。そういうふうに問いにすると、実はメタがよく分かるんです。だから、そういう形で包含関係なんですけれども、そんな形で考える。
さらに言うと、明治時代とは何かよりも、近代とは何かのほうがメタですよね。日本における近代って何みたいなことで、それでちょっと工夫すれば、日本は本当に近代化したのかという問いにして、それに向けて考えていく。そういう大きな問い、それ自体が実は単元を貫く課題とか問いになって、それについて考えていく中、おのずといろんな、明治時代、明治維新の様々な施策といったものを勉強しますよね。教科書を繰って。さらに言うと学び方みたいなものも学んでいきますよね。史料の読み方とか。
というふうに、大きな問いがあることによって逆にパーツとして、断片、個別的な知識・技能とか概念みたいなものが吸い上げられていく。そういう、ある種、主題単元的な捉え方、歴史学習で言うとテーマ史的な捉え方、そういったところが大事になってくるんじゃないかなということです。
先ほど申しましたように、方法知ということで言うと、これはCEFRとかを基にしてつくられた英語の長期的なルーブリック。大体1、2年生であればこれくらいかなとか、6年間の中高連携一貫校だったらこれぐらいかなと、そういうスキルレベルみたいなものを示していく、これがプロセス・スタンダードのイメージになります。
それらを踏まえつつ改革のキーワードをこの図に整理して、細かくは言いませんが、要は、教科に関しては既にこの概念ベースに至る手がかりとして、見方・考え方みたいなものがあるわけです。そういったものはその3層目に当たり、だから事実、概念、ビッグアイデア、それから技能、方略、ビッグスキルズという形で、より明確化していく。
さらに言うと、これは3つの柱に対応していて、to Know、to Do、to Beと。KDUモデルというのは割と、カナダとかいろんなところでよくやられているんですが、しかし日本の場合、このto Beが3つ目にありますよね。実はカナダにもKDBモデルというのがありまして、割と総合とかSTEAMとかのときに特に引用されるモデルなんですが、そっちのほうが割と今の日本の学習指導要領と相性がいいのかなということで、それを踏まえてつくったものです。
ですから、教科においては見方・考え方といったもの、そこを手がかりにしつつ、ビッグアイデアとビッグスキルズ、この辺を明確にし、さらに言うと、後で申しますけれども、いわゆるこのto Beの学びに向かう力とか人間性といったものについても、この3層といった階層性があると考えながら、カリキュラム全体でどう構造化するかということを考える。このように、既存のキーワードや枠組みをちゃんと整理していくことが大事かなと。そうして、学んだ先にウエルビーイングにつながるカリキュラムと教育課程という形で考えていくことができるんじゃないかなということです。
これが先ほど言いましたカナダのブリティッシュ・コロンビア州のKDUモデルということで、大体こういう形で、アンダスタンディングという大きなゴールに向けて知識とスキルを統合するみたいな、そういう単元のつくり方をします。ビッグアイデアのところが大くくりになっているから、いろんな多様性に対応できますよ、ローカライズ可能ですよと、そういう発想なんです。というところで、大枠の方向性の話でした。
それでもうちょっと、ここまで申し上げたことの繰り返しになるかもしれませんが、柱ごとで留意すべき点ということで言いますと、さっき言いましたように、知識・技能に関してはビッグアイデアを軸にする。そのときに、断片的な知識・技能といったものは選択的例示にする。先ほどのゴール型ということがあれば、バスケットとかサッカーとかというのが例示できる。そういう発想です。そういうので軽重をつける。
さらに、このビッグアイデアを選ぶときのポイントになりますが、ここは一言で書きましたが、転移可能でレリバントな概念・方略と、これがポイントになると思います。何かというと、社会につながり様々なトピックに応用可能ということです。だからメタなものという点からすると、先ほども五角形の内角の和の求め方だとそこで止まりなんです。しかし多角形の内角の和の求め方はほかでも同じだよねとやれるという話。そういうメタなゴールを大事にしていきましょうということ。これが転移可能。
かつレリバントなということは、その教科の中でどの内容が今の現代社会において大事なのと、そういう視点で、数学で言うと、それこそパターンとしての数学ではないですが、数量関係はやっぱり大事になってきますよね。数と計算ももちろん大事ですけど。というふうに、選んでいくときに転移可能でレリバントということがポイントになってくるかなということです。
さらに、学びに向かう力、人間性等というのは、これは多義的なところもある。特に主体性なんていう言葉もそうですけど。この辺の解像度を高めて整理して、カリキュラム全体での役割分担を考える必要があるんじゃないかということです。
先ほど挙げました、このブリティッシュ・コロンビア州のカリキュラム、それから実はお隣の韓国も、こういったビッグアイデア重視になっているわけです。コンピテンシー・ベースという形で、日本だったら○○力とかというので、そこに注目が集まっていましたが、実はその同じときに、実態としては概念ベースで諸外国はカリキュラムを組んでいたという話です。それが実態である。だからそこをしっかりと見据えていくことです。
だからそういった点で、このブリティッシュ・コロンビア州であれば、さっきのビッグアイデアに当たるもの、概念とか、原理と一般化といった言葉が使われる。日本ではちょっともう一つなじみがないから、日本流にそれは何に当たるかなということを考えていけばいいと思うんですが。
韓国で言うと核心アイデアなんていうものがありまして、まさに学力の3要素みたいなもの、それが統合されていくような大きな問いとかアイデアを考える。それを軸にして、ポイントとしては、「深みがある学習」と書いてあります。要は深さ志向なんです。だから、深い学びをどう実装するかということ、これが非常に重要なんですけれども、その辺のところがいま一つ日本では捉え切れていないんじゃないかということです。
という感じで、諸外国からもいろいろと学ぶことはありますし、さらに言うと先ほども申しましたように、日本においては既にその萌芽というものがあると。理科なんていうのは割と概念ベースでできているし、プロセス・スタンダードも結構できているんです。ただ、これが実際に教科書になるときゅっとなっちゃうし、さらに言うと、実際にこれらを意識しながら単元とかが組めているかといったら、なかなか難しいところがある。だからここをどうサポートするかというところです。
ですから、ゴムとか風力とか光と音、これは全部エネルギーとかという形で統合されるんです。それで割とスパイラルに、概念でスパイラル構造になっているということ。さらに言うと、内容横断的にといいますか、それでこのプロセス・スタンダードというのが、科学的な探究の方法じゃないですけど、学年ごとにグラデーションで示してあるという話です。ですから、実は概念ベースの基になるものというのは割と各教科も、よく見るとあったりするというところです。
それで、いわゆる学びに向かう力とか人間性等ということを考えるときに、もうざっくりと言いますと、何に向かっているのかを考えるということです。昔、新しい学力観なんていうのがありましたけれども、この間、知識の習得が難しいから、せめてそこに向かう姿勢だけでも。それもちょっと難しいから、学び方だけ求めて。さらに難しいから結局自己肯定感だけでもというふうに、土台に土台に下りていく方向というのが割と強いのかなと思います。
この間、非認知とか社会情動的スキルとか、そういったものが言われるときに、この入り口の土台、基盤に下りていく方向が強くて、逆にでも、OECDとかの言うエージェンシーって何かといったら、そっちじゃないんですよね。学んだ先に生かして思考し、さらに社会・世界に向かう、そういう方向性です。
だから入り口の情意と出口の情意というふうに考えたときに、より出口の方向性といったものをやっぱり目標としては意識する。もちろん底上げも重要なところがありまして、やっぱりそれは自己肯定感は重要ですね。しかし、それだけで見落とされているところがあるんではないかというところです。ですからそういう形で、この主体性であるとかそういったものも腑分けしながら見ていく必要がある。
さらに前回も西岡先生の御発表の中でも紹介いただきました、主体性のタキソノミー。これは一言に主体性というふうに言っても、ここに挙がっているような意味で使われているんじゃないですかということです。こういう形で少し解像度を上げて見てみますと、これって総合でやっているよねとか、あるいはこれって特活でやっていますよねということも見えやすくなるかなと思います。
ですから、解像度を高く見ていくことによって、主体性といったもの、あるいは社会情動的スキルといったものを、学校カリキュラム全体で伸ばしていくというふうに、緩やかに見ていけないか。これを全部教科の中で主体的に学習に取り組む態度ということに覆いかぶせてしまうと、とても大変になっているというところですし、困難もあるということです。ここはやっぱりちゃんと整理するというところです。
ざっくりとそれらを踏まえつつ、その3層ということにも対応するところでもありますが。それこそ情意は入り口と出口ということで言いますと、何に向かうのか。勉強に向かう主体性なのか、教科に向かう主体性なのか、人生、世界、世の中に向かう主体性なのか、ざっくり3つぐらいで見てみても、結構見えてくるものはあるんじゃないかなと思います。
ですから、勉強に向かうとか学習に向かうということ、これは勉強法とか、それはもういろんな教科横断的に、それこそ象さんの声みたいな形で、聞き方とか伝え方とか、そういうのは現場でもやっているわけですよね。学習習慣とかもそうです。それに当たるようなものというのは、割とmotivationとか、本当に基盤のところに関係する。
それらは学校全体の中でやっぱり緩やかに、ノート指導とかも含めて様々指導していくもので、逆に教科に即してというのが、ここにdispositionと書きましたけれども、その教科に即してまさに見方・考え方を働かせながらというところとも関係するわけですが。それで教科として、批判的、多面的、多角的に考えようとするとか、言葉にこだわりを持つとか、そういったものは教科目標としてあるものだろうと。
しかし、教科に向かう主体性はそれだけで独立させていくものじゃなくて、思考・判断・表現とほぼセットで捉えていく。それは前回、西岡先生もおっしゃったようなところで、統合的に考えていくということが穏当ではないかと思います。
もう一つ、もっと先、人生・世の中に向かうということは、教科だけじゃなくて、やっぱり総合、特活、こういったところで目指されてきたところですよね。まさに学校教育目標そのものであるとなれば、学校文化になっていくものです。ですからそういうふうに大きな学校カリキュラム全体で、文化として実現していくものだろう。これがagencyに当たるところかと思います。
そういう形で、情意と言われてきた社会情動的スキルといったものとか、非認知といったものも、こういう形でちょっと整理していけるといいんじゃないかなということです。
それで、こういう形で少し概念を整理しながら、カリキュラム全体の枠組みとして整理していくということで、実際授業づくりに近いところで言うと、やっぱり単元づくりに生かせるような学習指導要領であるとか教科書の形を、どうつくっていったらいいんだという話になってくるわけです。ですから、大きいのは単元をつくるってどういうことというイメージ、もっとその辺を本当の意味で腹落ちする形でなじませていくことが大事なのかなというふうに思います。
簡単に言うと、単元でつくるというのは、これは部活的に考えていくと、あるいは文化祭的に考えていくと、割と通りがいいんです。本番があるということです。パフォーマンス課題とかいろいろと難しいことも言われますけど、あれは何かといいますと、これができたら一人前、そういった課題、タスクであるとか舞台をどう設定できるか、この1点です。だから要は、実際の実力を試すタスクとなるわけです。
そういった、これができたら一人前という、このタスクがあり、舞台がある。まさに本番がある学びですよね。強い部活をつくっていこうと思ったらどうするか、部活を外部委託化していくとかいろいろある中でこういうのを言うのもあれですけれども、しかし、そこから学ぶことはたくさんあります。やはり舞台に向けて、その本番に向けて頑張っていく。だからそこに向けて、1時間の授業とかというのは通過点になってきますから、そこで柔軟化していけると。
さらに言うと、その大きな舞台があるからこそ、そこに向けて、登り方もいろいろということになってきますよね。だから自分一人でやることもあるし、さらに言うとみんなでやることもあるし、そこの登り方に柔軟性が出てくるということになってきます。本番のある学びといいますか。だから単元というレベルにおいて山場をつくっていく、そういう発想ができてくるといいのかなということです。
その根拠というところですけれども、実はそういった転移可能とかいう概念・方略を身につけるためには、じっくりと学ぶ時間と問いと答えの間の長い思考プロセス、これが大事になるわけです。先ほどの韓国の例にもありましたように、深さ志向とはそういうことなんです。浅い学びにあらずして深く学ぶ。エンリッチメントの発想です。先、先に進めるよりも、同じ内容を違った角度から深めていくというところです。大学等ではそういうふうに学んでいると思うんですが、そういう深い学びを実装するというところかと思います。
ですから、そのためには1コマ1コマの授業じゃなくて、単元という、ちょっと大きめの長い目のスパンで考える。そこで真正の課題とかそういったものにじっくりと取り組む、あるいは本質的な問いとかに意識的に取り組む。そうして、大きなタスクであるとか問いとか、こういったものをつくろうとするときに、参照しやすいような学習指導要領とか教科書というのが構想できるといいんじゃないかということです。
それは何かといいますと、先ほど、日本は近代化したのかどうかみたいな、本当に近代化したのかという大きな問いです。実はこれは1文で答えることもできるし、本1冊にもなるんです。大きな問いはいかようにも答えられるんです。例えば民主主義とは何か。1行で答えることもできるかもしれませんし、本1冊になるかもしれません。ですから、そこでどれくらいまでの理解といったものを、それぞれの学年において目指していったらいいのかを記述することが、一つビッグアイデアということで大事になってくるところかなと思います。
というので、そういう観点で使いやすい学習指導要領とか教科書を構想する。そのためにも、学習指導要領に記載されたビッグアイデアであるとか本質的な問いとか、そういったものを中核に据えながら、それらを通じて単元づくりが行いやすいような記述を模索するというところです。
目標・内容を、よりメタな概念・方略中心で記載する。学習指導要領等を参照しながら単元づくりを行いやすくすることによって、逆に1時間の授業の自由度を上げる。
結局何かといいますと、さっき申しましたように、大きな問いというのはおのずと論争的だったりするので、思考したいとか、議論したいとかということを生み出しやすくなるわけなんです。細かくやってしまうと、逆に自由度がないので、議論とかも起こりづらいというところです。ですから、ちゃんと自然と思考しやすくなるように、内容の桁をちょっと上げていくみたいな、そういうことが大事かなと思います。
そうやって考えていくって何かというと、要は社会科って何かなみたいな、あるいは数学って要は何かな。一次関数とか二次関数とかをやっているけど、要は関数って何かなみたいなことを先生方が理解していくということなので、先生方の教材理解、さらに言うと内容理解、教科理解を深めていく、そういうことにつながっていく、そういう授業の組み方というか、デザインの仕方ができるといいんじゃないかなということです。
本当に今、先生方は、教材研究どころではないという状況があると。しかし、そこで日々、でも授業はしているわけなんです。そのときにどこにやっぱり注力するか、ここがとても大事で、そのときに、やり方だけで何とかこなすでは、若い先生もその先続かなくなっちゃう。ちゃんと子供理解と教材理解・内容理解を深められるように、そこはちょっと立ち止まって、同じように労力をかけるんやったら、労力のかけ方、ここを大事にしましょうということ、そこを意識しながら組めるといいんじゃないかなと思います。
先ほども申しましたように、そういった大きな問いとか課題だからこそ、逆に登る山は一緒でも登り方は様々という形で、多様な子供たちの包摂性を高めることにもつなげる。この辺は令和答申の趣旨を生かしていくということになってくるかと思います。
先ほども申しましたように、真正の課題、大きな課題を実現する、その柱になってくるものをつくっていく核が、ビッグアイデアとかプロセス・スタンダードで、先ほど申しましたように、個別の知識・技能とかスキル、これらは吸い上げられ、統合されていくパーツという形になります。
真正の学びって何かといったら、先ほども申しましたように、バスケットで言うと、ドリブルとかシュートの練習が上手だからといって、バスケットの試合でうまくプレーできるとは限らない。先ほど本番のある学びというふうに言いましたけれども、本物経験です。それをもうちょっと大事にしていってもいいんじゃないか。それというのは単に実用ということではなくて、それこそ科学者のように未知を追求するみたいなこともそうだと思いますし、そういった形で、その教科の一番おいしいプロセスを、子供たちがちゃんと経験できることが大事かなというところです。
この辺はもうあまり細かく言いませんし、その真正の学びって、いろいろと高校の例とかも挙げましたけれども、自分で収集したデータの利活用。これを検定する学習課題をつくるといったときに、アンパンマンがパンチを繰り出すまでの時間とかって大体決まってくる。統計的に結構傾向が出てくるんです。そういうのってやっぱり個性化された学びみたいなことにつながってきますよね。しかしそこではやっぱり本質的なプロセスがちゃんと埋め込まれている。
さらに言うと鴻門の会なんてありますけれども。項羽と劉邦ですね。それを劇化すると。単なる活動主義じゃなくて、心の中のせりふを補う。そのせりふがちゃんと根拠のあるものなのかというのは、前後とかをちゃんと読み込まないとそれは判断できないというところです。
キング牧師の演説であれば、読むだけやなくて、私を主語にして「I have a dream……」ということをつづる。自己表現の課題をつくっていくみたいな。
だから、そういう形でダイナミックな課題とかそういったものが単元単位であって、それに向けて日々単語を学んだりとか、文法を学んだりとか、そういった展開ができてくるといいのかなというところです。
それをシステマチックに単元設計ということで、方法論を定式化しているのが、前回西岡先生も紹介された、この逆向き設計というところになりますけれども、これはもう前回も多少説明があったところなので、もう軽くいきますが、でも、いろいろ言葉があるから難しそうに思いますが、さっき言いましたように、部活とか文化祭みたいに本番のある学びというふうに考えると、もうちょっとイメージがぐっとつかみやすくなるかなと思います。
それで、既に日本の中でも、日本の状況に合わせたテンプレートみたいなものが、E.FORUMという、京都大学でやっているウェブサイトとかそういったものもありますし、広島県も学びの変革ということで、指導案の形式というのをそれに合わせてやっているところもあるということで、この辺を例として挙げさせていただいております。
例えば、自分の考えとか事柄が的確に伝わるように、根拠の示し方や説明の仕方を考えるとともに、表現の仕方を工夫するなんていう学習指導要領の文言があって、それを、要は人の心を動かす表現とはどのようなものかという、ちょっとエッジの効いた問いにする。それで言うと、相手意識とか練り上げられた表現、これによってこの知識・技能と思考・判断・表現と態度、これらがおのずと網羅されるという形です。
それで、それが実際に一番問えるようなタスクというか、舞台は何かなといったら、キャッチコピーを考えるみたいな。だから学校の広報の課題みたいな、例えばこんな課題をやってみてというので、思考・判断・表現と態度、両方の観点を見る、そういう運用です。
先ほど申しましたように、大きなタスクで考えていく、問いとかタスクで考えていくということは、思考・判断・表現と、それから態度観点、主体的に学習に取り組む態度、この辺を統合的に考えていくことになりますよということを、この辺で示しているところです。
前回の西岡先生の資料にもありますように、その大きな問いとか課題があるからこそ、全部順番に網羅していくという形じゃなくて、それらを横に並べて、選択的に登り方いろいろという柔軟な展開も考えられるんではないかというところです。
というところで、ここまで中核的な内容を軸に構造化していくということ、さらに言うと、単元で組むとはどういうことなのか、この辺のところについてお話ししてきました。
最後、ぼちぼちもう時間が来つつあるので、まとめに行きますけど。まとめというか、もう一つですね。過度な負担が生じにくい仕組みというところです。これに関しましては、先ほども申しましたように、やはり何で負担感といったものが増えているのか。本当にそれこそ、やっぱりもうぎりぎりの状態でということもあるわけですが、殊授業づくりに関しては、どういう構造でそれが生じているのかなということを、もうちょっと丁寧に見ていく必要があるんじゃないかなと思います。
ですから、学習指導要領の目標・内容自体が過密というふうに言い切ることもできんだろうと。授業時数を少なくすれば解決する問題でもないだろうというところです。そもそもワーク・オーバーロードとカリキュラム・オーバーロードというのは、ちょっと区別すべき問題であって、カリキュラム・オーバーロードということ、これは学校での有限の学習時間をどう使うのかという内容選択の問題になってきます。ですから、やっぱりそれはそれとしてしっかり議論していく必要がある。
関連するところもありますが、ワーク・オーバーロードはワーク・オーバーロードとして、しっかりとした手当てをしていくことが重要かなと思います。やはり先生方の持ちコマ数の問題とか、この辺のことが非常に重要だということなので、これに対しては様々対応が必要かと思うんですが、それとは別に、その実質的な対応をやりつつ、ただ時数を減らせばいいとか、そういった部分はやっぱり危ういだろうというところです。それは公正の問題もそうですし、学びの質という問題においても結構やっぱり問題がある。
とはいえ、先生方からしたら負担感がある。では何でかと。学習指導要領の目標・内容の本体の分量の問題というよりも、むしろそれが実際どう実装されていって、今、授業自体の実際がどうなっているのかという、そこをしっかり見ないと、本当の解決は見えてこないんじゃないかというところです。
それでいいますと冒頭申しましたように、厚い教科書は何でかといえば、いろんなキーワードを要はちりばめ過ぎ、しかも教科書が指導書化しているという話。それを1時間単位で処理しようとする。この辺の構造もあるんじゃないかなということですよね。入試の問題もあります。ですから、様々そういったことを構造的な部分で理解していくということが重要かなと思います。
そもそもこの教科書というのは、学習指導要領の目標・内容だけやなくて、様々なものを考慮しながらつくっているので、正味教科書の中で、学習指導要領の目標・内容とちゃんと対応する内容というのは、必ずしも全てではないということです。だからそういった実際をちゃんと意識しながら、本当の意味で先生方の負担感を減らすとはどういうことかということを、冷静に議論していくことが大事ではないかなと思います。
そういう面においては、内容知はビッグアイデアと本質的な問いとか、そこを中核に構造化し、方法知はプロセス・スタンダードとか長期的なルーブリックとかいう。どんな言葉を使おうがいいです。要はそういったもので構造化していくことによって、中核的なものとかメタな概括的なものにすることによって、単元という単位で考えていく。
そうすると、それこそ個別のトピックとかそういったもの、これは、全部網羅せないかんということをちょっと和らげることができるんじゃないかなということです。やはり先生方はどちらかというと、このトピックのほうを見がちですから。そうじゃないという方向性です。
また、こうした学習指導要領の在り方というのが、教科書を大きな問いとか論点とかタスクを中心にしていき、デジタル教科書ということで言うと、個別様々な資料とか、コンテンツとか、トピックというのは、実際調べていく中で、それで網羅されていくということも出てくると思うんです。ですからそういった運用も考えられるんではないかなと思います。
それこそ歴史の教科書とかが、高校とかで何か象徴的にぐーんと薄くなったみたいなことがあれば、相当インパクトがあるんじゃないかとか、個人的には思ったりもします。ですから一点突破ということもあるのかもしれませんし。その辺はやっぱりしっかりと、一番大事なところに迫るような、そういったことができるといいのかなと思います。
大量の内容を網羅する、教え込むじゃなくて、しっかりと考える、考えるというか、大きな内容とか考えたくなるような課題とか、それを軸にして、中核的な概念を掘り下げ、質的に深く学ぶことによって、量的にも多くを学べる。これがLess is moreということです。Less is moreとかという言葉を言うと、少ないことはよいことだみたいに思われる方もいらっしゃるんですが、それは誤訳です。Less is moreなんです。Moreというところがポイント。だから量的に全然減らさないんです、これは実は結果として多くを学べる。スライドのここの部分です。で、しかも生きて働く形で学べるかどうか、ここが重要かなと思います。
ですから、知識の価値を軽視したり、時数も内容も削減して内容を、教科課程を貧しくするという方向じゃなくて、Less is moreという言葉を使うときには、さっきから繰り返し言っています、深さ志向が本丸です。ですから深めるためには、深めるべきものをしっかりと指し示すと。その結果としてまさに、卒論とかの論文の執筆はそうですよね。深めるからこそめちゃくちゃ学べるじゃないですか、実は。実は深いからなんです。ですから、そういう方向性がちょっとでも実装できるといいかなと思いまして、そうすることで転移も効く。生きて働くということです。
そうはいっても、やっぱりこの単元とかカリキュラムをつくるというのはイメージしづらいところがあるので、そこを支援する伴走者を増やしていくことがとても大事だと思います。自治体も様々で、なかなかリソースが整わないということもあるかもしれませんが、できる限り、この指導主事機能もそうですが、そこを強化するなど、現場に近いところで、様々な授業づくりとか単元づくりをサポートする、そういった仕掛けとか伴走者とかいったリソースを拡充していくことが大事かなと思います。
もう終わりますけど、改めて先ほど申し上げてきたようなところです。やっぱり改革の熟成。それで、それは単元というスパンを意識すること。それで、重要で中核的な概念とか方略をコアにする。概念ベースということをどう実装するか。それでもって、それは見方・考え方辺りを手がかりにしながらというところです。
コンピテンシー・ベースということで言うと、情意にしても、社会情動的とか非認知にしても、入り口よりも出口の方向性、そこを意識する。
さらに、そういったビッグアイデアであるとか、本質的な問いとかというのが明確になれば、個別の内容項目は入替え可能という形でやれるかもしれないので、そうするとローカライズだとか個性化可能な形になるんじゃないかというところです。
小中高、ここはいろいろ書いていますが、それぞれの段階に応じた対応が必要かと思います。小学校はもうちょっとやっぱり本当に内容が分かる授業で、しっかりとそこの部分をやっていくことは大事だと思いますし、逆に高校になったならば、活動主義ではないですけれども、もうちょっとアクティブにして深めて、網羅主義というのを緩和していく、そういう方向性が出てくるといいんじゃないかと。
一番下、ICT活用。そういったものがこういうのを進めていく上でも非常に力になってくるとは思いますけれども、そのときに、やはり令和答申の一番の核心は、一番下に書いたことだと思います。形式的平等から公正へ、同調から共生へ。そういった学校文化であるとか学校共同体の刷新といいますか、これが一番大事。
不登校の子供たちも増えているというのは、恐らく学校の生きづらさ問題が根っこにある。そのときにやっぱり学校自体を共生の共同体に組み替えていく。多様性を様々なオプションでサポートしていくこともさることながら、学校自体の生きづらさとしっかりと向き合って、共生と対話の空間にしていくことが大事なんではないかなというふうに思います。
すみません、長くなりましたが、以上で終わらせていただきます。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
それでは、ただいまの石井委員の発言を踏まえまして、意見交換の時間というふうにさせていただきます。例によりまして、御発言がある方は挙手をしていただき、私から指名をさせていただきます。オンライン参加の委員の方は、御発言の際は挙手のボタンをお願いいたします。
ということで、大体予定の時間の進行としましては、およそ意見交換については40分前後の時間を取りたいというふうに思っておりますので。ということで進めさせていただきたいと思います。どなたからでも結構ですので、御発言、御意見をお願いできればと思います。いかがでしょうか。
今、戸ヶ﨑委員から御発言の旨の意思表示がありますけれども、議会のお忙しい中で御出席いただきまして、どうもありがとうございます。早速ですけれども、戸ヶ﨑委員、どうぞ御発言お願いできればと思います。
【戸ヶ﨑委員】 それでは、石井委員の御発表ありがとうございました。たくさんの刺激をいただきましたので、少し長くなりますけれども御容赦いただけたらと思います。
まず、石井先生の目標・内容の示し方を中心とする議題は、今後、全体に大変影響をもたらす重要な位置づけを持つとともに、奈須先生や天笠先生の資料と相互に関連しているのかなと思っています。これは本日も恐らくたくさん傍聴されている学校管理職や指導主事の方々を中心として、学校現場にも、ぜひ自分事として理解していただきたい、また理解すべき内容であると思っています。
であるからこそ、これまでも繰り返し申し上げておりますけれども、霞ヶ関文学や学術論文として完成度が高いものであったとしても、それらの内容が指導主事や学校現場に分かりやすく得心される内容になっているかということを、常に問い直していくべきだろうと思っています。教師にしっかりと理解されて、日々の実践に生かされる、活用される指導要領になっていくということが何より重要であって、ここはそのための議論をする場とすることが、まさに本質なのかなと考えております。
もう一つ先に申し上げておきたいことは、先ほど石井委員からもありました、先月13日の審議のまとめとの関係であります。結論から申し上げれば、私もカリキュラム・オーバーロードの問題とワーク・オーバーロードの問題は、一端は切り分けて考えていかなくてはならないと思っています。
むしろ環境整備を理由にして、やっぱり子供が学ぶべき内容や時間と教育条件等がバーター関係になって、大人の事情で子供たちの未来を左右することになるようなことは、到底首肯できません。石井委員が言われたように、単に時数を減らせばよいという短絡的な議論は極めて危険であると思っています。
また、私の知る限り、このカリキュラム・オーバーロードというのは、「教育課程の過積載」という、漠としたイメージをされているだけで、問題の背景や要因などの共通理解がない中で、この資料の28ページ、30ページの内容は、大いに今後注目すべき内容なのだと思っています。
分析は大変難しいことも理解していますが、「教育課程の実施の負担感は、厚い教科書・入試の影響・授業づくりの実態等、全体で捉えて対応することが重要である」という御指摘は、まさにそのとおりだと思っております。しかし、今、若手の教師の指導力の向上などを含めて、大変に複雑なパズルになっていますが、解決の糸口が見つけられれば、日本の教育はさらに大きく前進すると思い巡らせています。
こうした問題意識の中で、幾つか質問させていただけたらと思います。
まずは御発表では、第一に、概念間の関係性を理解しやすく整理すること、第二に教科の本質に直結する中核的な概念、いわゆるビッグアイデアごとに、知識・技能、思考・判断・表現の柱で整理していくということ、それから第三に、単元のパフォーマンス課題、本質的な問いがすぐにイメージできるような記述にしていくこと、こういった趣旨の内容が教師にも分かりやすい形で提示され、授業づくりにつなげるという視点で示されています。
学校は忙しさもあって、どうしても近視眼的になって、本来の目指すべき目標というものが不明確になりがちであります。現状のこの近視眼的な目線というものを、中長期的な視点になるように学校に示す仕掛けが必要であろうということで、このビッグアイデアは大変有効だと思います。
一方で、「整理のための整理」だという誤解を受けることのないように、こうした論点が、教師や指導主事の課題感にとって、子供の学びにとってどのような意味を持っているのかを、丁寧に伝えていくことも必要だろうと思います。
そこで、前置きが長くなりましたけれども、質問の1つ目ですが、もしそういった際に留意すべきことがあれば御教示ください。
次に、30ページの「中核的な概念を掘り下げて質的に深く学ぶことで、量的にも多く学べる」という意味での「Less is more」を具現化しようとする取組の中で、石井先生がよく強調されて、私も大変強く共感しているフレーズがございます。それは、「学校での学習の文脈というのは、あまりに生活の文脈とかけ離れ過ぎていて、学校の外で生きて働かない、いわゆる『学校知学力』を形成することになってしまっており、知識・技能やスキルを学ぶにしても、やっぱりそれらを生かす必然性や学びの有意味性を重視する必要がある」というフレーズでございます。
使いもしない武器をたくさん持たせるよりも、限られた時数の中で、何を本当にやるべきかという議論を行って、学校知学力、これを真に生かす必然性ですとか、学びの有意味性を重視していく、石井先生がよく言われる「真正な本物の学び」の実現を目指していく必要があろうと思います。
そこで2つ目の質問ですが、現行の学習指導要領において多くの新たなコンセプトが取り入れられていく中にあって、今後の学習指導要領、そしてその先の教育委員会や学校現場における実装の議論の中で、また何か新しいことが降ってきたんだなと、そういうような受け止めにならないようにすることが大切なんだろうと思っています。そのために留意すべき事柄やお考えがあれば、御教示いただけたらと思います。
3つ目の質問ですが、知識・技能の内容については、概念・方略レベルで記載することなどを通して、学校や教育委員会の「学習指導要領の記載内容を網羅しなければならない」といった感覚を緩和して、認識の面からいわゆるカリキュラム・オーバーロードを軽減することが重要であるわけですけれども、できれば具体的に、どのようなことに留意すればその方向性を実施できるとお考えなのか御教示いただければと思います。
4つ目の質問で、この後、天笠先生の資料にもありますが、言わば教科書における事実的知識の量を適切にコントロールすべきということが示唆されているように思いますけれども、この点についても改めてどのようにお考えなのかということをお伺いできればと思っています。
長くなって恐縮ですけれども、何点か意見を最後にさせていただきます。3ページで指摘されているような、授業や学びづくりに直結する「シンプルさ、理解しやすさ」を備え、その「実施に伴う過度な負担感が生じにくい」教育課程・教科書等のあり方という方向性は、極めて重要な御指摘だろうと思っています。
それを教師の視点で見れば、資料内に点線で含まれている部分にあるような「教材観や指導観が明確にしやすい」ということが、私は本質的なゴールだろうと思っています。この教材観や指導観が明確になるということは、育成すべき資質・能力が明確になるということであり、教師の授業設計の裁量も拡大して、必然的にこれは網羅主義からも脱することができるだろうなと思います。
また授業というのは、児童生徒の実態を見ながら、教師が課題や問いをつくっていくものなので、現場教師の多くは、どうしても1コマ1コマを大切にしたいと考えてしまいます。
一方で、1コマの授業づくりが重視され過ぎて、本来の目標が曖昧ではという指摘は激しく同感するわけですが、教科指導が今、ファストフード化していて、味つけに深みがなくなっていることや、画一的であっても安価ですぐに食べられることに満足している現実を大変危惧しています。
レシピである教科書も、見開き2ページで単位時間とするなど「優しい」構造になっていることも要因の一つなのかと思っています。丁寧に支援すればするほど、料理人の力は衰えていく危険性があります。教科書、指導書、業者テストで、授業から評価まで完結してしまっている現実もあります。
さらに「学ぶ意味や実社会へのつながりの実感」、また「日々の授業づくりや指導力向上に直結する」という文言については、大変分かりやすくメッセージ性のあるものになると考えますけれども、やはり分かりやすさを例示することは、一方で思考停止になることもあるため、留意も必要なのかなと考えます。
また、この後の奈須先生の資料でも裁量性が指摘されていますけれども、今後教師一人一人が、より裁量を生かした授業づくりができるようになれば、その実装に当たって、裁量を使いこなせるようにするための教育委員会によるサポートも不可欠になると思っています。
しかし現実は、指導主事未配置の市町村教育委員会が全国で2割あり、都道府県教育委員会にあっても市町村の指導行政に対するスタンスというのが一様ではない中、石井先生から御指摘のあった、「指導主事機能を強化する」ということは全くそのとおりで、指導主事をはじめとする指導行政の充実が、本当に不可欠になるだろうと思っています。
最後ですけれども、こうした内容を具現化していく意味でも、その前提として、貞広委員がいらっしゃる前で恐縮ですが、働き方改革、処遇改善、指導・運営体制の充実を一体的に実現する、質の高い教師の確保特別部会の「審議のまとめ」をしっかり遂行しなければならないと思っています。
今日は矢野初等中等教育局長がいらっしゃいますけれども、この陣頭指揮の下で指導行政と管理行政を真の意味で調和させて、今後の教育にふさわしい在り方をトータルで構築されようとする、そんな躍動を感じています。今後さらなる期待をさせていただければと思っております。長くなり申し訳ございませんでした。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。直接石井委員から答えていただくことは、ちょっと例によって、何人かの委員の方の御発言の後ということでお願いしたいというふうに思いますので。ということで進めさせていただきます。
今、秋田委員から手が挙がっておりますけれども、秋田委員、お願いいたします。
【秋田座長代理】 ありがとうございます。石井先生、大変刺激的で分かりやすい御説明をありがとうございます。
私も、第一に、改革の熟成と言われた、大きく変えるのではなく、熟すための深さというところで、つまり統合していくとか、これまで説明してきた学習指導要領の概念のつながりをより明確にしていくというようなつながりが大事だと思います。また、学習指導要領等との関係で、今日お示しいただいていますが、教科書や指導書とそれから実践レベルでカリキュラム・マネジメントや単元の構成を中心にするとはどういうことなのかということが、単に学習指導要領で言っているというだけではなくて、それが誰にでも分かっていくように伝える改革ということが非常に重要なところなのではないかなと、先生のお話を伺っていて感じたところです。
また一方で、確認したいところがあります。それは私も、概念ベースであったり方略をベースにするということ、事実ベースやトピックベースではないというところは大賛成なんです。けれども、教科で重みづけはあるにしても、その概念と方略の両面を大事にしていくということなのか、例えば社会科や理科についてはさっきは理科の部分ではかなり概念の部分に力点を置きながら方略も説明してくださったんですけれども、その両面をどの教科でも常に大事にしながら考えようということなのかというところを、もう一度明確にしたいと思います。
またそれと同時に、実は学習指導要領で分かりにくいのが、見方・考え方と言われるものと、それから概念や方略ベースというものとのつながりが、やはり一般の先生方には分かりにくいところになります。その教科固有の問いや本質というもの、そしてその見方・考え方と今日の御提案がどのようにつながっていくと、より分かりやすくなるんだろうか、学習指導要領の説明の仕方としてどうしたらいいんだろうかというところが2点目です。
それから2.5点目みたいな質問ですが、それに関係するところでは、先ほど先生も言われましたが、教科と同時に小中高でという学校段階、小学校の低中辺りと、それから義務の小学校高学年や中学校と、高校では、やはりその重点の置き方が、私は違っていいのではないかと思います。それからLess is moreは私も、シンガポールで言われた頃から賛成なんですけれども、それがどういうふうに子供の発達と共に、逆に言うと、もっと絞っていくのは上の学年でそういうふうにするほうがいいですよとか、下の学年もやはり深さを持てるからもっと内容を減ずればいいんですよということなのかです。
授業時数ではなくて中身の深さだというところは賛成なんですが、発達段階、学校ベースで義務教育段階とやっぱり高等学校段階では、私は明らかに違いがあると思うのです。そこをより明確にしていただければというふうに思うところです。
それから3点目は、私は石井先生と考え方が違う考え方かもしれないと思うところが、評価のところです。逆向き設計論で物事を考えるのが単元のデザインだというところは、これまでの評価は、日本では学習指導要領の目標を3つの柱で立てているので、それに対応した形で評価も応じて考えてきていると思うんです。
ヴィギンズのものというのは、ある意味で極めて認知的に逆向きで考えていくわけですが、日本の考え方は、もちろん逆向き的に目標を明確にするということも重要ですが、そしてルーブリックのような形で、結局質と言いながら量で見ることもありますが、もっと質的にそれぞれの生徒のありようを捉えるという情動的な側面とか、学びに向かう力も各教科の中でも大事にしており、それが学習指導要領に準拠した評価の在り方として示してきたと思うんです。それが今回のような逆向き設計だけを強調すると、偏っていくのではないかという懸念も持ちますので、この辺りについては少し御意見をいただけたほうがいいかなと思っています。
ただ、今日の先生の御提案には大賛成で、逆に私は指導主事がどう単元を組むかということと、指導主事訪問が、結局1時間の研究授業を見てあれこれ言われるというような、そういう体制から、単元を皆で学校で考えていくための指導主事の機能というような形に変えていくことが、極めて重要なのではないだろうかと思っているところになります。
以上、ありがとうございます。
【天笠座長】 それでは、現在、高橋委員、そして冨士原委員ですけれども、次に高橋委員に御発言いただいて、ちょっと石井委員にお答えいただいて、その後また続けさせていただくというやり方でいきたいと思いますので、高橋委員、お願いいたします。
【高橋委員】 ありがとうございました。本当に多岐にわたって体系的に伺うことができて、私自身大変勉強になりました。
ちょっと時間もないようですので、少しダイレクトに聞いてしまいますと、28ページのスライドのところに、「学ぶ内容・教える内容が多い、と教師や子供が感じる時に何をイメージして語っているか? 学習指導要領か?」と書いてある部分について、もう少し石井先生の本心というのを伺いたいなというふうに思っています。学習指導要領そのものはやはり拝見しますと、意外と概念っぽく書かれているところとか、分量そのものはそれほど多くなくて、その後解説になったり教科書になったりするときに、少し量が増えているようなイメージにも感じているところがあります。
もう一つ量みたいなことに関して、私はそう思っているわけでもないんですけど、ちょっと頭にいつも留めていることがあることは、今までの紙や鉛筆や黒板とかで勉強することを前提に考えていけば、ひょっとして量が多いという話なのかもしれないと思ったりすることがあります。
先日とある新聞に、記憶するときは紙のほうが有利だという記事がありましたけど、よく調べると、紙と同じやり方でICTを使っているわけですよね。今ICTで記憶を補助するアプリというのがあって、それは今までと記憶の仕方、させ方が、学び方という意味では全く異なるわけです。
だから、旧来のやり方と同じやり方で比較してしまうと難しいのではないかとか、この時間のないところに少し変な例で申し訳ないんですけど、大河ドラマで「光る君へ」とかを見たときに、やはり当時の方が、漢文ができないからあなたは出世できないんだ、だから漢文の勉強をしなさいとかいうシーンが何回も出てきて、やはり1000年前に私が戻れるんだったら、漢文はそういう仕事では使わなくなりますよと言いたくなるし、つまり日常的に我々が使っている言葉である仮名のほうに、どんどんシフトしてきた。だから世の中は比較的分かりやすいほうにどんどん流れていくと。
そうなってくると、今動画で皆さん読んでいますし、電車の中でスマートフォンとかを見たときに、文字だけを読んでいる方ってほとんどいないですね。必ず画像だったり、動画があったりして、どちらかというと文字が補助的だったりしますし、今国語の低学年の授業とかを見ると、読解じゃなくて、ひょっとしたら挿絵を教えているんじゃないかというぐらい、何か読み方が変わってきているような現状から考えると、これまでの学習法とかが変わっている可能性がある中で、この量というのをどういうふうに考えていったらいいのかということを、石井先生に伺いたいなと思っています。
以上です。
【天笠座長】 ということで、3人の委員の方からそれぞれ御意見等あったかと思います。一問一答でいくと限りなく時間が必要になるかと思いますので、とりあえず、5分程度の中で石井先生から発言をお願いしたいと思いますし、その後また申し上げたように、引き続き委員の方から発言を続けると。場合によっては、時間によっては、その後またお話しいただくというようなことで進めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
【石井委員】 分かりました。貴重な御質問ありがとうございます。
まず、戸ヶ﨑委員から様々本当にエールをいただいたような気持ちでおりますけれども、それで申しますと、まず、結局整理のために整理になるかどうかと。これは実は附属学校とかの研究開発に関わるときにいつも申し上げるんですが、概念の刈り込みが必要であると。つまり何かというと、最初研究開発とかするときって、いろんなことを勉強していろんなものを盛り込むんです。ちりばめるんだけど、結局カリキュラムというのは、言ったら、学んだ後に道ができるじゃないですけど、子供たちの実態にその概念が負けたり逆に言葉だけだったら駄目なわけです。
ですから実際に何を積み上げてきているのかと。子供たちの学びに何が残っているのかとか、どういう学びをしているのかというところは、逆にそれに合うような形で、その枠組みを練り直すことが大事になってくるんです。そうすると、実質的に子供負けしない、子供の姿で勝負できるカリキュラムになってくる。これが研究開発学校とかに伺うときに私が一番大事にしていることなんです。
それで言いますと、この間この有識者検討会の中でも議論されてきたことを、よりちゃんと整理する形で、現行の学習指導要領の下で全く変化がないわけではなく、積み上げてきているものもあるわけなんです。ですからその実態に合わせて、要は、何をより手厚くし、それで逆に言ったら、何を整理して分かりやすくするかという辺りを考えていくことが重要かなと思います。ですから、真に現行の学習指導要領の中で、単にそれをこなすじゃなくて、学びの変革につなげていくような、そういう変化の芽というのはたくさん出てきていると思うんです。ですからそれを指さし励ますという方向性でもって、概念を整理するということが重要かなと思います。
だからカリキュラムをつくるということは、そうやって学んだ跡が道になっている、そこをさらにここ、原点をちゃんと見つめ直しましょうよということを指さしたり、あるいは、もう一歩進めていく、深めていくという部分を、より明確化する。それこそ、今の学習指導要領のどの部分をもう一遍読み直したほうがいいんじゃないですかということを、線を引っ張っていくようなイメージですよね。それで現代的な感覚で言ったら、こういうふうに説明の仕方を変えたらいいんじゃないですかと読み替えていく。それくらいのイメージからまず出発していくことが大事かなと思います。
様々御指摘いただいたところでもありますけれども、それこそ実装に当たってこの本物の学び云々ということもそうなんですが、結局、目の前の子供を見て授業をつくるということに、ちゃんと向かえるような流れをつくっていく必要があるだろう。つまり有意味な学びとか真正の学びとかというのは、教科書ってどうやっても文脈をやっぱりなくしてしまうんです。
よく高野豆腐なんていうふうに言ったりしますけど、もう一度元ネタに戻したら面白いんですよ、実は教科書のネタって。全国いろんな実践家の先生方が積み上げてきたものを集約して、しかしいろんな文脈で使っていくために、ちょっと脱文脈化する。だからそこをもう一度。元ネタって結構文脈が載っかっていて面白かったりするんです。
だから、そういうふうに目の前の子供たちに合わせて、ちょっと教科書の内容とかも一工夫するだけで全然違うと思うんです。この一工夫がちゃんとできるようにしていくということがとても大事で、多分それが実現できた瞬間というのは、実は結果として、何か主体的で対話的で深い学びになっているなという、そういうイメージかなと思います。
ですから、その足元にある希望というか、そういったものをしっかりと見ていくことが大事なのかなと思いますし、知識・技能の網羅ではなくてということのイメージで言いますと、例えば小学校で言うと国語、高校とかだったら、歴史とかの社会科系の教科でイメージをつくっていけるといいんじゃないかと思います。国語ってやっぱり今、この教材をやらないと。『ちいちゃんのかげおくり』だったら『ちいちゃんのかげおくり』というふうに、教材ベースでやっぱり目標を考えがち。それは実は業者テストの関係もあるんです。それに即して聞かれるから。そうすると、実は文学作品の読みという大くくりにしてしまえば、さっきのゴール型と同じで考えられるところが、教材ベースに閉じ込められてしまうところがあるんです。そこをどうするかという話かなというふうに思います。
さらに社会科で言うと、先ほど言いましたように、やっぱり通史3回のところをテーマ史的な側面。最近大分、歴史総合とか世界史総合とかいったもので、若干そういう側面も出てきていますけれども、やはりそういった網羅ではなくて、ある種大きな主題というか、そういったものを深めていくことに軸足を移していくとかいうことが大事になってくるかなと思います。だから教科観の転換ということが実は結構大事。
それで量のコントロール云々、この辺は高橋委員から御指摘いただいた量の話ということで言いますと、例えば計算を習得したという状況をどの程度の厳密さで捉えるか、多分ここの転換だと思います。極端な話、入試についても、実は足元で実際に起こっていることから考えたらいいんです。実際にそのヒントはあります。
例えば、これがいいかどうか分かりませんよ。でも私立大学の中には、このある種AIドリル的なものも含め、英検とかCBTでもそうですが、これをやったら習得したことにするという発想でやっているところも出てきているじゃないですか。それに対して、すごく自動化されてということで、めちゃくちゃ速くスピード勝負で解けなきゃ駄目となっていた部分もこれまではあって、そこぐらい計算技能といったものを求めるかどうかです。
もちろん自在にできることは重要です。しかし今やり過ぎてはいないかというところは考えていく必要がある。つまりrigorという言葉がありますけれども、厳密さの定義を、その辺の水準といったものを、社会の水準が結構ぐっと上がっている気がするんです、実はこの間。そこをもうちょっと緩和させていく。十分な習熟とはこのくらいのレベルでいいんじゃないかという、その辺の社会的合意をぐっと下げていくということが1つあるかなと思います。
ただ、書字に関してはちょっと慎重を要する。つまり、今デジタル化が進んでいるというのは、逆に言ったら、皆さんの多くは手書きできますよね。それが前提の上にデジタルといったものをやっている。しかし、書字の習得というのは一定の、発達段階もそうですけれども、手間がかかるんです。ですからそれはそれとしてしっかりとやっぱり積み上げていかないと、世代が替わったときに書字ができない子供たちになる。それでいいのかどうかというところは、ちょっと考えていく必要がありますね。人間の発達ということで言うと。
ちょっと後のほうでも答えていきたいところではありますが、秋田先生に御指摘いただいた点は、両面あると思います。方法知のところだけはこれでじゃなくて、例えば国語にしても、象徴とかプロットとかという概念があります。だから方略というだけではなくて、象徴、繰り返し出てくるモチーフですよね。それは、これは何の象徴かとかいう形で、そういった概念を学ぶことは大事になってきますし、英語にしてもそうですよね。国際理解ということも含めて概念がある。
さらに先ほどの小中高ということで言いますと、やはり小学校は分かる授業を大事にするということを大事にすることだと思います。深さ志向は一緒なんですけど、そんな大きい議論するということよりも、やっぱり分かったなということ、生活実感に即して分かったということが大事だと思います。それプラスやっぱり世の中で生きて働くなということがちょろっと見える。
でも中高はもうちょっとこの主題単元、論争的なテーマとかを中心に、そこでさっきの知識習得面でのrigorの部分を下げていくというめりはりが必要じゃないかと思います。さらに、先ほどの逆向きに関するご指摘ということで言いますと、私は大きくは、単元レベルとかロングスパンにおいてはシステムは明確に、しかし逆に言うと、日々の授業は逆向きじゃなくて、授業を生成的に考える。このゴールイメージ、長期的なスパンがあれば、逆に日々の授業は緩やかにいけると。
計画は計画すること自体に意味があるのであって、仮説なんです、目標って。でも仮説なき実践はないです。でもその仮説といったものをちゃんと子供たちの姿で緩やかに持っておいて、計画は計画すること自体に意味があるから、見通しだけは持っておいて、それで実際の授業においてはそれを捨てる。そういう運用ができるためには、逆にロングスパンで形がしっかりしておいたほうがいいと。
その中で情動的な部分というか、それはとても大事です。それは形成的評価として日々の授業の中で子供たちと、それこそ、ああ、見守ってくれている、見てくれているという感覚を積み上げていく。それでじわじわ育てていくというところかなと思います。ですから、その辺のめりはりが大事かなと思いました。長くなってすみません。
【天笠座長】 とりあえずということで。
それでは、委員からの御意見、御発言をお願いしたいと思います。冨士原委員から御発言お願いいたします。
【冨士原委員】 大変充実した発表ありがとうございました。改めてですけれども、大変勉強になりました。ありがとうございます。
あまり長くならないようにしたいと思いますが、まず大変共感したのが、スライドの15枚目くらいでしょうか。今3つの柱で言われているものが、全ての教科と領域に満遍なく、結局これは学力の3つの柱が要素として対等だから全部の教科や領域に今散らばっているのが指導要領の現状ですけれども、石井委員が教育課程として軽重をつけてもいいんじゃないかとおっしゃったのは、私も実現するかどうかは別として、そういう点には大変共感しています。3つの柱のうち、これを大事にする教科あるいは領域といった発想があってもいいのかなというところも共感いたしました。
それと、さらに資質・能力自体を構造化する。ここの部分も、ここが一番核だと思うのですけれども、私自身は大変共感して聞いておりました。多分ここがきちんと構造化されていないというか、すごく難しく表現されているので、現場の先生方はつかみにくいのかなというふうに思います。
私のほうで伺ってみたいのは、戸ヶ﨑委員のほうから、教師の視点で見ればというようなお話をなさりましたけど、次回が私がお話をする回になるんですが、そこのことも最近考えているんですけれども、その教師視点で見たときに、現場の先生方の中ですごく出てくるのは、特に私が研究行っている学校で出てくるのは、基礎基本を大事にしていますということをすごく言われるんです。この基礎基本が何なのかというのが、私自身よく分かっていないんです。
先ほどお答えの中で、教科観の転換が必要と先生はおっしゃいましたけど、恐らくそれって、私のまだちょっと直感的なんですが、評価の基礎基本観の転換が必要なんじゃないかというふうに感じるところがあります。今、現場の先生は基礎基本を大事にしていますと絶対に言います。
その基礎基本が、すごく単純に言うと、いわゆる先生で言えば事実と表現されていましたけれども、事実を繰り返し繰り返し暗記して習得することが基礎基本だという、やはりそういう現場が多くて、それすらできない子供がいると。石井先生が分析されたように、情意としての下位の情意の態度を大事にする。基礎基本を大事にするというと、どうしても下位の情意を大事にする議論にどんどん向かっていくんです。それで、うちの学校はとにかく基礎基本を大事にして、それを支える情意を大事にしていますという。
そうなったときに、その基礎基本と今言われるものって何なんだろうということを、改めて石井先生の今日のお話を聞いて考えました。もし石井委員のほうで、石井委員も現場にたくさん行かれていて、その基礎基本と言われているものが何なのかというもの、お考えがあったら伺えればと思います。よろしくお願いします。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
続きまして、奈須委員、いいですか。貞広委員、お願いいたします。
【貞広委員】 千葉大学の貞広と申します。本当に大変刺激的で、すぐ真横でこんなにぜいたくな時間を過ごさせていただいてと思っていました。
1点だけちょっと感想的な意見になります。いろいろお伺いしたいことはあるんですけど、先ほど高橋委員の御質問の応答として、スライド28ページの、何でたくさん内容が多いというイメージを持っているかという応答に対して、その習得レベルの厳密性をもう少し見直すということをおっしゃっていました。これは先ほど戸ヶ﨑委員がおっしゃった、過積載の要因分析の一つにもなると思って聞いていただけではなくて、非常に子供たちの学びの状況の把握という点とも連動していて、非常に重要な御指摘であろうと思ったということを申し上げたいと思います。
文科省さんの別の部会で、全国学力・学習状況調査の専門的な分析部会というのがありまして、先だって横浜国立大学のチームが、英語の学力・学習テストの結果の分析をされていたんですけれども、特に話すことについては、できる子とほとんどできない子だけがいると。
ただつぶさに見てみると、完全正答と準正答とその下みたいな、その正答の分布分けのレベルの設定の仕方が、どうも子供たちの学力の把握と連動していないので、完全正答の子だけを捉えて、その下のちょっとずつ80%、70%、60%ぐらいできている子供たちを捉えていないので、できている子とできていない子というふうになっている。恐らく授業も試験も入試もそういうふうになっているので、みんなで完全正答を目指してベース・トゥ・ザ・トップするので、とてもしんどいんだと思うんですよね。でも、ブロークンのイングリッシュでも通じるわけですよ。私なんてもう日々それだけです。
ですので、本当に使えるようになって社会とつながるためには、英語だけではなくて、7割、8割でも結構いいんだという捉えをすることが、これはカリキュラム・オーバーロードだけではなくて、子供たちがいかに力をつけるかということでも、大変重要な御指摘なんだと思いました。
ただ、なかなか完全正答を先生方はさせたいので、自分のクラスだけ6割でいいというのはなかなか踏み出せないので、ここの意味でも、どうこういうメッセージを伝えていくかということもあろうかと思いますけれども、とても重要な御指摘をいただいたと考えまして、どうしてもちょっと意見を言いたくなって、時間がないのに申し訳ありませんでした。
【天笠座長】 ということで、とりあえず石井委員の御発表についての委員からの御意見については、ここまでということにさせていただきたいと思います。
その上で、今のお二方の委員からの発言等、あるいは先ほどの委員からまだお答えいただけなかった点も含めまして、石井委員のほうからコメントをお願いできればと思うんですけれども、その際、ちょっと私のほうから1点ですけれども、教科の目標ということと、度々御主張されたビッグアイデアですとか、大きな問いというんでしょうか、捉えようによっては、学習指導要領の教科の目標レベルがもう既にビッグアイデアですとかという。
そういう意味で言うと学習指導要領はビッグアイデアの一覧表だと、そういう捉え方もできるんじゃないかというふうに思いますし、片や石井先生の御主張ですと、学習指導要領のある意味の外側にビッグアイデアというのが、要するに教師のアイデアというんでしょうか、授業の実践で、学習指導要領にある種のヒント、刺激等を受けて、その上で授業設計とか単元再開発において、ビッグアイデアというのは創出されるものだという、その辺りのところ、このビッグアイデアの教科の目標からの位置づけとか、あるいはありようという辺りのところについてお考えがあったら、この後の御発言の中にちょっと加えていただければということでお願いできればと思うんですけど。大体5分程度ぐらいでお願いします。
【石井委員】 ありがとうございました。今、基礎・基本とか、その習得ということに関しての御質問が中心だったかと思いますけれども、それで言うと、まず基礎と基本というのは、これはちょっと違うんです。基礎というのはベーシックなもの。だから計算機能とか、次に習得していく上で、やっぱりこれは自在にできたほうがいいよねみたいなこと、これが基礎。でも基本というのはエッセンシャルなもの。まさに基本、これはエッセンシャルクエスチョンみたいな。だからビッグアイデアなんです。
ですので、それこそ基礎・基本というふうに言ったときに、これは掛け算とかもそうですけれども、1当たり量掛ける幾つ分ということ、そういった意味理解っていったものに関わるところって、かなり基本的なものなんです。二次元で考える思考法。ここから微分・積分とかそういったものにもつながってきたりするわけですけれども、基礎・基本に関して多分一つ焦点になってくるのが算数。算数で言うと、計算ができるかどうかということ以上に、そこの意味理解も含めてやっていくことによって、実は中高の数学の基本的な思考法は、ほぼほぼその中に埋め込まれているというところがあるんです。
ですから、何か基礎・基本について議論する際に、基礎的な内容というふうに言っているものの中に、実はエッセンシャルなものが含まれていて、この間の学力・学習状況調査の中で、等積変形の問題がちょっと出来が悪かったじゃないですか。あれがまさに基本が押さえられていないということだと思います。つまりエッセンシャルな認識といったものが、実は日本の算数教育において結構危うくなっている。だからそこは意味理解の範疇ですね。
平行線上の点をどこで取っても、底辺が共通で高さが共通だったら面積は等しいと。これは直感的に理解していくことが大事なことであり、多くの塾とかとは違って。塾もいろいろですよ。だけど、やっぱり学校の教科書はまどろっこしいけど、意味理解をめちゃ大事にしているわけですよね。そういった部分を改めて大事にしていくことなのかなと思います、基礎・基本ということで言うと。
一方においてこの基礎のところに関しては、先ほど貞広先生にも取り上げていただいて、本当に恐縮なのですけれども、私自身も非常にここが結構肝だと思っているところがあります。この厳密性ということで言いますと、それこそ難問がどれくらい解けるかみたいな。四則演算の分数とか小数とかの混合計算といっても、中学入試等の入試問題に関して言うと、難しくなり過ぎている。このレベルで解けなくてもいいんじゃないかと。
それはなぜそうなるかというと、基礎のための基礎ではないですが、解けるための解けるになっているからです。習熟は必要です。しかしそれは、次分かるために習熟しておれば十分である。自在にやれるということが習熟です。つまり知っている・できるの先に、分かるといったものがあれば、おのずとその習熟の厳密性のレベルは抑制される。
だから、例えば分かるの先に、バスケットの例で言っても、試合で十分にプレーできればいいわけですよ。そこをキャッチボールとかにしても、めちゃくちゃ正確に正確にとかと、100%キャッチボール名人なんてつくらないじゃないですか。それはその先がないから結局、筋トレのための筋トレみたいになってしまって、違うものになっている。その辺の意識が大事かなと思います。
そういう面でも、分かる、あるいは使える・創るレベルというか、そういう学力の質的レベルを意識した運用が大事だと思いますし、先ほど天笠先生から質問いただいた、この教科の目標は既にビッグアイデアじゃないか。それはそうなんです。先ほどの秋田先生からの御質問にもあった、見方・考え方ということで言いますと、これもまた数学で恐縮ですが、理科でも同じような議論はあると思います。
算数・数学で言えば、内容に関する数学的な見方・考え方というのがあって、関数という見方・考え方とか、単位という見方・考え方とかという形で、実は今、既に各教科の領域目標としてあるものなんです。ただ、この間、それを見方・考え方ということで学習プロセスの方に持っていったところがあって。でも、もともと各教科において、見方・考え方という言葉は各教科教育の中に結構あったりします。それを見ると、案外コンテンツというか、今回述べたようなビックアイデア的な内容とビックスキル的な方法に実際にはなっておるんです。
ですが、統合的・発展的に考えるとかというのは数学的考え方でありますけれども、玄人な先生とか、算数・数学教育をちゃんとやっていくと、そういったものにたどり着くんですが、でもそこが十分実装し切れていないし、さらに言うと、関数的な見方を育てるというのは言っても、実際それが身についたかどうかって、どういうふうになったらいいのということはイメージしづらい。二次関数だったら二次関数の授業とかというふうにやっている限りは、そこはイメージしづらい。
しかし、それこそ現実世界の事象といったものを、パターンを読み取って数量化していく、数理モデル化していくということで言うと、別に二次関数であったとしても、あるいは一次関数でも、どれを使ってもいいという中において、現実世界の事象の数量関係を可視化すると。そういう中で、関数的に捉えるってこういうことなんだ、現実世界をモデル化するってこういうことなんだということが分かっていくわけですよね。
だから、今までメタ過ぎてイメージがつかなかったことを、まさに評価方法とかタスクといったものの、あっ、これができたら一人前なんだ、見方・考え方というか、そういった関数的な見方がつかめているんだというもので、そこで具体化していくことが大事なのかなと思います。この学習活動として、タスクとしての実装ということが、専門性も必要だし難しい部分もありますが、しかし、実践の蓄積が全くないわけではない。だからその蓄積をちゃんと温めていくというか、より励ましていくことが重要かなと思います。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
それでは、ここで少し息継ぎをということで、当初の予定ですと10分間の予定だったんですけれども、ちょっと5分間に縮めさせていただいて、あの時計で16時47分から、分単位で細かくて恐縮でございますけれども、再開させていただきますということで、5分間休憩いただければと思います。後ほどまたよろしくお願いいたします。
( 休憩 )
【天笠座長】 それでは、再開いたします。
続きまして、奈須委員からの発表をお願いしたいと思います。資料3を提出していただいております。奈須委員、御発表をよろしくお願いいたします。
【奈須座長代理】 よろしくお願いします。資料は出ていますね。私のほうにいただいたお題は、先ほどの4番目と5番目ですかね。ただその前に全体について少しお話を申し上げようと思うんですが、先ほど石井先生の話もありましたけど、現行指導要領は、実は研究者からも学校現場からも非常に支持されていると。これを引き続き充実するということに注力することが大事だろうと。
一方で、定着しているか。特に個に応じた指導といったことがうまくいっているかということには、いろいろ問題があるだろうし、ICTという新しい学習基盤を得て、どんなふうにやっていくのかということ。先ほど石井委員の発表にもありましたけれども、全ての子供の資質・能力の育成を支える公正な教育をどう実現できるのかということは、令和答申も含めて課題だろうと思っています。
少し違う角度になりますが、裁量確保ということを私は考えてみたいと思うんです。学校現場の創意工夫を生み出すには、やっぱり裁量の確保ということが大事、あるいは子供の多様性ということを考えても大事だと思うんです。指導要領を細かく書くということをどんどんやってきた感じがしますが、それは当然質の担保につながる可能性がある一方で裁量の余地は狭まるという、このジレンマをどう解消するかということだと思うんです。
現状でも一定の裁量はあるんですけれども、さらなる裁量は可能か、どうすればいいのか。例えば各学年の目標というのは、内容のサマライズのようになっていて、あれで本当にいいんだろうかと思いますし、内容の取扱いというのが案外と細かい。だから内容レベルだといいんだけど、内容の取扱いとなると細かい。これは先ほどの石井先生の話にもつながるようなことで、どうなるのかなと思っています。
それから、内容の削減という話にならないようにしなければいけない。むしろ私は、基準性を緩めて自由度を上げるという話になるんじゃないのかなと思うんです。石井先生の最後のスライドに、ビッグアイデアと本質的な問いが明確になれば、個別の内容項目は入替え可能もありということがあって、つまりLess is moreというのは深くやるんだけれども、そして知識の量も保障されるんだけれども、どんな知識が個別に学ばれるかは、変わってくるんだと思うんです。その入替え可能性を認めるとなると、記述を細かくしていけない。内容の取扱い、さらに解説というところで細かくやっていくということがどうなんだろうという辺りです。
それから教科書の話。これは先ほどもありましたし、この後もありますけど、教科書の作成の実際、さらに検定ということがどういうものか、教科書を網羅的に教えないといけないという使用義務の捉え、こういうことをどう考えるかということが大事かと思います。
それでは、中に入っていこうと思うんですが、まず、1人1台端末という学習基盤を前提とするということが今後大事になってくると思いますが、まずデジタル学習基盤という言葉を僕らは使いますけど、それは何なんだろうかと。どんな構成要素があり、従来の学習基盤との比較で、どんなアドバンテージ、どんな可能性があるのか。これをはっきりする必要がある。
一方でアナログという言葉がよく使われますが、アナログって何か。アナログは紙だという言説がありますが、そんなはずはないだろうと。紙だけで僕らは授業をしてきたわけじゃないので、アナログが紙で、それに対抗するデジタルと考えると、デジタルも極めて矮小化されると思っているんです。この辺ちゃんと考えなきゃいけないと思います。
それから、デジタル学習基盤ということを考えると、これは一般のDXもそうですが、従来の枠組みの中でデジタルを使う、アナログをデジタルに置き換えるという話では全くないということですよね。
パラダイム・シフトが必要だ。いろんな可能性がありますけれども、例えばRobert Bransonという人が、もう30年以上前に出したモデルがあります。そこに示したものですけれども、これは学校教育の過去、現在、未来のモデルということで、一番左の口頭継承パラダイムというのは、先生が一方的に教える。こんな授業をしている人は今どこにもいません。
僕らはこの真ん中の枠組みで通常やっていると思うんです。生徒と生徒、教師と生徒の間に多様な相互作用があって、特に日本の先生は子供と一緒に授業をつくる。例えば、みんなの意見を聞いていると、こういう学習問題が成り立ちそうですね。じゃあ、ここからはこのことを新たな問いにして、また深めていきましょう。そういう相互作用性のある授業を日本の先生はやってきた。
これはもう世界に冠たる授業のレベルの高さだと思うんですけれども、一方でこの図の下半分が幾ら変わっても、上半分は変わってこなかったということが問題だろうと思うんです。つまり、子供の意見を聞いて、このことが新しい学習問題ですねと言うのは、必ず先生なんです。それで、そうだと思っている子供が8割いますけど、2割ぐらいの子供は、えっ、違うんだけどと思っているんです。でもその子たちの意見は通っていかないですよね。ここを変えたいんです。
子供たちが学ぶ対象である経験、知識とダイレクトに向かい合うということは基本的に認められてこなかった。ゲートキーパーという言い方をBransonはしていますけど、ここをこの図の右側の形に変えたい。子供たちが直接に、今必要な知識や経験を、そのタイミングで自分が取りに行くということです。この真ん中にまさにGIGA端末が来るわけですよね。GIGA端末、デジタル学習基盤というのはこれを可能にしているという話だと思うんです。
そして、今その瞬間必要な知識を、自分の判断で自分で取りに行って、学び、深めている子供が、横につながって協働的に学ぶというモデルですよね。協働というのは先生が仕切る協働もありますけど、子供が自発的に判断して進める協働というのももっと考えたほうがいいだろうと思いますし、先生はその探究、学びの輪の中に入っていく。
またこうなってくると、実は子供は教わりたいんです。先生に一方的に教わるばかりは嫌だけれども、自分たちが深めていくことについて先生に教わることは、大歓迎なわけです。先生、ありがとうと子供は言うわけです。このような関係性に変えたい。この真ん中のパラダイムは引き続きやるんですけれども、幾らか右側にシフトするということが、デジタル学習基盤では大事なんじゃないかなと思います。
面白いのは、この右側のパラダイムが、全く新しいパラダイムではなくて、実は幼児教育でやっている環境を通して行う教育と全く同じなんです。幼稚園って、この右側の枠組みでやっているわけです。子供たちが環境に自分のタイミングで働きかけて、遊び、活動し、学び進めていく。先生はそこに関わっていくということです。つまりデジタルに限らない。これは一般的なモデルだと。むしろ環境を通して行う教育というのを、新しく教育方法のレパートリーに入れるということが、デジタルによって、より可能になったし、求められているんじゃないかなと思うんです。
令和答申との関係で言うと、正解主義、同調圧力といった問題を克服し、自立した学習者となるには、この右側のパラダイムへの移行が大事なんだろうということです。このパラダイムはデジタルに限ったものじゃないんですけど、デジタルの登場によって、小学校以降でも実現可能性が大いに高まったということが大事だろうと思います。
改めて、何で僕らはこんなに教えてきたんだろうと思うわけです。小学校で教える知識さえも、実は多く偏在していて、アクセスは容易ではなかったんだろうと思うんです。だから僕ら教師が準備して持ち込むというのが、ずっと合理的だった。ただその結果、教師から教わらないと学べないという時代が長く続いた。そこから、子供は教えないと学ぼうとしない、学べないという神話を、僕らは生み出してしまったんじゃないか。
これが1人1台端末と高速大容量ネットワーク環境によって、つまり学習基盤の変化によって、パラダイム・シフトが可能になった。情報技術パラダイム、あるいは環境を通して行う教育への小中高等学校のパラダイム・シフトが可能になった。これを進めていくことで、この神話を崩すことができるんじゃないかと思いますし、それによって子供たちは有能な学び手として、自ら環境に働きかけて、主体的・協働的に学んでいくという姿、これが自立した学習者だと思いますけど、これを実現可能とすると。ここにデジタルの圧倒的アドバンテージを私は見るわけです。
ただ、これを学習指導要領でどう扱うかというのはとても難しい。これはデジタル学習基盤に限りませんが、教育方法に関する記述をどうするかというのは難問です。詳しく具体的に書けば書くほど方向性は確かになりますが、書けば書くほど、これをやらなければいけない、これさえすればよいとなって、学校や教師の自律性・創造性が減殺されるという、このジレンマがまた起こってきます。
なので基本的な考え方と留意点のみを示すというのは安全ですが、具体がないと現場はやはりやれないだろう。これを指導資料でこれまでやってきたわけですけれども、指導資料はどのぐらいうまくいっているのかということを検証する必要があると思います。
また一般に教育方法は、テクノロジーの進歩、普及によって変化します。デジタルはこれがまた顕著で、また短期的に大規模に起こる。なので、細かく具体的に書けば書くほど、10年後に対応できるのかという問題が出てくると思います。とりわけ生成AIをめぐる問題の取扱いは難問で、先に出したガイドラインは暫定的としていますけど、その扱いをどうするかということも、次の指導要領に向けて考える必要があるんだろうなと思います。
また、教育方法をめぐって悩ましいのは、一般性がどのぐらいあるのか、逆に言えば教科等による領域固有性、教科等による違いがどのぐらいあるのかということです。現行の学習指導要領でも教科等によって、この教育方法に関する示し方がかなり違うと思いますが、それはそういうことが必要だと考えられてきたからでしょう。このように教育方法に関する記述が必要か、また分量が適切かについて、各教科等によって異なる可能性があります。したがって、教育内容に関する記述と方法に関する記述を総体として見た場合にどうだということを見ていくことが大事だろうと思います。
デジタル学習基盤についても同じで、領域固有性があるなら、教科等ごとに書く必要があるんですけれども、そうすると教科等ごとに分断されて、原理的理解を伴わない手順化になるというリスクもある。この辺がとても悩ましいです。
もう一つ、このデジタル学習基盤で重要なのは、クラウド・ベースという、もうこれは思想だと思いますが、ファイル・ベースからクラウド・ベース、これは高橋委員がお詳しいですが、もう知的生産の在り方に関する発想を大きく転換するもので、当然授業や学習も変えていくわけです。これがどうなっていくか。
例えば他者参照ということが今広がっていますけど、これはかつてカンニングと言われたわけで、全く同じ行為の意味が変わってくる。これはもう学校における学習、知識、学力、評価に関する見方を根本から変える必要があるんだけれども、これをどうしていくか、どんな戦略を携えていくかということです。
2つ目の話題ですが、個に応じた指導の観点からの対応ということかと思いますが、歴史的に見ますと、平成元年度の指導要領において総則に入ってきました。これが10年、20年、少しずつ記述を変えながら展開してきたということだと思います。
現行指導要領では総則の第3の1、それから総則の第4の1という2か所に分かれて、少し違う文脈で書かれています。これらはもう御案内のとおりですが、この現在の記述の改善についても幾らか視点があり得ると思うんですが、まず令和答申で打ち出された「個別最適な学び」という表現、それから伝統的に用いていた「個に応じた指導」という文言、この使い分けをどうするかということは、少し考えなければいけない。
教師の営みなんだ、指導のほうは、そして子供の営みなんだ、学習のほうはという表現に令和答申でもなっていますし、まさにそのとおり。ただこの表現が緩やかに変化していることも踏まえて、どうしていくかということが大切かなと思います。
またそうした視点から、総則の第4の個に応じた指導を見ると、ちょっとこの間いろんな実践が展開していたり、普及していたり、またデジタル学習基盤のこともありますので、子供自身が自らに最適な学びを自己調整しながら主体的に生み出していくことを大切にするという視点も踏まえて、示し方、具体例の取上げ方について、ちょっと考える必要があるんじゃないかと。
今出ているのは、個別学習、グループ別学習、繰り返し学習、学習内容の習熟の程度に応じた学習、児童の興味・関心等に応じた課題学習、補充的な学習、発展的な学習という例ですが、これでいいのかという話ですよね。ちょっとまた考える、あるいは、こんなに事例を出すほうがいいのかということも議論する余地があるのかなと思っています。
それから、一人一人の子供、多様性に応じていくということをすると、同じでそろえるという話になってこないわけです。すると、カリキュラムをつくったり授業をする上で、教育課程編成における裁量拡大というのが、基底的な要因として重要になってくると思います。
具体的な方途の可能性としてまず考えられるのは、既に存在しているいろんな特例制度がありますが、これを柔軟化する、もっと使い勝手よくするということは考えられるんだろうと思います。義務教育学校の特例制度、それから教育課程特例校制度、時数特例の制度ですよね。いろんな制度があって御利用いただいて、闊達なカリキュラム開発がなされていると思いますけど。
まず、学年ごとの細かな内容配当ということですね。これを柔軟化したらどうだということ、学年縛りの問題ですね。どうしても学年ごとに細かく内容が配当されていると、この学年でこの内容ができない子は劣っているという見方になる。問題があるという見方になる。逆に、まだまだそんな先に行かなくていいよといって、とどめてしまうことになってしまう。これは私も心理学者として気になることでして、学習指導要領が子供の発達を社会的に規定しているということがあるんじゃないか。これは秋田先生もおっしゃっていたと思うんですが、これで本当にいいんだろうか。発達がまずあって、こういうことが考えられるべきなんじゃないか。
例えば北欧などでよく言われるのは、このことが今できることが、この子の長期的な発達や幸せにとってどんな意味があるかということを検討して、別に今直ちにこのことができなきゃいけないわけじゃないという判断がなされるのは、多分かなり一般的だと思うんです。これはもう本当に指導要領の在り方が違うんだろうと思います。
それから一方、学年縛りを解除することは、飛び級なども含めた早修、accelerationを可能にするわけで、これはちょっと悩ましいと思います。我が国の個に応じた指導の伝統の中では、学年や単元は超えないと。例えば単元内自由進度学習という言い方をしますよね。単元を絶対超えない。その範囲内で、じゃ、どうするか。活用や探究によって学びを深める。むしろ拡充。先ほど石井委員が言われた、むしろ深くいくという方向、時間的余裕があれば、深くいくという方向に使ってきた。どんどん先に行くという考え方はあまり持ってこなかったですね。このaccelerationとenrichmentの問題というのは、今後よく考える必要があるだろうなと思っています。
それから、特例制度の柔軟化によってもたらされる時数、学年等の自由度というのがあるわけで、ただこれが当初意図されたのとは異なる方向に、あるいは反する目的や学力論で使われるという危険性は常につきまとってきます。つまり裁量を拡大するということは、あらぬ実践や思惑が実現されるリスクを負うということですね。この辺がとても悩ましいところで、過度に恐れて縛りをかけていくのは、あまり好ましくないだろうとも思います。
でもそこで考えるべきは、実際に自由度を上げた場合にそういった動向、望ましくない動向がどの程度の規模で起こるのか、あるいはどんな手だてを講じていけば一定程度防げるのかということを考えて、可能な限り裁量を拡大したほうがいいんだろうと思っています。
それから特例制度を柔軟化した場合、その運用主体はどうかというのも大問題です。基本的に学校なんだろうと。だって教育課程の編成権は学校にありますから。あるいは教育委員会というのはどう関わるのか。あるいは学校の主体性とは無関係にこれが運用されるというような事態が、何らかの動きの中で生じた場合、むしろ実践の質の低下、混乱が生じるリスクがあると思いますけれども、これをどう考えるかということです。
それから、石井委員のお話にあったことですが、ビッグアイデア、主要な概念など、本当に感得させるべきものが実現されれば、そのために用いる個々の指導事項、その取扱いについては細かく規定しない、石井委員の言い方をすれば、内容項目は入替え可能とするというのは、一つの考え方だろうと思います。
ただそれが実現すれば、実は時数や学年配当を大幅に弾力化しなくても、ひょっとしたらいいかもしれないと、個人的には考えています。つまり、時数や学年のような形式的な問題と内容に関わるような問題というのは、相互作用的なので、個に応じた指導などを十全・闊達に実現できるだけの裁量の拡大ということから、総合的に検討されればいいんじゃないのかなと思っています。
それから、授業時数、単位授業時間の取扱い。国際的に見て日本はここの規定がとても細かくて厳密だということは、いつも言われることですけれども、もちろんそれがいい面もあるわけですが、そのメリットとデメリット、それを現場に委ねることを考えたら、それがどんなことなのかということを議論する必要があるだろうと。
あるいは、これは附属学校ではありますけれども、福岡教育大学附属福岡小学校は研究開発で、この時数の検討ということを全面的にかつてやりましたけど、教科等によって削減、調整できる時数の割合に大きな違いが認められるということが確認されていますし、現行時数から一定の時数を削減してカリキュラムや授業を実施しても、学習や学力に懸念がなかったということが報告されています。こういったことも含めて議論する。
時数というのは積算根拠があるのかという話があって、まあ、どう考えるんだろう。あるんだろうか。積算するようなものじゃないのかもしれませんけど、時数の根拠というのは一体どこなのかということは、改めて本格的に考えると、本当に難しい問題だと思います。
それから、学校現場における指導の在り方に強い影響力を持つものとして、先ほどもありましたし、この後も議論になりますが、やっぱり教科書の存在というのがあります。教科書における発展的内容の分量等が、例えば当初意図した成果が得られているかどうかといった確認も、ひょっとしたら必要なのかもしれません。
それから、単位授業時間というのは既に総則において固定されていないんですね。これは誤解がありますけど、45分とか50分というのは、実は書かれていないんです。あるいは目黒区の研究開発でありますけど、40分授業でやっても十分やれるという結果が得られていますし、そこで捻出された時数を各学校が独自なカリキュラムの展開に用いることで、成果を上げているといったこともあります。この辺をどう考えるかです。
ただ問題は、学校教育法施行規則の別表第1は、小学校は45分、50分を単位授業時間と見た場合の時数になっていますから、その影響には大きなものがあるんだろうなと、この辺どう考えるかということです。
それから、結果的に学びに要した時間に個人差が生じるということが、個に応じた指導をやっていくとあります。これは習得主義の立場から見れば、まあ、別に構わないという話になるんでしょうけれども、ある個人を見れば、想定した時数をやっていないということはあるんです。もっとも、これは合科的・関連的な指導でもあって、合科的・関連的な指導というのは、複数の教科等を合わせて指導するわけですから、その中で個々の子供の学びを見ると、もともとの時数ではない学びをしている可能性もあって、この辺をどのぐらい厳密に見ていくかということだろうと思います。
それから最後に、こういった個に応じた指導の充実を図っても、なお包摂できない子供の存在をどう考えるか。その多様性というのがある。今それについては、学びの多様化学校など、様々な取組が展開されていて、その拡充が求められている。
その一方でこういったことをどんどん広げていくと、思いがけない副作用として、もうそういう子については、学校以外の場所でやってもらえばいいんじゃないかという安易な風潮が拡大することが、ちょっと怖いなと思っております。つまり学校における多様性への対応の充実と逆に向かう可能性がある。その意味で、学びの多様化学校等の位置づけは、いろんなお取組があっていいと思いますし、もう絶対大事だと思いますけど、中長期的にどう考えるのかということを議論しないといけないんだろうなと思います。
一方で、いろんな取組の中で不登校ゼロなど、全ての子供の包摂に成功した事例も、学校レベルでは実はあります。つまり現状において包摂できない子供は、もうその子にとって回復不可能な問題があると考えるのか、いや、まだまだ方途はあると考えるのか、この辺の議論が大事だろうと思うんです。無限定に努力を求めるのは無理ですけれども、子供に問題があるという見方をどうもしがちで、この辺りはやっぱり考える必要があるんだろうなと思います。
すみません、以上です。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
それでは続きまして、私のほうから教科書に関わってということで発言したいと思います。よろしくお願いいたします。
失礼いたします。「教科書・教材の在り方について」ということでありますけれども、教育課程の質と量の問題ということと教科書の在り方というのは、ある意味で直結するというふうに捉えております。
一方において学習指導要領につきましては、平成20年の改訂以来、言うならばコンピテンシー・ベースということですけれども、それにつきましても、目標の提示ということと、内容に関わっての明示、そういう組立てというのは、コンテンツからコンピテンシーへの転換というんでしょうか、そういうことにおいても依然としてそれを抱えている。こういう捉え方ができるんじゃないかと思うんですけれども、この辺りのところを捉えるに当たって、実は教科書というのが格好の素材というんでしょうか、そういう位置づけになっていくんではないかというふうに思うわけであります。
その一方において、先ほどの事務局からの資料提供にもありましたけれども、補充的、発展的な学習の充実ということが取り上げられて以来、教科書につきましては、量的な増加ということが顕著であります。それに質的なものが伴うかどうかというのは、また議論が分かれるところかもしれませんけど、明らかに量的な増加ということがあるかと思うんですが、この量の扱いと質の向上をどういうふうに図っていくのかというのは、歴代改訂の時期になりますと、常にテーマであり続けているんじゃないかと思っております。
いずれにしましても、学習指導要領の目標と教科書を捉えて、両者の在り方を検討していく、そういうことにおきまして、主にここにありますように、3つ発言を申し上げたいというふうに思います。
まずは、教科書は、学習指導要領の目標が達成されるようにつくられている。教科書は、年間の授業時数で指導できるように単元配列や単元にかける時数に配慮してつくられている。教科書は、学習指導要領の狙いを踏まえた授業に最も適した主たる教材である。
ここにいらっしゃる方々、関係の方々も、ごく当然というんでしょうか、こういう捉え方かと思うんですけれども、一方においてはこれが全て、疑問符というんでしょうか、問いかけのテーマにつくられているのかどうなのか、配慮されているのかどうなのか、最も適したそれであるのかどうなのかと、一つ一つが問いかけのテーマということになるかと思います。それを追求していく、深めていくこと自体が、次の教科書の在り方を探っていく、そういうことになっていくんではないかというふうに思っております。
それで、もうこれも御承知のとおりでありますけれども、教科書の在り方ということについては、学習指導要領の基本的な方向性を明示する中教審の答申、かつては教科書の答申でしたけれども、そういうところにあるわけです。
この間の、また検定審のそこにつきましても、それに沿ってその方向性が提示されるということであるわけですけれども、先ほど来申し上げていますように、現在の教科書の在り方というのは、やはり発展的な学習、それに関わってということが一つの大きな転換点になってきた、こういうことは言えるのかなというふうに思っております。
その上で、現行の学習指導要領の下では、主体的・対話的で深い学びを教科書においてどう実現していくのか、こういうことでありますし、また、学習者にとってのより学びやすい教科書の在り方についてが検討されているということです。
それぞれについてのということは御覧のとおりですけれども、そういう中で、このたびの学習指導要領の改訂に伴う教科書というのは、既に御説明がありましたけど、主体的・対話的で深い学び視点から、何を学ぶか、どのように学ぶか、何ができるようになるかを重視した指導が求められたことを踏まえて、編集が工夫されているということは、もう御承知のとおりであります。
その姿形というのが、そこにありますように、4点挙げてあります。この主体的・対話的で深い学びということを、教科書の紙面においてどう可視化していくのかというようなことについての工夫というんでしょうか。
その一つが、例えばキャラクター。生活科あたりのところから特徴的に登場する、それでありますけれども、キャラクターから、さらに昨今欄外に注釈ですとか、見方・考え方を記して、授業のそれにヒントを与えていくというような、こういう工夫。
それから3つ目としては、オリエンテーション紙面の工夫ということで、学習の進め方ですとか、教科書の使い方など、巻頭のオリエンテーション紙面の工夫ということですけれども、かつての教科書の最初開いたところにつきましては、目次ですとか、そういうのが一般的であったわけですが、この辺りも、今オリエンテーション紙面の工夫と、こういうことで、大きくモデルチェンジしているという言い方もできるかと思います。
さらにその上で、そこにあります4つ目ということですが、二次元コードが掲載されるということであります。この使い方等については、またいろいろとあるかと思うんですけれども、デジタル教科書との関わり等ということも、デジタル化への対応ということも、それであります。
そこで、ここで1つ御紹介させていただきたいのが、公益財団法人の教科書研究センターというところで、御覧のとおり、「授業における教科書の使い方に関する調査研究」ということについて、この1月に発表がありました。
そこでは、教科書の使用の実態ですとか、それを使用されている先生方の教科書に対する認識ですとか、そういうことについて、あるいは実際にどんな使い方をしているのかということを、御覧のような国語以下、それぞれの教科ごとに応じて、それを明らかにしていく、情報を集めていくということでありますけれども、それに関わった、中心的には教科教育の研究者ですとか、あるいはそれぞれの現場で授業をなさっている実践家の方ですとか、それに加えて、教科書の編集をされているお立場の方が加わる、こういうことでそこに進められたわけですけれども、このプロジェクトを進めるに当たっての問題意識の一つとしては、教科書の編集者の立場からの問題意識というんでしょうか、要するに、御自身が編集している教科書が、なかなか現場で使用されている先生方に、その意図とか意思が十分伝わり切れていない、そういう思いというんでしょうか、その辺りのところということも、このプロジェクトを立ち上げた一つの問題意識としてそこにあったということを捉えていきたいと思います。
それと実際には、それぞれ教科書を捉え、その報告書についてのそれぞれ抜き書きがありましたけれども、時間の関係等でそのところは少し省略させていただいて、そういうことで、教科書に関わってそれらのところの特徴的な動き等から、一、二捉えさせていただきますと、教科書を開かせて、そして閉じさせて、そして開かせる、開いて使う、こういう使い方が、そこで一つ報告されていたということなんですけれども、私の捉え方からしますと、これは授業における一つの典型的な使い方――典型的と言うべきなのかどうかあれですけど、特徴的な使い方の一つとして、授業者の中ではこういう御判断をされて使われているということであります。
実はこの閉じさせてというところに、一つの深い理解ですとか、資質・能力の育成ですとかということとの関わりがよくあって、その授業者ではそれがつながらないという判断をされる方がそういう行動をしているということが一つあるのかもしれませんですし、片や、そこのところをまだ使いこなせないというべきなんでしょうかという、両方のところからあるということかと思うんですけれども、改めて今回の思考力・判断力・表現力の育成という下において、その思考の過程、問題解決の過程ですとか、思考を深める、そういうことにおいて、教科書というのはどんな形で寄与しているのかということで、場合によってはその教科書が、児童生徒の思考を広める場合もあれば、狭めてしまうというんでしょうか、この辺のところについての分析ということが、今後課題としてあるんではないかということが1つであります。
もう一方において教科書の使い方というのが、その教科に精通している方ではなくて、比較的若い、いわゆるこれから力をつけていかれるような、そういう方を暗黙の前提にして教科書を編集、それを編むということが言われているわけであって、そこにありますように、若手の教師やその指導力が十分でない教師を前提に教科書をつくられている。
ですから、その教科書をなぞるようにして使えば、一定の教科指導、それが担保される、そういうことなんですけれども、その辺りのところというのが、もう少し突き詰めていく必要のある課題の一つかもしれないということと、一方においてはそういう存在とすると、教科書を使わないということが指導力として培われてきたというような、何かそういう教科書の使い方的な扱い方というところで、言うならば、教師の指導力の育成ということにとっての教科書の在り方ということです。
教科書を使うことによって指導力がついていくとか、教科書のベテランになるがゆえの使い方とか、そういう教師の資質・能力の成長というんでしょうか、育成ということと、教科書の在り方、そういうことについての課題があるんではないでしょうかということであります。
先ほど御紹介した、それに関わってということでコメントもつけさせていただきましたけれども、改めてそういうところからして、教科書を見詰めていくポイント、課題ということで、4点挙げてあります。
既にもうこれまで言われていることでもあるかと思うんですけれども、1つ目は、個別のニーズにどう対応する教科書であり得るかということと、それから、1つは大体、先ほど石井先生のでありましたけれども、1単位時間というものをどう乗り切っていくか、設計するかということで、教科書の編集、組立てがなされているのは一般的かというふうに思いますけれども、その授業の単位時間の弾力的な運用にどう向き合っていくのかということであります。
そして3つ目としては、今もありました思考力・判断力・表現力等、そういうことを育成することにおいての教科書の在り方については、今回の改訂そのものがそことしっかりとつながっているというか、結び合っているということで、このことへの教科書の探求の在り方は、さらなる探求が必要なんじゃないかということであります。
さらに4つ目でありますけれども、これがデジタル対応と関わってきてということで、よりそのありようが問われているかと思うんですけれども、1人1台の端末によって、御覧のとおり、様々な学習材に学習者自身がアクセスできる、そういう環境の変化というんでしょうか、こういう中にあって、改めて教科書の存在とか、あるいはそこにおける盛り込むべき中身等ということでありますし、改めてその中で、先ほど来申し上げている発展的な内容の扱いということで、ここの辺りのところを課題を区分けしながら、次の在り方を加えていく必要があるんじゃないかということであります。
それから、先ほども申し上げたことの一つですけれども、制度があっての現状であるわけですが、その中にあって、改めて実は教科書をつくる立場と使う立場というのは、すごく距離感があるような、そういう状況に今なっているのが現状であって、両者の往還が現実にはなかなか担保し切れないような、そういう現状があるわけですけれども、そういう点では、授業者と教科書をつくられる立場の人のコミュニケーションの確保ということも、また一つの課題という言い方になるんではないかというふうに思います。
1点目については以上ということですけれども、2点目についてでありますが、教科書以外の教材の在り方、もう1回教科書も含めて、その豊かさと質の担保ということですけれども、もう改めてその教科書以外の教材ということについては、ここに記しましたが、言われているとおりでございます。
その中にあって、これを担保するための課題として幾つか挙げられているということも、御覧のとおりでありますけれども、例えば、教科書の場合には公的な措置がありますが、それ以外についての教育予算の在り方、自治体におけるいろいろなとか、保護者への負担とか、そういうものと、こういう観点もあるかと思うんですけれども、この中で、とりわけ2つ目の教材の作成に関わる教師の在り方ですが、ここは自作のワークシート、そういうことなんですけれども、先生方は非常にワークシートをおつくりになることが、とても何というんでしょうかということで、先ほどの授業の準備の在り方ですとか、負担の在り方ということですけれども、ワークシートの作成と、それを活用して授業をなさるという、ある意味で言うと、まさにその授業のお立場の方にとっては、御自身の創意工夫の一つの象徴的な姿ということも言えなくはないんですが、改めてその質とか量の観点から見たときにどう捉えていったらいいのかということと、加えて、市販の教材とか副読本ですとか、こういうものの扱いというんでしょうか、あるいはその中には、とりわけ市販のテストというものの存在というのはあるわけですけれども、この辺りのところというのが、学習指導要領のありようとかを全体を見たときに、うまくフィットしているのかどうなのかあたりのところを見たときに、いろんな課題を抱えているのが、またこの一つではないかと思うわけですが、こういう形のときに必要とする議論を深めていくのに、教材の作成に関わる教師の在り方、あるいはそれに関わる様々な関係の方々の在り方についてということで申し上げさせていただきました。
その上で、この件のことなんですけれども、年来、施設を中心にしたお立場の方から、この学びの空間を豊かにするということで、いろんな取組、提言があります。片や今ここで取り上げています教科書を中心とした、いろいろな教材の工夫、開発ということも、連綿として続けられているんですけれども、どうもこの両者がうまく1つの世界になり切っていないというんでしょうか、学びの空間を豊かにするということ、このところをどういう形で。まさに豊かさとか質の担保というところから捉えていくのかということであって、そこに改めて教材の在り方ですとか教具の在り方、あるいは家具の範疇ということも一つじゃないかと思います。
そういう点で最後になります、3つ目のところなんですけれども、教材のカリキュラム・マネジメントということでありますが、秋田委員が以前エコシステムについても御紹介したということが私の記憶に残っているんですけれども、その発想とか考え方というんでしょうか、要するにそこにあるのが、教育課程、そこにということよりも、それを取り巻くもろもろの要素というんでしょうか、これを互いにつなぎながら、全体としてその空間を出現させていく、こういう視点というのは、いみじくも今回カリキュラム・マネジメントのいわゆる3つ目の側面というんでしょうか、そのところと通底するところがあるんではないかと、そういう捉え方をしております。
要するにもろもろの資源というものを、ある意味ではつなぎながら、より効果のあるものとしてつないでいく、こういう視点の考え方というのを、教科書と教材ということで挙げられていくものと思っております。そういう意味では、さしずめ学校の校内においては、学習指導要領の存在、教科書の存在、それから各教科等の指導計画、そして教育課程、授業、この相互の関係を一体として捉えていく、そういう視点とか捉え方とか発想ということを改めて捉えていく。
私は今回のカリキュラム・マネジメントというのが、それについての一つの提起だという捉え方をしているわけですけれども、その辺りのところの記述というのは、従来、教材の整備の観点とか、そういうものが指導要領でそれぞれ記されているわけですが、この辺りは改めて総則において整理するという形の示し方というのも、また検討していい点かなというふうに思っております。
なお、最後に参考資料ということですけれども、先ほど御紹介した教科書の使い方ということなんですが、これに関わっては、教員の養成ですとか、教員研修におけるこの種の在り方についての一つの取組で、こんなものが開発されたということで、これは御紹介までということで報告をさせていただきます。
ということで、私のほうからの発表については以上ということにさせていただきますけれども、今の奈須委員、そして私の発表、さらには先ほどの石井委員からの発表というのも、関連する部分が多分あるかと思うんですが、限られた時間ですけれども、委員の方からの御発言をお願いできればと思います。よろしくお願いいたします。
どなたか御発言等ありますでしょうか。高橋先生、戸ヶ﨑先生の順にお願いしたいというふうに思います。
【高橋委員】 ありがとうございました。奈須先生、天笠先生のお話を受けまして、少し私が感じることをコメントさせていただきたいなというふうに思います。ありがとうございました。
やはりこのデジタル学習基盤が何たるかという定義は、いろいろ考えていく必要があると思いますが、奈須委員がおっしゃった、ファイル・ベースなのか、クラウド・ベースなのかということは、本当に思想と奈須委員がおっしゃいましたけど、大きな違いがあるなというふうに思っております。基本的にファイル・ベースというのは、紙ベースの仕事の仕方や学習の仕方と、ほとんど相似形というか、同じと感じております。本質的なクラウドというのはURLとスクリーンで進めていくということだと思います。
実際にそういう仕事の仕方や学び方をしていると、いかに必要な情報を得たり、いかにそれを保存したりするかという、業務というか、学び方にあまり本質的じゃないことに、非常に時間を取っていたんだなというふうに考えております。その結果、学べる量もできる仕事の量も単位時間で相当増えていますし、業務や学びに集中できるということにもものすごく差があると思います。
これは思想というふうに御説明があったとおり、実際にやっていない方はなかなか分かりにくくて、例えばこういう言い方も何ですけど、文部科学省もやっぱりファイル・ベース、印刷ベースで仕事をされていると思いますので、この辺りのところ、一部のGIGAスクール構想の指定校では、そういうファイル・ベースからクラウド・ベースに本質的に移って、大分業務が変わっているということで、このことを、指導要領等を考えていく上でどういうふうに捉えていくのかということを感じているところであります。
これが1つと、デジタル教科書に関係することで、私、コメントさせていただきますと、紙の教科書もそうなんですけれども、教科書が厚くなっているというふうには言いますが、本質的に何か大きな変化があったというよりは、これまでの紙面にいかに情報を付加して分かりやすくしていくかということが大きいかなと思います。
特にデジタル教科書については、検定を受けた教科書をより分かりやすく教えやすくするために、いろいろなコンテンツを追加したり、表現形式を少し調整したりしているというふうに思います。そうなってくると、もともとの教科書は新指導要領に、新指導要領というのは今の指導要領のことですけれど、どのように対応していくのかということを、僕はしっかり調べていく必要があるというふうに思っております。
少し私のところの卒論生が、谷口さんというんですけれども、調べてくれたことを披露させていただくと、まず学習指導要領の旧と現行を比較すると、旧の指導要領に書かれている内容は、現行の指導要領の知識・技能のところにほぼ書き写されている傾向が強いと。指導要領は何が厚くなりましたかというと、ほぼ思考・判断・表現力に関する記述が増えていると。もちろん前置きみたいな部分がものすごく増えているということはあるんですけれども、各内容領域に関わるところで言えば、思考・判断・表現力に関する記述が書き下ろしになっているということを感じています。
したがいまして、教科書の新旧、新学習指導要領、今の指導要領と、前の指導要領に対応している教科書の記述の差分を見ていくと、つまりはそういう思考・判断・表現力に対応した表現が、教科書記述上何が増えているのかということが分かるかなと思って、私どもの研究室で調べました。問題文とか説明文、まとめ、定義、吹き出し、そういったところで新旧教科書計10冊を調べていくと、やはり教科書の内容の記述数は大幅に増えています。二、三割は増えております。
そのときに、じゃ、問題文や説明文が増えているのか、定義やまとめが増えているのか、天笠先生がおっしゃった吹き出しというか、天笠先生はキャラクターとおっしゃっていましたけど、何が増えていたかと、そういう内容で見ていきますと、吹き出しが圧倒的に増えています。まとめや定義、説明文とかはほぼ変わっていません。実際に紙面を見ますと、本当に新旧の教科書で、吹き出しが少し1個増えただけみたいな紙面が結構存在します。実際の場面で見ていくと。これは私も見て衝撃的で、全部を見たわけじゃないんですけど、一部そういう表現がまずあったということです。
そうすると、指導要領が厚くなって教科書が厚くなったけど、本文をそのまま教えるだけであれば、授業は全然何も変わっていないわけです。吹き出しとかキャラクターを無視して指導すれば、何も変わらない指導が行われているわけで、実は教科書が厚くなって指導要領が厚くなったと言っているけれども、指導法まで、指導が変わっているかどうかは非常に怪しいと。
したがって、吹き出しが僕はキーになるんだというふうに思いますけど、吹き出しを丁寧に見ていくと、学習過程について指示しているというか、吹き出しでコメントしているものとか、見方・考え方に対してコメントしているものとか、幾つかあるんですけど、吹き出しそのものも本当に不安定で、非常に質の高いものからそうでないものまでありますし、あるいは吹き出しが非常によかったとしても、教科書自体は結構情報不足で、その吹き出しを満たすような学習をし切れないようなことであったり、逆にガイドし過ぎな吹き出し、作業手順みたいなものが書かれているものがあります。なかなかこの思考・判断・表現力を育成するようなことを教科書紙面で記述しようと思ったときに、じゃ、どうするのかというふうに考えていくと、あまりにもガイドし過ぎれば、単なる知識・技能の伝達になりますし、かといって吹き出しばかり、吹き出しを示すだけでは、実際には指導はされないというか、無視される傾向も、多分かなり強く見られると。だからかなり概念的な記述が求められているとはいえ、実際の記述は相当難しいというふうに思っています。
我々は、今GIGAスクール構想でその特性を理解した上で、まず吹き出しについて着目して、吹き出しをもっと大きく膨らませて指導していくんだと。GIGAの端末にある豊富な情報をそういうふうに使っていくんだみたいなことをやっていますが、それとて相当難しくて、今チャレンジしているところになります。そういった意味で、指導要領から教科書まで、一つ流れの中で見ていかないと、どこに課題があるのかというのは分かりにくいかなというふうに思っているところです。
私からは以上です。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
続きまして、戸ヶ崎委員にお願いしたいと思うんですけれども、その次に、秋田委員、お願いしたいと思います。戸ヶ崎委員、お願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】 お二人の御発表も大変共感することばかりでした。先ほどしゃべり過ぎましたので時間もないので、質問というよりも意見と感想を申し上げます。
【天笠座長】 よろしくお願いいたします。どうぞ発言を続けてください。
【戸ヶ﨑委員】 まず、奈須先生の御発表についてです。1ページに、「指導要領は細かく書けば書くほど、質の担保につながる可能性がある一方で、裁量の余地は狭まる」とありますけれども、先ほどもありましたように、裁量が狭まっていくというのはもうまさにそのとおりだと思います。しかし、質の担保については、精緻に書いて指導要領の質が上がったとしても、授業の質が上がるとは限りません。学校現場に下りていった際に肝心な趣旨等が薄まってしまって、趣旨の理解に至らない可能性が高いのではないかと思います。
それから、3ページの教育方法に係る記述の領域固有性のところについて、「デジタル学習基盤についても、領域の固有性があるならば、――、原理的理解を伴わない手順化をもたらす危険性も危惧される」とありますが、この点も強く共感するところであります。
とにかく教育方法の記載は厳しい言い方をすれば、教師の教材観や指導観といった教科等の本質を見抜いていく芽や、そもそも学校現場が持つ創意工夫の芽を摘み取ってしまう危険性もあると思っています。
それから、5ページから6ページの様々な特例制度の柔軟化の可能性のところですけれども、ここも全く同感いたします。そもそも特例制度の研究開発学校の実践成果等は、なかなか生かされていない気がします。その背景というのは、研究開発校の実践をまねていくには、何だかんだ縛りや障壁があるはずで、そんなことに関心を持つならば、「右へ倣えをしておいたほうが安心」だという意識が現場には強いのだろうと思われます。
また授業時数ですとか単位授業時間の取扱いについてもまさに仰るとおりで、単位授業時間や授業時数の示し方は大変難しい問題ですが、そろそろ本腰を入れて、学校のカリキュラム・マネジメント力を高めるためのトリガーとして、時数の根拠と共に、手をつけていく必要があるんではないかなと感じました。
続いて天笠先生の御発表についてです。ここはお話を聞きながら、新しい酒は新しい革袋にという言葉を想起いたしました。資質・能力を重視した学習指導要領という新しい酒を生かすためには、革袋たるその教材、学習環境もセットで見直しを考えるべきだと、そういうふうに受け止めました。教材の在り方を問い直すという観点から、この先ほどのスライドの25を中心にして、短く3点だけ述べます。
1点目は、この25ページの3つ目にある、学習者の学びを支える教科書の在り方についてで、思考力、判断力を基軸にして知識・技能を実生活に生きて働く確かなものにするという観点から、本質的な問いを軸にして主たる教材である教科書の構成を見直すことは、教科を学ぶ本質に迫るこれからの授業づくりを考える上で極めて重要だろうと考えています。教科書づくりは、教科研究の累積や学習科学の知見も非常に重要だろうと思っております。
26ページにあるように、実践に裏打ちされた教科教育、臨床研究を集積した教育心理学など関係者が徹底的に対話して、主たる教材の在り方について議論することも必要と感じました。
2点目は、4つ目の学習材としての教科書と副教材の在り方について、発展的な教材を教科書以外に持っていくことには大いに賛成をいたします。発展教材とは、本来子供たちの学びの深まりや広がりに応じて多様に存在し得るものだろうと考えます。一例を挙げると、教習所の中での走行から路上教習に出るのと全く同じで、教科書で本質的なことをしっかり学びつつ、時には副教材の世界で実践の腕を磨いていくという学びも重要です。
その際乗り越えていくべきが、29ページにある教材の質と量の担保、経済的な負担に向き合うという、ロジスティックスをどう整えるかという極めて重要な論点だと思っています。クラウド環境を生かしたデジタル教材の在り方も、セットで考えていく必要があると思います。
最後の3点目は、24ページの教師の力量形成を促す教科書の重要性についてです。最近現場では、教科書をなぞるだけの授業が散見されているところであります。若手教師を思いやるあまりに、転ばぬ先の杖が何本もあるような、お膳立てだらけの教材というのも大変危惧しています。多少粗削りで、子供や教師の工夫の余地や隙があるほうが、教材を介した対話の中で子供も教師も力をつけていくと思います。
学習指導要領に基づくことは大事ですが、大切なことは、教科書の記載内容に教師の魂、「師魂」を込めるとともに、記載のない内容や行間も適切に指導できることだろうと思っております。この点を含めて教科書の在り方を考えていく必要もあるのかなと思っております。
以上3点述べましたけれども、本質的な問いを軸にして、子供も教師もわくわくしながら学びを深めることができる教科書をどう作るか、そして子供が学びを深めた時にアクセスする副教材の質と量をどう担保していくのか。これらが次の学習指導要領の成否を分けるのではないかなと思っているところです。
以上です。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
委員の方からの御発言を続けさせていただきたいと思います。現在、秋田委員、貞広委員、冨士原委員から、それぞれ御発言の手が挙がっております。申し上げた順にということでお願いしたいと思うんですけれども、限られた時間からすると、およそ今挙げた3人の方ぐらいになるかなと思っております。それでは、秋田委員、冨士原委員、貞広委員という順で、秋田委員、お願いいたします。
【秋田座長代理】 ありがとうございます。お二人の先生方のお話にうなずきながら、これからの時代、先ほど奈須委員が言われた環境を通しての教育という、その環境が、例えば小中高でもGIGA端末が入ることによって、やはり黒板と鉛筆と教科書の時代から、様々な学びの広げ方とか、その学びの空間の在り方というものが、大きく変わってきているというふうに思います。
そうした中で、学習指導要領の中で、どこまで各教科の中で方法的なことを書くのかというよりは、むしろ総則的なところに方法は収め、そして先ほどのお話にもありました内容の取扱い等はあったとしても、その中の解説の在り方、あれがかなり細かくなっていると思うんです。やはりそこをもう少し要は何なのかということを書いて考えていくという形で、方法のところの裁量をより学校や教師に委ねていくというようなことが、やはり教師の自律性を考えていく、それから子供の多様性に応じるということでも重要になるのではないかと思います。個別最適な学びという子供の側の学び――協働的な学びもそうですが――の視点から考えていくという発想を貫いていくことが重要だと思います。
そのときにやっぱりネックになるのが、教科書はまだ学習指導要領を意識していますが、中学校の先生とお話しすると、結局趣旨は分かっているんだ、深い学びをしたいんだけど、結局最後のテストは業者テストを使う。そしてそこに対応しようと思うといろんなことを考えなければいけないというようなことを言われます。、それから教師用の指導書がやはり親切に、先ほど戸ヶ崎委員が言われたようなところがあって、そうした学習指導要領そのものよりも、それに付随して教師や生徒を取り巻く環境の側の教材というか、環境が、やはり制約をかけている部分があるのではないかと思います。
この辺りを今後議論していくことが必要だろうと思います。先ほどありました特例制度などで、学びの時間と空間というのを、一斉の同期型のこれまでの限られた教室で教師が指導していくものから、できるだけ多様な形で、その単元の中であったとしても、先生たちが自分でデザインし、教材も教科書を使いながらも発展的なところで、多様な形の教材にアクセスできるようにしていくというような方向が重要なのではないかと、私も考えるところであります。
特にその中で、天笠先生が話されました教科書とそれから副読本以外の問題で、デジタルも重要なんですけれども、日本には学校に学校図書館というところがありまして、そこには書籍もあれば電子書籍もあって、発展的に子供がもっと探究したりとか、うまく活用していくようなものが準備されているわけです。しかし、これが都道府県で地財措置によって、財源にかなりの大きな違いがあったりします。
これからやはりそうした学校の空間全体を学び舎として環境として考えたときに、どのように学校の学習の学習材というものを捉えていくのか、そのエコシステムというお話をいただきましたけれど、教科書と同時に子供がそれも自分のペースで使えるような在り方とか、より深く学ぶための教材のリソースを豊かにしていくことで、発展的な子も自分に合わせた形の資料を用意するなどの形で、排除しない、多様な学習じゃなくて、公立の公共の学校、公教育の中で、学習環境を豊かにしていくというような方向を書き込むと同時に、学習指導要領の中でも教科書と教材となっているところを、もっと学習材や学習環境というものに触れて書き込んでいくことが、これからやはり学習者中心の要領というものを考えていく上では重要なところになるのではないだろうかというふうに、私自身は考えるところになります。
以上です。
【天笠座長】 どうもありがとうございました。
それでは、続きまして、冨士原委員、お願いいたします。
【冨士原委員】 私もあまり長くならないようにと思います。思いますが、私自身が教師と教科書の関係、特に日本における歴史的な背景を研究しているため日本において教科書はすごくポリティクス的に特別な存在で、唐沢富太郎さんという人が教科書研究の泰斗ですけど、1958年に、教科書が日本人をつくると。やっぱり日本にとって教科書ってそういう存在なんだなと。
その評価についてはここでは問題にいたしませんが、日本においてやはり教科書がなぜ特殊なのかなと考えると、特に現在に下ってさらに見ればということで、教科書が誰のためのものかというと、天笠先生のスライドの29ページにもありましたけど、子供の学習材になっている。
教師の教材を束ねたものではなくて、子供の学習材にもなっていて、例えば小学校では子供が直接書き込んで回答したりとかできるようになっていて、その善し悪しを問うということはここではいたしませんけれども、とにかく子供の学習材になっていると。それだと教師としては、それを全部終えなければ学習指導要領に書いてある内容を終えられないのだという、やはり学習材という側面をすごく日本は大事にしてきて、それゆえに今のような、総じて日本の子供たちの学力は高いですけれども、それによりどんどん手厚くなっているのかなというふうには思います。
教師の教材集だというよりも、子供の学習材としての教科書という意味合いが強いので、やはり先生方は教科書を全部終えなきゃいけない。厚くなる教科書になればなるほど、その善し悪しは別として、こなしてゆかねばならない、そういう雰囲気が出てくるのかなとは思います。
そういう意味では、石井先生の御発表の中で、指導要領の目標・内容自体が過密とは言えないと言っていまして、私もそのとおりですし、現場の先生も恐らくそう考えていると思うんですけど、教科書が過密になっている。石井先生が、キーワードがちりばめられ過ぎているんじゃないかとおっしゃいましたけど、インフォメーションがちょっと多過ぎるということは一つ問題で、子供がそれを何でも受け止めなければいいんでしょうけれども、教師がそれを深刻に受け止めてしまうという問題点が一つあるんじゃないかと思っています。
それともう1点だけ、すみません、奈須先生の発表で、教科の時数の積算根拠のお話をされましたけど、私も実はこれにすごく関心を持ったときがあって、教科の時数ってどういうふうにつくられているんだろうと考えたときに、例えば石井先生の言葉で言えばビッグアイデアという言葉だとすれば、この教科のビッグアイデアを学ぶには何時間必要だと、そういう発想で全くつくられてないというか、そういう形跡が見られませんでした。あったのかもしれませんけど、私が調べ切れなくて。
学校に子供たちが何日行くか、そのためには教科は大体こんな時数を割り当てようという、やっぱり学校に通う日数、時数で決められていて、それによって決められた時数を基に教科書会社は単元をつくっていくので、本当に教科でこの時間が必要なのかという議論がこれまでなされてこなかったんじゃないかという。ここは難しいところで、もちろん学校に永久に子供が毎日来続けるわけにもいきませんし。
何を学ぶのに何時間必要かということは、例えばそのビッグアイデアみたいなものを基に考えていく必要ってやっぱりあるんじゃないかなと、先生方のお話を聞いていて思いました。
以上です。すみません、長くなりました。
【天笠座長】 ということで、残り時間がもう少なくなりましたけど、恐れ入ります、よろしくお願いいたします。
【貞広委員】 貞広です。ありがとうございます。時計とにらめっこして。奈須先生からお話をいただいた裁量性のことと、天笠先生から御提案いただいた学習空間のことについて、それぞれ1点ずつ、コメントというか、意見を申し上げたいと思います。
裁量性の点ですけれども、私も自律的裁量という専門性の発揮は非常に重要な観点だと思っています。石井先生の御発表の中に、カリキュラム・オーバーロードとワーク・オーバーロードは別物である。また、ただし戸ヶ崎先生がおっしゃっていたように、それは連動していかなければいけないというお話でしたけれども、私は連動性だけではなくて、この2つには通底する共通性もあると思っていまして、それは恐らくオートノミーとフレキシビリティー、自律的な専門性の発揮がいかにできるかということだと思います。
イギリスのワークロード改革は、オートノミーとフレキシビリティーが上がれば教員のメンタルヘルスが上がるという観点から、オートノミーとフレキシビリティーを高めていくということ。こういう専門性の発揮というのは、つとに、やはり教員の専門性の本丸であるカリキュラム・授業づくりでこそ発揮される余地をつくっていくべきだというふうに考えます。もちろん奈須先生が大変御心配されている、想定しない方向でのハレーションをいかに是正しながらという前提になります。
もう一つの学習空間の点です。私も新しい教育には、この学習空間って本当に必要だと思っているんですけれども、現時点での学習空間は、これも奈須先生の御報告を借りるならば、情報技術パラダイムではなく、明治の時代の口頭継承パラダイムの魔の学習空間で子供たちが新しい学びをしなさい、先生も新しい学びをつくりなさいというふうに言われています。教室のしつらえが子供たちの学びを非常に左右するというのは、特色のある教育の幾つかが、家具の作り方から非常に気を配って教室空間をつくるということからも推察されるところです。
教科書とか教育内容、そこに張りつく時間とか、そういう条件よりも、学習空間というのは、政策的にはどうしても後回しに置かれることがあろうかと思いますけれども、ぜひ余裕があればこの辺りもやはり目配りをしていくことによって、先生方の新しい授業づくりを支援していただければと思っています。
ただし、条件整備の中で言うと、私は何よりも大事だなと今日思ったのは、これは石井先生の御報告のところでも、ちょっと後で休み時間にお話をしていたんですけれども、新しい学びの在り方を学習指導要領から翻訳する力のある指導主事の育成と配置が恐らく喫緊の課題であろうということも、併せて申し上げたいと思います。
時間のないところありがとうございました。
【天笠座長】 ということで、今日は委員からの意見、御発言はここまでということにさせていただきたいと思います。
今回、私は教科書について先ほど発表させていただきましたけれども、学習指導要領を変えていくことが、いかに教科書まで届くかどうかということ、そういう視野で捉えていくことの取組というんでしょうか、課題というのはあるのかなと、改めて認識した次第であります。
ということで終了となりましたので、本日の議事は以上、ここまでということにさせていただきたいというふうに思います。
次回以降の日程につきましては、また事務局と相談の上、御連絡させていただきます。
それでは、本日は以上をもちまして閉会といたします。どうもありがとうございました。
―― 了 ――