今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第7回)議事録

1.日時

令和5年9月1日(金曜日)14時00分~16時00分

2.場所

WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式

3.議題

  1. 学習指導要領の実現をめぐる諸課題について
  2. その他

4.議事録

【天笠座長】  それでは、ただいまから第7回今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会を開催いたします。皆様方、大変御多忙中のところ御参加いただきまして誠にありがとうございます。
 本有識者検討会につきましては、報道関係者より撮影及び録音の申出があった方について、これを許可しておりますので、御承知おきいただければと思います。
 前回、第6回の会議では「今後の教育課程の在り方について」をテーマに秋田委員と石井委員より御発表いただき、委員の皆様と意見交換を行いました。
 本日はそれに続きまして、「学習指導要領の実現をめぐる諸課題について」をテーマにいたしまして、市川委員、戸ヶ﨑委員、貞広委員より15分ずつ御発表を頂いた後、委員の皆様と意見交換を行いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 本日の議題に先立ちまして、まず、事務局より連絡事項と本日の議題について御説明をお願いいたします。
【石田教育課程企画室長】  失礼いたします。事務局でございます。
 本日の議題についての御紹介の前に、事務局に人事異動がございましたので御紹介申し上げます。8月8日付で初等中等教育局長として矢野和彦が着任してございます。
【矢野初等中等教育局長】  矢野です。どうぞよろしくお願いいたします。
【石田教育課程企画室長】  どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは議題について御説明させていただきます。資料の共有をお願いします。
 本日、資料1としてお配りしております本日の議題、「学習指導要領の実現をめぐる諸課題について」ということでございます。趣旨について簡単に御紹介したいと思います。
 次のスライドをお願いします。この有識者検討会では、第4回の検討会で各委員から議論する必要があるとお示しいただいた課題に沿って検討を進めていただいているところでございます。本日はこの赤枠の部分に関わる議題ということでございますけれども、これまでの学習指導要領を振り返るとどこに課題があったのか、現行学習指導要領の実現に向けて学習指導要領の改善とそれを取り巻く諸条件の改善についてどのような方向が考えられるか、3点目、学習指導要領の実現に向けた政策形成・展開の在り方をどのように考えればよいか。こういった課題に沿いまして本日はお三方、市川先生、戸ヶ﨑先生、貞広先生からそれぞれ御発表いただくということでございます。
 市川委員からは「学習指導要領の趣旨を日本の教育改善に生かすには何が必要か」、戸ヶ﨑委員からは「学習指導要領の実現をめぐる教育委員会や学校の諸課題について」、貞広委員からは「今後の議論へ向けて 国・教育委員会における課題を中心に」と題して御発表いただいた後、意見交換をお願いしたいと考えてございます。
 簡単でございますけれども、事務局からの趣旨説明は以上でございます。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 それでは議題に移ります。毎回の御案内となりますが、本有識者検討会は、現行の学習指導要領の実施状況を検証する中で、今後の教育課程、学習指導、学習評価等の在り方について検討する際に考えられる論点を整理し、まとめることをその役割としております。したがいまして、今回のテーマに関する議題も、有識者検討会としての考えを論点としてまとめる形での運営を行いたいと思っておりますので、御理解、御協力のほどよろしくお願いいたします。
 それでは本日の議題に入ります。まず、市川委員より「学習指導要領の趣旨を日本の教育改善に生かすには何が必要か」と題して資料2を提出いただいております。市川委員、御発表をお願いします。
【市川委員】  それではスライドをお願いいたします。
 私からは15分ということで、「学習指導要領の趣旨を日本の教育改善に生かすには何が必要か」というテーマでお話をさせていただきます。
 次をお願いします。まず、学習指導要領の周知をめぐってということで2枚のスライドにまとめました。これまで直接あまり出てこなかった話だと思うんですけれども、どうも周知されないことの根本的なところに学習指導要領そのものの問題ということ、これはあまり議題にはなかったと思いますが、私はやっぱりそこにも問題があったのではないかと思っております。2回にわたる指導要領の改訂、2008年、2017年と関わってきましたけれども、特に今回、なかなか趣旨が通じにくい、コンセプトが伝わらないということが言われます。
 まず、どれくらい分かりやすく書かれているのだろうかと。曖昧な用語・概念、あるいは多義的な用語、誤解を招く用語がないだろうかと。改めて、出てからも読んでみますと、比較的丁寧に説明された用語、それでも割と難しいコンセプトではありますが、割とこれまで丁寧に解説されてきたと思うのは、生きる力とか社会に開かれた教育課程、主体的・対話的で深い学び、教科等の「見方・考え方」、カリキュラム・マネジメント。難しいですけれども、それなりに随分説明はしてきたと思われます。
 ただ、今でもかなり多義的な解釈があると。私は中教審委員の間でもこれは個別にお話をしたり発表を聞いたりしていて、中教審の委員の間でも不一致があると思いますし、またその後、いろいろ出される解説本もかなり混乱しているように思っています。
 具体的には習得・活用・探究。これは一体どういうことなのかとか。これはもう2008年からのキーワードで、今回も使われています。今回、資質・能力の三つの柱ということが言われていますが、特に「学びに向かう力、人間性等」、これが何を指しているのかということでいろんな解釈が出てきている。出てきているのはもう事実です。それがある程度は膨らみがあっていいと思いますが、相当違う解釈があちこちで出ているとやはり周知とか実施の上では問題になってくるだろうと思います。また、これは特に評価のところで「主体的に学習に取り組む態度」と。私もこのワーキンググループの座長を務めましたけれども、この言葉も随分多義的に解釈されていると。
 じゃあどうするかですが、今後少なくとも用語解説はつけたほうがよいのではないかと思います。これはほかの部会の答申などでは用語解説がついているものもあります。これはやっぱり大事なことではないかと。それから、用語間の関係とか関連など、改訂の全体構造が分かるようにしたほうがよいのではないかと思います。
 次をお願いします。今度は周知の方法の問題です。伝達講習がなされているわけですけれども、いわゆる伝達講習だけをやっていたのでは、なかなか伝わりにくいものだと思います。改訂事項の一方的な伝達、こういうふうに変わりましたというようなことを伝達するだけでは、一方的にやっていてもなかなか伝わらないと。これはもう学校の授業だろうと同じだと思います。先生が一方的に説明してもなかなか伝わっていないと。
 まず、なぜ改訂するのかというその背景とか、実際にどういう点が改訂されているのか、それから改訂事項が実践とどう関わるのかというところまで説明して、そして納得してもらうことが重要ではないかと思います。それにはどうするかですが、講習の後に、受講者自らが自らの課題に引きつけて、そしていろんな議論をする、質問をするというようなことをやって、理解を深める工夫が必要かと思います。
 それから、伝達講習の後に実際に現場に入っていくわけですけれども、本当にそこで伝わっているのかどうかを確認していく必要があるだろうと。学習指導要領の内容に関する理解状況はどれぐらいか、学校ではどういうふうに言われているのかですね。やっぱりここが分かりにくいということもいろいろあります。また、実際にどのようなカリキュラムを学校がつくって指導や評価に取り組んでいるのかと。いわゆる学習状況の調査だけではなくて、どんなカリキュラムを学校がつくって、そして実行に移しているのかというところ、これはもちろん全校は無理ですが、ピックアップしてそういうことを調べて、どれぐらい実施されているのか、実現されているのかという実態把握を継続的にやっていく必要があるだろうということです。
 それから3番目ですが、現場の疑問の解消について。質問等を受け付けて、ウェブページでQ&Aとして発信していく。例えば、観点別評価をめぐってはいまだに質問が絶えません。私もシンポジウムなどで質問を受け付けると、今の時点でやっぱりこういう質問が出てくることがたくさんあります。それはやはり大本をたどってみると、どうも発信側に当たる中教審であったり文科省であったりの説明が十分ではなかったことがありますし、今回、伝言ゲームということが一つのキーワードにこの会でなりましたけれども、途中でどんどん変わってしまって、現場に届くときには相当意味が偏って伝わってしまっていたりということがあると。
 そのためにいろんな質問も出てくるわけですが、シンポジウムではよくそういう質問を取り上げますけれども、まず実践現場との対話の場を文科省としても確保して、学校や教育委員会がよりどころにできるような大綱的なものと。あまり細かいことまで書く必要はないかもしれませんが、どういう意味なのであると。どういうふうに実践していただけるといいというような例を出すとか、そういうものをつくっていったほうがいいのではないかと思います。実際に動き出してから学校現場と対話的につくっていく、こういうQ&Aのようなものを構築するとよいのではないかと思います。
 次をお願いします。これは単に伝達講習というものよりももう少し広く、学習指導要領の社会的実装をめぐってということで1枚まとめました。学習指導要領は非常に理念やコンセプトが良いということが言われています。言われていますといっても、つくった私たちがよかったんじゃないかと言っているようなところがあるんですが。でも一般的にあまり大きな批判もなく、良いものだと言われていますが、実際にそれが社会に実装されているかというと、これは相当やはり距離があることも言われています。
 条件整備ということもよく言われるんですけれども、いわゆる条件整備というとよくヒト・モノ・カネというようなことが言われています。ただ、私はそれよりもかなり大きな問題、「よりも」というとちょっと語弊があるかもしれませんが、幾らこういう条件整備が整ってもなかなか、日本の教育が指導要領で掲げているようなある意味理想ですね、それに向かっていきにくいところがあると。それはなぜかということを大きく2つ挙げました。
 一つは、因習的に踏襲されている価値観とか教育理念とか教育方法があると。これがもちろん社会側、保護者とか、子供達にもあるかもしれませんし、教員養成課程とか学会とか研究会とか、学会とかにもあるかもしれないと。こういう教育に対する価値観、例えばどういう授業がいい授業なのかというような価値観。これはもちろん人によって違うと思います。教育研究者によっても違うでしょうし、学校によっても違うと思います。そういう多様性は認めるべきですが、公教育としては一定の共通性は確保していく必要はあるのだろうと思います。
 具体例としてということで、後で1つだけ触れたいと思いますが、今はもう一つですね。社会的ニーズとマッチしているだろうかと。児童生徒や保護者の要求があるわけで、それと整合性が取れていないと、幾ら公立校に理想的な指導要領を周知徹底させても、なかなかマッチしていないと日本全体には浸透しないと。理想を追求すると、かえってそれが公立には徹底されて、結果としてかえってそれで公立離れを起こしてしまうこともある。むしろ塾・私学志向になってしまうとか。
 少しここで書きましたのは、よかれと思って始めたことなんですけれども、その理想になかなかならないと。ちょっと例を挙げました。学校群制度。1967年から東京都でありましたけれども、あまりにも高校受験が大変になっていると。子供達の中学校での学習がひずめられていると。もうちょっとということで、特定の高校を目指すためにといって競争が熾烈になっているのを緩和しようと思って始めた学校群制度ですが、結果的にはかえって公立離れになって中高一貫の私立に流れていく。そのために受験が低年齢化して、東京近辺ですと小学校の4、5年くらいからもう塾に通って中学受験をする、というようなことになってしまった。結果的に十数年でこれをやめてしまったわけですね。今であってはもう逆に全都一区であると。そして学力重点校をつくってそこにかなり優秀な生徒が集まるようにというような、まるっきり逆の方策になってしまった。よかれと思ったことが結局はうまくいかなくなって元に戻す、あるいはほかの弊害を引き起こすようなことにもなってしまったと。
 そこに1990年代から2000年代にかけてのゆとり教育と。これもやはり公立学校ではもう学力がつかないというような風評がかなり流れて、事実かどうかは別として、とにかくそういうことが流れて、結局これも中高一貫の私立を目指すようなことになってしまったと。その結果としては、かなり家庭の経済力であるとか格差の増大を招くことになったと。これもよかれと思ってやったはずなんですが、結局理想とは逆のことが全体としては起こってしまうような、副作用という言葉も出ましたけれども、そういうことになってしまったと。
 今回、「社会に開かれた教育課程」「求められる資質・能力」、こういう実践に向けて、やはり学校関係者、あるいは産業界なども含めて広く議論していって全体の合意を、これは20年、30年かかるとしても、やっていく必要があるんだろうと思います。何もしなければいつまでたっても日本の学びは変わらないのではないかと。
 最後のスライドをお願いします。ここで出しましたのは今回の指導要領の周知におけるポイントです。これをおつくりになったのは教育課程課で、中教審の教育課程部会、私も出席していましたが、そこに資料として出されたものです。今、ホームページにも掲載されています。指導要領が出てから半年くらいたって出たものですが、「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善について、そのポイントです。
 単元・題材のまとまりなどを見通して、教師が教える場面と児童生徒に考えさせる場面など、全体のバランスを取る授業デザインが重要だと。さらに米印で、少しくどいようですがここまで書いてあります。教師が一方的に教えてばかりの授業も、教師が教えずに児童生徒主体の活動ばかりの授業も、いずれもバランスを欠くおそれがあると。実際に指導要領の中には、やはり教師が教えることの大切さと。しかし一方ではアクティブ・ラーニングでありますとか、子供達が能動的に主体的に活動していく。こういうことは両方大事なのであるということが書いてあるにもかかわらず、ここで改めてこれだけ述べなくてはいけないということは、なかなか現場ではそうならないことが多いということですね。
 一方では教えてばかりの授業と。いわゆる教師主導の講義演習型の授業がやはり多いところ、多い講習もありますし、逆に教科・講習によっては教師が教えることはあたかも古いこと、よくないことであるようなことが流布していて、そしてすぐに子供達に自力で考える、協働で考えることだけになってしまうと。これもまたバランスを欠くということなんですが。
 これだけ書いていても、やはり実際にはなかなかこうならないんですね。どうも教育界はかなり極端な方向性があって、それが社会的なニーズであったり、先ほどの立場による、先ほどは因習的という言葉も使ってしまいましたけれども、一種の伝統になっているためになかなか動かないということが起こってしまう。この辺りが、学習指導要領がせっかくかなり理想的ないいものをつくっても、なかなか社会には実装されにくいことの根底にあるのではないかなと私は思っております。
 以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 続きまして、戸ヶ﨑委員から「学習指導要領の実現をめぐる教育委員会や学校の諸課題について」と題しまして資料3を提出いただいております。早速ですが戸ヶ﨑委員、御発表をお願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】  戸田市教育委員会の戸ヶ﨑でございます。貴重なお時間を頂きまして誠にありがとうございます。私からは学習指導要領の実現をめぐる教育委員会、また学校の諸課題ということで、それぞれの現場の実態等を基にして簡単に発表させていただければと思います。
 まず、学習指導要領の前文や総則にあります「社会に開かれた教育課程」「教科等横断的な視点を重視したカリキュラム・マネジメント」、また「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」、こういった大変優れたコンセプトがありますが、画餅に帰さないように着実にこれらを定着していくことが大事であることは言うまでもないことです。この学習指導要領を校門から職員室、さらに教室へと届けていくために、前文や総則の世界を各教科等の指導にしっかりと落とし込んでいって、教師主導から子供主体の授業へ、また、教科書を教え込む授業から教科書で子供の力を引き出す授業へ転換を図っていくことが大切なのだろうと思います。
 この学習指導要領を仮にこれから見直していくのであるならば、それを支えていく教育条件を見直していくことも大事であって、例えば、教科書も学習指導要領が目指す資質・能力の育成を強力にアシストして、教科書「で」教えざるを得ないようなものに進化させていくことも大事なのかなと考えているところです。
 そのためにも、私が好きな言葉で「継往開来」という言葉がございます。何でも古いものを捨ててしまうということではなくて、それを発展させていくという精神でスクラップ・アンド・ビルドをする必要があるだろうと思っています。今までの一律・一斉・一方向の教育から脱して、子供達一人一人の興味・関心や能力等の個性に応じて、場所とか進度とか時間割とか教材等の個別化を積極的に進めることが重要なのかなと考えております。
 その際、先ほどの市川先生のお話にもありますが、教えるべきことはしっかりと教えて、考えさせるべきことはじっくりと考えさせてという、今までの日本型学校教育の私はお家芸だと思っていますが、ここにも改めて光を当てて、それをアップデートしていくことも大切なのだろうと思っています。
 今お話ししたようなことを前提にして、基礎自治体の教育委員会や学校が抱える課題ということで、主な柱立てだけですけれども申し上げておきます。
まず、とかく最近批判の目が当たっている教育委員会ですが、国全体を見渡してみますと職員数が10人以下という教育委員会が国全体の約3割であること、また指導主事が全く配置されていない教育委員会が国全体の約2割に及んでいる、という実態があります。また、指導主事は何か授業だけの支援をメインにしているように見えるのですが、大きな課題としてその仕事は全体の数%でしかなくて、いじめだとか不登校だとか事故対応とか、はたまた人数の少ないところは人事関係、こういう多様な対応に迫られていること。優秀な教師の確保は盛んに言われていますが、同じく優秀な指導主事をいかに確保するかということも現在喫緊の課題になっています。
 また、学校に目を向けてみますと、どうも最近は深い教材研究による質の高い授業に取り組んでいこうとする意識そのものが低下してきているのではないかと思います。さらには、今ちょうど働き方改革等でも言われていますが、授業準備を効率化していこうという意識が非常に弱いことなどが挙げられます。
 教育委員会というと、どうもいまだに学校を管理するという、何か固く融通が利かないところであるようなイメージや、まだまだそういう実態があるのだろうと思いますが、大事なことは、そもそも教育改革は、国や教育委員会から起こるのではなくて、学校現場から起こっていくべきだと思っています。そのために教育委員会のマネジメントを一律の管理から個別の支援にしっかりとシフトしていくべきで、私は以前から、教育委員会は学校と伴走して積極的な自走を支援して、時に逸走や、暴走を軌道修正するところであると考えてきたところでございます。
 少し話がずれますが、私が考えている教育委員会改革の3段階があります。1段階目は独走ということで、教育委員会がビジョンや新しい施策を生み出して、料理までも全て行います。ただ、これでは一部のリーダーだけが取り上げられて、現場の姿は見えてきませんし、学びの改革もあまり起こっていません。本市も少し前まではこういう状態でありました。2段階目は伴走ということで、教育委員会が原材料や人財を準備して用意して、料理は学校で行うということで、伴走を支援していくことになります。この段階になりますと、ビジョンに共感する人がどんどん現場等からも出始めて、学校現場の姿がクローズアップされ始めて、学びの改革も点から線になっていきます。ただ、この段階では、視察などの対象になっていく学校はまだまだ全体のごく一部です。さらにそれが進化していくと3段階目の自走ということで、学校が原材料・人財も調達することも頻繁に出てくるので、教育委員会でもうコントロールできなくなって、またはすべきでもないということで、逸走や暴走を軌道修正することが主な役割になります。こうなるとビジョンが関係者にしっかりと腹落ちして、学びの改革は線から面にもなって、リーダーが人事で替わったとしてもそれが継続するようになります。今、本市で誇りに思っていることは全ての学校が視察校であり、全ての学校が先進校であるということで、頑張ってもらっています。
 こちらは現場の自走を支える戸田市教育委員会の取組例として挙げられるものですが、18ページにある「戸田市版学校経営ルーブリック」を作成しています。これは学校経営の視点を提示して、日々の実践の振り返りまた改善に活用しています。参考資料の20ページですが、校内研修・校内研究改革ということで、現在、全ての小中学校が研究指定校となっております。形式的な研究委嘱はやめて、子供の変容をとにかく大切にすることをしています。参考資料の21ページですが、教科教育深化プランということで、アクティブ・ラーニングの指導用ルーブリックを作成するなどして、共通的な基盤となるような授業づくりの視点、こういったものも浸透させるような取組も行っております。
 こちらの画面は、先ほど教育委員会の実態等でお話ししましたが、令和3年の中教審答申で掲げられた地方教育行政の課題等を踏まえて、調査研究協力者会議において延べで15回もの議論を重ねて、7月19日にその報告書がまとめられました。この報告書では、教育委員会の機能強化、また活性化、教育長と首長との効果的な連携、学校運営の支援に教育委員会が果たす役割、それに加えて自治体の規模等による地域間格差が出ないように小規模自治体への対応、また広域行政の推進のための方策といった事項について、全国の取組事例とともに具体的な方策等も記載してございます。私も副座長の立場で関わりましたので、今後もこのことを全国の教育委員会への普及啓発に関わっていきたいなと考えているところです。
 今、本市教育委員会は100を超えるところと産官学の連携でつながっております。敵対関係とされてきた学習塾などとも様々連携しているところです。変化する社会の動きを教室に入れるためには教師等のマインドセットの問い直しが必要になってくるわけですが、産官学の多くの方々から共通して指摘されるのは、どうも教育村、学校村での学びは社会につながっていないということです。また、学校だけでなくて教育委員会も、企業など外部人材に口出しされることをあまり歓迎しない文化がまだ全国的に根強いと言われます。学びは学校の中では完結しないのだということを教師があまり理解していない、進取の精神を持って仕事をする教師集団をつくっていくべきである、などとの指摘もございます。
 社会に開かれた教育課程の実装に向けて、自前主義・教師主導の授業づくりから脱却して、外部資金等を獲得するなどして、様々な外部機関と連携した教育課程の実施を持続可能な形で実現できるように支援していくことも重要なのだろうと思っています。私は、これまで教育界にはびこる横並び文化とか同調圧力とか形式的な平等主義などを排するとともに、教育プロフィットセンターといったものも設立していきたいとずっと思いあぐねておりました。
 そこでちょうど昨年度、これまでの当たり前を問い直すということで、学校主体の夢のある学校改革や教育委員会による産官学連携の下での教育改革を通じた未来の学びの実現に向けて、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングを実施しました。約半年間で500万円を達成しました。確保した資金は一般の寄附金と合わせて、戸田市未来の学び応援基金へ積立てました。それぞれの学校のカリキュラム・マネジメントをどう自走させるかということへの思いが強かったわけですが、結果として、そのカリキュラム・マネジメントの自走支援につながっていると考えております。ちょうど今日も午前中に次の新たなクラウドファンディングの取組ということで打合せをしたところですが、新たな支援につなげていきたいと思っているところであります。
 発表は以上とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 それでは続きまして、貞広委員から「学習指導要領の実現をめぐる国、教育委員会の課題について」と題し資料4を提出していただいております。貞広委員、御発表をお願いいたします。
【貞広委員】  千葉大学の貞広です。お時間を頂きましてありがとうございます。
 これまで委員の皆様方、非常に解像度高めな御報告をしてくださっているんですけれども、私はこんなことが課題じゃないかということを御指摘するにとどまるような、練り上げられていない、解像度低めなコメントとなりまして申し訳ないですけれども、問題意識の共有を幾つかさせていただければと思います。
 まず、前提でございますけれども、何度もここで共有されているわけですけれども、現行の学習指導要領の理念や育成を目指す資質・能力は恐らく未来志向的で優れたものなんだけれども、その普及や理解が十分ではないことと捉えております。それゆえに、次に向けては、新しくストーリーを組み直して、学習指導要領の基本的なコンセプトを大きく変えるのではなく、それを実装する、先生方が乗りこなすためにはどうしたらよいのか、知られている状態から乗りこなす状態にするにはどうしたらいいのかということを考えるべきだと何度か申し上げているところです。
 特に、現状認識をしっかりと行った上で、リソースをどのように活用していくのかというロジの議論に目配りするアプローチが必要だろうと思いますし、また、どういうふうに授業をつくっていくかとかそういう問題だけではなくて、そういう授業づくりをちゃんとするための先生方の物理的な、心理的な余裕をどう生み出すかという、ここで「両利きの学校改革」と書きましたけれども、それがベースにないと、なかなか実装する、乗りこなす段階には行かないだろうと考えています。
 言葉を換えて言うならば、教育課程行政ですのでまさにそこが正面とか主戦場じゃないですけれども、そこに手を入れない限り、実装は少し遠くなるんじゃないかという危惧を持っています。
 まず、子供も教師も乗りこなす状況へということですけれども、3つ挙げました。伝言ゲーム、これが一つキーワードになっているというお話がありましたけれども、私はつまみ食いもあると思っていまして、つまみ食いをして児童生徒主体の活動だけしていれば、この新しい学習指導要領が実装されていると思ってしまうと。そういうつまみ食いを断ち切って、バイアスのない理解、ちゃんと知っているというものが広がるようにするのはどうするか。
 もう一つは経路依存を断ち切るということです。今までのことをやっていればいい、安全だというのではなくて、試行錯誤をして若干の失敗もしながらも、創造的な挑戦をしていくと。その先に教師の乗りこなしがあると思います。
 また、子供達についても成長実感が得られるようなしつらえをするべきだと思います。ドリルをたくさんやって量で学んで、ああたくさん勉強したなというのではなくて、成長実感とか達成感を獲得できるような仕掛けをつくらないと、やっぱり子供も乗りこなしてくれないと実装されていかないのではないかと思います。
 1つ目の伝言ゲーム問題は、これはたしか奈須先生もおっしゃっていたんですけれども、今のようなレイヤー構造の研修ではなくて、むしろ事務局であるとか、この委員のメンバーの方々の有識者の先生方が、教師や指導主事、入試関係者、保護者も含めて当事者に理解してほしい情報を直接届けるような仕掛けを考えるべきではないかということです。
 もう一つ、現場の先生方が持っている暗黙知、現場知、ローカルノレッジと書きましたけれども、それが今、経路依存的に駆動してしまっている。これを創造性方向に駆動させるにはどうするかというと、これは教育委員会が管理職を失敗していいというふうに、創造性や挑戦に向かって支援をする。管理職も個々の教師をそういうふうに支援すること。そういう土壌や関係性をつくり出していくことが必要だと思います。
 例えばGIGAスクール構想の例を見ますと、もちろんGIGA的な前史を持っていた自治体や学校は、コロナ禍の休校措置の間でも早くそういう措置を講じることができたんですけれども、全然前史のないところでも手早く措置を講じたところがありました。そういうところは何をやっていたかというと、教育委員会が支援したり、学校の校長先生が若い先生に失敗したら自分が責任を取るからやってみなよというふうにやらせてみたりすると。そういう風土があったところは早くGIGAスクール構想が進んだ、休校措置の間でも手だてを講じられた事例がありました。やはり支援してやってみさせるような、脱管理的な思考が必要なんだと思います。これは戸ヶ﨑委員もおっしゃっていたところです。
 また、3つ目です。子供達にとっても、探究的な学びをちゃんとやるって非常に難易度が高いと思うんですね。ですからやってみなさいではなくて、やはり先生方がどのように戦略的なショートステップを設定するかということについて、事例を共有していくことから始めてでも、少しずつでもやっていくと。新しい学習指導要領のコンセプトでいきなり全ての授業を埋めるというコンプリートではなくて、その割合を増やしていくような思考を持ってスモールスタートから始めると。先生方の間では教材の相互参照や共有ということもあろうかと思います。これは高橋委員も会議の中でおっしゃっていたことです。
 そうなるとやっぱりクラウドと先生方の学びの私的なコミュニティーの復活、今、非常に忙しいのでなかなかどこでも低迷しているようですけれども、その復活に期待したいと思うところです。
 また、国はこういうものをいかに刺激するかということが必要だと思うんですね。これはちょっと概念図ですけれども、隣の自治体さんがやっているのでうちもやってみようとか、隣の学校もやっているからうちもやってみようと、横並びでグッドプラクティスがどんどん横展開していくという、普通の波及の仕方が左側のS字曲線といわれるものです。国や都道府県の教育委員会さんが適切な介入をして、やったほうが絶対にいいとなると、劇的に波及していくんですね。今出している右側の図の凸型曲線の国の、または都道府県の教育委員会の適切な介入、支援と言い換えてもいいと思うんですけれども、これをいかにどんな刺激をしていくとS字曲線ではない形で波及させていくかということにも知恵が必要であると思います。
 2番目、ファクトの捉えです。学習指導要領を実装できていない学校・地域の抽出・モニターをしていく必要があると思います。これは懲罰的ではなく、なぜできないのかという問いを構造的に把握するということです。定量的なものではなくて質的な調査も必要で、その中には、先生方ができないのではなく、できるためのリソースがないのだということも含めた不都合な真実に向き合うべきだと思います。
 また、テストスコアで測定できる学力観から脱出できないことについても目配りが必要だと思います。この観点からは、まず評価の仕方に課題があるのかという点があります。戸ヶ﨑委員が管理ではなく支援と何度もおっしゃっていましたけれども、学校評価の在り方を変えていくこともあるかもしれません。
 2つ目、心的・物的リソースの不足であれば、これはしっかりと定数改善をしていくと。
 3番目、今までの当たり前を見直すきっかけがないのかということにも注目が必要です。今も学校に全国学力学習状況調査の結果などはフィードバックされていますけれども、いつまでたっても平均点とランキングで分析していて、具体的な手だてに結びつくような分析がなされていません。やはり仲介者や翻訳者がいないと、実際にどういうふうにしたら学習指導要領をもっと実装できるのかという手だてに結びついていないところもあります。
 3番目、カリキュラムは過重なのか問題ということを取り上げています。学習指導要領は大枠を作成するもので、過重であれば削減、過小であれば拡張は各学校で行うのが肝要であろうと思います。ただ、現在ではそのようになっていない。実際には例えば標準授業時間数を超えて多くの授業時間数を設定して、隣の学校がそうしているからうちもそうせざるを得ないと。何となくたくさん授業時間数を積んでいれば子供の学力保障をしているように見える。休校措置になっちゃったら困って保険のためにというようなことをしながら、両にらみでみんなでたくさん時間を積んでいるような状況になっている。これをやっぱり修正しなければいけないということです。
 まず、カリキュラム過重問題ですけれども、カリキュラムの過重は私は子供にこそあると思います。多過ぎる量や過度に難易度の高い目標は、例えば夏休みの宿題がえらくたくさんあると全くやる気にならないのと同じように、適切な量が必要だと思います。実際に学びから距離を置く子供達が発生しているわけです。学ばない高校生がたくさん生み出されてしまっている。18歳の何割が本当に我々が望んでいるアクティブ・ラーナーになっているのかということをもう少し見つめ直していく。これからの社会で生きていくための学び続けるサバイバルツールを持っている人たちがどれぐらいいるのかということも見つめ直した上で、実装を考える必要があると思います。その時に、やはりこういう子供達を引き戻すには学びの余裕とショートステップでの達成感もしつらえが必要になってくると思います。そういうデザインが必要ということです。
 一方、カリキュラムの過小問題ですけれども、一般的なカリキュラムでは全体的に過小な子供はいます。特定の分野について特に過小だという子供は存在しているので、これについても学びをデザインして、学びの手応えをしつらえる必要があろうかと思います。
 最後に、多様性と包摂性に基づく学校文化の醸成に関連して、学習指導要領の修正の方向性をお話ししたいと思います。学校の中にいる子も含めて、子供達の学びの姿は非常に多様で、グラデーションを伴っています。こうした多様性に対して、全ての子供達を包摂し、教室内外のグラデーションのある学校教育を実現するためにはどのような課題があるのかということを虚心坦懐に見つめて、学習指導要領の運用の在り方を考えるべきだと思います。
 例えば、多様な学びの形態を想定した学びの質保障を見据えた改訂が視野に入ると思いますし、履修と習得という問題が何度もこの会議の中でも出てきていますけれども、同じであるということを履修したこととするのか、同一・同質であるということで評価して履修したこととみなすのかというような2段構えの検討も必要だと思います。
 また、3番目です。デジタルを含めた教科書と各種教材で授業づくりをすることを前提として、これは先生がということですけれども、こうしたグラデーションに対応していくことが必要だと思います。また、学習指導要領はそういうグラデーションに対応できる、各教師が学びをデザインすることができるような形にしておくべきだと思います。そう考えると、学習指導要領と教科書は普通に考えるとおのずとコンパクトにならざるを得ないのではないかと思います。また、それでこそ基準法制として実質的に機能する。過重・過小のままではスタンプラリー的にこなす授業になるのではないかと考えます。
 ただ、ここには教材の財源問題であるとか、市川委員が何度も御指摘されている大学入試の問題であるとか、こうした多様性と包摂性を重視しようとする学校教育に対して、本当に社会的な合意が調達できるのかということです。先ほどの市川委員の言葉を借りますと、社会的ニーズとか我々が理想ですとここで申し上げている教育のありようと、子供や保護者のニーズは必ずしも同一ではない。ここのギャップをどう越えていくのかという問題です。
 5番目です。教科書はコンパクトにならざるを得ないと言いました。ただ、150年の歴史がある日本型教育システムを見たときに、教師不足は今だけではなかったと言われています。教師不足の中で教師をしっかりとトレーニングするよりも、教科書の質をよくすることで教育の質保障をする教科書依存のシステムが今現在も続いているという研究実績もあります。これを本当に脱することができるのか。もしくは非常に脱することが難しいのであれば、先ほど戸ヶ﨑委員がおっしゃったように、教科書を非常に進化させて、その進化した教科書で教えることで実装していくという、どっちでいくのかという問題もあると思います。
 最後に、より根本的な課題として、公教育で共通に保障される最低限の教育とは何かという問題が残ります。この問題が解決されない限り、同等性と同一性の問題や、各教師が学びをデザインするのもなかなか難しい問題になってしまうと思います。ただし、学校種や教育課程によっても一様には捉え切れない現実もあります。今後は、最低限の義務教育とは何かではなく、より広がりとバリエーションを想定した普遍的教育機会の保障として、少し外延がぼやぼやっとしたような形になるかもしれませんけれども、それでもこの辺りに最低限の普遍的な教育機会があるのではないかということをしっかりと共有した上で、学校の先生方にデザインをしていただくことが必要なのではないかと考えます。
 以上、雑駁でございますが、課題の指摘とさせていただきました。ありがとうございました。
【天笠座長】  3人の委員の方、御発表をありがとうございました。
 これから各委員から質問、御意見等々を一緒に進めていきたいと思います。それから、お三方別々にというようなやり方を取りませんで、一緒にということで、どこから、どなたにでも対して、あるいは全体を通してということでもいいかと思います。
 それで、今の3人の先生からの御発表を伺いまして、改めて学習指導要領が学校の中に入っていくって一体どういうことなのかといったときのその入り方というんでしょうか。ということで、一つの視点としては、総則という視点から見たときに学校の中にどう入っていくのかということと、それから各教科等という視点から見たときに学校の中に入っていくということ、あるいは折々の、その時代時代の課題というんでしょうか、テーマに入っていくとか、ある意味で学習指導要領といってもそれぞれの入り方もまた様々あって、それで例えば教科で入っていく場合は、その学校にその教科に非常にたけたリーダーというんでしょうか、自他ともにそのお立場でいらっしゃる方なのか、その方とその教科とが重なり合って、そしてそこからその学校が新しい学習指導要領を皆さんで共有していくという取組がまたあるということであります。
 一方において、これまでの研究でいくと、総則という視点からしたときには、既に今日御指摘もありましたように、やはり教育委員会の存在が結構大きくて、教育委員会の指導行政の在り方というんでしょうか、そういうことと学校の中への浸透が相応に関わり合ってということもあるわけです。
 またもう一つは、先ほどのいわゆる普及曲線というんでしょうか、学習指導要領が学校の中に入っていく場合の一定の時間的な経過をどういうふうに見ていくのかということも一つだと思うんですけれども。言うなれば御承知のとおり、移行期間ですとか本格実施の期間ですとか、相応に年数を設定しながら進んでいくわけですけれども、そういう設定の部分と、学校が組織として受け止めていって、そして教育の実践に落とし込んで実践していくという、そこにおける時間的な経過というんでしょうか、そういうものをどういうふうに照らし合わせていくのか。こういった視点からも学習指導要領の受け止めを捉えていくこともまた必要なのではないかと思うんです。
 それぞれの発表を踏まえまして御意見をお願いしたいと思います。それぞれの委員の方、御質問、御意見がありましたら、いつものように意思表示をしていただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは高橋委員、お願いいたします。
【高橋委員】  すいません、年齢順で話させていただきます。
 先生方、ありがとうございました。大変刺激的で、私も本当にどきどきしながら聞かせていただきました。たくさん伺いたかったり、意見を表明したいことはあるんですが、一番印象に残ったのは、貞広先生がずっとおっしゃっていたし、特に最後のほうにもおっしゃっていた広がりとかバリエーションを想定して考えていくという、私もこの部分は本当にそう思います。
 やはり学習指導要領そのものは、特に今回はそうだと思いますけれども、何か達成したり到達できるようなことが書かれているのかということもすごく思います。つまり、下から見ていったときに到達した気になっても、やっぱり本質的に指導要領を理解していけばゴールはまだずっと先にあると、やっていけばやっていくほど分かっていく奥の深い記述がたくさんあるということ。だから広がりとかバリエーションは、今も私は解釈によってはたくさんあるなと思います。
 その時に、伝達講習とか伝達というような考え方で本当に先生方にお伝えすることができるのかと。その伝達みたいな考え方が既に何かゴールがあって、習得すればいいみたいな誤解を招いているんじゃないのかと。だからすごく固定的な能力観に基づいた伝え方みたいになっていないかと。もっと動的で発展的な能力観のことを伝えようとしているので、そういったことを僕は想定していかなきゃいけないのかなと思っています。
 非常に誤解を招く言い方かもしれませんが、私はやっぱり紙というものの伝え方が非常に静的、静止的、止まった形がするので、非常に紙で伝えていくことが一つ固定的な能力観をすごく招きやすいと。クラウドでどんどんみんなの意見が入って修正されていくというか、みんなの解釈とかがどんどん見えるような状態で、どんどん知恵が蓄積されていく。以前に先生がいろんな方の知恵をお借りしたほうがいいんじゃないかという御発言もあったと思いますけれども、そういうふうに動的に物事が動いていくんだということをツールとして何か伝えていかないと、ツールを用いて伝えていかないと、貞広先生のおっしゃる広がりとかバリエーションというようなことは伝えにくいんじゃないかなと思っています。
 そういう意味で私は、教育課程も単線型というよりか、それもまさに個別最適という意味では当然複線化していく可能性のあるものだなと思っていますし、そうなってくるといろいろ教えにくい、先ほど教えて考えさせるというか、教えていくことは伝統的に上手にできているとおっしゃるんですけれども、そこの部分は私は何となく今、海外製のアプリにすごく感化されているところがあって、非常に日本の教え方と違う学習アプリがすごく出ていて、私自身ももう半年毎日やっていますけれども。
 何ていうんですかね、日本の学習アプリは先生が何か説明して、分かったことを適用題的にやるやり方なんですけれども、いきなり問題をやるというか、行動させられるというか、だからコンピテンシーベースな習得というか、そういう設計になっていて、力がついたかつかないか以前に、学んだチャレンジの量が称賛されて、それが蓄積されていくことで力がついたと証明されていくみたいな。我が国だと大体それをやると力がついたんですか、学力は上がったんですかとすぐに結構ゴールを求めるんですけれども、そのプロセスというか、そこのところは、非常に広がりとかバリエーションというか、何というのか、動的に人の能力に到達するというか、捉えているんだなという感じがして。そういう海外勢のアプリとかにその教える部分は場合によっては乗っ取られるんじゃないのかとも感じるところがあって。
 なので、やっぱり広がりとバリエーションという部分。固定的な部分はアプリにどんどん乗っ取られる感じがするので、広がりとバリエーション、そういうような能力観、資質・能力がどんどん上がっていって、向上していって、動的で、方向目標的なんだというその部分をどう伝えていくかということを改めて考えていかなきゃいけないし、その時に先ほど言ったアプリみたいな到達目標のところを教えるのが得意な話と、バリエーションを管理するには、把握するにはやはりコンピューターの力を借りないと、35人いれば35通りのバリエーションがあるわけですから、そういった意味でもコンピューターみたいなものを上手に使っていくという話なのかなと思いました。
 ちょっと長くなりましたけれども、以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。
 それでは私から戸ヶ﨑先生に御質問させていただきたいんですけれども。戸ヶ﨑先生の御発表の中には指導主事の存在というんでしょうか、そのところを取り上げて御発表があったかと思うんですけれども。学習指導要領を各学校、現場に伝えることにおいて指導主事の存在は大変重要な存在であることは言えることだと思うんですけれども、ただ、御指摘のように、現状なかなかいろんな課題を抱えていることもまた確かであるわけなんです。
 学習指導要領と指導主事の関係は本来的にはどうあったらいいのかということについて、さらに御見解を聞かせていただければと思うんですけれども。例えばこういうことを申し上げますが、指導主事の多い少ないということがよく取り上げられますけれども、私は多くしてもさして現状、状況は変わらないんじゃないかと思っている立場なんです。要するに今のように学校に対して学校を指導助言することにおいては、今のような指導主事の在り方ですと数を多くしてもそう期待できないんではないかと。むしろ、もしそう期待するとするならば、指導主事の在り方自体を大きく見つめ直していかなくちゃいけないんじゃないか。あるいは、そもそも今のような指導主事を存在させておかなくても、それぞれの学校が相応に対応できれば、学習指導要領の受け止めについては今よりももっと状況がよくなるんではないかと。こういうことについて戸ヶ﨑委員の御見解を伺わせていただければと思うんですけれども、いかがでしょうか。
【戸ヶ﨑委員】  ありがとうございます。基本的に今、天笠先生が言われたように、指導主事に頼らなくても、学校の中で主体的に研修をするなどして、総則の趣旨についてしっかりとお互いに理解し合うことができるのが。私は理想的ではないかなと思います。また、ご指摘の通り、数の問題もそうですが、それ以上に質の問題があると思います。
 基本的に外部の人に頼らなくても趣旨等が浸透するのが理想ですが、現実は学校間の格差が生じてしまいます。それを解消するために、市レベルであれば市内の学校間で、ある程度統一した研修や周知理解ができるように、指導主事が学校訪問などを通して直接教師に指導・助言することは、全国どこでも行われていると思います。
 しかし、今、教師の働き方改革が注目されていますが、実は、指導主事の働き方改革も必要だと思っています。先ほどの発表の中でも申し上げたように、本来の教科等の指導に止まらず、々な業務を行わなければならず、本来の教科等の指導に傾注できない実態があります。そうなると、教科に関しては専門的な職員である、自分の後ろには誰もいないのだという気概と、識見を持って指導していかなくてはいけないという自覚がだんだん薄れてきてしまっています。
 さらに指導主事自体の研修がどこでも行われているようで意外に行われていないというか、県レベルでの指導主事の数少ない研修会は伝達講習会になっているのではないかと思います。教師の学びは、子供の学びと相似形であるべきという言葉が答申の中にありましたが、指導主事自身が主体的・対話的で深い学びをする機会がほとんどなくて、県の指導主事が言ったことにマーカーをつけながら、目で追っていくみたいな形での研修が一般的に行われていることが問題なのではないかと思います。
 繰り返しになりますが、学校が、指導主事に頼らなくても自走できるような形になっていくことが、私は理想だろうと思いますが、学校間の格差が出てしまう部分で、指導主事がしっかりと最新の適切な支援をしていくようなシステムが構築できるようにしていく必要があると思います。
よろしいでしょうか。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。先ほど来、様々な方から伝言ゲームとか、あるいは伝達講習とか、そういう指摘があるんですけれども、そういう意味でいうとその主役はシステム上、指導主事ということになるんではないかと思うわけです。ですからそういう点からすれば、指導主事のありようとかシステム上の改善等々が伝達講習とか伝言ゲームの改善につながっていくような視点も見えてくるのではないかと思うんですけれども。またそこら辺につきまして、委員の皆さんから御意見を頂ければと思いますし、また他の点からでも結構ですけれども、いかがでありましょうか。
【石井委員】  すいません。
【天笠座長】  石井委員からということでよろしくお願いいたします。
【石井委員】  では私から。3人の委員の先生からの御発表を非常に興味深く伺ったわけですけれども。先ほど高橋委員からお話があったことともちょっと関連するんですが、いわゆる学習指導要領の定着をどのように考えるのかということかと思うんですね。
 かつて教育技術をみんなのものにしていこうというときに、同じやり方を共有する形で同じようにどこの教室でもということ、それが目標であったのか、あるいは共有財産化するということは、それぞれの教室において自分なりの実践をつくっていくことがゴールなのか。この辺の教育実践がみんなのものになっていくということはどういうことなのかということは、古くて新しいテーマだと思うんですね。
 それで言いますと、学習指導要領の定着は、伝達を軸にした周知徹底という論理だけではなかなか難しいんだろうと。そうではない形のロジックだとか方法論をどういうふうに確立するかということが一つポイントになるのかなと思います。それこそ学校改革論が教えるところでもありますが、やはり学校は究極的には内側からしか変わらない。そういったときにやっぱり今の現場の状況からすれば、貞広委員の御発表にもありましたけれども、こなすというところが強くて、授業改善どころでもなく、さらに言うと学びの変革どころでもないと。幾つか段階があるんですね。こなす、改善する、学びの変革というふうなイノベーションみたいな形につなぐという段階があるわけですけれども。
 ですからそれで言いますと、まず現場が何かやってみたいなというふうに挑戦する空気ですね、そういったものがそれぞれの先生方から、先ほど戸ヶ﨑委員の御報告にもありましたけれども、現場からの逸走とか暴走がもっと出てくるといいんだろうなと思いますね。実はかつての日本においては様々な民間教育研究団体とかも活発であった時代においては、若干のいい意味での暴走みたいな形とかもあったりして、その辺でいろんな挑戦があって、それである種の多様性もある中で展開してきたところもあると思うんですが。
 今、そういうことにおいては、とがった実践といったものが非常に弱くなっていることがあるんではないかなと思います。ですからそこをどのように励ましていくのかということが重要ですし、それこそ個別最適な学び云々ということは、学校が生きやすい場になっているかという問題が究極だと思います。
 それで言いますと、子供達もそうですが、子供も教師も相似形でありまして、今何がしたいの、あなたは何がしたいのということをあまり問われない状況なんですよね。子供達自身も何をしたいんだろうと、何を学びたいんだろうということを自分で決めるとか考えることが少ないし、それ以上に先生方がどんな授業をしたいんですかということを問われることはあまりないんですよね。こういう授業をすべきだ、しなくてはならないみたいなことばかりがあって。
 かつ、その時になかなかしんどいと思うのは、ちゃんと検証が必要だと思うのは、学習指導要領だけではないんですね。各自治体においても様々な教育プランとかがあって、それが県であるとか市町とか複数あると。それがある種うまい具合にマネジメントされておればいいんですけれども、それがちぐはぐになっていますと現場ではハンドリングできないということで非常に迷走すると。
 かつ、この何十年間に各教育委員会何とかスタンダードとかという形で自治体のスタンダードとか、若い先生のための支援みたいなものの枠組みをたくさんつくっているんですが、あれももともとつくった人たちがいたときはその理念が生きてるんですけれども、その代が替わると、結局その一旦できたものを点検する形で指導主事さんが動きがちなところがあると。だから、国がつくった様々な指導資料といったものだけではなくて、各自治体単位であるとか様々なアクターが様々に中間において準拘束力を持ったようなものをたくさんつくっている。その部分を一度棚卸しして再構築することが重要なのではないかなと思っています。
 そこで改めて指導主事の役割であるとか教育委員会の役割の再定義にもつながってくるかと思うんですけれども。何せ現場が自分から一歩ということがなぜなかなか難しいのかということの要因分析をかなり具体的に、学習指導要領と現場との関係だけではなくて、やはり教育委員会の中にも準拘束力を持った感じのものがあると。その辺も含めて、その運用状況も含めて検証していくことが重要かなと思います。
 大きくやはり、挑戦していこうと思ったときには現場の余裕、それからもう一つは言説資源みたいなもの、この2つが大事かなと思っています。
 現場の余裕ということでいうと、まず第一に、定数改善とかも含めて条件整備は不可欠であろうと思いますし、それとやはり心理的な安全性。それこそ失敗しても大丈夫というか、それは上が責任を取ってくれますよという。保護者対応とかも。休職者の問題はこれとかなり大きく関係していると思います。だからそういったところも含めて、やはり現場への保護膜といったものを様々に教育委員会も含めてつくっていくことで、心理的安全性を高めていく施策が不可欠かと思います。
 言説資源に関わるのが実は学習指導要領の中身でありまして、様々な主体的で対話的で深い学びとか個別最適な学びということ、これ自体が、さあ頑張って何かやっていこうと思ったときのよりどころになるんですね。ビジョンとかキーコンセプトとか。だから頑張ってやっていこうと挑戦するときにはコンセプトが必要になってきて、その時の言説資源が一つは学習指導要領であると、そういう捉え方が重要かなと。
 だから到達目標というよりも、学習指導要領の本体は到達目標的なところがありますが、何とかの学びとかは現場にとっては言説資源だと。挑戦するときのきっかけとか、工夫のための資源、さらに言うとそれによって書店に並ぶもののタイトルが変わるわけですね。だから要は頑張って何かしようと思ったときに、書店とかあるいはネット上にどのような情報があるのかということ、ここに実はインパクト、刺激を与えているのが学習指導要領だという、そういう形での言説資源の触発とコントロールという観点も大事かなと。
 そういった時に、今の若い先生方も増えているときに、いかなるメッセージとか言説資源がたくさん提供されるとよいか、様々なネットであるとか書店もそうですけれども、そういったところでのインセンティブをつくっていくのかという観点からも、この学習指導要領の改訂の意味を考えていく必要があるんじゃないかなと思いました。
 そういった観点からそれぞれの先生方にちょっとお伺いしたいのは、まず戸ヶ﨑先生には、挑戦するとかそういうのは現場からの一歩ですよね、内側から変わっていくときに、挑戦してとか失敗を許容するとかという貞広先生もおっしゃったようなところですが、その辺りをどういうふうに実際に教育委員会としてはサポートできるのかな、されているのかなということの具体をお伺いしたいです。
 貞広先生には、政策波及の曲線の中で、政策的にうまく刺激を与えて適切に介入するとぐっと波及していくということなんですが、これ、教育の場面とか、具体的な政策でいうとどれがそれに当たっているのかと。教育以外のものでもいいんですが、こういう政策は確かにこうなりましたよねというふうな、そうすると結構イメージも湧くんじゃないかなと思いました。
 最後、市川先生には、公教育としては一定の共通性の確保云々ということであるんですが、私の感覚からというか実際調査すれば出てくると思うんですけれども、現場の多様性はむしろある種共通の方向に、結構実践も含めて形だけはそろっているんじゃないか。画一化みたいな形ね。画一化と共通性の確保ってまたちょっと違うと思うんですけれども、その時に公教育として一定の共通性を確保するといったときのそのイメージですよね。何を共通に共有して、何を多様性というか幅を持たせていくのかとか。
 それと伝統ということもあったんですが、伝統というのは教え込みだけが伝統ではなくて、逆に、最後の資料にもありますように、子供に任せればいいんだという、この教えるか学ぶかという二項対立自体が一つの伝統ではないかと思ったりするんですが、その辺についても御意見をお聞かせいただけるとありがたいなと思いました。
 すいません、長くなりましたが以上です。
【天笠座長】  それでは今、石井先生からありましたそれぞれの各委員に対しての御質問について短くお答えいただければと思うんですけれども、戸ヶ﨑委員、貞広委員、市川委員の御質問の順でお願いできればと思います。戸ヶ﨑委員、いかがでしょうか。
【戸ヶ﨑委員】  お手元の参考資料の17ページに学校間格差の問題についてのスライドを用意してあるのでご覧ください。本市では挑戦するマインドを応援し、挑戦による失敗はとがめないように心がけています。その挑戦するマインドを育成するために、この3点さえしっかりと押さえられていれば、そのアプローチの仕方の違いやスピードの違いは学校に任せるようにしています。
 1つ目は、目の前にいる子供達が出ていく社会の風景画を描くこと。それぞれの学校がそういう風景画が描けているかということ。2つ目が、変化する社会の動きを教室の中に入れる努力をすること。3つ目が、子供達にどのような力を育てるのかということを、学年や教科を横断して議論する学び合う職員室をつくること。この3点さえしっかり努めていれば、あとはどんな違いがあってもよいと考え、そのプロセスにおいて万が一失敗したとしてもそんなことは一切とがめないことで、挑戦する心を育てているということでしょうか。よろしいでしょうか。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。続きまして貞広委員、お願いいたします。
【貞広委員】  御質問いただきましてありがとうございます。
 例えば、言うなれば自分たちが今先んじてやれば得をする、褒められる、もしくは先んじなければ損をするような介入が典型的だと思います。実際に教育課程行政で想定できればよかったんですけれども、私の手持ちのバリエーションでは少なくて、具体的な策をお知恵くださいという感じで皆さんに投げるような形になりましたが。
 典型的には学校の耐震補強の時限つき補助金とか、あそこら辺が想定されると思います。ここ5年間だけ3分の1補助のところを2分の1にしてあげるから、先んじてやったら、君たち少ないお金でできるよ、やったらすごいねって褒められる。その5年先になっちゃうと全部自分でやらなきゃいけない上にやっていないって言われちゃうよねというような。あまり品がよくない介入かもしれませんけれども、それが典型的に想定されると思います。ちょっと教育課程行政でどれと私に知恵がありませんでしたので、申し訳ありません。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。続きまして市川委員、お願いいたします。
【市川委員】  今、石井先生にも言われたことですけれども、まず学習指導要領を定着させたいといっても、決して中教審も文科省もどこでも全国画一的な授業をやってくださいと言っているわけではないと思うんですよ。やっぱりコンセプトとして、大事なことは共有してほしいと。前回今回の指導要領でしたら習得・活用・探究ということ。これはやっぱり習得だけが学習だと、それまで日本でそんなような伝統があったとすれば、いや探究も大事ですよと言ってほしいし、これからは探究だと、探究さえやっていれば習得も自然にできるみたいに言っていると、いややっぱり習得の時間もきちっと取ったほうがいい。とにかくこのバランスを大事にしましょうということの共有ということになると思いますし、あと、社会に開かれた教育課程と。これも学校の中で学びが完結するんじゃないと。資質・能力がどんなふうに社会で生かされるかとか、そのためには学校のスタッフだけでやっているのではなくて、地域のいろんな力とも結びつきながら教育していこうとか、こういうコンセプトもやっぱり共有できるといいと思います。
 ただ、私がさっきちょっと申し上げたことは、例えば主体的・対話的な深い学びと。非常にいい言葉のように聞こえるんですが、じゃあこれがどういう意味かという解釈がだんだん伝わっていくときに、もう学校の先生は教えちゃいけないんだと、だって主体的な学びということは教師は教えないということですよねみたいな解釈がどこかで生まれたり、そういう本が出たりする。すると、もう教師は教えてはいけないのだと、子供の活動に委ねていくみたいなことが今の指導要領の目指すところだというふうになって、それが徹底されたりするとこれはまずいなと思うんですね。
 ですから、やっぱりコンセプトはそんなにがちがちのものではないですけれども、これは共有してほしいと。学校に浸透したかどうかは、先生方が学校の中でこういう言葉をどれぐらい使って教育の議論をしているかということだと思います。それがごく自然にふだんの会話の中で起こるようになってくれば、カリキュラムづくり、指導案づくりなどの中でも起こって、実際にそれが反映してきたらそれはかなり学校に指導要領が浸透していると言ってもいいのではないかと思います。
 それから石井先生が最後におっしゃった二項対立。私は石井先生と全く考え方は同じだと思っています。もともとこの二項対立は強いですよね。一方では講義演習型、先生が講義して問題をドリルとして解かせていくと。これがもちろん大学入試とか高校入試を踏まえて、それが念頭にあってかもしれないけれども、これが当たり前じゃないかというような考え方が一方ではあると。一方では、これからの教育は子供達主体なんだと。教師は引っ込んで子供に任せる。ということで委ねていくのがこれからの教育として当然だと。このどちらかに陥って、じゃあどっちにするのかとか、今度の指導要領はどっちを向いているのかというふうについつい社会の中で見られてしまうこと自体が問題だと。ですからこれが振り子となって、今度はこっち、今度はこっちというようなことで周期的に揺れ動いているわけですね。
 そうではないと。むしろそういうそれぞれの長所短所があるからずっとあるわけで、でもうまく長所を組み合わせて、そして短所が出ないようにしていくような、そういうらせん型の発展がやっぱり教育で必要じゃないかと。多分それは石井先生と同じ考え方だと思います。
 ただ問題は、とにかく社会では今度はどっちだというような目で、マスコミも学校も、ややもすると教育委員会も見がちだということです。そのことがやっぱり周知を妨げている大きな要因になっていくんではないかと。学会としてもうちの学会はこっちですというようなことがやっぱり根強いと。地元の研究会はこっちだとか、◯◯スタンダードはこっちだというようなことで、どっちかに立った議論がなされてしまう。学校もそれに引きずられて動く。そこが問題なんだろうというのが一番言いたかったことです。
【天笠座長】  さらに続けさせていただきたいと思います。奈須委員から今、手が挙がっておりますけれども、奈須委員、その次、秋田委員、この順にお願いしたいと思います。奈須委員、よろしくお願いします。
【奈須座長代理】  よろしくお願いします。
 まず、市川先生が最初におっしゃった言葉とか概念の問題ですけれども、難しいといっちゃ難しいんだけれど、やっぱり正確に陳述することは大事なことだと思っています。イギリスとかオーストラリアなんかもそうですけれど、かつて多重知能をベースに政策を組んだことがあって、あの時代だとはっきりと「ハワード・ガードナーの」と言いましたよね。つまり、知能を一因子的に考えるのではなくて多様に考えるんだなんていうぼんやりした言い方ではなくて、ハワード・ガードナーのマルチプル・インテリジェント・セオリーという言い方をしっかりしましたよ。
 これは日本は全然やってきていない。それをすると、例えば特定の識者とか特定の論者のほうに政策が引っ張られるとか偏るとかということの御心配なのかもしれませんけれども、このところを使っている言葉は学術的な根拠があって、学習や知識に関する構造的な理論の中から出てきているものが多いですよね。例えばメタ認知とか学習の自己調整とか、あるいは転移という問題が大きな問題ですけれども、そういうことがあって今回の指導要領とか評価の議論もなされてきたと思うんですけれども。やっぱり学術的なきちんとした、これですよという指示がなされていないので何となく捉えて進むことがあって、それが混乱とか浅い理解とか自分なりの捉えとかを生んでいるような気がするんですね。
 例えば今回の個別最適という話。個別最適はとても広い概念だと思いますけれど、歴史的に言えば個別最適に連なるような研究とか実践の欧米での展開、日本での展開ははっきりと筋道はあって、何がどこまで分かっていてということはかなりはっきりしていると私は思いますけれども、にもかかわらず、私なんかからすればそこは全く個別最適とかという話ではないでしょうという話が、それこそリードしなければいけない附属学校あたりでも平気でやられていたり進められたりしていて。ちょっと前から思っているのは、ある特定の概念とかが単なるスローガンとか言葉ではなくて、もう少し明晰な規定を持てるものであれば明晰な規定を持ったものとして打ち出していくことをそろそろ日本の政策も考えたほうがいいんじゃないかなと、まず思っています。
 それによってよりどころが確かになれば、少しずつ正確な理解も広まるし、それに基づいて展開もぶれなくなってくるんだろうなと。つまり決着がつかないので、幾らでもいいように捉えができてしまうことが一つ危険かなと思っています。むしろ古典的な言葉でも危ない言葉はあって、今回の指導要領で単元という言葉を昭和20年代以来復刻したと理解しておりますけれども、単元とは何かというのがやっぱりはっきり伝わっていないと思います。もちろん答申の下のフットノートのところに説明は一定程度あるんですけれども、あれも学術的に正確な説明かというとちょっと気にもなっているんですね。
 単元論はもう御案内のとおりヘルバルト主義から始まって、1920年代、30年代にデューイとかキルパトリックとかのいろんな議論があって整理されてきたもので、これは石井先生が一番お詳しいと思いますけれども。そういったことを踏まえて今、単元という言葉がこの国で使われているか。
 あるいは教科によっては単元ではなくて題材という言葉を使ってきた戦後の歴史的経緯がありますけれども、海外は多分全部、単元、ユニットで困らないはずで、何で単元と題材という言葉が混乱しているのかはずっと気になっているんですね。その辺りをはっきりさせていくことがそろそろ私は大事かなと。曖昧にすることによって多様な立場が成り立つというふうに日本の教育課程政策はやってきたかもしれませんが、それがもうそろそろもたなくなってきている気が一つしています。
 それから市川先生が最初に御提案なさったどうして指導要領が読まれないのか、あるいは貞広先生がおっしゃったカリキュラムは過重なのかということですけれども、私は、一つは教科書ということをしっかり考えていく必要があるかなと思います。
 結局何で指導要領が読まれないかというと、幾ら読んだところで最後は教科書をやればいいんでしょう、やらなければいけないんでしょうというふうになっている。つまり、先ほども御議論がありましたが、この国の教育の質を支えてきたのは教科書の質だと思っています。世界で一番高い質の教科書が、しかも公費によって適切に配られていることは望ましいことだと思いますけれども、逆にそれさえやれば何とかなる、それをしなければいけないというふうな教科書との付き合い方を教師や学校や教育委員会がしてきたことが大きな問題かなと思っています。
 この間ある附属学校に行ったら、附属学校にないものが2つあると言われました。何かというと教科書の赤刷りと業者テストだそうです。つまり自分たちで目の前の子供に対していいもの、いい授業を存分につくろうとすると、邪魔になるものが赤刷りと業者テストだと。逆に言えば、多くの公立学校は赤刷りと業者テストに依存して授業をつくってはいないかということなんですね。つまり赤刷りと業者テストに依存してやっていけば、学力論を業者テストに委ね、授業の展開を赤刷りに委ねることになり、つまり授業をつくっていないんじゃないかと思うんですね。授業をつくろうとしなければ指導要領を読む必要は全くない。ということが大きな問題じゃないかと思っているんです。
 それでも教科書はよくできていて、赤刷りはともかくとして、教科書はそこそこよくできているので、あれを丁寧にやれば何とかなってしまうところが痛しかゆしのところで、これをどうするか、どう考えていくかということ。
 ちょうどデジタルの話が出たところで、伝統的な教科書は個別とかデジタルには全く向いていない、そういう作りになっていないので、それが実を言うとデジタルの浸透とか個別最適と協働の浸透にも実は障害になっている部分が不思議にあって。これをどうしようかという感じですよね。つまり、教科書は教師が前に立って45分刻みで一斉指導をするのに最適化された教材なので、あれがかえっていろんな改革とか教師の創造性や自律性をくじいているところをどう考えるかという局面に私は来ているのかなと思っています。
 そう考えたときに、先ほど来、貞広先生がおっしゃった教科書を変えていく、教科書の質を上げていくことが一つの戦略だろうと思います。もう一方の戦略は、逆に教師の自律性と創造性を高めていく。指導要領を読みこなし、目の前の子供との関わりの中で存分に大胆に逸脱することも恐れない覚悟でどんどん実践をつくっていく教師に育てていくと。そのどっちをどういうふうにしていくかということを私は実は悩んでいます。私自身は、教師の自律性と創造性が一番大事で、教師が自由に存分に授業をつくることが教育の根幹だ、そして学校は内側から変わるんだと信じてきましたしそう教わってきましたけれども、ちょっとここまで来ると、一つ可能性としていわゆるティーチャー・プルーフ・カリキュラムをどう上手に運用するかということも一方で考えざるを得ないのかもしれないとは考え始めています。
 私個人はよく言うんですけれども、手作りケーキはおいしいか。手作りケーキは皆さんおいしいとおっしゃるんだけれども、たしかに上手な職人が作った手作りケーキはおいしい。でも、下手な職人が作る手作りケーキだったら工場でつくる既製品の100円のケーキのほうがおいしいという、この問題をどう考えるか。でも、既製品の100円のケーキばっかりをこの国に流布させると、この国でどこでもケーキが作れなくなってしまうという。この辺りをどう考えるかでとても悩んでいます。
 デジタルが入ってきたということは、すべて自前でやらなくていいと。既にあるものは上手に組み合わせて使っていけばいいんじゃないかという話にどんどんなってくる。DXはそういう話ですから。ただ、そうなったときに一定程度ティーチャー・プルーフとかアウトソーシングに行く可能性はありますけれど、それを含めて全体のカリキュラムとか学力とか教師の仕事をコーディネートしていくことが最後にはやはり残ってくると思って、そこには絶対自律性と創造性が教師には必要で、最終的にはだから教師の専門性をどう考えるかという話、それとの関係の中で教科書やいろんなリソース、デジタルも含めて、を考えるのかなと。
 だからカリキュラム・マネジメントという考え方を今回打ち出しましたけれども、教師の仕事の質を考えるときのカリキュラム・マネジメントの内実をもう一度はっきりさせて、それとの関係で指導要領をどう記述するかということを考えたらいいのかななんて、すいません、はっきりしませんが、ぼんやりと考えていました。
 以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。今の奈須委員の御発言の中にもありましたし、既に何回かこの会の中でそれぞれの委員の方から教科書に関わっての発言があったのではないかと思っております。そういう点において、何ていうんでしょうかね、非常に学習指導要領と教科書の関係をどう考えていくのかとか、それから教科書が現実に存在し、現実に果たしている役割をどういうふうに見据えていくのかという辺りは、改めてしっかり我々として押さえていくところの一つではないかなと思っていますし、恐らくこういうことが、ある意味とりわけ若い先生方の授業の質の維持をどう考えていくのかという、必ずしも若い先生だけではないわけですけれども、どういうふうに授業の質を維持していくのかという、ありようというんでしょうか、そういうことに関わっての問題提起があると思いますし、この辺りはさらに議論を重ねていく必要がある点かなと、今の御発言等々も伺いながら受け止めさせていただいた次第です。どうもありがとうございました。
 続きまして秋田委員、お願いいたします。
【秋田座長代理】  ありがとうございます。秋田です。
 今までお三方の先生方、大変刺激的なお話を頂きました。恐らく、先ほどから伝言ゲームという話がありましたが、その伝言ゲームの階層が例えば今後オンラインによって教職員支援機構等とか文科省から丁寧に説明がなされ、誰もが皆それを一律で見るようなことがなされ、そして市川委員が言われたように、根源的な意味はこういう背景があってこういうことなんだというようなことが明確に説明がなされるような時代になってくるんじゃないだろうかと。それを逆に伝言ゲーム的なものを今後はしないような工夫というんでしょうか、これがまた県教委から、先ほども石井委員も言われましたが市区町村に指導主事に下り、またそれが指導でいろんな誤解や多様性によって広がっていくような形をいかに避けるかという、そこにICTを、オンラインをどう入れていくのかというところが今後学習指導要領の周知で重要なところではないかと、私自身伺っていて思ったところです。
 一方で、学習指導要領が、先ほど石井先生が言われましたけれども、言説資源というか、そういうものだと。今回の主体的・対話的で深い学びとか、そこそこいい具合に広がっているパワーを持っているんじゃないかと私自身は思っていまして、先ほど高橋委員も到達ではなく方向性の目標にと言われたように、ある種カリキュラムのインプリメンテーションのタイムラグ・ジレンマがやっぱり3年や5年はかかるわけで、それによって実際に実装していって、教師が実施したところで満足して、今いい具合に進んできているんじゃないかと私は思っているんです。
 確かに教えてはいけないとか子供主導だというのは、極端に言えば二極があるけれども、それは教師によってとか学校によって、目の前の子供達の校種によって、スタイルがいろいろあり、それを自律的に選択しながらいいあんばいに自分たちの生徒に資質・能力をそこそこ育ててきているんじゃないかと私は思っていまして。そこについてあまりこういう方向に行くべきだというようなことを強く出すよりも、うちの自治体ではこんなものがあるんだと。さっき戸ヶ﨑委員がそれぞれの学校が研究の先進校でというお話をされたんですけれども、そういう形でお互いに自分のところのものを紹介し合うような形の普及の在り方というんですかね、そういう形で学習指導要領そのものの文言の本質をこんな形のバリエーションもあるよねということをネットや動画で配信しながら、若い教師も、先ほど高橋先生が言われたようにテキストだけでは分かりにくい、でも1つの模範じゃなくていろんなものを見ながら、そこから体得してイメージで実践知に踏み込みながら、これならやってみようというような形で、各自治体がやっていったりできるようにしていくことが大事なのではないかと思っています。
 石井先生が言われましたが、私も各自治体の授業スタンダードを見ると、息苦しくなるような文言で書かれているチェック的なスタンダードが非常に多くなっていて、そういうものが、学習指導要領がかなり大綱化してやっていても、それを縛るようなものになってきているんじゃないかなと考えているところになります。むしろ、今のものをもう少し、誤解が生まれているところについて丁寧に今度は実装的なものを説明していくことが大事だろうと思います。私は、指導主事は本来的には、今のように教育委員会に完全に所属するのではなく、どこか根拠の学校を持ちながら、実践もしながらということが本来あるべきであって、事務的なことに追われてしまっている現在の指導主事の在り方は非常に問題が、専門家としてのその蹴られた数年間がやっぱり問題なんじゃないかと考えているところになります。
 お三方に伺ってみたいと思ったのは先ほどの教科書の問題ですけれども、戸ヶ﨑委員がやっぱり教科書の質を上げると。質を上げるということは、よりスリム化してほかの例えばパッケージと選択できるような形にしていくのか、どういう形の今後の教科書と学習指導要領の在り方、それから評価ですよね。さっき業者テストの話もありましたけれども、ワークシートでうまく使ったりとか、結局評価のところの問題とつながってくるのではないかと思うので、その辺りをどんなふうに先生方が考えられるのかについてぜひ伺ってみたいなと思っています。
 今、私はこの議論をしながら、恐らく12月にまたPISAの結果が出た途端にいろんなことが起こっていくんじゃないか、そういうことに惑わされず、今の在り方をどう考えたらいいのかをきちっと見据えていくことが大事かなと思っているところです。
 取り留めがありませんが、以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。今の秋田委員の御発言の中では、学習指導要領の大綱化という言葉が出てまいりました。私はこれは一つの歴史的な知恵という捉え方をしておりまして、基本的に非常に、やはり学習指導要領の在り方を考えるときの一つのまさにキーワード中のキーワードではないかと思っております。
 それから学習指導要領が定着する過程を3年から5年を云々と言いましたけれども、ある意味で言うと、瞬時に伝わる箇所とそれから3年から5年かける箇所と、場合によっては10年かかるものがそれぞれの中に時間的な軸から見るといろんなものが詰め込まれていて、それぞれの時間的な経過の中でそれぞれ学校の中に伝わっていくような、こういう伝わり方という視点というんでしょうか、捉え方もまた一つ、学習指導要領を捉えるときの私は大切な視点ではないかなとは思っております。
 限られた時間の中で全て一定的に定着するという意味における定着という捉え方ももちろんありますけれども、一定の短期的・中期的・長期的という中での伝わり方もまた、伝わり方を捉えていく場合の視点にしていく必要性はあるんじゃないかなと思っております。
 それで秋田委員、御質問で教科書に関わって、3人の委員の方からそれぞれ見解を頂きたいというふうに捉えてよろしいでしょうか。
【秋田座長代理】  できれば戸ヶ﨑委員に、教科書のことを言われたので伺いたいと思ったことと、評価のところを市川先生に伺ってみたいかなと思ったところになります。
【天笠座長】  分かりました。じゃあ早速。
【市川委員】  何のところはとおっしゃいましたか。市川委員に何のところと。
【奈須委員】  評価です。
【天笠座長】  評価。
【市川委員】  あ、評価ですか。
【天笠座長】  それでは戸ヶ﨑委員から、そして次、市川委員、そして貞定委員でお願いします。戸ヶ﨑委員、いかがでしょうか。
【戸ヶ﨑委員】  昔から、教科書を教えるのではなくて、教科書で教えるのだということは言われ続けており、これを知らない教師はおそらくいないのではないかと思いますが、
現実はどうかというと、やはり教科書に頼らざるを得なくて、教科書を教えてしまっている教師も少なくないと思います。特に若手の教師はそういう傾向があると思います。
 先ほど教科書も学習指導要領が目指す資質・能力の育成を強力にアシストして、教科書で教えざるを得ないようにと、このように教科書が進化することもありではないかと申し上げました。とは言え、できるならば教科書自体が薄くなっていて、教師の自由度や主体性をその中に入れ込めるような形になっているのが理想なわけです。しかし、経験の浅い教師などが、教材の持つ本質的なものが抑えられず漏れてしまうのはまずいわけです。そこで教師の匠の技というか、授業の中で本当に問わなくてもいいことは問わなくてもいい、しかし問うべきはしっかりと問うというようなことのエッセンスが中に仕組まれているような教科書を作っていけば、それを教科書で教えることによって、学習指導要領の趣旨徹底の一助になるのではないかという思いを込めて申し上げました。よろしいでしょうか。
【天笠座長】  どうもありがとうございます。続きまして市川委員、お願いします。
【市川委員】  先にやっぱり教科書について。非常に大事な問題だと思うんですけれどもね。私は、指導要領が変わることによって教科書、特に小学校・中学校は随分変わりつつあると思っています。今も中学校の検定とかやっているところですけれどもね。30年ぐらい前の教科書とは見違えるようないい方向が出ている。例えば学び方であったり、例示がされていたり、それからこの学習をするとどんなふうに社会で使われるのか、いろんな人にインタビューして、学校だけで閉じている知識じゃないんですよというようなことを語ってくれたり。あとQRコードがついていて、そこから随分いろんな資料を見ることができるんですよね。ある意味では非常に丁寧に親切になっていて、その中に指導要領のコンセプトも生きているなということは感じます。
 ただ、あまり丁寧にし過ぎると、奈須先生がおっしゃったように赤刷り教科書もそうですけれど、このとおりやればいいみたいなマニュアルになってしまうと。すると、先生たちがあまり考えないんじゃないかと。これは本当に痛しかゆしだと思うんですけれども、特に小学校の先生が毎日6時間違う授業をどんどんやっていく中で、あれがなかったらやっぱり相当大変だろうと思います。
 そういうこともあって、学校からはどうしてもそういう懇切丁寧なもののほうが採用されるような事情が起こってしまう。それに指導書も、まあ買うんですけれどもね、やっぱりあると、これがないととてもこなせないようなことが起こってしまう。これはすごく問題なんだと思うんですが。
 私は別の側面の問題も感じていまして、やっぱり一頃、いい教師は教科書など使わないみたいなことが相当言われた時期がありますよね。研究授業などに行っても、教科書を使ってさらにそれを越えていくような授業はほとんどなくて、そもそも教科書を使わない。聞いてみると、やっぱり研究授業で教科書を使うと何か格好悪いですからみたいな。ふだんもいい先生は自作プリントでやるみたいなことばかり言われて、むしろ教科書がせっかくいいものがあっても全然使われないような場合もあると。これもまた問題で、私は、教科書とかさっきの業者テストもそうですけれども、使えるところは使って、さらにその先で先生方が創意工夫をしてくれるといいと思っています。
 ですから、せっかくよくできた教科書ならば、私は、むしろ生徒が家で読んでくるとか、あるいは授業の最初5分間、じゃあみんな、これ、教科書を読んでねと。勝負はそこからだと思うんですよね。教科書を読んでも分からない子はたくさんいる。あるいは深い読み取りができていない。それを先生がさらに工夫して深い学習にしていく。そこでこそ生きた先生の役割がある、創意工夫もそこでこそ生まれてくるんじゃないかとも考えますので、教科書自体が丁寧で子供が読んでも分かるくらいになってくれれば、それはそれでいいのではないかと。だからこそそこから先に先生の役割が出てくるんだろうと思います。
 業者テストも同じで、知識・技能で測れるものは業者テストでもいいではないかと。その先、思考・判断・表現になったり、さらに主体的に学習に取り組む力となったら、これは業者テストでそう簡単に測れないので、むしろそこで先生は創意工夫を発揮してくださいと思います。
【天笠座長】  すいません、時間の関係等々があって。急がせるような格好で。
【市川委員】  いや、結構です。
【天笠座長】  残りの時間も少なくなりましたので、まだ御発言いただいていない方にぜひ御発言……。
【貞広委員】  天笠先生、すいません。私も教科書について応答させていただいてよろしいでしょうか。
【天笠座長】  はい、どうぞ。すいません、短くなりますけれどもお願いします。
【貞広委員】  一番最後のスライドに書きましたけれども、奈須先生と同様に、私も非常にこの向き合い方は迷っております。高度な専門職たる先生方の専門性を生かすのであれば、コンパクトな教科書で、教科書を越えていただくことを考えたいと思うんですけれども、一方、それでは先生方の授業準備が無定量になってしまって、これ以上忙しくなるので、もっとやれと言えないというジレンマもあります。じゃあどうしたらいいのかというところの葛藤が、教育の質保障を教科書に依存するシステムだったところを、どう向き合っていくのかという一文を入れさせていただいたところです。
 すみません、横入りしまして申し訳ありません。
【天笠座長】  大変貴重な御発言、どうもありがとうございました。
 残りの時間も少なくなりまして、御発言いただいていない荒瀬委員と冨士原委員に御発言をお願いしたいと思います。荒瀬委員、いかがでしょうか。
【荒瀬委員】  ありがとうございます。お三方、本当にありがとうございました。私は聞いていて本当にいろいろと勉強になりまして。秋田先生からは教職員支援機構にエールを送っていただきまして大変ありがとうございます。
 ちょっとだけ簡単に申し上げますと、今、最後に貞広先生がおっしゃった教科書の問題ですけれども、私なんかは非常に単純に、コンパクトなものと、本当に子供がどしどし読み深めていけるような、単純に言うと分厚いものとか、そういったものの選択ができるような形の教科書の設定も考えていくことはできないのかなと思っております。
 それから、戸ヶ﨑先生がおっしゃったことと市川先生がおっしゃったことと重ねて申し上げますと、戸ヶ﨑先生が後から質問に答える形で資料の17ページをお示しになりました。ここのところで、目の前にいる子供達が出ていく社会の風景画が描けているという、こういうことを含めた3つの条件があるならば各学校どうぞ、としているんだというお話で、とってもすばらしいなと思いました。
 目の前にいる子供達が出ていく社会の風景画が中教審の中では描けても、それが果たして教育委員会とか現場との間で共有できているのかどうかということも少し注意深く考える必要があるなと。そうなってくると、市川先生が表題でお示しになった学習指導要領の趣旨が本当にちゃんと伝わっているかどうかということも、そういうところから見ていくことが大事なのではないかなと思っております。
 もう時間がありませんので詳しくは申し上げませんが、教職員支援機構も新しい形の研修を今年度から始めておりまして、それは決して知識・技能の伝達に意味がないとは思っておりませんので、それも一方でやりつつ、先生方が課題を自分たちで見いだして取り組んでいただく。その際じっくり時間をかけていただく、そういう形の研修を今後全国に御提案していきたいと思っているということでございます。
 以上です。ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。それでは続きまして冨士原委員、お願いいたします。
【冨士原委員】  3名の委員の方の御説明で大変勉強させていただきました。
 まず、やはり実装を妨げているものは何かというところで色々学ばせていただいて、私も考えていきたいと思いました。
 もう質問の時間ではないと思いますので、意見ということになりますけれども、私が関心を持ったのは、なぜ実装できないのかという点です。3人の委員の方に一つ共通しているのは、例えば市川委員の中では因習という言葉で出てきておりましたし、戸ヶ﨑委員の中では形式的な平等主義とか、そういった言葉も使われておりました。貞広委員の中では今までの当たり前。やはりこれらが私は結構大きな問題なんだろうと、3名の委員の方のお話から考えさせられたところです。
 現場の先生が因習的なところからなかなか逃れられないのは、一つはそれで成功してきたという経験もあり、それは教師自身のある意味マインドセットかもしれません。さらに保護者がやはりそれで成功してきたということもありえます。教師だけじゃなくて保護者、ある意味、社会全体の学校教育に期待するものをもう少し変えていく。学校の教師の意識改革も大事ですけれども、社会に対するアピールも、特に保護者ですかね、そういうのも大事なんじゃないかなと考えさせられました。
 それともう一つ、さきほど荒瀬委員も戸ヶ﨑委員の17枚目の格差の問題を取り上げられておりましたし、貞広委員のファクトの捉えのところでも共通していて、私も関心があるところがあります。もしかすると研究者のマインドセットの問題といえるのかもしれませんが、どうしてもよく頑張っている学校、実装がよくできて頑張っている学校に注目しがちで、できていないところがなぜできないのかという研究がなかなかしづらい。だからどうしても最先端な学校がなぜできているのかを跡づけるみたいな究は多いと思うんですが、なぜできないのかというところになかなか踏み込めない。ケーススタディーがあってもいいのかと思いますが、そういう研究をなぜ、逆に言うとこれまであまりなされてこなかったのかということを、研究者のマインドセットとしても考えていかなければいけないのではないかと思います。戸ヶ﨑委員の17枚目のスライドを見ますと、それに対する提案がたくさんなされているので、研究者の中でもこういうことを受け止めていかなければならないのかなと思いました。
 すいません、お時間もないけれども最後に1点。私、全国学テの補完調査で、コロナ禍でも学力で成果を上げている学校の調査を致しました。その時に記憶に残っておりますのが、そうした学校に行ったときに、学習指導要領をこんなに読んだことはなかったと言われました。小学校ですけれども。コロナ禍になる前はとにかく教科書を終わらせなければと。一生懸命それに邁進していたけれども、コロナ禍でもう教科書は終えられない。なので、とにかく学習指導要領のポイントだけ外さないことを狙って取組を進めたという学校が多くありました。こういう形で、というのも変ですが、教科書よりも指導要領を重視しなければという雰囲気がコロナ禍において醸成されたのだなと思いました。ただ、コロナ禍が明けた途端、そのコロナ禍で先生たちが積み重ねた貴重な経験がもう台なしになっているこの状況をどう受け止めればいいのかなと、今考えていた次第です。
 以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。そろそろ時間ですので、本日はここまでとさせていただきます。
 今の冨士原委員の御発言の中に大切な点がまた一つあったかなと。一つというかそれぞれ大変貴重な御発言でしたけれども。私、やっぱりこの国の学校の、先へ進む学校もあれば、なかなかそこのところに一緒に歩めない様々な学校があるんだということを私どもは常に視野に収めながら、この議論を進めていく必要があることを改めて確認させていただきたいと思うわけであります。
 とかく、やっぱりそれぞれ研究者としての立場ですと、比較的情報が先端を行っているところに接しがちというんでしょうか、あるいはそういうところとの関わりがあるのですけれども、もちろんそれも重要であることは間違いないですけれども、必ずしもそういう視野のある意味では外というんでしょうか、そういう学校の存在もしっかりと見据えながら、全体の底上げというんでしょうか、質の維持もこの国はこだわって進めてきたあれではないかと思いますので、改めてその辺りをしっかりと押さえながらまた議論を進めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 ということで、ここまでということに本日の議事はさせていただきたいと思います。本有識者検討会では、引き続き第4回で各委員より示されました課題意識に沿って議論を進めてまいりますが、次回以降の議題や日程については、事務局と相談の上、改めて連絡させていただきます。
 それでは、本日は以上をもちまして閉会とさせていただきます。どうもありがとうございました。
 
―― 了 ――
 

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)