特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第9回)議事録

1.日時

令和4年4月15日(金曜日) 13時00分~15時00分

2.場所

WEB会議方式

3.議題

  1. 特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導・支援の在り方等について

4.議事録

【岩永座長】 それでは、第9回の有識者会議を開催させていただきたいと思います。
本日は大変御多忙の中、年度初めのお忙しい中、会議に御参加いただき誠にありがとうございます。
本会議につきましては、これは例会どおりですけれども、報道関係者等より録音録画の申出がありまして、これを許可しておりますので、その旨、御承知おきいただきたいと思います。
まず、本日の議題に入る前に、本日の会議資料の説明を事務局からお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
【川口学校教育官】 本日の会議資料について御説明します。
本日は、資料1、2がございます。資料1は、前回、前々回の会議で皆様からいただいた御意見を、昨年お取りまとめいただいた論点整理の各論点に沿って整理したものです。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは、早速議事に入りたいと思います。
本日は、直前ですが、事前にお送りしてありました資料1を参照いただきながら、各論点についての議論を行っていきたいと思います。
まず、議論の現状を振り返りたいと思いますが、昨年12月に取りまとめました論点整理に示された論点に沿って、これまでの2回の第7回、第8回の会議で具体的な議論を行ってまいりました。
2月の第7回の会議では、主に教室内、学校内の対応策ということで、山形県天童市立天童中部小学校で取り組んでいらっしゃる、子供の主体性に配慮した学びについてお話しいただくとともに、広島県の不登校支援センターで取り組んでいらっしゃるSSR、スペシャルサポートルームの取組を中心にお話しいただきました。
そして先回、3月の第8回では、主に学校外の対応策ということで、今村委員から、NPO法人カタリバで取り組んでいらっしゃる、オンラインを活用したシェア型教育支援センターの取組を中心にお話しいただいて、それとともに愛媛大学の隅田先生からジュニアドクター育成塾や附属高校での高大連携の取組を中心にお話しいただきました。
前2回の会議でいただいた御意見につきましては、事務局において資料1の形で整理しておりますが、これまで意見が十分に出ていない項目が幾つかあるというのが現状だと思います。
そこで本日は、私のほうから幾つか論点について指定させていただきますので、それに対応する形で、各委員から御意見をいただければと思います。なお、各論点につき1名から3名程度ということを想定しておりますので、指定した論点についての意見交換の後で、その他の論点も含めて皆様からの御意見を聞く時間をまとめて取りたいと思います。御意見いただく際は、会議として、何を最終的に打ち出していくのかということを見据えた上で具体的な御意見をいただければ幸いです。
それでは、早速まず資料1の1ページ目ですけども、今、共有で出ておりますが、児童生徒が学習活動に困難を感じている場合に、通常過ごす教室の中で困難を解消する方法についてということで、特に、そこにあります、イの四角の中の「個に応じた指導の在り方は改善の余地があるか」、こういうことについては、これまで授業の一部で自由度の高い学習を行うということや、異学年間での学習について御意見をいただいております。また、教室以外で学習できる場を確保する方法については、オンラインでつなぐことについて御意見をいただいておりますが、この辺りについてもう少し今後の対応につながる御意見があるかと思います。委員の皆様方から御意見を賜りたいと思います。いかがでしょうか。
挙手をしていただけるとありがたいのですが、特にイの四角の下の、丸2つありますけれども、課題がそれぞれ書いてあります。どのような割合にするか研究が必要であるとか、数学年という幅を超えるほど才能が突出している場合は、別途検討が必要だろうということについて、何か御意見やお考えがあれば、お伺いしたいと思います。
よろしいですか。それでは、いつでも振り返って、そういえばこういうことがあったということであれば、いつでも振り返って御意見を頂戴することができますので、取りあえず先へ進めさせていただきたいと思います。
続きまして、資料1の2ページ目です。学校外での対応策については、先回、隅田先生の御発表もあり、多くの御意見をいただいておりますが、学校段階の特性に応じた議論についてはもう少し深める必要があるように、私には感じられました。
イの義務教育段階、ウの高等学校段階のそれぞれについて御意見をいただければありがたいなと思いますが、イのほうは、特に義務教育段階においては、社会性の育成を含む包括的な教育の提供という学校の役割も踏まえつつ、学校外の学びの場における成果の把握も含め、学校や教育委員会との連携をどう考えるかという課題ですが、「発達の段階に応じて、介入や支援の違いがある。例えば、義務教育段階では、子供一人で遠方まで移動することは難しい」というところだけが出ておりますが、何かこれに加えて、御指摘の点があればよろしくお願いいたします。まず、義務教育段階ということです。
根津先生、お願いします。
【根津委員】 早稲田大学の根津です。あまり出てこないようですので、先ほどの1ページの最後のところとも通ずるところだと思うのですが、今の2ページのイのところです。これは出席というものをどういうふうに考えるかというところで、1ページの最後のところの、「GIGA端末を活用し」云々という意見とはまた別の考え方として、どういうふうにすれば出席とみなすのかというあたりは、議論があり得るのではないかと思います。
ほかの例もいろいろあると思うんですけれども、この1ページの下の「教室以外で学習できる場を確保する方法にはどのようなものがあるか」と、2ページの、今お話が出ている、「例えば、義務教育段階では、子供一人で遠方まで移動することが難しい」と。そうなりますと、やはり学校や教育委員会で出席というものをどういうふうに捉えるかというところは議論の余地があるかなと感じた次第です。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。そもそもが出席という概念が、こうした特別な対応で、そのまま今までどおりに通用するのかどうかということも、ちょっと課題になるかと思いますね。その辺についてはいかがでしょうか、ほかの委員の先生方。やはり出席というのは一斉授業のイメージについて回ることかと思うんですが、かといって、そういう概念が全くない授業というのは、そもそも授業とかいうものとして、クラスとかいうものとして成立するのかということもありますね。実践をされている、学校外で実践されているような先生方、福本委員のほうから手が挙がりました。
【福本委員】 すいません、御指名ありがとうございます。
学校外の学びの場に関してなんですけれども、SPACEのほうで鎌倉市さんとの実践がありまして、鎌倉市教育委員会さんが、それはどこの学校の学生さんたちが参加しているのかというのを把握した上での出席扱いというものは認めてくださっているんですけれども、その自治体のリアルの現場に出てくるということと、出ていく意思があるということと、それから、オンラインだったら出ていくことができるというその段階を設けて、全てやはり出席しようと思っているんだけれども、できないことも含めた上での教育委員会マターなのか学校マターなのか、ちょっとそこはレベル感が違ってくるかと思うんですが、いずれにしても、オーソライズしてあげるような仕組みは必要なのかなというふうには感じています。
学校単体となってしまいますと、やはり校長先生の御意向等に沿う形になってしまうかと思いますので、そこは教育委員会さんのほうでオンライン等、オンラインまたは学校外の学びをやっているということ自体に対しての意欲の部分、意欲と態度の部分も含めた形で出席を配慮してあげるという仕組みがあったほうがいいんじゃないかなと思いました。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。
今村先生、お願いします。
【今村委員】 まず、この出席の話なんですけれども、現状、既に本当に現場の判断で、例えばかなり特徴的な話だと、特性がある子に対する合理的な配慮として、もう校門にタッチすれば出席したと認めてあげるよとしている学校もあるぐらい、現場判断になっていると思うんですけども、この出席をしたということと学んだということが、誰がどうそれを判断するのかということは外形標準がないままに現場運用になっていて、それはよい意味も含めて現場運用になっているのかなと思っています。
その上で、逆に言うと教室にきちっと座って、みんなと同じ学びを受けないと出席にはならないよという運用をされている学校もあるということでもありますので、何かその辺りにおいてどういう合理的配慮対応があるのかということの、合理的配慮パターンみたいなものが皆さんの経験値の中でされているので、少しガイドラインがあるといいのかなと思ったりもしています。
あともう一つ、これは学校外の学び、学校内の学びも含めてなんですけど、私たちも取り組んでいるこのGIGA端末を使っての別室での学び及び家庭での学びを出席と認めるような形で進めている、前回プレゼンテーションで発表したものについてをもし本当に公教育で実装していくならば、私は県教委の存在をもう一度重要視すべきかなと思います。
今は基礎自治体ごとに教育支援センターを設置して、基礎自治体ごとで教育支援センターが、県として教育支援センターはもちろん広島県のように力を改めて入れ直して、取り組むというところもあるんですけれども、やっぱりほとんどが基礎自治体ごとで教育支援センターを設置して、そこに対して、ほぼ国も県も何かしらの関与や標準化、または質保証の観点での関わりはほぼしていないという現在地だと思います。その中で、様々なプログラムやコンテンツが毎年のように出てきていて、民間でもいろんないいもの、ちょっと子供との関わりがリスクだなというものもいろんなものが出てきています。
そこに、民間から出てきているものも公教育として採用するものを含めて、県教委が例えば基礎自治体の別室、登校用の別室や保健室で学ぶでもいいし、家庭でもいいし、基礎自治体ごとに設置している教育支援センターでもいいので、県教委として多様な学び配信センターみたいなものを持って、そこの県として多様な学びをコーディネートして、こういう子にはこういうものがあるよ、もしよかったらここでオンラインで学んだ後、県の中でこういうリアルの学校外の学びもあるよみたいな、リアルとオンラインの往還をもデザインすることも想定して、県教委としてそういった多様な学びのコーディネートをしていくということをすることによって、学校や基礎自治体の能力や財源の差も埋めていける施策になっていくのかなと思っています。ちょっとまとめられているかどうか分からないんですけれども。
【岩永座長】 ありがとうございました。
この件につきましては、2つの方向から考えるということが必要だと。一つは規定です。どういう要件を満たせば出席とカウントして、それで義務教育をちゃんと受けていると考えることができるかという規定上の問題が一つあるんですが、もう一つは、やはり教育上の観点から、どういう形でそういう子供たちの学びをカウントしていくのが、子供たちにとって一番ふさわしいかということだと思うんです。
どんな場合でも一斉授業のように、出席を取るということが必ずしも妥当でないということも十分考えられますし、一つ、共通理解としては、普通の、通常の学級でのような義務教育段階での出席というものとは違ったメカニズムというか、違ったシステムを考えていかなければいけないのではないかということは、恐らく委員の先生方の共通した意識だと思うんですけれども、市川先生、お手が挙がっております。
【市川委員】 ちょっとまずは質問なんですけれども、私、その回、出席できなかったんでちょっとすみません。今、学校外の学びについて、最初は2ページ目の一番上ですけれども、「学校だけでは収まりきらない児童生徒に対しては、学校外の場を用意する必要がある」と。これは何回も出てきた話で、確かに必要はあると思うんです。
今の出席という話は、学校外の学びに出ることによって、学校を休んでも出席したとみなすような扱いをしてあげようという話が出ているということですか。
【岩永座長】 それも含めてそういう柔軟な対応が必要かということです。
【市川委員】 私はそれは柔軟というよりは、結構問題があると思っています。
それでまず、この子は優秀だから、もう学校のことはできているから、学校じゃ物足りないから、学校外の学びに参加することによって、学校の学びはもう免除してあげようという話だと思うんですけれども、私は2つ問題があると思っています。これは1ページ目の問題とも関わりますけれども、そもそも学校の授業というのが、優秀な子にとって満足できないようなものになりつつあると、私はこの30年くらいそうだと思っているんですけど、もっと学校の授業でも優秀な子供たちが楽しめるという授業設計をすることが非常に大切で、そのことが実はあまり問題視されていないことが、まず改善の一つだと思うんです。
あと、それから優秀な子供だけは外に出て、ほかの学びをやっても学校は出席したことにしてあげるといったとき、そんなに優秀とか才能のある子供じゃなくても、私は学校の学びよりはこういう学びがぜひしたいと言っている子にそれはいいではないかということ、これは普通できないんだと思うんですよね。
私はそれができない以上、そんなに簡単にこの子は学校の学びはクリアしているということはなかなか判断できないのですから、やっぱり学校の授業で所定の教育課程は受けるべきだろうと。ここで言う学校外の学びというのは、私はあくまでも教育課程外のものとして、例えば休日であるとか放課後であるとか、そこで用意したものに参加するということが、一番妥当ではないかなと思っています。
そのためには例えば、土曜日というのを休みにすることを徹底することとか。例えば東京など徹底されていないんです。土曜日、授業をやっているところがいっぱいあるので、すると外の学びに参加しようと思っても子供はできないと。全国的にも調査していただけるといいと思うんですが、私は東京以外のところでは、比較的、週5日制というのは浸透していると思いますが、自治体によっては土曜日も通常授業があると。そういうことになってしまうと子供たちが学校外の学びに参加しようと思ってもむしろできない。
これはやはりもう30年前から、その方向を出している週5日制というのを徹底して、学校外の学びに子供たちが参加しやすくする。そういう自由度をちゃんと保障することのほうが先決で、ふだんの学校の授業に出ないで外の授業に出て、そしてそれを参加したことにするというのは私はちょっと難しいと思います。誰がそれを判断するのかも難しいし、やっている内容の吟味も難しいし、非常に難しいことのように思えてしまうんですが、どんな議論になっているんでしょうか。
【岩永座長】 それは難しい課題であるということは、皆さん共通して理解しておられると思うんですけども、今、1点、市川先生のほうから、優秀な子だけはそれで外で出て別のことをやっていても、それが授業に出たことにカウントされるというのは不公正だというお話がありましたが、今回の議論はいわゆるその括弧つきですけれども、優秀という範疇ではなくて、今、教室の中で行われている授業に適応していない。それ以外の方法が必要だ、それ以外の方法が適しているという子供たちに対してどうするか、どういう対応を取るかということだと思うんです。
ですから、必ずしもその優秀だという、取り立てて優秀な子供の場合には外へ出てもオーケーだということではない、そういう議論にはなっていないように思いますけど。先回もそういう感じでした。
【市川委員】 そうですか、そうではないならば、つまり学校の授業はもうクリアしていると、少なくとも本人や保護者はそう思っている子だけがではなくて、何もその優秀や特異な才能の子供だけではなくて、学校の授業では不適応だという子は、外の何かプログラムに出ることを認めて、それを出席にするというかなり包括的な考え方が出ているわけですか。
【岩永座長】 それも含めてだと思います。現実問題として、半年間ずっと保健室に通っていた子供も、出席ということにはなっていますよね。それは規定上はそういう取扱いでいいと思うんですけれども、義務教育の話です。それは逆にそれを出席にしないとか、子供たちを原級留置きにしてしまうということのマイナス点を十分に考えてのことだと思うんです。そういう対応になっている。あとはもう教育的な対応だと、私が考えているのは、その教育的な対応としてそれが十分にできるのかどうかというところなんですけどもね。
【市川委員】 例えば不登校になってしまったとかいう子供たちが、学校には行きたいけれども、もう行けないという、いろんな精神的な問題もあって行きたいけれども、行けない子は何とかほかの手段で学習できるようにというのは、まだ今も実際あるでしょうし、分かるんですけれども、学校の授業が簡単過ぎて、時間の無駄であるとかこれこの後も出てきますよね、そういう御意見がね。
こういう子たちは、それを行こうと思えば行けるけれども、要するに不満足であると。不適応と言っても、学校の授業は不満足であるんだと、そう思っている子はいろいろいると思うんです。例えばすごく音楽の才能があって、学校の音楽の授業はつまらないとか、教科によってそういうこともたくさんあると思うんです。ただ、そういう子供たちの満足度をもっと高めるために、学校外の学びに参加してもよいと、そして学校は出席したことにすると、広く言えば私はそういう話になるんだろうと思うんですけど、そう理解してよろしいですか。
【岩永座長】 それも論点だと思います。ここの有識者会議で、そういう方針を決めたということではないので、そういう方向も話の一つとしてはあり得ると思います。
すいません、今の件についてまず今村先生から、もう一度手が挙がっておりますが。
【今村委員】 ありがとうございます。市川先生が御疑問を投げかけていただいているお気持ちも理解できます。どこまで、誰を許すのかというところにレギュレーションが難しいというところはおっしゃるとおりなんですけれども、現状の運用として、さっき座長の先生からおっしゃっていただいたとおり、既にかなりの子供たちが不登校傾向、保健室登校、別室登校など、学校に来ていても保健室にただいるだけ、リソースは特にないのでプリントを持ってきて置いてあるけど、ずっとそこでゲームしています。でも出席になっているとか、校長室に一旦来れば、それでもう出席と認めてあげるよということを目標にして、そこで読書をしています、それも出席になっていますみたいなことが、学校の中に来て別室にいたとしても起きています。学校がそういった配慮、特にコロナ以降、保健室が安全な場所ではないというか、学校によっては不登校の子の居場所だったのが、不登校の子も感染予防的に何人も入れられないから、そこにも来れなくなったから在宅にいるという、この中にも特異な才能を持った子たちも多数知っているんですけれども、そういった子たちも結局放置になってしまっているという現状もあったり、別のところのフリースクールに行っていてそれを出席と一旦認めてもらっているけど、質の内容はチェックがないみたいなことも現状起きています。その中で、何を出席にするのかというところは今のように多様な解釈のままいくのがいいかなと思うんですけど、質の観点で誰のチェックもないというところは問題だなということと、やっぱり特異な才能を持った子たちがきちんと学び、困難さに変わってしまっているけれども、好奇心のほうに目を向けてあげることで、物すごくその子は生きてくるという子もたくさんいると思います。ですので、やっぱり学びの保障というところに外部のリソースをもっときちっと手当てしていくということは、学校内外においてとても重要なことだと思います。なので、現状のほうが問題だということを補足させていただきました。
【岩永座長】 ありがとうございます。福本委員からも手が挙がっております。
【福本委員】 すいません、今村委員がもうほぼ言ってくださったので、手を下ろしたんですけれども、私もやはりその優秀かどうかという観点よりも、30万人近い子供たちがやはり長期欠席の状態にあるということを考えたときに、その中にかなり複合的な要素を持ったお子さんたちがいるので、その優秀とかそうじゃない、そのいろんな原因を持っている子供たちが行ける場所で学びをつくっていくというのは、もうどこかの基準でのレギュレーション、もちろん必要になってくると思うんですけれども、認めていくという方向での議論を進めていかないといけないのかなと思っていまして、その複合的な要素というのが絡み合っているからこそ、ちょっとレギュレーションを決めていくこと自体が難しいということはあるんですけれども、そこの要素分解を丁寧に解きほぐしながら、どういうケースの場合だと、どういう人たちからの認めたオーソライズがあるとやりやすいのかということを、具体の例を挙げながら決めていかないとしようがないのかなというところを感じた次第です。
【岩永座長】 ありがとうございました。現実問題として、さぼりなのかそれともほかの学習をしているのかというのは、学校サイドでは簡単には把握できないので、やはりさっきお二人の先生から同じようにありましたレギュレーションの問題とか、要するに基準ですよね。
教育の質保証ということも非常に重要な観点かと思いますので、それができるような仕組みをつくった上で、何でもかんでも認めるということではなくて、本当に子供さんたち個々の学びに合ったようなやり方、合ったような内容というものが提供できるということを保障しつつ進めていかなければいけないなというふうには思っておりまして、この点はやはりはっきり明記したほうがいい課題だなと思いました。
すいません、最初のところで時間を使ってしまいまして、申し訳ありませんでした。市川先生、今村先生、福本先生、それぞれにいい御示唆をいただきましたし、その前の根津先生が、話をまず始めていただいたということで、活発な議論になったんだと思います。ありがとうございました。では、恐縮ですけれども、先へ進めさせていただきます。
続きまして、3ページの中ほど、ごめんなさい、高等学校段階においては、これはどうしましょうね。これ何か御意見ありますか。今、義務教育段階ということで集中して、御議論いただきましたけれども。では、この件については、もし何かありましたら後で、後ほどまとめて伺いたいと思います。ありがとうございました。
続いて、3ページの中ほどですけども、障害を併せ有する場合の対応策ということで、後ほど多項目と合わせて御意見いただくこととして、次の児童生徒が学校生活に困難を感じている場合ということで、アの四角です。アが書いてある四角で、「学級経営・生徒指導・キャリア教育等に関する方策」という項目が挙げてございます。この辺りはあまりこれまで取り出して議論したことがなかったので、本日、ここについて改めて議論を行いたいと思います。
この項目に関して、委員の藤田先生から話題提供いただけるということで、資料もあげておいていただいておりますので、御説明をお願いしたいと思います。
藤田先生、よろしくお願いいたします。
【藤田委員】 よろしくお願いいたします。それでは、大変恐縮ですが、15分から20分時間を賜りたいと思います。画面の共有をお許しください、させていただきます。
それでは、始めさせていただきます。まず、今日は今座長からおっしゃられましたように、学級経営・生徒指導・キャリア教育の観点を中心にしまして、日常の教室の中で、どういうふうな困難の解消が可能なのか、あるいはし得るのか、そういうことについてお話を申し上げたいと思います。
まず、私たちが振り返らなくてはいけないのは、昨年の夏に実施されたアンケートの結果の中で「学校で経験した困難」。今日も今まで議論たくさん出ておりましたけれども、時間の浪費感、授業中は常に暇を持て余していた、あるいは40分以上何をしたらいいのか分からない、分からないふりをするのも苦痛だ、こういうふうな子供たちの切実な感覚というのがある。そういった中で十分な支援がなされない、むしろ誤解をされてしまっている、理解が得られない、例えば才能が否定されてしまっている、そういうふうな状況も起きているということが、アンケート結果から見てとれるわけです。
また、いわゆるtwice exceptionalな子供たちに対しての理解不足、またはそれの否定、これもやはり先生方の理解の不足に起因するところも大きいのではないか。
そしてもう一つ、私が今日注目すべきところと思ったのが人間関係形成の難しさなんです。特に特異な分野において才能があるがゆえになかなか理解してもらえない、友達と話すときに苦痛である、そういうふうな子供たちがある一方で、その苦痛さのみならず、孤独である、孤立してしまっている、そういう部分をどう考えたらいいのかということについて、今日は特に焦点を当てて考えてみたいと思います。
この点につきましては、既に、松村先生がきちんとまとめてくださっているわけですので、私のほうからこれ以上付言する必要はないかと思います。全て松村先生のまとめによりたいなと考えております。ありがとうございます。
このようなアンケート結果を私たちは既に共有しているわけですけれども、そういう中で、特定分野に特異な才能がある子供たちそのもの、その子をどうするか、その子に対して何がなし得るかということに対しては、私たちは集中的にいろんな知見を集めてきたのかなと感じました。
例えば前回第8回、愛媛大学の隅田先生からも包括的な御提案ございましたし、御報告ございましたし、事務局からも既存のプログラムに関する情報提供ございましたが、前回の8回のみならず、第2回会議、奈須先生からはもう三十数年前からこういった子供たちへの対応している学校もあるよという御説明ございました。また、福本先生、中島先生からは、それぞれのプログラムに関して全国的な展開が見られることもお示しいただいたところです。また、第6回につきましては、先ほどちょっと御紹介がございましたように、大学との関係、大学との接続をどうするかということに関しても、制度が少しずつ進展しているということがございました。
また、天童中部小学校の校長先生からは、その単元の中において自由に進路が決められるような、いわゆるそういった思った場所で、思った形態で、思ったように学ぶことができる、そういう取組は既にできるんだということもございましたし、また、蓮浦センター長からは不登校の支援、特に、ICT機器を十分活用することによって、様々な地平が開けてくるんだという御説明もあったかと思います。第8回に関しましては、前回ですので、割愛をさせていただきます。
しかも、このようなこの会議内の情報提供のみならず、既に、新しい学習指導要領の非常に大きなポイントになっております、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実につきましては、ICTを最大限活用する方策というものを軸にしながら、教師用向けの資料書も、指導書も整えられているところです。
また、このICTですけれども、文部科学省が前々からGIGAクール構想と立てていたものが、非常に不幸ではございましたけれども、新型コロナウイルスの世界的な流行を受けて、そういった不幸なことが重なったにせよ、急速に、2020年度中、令和2年度中に、特に義務教育ではほとんどの子供たちが1人1台端末を持つようになった。これはもう目を見張る動きだと考えます。
画面右側に御覧いただいておりますように、この動きが出るまでは1台のコンピュータを五、六人の子供たちが共有していた状況というのが、日本の状況でした。これは先進国の中でも非常に、言葉を選ばずに言うと悲しい現状だったわけですね。それが不幸な世界的な流行によって、その後押しを受けて、1人1台端末というのが実現してくる。そうなると今日冒頭に見たように、授業中に40分暇を持て余す時間というのは、このICTの1人1台端末の普及と、AIを中心とした先端技術を活用したプログラム、ソフトウエアの開発によって大きな進展を遂げる可能性も、私たちは手にしているのではないかと思います。
このように考えてみますと、これまでこの会議を含めて議論してきたことというのは、その特定分野に対して特異な才能を持つ子供たちに、どのような支援が学校の中で可能なんだろうかということに関して議論し、また、学校外のリソースと、例えば自然体験なども含め、また、グローバルな体験なども含め、学校外のリソースをどういうふうにミックスをしていったらいいのか、そういうことを考えてきたと思うんです。
ただ、重要なのは、今まさに前半に先生方の中で意見交換がありましたように、通常の学校生活がその子の発達を阻害しない、あるいは心身の安定を著しく阻害しない場合、いわゆるその子が学校にいることによって、十全な発達がむしろ遂げられるんじゃないかという、そういった特定分野に特異な才能を持つ子供たちに対して、通常の学級で何ができるんだろうか、その子だけをターゲットにするんじゃなくて、みんなとの中で何ができるんだろうか。
特に人間関係の中で苦しみを抱えている、困難を抱えている子供たちがある中で、そういう人間関係形成、特に今だけではなくて、将来にわたって社会参画をするときに、その一人っきりで子供たちは生きていくわけではない、私たち大人もそうですけれども、一人っきりで生きていくわけではないので、そういった特異な才能を持たない人たちと地域の中で、あるいは家庭の中で、職場の中で共に生きる、そういった環境の中に適応できる子は、もちろん適応したほうがいいと思うんです。
それがその子の生活を著しく阻害してしまったり、その子の心身の安定を著しく傷つけてしまう場合は、もちろんそういったことを強いることがマイナスだと思いますが、そうではない子供たちに対しては、むしろ社会参画ということを考えたときに、この集団の中でどうその子の発達を支援していくのかということは、同時に考えなくてはいけないことかなと思います。
今日はそのような前提に基づきまして、日常の教室の中でできることとは何か、すべきこととは何かということについて、釈迦に説法のところも多分多いかと思いますけれども、復習してまいりたいと思います。
まず、復習シリーズからまいります。これまで私たちがこの会議の中で議論してきたことの実行可能性というのは、実は現在の学習指導要領の中に盛り込まれているということは、確認しておくべきだと思うんです。
例えば、今日は中学校の学習指導要領総則を例にいたしますけれども、心身の発達の段階や特性を十分考慮して、適切な教育課程は編成すべきだよ、その子の特性を考慮するということが、教育課程編成上の重要な前提になっているということ。それから、学校だけが頑張るんじゃなくて、地域の実態等を適切に把握しながら、人的、物的な体制を確保することも教育課程上重要なんだよ、これをカリキュラム・マネジメントと言うんだよということも既に掲げられているわけです。
そして、学校において特に必要がある場合には、この学習指導要領に示されていない事項を加えることもできますし、また、生徒自らが学習課題や学習活動を選択する機会を設けることも十分できるし、そうすべきだという規定がある。ですから、私たちは、全く芽が出ない、その殺伐たる地平に立っているのではなくて、そういう可能性を許容する学習指導要領の下で議論をしているんだということは、ここで確認しておくべきかなと思います。もちろん先ほど申しましたように、家庭や地域との連携というのも深めることも求められているんです。そうすべきではなくて、そうしようじゃないかではなくて、そうするんですよという前提がある。これが学校運営上の課題になっているということです。
今日注目したいのは、このピンクの太枠で囲んだところなんですけれども、その下、先に説明させていただきます。
補充的な学習とともに発展的な学習など、学習活動を取り入れること、個に応じた指導の充実を図ることというのも既に総則事項に入っている。ですから、私たち繰り返しになってしまいますけれども、学習指導要領の規定というそのものが、私たちの議論と全く水と油の関係ではないんだということは確認しておくべきだと思います。だからといって、既に整えられているわけではなくて、そういう萌芽を受け入れる土壌が、学習指導要領にはあるということですね。
今日注目したいのは、これまでの議論とはちょっと毛色が違うことかもしれません。つまり例えば、今回の人間関係形成でございますけれども、太囲みの1番、ちょっと読ませていただきます。
学習や生活の基盤として、教師と生徒の信頼関係及び生徒相互のよりよい人間関係を育てるため、ガイダンスあるいはカウンセリングをして、そして生徒の発達を支援すること、こういったことが求められているわけですね。これが学級経営の基盤です。
また、生徒が自己の存在感を実感しながら、よりよい人間関係を形成し、有意義で充実した学校生活を送ること、これが生徒指導の重要な目的です。ですから、子供たちが疎外感を感じ、孤立感を感じることというのは、生徒指導の理念から全く外れているわけですね。そして、生徒が学ぶことと自己の将来とのつながりを見据える、先を見詰めていく、これがキャリア教育の充実です。ですから、先ほどちょっと図で示しましたように、これまでの議論では十分フォローされていなかったところかもしれないと思います。
そういった中で、どういうことがキーワードになってくるかなというと、ガイダンス、カウンセリング、あるいはポートフォリオ、こういうところかなと思いました。これは先ほどの復習になってしまいますけれども、これまでこの会議の中で特に議論されてきたのは、学習の個別化、最適化、そして学習集団の多様化だと思うんです。つまり、学校の中だけに閉じずに、学校内外のリソースを十分活用しようよ、もし仮にその子の生活が学校にとどまることによって阻害されていく、発達が阻害されていく、心身の成長が阻害されていく、そういった場合には、特例を認めてもいいんじゃないかという議論だと思うんです。
ただ、そうしたときに阻害されるほどではない、十分に学校生活が営める場合、何も工夫しなくていいのかというとやはりそこには工夫が必要だろうと。もともと学級、ホームルームの重要性というのは、人間関係形成、社会参画、自己実現、この3つが狙われているわけですね。そういう中で、特定分野に特異な才能のある子供たちをどのように捉え、どのように支援していったらいいのかということをもう一度考える必要があるような気がします。
そうしたときに、一つ、私たちが重要視しなくてはいけないのは、学級あるいはホームルーム、私たちがクラスと呼んでいる、その集団の活用という言葉はよくないですけれども、その集団の中でどのように一人一人の個性を認め、一人一人のよさを認めていくのか、そういったことが重要なのかなと。特にこの話合い活動することによって、自分たちとは異なる意見がそこにあるということを理解し、お互いにその違いを認めていく活動というのが求められている。こういうふうな求められていることをもう一度私たちは再評価し、それをどのように現実に、理想に近づけていくのかということが重要だと思うんです。
学校に行けない、あるいは行くと非常につらい、それは行ける場所になっていないからだと思うんです。もう学校、行ける場所じゃないよって投げてしまうんじゃなくて、そういう特異な才能を持つ子供たちも含めて、様々な個性を持った子供たちにとって、行ける場所、行きたい場所にするためにはどうしたらいいのかな、そういう議論というのがやはり必要なのかなと思いました。
そういう中で、この学級活動、学級というのは「学級経営の要」であると同時に、「キャリア教育の要」でもあるんです。先ほど申しましたように、キャリア教育は現在と将来をつなぐものなんですけれども、こちらを御覧いただきますように、小学校においても中学校においても高等学校においても、特別活動を要としつつ、各教科等の特質に応じてキャリア教育の充実を図る。この中の特別活動というのは特に学級活動、ホームルーム活動を意味しています。具体的にはここになります。
学級活動、ホームルーム活動、今日は詳細の話は割愛いたしますけれども、(1)、(2)、(3)と3つに区分されるわけですが、その(3)が小中高等学校共通で、一人一人のキャリア形成と自己実現なんですね。そういうふうな学級を単位としたガイダンスするとともに、一人一人のカウンセリングもこういった中で提供されていく、その主軸となるのはいわゆる担任の先生です。
そのような集団としての学び、学級としての学びやそして個別の指導、カウンセリングを含めた、そのような学びの記録を蓄積する教材と、現在これはキャリア・パスポートと呼ばれていますが、こういったものを活用することも、現在新しい学習指導要領では小学校から開始されています。
実は、このキャリア・パスポートという名称がついて、いわゆる公認されたのは、学習指導要領が告示された後でした。ですから、学習指導要領上はキャリア・パスポートという言葉はなくて、児童生徒が活動を記録し蓄積する教材等という言い方をされていますが、それをキャリア・パスポートと呼びましょうと言ったのが、平成31年3月です。平成31年というと随分昔みたいに聞こえますが、令和になる年の3月です。
この事務連絡において、キャリア・パスポートってこんなものですよと書かれていますけれども、四角囲みの上だけ読ませてください。
「キャリア・パスポート」とは、児童生徒が、小学校から高等学校までのキャリア教育に関わる諸活動について、特別活動の学級活動やホームルーム活動、先ほど申しました(3)ですね、その(3)を中心として、各教科と往還し、自らの学習状況やキャリア形成を見通したり振り返ったりしながら、自身の変容や成長を自己評価できるよう工夫されたポートフォリオのことである。このポートフォリオとしてのキャリア・パスポートが小学校から開始されているということは、今回、私たちが関心を集めている、その特定分野に特異な才能を持つ子供たちにとっては非常に重要なことだと思うんです。
先ほどちょっと申しましたように、学習集団というのは多様にならざるを得ないし、なるべきだと思います。学校外のリソースも含めて、多様な学びというのを提供する必要がある。そういった多様な学びの記録をどのように蓄積し、どう振り返り、自己肯定感や自己効力感につないでいくのかという議論は、非常に重要なものだと思います。
特にこのキャリア・パスポート、キャリアポートフォリオが基盤としている理論というのがございます。キャリア構築理論と呼ばれていますが、その主たる研究者としては、マーク・サビカスだったりとかラリー・コクランだったりします。
例えば、サビカスの表現をちょっと借りたいと思います。ちょっと中黒のところですけれども、一人一人のキャリアを構成するのは、たくさんの「小さなストーリー(マイクロナラティブ)」だと言っているんです。その小さなストーリーを振り返り、他者との相互活動の中で意味づけし、それらを再構築して「大きなストーリー(マクロナラティブ)」にする。その「小さなストーリー」を「大きなストーリー」に統合する際に、その底流となるパターンを「キャリアテーマ(ライフテーマ)」と言う。つまり小さなストーリー、学校外でこういうふうな学びの経験をしたというストーリーを、何か特例扱いされて阻害されていると振り返るのか、それとも、学校では学べないことがこんなに学べて、ふだん話さないことが自由に話せて、すごくよかった経験として振り返るのか、そういったことが重要なんですね。
その価値づけというのはやはり先生との会話の中で、それからクラスの友達との情報共有の中で行われていくので、そういった学級経営が多様性を認める、マイノリティーの存在を認めるものではなくてはなりませんし、先ほど先生方に共有させていただいた、担任の先生方の誤解や知識不足、これも克服されるべきものだろうと考えます。
もうそろそろ20分ですので、まとめさせていただきます。今回私がお話しさせていただいたのは3つかもしれません。まず、「特定分野に特異な才能」を持つ才能そのものへの支援・指導の充実の萌芽、これが今理想状態にあるとは全く申しません。ですけれども、学習指導要領の規定を含めて、その萌芽を受け入れる土壌も萌芽もある。しかも、GIGAスクール構想によって、1人1台端末がほぼ義務教育段階で達成されているんです。プログラムやアプリケーションの開発も進んでいる。そういった45分、50分の中で、いかに子供たちの多様な学びを許容していくか、認めていくかということは、かつて想像もできないほど現実に近づいているのではないか、そして、学校外の学びの多様にあるのではないかと思います。
そういったときに、その集団としての社会性や人間関係をどう育んでいくのか。その成長を阻害しない、発達を阻害しない範囲の中でどう育んでいくのか。そういったときに、やはり同年齢の子供たちで構成される学級って非常に重要だと思うんです。特異な分野に才能がある子供たちであっても、恋愛をしたり、あるいは心身の発達に驚いたり、戸惑ったり、それから、大人から見ると小さなことに戸惑ってしまう、思春期特有の思考回路に陥ってしまったり、そういったものを共有しながら、ああ、あいつもそうなんだなという安心感を持ちながら、いろんなぶつかり合いも経ながら、口論も経ながら、そういった中で生きていけるもの、獲得できるものもきっとあるはずだろう。
そのときに、そういうふうな行ける場所になっていない学級を行ける場所にしていくためには、やはり先生方の研修というのは必要だと思うんです。学級経営、生徒指導、キャリア教育どれをとっても現在クラス担任の先生方、中核です。そういうふうなクラス担任の先生方は、いわゆる多様な子供たち、特定分野に特異な才能のある子供たちのみならず、外国にルーツを持つ子供たちもそうです。ほかにも多様な子供たちを包括して、包含して理解する必要がある。
そういったときに、特定分野に特異な才能のある子供たちを含めたそのマイノリティーの子供たちの特性をどう理解していくのか。こういった教員研修がきちんと提供され、その上で、学校内外のリソースとの連携協力の枠組み、その運用方策、プロトコルであるとかレギュレーションであるとか、そういった議論というのが同時に行われる必要があるのではないかなと、そんなことを感じました。
ちょっと長くなってしまいましたが、私からは以上です。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました、藤田先生。
それでは、あんまり時間もないんですけれども、藤田委員への御質問、それから本件に関する御意見を各委員から頂戴したいと思いますが、いかがでしょうか。お手を挙げていただければと思います。今村先生、今村委員、お願いします。
【今村委員】 すばらしい御提案ありがとうございました。
今、藤田先生がおっしゃっていたことを実現していくに当たって、2点ほど、さらに深めて、何かを明記されるのであれば明記していただきたいなと思ったことを申し上げたいと思います。
まず、1つ目が、学校の先生方が今なぜ特異な才能を持つ子供たちに対する、やろうと思えばできるのにやれない、対応ができないか、もしくはやれないのか、どちらかなのかは環境によると思うんですけれども、例えば、もしかしたら対応しようと思えばできるのにできていない場合、なぜそれが起きているのかというと、それは管理職の方を含めて経験が足りないので、研修によって補うということになると思うんですけれども、もう一つの理由として、打ち手がないからというところも、かなり大きな理由かなと思っています。
個別的な対応をしようと思っても、じゃあそれは誰がやるんですかという話になったときに、担任の先生ですということになると、担任の先生のホームルームで解消していきましょうということになってしまいます。そうすると、それはもうとにかく無理であるということになってしまうので、研修とともに充実すべきはやっぱりリソースの充実というところだと思います。
それは先ほど申し上げたことにもつながるんですけれども、どうしても自治体によって財源、自治体の財源負担がかなり大きい教育支援センターなどの公立、公的なオルタナティブ施策が足りないので、担任の先生が例えば何かを使おうと思ってもできないし、GIGA端末でできるかというと、どこにそれがあるのかも分からないということになってしまうので、できれば県教委、国としてできないのであれば県教委ごとに、この特異な才能がある子供たちにとっては、こういうリソースがありますよということをオンラインでも引き出せるし、担任の先生が必要だと思えばオンラインでも引き出せるし、オンラインでも担任の先生の相談に乗れるし、そういう特性がある子供だったらこういうやり方があるんじゃないかということを県教委として相談に乗ってあげられるし、その上で、先生方の日常的な声かけの研修をするという、研修以上にリソースというところをまず充実していくということ、それはもう財源含めてなんですけれども、最も重視すべきかなと思ったというのが一つです。
もう一つが、やっぱりその人の教育活動ってどうしても善意であっても支配関係になりがちだなというところが、やっぱりそこかしこで起きていることだなと思っていて、それは私も一人の子供の母親なんですけども、親子もそうなんですけど、やっぱり何かを教育してあげているつもりになっていると、どうして自分の言っていることが伝わらないんだって気分に人間はなってしまう。一生懸命先生方もやろうとするから、どうしても教育者として一致団結を求めてしまって、そこから外れる子というのはどうしても問題がある子と見てしまうというのは、これはもう人間のさがなんじゃないかなと思ったときに、そこに第3の視点でやっぱり物を言うのは養護教諭の先生とか、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーさんのような教育軸じゃない理屈を持った方が学校の中にいて、それはこういう考え方、心理の視点に立つとこうなんですよとか、福祉の視点に立つとこうなんですよということを助言してくれる人の存在が、とても大切になってくると思うんですけれども、その人たちが足りないという問題もこれもまた大きく、そういった特異な才能がある子供たちの存在が見過ごされている一つの理由かなと思っています。
もしかしたら未来、次の学習指導要領でどんな検討がなされるかが分からないんですけど、前学習指導要領のときに書いたことがあまり実現していない理由は、リソースがないからというところもあるかなと思ったときに、ただ、1人1台パソコンが手に入ったというところはすごい進捗なので、もしかしたら、教職よりも支援職を増やしていくという日本の学校像に未来になっていくかもしれない。
そのときに、やっぱり生徒一人一人の視点で特性を捉えて、教職者に対して、この子にはこうしようよということを一緒に先生に伴走するように助言をしてあげるような支援職の方を今後増やしていくということも同時に検討しないと、このアジェンダもなかなか深まらないなと思いました。
ちょっと長くなってしまいました。以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。何か今の点も踏まえて御質問があれば、御意見があれば。藤田先生、お願いします。
【藤田委員】 今、今村先生から御意見をいただいたところで、私も全く同感です。リソースの充実は絶対的に必要ですし、いわゆるチーム学校として求められているような教員以外の専門家との協力関係というのは必要だと思います。全く賛成です。
ただ、そのときに共通言語がない、あるいはリソースを求める原動力となるそのモチベーションがない、それをモチベーションの用いようがない、それがやっぱり不幸だと思うんですね。ですから、やはりその共通言語は持ちながら同じ土俵に立てるような、せめて最低限の知識というのを先生方に共有しておかないとリソースも活用できませんし、チーム学校として今どんどん配置が進んでいるようなソーシャルワーカーの方ですとか、スクールカウンセラーの方あるいはスクールソーシャル、心理士の方ですとか、そういった方がなかなか活用しにくくなってしまう、それもやっぱり二輪だと思うんです。両方同時に進めていくことかなと思いながら、お話を聞かせていただきました。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。市川先生、お手が挙がっております。
【市川委員】 藤田先生、どうもありがとうございました。
今日、藤田先生はこの学級活動であるとか、あるいはキャリア形成ということからお話があったと思うんです。私はそれはすごく大事なことだと思います。ただ、私はそれに伴って学校でできることは何かということで、どちらかというと学習面、授業面のことから、補足したいと思っています。
最初、藤田先生出されたアンケート結果、私はやっぱりこれを見るたびにすごく痛ましい気持ちになるんです。これだけ学校の授業に不適応、不適応という意味が、授業内容が分からなくて不適応なのではなくて、もうあまりにも簡単なことなので分かってしまって時間が無駄になっているという感覚、これはよく大学生でも言う人がいます。小学校の、例えば算数の授業というのはもう全くばかばかしいことばかりで、自分は時間を無駄に過ごしていたと。
このとき、この意見に対して私は両方から見ていく必要があると思うんです。一つは、学校の授業側の問題です。やはりこの30年ぐらい学校の授業というのが、多様な子供たちがいる、中には学力の高い子もいる、特異な才能を持っている子もいるという、そちらの子もいるのに、そちらのことはあまり考慮せずに、どちらかというと課題のレベルを落として、それを自力発見させるというような、そういう授業がこの30年くらい、これは教科によってですけれども、増えてきたと。
「問題解決型授業」とは言うんですが、その扱う問題というのがあまりにも易し過ぎて、教科書を閉じてそれを発見させるようなのがいい授業だとその業界ではなっているという雰囲気があって、するとそれは先取り学習している子にとっても、あるいはすぐに分かってしまう子にとっても非常に退屈な授業になる。そういう授業のほうの改善ということをしっかり考えるべきではないかと。そういうことをやると私は、かなり例えば算数で学力が高い子でも学校の授業は面白い、やりがいがあると言ってくれる可能性はかなりある。実際にそうなっているところもあるということですね。
もう一つの側面というのは、これは子供のほうを逆に見た場合、子供たちは自分はもうできると思っている、例えば小学生なんだけれども、もう高校の問題までできるんだと言っているような子もいるという話ですよね。ただ、私はそのときにそれもちょっと問題を感じていて、本当に概念的な理解までちゃんとできているのか。
よく塾によっては、先取りで高校の微積分まで小学校でやらせているというところもあって、子供はできるつもりになっているんですが、実は概念的な理解はそんなにできていないと。概念的理解ができていないということを自覚させるような授業になっていないという点では、授業にも問題があるんですけれども、これを言う生徒のほうにも、私はちょっと問題の可能性はあると思っているんです。
ですから、授業面の改善ということと、生徒の自覚面というその両方の面から、改善を図っていく必要があると思っています。ちょっと学習面のほうからの補足ということで、今でもすぐにできることとして、そういう学習面のことも大分あるのではないかということを言わせていただきました。
【岩永座長】 ありがとうございました。あとお二方手が挙がっている、松村先生、いかがでしょうか。
【松村委員】 すいません、私は才能教育からの補足をお話ししたい。福本先生、よろしかったらお先にどうぞ。
【岩永座長】 いいですよ、松村先生どうぞ。せっかく当てたんだから。
【松村委員】 そうですか、すいません。藤田先生、どうもありがとうございました。
有識者会議のこれまでの議論がいい方向に進んでいるんだと、改めて感じさせていただきました。ありがとうございました。
私の関心では、特にキャリア・パスポートというのがアメリカの才能教育でよく使われている。全ての子供を対象とした「才能全体ポートフォリオ」というのがありますが、それの一部と似た働きを持っていますので、今後、日本でも才能のある子にとって優れた活用方法が蓄積されたらいいなと思いました。
生徒指導・キャリア教育について、才能のある子の指導支援の点からの補足です。ちょっと画面共有させてください。後でまた別のテーマでお話ししたいことの資料もまとめて一つのスライドにしましたので、大層なタイトルをつけていますけれども、まず、最初にその生徒指導・キャリア教育のことについてちょっとコメントしたいと思います。
ここで、この後もそうですけども、特異な才能のある児童生徒というのを「才能のある子」と呼んでおきます。文字数とか話す秒数が半分になるんですが、突出した才能とか、困難を伴う才能に限定されませんよという意味です。
それで今の生徒指導・キャリア教育についてですが、アメリカでの「才能児」のためのキャリア教育から示唆される課題です。ここで才能児と言っています。これは私の中では使い分けています。才能児というのは、才能を基準に選ばれた子供という狭い意味で使っているんです。別にこういうふうに文科省で言ってくれというんじゃないんですけれども、こういうふうに使い分けて考えると、概念が整理されます。
それでそのアメリカでの才能児のためのキャリア教育ですが、そこで留意すべき点が日本でも共通する課題となることがあります。
まず、才能児は保護者や教師、社会からの期待に敏感であるということ。その期待というのは、その子供にとって過大または過小な期待を受けていると。そうすると親の期待に合わせてしまうということも生じるわけですね。
特に、女性の科学技術分野のキャリアについて周囲や本人の期待が小さいことがある。アメリカでもそうだということが古くから言われて今でも問題で、ずっとアメリカの才能教育でも問題となっています。
これは日本のCSTIの教育・人材育成の政策パッケージで、理数系の学びに関するジェンダーギャップの解消を目指すということが議論されていますが、今後検討すべき大事なテーマです。女性とか科学技術に限らないで、才能のある子にはポジティブな役割モデルが特に必要だとされています。
つぎに、才能児は学業面に比べて、対人面で自己尊重が低い場合が多いと言われまして、小学校段階からポジティブな自己概念の形成が必要、重要だと言われています。そこでは自分の強みと弱みを知ることが大切だとされています。
また、現実問題解決の本物の学習、オーセンティックな学びをの体験を通じて、学習と職業とのつながりを理解させる、それが有効だとされています。そのために多様な分野の専門家が役割モデルやメンターとして関わっています。
それから、才能児は多才なことがあります。「multipotentiality」と言うんですが、そのために進路や職業を絞りにくい、選択が決まらない。その際に親の意向で一つに絞らせないで、特定領域へのその子の興味とか情熱の尊重を助言するのが、カウンセリングなんかでもいいだろうとされています。レンズーリの例の「才能の三輪概念」で、課題への傾倒と呼ばれる、強い意欲・熱中が才能の要素となっています。それを大事にしましょうということです。
もう一つ、もう1枚あります。アメリカの才能児のためのスクールカウンセリングからの示唆です。これは私の『才能教育・2E教育概論』という本の記述をまとめたものです。
学業とか進路・職業、人格・社会といった領域で、才能児に特有な問題について多面的に個人や集団でカウンセリングが行われています。詳しくは私の本を御覧ください。アメリカでさえ大抵のスクールカウンセラーは、才能教育に精通していないので、研修が要りますね、みたいなことを言っています。それでも日本でも、スクールカウンセラーに才能のある子の支援の視点・知識が必要だということを訴えたいです。
この後、多分2か所で画面共有をして発言することがあると思いますが、このテーマについてはここまでです。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは、福本委員からも手が挙がっております。福本委員、お願いします。
【福本委員】 藤田先生、それから、先生方どうもありがとうございました。
藤田先生のお話を伺っていてかなり印象的だったのが、キャリア・パスポートというものが使われていて、それが一人一人の小さなストーリーが大きなストーリーになっていて、ライフテーマにつながっていって、それがキャリアにつながっていくような一つのストーリーとなっていくというところが非常に重要だなと思いまして、学校経営がそれをかなえていくんだよというメッセージと併せて、お伝えいただいたことにすごく意義があるなと感じました。
子供たちの中で起こっていくこと自体を先生たちが酌み取って、その学級経営の中で、対話を通してくみ上げていくということができることが、多分学級経営の質を高めていくことであり、それは生徒指導ではなくて生徒支援という、より生徒たちが主体的になっていくことを支援、下支えするような関わり方を非常に支えてくれるような考え方なんじゃないかなというところで、とてもすばらしい考えを共有いただいてよかったなと思っております。ありがとうございます。
もう一つなんですけれども、特性の把握の難しさがあるというお話があったと思うんですけれども、やはり私たちもアセスメントというものを一つのフレームとして、人間の複雑性を全部把握するということはもちろん難しいんですけれども、やはり特性の強いお子さんたちが抱えていそうなもの、それから、思考スタイルなど、会話の中だけだとなかなか出てこないとか、行動の片づけができないとか、順序立てて話が整理、論理立てて話せないとか、そういった行動上からしか推測できないようなことが今までたくさんあったと思うんですけれども、そこも基礎研究の中で思考スタイルにこういうパターンがあるということであったり、教科学習によらない興味関心のルーツがこういう形で表せられるというようなことなんかが、アセスメントで一つの共通言語、一つのフレームとして見える化していくことというのは非常に大事なのかなと思っているんです。
特性を把握する、したいということが教育の中で求められているけれども、それができないというのは一つのフレームがやはりないからなんだと思っていまして、一つのフレームを一度入れてみた中で、本当にこれは子供たちの才能とか子供たちを理解するために役立っているんだろうかということを、アジャイル的にブラッシュアップするということも含めてやっていく必要があるのかなと思います。
その子供自体のアセスメントをフレーム化する、見える化するということと同時に、支援もやはり先ほどの議論と重なりますけれども、かなり複合的だと思うんですね。学びたいことが学校で学べないという教育上のところに課題を抱えているお子さんもいれば、家庭の環境が非常に複雑でという方もいれば、本人の心理的な問題というところが非常に大きくて、友達がちょっと怖い、怖くて行けないという状況もあるので、どういう支援体系なのかということもやはり学校で共有できるようなフレームが必要なんだと思っています。
今年、ある学校でそのフレームを適用させていただいて、支援の順序を優先順位をつけるということをやりました。どういう子供たちが今クラスの中で困っていて、この子にとっては、優先順位は本人の教科に係る問題を優先事項としようとか、この子に関しては、保護者の家庭の経済的な事情が非常に大きいから、そこを優先事項としようということがこの中で共通理念として、そこも見える化して、システムを導入しながらその優先事項をどの人が、どういう役割の人が担っていくと、専門家領域と先生がやるべきことと、親御さんに働きかけてもらわないとなかなか動かないことということが整理がついてきて、それでチームとして子供たちを支援していくということができるということが起こってきました。
なので、支援の体系化とそれを行うことによって、より多くの専門家の方々が入られる。それはスクールカウンセラーじゃないと難しい問題であるとか、スクールソーシャルワーカーじゃないと担えない問題ということの切り分けが、今分からないまま皆さんどうにか動きたい、動けないという状況が非常に苦しい状況だと思うんですけれども、そこも外の先生方も専門家の方も入りやすくするためには、システムの見える化ということも非常に重要になってくるというのがこれからの時代なのかなというところも感じましたので、ちょっと感じたところを伝えさせていただきたいなと思いました。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。それでは、大分時間が押しておりまして、いろんな御意見をいただいて、大変ありがとうございました。
それでは、恐縮なんですけど、先に進めさせていただいてよろしいでしょうか。取りまとめの5ページ目になりますが、特に、「才能と障害を併せ有する場合の対応」ということで、いわゆる2Eの児童生徒の対応と。これまでに学習困難や障害がある子供も共通に、主体性に配慮した学びによりインクルーシブに学ぶことができるという御意見を頂戴しておりますけれども、もう少しこのことについて議論を行いたいと思っております。
先ほど、3ページのところで飛ばしてしまいましたが、才能と障害を併せ有する場合の対応についても、ここで特に学習活動上の困難と、それから学校生活上の困難に分けずに議論したいと思っております。
この論点に関して、松村委員から先ほどちらっとスライドのほうで拝見しましたが、あれの続きということになると思いますが、御意見があるということですので、よろしくお願いします。
【松村委員】 よろしくお願いします。スライドを出します。
才能や障害のために困っている才能のある子への指導・支援、いわゆる2Eのほうなんですが、その才能と障害を併せ持つ子を「2E」と特定して、別途特別な指導を行うのではなくて、才能にも応じる個別最適な学び、それが対応の基本になります。
これは通級指導や特別支援学級でもそうで、その主体的な学びが共通の基盤になるということは、前々回の天童中部小学校の取組などからも示唆されました。アメリカでも困っている才能のある子をいきなり選んで学級から取り出すのではなくて、シアトルなんかでもそうなんですが、才能と障害への支援が、MTSSと言う3段階の支援でインクルーシブに連動しています。学級内で段階1、段階2の支援を行って、それが学級外の段階3の支援に切れ目なく移行するという体制が広まってきています。詳しくは先ほどの私の本を御覧ください。
そういう個別最適な学び、協働的な学びに学校ぐるみで取り組む、学校ごとに取り組む、そういう実践の開発を教育委員会が支援して見守ってくださるような取組を開始していただけたらいいなと思います。
その際に、才能や障害もいろいろありますけれども、困難によって、支援の上では個人を種別分け、集団分けしないほうがいいと思います。つまり、例えばもし困っている才能のある子を、発達障害と発達障害ではない集団に分けたら、ラベル付けやどちらがどう才能に異なる支援を受けるのかなどで、集団が分断されてしまう可能性があります。そもそも2Eというのは、才能や障害の一部が隠れる場合もある。また、その障害種を限定して決められない。それから、診断の有無で分けられないとか、いろいろ未解決の問題もありますので、その才能への支援は、集団のタイプによって分けられない。
しかし、診断された障害というのがあるので、それには障害種固有に必要・有効な対応をするという留意が必要でしょう。
次の3の「保護者へのサポート」というところも含まれるんですが、これと関連してしまいます。教育委員会などでの才能への対応策を検討する場に、保護者が参画できる、そういう体制がつくられて、学校内外で才能による困難に配慮される仕組みが検討されるといいかなと思います。
シアトルでは教育委員会と教師、学校の才能支援のワーキンググループに、保護者も参加しているんです。そういう保護者参画ができたり、その他にまずは教育支援センターを通じた不登校支援などで、困っている才能のある子の情報が保護者支援団体にはたくさん集まっているでしょうから、そこと現状や対応について意見交換ができることが、スタートとして有効かなと思います。
2E関連ではここまでです。
【岩永座長】 ありがとうございました。今の御説明に対して御意見、御質問等ありましたら、よろしいですか。今もう既に松村先生のほうから必要な環境や体制のお話もちらちらと見えているようですが、その話がこの次に、松村先生のお話にあるわけですね、と理解してよろしいですか。今まで見いだしの話です。
実は資料1の5ページのところは2つに分かれておりまして、1と2の4ページから続いてくるところですが、3ページでした、3ページから2のところが続いておりましたが、それと併せて5ページのところで、1及び2を可能とするために必要な環境や体制というところがあります。ここのところの議論に移っていきたいと思うんですけれども、まず、才能や特性の見いだしということ、発見というところです。
この箇所についても、松村先生からの資料にもあったかと思いますので、もし追加で何か御説明、御意見ありましたら松村先生、お願いします。
【松村委員】 すいません、続けてさせていただきます。
才能や特性の見いだしの話です。
論点整理にありますように、有識者会議では、特異な才能のある児童生徒というのを定義づけて、あらかじめ特定しないということから、「才能児」とか「ギフテッド」とか呼んで、個人を見いだす、個人を「認定」するということはしないということになります。ギフテッドというのは有識者会議では使いませんけれども。ちなみにアメリカでも最近の傾向で、シアトルなんかでも個人を「gifted」と呼んで選び出すことはしないという傾向が進みつつあります。
才能のある子を認定しないことから、才能と学習困難、障害を併せ持つ子をあらかじめ「2E」だと認定しないことになります。才能のある子ではなくて、「特異な才能」というのは何なのかと定義しろという、特異な才能の定義を求める声もあるんですけれども、それはそういう特異な才能を誰が持つかを判断する基準が欲しいということに基づいています。だから、「才能児」の定義を求めるということ未分化になってしまうんです。
あえて才能の定義と言うならば、「普通より優れた力」ぐらいでいいかと思うのですが、もう一歩踏み込んだら、「才能の三輪概念」に倣って、「通常より優れた能力、創造性、強い意欲・熱中」ぐらいで、大綱的に述べておくほうが適切かなと思います。これは要するに、何を視点とするか、何を手がかりとして先生などが子供のいいところを見つけるのかということをごく大まかに分けておいたと。細かい基準で才能を定義するのではないということです。
ところがここが誤解されるんですけれども、才能のある子はこの子ですよと、それで才能を定義するのではないのですが、実際に個別の実践では、目的にかなった才能行動や才能特性の見いだし、「識別」というのが行われるべきです。
英語では個人を見いだすのも、才能・特性を見いだすのも同じ「identification」ですけれども、日本語では個人の見いだし、認定と、行動や特性の識別というのは呼び分けると混同されません。「才能のある児童生徒の識別」と言うと何かおかしいでしょう。そうすると識別というのは才能行動・特性なんだなと分かります。
才能を識別した結果、そのプログラムの目的にふさわしい個人が、プログラムの対象者とか、入試の合格者とか、コンテストの入賞者とか、資格・免許の取得者として選抜されるわけです。でも、そこでそういう才能行動・特性の識別のために、実際に行うアセスメントは行われるべきですけれども、それは、才能児と名づけないで活用されるべきです。
例えば、難関中学校の入試では、その学校が求める高学力を評定しようとします。これは才能教育から見ると、才能児を才能の基準で選抜する「狭義の才能教育」に該当します。だから、言わば日本でも古くからずっと才能教育が行われているところでありますが、そういう学校へ入学した高学力の生徒をわざわざ才能児とかギフテッドとか呼び換えないわけです。
それから、才能行動・特性の識別の方法、手段や基準は、有識者会議とか国レベルの機関が一般論で、始めから、頭から提案するべきものではありません。
才能のある子はIQ130以上だとすると、各クラスに0.8人いるはずだと言われますけれども、IQの問題点がいろいろあるのは別にしても、基準に合う才能児を認定するという前提の発想がおかしいんですね。何らかのテストとかチェックリストを全国の全児童生徒を対象に行って、何か基準を設けて、実態調査というのは行うべきではないし、限られた手法でそういう実態把握は不可能です。
特定の基準で才能児だと認定されるならば、その得点を上げる訓練というのは容易にできるので、必ず民間の教育産業が介入します。そうすると本来の才能が公正に識別できなくなります。日本ではそういう事情が十分考えられます。
だから、才能の識別方法というのは、既存あるいは新規の個別の実践で、公正で妥当な識別方法が利用・開始されるべきで、「誰が才能を見いだすか」というのは、当然その個々の実践の実施者とか、あるいは学校で先生が行うことになります。
例えば「ジュニアドクター育成塾」というのがありますが、そこへの参加というのは、例えば最初の段階では興味を持った子が、先着順で選ばれることがあります。これは才能の基準で選抜しないので、「広義の才能教育」として出発するわけですけれども、最終段階ではレポートとか試験で優秀な個人を選抜して、大学の研究室での高度なプログラムで「狭義の才能教育」が行われたりします。ここでは、その目的に応じて、公正妥当な識別とか指導方法を組み合わせて用いているわけです。
ですから、才能のある児童生徒をどうやって見いだすかなどをこの有識者会議で検討するのだという誤解が一般に見受けられますけれども、こういうような認識が広く一般に必要だと思います。
これと密接に関連していて切れないので、続けてお話ししますね。才能の識別方法の開発・普及と関連して、今触れました学校内外の既存あるいは新規の個別実践が、教育委員会の支援を得て、教育委員会がハブになったりして連携して、才能の識別、指導・支援のノウハウが把握・蓄積されることが望まれます。例えばもう話題に出てきました福本先生の、論点整理に挙がっています、鎌倉市での民間による取組ですね。教育委員会と連携して不登校の子に対応しておられるのですが、そこでは「個才」と呼ばれる才能特性が、アセスメントで把握されて生かされている。それはそういう目的があって、目的にかなう方法でアセスメントされているわけですね。
だから、まずは全国の幾つかの拠点で、教育委員会の支援とかで既存の実践を活用したり、新規に研究開発する取組を立ち上げていただきたい。そして、ロードマップ的には後になるでしょうけれども、そういう地方の取組を集結するというか、全国的な協議会や支援プラットフォームを形成して、各地域の好事例の情報を集約・蓄積する。そして、新規の実践に適合するような、才能行動・特性の識別方法や、才能に配慮した指導・支援について、帰納的に導き出された情報の発信、普及を目指していただきたい。
始めから決まった一つの才能識別の方法や指導・支援のやり方があって、それをあっちでもこっちでもやりなさいというんじゃなくて、それぞれの地域でやれる取組にふさわしい、それぞれのやり方、これにはこういうやり方がいいだろうというのを薦めていけるような、そういう支援プラットフォームができたらいいかなと思います。
ただし、そこで物すごい量の情報が集約されるでしょうけれども、今後、教育データ利活用というのが大きく動くようですが、どういうことが懸念されるのかということも十分考慮しながら、何かそういうような情報収集、発信が進んでいったらいいかなと思います。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。先ほど私、3のところの環境や体制と限定してしまいましたが、それ以前の見いだしのところも今、内容には入っていたと思いますが、今の松村先生の御意見に対して、御意見、御質問がありましたらお願いします。
福本先生、お願いします。
【福本委員】 ありがとうございます。松村先生の御説明ありがとうございました。
先ほど、松村先生に御紹介いただいていた鎌倉市さんとの実践、かまくらULTLAという不登校傾向の子供たちに対しての自分の学び方を知り、どの環境が合っていくのかというためのアセスメントを、個才の把握という形でさせていただいています。
それは個々の興味関心とか、あとはどういう刺激に対して感受性が強かったり、どんな形でアウトプットするのが得意なのかということを自分で把握していくというものなんですね。
なので、アセスメントという言葉がちょっと独り歩きしているところがあって、アセスメントしたら識別しないといけないとか認定しないといけないという、その本人が置かれている本人主体ではなくて、外部からどういうふうに認定するのかというところが勝手に動き過ぎているところが強いニュアンスがあるんですけれども、そうではなくて、本来は子供たちがどのように自分の人生をどのように生きていくのかということが学びの本質であると思いますので、そのために自分自身を知るというアセスメントの機会は必要なのかなと思っています。
それは本当に診断というしっかりしたものというよりは、問診票のような形で、自分がどんなことに興味があるのかということも、文脈とか環境によって変わっていくものだと思っているんです。なので、それを把握していく、モニタリングするためのフレームとして提供するということが非常に重要なんじゃないかなと思っています。
一定のゴールを目指して優劣をつけていくとか、評価とか順位づけをするとなってしまうと、才能教育が少しちょっと不幸な結果を招くような事態になりかねないので、そういう競争を生み出すとかということではなくて、一人一人が自分自身を理解し、強みと弱みというものがどんな環境によって出てくるのか、出ないのかということを自分でちゃんと知っていくことができる。そのために必要な環境を選び取ることができるという意味でのアセスメントというものが入っていくことが、すごく重要なのではないかなと思います。
先ほど、才能と障害を併せ持つと記載がありましたけれども、こちらに関してもやはり文脈によって才能になったり、障害になったりするので、そこも誤解がないような形で環境とあくまで個人の才能のマッチングにより、そこで発現される個人の能力というもの、何ができるのかということが変わってくるというスタンスで考えていく必要が非常に大事なのではないかなと感じました。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。市川先生からもお手が挙がっております。お願いします。
【市川委員】 私は今の松村先生の御意見、基本的には全く賛成です。
ただ、この5ページにある、3についてのまとめというか意見がありますね。ここで要するに才能があるかどうか、どういうことに才能があるかどうかをスクリーニングとか、要するに第三者、これは先生にしろ例えばそういう専門家にしろ、第三者が何かスクリーニングとか適性検査的なことを行って識別する必要はないということだと思うんです。
私は基本的にはそれに賛成で、むしろ今の松村先生の御意見では、実際いろんなものに参加して活動してみて、そして、どれくらいそれが持続するのか、そしてそこで成果を上げるのかという一種の実績ですよね。それに基づいて自分で判断していけばいいということだと解釈しました。そのときに、この「才能の見いだしを子供自身が行い得る」ここからがちょっと何か誤解されそうで引っかかるんです。
要するに子供は自分が何が向いているのか、あらかじめ分かっているんだと受け取られると、私はちょっとそれはむちゃかなという気がしています。子供にしろ親にしろ、やっぱりいろんなものに参加してみて、そこでどれくらい自分の興味が持続するか、どんな成果を上げるかということで判断していく、そこに主体性が入るのはいいんですけれども、やる前から何か自分は何に向いているのか分かっているということを子供に求めるのは、私は無理だなと思っています。
それは、むしろそう思い込んでいる可能性のほうが相当高くて、「僕は小学生の頃から算数が得意だったから数学者に向いている」と言われても、それはかえって判断を誤ることも相当あってリスクが大き過ぎると。大事なことはやっぱり実際に参加してみて、そこでどうなのかということが大切で、そういう経験を経て自分が何に向いているかを見いだしていくわけですから、かなり難しいことです。何かこのように「自分はどんなスタイルなのか、学びの内容とか方法を主体的に見いだすことができる」と書いてしまうと、周りの人は一切情報とか介入しないでも、あるいは実際に活動に参加しなくても、子供は自分で分かっているんだから大丈夫ですよと取られると、これはマイナスなような気がしてしまうんですけれども、ここはどういう意味なんでしょうか。
【松村委員】 いいですか。
【岩永座長】 松村先生、どうぞ。
【松村委員】 何か文脈が抜けたので、確かに誤解されることもあるかも分かりません。子供は放っておいて、一人で何か自分でどんどん自分の興味とできることを見つけていのではなくて、適切な学びの環境を、いろんな選択肢を選べるようにして、天童中部小学校でもそうですが、いろんな今まで触れなかった環境に触れるとかしたら、それから、先ほどの福本先生のチェックリストなんかでも、「こういうような見方をしたら、あなたは何が得意か、何が好きだと思うか」みたいに聞かれたら、こういう観点から自分を考えたらいいんだなということがそれまで分からなかったけれども、いろんな手がかりが与えられると、自分自身をより客観的に見詰めることができる。
それは個別最適な学びの適切な場があれば、その子供自身がそこに自分からどんどん能動的に取り組んでいけるというものなんですけれども、そういう場がないと一人ぽつんとしている子が、何かどんどん環境を求めていって、どんどん切り開いていくみたいなイメージがあるといけないので、確かに文言的には、誤解されないように書いておいたほうがいいかと思います。言いたいことはそういうことだと分かっていただけるように、適当に文章を修正しておいてください。
【市川委員】 今のお話を伺って分かるんですけど、この才能の見いだしというのが、大きく2つの考え方あり得るわけじゃないですか。一つは、何らかの適性検査的な方法、これはアセスメントとかアンケートとかによって、活動する前からもうこの子はどういうことに向いているみたいなことが見いだせるんだという考え方と、実際に活動に参加してみて、そして初めて分かってくるんだと。本人にも周りにもこういう才能が自分はあるんだなとか、こういう学び方が向いているなということが本人にも分かってくるという、両方の考え方ありますよね。
私はどちらかというと後者の考え方、あまり事前に何らかのアセスメントテストとかによって、何に向いているかということを第三者が予測できるような考え方は、私は心理屋なので、適性検査というのも本当は心理の仕事なんですけれども、あんまり当てにならない、私が言うと申し訳ないですが、こともあるので、やっぱり参加する中で、自分から見いだして決定していくという考え方のほうがいいのではないかなと思っています。
【松村委員】 いいですか。松村です。確かにやりながら見つけていくというのはありますけれども、先ほどのジュニアドクター育成塾でも、やりながら、この子はもっとできるなみたいなことが途中で見つかって次へ進んでいくわけですが、一方で、狭義の才能教育というか、始めからここでは何か数学プログラムをやるので、ある程度これだけの数学ができる子を集めて何かしましょうと。スポーツなんかはそうだと思います。ある程度、これぐらい走れる子を集めて、何かやろうというみたいな、そうするとそういう具合にあらかじめ、やっぱり才能の基準による評価、アセスメントというのはあるわけで、それでもしそれがその個別のプログラムの目的ならば、そういう狭義の才能教育としてのアセスメントも悪くはないので、それはそこで必要なわけですね。全部一律に何か目的も分からないのに、とにかくクラスでIQを測りましょうみたいな、そういうことじゃなくて、そこで何をするためにどういう子を選びたいので、何を用いていつアセスメントをするのかということを考えないといけない。
そうすると、そのときには最初から何らかのアセスメントをするということもあり得るでしょうから、やっぱり両方あると思いますが、市川先生、いかがでしょうか。
【市川委員】 今のお話を伺って趣旨は分かりました。
ただ、このアセスメントというのが今才能あるという話なので、才能のある子を、例えば何%かの才能のある子を見いだすときに、それをアセスメントで決めるというのだと、それはちょっと抵抗があるなと。
確かに、学校の算数で恐らく10点、20点しか取れない子が自分は数学者になりたいととは、多分興味も示さないし、言ってこないと思うんですけれども、逆に数学者になるような才能があるのかというと、これは上位何%の子をむしろ選び出すという話なので、そこのところでアセスメントで切ってしまうという使い方は、私はちょっと無理があるような気がしています。
【岩永座長】 ありがとうございました。
私も改めて読んでみて、この5ページのところの3の四角の下の白丸の項目は、「才能の見いだしを子供自身が行いうる」と断言して書いてありますよね。これは前後の文脈を読むと、才能の見いだしを子供自身が行い得るような主体性に配慮した学びによりという条件文になるんじゃないですかね。という学びをすることによって、子供は自分で興味や能力、スタイルに合う学びの内容、方法を主体的に見いだすことができ、長くてちょっとあれですね。あらかじめ才能の特性をスクリーニングで識別する必要はなくなるだろうということで、最初のところを断言して書いてしまうと、そういう現状にあると読めてしまうんですよね。
必ずしもそうじゃないし、今までの議論でもそんなことはどなたも言っていなかったと思いますので、そういうような主体性に配慮した学びをすることによって、こういうことができるだろうということではないかと思うんですけども。
【松村委員】 これは1つ目の文はなくてもいいと言える、なくても意味が通ると思います。
【岩永座長】 市川先生、どうでしょうね。そういうことであれば。
【市川委員】 私は岩永先生おっしゃったことでいいと思うんですけれども、要するにそういうふうにしていきましょうという話であって、今現状で、子供たちは主体的に自分で判断できるんですよという意味ではないということですね。
【岩永座長】 そうだと思います。
【市川委員】 むしろそういう環境をつくっていきましょうということですか。
【岩永座長】 事前にこういうことが前提されているんだと、有識者会議で何か議論するというのも何か無駄なような気がしますので、主体性を持って自分の能力とか将来性とかということを、判断をみんなができるわけではないということはもう前提になっていると思います。それを実現するような、主体性に配慮した学びというものを提供するというのであれば、それはそのとおりだなと私も思います。
すいません、あんまりここにこだわってもあれなんですが、福本委員は下ろされました?
【福本委員】 そうですね、ちょっとそもそも論になってしまうかなと思って下ろさせていただいたんですけども、もちろん特定の才能、特定の分野の特異的な才能に関する有識者会議なので、そこの議論も大事なんですけれども、それをちょっと拡張して、全ての子供たちが自分が持っている才能をどう発揮していくのかということを議論するということに拡張しながら、この会議をもう少しアップデートしていけたらという話が最初のほうにあったと思うんですね。
それを考えていくと子供自身が才能を見いだしているということではなくて、大人も子供も含めて何が自分に合っているのか、どういうふうに生きていければ、自分の才能をより輝かせることができるのかというのを常に環境との中で、試行錯誤していると思うんですよね。
その環境との中で才能の発揮の仕方が変わってくるから、それを試行錯誤しつつ、最適な学びや学ぶ内容というものを自分自身で見いだす力をつけていくということがすごく大事なことだと思いましたので、もう少し環境とのマッチングであるとか試行錯誤の中で才能というものを見いだしていくというニュアンスも入ってもいいのかなと感じました。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。時間が大分迫ってまいりましたので、次の論点に移ってよろしいでしょうか。
6ページのところになりますが、「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する教育委員会・学校関係者の理解を促進するために、教員研修における取扱いなど、どのような方策があるか」という論点です。こちらについて何か御意見ありますでしょうか。制度的、それからポリシーの問題になってくると思うんですけれども、よろしいですか。
特になければ、もう一つ進めさせていただいて、7ページの保護者へのサポートと社会に対する理解啓発の論点です。
特に社会に対する理解啓発については、十分に議論ができたというふうには思っておりませんで、もう少し議論が必要ではないかと思います。今日必要というよりは、最終的なまとめの前に保護者へのサポート、それから、社会に対する理解啓発という辺りをもうちょっと議論しておく必要があるのではないかということです。何かこれについて御意見等ありましたらお願いします。
根津先生、お願いします。
【根津委員】 根津です。6ページの下のほうから、今の7ページのところに関連するかと思うんですが、ちょっとどこで発言していいのか迷っていた部分もあるんですけども、ここで発言させていただきます。
これまで特定分野に特異な才能のある児童生徒に関し、学校内外のリソースの活用について、また、先ほど御議論ありましたように授業や学習内容とのミスマッチなどについて、大人がどうするかという議論が主になされてきたと思います。
もちろん学校や関係機関が何をすべきか、また何をしないか、何をできないかという議論はもちろんこれは非常に重要なんですけれども、逆に子供から子供の意思で何かできることはないかなと考えるんです。こう考えた場合、まさにそのときの子供の意思を反映する仕組みというものを大人として考えられないかと思うんです、保護者を含めてですけれども。
例えば全ての子供が理由をつけず無条件で、年に数日学校を堂々と休む仕組みというものはつくれないだろうかと。サラリーマンの年休や有休のようなイメージです。出席という考え方ですとか、あるいは学校内外への活動への参加というものをどういうふうに考えるかというよりも、そもそも休むということをもっと積極的に意味があるものだという見方をするだけで、大分ここは条件を考えなくていいのではないかなと思った次第です。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。有給休暇というのは面白い発想ですね。そうですね、今まで多くの小学校、中学校の先生方がそうだと思うんですけども、やはり基本のところに、学校を休ませないという非常に強い価値観があって、昔よく議論になったので、親子で海外旅行に行くために、子供を1週間休ませますというのが認めていいのかどうかという話もかつてあったと思いますけども、少なくとも教育現場の先生方は、学校休ませないという非常に強い固定的な価値観があったと思うんです。
それに対する今の根津先生の意見は大変刺激的で、そういう見方があるなと思ったんですけれども、もしそれを方針として出していくということになると、私、一種の革命になってくるなと。それを認めるということを国の方策として、教育方策として進めていく、認めていくということになりますと、これは非常に画期的で一言で言えばもう革命的なことだなと思いますけども、いい、悪いの意味ではなくて、事象としてそういうものだということですけども、今村先生、何かそれに対して御意見ありますでしょうか。
【今村委員】 それに対してはごめんなさい、ないんですけれども、先ほどの5ページの教育委員会・学校関係者の理解啓発のところに、ちょっとしつこいんですけれども、理解はされていてもリソースがないというところで、支援が追いつかない、物事は発展しないというところもあるので、この部分が理解啓発だけではなくて、リソースの拡充というところをきちっと入れるということを補足していただきたいということ。あと保護者への支援というところなんですけれども、保護者へのサポートと社会に対する理解啓発のところには、多分いい事例が、福本さんあたりがやっているんじゃないかと期待なんですけども、保護者の方々皆さんおっしゃるのが、結局、私がこの子の取扱説明書を作って説明して歩くしかないんだという言い方をされる方が結構多いんですよね。
この子に一体誰にどんな言葉を投げかけられたかということと、どんな診断が下りたかということと、どんな指導によって傷ついたということといろんな観点があるわけなんですけど、それらをやっぱり担任の先生が替わるたびに、説明をまたしなきゃいけなかったり、校長先生が替わるたびに方針ががらっと変わってしまったりというところで、もう今年は外れだから休むとか、今年は養護教諭の先生にまた説明が大変だとおっしゃるんですけど、何かこうお子さんの状況をこういうふうに説明したら人に伝わりやすいかもしれませんという、文部科学省としての、こういう特異な才能のある子供の解釈をきちっと分かりやすい表現で書いてあるものの下に、お子さんの特性はこんなふうということを保護者が自分で書くとか、こんなことに傷ついたみたいなことがワークシート的に埋めていけるようなものとかがあると、保護者の方が考えやすくなるのかなと思いました。それを特に教育支援センターとか行政が保護者の方に書くこと、トレーニングしていけるようになるともっといいなと思うんですけれども、そんなものがあるといいなと思いました。
以上です。
【岩永座長】 それは一種ポートフォリオを。
【今村委員】 そうですね。
【岩永座長】 教員だけではなくて、保護者も一緒になってつくっていくと。それを共有していくということですね。それは一つのアイデアだと思います。
市川先生、また、お手が挙がっております。
【市川委員】 例えば、その学校を1週間休んでもいいようなことにすると。それはすごくラディカルだと思うんですけれども、子供のほうも、人によって学校を休む期間がばらばらだったら、その休んだ部分の学習を一体どうやって補塡、補充するのかということになります、子供も困るだろうし、多分学校も相当その扱いに困るだろうなと思っちゃうんです。
それならば、それよりもっと学校は休みというのを増やしたらどうかと。例えば、土曜日の休みというのは確実に取れるようにして、いろんな地域活動だとか自分の才能を発揮できるような活動にその時間を割くとか、あと夏休みも、ただでさえ日本の学校の夏休みはあんまり長くはないですよね。それも最近、夏休みをかなり縮減して2学期が早く始まるとかいう傾向があって、私はむしろ共通の休みというのをきちんと、あるいはもっとたくさん取れるようにして、いろんな活動に子供が参加できることを保障していくということをやるほうがいいのかなと思います。
先ほど福本先生おっしゃったこと、あるいは藤田先生のキャリア・パスポートにも関係すると思うんですけれども、一頃、自分探しの旅という言葉が結構はやりましたよね。結局、自分自身がいろんな活動に参加しながら、自分を見いだしていくんだとか、あるいはもっと積極的に、自分探しというよりは「自分づくり」ですよね。こういうものになりたいと思ったらいろんなところに参加してみて、なりたい自分を形成していくというような。これはまさに主体性だと思うんですけれども、そのために大人はいろんな情報提供をすることとか、それができるだけの時間を確保するということが大切だと思いますので、才能教育というのもその一環だろうと私は思っています。
【岩永座長】 ありがとうございました。福本先生、今度はちゃんと手が挙がっています。消し忘れじゃなくて。
【福本委員】 すいません、ありがとうございます。今村委員のほうからそれがあったのでちょっとだけ。
保護者の方々って本当に御自身のお子さんのことで、皆さん有志で集まって活動されていて、その情報が口コミで集まっていくというよさもあるんですけれども、逆に有志でやるからこそ、なかなか声が行政に届かなかったりとか、ボランティアで動いていて、もう本当に暫定的な組織として動かれている方々が多いので、もう少し国ができることとしては、教育委員会の下なのか、教育センターの中に保護者の人たちが入るような窓口みたいなものがあって、先ほど御意見あったそのポートフォリオ、保護者の声が集まっていって、保護者の方が学校に直接感情の高まりの中で、学校に行かれるともつれるケースがすごくあるんです。
なので、直接その高ぶった感情のまま行かなくてもいいような形で、ワンクッション吸収して、いろんなサポート、情報提供であったりスキルであったり、一旦感情を落ち着けるようなカウンセリングであったり、そういった情動に基づく衝動的な行為をワンクッション置けるような機能が教育委員会の直下とかにあると、より行政と保護者の方々がニーズを拾っていくような形で子供をサポートできるんじゃないかなと思いました。
以上です。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。
私は、こうした国の行政で対応するというのは、特定の意識の高い人たちを前提とするべきじゃないと常々思っておりまして、先ほど子供のトリセツということがありましたけれども、トリセツを書けない親も圧倒的に多いわけですよね。理解していないと書けませんので、そういうような親の下に生まれた才能ある子供は、じゃあどうしたらいいのかと。
それから、市川先生言われたように休みを多くして、その多くなった休みを意識的に有効に使える家族はいいんですけども、そうでない家族はどうするのか。地域によって、それから、階層によって全然その使い方が変わってくるということになると、これは何のための政策なのかという話になってきてしまって、一部の意識の高い部分、それから、考えがしっかりしている部分だけを対象にすることはもちろんできないわけですので、その辺のところも配慮した議論をして、結論を出していかなければいけないなと、最近は常々思っているところです。
最後になったんですけれども、同じ7ページの先行的な優れた実践を全国に普及させていくための方策として、実証的な研究を行い、好事例を蓄積していくことということがあります。ここも具体的な議論を十分にしていなかった部分なんですけども、こちらについては以前から実践のモデル、モデル化を行うという必要性については、御意見を頂戴しておりました。
具体的にどういうような実証的な研究、あるいはモデルというものが必要なのかということについて、少し議論が足りない部分があったと思いますが、本日は関連する意見もこれまでの論点の中でいただきましたので、それも踏まえまして、時間のこともありますので、私のほうで一旦引き取らせていただいて、実証的な研究の在り方については事務局とも相談の上、案をつくっていきたいと思いますので、それが出た段階で、それをたたき台として議論していただくということにさせていただきたいと思うんですけど、よろしいでしょうか。
ありがとうございました。それでは、引き取らせていただくということで、石田室長。
【石田教育課程企画室長】 ありがとうございます。
ただいまの座長からいただきました点につきましては、一旦事務局で引き取らせていただきまして、座長と相談させていただきたいと思います。
【岩永座長】 ありがとうございました。申し訳ありません、時間のことばっかり言って。残り時間もなくなってまいりましたが、本日、特に議論を行っていただいた論点以外の箇所に関する御意見が、もしこれだけは言っておきたいということがあれば、いかがですか。もし何かありましたら、またメール等で、事務局のほうに送っていただければと思います。
本日はお忙しい中、御参集いただき、活発な御議論をいただきまして、ありがとうございました。時間になりましたので、この辺りで議論を終了させていただきたいと思います。
最後に、次回の予定について時間のこともあります。変更のこともありますので、事務局からお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
【川口学校教育官】 次回会議、第10回については5月13日9時30分から行います。いつもより少し早い時間になりますけども、9時30分から行います。よろしくお願いします。
【岩永座長】 ということで、次回は30分繰上げで開催させていただきます。その分長くやるぞということではないので、御安心いただければと思います。
ということで本日の有識者会議、これで締めたいと思います。どうも先生方、ありがとうございました。御退室ください。

―― 了 ――