今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第4回)議事録

1.日時

令和5年4月27日(木曜日)15時00分~17時00分

2.場所

WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式

3.議題

  1. 令和4年度公立小・中学校等における教育課程の編成・実施状況調査の結果について
  2. 今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方について
  3. その他

4.議事録

【天笠座長】お待たせしました。ただいまから第4回今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会を開催いたします。大変御多忙中、御参加いただきまして、誠にありがとうございます。
 本有識者検討会につきましては、報道関係者より撮影及び録音の申出があり、これを許可しておりますので、御承知おきください。
 さて、前回、第3回会議では、慶應義塾大学の安宅和人先生より、これからの社会像について、データとAIの力を解き放ち、価値を創造していく力が必要であるという視点から、大変示唆に富んだ御発表をいただきました。
 本日は、議題1としまして、4月20日木曜日に公表されました令和4年度公立小・中学校等における教育課程の編成・実施状況調査の結果につきまして、事務局から御報告をいただきたいと思います。
 続きまして、その後、議題2といたしまして、これまでのヒアリングも踏まえまして、委員の皆様から本有識者検討会において議論する必要があると考える点について提示いただいた後、意見交換を行いたいと思っております。
 それでは、まず議題1ということで、令和4年度公立小・中学校等における教育課程の編成・実施状況調査の結果につきまして、事務局より御報告をお願いいたします。
【石田教育課程企画室長】それでは事務局より資料に基づきまして、小・中学校等における教育課程の編成・実施状況調査、令和4年度のものでございますけれども、その概要につきまして御説明申し上げます。
 まず調査の概要でございますけれども、調査対象、いずれも無作為抽出によりまして、小学校等調査で1,235校、中学校等調査で1,243校を対象に調査を行いました。
 調査の方法でございますけれども、Web回答システムへの回答により実施いたしまして、回答期間は令和4年12月12日から令和5年1月16日にかけて調査を行いました。
 次のスライドをお願いします。以下、調査結果の概要について御説明申し上げますけれども、今映っておりますのが、まず年間総授業時数ということでございます。こちらは令和3年度の実績の数値を示してございます。小学校第5学年では、全国平均が1,059.9単位時間となってございます。学校教育法施行規則に示します標準授業時数が1,015単位時間でございますので、44.9コマ上回って授業を実施している状況にございます。中学校の第2学年のデータが下にございますけれども、全国平均1,058.5単位時間、標準授業時数に対して43.5コマ上回って実施している状況ということでございます。
 次、お願いします。こちらは令和4年度の計画段階の数値をお示ししてございます。なお、これ以降、御説明の中で取り上げます数値は全て、特に申し上げない限り、令和4年度の計画段階の数字でございますので、御承知おきいただければと思います。
 上段が小学校第5学年でございますけれども、全国平均が1,078.3単位時間、学校教育法施行規則の標準授業時数は1,015単位時間ということで、63.3コマ上回って教育課程を編成している状況にございます。下段、中学校第2学年でございますけれども、全国平均が1,073.9単位時間、標準授業時数に対しまして58.9コマ上回っているという状況でございます。
 下の棒グラフに計画段階での年間総授業時数の分布をお示ししてございますけれども、御覧いただきますと分かりますように、今回の調査結果では、標準授業時数を大きく上回る授業時間を確保している学校も一定程度存在することが明らかとなったところでございます。こうした学校では、これまでの学校運営の状況ですとか児童生徒の学習状況、あるいはほかの学校の状況も踏まえながら、本当にそうした標準授業時数が必要なのかをしっかりと検証いただきながら、必要に応じて改善に努めていただくことが重要と考えてございます。
 今般の調査結果を受けまして、各教育委員会に対しましても、所管の学校において、指導体制に見合いました授業時数の設定を行っていただくなど、適切な教育課程の編成・実施が行われるようにお知らせしたところでございます。  次のスライドをお願いします。年間の総授業日数の全国平均でございます。小学校第5学年で201.8日、中学校第2学年で201.9日となってございます。下段、夏季休業期間でございますけれども、日数の全国平均は、小学校第5学年で36.7日、中学校第2学年で36.1日となってございます。
 次、お願いします。次は、個に応じた指導の状況でございます。小学校等で84.9%、中学校等で77.3%の実施状況となってございます。その内容を書いてございますけれども、小学校等で実施していると回答した学校のうち、生徒の興味・関心等に応じた課題学習を行った学校の割合は51.0%、補充的な学習を行った学校の割合は93.7%、発展的な学習を行ったというところは45.7%となってございます。時間の関係上、割愛いたしますけれども、中学校は右の段の状況となってございます。
 また、補充的な学習または発展的な学習を実施している場合に、当該学年のみの内容を扱っていらっしゃるのか、あるいは下の学年や上の学年など異なる学年の内容も含めて実施しているかの御質問をしてございます。異なる学年の内容も含めて実施したと回答した学校の割合は、小学校で55.1%、中学校で61.2%となってございます。
 次、お願いします。次に、少人数指導の状況でございますけれども、小学校等で39.3%、中学校等で47.1%の状況となってございます。また、下段、複数の教師が協力して行うチームティーチングの実施状況でございますけれども、小学校等で68.6%、中学校等で77.7%という状況になってございます。
 次、お願いいたします。教科等の担任制の実施状況ということでございます。小学校第5学年と第6学年のいずれにおきましても、前回調査、平成30年度でございますけれども、これと比較いたしまして、全ての教科におきまして教科担任制を実施している学校の割合が増加するという状況になってございます。特に、教科指導の専門性を持った教師によるきめ細かな指導と、あるいは中学校の学びにつながる系統的な指導の充実を図ろうということで優先的に専科指導の対象としてございます算数、理科、体育、外国語の実施割合が大幅に増加するということで、各学校におきまして教科担任制の導入を着実に進めていただいているものと考えてございます。
 最後、一番下のところでございます。こちらは令和3年度の実績の数値となりますけれども、障害のある児童生徒と障害のない児童生徒の交流及び共同学習の実施状況ということでございますけれども、こちらは小学校等で82.4%、中学校等で79.8%となっているところでございます。
 事務局からの説明は以上でございます。
【天笠座長】ただいまの実施状況調査の結果につきまして、委員の皆様で御質問あるいはお気づきになった点がありましたらお願いできればと思いますけども、いかがでしょうか。
 私から1つですけども、教科担任制の実施状況の結果が出ておりますけど、これは、学年ごとにも公表されたというか、結果が出ているんでしょうか。それとも、これは、要するに今のところは5年生・6年生ということになっていますが、小学校1年生から4年生もデータがあるんですか。どうでしょうか。そこはどうなっているんですか。
【石田教育課程企画室長】ありがとうございます。教科担任制の実施状況でございますが、今回概要資料でお配りしたものは高学年の状況を出してございますけれども、小学校1年生から6年生の状況も把握してございまして、これは別途、文部科学省のホームページに詳細版という形で掲載しておりますので、また委員の先生方には、会議終了後、共有いたしたいと思います。
【天笠座長】分かりました。
 そのほかについて、いかがでしょうか。
 それでしたら、この件につきましても、次の議題2のところで意見交換ということに際しまして、コメントということもまたありましたら、お願いできればと思いますので、2つ目の議題に移るようにさせていただきます。
 本日の会議では、第3回までの今後の社会像という、やや大きな議論を学校教育や教育課程、学習指導の議論に引き継げることによりまして、今後の会議運営につなげていくという回し方をしたいと考えております。
 そこで第4回の会議では、本有識者検討会の任務であります今後の学校教育、教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方の議論に際しまして、委員の皆さんから本有識者検討会において議論する必要があるとお考えの点について御提案いただき、その後、意見交換を進めていきたいと考えております。
 それで、実際の進め方ですけども、これより、基本的に五十音順で、委員のお一人につきましておよそ5分前後ということで、それぞれ御提案をいただいた後、意見交換ということで進めていきたいと思いますので、その旨、どうぞよろしくお願いいたします。
 ということで、まずは秋田委員、荒瀬委員、石井委員という順でお願いしたいと思いますので、まず秋田委員からということで、秋田委員、よろしいでしょうか。
【秋田座長代理】それでは、私からでよろしいでしょうか。
【天笠座長】どうぞよろしくお願いいたします。
【秋田座長代理】それでは、私のほうで画面を共有させていただきます。ちょっと字が小さくて申し訳ございません。  学習院大学の秋田です。今、大きく時代が変わっているというようなところについてのお話をこれまで2回伺ってきたわけです。けれども、急激に変化する社会であるからこそ、急速な教育改革や教育課程の変革を加速化するという方向ではなくて、むしろ現行の学習指導要領、教育課程の目指す学校像とか、それから学習像、授業観というものを、現行の学習指導要領が例えば小学校で3年がすぎ、4年目になりましたけれども、まだまだ十分ではないということを考えますと、より多くの先生方や社会が理解を深め、できるようにしていくという意味で、カリキュラムを大きく変えるのではなく、カリキュラムのリ・デザインというのでしょうか、もう一度原則を、これはOECDでもカリキュラムのリ・デザイン12原則というのを出したりしていますけれど、改めて、何が重要かということが総則に書いてあるわけですが、よりその背景の意味を明確に、デザインの原理を明確にしていくことがこれから大事ではないかと思います。
 そして、最近、スロー・ペダゴジーという言葉があります。ファストでどんどん情報が加速化していく、そういう時代の流れの中で、逆にスローというのは、あえてゆっくりするということではなくて、探究をするとか、深く根源的な本質に深く集中、夢中にできるような授業や学習がこれから求められているのだということ、この授業像を明確にしていくことが必要なのではないかとで考えるところです。
 そして、そのときに重要なこととしては、この会議では学習指導要領、すなわち教育課程と、それから学習指導と、学習評価が今回セットで議論されることになるわけですけれども、教育課程のみに焦点を当てるというよりは、ここまでにも何度か話が出てきていますが、教育課程と、例えば教科書をはじめ、教材とか、教科書とか、それからメディアという媒介物と、学習評価の在り方とを、それぞれの学校の文脈、そして学校に関わるリソースの実態という、学習者を取り巻く学びの環境や資源のエコシステムというのでしょうか、それをシステムとして捉えることが大事だと思います。カリキュラムだけを取り出すのではなく、セットとして見通していく、見ていくというシステム的視点をより明確に出していくことが必要になるだろうと思います。
 ほかの会議でも出ていましたChatGPTをはじめ、様々な例えばツールが出てきているわけです。例えばそういうツールをどのように使うことができるのかというような媒介するもの、それがどういうふうに教育課程の内容を支えていくのか、それによってどういう学校での学習評価を行っていくことがこれから求められるのかというような、エコシステムそのものが時代によって変わっていくわけです。個人的には私は英語が堪能ではありませんが、DeepLという翻訳ソフトがあることによって、ほとんどそのアプリに頼りながら、逆に自分の英語力がブラッシュアップができる。そういう意味でのエコシステム全体をこれから考えていくというようなことが、基本システムとして大事なのではないかと思います。
 特に時間軸が急速に変わる社会というような、クロノシステムと発達などでは呼んだりしますけれども、そういう時間軸で、発達や学びの連続性というものと、各学校種間や学年というところの育ちという縦の視点から、もう一度、公教育における学校種の在り方、義務教育と高等学校であったり、幼から高まで、そして大学までの縦軸というのでしょうか、教科間を横断と考えれば、縦の軸という発達軸についてもう少し議論することが必要なのではないかと考えます。総則には書かれていますけれども、もう少しそれを考えていく必要があるのではないかと考えます。
 コンピテンシーを育むという方向に変わりはないですが、発達における学びや育ちの軸を明確にしていくことが重要であろうと思います。議論にも出ていましたが、各教科の見方・考え方から求められる資質・能力を考えるというような、それを足し算していくことでこれからの求められる資質・能力を考えていくというような総和的な形ではなく、横断的な形で各発達や年齢段階に応じて汎用的にこれから求められる資質・能力を押さえていくことが大事なのではないかと考えます。
 例えば初等教育の始まりのところからの学習観というものが、例えば遊びを中心とした学びから、学び側のあくまでも勉強という形での学習スキルの指導までの学習観があるわけですけれども、低学年からの探究的に問いを持つことのスキルというようなものは、教科を超えてそうした問い方を育成していくことであったり、それからSOSを個人が出すだけではない、協働における援助要請方略とか、受援力と言われるような資質能力を教科をまたいで、汎用的な資質をどの段階でどういう内容を学んでいくことが、各教科を通して必要な求められる資質・能力を育てていくのかというところにつながっていくのではないかと思います。特に中学年や高学年から中等学校あたりで、学習方略、学び方の方略やメタ認知的な方略の育成とか、それから情報活用というのも、例えば多様なツール、ICTツールであったり、情報リテラシーをより自覚的に育てていくようなこともまた、中等教育段階での批判的能力とか論理を組み立てるというようなことにもつながります。また、そうした認知的領域だけではなく、社会的な、人の育ちや権利、生き方などを見通すなどのような形で、各教科の特定単元と総合で扱うだけではなく、教科をまたいで横断的に育むことが意味を持つような内容を、どういうふうにこれから議論していくのかということが必要なのではないかと思います。
 これらについては、発達科学や学習科学の知見なども踏まえて、どのようにそれを考えていくことが必要なのかというところを、持続可能な社会をつくる担い手の育成ということを言われるわけですが、学び続けるためには、例えば今の時代、生成的AIが使えるというようなことも重要になってくるでしょうし、そうしたことを見据えて縦軸も考えていくことが必要なのではないかというところが2点目のポイントになります。
 そして、その縦糸を明確にしていくことで、個人によって学ぶペースの違う多様な学習者に対して、より個性化とか、それから学年主義を超えて複数学年にまたいでカリキュラムを考えてもよいという柔軟性というようなものも、今後、ペースや、それから多様な、学校に通えない子供やいろいろな子供のことを考えるといいのではないかと思います。
 それらを通して、もう一度、授業時数は変わらなくても、学ぶ時間の質の向上というような、学びの変革は学習におけるまさに時間の質の変革だと考えています。授業時数を増やすのではなく、少なく良質な高度な課題が深い学び、探究的な学びを保障するというのと同時で、学年でのりしろ部分や重なりとか、それから逆に戻って、立ち戻って強めていくという時間単位の発想が、今までの1時間授業時数とか単元というようなところから、もう少し大くくりや柔軟な発想というものが子供たちを学びやすくしていくのではないかと思います。
 授業の45分を、例えば低学年だと、前からモジュールで15分に切ったり、100分にしたりといういろいろな柔軟化というのがあるわけですけれど、そうしたことや、また、評価のサイクルにおいても、中間・期末というようなサイクルではなく、そして限られた時間のテストというのではない評価の在り方というのはこれまでも議論されてきましたが、そういう評価における時間軸の見直しによって内容の質を高めていくことが必要ではないだろうかと考えているところにあります。
 雑駁ですけれども、以上になります。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 委員の皆さんからの御意見は、全委員の御発表の後に意見交換という場でお願いしたいと思います。
 それでは続きまして、荒瀬委員、お願いいたします。
【荒瀬委員】ありがとうございます。画面の共有をいたします。
 よろしくお願いいたします。教職員支援機構の荒瀬でございます。
 私、さっき資料1で御説明いただいた中で質問があるんですけれども、最後にさせていただきたいと思います。
 字は大きいんですけど中身はあまりないという申し訳ない発表なんですが、今、秋田先生のお話を聞いていて、とても勉強になりました。ありがとうございました。全般的にそういう形で、私も大変賛同いたします。
 私、高等学校に長くいたということもありまして、具体的に高等学校の生徒たちの顔を思い浮かべながらお話をしたいと思います。
 成年年齢が引き下げられたという、これはとても大きなことだと思っていまして、そういう中でいかにキャリア教育を進めていくかということなんですけれども、学習指導要領にもキャリア教育については書かれていますが、どうもこのキャリア教育というものが十分定着していないのではないかということを思っています。
 どうしてもキャリアという言葉のイメージが仕事というものにつながってしまうので、これは2011年の答申の中の定義でありますけれども、職業教育とキャリア教育というのをこのような形で分けていて、キャリア教育は職業教育を含んでいるということだと思うんですが、この辺の理解を進めていく上では、現行学習指導要領をきちんと定着するように進めていくことが、高等学校においては非常に大事ではないかと思っています。
 高校教育ということで、これは日付が古い日付のままで申し訳ありませんけれども、学習指導要領の前文というものをとても大事にしていくことが必要ではないかと私は思っています。その中で今申しましたようなキャリア教育のこともありますし、さらには、これは高等学校教育について語られるときに常に出てきていた、その当時の言葉で言うと共通性と多様性ということで、共通性をしっかりと確保した上で、多様性をいかにして認めていく、さらにはそれに基づく学習の場をつくっていくかということだと思うんですけれども、今、高校ワーキングが特別部会の下に置かれていますが、そこでの議論の中では、共通性と多様性という言葉の使い方がそもそももうそぐわないのではないかと。むしろ多様性と共通性という表現のほうがいいんじゃないかというような話も出ています。
 いかに多様である子供たちに共通のものを身につけることが必要なのかということも考える必要があるし、かつまた、多様であるということにしっかりとよって考えていくべきことがあるだろうと思っています。
 そういう中では、学校教育法にも書かれていますけれども、進路展望というものを、これは進路によって生徒をコース別にしてしまうという話ではなく、しっかりと進路を展望するような、そういう学びの在り方を追求する必要があるでしょうし、そのためにも探究というものをもっと重視するべきだということ、さらには、先ほど申しました成年年齢に達するということを考えると、その部分での共通性をいかに具体的に確保していくかということも大事だろうと思っています。
 学習指導要領前文というのは、これも御承知のことであるわけですけれども、ここに書かれている部分で見ると、これは私が勝手に5つに切っているんですが、まず書かれているのは、自分のよさや可能性を認識するという言葉であって、自分のよさや可能性を認識することができるような学習指導要領といいますか、あるいは学習活動評価、そういったようなものを今後考えていくことが大事だろうと思っています。
 そういう意味では、令和3年答申で、高等学校についてはスクールポリシーというものをしっかりと各学校が立てていくんだ、その中で目指すべき姿、そのための教育課程、そういったものをしっかりつくって、できておしまいではなく、常に見直す必要があるということが出ていましたが、その点、とても重要だろうと思っています。
 私が申し上げたいのはそういうことであります。ですから、さっき秋田先生もおっしゃっていましたというか、私はそのように受け取ったのですが、高等学校においては、むしろ学習指導要領の内容をしっかりと定着させることが大事だろうと思っています。
 以上です。
【天笠座長】議題1についても御発言があったかと思いますので、御質問や御意見があればこの場でお願いできればと思います。
【荒瀬委員】先ほどの7ページの部分で、教科等担任制の実施状況という部分で、私もこの表を見ていて、随分増えたなと思いつつも、この中身というのでしょうか、なぜ増えたのか、なぜこういう形の数字になっているのかということが分かるのかどうかということをお尋ねしたいなと思いました。
 こういったことが必要だからやったんだとか、先生を確保したいんだけども、この部分もっとしたいんだけどもできないんだとか、その辺のことが何か分かるのであれば、教えていただきたいなと思ったということです。
 以上です。
【天笠座長】お答えにつきましては、今用意してもらって、後ほどということで失礼させていただきたいと思いますので、またこの件についても後ほどということでよろしくお願いいたします。
【荒瀬委員】ありがとうございます。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 それでは続きまして、石井委員、お願いいたします。石井委員、市川委員、高橋委員の順にお願いしたいと思います。石井委員、お願いいたします。
【石井委員】では、まず画面を共有させていただきます。それでは、今から5分でお話しさせていただきます。
 基本的にはこのスライドで、結構たくさんありますので、これは本当に参考資料ぐらいのもので、要は2人の先生方とも共通するところですけども、基本的には現行学習指導要領の趣旨を再確認して、その徹底と充実、これがポイントになってくるかと思います。
 この改革の熟成ですよね。そのときに、今の学習指導要領、社会に開かれた教育課程であるとか資質・能力ベースということですけれども、その基本的な骨組みを変えずに、その中で十分に手をつけられ切れていない、何を学ぶのかという辺りを、この辺にしっかり切り込んでいくことが重要ではないかなと思っています。
 だから、どのように学ぶかということばかりですね。それで○○な学びといったものがたくさん出てくることが逆に現場を混乱させているということがあると思うので、やはりここは、先ほど秋田先生もおっしゃったように、学びの深さを追求するために、しっかりと重要な内容を時間をかけて深く学ぶ。その結果として、そのプロセスにおいて思考力であるとか主体性みたいなものが育ってくるという、Less is moreの発想ですね。少ない内容を深く学ぶことによって、結果としてたくさん学べる。この形をどうつくっていくのかということが重要かなと思います。
 そのときに、単元あるいはそれ以上のスパンになってきますけれども、そういう1時間1時間ということよりも、もう少し長いスパンで実践を考えていくということが重要になってきますし、その内容の重点化ということが肝になってくるかなと思います。
 内容の重点化においては、個別の年号であるとか化学式みたいな、そういった事実とかではなくて、もう少しメタな概念、そこを軸にしていくということもありますし、何を学ぶかということに切り込むということは、要は新たなコアを立ち上げていく作業になってくると思います。  だから、それこそ前回の安宅先生のお話をお伺いしながら強く感じたのは、やはり安宅先生であるとか、社会の変化と対峙している方々が感じているというか見えている風景ですね。そのパースペクティブをどう実装していくのかということが重要かなと思います。だから、結局、世の中観といいますか、世界観というのですか、そこをどう実装するかということかなと思います。  ですから、何が見えているのかという、そこから世の中を見通すときに何が見えているのかという辺りを軸にしながら、内容の組替えというか、そういったものが大事になってくるかなと思いますし、まさにこのコンピテンシー・ベースということの趣旨を再確認する。だから、コンピテンシー・ベースといったものが、社会といったものよりも、主体性みたいな形で、個人個人の心構えみたいなものにシフトしてきてはいないかなと思います。
 改めて今の世の中をちゃんとしっかりと見据えて、そこと対峙していく。社会をつくり変えていく。その軸を、社会に開かれた教育課程ということがあるわけですけども、そこを改めて大事にしていく。そのときにはオーセンティックな学びみたいなものも重要になってくるかなと思います。
 それで、次のスライドのところは、前に安宅先生がなされていたことであるとか、広井先生がお話しされていたことを踏まえながら考えると、生成型AI云々ということで、かなり時代の変化とか技術革新といったものを感じているわけですけれども、改めてそこで人間らしさといったものが重要になってくる。これは、感性と知性を分けるとか、これからは言葉の力が必要ないとかじゃなくて、感性的な知性あるいは知性的感性、安宅先生はたしか知覚という言葉を使っておられたと思いますけれども、そういった人間らしい知性といったものが大事になってくると思いますし、そういうことをChatGPTとかそういったものに明確に何らかの仕事をしてもらうためには、言葉の力が重要ということがあると思います。
 だから、ある種、そういった現代のこの変化する社会といったことを見据えながら、改めて何が今必要なのかということを考えていくことが必要かなと思いますし、この間、探究とか、そういったものも一つキーワードになってきているわけですが、コンピテンシーもそうなんですけども、このプロセスをたどっておけばいいんだよということになってしまうと、形式主義になるわけですね。
 だから、探究とかでよくあるのは、問いを立てる力は大事なんですけど、何でもかんでも課題を設定する場面をつくればいいということでも多分ないかなと思います。ですから、形式主義にならないためには、そういった問いを立てたくなるような、そういった課題であるとか文脈、タスクみたいなものが重要になってきますし、単元の組み方としては、一番下のほうに書きましたけども、内容単元から主題単元へという、この辺のシフトが重要になってくるかなと思います。
 探究といったものの正体というのは、教科においても総合においてもそうですけども、内容単元から主題単元的に単元を組んでいくということがポイントになってくるかなと思います。そういった単元間の組替えみたいなものも含めて考えていけるといいのではないかなと思っています。
 以上で終わらせていただきます。
【天笠座長】どうもありがとうございました。用意していただいた資料がありますので、もしあれでしたら、また後ほどの御意見のときに、御意見を加えていただければと思います。
 それでは続きまして、市川委員、お願いいたします。
【市川委員】では、スライドを2枚使いますが、お願いします。ありがとうございます。
 大きく2つのことですが、まず1番ですけれども、学習指導要領の内容の追加と削減をめぐる問題と。これは恐らく次の改訂の議論でかなり中心になるかもしれないなと思っているところです。
 ただ、私はこれを一体どういうふうに議論していくのか、議論の仕方がかなり気になっています。これまでの改訂でも、きちんとした根拠とかデータとかなしに決められてしまうということも多々あったような気がしています。
 まず(1)ですけれども、「「何を、いつから」問題」と書きました。これは内容の問題です。多分教育課程の永遠の課題なんだと思うんですが、こういう内容を入れてほしいとか、入れようという話も出てきますし、こういう内容はもう要らないんじゃないかという、結局差し替えということになるんですが、内容的な差し替えですね。改訂のときにいつもたくさん出てきます。
 社会に出ると何々が必要なんだから早くからやるべきだという意見がよく出てきます。ただ、それを議論するときの根拠を一体どこに求めるのかということですね。一つには、先ほど秋田先生からも出てきたように、発達とか教育の諸科学、そういうところからいうと、これはこの時期に入れたほうがいいというようなことがある程度根拠があるんでしたら、それに基づいてするべきだろうと。
 英語教育などが入ってくるときには、やはり発達のほうで臨界期というようなことも言われましたから、この時期には入れるのが効果的であると。ここだと遅過ぎるとか、あまり早く入れても意味がないというようなことも、これまで科学的な蓄積があるでしょうから、そういうことは参考にするべきだろうと思います。
 ただ、そうは言っても、私も教育心理学専門ですけれども、そんなに教育心理学の知見だけで決められるというものでもない、それほどの根拠がまだ科学としても蓄積されていないということもあります。
 すると、もう一つの根拠は、これまでの教育効果ですね、実際にそういうものを入れてみたというところがある。日本の国内でもあるでしょうし、諸外国でもあると思います。入れてみたけれども、どうも早く入れた割に効果がなかったとかいうことは、歴史的にも蓄積があると思いますので、入れてみてどうだったかというようなことをきちんと検証しながら、何を入れるのか、何は必要ないのかというようなことを考えていくべきだろうと思います。
 (2)ですが、これは内容というよりは総量の問題です。「学習指導要領の総量を縮減」とここで書きました。これは、私たちの記憶ですと、98年の改訂のときには3割削減というようなことが言われて、内容も時間も3割削減しましょうと。あのときには、総合が入ってくるとか、中学校だと選択科目が入ってくるというような、そういうこともあって、必修教科は縮減せざるを得ないようなこともありました。しかも、ゆとり教育というような、文科省がゆとり教育と言ったわけではないと思いますけれども、そういう理念も社会的にあって、あまり詰め込むのをやめよう、もっとゆとりを持たせようというようなこともあって、3割削減というようなことが言われたと。
 ただ、その結果どうであったか。結局、元に戻さざるを得なくなってしまった。あれだけ一律にやったものを、いろいろなことが言われて、元に戻すという、縮減したり増加したりというようなことを何回も繰り返すということは避けたいと。しっかり吟味したいということです。
 今回はカリキュラム・オーバーロードいう言葉もかなり出てきています。内容が多過ぎる、だから削減するべきだという議論、意見が出てきていると。ただ、私はカリキュラム・オーバーロードの原因というのは、学習指導要領の内容が多過ぎるからだ、だから縮減するべきだというふうに直結してしまうのは、ちょっと危ないと思っています。
 それを議論するときに、多過ぎる、多過ぎる。時間が足りない、今の時間ではこの内容はできないというような意見の中に、じゃあ、授業方法の問題とかいうのは考慮されているのか。「別にちゃんとできています」という学校もあるわけですね。できていなくて困っているというところは、一体どんな授業方法でやっているのか。
 これも気になるのは、例えば小学校の授業を見る限り、教科書の内容を一方的に詰め込んでいるような授業をやっているところは、私は今、日本ではまずほとんどないと思っています。高校は確かに随分詰め込みの授業というのを今でも見かけますけれども、小学校ではそういう授業はほとんどやっていない。
 代わりに何が問題かというと、教師が教えるのはよくないとか、教科書は閉じさせて、全てそこにあることを自力発見させようというような授業。これは教科によってはかなりメインになっています。このやり方がいいんだと。これからの教育だと。
 ところが、その結果、時間は足りないし、深い学びになっているかというとあまりなっていない。そういう授業方法の問題を考えずに、多過ぎる、多過ぎると。確かに全部自力発見させようと思ったら内容は相当絞らないといけなくなりますが、それが本当にいいことかというのを、授業方法とも掛け合わせながら見ていく必要がある。
 それから、子供たち、確かに忙しいという実態はあると思いますが、むしろ学習指導要領以外の過重負担がかかっているということはないだろうか。例えば大都市圏では、子供たちは塾に行くので非常に忙しい。あるいは、中学・高校ともなると、塾に行かない子もいるので、学校が相当受験対策の勉強をしてあげないといけない。
 これは何も学習指導要領の内容が多いというよりは、学習指導要領以上の内容を学校がやらなくてはいけないからです。場合によると、中高6年間の内容を5年間でとにかくぎゅっと教えて、6年目は受験対策に充てる。これは進学校ではもう当たり前のようになっていますが、それは大変だろうと思います。学習指導要領の6年間の内容を5年間で教えようとなったら、よほど優秀な子供たちでないとついていけない。その結果、かなり過重負担がかかっている。それは学習指導要領のせいなのかというと、必ずしもそうではないだろうと思います。ですから、そういうほかの過重負担も考える必要があるだろうということです。
 それから、大きな2番ですが、学習評価です。この理解が浸透して指導に生かされているかどうかということです。  主体的に学習に取り組む態度というのは、いまだに現場では混乱していると思います。特に学習の自己調整ということがなかなか通じにくい。なぜ通じにくいのかということをしっかり検討していく必要があると思います。
 次のスライドをお願いします。これは私が主査を務めました学習評価のワーキンググループの報告書にもありましたし、その後、国研のほうで、「学習評価の在り方ハンドブック」として全国的に出しているものです。
 主体的に学習に取り組む態度というのは、横が粘り強い取組を行おうとする側面、縦軸が自らの学習を調整しようとする側面。この両方を勘案して評価していくというんですが、この縦軸のほうがよく分からないということがよく言われます。
 なぜこれが分かりにくいのか。これは長くなってしまうので、今、個人的な意見を申し上げようとは思いませんけれども、やっぱり中教審や文科省の広報の問題もあると思います。それから現場の問題もあると思いますし、また、私たち教育心理学者も、こういうことをしっかりと分かりやすく現場に即して伝えてこなかったんじゃないかという反省もあります。
 やはり大事なことだと思いますので、これをどうやって浸透させていくべきかということも重要な論点になるかと思います。
 私からは以上です。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 それでは続きまして、高橋委員、次に戸ヶ﨑委員、奈須委員の順にお願いしたいと思います。
 高橋委員、よろしいでしょうか。
【高橋委員】よろしくお願いいたします。東京学芸大学の高橋でございます。
 私からは、主に学習指導に係る点が中心になるかと思いますが、お話しさせていただきたいと思います。もちろん学習目標、目指すべき資質・能力であるとか、その内容であるとか、そういったことも、今、非常に時代が変わってはいますけれども、特に現在の学習指導要領を見ていて、もう少し解像度を上げて到達したらいいのではないかという点について、お話ししたいなと思います。
 1つ目は、釈迦に説法みたいな話ですが、改めて「一人一人の子供を主語にする学校教育」と。これは先般の中教審答申の言葉のとおりなんですけども、授業でいえば、一斉指導といった単線型から、複線型の授業になるだろうと思います。その複線型の授業の実現に、個別最適とか協働的な学びといった考え方があるというように、大きな目標から考えていくということが僕は大事なんじゃないかなと。受験勉強的に個別最適な学びって何だろうかと考えていくより、そもそもこういう言葉も様々これまで出てきておりますので、一人一人の子供を主語にするみたいなところから立ち返っていくと。
 この後、様々な資質・能力の育成や内容が出てきたとしても、結局、子供一人一人に力をつけるということに変わりはないですので、こういったことを考えていくのかなと思っています。
 そういうふうにして考えていくと、一つは、特別な支援を要する子供たちという子が、いろいろな教育委員会等の会議に出ても、増えているというお話を聞きます。そうすると、そういった特別な制度や施設をとにかく次々につくるというようなお話になったりもするわけなんですが、もちろんそれはそれで今後も継続すべきことだと思いますが、一方で、一人一人の子供を主語として考えれば、普通教室でもう少し受け止められるんじゃないのか。一斉指導が主体であるから普通教室で学び切れないんじゃないのかという可能性もあるんじゃないのかという点について、もう少し考えていく必要があるのではないかと思っております。
 どうしてこれがこれまで困難だったのかというと、子供の数が多いですから、教室内に学習情報、子供の情報が爆発的に増えます。やはり教師1人では賄い切れませんので、これまではそうせざるを得なかったんだと私は思っております。そういったときに、情報を取り扱うのが得意な道具であるコンピューターが、子供一人一人、先生一人一人にあるわけですから、こういったことを上手に使うことで、何らか解決するのではないかというようにも思っております。既に日本語が不自由な外国籍の子供が、翻訳ツールを使いながら、やはり日本の子と一緒に学びたいということで、普通教室で学んでいるといった例なんかを伺ったりもします。
 あともう一つは、自らが学び続けるための学習の基盤としての資質・能力という、この部分について、今回総則に書かれた部分ではございますが、複線で子供が自ら学んでいくというふうになっていくと、やはり問題発見・解決能力や情報活用能力、言語能力といった、自ら学んでいく力というのが僕は一層大事になっていくと思います。
 これまで先生の指示で話し合いなさいといって協働したり、隣の子供と話し合う、そういう相手まで指示されているような協働だった場合には、こうした能力がそれほどなくても問題とかは解けたかもしれませんが、自ら学ぶとなると、こういった学習の基盤となる資質・能力も充実せざるを得ないんじゃないかと思います。
 先ほど市川委員のお話でも、自己調整ということがなかなか伝わっていないみたいなお話があったように思いますが、そういったことも、今の授業のスタイルでは、自己調整する必要もないのかもしれない。言われたことを言われた順番で、穴埋めのワークシートを埋めていくというようなところで、この辺の転換があることで、自己調整の評価観みたいなことも、先生方、変わっていく可能性があるなと思っております。
 特に私は、情報活用能力、問題発見・解決能力の一部と解釈してもいいかもしれませんが、情報を調べたり、整理したり、まとめたり、伝えたりするような、こういった情報を活用する力ということが非常に重要になっていくと思います。
 今、社会人が情報端末を使わない日というのはない。電車に乗っても、皆さん、紙の新聞紙や紙の本を読むより、ずっとスマートフォンとかを見ている。こういう時代にあって、こういったことを学ぶ機会が義務教育段階で十分にないのではないか、そういった資質・能力がついていないんじゃないのかということは大きな問題だと思いますので、こういった一人一人の子供を主語にしたというところから少しずつ考えていくと、様々な問題が見えてくるんじゃないかなと感じております。
 私からは以上です。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 それでは続きまして、戸ヶ﨑委員、お願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】戸田市教育委員会の戸ヶ﨑でございます。私からは、日々現場を見ている立場で、大きく3点ほど申し上げたいと思います。
 1点目は、先ほども御意見ありましたが、学習指導要領の趣旨の実現の見届けと支援についてです。今の学習指導要領の前文と総則は大変よくできていると思っています。「社会に開かれた教育課程」や「教科等横断的な視点を重視したカリキュラム・マネジメント」、また、「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」など、これらの優れたコンセプトを「絵に描いた餅」に終わらせるのではなく、着実に定着させていくことが肝要であり、次回の改訂では、この前文や総則は大きく変えないでよいのではないかと私は考えています。
 むしろ、今後の学習指導要領に向けての大きな課題は、前文や第1章総則の世界を、第2章の各教科等の指導にしっかりとつなげていくことです。
 私もよく言っていますが、昔から、学習指導要領が学校の校門から先に入っていかない、職員室に行っても教室の中には入り込まないと言われてきました。今回の学習指導要領は、学習者たる「子供の発達の支援」を前面に掲げて、資質・能力ベースの授業づくりを目指すことを骨子としています。今こそ、「教師主導の授業」から「子供主体の授業」へ、「教科書を教え込む授業」から「教科書で子供の力を引き出す授業」へと転換を図ることが大事なのだろうと考えています。
 そのためには、学習指導要領を見直すだけではなく、それを支える教育条件を見直していくことも大切だと思います。一例だけ申しますと、教科書については、学習指導要領が目指す資質・能力の育成を、強力にアシストしていくようなものに変えていく。すなわち、教科書「で」教えざるを得ないような政策誘導の仕方を考えていくことも大切だと思っております。
 2点目は、児童生徒の指導に当たる教師のマインドセットを問い直すことの大切さを強調したいと思います。これは今月3日に行われた本市の教職員着任式の式辞で私自身が申し上げた言葉ですが、「教師が、子供の出ていく未来社会を知ろうとしないのは極めて不誠実なことである。目の前の子供が大人になる未来社会を見据えて、学校という学びの場を、未来を感じられる空間にしてほしい。」と述べました。
 現在本市では、100を超える産官学と連携した教育をしたり、様々な有識者の方々から定期的に御意見を伺ったり、今、話題のChatGPTなど生成系のAIを積極的に活用したり、社会の変化を大いに取り入れようと努めていますが、産官学の多くの方々から共通して教育委員会や学校に指摘されることがあります。例えば、教育村、学校村での学びが社会につながっておらず、学校で習っていない問題になると極端に解けなくなってしまう傾向にあることや、学校だけではなく教育委員会も、地域や企業など外部人材に口を出されることをあまり歓迎しない文化が全国的にまだまだ根強くあること、さらに、学びとは学校の中だけでは完結しないということを教師が理解していないのではないかということなどです。
 今、話題の教師の数を増やしていくことも大切ですが、変化する社会の動きを教室の中に取り入れるなど、進取の精神をもって仕事をする教師集団をつくることも大切だと思います。こうした方策も議論が必要かと考えます。
 最後、3点目は、スクラップ・アンド・ビルドの大切さです。CSTIの提言などでも、過度に「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」教育していることが、「落ちこぼれ・吹きこぼれ」を生み出していること、つまり、「一律・一斉・一方向型の教育」から脱して、子供たち一人一人の興味・関心や能力等に応じて、場所や進度、時間割、また、教材等の個別化を積極的に進めるように促しています。この具体策の議論も、今後、急務だと思います。  一方で、平成8年の中教審のホワイトヘッドの言葉にもありますが、「教え込み」ではなく、教えるべきはしっかりと教えたり、考えさせるべきことはじっくりと考えさせたり、資質・能力をバランスよく育成したり、また、教科等を学ぶ本質的な意義を学んだり、といった部分で大変評価の高い「日本型教育」のお家芸もあります。このような、尖っていなくても着実に成果を上げてきた優れた現場の実践の蓄積もぜひ改めて拾い上げ、光を当て、アップデートしていくことも大切だと思っています。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 それでは続きまして、奈須委員、お願いいたします。
【奈須座長代理】よろしくお願いいたします。私からは、現行の学習指導要領が何を実現したのか、あるいは何が積み残されているのかということの整理をしてみました。
 実現したこととして、9つ項目を立ててみましたけど、それは見ていただければ分かるとおりかと思います。
 積み残したこと、いろいろあるんだと思いますけど、例えば次の5つがあるかなと思います。社会に開かれた教育課程、今、戸ヶ﨑先生の話もありましたけど、もっと社会ということを見ていく。ただ、これがキャッチアップするということに寄り過ぎると、また危ないかなと思います。戦前のアメリカで社会的効率主義という言い方をされましたけれども、社会の変化に教育が遅れずについていくという意味だけの社会と教育の考え方ではなくて、僕たちが育てる子供たちが未来社会の担い手としてそれを創造していく、改革していくんだという意味でも、社会に開かれたということを捉える必要があるんだろうなと思います。
 それから、知識の質ということ、石井先生からもありましたけれども、このことがやはりちゃんと伝わっていない、あるいは教科書に反映されていない。授業の質、Less is moreとか、深い学びということをどうやるか。具体の戦略との関係で伝えられていないんだろうなと思います。
 それから、見方・考え方、これも学びの質、そしてカリキュラムの統合、カリキュラム・オーバーロードの解消の柱になる概念ですけど、これがどうも教科間でそろわなかった。これは教科の特質において本来的にそろわないものなのか、あるいは何らかの整序が可能なのか。この辺、書き方も国や地域によってかなりいろいろな階層があるということも言われています。そういった海外のことにも学びながら、日本の学習指導要領、どの桁で、どの書きぶりでやっていくのかというようなことが大事かなと思います。
 それから、高橋先生からもありましたが、教科等横断的な資質・能力、これは総則に書かれていますけど、具体が全然描けてないまま、前回終わったかなと。これはしっかりやっていかなきゃいけないんだろうなと。これはもう1回前の、教育課程の横串として出された言語活動の充実あたりからずっと来ているわけですけど、まだ積み残されているかなと思います。
 5番目ですが、今回の学習指導要領、小中学校は基本的に内容の削減はしなかったですね。高等学校は、教科目も変わって、内容が大きく変わったと思うんですけど、小中学校はむしろそこは変えずに、資質・能力の考え方であるとか、上に述べたような、むしろ大枠を今回大きく動かしたんだろうと。それは先ほど来、先生方からもあったように、大枠の理念についてはもう変える必要はないだろうと。それより、精緻化して、しっかりと充実させるということが今後大事だと思いますけれども、一つ思うのは、ただ内容を動かさなかったので、資質・能力ということが、規定の内容の側からこんな資質・能力が育ちますよという整理に終わっていて、本来的にこの教科は、その教科の任務としてどんな資質・能力をどんなふうに育てるのかという側から内容を見るという方向性での整理はなされていない。可能であれば、これは少しやれればいいのかなと、今後に向けて思います。
 それから、その後の議論、令和答申とかGIGAスクール構想等も含めて課題だなと思っていることを少し書いてみました。子供の発達権・学習権の保障という中で、公教育は一体何をどこまでカバーするのか、すべきなのかということ。これははっきりしないといけないんだろうなと思っています。
 一方で、いろいろ難しいことが起きて、その子たちのためにアウトソーシングするとかサードプレイスを設けるといったことも進んでいて、とてもいいことだと思いますけども、そうなっていくことでかえって学校は、もう今のままでいいんだ、うまくいかない子はサードプレイスに行ってくれるんだということで、保守化や矮小化が起こるということも気をつけなければいけないんだろうなと思います。学校がしっかりやっていけば、実はもっと何とかなる、高橋先生がおっしゃったとおりだと私も思います。
 その辺、しっかり考えていきながら、例えば不登校というのは、必然的に起きる仕方がないものなのか。つまり、原理的に避け難い問題なのか、原理的には避けられるはずなんだけども、残念ながら起こっているのか。そんな紋切り型のいずれかということではないと思いますけど、いずれに重心を置いて考えるかによって、大分変わってくるかなと思います。
 また、学校の外との関係ということを考えたときに、社会教育や地域創生との関係をどう考えるか、部活をどうしていくかということとの関係なんかでも大事かなと思います。
 各教科等については、教育課程全体で見ると、さっきの教科等横断もそうですし、教育課程全体でどんな子供を育てるか、前文にあるような理念ということも荒瀬先生からお話がありましたけど、そう見たときに各教科等のミッションはどうなのか。ミッションの再定義をもうするべきだろうと。親学問がこうなのだから、この教科はこういうことなのですというのでは、ちょっと困るだろうと思います。しっかりとこれも考えなきゃいけないんだろうなと思います。  それから、資質・能力や見方・考え方の側から、教科等の整理・再構造化が進められるか、進めるべきかということも先ほど申し上げましたが、大事かなと。これが学習指導要領の2章以降の中心課題かなと思います。
 6番目として、小中高で見た場合、これは細かいような話ですけども、教科名の整序というのはできるかなと。算数と数学とか、図工と美術とか、ちょっとどうかなとか思っています。特に小学校、数学的活動という話になってきて、ほとんど算数科の学習指導要領に算数という言葉が出ないんですけど、相変わらず算数でいくのかなんていうこともちょっと考えたりしています。
 最後にSTEAMとの関係で、テクノロジーやデザインの教育をしっかり考えてこなかったかなと思います。図画工作科、美術科、技術家庭科、それから高校の情報あたり、どういうふうに縦横の系統を整理するかということを考えていく必要があるかなと思います。
 以上です。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 続きまして、お願いいたします。
【石田教育課程企画室長】失礼いたします。事務局でございます。本日御欠席の冨士原先生、そして貞広先生からも御意見を頂戴しております。冨士原先生は資料を頂いておりますので、今、共有いたしたいと思います。貞広先生は動画でいただいてございますので、冨士原先生の御意見を御紹介した後、動画を流したいと思います。
 それでは、冨士原先生の御意見をお願いします。読み上げる形になりますけれども、冨士原先生からは、全般的な関心として、ギャップを埋めるということ、自身の研究からと問題提起というところの2点で頂戴してございます。
 1点目、学力格差の観点からということでございます。
 保護者(あるいは地域)の経済的・文化的格差を反映した子供の格差(学力格差)の問題の本質は社会福祉領域の問題であり、教育(学校)が解決できるものではない。ただし、よく知られるように欧米では子供の格差の是正のために、特定の地域・特定の学校に資源、財源を投入し、格差を埋める実践研究的な施策の取組もある。日本では社会歴史的背景も違う欧米の施策をそのまま実施することは難しいものの、子供の学力形成に保護者の経済的・文化的格差が影響を及ぼしていること、保護者の格差が広がっていることを深刻に受け止めた上で、第2回の広井良典さんの話題提供にもある学校教育でも格差是正のためにできることを考える必要はないか。
 近年、日本の学力格差研究の蓄積は増えており、効果的な学校研究も見られるようになった。効果的な学校では現行の学習指導要領が掲げた内容に積極的に取り組んでいることも明らかになっている。例、令和3年度・お茶の水女子大の全国学力・学習状況調査と保護者調査をひもづけた分析。効果的な学校では対話的な学びを意識した学習形態、カリキュラム・マネジメント、キャリア教育の工夫等々を意識していた。
 学力格差を埋めるために、現行の学習指導要領の中でも、今後の取組として一層強調・重視すべき点あるいは現在の学習指導要領の中で不足している点について検討したい。  2点目、これからの社会(産業)と学校の観点から。第3回の安宅さんの著書の中で、日本の産業構造の変化に対応する初等中等教育の教科についての提案がなされていた。自身が賛同するのは、図画工作科(中でも工作)と技術科、中等教育段階の家庭・技術科(関係するのが高校の美術科、情報科か)についての提言である。これらの教科で学ぶ内容は社会・職業生活の中でも果たす役割は大きく、これまで以上に重要な位置を占めるように教科編成・教科内容(教科の横断性を超えて)何らかの検討を要するのではないか。STEAM教育を実現する教育課程といった議論に相当するのかもしれないという御意見を頂戴してございます。
 それでは、この後、貞広先生からの動画を共有したいと思います。
(動画再生)
【貞広委員】千葉大学の貞広と申します。今後の議論について、資料の提出とともに若干のコメントをさせていただきたいと思います。
 まず、今回のコメントの前提でございます。今後の進め方に向けて、個人的には、現学習指導要領の哲学は大変高く評価をしています。問題は、その普及や理解が十分ではないというところにあると捉えておりまして、したがって、次に向けては、新しくストーリーを組み直して、学習指導要領の基本的なコンセプトを大きく変えるのではなく、それを実装するためにはどうすればよいのかということを考えるべきだと思っております。特に、現状認識をしっかり行った上で、ロジスティクスの議論に焦点化をするアプローチが得策ではないかと考えるところです。
 まず、ここで申し上げた現状認識、ファクトの捉えですけれども、学習指導要領を実装できていない学校や地域を抽出し、モニターをし、なぜできないのか、これは懲罰的なものではなくて、なぜできないのかという原因究明、構造把握をする必要があると思います。その上で、やはり哲学は維持をして、削減の方法に知恵を巡らすことを第一目的とするというやり方もあろうかと思います。
 さらに、周知の問題ですけれども、現行、なかなか周知が徹底されないというのは、今までのやり方で比較的成功してきたその成功体験と、強い専門性の自負というものがあり、なかなか新しい物事を受け入れられないという部分はあろうかと思いますし、理解もできます。文科省が発信をしても、幾つもの媒介を伴って多重伝言ゲームの失敗が起こっているとも考えられます。そこには強い経路依存性があって、トランスフォームができない。こうした存在を前提にせざるを得ないと考えます。
 また、最後に、少し違う観点ですけれども、次期の学習指導要領では、多様性と包摂性に基づく学校文化の醸成に関連をした、そういうことに配慮をした改訂は必要であると思います。
 教室内外にもろもろのグラデーションがある子どもたちに対応できる学校教育を実現するには、どのような課題があり、その解決にどのような方策が教育課程という面から取れるのかということを考える必要があると思います。
 特に別室登校や、場合によってはフリースクール的な、緩やかに一条校とつながっている子供たちの多様な学びの形態を想定した学びの質保障を見据えた改訂が視野に入ると思います。このときに、履修と習得の問題を再検討する必要はあろうかと思いますし、また、同一性ではなく、同等性に広げて、その質の保証を認めていくのかどうかということも考えていく必要があると思います。
 また、教科書や教材の問題でいくと、やはり各教師が学びをデザインするという観点が重要かと思います。そのように考えると、教科書がもう少しコンパクトになっていくという方向性もあるのではないかと考えております。
 以上のようなことが今後の議論として必要と考えているところでございます。雑駁でございますが、以上でコメントとさせていただきます。
【天笠座長】委員の皆様、それぞれ御発言をいただきました。
 それで、最後に私からもお話の中に加えさせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
 私は今、委員の方々の中で、現行の学習指導要領に対して、その趣旨の再確認ですとか理解の徹底ですとか云々というような御発言等があったかと思います。そのことにつきまして、私は賛同するところが多であります。
 改訂に関わってのこの間のいろいろな動きというんですか、情報を見たときに、スケジュール的にいけば、淡々と改訂の話に進んでいくというスケジュールが、これまで振り返ってみれば、それにのっとってという動きだったかと思いますけども、それで進めていったときに、現行の学習指導要領は、既に委員の方々から御発言もありましたように、学習指導要領としては相応に整ったものだと私は思っておりますけども、それがなかなか実践化されていかないですとか、なかなか現場の実践に浸透していかないという課題が、現行、特に顕著に見えるところかなと思っておりまして、ですから、そういう状況の中で改訂の話が淡々と進む、そして相応に成り立った、そのときに私の懸念するところは、学習指導要領の改訂が非常に乖離するような状況、要するに、学習指導要領は立派なものができたけども、実践が、あるいは浸透がそれに伴ってないという状況が一層顕著になるということを私は大変恐れておりまして、そこのところをどう回避していくかどうかということが、改訂の大きなテーマではないかと思っております。そういう点では、それぞれの委員の方からの申し上げたような御発言に私も同意するところがあるかと思っております。1つ目はそれであります。
 2つ目は、ちょっと話は違うかもしれませんけど、今回のChatGPTの話題性というのでしょうか、それをこんなふうに捉えました。それは、この度の学習指導要領の基本的な方向性を示すことになった中央教育審議会の答申ですね。その答申を振り返って、書きぶりとしては、10年先あるいは20年先の社会の在り方を捉え、それに向けてどういう力を育てていったらいいかどうか。象徴的なキーワードは、いわゆる生きる力ということかと思いますけども、それを次第に詰めていったというんでしょうか、あるいは時代に想定したということですが、今回の中教審の答申というのは、そういう将来見通しと今取り組んでいることの間というのが、受け止める側からすると、なかなかうまく結びつけ切れていないというようなところもこれまであったとするならば、今回のChatGPTの登場というか提起というのは、今回の学習指導要領がAIの時代ということを想定し、それに伴って対応をということが今回の学習指導要領の組立て方だったと思うんですけども、どういう方向に向けて、なぜこの学習指導要領なのかどうなのか、それをいろいろ説いているわけですが、それがより具体的な姿として多くの現場の関係者の方々にも受け止められる、そういう契機となっているのではないかと思っております。
 そういう点からしますと、次の学習指導要領においても、やはり将来、未来の社会ということ、そこにおける子供たちの、そこに生きる人々の求められる力ということについての探求・追求というのは、引き続きテーマたり得るものではないかと思っていますし、それの追求ということが、これまでの流れの中から、さらにどういう方向に目を向けていくかどうかということのテーマということがあるのではないかと思っております。
 ついては、昨今の報道でも出ておりますけども、労働人口の決定的な不足ですとか、科学技術の変革に伴う社会構造の変化というのはさらに進んでいくということが考えられるわけだと思いますし、恐らくそのことと、2030年のもう10年先、2040年という辺りを視野に収めたときに、こういったことをどういうふうに消化していくのかどうなのかということが視野として必要なんだと思います。
 それを受けて、どう教育課程をという話になるわけでありますけども、そこのところについては、次のところです。それをどういう形で教育課程に落とし込んでいくかどうかということでありますが、一つ一つは時間の関係でこの場でということを取り上げるのは控えたいと思いますけども、その中で、そこにデジタルからの教育課程へのインパクトということ、これは、前回、前々回の安宅先生、広井先生のお話等と関わってくるんですが、改めてこういう視点でということが提起されたのかなと思ったのは、体験学習といっても、デジタルな社会の中における、その中でと考えたときに、体験学習という体験の中身とか内容あるいは体験学習の位置づけ、意義づけということがもう一度議論されなければいけないのかなと思いますけども、振り返りますと、生活科が誕生した時期というのも、ある意味でいうと、また一つの大きな転換期であったんじゃないか。あの時期におけるありようというのが、議論というのが一つのたたき台になるんじゃないかと思っておりますけども、それから30年経過し、今の状況、これから先をと考えたときに、この辺りのところについての振り返りが必要なのではないかと。
 それから、またいろいろ指摘されていますけども、情報に関わる倫理ですとか道徳というものをどう考えていくのかどうなのか。
 それから、既に終わりましたけども、STEAM教育等々で取り上げられますが、芸術系の教科の位置づけですとか、あるいは教科構成というのがどうなのか。先ほども御発言がありましたけども、高等学校の場合というのはこの辺りについて今回の改訂でそこにアプローチしているわけですけども、改めて、小学校・中学校においてはどう考えていくべきなのか。それから既にこれも御発言ありましたが、いつから始めるかということですけども、どちらかというと早く始めればというのが世間の論調であるんじゃないかと思うんですが、俗にいうカリキュラム・オーバーロードの一因というのは、もしかするとその点もあるのかもしれない。改めて、いつの時点でというふうなことがということです。  最後ですけども、そういうことに関わりまして、先ほどの戸ヶ﨑委員の御発言の中にもあったかと思うんですが、マインドセットというんですか、先生方のマインドセットということをまた見つめていく必要があるのではないかということですけども、やはり学習指導要領改訂の担い手としての位置づけ、役割ですとか意識の在り方ということですが、それを詰めていきますと、実は条件整備という中身そのものの中にも、学校のシステムの在り方ですとか学校の組織の在り方ということをやっぱり見つめていかざるを得ないのかなと思っております。
 描いた学習指導要領等々が優れたものであったとしても、それをどういうふうに実践化していくかどうかという、学校という組織、システムという中でそれが行われるわけで、それが仮に旧態依然という形だったとすると、せっかくのそれというのはうまくいかない、あるいは従来型のところにとどまってしまわざるを得ない。この辺りをどう見詰めていくのかということも併せてということで、教育課程ができた後で、つくられた後で、改訂の方向性が出た後で条件整備の話というよりも、むしろ並行してこういうことの話を詰めていく必要があるのではないかということで申し上げさせていただきました。
 委員の皆さんの御発言に続きまして、私も加えさせていただいたということで、この後、それぞれの方から、それぞれの委員の方の御発言を基にして御意見等々をお願いできればと思いますけども、その前に、先ほど議題1に関わって荒瀬委員から御質問があったかと思いますので、それについてお願いします。
【石田教育課程企画室長】事務局でございます。荒瀬先生、御質問いただきまして、ありがとうございます。今日御紹介した教育課程編成・実施状況調査において、教科担任制が増えている。ここの部分の背景、あるいは導入の動機がどういうところにあるのかというところの御質問だったかと思います。
 大変恐縮なんですけれども、この調査は、どの学年、どの教科で教科担任制を実施していますかどうかということを概形的に回答していただいている形を取っておりまして、その導入や背景といった形での把握を併せて行っているわけではございません。このため、断定的なことは申し上げられないんですけれども、国といたしましては、特に教科内容が抽象度を増す、あるいは高度になっていくという中にあって、教科指導の専門性を持った教師によるきめ細かな指導あるいは中学校の学びにつながる系統的な指導、これを充実していこうということで、優先的に専科指導を、外国語、理科、算数、体育を対象としているところでございますけれども、そこの実施割合がほかの教科に比しまして大幅に増加しているということがございますので、そういった観点から、教科担任制を導入いただいている自治体さんもあるのかなと考えているところでございます。十分なお答えにならなくて恐縮でございますが、そういうことで考えてございます。
【天笠座長】今の点に関わって、荒瀬委員、御発言はありますでしょうか。
【荒瀬委員】ありがとうございました。そういうことであるならば、よく分かりました。
 ただ、1つちょっと気になりましたのは、中学校との接続のこととかを考えるとというお話は、まさにそうなんだと思うんですけれども、国語を見ると、これは必ずしも高くないですね。私、実際に小学校のことってそんなに知っているわけじゃないんですが、以前、教育委員会におりましたときに小学校の授業なんかも結構見せてもらうことがあって、その際に、国語を専門的にやっていらっしゃらない方の国語の授業というのは、やっぱりなかなか厳しいものがあって、それこそさっきからお話が出ていますけれども、答えを正確に出すみたいなところに終始するような授業なんかもあったりしましたので、それで、本当のところ、様々な科目をおやりになるわけなんですけれども、具体的に専門性ということについて考えれば、いろいろなところで教科担任制を進めていく必要があるなと思っているということで、お尋ねをした次第です。ありがとうございました。
【天笠座長】どうもありがとうございました。私からこれについて少し申し上げさせていただきますと、小学校に教科担任制を導入するというのは、御承知の方はたくさんいらっしゃるかと思いますけども、昭和40年代、50年代に、相応の取組がこの国で広がりを持っていました。そのとき、もちろんいろいろな学校があったわけですが、どちらかというと、国語とか算数は学級担任で、その他の教科については教科の担任等々ということで分担し合うという、割とこういうマインドというのでしょうか、風土というのでしょうか、という中に支えられて教科担任制が広がっていった。
 その後、平成に入って、いわゆるチームティーチングということで、これは人の手当て等も国を挙げてというところに推移していくわけでありますけども、またこの度、教科担任制ということで、先ほど御承知のような状況等々が御報告されているわけですが、それこそ昭和の時代とは現場のマインドが変化してきたのか、それとも現場のマインドはマインドで変わらないけども、いろいろな手当てが進んでこういう状況になったのかどうなのか。その辺りのところは丁寧に、これからその推移等々を見守っていく必要があるのかなと思いますし、1年生から9年生の間における教科の分担の仕方、担任の仕方、その辺りのところもかなり丁寧に見ていく必要があるんじゃないかと。
 ですから、今回のこの教科担任の人の配置の仕方というのは、小学校・中学校におけるシステムの変革というんですか、イノベーションにどういうふうに貢献するのかどうなのか。この辺りのところというのもまたしっかりと推移を見届けるべきそれではないかなと思います。
 また機会がありましたら御意見等々ということでもお願いできればと思いますけども、さて、先ほどのそれぞれの委員の方からの御意見等々ということでお気づきの点等々がありましたら、いつものような進め方になるかと思いますが、御発言をお願いしたいと思いますし、挙手のボタン等、何らかの発言の意思を表示していただければと思います。どうぞよろしくお願いをいたします。
【市川委員】じゃあ、よろしいですか。
【天笠座長】それでは、市川委員、お願いいたします。
【市川委員】先生方の御意見もお聞きした上で、この会議、これまで三、四回やってきましたけれども、これからどういう議論をしていくかというときに、私はやっぱり議論の仕方というところが根本的な問題としてちょっと引っかかっているところがあります。
 大まかには3点なんですが、まず、全体的には、学習指導要領というのは、これから、例えば20年後はこうなる、30年後はこうなる。未来がこうなるんだから、そこに生きていく子供たちにこういう教育をしましょうという論調で書かれていますけれども、それは確かに大事なことだとは思うんですが、私は議論の中では、やっぱり過去の反省というのもしっかり入れたほうがいいと思います。
 過去の反省といってもこの30年くらいだと思うんですが、もともとかなり日本の教育、詰め込みだとか偏差値教育、知識注入ということが言われて、反省として、もっとゆとりをということになって、そこで98年のゆとりの集大成と俗に言われるような学習指導要領ができたわけです。そこで学力低下論も起こって、相当の議論をした上で、私もその頃から中教審に参加したんですが、2008年では、ゆとりを相当修正するような形になった。
 そのときに一体どんな議論があったのか。先ほど冨士原先生もおっしゃったような学力格差の問題もかなり教育社会学者から指摘されました。ゆとり、ゆとりと、これからは探究だというようなことを言えば言うほど学力格差が大きくなるんですよというような議論も言われた。でも、やっぱり探究は大事なんですよね。
 どうやって折り合いをつけるのかということを議論して、2008年の改訂に至って、習得・活用・探究とかいうバランスをしっかり取りましょうというようなところで、学力も回復したり、一応探究というようなことも入ってきたと。  そういうような経緯、一体何を反省するべきか。2008年では、「異例の反省」と言われている反省をしたわけですね、中教審も文科省も。本当に異例なんだと思います。やっぱりちょっとまずかったところがありましたというようなことも率直に言った上での2008年改訂だったと思います。
 最近の雰囲気、私は90年代に似ているなとちょっと思っています。極端になり過ぎると、これからは探究オンリーでいくみたいに解釈をしている現場もあるわけで、探究オンリーでいったら、また同じことが起きる。これはやっぱり過去の反省もしっかり議論に入れたほうがいいと思います。
 2番目ですけど、総則と各教科の学習指導要領、これがどれくらいコミュニケーションが取れていて整合的になっているのかですね。一般に学習指導要領と言われて、社会からは一枚岩のように見られているかもしれないですけれども、私はかなり隔たりがあると思っています。
 先ほどから、総則は非常にいいものができたと。それはそのときの委員が今もかなり残っていますから、総則はよかった、非常にいいものだと、これを浸透させると言っていますが、各教科のほうではこの総則をどう思われているのかですね。本当にいいものだから、それを取り入れて、各教科もそれに従いますというふうになっているのかどうか。私は、中身を見る限り、あまりなっていないように思います。
 総則は、いろいろな教科に通じていると言っていいのか、通じていないと言っていいのか分かりませんけど、いろいろな教科に関係している人がつくっているんでしょうが、自分の教科はやっぱり教科の事情があるから違うよとか、そこにまた教科の見方・考え方というようなことがそれを裏づけるように入ってきて、教科は教科で考えていくというような乖離がないかどうかと。
 やっぱり総則の部会のほうで決めたことを下ろしていくという形だけではいけないんじゃないかという気が、こちらにも反省としてあっていいと思うんですよね。各教科のことも十分に事情を聞いた上で一緒に練り上げていくというふうにしないと、なかなか総則部会でやったことが上意下達のように下りていくというわけにはいかないんだろうと。恐らく伝言ゲームはそこから始まっているんじゃないかという気はします。
 ですから、メタ認知とか学習方略とかが大事だと総則では言っていますけど、本当に各教科が、それが具体的にどういうことだと捉えて、それを入れていこうと本気で考えてくださっているのかどうか。私は、やっぱり各教科に浸透していないというところが問題かなと。これが2番目です。
 3番目ですけど、私はこの部会の中で、腑に落ちないところや納得いかないところも多分お互いにあるはずで、それはこの中で少人数だからこそ激論をしておいたほうがいいと思います。
 30人くらいの会議になると、もう激論できないんですよね。私も20年間やっていて、激論って1回しか見たことないです。なかなか大きな会議では激論できないんですけれども、具体的に言っちゃいますと、私もちょっとこれは言葉を詰めておかないと、かなり曖昧になりそうで、議論になったときに誤解が起こるなと思っているのは、例えば子供を主語にするとかということですね。具体的にどういうことかと。それから、Less is moreですね。これも具体的にどういうことなのか。多分一人一人イメージが違っていて、それをお互いに自分の解釈で議論していると、議論がかみ合わないまま、これが30人の会議に出ていったときに、議論が全然進んでいかない。前はアクティブ・ラーニングという言葉もそうだったと思うんですけど、やっぱり中で、少人数だからこそ、しっかりお互いに検討していく必要があるかなと思います。
 全体の議論の進め方として、3つ申し上げました。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 ほかの委員の方、御発言いかがでしょうか。
 石井委員、どうぞお願いします。
【石井委員】今、市川先生がおっしゃったことは私も非常に共感するところがあって、そういうところを聞かせていただきました。
 一つ、それぞれの先生方がおっしゃっておられたことで、私自身、とても大事だと思っているんですけれども、この間、現行の学習指導要領ですね。社会に開かれた教育課程とか資質・能力ベースとかというのは、これと、それからコロナの後、展開している令和答申とかもそうなんですけども、全く関連しないものではないんですが、論調が大きく変わってきていると思います。一言で言えば、日本型学校教育の光の部分に光を当てていたのが現行学習指導要領で、全人教育とかもそうですし、日本型教育のプラスの面に光を当てていた。それに対して、それが、同調圧力みたいな形で、全人教育はマイナスの方向にも振れるところがありますよね。だから、その窮屈さみたいなところにしっかりと向き合っていこうというのが、令和答申あたりの論調かなと思っています。
 ですから、ある種、日本型学校教育の光と影みたいなものを両方しっかりと見据えた上で、それで公教育の在り方をどういうふうにリニューアルしていけばいいのかということが大事かなと思うんですね。
 その点でいいますと、先ほど高橋先生であるとか奈須先生も強調されましたけども、この間、この30年間の反省ということでもそうなんですが、割と日本の改革というのは外づけしやすい。するんですよね。だから、選択肢を増やすという形にいきがちなんですよ。本体を変えずに選択肢を増やす。選択肢を増やすというのは結構なことなんですけども、しかし、本体はそのままになっちゃうということ、これは私も非常に危惧するところです。
 それこそ、その学校、いわゆる普通学級とかもそうですけども、離脱されるばかりじゃなくて、しっかりとその学校の、公教育の本体といいますか、何が本体かどうかということも論争的だと思いますが、そこに切り込んでいくことが重要かなと。
 だから、それがやはり協働性といったものをどういうふうに再構築して、ある種、包摂性、多様性を尊重するような、包摂的で、共生空間につくり直していくかということが重要かと思いますし、そういった観点から、改めて、この間、これはカリキュラム・オーバーロードの問題とかとも関係するんですけれども、公教育への安心をどういうふうに構築していくのかということが、今、非常に問われているのではないかなと思います。
 もちろんフリースクールであるとか学校以外の学びの場がたくさん充実してくるということは大事ですし、そこから学ぶことはたくさんあると私は思っています。でも、一方で、いわゆる公教育というのですか、公教育の範囲というのも、今、様々に定義が必要だと思うんですけれども、しかし、一条校を中心とした公教育の本来の在り方というんですか、普通科とかもそうですが、そこに対してやっぱり安心感を持てるかどうかということが重要かなと思います。
 安心感がないので、学校外の、公的な教育費支出はそれほど高くないけれども、実は私費まで含めると青天井なところが日本はあるわけですよね。青天井の私費による教育支出といったものは、逆に言うと、公教育に対する不安が青天井を生み出している。これが実は少子化問題とも関係すると思うんですけども、安心して、公立学校だけでなく私学も含めてですが、公教育に任せられるという体制をいかに構築していくのかということがまずは重要かなと思います。  それと、先ほど説明し切れなかったスライドが関係するので共有させていただきますと、この間の論調の変化ということで言いますと、30年前の新しい学力観、個性尊重、それに非常に現状が似ているということを私も非常に感じているところです。だから、こういうスライドを作りましたけども、歴史の針を30年前に戻してはいかんと。だから、発展的に進めていくことが重要かなと思います。
 だから、そこが、もともとPISAショックを改めて受け止め直すという話になってくるかなと思います。知識の習得だけじゃなくて、それを生かす思考が大事、これがPISAショックのインパクトであり、最近、エージェンシーというのも、要は、そういった知性を踏まえた社会、世界をつくっていく、そういった態度であるとか力だと思います。
 それが学びに向かうということで、どんどん土台のほうに行って、知識の習得よりも、それ以前にとかという形で、習得、知識ではなくて主体性みたいな形での揺り戻しというのが、それがこの間、起こっているような気がしています。これは、30年前の新しい学力観というのがありますけど、それに戻ってしまうと、また歴史は同じことを繰り返してしまうんじゃないかなということを心配しているということがあります。
 だから、その内容の話も、結局、総則と教科がなぜつながらないかというのは、これはPISAショックのときの、PISAの数学的リテラシーとか科学的リテラシーのその中身ですよね。そこが、提起した教科のミッションであるとか教科観といったものを各教科が十分受け止め切れていないところがあるんじゃないかと私は見ています。
 改めて、最後、これだけ示して終わりますけども、ざっくりと、この間、様々な改革のコンセプトが出てきていますが、それを全体、どう統合するか。先ほど言いましたように、日本型学校教育の光と影、これをどういうふうに、それへの指摘といったものを統合していくかということでいえば、ざっくりとこのWell-beingにつながっていくということが究極目的だと思いますけれども、大きく教育改革というのは、excellenceとequity、質の追求と公正性の追求といったものが、大体そのバランスというのが重要だと言われます。
 それで言うと、現行の学習支援は、どちらかというとexcellence、質の追求に関係する。それで、どちらかというと、個別最適云々もそうですけども、令和の日本型学校教育は、equityの追求にかなり対応するだろうというところですね。それぞれについて、何とかの学びといったものがどういう位置づけにあるのかということを示すとともに、本体の、それでどういう資質・能力を育てていくのかというときには、欧米のカリキュラムのモデルで、KDUとかという、アンダースタンディングというのが言われた、カナダとかアイビーとかも言われたりしますが、KDBというのがございます。それは、to Know、to Do、to Be、この3軸で捉える。だから、ちょうど日本の資質・能力の3つの柱とよく対応するんですね。
 そのときに、この色分けをしているのは、階層が違うと。だから、学力の質みたいなもの、それぞれの知識であるとか、スキルであるとか、態度の質みたいなものですけれども、それをより統合的なものであるとか、メタなものにバージョンアップしていくということが、もともとの新しい学習指導要領の趣旨でもあったと思いますし、Less is moreといった場合には、KnowであればBig ideasです、それからスキル、to Doの部分はBig Skillsとか、そういったものを軸に精選していくという欧米の動きみたいなものにも注目しながら、カリキュラムの中身に踏み込んだ議論が必要かなと思っています。
 これはあくまで試案みたいなものですけども、以上です。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。
 高橋委員、どうぞ。
【高橋委員】ありがとうございました。申し上げたいことはたくさんあるんですが、時間もありますので、改めて先生方のお話を聞いて感じたことを申し上げたいと思います。
 たくさんあるんですが、今回のこの会議は、各教科等の内容に共通しているというか、全体に影響を及ぼすというか、そういったことを検討していくのかなと改めて感じています。
 私も書かせていただきましたが、子供の多様性というのを一層受け止めていくとか、そういったことも話題だったと思います。改めて、私、専門でもありますので、天笠座長がおっしゃっていたデジタルからの教育課程へのインパクトという点について、もう少し考えというか申し上げさせていただくと、やはりデジタル化への影響ということについて、天笠先生おっしゃるとおり、こういった対応をしていかなきゃいけないなと思います。ただ、考えようによっては、こういうのは、ある意味、受け身的な、社会が変わったからそこに対応していこうということとも言えるかなと思います。
 私は、我が国の教育の理念とか学習指導要領の本当の理念みたいなことは、やはりデジタル社会になっても、本当の意味では変わらないと思っています。こういった理念がそれほど浸透してきてないというのが多くの先生方の意見だったと思います。
 なので、デジタルを導入する際に、あえて攻めていくというか、理念の実現のためのツールとして積極的に活用できないかなと。岩盤のような、硬い、いろいろな制度や頭を変化させるツールとしても使えないかなと感じております。  こう感じるのは、やはり人というのはツールとかそういったものに影響を受けやすいんだなと思うわけです。例えばChatGPTなんかも、専門的に見ている方は、将来こういうことになるだろうとはいろいろ想像していたわけですが、具体のものが出てくると、多くの人々にとって、やっぱりびっくりして、具体にイメージができるようになりますので、これに対応しなきゃいけないという話になるわけです。
 今回、GIGAスクール構想もそうですし、AIの発展もそうですし、具体のツールが子供たちの身近な部分、先生たちの身近な部分にありますから、これを受け身として対応していく、もちろんこれも非常にネガティブをノンネガティブにしていくという意味では大事ですけど、ポジティブに理念を実現するみたいなツールとして活用していくという、両面から考えていくことが大事なんじゃないかなと感じた次第です。
 私からは以上です。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 ほかの委員の方、いかがでしょうか。まだ御発言いただいてない方、ありましたらお願いします。
 戸ヶ﨑先生、どうぞお願いします。
【戸ヶ﨑委員】もちろん次の学習指導要領を議論していく、展望していくことも大事だと思います。一方で、現場の感覚からすると、実は教育委員会や学校現場が、どう捉えているかは非常に曖昧模糊としています。今般、教育の様々な片仮名語や耳触りのよいワードが溢れてきており、先ほど市川先生のお話にもありましたが、それこそばらばらの捉え方をしていて、個別最適にしても主体的な学びにしても、そもそもイメージ化が全く追いついてない教員も少なくない現状があると思っています。
 また、近年、学校の裁量を許容し、硬直化を避ける観点から、方法論を明示的に語って示していくのはよくないことだという風潮があるように思いますが、私はここに少し問題点を感じています。振り返ってみると、過去には、個に応じた指導といった方法論的に大きな教育の変化が伴うときには、天笠先生などが中心となり、個に応じた指導資料等を発刊して、例外的に国が先導して指導方法を集めて、学校現場等に示してきた歴史もあります。
 今般、GIGAスクール構想などをベースとした個別最適な学びや協働的な学びの一体的な充実は、ある意味、大きな局面だと考えていますので、次の学習指導要領を待たずに、これまでの学校現場における「教師の匠の技」を、現代的な文脈で、場合によっては客観的なエビデンスを基にしつつ、アップデートする方向性を示しておくことができないだろうかと思います。
 以上です。
【天笠座長】どうもありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。そろそろ残りの時間も少なくなりました。委員の方、御発言あれば、ここでということでお願いしたいと思いますけども、よろしいでしょうか。
 奈須先生、ありますか。
【奈須座長代理】結局、学習指導要領というのが教育課程の国の基準、教育課程というのは、中心的には教育内容の計画に関するものというイメージをどうしても僕らは持っていて、今日の議論でもずっとありましたけど、それだけじゃなくて、それを支えるものであるとか、ロジスティクスの問題だとか、広報の問題だとか、あるいは教材の問題だとか、さらには教育方法の問題ですね。前から、教育方法にどこまで国が、どんな形で言及していくのか、それがつまり、教育課程の基準ということに関わるときに、どうやっていけばいいのかというのはなかなか難しいなと思っています。
 特にこの国は、学習指導要領が法的拘束力を持つという、世界的に見てもかなり特殊なというか独特なやり方をしているので、学習指導要領に書いたことは法的拘束力を持つので、そこに方法とか単元の構成原理とかということをあまり書き込んでいくとどうかなという心配がどうしても私なんかはあって、でも、そこを変えないと結局変わらないということがすごくはっきりしてきていると思うんですね。
 石井先生が言われた単元という概念が本当にそうだと思っていて、昭和22年、26年の学習指導要領試案というのは、ひたすら単元の話を書いてありますよね、実を言うと。単元というのは、内容と方法の結節点ですよね。内容を方法化する際の装置ですから、そして、つまり、カリキュラムって2層あって、内容の計画とか目標の計画という意味の学習指導要領と、学校で教育課程という場合は、それが方法化されているわけですよね。つまり、学校の教育課程というのは年間指導計画ですから、年間指導計画、じゃあ、何が並んでいるかというと、単元がひたすら並んでいるわけですね。単元リストですからね。単元の縦横のリストだから。
 だから、そこまでを考えればというか、そこをしっかりしたものにつくっていっていただくためには、実は少なくとも単元とかいう話にいかなきゃいけなくて、今日の石井先生のお話はまさにそういう話をしてくださった、単元の構成の質を変えるというお話だったと私は思いますし、それがLess is moreになったり、深い学びになるんだということだと思うんですね。
 それを、だったら、実装する際に、学習指導要領というものの日本の法的な位置づけとか立てつけの中でどうやればいいのかなというところをとても悩んでいるということなんです。だから、それが指導資料のような形であれば何の問題もないし、あるいは、教科書ということに対してどういうふうに世論誘導していくかということも、このところ、文科省、いろいろなさってくださっていますけど、そこの攻め方ですよね。だから、教科書行政も含めて考えなきゃいけないという話になっていくんだと思うんですが、その辺り、ここは有識者会議なので、割と原理的なことを、市川先生がおっしゃったように、きちんと激論しながら、例えば単元という言葉をどういう言葉、概念としてもう一度整理していくか。単元論って戦前から膨大な議論がありますよね。昭和20年代、一番活発だった教育学の議論って単元論ですからね。それをもう一遍ちゃんとやったほうがいいと思うんですけど。石井先生のような専門の先生に教えてもらいながら。
 でも、そこら辺を整理するということが一つあって、もう一つはそれをどういうふうに学習指導要領というものに実装するのか。学習指導要領でないのであれば、どんな示し方をするのかということがとても大事なことのように思います。  だから、一つ、私の提案は、カリキュラムって2層あるからという話だと思うんです。目標や内容という学習指導要領にまさに書き込んでいる部分と、それを基準として各学校が教育課程を編成する、それは方法化されて、単元ができて、年間指導計画になるし、あるいは、それの例示として教科書というのができてくるわけですよね。
 だから、その辺の、どこでどんな問題が起きていて、うまく動いていないのか。貞広先生がおっしゃっているのも、そういうことのような気がするんですね。だから、学習指導要領には問題がないというのは、目標、内容水準はかなりうまくいっているんだろうと。ただ、それが活動とか教材の水準、方法化された水準になったときに、うまくいっていないんだろうという話で、そこは学習指導要領の話なのか、学習指導要領の少し外なのか、あるいは学習指導要領の中に入れるように、何らかの学習指導要領の建てつけを変える必要があるのか。その辺りのことをずっと悩んでいるんですけども、ICTのことも含めて、高橋先生がおっしゃったことも含めて、あるいは、市川先生がおっしゃった学習の自己調整が何で入らないのか、それは高橋先生がおっしゃったとおりで、そういう授業をする気で全くないから、あるいは教科書がそんなことを想定してないから、教科書は明らかに学習を自己調整するようなものを想定していないと私は思いますし、もっと言うと、個別最適な学びも全く想定されていないと思いますけれども、だからそれは大変だろうなと。
 だから、そこら辺りのずれをどうしていくか。特別部会のデジタル教材のほうでもそんな議論がありましたけど、何かそこをブレークスルーする戦略が必要で、ただ、ここはかなり原理的に、理論的に、あるいは歴史的に整理して考えていって、何かの解法を探せばいいのかなと思って伺っていました。
 以上です。
【天笠座長】委員の方からの御発言、ここまでということにさせていただきたいと思います。
 私もちょっと加えさせていただきますと、今の単元ということに関わってですと、お話のあったように、単元における内容と方法ということですけど、私の立場から言うと、内容と方法と組織というものが単元を構成する要素だというふうに捉えたいというのがあると思います。
 仮に組織というのはちょっと内側かとおっしゃるんだとすると、方法というのが、一般的には授業を進める先生方の授業の進め方ということになるかと思うんですけども、一体どう協力するかとか、チームを組んでいくかというのも、広い意味でいうと授業方法のそれだとすると、そこには組織という要素が非常に介在してくるような部分になるわけで、ですから、学校における教育活動というのは、内容と方法と組織という、それの一体的な運用の中で現実に展開されているということからしますと、その辺りのところ、今、市川委員が御指摘のようなことというのは、改めてしっかりと議論というんでしょうか、有識者の皆さん方からの意見の交換をしたいなと思いました。
 今日、またこれから何をしっかり議論していくのかどうなのかということの一つとしますと、市川委員から提起されましたように、総則と教科のつながりというか、それということですけども、私は、そんなにつながっていないんじゃないか、いや、つながっている部分というのもあるんじゃないか、あるいは、そのための努力がこの30年間の努力だったんじゃないかと。足りないのは何なのかと。もう少し丁寧にそれをやっていくとすると、この場で相応の時間を取って、その辺りのところを押さえ、そして意見の交換をしていく必要があるんじゃないかということですが、歴代それぞれ、この30年間の総則と教科の関係がどうだったのかということをやり取りしながら議論するということの必要性はあったかなと思いました。
 それから、前回の改訂の方向性を示した、前回というか現行の中教審の答申と、その後に提起されました令和の日本型学校教育の答申と、それから前後しますGIGAスクール構想のそれと、内閣府のワーキンググループから出ていきたいわゆるウェルビーイング云々という、そのものが、ある意味でいうと、非常に限られた時間の中に様々なところから出てきたというのが、今日的な特徴という言い方もできるんじゃないかと思います。
 一度、それを交通整理して、そして、ある意味で俯瞰するということの必要性はあるんじゃないかなと思います。その辺りのところで、私ども有識者の立場からどういう位置を取るのかとか捉えるかということも避けて通れない課題になったんじゃないかと思いますし、もう一つは、OECDからの情報というのがそこにさらにかぶさるような形になっているということですけども、平成の30年間、やっぱり陰の主役はOECDのまた主役という言い方もできなくはないかと思うんですが、それもやっぱりしっかり議論しておく必要があるのかなと思います。
 ですので、この間、それぞれの立場、お一人お一人がそれぞれ得られた情報を発信するという、それはそれでそれぞれの方のお仕事といえばお仕事ですし、役割を果たしていると思うんですけど、改めて我々の立場からすると、それをどういうふうに捉えていくのかどうなのかということを、その時間を取って、改めて俯瞰する、あるいは議論するということも取りたいなと思った次第です。
 最後にですけども、デジタル化社会というのは、所与のものとして存在するのか、それともこれからそれを成り立たせてというか、担い手としての人を育てるかどうかということですけども、学校は新しい秩序、成り立ち得るかどうかというのは、1930年代からテーマになっているテーマでもあります。要するに、学校は未来社会をつくれるような存在なのか、それともやっぱり社会から学校というのはあるのかという辺りは昔から議論で、ある意味で永遠の課題という言い方もできるかもしれませんけど、今日的時点で、私どもとしてこのテーマにどういうふうに立ち位置になるかということもまた一つあるのかなと思っております。
 ということで、今日の議論はここまでということにさせていただきたいと思います。委員の皆さんからの意見につきましては、事務局と相談をしまして、今後の検討会議の議論に生かしていきたいと思っております。
 次回の日程につきましては、事務局と相談の上、改めて連絡をさせていただきたいと思います。
 ということで、本日はここまでということにさせていただきたいと思います。閉会といたします。どうもありがとうございました。

―― 了 ――

(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)