特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第11回)議事録

1.日時

令和4年6月8日(木曜日)10時00分~12時00分

2.場所

WEB会議方式

3.議題

  1. 特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援の在り方等について

4.議事録

【岩永座長】 おはようございます。定刻になりましたので、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援の在り方について、有識者会議の第11回を開催したいと思います。
本日は大変御多忙の中、会議に参加していただきまして、どうもありがとうございます。
本会議につきましては、いつものことですけれども、報道関係者より録音・録画の申出があります。これを許可しておりますので、その旨、御承知おきいただきたいと思います。
まず、本日の議事に入る前に、本日の会議資料の説明を事務局からお願いしたいと思います。川口さん、お願いします。
【川口学校教育官】 本日の会議資料について御説明します。
本日は、資料1から資料4までございます。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは、早速議事に入りたいと思います。
前回の10回の会議で、「審議のまとめ」の骨子(たたき台)と、私のほうから取り組むべき施策のイメージとして、「座長試案」というのをポンチ絵とともにお示ししました。
本日は、前回の会議資料から少し肉づけした形で、事務局と相談の上、資料を整えましたので、これらについて御議論を行っていただきたいと思います。
会議の前半は資料の1、それから資料の2について、会議の後半は資料3及び4を取り上げたいと思います。
本日は今まであまり議論ができていなかった、十分にできていなかった資料の3と4の議論に時間を取りたいと思っているので、御協力をよろしくお願いいたします。
それでは、まず前半部分の資料1、2について、事務局から説明をお願いします。石田室長、お願いします。
【石田教育課程企画室長】 失礼いたします。資料1、2につきまして事務局から御説明を申し上げます。
まず、資料1を御覧いただければと思います。資料1では、審議のまとめの構成案ということでお示しをしてございます。
「はじめに」から、3の今後の取組の基本的な考え方についてというところ、ちょっとスクロールいただければと思いますが、ここまでは昨年12月におまとめいただきました論点整理を基にしながら、その後の議論を踏まえまして、更新すべき内容を修正することとしてございます。
具体的にはこの後、御説明します資料2というところで論点整理からの変更点を修正履歴つきで提示してございます。こちらにつきまして、前半に御議論を頂戴したいと考えてございます。
資料の一番下でございます。以降についてはさらに検討として資料3と書いてございます。こちらの資料は後半に御議論を頂戴したいと考えてございます。
前回の会議で座長試案としてお示しいただきました今後取り組むべき施策について、会議の場でいただいた御意見、それまでの御意見も含めて座長と相談の上、整理したものでございます。
資料4は資料3の内容を基に、前回の座長試案をアップデートしたものでございます。こちらにつきましては、後半の議論の前にもう一度御説明申し上げます。
それでは、早速でございますけれども、資料2に入ってまいりたいと思います。資料2の初めのページでございます。「審議のまとめ」の第3章までの素案としてございます。昨年12月の論点整理から、変更している点を赤字見え消しで示しております。
初めのページのちょっと下のほうにいっていただくと、「以下は」と書いてございますけれども、昨年12月の論点整理に書いた検討の経過の箇所について、年明け以降の御議論の状況を踏まえて随時時点更新することとしたいと考えてございます。
続きまして、2ページ目、お願いできますでしょうか。赤字のところでございます。2Eと言われる児童生徒は通常の学級、特別支援学級に在籍していることも、通級による指導を受けているケースもあることを追記してございます。
少し飛びまして、12ページ目でございます。一番上の行に3ということでタイトルが出ているところでございます。論点整理では「検討の方向性」としてございましたけれども、「今後の取組の基本的な考え方」としてこれまでの御議論を踏まえつつ、(1)の構成というのを少し見直してございます。
3つ目の丸でございます。3つ目の丸では有識者会議としての基本的なスタンスを示してございます。具体的には2行目、「多様な一人一人の児童生徒に応じた教育の在り方をいかに実現していくのかという議論の一環として、特異な才能のある児童生徒への支援策を考えていくことを基本的なスタンスとして取組を進めていく」と。
その上で4つ目の丸でございます。このうち、特異な才能のある児童生徒に焦点化して必要な取組を制限する際の考え方を整理してございます。
具体的には4行目の最後辺りからでございますけれども、「本有識者会議では、全ての児童生徒の学びの在り方を考えるという考え方に立ちつつも、特に特異な才能のある児童生徒にそれぞれが有する困難を解消し才能を伸長する上で、それぞれに応じた多様な学びの機会を提供することが重要であるという観点から必要な取組について提言する」という形としてございます。
次の5つ目の丸では、それぞれの子供たちに応じた多様な学びを提供する上で、特異な才能のある児童生徒の特性等を把握することの重要性と、特異な才能を一定の基準により定義することはしないこととの関係を整理してお示しをしてございます。
論点整理では、特異な才能を一定の基準によって定義しないことは、もともと3つ目の丸に記述されていましたが、ここの5つ目の丸にまとめて記述することにより、分かりやすくするものでございます。
すなわちその前のページ、「子供たちに発言する特異な才能を示す行動・特性を広く把握した上で、それぞれ主体が、それぞれの子供に応じた多様な学びの機会を提供することが重要である」こと。一方で、「何らかの特定の基準のみにより選抜された子供たちに対して特定のプログラム等を提供することは、ラベリング、選抜のための過度な競争、入学者選抜への活用などの狭い範囲のみで才能が捉えられるなどの弊害を認識する必要がある」こと。これを踏まえて、「そこで、何らかの特定の基準や数値によって才能を定義し、定義に当てはまる児童生徒のみを『特異な才能のある児童生徒』と取り扱うことは、本有識者会議においては行わない」と、この論点整理の文言をそのまま転記する形を取ってございます。
同じページの(2)でございます。下のほうです。基本的な考え方の柱の一つとして、困難に着目し解消を図ることを通じて個性や才能を伸ばすということを位置づけてございます。
有識者会議でいただいたアンケートでは、特異な才能のある児童生徒の中には、その才能や特性ゆえに、学習上、生活上の困難が生じていることが示され、この会議の場でも、この困難に着目して、それへの対応を特に重視していく旨の御議論があったことから、この(2)ということで、位置づけを一層明確にすることとしてはどうかというものでございます。
他方、前回、中島委員から御意見を頂戴しましたように、少しポジティブなメッセージもその中に盛り込んでいくということも含めて文案を示してございます。1つ目と2つ目の丸では、一人一人の才能を伸長することの意義について述べてございます。具体的には、「児童生徒本人がその個性を確立し、自らの生き方や働き方を見いだし、それぞれの自立へと向かっていく上で重要であること」。「このことは、持続可能な社会の発展の担い手を育成する観点や、一人一人の才能や個性が尊重され、多様性を重視する社会を形成する観点からも、大変意義がある」ということの2点をお示ししてございます。
他方、3つ目の丸というところでございますが、こうした中で、「特異な才能のある児童生徒の中には、その才能や特性がある故に、通っている学校の状況によっては学習や学校生活において著しい困難を抱えている」、さらには不登校になっているとの現状があること。「このように、困難を感じるがゆえに特異な才能に応じた学習の機会が十分に得られていない状況については改善していく必要があり、その困難さを解消していくことを第一に考える必要がある」とお示しをしてございます。
4つ目の丸でございます。「このため、本有識者会議においては、特異な才能のある児童生徒の困難に着目し、その解消につながっていくための取組を提言することとしたが、もちろんこうした取組は、結果として当該児童生徒の特異な才能そのものを伸ばすことにも繋がっていく」。こういう形でお示しをしてございます。こうした整理について御意見いただければと考えてございます。
14ページでございます。次、検討の留意点について、取組を進める上での考え方について、改めて記載事項を整理してございます。特に大きな変更点はこのページの下のところでございます。2です。
学校外の学びの場などの部分につきまして、困難への着目に係る記述は、先ほども御説明した(2)に移行しているというところでございます。
加えてその2ページ先、3というところ、デジタル社会の進展を踏まえることと、ここの記述につきましては、一番最初の行にありますように、5GでありますとかIoT、DXなど、その内容をアップデートしておるというところでございます。
特に3つ目の丸でございます。ICTの活用が特異な才能のある児童生徒の指導支援に際しても、知的好奇心を高める発展的な学習がこれまで以上に可能になる。あるいはオンラインによる多様な学びへのアクセスにより、この会議でも何回か御指摘を頂戴しております、「リソースの地域的な偏在に一定程度対応できることも期待される」と、この旨をお示ししているところでございます。
資料2の説明は以上でございます。御議論よろしくお願い申し上げます。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは、今、事務局から説明のあった資料の1と2について、議論を進めていきたいと思います。
特に今回、論点整理から大きく修正のあった主に資料2で赤字になっていたような部分ですね。第3章の今後の取組の基本的な考え方の箇所について、今年に入ってからの議論も踏まえつつ、内容の過不足や表現の仕方など、あるいはもうちょっと根本的な点でも結構ですが、御意見をいただきたいと思います。
いつものように御意見のある方は手を挙げるボタンを押していただいて、発言をお願いします。なお、御意見に当たっては資料のどの部分についての意見なのかを特定した上で、お話しいただくと大変ありがたいと思います。よろしくお願いいたします。いかがでしょうか。秋田先生、お願いします。
【秋田座長代理】 ありがとうございます。2点、大変細かな点なんですけれども、今回見出しとして、「困難を解消することを通じて、才能を伸長する」ということが書かれています。その困難を解消するということと、子供の個性を伸長するというのは、解消を通じてだけではないような気がしていまして、「困難を解消するとともに」とか、何か困難を全て解消しなければ個性を伸長できないというニュアンスではなく、困難を解消するのはもちろんなんですけれども、それ以上に個性を伸長することが重要だという書きぶりにと思います。「通じて」という表現がやや気になりましたので、そこのところを一点は伝えさせていただきたいと思うところです。
それから、2点目のICTの活用なんですけれども、ICTの活用、特性とか強みということが言われるんですけれども、ICTを使えば全ていいという話ではないので、やはりICTが子供たちの特性の理解とか、それに合った形での活用によってとか、ICTというものはどういう授業観やどういう指導観を持つかで使い方が非常に違ってくるというのが最近の私が目にするところでありますので、その辺、単純にICTを活用すればよいというよりは、もう少し子供たちを理解してその特性に応じた活用をするというような慎重な表現ができないのかなというところを思いました。
以上、細かな点ですが、2点です。
【岩永座長】 ありがとうございました。今のところ、この資料の2で言うと、まず最初のお話は3の(2)になりますかね。困難に着目し解消を図ることを通じて個性や才能を伸ばすと。何か困難を克服することが条件になっているという書きぶりはいかがなものかということで、解消を図るとともにとか、そういう感じのほうが現実にも近いし、進めていく方向性にも合っているのではないかということと、もう一つは、ICT、デジタル社会の、確かにこの辺の書きぶりはちょっと一般的に今の段階ではこんなのがあるから、利用したらどうでしょうみたいな感じで書いてありますけれども、もうちょっとスペシフィックな書きぶりがいいかもしれません。
私が感じたのは、ICTそのものの才能というのが新たに出てきたと思うんです。今まで考えもよらなかったような才能というのが、実はこういう道具立てがメディアが登場したことで、そうした才能、今まではいわゆる「おたく」ということで、一くくりにされていたような人たちの中に、とんでもない才能が隠れていたということもあるように聞いておりますので、そういったような意味で、ただ道具としてICTを使うというよりもこういう分野での才能という点にも、ひょっとしたらもっと積極的に関わっていったほうがいいのかなということを、今の秋田先生の御指摘で感じました。
ありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。松村先生、どうぞお願いします。
【松村委員】 すいません、ちょっと10分ほどまとめてお話ししたいので、根津先生が10時半に退出されるということなので、根津先生に続いてお話しさせてください。
【岩永座長】 根津先生、もしなければ松村先生に回しますが。
【根津委員】 取りまとめとしては、大変十分な筋ではないかなと思います。今、秋田先生から御指摘あったところの少し上のところなのですが、「令和3年答申にもあるように」という、「個別最適な学び」云々のところはもう少し詳しく書いていただいてもいいのかなということと、この有識者会議自体が「困難」というところをそもそも名称でうたっておりませんので、そことの関係については確かにそうだなと感じた次第です。差し当たり、以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。今の資料2の13ページのところですね。先ほどの秋田先生の御指摘のところの前後、この辺のところの御指摘だったと思います。ありがとうございました。それでは松村先生、ほかになければお願いします。
【松村委員】 ちょっと大事な話を含みますので、スライドを用意しましたので、画面共有します。パネル、この後5枚あります。後で提出資料として公開していただけたらと思います。
それで、話は10分以上かかるかもしれません。1枚目、これはそもそも論で大事な問題になるんですけれども、この有識者会議でずっと使っていました「特定分野に特異な才能のある児童生徒」という表記です。これは中教審答申から来ているんですけれども、もともとの意味するところが不明確だったんです。「特定分野に特異な」というのが、もし「領域固有の」という意味ならば、そもそも才能というのは領域固有のものとして才能教育で扱ってきたので、「特定分野に」というのは要らない。これは資料2の4ページにあるように、米国においては、1950年代より才能教育が本格的に推進され、科学・数学・外国語等の各領域において教育が行われてきたというところで、既に古くから才能というのは領域固有のものとして育てられてきたわけですね。中教審答申では、この有識者会議の初めの設置要綱のところでも、アメリカでは昔は領域非依存的な才能教育だったのが、近年では領域依存的な才能を伸長する教育に変わってきたというように答えていますが、その流れの捉え方はちょっと不正確というか、もともと才能教育の中では、それぞれの才能は数学とか特に科学とか、そういう見地からは領域固有に伸ばそうとして、特にアメリカなんかはやってきたわけです。
それで、その「特定分野に特異な」ということで続いていたんですが、有識者会議では、次第に「特異な才能のある児童生徒」と、言わば略記するようになりました。この特異な才能のある児童生徒、これで一固まりになっていて、ほかの委員会でも、特異な才能のある児童生徒という使われ方をしていますが、そこでの暗黙の素朴概念としては「突出した才能」というのが想定されています。
CSTIなんかでは、最終的にもIQ130以上なんかをイメージしている。世間一般では、今でも報道なんかでは、これを突出した才能と読み替えられることが多いです。というのは、特異な才能では、報道した場合、視聴者に何のことか分からないわけですね、意味が不明である。というならば突出したというのに置き換えてしまえということになります。報道の立場も理解できるんですけれども、それが違った意味に変わってしまう。
有識者会議のアンケートの結果でも、回答者は突出した才能ばかりではありませんでした。これは第4回の会議で、私がその結果を分析してきたところでは、例えば数学年上の内容を学習しているとか、そういうふうに記述されたものを突出した才能とすれば、全体の半数ぐらいはそういう記述があるけれども、半数は必ずしもそうではないということがありました。
資料2の7ページでもそのアンケートのことを書いていて、「特異な才能のある児童生徒」に対象者を絞ってアンケートを行ったわけですが、そこでは、特に困難を併せ持つ子供というのは必ずしも突出した才能のある子ばかりではない。それは突出した才能を持っていないということではなくて、特に障害を伴う場合には、才能のほうが、潜在的に優れた才能が突出するのが抑えられるということがあるわけですね。また、家庭の経済的事情によって、端的には塾や習い事に行けるかどうかということで、潜在的な才能が開花するかどうかというのは違ってきます。
だから突出した才能ばかりが特異な才能ではないのに、特異な才能と言ったがゆえに突出した才能と理解され、文科省はわけの分からないことを言っているなという意識が一般にはあります。
特に困っている才能のある子を持つ保護者なんかは、うちの子は突出した才能はないんだけれども困っている。突出しないと何か対応してくれないのかということになると、突出すればいいのかということになります。3学年先の数学をやっていれば、何か助けてくれるのかなと。そうするとそれに向けて何か訓練しようかなということになってきます。またそこで大変な問題が生じますので、突出したと誤解されるような、「特異な」というのはむしろないほうがいいかなと思います。
私のサイト、「2E教育フォーラム」というところで、毎回有識者会議の概要と私の個人的なコメントをつけて、ずっと掲載していますけれども、そこの注記です。これは前回の会議からこういうふうに変えたんですけれども、私は「才能のある子」と呼んでいます。「才能のある子の指導・支援に関する有識者会議」ですね。この才能のある子というのは突出した才能、あるいは困難を伴う才能児に限定されない。アメリカのもともとの広義の「gifted」に相当するものです。
そこで提案ですが、特異な才能のある児童生徒という言い方をやめて、「才能のある児童生徒」と言えばどうかというのが私の提案です。特化の必要がある文脈でのみ「突出した才能のある児童生徒」と言えばいいわけです。これは今日配られた文書などで随所に特異な才能のある児童生徒と書かれていますけれども、この全ての箇所を才能のある児童生徒と読み替えると、読みやすくなってむしろ意味がより明確になるということが分かります。一般にもより受け入れられやすい形になるかと思います。
もしもともと「特定領域に特異な才能のある児童生徒」という名称で始まったんだから、ずっとそれでいかないといけないというのならば、中途半端な略称はするべきではなくて、ずっと全ての箇所で特定領域に特異な才能のある児童生徒はどうのこうのとしないといけない、そういうことになります。
その特異な才能のある児童生徒というのは、言わば新しい言葉、造語、新語ですけれども、それはその明確な概念があって、それを使う意義があるときにのみ使うべきなので、中途半端の意味の曖昧な言葉は使い続けるべきではない。逆にそれを使い続けるというならばそれの明確な根拠をお聞きしたいです。
「特異な」ということがついているために教師のほうも混乱してしまう。資料2の10ページの記述ですが、特異な才能のある児童生徒の特性の理解を広めることが重要で、学校でそれに直接関わるのは、第一義的に教師であり、「児童生徒の才能や特性を把握し、対応できる資質の育成が期待される」と書いてあります。ここから持たれるイメージというのは、そういう教師が特異な、すなわち突出した才能のある子を判別して、校外プログラムに推薦する役割を期待される。それには検査の評定値など、突出した才能の基準が必要になります。ところがそれは非常に難しい、むしろ不適切とも言えます。そういうふうにして突出した才能のある子とそうでない子を教師の意識の中で分けてしまう。そういう観点から生徒集団が分断されてはいけません。
資料3の3ページに「理解のための周知・研修の促進」として、「特異な才能のある児童生徒の保護者、そうでない児童生徒の保護者、地域社会の理解を醸成していくことも重要」とあります。これはちょっと非常にまずい表現です。特異な才能のある児童生徒とそうでない児童生徒ということは、才能のある児童生徒と才能のない児童生徒、それが大多数ですが、そういう子を分断することになります。その才能のない子、アメリカでは「non-gifted」と言いますが、近年のアメリカの才能教育では、才能のある子を「gifted」と呼んでラベルづける、そういうような分離するようなやり方はよくない、もっとインクルーシブにやりましょうという方向に進んでいますけれども、これはちょっとまずいです。
むしろ、教師が判断して学校外のプログラムに推薦するのではなくて、教室内で適切な環境、すなわち個別最適な学びがあれば、全ての子供が主体的に自分で才能特性、適合するスタイルを認識して伸ばすことができます。これはアメリカの才能教育の伝統で行われてきた全ての子供の拡充モデル「SEM」(全校拡充モデル)と共通の理念になるわけです。
だから、IQとかの基準がないならば教師が判断しないといけないのか、それで才能のある子を分けないといけないかというと、そういうことではなくて、全ての子供の個別最適な学び、協働的な学びを進める中で、まさに突出した才能なんかも浮かび上がってくるということがあります。
【岩永座長】 すいません、松村先生、あと何枚ありますか。
【松村委員】 この後、支援イメージについてちょっと意見がありますが、また別の話になりますので、一旦ここで大きな話は切れます。
【岩永座長】 ありがとうございます。という松村先生の御意見でしたけども、これは捉え方によってはかなりちゃぶ台返し的な御意見だったと思いますけれども、今の御意見についても結構ですし、それ以外の点についてもほかの委員の先生から何か御意見があればお願いします。いかがでしょうか。本田先生、お願いします。
【本田委員】 信州大学の本田でございます。すいません、ちょっと私、参加が遅れたので、松村先生の御発言の途中から伺っていて、松村先生の御意見に対する意見だけ述べますけれども、私は基本的に賛成です。
といいますのは私の立場からすると、そもそも通常学級におけるインクルーシブ教育がもっと個別最適化されないと、この話というのは成り立たないと常々感じておりましたので、そのことを松村先生の御発言の中でしっかり聞き取れましたので、私の常々考えている考え方と一致していると思います。
言葉をどうするかということに関しては少し議論が必要かもしれません。というのは、どうしても何らかの形でラベルをつくってしまうとそこに分別が起こってしまうので、もし特異という言葉がないにしてもやっぱり才能がある、ないということを聞いている側が誤解して分別するということはあり得ると思うので、そこをどうやって防ぐかということについての議論は必要かと思いますけれども、総論としてお考えに私は賛同いたします。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。じゃああえて私のほうが松村先生にも質問があるんですけど、これは最後に言われたことを敷衍していきますと、一斉授業部分というのが限りなく少なくなっていって、各教室は寺子屋状態という感じになると思うんですが、それでよろしいということですか。それが理想ということですか。
【松村委員】 個別最適な学びは、この前の天童中部小の実践にもありましたけれども、何もその全ての授業を一斉授業でなくすというのではなくて、実践経験的に、あの場合全体の2割ぐらいを一斉授業でないような形、子供が主体的に行う授業にすれば全体がうまくいくというものです。だから、何も全部寺子屋状態にするわけじゃなくて、主体的な学びの部分を取り入れていく、そうすると一斉授業においても子供たちの授業への取組が変わってくるということがあるそうです。個別最適な学び、協働的な学びを今後推進していくという大きな動きがあるわけで、その中で適切な方法というのを探っていただいて、それに伴って、まさに才能のある子、あるいは突出した才能のある子も伸びていくということです。才能のある子のために、個別最適な学びを特に才能のある子向けに変えろということではありません。
【岩永座長】 分かりましたけども、先生方はそれをするのは大変だというのが、例えばその子供たちの才能を発見して、サーチしてそれを発見してそういう子供たちを外部のしかるべきところに紹介していくとか、そういうようなことを教員に、教師に頼むのは大変教師の能力を超えているとか、そういうお話があったと思いますけれども、今、松村先生おっしゃったような教育をするというのも、私はかえって大変な仕事になるんじゃないかなと。今現場の先生たちにそれを求めるというのが、理想論としてはそれでいいかもしれませんけども、現実論としてどうなんでしょうね。私はとても難しいと今のところは思いますけど。
【松村委員】 個別最適な学び、協働的な学びを今までの一斉教育に変わって進めるべきだという大きな方向があるわけで、どう進めていくかという点で、教師の余計な負担なしにも可能であるということは実践例が示してきました。そういうようなモデルを出していくべきだということがこれまでの有識者会議でも言われてきたので、その個別最適な学びを進めるのをやめましょうなんてのはとんでもない方向で、むしろ適切な個別最適な学び、協働的な学びの進め方をモデル事業としても進めていくということが、この有識者会議や才能に関することにかかわらず、今後の文科省あるいは日本の教育にとって大事な方向ではないですか。
【岩永座長】 本田先生、お手が挙がっています。
【本田委員】 ありがとうございます。個別最適化と集団での一斉指導というのは両立可能なんです。それは発達障害や知的障害の子供さんの療育や特別支援教育の場では、上手にやっていらっしゃる先生はもうかねてからとっくにやっていることなんです。ただ、それには確かにやや少人数化する必要があったり、またはクラス編成である程度の配慮が必要だということはあるかもしれませんけれども、要は子供たちが共通して興味が持てて理解ができるような共通のフォーマットと、それから、一人一人の子供に個別化された部分とをどうやって分けて抽出して、それに沿った教育カリキュラムをつくるかという話なので、そもそも、だから通常学級の中での一斉指導に対して、先生たちがあまりにもそれをドグマ化し過ぎていて、それに絶対に沿わないといけないんだという気持ちを強く持ち過ぎているので、それに合わない人たちがはじき出されるという構造なので、そこら辺もう少し柔軟な運営をするということが可能だし、それは、むしろ知的障害や発達障害の療育や特別支援教育の考え方を通常の教育の中にもっと導入するということがあれば、今すぐは難しいかもしれませんけども、理念的には可能だと思いますけれども。
【岩永座長】 ありがとうございました。いかがでしょうか、委員の先生方、この点について。市川先生、お願いします。
【市川委員】 松村先生おっしゃったことで、私も基本的に賛成な部分があります。
やっぱりこの会議がもともとできたときの会議名というのがありまして、ただ、実際にはその会議名に必ずしもとらわれないような膨らみのある議論をしてきたと思うんです。その中でもともと割と狭い意味で捉えられていたテーマがむしろ広まって、その中にもともとのテーマも位置づけられるようになったという経緯があると思います。
例えば、「特定分野に」というのもついてきましたけれども、実は特定分野だけじゃなくてはいけないと。全般的に例えば勉強もよくできる子、優秀児とか秀才とか言われているような子供は排除されるのかというと決してそうではないですよね。
一方では、IQ130とかいう話は、割と全般的に学習がよくできる子ということをイメージしているわけで、そういう子も含まれると。
逆に全般的に高いわけでないけれども、特定の例えば数学であるとかに関しては物すごく高い学力を示していると。2Eと言われている子供たちは、逆にほかの科目になるとすごく困難を抱えているような子もいる、そういう子も含まれるということで、特定分野にということはついていたけれども、全般的な子もいれば、本当に一部の分野という子も両方視野に入れるというふうにはなってきているんだと思います。
それから話も広がって、何もそういう特定分野であろうが、一般的な学力であろうが、高い子だけというよりは、それぞれの興味関心とか個性に応じたという話の中の一環なのですというふうにも位置づけられてきたと思います。
さらに、学校ということが最初、会議名にも入っていたと思うんですけれども、話しているうちに学校だけが全てのことを担うわけではないと。むしろ学校外のこととも連携しながら、学校がそういうところを紹介したり、学校とうまく協力し合ったりしていくということもあるので、話としては学校だけではなくなってきた。全体としてのシステムを考えるというふうにも広がってきたと思いますので、そういう意味では、最初の会議名にもあったけれども、最終的な何か報告書、あるいは答申のようなものになるのかどうか分かりませんが、その中ではそういうふさわしいタイトルにしてはどうかというのが松村先生の意見だとすると、私はそれには賛同いたします。
どうしてもそこのタイトルが外せないということでしたら、そういうきっかけで始まった会議だけれども、内容としてはそこを広くもっと捉えた議論になったのだということは書いてもいいのかなと思いました。
それからもう一つは、今、本田先生がおっしゃったこと、私も大賛成なんですけれども、授業の中でいろんな個性を持った子供に対応する。特に今回で言うと例えば数学なら数学、物すごく突出した、傑出した才能を持った子もいるし、一方で、なかなか周りの学年で習ったこともあやふやであるという子供が両方いると。そういう子に対して、学校の授業でそれを全部個別に扱う、一斉授業をなくして個別に扱うということでは必ずしもないと思うんです。
一斉授業、同じ教室で同じ課題にみんなが取り組んでいるという中でも、かなり学力の低い子に割と焦点を当てた場面とか、あるいはむしろ高い子でも満足がいくような課題とか、そういうことをうまくミックスして取り組んでいくことによって、どの子にとってもこの授業は出てよかったと。例えば数学のできる子が1時間、自分の知っていることばかりでつまらなかった、苦痛だったというのではなくて、そういう子も活躍できる場があると。そこにうまく学力の低い子も参加できるようにしていって、それぞれの子にとって、出てよかったと思える場面をつくる。一斉授業でもそういう授業設定は可能だと思いますし、実際にやっているところもたくさんあります。
ですから、必ずしも全ての一斉授業をやめてしまって、個別対応ばかりの授業にしていくということではないと私は思います。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。福本先生から手が挙がっています。
【福本委員】 ありがとうございます。市川先生がかなり丁寧に説明してくださったのでほぼかぶっているかなと思うんですけれども、私も松村先生のおっしゃっていること、基本的には賛成でして、その対象の定義を広義にするというところに関しては本当にそのとおりだなと感じていまして、ただ、対応の仕方に関しては、学校の中だけでインクルーシブに行っていくということではないのではないかと思うんです。
なので、対象の定義というものを広義にしつつ、その広義にしたことによって、一つの学校の中でのインクルーシブモデルというのを充足化させていくということとともに、学校の中だけでは難しいので、そこを学校外のリソースを活用しながら、適宜、学校と行ったり来たりするというその連携が必要であるということを、これまでの議論の中でも皆さんとも議論してきたかなと思いますので、定義を少し変更するとともに、対応の仕方自体は縮小しないような形の多様な場を設けていくという形でまとめていくというのがよろしいのではないかなと感じたところです。
短いですけれども、以上となります。ありがとうございました。
【岩永座長】 ありがとうございました。中島先生、よろしくお願いします。
【中島委員】 ありがとうございます。非常に議論を面白く拝聴しました。
また、岩永先生が実は先日出られたAbemaTVのものがありまして、私の知っている限りで、周りでこの会議が結構Yahoo!ニュースとかに載って、そこでちょっと私も感じているのは先ほどの御指摘、私もちょっと感じていたんですけど、やっぱり特異な才能ということでかなり反応があると。メディアとか一般の方々も、それはいいことでもあり懸念することでもあって、いいことというか、いいことではないんですが、困っている方がこんなに多いんだなというのは本当に改めて感じています。私の周りではやはりうちも結構困っていますとか、私自身もそうだったとか、そういう思いを持つ方でこの会議にすごく期待して、興味を持たれている方がいる。だから、それはいいというのか分からないですけど、この会の存在の意味というか、その分期待されているんだなということを感じています。
でも反面、やはり先ほどちょっとマスメディアに受けやすいというのがありましたけど、やっぱり特異な才能と言ったときに、giftedの目安の、日本の中でのgiftedの捉えられ方というのがやっぱりIQ的なものであるとかで、そのときに、やっぱりそこのAbemaのところで出されていたのは、アメリカの場合はgiftedの定義が0.1%と定義として出されていました。
ある定義ではそうかもしれませんが、私もアメリカにいましたけれども、多くの場合より広く開けれて使われています。Giftedにもいろんな定義がありまして、かなり広義に、先ほど松村先生言われたように、本当に広い意味でgiftedもあれば、6%か10%ぐらいとか州によってとかでいろいろ変わるんですけど、結構皆さんの都合に応じてというか、やりたいことに応じてちょっと定義を柔軟に捉えて、割とそれによってみんなが私は芸術が好きだから、このgiftedでいってみようとか、私は科学が好きだからこっちいってみようとか、いや、私は国語とか歴史とかが好きだから、ここでgiftedと言われているコースにいってみようとかという感じで、比較的みんなの才能を応援するような形でgiftedが使われている印象がありました。
ただ、もちろんアメリカでもそれが過熱してしまってやっぱり問題になると、ちょっとこの言い方はやめようとか、いろいろな試行錯誤されている印象があります。何が言いたいかといいますと2つあります。Abemaの中で出てきた意見で非常に面白いなと思ったことをお伝えします。なお、実は私も誘われたんですが、当日だったので出られなくて、岩永先生は出られていて、本当にお疲れさまでした。
まず一つ目として、そこでも出ていた議論ですが、例えば英語とか海外の子たちが学校にいるときに、それでも英語の授業を0から受けなきゃいけないとか、そういうこともどうなんだろうとか、やっぱりおのおのの子たちがいろんな凸凹がある中で、その凸凹に即した内容になっていないことをもう少し変えていこうという意見で、それはどちらかというと学校の中、先ほど岩永先生とか皆様もおっしゃっていましたけど、やはり学校そのものがもう少し多様な形にできるんじゃないか、それは多分CSTIのほうで議論されてきたこととも近いのかなと思っています。
並行して、ただ、これだけ困っていらっしゃる方がいるということは、どうしても従来の学校というものでは規定され切れないもの、外れてしまうという方たちがやっぱりある種自信が持てる、あなたは駄目ですと言われるんじゃなくて、むしろ何か持っているよと、それが何かほかの人より偉いとかということではなくて、自分はこういうところが好きで、こういう傾向があって、でもそれをちゃんと伸ばしていけるような環境があるということの両者が大事なんだろうなと。それは先ほど福本さんが言われた学校外の活用ということになるのかもしれないですね。とにかく、やっぱり保護者の方々とかは結構そういうメディアの影響も受けたりもしますので、どういうふうに言葉を定義して、メディア発信するかという姿勢はより求められているなということをちょっとその中で聞いていて思っていまして、なので広い意味でのところ、それから、どうしてもよりとがっているように見られてしまう方々への対応の辺りをどういうふうにすればいいのかなと思っていました。
すいません、ちょっとまとまり切っていないんですけれども、ありがとうございました。
【岩永座長】 ありがとうございました。藤田先生、手が挙がっておりますが。
【藤田委員】 ありがとうございます。私の松村先生の最後の御提案の方向性としては賛同いたします。そして、本田先生、市川先生が御説明くださったとおり、やはりその個別最適な学びと協働的な学びというのは同時進行するであろうし、その前提として、今日資料3、4のほうにも書かれてありますが、学校文化、学級文化の在り方そのものが問われているのではないかと、それを感じました。
ただ、もう時間も過ぎていますので、前半の部分、松村先生が御指摘になった、その才能のある児童生徒と言い換えたらどうかという御提案だったんですが、恐らくこういうふうに言い換えたとしても、ラベリングの議論というのはついて回ってしまうのではないかと思うんです。
であるならば、今回の資料2にございますように、特に資料2の13ページにありますように、やはり困難に着目して解消を図るということを通して、あるいはそれとともにその困難に着目する、子供たちの困り感に着目するということのほうがむしろ重きを置かれるべきことではないんだろうか。
ですから、その才能がある云々ということよりも、もちろんそれはそうなんですけれども、特異な才能がある、あるいは特定分野に特異な才能があるがゆえに困り感がある。その困り感というのは、市川先生がおっしゃったように広く常に困っている子供たちも含む、そういう考え方をきちんと私たちが認識をしながら外に説明することによって、誤解は伴ってくると思いますけれども、随分解消できるのではないか。
ただ、松村先生の御提案のように、その才能のある児童生徒という言い方をすることによって、誤解が少なくなるという印象はちょっと持ちにくかったなという印象がございました。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。市川先生がお手が挙がっておりますが、私の印象を1分ほどで言わせていただきますと、これ結局、私、先ほどの中島先生からありましたように、AbemaTVのプライムというのがあって、そこでまずかったなと思うことが80%ぐらいですけど、20%ぐらいよかったなと思うのは、マスメディアを通じてこの議論にみんなが何を期待しているのかということが生で分かったというところですね。
私はこの議論の、この有識者会議の議論の紹介とか、今どういう状況かという御説明ということで呼ばれたので、それを説明したつもりだったんですけれども、どうも向こうで期待していたのはマスメディアの代表だとは思いませんけれども、そうではなかったんです。
何がずれかなと思って、私は今藤田先生がおっしゃったように困り、困った子がいる。困ったところに何か注目してそれを解消していくというような出発点というのを説明したんですけれども、あちらのほうが期待するほうはとんがりに期待していたんです。とんがりを発見してそのとんがりを伸ばすということをどうしてしないんだという話になっていた。そこで最後まで話が擦れ違っていて、絡み合わなかったんですけれども、恐らくこれを見てくださっているジャーナリズムの方々も、やはりその辺にいろいろとちょっと違うなというのを感じているような気がするんです。
それにおもねるということでは全然ないんですけども、そういう期待がこの議論には外側からは課せられているということは、私は感じました。これは本当に情報ですけれども、困りから出発するか、とんがりから出発するかというのはちょっと変な表現ですけれども、すごく大きな世論とのずれというのを感じたところでもありました。
感想です。すいません、市川先生、お願いします。
【市川委員】 下ろし忘れだったんですけれども、今のお話を聞いてちょっと一言言いたいことが。
【岩永座長】 どうぞ。
【市川委員】 もともと今回の議論ってその両方の側面があったと思うんですよ。一方では子供の困り感として、授業についていけないので困ると。不適応感を感じている、もう学校の授業は出たくないと言っているような子が一方ではいると。
一方では、学校の授業がもう分かり過ぎて、つまらなくて退屈だと言って困っているという子がいる。どちらのほうも困っている、学校に対して不適応感を抱いていると。それを何とかしようではないかという子供の側からのニーズや求めに応じて、もっと教育環境を学校とあるいは地域も一緒になって考えていく必要があるのではないかというのは子供サイドから見たときですね。
一方では、社会サイドから見たときに、いろんな才能を持った子供たちもいるのに、それを日本では十分育てていないではないかと。これは社会にとって、あまり国家にとってとは言いたくないんですけれども、一部の社会主義国のようになってしまいますので。でも、才能のある子供たちを順調に伸ばしていくというのは、社会にとって、国にとって、非常に大切なことではないかと。日本ではその面がすごく立ち後れていたのではないか。どちらかというと優秀児は民間の塾任せ、あるいは公立ではなくてそういう子はもう私学に行けばよいとか、あと、いろんなほかの才能については何か習い事であるとか、いろんなものが民間にあるので、そっちにお任せすればいいではないかというような形になっていたと。
これもまた社会全体から見ると、そういうところに行ける子はいいですが、行けない子もいて、適切にその才能を発現しているような子は、それをもっと伸ばせるような場を国としても考えていくべきではないか。これは社会のサイドから見たときの求めというんですか、その両方があると思うんです。
ですから、これを両方どちらも大事だと思いますのでうまく組み合わせて、どっちのサイドから見ても大事なんだけれども、残念ながらこれまでの日本の教育ではどちらから見たときにも必ずしもうまくいっていないんじゃないかと。
ただし、好例もありますので、そういういい例を参考にしながら、その両方のサイドから見た教育環境をつくっていくというトーンで柔らかくできるといいかなと思います。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。今村先生から手が挙がっています。お願いします。
【今村委員】 ありがとうございます。ちょっと理解し切れたかなと思いながら迷っておりました。
松村先生のお話の最後の御提案のところは、多分、総論全員賛成なんだと思うんですよね、教室の中で全ての子供が生かされるように、その子の現在地からどんな課題を抱えた、どんな才能のある子供も伸びていくように教室を変えていこう、先生の仕事の中でやれるようにしていこうということでしたよね。最終的にはそうなんだと思います。CSTIもそういったビジョンを1枚の絵にして示されていましたし、私もそこの議論に参加していて、その方向に同意していて、この会議でも最終的なビジョンとしてそういった絵を示すということはとてもいいことだと思います。しかし、あまりに現状との乖離があるということをどうしていくのかのイメージがつかないということと、とにかく何から始め、重要なのは課題、学習に遅れのある子たちに手を取られて、才能のある、もっと学びたい子たちに手が回っていない。そしてそれが課題になっていて課題感、不登校にすらなってしまうという現在地だということが課題感なんですよね。
だから、何かビジョンを示しつつも本当に10年ロードマップじゃないですけど、それは教育振興基本計画がやることなのかもしれないんですけど、何から始めようかということの4段階ステップぐらいをアウトプットとして出していくということで、議論を今やらなきゃいけないことと未来を目指すことというものを同じ絵の中に示していくということが、政策に落とし込む意味でもいいのかなと思いながら聞いていました。
すいません、まずは以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。大分時間がたってしまいまして、私の取り仕切りもまずいのですけれども、1時間たってしまいました。
今、今村先生から言っていただいたように、総論は恐らくこの会の中で、それはそうだね、ユートピアはそうだね、理想的にはそうならなきゃいけないねというのは誰も反対しないし、そのとおりだと思うんですけども、じゃあ何をするというところが次の問題になってくる。何を提言するのというのが次の問題になってくると思うんです。
それはちょうどその資料3と4のところかと思いますので、まだ言い足りない先生がいらっしゃると思うんですが、あとは、何かあったらメールでお伝えいただくということにしまして、恐縮ですけれども、この辺で資料3と4の検討に移りたいと思います。
それでは、石田室長から資料3、4について、御説明をお願いします。
【石田教育課程企画室長】 資料3を中心に御説明申し上げたいと思います。
資料3、前回の会議で、座長試案としてお示しいただいた今後取り組むべき施策について、会議の場でいただいた御意見を含めて座長と相談の上、整理したものです。既に前半の議論でも様々御意見頂戴してございます。ただ、そこはちょっと反映できていない部分も当然ありますので、そちらをお含みおきいただきまして、お聞きいただければと思います。
資料3は、取り組むべき施策についてのこれまでの主な議論ということを整理したものということでございます。
(1)に目指すべき姿ということを今回位置づけてございます。施策について(2)以降で論じていくわけなんですけれども、施策の先にあるゴールが目指すべき姿として、少し最初に位置づけてはどうかということでお示しをしているものでございます。これまでいただいた御意見なんかも参考にしながら整理してございます。
1つ目の丸では、子供たちにとって、学習や生活の基盤でありますふだん過ごす教室について、目指すべき姿を書いてございます。「子供たち一人一人の多様性を認めながら、それぞれ包摂する学級経営が行われている。具体的には、特異な才能のある児童生徒の特性や必要な支援等について理解している教師等の下」、それぞれに応じて一人一台端末を活用しながら、「学習内容の習熟の程度に応じた自由度の高い学習も取り入れながら、学びを一層深め広めている」と。「また、他の児童生徒を認め認められ、自らの存在感を実感している」ということでございます。
これまでの議論にもありましたけれども、まずもって子供たちが在籍する学級自体が、こうした多様性や包摂を有するものとなっていることが重要である旨をお示ししているものでございます。しかしながら、それだけでは対応が十分にできないケースもあると考えられるということでございます。
すなわち、「上記の姿が実現してもなお、特異な才能のある児童生徒がその才能や認知の特性がゆえに普段過ごす教室で学習することに困難が生じている場合には、一時的に別の教室等で学習したり過ごしたりすることができるようになっている」ことも大切との御意見、様々頂戴しているところでございます。
その際大切なこととして3点入れてございます。その教室等は、ふだん過ごす学校の教室とのつながりを持っていること、特異な才能のある児童生徒が過ごしやすい居場所としての環境整備がされていること、必要に応じてスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどと相談することができることをお示ししてございます。
さらに、特異な才能のある児童生徒の中には、その才能や特性の必要に応じて、大学や民間事業者、NPO法人、教育支援センターなどの学校外の様々な機関等が学校と連携することが必要となるケースもございます。「自分に合った学びを進めることができ、これまでの困難を解消し才能を伸長することができている」こと、また、「特異な才能のある児童生徒は、学校にいながらオンラインでこうした学校外の機関等のプログラムとつながることもあるし、実際に学校外の機関等に行くこともあるし、学校外の機関等の職員が学校に来ることで指導を受けることもある」ことをお示ししてございます。
また、最後の丸でございます。「こうした特異な才能のある児童生徒を取り巻く教育環境について、家庭や地域社会など特異な才能のある児童生徒を取り巻く関係者から理解され、協力を得ている」ことを目指すべき姿としてお示しをしてございます。
その上で2ページでございます。具体的な施策に関わる議論の整理ということで、これまでの関連する議論を1から5に整理してまとめてございます。
2つ目の丸でございます。1から4の施策と5の実践研究について、その成果を互いにキャッチボールしながら、相互参照し、質的向上を図っていく旨、記載をしてございます。
順に御説明します。1、特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進として、教職員の理解を深めること。そのための理論的な研修、実践力を高める研修を行っていくことの必要性。教師以外の専門スタッフへの目配り。動画などICTの有効活用の工夫。国における校内研修動画の作成や、各県への研修の取組への促し。有識者会議で得られた知見を参考資料にまとめて情報提供していくなどの教員研修に関わる御意見を頂戴したところでございます。
また、先ほどちょっと御指摘ございまして、表現ぶりは工夫が必要かもしれませんが、保護者や地域社会の理解の醸成の重要性についても御意見を頂戴したところでございますが、この点につきましては、本日さらに肉づけをいただければありがたいと考えてございます。
次に、2、多様な学習の場の整備等というところの御議論をまとめてございます。特異な才能のある児童生徒が一時期に安心して過ごせる場の確保の必要性。例えば校内に設置した教育支援センターの活用。その際の工夫として、児童生徒の心理面に配慮した室内環境の工夫、児童生徒を見守る者の配置が期待されること。情緒面等に対する支援の観点からの養護教諭、スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカーの活用、学習面に対する支援の観点からの学校司書や学校指導員による支援も期待されること。国として、これらの人材の配置に関わる補助金等の周知も重要であることなどの御意見を整理してお示しをしてございます。
次の丸でございますが、文部科学省における既存の支援策、あるいは制度の推進も重要である旨記載した上で、それぞれの支援策についての記載を3ページから4ページにかけて行ってございます。
4ページ、お願いできますでしょうか。ちょっと下のほうにいきまして、1つ目の丸でございます。キャリア形成に当たっての「キャリア・パスポート」が有効であること、あるいはその活用を推進することも併せて記載をしてございます。
3、特性等を把握する際のサポートについての議論をまとめてございます。1つ目の丸、大前提としまして、特性等の把握を目的として、困難を抱える児童生徒に対してより適切な支援を行うためのものであることを明らかにしてございます。
あと5ページに参りまして、また、特性をある程度可視化することで子供たち自身が自分自身を知り、環境との関わり合いの中で自分の人生をどう生きていくかを考えることにもつながると、こういったものを追記してございます。
また、民間事業者の取組におきましても、既にツールが活用されている事例も見受けられることから、国はこうした取組における情報を収集し、共有できるようにしていくこと。
またこうしたツール、全ての児童生徒に対して一律に行われるべきものではなく、支援を行う中で必要に応じて行われるものであること。
また、こうして把握された特性等については、ポートフォリオに蓄積し、関係者間で共有することで、進級・進学に伴う保護者の負担軽減にもつながることが期待されることなどについてお示しをしてございます。
なお、学校外の機関は、個別のプログラムごとに参加基準を設け、その基準に基づいた才能の見いだしを行っておりますけれども、こうした上記のツールはその基準の作成に当たっても活用できることが期待されることについても併せてお示しをしてございます。
次、4でございます。学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供というところでございます。才能を伸長できる機会を広く学校外からも提供することが必要であること。そしてその意義について、5ページから6ページにかけての3つの丸で表現をしてございます。
6ページに入りまして、2つ目の丸でございます。国は、特異な才能のある児童生徒の指導・支援に関わる学校外の様々な機関が提供するプログラムについて、情報を集約し、提供する仕組みをつくる。「具体的には、オンライン上にプラットフォームを構築することで、ワンストップで検索ができるなど、より使いやすいものとすることが重要である」こと。
次の丸、その際でございますけれども、児童生徒がいろいろな事業等に挑戦し、自らの特性や関心について理解を深めることができるよう、情報の提供の在り方としては、目的や対象を分け過ぎないことにも留意すべきであると、こういった御意見もお示しをしてございます。
5、実証研究を通じての実践事例の蓄積につきましては、まず、アで実証研究の必要性として、一人一人の才能や個性が尊重され、多様性を重視する社会を形成する観点からも深い意義があること。
しかしながら、前半の御議論にもありましたけれども、これまで特異な才能のある児童生徒を念頭に置いた取組はほとんどないことなどから、実際に幾つかの主体で実証的な研究をトライアルとして行い、実践事例を蓄積した上で横展開を図っていくことが必要であると7ページにかけて記載をしてございます。
次に、イ、実証研究を通じて検証すべきこととして、これまでの御議論の内容を学校内での取組に関すること、学校と学校外との連携に関すること、そして児童生徒を取り巻く環境の整備に関することの3つから整理してお示しをしてございます。
8ページでございます。ウ、研究を実施する際の留意事項として、研究の枠組みに関すること、学校内での取組に関することに分けて御議論を整理してお示しをしてございます。
まず、上のほう、研究の枠組みに関することでございますけれども、小・中学校を設置する市町村と広域自治体である都道府県の役割分担についても、研究が必要であること。
また、学校段階による制度の違いでありますとか発達段階の違い、設置者の違いに応じた検討が必要であること。例えば高校では、学校外学修の単位認定の有効活用も考えられること。また、併せて情報の引継ぎといった観点からは学校段階間の連携の配慮も必要であることなどをお示ししてございます。
次に、学校内での取組に関することでは、児童生徒が学校における学習生活の基盤としてふだん過ごす教室において、「特異な才能のある児童生徒を受け入れる包括的な学級経営を行っていくことが重要である」こと。このことは通常の学級のみならず、特別支援学級、通級による指導においても有効であり、その対象となり得ることについてお示しをしてございます。
最後、エ、実証研究のアウトプットということでございますが、国はこれらの検証の成果を全国に展開するとともに、必要に応じ制度改正を検討するとしてございます。
資料3の説明は以上でございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。資料4は前回お示しした図ということになります。ちょっと変更があるかもしれませんが、基本的には、その図ですね。
それでは資料3、特に資料3の内容について議論を行いたいと思います。まず、資料3の1、目指すべき姿とそれに対応する形の資料4のイメージ図、これは全体図ということになりますが、これについて御意見があれば御発言ください。
これ以降、今石田室長から御説明のあった1から5に沿っての進行ということを考えておりますけれども、時間のこともありますので、これまであまり議論できていなかった最後の5のところ、記述も少ないのですけれども、そこに一番時間を割きたいと思っておりますので、そういう心積もりで進めたいと思いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
それでは、まず(1)と(2)ぐらいのところで、何か御意見があればお願いします。いかがでしょうか。目指すべき姿というのが(1)で、具体的な施策に関わる議論の整理というのが(2)ですね。市川先生、お願いします。
【市川委員】 まず、1ページ目の目指すべき姿なんですが、これちょっと伺いたいんですけれども、目指すべき姿として、何々が行われているとか、子供がこうしているとか、教師がこうしている。特に一番下の丸のようなこういう表現ですね。「取り巻く関係者から理解され、協力を得ている」。こういう表現の仕方で理想的な姿を、理想的な状態はこういう状態ですよというのを冒頭にぽんと出すという書き方、私はちょっとこれまでの文科省関係の報告書や答申ではちょっと珍しいなという印象を受けたんですけれども、どうなんでしょう。つまり「こうしていく」とかいうような何々を目指すという表現でこれまで出てきているような気がしたんです。こういう表現の仕方というのは、ちょっと特異な感じがしたんですけれども、こういうふうに今回するということでしょうか。これはちょっと質問です。
それから、次はすごく細かい点です。最初の丸の中で、「それぞれを包摂する学級経営が行われている」。この学級経営ということは7ページにも出てくるんですけれども、私はこれ、「包摂する授業や学級経営が行われている」と、授業というのもあえて入れていただくほうがいいような気がしています。
もちろん授業と学級経営というのは完全に二分されるものではなくて、授業があっての学級経営だし、学級経営があっての授業というものではあると思うんですけれども、イコールではないような気がするんです。これは専門の先生にも伺いたいんですが、授業というのはいわゆる授業の時間帯に行われている、その先生の授業展開というのでなされていく。当然、学級経営的な要素も入ってくるんですけれども、やっぱり私はその授業展開、どんな授業の設計をして、展開するかというところがかなり大事だという発言をこれまでもしてきたつもりです。
そこに学力の高い子も、才能がある学力が高いという子もうまく包摂していくような授業づくりが大事だと思うので、学級経営とだけ出してしまうと、ちょっとそれが含まれないようなニュアンスを持たれないかなという気がしています。これは言葉遣いの問題です。
それから3番目ですけれども、方策がいろいろ出ている、確かにそのとおりなんですが、現状はどうなのかということをこれは脚注でも結構ですので、例えばこういうことはなされている、こんな試みがあるとか、あとアンケートの結果なども、こういうふうにいろいろ生徒のほうからも困り感が提出されているとか、現状での問題と現状でもう既にこういうことはなされているんだと。もちろんそれは十分でないからこそ、この施策提言があるわけですけれども、そういう現状ということが脚注などの形でもいいので見えてくるような報告書に最終的にはなるのでしょうか。これは質問も含めてです。
以上です。
【岩永座長】 まず、私のほうから、2番目の御質問で学級経営のほかにも授業ということをきちんと出すべきだというのはそのとおりだと思います。これは秋田先生のまさにストライクな分野なので、後で御意見いただきたいと思いますが、私はそう思います。
それから3番目ですけれども、最後ですけれども、取り組むべき施策についてのということで、これは最終的な報告書になるときには今までずっと現状とかヒアリングした結果とかそういうものが踏まえられて、調査の結果とかそういうものが踏まえられてここに行くので、その点は御心配なくいていただきたいと思います。
それが一番最初のこの1ページの表現については、常盤木課長からお答えをお願いします。
【常盤木教育課程課長】 すいません、事務局でございます。ありがとうございます。1番目、お時間ないので手短に御報告します。
1番目、そもそもこの資料ですけれども、もちろん報告書も見据えた形になると思うんですけれども、今回はこれまでの議論をまとめたものということですので、ぜひこの表現ぶりも含めて、委員の皆様から御指摘いただきたいという、それが大前提でございます。
その上で、事務局がここをまとめた際に、この書きぶりといたしましては、何か今サプライサイド、デマンドサイドじゃないですけども、子供の目線になるべく立ったときに、どんな姿があるかなという観点も入れてまとめようとしてみましたので、これもまさにトライアルでまとめてみましたので、報告書になるときには素案とかたたき台のときには、先生方、やっぱりこういう表現はおかしいんじゃないかとか、こういうふうな書きぶりにしたほうがいいんじゃないかというのはぜひ御指導いただければ、御意見いただければと思います。
あと3番目、座長がおっしゃるのと同じ、まさにそのとおりなんですけど、この報告書になる際には、第2章に相当する部分でかなり現状も書き込んでいますので、一連として現状からの課題、そして解決策という流れには十分留意して、事務局としても委員の皆様の意見をまとめていきたいと思っています。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは福本先生から、お願いします。
【福本委員】 ありがとうございます。先に手短にお話しさせていただきます。
ちょっと細かいところ2点なんですけれども、1点目が1ページ目の3なんですけれども、「様々な機関等が学校と連携することにより」というのが学校だけではない可能性あるかなと思いまして、「学校や教育委員会と連携することにより」という形で、教育委員会が入るという形のほうが、より現実に合った形に即しているんじゃないかなと思いました。1点目、そちらです。
2点目なんですけれども、3ページ目の1、(2)の一番最後のところになるかと思います。先ほど事務局のほうからも、こちらについて少し膨らませたいという御意見あったかと思うんですけれども、こちらに関して、私が知っている形の民間の動きとしてもお母さんたちの会という、保護者の方、親の会というものがかなり積極的に自立的に立ち上がっているような印象があります。
今は、そういった点が点在している形で存在していて、親の会とかフリースクールや、あとは公共の開設があるような教育支援センターの相談窓口にも保護者の方の相談という声がたまっていくというような現状あると思うんですけれども、もう一つは、大学で実施しているような相談業務もそうだと思うんですけれども、これらが今、横連携ができるプラットフォームがないというような状況で、各部署に相談は行くんだけれども、蓄積していかない。同じような悩みを持っていらっしゃるケースというのがあるにもかかわらず、よりいい解決策とか多様なサポートにつながっていくケースというものが少ないというような印象がありますので、ここは横串できるようなプラットフォームをぜひつくっていくという動きがつくれるといいんじゃないかなと思いました。
それぞれを統括するというよりは、点在しているものを横串というか、併せてどういう動きがあるのかというのが見られるようなポータルサイトのような機能と、そこでたまった知見といいますか事例というものが、ほかの方々のサポートにもつながっていく、困っている状況、うちの子の困っている状況というのが実はほかのお子さんにも適用できるよといった機能として広がっていくといいんじゃないかなと思いますので、それぞれの立場だからこそ提供できる支援の形と価値というものを置いた状態で、何か一つ、大きなプラットフォームというものができるといいのかなと思いました。
それを保護者の方とか、あと地域の方でサポートをしたいけれども、なかなかどこからサポートしていいのか分からないというような方も利用できるような入り口において、多様な情報がきちんと子供たちにたどり着くという形をつくっていく必要があるかなと思いました。
そのときに、例えばこういう困り事というタグづけなんかで、後々検索ができたり、カテゴリーごとに相談したい内容というものが保護者の方のそのときの状況に合って選べたりするような、そんな機能があるといいんじゃないかなと思いました。なので、こちらの最後の点については、ちょっとポータルサイトもしくはプラットフォームのような機能を持っているものをつくっていくということをぜひ検討していけるといいんじゃないかなと思いました。
以上です。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。先ほどの資料2の16ページのところにもありましたけれども、そういう子供たちへの対処にデジタル社会の進展を踏まえることというのがありました。まさにこの施策をするときにも、我々がこういうことに対して取り組むときにもICTの技術とかスキルとかあるいはその達成したシステムとか、そういうものを使わない手はないと思いますね。
だから、今までどうしても人というものにこだわって対処する議論をしていたと考える。先生と例えば学校とか教育委員会とか、だけど、そういうものをやはりつなぐICTの最先端の技術というものを駆使する、そういうものに最大限そういうものを利用するということもどこかに書き込まないと、これは本当にいつの時代の話なんだということになってしまいそうな気がしました。今、先生のお話を聞いてしみじみと、福本先生のお話でそう思いました。
ほかに、そうですね、秋田先生、お願いします。
【秋田座長代理】 ありがとうございます。本来、ほかの後半の部分を厚くということなのに、細かいところで恐縮ですが、1ページ目のところです。
私も市川先生が言われたのと同様、少し目指すべき姿が最初に来ることに抵抗を感じたのはなぜかというと、目指すべき姿と書かれているからです。目指す姿、本委員会の報告が目指す姿であって、それを何か目指すべきと書くのが望ましいのかというのは少し判断が必要だろうと思いました。
また1つ目、今回、先ほど常盤木課長からこれが子供目線なんだと言われて私は驚いたのです。ここには子供がどうありたいのか、どうあるのかという主語がなくて、子供が目指す姿としての学級は、子供が安心してとか、後の課題のところにある安心して過ごせるとか生き生きとどの子も挑戦して自分を発揮できる、しているとかいう姿が本来1つ目に子供目線と言うなら書くべきなのではないかと感じたということです。
この丸の1つ目なんですけれども、授業ということを入れるということ、包摂する学級経営を基にしてその授業が行われているということが私もとても大事だと思います。
一方で、子供たち一人一人の多様性を認めながらの、恐らくこの文章だと教師が認めるという形になっていると思うんですけれども、子供たち一人一人の多様性を相互に認め合いながらと、やはり多様性は大人側が認めるだけではなく、子供たちがお互いに多様性を認め合える教室とか授業をつくっていくということが目指されるところです。なかなか理想と現実は程遠いところがありますが、そういう意味では「認めながら」を「認め合いながら」という形にしていくということが重要なところではないかというのがまず1つ目です。また、2つ目については、学級経営まで書くならば、学校経営としてこうした形で2つ目のようなその学級ではないところで過ごす子供たちに対する経営ということが学校としてそういう計画が体制としてなされて、居場所が、学校が全体として協力してつくられているというような学校経営計画の中にそういう視点が入っていることが重要だろうと思いました。
また、3つ目の丸のところで、大学はいいと思うんですけど、民間事業者とかNPO法人ということが出されているので、学びを進めることができてというところに「家庭の格差によらず」とか、そうした「経済格差なく」、こうした経験ができるということがやはり強調されるということが重要なところになっていくのではないかと私自身は考えたところになります。
また、学校間の連携協働ということがこういう子供たちが学級担任から教科担任に変わっていくところ等で重要なところだと思うので、学校間も学校及び学校外との連携というのがあるんですけれども、学校間でも校種間の連携が特にこういう子供たちにとっては重要であるので、そこの視点もやっぱり入れていただく必要があるかなと感じて読ませていただいたというところになります。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。確かに学級経営で止まっているというのは、こういうのはやはり学校を学級を超えていろいろなシステムをつくっていくとかあるいは対応していくということが必要だと思いますので、これも必要な点だなと思いました。
それから、経済格差によらずというのはもう確かにそうですね。今の内閣は、脱新自由主義というのを掲げていますので、新自由主義的にお金と余裕のある人はこういうのを利用しなさいねというのでは、確かに立ち行かないなと私も思いました。その辺留意をして書きぶりを考えるということですね。ありがとうございました。
今村委員から手が挙がっておりますが。
【今村委員】 ありがとうございました。こういった審議会の資料は誰に対して届けることを目指すのかというところが分からない中での発言ではあるんですけれども、今、こども基本法も制定されている中で、こういった政策も供給者目線での政策、目指すべき姿から始めるのか、子供に何が届いているのかという具体的な、子供にとってどんな機会が保障されたのかということのイメージから書くのかというところについて言及させていただきます。一つのチャレンジなのかもしれないんですけど、できればこの冒頭、始まり方のところで、目指すべき姿というのであれば、これはどちらかというと学級経営を先生がしている様子から始まっているんですけれども、この1ページの中にもそこかしこに含まれている、子供にとってこういう機会が届いているという、子供にとっていつでもこんな人に相談できたり困ったらこんなところにも行けたりしているような、何か子供にとってこんなふうなことが実現しているといったところから始めていただけると、私のようなこういった文章に慣れていない人たちにも、こういうことが届くということなんだなということがイメージがつくかなと思いました。私からは以上です。
【岩永座長】 どうもありがとうございました。藤田先生から手が挙がっております。
【藤田委員】 ありがとうございます。私も秋田先生と同じように思っておりました。特にこの目指すべき姿ではなくて、本有識者会議が目指す姿であるなということは強く感じたところでございます。
それからもう一つ思ったことは、やはり先ほど今村委員からも御指摘ございましたし、事務局のほうからも御説明ございましたけれども、やはり子供がどのような状態にあるかということを考えたときに、やはりここに一つもしかしたら抜けているなと思うのが、やはり家庭の在り方、家庭の困り感ということについても言及が必要なんだろうと。特に都道府県や市町村の教育委員会が抜けているという御指摘がございましたけれども、やはりその家庭の困り感、特に保護者の方を中心とする御家族の方々の困り感についての言及というのもやはりここで必要なのかなということを感じました。
(2)以下につきましては、幾つか申し上げたいことがあるのですが、また、後にしたいと思います。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。松村先生、お願いします。
【松村委員】 初めのほうの細かい点だけですけれども、1ページ目の2つ目ですね。「スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどと相談」とありますが、3ページ目には「養護教諭や」と書いています。これは要るので、1ページ目にも「必要に応じて養護教諭やスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどと相談することができる」と入れていただけたらと思います。
その下の3つ目ですが、「学校外の様々な機関等が学校と連携することにより」とありますが、やっぱりこれは福本先生もご指摘のように「学校や教育委員会と連携」とするのがいいでしょう。資料4の図ではそういうふうになっていますので。それで(2)に入ってしまいますけども、3ページ目のところに、「特異な才能のある児童生徒の保護者、そうでない児童生徒の保護者」とあります。これは「特異な」はとにかくとして、「才能のある児童生徒も含めた全ての児童生徒の保護者」とすると問題ないかなと思います、「特異な」をつけるかつけないかは別として。
それと関連して3ページ目の「多様な学習の場の整備等」の4つ目の丸ですが、「児童に寄り添ってきめ細かな対応を行う」人々がいるということですけれども、そういう人たちが才能とか才能に伴う困難を理解していないといけないので、才能を理解して児童に寄り添うような人々が要るというような言葉をどこかに入れていただきたいです。
やっぱり1ページ目のところを拝見すると、「特異な」が8つ出てきているんですね、目がちらちらしますね、何か煩わしい感じがします。もし「特異な」を使い続けるならば、「特異な才能のある児童生徒」というのも、文科省の新しい造語、新語になります。そうするとそれはどういう意味でそれを使うのかということをやはり審議のまとめの最初に出していただかないといけません。「特異な」を取ったほうが意味が広くなるなと、取ったほうがやっぱり手を差し伸べられる子供が広がるなという感じはしますが、説明なしで「特異な」を残すだけだと、非常に限られた突出した才能のある児童生徒が対象となるのかと、そういうふうに外からは取られます。ですから、突出じゃなくて特異なんですよと、突出に限らない特異とは何なのかということは、やっぱり最初にはっきり書かないといけないと思いますので、ここのところは再検討をお願いします。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。今、この看板を完全に書き換えるということになるとこれは大ごとなので、先ほど妥協的に松村先生が言っていただきました、この語の意味をどこかでこのような意味で使っておりますということを書くという方向で、私としてはまとめたいと思うんですけども、それでよろしいでしょうか。
【松村委員】 私は取ったほうがいいかと思うんですが、外から見てどうかという、困っている才能のある子がどうかということに絡みますので、後日パブリックコメントを取っていただくと思いますので、そのときにやはり一般の意見を広く聞いていただいて、最終的に再考いただけたらと思います。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは、ちょっと時間も押しておりますので、その先にいきたいと思います。
個別の施策ということで、2ページ目から(2)、もう既にその内容にも入っておりますけれども、入った議論ありましたけれども、具体的な施策ということで見ていきたいと思います。まずは2ページの特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進について、こちらについてはいかがでしょうか。丸が2つで、ごめんなさい、丸が7個ありますけれども、①のところ、何か御意見ありませんか。先ほどどなたでしたっけ、後でまたというお話、福本先生でしたっけ。
【福本委員】 いいえ、すみません、私が先ほど間違って前出ししてしまったので、7個目の丸だったんですけれども、後でとおっしゃっていたのは今村委員かと思います。
【今村委員】 ありがとうございます。ごめんなさい、1ではないけども、1も含むのかもしれないんですが、ちょっと前回も発言させていただいたんですけど、今回、先日何かニュースで出ていまして、モデル事業を始めるから学校募集します、モデル校募集しますというのを拝見したんですけど、誰が手を挙げるのか、誰の責務でこの政策を行うのかというところで、私は都道府県の教育委員会の責務としてやるのだということをはっきりと書いたほうがいいように思っています。一番最後のページにそういったことが書いてはあるんですけれども、何か留意事項というよりはもう都道府県の責務でやるということをはっきりしないと格差が縮まらないといいますか、とにかく自治体ごとにリソースが全然違うということが重要なので、それを把握するのは、都道府県の仕事であると思うんです。
なので、モデル事業などをやるのであれば、学校ごとに手を挙げてももともと能力が高くて勘どころがあってリソースフルな環境のリソースフルな校長先生から手が挙がって、こういうやり方ってほかじゃできないよねと認知されて、こういう学校もできましたね、うちは無理だけどという雰囲気で、何かモデル事業がモデルにならないということを過去いろんな事業で見てきたなと思っています。ですので、できれば本当に点在している、全国に点在している、しかも本人もそれだと認識ができていないかもしれないこういった才能のある子供たちに機会が届くということを目指したモデル事業の位置づけにするための書きぶりにすべきであると思います。そういう意味ではとにかく都道府県がむしろモデル事業の主プレーヤーになるようなことも重要かなと思いました。これをどこに盛り込めばいいのかが分からないんですけど、発言させていただきました。
【岩永座長】 ありがとうございます。お気持ちはよく分かります。確かにあんまりそのモデルという、日本に有数のというのはモデルが出てきても、それはパリコレクションをその辺の駅前で着れないのと、着ることができないのと同じような話かなという気もしますので、現実的でかつそれだったら、その部分は私の教育実践にも取り入れてみたいと思えるような、そういうモデルということですね。そのとおりだと思います。
秋田先生から手が挙がっておりますが。
【秋田座長代理】 2点です。1点目は教員の研修等で必要だなと思っているのが、この表題にあります特定の才能のある児童生徒の理解ということが最も重要なところではあるんですけれども、その児童生徒を理解するだけではなくて、そういう生徒がいるということをほかの子供たちも理解し、受容していくような教育というのが、実はそういうことを教師が理解しておくということが大事ではないかと考えます。
例えば、障害がいろんな形である子供の話でもあるんですけど、特定の個別にその子だけを理解するんじゃなくて、そういう子がいるということを周りの人たちが理解するような研修や教育ということを学級や授業の中でどうしていくのかということも併せてやっていかないと、常に特定の子供の取り出しや特定の子供の理解になりがちなんですね。
それというのはやはりいろいろな多様性とか包摂性を理解していく教育をつくっていくというところでは、特定の子供だけでは足りないと私は思っていいます。そうした部分のそうした理解を周りの子供たちや保護者も理解していくための教員の仕事ということの研修が必要なのではないかと思っているので、何かそこの部分が書き加えられないかなと思っているというのが1つ目です。
それから2つ目としては、この実証研究というところの実証研究をする主体というものがこの文書の中では明確ではないのです。いわゆる研究者が、特定の人が何らかで応募をしてやっていくようなイメージなのか、誰がその研究の主体になるのか、委員会なのか、その特定のそうした何らかのそういう専門のところが行うのか、その辺りがもう少し主語が明確になるといいなと思いました。特に公的なものなのでその辺り少し主語が書けるといいなとは思ったというところです。国が委託してネットワークなり特定のところだけにならない、全国にそれが還元されるような主体を書いていただきたいというのが2点目です。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。市川先生から手が挙がっております。
【市川委員】 ここで研修ということがまず出ているんですけれども、この前もちょっと申し上げたことなんですが、この研修というのもどういうタイミングでどういう内容のことを行うのかということがすごく大事になりますよね。
学校の先生としては、また、何か文科省から降ってくるのかと。ただでさえいろんなことを要望されている中で、特別支援でも相当、学校ではやることがたくさんになっているのに、今度は何か才能のある子供たちについてもあれをやってください、これをやってくださいといろんなことを言われるのかと、かなり身構えている状態ではないかと推測します。
ですから、そのときに最初に研修ということがどんとあると、決して学校だけで全てをやってもらうというか、学校の先生の役割がもっと増えていくんだというような先入観を持たれるといけないので、本当はタイミングとしても、後の2からずっとあるような、こういうことがある程度実施されて、環境が整ったところで、そういうことを踏まえて学校ではこんなことをやっていただきたいんですというタイミングで研修が起こるほうが、学校の先生にとっては負担感が少ないような気がしているんですね。
ですから、報告書の中で、1番にあってもいいですけれども、必ずしも学校の先生にまた大きな負担を負わせるものではなくて、学校外も含めたそういう環境の整備を行う中で、学校にはこういうことをやっていただけるとありがたいという研修をやっていくのだというニュアンスが出たほうがいいように思います。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。学校現場、それから教員の現状を踏まえた御意見だったと思います。
ほかにいかがでしょうか。時間がもう15分切ってしまいましたので、この後は特にどの観点ということなく、1から5それぞれの観点について取り組むべき施策についての議論をしたい、していただきたいと思うんですけども、特に5のところはまだ具体的にこういうことをやったらどうかとか誰がやるのか、先ほど秋田先生からもありましたけども、というようなことも含めて全然議論をしていない部分ですので、具体的に何をする、すればいいのか、どういう形で進めればいいのかということも含めて議論していただきたいと思いますが、松村先生、お願いします。
【松村委員】 資料4の図で、私、さっきまだ話をしていなかったんですけれども、先ほどの画面共有資料の続きで、ちょっと私の感じたところをお話ししますね。
この支援イメージ図ですが、まず、「普通過ごす教室」のところに、協働的な学びは入っていますが、個別最適な学びが抜けていますが、これは必ず入れていただきたい、個別最適な学びは今後の取組の基本となります。
それから、「教室以外」のところですが、このイメージ図では教室以外で勉強だけしているような感じです。しかし、学習の支援、社会情緒的な支援のいろんな居場所となるわけで、学校内の教育支援センター、保健室、カウンセリングルームなど、快適な居場所は個人によって異なります。それは状況として1人であったり気の合う仲間がいたり見守る大人がいたりします。そういうわけで学習しているところだけでなくて仲間がいる、大人がいるというところを入れていただきたい。物理的な環境整備だけでは駄目で、そこに人が、仲間がいてたらいいので、とにかくリラックス空間にすれば快適だろうという大人目線で快適空間を押しつけてはいけません。
そこに才能のある子を理解、共感、支援する人材の充実が要るわけで、そこにいる人たちはそういう才能のある子やその困難を理解している人たちであるべきです。だから、先ほどの研修などにも関連しますが、養護教諭、スクールカウンセラー、教育支援センター支援員など関わる人材の研修や加配が必要でしょう。この図には直接関わりませんけど、要するにそういう才能を理解するような人たちがいててほしいという、そういうイメージを出していただけたらと思います。
それから、「学校外の様々な機関等」に関してですが、大学、民間・NPO、教育支援センターが並んでいますが、横のつながりも分かるように図示していただきたい。学校や教育委員会だけでなくて大学、民間、教育支援センターそれぞれも互いに関連しますので、例えば保護者支援団体と教育支援センターとの連携等も表せるようなそういう図になっているといいと思います。
それから、教育委員会が地域の支援の拠点になるわけですが、その支援を統括する全国的な拠点として、その後の実証研究、実践事例を蓄積する拠点ですね、それが図示としてほしいです。全国規模の協議会なりコンソーシアムなり、何らかの名称の、あるいは資料3の6ページに載っていたような、国レベルのオンライン上のプラットフォームを集めて、そういうのがありますよというのを、右の下、スペース空いていますので、ここにそういうのをぼんと入れていただけたらと思います。そこは各地の拠点となる教育委員会からの成果のデータを集約、提供するところだと。
このスペースに突然に「別の学校」がぽんと入ったんですが、オルタナティブスクールのことですかね。そうならばこの学校外の様々な機関の民間・NPOに含まれるので、わざわざ別途に書かなくてもいいかと思うんですが、ちょっとこの別の学校についてだけお聞きしたい次第です。
以上で、できるだけ反映させていただけたらありがたいです。
【岩永座長】 どうもありがとうございました。課長のほうから。
【常盤木教育課程課長】 すいません、別の学校のところは別の学校でこんな同じような姿があって、別の学校からもこういった子供たちが集まっているというのを出しただけでございまして、同じ図を3万校書ければよかったんですけども、それが書けないので、別の学校からもこういったところに子供が集まっているよと書きました。誤解がないようにしたいと思います。
以上です。
【岩永座長】 いいですか、松村先生。それから、横のつながりは一応この図の資料4の前回も御指摘があったところなので、点線でぐるっと囲っているのは実は横のつながりという意味もありまして書いているんですけども、それを完全に無視しているわけではないということです。
それでは、藤田先生からも手が挙がっております。お願いします。
【藤田委員】 残り時間が短いので、簡単に集約して申し上げたいと思います。2点に集約いたします。
1点目はこの2の一番最後なんですが、「キャリア・パスポート」について言及をしてくださっているところなんですが、ここはぜひ残していただきたいと強く思います。
やはり特異な才能を持つ子供、特定分野に特異な才能を持つ子供のみならず、様々な困り感を持っている子供たちが自己の学びの経験を振り返って、そして展望することによって、1から5に書かれているような様々なリソースを活用しながら学んでいく、その道のりをきちんと応援していく。そういうふうなツールとしてのこのポートフォリオの重要性ということについて、明確にしていただいたことに感謝し、また、これを残していただきたいというのが第1点でございます。ほかにもあるんですが、時間も限られているので重要なところだけ、1点だけ絞ります。
5に関するところなんですけれども、「学校外の機関と連携して学習を行う際の学習状況の把握の在り方」、7ページになることですけれども、こうなってきますと恐らくはどのように学校外での学びを特に義務教育期間中ですが、出席扱いを出席認定していくのかということになるかと思います。
そういったときにやはりこれまで平成元年だったと思いますが、不登校に対する出席扱いのガイドラインが出されているかと思いますが、そういうふうなガイドラインの蓄積もきちんと視野に収めながら、私たちがその子供たちの学びを途切れさせない、しかも不利益にならない。そういった中で、やはり保護者と学校と教育委員会の間の十分な連携協力、そのプログラムの情報の共有というのが非常に重要になってくるなということを申し上げたいと思います。
最後にこれはおまけなんですけれども、このような様々なプラットフォームができてきたりですとか、あるいは様々な横のつながりのあるプログラムが提供されているわけですが、それがつながりがあるものとして、また、利用可能なものとしてそれぞれの学校の先生方が認識するためには、やはり外部からの支援というのが必要になってくるだろう。
これは今回の有識者会議の範疇ではございませんけれども、そういった様々なキャリア形成に関する、特異な才能のある子供だけではなくて様々な困り感を持っている子供たちに対するリソースがきちんと利用可能な状態になるような、そういったサービスをプロバイドしていくような機関ということも将来的には考えていかなきゃいけないなということを感じた次第です。
最後はおまけみたいなものですが、以上でございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。福本先生から手が挙がっております。
【福本委員】 ありがとうございます。私も時間がないので、手短に幾つか挙げさせていただきたいんですけれども、まず、2番目の多様な学習の場の整備等についてのところで、最後の丸に、文化系、芸術系の記載があったと思うんですけれども、こちらは私が関わってきたプロジェクトの中でも、アートクラフト系の子供たちがかなりいる印象があります。
職人さんとかたくみの業が学べるようなドイツのマイスター制度に近いような仕組みなんかがイメージとしては近いのかなと思うんですけれども、そういった国内、海外だけに、海外進出して海外で学ぶということだけではなくて、国内でも育成できるような仕組みを新たに検討するということも視野に入れられるといいんじゃないかと思いました。
子供たちが自己実現していくときにゴール設定が多様にならないと、なかなか学びの場だけで閉じてしまうということもあると思いますので、特異を生かした多様な進路選択、それから、キャリア選択にもつながるような学びの土壌をつくるということが入れていただけるといいんじゃないかなと思いました。
続いて、3番目の特性等を把握する際のサポートなんですけれども、こちらの1です。「困難を抱える児童生徒に対して」というところで、困難という言葉がこれまでも議論されていると思うんですけれども、何か困難というものが気質や特性そのものが困難と見えないような形でやはり伝えられるといいのかなと思いまして、困難が生じるのは環境との相互作用で、環境が変われば困難じゃなくて、また、とんがりになっていくというような、そこでの相互作用でしかないという形のスタンスに立って、困難を矯正するというものではなくて、環境調整が大事ということをきちんと伝えるために、生活環境あるいは学習環境での困難さという言い方に変えてもいいんじゃないかなと思いました。
続きまして、「情報を収集し、共有できるようにする」というところが、3番目の3以降に書かれていたかと思うんですけれども、この辺りもどのような形で収集して共有するのかという仕組みの詳細を検討していくというところが必要になるかなと思いました。ある程度実証なので、選定基準もしくは特定、特徴とか機能を分類できるようなところまでをやって初めて現場は選べるようになってくるのではないかなと思いますので、例えばポートフォリオ機能があるとか、子供本人や保護者とか、あと、教員の方が見ても専門的にならないような形で日々に生かせるものというものにならないと、なかなか専門的過ぎて使えないというところの問題がクリアしないのではないかなというところが気になったところです。
4番目、4なんですけれども、学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供というところで、7ページ目のところです。学校と学校外の連携に関するところです。先ほどおっしゃられていたように、やはり出席配慮をどうするのかという点については、かなり議論が分かれたりするんじゃないかなと思っていまして、ここはガイドラインももちろんそうなんですけれども、現場の運用面でもどのような合意形成が必要なのかというところを具体的に成功事例も含めて書き出していく必要があるかなと思っております。
鎌倉市さんでやられているかまくらULTLAの事例とかでしたら、参加している子供たち全て要録上出席になっているんですけれども、教育委員会さんが指導してやられている事業であって、そこで校長会での出席配慮等の合意形成がかなり密に取られていて、その後も学校との情報連携というものの中で、アセスメントの結果とか学習内容とかプログラムの様子で子供たちがどれぐらい意欲が上がってきているのかというところを学習の習得、教科の習得というところじゃなくて、意欲の向上というものが非常に見られているというところなんかをきちんと拾ってあげられるような形で、要録上の出席配慮を得るような事例なんかもありますので、そういった好事例を参考にしながら、現場での運用面についても具体的に定めていく必要があるのではないかなと思いました。
最後にすみません、8ページ目なんですけれども、実証の研究の話で先ほど今村委員がおっしゃっていたように、広域自治体での市町村への取組を支援していって、地域による格差が生じないようにするということはもう大前提なのかなとは思うんですけれども、それと同時にイニシアチブを取る自治体さんが、基礎自治体の場合もあるのかなと思いましたので、そこは必ずしも広域自治体のトップダウンという形をマストにすることではないのかなと思いました。
また、内容についても、多様な内容を担保したり、実行していく、かなえていく速度というのも、基礎自治体さんが早い場合もあると思いましたので、そこの足並み自体がそろっていなくてもいいのかなと感じた次第です。
以上です。ありがとうございました。
【岩永座長】 ありがとうございました。先ほどの藤田先生のお話にもあって、今の福本先生のお話にもありましたが、学校外などのプログラムを利用した場合の学びの扱いということについては、かなり具体的に研究する必要があるなと思いました。もう既に課外授業中にほかの学校外のプログラムを活用するという必要が出てきていると思いますので、そういうことがあった場合に指導要録上、どういうふうに出席扱いにしていくかとか、どのようにそれを認定していくかということの具体的な対応ということについても議論をして提言できたらなと思っております。
ありがとうございました。本田先生から手が挙がっております。
【本田委員】 すいません、時間がないところなのでちょっと質問が多くなっちゃうんですが、最後の実証研究のところなんですけど、私はちょっとこの領域での実証研究ってどんなふうに行われているのかがちょっと分からないので、医者がよく行う実証的な研究をするときの頭と一致していいのかどうかはちょっと分からないので聞きたいんですけども、まず一つは、どのぐらいのタイムスパンで考えておられるものなのかということが一つです。
それと通常何かエビデンスを残すときというのは、最初に個別の事例研究を行って、その事例が積み重なってきたところで、今度は比較対照研究を症例で行って、それからそれを積み重ねていってある程度の集団化、大集団化された研究に進んでいくということをやっていくのかなと思うんですけども、この場合、授業を行うということで学校を単位として考えるべきなのか、それとも対象になる子供さん、生徒さんを単位として考えるのかということにもなると思うんです。
例えば自治体単位で考えていくと、その体制が整っている自治体を探していったら今度は対象になる子供さんがいないとか、いろんなことが起こりそうな気がしていて、僕のちょっとこの領域とは違う医者的な考え方からすると、やっぱりそういう才能のある子供さんの事例がいるところで、そこでちょっとモデル的に体制を組んでいって、何か研究をやっていくみたいなこともありなのかなと思ったりもしたんだけど、そういうことを丁寧にやっていくとすごく時間がかかることだと思うんですよね。
ちょっとこの実証研究を今後どういうふうに考えていったらいいのかを知りたいので、どのぐらいの時間枠で考えておられるのかというのをちょっとお聞きできればと思います。
【岩永座長】 これはもうまさに皆さんにお投げした、平場でお投げした話なので、ここの議論でどのぐらいのスパンで考えていくのかとか、先ほどおっしゃったその事例にしても自治体を単位にするのか、それとも、A子ちゃん、B君を対象にするのかというような、医学的なものとの対比でいえば似たような調査になると思うんですが、そういったものかあるいは学校かということについては、ここでお話しいただこうと思っていたんですけど、もう時間がなくなりましたので、今の観点をお示しいただいたのでこれについては今後詰めていくということですけども、今の私の個人的な思いとしては実証と書きましたけども、仮説検証型の研究というよりは、それ以前の実態把握型のものをここでは実証研究と考えておりまして、実際に動いている話なので、教育研究って大体そうですけども、何か実験をしてこれはうまくいったね、これは駄目だったねという人体実験ができないというのが普通の場合なので、今あるものを持ってきてそれがどう評価されているかとか、どのようにうまくいっているかとか、あるいはどのような隘路があるかという客観的な資料をもって、それを積み重ねていくという研究を実証研究と私は当初考えておりました。
それから、スパンですけれども、これはあまりのんびりしていられない話なんですが、何か仮説検証型のものをやるというんだったら、かなり時間がかかるんですけれども、今、私が思っております実態把握型の研究を中心にということであれば1年とかそこらの話ではないかなと思っておりますけれども、実は固まっている話ではないので、ここで委員の先生方の意見を聞きながらこれから固めていこうと思っているところです。
今村先生、何かありますか。
【今村委員】 すいません、次回が7月25日ということなので、そうするともう概算要求の企画が固まった段階になっちゃうのかなと思うので、ちょっと今の論点はすごく重要なことかと思います。本田先生のおっしゃっていた論点なんですけど、というのはやっぱり各自治体ごとに本当に対象となる子がばらばらなので、やろうと思っても何かすごく少しの子のために、自治体などが政策化するというのはすごくハードルが高いんですけど、例えば民間団体もこの実証研究に手を挙げられるようにして、自治体を通さなくても本人に直接支援ができるということでやれることもあるのかもしれない、要は広域でやるということもあるのかもしれないなと思って、そういった企画も、企画の中でよく福祉の厚生労働省なんかですと、せっかくつくっても小規模自治体、自治体を介すという時点で自治体が企画に手を挙げてくれなくて予算消化しづらいみたいなこともいろんなところで見るので、そういう広域で民間団体が手を挙げて、御本人を支援するという形で学校と連携していくというやり方で、実証研究を進めるような手の挙げ方もあるのかなと思いました。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。いろんなやり方があると思いますが、医学の研究とか薬学の研究と違って、新しいものを飲ませてその効果を見るということではなくて、もういろんなところでいろんなものを飲んでいる人たちの状況を把握するということですので、その点ではそれほど大がかりですごくお金が要るというような研究にはならないと思います。
私、概算要求等のことについては、タイミングも含めて全く分からないので、その点もちゃんと留意して考えていくということにさせていただきたいと思います。事務局とも十分によく相談をしてその点は考えていきたいと思います。ありがとうございました。
時間が過ぎてしまいました。私の取り回しが本当にまずくて、途中途中で自分の意見を言ったりしてまずかったと思うんですけれども、今日は毎回そうですが、黙っていられない方が大変多い委員会で、いろんな意見が出て、大変よかったかなと思います。私自身もいろんなことを頭の中で整理できたということを考えております。
ということで、これで議論は収めたいと思いますが、今日たくさん頂戴した御意見を踏まえまして、資料の修正については私と事務局のほうとで相談させていただきます。この後、資料については委員の皆様に御確認いただく機会も持ちますので、その際にはよろしくお願いしたいと思います。
最後に次回の予定について事務局からあります。川口さん、お願いします。
【川口学校教育官】 次回会議第12回については、7月25日月曜日14時から16時で行います。なお、本日言い尽くせなかった御意見につきましては、またメールなどで事務局までお寄せいただければと思います。この扱いについて座長と御相談の上で進めてまいりたいと思います。よろしくお願いします。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは、本日予定した議事は以上で全て終了しましたので、これで閉会したいと思います。ありがとうございました。

―― 了 ――