特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第1回)議事録

1.日時

令和3年7月14日(水曜日)9時30分~11時30分

2.場所

WEB会議方式

3.議題

  1. 特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等について 

4.議事録

【川口学校教育官】 定刻となりましたので、ただいまから第1回「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」を開催いたします。
本日はお忙しい中、早朝からお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。また、各委員の先生方におかれましては、本有識者会議の委員への就任を御快諾いただきましたことに、改めて御礼申し上げます。
本日は第1回目の会議ですので、座長の御紹介までの間、便宜的にわたくし、初等中等教育局教育課程課学校教育官の川口が議事進行を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
まず、本日の会議はWebexを使用したウェブ会議方式にて開催させていただいております。そのため、
御発言に当たっては、インターネット上でも聞き取りやすいようはっきり御発言いただく。御発言の都度、名前をおっしゃっていただく。
御発言時以外はマイクを「ミュート」にしていただく。
御発言に当たっては「手を挙げる」ボタンを押していただき、発言が終わりましたら「手を挙げる」ボタンを再度押していただき、手を下げていただくよう
御協力のほどよろしくお願い申し上げます。
続きまして、配布資料の確認をさせていただきます。本日の配布資料として、議事次第の後ろに資料1から5まででございます。資料2は、本会議の運営規則となっております。こちらについては、本日の会議に先立ちまして、委員の皆様に事前に御確認いただき、御決定いただいたものになります。そのほか、御不明な点がございましたら、挙手・チャット機能等を通じて事務局までお知らせください。
それでは、開会に当たって事務局を代表して、初等中等教育局長の瀧本より御挨拶申し上げます。
【瀧本初等中等教育局長】 それでは、失礼いたします。委員の先生方、おはようございます。初等中等教育局長の瀧本と申します。第1回の会議開催に当たりまして、私のほうから一言御挨拶を申し述べさせていただきます。
まずもって、委員の皆様におかれましては、非常に御多用の中、本会議の委員をお引き受けいただきまして、誠にありがとうございます。また、本日もお忙しい中、お時間を頂戴し、ありがとうございます。
お手元に資料1という資料がございますが、それも目を通していただきながら、お聞きいただければと思いますが、本会議の検討対象でございます「特定分野に特異な才能のある児童生徒」につきましては、本年1月の中央教育審議会答申等におきまして、これまで我が国においては十分な議論が行われてこなかった状況にあることが指摘されており、このような子供たちに対する学校での指導や評価の在り方等についての検討が求められたところでございます。
これらの提言等も踏まえまして、本会議では、特定分野に特異な才能のある児童生徒の学校における指導・支援の在り方等につきまして、具体的には先ほどの資料1の2ポツにございますとおり、特異な才能のある子供たちの才能の見いだし方、あるいは子供たちや保護者など関係の方々が抱える困難とその支援策について、また、学校の教育課程や指導の在り方について、さらには大学や民間団体など外部機関との連携による学校での指導や支援の在り方などについて、その他こうした特異な才能を持つ子供たちのために必要な検討事項について専門的な御議論をいただき、まずは年内を目途として論点の整理をお願いし、それらを踏まえて年明け以降、来年度も引き続き議論を深め、会議としての御提言をお願いしたいと考えているところでございます。
委員の皆様におかれましては、それぞれの御専門のお立場から、忌憚のない、精力的な御議論をいただきますようお願い申し上げて、私からの冒頭の御挨拶とさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
【川口学校教育官】 続きまして、資料1の3ページ目、別紙に会議の委員名簿がございますので、本日御出席の委員の皆様について、名簿掲載順に御紹介申し上げます。
秋田喜代美委員。市川伸一委員。今村久美委員。岩永雅也委員。大島まり委員。中島さち子委員。根津朋実委員。福本理恵委員。藤田晃之委員。本田秀夫委員。松村暢隆委員。
以上です。委員の皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、本会議の座長は岩永委員にお願いしております。これからの会議の進行は座長にお願いしたいと思います。岩永座長、よろしくお願いいたします。
【岩永座長】 ただいま御指名がありましたので、進行させていただきたいと思います。この有識者会議の座長を務めさせていただきます岩永でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
座長として、私から一言御挨拶を簡単にさせていただきたいと思いますが、私、若い頃にキャッテルとホーンの知力についての論文を読まされまして、流動性知力は20歳を過ぎたらどんどん落ちていくのだということを読みまして、そんなことはないだろう。一生懸命本を読んで勉強していれば落ちることはないだろうと思っていましたが、50歳ぐらいになって、あれは本当だったなということを感じております。短期記憶はどんどん消えていきますし、新しいことをなかなか理解して身につけるというのは難しいものだなというふうに思っております。
今日、お見受けしますと、参加していただく方は本当にお若くて、まだまだ十分流動性知力が活性している方ばかりで、こういう会議においては、何と言っても新しい情報が大事だと思うのですね。古い昔からのことをよく知っているというのは大した意味はないので、新しいことをどんどん場に出していただいて、それで議論していくという形にしたいと思います。幸いにして私の、キャッテルとホーンの言うところの結晶性知力のほうはまだまだ大丈夫だと思いますので、皆さんが出していただいた様々な知見を結晶させていくというお手伝いを座長としてさせていただければなと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
また、この会議の座長代理として、事前に秋田喜代美先生にお願いしているところでありますけれども、秋田委員から一言いただければと思います。よろしくお願いいたします。
【秋田座長代理】 皆様、おはようございます。学習院大学の秋田喜代美です。
今、岩永座長からもお話がありました。このような新たな内容の委員会が初めて立ち上がったということは、とても画期的なことだというふうに考えております。私自身は様々な園や学校の現場に行きますと、実際にこうした子供たちの姿に会うことが多々ございます。そうした中で、その子たちにも個別最適な学びということを、どのように考えて、これから検討していけばよいのかということを皆様と御一緒に考えていけますことをありがたく思っております。岩永先生を支えていきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
【岩永座長】 ありがとうございました。
なお、先ほど事務局から説明のありました本会議の運営規則に基づいて、本会議は報道関係者並びに一般傍聴者の傍聴を認めておりますので、その旨、御承知おきいただければと思います。
また、本日、報道関係者よりカメラの撮影及び録音を行いたい旨、申出がありましたが、事前に申請のあった方のみ、これを許可しております。撮影・録画については、これより最初の事務局からの資料の説明の間のみ許可したいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
それでは、次に、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援に関係する政府方針等について、事務局より御報告をお願いいたします。
【石田教育課程企画室長】 失礼いたします。教育課程課の石田と申します。資料3の事務局説明資料並びに資料1の設置要綱に基づき、少し行ったり来たりしますけれども、御説明を申し上げます。
まず、提示している資料3でございます。2ページを御覧いただければと思います。本年1月の中央教育審議会答申におきまして、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対し、国内の学校での指導・支援の在り方等をさらに検討・分析することの必要性を御提言、頂戴してございます。
この答申の基になりましたのは、次の3、4ページにかけてございます「教育課程部会における審議のまとめ」でございます。こちらの記述のほうが少し答申より詳しくなっておりますので、こちらに沿いまして、審議の内容につきまして御説明を申し上げます。
まずは、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導をめぐる状況としまして……。
【今村委員】 すみません、ちょっと会場の声が聞きづらくて、大変申し訳ないのですけれども、少し改善していただけたらありがたいです。
【石田教育課程企画室長】 はい。恐れ入ります。
失礼いたしました。特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導をめぐる状況としまして、米国等において、ギフテッド教育として、古典的には知能指数の高さなどを基準に領域非依存的な才能を伸長する教育が行われてきた。一方で、近年ではこれに加えて、領域依存的な才能を伸長する教育、あるいは特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒に対する教育も含めて考える方向に変化してきているということ。また、才能教育といった場合、個人が過度に強調される場合がございますけれども、例えば国際水準の研究成果も現在は共同研究により生み出されることが多く、学際的な多様な才能が組み合わさることがブレークスルーにつながることが注目されているということ。
また、特異な才能と学習困難とを併せ持つというところの関連で申し上げますと、例えば単純な課題は苦手だが複雑で高度な活動が得意な児童生徒、対人関係は上手ではないが想像力が豊かな児童生徒……。今、聞こえていますでしょうか。
【今村委員】 改善がされていないように感じています。
【石田教育課程企画室長】 そうですか。ちょっとマスクを取って話してみます。今、私のお話し聞こえますでしょうか。
【今村委員】 途切れ途切れになっているように聞こえているんですけれど、マイクの問題かもしれないですね。
【石田教育課程企画室長】 今、こちらのマイクでお話ししておりますが、皆さん、聞こえますでしょうか。では、こちらでお話をしたいと思います。
改めまして、審議のまとめの御紹介からということでございます。特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導をめぐる状況としましては、米国等において、ギフテッド教育として、古典的には知能指数の高さなどを基準に領域非依存的な才能を伸長する教育が考えられてきたが、近年ではこれに加えて、領域依存的な才能を伸長する教育、あるいは特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒、いわゆる2Eということで言われておりますけれども、そういったお子様に対する教育も含めて考える方向に変化してきていること。
今、聞こえていますでしょうか、念のため。
【大島委員】 まだ聞きづらいです。もし差し支えなければ、今説明している資料の例えばポインターを使ってどこを説明しているかというふうに示していただければ、音が割れてちょっと聞きづらいところをフォローできるかなというふうに思います。
【石田教育課程企画室長】 失礼します。今、私のパソコンからお話をしていますけれども、聞こえますでしょうか。
【今村委員】 非常にクリアになったと思います。
【石田教育課程企画室長】 こちらのほうがよろしいですか。では、こちらでお話をしたいと思います。ちょっと時間も押しておりますので、かいつまんでの御説明となります。この審議のまとめの3ページでございますけれども、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導をめぐる状況としまして、米国の状況としまして、古典的には知能指数の高さなどを基準に領域非依存的な才能を伸長する教育が考えられてきましたが、近年ではこれに加えて、領域依存的な才能を伸長する教育、あるいは特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒、2Eと呼ばれておりますけれども、こういったお子様に対する教育も含めて考える方向に変化してきていること。
また、才能教育というと個人が過度に強調される場合がございますけれども、例えば国際水準の研究成果等を見ますと共同研究により生み出されることが多く、学際的な多様な才能が組み合わさることがブレークスルーにつながるといったことが注目されているということをおまとめいただいております。
また、先ほど困難ということを申し上げましたけれども、それに関連しましては、単純な課題は苦手だが複雑で高度な活動が得意な児童生徒、対人関係は上手ではないが想像力が豊かな児童生徒、読み書きに困難を抱えているが芸術的な表現が得意な児童生徒など、多様な特徴のある児童生徒が一定割合存在していること。こうした中、学校内外におきまして、こうした児童生徒も含めて、あらゆる他者を価値のある存在として尊重する環境を築いていくことが重要であるとの御指摘を頂戴してございます。
また、我が国における現状ということで申し上げますと、これまでもスポーツや文化などの分野で、学校外におきまして特異な才能を伸長するシステムが作られてきている。この一方で、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する教育に関しましては、学校において特異な才能をどのように定義し、見いだし、その能力を伸張していくのかといった議論につきましては、これまで十分に行われている状況にはないのではないかというところの御指摘を頂戴してございます。
その上で、次の4ページでございますけれども、学校における取組といたしまして、特異な才能のある児童生徒も含めて、「個別最適な学び」を通じて個々の資質・能力を育成していくこと、加えて「協働的な学び」という視点も重視しながら、子供同士がお互いの違いを認め合い、学び合いながら相乗効果を生み出す教育が重要であること。具体的には、ICTも有効に活用しながら、学習意欲を喚起するとともに、知的好奇心を高める発展的な学習を充実していくこと。あるいはSTEAM教育など、教科等横断で実社会と関わるプロジェクト型の学びが有効に機能するのではないかと考えられるとの指摘を頂戴しております。
また、その際の学びのリソースということに関わりまして、特異な才能のある児童生徒の能力を伸ばしていくには、大学や民間団体等が担う役割も大きいのではないか。このような学校外での学びへ児童生徒をつないでいくことや、学校においてその学習を生かし自他ともに学び合い成長する機会を設けること、学校における評価について整理を進めていくこと等が必要であると考えられるということの御指摘を頂戴してございます。
その上で、具体的な中身として、知的好奇心を高める発展的な学習の充実や、大学や民間団体等が実施する学校外での学びへ児童生徒をつないでいくことなど、国内の学校での指導・支援の在り方等について、遠隔・オンライン教育も活用した実証的な研究開発を行い、さらなる検討・分析を実施する必要がある。また、その中で、学校や教育委員会、教師が果たす役割や教員養成・研修における取扱いについても整理していく必要があると、このような審議のまとめとして提言を頂戴したところでございます。
その上で、資料1を御覧いただければと思います。資料1、局長からも冒頭お話し申し上げましたけれども、それを受けた具体的なこの有識者会議における検討事項ということは、1つは、特定分野に特異な才能のある児童生徒の対象となる分野や才能の見いだし方。2つ目が、特定分野に特異な才能のある児童生徒が学校において抱える困難とその支援方策。3つ目が、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する教育課程や指導の在り方について。4点目が、大学や民間団体等の学校外の外部機関との連携による学校での指導・支援の在り方等につきまして、専門的な検討をこの有識者会議でお願いすることとしているところでございます。
もう一度資料3のほうに戻らせていただきますけれども、資料3の5ページでございます。本会議の検討事項に関連しまして、内閣府が事務局を務める総合科学技術・イノベーション会議、これCSTIと書きましてシスティと申しますけれども、そこでも関連の検討を進めるということになってございます。本年3月に閣議決定されました科学技術・イノベーション基本計画におきましては、「突出した意欲・能力を有する児童生徒の能力を大きく伸ばし、『出る杭』を伸ばすため、大学・民間団体等が実施する合同合宿・研究発表会など学校外での学びの機会や、国際科学コンテストの支援など国内外の生徒が切磋琢磨し能力を伸長する機会の充実等を図る。」という記載がなされております。
また、下段になりますけれども、本年6月に閣議決定されました中におきましても、CSTIにおいて中央教育審議会の委員の参画を得た有識者会議を2021年度中に設置し、特異な才能のある子供の能力を伸長するための教育環境の児童生徒への教育環境の構築について検討を進める旨が記載されてございます。
こうしたことから、中央教育審議会はもちろんのこと、今申し上げましたCSTIに設置された有識者会議とも連携しながら、本有識者会議における議論を深めていただきたいというふうに考えてございます。
この後に参考資料ということで、政府で既に取り組んでいる関連の施策なんかをまとめた資料もお配りをしてございますので、後ほど御確認をいただければと考えてございます。
事務局の不手際でなかなか音声が通じない部分がありまして、大変恐縮でございました。事務局からの説明は以上でございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。
それでは、報道関係者の方の撮影・録画はここまでとさせていただきたいと思います。
ここからはヒアリングということで本題に移ってまいります。
まず、私のほうから今回のヒアリングの趣旨ということでお話を差し上げます。この有識者会議の議論に先立ちまして、特定分野に特異な才能を有する児童生徒をめぐるこれまでの議論や、あるいは現状、特に日本における現状などの全体像について、委員の間で全体像を共通理解しておくということは大事だというふうに思っております。
そこで本日、これが有識者会議の第1回ということになりますが、本日と次回第2回の会議では、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援の在り方の全体像を共通理解することを目的として、委員からの御発表をしていただきたいというふうに考えております。
まず、口火ということで、本日の会議では特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援の現状ということで、才能教育の現状やこれまでの議論や歴史的な経緯といったようなものについてお話を、まず、私のほうからさせていただきたいと思うのですが、私は専門が教育社会学でありますので、社会学という観点から見た研究を進めてまいりました。そこで見た、非常に雑駁ではありますけれども、これまでの才能教育の概念の整理、それから、どんな議論がなされてきたかということについてお話をさせていただいて、その後、専門が心理学の松村委員から、2E教育を中心に発達心理学の見地からの研究に基づく御発表をいただきたいというふうに考えております。
なお、発表に対する質問や御意見については、我々2人の発表が終わった後の意見交換のタイミングでまとめて承りたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
それでは、まず、私のほうから、「才能教育の諸類型~日本型才能教育を巡る討論資料~」と題して発表させていただきます。このタイトルから分かりますように、これは今までの才能教育をめぐる議論のまとめというか、概念のまとめというような形で、最初のキックオフという場に合っているのではないかというつもりで御説明をさせていただきたいと思います。
一言最初に言っておきますけれども、もう既に委員の先生方は御存じのことばかりなので、何を今さらと思われるかもしれませんけれども、ここから出発しましょうということで聞いていただければ結構だと思います。特に、先ほどの石田室長のほうからもありましたけれども、アメリカにおけるgifted教育、あるいはtalented教育というものが世界の最先端の才能教育というふうに目されておりまして、そこにおける才能教育の三類型というものを非常に大ざっぱに3つに分けてみました。こちらを御覧ください。皆さん、よく御存じのaccelerationとenrichmentと、それからtwice-exceptional educationという3つですけれども、これに従って3つの類型を簡単に振り返ってみたいと思います。
次お願いします。早修、accelerationを仮に訳してみました。この訳もまだ日本では定訳という形にはなっていないと思いますので、取りあえず早修という言葉を使っておきますが、既存の教育プログラムの早期履修または速修というのが基本的な形です。特別な教材は用いない。例えば4年生の子供を、5年生を飛ばして6年生に進級させてしまうというような場合です。暦年齢を超える主要領域の学力を示す児童や生徒に適合するレベルの教育を提供するということで、一般に飛び級とか早期入学とかAP、それから早期卒業など対応は多様です。
次お願いします。アメリカにおける早修の類型ですが、これはちょっと古いんですが、「欺かれた国家」というレポート、皆さん御存じのテンプルトン・レポートですが、ここできれいにまとめてありましたので、それを訳して入れてあります。大体年齢が若い順に上から並んでいますけれども、早期入園とか早期入学から始まって、学校内での飛び級、先取り学習、カリキュラム短縮、テレスコーピング、課外プログラム、通信教育、それからAP、あるいは上級の学校への早期入学というのが、この早修に当たるだろうというふうにまとめてあります。
次お願いします。アメリカの早修というのは、実は普通に行われていることでありまして、数は、ちょっと古いんですけれども資料によりますと、アメリカの18歳未満の大学学部入学者は約年間18万人というふうに資料には上がっております。それに対して日本の18歳未満の大学学部入学者の累計数は、2018年の段階で130人内外にとどまっているということから考えても、彼我の差は非常に大きいということが分かります。
次お願いします。アメリカの早修というのは、実はそんな特別なことではないというふうに私も調査をするたびに向こうで言われましたけれども、たしか12歳で大学生になるなんていうすごく天才的な早修というのもたまにはありますけれども、普通1歳、2歳若いだけの早修というのは全然例外的ではなくて、普通に行われでいることだと。18万人という数からしてもそうなんですけれども、アメリカは、皆さん御存じのとおり移民国家でありますので、新しい移民が来た。その子が8歳だった、あるいは10歳だったとします。その子供がどれだけの能力があって、新しい地域の、開拓地の学校の何年生になるかどうかは、その子の歴年齢ではなくて、その子が今まで何を学んできたかとか、何が分かるか、どういう学習に適合しているかということを調べないと分からないわけですね。
ですから、アメリカのフロンティアにおける学校ではいろいろな年齢の子供たちが同じ学年にいる。逆に言えば、同じ暦年齢でも違った学年にいることが多いということです。当然、過年齢入学というのもあるわけで、すごく体が大きいんだけれども、小学校3年生にいるというような子供も当然普通のようにあって、大きな変革がなく今まで来たものですから、それが当たり前のこととなっていたということです。高校在学中に大学の講義や夏期講習を受講して単位を取って大学での早修を果たすとか、それから、高校1年生が2年生を飛ばして3年生になって大学へ入学するとかいうようなことは往々にしてあるということです。
これは正式なデータではありませんが、ノーベル賞のアメリカの受賞者の経歴を見てみますと、飛び級なり飛び入学をしている人が半数近くいたという結果もありますので、アメリカにおいてはそんなに例外的ではなかったということです。
次お願いします。特に最近注目されていて、日本でも一部AP的なものは行われていると思いますけれども、アドバンスト・プレースメントはとても注目されるシステムだなと思いました。しかるべき時期にアメリカのブックストアなどに行くと、APの参考書なり、APの勉強のための教科書がずらっと平置きになっているのを御覧になった方もあると思いますけれども、非常に一般化した方法だと思います。
次お願いします。そういう早修のメリットですけれども、これは言うまでもなく一番大きいのは、自分が持っている能力よりも遅れた、暦年齢には合っているけれども、遅れたカリキュラムで勉強していることによる不適応・ストレスの回避です。もうとっくに分かっているようなことを延々と先生がやっている、そういう教室にいて、ぼうっと天井を見ているという子供がいるということはよく指摘されるところです。それを回避するということです。それから才能児の達成水準が高度化する。それから社会経済的格差を是正する。公的支出の軽減を図る。教育を受ける側の経済的負担、授業料が飛ぶわけですから経済的負担は軽くなるということです。
一方、問題点も、デメリットもありまして、人間的成熟の問題、それから結局のところ、実際には経済力のある家庭の若者たちのものであって、教育格差を拡大することになってしまうのではないか。無理をすることで若者たちに、子供たちにストレスを与えてしまうのではないか。一番指摘されているのは、同年齢の学級集団とのつながりがぶつぶつになってしまう、切れてしまう。学習した内容の体系性が損なわれるとか、Early ripe, early rot(早く熟れれば早く腐る)というようなことも言われています。
次ですが、これはカリフォルニア州立大学ロサンゼルスキャンパスで先進的に行われている早期入学の例で、御覧になれば分かると思うんですけれども、非常に早い時期から全米から志願者を募って、SATやACTの成績で選ぶということです。入学後は一般学生と同じクラスで同様に学ぶということですが、次お願いします。これは私が1992年に、CSULAでこの子が一番若いと紹介されたアルテア少年です。アルテアという名前がすごいです。アルタイルという星の名前ですけれども、お父さん、お母さんが両方とも科学者で、子供にアルタイルという名前をつけたということですね。日本で言えば、それこそ彦星か何かの名前をつけるということになると思いますが。
その30年後になりますかね。次の、これは同じ人です。これがアルテア氏の、40歳前後になっていると思いますが、高校の先生をされています。その高校の才能教育のホームページから取ってきたんですけれども、後ろに書いてあるのをよく見ますと、これは何かというと、コンテストとかコンクールの一覧です。スケジュールです。アルテア氏は何を教えているかというと、こういうコンテストでよい成績を取るためのクラスを教えています。それはいろいろな考え方があると思うんですけれども、アルテア氏が一番優れているのは、若くしてそういう才能を示すことができるような能力、ちょっと変な言い方ですけれども、その能力を子供たちに伝えているということで、非常に充実した職業生活を送っているというコメントもありました。
次お願いします。これはたまたま私が全くの別件で、中国の仕事をしに行ったときに、文化面のところにばんと出ていた新聞が投げ込まれまして、文化面のところにばんと出ていたのに、たまたま大学に早期入学するということでうまくいっているという話が出ていたので、これを持ってきました。要するに彼らは早期入学で勉強して、学問的に高いところに行くことを楽しんでいるという話なんですね。ほかの記事を、細かいところを読むと、要するに才能児のクラスをつくって40年間、合肥市というところなんですけれども、とてもいい結果を得ているという話で、ああ中国でもかなりこういう突出した才能者の教育が進んでいるんだなというふうに思った次第です。
それから、ちょっと急ぎます。拡充ですけれども、次お願いします。これも釈迦に説法のことですけれども、拡充のほうはアメリカにおける拡充のリストを次に出しておりますけれども、要するに飛び級とか早期入学などの措置をしないで、能力のある子供に横に広がった充実した教育をするということです。個人学習プロジェクトから始まって、土曜・夏期プログラムとか、コンテスト・コンクール、それから全校拡充モデルというようなものがあって、これは松村委員の『アメリカの才能教育』から転載させてもらいましたけれども、こんなことが出ているということです。
拡充のメリットですけれども、より深く、より広く学習に振り向けることができるために応用的な能力を豊かに伸ばせるとか、学習内容をスキップしないために未習の学習課題といったものが発生しないということです。大学生になったけれども、ここのところがすぽっと抜けているというようなことがないということです。
それから、集団が維持されて社会性も身につく。同年齢集団が壊されることがない。一握りの例外的な才能者だけではなくて、多数の生徒に対応することができるということで、これはある意味、日本でも一部の中高一貫校というところでは既にやっていることではないかなと思います。
もちろん問題点もありまして、学習者自身の動機づけ、何でやるのかという動機づけが弱いということと、コストと時間がかかる。専門の教員の確保などに、こちらもコストと時間がかかる。ほとんど公的資金であるために公的教育費の増大を招きがちであるというようなものもあります。
2E教育は、詳しいお話は次の松村先生のところであるので省略しますけれども、近年、特に注目されている、アメリカでもそうですけれども、日本でも注目されているところです。日本では、従来から平均的に均整のとれた発達というのが何となくというか、ほとんど文化的に定着しておりまして、ここ数か月間の大谷翔平氏の活躍を見ていても、あれは非常にそういう意味では日本的だと思うんです。打てる、走れる、守れる、投げられる。さらには礼儀正しくて顔もいいという、そういう総合的に全てが整った均衡というのを日本人は本当に好むんだなという。ただ投げているだけとか、ただ走っているだけというだけではない、理想像をあそこに感じることができるんですけれども、そういったものからの少し距離を置いた考え方というのが、2E教育を考えるときには必要なのではないかなというふうに思います。特性についても松村先生のほうで多分お話しいただけると思います。
最後に、克服すべき課題ですけれども、そこに書いてあるようなこと、才能教育のメリットが、現時点では必ずしも明確ではない。特別な教育的措置への社会的合意の形成というのがまだできていない、難しいと思う。それから、実践的な蓄積というのが過去においてなくて、ノウハウも日本自前では得にくくて、ついつい外国の紹介ということになってしまう。それから、現場で才能児を探索し教育する役割を担う教師というものが育っていない。才能教育に関わる教師の養成のシステムも全くない。ただ、教育期間が短縮されて負担が軽減されるというだけではなくて、その減分を有効利用する仕組みをつくることが大事なのではないかということで、日本型の早修と拡充の融合した形、あるいは2E教育も含めて融合した形というのが理想的に考えられるのではないかと思います。
あとつけましたのは、参考資料というようなことでまとめてみました。ということで、大分長くなってしまいました。私のヒアリングの説明を終わりたいと思います。
続きまして、御質問等は後でまとめてということで、松村委員から「才能教育の在り方に関する論点の共通認識のための基盤」と題した資料で御発表いただきたいと思います。よろしくお願いします。
【松村委員】 続きまして、松村のほうからです。10時43分終了を目指します。
私のほうは、今後の議論の方向性のイメージをつかんでいただくための、そういう基盤の話をしたいんですけれども、大事な話を短い時間に詰め込んでいますので、とても話し切れません。たまたまちょうど私の本が出たばかりですので、詳しくは、それから背景はこの本を御覧ください。『才能教育・2E教育概論』というものです。
次、2枚目をお願いします。まず、才能についてです。中教審答申を受けて、この有識者会議でも「特定分野に特異な才能」ということを言っていますけれども、その意味での才能とは何かという定義が明確にされていない。今までの国の行政レベルの議論でも、才能とかいうことについて特に定義がされてきませんでした。
最近よくギフテッドということが言われます。これは専門家の間でも言われていますし、一般ではよく言われますけれども、これに誤解がある。人によって使っている意味が違うので、話が混乱してしまうということがあります。特に、こういう国レベルの会議でよくお話しされるのが、そこでイメージされる才能、ギフテッドというのは、特異な才能、極めて希有な才能をイメージされていることが間々あります。
一方、一般には、後でお話しします2Eですね、発達障害と才能を併せ持つ子供、それがギフテッドなんだというふうに、いわば言葉を誤解されていることがあります。これは意外と多いです。一般には、「ギフテッドって?」何というと、才能のある発達障害の子というふうに思われることが多いんですけれども、同じではない。これは使い分けないと、その人がどういう意味で使っているのかという、話がずれてしまうということがります。だから専門の話では、私はギフテッドという言葉は用いません。私の本の副題で「ギフテッドの発達多様性を活かす」なんてつけているんですけれども、これは正しい意味で使っていただきたいという、そういう願いを込めています。
この有識者会議は、中教審答申の文言を受けて、やたら文科省らしい長い名前がついていますが、私も空では言えませんが、縮めてこれをギフテッド有識者会議なんて言ってしまうと何を議論するのかというのが、特に一般のところへ話が伝わると解釈がずれてしまうということがあるので、あまりここではギフテッドということは言わないほうがいいかなと、縮めるならば「才能教育有識者会議」になるかなと思います。
才能について「特定分野に特異な才能と」いうことを言っていますけれども、「特定分野」とつけていますが、才能というのはもともと領域固有なんですね。アメリカのいろいろな定義でも、才能というのは、いろいろな領域で多様に現れるということを言っています。子供たちはいろいろな才能を持つわけで、それは通常の教育課程を超えた指導・支援が必要な子供です。そして発達障害とかに対して特別支援が必要なのと同じように、そういう才能のある子にも通常のカリキュラムを超えた指導が必要です。そうすると、そういう子供たちを合わせると、特別プログラムの対象となる子供は全体の1割、2割にもなることがあります。
「アメリカでは才能(ギフテッド)教育をやっています」と言われますが、熱心にやっているところもあれば、あまりやっていないところもあります。それは地域の状況によって異なるんですが、でも、プログラムで数%の子供を集めると、いろいろな領域のプログラムがあるとすると、全体で1割以上にもなる。「アメリカでは天才教育をやっています」なんていうこともよく言われますけれども、決して天才対象ではない。意外と多くの子供だということです。
3ページ目をお願いします。今度は「特異な才能」ということなんですが、これはどうやら今までイメージされたのは、「分野に特有な」という意味ではなくて、「突出した能力・異能」というふうに暗黙に認識されていることが多いようだと感じられます。これは最近の会議とか基本計画でも出ていますが、「異能を育てる」とか、「出る杭」を伸ばすとか、そういう表現に表れています。
途中ですが、次の4ページをお願いします。科学技術人材育成でトップ人材育成の裾野を広げる、裾野の拡大ということを考えておられます。いろいろなプログラムがあって、スーパーサイエンスハイスクールとか、ジュニアドクター育成塾とかありますが、裾野を広げると、その中で例えば国際科学技術コンテストで活躍するような人材が出てくるだろうと、そういうところを狙っているのだと思います。裾野を広げるのはいいんですけれども、たまたまスーパーサイエンスハイスクールとか、研究開発の指定校とかそういうところに、その年度にその生徒がいるかどうかで得をするというか、運が分かれてしまうという在り方はどうなのか。それと、通常学級で全ての子供の才能を見つけて活かす、そういう取組とどう関連させるのかということは考えていかないといけないと思います。
5枚目をお願いします。この有識者会議の設置要綱案にもありますが、中教審答申の文言を受けているんですけれども、アメリカとかでは古典的にはIQなどを基準に領域非依存的な才能を伸長する教育が考えられてきたというふうにあります。それが近年、領域依存的な才能を伸長する教育も含めることに変わってきたということです。歴史的に見ると、必ずしもこれは正確ではない。というのは、IQとかで才能を見つけるというのは古典的なやり方で、これは才能を多様に評価しましょうと言っても、今でも重視されているんですけれども、才能教育としては古くから教科ごとに行われてきたので、学習の段階では領域固有なわけですね。特に20世紀後半になってアメリカは科学技術人材育成に力を入れたので、まさに領域固有の才能を育てようとしてきたわけです。
ただし、1970年代以降、そういう才能の定義の拡大とかに伴って対象領域を広げようという動きはあったわけですけれども、才能を育てるというのは、個々の領域、個々の教科・科目で行われるというのがずっと続いていることです。ここで、そういう才能教育における才能児というのは突出した異能だけでなくて、幅広いレベルでの領域固有の才能を持つ者と捉え直そうと言いたいのです。「才能の三輪概念」では、優れた学力とか、創造性とか、課題への傾倒というのは興味・熱中のことですが、これはそれぞれの科目、領域で現れるので、才能のある子供というのは何かに興味を持って、何かに熱中して、何かに創造性、優れた能力を示すわけなので、それを見つけて育てていくということになります。これはレンズーリのモデルですが、便宜的に「才能児を見つける」というふうに言いますけれども、誰が才能児かという、そういうラベルをつけるのではなくて、どの子が何においてどんな「才能行動」を示すのかということを見つけていこうと、レンズーリは言っています。
次、6ページ目をお願いします。2つ目、才能教育の方法についてですが、そういう多様なレベルの多領域の才能を伸ばすということです。最近、STEMを超えたSTEAM教育が強調されていますけれども、そこで教科等横断的な学習、探究的な学習というのが考えられています。科学技術の人材を育成しようというほうから見ると、STEAM教育を取り入れても、そこでもやはり科学技術人材が育ってほしいという、そこのところが重点になるかと思いま。そこからどのように領域を広げていくかという際に、STEM以外の領域でのトップ人材育成プログラムをまず第一に考えようというのを最初の目標に置いてはいけない。つまり、より広いSTEAM教育の中で、結果的にトップ人材が出てくればいいですけれども、最初からそういうトップ人材育成のほうに偏らないほうがいいかと思います。これは私の話の前提、タイトルに私見とつけましたので、私のまさに私見です。
次、7ページ目をお願いします。そこで優先すべき方法ですが、全ての児童生徒対象の才能教育をベースにするのが有効です。ここで①、②の記述がちょっと入り組んでいますけれども、一定の基準で才能を識別して、一部の子供対象の「狭義の才能教育」というのと、それから才能を基準には対象を選抜しないで、通常学級を基盤にした広義の才能教育というのを区別する必要がある。その上で、いろいろな種類の才能教育プログラムと連携するというのが有効だろう。
「拡充三つ組モデル」というのがあります。「タイプⅠの拡充」と言っていますが、新しいテーマに生徒を興味づけて、それから「タイプⅢの拡充」の個別の探究につなげていきます。それが学校内外のプログラムと連携して、子供の最終的な学習成果を教室へ還元していく。そうすると、それが他の子のタイプⅠの拡充になって新しい興味を引き起こす。そういうフィードバックの関係ができればいい。その際に、これからICTの活用がどんどん進んでいくので、それが利用できるかなと思います。そういうわけで通常学級ベースで全ての児童生徒の個別最適な学びですね。その中で特異な才能も救い出せるという構造ができるといいかと思います。
8ページ目、才能教育の方法を、今のを含めて概念整理しておきますが、才能教育を狭義と広義に分けると、これからの個々のプログラムの在り方を考えるときに有効です。狭義というのは、才能を識別して対象を選抜する。広義というのは、才能は識別しないで、全てを対象とする。全てを対象とするといっても、人数に制限があるときには、抽選や先着順でやれば、これは広義になるわけです。狭義と広義の各々に早修と拡充があります。早修の定義は、先ほど岩永先生がお話しされましたが、アメリカでも完全な合意はされていないんですけれども、広く受け入れられていて有用な分け方というのは、早修というのは、上位学年の科目の早期履修、単位修得だと、単位を取れるのが早修だというものです。そういう意味で、早修というのは、実は私がこしらえた日本語なんですが、そういう意味で使いましょうということではっきりと言っているわけです。
だから、単なる先取り学習を早修と呼べば、拡充でも結構先取り学習をやりますので、今やっている先取り学習は何なのか、意味が曖昧になりますが、こういうふうに分けると、要するに上位学年の単位をあげるのかどうかで分かれます。この早修のほうは、これからの日本ですぐには考えにくいので横に置いておくとして、何か拡充をやるときに、それは狭義なのか広義なのかというふうに考えると、つまり、何らかの基準で対象の子供を選抜するのかどうかで見ると、プログラムの意義がはっきりしますね。その対象選抜のためにどういう選抜の手段を使うのか、識別手段を使うのか、そういう識別方法を考えることにもなります。ですから、狭義と広義をはっきり区別しましょうということです。
それともう一つ、先ほど岩永先生が才能教育の方法として、早修と拡充と2E教育を3つ並べられましたけれども、2E教育というのは、早修、拡充と並ぶ方法ではない。方法としては、早修、拡充やいろいろ多様なプログラムがあるわけですが子供のほうに発達障害があってもなくても、つまり、2Eであっても公正に何らかの才能プログラムに参加できることが才能教育の理念なわけです。ただし、2Eの特性というのは子供によっていろいろ違うので、そこにある才能プログラムにただ入るだけで、すぐやっていける2Eの子供もいますし、あるいはグループ学習では不適応なので、特別な配慮が必要なこともあります。あるいはゆっくり時間をかけるとできるという、そういう2Eの子が結構いるので、合理的配慮とか個別のニーズに対応しながら公正に才能プログラムに参加できるというのが2E教育の理念です。
9ページ目お願いします。3つ目に、才能児に必要な支援ということで学習・社会情緒的支援です。才能教育というのは、先ほど言いましたように、トップ人材の育成を第一の目的として、そこから出発するのではなくて、困っている才能児のニーズに対応する。ここから出発しないといけない。通常学級に困っている才能児がいるわけですが、困っているけれども、どう困っているのかさえも見つけてもらえない子供がいます。あるいは学校から出てしまっている、不登校になってしまっている子がいるわけですが、そういう子供のニーズをまず第一に考えていかないといけないというのが、私が今後、日本の才能教育が立ってほしい基本的な立場だと思います。
そこで、特別な支援が必要な才能のある子ですが、1つは「社会的多様性」として、家庭背景とかで学習に不利な条件がある。特に受験競争とかの状況では、家庭によって不利な場合があるわけですね。不利な集団の中にも才能のある子は同じようにいるので、そういう子供をどうするか。家庭の状況、あるいは学校間格差の問題とか、そういうことを考えていかないとけないこの問題を考えるときに、韓国の状況というのが実は参考になるんですね。今後、ぜひ参考にしていただきたいと思います。
もう一つは「発達多様性」として広い概念を含めて考えていますが、2Eとか、そういう個性的な発達の道筋、あるいは社会情緒的な問題を持つ子供です。
そこで、次の10ページ目に続きます。才能児の学習・社会情緒的問題を認識して、支援が要るということです。1つの集団としては、2Eの子供がいます。これは発達障害と才能を併せ持って二重の特別支援が必要だということなんですが、実は才能と障害が互いを隠し合って見落とされるということがあります。でも、学校の先生が認識する以上に2Eの子は学校にいることが多いです。全く調査もされていませんし、分かりませんけれども、アメリカなんかでは全体の2%ぐらいいるのではないかとも言われています。
もう一つの集団は、「GDF」と呼んでいますが、「不協和感のある才能児」というもので、社会情緒的な問題を持っている子です。これは2E以上に隠れています。問題が見えない、あるいは本人も気づいていないかもしれません。才能教育で今世紀に入る頃から盛んにアメリカでは注目されてきたんですが、「超活動性」は、私の訳ですが、「OE」(overexcitability)で、それが不適応に働いている子供は、例えば完璧主義で、寝食を忘れて何かに取り組むというようなことがありますが、やり遂げるまでやる。それが不適応的に働く、周りの人も困るというようなことになるといけないわけです。そういう過度の集中、完璧主義、学業不振、いじめ、不登校というような社会情緒的問題を抱えている発達障害でない子供も結構いる。発達障害の子供も同じようにいて、いじめと不登校の問題もあるわけですが、この集団が結構いるということが認識されないといけません。
このGDFは、2Eと似ているんですが、違うんですね。でも、進学校とかには多く存在するだろうと思われます。かつて10年ほど前、発達障害が一般に広く知られるようになりましたときに、東大の理系の学生の約3分の1ほどがアスペルガー傾向ではないかと噂されたことがあります。ASDの特性を例えば「KY、空気読めない」とか日常語に置き換えて言うと、そういう傾向のある人が結構いるね、みたいなことで言われたわけです。そうすると、例えばASDとかADHDだと診断されて本人が落ち着くということもあるんですが、そう診断されなくても、合理的配慮が必要でないような大学生ならば、そう呼ぶ必要がない場合もあるわけですね。
だから、2Eではなくて、実はGDFなんだと自己認識するだけで本人も納得できる。あるいはこれを周りが理解して、寝食を忘れているのはそういう意味があるのだということに気づいて、学びやすい、生きやすい環境を整える、そういう支援があればいいかなと思います。でも、実態が分かりませんので、まず、発達障害の子供の才能行動は、どのようなものがどれぐらいあるのか。何が必要なのか。それから、才能児の社会情緒的な問題、それにどれぐらい気づいているか、どうやったら気づけるかというようなことは、今後調べていかないといけません。これはデータを出していかないといけない。
次、11ページ目をお願いします。今後の才能教育の在処(ありか)ということで、では才能教育をどう位置づけるかということで、特別な指導・支援が必要・適当な才能児集団は、結構います。でも、発達障害の子供に対する特別支援教育というのがやっと長年苦労してつくられてきたわけですが、才能教育という新しい制度は社会的な合意形成を得にくい。では、どう位置づけるか。1つには、特別支援教育や生徒指導の在り方と関連させて検討する。だから、全体として「特別ニーズ教育」みたいなやり方もあるのかなと思います。学習・社会情緒的支援ニーズの高い才能児の困っている状況を打開する方法を考える。そうすると、その在処としては、通常学級での個別最適な学びと連携する。あるいはそれがむしろインクルーシブ教育として才能教育のベース、コアになるかもしれません。そうすると、日本全体として、ごく一部の希有な才能だけを見つけていくという方向ではなくて、それにつながるんですけれども、学級がベースとなって全ての子供の問題を考えていくという才能児教育の在り方があるかなと個人的には思います。
最後、12ページ目をお願いします。これは先ほど紹介した私の本ですが、詳しくは、あるいはその背景、それから理論、実践の説明はぜひこれを読んでいただきたいです。これを読んでいただかないと今後の話につながりませんので、ぜひ熟読いただけたらと思います。
うまく短く話がまとまりました。私の話はここまでです。
【岩永座長】 松村委員、ありがとうございました。ぴったり予告どおりに終わったというあたりも才能かなと私は思います。
それでは、ここから会議終了までちょっと時間が、私のがちょっと長かったので押してしまいましたが、45分ほどありますけれども、意見交換の時間とさせていただきたいと思います。
本日の発表内容に関する御質問、御意見でも結構ですし、それから、この有識者会議自体に対すること、あるいは才能教育そのものについての御意見、これからの議論の進め方、何でも結構ですので、自由な意見交換を行っていただければと思います。ただ、時間が押していると先ほど言いましたけれども、会議時間の都合上、11時半までということで45分ほどですので、1回の御発言は各自2分程度ということで、大変申し訳ないんですけれども、収めていただけると幸いです。
本日、第1回の会議ということで、ぜひ委員の皆様全員から御発言をいただければと思います。なお、御発言の際には、最初に少し、ほんの少しで結構ですが、自己紹介などをしていただければと思っております。御発言を希望される方は、Webexの手を挙げるという機能のボタンを押していただきますようお願いいたします。こちらからそれを見させていただいたときに指名して、ミュートを解除していただいて御発言していただくというふうに進めたいと思います。また、御発言が終わりましたら、再度手を挙げるのボタンを押して、もう一度押すと挙手が取り下げられますので、そのように対応していただきましてミュートにしていただきますようお願いいたします。
それでは、特に順番は決めておりませんので、どうぞ御自由に御発言のある方は手を挙げるボタンを押していただきたいと思います。よろしくお願いします。

藤田委員、よろしくお願いします。
【藤田委員】 藤田でございます。筑波大学に勤務しております。よろしくお願いいたします。
口火を切る意味で、岩永先生に教えていただきたいことがありまして、まず、質問からさせていただきたいと思うんですが、先生の御説明の中で、早修のメリット、デメリットの中で経済的な格差、あるいは格差の是正の問題が、両面御指摘があったと思うんですが、早修のメリットとしての社会経済的格差の是正ということと、早修の問題点としての家庭の格差、教育格差の拡大ということにつきまして、もうちょっと具体を教えていただけたらと思いました。よろしくお願いいたします。
【岩永座長】 まず、資料の8ページに早修のメリットがありましたけれども、その中で、今、藤田先生から御指摘の社会経済的格差の是正ということがありました。よく言われておりましたのは、経済的に恵まれないうちの子供がなかなか上級の学校に入れない、経済的な問題があって入れないというようなことはあるんですけれども、早修のシステムの中では、これはいろいろなシステムがあって、例えばアメリカでも、全米で皆さん、そういうシステムが享受できるわけではないんですけれども、例えばカリフォルニア州のロサンゼルス地区などでは、そういう才能が認められた子供には特別に奨学金が出て、そういうプログラムにのることができるという意味で、たとえ親の経済的な地位が低かったとしても非常に高い教育を受けられる。しかも効率的に受けられるという意味で是正ということがあります。
一方、次のスライドには問題点も出しておりまして、その問題点では、2番目として、「結局、経済力のある家庭の若者たちのためのものであって」ということも書きました。これ御指摘のとおり、大変矛盾しているなというか矛盾しているんですけれども、実際に早修のプログラムというのがプライベートで行われているところが結構あるんですね。そういったものは本当に目玉が飛び出るほど高いシステムになっておりまして、単に同じ大学の中でとか、同じ高校の中で1年飛ばすというようなことだけでは済まないものがあるんですね。例えば夏の間に1年分やってしまうというようなプログラムがあったとすると、これがまた非常に目玉が飛び出るほど高い仕組みになっておりまして、そういうものは受けられる人が経済的な観点から見て限られておりますので、結局はそういうところで、お金のあるうちから出てきた子供だけ先へ行ってしまうという経済格差が現実問題として出てくるのではないかということで、やはり公的にそういうシステムをつくっているところと、つくっていないところでは、片方は早修のメリットとして出てくるし、片方は、つくっていないところは早修のデメリットとして出てきてしまうということなんですね。
だから、同じ人間にとってメリットとデメリットが同居しているということではなくて、場所とか、住んでいるところとか、そのときそのときの教育政策の違いということによって起きてしまうということですね。そういうものが起きやすいのが早修の問題点であり、また、早修のメリットでもあるということだと思います。お答えになっていましたでしょうか。
【藤田委員】 ありがとうございます。非常によく分かりました。そういった複層的な視点で捉えていくということが重要だなということを改めて認識を深めた次第です。
話しついでですので、1分半くらいで感想を申し上げたいと思います。今回、私ども機会を与えていただいた特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する支援の在り方を考えるときに、やはりコインの両面のような気がするんです。社会に便益をもたらすような才能を生かす人材の育成という側面と、先ほどの松村先生のお言葉をお借りすれば、困っている才能児のニーズに対応するか。このコインの両面なのですけれども、やはり私個人で言えば、どちらの側面からそれを捉えるかと言えば、やはり松村先生の御指摘のとおり、スペシャル・ニーズ・エデュケーション、特別なニーズを持っている子供たちへどう対応していくかということなのではないかなということはまず感じました。
次に、2点目ですけれども、これまでの取組、例えばSSHであるとか、SGH、WWLであるとか、あるいは大学への飛び入学であるとか、早期卒業や早期修了、それから特別支援の中では通級であるとか、様々な困っているニーズのある子供たちに対する教育支援というのはこれまでなされてきたと思うんです。そういったものの洗い出しをし、その成果と課題を見いだしていくということがまず必要なのかなと思いました。
3点目ですけれども、GIGAスクール構想に基づく1人1台端末の可能性が出てきたわけなので、そういった中で個別最適な学びがどれほど可能なのかという議論もこれから必要だと思います。また、チーム学校と言われるような中で、学社連携や融合の成果、課題もある程度見えてきているはずなので、そういったところをきちんと捉えるということも必要かなと思いました。
最後に、もう1点だけでございますけれども、松村先生が構造化してくださった中でいうと、狭義の早修、アクセラレーションのデメリットというのはやはり考えておく必要があるのかなと思いました。例えば日本文化ですと、学級集団、同年齢集団を前提とする学校文化というのが根づいていますし、大人の中でも1歳違うだけで、1個上、1個下というふうに先輩後輩の意識って非常に強いので、そういった中で狭義の早修をどんどん強めていくということに対する躊躇というのを私たちは持たなきゃいけないのかなと思いましたし、また、社会性を育んだ包括的な学校教育の提供というのは、やはり学校教育の使命の1つだろうというふうに考えました。私、キャリア教育を専門にしておる観点から、先生が最初に御指摘いただいた早く成熟する子に対しての早修制度のデメリットという点に関しては、ちょっと敏感になるべきかなと感じた次第です。
以上でございます。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。
根津委員のほうから手が挙がっておりますが、お願いします。
【根津委員】 早稲田大学の根津朋実と申します。全員から一言という御趣旨でしたので、てっきり名簿順かなと思っていたんですけれども、簡単に意見と感想を述べさせていただきたいと思います。私の専門はカリキュラム、教育課程というところでして、各教科に比べて専門家が非常に少ない分野ですので、私のような者にもお声がかかったのかなと思っております。
後ほど確認いただければと思いますけれども、資料3の14ページから15ページのほうにありました研究開発学校などに関心のあるところです。教育課程という言葉に関連しましては学習指導要領があるわけですけれども、これにより教育水準の全国的な確保というものが行われているわけですが、こことの関連で話題になっております才能教育というものをどういうふうに考えるか、これは非常に難しいところでもあるかなと思います。
あとは御発表いただいた内容について、お二方の御発表への感想ですけれども、日本の場合には、特に大都市圏の小学校受験、中学校受験や各種の習い事等によって才能教育に当たる分野というものが担われてきたのではないかなという印象を持っております。
もう1点、早修や拡充という言葉はあったわけですけれども、後回しといいますか、あるいは学び直しといったようなところですね。そういった側面というものはないのかなというのは素朴な疑問として思いました。
最後に、本日、冒頭ちょっと音声の不具合があったわけですが、我々はこれを当事者として発見、報告して、しかるべき対応や配慮をお願いした結果、御尽力によってこれを解決できて今に至っているわけです。この種の不具合の状態に置かれている当事者の方々が才能教育の面でもいらっしゃるのではないかと、そういう見方を取れればいいなというふうに思っております。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。そのためには不具合をすぐに共有する。その情報を共有するということができるかできないか。ただ、その不具合を自分でぐっと我慢しているとか、自分の内に込めているという状態がずっと続くということはやはり避けなければいけなくて、それは非常に大きな問題だなというふうに今のお話を伺って感じました。比較的早く修復できたほうではないかなと私は思っておりますが、ありがとうございました。
続きまして、挙手の順番から、市川委員が次に手を挙げておられたと思いますが、市川先生。
【市川委員】 今日の先生方のお話を伺って、これからの議論をどういう方向で進めるかということについても重要な御示唆があったと思います。まず、タイトルからすると、特異な才能を持った子供たちのための話に聞こえてしまいますが、実際には、お二人のお話の中から、決して特異な才能を持った子供たちだけの話ではなくて、もっと広く個に応じた学びの一環として、いろいろな興味・関心を持つ子供とか、ものすごく優れているというわけではないけれども、こういう活動がしたいというような、そういう子供たちのニーズに応じるということの一環として捉えるべきだろうということですね。
松村先生のお話の中にも、ごく僅かな一部の才能を持った子供たちの話ではなくてということも出てきたと思いますし、まず、それは方向性として、そういうふうにもっと広く捉えた中での特異な才能を持った子供たちをどういうふうに対応していくかという、そういう問題なのだというふうに位置付けたほうがいいのではないかなと思いました。
それからもう一つは、これも委員会のタイトルからすると、学校教育ということに限定されているように見えますけれども、これは最初の事務局のお話からもありましたし、岩永先生、あるいは松村先生からも、地域、大学とか民間も含めてどう対応していくかという、これが不可欠というふうに私には聞こえました。
軸足は学校にあるのか、地域側にあるのか。私は、これは実はどちらでもいいと思っています。学校というのは相当今ぱんぱんになっていまして、学校で基本的にやるべきことを地域が支援するというのでは、とても学校はやっていけないのではないか。むしろ大学なり、民間なり、地域なりがやっている、今でもいろいろな活動があります。そういうものを学校が支援していくくらいの軸足の置き方のほうが現実的ではないか。当然、教育課程外ということにはなりますけれども、そのほうがむしろ現実的ですし、充実した活動になるのではないかなと思いました。
それから、お二方の先生のお話、私には、早修ということよりは拡充の方向で行くほうが日本の文化としても合っているのではないかというふうに受け取りました。私もそういう印象は持っております。ただ、早修については、日本でもそれなりに民間の塾とか、かなり早期からどんどん進んだプログラムでというところは一応あったわけで、それがこの30年、40年やってきて、一体どういう成果なり問題点があるのか。これは民間ですと出しにくいのかもしれませんけれども、私は、どこかにそういうデータがあれば、ぜひ入手していただけるといいと思いました。学校では学年が違ってしまうから、何か社会的スキルとか、そういう問題があるということもあると思いますけれども、、例えば小学校のうちに高校までの数学は終えてしまうとかいう、実際そういうプログラムが塾ではあって、それに通ってくる子供たちがいると。じゃ、その子たちはその後どうなるのか。小学校のうちに高校までの数学を終えたのであれば、その先、ものすごい才能を発揮するのかとか、もっと近いところでは、そもそも大学受験で有利になっているのかとか、そういうデータはもう蓄積されているはずです。早く早くやるということが、もしかしたらそれほど期待されるほどのメリットはないのかもしれない、あるいはあるのかもしれない。その辺りはもうデータも十分、数十年の間にあると思うので、それはできれば知りたいなと思いました。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。日本の学校の先生は世界一長い時間働いているけれども、授業に割く時間は世界一短いというようなことがかつてデータとしてありましたので、学校に何でもというのは大変だなと私も実感しております。そのとおりだと思います。
続きまして、本田委員から手が挙がっておりますが、お願いします。
【本田委員】 信州大学の本田と申します。私は、多分この会議の中で一番、何というのかな、場違いなメンバーなんじゃないかと思っているんですが、私は医者でして、30年ぐらい発達障害の診療をやっています。一昔前はアスペルガー症候群という診断名がありましたけれども、私は1990年代前半からアスペルガー症候群やADHDの子どもさんの早期療育をやっていて、その人たちが大人になるまでずっと診てきています。
ここ10年は大学病院などで、ある程度大きくなってから受診される方を多く診るようになっています。今、私が大学病院で診ている方の大半は発達障害があり、かつ、不登校になりかかっている、もしくはなっている人たちです。実際、発達障害の問題と学校教育の問題というのは切っても切れないというか、発達障害の人たちの不適応になる大半の要因は学校の中にあるんじゃないかとすら思えるほど、学校で不適応になっている方は多いと思います。
もう一方で、いわゆるギフテッドと言われるようなお子さんは、たくさん診療していますとある程度診る機会があるわけですけれども、そういう方々が型にはまった教育の枠ではとても対応し切れないということを常々感じていて、やはり彼らに必要な教育の場が必要だと思うんです。ここにいる多くの方は教育関係者でいらっしゃるので、どうやって子供さんの才能を伸ばすかという側面で見ていらっしゃると思うし、私もそれは大賛成なんですが、もう一方で、医者の立場からすると、メンタルヘルスもとても重要になってくるわけですね。
例えば早修など、特定の才能が特別高い人たちを選抜して選んでいくということばかりが取り沙汰されてくると、、今の日本の風土だと、多くの人が横並びでみんな同じ教育を受けているのに、一部の人だけが取り出されて何か特別なことをやるという、そこに差別化が図られてしまって、全体としては変な雰囲気になっていくと思うんです。我々は逆のパターンもよく見ていて、例えば学力不振のお子さんや、学校の既成の授業スタイルにどうしてもなじめないお子さんがはみ出してしまって、そういう子どものメンタルヘルスの相談もたくさん受けるわけですけど、学校では通常のクラスにのるかのらないかで子供どもが選抜されるようなところがあって、通常のクラスにのらない子は邪魔者だからあっちへ行ってねみたいな、そういう雰囲気もあると感じています。
先ほど、どなたかの先生が「今の日本の学校の文化みたいなものは変えられないから」という話をされましたけど、私は通常クラス、さらには公的教育全体の中にある文化みたいなものから手をつけていかないと、この問題ってやっぱり語れないんじゃないかと思うんです。先ほど「先輩後輩という文化がある」とおっしゃったけど、先輩後輩の文化というのは、多くの発達障害の人には全くなじめなくて、そういう文化があるおかげではみ出ちゃったりするし、特別な才能があるお子さんの場合、領域によっては自分よりもちょっと能力が低いと思われる先輩にイエスマンにならなきゃいけないみたいな文化があることになります。これだと、当然学校にいられないわけです。
だから、こういった問題を論じるときには、通常のクラスの中でいかに多様な子どもさんが学べるかということを抜きにしてはやっぱり語れないと思うんです。その上で、さらに特別な才能がある子どもたちに特別な教育をどういう形で保障するかという二段構えでしっかり議論していく場にしていただければなと思います。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。大変貴重な視点だと思います。
それでは、手が挙がっている秋田委員のほうから続いてお願いいたします。
【秋田座長代理】 ありがとうございます。学習院大学の秋田です。
今、お話を伺っておりまして、松村先生や岩永先生に1つは伺ってみたいと思うのは、今日お話に出ていたことは、割と小学校高学年ぐらいから中高の議論となっているように思うんですけれども、海外において、こういう議論というのが、特に早修などに関しては非常に早期、幼児期からそういう姿が認められる子供たちもいて、しかし、教育の問題としては、海外においてもいわゆるプライベートではないところでの議論としては、小学校高学年、中高大というようなところの議論になっているのかというような発達段階的な問題と、それからもう1点は誰が、私は、市川先生が言われたように、この議論をあまり狭義のものにせず、広義に裾野を広げて考えていくということが重要だと考えています。
ただ、一方で、例えば2Eのような形で、お医者様が診断をしたりというようなこともあると思うんですけれども、こういう分野において特異な才能があるという、その才能は誰が判定というか、識別をしていくのかということが伺いたいということです。
私個人としての意見としては、やはり子供たちが困っている、生かされずに困っている子供たちを考える。一方で、教師も困っています。一方で、従来の指導法を変えたり、それから例えばクロスカリキュラムなどで特定の探究学習をやると、教師の声として、あの子はこの活動で救われたんですとよく聞く言葉で、特定の教科の従来のものではなくて、そこのある部分で、ある活動だと、とてもこだわりが強く、そこで徹底して逆にクラスをリードしてくれたりすることによってそういう子が生かされていくということが、いわゆる個別取り出しだけではなくて、教科的な見直しによっても、活動の教育方法の見直し等によっても生かされていくような部分というのもあるのではないかというふうに日本の学校の中では感じたりしているので、そうした教師の問題ということも議論していく必要があるだろうと思います。
一方で、市川先生が言われましたように、これを全て公教育の中で担っていくのは極めて難しいので、民間やほかの関係諸機関とどうそれをつないでいくのか。海外の場合には逆に、民間は民間でプライベートでということではなく、公的資金をそういうところに援助として回していくような、そういうようなルートというものがどのようにつくられているんだろう。さっき少し奨学金的な話がありましたけれど、そういうようなところも少し、もしお分かりであれば、財政支援的なところも岩永先生、松村先生に、年齢、それから特異な才能の判別ということとともに伺ってみたいと思いました。
以上になります。
【岩永座長】 ありがとうございました。私からは、今の秋田委員の前半部分についてちょっと考えを述べさせていただきますが、確かに小学校高学年、それから中学、高校というところに焦点が当たっていて、例えば学齢期の前の幼稚園とか、それ以前の子供というようなところに注目しなかったのは、そういう話がなかったのはなぜかということなんですが、私も幼いときから才能を明らかにして、そういう子供を早期に小学校に入れてとか、それから小学校の1年生を飛ばして2年生からとかいう話をアメリカなんかでは時々聞いたので、そういう方向で考えていくのかなというふうに思ったんですけれども、実は、その調査の中で1つ聞いた話でそうかなと思ったのは、幼い子というのは、自分の能力の違いとか、それから何か基準があって、こういうカリキュラムに対して、そこはマスターしているとか、マスターしていないとか、そういうことでは全然自己認識が全くなくて、友達が好きか嫌いかとか、友達と遊んでいるのが心地よいか、心地よくないかという基準で物を考えるんですね。要するにピアからまだ離れていない段階の子供たちというのは、もしその子が特によくできるから、特によく理解力があるからといって上の年齢のピアに連れてきてしまうということは、その子にとって劇的なマイナスになるということもあるんですね。そういうことでピアとともにある子供たちは、やはりピアとともに置けという、そういうような発想があるようで、幼い子供たちに対して、特定の才能のある子供を無理やり飛び級させるとか、早期入学をさせるということについては、ネガティブな見解であるという印象を受けました。日本でも多分、それは難しいのではないかなというふうに思います。
後半部分について、松村先生どうでしょう。
【松村委員】 今の年齢のことをちょっと補いますと、アメリカですと、結局、才能教育は小学校低学年からスタートするわけですが、小学校に入ったすぐから、例えば読み書き、それから計算などについて普通よりも進んでいる子、遅れている子、それを一緒に見つけていこう、つまり発達障害の可能性のある子と、才能のある子も一緒に見つけていく、「MTSS」といいますが、そういうシステムがあります。
日本で小学校に入ったときから文字が速く読める子、計算がすごくできる子を見つけて、その子に何か特別なことをしましょうみたいな、もしそういうプログラムをスタートしたとすると、それに参加するために幼児期から教育産業が動き出す。これはちょっとまずいので、その辺のところはあまり急いで動かないほうがいいかなと思います。
才能は、まず、教室で先生が見つけないといけないんですが、個別最適な学びと言っても、結局、個別の学びを与えるために、その子がどういう特性を持っているのか、一人一人の特性を先生が見つけるなんて、今の状態では手いっぱいで難しいので、何かプログラムとしては、やはり学校外の特定の意図を持ったプログラムで、このプログラムではこういう方法で、こういう基準で才能を識別しますということをはっきり言うことが必要かと思います。
教室内では、担任の先生はそこまでは行けなくても、困っている子は見つけてほしいので、読み書きにつまずいているけれども、それを暗記で補ってごまかして読めるふりをしている子供を見つける。そういう発達障害の子を見つけるのも1つですし、それから、あまり教科の授業では見せないけれども、この子はマニアックな才能を示すようなことがある。そういうことに気づかなくても、一方で、その子は何かに退屈しているとすると、それはやる気がないんじゃなくて、その領域はつまらない、あるいは分かり切っているということがあるので、じゃあ他に何に才能を示すのかという、そこのところまでは担任の先生は把握してほしいなというふうに思います。識別手段については学校側にお任せする。それと学校外が連携する。そういうシステムができていったらいいんじゃないかと思います。
【岩永座長】 ありがとうございました。
続きまして、順序は前後しますが、今村委員がちょっと出なければいけない可能性があるので、今村委員から御意見、御質問をお願いします。
【今村委員】 大変申し訳ありません。発言させていただきます。私から2点発言をさせていただきたいんですけれども、先生方が重ねて何度もおっしゃっていたとおり、今回この委員会が目指すのは、どんな子供たちにとっても、その子の能力に応じた教育を受けることができる権利があるという大前提を実現していくことだと、社会的にきちんと発信しながら審議を進めていく必要があるなと思っています。それをすることによって、より才能のある子供の支援というところが分かりづらくなってしまうのは避けたいんですけれども、日本社会ってすごく嫉妬に満ちていて、いろいろなものが、何か才能のある人とか、何か立場がある人とかに対してすごく厳しい目を向けやすいという世論形成の特性があることで、何かと文科省さんが取り組まれている最近のいろいろなものを世論に潰されるということが重なってきたように感じています。例えば、私は、もちろん貧困対策はしつつですが、大学入試改革はちゃんとやり切るべきだと思っていました。本来の目的を見失わないようにしなきゃいけないとは思っているんですけれども、社会的に賛同されるようなテーマの見え方というところを意識しながら、この審議会を行うべきだし、本来目指すべき姿は、やっぱり義務教育は無償で全ての子供たちが能力に応じた教育を受けることができるということを実現するんだと、実態を含めて、この審議会の目的を語り続けることが必要だと思っています、というのが1点目です。
ちょっと早口なんですけれども、2つ目です。今、私自身はNPOカタリバという団体を運営していまして、20年、子供たちの教育支援を行ってきました。今、全国の貧困世帯や様々な就学援助を受けているような家庭の子供たち600人ぐらいの支援活動を行っていますが、、その中には不登校の子供たちが5割ぐらい含まれている状態で、オンラインで行っているケースとリアルで行っているケースがあるんですけれども、その方々に対する支援リソースが、これまた、全国各地または世界の方々に協力をしてもらいながら支援活動を行っています。
これが一部の自治体では個人情報の問題、個人情報の取扱いというところを誰が支援するか、誰が指導するかというのが自治体任せになっていて、現状の不登校の支援でも、結局、教育支援センターが不登校の支援をすることになっている。適応指導教室や教育支援センターも自治体任せになっていて地方財政に委ねられているので、63%の自治体しかまだ設置していないという現状があります。リソースを獲得する能力も財源も地方任せになってしまうと、なかなか適切な支援を行うことができないということがあるので、どういう人たちが、免許の問題を含めて、この取組の中で支援リソースとなっていくのか。それは先ほど市川先生がおっしゃった民間の活用、民間の協力というところがもしかしたら必須なのかもしれなくて、学校の先生に任せるじゃないやり方を模索しなきゃいけない。不適応と不本意な名前をつけられてしまっている子供たちの状況に対して、才能を伸ばしていくんだということをどのようなリソースで実行するのかというところを、そのリソース問題というところも、財源の振り方問題というところも、この審議会で共に議論していけたらと思っています。改めまして、よろしくお願いいたします。
【岩永座長】 ありがとうございました。大変重要な論点だと思います。
続きまして、大島委員のほうからお手が挙がっておりますが。
【大島委員】 ありがとうございます。東京大学の大島と言います。私は機械工学を専攻にして医工連携のバイオメカニクスが研究の分野なんですけれども、今、STEAM教育の推進に取り組んでいます。その観点で、現在、東京大学でジュニアドクター育成塾、あとグローバルサイエンスキャンパス、この2つを担当しております。その観点から、また大学の観点から、この委員会での議論について幾つかコメントをさせていただけたらなというふうに思っています。
今日の先生方の御説明の中で、私、非常に印象に残ったのは、日本における才能教育って、大谷君の話が岩永先生から出ていましたけれども、オールラウンダーの才能教育が結構主だったと思うんですね。なんですけれども、そこから脱却していくということが非常に大事なんだということは私も常々感じております。今、グローバルサイエンスキャンパスなどを通して思っているのは、やはり大谷君のようなオールラウンダーの優秀な子もいるんですね。でも一方で、非常にマニアックに追求していこうという子もいます。そういうオールラウンダーの方、そしてマニアックに突出した子を見ていると、やはり才能を発揮できる機会であったり、場というのをどうやってつくってあげていくかというのが非常に大事なんじゃないかなと思っています。
その点でいうと、ちょっと2つあるのかな。もちろん2つだけじゃないんですけれども、この委員会を通して議論していく際には、できたら2つほど取り上げていただけるとありがたいかなと思っています。1つは、こういうふうな才能を発揮できる場や機会を、どうしても日本の現行の学校教育の中で対応していかないといけないということになると思うんですね。そうなると、1点目は、カリキュラムとして教育プログラムをどうしていくかということと、あと、どちらかというと、この2点目はすごい大事かと思うんですけれども、学習のプログラム以外として、こういう方たちというのは、精神的であったりとかメンタルであったりとか、そういう日常生活、いわゆる学校の教育外でのサポートをどうしてあげるかというのが結構大きいように思っています。
まず、1点目の教育プログラムなんですけれども、最近、初等中等教育では、先ほどお話が出ていたようなSSHであったりとか、これから「理数探究基礎」であったりとか、「理数探究」、そして総合的な探究の学習ということで、かなり横断的ないわゆるSTEAMも含めた教育の形というのが結構出てくると思うんですね。なので、そういうところでこういう方って比較的自分たちのいろいろな思いであったりとか、発揮できるんじゃないかなというふうに思っています。
でも、その一方で、私、大学にいるので、大学をもうちょっと開放してあげてもいいんじゃないかなというふうに思っています。私、MITに留学していたんですけれども、そのときに大学院で同じクラスに18歳、高校を卒業して、非常に優秀だったので、いきなり大学院に入ってきた学生がいたんですね。そのときに、非常にやっぱり優秀なんですね。これは2番目とも関わるんですけれども、私が留学していたのはかなり昔だったので、その方が発達障害なのか、ただ単に幼い、やはり22で、アメリカの大学院は社会人もいらっしゃるので、非常にマチュアな集団の中で18歳の子がいると、その子が幼いからなのか、それとも発達障害なのか、その見極めは多分私たち素人も分からないんですね。
なので、そういう中で、2番目に行っちゃったんですけど。大学をもう少し開放したほうがいいと言っているのは、その中で、MITも含めてなんですけど、サマープログラムに相当の高校生が来るんですね。なので、岩永先生のお話もありましたように、高校生が大学の単位を取るというのは、結構サマープログラムで取っていたりとか、あと最近はMOOCですね。オンライン教育が発達しているので、そういうところをうまく提携することによって、才能のある高校生であったりとか、生徒さんにエクセルカリキュラムとしていろいろな機会を教育プログラムとしては提供できるかなというふうに思っています。
2点目のメンタルな意味です。これは先ほど申し上げた学生のように、やはり素人ではその人が発達障害なのか、ただ幼いのかとか、そういうのがなかなか判断つかないんですね。なので、そういう中で、そういう人たちの居場所であったりというのを教育プログラム外でサポートしてあげるというのは本当に大事なんじゃないかなと思っているんですね。そうすると、例えば私たちがやっているグローバルサイエンスキャンパスであったりとか、あと学校の現場でも、今、発達障害の方に対する対応って非常に大変だと思うんです。これは集団としてはできないんですね。どうしても個々の対応になってしまうので、そういう中で、実際、こういう発達障害は初等中等教育だけではなくて、今大学でも問題になっています。なので、才能であることも含めて、こういう発達障害をどういうふうに対応していくかということを初等中等教育、大学も含めてどうやっていくかということと、あと、多分いろいろな、先ほど市川先生も、いろいろな先生もおっしゃっていましたけれども、分析していただいたりとか、あとそういうような例であったりとか、データなどをぜひいろいろと公開していただきたいなというふうに思っています。
あと、こういう方というのは経年でずっと追跡していくということが大事だと思いますので、そういうことをぜひ、教育プログラムという面だけではなくて、特に今の個別最適化、学習プログラムの話は出てきているんですけれども、メンタルであったりとか、そういうようなことは多分入っていないんですね。なので、経年を含めた時系列の追跡のデータというのもぜひ取っていただけたらというふうに思っております。
私からは以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。先ほどもありましたけれども、そういう教育が日本に全くなかったわけではなくて、かつてあったんだけれども、あるいは今、中高一貫校でやっているんだけれども、追跡するとどういうことになっているのか。本当に幸せになっているのかとか、そういうことは興味はありますね。ただ、ちゃんとしたオーソライズされた形でそういうデータがあるかどうか。割と週刊誌などが興味本位にやっているところがありますけれども、どうもジャーナリスティックな取り上げられ方しか今まではしていなかったんじゃないか。その辺のところがちょっと研究する者としては内心じくじたるものがあるんですけれども、本当はきちんとやっていかなければいけなかった。
そもそも私が関心持ったのも30年ぐらい前ですから、その頃からやっていれば、随分いろいろな知見が蓄積されたのではないかなと思っております。反省も含めて、大変大事な視点を幾つも出していただきました。ありがとうございました。
続きまして、中島委員から手が挙がっておりますが、お願いします。
【中島委員】 皆様、こんにちは。よろしくお願いします。中島です。
うまくまとめられるかなんですけれども、3つほど取り組みたい問題としては多様性の問題があると思っているのと、あと困っている人の支援の問題、それから格差の問題です。今、例えば追跡の話も出ているんですけど、分母があまりに少ないというか、日本って多様性が本当に少ないので、すごく目立っちゃうんですね、ギフテッドであるとか、今までやってきた方々も。目立ち過ぎるとやっぱりストレスが物すごく過剰にかかると。
米国が全ていいとは思わないんですけれども、例えば米国だとギフテッドというパブリックスクールの中で300万人以上が、5~6%というのは比較的、日本に比べると圧倒的に多いので、ギフテッドと言っても、すごい本当に選ばれし人というよりは、何か比較的ここが優れているかも、私はここがいいのかもしれないみたいな感じでチャンスは結構広がっている印象があります。なので、そういう意味で、松村先生に出していただいた狭義と広義の間ぐらいの、一応選ぶんだけれど、非常に開かれているというか、かなり母数が多い形でギフテッドとか、ギフテッドという言葉がどうなのかというのは先ほどありましたけど、何か自尊感情を持たせるんだとしたら、かなり分母を広げて考えるべきじゃないかなというふうに思っています。それが先ほど、日本の文化の問題というのはいろいろな先生から出されていますけれど、そこの是正というか、ことにもつながるのかな。
私もちょっと前までアメリカにいて、娘がアメリカの学校にいたんですけれど、異学年、いろいろな年齢の人たちが確かに中に入っているんですけど、日本でも今ちょっとそういう取組が少し出てきていて、先ほど藤田先生からもありましたけど、意外に慣れてしまえば、年齢が多様であったり、国籍も多様であったりという中でも十分ピアというか、友達とか仲間意識も取れるし、周りにそういう人が多くなってくると、この科目だけは上の人がいたり下の人がいるとかというのも慣れの問題もあるような気がしているので、それがすごく特殊な環境で行われてしまうと負担が激しくて、もしかしたらその人たち、個人の問題としては人生が不幸になる可能性も高いと思うんですけど、そういう人たちを守るためにも、思い切ってやるならたくさんの人たちに対してやったほうがいいかなということを思いました。
あとは先ほど大島先生からもありましたけど、エンリッチメント(拡充)の方向は幾らでもやりようがあるなと思っています。なので、そこは大学と連携したりとか、いろいろできるといいのかなと思っています。そういう意味で、とにかくみんながわくわくできるというか、みんなが持っている多様性をとにかく開く。それがある種の才能というふうに言い換えたら、それはある種自尊感情につながるなら、みんなに対して、あなたの才能はどこの才能だろうというチャンスを渡すという意味ではうまく使っていければいいのかな。何か特定のすごい人、すごくない人みたいな分け方ではないというのがいいのかなと思いました。ということで、才能が発揮できる機会を増やす。コンテストなんかもうちょっと、私はコンテストとかは時代遅れな気もしているんですけど、私自身、実は数学オリンピック、ただ、数学オリンピックがあって、すごく救われたのは救われて、私もなかったら、多分すごく鬱屈していた可能性もあるので、ああいう場があったことはすごくありがたかったなと思っています。
あとは月1回とかで、受験とかと関係ないようなもので、何か自分たちが才能を発揮できるかもというか、いろいろな考え方があるということに出会える、それが受けるだけじゃなくて、自分が投稿できる。私の場合は、1か月に1回の宿題みたいなものがあったんですけれど、そういう投稿できる場があると、いろいろな人の考え方にそこを通じて出会えるし、同じぐらいの年代で面白い考え方を持っている人にも出会えたりしておもしろかったなと。それも何とか甲子園とかが今はまだ少ないんですけど、逆に乱立させるのも私はありじゃないかと思っていて、いろいろなところでいろいろなコンテストがあると、自分が好きなものに対して投稿できる。必ずしも、そうなってくると、絶対本当に1位、2位、3位がすごいのかみたいなのも、分からないんですけど、むしろ選ばれた3人とかの考え方を知ることで面白いなと、何か世界が広がるみたいなことがあるんじゃないかな。なので、文科省さんとしてどういうことをやるのがいいか分からないんですけど、ちょっと思い切った、なるべく大多数の人に対して面白いことを提供するというような仕組みみたいなものができてきて、そこに支援ができるといいかな。あと探究的なものの評価がもっとあるといいかなと思います。すいません、長くなりました。
もう1個だけ。格差の問題、必ず、先ほどから出ていますけれども、こういうのをやると、アメリカとか中国でもそうですけど、ヒートアップして、どうしてもやっぱり格差的なものも出ると。だからこそ、ジェンダーもそうだし、経済的なものもそうだし、選ばれる人たちに多様性があることを前提としてやってしまう。それが逆不平等だと言われようが、必ずそこのバランスを取るというようなことを明確にやっている気がしていて、そこはもし何か対応するなら、なるべく多様な状態で選ぶというふうに社会実験としてもやるほうがいいかなと思っています。プラスやっぱり支援ですよね。経済的な支援というのは本当に大事だと思っているので、要らないと言われたら却下すればいいと思うんですけれども、特に個別対応が必要な生徒さんとかはどうしても大変なことも多いと思うので、そういうところに経済的な支援というものもいろいろ考えていただけるといいなと思っています。すみません、長くなりましたが、よろしくお願いします。
【岩永座長】 ありがとうございました。実はお約束の時間は過ぎているんですが、私どもの発表、私どもではないですね。松村先生はきちんと守っていただいたんですけれども、私の話が長かったせいで10分押しておりまして、大変申し訳ないんですけれども、最後の終わりの時間を10分だけ繰り延べさせていただいて、40分終了ということにさせていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。よろしくお願いいたします。
もうお一方、お手が挙がっておりますので、福本委員のほうからお願いします。
【福本委員】 福本理恵と申します。株式会社SPACEの代表をしております。
私がここに呼んでいただいたのは、恐らく前職の東大先端研で実施しておりました異才発掘プロジェクトROCKET、特異な才能の子供たちということを題して集まってきた子供たちの事例を御紹介できるからかなというふうに思っておりまして、1つ松村先生からも御紹介があったように広義と狭義を分けるということでいうと、ROCKET自体は広義も狭義もトライアルしてきた組織かなというふうに思っています。その上で、狭義でしっかりと選抜を行った中でやってきたものをどういうふうに公教育につなげていくのかという、その実装のトライアルも今しながら、どんな形だとシステムとして、仕組みとして社会の中に実装できるのかということを継続的に、私もSPACEを通してより広義の形に、より公共の形に、全ての子供たちが才能があるということを前提に捉えていきたいという思いがあって、今活動しているところです。
その前提に立って、やはり才能というのは、ROCKETをやってきても思うところで、これは私の視点で聞いていただきたいんですけれども、才能は本当にニュートラルに捉える必要があるなと思っています。多様な子供たちが集まってきて、本当に経済格差もある中、また、領域にも特異な領域にこだわりがあったり、各領域、多様な領域に興味が移っていきながら、すごく多くの領域に股をかけて深めていく、広めていくというような子供もいましたので、才能自体をどういうふうに私たちは捉えるべきなのかということの議論を前提として進めつつ、狭義のものを公共の中に入れていくという形がスムーズな段階としては必要なのかなというふうに思います。
私たちがやってきたときにすごく感じるところは、子供のニーズというのは様々でして、子供の才能というのも、先ほどのように領域を股にかけるというタイプと、1つの領域を深めていくというところと、それから領域固有性の才能という観点ではなくて、認知的な特性というものが、例えばこだわりが強いとか、感覚過敏が強いとか、より合理的配慮が必要な子供たちというところが掛け合わさって1人の子供がどういうふうにあるべき姿として社会の中にあれればいいのかというところを考えていくのが大事なのかなと思います。
その上で、子供と環境のマッチングが非常に重要なのかなと思っていまして、先ほど中島さんも機会がたくさんあったほうがいいんじゃないかというお話しされていましたけれども、そこは私も非常に同感でして、環境がたくさんあれば、子供たちがどういう場面に自分がフィットするのかということを試していける機会がたくさん増えると思うんです。そういう意味では、誰かが決めていってそこに流し込んでいくとか、当てはめていくということではなくて、こういう機会がたくさんあるものを試せるというところを国がちゃんとオーソライズしながら、それを公共のものを受けた場合とプライベートなものを受けた場合と同じようにオーソライズして、教育の機会として提供していきましょうということを掲げていくことが何よりも重要なのかなと思いました。
その上で、先ほどもどなたかの先生がおっしゃっていましたけれども、誰が判定していくのかということではなく、やはり始まりは子供のニーズ、子供がどういうふうにしたいと思っているのか、何に困っているのかということを把握した上で、ゴール設定としても何か成果が上がったということではなくて、その子供のニーズ、そして周りにあるニーズというものが解消されていったのかということが1つの大きな成果として捉えられるべきなんじゃないかなというふうに思います。
先ほど本田先生ですかね、メンタルケアの話もありましたけれども、本当に非常に繊細な、ナーバスな議題を国が取り上げていくということの大きな一歩を踏み出されたということは本当にありがたいと思っている一方で、このナーバスな議論というものをやっていく中で、当事者の方々というか、全ての人たちが当事者だと思うんですけれども、線引きをしていくたびに誰かが傷ついていくという状況が起こってくるんじゃないかなと思います。ROCKETをやっている中でも、私たちが他意がなくやってきたことが誰かを傷つけていってしまっていたというような状況もありますので、そこはしっかりと合意形成しながら、説明責任を果たしつつ、子供たちが幸せになっていくというところをしっかりと握った上で議論を進め、言葉を選んでいく必要があるのかなと思いました。
繰り返しになりますけれども、私からお伝えできることとしては環境とのマッチング、その環境というものが先ほどのいろいろなカテゴリーの中があると思うんですけれども、そこを整理しつつ、今あるもの、オルタナスクールというものが既に社会の中に多様にあると思うんですけれども、そういったものを位置づけながら新しく生み出していく公共のシステム、プラスもう既にあるプライベートをちゃんと認めながら子供たちに提供していくという、その両方でつくっていけるといいんじゃないかなと思っています。非常に難しい問題だと思うんですけれども、ROCKETでやってきた実践をきちんと皆様に共有させていただきながら、私たちが試行錯誤してきたこと自体を有効に活用しながら、必要なことを届けられるような形で御協力できたらと思っています。一緒に学ばせていただけたらと思いますので、よろしくお願いいたします。
【岩永座長】 ありがとうございました。今、先生方からたくさん御意見を頂きましたけれども、全てこれからこの会議をどう進めるかということに直接関わってくる話で、非常に今回は重いテーマだなということを改めて実感いたしました。その意味で、何人かの先生方からお話がありました、「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方に関する」というタイトルは非常に限定的だというか、何か1つのことにこだわり過ぎるという、自由な議論がちょっと阻害されるのではないかということを私もちょっと感じておりまして、これはもう改めて直すことはできないんですけれども、ただ、気持ちとしてはもっと自由に、学校におけるとか、それから特定分野に得意な才能とか、その辺のところは非常に広い意味で自由に議論できるだけの広さを持ったものとして拡大解釈させていただいて議論を進めていきたいと思います。
ですから、これから先の議論の中では、それは学校のことではないでしょうとか、それは特定分野の特異な才能ではないでしょうというような制約は一切なしで、そもそも論、なぜ子供たちに対して才能教育という機会を提供するのか、すべきなのか、しなければいけないのか、どのようにするのかということを自由に議論していくというスタンスでいきたいと思うんですが、一番基本的なところは、皆さん共通だと思うんですが、個別最適な学びということと、もう一つはウエルビーイングということだと思うんです。子供たちのウエルビーイングを考えずには先へ進めない。国家のウエルビーイングとか、我々研究者のウエルビーイングを考えてもしようがないので、そういう2つの絶対にキープしなければいけない目標ということを前提にして、その上で自由な議論をしていきたいと考えておりますので、今日、先生方の御意見を伺って、その思いを非常に強くいたしました。よろしくお願いしたいと思います。
時間も参りましたので、議事は以上とさせていただきますが、次回は、本日の才能教育に関わる議論に関係して、今般の中教審の答申「令和の日本型学校教育」の構築を目指して、ここも学校教育になってしまいますけれども、でうたわれた個別最適な学びや協働的な学びの一体的な充実等について、答申の議論に関わってこられた先生方からのヒアリングをお願いしたいと、御協力をお願いしたいと思います。
最後に、次回の予定について事務局から御報告がありますので、よろしくお願いします。
【川口学校教育官】 次回、第2回につきましては、8月26日14時から16時で行うことを予定しております。
【岩永座長】 ありがとうございました。次回は恐らくこういうリモートで参加される方も相変わらず多いと思いますが、もう少しリモート環境がよくなっているものと思いますので、その点は御期待いただきたいと思います。
それでは、本日、私の不手際でちょっと長引いてしまいましたが、予定した議事は全て終了しましたので、これで第1回を閉会といたしたいと思います。先生方、ありがとうございました。

── 了 ──