今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第6回)議事録

1.日時

令和5年7月12日(水曜日)14時00分~16時00分

2.場所

WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式

3.議題

  1. 学習指導要領の実現をめぐる諸課題について
  2. その他

4.議事録

【天笠座長】  それではどうもお待たせしました。ただいまから第6回今後の教育課程、学習指導要領及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会を開催いたします。御多忙中、御参加いただきましたことについて、お礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございます。
 本有識者検討会につきましては、報道関係者より撮影及び録音の申出があったことについて、これを許可しておりますので、承知おきいただければと思います。
 前回、第5回の会議では、これからの学校像についてをテーマに、私と荒瀬委員より発表を行い、委員の皆さんと意見交換を行いました。
 本日は、今後の教育課程の在り方についてをテーマに、秋田委員と石井委員より御提案いただき、その後、委員の皆さんと意見交換を行いたいと思います。
 それでは、お二人の委員の御提案に先立ちまして、まず、事務局より、資料1、2として、本日の議題に関連する資料を配付していただいておりますので、これらについて、御説明をお願いいたします。
【石田教育課程企画室長】  失礼いたします。事務局でございます。
 資料1は、前回、第5回の検討会の御議論を事務局におきまして、まとめたものでございます。また、後ほど御確認をいただければと思います。
 今日の議題に関わりましては、資料2をお配りしておりますので、こちら、画面共有しながら御説明を申し上げたいと思います。
 こちらの資料でございますけれども、本日の議題、今後の教育課程の在り方に関わりまして、今の学習指導要領の改訂の在り方について提言を頂戴しました、中教審の答申における御指摘、あるいは答申を踏まえまして改訂しました実際の学習指導要領、学習指導要領の解説の記述を整理したものでございます。概略を御説明してまいります。
 次をお願いします。本日は、こちら、赤枠の課題意識に関わる御議論をお願いしたいと考えてございます。
 次をお願いします。こちらが課題意識でございます。学習者である子供たちの全人的な発達を支え、資質・能力の育成を保障する観点から、学校における教育課程をどのように構想するかということで、丸1から丸4の観点で、お話をいただければと考えてございます。秋田委員、石井委員から、それぞれ丸1から丸4に関わって御提案いただきました後、委員の先生方によりまして、意見交換をいただきたいと考えてございます。丸1から丸4、それぞれにつきまして、関連の資料を簡単に御紹介申し上げます。
 次、お願いいたします。丸1の幼児教育から高等学校卒業段階までの発達をどのように支えるかという点に関わってでございます。
 次、お願いします。学習指導要領の総則では、児童生徒の発達ということに関わりまして、大きく2か所規定を設けてございます。1つ目は教育課程の編成に際しまして、児童生徒の心身の発達段階等を踏まえることと、2つ目はガイダンスとカウンセリングの双方によりまして、児童生徒の発達を支援すること、キャリア教育の充実などに関する規定を設けてございます。その上で、それぞれの発達の意味するところは、学習指導要領解説というところでお示しをしてございます。
 次、お願いします。ここが、今ほど御紹介しました指導要領の総則の該当部分についての発達の部分の解説の記述となってございます。
 次、お願いします。次がキャリア教育の充実の部分における学習指導要領解説の記述、これも小学校、中学校、高等学校、それぞれ記載があるところでございます。
 次、お願いします。次に、丸2、丸3ということで、教育課程全体、各教科等の学びを通してどのような資質・能力の育成を目指すか、子供たちが学ぶ内容をどのような原理、方法で選択、組織するかという課題意識に関わる資料でございます。
 次、お願いいたします。こちらも学習指導要領総則の規定でございますが、生きる力、資質・能力の3つの柱に関する記載でございます。学習指導要領では、上段でございますけれども、次の(1)から(3)までに掲げる事項の実現を図り、生徒に生きる力を育むことを目指すとした上で、いわゆる確かな学力、豊かな人間性、健康や体力といった知徳体に関わる規定を、それぞれ(1)、(2)、(3)として、お示しをしてございます。
 (1)では、基礎的、基本的な知識及び技能を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等を育むとともに、主体的に学習に取り組む態度を養い、個性を生かし、多様な人々との協働を促す教育の充実に努めること、(2)では、道徳教育や体験活動、多様な表現や鑑賞の活動等を通して、豊かな心や創造性の涵養を目指した教育の充実に努めること、(3)では学校における体育、健康に関する指導を生徒の発達の段階を考慮して、学校の教育活動全体を通じて適切に行うことにより、健康で安全な生活と豊かなスポーツライフの実現を目指した教育の充実に努めることをそれぞれ規定してございます。
 その上で、生きる力を育むことを目指すに当たっては、次に掲げることが偏りなく実現できるようにするものとするとして、資質・能力の3つの柱というのを示してございます。この3つの柱の意味するところも、学習指導要領の解説に示してございます。
 次、お願いします。こちらが知識及び技能に関する記載でございます。学習指導要領の改訂を提言いただきました、平成28年の中教審答申の記述を基に記載をしてございます。
 次、お願いします。思考力・判断力・表現力等に関する記載で、次のページ、お願いします。学びに向かう力、人間性等ということで、それぞれ記載を答申に基づきまして示しているところでございます。
 次、お願いします。次は、教科等横断的な資質・能力の育成ということでございまして、学習指導要領では、学習の基盤となる資質・能力、言語能力、情報活用能力、問題発見解決能力、現代的な諸課題に対応して求められる資質・能力ということの育成を教科横断的に図っていただくようまとめてございます。これら資質・能力のイメージ、こちらは28年の中教審答申でも整理されているところでございます。
 次のスライド、お願いします。こちらは言語能力を構成する資質・能力を3つの柱に沿って整理いただいたものでございます。こうした整理を踏まえながら、ここを中心に、内容を整理してお示しをしていると、学習指導要領でお示しをしているところでございます。
 次のスライド、こちらは情報活用能力ということで、こちらも資質・能力の3つの柱に沿って整理をいただいてございます。
 次、お願いいたします。これは学習の基盤となる力ではなくて、現代的な諸課題ということでございますけれども、主権者として必要な力を育む教育と、例えばでございますけれども、指導の知識に関する事項を中心に、幼児期から高等学校段階を見通して、教科等の観点を踏まえて整理をいただいてございます。
 次、お願いいたします。ここからは各教科等ということでございますけれども、今回、見方、考え方ということで、各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方としてございますけれども、こちらにつきましても、中教審答申で教科等別に整理をいただきまして、それを踏まえまして、現在、学習指導要領の下に、それぞれの教科等の特質に応じた見方、考え方ということを規定しているところでございます。
 次、お願いいたします。その上で、各教科等ごとに、幼児教育から高等学校卒業段階を見通して、育成を目指す資質・能力を整理いただいてございます。こちらは社会科、地理歴史科、公民科の例でございますけれども、丸1、丸2、丸3と小さいところに書いてございますけれども、これが資質・能力の3つの柱に対応してございまして、学習指導要領における各教科等の目標のひな形になってございます。この目標を学習指導要領に定めまして、この目標の実現のために必要な教育の内容を整理しまして、学習指導要領の内容という形で規定をしているということでございます。
 次、お願いいたします。こちらが理科の例でございます。こちらも幼児教育から高等学校卒業を見据えてということでございます。
 次のスライドお願いします。最後、丸4、子供たち一人一人の特性を考慮した教育課程という点、この辺りに関わりましてでございます。
 次、お願いします。現行の学習指導要領の総則では、第4というところで生徒の発達の支援ということを新設いたしました。ガイダンスやカウンセリング、生徒指導、キャリア教育、指導方法や指導体制の工夫改善というものによる個に応じた指導といったことをお示ししますとともに、次のスライドをお願いします。特別な配慮を必要とする生徒への指導として、障害のある生徒などへの指導、海外から帰国した生徒の学校生活への適応、日本語の習得に困難のある生徒に対する日本語指導、不登校生徒への配慮、学齢を超過した者への配慮などをそれぞれ記載しているところでございます。
 以上、簡単でございますけれども、本日の議題に関わる資料の概略でございます。御説明は以上となります。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。先に進めたいと思いますので、ただいまの事務局からの説明につきまして、御意見等、あるいは御質問がありましたら、後ほどの意見交換の際にまとめてお願いできればと思います。
 それで、本日の議題に入りたいと思いますけども、それに先立ちまして、若干申し上げさせていただきます。前回と同様に、重ねての御案内になりますけども、本有識者検討会は現行の学習指導要領の実施状況を検証する中で、今後の教育課程、学習指導、学習評価等の在り方について検討する際に考えられる論点を整理し、まとめることをその役割としております。
 したがいまして、今回のテーマに関する議論も有識者検討会としての考え方を論点としてまとめる形での運営を行いたいと思っておりますので、御理解と御協力をよろしくお願いいたします。
 それでは、本日は、秋田委員と石井委員から、これからの教育課程をテーマに御発表いただき、その後、委員の皆さんと意見交換を進めていきたいと思います。それぞれ、およそ30分前後ぐらいということを見込んでおりますので、まず、秋田委員から「今後の教育課程の在り方について:発達の視座から」と題し、資料3を提供していただいておりますので、秋田委員、よろしくお願いいたします。
【秋田座長代理】  ありがとうございます。学習院大学の秋田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 私のほうが担当しているのが発達というような視座からというところになります。どちらかというと、縦の軸のところです。今、御提示いただきましたように、4つの課題意識ということで、学習者である子供たちの全人的な発達を支え、資質・能力の育成を保障する観点から、学校における教育課程をどのように構想するかということで、主に4つの点を挙げていただいております。今回は、主に私のほうでは、赤字部分の1、それから4と、若干の2もお話をさせていただくような形で進めさせていただきたいと思っております。
 まず、幼児教育から高等学校卒業段階までの発達、特に認知発達、身体的発達、社会情緒的発達、キャリア発達をどのように支えるのかというところでございます。先ほど室長から御提示をいただきましたような形で、既に、このような形で整理がなされているところになります。小学校低中高学年、中学校、高等学校というような形の中で、その幼児期からの連続性ということや、それから中学校以降の段階に確実につなげていくということや、それから、学年による生徒の発達という段階を考慮しなければならないという中学校の記載が出され、右側で学級経営のことについても触れてくださっています。まず、発達の段階と発達の支援という言葉に関してでございます。
 発達の段階や特性及び発達の支援ということと、それから、その両者の関係や発達段階とは何を意味しているのかということが、学習指導要領では分かっているようでやや曖昧な記述ではないか、より明確に記載することが必要ではないかと考えております。平成20年、21年の改訂より前は「発達段階」と表記されていたものが「発達の段階」というように、表現が「の」が入り、変更になっています。これは、この時期に学習指導要領の改訂に関わられた、無藤隆先生に直接伺ったところでは、「発達段階」という表現は段階が固定的であるので、より発達の幅を広げたニュアンスで、「発達の」と「の」が入ったというようなことをお伺いしております。
 また、今お話しいたしましたように、小学校低中高学年、中学校、高校と時期による特徴というのは極めて重要であります。しかし、現実に、発達の段階とここで呼んでいるものは、実は学年であり、学校種というものを指しています。すなわち、制度が発達をつくっているという側面が発達の段階として、ここでは使われていると考えられます。現在、多様な子供たちの存在があることは指摘されているわけでありまして、個々人の発達というのが、より幅がある、低学年、中学年、高学年と2年ごとで一応区切って、時期の特徴を示しているわけですけれども、もう少し幅があるというようなことを踏まえると、発達の段階は、学びや発達の連続性とか、それから、学校と家庭での生活の場所がつながっている連続性ということによって支えられていることの共有が必要ではないかと考えます。前の経験が、次の経験に連続的につながることによって、初めて発達ということが、このような段階を経ていくことができるというところが重要であり、そこにおいては、制度に基づいてつくられた発達だけではなく、子供の視座から言いますと、個人差、多様性というものがあります。それぞれの子供から見たときに、経験が連続をしていることが、発達を保障していく上では重要であろうと考えられます。
 特に、進級などでの学年間、また、校種間の卒業、入学というような学校間の環境移行によって、実際には非連続性が起こっています。そこで、例えば、不登校や環境に慣れずに適応ができないというような子供たちが実際にいるわけです。そういう意味での発達の危機が、こうした環境の移行の時期に、特に起こっていきます。自分の既に持っていた経験が次につながらないということになります。そこにおいて、例えば単元ということを考えたときにも、前の単元、系統であれば前の段階とののりしろというかつながり、それから学校間での、のりしろという部分に、接続とかそれから内容が重複をしたり、それから、内容のつながりにおいて行きつ戻りつしながら、つなぎを子供自身がつくっていくのだということが発達の段階として重要であります。集団としての学年や学校種が持つ特徴は重要でありますが、一方で、その中で、様々な経済背景や特性によって、発達の過程は今、多様でありますので、そこへの配慮ということを、学習指導要領の中でも述べられてはいるんですけれども、より丁寧にしていくことが今後必要であろうと思います。
 段階という言葉が、直線的に階段を上っていくようなイメージを与えますけれども、実際には、複線的な発達の過程があり、特に定型発達の子供たちだけではなく、非定型の発達ということが障害として、時に捉えられるわけですが、そうした側面に言及することが今後、必要になってくるのではないかと思います。特に今、そうした子供が、子供の数は減っていますけれども、多様性が増加していくところで、教育課程として、そうしたことへの配慮がより必要になるのではないかと考えられます。特に、エコシステムということを考えたときに、環境を通した、一貫した支援というものが、子供の主体性を生かし、そして資質・能力の育成をしていくという上で重要になってくるのではないかと考えられます。
 そのときに、学問や教科の系統性、それから制度が設定した原理による発達の段階という視点だけではなくて、子供自身が自ら作り出した生活や学習を基盤とした連続性というものに、教育課程や教師が配慮をしながら指導を行っていくことの必要性ということが、子供の視点から重要になってくるのではないかと考えるところであります。
 これは字が小さくて恐縮でありますけれども、エコシステムという子供を中心にしたときに、子供が育つ周りの環境を描いたものであります。これが時間軸で、これが周りの子供の育つ環境空間を示しています。これが実際には制度的な学年制であったり、それから、学校の校種によって、移行ということが起こるわけです。例えば日本では、6歳で小学校入学でありますが、フィンランドやエストニアとかは7歳入学でありますし、イギリスやオーストラリアとかは5歳になるわけです。そのときに、その環境の移行という問題が起こってきます。教育課程というときに、一般には、下に書かれているものが、字が小さくて恐縮でありますけれども、いわゆる策定された教育課程、そしてそれをどう実際に実施したのかという教育課程が問題にされがちでありますけれども、子供自身は、どのようにその教育課程を学習の道をたどり、経験してきたのかという経験カリキュラムの側面、いわゆる学習の軌跡というところに目を向けながら、学習評価をしながら、環境間を移行していく子供たちの経験カリキュラムというものが連続していくようにすることが、子供たちの発達を支えていくという上ではより重要な視点になっていくと考えられます。つまり教育課程というものが計画されたカリキュラムや実施されたカリキュラム、それによって何が達成されたかと同時に、子供たちから見たときに経験したカリキュラムや教育課程が連続して、自分の主体性や、得た知識や技能や思考力、判断力、そうした態度等もつながって育っているのかというような視点が重要ではないかと思います。
 今回、学びや生活の基盤をつくるということで、幼児教育と小学校教育の接続につきましては、架け橋プログラムにおいて2022年の3月より、5歳の4月から1年生の3月までを架け橋期と呼んでいるわけです。ここにおいても、その2年間はのりしろではありますが、そこだけに特化するのではなく、ゼロ歳から18歳の学びが連続しているという考え方であります。それがWell-beingを実現していく上で非常に重要であるということと同時に、幼児教育施設は小学校以降の教育を見据えて、小学校以降の学習や生活の基盤の育成を行う。小学校は幼児期に育まれた資質・能力を踏まえて教育活動を実施するという児童の実態というものを論じています。
 これは幼児と児童だけではなくて、小学校から中学校、そして中学校から高校へというときにも見据えていくということと、そして、それを生かして、過去に習得したものを踏まえて教育活動を実施していくというような視点がより明確に出されていくということが、学びの主人公である子供たち、生徒を主体にして、教育課程を組んでいくということにつながっていくのではないかと考えられます。
 この点で、資質・能力の3つの柱と、それから、認知発達や社会情動的発達、身体発達の関係ということを考えてみますと、相互に関係をしているということは、学習指導要領の解説の中にも、相互に関連し合っているということは書かれておりまして、例えば、知識の理解の質を高めることが、この理解を深めていくうえで重要であるというようなことが書かれていたり、それから態度という人間性、学びに向かう態度が、力がこういうふうに両方向に影響を与えるということが書かれているんですけれども、双方がどのような形になっているのかということは、必ずしも学習指導要領の解説の中では、3つの柱は挙げられているんですけれども、そこの教育の指導として、それから支援として、どうあったらいいのかというところに関連しては、もう少し、より明確に書いていくことも必要かもしれないと考えられるところであります。
 これは、いろいろなところで、長期縦断研究で示されてきているところですけれども、いわゆる認知的な発達と社会情動的スキルは、両方が学習に影響を与え、そして、それぞれが雪だるま的に、累積的にお互いが高め合っていくのだというようなことは、様々な研究で明らかにされてきているところであります。けれども、この辺りの発達と、それから資質・能力の3本柱の関係、そこをどう支援してというところがより明確になると良いのではないか。教科横断的な汎用能力というものも、その中で、どのように育っていくのかというところが、議論が必要であろうと思います。
 特に、2年単位で教育課程を組んでいるものは、第2学年で記述されている場合は、2年間を見通してということが書かれているわけですが、2年間を見通すだけではなく、次の2年間とどうつないでいくのかというような視点を持って、連続性によって3つの資質・能力の柱というものの螺旋的にそれを高めていくのだというようなイメージが生まれていくとよろしいのではないかと思います。
 その辺りが、これは指導要領の文言どおりで、先ほど御説明があったとおりでございますけれども、もう少しこの辺りでやることとしての、各教科と学校教育全体、並びに各教科、道徳科、総合的な学習の時間、特別活動及び学級活動でやるんだということが書かれているんですけれども、この間の関係について、より丁寧に考えていくことが、発達を支援していく上では重要なことになってくるのではないかと思います。
 特に認知発達と社会情動的な発達というようなところでは、1つには自己調整学習の考え方が、教育課程には書かれておりませんが、学習評価の部分で、今回、入れられているわけです。自己調整学習というものがどのように発達をしていくのか、その道筋の中で何がどのように育っていくのかというようなことを考えますと、恐らく5歳から小学校の低学年時期におきましては、まずは、自分の社会情動的な調整能力というような、認知的な側面だけではなく社会情動的な側面や自分で自分の行動の実行制御する能力の育成と、そして対人的な、協働的な能力の発達、育成ということがあります。それが小学校高学年や中学校、高校というようなところで、メタ認知というのが学びに向かう力の中に入っていることが明示されているわけですけれども、こうしたものが社会情動的なスキルと合わせて、学習方略やメタ認知能力というものが、それらを基盤にして折り合わさって育っていくわけであります。それによって協働ということも、同じことを一緒にするだけではなく、異質な視点や知識を統合していくというような側面を持っていくということが言えるのではないかと思います。そして、中学校、高校において、特に自己調整学習能力という計画、実行、評価を自ら行い、共創で共同探求や創発ができるというような、そういう見通しというようなものがより見えてくるといいのかなと考えるところです。
 そして、3点目です。キャリア発達というところにつきましては、ここにも書かれておりますように、課題として書かれていることですけれども、いわゆる小学校段階においては、特別活動において、進路に関する内容が存在しないので、体系的に行われてきていないとか、それから、働くことの現実や、必要な資質・能力の育成につないで、指導が軽視されていたりするのではないかということが、特に小学校段階で記されているところになります。
 私はキャリア教育の連続性というものを一層充実していく、キャリア教育は、先日、荒瀬先生のほうで、高校段階でのお話をいただいているわけですけれども、生涯の人生のライフデザインというんでしょうか、職業というだけではなく、これからワークライフ・バランスやワークとライフというものを見通したときのライフデザインの教育として、資質・能力の中核となる教育であり、子供の自己形成の教育として幼小中高が連続し、つながっていくというような考え方が、キャリア教育という言葉の中に入ってくることが必要なのではないかと思っているところです。
 それが3本柱を、やはりキャリア教育が中心にもなりながら、生き方の教育として育てていくというところにつながっていくのではないかと考えるところであります。社会的、職業的自立という、職業的自立ということが重要ではありますが、生活者として、また、社会的な自立ということが、特にキャリア教育の中で、私は小中の段階から重要になってくるのではないかと思います。特に、この間、こども基本法が、今年度4月から施行され、また、こども大綱を現在、こども家庭庁こども家庭審議会等のほうで検討いたしておりますけれども、その中でも権利主体としての子供が、子供自身が、子供が学ぶ権利や育つ権利を持っているのだということを学ぶ教育の必要性が語られています。それは子供の意見が聞き取られることであり、意見を表明することの権利であり、自分の権利の主張だけではなく、他人の権利を剥奪、侵害しないというような、そういう主権者、社会的参画への必要性というのがあるのではないかと思っているところです。
 進路や職業選択はその重要な一つではありますけれども、むしろ人生におけるライフデザインの教育として、義務教育の段階からの一層の充実ということが必要ではないかと思っています。例えば、家庭を持つとか親になるとか、そういうこともライフデザインの1つに入ってくるわけであります。環境教育や性教育、経済の教育や、そうした生活者としての教育というものも、また、この観点として、キャリア教育というものをあまりにも拡張することの意見の是非や賛否はあろうかと思いますが、その連続性の中に、多様化していく高校の前の義務のところで考えていくことの必要性があるのではないかと思っています。
 そして、こうした発達を支える指導のメカニズムということが、学習指導要領ではどのように記載されているかというところを見ますと、教師と児童との信頼関係というものと、それから、児童相互のよりよい人間関係、そこに先ほども御説明がありましたが、集団でのガイダンスと個別のカウンセリングということが言われてきたわけであります。これ自身は、日本の学校教育のとても良い点を述べていると思いますが、教師の指導のみではありません。子供間の協働による足場を掛けるというのでしょうか。個人ではここだけれども、他者や様々な道具を活用することによって、個別の子供の発達の可能性は、発達の最近接領域まで伸ばすことができる。そこには、子供同士の協働による足場掛けがある。また、学習指導要領で多様な他者と協働するということが書かれているわけですが、社会に開かれた教育課程や、少子化社会の中でいろいろな他者、異年齢の人を含めた、そうした人との協働の重要性ということが、発達のメカニズムとして考えられることが必要ではないかと思います。
 また、ICTなどをはじめとする学びの環境のデザインとメディアや道具によって学びを拡張していくことも、発達の支援として捉えていく必要があるだろうと思います。
 そして、発達というものは、子供自身が自らの学び、学習の評価を自分で評価し、そして自分で振り返る、自己省察や相互の評価を通して自立的に学習と学習評価のサイクルを自分自身で自立的に行うことができる。それが発達を支えていく指導のメカニズムになるのではないかと思います。
 これが、発達の指導や支援に関するまず、1点目です。
 それから、もう一つは子供たち一人一人の特性を考慮した教育課程の個別性と、それらを包摂する学校教育全体の教育課程の調整ということであります。先ほど発達は、1のところと4のところに主に書かれているんですが、発達の支援の構成を見ていただくと、一般の通常の児童の発達を支える指導と、2つ目が、特別な配慮を必要とする児童の支援、指導ということで、3つ挙がっているわけです。けれども、今、児童生徒の多様性を配慮した、もっと個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実という令和の答申を踏まえた記載が学習指導要領に加わっていくことが必要ではないか、定型発達と非定型発達ということが、1と2のところで区切られているんですけれども、より連続的にそれらを捉えることが必要ではないかと思います。
 京都大学の明和先生が、このような形での発達の感受性期というものが、第1、第2とあって、脳の発達の中で、風が吹いてボールがこういうふうに揺れて、発達していくように、定型発達と非定型発達というものが、連続しているけれども別れていくと述べられています。ただし、子供たちの脳の発達は、25歳ぐらいまでが素性が高いというようなこともありますので、こうした中で、第2には思春期の頃に脳の発達におけるアンバランスが起こるというようなことも分かってきているわけですから、そうしたことを考えながら、多様性ということを議論することが必要ではないかと思います。
 実は発達の支援のところで、現行では学習内容を確実に身につける方法として、個別学習やグループ学習、繰り返し学習という方法と、それから学習内容の習熟の程度と、興味関心に応じた課題学習というようなことが述べられています。しかし、既に分かってきていることは、学び方のスタイルや学びのペース、個性や文化的な背景等に配慮した指導の工夫の必要性であります。また、そうした方法を子供自身が自己選択、自己決定できるというような主体性を生かし、主体性を培う経験の記述というものが、発達の支援としては、これからの資質・能力のために必要ではないかと考えるところです。
 そのようなところで、4の発達の支援のところに特に配慮を要する子供たちのことを見ますと、文章が、障害による学習上、または生活上の困難の克服であったり、それから日本語習得の困難といったように、全て困難の解消という視点で学習指導要領は書かれております。しかしながら、特定分野に特異な才能のある児童生徒の委員会などでも、全ての子供たちの可能性を引き出す、困難に着目すると、解消を図るだけではなくて、個性や才能を伸ばすといった視点が必要だということを報告でまとめております。こうした視点入れていくことが重要だろうと思います。
 そして、4つ目としては、そうした定型発達と非定型発達というようなものが連続的であると同時に、インクルーシブ教育の視点やユニバーサルデザインの視点を論じていくということが、私は重要なのではないかと考えているところであります。特別な支援を必要とする児童生徒というような発想だけではない、もっと一人一人の児童生徒の将来的な自立が、その子だけではなくて、我が国の社会全体を豊かなものとする上でも大切と報告に書かれているんですけれども、特別な支援について、非定型発達の子供たちも一緒に教育を受けることによって、その多様性を学ぶというようなことが特に重要なのではないか、特に義務教育の段階、高校では多様化していきますので、義務の段階でこそ、こうした包摂をしていくことが重要ではないかと思っています。
 最後、ここだけスキップしますが、個別性と学校教育全体の教育課程というところでも、教育課程において、これまでも議論されてきましたが、ビッグアイデアとか見方、考え方というような、教科を超えたところと教科のところをつなぎながら、それらを重視することによって、カリキュラムをこれ以上増やすことなくスリム化して、個別のきめ細かな対応ができるとか、教科横断的な学習を通して、教育課程や指導を可能とするというようなところで、個別性に対応するためには、全体のところを緩やかにしていく、柔軟にしていくということが必要であろうと思います。
 児童生徒の生活を踏まえた教育課程、児童生徒の学習のペースとか、その探究に応じた柔軟な時間編成を、既に書かれてはいるところですが、一層推進していくというようなところが発達の支援ということで、発達という視点から学習指導要領を考えてみると大事ではないかなと思っております。
 ちょっと長くなりましたが、以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 委員の皆さんから、御質問、御意見等々をお願いしたいところでありますけども、続きまして、石井委員の発表の後にお願いしたいと思いますので、続きまして、石井委員から御発表をお願いしたいと思います。およそ30分程度ということで、どうぞよろしくお願いいたします。
【石井委員】  それでは、まず、画面を共有させていただきます。それでは、今から30分ほど報告させていただきます。京都大学の石井です。よろしくお願いします。
 今後の教育課程の在り方ということで、先ほどの秋田先生も示してくださいましたけども、今回の課題意識でいいますと、私のほうは2、3、4、ここに絡めての内容になるかと思います。
 まず、報告の要点を最初にまとめておきました。基本的には今回、まず、現行の学習指導要領の趣旨といったものを再確認するということ、さらに、今後の教育課程の目指す方向性、その在り方を明確でシンプルなメッセージとして発信する、そのための地ならしといいますか、整理ができればと思っています。特に、途中のところでモデルみたいなものも、前回も示したかと思いますけれども、様々キーワードが出てきておりますので、改めて新しい学習指導要領の趣旨を再確認しながら、そのキーワード間の位置取りみたいなものも少し整理できればと思っております。
 基本的には、2番目の課題に関しては、教育課程全体の学び、各教科等の学びを通じて、子供たちはどのような資質・能力の育成を目指すかというところについては、改めてコンピテンシー・ベースの改革の原点をどう再確認するかということが大事かと思います。特に、資質・能力ベースということが言われるわけですけども、社会に開かれた教育課程という言葉に込められた意味ですよね。社会というのが入っている。だから、この辺りを改めて考えていくことが重要であろうと。あとはカリキュラム・マネジメントということにも関わりますけども、結局、先ほどの秋田先生の話とも関わるわけですけれども、要はカリキュラムであるとか、学ばれた、学びの履歴としてということも含めて、子供たちの成長発達、それをどのように全体として保障していくのかということですよね。
 あと、エコシステムというお話がありましたけども、日本の学校というのは、実は学校の内部においてもエコシステム的な性格をもともと持っているところがあって、それが教科、教科外という形で組織化されているところがあります。それだけではなくて、現在でいうと、学校外、地域、家庭であるとか、ほかの居場所であるとか学びの場を含めて、トータルに関わって考えていくということでありますけれども、そういった成長保障という観点から、それぞれ教科、教科外の役割を明確化する。
 さらに言うと、カリキュラムの具体の編成でいいますと、縦と横を明確にするということ、ここが一つ、コンピテンシー・ベースということをカリキュラムで実装するときに、実態としてはそういうことになってくるだろうということです。縦で、例えば数学とかで言いますと、スパイラル、後のほうでも説明しますけれども、関数ということで1年、2年、3年と一貫させていく。あるいは、横で、数学的な活動といったものはどの単元も、どの学年もということで、横で考えるということです。さらにいうと、縦と横ということでいうと、教科横断してということも出てきたりという中において、改めて教科の意義といったもの、存在意義が問われてくるというのが1つあっただろうと思います。
 そういった中で、今回の学習指導要領の中で、十分踏み込み切れなかったことかと思いますけども、子供たちが学ぶ内容をどのような原理、方法で精選・組織化するか。つまり、構造化の問題です。その場合の教科内容の選択と構造化の原理ということで、資質・能力の階層性を念頭に置いて、学びの質を追求するという、そういった方向性、それで、ある種、階層性を意識しながらメタな概念、ビッグアイデアを軸にするということとともに、実際の中身の軽重のつけ方というところで言いますと、各教科等との横断性及び社会的レリバンスということを意識しながら、今、この現代社会において必要なコアとは何かという、中身に即した議論が必要になってくるだろうと思います。
 4つ目に関しては、一人一人の特性に応じた教育課程の個別性云々と、包摂する学校の教育課程との調整というところですが、これは個別のニーズの多様性に対応する間口の広いインクルーシブなカリキュラムを実装するということだと捉えます。その論点といったもの、ここはもう簡単に、論点提示みたいなもので、軽く提示するだけということになりますけれども、レベルを分けて考えていくということが必要ではないか。カリキュラム、教育課程というレベルにおいては、履修主義と修得主義、学校教育、公教育の基本的な原理、ここを改めて考えていくということになるのではないかということをお話ししたいと思います。大体アウトラインは今言ったようなことなんですけれども、もう少しその辺を具体的にといいますか、中身に即して考えていきたいと思います。
 まず、1つ目のコンピテンシー・ベースの改革の趣旨、原点の再確認ということですけども、そもそもコンピテンシー・ベースとは何だったのかということですが、OECDのPISAであるとか、あるいはキー・コンピテンシーのイメージが強いと思うんですが、もともとコンピテンシーというのは、ここに書きましたけども、職業上の実力や人生における成功を予測する能力、簡単に言うと、実力です。世の中に出たときに、よりよく生きていくために、どういった知であるとか、あるいは力が必要かというところです。そこを今の社会において、今の世の中において、何が大事なのかということを考える。それにつながるようなカリキュラムになっているのか、学校教育になっているのかということが問われたということです。
 特に1990年代にこの動きといったものは顕在化するわけですけれども、それは、今、日本で第4次産業革命云々とか、Society5.0とかということで問題化されていますけども、もともと90年代ぐらいに産業構造が変化して、そういった産業革命に当たるものが展開し始めているというあたりは議論されていたところなんです。それで、アメリカもイギリスとかもそうですけれども、諸外国においては、労働市場が大分変わるということを考えて、それに合わせて内容の刷新といったものがなされていました。
 まさに、空白の30年とかというのは、これと対応してしまうところが何とも言えないところではあるんですけれども、要は、90年代のアメリカとかでいうと、スタンダードというので、今の日本の教育課程基準に相当するものを作ろうとして、その中身といったものも、職業教育からキャリア教育へということでもあるんですけども、結局のところ、現代社会でよりよく生きていくためにどのような内容、あるいはどのような力が必要かというところで、大分整理されたところがあります。
 その中では、日本ではあまり注目されないんですが、レディネスという概念がとても重要です。大学、いわゆるアカデミックなカリキュラムに接続する、あるいは、高校卒業後、仕事にという職業キャリアに接続していく、いろいろあるわけです。そういったときに、大学進学ということでいうと、大学の研究といったもの、そこへの準備性が問われますし、その先に仕事へということで言うと、仕事への準備性が問われる。具体的に、子供たちが、学校の先にどういう世界であるとか社会であるとかコミュニティーに参画していくのかということを考えながら、内容であるとかカリキュラムの中身を考えていた、この辺がコンピテンシー・ベースということの一番、もともとの趣旨です。それをOECDがキー・コンピテンシーということで、学校だけではなくて、学校外も含めてトータルな枠組みとして提示しましたけれども、日本だと変化する社会においては、どのような状況でも学べる力が必要だと、〇〇力ということで、そこで思考が停止してしまうんですけど、そうしたら、今の社会ってどういう特徴があるのと。この間の有識者会議でも、広井先生であるとか、あるいは安宅先生の議論なんかを見ると、かなり具体的に社会の姿って見えてきたと思うんです。学校教育で学ぶ中で、こういう社会なんだ、世の中なんだということを、ちゃんと世界を見せていくということが重要なわけですけれども、それが、この間の日本におけるコンピテンシー・ベース、つまり資質・能力ベースのカリキュラムといった中において、十分なされてきたかどうか、この辺がもう一遍再検討が必要かなと思います。
 だから、少なくとも内容だけでなくという意識は広まっただろう。学習者主体といった意識も高まっている。しかし、その具体化において、形式的対応になってはいないか。コンピテンシー・ベースは必ずしもコンテンツフリーではございません。だから、まさに世界観をどう実装するかということが重要なので、何を知るかということもとても重要なんです。一方、カリキュラム・マネジメントもあって、これも学校教育目標、目指す子供の姿といったものに向けた教育課程経営、教科課程経営じゃなくて教育課程全体を経営していく。そこが重要なわけですけども、その辺がいろいろと関連するものをつないで削減するとか、あるいは、総合を充実するだけとかという形の形式的対応になっていないかと。それこそ、改めて学びの先に人間的成長を実現するというときに、教科、教科外を含めて、それぞれの特性を生かした教育課程全体での成長保障のカリキュラム改革という、その原点を確認する必要があるのかなと思います。
 ですから、改めてコンピテンシー・ベースの改革というのは、ちゃんと教育課程とか、あるいは学校を通じて世界を見せていく、世の中を見せていく。さらに言うと、その中でそこに出ていくための準備性として、ちゃんと全人教育というか、成長保障を実現していく、それを教育課程全体でということがポイントかと思います。もともとコンピテンシー・ベースに関しては、プラスとマイナス両面があるということは、もう既にまとめておったところでありますけども、コンピテンシー・ベースというのは3つの指向性がありまして、それは社会的有用性を高めていく。これは人材というだけではなくて市民として、あるいは先ほどのライフワーク・バランスもそうですけれども、1人の人間として生き方を充実させられるかと。それもよりよく生きていくということとの関係で、学校カリキュラムがどうなのかということです。
 さらには全人教育の全面発達への指向性、社会情動的スキル云々といったものが入ってくるのもそういうことです。認知発達ではなくて全面発達ということです。さらに言うと、学びの活動性、協働性、自律性を重視するという方向性。これは危惧する点、光と影が両面ありますよと。それでいいますと、どちらかというと、活動性みたいなところといったものが、びの形式化みたいなものになっていないか、だから、どう学ぶかということだけになってしまって、中身自体のわくわくがないところで無理やり主体性を要求されるみたいなことになるとしんどいわけです。それこそ学ぶ内容とか教材もそうですが、その辺がわくわくするものになっていかないといけないのではないかというところがあります。
 それでいいますと、改めて現代社会をよりよく生きていく上で何を学ぶ必要があるのかという市民的教養の観点から中身を問い直す。さらに言うと、教科、教科外、さらには学校外の学びもトータルに視野に入れて、子供の学習環境をトータルに構想する、そういった視点が必要かと思います。
 それでいいますと、先ほども言いましたように、日本の学校のカリキュラムというのは、西洋は知育学校ですけれども、日本は共同体としての学校というので、昔の若者組みたいなものも、そういったものも学校のカリキュラムの中に取り入れた結果、ある種、教科外みたいなものをいろいろ持っているわけです。これでいいますと上半分、知っている、できる、分かる、使える、この3層。学力の質の3層というのは、これは教科でぎりぎりできる部分。さらにいうと、教科というのは中身とか、ある程度枠組みがあるわけですが、その中というのが大きいわけですが、そもそも何を学ぶの、何をしたいのということも追求できる自律的な課題設定とか、そういったものができる領域として総合があります。さらに言うと、学ぶ環境自体、自分たちのコミュニティー、この世界、コミュニティーというか社会生活、それ自体も組み替えていくということで、それこそ最近のルールメーキングではないですけれども、特別活動の領域、行事とか学級活動とか、あるいは生徒会活動みたいなものがあるわけです。
 そう考えますと、昨今、社会情動的スキルというのは、西洋から見ますと新しいものなんですが、日本においてはもともと学校のカリキュラムというか、学習・生活経験全体を見ると、割といろいろキャパシティーは持っておると。ただ、それが同調圧力であるとか、そういった日本的な同調主義的な形で実装されているがために、学校文化がそっちが強いがために、むしろマイナスに作用しているというところがあります。むしろ、それをどういう形で、どのような社会情動的なスキルか。つまり、個人とか個を大事にするという時に、孤立した個でもなく、あるいは、協働を大事にするときに同調でもなく、じゃなくて、ポジティブなセルフというか、実際、自立して、それでほかの人を巻き込みながら何かことを成し遂げていく、そういうポジティブなセルフと、それから協働性といったものも、多様な人たちの、あなたの考え方、それぞれの多様な考え方といったものを尊重しながら、それで対話しながら合意を形成していく、そういったポジティブな協働性。そういった個と協働といったものの在り方が問われているんだろうなと思います。
 ですから、共生の共同体として、ちゃんと学校の共同体、そこを組み直していくということが重要で、そこで必要になってくる社会情動的スキルという形で、社会情動的スキル一般ではなく、そこに、どのような共同体の像というか、そういった理念を実装していくのかという、この辺の議論が必要かなと思います。ということで、カリキュラムを全体で見ていきますよという話。
 先ほど言いましたように、コンピテンシー・ベースのカリキュラムというのは、カリキュラムの形としてはどうなるかといえば、ここで書きましたように縦と横、縦でいうと、スパイラル・カリキュラムです。そうしますと、理科とかでいうと、電気とか磁力とか風といった、個別の内容、さらにはエネルギーとかのよりメタな概念というように、割と理科のカリキュラムはスパイラル構造がはっきりするんですよね。数学も割とそういうところがあります。関数というので、比例、反比例、一次関数、二次関数とか三角関数とか、スパイラルになる。さらに、クロスということでいうと、いわゆる方法領域に当たりますけども、数学的活動とか、理科であると理科的な見方、考え方といいますか、そういった理科的な思考といったものが、学年段階を追って発達するという形で、かなり横断的な部分、さらに、それが学年段階で長期的に高まっていくということもかなり整理されているかなと思います。
 そういうふうに、ある種カリキュラムが内容項目の羅列じゃなくて、かなり図式的になっていくというのが、コンピテンシー・ベースということをやっていくと、カリキュラムの外形としては、そういう形になってくる。そのときに、カリキュラムを縦とか横で見始めると、単元にとどまらずとか、あるいは教科にとどまらないということで、より一般的、汎用的な能力といったものが何となくカリキュラムの中で育ってくるものとして自覚化されていくわけです。その中で、例えば学習の基盤となる資質・能力なんていうことは、先ほども紹介ありましたけども、そういった汎用的な部分に結構近い。でもそのものではないですよね。
 こういった汎用的なものとか、あるいは横断的なもの、汎用的なものとか学習の基盤となるものというのは、これの教育課程上の扱いというのは、機能的に扱うのか、領域的に扱うかと、この辺はちゃんと切り分けが必要だと思います。例えば、課題発見解決能力みたいなものは、課題発見解決能力の時間とかというように領域化していくことはあまりよろしくないことは何となく分かると思います。そうではなくて、いろいろな教科やったら教科の学習過程、あるいは総合やったら総合のようなところに埋め込んでいくというところです。これを機能的に扱っていく。
 道徳もそうです。機能的にいろいろな学校生活全体の中に埋め込みますよという運用の仕方が一つある。それだけじゃなくて、例えば道徳の、今やったら時間といったものがありますので、その中で領域化して扱う。言語活動もそうですね。機能的に扱うという部分と、それから国語の時間の中に、内容のところで埋め込んでいくという両方があります。それでいいますと、情報活用能力といったものも機能的に使う部分と領域的に扱う部分、この辺の切り分けが大事になってくるかなと思います。ですから、機能的に使う部分は学習過程、領域的に扱う場合は、既存の教科の内容に組み込んでいく。そういった整理が、もう少し明確になされていく必要があるかなと。それこそ、今はもうあれもこれもとなっているわけですから、そこでオーバーワークにならないように、しっかりと構造化していくということが重要かなと思います。
 ちなみに、汎用的能力といったものをあまり実体化し過ぎると、授業が煩雑になって全然もう何ともならないということになります。だから、学校カリキュラム全体の中で緩やかに育てていくという視点が必要ではあるということではありますけども、改めて、各教科、各教科の目標とかそれを深めていく中で、いわゆる汎用性みたいなものにつなげていくということが大事になってきますけれども、その中で、改めて、各教科とか科目とか分野の存在意義が問われてくるだろうということです。
 数学でも、数と計算の領域とか関数とかの領域がありますけれども、今の現代社会において、どの領域が重要なのかということが大事になってくるところです。改めてそこまでの内容を扱う必要があるのかどうかというあたりが、存在意義が問われてくるということかと思います。それこそ、そのときもやはり大事なのは、改めて確認しておきたいのは、内容を伴ってこそ資質・能力が育つ。これはいろいろな諸研究の中で確認されていることだと思います。コンテンツフリーで思考力は育ちません。内容を伴ってこそです。しかも、そうやって内容を伴って深めていくことによって、問いと答えの間が長くなるから、そこに思考とか、あるいは社会情動的なものが入り込んでくるわけです、自然と。それをする中で、他教科であるとか、領域とか現実世界の文脈で学んだことといったものをさらに活用したりとか、そういった中で学んだことといったものは汎用性を帯びてくるというところが重要かなと思います。
 例えて言うなら、1つの穴を開ける。別のところでも穴を開けます。3つ、4つ、穴を開けると大きな穴が開きます。という形で、様々な領域で専門性を深めていくことで、全体がつながって汎用性が生まれてくるというところはあるかなと思います。それをさらに自覚化していく。学んだ活動が豊かであれば、それをメタ認知することによって、そこに汎用的な育ちを自覚するということになるわけです。
 だから、改めて横断的な学び、例えば理科と数学ということでいうと、理科につながる、現代の理科のサイエンスにつながる。あるいは、それが技術とつながる。技術という新しいものづくり、テクノロジーとつながるような科学である。あるいは、そことつながるような数学であるという形で、横断的な観点から、今の教科の内容はこれでいいのかということを考える。
 さらに言うと、今の現実、世の中を見せていっているのかどうか。社会科とかはそうですよね。今の社会科の内容で世の中はちゃんと読み解けるかなという観点で考えていくという中で、各教科の中身に即した存在意義といったものが問われてくるかなと思います。
 ここまでが、一番最初のコンピテンシー・ベースの趣旨の再確認ということになり、かつ、今回、現行の学習指導要領で十分入りきれなかったのは何を学ぶかというあたりの構造化の話。だから、less is moreとか深い学びとか言いますけども、深めるためには厳選された質の高い内容、質のよい内容をじっくりと時間をかけて深める。そのための条件整備が必要なんだろうというところです。
 改めて、内容の構造化の話になりますけども、そのときに、この間の論点整理、資質・能力に関する検討会論点整理からの議論の流れを確認しながらやっていきたいと思います。2つ目の内容、構造化の話になります。
 もともとコンピテンシー・ベースだと言ったときに、内容だけじゃなくてコンピテンシーもというので、この資質・能力の検討会、そこで論点整理がなされ、資質・能力の目標をこういった3つぐらいで整理するということが言われました。教科に固有の、個別のスキル、教科の本質に関わるもの、この辺は実は学力の階層性と関わっているところです。知っている、できる、分かる、あるいは使えるレベルという形で、階層性を頭に置いてみると、よく分かるかと思います。
 その中で、汎用的なスキルといったものを、ここにあった問題解決とか論理的思考力みたいなものを、横断的なものをばーんと出そうというような議論もあったかもしれませんけれども、これをいきなり頭に出してしまうと、そのための数学科みたいな形で、授業とかカリキュラム全体が形式化してしまいかねないと。やはり中身に即してでしょうということもあって、いわゆる主体的で、対話的で深い学びではないですけれども、資質・能力の3つの柱というのでバランスをとってやっていきましょうということになったかと思います。
 ですから、日本において資質・能力を育てていこうと言ったときに、3つの柱でもって、結局、全ての教科とか領域とか、そういったものに横串を通すと。これによって、教科ごとのたこつぼっていったものに対して風穴を開けていくということであったかと思います。それを各教科ごとにやっていくというときに、各教科の改めて存在基盤が問われたと。各教科を学ぶことの意味はなんですかということが問われたときに、こういった見方、考え方ということが明確化されましたし、これは結局のところ、内容を超えた教科内での横糸みたいなものですけれども、さらに言うと、理科とかもそうですが、縦糸、縦の軸で、理科的な考え方みたいな、思考力みたいなものが、それが学年を通して、どのように育っていくのか、この辺の系統。さらにいうと、これらはどちらかというと、方法領域といいますか、学び方の系統みたいなところがありますけども、それに加えて、エネルギーとか粒子という形で、概念の縦の一貫性みたいなものも大分整理されているとは思います。
 ただ、何回も繰り返し言っておりますけども、3つの柱に、主に関わる形でということで言いますと、主に知識・技能ということに関わりますと、マインドセットみたいな主体性とかという形で、心の問題といいますか、そちらに偏りがちで、やはり世の中ちゃんと見えていますかと。何を知っているかということは、コンピテンシー・ベースと言ったときにも大事なのです。どんな社会でもうまくやっていける主体というのも結構なことですけど、それは簡単に育つものではない。カリキュラム全体の中でじわじわと育てたらええんですけども、それだけやなくて、何事もポジティブにというだけじゃなくて、今の世の中をちゃんと見ていなかったらよりよく生きられないんです。キャリア教育もそうですけども、何事も主体的にというんじゃなくて、自分を見つめるだけやなくて、世の中を見つめないと自分のキャリアは見えてきません。これ、研究テーマもそうなんです。自分は何をやりたいかということだけ考えていても、実は研究テーマは見えないんですよ。やはり対象や世の中を知らないと見えないんです。
 だから、それでいうと今の世の中、社会をちゃんと知るということ、世の中を知るということが重要かと思います。なので、そういう観点から知っているというか、何を知るのか、この辺の部分にちゃんと踏み込む必要があるということです。そのときに構造化するときには、学力の階層性を踏まえましょうということが重要かと思います。知っている、できる、分かる、使える、この学力の階層、それに応じて知識のタイプは変わってきます。年号みたいなものは記憶する。しかし、歴史の法則というのは理解しなくてはいけません。さらに言うと、それを眼鏡として使いこなせるかどうか、歴史観みたいなものですよね。それがあることによって、宗教弾圧はどういった状況の中で起こるのかとか、そういった問いをもって、島原の乱とかを学ぶことを通じて、よりメタな歴史認識みたいな、歴史意識が育ってくることによって、現実にもつながってくる。まさに見方・考え方ですね。世の中を見る。
 だから、そういう形で、よりメタな、概念とかを中心にして、カリキュラムといったものを考えていく。例えば日本の中世ということを考えるのであれば、それの具体例として、鎌倉とか室町というのがあるわけです。でも、それらを全部網羅的にするというんじゃなくて、日本における中世とは何かということを軸にしながら、そこにフォーカスしていく形で、そういった学力の階層性を踏まえた構造化の議論といったものが重要かなと。幹と枝葉をちゃんと整理する。さらに、今の世の中ということで言えば、改めて人間らしい感性的な知性とか、知性的な感性が大事。
 改めて、3R’sとか言われますけども、言葉の教育はとても大事なのではないかと思います。言葉の教育を現代的な意味から見直す。経験を言葉にする。ただ知っているだけじゃなくて、分かってちゃんと物事を知っているかどうか。あるいは、全体、総合知と言いますけども、先ほどいろいろな穴を開けていくとつながってきますよねと。だから、物事をいろいろな場面で活用したりとか、知識を総合的に活用しながらという中で教養につなげていく。幅広い視野です。そういう形で、知識を学ぶ質、ここに注目していくということが重要かなと思います。
 あとは、思考・判断・表現、それから人間性云々ということに関して言いますと、知識か主体性かと、何となくこういう形で議論されがちなんですよね。そうじゃなくて、思考、ここの部分をちゃんと充実させる。さらに言うと、世の中を見据えていくための社会志向の思考ですよね。それが大事なってくるかと思いますし、社会をつくる主体を育てていくということが重要になってくるかなと思います。
 そのとき、先ほども秋田先生のほうから、社会情動的スキルの大きな発達を見越してということが出てきましたけども、大きな見通しとして、それこそいろいろな学校でも、話の聞き方みたいなものはどの学級とかでも共通の物差しがあるように、そういった学び方といったものをいろいろな学年の中で考えていくということは大事だと思いますけれども、それが大事だからといって、目標に掲げるからといって、形成的評価はいいですけど、A、B、Cを付けるかどうかということは、これは議論が必要かなと思います。
 その辺り、今回はそんなに立ち入るわけではありませんけれども、いわゆる情意領域といったものに関しては、目標として掲げる部分、あるいは形成的評価をするところ、あるいは、総括的評価、評定をつけるかどうか、この辺のところは区分けして考えていくことが重要かなと思います。
 先ほど、知識か主体性か云々ということで申しましたのは、この間の歴史の流れで言いますと、1990年代の頭に新しい学力観というのがありまして、氷山モデルで、知識は共通にやらなくていいと、主体性だということがあって、その後でも、それの行き過ぎというのもあって、指導から支援とかありましたけど、それで、学力低下論争といったものが後に起こることになる。その後学力向上への動きも出てきますが、そのときの学力というのは基礎基本の徹底ではなくて、学んだことを活かしていく、市民としての教養だよねということがPISAショックの意味ですよね。
 さらに言うと、今のエージェンシーとかというのは、そういったものをくぐった上で、市民として、あるいは主権者としてちゃんと軸をもって判断できるかどうかが大事なんだろうと思います。しかし、この間、社会情動的スキルとか非認知とかというふうにいったときに、あるいは主体性といったときに、改めて新しい学力観のほうに戻ってはいないかということは、この辺は注意が必要かなと思います。学びに向かうということも重要ですけども、学びを活かす、社会に向かう、こういったベクトルも重要かなと思います。だから歴史の針を30年前に戻さないということを改めて考えていく。主体性もいろいろ、先ほども言いましたようにグラデーションですので、学校カリキュラム全体の中で、主体性とか自己調整とかといっても、どのレベルのものなのかということを考えていくことが重要かなと思います。
 内容の構造化について改めて整理しておきますと、PISAリテラシーがもともと提起したものですけども、内容のレリバンス、世界観をちゃんと見せていく。だから、世の中をちゃんと見せるということ。それは概念ベースで考えて、単元目標、領域目標をより意識するというところです。それで、内容のレベルで、いわゆる〇〇力を育てますじゃなくて、それぞれの教科の内容って、世の中との関係でどうなのということを、各教科との横断性とか社会的でレリバンスの観点から各教科の存在意義を問うて、新しいコアを立ち上げる。その中で、現代社会の世界観と、そのわくわくといったものを、中身のレベルで考え、実装して。それを、学びを深めることによって学びの質の充実、社会に開かれた真正な学びとか、そういったものにつなげていくことが重要ではないかなと思います。
 これは、これまでのいろいろな概念を整理したというものです。Well-beingに向けて、教育改革については、質の追求と公正性の追求、質と平等みたいなことを実は言われるんです。それで言いますと、主体的で、対話的で深いって質の追求に関係しますよね。どちらかというと、個別最適云々といったものは分配の問題といいますか、それをより広くのみんなのものにしていくためにはどうしたらいいのという、そういうことに関わりますよねということです。だから、それで実質的に、質といったものをより多くの人たちに保障していくということを表しています。それで、学力の質の3層構造を考えながら、こういった図を出していますので、これは参考程度にということになります。
 最後、もう時間も来ていますので、論点を提示して終わります。間口の広いインクルーシブなカリキュラムということでいいますと、まさにCSTIの枠組みといったものが、そういった論点を提示しているわけです。今の状況、今の40人学級とかということを仮に前提としたときに、十分やはり一人一人に応じきれていないというところですよね。困難だけじゃなくて、ニーズということもそうですけど、ウォンツみたいなものもありますが、一人一人の特性とかポジティブな個性みたいなものを伸ばし切れていないんじゃないかと。息苦しくないかということです。
 改めて、学校といったものの生きやすさ、生きづらさ、この辺のところが問われているということです。ここにありますような論点が出てくるわけですけれども、子供のニーズの多様性に対応する、間口の広いインクルーシブなカリキュラムを実装する上での論点としては、幾つかのレベルを分けて考える必要がありますよね。それこそ科目、内容選択を拡大するのか、この辺は結構制度的なレベルです。本質的なところでいうと、修得主義のほうにシフトするかどうかです。
 これは、学年段階ではなく、等級制みたいな形で、英検とかはそういうのが分かりやすいですけども、何級みたいな、学年制関係なく何級までいければいいと。そこまで進級を柔軟化するか、これはもともと明治期の最初はそうでした。それはでも全人教育ということからすると、具合が悪いんじゃないかみたいなことで、今の学年学級制になるわけですけども、そういったときに学年をもう少し複数のくくりで柔軟化するということもあるかもしれません。それも今もあるんですけど、もっと実質化していく。
 あるいは、それは授業時数の関係も出てきて、授業時数と学習時数とか在校時間、この辺を必ずしも一致させないという発想はあります。だから、教科の、こちら側の計画としては、理科とかの時間というのは張りつけても、子供たちの学ぶ実質の時間といったものが一致しないということが出てくるので、この辺の時間管理をどうするか。内容を減らして授業時数を減らして、在校時間も全部減らすということになってくると、逆にそれは学校の保護機能も弱めるとか、あるいは、内容を減らして、その分、在校時間も全部減らしてしまうと、子供たちが個性的に深く学ぶ時間を減らしちゃうかもしれませんから、この辺は切り分けながら考えていくことも重要かなと思いますし、修得、履修ルートを脱一律化、柔軟化する。自由進度学習なんていうのはそうですけども、その辺の学ぶペースとか、あるいはタイミングを柔軟化するということ、この辺は現状でもできる話だと思いますし、学習形態をもっと柔軟化して、生きやすく。さらにいうと、ベースのところは、学校の生きづらい協働性、これを同調から共生へと、あなたは何がしたいのということが常に問われるような、私はこうしたいということがもっともっと出せるような、そういった学校文化のインクルーシブ化ということも射程に入ってくるかなと思います。
 すいません、長くなりましたが、以上になります。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 それぞれ、大変的を射た、そして大変重要な御提案があったかと思います。それで、それぞれの委員から御質問、御意見をお願いできればと思います。
 それで、最初はウェブで御参加の方からお願いしたいと思います。その後、こちらのほうにということでお願いしたいと思うんですけども、いかがでありましょうか。今、手が挙がっておりますけども、例によっての進め方をさせていただきます。今、戸ヶ﨑委員のほうから発言の御意思いただいておりますので、戸ヶ﨑委員、よろしくお願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】  お二人の御発表、大変勉強になりました。ありがとうございました。丸1から丸3までで、私なりに現場の感覚で意見をさせていただきます。
 1番目の課題で、発達心理学や認知心理学の知見を生かして、学習指導要領の内容を教えていくことは非常に大切な視点だと思います。例えば、算数、数学の世界で言えば、具体物を用いた数量の操作を扱っていく内容から、念頭操作へ、そして抽象的な数理処理を要する内容へと、次第に高次の思考力等を求めていく内容に移行していきますが、これは発達心理学の知見を踏まえたものであると思います。
 このように、学習指導要領に示す内容の順序や系統性を検討する上では、心理学の知見は非常に役に立つと考えています。
一方で、最新の心理学の学問的知見を安易に教室に持ち込んでいくことは慎重にすべき部分もあると思います。それは、現場の普通の教師が分かる言葉で伝えていくことが重要です。例えば、認知心理学では当たり前のように言われている「メタ認知」という言葉があります。これは振り返ってみると、平成20年の学習指導要領で総則に盛り込まれたように、「学習の見通しを立てたり学習したことを振り返ったりする活動を計画的に取り入れる」ということであり、このように言われたほうが、現場の普通の教師にも伝わると思います。
 また、心理学的な知見を取り入れるのであれば、全体を捉える視点も大事だと思います。学問的な知見を大事にし過ぎてしまい、子供の「発達や特性」を細かく捉える形になってしまうと、木を見て森を見ないようなことになり、子供一人一人の成長の様子を、丸ごと全体として捉えることができなくなってしまうことを危惧しています。森を見る、つまり、大括りで子供の成長発達を全体として捉えていく工夫が大事だとお伺いしていて感じました。
 次に、丸2と丸3についてです。資質・能力というものを議論していく際に気をつけなければならない点が幾つかあります。それは、理論ももちろん大事ですが、学校現場において、それをいかに実践につなげていくかという視点です。現場に近い立場から申し上げますと、特に近年、若い教師が増えていく中で、それに追い打ちをかけるかのように全国的に教師不足の状況が続き、教師の資質・能力にも様々、課題が指摘されている現状があります。
 具体的には、何らかの資質・能力を国として示していくのであれば、どうすれば資質・能力が育っていくのか、また、どのようにして、資質・能力を育ったと評価していくのかまで、全体的に明確にしていかないといけません。すなわち、資質・能力の育成は、教師による日常的な指導と評価にしっかりと位置付いていくものにしていかなければ、画餅に帰してしまう心配があります。その観点から何点か申し上げます。
1つ目は、石井先生のスライドの7と関わりますが、教科横断的な資質・能力として、例えば、言語能力がありますが、これは、要である国語科の中で、しっかりと言語能力の育成に必要な内容を指導し、ほかの教科では、言語活動を通して学ぶ経験を設けることによって、国語科で、内容として身につけた言語能力が確かになっていくことになります。
 一方で、数学科で言うと、数学の内容とは別に、言語能力に関する内容を併せて指導していくのは、現実的ではありません。恐らく、石井先生が言われたことは、そのことを指して領域的に扱う場合には、既存の教科の内容や、また、機能的に扱う場合は学習過程へとしておられると、私は理解しました。
 2つ目に、資質・能力の3つの柱についてです。これは階層別に育成していくということですが、これも、あまりたくさんの層に分かれていたのでは、これを指導して評価することはできません。せいぜい2つ、多くて3つの層が現実的だと感じました。この点、石井先生のスライドでは、知識を「知っている、できる」、「わかる」、「使える」という3層で整理しておられます。数学であれば、「知っている、できる」とは基礎的な計算で、「わかる」とは、構造や本質が分かって文章題が解けること、「使える」とは、実生活に数学の眼鏡を通して課題解決するなどして評価すること。これぐらいシンプルになっていないと、現場の教師は育成を目指す資質・能力を具体的にイメージして、実践に移すことは厳しいと思います。
 今後は、「DO MATH・USE MATH」といった、課題解決・探求的な問題を、一層国レベルで開発するなどして、学校現場を支援していく必要性も感じました。
 3つ目は、秋田先生が御指摘の12ページ「汎用的能力として、学び方を学ぶ自己調整学習・協働的学習能力を育む」ことは、とても大事なことだと感じました。
 ただ、実際にどうやって意図的にそういう力をつけていくかが今後の課題だと思います。一つ、私なりに期待できると思ったのは、今回、観点別学習状況評価として盛り込んだ、「主体的に学習に取り組む態度」です。これは、自らの学習を調整しようとしているのか、また、粘り強く取り組もうとしているのかについての評価を求めています。このことの理解がまだまだ進んでいないと思いますが、これを学校現場で、評価のための評価に陥ることなく、なおかつ、日々スピード感を持って形成的に評価できるようになることが重要だと感じました。
 以上にしたいと思います。ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。石井委員と秋田委員には、私どもの質問、意見、一巡した後、コメントをお願いする、応答していただくと、そういうことでお願いしたいと思います。
 それでは、今度、私どものほうになるかと、こちらの対面で参加された先生方、委員の方になるかと思うんですけど、市川委員からお願いできますか。
【市川委員】  そうですか。私、秋田先生、石井先生の整理を伺って、改めて、こちらも大分考え方を整理できたなとは思っています。
 今の主体的に学習に取り組む態度に関連して、私は一つだけ。これは評価のワーキンググループの頃からの石井先生の持論だったと思うんですけど、要するに、主体的に学習に取り組む態度、あるいは自己調整とか、こういう話は情意的な話であると。だから、これはA、B、Cをつける観点別学習状況評価には適さないというのが多分御持論だったと思うんです。
 ただ、流れとしては、ワーキンググループも結果的にはそうならなかったし、また、今、文科省が言っていることも、これは観点別評価の中の大事な1つの柱ですから、学校でも評価してくださいと。総合的な評定にするときも、ウエイトはバランスを持って、3分の1とはっきり言っているわけではないですけれども、バランスが崩れないように、この観点をしっかり入れて、A、B、Cの評価をつける。最終的にも、総合的な評定に組み込んでいくというように動いています。
 今、戸ヶ﨑先生のほうのコメントからも出ましたけど、主体的に学習に取り組む態度、これを観点別評価の1つの観点としたことについて、これは5年前にちょうどこの議論をしていたときから、石井先生は、これは情意的なものなので、入れるべきではないという御意見だったと思うんです。ただ、全体的な結論としては、学習の自己調整とか、こういうのも決して情意的なものと言っているわけではないと。これは、かなり認知的な要素も多分に含まれています。実際に、何らかの材料で見取っていくこともできるもので、観点別評価の1つの重要な要素として入れています。
 それから、最終的な総合評定にするときも入れていくということを、文科省もずっと言ってきています。石井先生の持論を改めて伺いたいなと思いました。まず、これは情意的なものと言ってしまっていいのかどうか。これにA、B、Cの評定をつけることは好ましくないという御意見だったと思うので、5年ぶりになりますけれども、今も石井先生はそう言っていらっしゃるようなので、これは伺っておきたいなと思います。
【石井委員】  分かりました。良く聞こえました。
【天笠座長】  石井先生、後ほどよろしくお願いいたします。
 では、続きまして、貞広委員、お願いいたします。
【貞広委員】  千葉大学の貞広です。お二方の御報告、大変勉強になりました。市川先生もおっしゃっていましたけれども、私の中では整理し切れていなかった部分が多々あったのが、おかげさまでかなりクリアになりました。ありがとうございます。
 私も石井先生に1点、御質問申し上げたいと思います。それは先生がお示しくださっているカリキュラムの構造化のことです。全体的に、2番目のグループで、中心的にお話しくださってはいますけれども、一番最初のコンピテンシー・ベースの改革のところも関連したお話があったかと思います。それを私なりに理解をしてまとめますと、先生がおっしゃっているカリキュラムの構造化というのは、学力の階層性を踏まえ、スパイラル・カリキュラムやクロスカリキュラムも踏まえて、ビッグアイデアも加味しながら構造化していくということを指していると私は理解いたしました。
 非常に魅力的な考え方だと思うんですけれども、今後、この考え方を実際の改訂に組み込んでいくときに、一体誰が、言い換えると、どのような専門性を持ったどなたが、どういう方向で、どういう方法で行うと、構造化というものが実際にできるのかという道筋が、私は門外漢なので、理念的には分かるんだけど、それをどう実装したらいいのかという道筋が見えないので、この辺りの先生の見通しを教えていただければと思いました。
 以上でございます。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 それでは、私からも一つ、一、二、お願いしたいと思うんですけども、まず、秋田先生に対してなんですけども、1つは、発達という御説明の中で、その中で学年、あるいは学校という、学校種ですとか、あるいは学年、これまではどちらかというと、学年とか学校というのは制度という視点からのそれであってということですけども、秋田先生の今日の御発表というのは、発達という観点から学年とか学校を捉えようとされているという、その辺りのところの意図とか狙いというのは、秋田先生、もう少し御説明いただけると、学年とか学校に対する見方というのが、また新たに広がっていくというのがあるんじゃないかと思いましたので、よろしかったらコメントをいただければと思います。
 それから、秋田先生、もう一つですけども、発表の中に、架け橋プランについての御紹介等々も含めてあったかと思うんですけども、幼小の接続とか連携というのは、たしか平成二十二、三年度に、その取組、提案があってということがあったかと思うんですけども、この度の、当時は当然、架け橋というのは、そういう言葉はありませんでしたけども、幼小の在り方ということを常に探求していこうというのは、その時代もあったわけですけども、このたび、改めて、架け橋というそれを掲げて、保幼小の関係をもう一度捉え直してみようという、今日的な捉え方というんでしょうか、課題というあたりのところについて、それをどう捉えたらいいのかどうなのかというようなことについて、御説明いただければありがたいと思います。
 それから、石井委員に対しては、スライドで用意していただいた中で、CSTIについての資料が1点、加えられていたかと思うんですけども、それについての、石井委員なりのコメントを一ついただければいいかな、お願いできればと思ったんですけども、私もこのスライドを、かねてから注目しているところなんですけど、それは、向かってスライドの左側の部分、要するに、教室の多様化ということですけども、御承知のように、様々な子供たちが教室に存在すると。それを多様化という視点で言っているわけですけども、現に実践の立場に立たれている方というのは、この渦中の中にいらっしゃって、日々取り組まれているわけで、ここの教室の状況を前提にしながら、いろいろなものを考えたりしながら、取り組まれているんじゃないかということかと思うんです。
 それに対しての、多様化に向けての改革の方向性というんでしょうか、の提言が、この1枚のスライドであるわけですけども、方向性とか現状の在り方等々ということで、この辺りのところについて、これを、ある意味、御紹介していただいた意図とか、そういうことも含めて言及していただけるとありがたいかなと思っております。
 ということですが、高橋先生、今いらっしゃいますか。こちらのほうでは、失礼いたしました。御退室の御予定があるということだったもので、ということでしたけども、高橋先生、御発言をお願いできればと思います。
【高橋委員】  申し訳ございません。私も遅刻しておりまして、完全に皆さんのお話が聞けたわけではございませんので、少し話がずれているかもしれません。
 感想ぐらいなんですけども、秋田先生のご発表は資料で拝見しましたけれども、全ての子供たちの可能性を引き出すとか、困難に着目し、解消を図るとか、個性や才能を伸ばすという話であるとか、石井先生がおっしゃっていたような多様なニーズで間口の広いとか、前提として、非常に教育課程が複雑になっていくんだろうなと感じたところです。
 それについて、貞広先生が、どういうふうにその実現を図るのかというような趣旨のことを御発言されたと思いますけども、私自身も、この資料を見させていただいて、同様に、どういうふうに実現したらいいのだろうかということをとても考えました。私の興味のほうから申し上げますと、これまでの教育課程や評価であるとか学習評価とかも含めて、やはり紙ベースで、紙を前提で動いておりますので、ある期間を決めて、その期間期間で、評価、評定していくみたいな、そういうような時間の流れの中でやっていると。
 そうなってくると、かなりきめ細かに把握しなきゃいけない子供も、大体1人で勝手に進んでいけるような子も、ある決められた期間ごとじゃなければ把握できないというような、紙前提の話であれば、例えば多様なニーズに応じるということも非常に難しいんじゃないのかなと感じたところです。
 今回、GIGAスクール構想で、先生にも子供にもコンピューターが入ったところですので、かなりリアルタイムにというか、持続的に、継続的に、何と表現したらいいのか分かりませんけども、かなりリアルタイムに、柔軟にカリキュラムが組める可能性とかが出てきていますので、そういった点で、私自身がもっときちんと研究していかなきゃいけないんだなと感じたところです。
 感想程度のコメントで申し訳ございませんが、私からは以上になります。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 それでは、秋田委員、そして、石井委員、順に今の私どもからの意見、質問等々について、応答できる点について、お願いできればと思います。
 まず、秋田委員からよろしくお願いいたします。
【秋田座長代理】  皆様、御意見ありがとうございます。
 まず、戸ヶ﨑委員のほうで、心理学の知見を、例えば、教材とか教科の理解や概念把握につなげていくことの有効性と同時に、あまりにもそれが細かく、理論とか研究から実践に入るようなことの警鐘というか危険性も御指摘いただいたと思います。私もそこは本当に考えているところです。実践ベースで、逆に全人的に指導していくというのが日本のいい点でもありますので、そういったところと、それから、個別の実際の教材開発のところにどう使えるかというようなことの議論が今後、必要なんだろうなと先生のお話を伺っていて、改めて思った次第です。ありがとうございます。
 やっぱり現場の先生の言葉と、現場の概念に通訳とか翻訳をして使っていくことの、学習指導要領のメタ認知の話もそうですけれども、その分かりやすさこそ、今後、私たちが求めるべきところだろうと思いました。
 それから、天笠先生から御指摘がございました、学年や学校という制度ですけれども、制度的なことが子供の発達にとって、学年というものが大きな意味を持っていると同時に、その学年で発達を見るがゆえに、ゆっくりな子供がしんどくなったりする部分と、学年だからこそ、公教育で、いろいろな多様な人が共に学び合って、自分の発達を支えてくれる仲間がいるという側面と、両方があるだろうと考えているところです。
 一方で、学年全体でものを見るだけではなくて、個別の学習によって多様性が増えているからこそ、子供自身の学びをもっと丁寧に見ていかないと、個別に応じることが難しくなっているんじゃないだろうかということが、不登校の子供やいろいろな、多様な子が増えてきている中で感じているところです。
 それから、幼保小の架け橋プログラムですけれども、幼児教育の無償化が義務ではありませんけれど、3歳以上、全て無償に教育がなったというところ、それによって、幼小だけではなくて、義務教育に上がってくる子供たちを学区で全てつないでいくというようなことによって、学びの経験をより深めたり、幼児期からつないでいくということが求められてきました。また、2年間にしているのは、これまで幼保小の連携が幼児教育上の問題と考えられ、小学校の教育課程や指導法が変わることなく、特に探究や概念理解というのが中高学年では重視されても、どうしても低学年のところの入門というのが、非常に一斉指導型の伝統的な授業から、生活科等では変えられてきていますけれども、まだまだその辺の発想が変えることができないと感じています。
 それを考えると、やはり主体的に遊びを通して培ってきたものを、どのように小学校に生かしていくのかというところに、架け橋プログラムを2年間にし、1年の終わりだけではなくて、それが2年、3年と小学校の基本になっていくのだというような、主体性とかコンピテンシー・ベースの発想をより明確にしていくということが、今回の架け橋プログラムの大きな点であるし、紙のカリキュラムだけではなくて、具体的な子供の姿で専門性を語り合うというところが1つのポイントになってきているのかなと。だからこそ、地域カリキュラムで、少人数のところから大都市圏で多様な子供たちが1校に通うところの違いというものも考慮して、各地域のカリキュラムというものは重視しているというところになるのかと思っております。
 説明が十分ではありませんが、以上です。ありがとうございます。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
【秋田座長代理】  あと、1点、高橋先生が言われたところで、すいません、私も時間の問題で、ICTが入ったことで、子供自身が、教師だけではなくて子供自身が自分の学びの経験の履歴を追うことができるようになって、自分でつなげられるというところが非常に意味があるところだと思っております。
 以上です。ありがとうございます。
【天笠座長】  それでは、続きまして、石井委員、お願いいたします。
【石井委員】  それでは、まず、一つ、学習指導要領の位置づけみたいなことで言いますと、周知徹底といったものをどう考えていくのかということがあるんです。その時に、戸ヶ﨑先生がおっしゃったことで、すごく非常に共感するところは、木を見て森を見ずもそうですし、言葉を細かく専門的にすれば通じるというわけでも、多分ないんですね。むしろ、現場において、風景というか実践の場面、子供の姿が思い浮かぶかどうかという、まさに秋田先生がおっしゃったような概念の翻訳というか、言葉の翻訳がとても大事なんだろうと思います。
 それで言うと、何が難しいかというと、学習指導要領って誰向けのという言葉なのかということが、この辺が実ははっきりしていないんです。だから、世の中の合意調達のための文書なのか、教科書会社さんとかいろいろな、そういった実装していくための人向けの言葉なのか、文書なのか、あるいは子供向けなのか。この辺のところは、実は全く違った示し方が必要になってくるものだと思うんです。
 ここは非常に本質的な難しさとして多分あると思います。だから、現場に向けてということでいうと、ちゃんとイメージが、言葉を細かくするとか概念を精緻にするじゃなくて、ぱっとポイントになるような風景が浮かぶということ、そういう言語の使い方がとても重要だと思います。私自身、講演とかで意識することはそこなんですけれども、風景を見せてなんぼというところですよね。
 だから、その辺り、改めて学習指導要領の示し方みたいなものとか位置づけみたいなものをちゃんと考えていきながら、その言葉の使い方ということを考える。さらに言うと、今回、お示しした議論って、結構、緻密には詰めたと思います。逆に言うと、トータルに全体のエコシステムを描こうと思うと、設計は緻密にしておかなければ本質的なところが特定できない。だから、結局、設計は緻密に、しかし、見せる最終的にできたものというのはシンプルに、だから、そのための今、下準備の作業だと思ってやっているところがあります。
 ですから、解像度は設計段階においては、最大限にしっかり緻密にする。それで、だからこそ、ここを大事にするというポイントがしっかりと見極められると思うんです。だから、そういうことを、設計の原理を明確にするという仕事を今回させていただいたのかなと思います。それをシンプルにやっていくと言ったときに、貞広先生がおっしゃったような、構造化していくということで、ある程度の原理原則みたいなものに当たるところを今回見ていたんですが、それは誰がやるのかって、本当にとても重要な問題ですよね。
 カリキュラムというのは、結局調整問題になってくるので、まずは、各教科のほうでということもあるんですけど、教科の中でも、実はいろいろな考え方があるんです、その力関係が。それでいうと、その中での調整ということもありますし、さらに言うと諸外国のカリキュラムを見れば、割と私が言ったような、そういうカリキュラムの刷新は既になされているところがあるんですね。だから、そういうところから学んでいくことって結構あるかなと思います。
 現行のカリキュラムでも、結構学べているところがあるんですけれども、よく見ると、PISAショックの土台になる部分は、各国における各教科の在り方、存立基盤の捉え方とかと通底している。今のSTEAM教育ももともとそうなんですよね。あれは、ものづくり教育とか、あるいは理数教育、これの刷新運動なんですね、本来なら。だから、そういった知見から様々に学んでいきつつ、誰が関わるかといったときに、教科、あるいは教科教育、そういった専門分野だけじゃなくて、それが実装される先というんですか、ある種職業とか、あるいは、そういった実装される側の専門家の意見であるとか、世の中で実際にこれがどう生かされているのかとか、そういった知見もちゃんと吸い上げながら考えていくということが重要なのかなと思います。
 実際、誰がどのような手順でもって議論するかって、これは非常に重要な議論ではありますし、私も踏み込んだことがなかなか難しいところがありますけれども、ざっくり言えば、今のようなことがあるかなと思います。どのような専門家かというカテゴリーを意識しながらやっていくことが重要かなというところです。
 それで、あとは市川先生がおっしゃったことでいいますと、私は一貫してその主張は同じです。メタ認知と自己調整、これはまた、ちょっと概念としては多分ずれると思うんです。しっかり概念的検討が、私は逆に必要だと思っています。主体的に学習に取り組む態度と言ったときに、これは意志的なところも含むと。しかも、主体とか態度という、もともと情意領域というか、情意面としてずっと展開された概念の中に今回入っている。確かに市川先生おっしゃるように、メタ認知というのは認知概念なんですよね。ただ、今の自己調整とかというのは準認知的概念、観点みたいになっているところがあるんですけども、それにしても自己調整といったときには、メタ認知プラス自己の意思みたいなものが入ってきていますから、だから、これはこれで、いろいろ概念の検討が必要かなと思います。
 自分がこうしたいという意思が入った時点で、情動の働きであるとか、そういったものが入らざるを得ないと。純粋にメタ認知ということでいうと、実行機能というところをどういうふうに育てていくのかということは、これはヴィゴツキーを待つまでもなく、科学的概念を学ぶことによって、自分の行動を自覚的、随意的に見るということができますよという、そういう科学的概念を学ぶこと自体がメタ認知を育てますというような大きな議論でもあるんですよね。でも、その中で、トレーニング可能性を持つものということでいうと、学習方略とかという形でかなり限定されてくるところがあると思います。
 そうしたときに、それを観点という形で自立させるかどうかということが一つ問われると思いますし、そこまで砕いたときに、明確化したときに、もともと主体的に学習に取り組む態度ということで、現場が受け止めているような実態というか、ニュアンスとの間にずれが出てくるかもしれない。だから、改めてメタ認知とか自己調整学習といったものを、しっかりと概念的に検討したほうがいいだろうと思います。それでいえば、目標として掲げても、それは評定まではどうかなと、あるいは、思考・判断・表現にかなりくっつけていくような方向性があり得るかなということは感じています。
 ということで、それは私の個人的な見解になりますけれども、また、これからも議論があることかと思います。それこそ、戸ヶ﨑先生がおっしゃってくださったように、シンプルにということでいうと、おっしゃるとおりで、言語活動の充実みたいな形での教科横断的なところというのは、それは各教科の中で少し意識するぐらい。やはりメインは、国語で言葉の力を育てたい。だからあまり煩雑にしないというところです。あれもこれもといったらそんなの無理ですから。教科の内容に即して、それを深めていくことで、結果として育っているよねということをゆっくりと確かめていくぐらいでいいかなと思いますし、まさに学力の質を3層でというのは、ブルームのタクソノミーでいったら階層って6つぐらいあるんですね。でも、それはざっくり言えば3層なんです。PISAもそうです。そこぐらいまでです。そういう形で、3層までということで、それは国際標準にもちゃんと合うと。これまでの研究の蓄積にも合うし、多分、先生方の肌感覚にも合うと思って、大体3層でと言っているというところがあります。
 だから、その辺、科学的な知見をちゃんと原理を吟味すれば、しっかりとシンプルになりますから、それで、現場の言葉とチューニングするということが大事かなと思います。
 最後、天笠先生からおっしゃっていただいたCSTIの枠組みについては、AからBへみたいな形で、これで極端に振れるとあれかなと。緩めていくというか、学校の今の定型を柔軟化していくための観点をうまく示してくれているように思います。だから、緩めていって、そこで再構築していくということになるんですけれども、そのときに、でも少し気になるのは、40人とかというクラスサイズのところを既存のものとして考えたらこうかなと。つまり、リソースを投入してクラスサイズを小さくするとか、あるいは、人がもう少し増えてくるとかということがあると大分様子は違ってくるだろうなということです。
 それがないところで構造を変えるだけでは、多分、子供たちもそうだし、先生方のほうのゆとりにも多分つながらないんじゃないかなという気はします。リモートコントロールで全部、何となくそれぞれやらせているみたいなことで、本当にみとるとか、あるいは捉えても、把握しても、見守られている感覚を持てないとしんどいと思うんです。見守られている感覚を持てる範囲といったものをちゃんと、そのぎりぎりのラインみたいなものを見極めながら、条件整備をしていくということが必要かなと思っています。
 すいません、長くなりましたが、以上です。
【天笠座長】  どうも丁寧にお答えいただいたことについて、御礼を申し上げたいと思います。残りの時間も少なくなりましたけども、今の秋田委員、それから、お二人のそれぞれにつきまして、石井委員と秋田委員に御発表いただいたわけですけども、戸ヶ﨑委員、もし今のお二人の委員の方のお答えについてコメントがありましたら、お願いできればと思うんですけど、いかがでしょうか。
【戸ヶ﨑委員】  大変よく理解できました。概念の翻訳というお言葉や、設計は緻密にしていて、見せ方はできるだけシンプルにするという考え方は非常に重要だと改めて思いました。ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。市川委員、いかがですか。
【市川委員】  私も今回の指導要領とか評価の改訂に関わってきて、専門用語の出し方というのは、非常に注意が必要だなと思いました。ついつい専門家は、私も心理学ですので、心理学的な用語というのを持ち込んでしまいがちになるんですけれども、一歩現場に行ったときには、そういう用語をちりばめると、かえって敬遠されてしまったり、誤解されたり、分からなくなったりする。結局は、元も子もなくなるということになりがちなんです。そこで出てくる実践が、「いや、そういう意味ではないんだけど」というようなものがむしろたくさん出てきてしまう。
 やはり分かりやすい表現で、しかも、現場でそれまで言われてきたことと全く同じことを言ったのでは導入する意味がないので、「こういうことなんだけれども、こういう点が新しい」というようなところを、ちゃんと分かりやすく伝える必要があると思いました。今の学習の自己調整ということで言えば、私は平たく言ったときには、学習改善の工夫ということだと思います。自分の学習をどう改善していくかということを工夫する。そのためには自分の理解状態を自己診断するとか、何が分かっているか、何が分かっていないかというようなことを自分で意識しながら学習を進めることとか、これは学習の自己評価とか自己診断ということです。それから、学習方略などと硬い言葉で言わずに、どんな学習方法をこれから自分が取っていけば、学習がもっと改善されるだろうかというようなことを自分で考える姿勢を持ってほしい。
 そういう態度が見られるかどうかということは、私は評価可能であると思っていますし、必ずしも関心・意欲のような純粋な上位とはまた違う、かなり認知的な面があると思っています。ですから、そういうことを概念として伝えて、具体的にはどういう方法で、どんな材料を使ってどんなふうに評価すればということを伝えるだけの具体性を研究者側も持っていないと当然いけないわけで、そういう対話を繰り返しながら、指導要領のコンセプト、評価のコンセプトを伝えていって実践に結びつけるということをやっていかないといけないと改めて思います。
【天笠座長】  貞広委員、お願いします。
【貞広委員】  丁寧なお答えをいただいてありがとうございます。感想的なことになりますけれども、石井先生がおっしゃった、学びの転換のためには構造を変えるだけでは不十分で、リソースの追加投入が必要だというのは私も全くそのように思います。もしかしたらリソースの追加投入のほうが先なのかもしれませんと思います。
 また、先ほど来、出ている概念の翻訳の話ですけれども、これはすごく必要なんですけれども、ただし、慎重に行う必要があると思っていまして、実際に、今も功罪併せ持っているようなところがあるんだと思うんですよね。現場に分かりやすい、よかれと思って翻訳したがゆえに、そういう話じゃなかったんじゃないのとか、伝言ゲームの失敗を引き起こしてしまうような翻訳になっていっているところも、そういう危険性もはらんでいるので、翻訳を全てするということを推奨するだけではなく、むしろ、かなり翻訳が難しいのであれば、理解していただくような努力をするという二刀流で行く必要があるかなと考えました。
 以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。今の話の中で、学習指導要領が改訂を重ねるたびに様々な研究領域というんでしょうか、様々な分野からの参入があって、そして、現在に至っていると。そして、次の展開も恐らくさらにそういう方向性があるんじゃないかということで、そういう形で組み立てられていく学習指導要領と、改めて現場にどう伝えていくのかどうなのかと、そういうことからしますと、先ほど来のそれぞれの御指摘というのはとても大切、また、大変重要な視点と申し上げることが、捉えることができるのかなと思って、聞かせていただきました。
 今回はここまでということにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
 本日の今後の教育課程についてをテーマに議論を重ねてまいりましたけども、次回の会議では、今日の意見を踏まえまして、学習指導要領の実現をめぐる諸課題についてということで、市川委員、貞広委員、戸ヶ﨑委員から提案をいただき、例によって意見交換をお願いしたいと思っております。ということで、本日はどうもありがとうございました。
 次回の日程につきましては、また、事務局と相談の上、連絡をさせていただきます。
 この会議につきましては、以上もちまして、閉会ということにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
 
―― 了 ――

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)