今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第5回)議事録

1.日時

令和5年5月29日(月曜日)15時00分~17時00分

2.場所

WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式

3.議題

  1. これからの学校像について
  2. その他

4.議事録

【天笠座長】  それではお待たせしました。ただいまから第5回今後の教育課程、学習指導要領及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会を開催いたします。皆さん、御多忙中のところ御参加いただきましてありがとうございます。
 本有識者検討会につきましては、報道関係者より撮影及び録音の申出があったことについて、これを許可しておりますので、御承知おきください。
 前回、第4回の会議では、委員の皆さんから、本有識者検討会において議論する必要があると考える点について提示いただきました。提示いただいた内容を踏まえ、事務局と相談の上、資料1として、第4回において各委員から示された課題意識について配付しております。後ほど事務局から説明をいただきます。
 事務局からの説明の後は、本日の議題である、「これからの学校像について」をテーマに意見交換を行いたいと思います。これまで第2回、第3回と、これからの社会像に関する議論を行ってまいりました。そこでの議論も視野に入れつつ、第4回で皆様からいただいた御意見を踏まえ、今後の学校教育に期待されることや、その在り方について、特に教育課程の側面に焦点化した議論を行いたいと思っております。具体的な進め方としましては、私と、それから荒瀬委員からそれぞれ意見発表を行い、その後、委員の皆様と意見交換を行いたいというふうに思っております。
 それでまずは資料1につきまして、事務局より御説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【石田教育課程企画室長】  失礼いたします。資料1-1に基づきまして御説明申し上げます。
 こちらのタイトルにございますように、この資料は、第4回の会議で各委員から御提案いただきました、本検討会で議論する必要があるという点につきまして、その全体を整理いたしまして、課題意識についてという形でまとめたものでございます。後ほど具体の中身については御説明申し上げますけれども、この課題の取りまとめに際しましては、現行学習指導要領の枠組みの見直しの際に用いた6つの観点を踏まえて整理をしてございます。
 次のスライドをお願いします。こちらが現行の学習指導要領の改善を提言いただきました中央教育審議会答申。この中で学習指導要領等の枠組みの見直しとして、丸1から丸6の6つの観点をお示しいただいたところでございます。
 その趣旨は、上の括弧書き、学びの地図というところがございますけれども、各学校における創意工夫の活性化を目指して、学びの地図としての学習指導要領の枠組みづくりを意図したものとして提言を頂戴したものでございます。
 具体的には、何ができるようになるか、何を学ぶか、どのように学ぶか、子供一人一人の発達をどのように支援するか、何が身に付いたか、実施するために何が必要か、この6点に沿って改善すべき事項をおまとめいただきまして、学習指導要領の枠組みを考えていくことが必要と、こうした提言をいただいたところでございます。
 次のスライドをお願いします。この答申を踏まえまして、現行の学習指導要領では新たに前文を設けまして、前文並びに総則におきまして、左に示す6点に沿って、その枠組みの見直しをしたところでございます。
 こういったものを踏まえながら、次のスライドでございます。本有識者検討会では、こうした現行の学習指導要領の実施状況をフォローアップするということでございますので、その中で、今後の教育課程、学習指導、学習評価等の在り方について考えていくということで、前回の検討会におきまして委員の先生方からお示しいただきました課題意識につきましても、この6点の枠組みを踏まえて一旦整理を試みた、それがこちらの図となってございます。
 具体的には右に丸が4つございます。
 1点目でございます。一番上でございますけれども、豊かな人生と持続可能な社会の創り手の育成は引き続き重要。変化する今後の社会像をどう捉え、その中での学校の姿をどう構想するか。こちらは本日の検討会において、この後御議論いただくテーマでございます。
 2点目でございます。そうした学校像を踏まえたときに、学習者である子供たちの全人的な発達を支え、資質・能力の育成を保障する観点から、学校における教育課程をどのように構想するか。こちらは本日の議論を踏まえまして、次回の検討会において議論いただくテーマでございます。
 3点目は、そうした教育課程の姿を前提としたときに、各教科等の目標、内容、方法、評価の在り方をどのように考えればいいか。
 4点目は、先般、市川先生から学力低下論のお話がございましたけれども、過去の学習指導要領の改訂の経緯など、これまでの学習指導要領を振り返り、どこに課題があったのか。
 5点目は、現行学習指導要領の実現に向けて、学習指導要領の改善とそれを取り巻く諸条件の改善について、どのような方向が考えられるか。この点に関連しましては、第4回の会議におきまして、秋田委員からOECDの動向として、カリキュラムのリデザインと、それを取り巻くエコシステムの双方の重要性が指摘されていると、こういった発言も頂戴しているところでございます。
 6点目は、この4点目、5点目の課題を踏まえつつ、学習指導要領の実現に向けた政策形成・展開の在り方をどのように考えるかとしてございます。
 そうした検討を行う際に参照する国内外の知見として、右側の縦軸に、7点目、8点目の課題意識を整理してございます。
 まず7点目は左側の丸でございますけれども、現行学習指導要領の改訂を提言した中教審答申以降の国の教育課程行政を取り巻く提言にはどのようなものがあり、それらは相互にどのように関わっているのか。
 8点目、右側の丸でございますけれども、我が国が直面するカリキュラムのリデザインとエコシステムの確立に向けて、諸外国はどのような戦略を取っているか、国内に参考となる知見はあるかとして整理をしてございます。
 それぞれの課題意識ごとに、前回の検討会でいただいた御意見、詳細につきましては、資料1-2として別にまとめてお配りしておりますので、適宜参照いただければと考えてございます。
 本日の有識者検討会では、このうち1つ目の課題に関わって、これからの学校像ということをテーマに御議論をお願いしたいと考えてございます。
 なお、先ほど申し上げましたように、次回会議では、本日の御議論を踏まえた上で、2つ目の課題に関わって、今後の教育課程の在り方について御議論をお願いしたいと考えてございます。
 したがいまして、本日の学校像の議論も、特に教育課程の側面に焦点化して、今後の学校教育に期待されることですとか、その在り方に関する御議論を頂戴したいと考えてございます。
 事務局からの説明は以上でございます。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。ただいまの事務局からの説明に対しまして、御質問等がありましたらお願いできればというふうに思いますけれども、いかがでありましょうか。
 今御説明いただいた資料1をもう1回出していただけますか。これですね。この間、何回か皆様方の御意見等をお出しいただきましたけれども、これを御覧のとおり、各委員から示された課題意識につきまして、こういう形で位置づけていただいた、整理していただいたということで、その点についての御認識をいただければということが、まず1つであります。
 また、御自身の御意見等ということですけれども、このことにつきましてもまた御意見をいただければと思いますし、またこれとの関わりの中で、さらにこれから発展的な意見というんでしょうか、そういうことを含めましてお願いできればと思いますけれども、いずれにしても、第4回においてそれぞれの委員から出されました課題意識につきまして、こういう形で位置づけ、あるいは整理していただいたということについて、確認をお願いできればと思います。
 この件につきまして何か質問等があればお答えいただけるということですので、いかがでしょうか。なければ、また後でお気づきの点がということでも結構ですけれども、そういうことで御出席の皆さん方からありましたらお願いできればと思うんですが、いかがでしょうか。
 それでは、また後ほどということでよろしくお願いいたします。
 それでは議題に移りたいというふうに思います。
 委員の皆さんには御案内のとおり、本有識者検討会は、今後の教育課程、学習指導、学習評価等の在り方について、現行の学習指導要領の実施状況をより検証しながら、次なる学習指導要領を検討する際に考えられる論点を整理し、まとめていくことを、役割の1つとしております。今回のテーマに沿った議論の中で、有識者検討会としての考えを、なるべくある程度の範囲においてまとめていくような形での運営を図っていきたいというふうに思っておりますので、その点についての御理解と協力をお願いできればと思います。
 本日の議題に入りたいと思います。まず私と荒瀬委員から、今後の社会像をテーマに発表し、その後、委員の皆様と意見の交換を行いたいというふうに思っております。
 まずは私のほうから始めたいと思います。続きまして荒瀬委員からということでお願いします。私と荒瀬委員の発表の時間は、およそ50分前後を見込んでおります。その後に委員の皆様から御意見をということでお願いしたいと思います。
 なお、今後の有識者検討会も同様に、今回のテーマに沿って複数の委員から基調講演、キーノートスピーチを行った後に、意見交換をいただくという形を原則として進めさせていただきたいというふうに思いますので、その旨、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、まず私から、これからおよそ30分前後ということで、用意しました資料に基づきながら話をさせていただきたいというふうに思いますので、よろしくお願いいたします。
 既に御案内のとおりですけれども、これからの発表ですが、これまで2回、3回での社会像に関する議論を視野に入れつつ、今後の学校教育に期待されることやその役割について、教育課程の側面に焦点化した議論を行うためのプレゼンテーションということで御理解いただければと思いますけれども、おおむね4つ、話をさせていただこうと思っております。
 まず1つ目が、2040年の社会を見据え2030年代の学校像を探るということであります。それを前提にしながら、改めて教育課程。そして3つ目として、2030年の学校像ということ。もう1つ、補足という形になるかと思うんですけれども、学習指導要領改訂について触れさせていただきます。
 次、お願いいたします。まず、1つ目の2040年の社会を見据え2030年の学校像を探るということでお願いいたします。
 そこのところの2030年、40年をどういうふうに見据えていくかということでありますけれども、さきの2回、3回もそれだったかと思いますし、この間、少しこれまでの中央教育審議会等の答申というのを、そこの点について見据えてみますと、そこで出てくるキーワードというのが、厳しい時代ですとか、あるいは予測困難な時代と、こういうことが記されるわけですけれども、例えば平成28年ですと、今回の学習指導要領の方向性を示したそれでありますけれども、今の子供たちやこれから誕生する子供たちが、成人して社会で活躍する頃には、我が国は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想されるとか、そういうことが指摘されているわけです。
 この時代の基調というのは、これからこの先引き継がれる時代の基調、そういう言い方ができるのではないかというふうに思いますし、その中には、非連続的な変化が生じる時代の到来を指摘しているわけですけれども、その点についてもということです。
 次、お願いします。その中で既に指摘されている点ということで、そこにありますように、人口減少ということ、それからAIなど先端技術の高度化ということ、国際情勢等、我が国の国際影響力について、気候変動に伴う自然災害、こういう観点からということですけれども、既にこれらについては様々なことが指摘され、そしてほぼ共通に、今見ていただいているようなこういう方向が既に提起されているということで、これそれぞれについて長々と時間を割くことは避けたいと思いますけれども、高齢化ですとか、少子化ですとか、都市への人口集中、地方の衰退等、それから先端技術の高度化、それに伴う光と影、デジタル社会の成熟化ということですとか、あるいは、我が国がこの先、国際社会の中での影響力の低下を指摘する声も少なくありませんということです。
 この次、お願いします。このうち、昨今大変大きな話題を呼んでいますChatGPTの登場等ということについてですけれども、さきの、今回の学習上の方向性を示すことになりました平成28年の中央教育審議会においても、ChatGPTの登場という具体的なそれはともかくとしまして、その時代の趨勢については既に描いたところでもありますし、改めて今回の事態に沿って照らし合わせてみたときに、これからの学習指導要領改訂の方向性を図った2030年への展望というのが、一層現実味を持って多くの人々に印象づけられることになったのではないかというふうに思います。
 次、お願いします。そういう中で、前々回、第2回に、京都大学の先生であります広井良典先生がここでプレゼンテーションをしていただいたわけですけれども、それは将来に向けての選択すべき意思決定というんでしょうか、未来社会のデザインということで、それが既に訪れつつあろうということで、まさに先生の言葉ですけど、破局のシナリオと、それから持続可能なシナリオ、こういうことを提起されて、その選択・意思決定が迫っているんではないかという、こんな定義がこの前の話の中にもあったということでありました。
 次、お願いします。そういう中でさきにありましたように、見通しの利かない厳しい時代の到来ということが様々に指摘されている、そういう時代の到来が予想されるわけでありますけれども、困難な時代であっても生きがいのある時代に、あるいはやりがいのある時代へと開いていくことが、今を生きる人々、我々に、そして未来に生きる人々に求められているんではないかということであります。そういう文脈の中で、さきに第4次教育振興基本計画に関わる答申をまとめた中央教育審議会の答申は、この点等を含めまして、次のように述べている点が注目されます。
 次、お願いします。2040年以降の社会を展望したとき、そういう文脈がありますけれども、そこのところの一説には、教育こそが、社会を牽引する駆動力の中核を担う営みであって、人間中心の社会を支えるシステムとなる時代が到来している、そういう指摘をしているわけで、予測困難な時代であればこそ、一人一人の豊かで幸せな人生と社会の持続的な発展を実現するために、教育の果たす役割はますます大きくなってくるんだという、この指摘は、大変共感するところが多いということであります。
 ただ、そこのところが教育こそということではありませんで、学校ということで、むしろ教育ということが、また注意すべきじゃないかと思っておりますけれども、こうした認識の下に目指す社会像ということで、持続可能な社会の創り手ですとか、日本社会に根差したウェルビーイングの向上などが、1つのキーワードとして打ち出されているということは、既に御承知の方もたくさんいらっしゃるんじゃないかと思います。
 ということで、次、お願いします。これらのことに関わって、安宅先生、それから広井先生等と、第2回、第3回ということでやり取りしたわけであります。
 続いてお願いします。ということで、これらのことを重ね合わせていきますと、2040年の社会像としまして、少子高齢化社会、成熟化したデジタル社会の実現ということで、ある意味でもう、どなたもデジタルなんてこんな言葉を言わない、日常化したような社会が訪れるのではないかということが、まず想定されるわけであります。それが1つ。
 それから、一人一人の幸せ、ウェルビーイングとサスティナビリティー、持続可能な社会づくりの両立、こういうこと。また自立した個の参加・参画と協働による社会の構築。それから公正重視の社会と多様性を重視した共生重視の社会。こういうことが、様々各方面から言われている、およそ1つの最大公約数かどうかはともかく、公約数的な、それを記すとこんな社会像の柱が立てられるかなと思います。
 そういう意味で、こういう社会に向かっていく2030年代の教育、学校の在り方の一端として、まさに2040年代以降の社会を創造する主役としての一人一人を育む教育を大切にするということ、それから豊かな人生を拓き、持続可能な社会の創り手に必要な資質・能力を育むための豊かな学習経験を提供する、こういうことが求められている、あるいは問われている、あるいは課題ではないかというふうに思っています。
 1つ目は以上ということにさせていただいです。
 続きまして2つ目ですけど、そういうことを前提にしたときに、考えなければいけない教育課程の在り方ということですけれども、次、お願いします。
 ここのところでは3つ挙げてあります。1つ目が、知・徳・体の育成、これをどういうふうに考えていくのかということであります。それから2つ目として、生きる力、あるいは資質・能力。平成の時代を通してこの路線が継承され、そして次へもこの路線ということが、発展的にまた求められようとしているかなというふうに受け止めますけど、改めてこの生きる力、資質・能力の路線、これどう捉えていくのか。3つ目として、そういう中にあって学習指導要領というものをどういうふうに捉えていくのか。これらについての議論が必要ではないか、検討が必要ではないかということで、まず1つ目であります。
 次、お願いします。既にこの点については、さきの中教審答申、平成28年のところで、知・徳・体の育成の意義ということを、もう1回、この加速度的に変化する社会の文脈の中で捉え直す必要があるんだということは、既に提起されているわけでありますし、さらに先日の令和の答申の日本型学校教育の中身の1つが、知・徳・体を一体的に育むことだというふうに提起した上で、その知・徳・体を一体的に育む日本型学校教育は、もはや維持が大変難しくなっているんではないか、そういう認識を示しております。
 ただ、それは改革があって、改革がない場合にはそういうことである。別の言い方をすると、教育の改革は必要なんだと、こういうことを令和の答申が提起していくわけですけれども、こういうことを含めまして、改めて知・徳・体の全人的な育成ですとか、調和の取れた人間の育成ですとか、ある意味で言うと、私どもは当たり前にそれを受け止めている部分というのがあるわけですけれども、これについて、御紹介したような、そのレベルでの提起ということを、もう一度しっかり見詰めていく必要があるんではないかという、これが1つであります。
 次、お願いします。2つ目ですけれども、平成8年、御承知のように総合的な学習の時間ということ。前の改訂というのは、昭和から平成にかかる頃というんでしょうか、生活科が発足した頃でありますけれども、そういう意味で言うと、この平成8年の生きる力というのが、まさに平成の時代を突き抜けるというか、通した、そういう提起になるかと思うんですけれども、ここでは人間としての実践的な力ですとか、理性的な判断力とか合理的な精神だけでなく、柔らかな感性とか、こういうことが言われていて、これからは生きる力なんだという提起がされたのは御承知のとおりであります。
 次、お願いします。続きまして、平成20年度において、ある意味でそれをより一層精査するというか、あるいは、より細かく構築したというべきでしょうか。そこには、背景として知識基盤社会ですとか、あるいはOECDのキーコンピテンシーですとか、こういうことの流れというか、それとの関わりもやったのも、これまた御承知のとおりではありますけれども、そのときに答申では、平成8年の生きる力というのは、キーコンピテンシーの考え方の先取りだと、こういう言い方をして、キーコンピテンシーの考え方というのを積極的に生きる力の中に取り入れて、そして資質・能力の在り方を展開していくというのが、恐れ入ります、次、お願いします、この平成28年の答申、そして今現在の学習指導要領に至る、3つの資質・能力、学習指導要領に示しました、それという流れになっているんではないかと思います。
 その答申の文章というのが、そのことを記した、その方向性を示した答申文ですけれども、このときに答申文では第2章において、2030年の社会と子供たちの未来という章を設けて、先ほど申し上げたような、そういう将来的な社会の在り方ですとか、それを記し、その中央教育審議会としての立場を示した上で、生きる力、資質・能力の必要性を説いていることが、その1つの特徴であります。
 次、お願いします。こういうことでありまして、生きる力、コンピテンシー、資質・能力、こういうキーワードの下に平成の時代が経過していったわけでありますけれども、この生きる力が、キーコンピテンシーですとか資質・能力と、その姿や形を整え直してきた背景には、科学技術の変革に伴う社会とか経済の構造の変化があり、とりわけ28年の中教審答申の背景には、AIの社会的進出の予見があったというふうに申し上げることができるかなと思います。
 ただ当初、生きる力の分かりにくさ、漠然としている云々ということに対して、その後、構造化ですとか細目化を図ったことが、その対応の手だてであったわけですけれども、改めて今日その流れを受け止めたときに、現在に至りますと、その分かりにくさを解消した取組自体が、今度は実はまた、際限なき資質・能力の細目化とか精緻化となって、かえって分かりにくいものになったのではないか。
 この辺りは検討すべき点があるのではないかということであり、結果として、卓越した人間でさえ応じ切れないような資質・能力のリストですとか指標群の出現をもたらした、こういうことにはならないのかどうなのか、改めてこれからの時代に生きる力ということをどう捉えていくのか、再度そういう問い直しの必要性というのはあるんではないかということを申し上げさせていただきたいと思います。
 次、お願いします。そういう中で、1個目のところの話ですけれども、学校の教育課程をめぐる検討課題として、ここまで出されている、指摘されている点というのを、およそすくい上げてみますと、まず1つは、令和の答申で出されました個別最適な学びと協働的な学びの実現、これをどう実現していくかということは、取り上げなければいけない課題の1つではないかと思うし、しかもそれは、そこにありますように、学校を成り立たせるシステムというんでしょうか、時数ですとか、時間ですとか、空間ですとか、進級のシステムですとか、こういうことの脈絡の中での検討が、課題としてあるんじゃないかということであります。
 それから2つ目は、成熟化したデジタル社会が問いかける教育課程ということで、そこのところは、改めて体験学習の必要性と、これまでの体験学習の見直しが必要なんではないか。その観点として、例えば人間の感性ですとかの観点の中でどうかということですけれども、御承知の方もたくさんいらっしゃるかと思うんですが、生活科が発足した当時、盛んに体験学習の必要性とか課題ということが議論されたわけです。それから30年経過して今日があるわけですけれども、新たな体験学習ということが、成熟化したデジタル社会を見据えたときに、やっぱり極めて重要な課題になっているんじゃないかということです。
 それから、デジタル、情報に関わるということで、もう既にこれも指摘されている点でんですけれども、倫理・道徳の新たな在り方ということについて、それから芸術系教科、システム教育等でも既に言われていますけれども、こういう点について、そして教科等の構成についてということがあるんじゃないかと思うんですけれども、教育課程をめぐるというのは、これからの、また次回以降のテーマでもあるかと思いますので、この点については、この場においてはこの程度ということにさせていただきたいと思います。
 そしてもう1つ、3つ目ということですけれども、次、お願いします。こういう中で、改めてその学習指導要領の基準を示す、学習指導要領の性格というんでしょうか、これについて押さえておくということの意味においては、これまでも学習指導要領というのは、私は公教育の在り方を描いた構想図ですとか、あるいは設計図という捉え方というのはあるかと思いますし、あるいは、まさに次の時代の国民に求められる教養を提示している、示している、こういう言い方もできるんではないかというふうに思っております。
 ただ、どちらかというと、これまでの学習指導要領が比較的そちらのほうにスタンスを置くならば、これからの学習指導要領というのは、学習者の経験、学びの履歴などを重視するカリキュラムへの転換を目指すということも、また1つの方向ではないかと。歴代の学習指導要領にもそういう性格を持たせた、持たせようとした時代というのは、折々にあったんではないかとは思うわけですが、改めてこれはテーマとしてあるんではないかということでありますし、さらに2030年から40年にかけての未来社会の構想図としての、また未来社会の創り手へのメッセージとしての学びの地図、学びの羅針盤としての役割を期待したいと思うんです。
 御承知のように、さきの学習指導要領の改訂の1つは、学びの地図ということがキーワードだったんじゃないかと思いますし、その後、学びの羅針盤ということがOECD等で提起されているかと思うんですが、これをどういうふうに受け止めていくのかということであります。
 その上で改訂ということになるわけですけれども、急激な社会の変化、それに即応することの課題性というのがまたあるかと思うんですけれども、学校という制度・システム・組織の改編等については、その急速な変化への対応、それとともに、学習指導要領というのは比較的そういう変化への漸進的な立場の堅持というのも、また1つの在り方ではないかというふうに思います。
 以上が2つ目ということになります。
 続きまして3つ目ということで、改めて2030年代の学校像を見据えてということであります。
 次、お願いします。これなんですけれども、要するに、社会の変化と学校の変化というのは、今更ここで長々とお話しすることは避けますが、以前からこういうことについての課題があったことは御承知のとおりであります。実は学校の変化というのが、世の中の変化と平仄をなしているということであるわけですけれども、ここで書かれている中身の多くは、教育課程の中身が書かれている、こういうことであるわけですが、学校の組織というのは、そういうことがもう少し複雑になってきて、教育課程と、それから教育課程を支えるものとをある程度判別していくとか、それを支えながら考えていく必要があるかと思うんですけれども、次をお願いします。
 そういう点で、前回の第4回のそれぞれの委員の方のメモの秋田委員のメモの中に、こんな一節がありました。「教育課程のみに焦点を当てた改革から、教育課程-教材や教科書-学校評価の在り方-地域の学校文脈-教師や学校に関わるリソースの実態という、学習者を取り巻く学びの環境や資源のエコシステム全体を見通していくことが必要である」ということですけれども、こういう視点とか発想をどんなふうに捉えていくのか、どんな形で議論していくのかということが1つ大切。
 私はこの認識というのは、今回学習指導要領に入ったカリキュラム・マネジメントというのが、実は既にこういうことについての考え方、発想というものを取り入れた在り方ではないかというふうに思っているわけです。
 次、お願いします。要するに学習指導要領の改訂って、当然なんですけれども、教育内容の中身の改善であり、あるいはそれにまつわって、関連して、手だて、方法ということですけれども、今見ていただいた1、2のスライドというのは、もう少し広い意味の部分、私の立場ですと、それは組織の見直し、こういうことが一体的に進められることが、やっぱり必要になってきているんじゃないかということで、ですからそういう意味で言うと、学校の教育活動というのは、学校を変えていくというんでしょうか、学校を改善していく、こういうことが避けて通れない課題で、しかもその学校の組織の在り方は、ある意味ではこれまでは条件整備という言い方で、その辺りが一固まりあったかと思うんですけれども、ここのところをどう捉えていくのか、見ていくのかということも大切なのかなと思います。
 次、お願いします。これは時間もありますので、次、お願いします。また次をお願いします。
 ということで、2030年代の学校ということでありますけれども、これまでも言ってきたことを度々繰り返すようなこともあるかと思うんですけれども、資質・能力(コンピテンシー)を基盤にした教育課程、それから個別最適な学びと協働的な学びの一体的充実の実現ということですが、ここまでのところで触れていなかった、2つ目の丸になりますけれども、先生方の在り方ということについてです。
 先ほどの教育課程の中身、指導方法と組織ということですけれども、そういう文脈の中でいくと、やっぱり先生方の在り方というのがそこに登場するんではないかということであり、その先生方の在り方というので、このところでは、学習の伴走者、こういう言い方ですとか、あるいは学習の専門家である先生方が共に学び合うところが学校ではないかというようなことを、ここでは記してあります。
 そういう意味では、校内における、あるいは学校外における先生方の専門的な成長ということにも関わる、あるいは学校のマネジメントの在り方等にも関わるところです。3つ目の丸のところですけれども、学校教育目標を基にして、カリキュラムのマネジメントと組織のマネジメントの一体的充実を図ったカリキュラム・マネジメントを発展させた、スクールマネジメントの充実が問われるんではないかというふうに申し上げさせていただきたいと思います。ちょっとこれだけだと、何となく言葉だけを羅列したような形になっているかというふうに思いますけれども、こんなこともまたそこに挙げさせていただきたいと思います。
 3つ目については、以上にさせていただきます。
 それで最後になります。最後は、現に、あるいはこれから学習指導要領の改訂が進もうとしているわけでありますけれども、次、お願いします。
 改めて、現行の学習指導要領の現状というんでしょうか、学校における受け止めということになったときに、学校はかなり戸惑いを持っているんではないかというふうに思います。
 現にコロナウイルス感染症への対応ですとか、あるいはGIGAスクール構想とか、それぞれへの喫緊の対応を次々に迫られざるを得なくて、それに対応していた、こういう現場における大変さというのもまたあるかと思うんですけれども、殊今回の学習指導要領の関係で捉えていったときに、今回の学習指導要領というのが、そこにあるように、諸科学と言いましたけれども、様々な領域分野の科学の知見というんでしょうか、生成された知見ということを教育課程の中に取り入れていこうというんでしょうか、こういう方向性があったことは間違いないわけで、それが学習指導要領等に取り組んでいくというんでしょうか、入っていくときに、一段実践ということについてどういうふうにそこのところに関係づけていくか、位置づけていくか、この辺りのところで、現場の今回の学習指導要領への惑いというのは、この部分への扱いというんでしょうか、問いというのが1つあるんではないかと思います。
 次、お願いします。ということで、今回これから進めていくに当たって、教育実践というものを、学習指導要領改訂の方向性とかを検討していく中にあって、どんなふうに位置づけていったらいいかということも、また検討すべき課題としてあるんではないかと思うんですけれども、現場からのフィードバックの情報をし続けるですとか、あるいは実践の発言ということを折々検討していくですとか、改訂の進め方のシステムづくりですとか、そういうこととして上げてもいいんではないかと思っております。
 次、お願いします。ということで、以上申し上げさせていただきましたけれども、後ほど御意見をいただければということで、私のほうからは以上ということにさせていただきます。
 それでは続きまして、荒瀬委員から、「高等学校教育について」と題しまして、資料3を頂いております。荒瀬委員、御発表をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【荒瀬委員】  ありがとうございます。荒瀬でございます。遅れて参りまして失礼いたしました。画面を共有いたします。
 それではよろしくお願いいたします。今、天笠先生から全体に関わるお話をしていただいて、私も伺いながら、全体が見えて大変ありがたかったです。私のほうは極めて雑駁な話になってしまうんですけれども、高等学校のことについて考えたいと思います。
 これは学校教育法で、今更なんですけれども、学校教育法の51条の第2号のところに、非常に大事だと思うんですけれども、「個性に応じて将来の進路を決定させ」という文言があります。生徒が、自分とはどういうものかということを自己分析して、そして将来の進路を決定していく、そういう力をどうしたらつけられるのかというのが、初等中等教育の最後の3年ないし4年の非常に重要な取組ではないかということを思っています。
 そういったことにつながるように議論していこうということで、中教審の初中分科会の下の特別部会の下に、義務教育ワーキングもありますが、高校教育ワーキングが置かれて、これまで議論してまいりました。
 今お示ししていますのは、その中の論点整理を幾つか御紹介したいと思うんですけれども、これまでも高等学校教育というのは、共通性と多様性という言葉で、いかに我が国の高等学校教育で学んだということで、共通の力を身につけることができるようにするのか、また多様な生徒一人一人に対してどうしていくのかと、この言葉が常にセットで使われてきました。
 今の議論の中では、一方では共通性と多様性という、この順番ではなくて、まずは多様であるという認識からスタートしていく必要があるんじゃないかと。その中で、じゃ、最低限これを共通とするということを考えていくべきではないかという意見も出ています。
 既に、これは平成26年の高等学校教育部会というものの議論の中で、コアという、全ての生徒が身につけるべき力、資質・能力というのは、この2点ではないかということで、黄色でお示ししましたように、社会・職業への円滑な移行に必要な力と市民性というものが挙げられました。といって、それを具体的に身につけていくために、自立した学習者として生涯にわたり学習するための基盤というのを、高等学校教育といいますか、初等中等教育全体でつけていく、その最後のまとめの部分で、高等学校教育がどういう役割を果たしていくのかということが重要だという認識に立って、今議論を進めているということであります。
 それで、その中では幾つかこういう文言が出てまいりますけれども、ちょっとこれは出てくる場所が、少子化が加速する地域における高等学校教育の在り方というようなところで使われていますが、本来は、この黄色でお示ししたスクールミッション、スクールポリシーというのは、全ての高等学校のそもそものミッションは何であるのかということを、設置者と学校とが確認する、そして再構築することもあるということであります。
 そしてその中で、具体的に3つのポリシー、卒業時点でどのような力をつけていることを目指すのか、そのためにどのような教育課程を用意するのか、そして、そういうことが行われる高等学校教育がこの学校では展開するんだということを周知し、中学生に理解してもらった上で入ってくる。
 さらにはこのスクールポリシーというのは、今申し上げた3つですけれども、常に見直しを図っていって、しかもその検討の際には、単に管理職とかだけではなくて、学校全体で、それは生徒も含め、場合によって保護者とか地域の意見も受けながらやっていくべきではないかというようなことで仕立てられているのでありますけれども、残念ながらこのスクールポリシーも、現状では、つくって、ちょっとそのままになっているということも、少なからずあるというふうに聞いております。どんな力をつけるのか、そのためにどうするのかということが、常に問い直される必要があるんですけれども、なかなかそうはなっていないということであります。
 また、ワーキンググループの議論の中では、全日制・定時制・通信制という3つの課程がありますけれども、その課程を超えられるようなことはできないんだろうかという議論をしています。学校で学ぶということの大切さはあるんだけれども、しかし学ぶという場所が、必ずしも学校のこの形というだけではなくて、例えば全日制で学んでいる子が通信制で学んでみたいとか、あるいは通信制で学んでいるんだけれどもやっぱり通ってみたいとか、そういったことができるような形というものも取っていくことが必要なんじゃないかということが議論されています。
 それがここで言うところの、学ぶことと学校に行くことを同一視することなく、学校という場で対面でしか学べないこととか得られない効果とは何なのかということを議論していって、それは学校、あるいは集まってやることが大事ですよね、ただし1人でできることもあるかもしれないと。そういうこれまでの学ぶということ、すなわち学校に行くことというところから離れた考え、そこから自由になるといいますか、そういった発想も大事なんじゃないかということを考えているわけです。
 そういう学びの際に、よく言われることですけれども、一番下に書きましたように、生徒が高い意欲を持って学習するということが目指されるわけなんですけれども、なかなか現実はそうはなっていないとか、あるいは教科横断的な学びとか探究的な学びとかというのは書いてあるんですけれども、それもまたなかなか実現していない面もあるということです。
 そういう意味で言うと、例えば総合的な学習の時間が総合的な探究の時間となって、一層取組が深化していくはずなんですけれども、必ずしも現実にはそうなっていないという、いろいろなところでの具体の事実が見えてきていて、どうも総合的な探究の時間というのは、変な言い方ですけれども、人気がないなということを感じることも多々あるわけであります。
 これは、私がお見せするワーキンググループの論点整理の部分の最後のスライドですが、生徒が成人として社会の一員となるために共通で必要となる資質・能力とは何なのか。これを学習指導要領として示していくことが必要になってくるだろうということが考えられます。
 また、これまでと明らかに具体に違うのは、生徒が在学中に成年に達するということですから、それに対する備えといいましょうか、こちらで、初等中等教育全体でどんな学びを重ねていって高等学校を卒業するという形になっていくのかも、改めて考える必要があるなということを思っています。
 これはもうワーキンググループの話ではないんですけれども、今申し上げたように、成年年齢が引き下げられて、成年に達する。
 その際に、やっぱりキャリア教育というのが非常に重要になってくると思うんですけれども、残念ながら、学習指導要領の改訂のたびにキャリア教育が大事だということが強調されているにもかかわらず、どうしてもキャリア教育というのは、これは名称の関係があるのかもしれませんが、どうもキャリア、すなわち職業に就くための準備みたいな意識が強くなって、職業教育とキャリア教育が混同されてしまっていて、物の見方とか考え方を養って、自分で自分のこれからをつくっていく、考えていく、そういった価値観であったりとか、あるいは人生観であったりとか、そういったようなものがなかなか大事されていない面があると。いろんな教科の学びも、このキャリア教育という観点で収れんすることができると思うんですけれども、なかなか実際にはそうはなっていないことがあるということ。
 それから、一方で学習指導要領はその前文で、高等学校の場合、「生徒は」となるわけですけれども、一人一人の生徒が、ここで5つに区切っていますが、これは私が勝手に区切っているだけですけれども、自分のよさや可能性を認識することができるようにする、あるいは、あらゆる他者を価値のある存在として尊重することができるようにするといったような、こういったことが述べられた学習指導要領の前文というのは、とても学校教育に対する期待が示された、よいものだというふうに思っておりますが、この中で、自分のよさや可能性を認識するというのが1番目に書いてあるんですけれども、この自分のよさや可能性を認識することができるようにするために、各学校において組織的かつ計画的に組み立てられたはずの教育課程が、必ずしもそうは動いていない面があると。
 それがさっき申し上げていましたような、課程を乗り越えて学ぶ機会をつくっていくといったことも含め、考えていく必要があるんじゃないかという議論にもつながっているのではないかと思っております。
 だから高等学校教育で重視するものとしては、今申しましたように、キャリア教育というのはもっとしっかりやっていく必要があるだろうということと、共通性と多様性ということを本当にしっかり考えて、その共通性の部分というのは、可能な限り小さく。
 私はここに書きましたように、義務教育段階での学習内容の確実な定着という、学習指導要領にも書かれている言葉、これが共通性として非常に重要ではないかと。義務教育段階での学びがしっかりと定着している。それを最終的に高等学校段階でそのような状態にしていくということがまずあってこそ、社会・職業への円滑な移行に必要な力とか市民性といったようなことも養って、同時ということも言えるわけですけれども、必要があるだろうと思っています。
 一方で多様性という点で言うと、これは高等学校で卒業に必要な単位は74単位ですから、それ以外の時間を、自分の進路展望に応じた学びをするとかあるいは探究の展開をしていくとかといったようなことに充てることができればいいんじゃないかなと思っています。
 そういうことで申しますと、私の話のこれは最後になるわけですけれども、高等学校学習指導要領は今回大きく変更されていて、その変更の趣旨が十分に学校に伝わっているとはなかなか思えない面もあるということ、それからまた、極めて多様な生徒がいて、その多様な生徒が豊かに学び、進路選択をし、あるいは実現に向けて学んでいるかというと、決してそうとも言えない面も少なからずあるということ、またスクールビション、スクールポリシーというのが、これは令和3年答申で出されましたけれども、こういった、学校自身が具体的に、その学校の学びの在り方をどのようにしていくのかということが、まだ十分に検討されていない状況がありますので、一番下に書きましたように、現行学習指導要領の意義とか、あるいはどれだけ定着しているかといったようなこと、それをしっかりと見ながら、今後の教育課程とか学習指導要領、学習評価等の在り方について検討する必要があるだろうと思っています。
 ごくごく簡単に言ってしまえば、今の学習指導要領の中身がちゃんと定着して、子供一人一人、生徒一人一人の学びがしっかりと進んでいく。その際、少なくとも中学校までの義務教育の学習内容がちゃんと定着している。そういった基礎に基づいて探究ができるとか、あるいは自分の進路決定を自分でできるようになっているとか、そういったような力をつけていくということが大事なので、学びの場をどうしていくのか、学びの機会をどうしていくのかということが大変重要であって、内容としては今の内容が大きく変更されているということもありますので、大きく変える必要が本当にあるのかどうかというのは、これから考えていくことが大事だなというふうに思っています。
 それと、これはワーキンググループでも指摘されているところですけれども、高等学校の学習指導要領、学習の在り方をどうしていくかということを考えるときに、高等学校の場合、これは全ての高等学校ではありませんけれども、多くの生徒が大学進学をしようとしている学校の場合は、とりわけやはり大学入試に学校教育が相当影響を受けている事実があるということも、今もなお存在しています。そのことについても、むしろ大学教育がこう変わるから高等学校がこう変わるという順番ではなくて、高等学校教育をこのようにしていくので大学教育はこうあるべきではないかという発信を、もっとしていく必要があるのだろうなということを思っております。
 簡単ではありますが以上でございます。ありがとうございました。
【天笠座長】  荒瀬委員、どうもありがとうございました。
 それでは私と、それから、今ありました荒瀬委員の発表を踏まえまして、意見交換の時間とさせていただきます。冒頭申し上げましたように、本日はこれからの学校像をテーマに議論をお願いしますが、特に教育課程の側面に焦点化した議論をお願いできればというふうに思います。すなわち、次回に予定していますテーマであります、今後の教育課程の在り方についての議論につながっていくといいかなとも思っております。この辺りの見通しを持っていただきながら、私と荒瀬委員からの発表でお示した議論の方向性について、御意見、あるいは別途押さえておかねばならない論点等について、意見交換をお願いしたいというふうに思います。
 それでは、御発言のある方は挙手をしてください。例によってのやり方で進めていきたいというふうに思いますので、私から御指名させていただきます。いかがでありましょうか。またオンラインの委員の方々におかれましては、例によって挙手のボタン、あるいは何らかの形で発言の意思をお示しいただければというふうに思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 こちらのほうに、今日対面で出られた委員の方、高橋委員がいらっしゃいますので、まず高橋委員からお願いいたします。
【高橋委員】  高橋でございます。よろしくお願いいたします。
 私は、座長や荒瀬先生のお話を伺いまして、特に言葉をお借りするんであれば、成熟したデジタル社会が問いかける教育課程とは何かということについて、これからの学校像と関連しながら、少し意見を述べさせていただきたいなというふうに思っております。
 この今日の御意見等を伺っても、これまでのとおり、例えば教育基本法であるとはとか、指導要領の総則であるとか、これまでの理念的なことはほぼ変更なくて、こういうことをより一層高めていくんだというような意見が中心的だというふうに認識しております。私自身も、こうした理念を今後さらに一層高め、深めて、子供一人一人にしっかりと届けていく必要があるというふうに認識しております。
 ただ、実現できていない部分もあるということが、幾つか話題のように、従来の手法を続けたり、従来の手法の改善の付け足しでは、やはり実現できなかった部分が僕はあるんではないかということ、さらに先生方や学校の業務量が増えている現状から、さらに付け足すような作業というのは、もっと難しくなっているんじゃないかというふうに感じています。例えばこのカリキュラム・マネジメントとかスクールマネジメント、スクールポリシーとか、そういう話題が出てきましたけど、こういう理念を実現するには、やはり理解や精神論みたいなことだけではなくて、具体的な何か環境とかツールというものが、僕は必要なんじゃないのかなというふうに思っております。
 例えば、今、社会に開かれた教育課程ということが、話題というか、1つ大きなテーマだったわけなんですけれども、少し小さい話に置き換えると、本当に申し訳ないんですが、例えば一部地域の先生方は、まあ、一部というほどでもないんですけど、結構な先生方は、外部につながるようなメールアドレスももらえていないというか、メールアドレスも使えない状況にあるわけです。外部との調整は電話が前提で、こういう職場で働いていて、社会とも隔離されたようなデジタル環境にいて、むしろ子供のほうがGIGAで進んでしまっている現状の中で、こういうふうにデジタル化した社会と開かれて教育課程をつなぐんだといっても、そう簡単に理解が難しいんじゃないのかなと感じております。
 私はこの取りまとめを全部見せていただいて、教育内容としてのデジタル対応ということで、教育内容として情報活用能力とか、STEAMとか、デジタル読解力とか、例えばこういうものに対して書き留めていただけたなとも思いますし、一方でもう1つの教育方法としてのデジタル活用ということで、子供一人一人を、どういうふうにICTを手段、工法として使っていくかみたいなことも、たくさん内容としては書き留めていただいたというふうに思っています。
 ただ、この成熟したデジタル社会が問いかける教育課程とは何かというふうに考えると、もう1つ柱として、やはり学習指導要領の理念を一層高次に実現するための学習基盤としてのデジタル活用、教育課程の基盤、この実現をするためのデジタル活用みたいな位置づけのものもあるんじゃないかと。そういった趣旨のことは各所に書かれているんですが、この理念を実現する具体像として、何か少し大きめに見せていく必要があるんじゃないのかなというふうに思っております。
 現状では、デジタル社会に対応するというような言い方で、私もそれはすごく重要だと思うんですけど、やや社会に対して受け身にいっているところなんですが、むしろこういう理念を実現するために、能動的というか積極的に、このデジタルの特性を生かしていくみたいな考え方をしていかないと、例えば、まとめにも書かれている個性化された学びや学年を超えた柔軟なカリキュラムとか、こういうのが仮に認められたとしても、今の手作業ではほぼ実現が難しいんじゃないのか、もう少しデジタルを基盤として考えていくようなことが求められるんじゃないのかということが、天笠先生の御提案をもし実現するんであれば、必要ではないかというふうに感じた次第です。
 少し長くなって申し訳ございません。以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。デジタルの在り方について、また教育課程についてということで、さらに次回以降への展開編というか、具体論を今指摘されたかなと思いましたので、どうもありがとうございました。
 続きまして、ほかの委員の方いかがでしょうか。それでは市川委員、お願いいたします。
【市川委員】  私のほうから、取りあえず質問なんですけれども、まず天笠先生の24ページのほうには、教育政策のPDCAサイクルの着実な推進というのがありますね。PDCAサイクルということを教育現場に対してこれだけ重要だと言っているんですが、私が一番根本的に感じているのは、指導要領の改訂ということがPDCAサイクルに乗っているのか。これについて、ちょっと天笠先生はどういうふうにお考えなのかも聞きたいんです。
 そういうことを言うのは、どうもこれからの社会がこうなります、ですから今の子供たちにはこういうことを求めたいと思いますと言って指導要領を改訂している限りは、あまりPDCAということにならないんじゃないかと。むしろこれまで、PDCAのPとかD、指導要領は一種のPですよね。こんな計画を立てて、こういう教育をやってくださいというPで、実際にそれをやってください。じゃ、それがどうなっているのかをチェックした上で次のアクション、また次の計画へと、こういうサイクルに指導要領の改訂そのものがこれまで乗ってきているんだろうか、これからも乗ろうとしているんだろうかという辺りが、ちょっと一番根本的な疑問点です。
 それからもう1つなんですが、この生きる力ですけれども、これがだんだん具体的で少し精緻化されて、構造化されてきた。結局知・徳・体のようなものですよねという感じで落ち着いていて、それがもう少し精緻化されてきたと。私はそのこと自体はいいと思っているんですけれども、初めて聞いたときには、やっぱり生きる力って何だかよく分からない。
 でもそれが、知・徳・体それぞれに対応するような形でフレーズも出て、特に知の部分については、確かな学力なんですけれども、いわゆる知識・技能だけではないですよ、ペーパーテスト学力だけではないですよ、もっと広い意味での学力を捉えていくというような形に整理されたのは、私はいいことだと思っているんです。天笠先生はちょっとネガティブに書いているところがありますよね。細かくし過ぎてかえって分からなくなってきたんじゃないかと。細かくし過ぎたというのは何を指していらっしゃるのかなという辺りが、ちょっと伺いたかった点です。
 それから荒瀬先生に対して、最後に荒瀬先生がすごく大事なことをおっしゃったと思うんです。指導要領でかなりいいことを目指しているのに、結局いわゆる進学校、これは学力レベルの高い低いは別として、やっぱり進学を目指しているところが多い学校では、受験準備教育ということに相当のエネルギーを割かれていると。これも実態だと思うんです。私も今、私立の中高に入っていると、六、七割のエネルギーというのは、先生も生徒もこの受験準備ということに費やされている気がします。もちろんそれだけじゃないんですけれども、相当多く、半分以上のエネルギーはそこに費やされている。
 そのことについて、この荒瀬先生のメインに当たるところでは、あまり触れていらっしゃらないように思うんです。これが高校教育部会の討論内容だとすると、この受験準備教育ということを高等学校ではどう考えるべきなのか。むしろ高等学校のほうでは、キャリア教育であるとか、市民性教育であるとか、あるいは必要な、かなり絞った形の学力をつけるということに徹すればよいのであって、その先の受験準備教育的なことは、むしろ民間教育に委ねればいいというような形なのか、やっぱりそこも含めてしっかりと高等学校が担っていくべきであるとするのか。じゃ、どうやって担っていくのか。
 そういう議論がなされないと、あくまでも指導要領で理想論だけを言っていても、実態は変わらないのではないか。これは私立、公立を含めてです。特に私立はそういう傾向、受験教育にかなりエネルギーをかけなくてはいけないというのは、生徒のニーズでもあり、保護者のニーズでもあり、学校としてもそれが学校の存亡に関わるので、もうどうしてもやらざるを得ない。学校にしてみると、それはニーズに応じているんだということになると思うんですが、この辺りの問題というのが議論されているのかどうか、伺いたいと思いました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。それでは、私のほうから今お答えをさせていただき、その後、荒瀬委員からお願いしたいと思うんですが、そういう順で進みますがよろしいでしょうか。
 まず1つ目なんですけれども、教育政策のPDCA、あるいは学習指導要領改訂のPDCAサイクルということについてですが、PDCAサイクルを構築する個々の要素は、様々に置いてあるというか、存在しているというふうに、まず申し上げたいと思います。
 言うならば学習指導要領の改訂自体が、1つのPの部分という言い方もできるかというふうに思いますし、それに基づいて教科書が、御承知のような形で採択等で使われる。そしてそれぞれ学校で実施される。それに伴って、例えば実施状況調査ですとか、そういうもの等が存在しているわけで、例えば今申し上げたようなことを、ある種の線で結ぶということ自体が、1つのPDCAのつながりをそこに描くことができるかと思うんです。
 ただ機能として見たときに、どれほどPDCAが機能しているかというふうになったときには、どちらかというと1つ1つが独立したような形で、そこにまた省庁としてのシステム、組織がそこにかぶさるような形になりますので、ある意味で言うと、それぞれの組織の中で申し上げたようなものも、それぞれが回っているようになっているという言い方もできるかと思いますので。
 ですから、申し上げた1つ1つの要素が、その中である種の小さなPDCAサイクルをなしているという言い方もできるかもしれませんけれども、申し上げたような全体で実施するとなったときには、少なくとも課題があるんじゃないかということですが、それらのことというのはある意味で言うと、今度は教育委員会を単位にしたときの教育課程のありようについても、そこら辺のところを、学校評価、学校評価で孤立、独立しちゃったりですとか、学力の調査、学力の引上げということと、それから資質・能力の対応ということが、それぞれ2元的になされていたりですとか、全体の整合性とか精査とか相互の関係等、そういうことをもう一段検討すべき課題にする、そういう提起というのはあったんじゃないか。
 実はさきの平成20年の改訂のときの方針文の中のPDCAサイクルの確立というのは、むしろ教育委員会における営みのPDCAサイクルの確立をということが提起されたかと思うんですけれども、これについては、ほとんど音なしのような状態というのが私の認識です。ですから、先ほどの市川先生の御指摘のように、PDCAサイクルってどうなんですかと言えば、申し上げたような、そういう認識を持っているというのが、まず1つ目であります。
 それからもう1つの、例えばですけれども、情報に関わる能力ということについても、1つ1つの対応関係でいけば、例えば、より倫理的な側面があったりですとか、活用といっても、もう専門の方々が当然いらっしゃいますので、それぞれ上がってくるということで、こういうシステムの力というのは、ある意味で必然的に、より細目化していくような、そういうものを内包しているんではないかということで、ある意味で言うと、私はそれはそれとして1つの意味、意義というのも当然持っていると思うんです。
 今度それを実践というフィールドに下ろしたときに、どういうふうにその辺りのところを処置していくのかということがテーマなのかなと思います。ですからそういう意味で、よく言われていますが、理論と実践の往還とかということについても、こういう資質・能力の扱いとか運用という辺りで、そのところをうまく織りなしていくようなことが、テーマとしてあるのかなというふうに思いました。
 私は市川先生からのということで、取りあえずそういう形でお答えさせていただきます。
 荒瀬先生、いかがでしょうか。
【荒瀬委員】  ありがとうございます。入試についてそんなに申し上げなかったのは、これまでいろいろと動きがあって。
 結局、本当は高等学校教育がこうだから、大学教育につないでいく段階で高等学校教育の学びを見てくださいと言っても、これも大学によって様々違いますけれども、いわゆる選抜性の高い大学がどのような学生を採ろうとするかというと、大学に入ってからの学習が自分でできる学生に来てもらったほうがいいに決まっているので、そういう学生を採ろうとするときに、例えば探究などをしっかりやっている学生を採りたいというところはあって、それを特別な形の入試で、定員のごく一部だけはそれでやるということはなさっても、それを広げるということ、これはマンパワー的に非常に厳しいですね。もっと各大学に何十人、あるいは何百人も入試専門の人がいるならば別ですけれども、そうではなくてやっている日本の大学の入試の現状からすると、それは難しい。
 そうなってくると、勢い、それ以外の部分はどうかというと、結果的に、まさに学習評価で自らの学びを自己調整するということと同じで、自己調整する中で、いわゆる知識などもしっかりと身につけることができるようになっているという力がついている人は、学びが大変深いとか高まっているということが多分言えるでしょうから、そういった人を採りたいと思われるので、いわゆる成績のいい人をたくさん採りたいと思うというのは、それもまた誠に分かります。
 また、生徒や保護者が自分のこれからのことを考えたときに、行きたい大学に行きたいんだというのも分かりますし、それに対して高等学校がそのためのサポートをせざるを得ないという点もあろうかと思います。
 塾や予備校に行けない地域や状況の子供さんとかに対してどうするのかということも、考える必要があります。
 文科省が進めているCOREハイスクール・ネットワークの事業で、高知県なんかはすごく進んでいるわけですけれども、その高知県のスタートは何だったかというと、やっぱり受験科目への対応だったですね。しかしやっていく中で、今はもちろん受験科目への対応もなさっているんですけれども、農業の実習を配信しているということもやられるようになってきている。結果的に学びが充実してきています。
 だから、一方でその受験に対する必要性を持っている生徒もいるけれども、農業のこの分野の実習についての必要性を持っている人もいるということが、こういったことをやっていくと見えてくるので、本当に迂遠な言い方で申し訳ないんですけど、時間はかかるけれども、いかにその生徒たちが自分のこれからを考えるかということを、時間を取ってできるような、そういう考えができるような保障をしつつ、学習指導要領については、あまり広げず、あまりたくさんにせずやっていく中で、質をいかに高めていくかということを考えるのがいいのかなというふうに思っています。
 話が散漫になってしまいました。いろいろあって申し訳ありません。
【天笠座長】  またありましたら、後でまた続けていただければ。
 それは続けさせていただきたいと思うんですけれども、この順番でお願いしたいと思います。次、冨士原委員、お願いいたします。冨士原委員の後、石井委員、奈須委員ということでお願いしたいと思います。
【冨士原委員】  よろしくお願いいたします。大変勉強になっているという状況で、質問ということでもないんですけれども、やっぱり考えさせられますのが、私は特に実践というフィールドによく行くということもございまして、例えば天笠委員の10枚目のスライドで、2040年の社会像で、一人一人の幸せと持続可能な社会づくりの両立というものをベースに、それを国民として育てておきたい教養ですか、これが19枚目にございましたけど、教養である資質・能力として表したものが学習指導要領としまして、やっぱり現場の先生方は、その指導要領の資質・能力をどうするかはすごく考えるんです。
 そういう意味では、先ほど市川先生のほうからございました、何か一般的な教養である指導要領を、個々の子供たちに合うようにアレンジするのが現場の先生の仕事だと思いますので、そこは頑張って、より精緻化してしまったりとか、そういうこともあったりするかもしれないんですけど、その大本の指導要領が、こういう社会像を目指しているからこの資質・能力なんだということの理解は、やっぱり日々目の前の子供に対応している先生方が及ぶのはすごく難しいんだろうというふうに思います。
 荒瀬先生のほうでも、高校生が、職業・社会への円滑な移行に必要な力とか、市民性、高校はこういうことも必要だといっても、さっきの受験じゃないですけど、やっぱり目の前の子供に対して。私はその意味では日本の先生たちは、その目の前の子供というものをすごく大事にしているとは思うんですが、やっぱりその指導要領で掲げられた教養のバックにある社会像、なかなかそこが把握できない。
 それは仕方のないことだとも思う一方で、やっぱりそういうことを少し先生方にどうにか理解していただく何か手段とか、そういうことはないのかなというのを、改訂のために学習指導要領は改善していると思うんですけど、そういうバックボーンをなかなか把握できない仕組みをどうにかできないものかなということは考えさせられます。今回もどうなるんだろうという謎があります。
 それと、2点目です。これも天笠先生の23枚目のスライドで、どんな改訂をしてもシステムが今のままなので旧来の状態にとどまる。カリキュラム・マネジメントで何とかしようと思ったけれども、やっぱりそれでも。
 それはカリキュラムというものの把握を、現場の先生たちがどういう範囲のものとして把握しているかによると思うんですけど、それでもシステム、組織が、教育委員会もですけど、やっぱり変わらないので、どんなに変えたところでも先生たちは、目の前の子供と目の前の指導要領に書かれた資質・能力と向き合うしかないという、そのサイクルから抜け出せないんじゃないかという心配といいますか、そういう点がありまして、何か御意見伺えればと思った次第です。
 以上です。
【天笠座長】  1対1のやり取りというのは時間の関係もありますので、後で気づいたことについて申し上げる時間があったら申し上げさせていただくということで、それでは石井先生、どうもお待たせしました。石井先生、お願いいたします。
【石井委員】  非常に両先生のお話を興味深く伺いました。私からは大きく2側面から。1つは学校の新たなガバナンスの話ということと、もう1つは、そこでのまさに公教育のコアではないですが、それをどういうふうに考えていくのかという、この2つの側面から、少し質問といいますか、意見といいますか、させていただけたらと思います。
 まず、1つガバナンスということで言うと、『教育改革の終焉』というタイトルの書籍を市川昭午先生が出されて、これが何を意味するかということですが、まさに今日、天笠先生もそうですし、あるいは荒瀬先生が出してくださったことがそういうことかなというふうに思いました。
 つまり教育改革と言ったときに、学校のカリキュラムを改革するというイメージが強いわけですが、そうではなく、まさに学習環境全体のデザインであるとか、結局それというのは一言で言うと、教育改革が学習改革化する、そういった流れかなと思うんです。
 それはよろしいことにも見えるわけですけれども、先ほどから少し議論になっているように、逆に言うと、アクターが多様化するということで、それで何か学校教員といったものの条件整備だけではなく、様々なアクターが民間も含めて参入して、そこでのガバナンスはどうするのという話になるわけですよね。だから、そういったときのガバナンスの在り方というか、教育課程というか、学びの履歴としてのカリキュラム行政の在り方というか、それはどうなってくるのかなという辺りを、少しお伺いしたいなと思います。
 だから結局これは入試の問題とも関係するんですけれども、特色化といったときに、日本だとやはり保護者であるとか子供たちの選択行動に影響されて、最終的にそこにマーケットが形成されて、水平的に多様化していく方向じゃなくて、垂直的に序列化されていく、そういうベクトルが常に働くと思うんです。だからそれを踏まえたときに、特色化とかそういった方向に行く展望というんですか、あるいはそこでの様々な質保証の在り方といったもの、この辺をどういうふうに考えていったらいいのかなということをお伺いしたいなと思いました。
 さらに今回はどちらかというと、高校の話だったらその辺りで、民間と云々ということで進学指導みたいなこととかも分かるのですけれども、義務教育段階を考えたときに、逆に言うと、ずばり言ってしまえば公立学校が安心して通わせられないということになるのは、これは公共性の問題からして、公教育といったものの在り方からして、非常に深刻な状況に陥るだろうというふうに予想されるわけです。
 ですから、ペアレントクラシーなんていう言葉もありますけれども、そこは小学校、中学校、高校、その辺の区別をしながら、どのように学習政策というか、学習改革みたいなもののガバナンスを考えていったらいいのかなという辺り、この辺、アイデアがあれば教えていただきたいなというのが1つです。
 どちらにしてもそういう形で、学校に行くことと学ぶことが必ずしも同一ではないというときに、これは履修原理で言うと修得主義の方向に向かうということになってくるかなと思います。実情、修得主義もいろいろで、検定試験みたいな形の小さな修得主義みたいな発想もあれば、あるいは大学とかも一応修得主義で、しかし大きめのタスクというか、卒業論文、卒業研究に取り組むことによって卒業を認定すると。その辺は自由度が結構あるわけですよね。
 大学院生のゼミでの学びもそうです。いろんな学会とかで自由に学びつつ、でもやっぱりちゃんと業績を出していくという形で、それも狭い意味での業績じゃなくて、研究という、ちょっと広がりのあるプロジェクトということになってくると思うんですけれども、そういった大きく修得主義の方向に行くときに、まさにそれぞれ、荒瀬先生がおっしゃったことは非常に私も共感するところですけれども、まず共通の土台があってではなくて、もう今や、もっとそれぞれのバックグラウンドも多様になってきている。逆に言うと、その多様性といったものに気づくところから始めていく。
 これまでの学校教育というのは、あなたは何したいのということを、実は子供たちもそうですし、先生方も問われることはなかった。だけど、あなたは何をしたいのというふうに逆に、アイ、主語を意識するようなことがこれからとても大事になってくるし、それこそが個別最適な学びの革新なんだろうと思うわけです。そこから共生空間といったところにもつながってくると思うんですけれども。
 そうやってそれぞれが多様。まさにアメリカの教育課程行政がそうであるように、多様だからこそ逆にコアをしっかりと自分たちで議論して立ち上げよう。多分そういう。高校だって本当に多様化している中において、改めてこの公共性という、その観点で、やっぱりそれでも全ての生徒たちに、これは必要だということをどう考えていったらいいのかということが問われているのかなというふうに思います。
 そういう点で言いますと、荒瀬先生がおっしゃってくださったように、共通性の中身で、社会・職業への移行というのは、これは経済的側面でありますし、人材育成ということでありますし、市民性、市民育成、さらに言うとその基盤となる教養、文化。文化的にやっぱり最低限度の生活じゃないですが、非常にバランスの取れた提案かなと思って伺っていました。
 それとともに、まさに両先生がおっしゃるように、やっぱりこのコンピテンシーベースとかというのは、実は社会にいかに導き得ていくかという、広義の広い意味でのキャリア教育なんですよね。なんだけれども、そのときに、私がここで伺いたいというか、ちょっと意見として持っているのは、前も申し上げたと思うんですが、やっぱり世の中をもうちょっとちゃんと子供たちが、しかもわくわくする世の中という感覚を持てるような、そういう世界観を、いかにカリキュラムの中で実装していくのかということが大事なのかなと思うんです。
 だから学習指導要領の全体の方向感は、安宅先生とかであえて刺激的な提案はありましたけど、そこで合っていますというふうに言うんですが、私からすると抽象的な話で合っているように見えているだけで、世界観として明確にそこの共有ができているかって、結構違うんじゃないかなという気はするんです。だから様々なものを知ることによって、逆にトータルにどんな世界観を学校として実装したいか。先生方もそうですね。だから学校こそがまさに戦後民主主義のときもそうですけれども、新しい未来を感じさせるような場になってくる。だからその1つ、今回はチャンスもあるんだろうな。
 ただそれが困難な時代といったらすごくしんどくなるわけですが、逆に天笠先生もおっしゃったように、わくわくする時代である。だからその感覚を、教育関係者がもっと持てるようになっていくことが大事なんじゃないかなと思うんです。そのためにはもっと具体的に、何とか力みたいなリストよりも、今の世の中ってこうだということを、社会科とかでもそうだと思いますし、様々な総合的な学習の時間、探究の時間もそうですが、もうちょっとそれを子供たちが実感を持って捉えていくような、そういうことが大事かなということを思いました。
 だからアラインメントなんていう言葉がありますけれども、要は一貫性を持たせるということで言うと、世界観のアラインメントというですか。だから、その辺がもうちょっとカリキュラム全体とか、学び全体の中でなされていくと、もうちょっとわくわく感といったものが社会から学校の中に入ってくる、その中で不易といったものが活性化するような、そんなこともあるのかなと思って聞いていました。
 すみません、長くなりましたが以上です。
【天笠座長】  やり取りをするというと、また時間もあれかと思いますので、先ほど申し上げましたように、後で私と荒瀬先生がコメントするというふうにさせていただきたいと思います。
 続きまして、奈須先生、その後、貞広先生、お願いいたします。奈須先生、お願いいたします。
【奈須座長代理】  よろしくお願いいたします。両先生の話、とてもそうだなと思っているんですけど、と同時に、これはこの国でいかんともし難いことだということが、本当にいかんともし難いことかどうかというのを、ちょっとそろそろ考えるのもいいかなと思うんです。
 例えば入試の話がありましたけど、多分大学入試で監督を教員がやるなんていう国は、ほかにどこかにあるんですかね。実はうちの大学はもうやっていないんです。教員は立ち番しません。上智大学は民間に外注しました。何の問題もありません。だから、それはやっぱりやらなきゃいけないと思っていただけで、変えてみたら何の問題もないですよ。とてもその時期、皆さん研究できたり、海外に行けたりして、いい感じです。だからやっぱり思い切って考える。
 入試もそうですよね。だって欧米って、基本全部AO入試じゃないですか。何でできないんですかね。いや、それはやっぱり、かなりそのレベルで何をすべきかということをしっかり考えてやっていかなきゃいかんのだろうなと、ちょっと思っているんです。もうこれは長年そうやってきたからそうするしかないんだという前提でいくのは、そろそろもう終わりにしてもいいものが幾つかあるんだろうと思っていて、案外とできちゃうのじゃないかと思っているんです。
 知・徳・体というのは本当にそうだなと思いつつ、知・徳・体って、私はあまりよく知りませんけど、あれは多分スペンサーの『知育・徳育・体育論』じゃないですか。それって1860年代ですよね。なぜあれが優れていたんですかね。私は、優れていたんではなくて、ちょうど明治初年の頃にあれが世界で最新だと言われていたので、日本は入れちゃったんじゃないかと理解していますが、これは冨士原先生に伺いたいですけど。だからそれを150年疑いもせずやってきて、今後もやっていくということで本当にいいのかという。ちょっとそのレベルでもう考えてもいいんじゃないかなと思っているんですよ。本当のことを言うと。
 いいところもいっぱいあるんです。海外の人たちは、国内の人たちが思っているより、日本の教育はいいじゃないか、うまくいっているじゃないかと言ってくださいますよね。ありがたいことだなと思うけれども、逆に僕らが、ここはちょっとそろそろ本当はもうまずいんじゃないかというふうに思っていることについては、できるかどうかという話よりも、それをやったらどういうことが起こるのかということを、ちょっと考えたほうがいいんじゃないか。そういうことはかなり実は長期的な議論が必要だと思うんです。
 ここから次の指導要領とかいう話、スケジュールという話は、そんなに時間があるのか、割とないのか分かりませんが、ただやっぱり今後物をつくっていくときに、この検討会なんてまさにそうですけど、少し長期的な作業手順のようなものを考えたり、あるいはもっといろんな方に知恵をいただく。それは、2時間の会議に2人ずつ呼ぶとかいう話はもちろんいいんですけど、もっと何か多くの方が長い時間をかけて知恵を出していくような仕組みってないのかなと思うんです。
 例えばこの間から、海外はどうなっているのと。私はあまり実はそんなに海外のことは知らないので。でも時々ドイツやフランスやイギリスの話を聞くと、ああ、それいいなとか、なるほどなとか、そうやっちゃえば随分よくなるなとかいうこともたくさんあるじゃないですか。教科等横断の話で、実はテーマアプローチとかトピックラーニングというのは、ヨーロッパではごく当たり前にやっていますよね。何でヨーロッパでは当たり前のように現場でできて日本ではできないのかということも、ちゃんと考えたほうがいいと思うんですけど。
 そういうのは有識者の方に来ていただいて何十分かお話しいただくというよりは、向こうでもきちんとした議論をしていただいて、日本の土壌だとこんなことができるんだという提案を例えばしていただくような仕組みってないのかなと思っているんです。
 例えば日本には、各国の教育の専門学会ってありますよ。アメリカ教育学会、ドイツ教育学会、フランス教育学会、イギリス教育学会。そういうところに少し時間をかけて投げて、そちらでしっかりと議論していただいて、持ってきていただくなんていうことはできないかな。やってくださるんじゃないのかな。何かむしろ、もちろん国研がまずは頼りになると思いますけど、さらに本当に日本中の教育学者や心理学者の御専門の知恵をうまくここでみんなで共有して、僕らがちょっと選択肢を広げるということが必要かなと、正直に言うと実は思っているんです。
 天笠先生がおっしゃったとおり、今回の指導要領は、いろんな諸学の知恵に学ぶということで大胆な改革ができたと思います。それはとても大事なことで、資質・能力という考え方もそうだし、社会に開かれたということもそうだし、学習の自己調整とかメタ認知とかいう話が当たり前のように入ってきたんですね。
 転位というのは簡単に起きないんだとかということが、まあ、まだまだ広がっていきませんけど、そういうことを前提にして授業とかカリキュラムをつくるんだとかいう話は、欧米では既に当然ですけど、ようやくこの国でも少し広がってきたと思いますが、もっともっと僕らが共有化して、ここで議論し、さらに現場の皆さんも分かっていくべき知識というのは、世界に膨大にあるんじゃないのかなという気は、私はしています。
 OECDのことが特に話題になるんだけど、OECDで本当にいいのかなと思っているんです。OECDは国際機関であって、その国際機関の標準枠組みの下で、各国が各国の状況でつくるという話ですよね。だから同じように僕らと一緒でOECDの枠組みを受けて、フランスもイギリスもドイツもそれぞれの国情の中で、いろんな工夫を重ねていらっしゃると思うんですけど、やっぱりそういうことに学び進めていくというのがどうかなということを、ちょっと本気で思っています。ここは割と理念的、原理的なことを少し時間をかけてやれるので、その戦略的なアプローチというのがちょっと必要かなと。
 高橋先生がさっきおっしゃった情報の話も、困るよね、何とかしなきゃいけないよねということじゃなくて、じゃ、ヨーロッパはなぜできているのかとか。できていないのかもしれないし。できているとすればどうするのかと。何かその辺の話が、もうちょっと外の知恵を入れたらどうかなというのは半分思っています。
 それから、もう1つちょっと思っているのは、このところ、今回の答申とか学習指導要領についてどうですかねという話を聞いているんですけど、例えば今回の指導要領の前に出た中教審答申はとてもよかったんだと。中教審答申はとても質が高いし、これでいけばいいなと思って期待していたけど、出てきた学習指導要領はあれっと思ったという方は、結構いらっしゃいます。
 これは文科省の仕事が雑だとかサボっているとか言いたいわけではなくて、学習指導要領という枠組みや書式や使える言語や、あとは法令審査がありますから、もうそこの制約条件が膨大にあるんだと思います。膨大にある。ようやく片仮名が使えるようになった。カリキュラム・マネジメント。よかったなと思いますけど。この間までは片仮名すら駄目だったという話もあります。
 だから、その学習指導要領の様式という話はここでも前から話題になっているし、今回本格的にやらなきゃいけないと思いますけれども、答申から学習指導要領に移行するときに、何かやっぱりちょっと起きてしまっているんじゃないかということ。さらに学習指導要領から教科書に移行というか、行くときに、やっぱりとんでもない矮小化や変化や厄介なことが起こっていると。
 今回デジタル教科書の会議でやればやるほど、教科書というのが僕らの国の教育の質を担保していると同時に、教科書というのが僕らの教育を縛って駄目にしていると、私は本気で思い始めています。
 その教科書をどうするかという話は、そのデジタル教科書とか教材ワーキングなんかで議論されたし、今後デジタル教育基盤の中でも議論されるんだと思いますし、それが必要だと思いますけど、今日の話で言うと、その仕組みとして、中教審で答申としてまとめた理念文書から、法令文書としての学習指導要領になる段階で何が起きて、どんな情報、どんな価値が落ちているのか。そこからまた解説書になり、教科書になるときに、何が起こって、どんな重要なことが損失を受けているのかということを考えたい。
 これも、じゃ、海外はどうしているのかという話が大きいと思うんです。もちろん法令も全部違うから直接はできないけれども、一応どんなふうにやっていて、うまくいっているものもいっていないものもありますが、教科書の取扱いについてもそうですが、何かその辺り一遍自由に、特にこの会議は自由に、そして長期的にいろんな方の知恵をもらうような仕組みをつくって、何かやれたら、半年後ぐらいに、随分僕らはいろんな武器や道具や可能性を、つまり選択肢を手にするんじゃないかなと思っているんです。まだちょっと私は選択肢が狭過ぎるというか、少な過ぎて、その中で考えているような気がして仕方がないんです。すみません。
 だから大変だなというか、今回の指導要領はよかったよ、この理念で行くよというと同時に、このまま行くと多分とてもまずいだろうなとも思っていて、そこに何が要るんだろうなということを、すみません、私も全く答えはないんですけど、迷っていますということです。すみません、まとまりませんが。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。
 それでは、次に貞広先生、お願いいたします。
【貞広委員】  ありがとうございます。ちょっとあまりにもテーマが壮大過ぎて、どの観点から切り込んでいいのかというので、手も挙げられないでいたのですが、2点申し上げたいと思います。共通して量等の問題に関連したことです。
 1つ目は、荒瀬先生の御報告、御発表にありました、公教育の目的に関連してです。公教育の目的というのは、自立した学習者を育成するのだということと、共通に必要となる資質・能力を育成するのだということですね。この点は恐らく高等学校だけではなくて、小中学校または幼児教育も含めて、教育という営みに共通した目的であるんだと思います。
 改めてこの目的を考えたときに、実際に目的は達成されているのかな、この目的の達成に学習指導要領って本当に貢献しているのかなと思うんですよね。先ほど世界観という言葉を石井先生が使われていましたけれども、むしろ学びたい気持ちの火を消しているんじゃないかと。ちょっと言葉は適切じゃないかもしれないんですけど、気楽でやりたい放題の子供期とか、学齢期に、ちゃんと学びの試行錯誤ができるようになっているかというふうに考えてしまうんです。
 今の子供たちは、期待値の非常に高い学習指導要領と、さらにその期待値を上げる教科書で学び、課外活動でもしっかりしろと言われ、SNSでずっと友達とつながってプレッシャーを受けて、そして経済状況もちょっとこんな感じで、先行きも不透明で、何か気楽で試行錯誤しても良いととても思えない状況だと思うんです。
 せめて知識集約型的な負荷から少し開放して、探究的な学びとか、一見役に立たないかもしれないけれども肥やしとなる学びとか、そういうもの。例えば、安宅先生は、多様なリアル体験こそ最後にエッセンスとして残る学びだとおっしゃっていましたけれども、公教育でこそこういう学び、多様な体験ができる様に、期待値を見直していくべきじゃないかというのが1点目です。
 2点目も関連してなんですけれども、その期待値の見直しのやり方についてです。これも荒瀬先生の御報告の中では、共通性と多様性という言葉を使われていました。別の言葉で言うと、コアの部分と周辺部とか、共通するコアと選択できる部分というふうに言ってもいいかもしれませんけれども、この腑分けを考えるべきかもしれないと思います。
 今までは高等学校も含めて、とにかく底抜けしないように、共通の期待値でつなぎ止めて、全ての人たちに腹筋、背筋をさせて、最低限の筋力をつける、そういう思考でやってきたんだと思いますが、その見直しということです。
 そこで導き出されるのは、先ほど石井先生がおっしゃったような、垂直的な多様化ではない多様化という観点で、共通の期待値でつなぎ止めるという思考もゼロベースで考え直さないと、この行き詰まり感を抜けられないんじゃないかと感じます。
 以上でございます。
【天笠座長】  委員の皆さんからはそれぞれ御意見いただきましたが、若干時間がまだありますので、それぞれの委員の方の御意見について御感想をいただいても結構ですし、また、その後のやり取り等からということでお願いできればと思うんですけれども、まず私のほうからは、先ほど石井先生がおっしゃった中で、アメリカのお話等の中からお話しいただいたかと思うんですが、多様だからコアを大切にと、そういう御発言があったかというふうに思います。
 この国がどれほど多様かというのは、これ自体またいろいろと議論が分かれるところだというふうに思いますけれども、言葉の空間としては多様ということが随分舞っていますが、実質日々の生活のレベル、社会のところに行くと、まだまだ多様というのは、ちょっと途中という言い方もできるんじゃないかと思います。
 ですからそういう点からすると、コアを大切にするということが、1つの方向性としては、2030年、2040年代というのは、やっぱり基本的にはその方向があるかというふうに思いますけれども、むしろこの国の社会の姿等を見た場合には、多様を促していくというか、多様を生み出していく、つくり出していく、その課題性というか方向性は、これまた大切にすべき点の1つかななんて、そんなふうに聞かせていただきました。
 それから、私の今日申し上げさせていただいた中では、少なくとも短期的な先の見通しというのは、先に何が起こるか分からないということで、結構外れる場合が多いんですけれども、比較的中長期的なものは大きく外れることはないというのが私の見方でして、ですから明日何が起こるか分からんけれども、でも数十年先というのはおよそ今こう言われているような方向に推移していくんではないかと。
 とすると、やはりいろんな意味で、現在行き詰まっている部分はたくさんあるかと思いますし、困難な時代ということは指摘されているとおりかなと思います。だからこそと言うべきなんですが、そういうことだからこそ、生きがいのある時代ですとか、やりがいのある時代に向けてという、その種のメッセージをどういうふうに生み出していくのか、そのこともやはり1つの大きなテーマではないかと思いますし、そのことにおいて、学習指導要領の中身的なものをどんなふうに考えていったらいいのかというのは、やっぱり検討すべき課題の1つとしてあるんではないかなと思いました。
 そういう点において私が挙げたのが、今回の資料でいきますと、19ページのところで学習指導要領をめぐる検討課題ということですけれども、それぞれの学習者への学びの履歴等を重視するカリキュラムへの転換ですとか、未来の社会の創り手へのメッセージとしての学びの地図の在り方ですとか、こういうことについてさらに議論を深めていくことの大切さ、必要性というのを感じさせていただきました。
 それから、奈須先生の御指摘いただいた、答申から学習指導要領へ、そしてまた教科書へ、さらに教科書を実施してという、それぞれのところのそれぞれ、あるいは関係性というんでしょうか、この辺りというのは、先ほどの市川先生のPDCAサイクルって確立していますかという、そのことと私は共通した課題性というか、テーマをそこに感じるところがあるわけで、このところをどういうふうに詰めていくのかということも、やはり1つのテーマとして、しっかりと再度位置づけるべき点があるんじゃないかなというふうに思っております。ということで、取りあえずは私から。
 荒瀬先生、今までのそれぞれの委員の方からのお話を聞いていかがでしょうか。
【荒瀬委員】  ありがとうございます。いろいろと、なるほどなと思いながら伺っておりました。ありがとうございました。
 冨士原先生がおっしゃった、目の前の子供の実態に引きずられるというのは、もうまさにそのとおりだと思いますが、逆に、目の前の生徒の実態に引きずられて、その後、別の学校に移った先生が、その学校の生徒の実態には引きずられないで、むしろ、例えば探究の重要性みたいなことを、もともと行っていた学校は進学校じゃなくて、進学校に異動して、進学校に異動したら探究というのは、模擬テストについて先生と相談する時間であったりとか、あとは小論文の練習をするための時間とかになっているということに対して、おかしいという声を上げていらっしゃるケースを最近知りました。
 だから、これは先生も人ですので、みんな学んでいくので、いろんなことがこれからいい方向に動いていけばいいなと、そういうちょっと楽観をしている次第です。
 これは多分、総合的な学習の時間が総合的な探究の時間になって、総合的な探究の時間の学習指導要領の解説、これは奈須先生が大活躍なさったわけですけれども、相当ああいった中身が結果的に今じわじわと効いてきているという点が、私はやっぱりあるんじゃないかなということを思っています。だから学習指導要領の意義というのはそういうところにあるのかなと思っています。
 それから、石井先生がおっしゃった、もっとわくわくするような世界観というのは、もう私も大賛成でありまして、石井先生、またぜひ京都でもお話ができればと思いますが、探究と呼ぼうが何と呼ぼうが別に構わないので、本当に先生がおっしゃるように、主語がアイである、何したいの、僕これしたいとか、こんなこと面白そうだということが。本当に小さい子供の頃はみんなやりますよね。好きなこと。大人が見て意味があるとか、ないとか関係なしで。
 ところがそれがだんだん長じていくにしたがって、それこそ架け橋期の話とかも出てきますけれども、だんだん変なところに矯正されていって、できなくなっていく。やっぱりそのわくわく感を残すような学習指導要領の仕掛けというのが必要ではないかなと思いました。
 それから奈須先生がおっしゃった、上智大は監督を民間にしているというのは、それならば今後採点はどうするんですかというのが非常に興味深いところなんですけれども、勇気をいただきました。
 ただ、先生は教科書の問題というか、課題をおっしゃったんですけど、これが実は高等学校の場合、特に探究についての教科書とか共通する知見が十分にないというところが、探究がないがしろにされる理由にもなっていて、特に選抜性の高い大学は問うているんですけど、その問うているということに高校側が気がつかないように思うんです。
 教科の学習と探究というのも、きれいに分けてしまって見ている人がいるという現実もあって、だから教科書がないんだから、本当にそれこそさっきの話で、わくわくできるようなことがいっぱいつくれるんですけど、それがなかなかそうなっていないという悲しい現実。しかし、一方で入試は改革できるんだという勇気をいただきました。
 貞広先生がおっしゃったことで言うと、なるほどなと思ったんですけれども、量を減らすって、これは今、高等学校は74単位でいいにもかかわらず、74単位で済ませている学校って基本的にないんですよね。
 全部それに加えていっぱいやっていて、それをやるのが何のためにやるのかということをちゃんと考えないで、とにかく増やしたらいいだろうみたいな、しかもそれは5教科の時間を増やしたらいいだろうみたいな感じで動いているところがあるので、本当にカリキュラムポリシーということを改めて突きつけていくことが、これは教育委員会の仕事だと思うんですけれども、本当に大事になってくると思いますのと、共通性と多様性の腑分けをというお話ですが、これは多分自己決定する力を身につけるためには、高等学校ではひょっとしたら遅いかもしれないと思います。
 だから先生もちょっと踏み込んだことを言っているかもしれないとおっしゃいましたけど、これは実は我々が今やっている高校ワーキングの議論の中では、中学生の間からでも、本当はいろんな選択とかができるような癖、経験をつけておかないと駄目なんじゃないか、そういったようなことができるようにしておかないと、高等学校だけではちょっと厳しいかもしれないねというような話なんかも出ていまして、私もそんな気がしています。
 ですから、学習指導要領を考える上で、どういう形で生徒の自己決定ができるような場面、余地を残しておくのか、そういう隙を残しておくみたいな、委ねる時間、任せる時間をつくるということが大事ではないかなと思いました。ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。時間ですので、今日はここまでということにさせていただきたいと思いますけれども、今、荒瀬先生がおっしゃった最後のところ、教育課程の縦の軸というんでしょうか、言うならば小学校の義務教育段階と高等学校という、ここでの議論というのが、高等学校というのを1つ取り上げていますけれども、やはり既に意見等が出ましたが、義務教育段階と高等学校の関係というのは密接不離の関係にもあるわけですので、縦の視点から見たときの教育課程というのはどうあるのか考えるのかということも、また次回以降も取り上げて、話を進めていただければというふうに思っております。
 ということで予定の時刻となりましたので、ここまでということにさせていただきます。
 本日は、これからの学校像についてをテーマに議論をお願いしましたが、次回会議では、冒頭申し上げましたように、本日の意見を踏まえつつ、今後の教育課程の在り方についてをテーマに、秋田委員、それから石井委員のお二人から基調提案をいただいた後、意見交換をお願いしたいというふうに思います。次回以降の日程については、事務局と相談の上、改めて連絡をさせていただきます。
 本日は以上ということにさせていただきます。どうもありがとうございました。
―― 了 ――

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)