特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第6回)議事録

1.日時

令和3年12月13日(月曜日) 10時00分~12時00分

2.場所

WEB会議方式

3.議題

  1. 特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 論点整理(案)について
  2. その他

4.議事録

【岩永座長】  おはようございます。特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等について、本日は有識者会議(第6回)ということで、お忙しい中、ありがとうございます。定刻となりましたので、会議を開催したいと思います。大変御多忙の中、御参加いただき、誠にありがとうございます。
 なお、毎回お願いしていることですけれども、本会議につきましては、報道関係者等より録音・録画の申出がありますので、これを許可しております。御承知おきいただきたいと思います。
 まず、本日の議題に入る前に、会議の留意事項及び本日の会議資料の説明を事務局のほうからお願いします。
 川口さん、お願いします。
【川口学校教育官】  事務局です。
 まず、本日の会議は、Webexを使用したウェブ会議方式にて開催させていただいております。そのため、1、御発言に当たっては、インターネット上でも聞き取りやすいようはっきり御発言いただく、2、御発言の都度、名前をおっしゃっていただく、3、御発言時以外はマイクを「ミュート」にしていただく、4、御発言に当たっては「手を挙げる」ボタンを押していただき、発言が終わりましたら「手を挙げる」ボタンを再度押していただき、手を下げていただくよう、御協力のほどよろしくお願いいたします。
 続きまして、本日の会議資料について御説明します。本日は、資料1-1、1-2、2及び3がございます。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 それでは、議題に入りたいと思います。
 前回の会議においていただいた御意見や会議終了後にメール等でお寄せいただいた、お示しいただいた御意見を含めて修正を行って、本日、論点整理(案)としてお示ししております。
 本日の流れですが、初めに事務局から論点整理(案)について説明を行っていただき、その後、意見交換という流れで進めたいと思います。その後、事務局から特異な才能のある児童生徒に関する最近の文部科学省の取組について説明をしていただきたいと思います。また、本日の会議の後半では、論点整理に沿って行う年明け以降の議論の進め方についても御議論をいただく時間を取りたいと考えております。
 それでは、まず、論点整理(案)について、事務局より御報告をお願いします。石田さん、お願いします。
【石田教育課程企画室長】  事務局でございます。資料1-2に基づきまして、論点整理の案につきまして御説明申し上げます。
 この資料でございますけれども、第5回の会議並びに会議終了後に委員の皆様からお寄せいただきました御意見を基にしまして、論点整理(たたき台)というものを前回お配りしましたが、それを修正したものでございます。主な修正点を御紹介してまいりたいと思います。
 まず、6ページでございます。下の脚注の部分でございますけれども、前回の会議におきまして、今村委員から、特異な才能のある児童生徒に対する支援として、例えばある時間に別室で指導を行うような取組など、参考になる事例を入れてはどうかとの御意見を頂戴いたしました。この論点整理は、これまでの御発表いただいたもの、あるいは御議論をまとめたものという性格であることから、現時点では事例の追記はしてございませんが、脚注に、このほか、関係する取組について、年明け以降も引き続きヒアリングを行い、事例を収集していくことを予定しているということを追記してございます。
 続いて、7ページでございます。松村委員から、第2回に奈須教授から御紹介いただきました天童市立天童中部小学校の事例を入れてはどうかとの御意見を頂戴してございます。このため、この学校で行われている取組ということで、自由研究学習あるいは単元内自由進度学習など、それぞれの児童の興味・関心や得意分野を生かしながら学びを最適なものとしている、こういうことを目指した学習活動を追記してございます。
 次に、15ページでございます。
 15ページの上のほうでございます。今村委員から、特異な才能のある児童生徒の保護者の経済的負担が大きいことについて御指摘を頂戴しました。このような実態は、第4回会議で御紹介しましたアンケート結果にも複数読み取れるところでございます。このため、1つ目の丸に、保護者の経済的負担が大きいとの指摘があるということを追記してございます。
 また、秋田委員からは、保護者が悩みを抱えている実態や、その支援の必要性についても御指摘を頂戴してございます。このため、2つ目の丸に、児童生徒はもちろん、保護者も様々悩みを抱えている実態があることや、保護者へのサポートも視野に入れる必要があるということを追記してございます。
 次に、市川委員から、そもそも特異な才能のある児童生徒の支援の在り方が話題になっているのはなぜか、その必要性を書くべきではないかとの御指摘を頂戴してございます。このため、丸3の2つ目のパラでございますが、特異な才能のある児童生徒の将来的な自立や社会参加を見据えたきめ細かな支援を行うことは、当該児童生徒の学校生活やその後の豊かな人生の実現に結びつくことはもとより、その社会参画を通じて、我が国の社会全体を豊かなものとする上でも大切であるということを追記してございます。
 続きまして、16ページでございます。
 中島委員から、「才能教育」という言葉には、何らか才能を規定し、その才能を持つ特定の者の能力を伸ばすかのような響きがあり、一部の才能児に対する支援と受け取られかねない。そのような受け止めとならないよう、本有識者会議の「才能」の定義についての考え方を明記すべきではないかといった趣旨の御指摘を頂戴してございます。このため、3つ目の丸、下3行でございますけれども、「IQやテストの得点といった一律の基準により才能を定義し、定義に当てはまる児童生徒のみを『特異な才能のある児童生徒』と取り扱うことは、本有識者会議においては行わない」としてございます。
 また、支援策として行うプログラムに関して、参加することは非常にいいんだけれども、今村委員から、大人が将来に対する期待を早期に背負わせるようなことが起こらないようにすべきではないかといった御指摘をいただいております。また、松村委員から、特別のプログラムを進学のステップとして活用することが目的となったり、そのプログラムを受けるための競争を行ったりすることに留意する必要ある旨の御指摘を頂戴しました。このため、4つ目の丸で、それぞれに応じた多様な学びの機会を提供することは重要であるということを述べた上で、5つ目の丸で、ただし、次の点に留意が必要ということで、特定のプログラムの提供が、単なる入学者選抜への活用などの狭い範囲のみで才能が捉えられることになったりする弊害が生じるおそれは認識する必要があると。さらに、次の段落におきまして、周囲の大人が子供の才能を伸ばすことのみに注力する結果、子供が過度な期待を背負うことになり、子供の負担になる事態が生じかねないことを追記してございます。
 続いて、17ページでございます。藤田委員から、義務教育段階を中心に、社会参画を見据えて、子供たちが共に生き、学ぶ空間として学校内の多様性と包摂性を高めることの重要性、飛び級などの「完全早修」をさせた場合の問題点について御指摘をいただきました。このため、丸1に追記してございます。社会性の涵養など義務教育段階の学校の役割、機能と、飛び級など「完全早修」を行うことは慎重に検討すべきということを追記してございます。
 続きまして、18ページでございます。
 大島委員から、小学校、中学校、高等学校とのシームレスな指導の継続性の重要性について御指摘をいただきました。このため、2つ目の丸に、学校段階間での適切な引継ぎに留意することの必要性について追記してございます。
 また、教師の負担という観点で、次の赤字のところ、丸2の2つ目の丸でございますけれども、市川委員、本田委員から御指摘を頂戴しました。教師の長時間勤務の状況が深刻であることや、学校の働き方改革が進められていることを述べた上で、特異な才能のある児童生徒への対応について検討を進めるに当たっては、教師の負担増にならないよう留意することが必要であること、教師以外が支援に参画することや、学校外の学びの場も含めて検討すべき旨をこの赤のところで追記をしてございます。
 また、今村委員から、予算確保の重要性について御指摘をいただきました。18ページ一番下の丸から19ページにかけて、リソースを検討することの重要性を追記してございます。
 次に、19ページの下のほうでございます。丸3というところで「デジタル社会の」と立ててございますが、福本委員、藤田委員から、学習活動におけるICTの活用や、子供たちの興味や才能等、様々な主体が提供する支援策のマッチングをICTを活用することによって進めることなど、ICT活用の可能性について御指摘を頂戴しました。このため、検討上の留意点に、丸3「デジタル社会の進展を踏まえること」を新設してございます。3つ目の丸で、児童生徒に対する指導・支援にICTを生かすことや、ICTを活用することにより、学校外における多様な学びの機会に関する情報など、これまでアクセスできなかったリソースにつながり、学校内外の学びを充実することができることというのを追記してございます。
 続いて、20ページでございます。一番下の丸でございますが、秋田委員から、一律ではない、個に応じた学習時間や方法の柔軟な工夫など、公正という視点の重要性について御指摘を頂戴しました。このため、赤の4つ目の丸でございますけれども、個別最適な学びの機会を公正に確保する視点を持って取り組むことの重要性について追記してございます。
 続いて、21ページでございます。本田委員から、発達障害のある児童生徒などに対して行われてきているきめ細やかな支援は、発達障害とは言われない子供たちにとってもなじみやすい学習環境づくりに役立つのではないかとの御指摘を頂戴しました。このため、丸1のアというところ、あるいは22ページの丸2のイというところも同様でございますが、特別の支援を必要とする児童生徒に対する配慮や支援の考え方のうち、有効な知見があるかという、こういう論点を追記してございます。
 続いて、23ページでございます。
 今村委員から、才能のある児童生徒であることが発見されるのは児童生徒が困難を抱える場合であり、困難がない場合には検査などを受けたりしないと。それでもよいのだろうかという御指摘を頂戴しました。このため、丸3の「才能や特性の見いだし」という部分に、困難の有無に関わらず才能や特性を見いだす方策について検討する必要があるのではないかという論点を追記してございます。
 また、中島委員から、教員研修の重要性について御指摘を頂戴しました。「教育委員会・学校関係者の理解啓発」のところにその取扱いを追記してございます。
 また、福本委員から、先ほども御紹介しましたように、子供たちの興味や才能と様々な主体が提供する支援策のマッチングをICTを活用することによって進めていくことの可能性について御指摘を頂戴しました。このため、「学校外の学びの場の促進方策」に、ア、イということで具体例を書き出してお示ししてございます。
 また、根津委員からは、実践研究の重要性、その際、教育委員会の規模や立地の違いにも留意することについて御指摘を頂戴しました。この点につきましては、「施策の普及方策」という論点を一つ設けまして、その旨を記載してございます。
 事務局からの御説明は以上でございます。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 今、事務局から論点整理(案)の御説明をいただきましたけれども、委員の先生方から御意見等ありましたら御発言をお願いしたいと思います。いつものように挙手をお願いいたします。
 なお、論点整理の性格は、これまでの議論を通じて共通理解に至ったことを整理するとともに、今後、この有識者会議が議論を深めていくべき論点を取りまとめるという、まとめと、それから出発点になるものだと思うんですけれども、この観点を踏まえて御意見をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
 じゃ、ちょっと口火を切って私から一言。本当に語句のつまらないところですけれども、河野さん、あれでしたかね、今、石田室長からあった、16ページの下から5行目に、この有識者会議での議論は、できるだけニュートラルに、与件なくしたいなというのが私の勝手な思いなんですけれども、そのときに、「単なる入学者選抜への」という、この「単なる」というような言葉はできるだけ使わないような、「単なる」とか「つまらない」とか「ありきたりの」とか、そういうような言葉はできるだけ使わないようにするほうが与件がなくていいかなと思います。入学者選抜も意味があってされているわけで、どうですかね、これ。最初から入学者選抜といったものはワンランク下のものだというふうに考えるというのもどうかなと思いますので、できるだけこういうような少し色のついた表現はしないほうがいいかなと私は思いました。言われていることは全くそのとおりだと思います。ということで、口火でお話をさせていただきましたが。
 松村先生、どうぞ。
【松村委員】  書いてあることはここに入れていただいたのはありがたいので、確かに言い回しはニュートラルにしたらいいかと思います。
 ついでにすみません、私のほうから論点整理についての感想的なものなんですけれども、まず、現時点で、「はじめに」の注釈に少し書いているんですが、本有識者会議では「ギフテッド」という言い方は使わないと、そういうふうに明言したのは議論がすっきり進んでいいかと思います。この辺は多分あまり報道関係も注目されないと思うんですが、ここのところは大事です。先月でしたか、ある週刊誌で、この有識者会議が、ギフテッドの支援のためのもので、そのギフテッドというのは神童に近いというようなことを書いていました。だから、一般の認識では、1つはそういう神童というのがあって、もう一つは困っている才能のある子供という意味なんです。そういうふうに、ここではこういう意味で使いましょうということを合意しておいたらいいんだけれども、それがなしで作られると用語が混乱して、会議なんかでも混乱する。あまりよその会議のことを悪く言うわけではないんですが、先日のCSTIのワーキンググループで、資料で用語が今までより一層混乱しています。「ギフテッド」と、「特異な才能」というのと、「突出した意欲・能力」というのと、「Gifted」と、それからさらに「Gifted&Talented」とか、混在しています。一般に「ギフテッド」は広く使われているので、その使用を別にこの有識者会議の権限で否定・禁止できるわけでもないですけれども、突出した才能を「ギフテッド」と呼ぼうとか、困っている才能児を「ギフテッド」と呼ぼうと、そういうふうに宣言してしまうと混乱するわけです。そのコミュニティー内での使い方が明確になれば、別に略称として「ギフテッド」と呼んでもいいわけですけれども、それはそういうふうに意識して使わないといけない。だから、CSTIのワーキンググループでも、突出した才能を「突出したギフテッド」と呼びましょうと。で、「その略称としてギフテッドと称する」というふうにどこかで1か所書いておいたらすっきりするのに、それがないので、いろんな読み方で何か戸惑っている様子が表れて、余計なお世話ですけれども、そういうのに鑑みると、この会議でそういう混乱は起こらないような使い方がうまくできているなと感じます。
 さらに欲を言えば、「特異な才能」とも言わずに、ただの「才能」と個人的には言いたいんですけれども、これは会議の設置の趣旨とかで経緯があって仕方ないです。だから、用語の使い方ですが、うまくいっているなという気がします。
 それだけです。すみません。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 ほかに。根津委員から手が挙がっております。よろしくお願いします。
【根津委員】  早稲田大学の根津です。
 23ページの先ほどお話ありました「施策の普及方策」のところです。これも言葉の問題と言ったらそうなんですけど、「先行的に行われている」というのが何となく「武士の侍」みたいな気もしますので、「先行する」あるいは「先行的な」というようなところに変えていただければというのが1つです。
 もう一つは、これは、「保護者へのサポート」という言葉、先ほども付け加えられたところかと思うのですが、どういうサポートなのかというところまで書くか、書かないかというところは御判断いろいろあるかと思いますけれども、片仮名で「サポート」と書かれても、なかなかちょっと分かりにくいかなというふうには感じました。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 これは、今、もし問題がなければ、お直しする方向でいいですかね。どうでしょうか。
【石田教育課程企画室長】  支援とか。
【岩永座長】  「サポート」は「支援」というほうが分かりやすいということでしょうか。
【根津委員】  すみません。これが、例えば経済的なサポートのことを指すのか、サポートの中身のところまでですね。そこまで具体的に書き込めないということであれば、この表現でも致し方ないかと思いますが。
【岩永座長】  いや、そこはやはり難しいと思います。
【根津委員】  そういう趣旨です。
【岩永座長】  これは、「サポート」を「支援」と書いてもやはり同じ問題は出てくるんですよね。分かりました。ちょっと検討させてください。ありがとうございました。
 それから、「先行的に」、確かにそうですね。「行」という字が2つ重なっていますので、「先行的な優れた実践を」というのでもすっきりすると思います。その方向で検討させてください。ありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。市川委員から挙がっています。
【市川委員】  見え消し版のほうの16ページの3つ目の丸なんですけれども、私がちょっと引っかかったのは、これも言葉の問題なんですが、「延長線上に」なんですよね。言っている内容は、この前の2つ目の丸から併せて議論の当初から割と出ていたことで、私は趣旨はいいと思うんです。つまり、今回の議論というのも、個別最適な学び、個別化とか個性化ということの一環なのであると。つまり、これまでも、例えば学力が非常に低い子供たちに対して特別支援のような形でのサポートが大事だということは、これは社会的な合意もあってなされてきたと。一方では、どうも個別化、個性化、つまり個に応じた学習が学校で提供されていなくて不適応を感じているというのは、才能を持った子、かなり学力の高い子についてもやはりあるはずであると。その子たちが学校の授業では飽き足らないということですよね。そちらのほうのケアというのはほとんどしてこなかったのではないか。そちらもちゃんと考慮する必要があるのではないかという大きな話の中の一つなのであるということで、何も特別な才能を持った子供たちだけを優遇しましょうという、そういう話に受けとられないようにしたいということだと思うんです。すると、「延長線上」というよりは、私は「一環として」くらいで十分なのではないか。趣旨は同じなのであるならば、「延長線上」というと、何か特別にこのたび延長しますというふうなニュアンスに受け止められてしまうという気がしたので、ちょっとこの「延長線上に」という言葉が引っかかったのですが、いかがでしょうか。
【岩永座長】  ありがとうございました。うん、そうですね。それと併せて言えば、その「ことの」というところの「こと」が何を指すのかもちょっと明確ではないので、今の市川先生のお話を伺って、私も、あ、「一環として」というのはいいかなと思いましたけれども、「ことの一環として」というのもまた分からなくなってしまうので、「実現していくのかという議論の一環として」という感じで検討を進めていくというのはどうかなと今思いました。いかがでしょうか。
【市川委員】  ありがとうございます。
【岩永座長】  では、その方向でちょっと検討させてください。何を検討ですね。「実現していくのかという議論の一環として、特異な才能のある児童生徒への支援策を考えていくことを基本的なスタンスとして検討を進めていく」ということです。ありがとうございました。
【市川委員】  個に応じた指導は大事なんだけれども、どちらかというと高いほうの子供たちに対してはそういう配慮とか施策が欠けていたと。
【岩永座長】  そうですね。
【市川委員】  欠けていたところを補うのであって、何も延長しようということではないのだと。確かにこれまではあまりやらなかったことをやるわけですけれども、それは延長ではなくて、一環の一部が非常に欠けていた、そこをしっかり補っていこうという話なのだと、そういうニュアンスと私は受け取っています。
【岩永座長】  そうですね。ある意味ではミッシングリンクのリンクの部分をやっていこうということですよね。そこの本当に一環としてやらなければいけないところの輪っかの一部が欠けていたわけですね。
【市川委員】  はい。
【岩永座長】  ありがとうございます。
【市川委員】  欠けていたと書く必要はないですけれども。
【岩永座長】  ええ、もちろん書きません。
【市川委員】  とにかく、そういう趣旨の一環というふうになるといいのではないかと思います。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。大島先生、お願いします。
【大島委員】  よろしいでしょうか。大島です。
【岩永座長】  はい。
【大島委員】  「はじめに」のところなんですけれども、1ページ目の下から2つ目のパラグラフで、「『令和の日本型学校教育』の姿は」ということで書いていらっしゃる、このパラグラフでございます。「個別最適な学びと協働的な学びが一体的に実現される」ということが書かれているんですけれども、やはりこの特異な才能のある児童生徒という、この議論というのは、ダイバーシティー・アンド・インクルージョン、その一環でもあると思うんですね。なので、やはり特別なという中でもいろいろ議論はされておりますけれども、そういう人たちも含めて、それを多様性として認めてあげて、それをちゃんとインクルーシブに考えていくという、そういうことが多分この委員会の一つのボトムラインとして皆さんが共通認識として持っていることだと思うんですね。なので、その点もやはり初めにきちんと述べていただいたほうが、特異な才能を持っている方というのを特別視して、それを優遇するということではないということを、やはり初めのところできちんとそういう文脈で述べるということをしていただいたほうが、今までの議論が皆様に通じるのではないかなと思っています。ちょっと具体的な文言をどうするかというのは、今の段階では私自身、アイデアはないんですけれども、そういう議論を少し反映いただいてもいいのではないかなと思っております。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 こういう議論の本質の部分で、今ふっと、余計なことですけれども、一番最初に若い頃にインドネシアへ調査旅行に行ったときに、お金の全てに「BHINNEKA TUNGGAL IKA」という言葉が入っていたのを思い出しました。その意味は、「多様性の中の統一」という言葉らしいんですけども、要するに、インドネシアというのは非常に多様ないろんな人たちがいる国家なんですが、でも、一つになるんだという、非常に熱いスカルノの気持ちをそこに表していたということなんですが、ちょっと筋は違うかもしれませんが、やはり、個別最適と、それから協働的というのは、ちょっと考えると矛盾する概念になってしまいそうなんですけれども、これをどのように多様性の中でさらに統一を取っていくかというのが、この有識者会議の議論に課せられたテーマかなというふうに思っておりました、最初のときから。その点は非常に書き込むのも難しいところで、このような書き方しかできないのかなという感じで私はいるんですけれども、何かアイデアがありましたら、先生方のほうからこれからもいただきたいと思うんですが。
 今、今村委員から手が挙がりました、すみません。どうぞ。
【今村委員】  すみません、その論点ではないところで手を挙げさせていただいたんですけれども、16ページのこの書きぶりについて、私も提案というよりは悩みのままなんですけれども、やっぱり最後、誰が対象になるのかというところが本当に今後の議論の中で最も重要になってくると思うんです。これは解釈によって、合理的配慮と判断される教育委員会や学校だけが、その人たちの見立てでこの子にこういった機会をつくっていくという現場に委ねるようなことになると、また機会が巡ってこない人たちもいるのかなと思うと、WISC等のIQテストの結果というのは一定の有効な情報として使うということは大事かなと、取り扱うということは必要かなと思っています。この文言の中で、「IQやテストの得点といった一定の特別な基準によって選抜された子供たちに対して」と、確かにIQテストが選抜テストではないんだということをきちんと表明することは、違った意味合いで取られてしまうことに対して、意味を伝える意味で選抜テストではないということをはっきり書かないというのは重要なことだと思うんですが、IQやテストの得点もやっぱり参考にし得る情報ではあるので、その辺り、有効な情報として取り扱うということは重要だということも示したほうがいいかなと。そうじゃないと、現場が何を判断軸にすればいいのかということになってしまうのかなと思いました。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 アメリカの例など、私よりもずっと皆さん御存じだと思うんですけども、一人の子供を才能児として認定するときには、1つのテストだけでやる、IQテストだけということはないですね。もう非常に多くの、そして最終的には保護者と本人の判断というところになって、恐らくかの地でもIQテストだけということの怖さを十分知っていると思いますので、じゃあ、それをカバーするにはどうしたらいいか、IQテストをやめるのか、それを見ないのかというのも一つの手かもしれませんが、彼らとしては、それ以外のものをいろいろやって総合的に判断するという戦略を取っていると思うんですね。そういうところが多かったと私は見ました。
 やはり今言われたように、これをやらないという、それを見ない、あるいはそれを基準としないというような書きぶりは、ちょっとふさわしくないかなというふうに私も今思いましたので、これを、特定のプログラム等を提供すること……、一定の基準により選抜……、「基準にのみよって」とか、何かそういう書き方ではいけませんかね。それだけで選ぶことはないというニュアンスをここに入れたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。これ、提案されたのは松村先生ですね。
【今村委員】  はい、ありがとうございます。
【岩永座長】  最初にこれを入れたの、松村先生でしたかね。
【松村委員】  いいですか、松村です。
【岩永座長】  はい、松村委員、どうぞ。
【松村委員】  今おっしゃったことを考慮すると、「IQやテスト」というのをやめて、「才能を識別する一定の基準」辺りでいいんじゃないかなと思います。どうですかね。だから、「IQ」を入れるといろいろ余計なことを思われるので。確かに、才能プログラムでは、IQやら、学力テストやら、教師の評定や、いろんなものを総括的に考慮するわけなので、「才能を識別する一定の」……あ、ここでは識別って言わないですかね。「才能を見いだす一定の基準」というのでいいんじゃないでしょうか。どうですか。
【岩永座長】  すみません、これ、否定文になっているので、そういうことはラベルづけになりかねないので、しないようにしたいということでよね。
【松村委員】  ええ、そうです。才能を見いだす一定の基準によって選抜したらまずいことになりますよという。
【岩永座長】  ああ、そうですか。いや、それだと、ますます今村委員の御懸念が広がってきちゃうような気がするんですけども。要するに、テストとか識別するやり方では駄目だということですか、今の松村先生の意見は。
【松村委員】  いや、私、これ、「IQやテスト」を残したのは、実は2Eの、ここでまだ今回ではやっていませんけれども、2Eのことも思っていて、特別支援教育で発達障害の子供で何かそういう才能を見いだすことをやりましょうみたいなことになったときに、特別支援の通級に行っている子供とかはIQテストをやっていることも多いわけで、そのときにIQで何か2Eプログラムみたいなのに選抜されてしまう。そうすると、何かそういう特定の2Eの子供なんていうのができちゃって、2Eがステータスになるようなことにもなりかねないので、だから、選抜をするときにはよっぽどラベルづけというのは注意しましょうという、そういうことを言いたかったんです。だから、ここで「IQやテスト」というのはちょっとぼかしたほうがいいと思いますので、今村先生から見ても誤解のないようにするとどうしたらいいでしょうかね。
【今村委員】  IQを否定するというよりは、やっぱり客観的な尺度とかエビデンスは重要。そのうちの一つがIQも指標となり得るということかなと思うんですよね。なので、IQなどが否定されることではないかなと。
【松村委員】  そうそう。IQを否定していると取られたらいけないので、だから、ここでは「IQ」を出さないで、「IQ」を取ったらいいんじゃないですか。
【岩永座長】  いいですか、すみません……。
【今村委員】  「IQ」があったほうがいいと思っているということなんです。
【松村委員】  私もだから、2Eをにらんで「IQ」は入れたほうがいいかなと思ったんですが。
【今村委員】  はい、入れたほうがいいと思います。ごめんなさい。
【松村委員】  ええ。
【今村委員】  入れたほうがいいと思っていますと。
【松村委員】  はい。で、入れたところが、IQはいけないんだよみたいに思っていると誤解されるといけないので、どうしましょうかね。
【市川委員】  すみません、私も手を挙げているんですけど、言っていいですか。ちょっと心理学者の立場からとして言いたいんですけれども。
【岩永座長】  はい、どうぞ、市川先生。
【市川委員】  IQや心理テストをめぐっては、心理学者は物すごく苦い経験があるんですよ。IQというのは、心理学の開発した一つの有効なツールとしてずっと使われていきた。外国でもそうですし、日本でもそうでした。私が小学生だった頃には必ずIQテストを全員にやっていました。ほかの性格テストとか、いろんな心理テストもやっていたんですね。それが大バッシングを受けて、心理テストはするなという雰囲気にかなりなった。心理学者の中からも、かなり心理テストの妥当性に対する告発が出たと。この10年くらいの最近の傾向は私は知らないのですが、学校でそういう心理テストというのをやっていますか。
【岩永座長】  やってないです。やってないと思います。
【市川委員】  今村先生おっしゃるように、IQテストというのはかなり客観性がある、科学性があるので、今回のように優れた能力を持っている子を見いだすときの指標としても、もちろんIQだけじゃないけれど、心理テストを活用していこうということに対しては、現場でも相当のアレルギーがあるんですね。心理学者も積極的に、「心理学者はこんないいものを作ったのですから、どうぞ学校で活用してください」という普及策というのをかなり控えている状態。ここで、IQに限らず、心理テストのような客観的なテストを利用して才能のある子を見いだすという表現を入れることは、かなり慎重です。心理学者の私が言うので、かなり文科省としても慎重であるべきかなと思っています。この辺り、どうでしょう、文科省も何かそういう……。
【岩永座長】  ありがとうございます。
【市川委員】  今、復活しているという、そういうような情報があるのかどうか。
【岩永座長】  やはり私もそう思うんですけど、全国の学校でこれから今までやってこなかったIQテストをというようなことになると、これ、大問題というか、大転換点にもなりますし、これが言葉だけにしろ有識者会議の中で出されると、確かに大きな問題になる。だから、松村先生の最初の御提案は、それをしない、それだけにこだわらないというので、それはいいんですけれども、IQテストはやるというようなことが中に入ると、これまた大きな問題になるかなというふうに思いますので、この辺は、具体的に何かをしろとか、何かをするなというのを書くのが私はとても怖いんですよね。
 例えば、さっき松村さんもおっしゃいましたけども、1つには、「単一の識別テストや」というような、そういう書き方で書くというのが一つのやり方ではないか。この気持ちは非常によく分かるんですよ。単一の識別テストだけで選抜された子供たちに特定のプログラムを提供するということは避けなければならないという趣旨だと思うんですね。1つのテストで、特別な選抜された子供たち、学生に特別なプログラムを提供するというのは、まさに日本の有名国立大学とか有名私立でやっていることですから、1回のテストで入ったら、あなたは東大生だから、あなたは京大生だから、あなたは早稲田生、あなたは慶應生だからというので、特別な、ほかの大学では提供できないような優秀なプログラムを提供すると。優秀かどうか分からないですけど、提供するということになっているわけで、そういうような轍を踏むことはこの教育に関してはしないという一つの考え方だと思うんですね。そういう意味で、単一の識別テストによる一定の基準で選抜された子供たちに対して特定のプログラムを提供するというようなことはしないと。特定の子供をラベルづけすることになりかねないので、慎重にするということだと思うんですけれども、市川先生、どうでしょう。
【市川委員】  今のお話ですと、注意しなくちゃいけないのは、1つの指標でするのはいけませんよと言うと、じゃあ、たくさんの指標ならいいのかというふうに取られかねないんですね。それなら、心理テストをたくさんやって、IQもやります、今はやりの非認知能力もテストしますというような形で、どんどんどんどんたくさんのテストをやれば客観的な判断ができるのではないかと受け止められるのも困る。
【岩永座長】  そうですね。それはアメリカ式なんですけれども。
【市川委員】  ですよね。だから、「1つの」を否定するということは、「たくさんの」を肯定することなのか、それとも「1つもやらない」ということを推奨するのか、これ、ちょっと曖昧ですよね。
【岩永座長】  分かりました。そうですね。
【松村委員】  すみません、松村です、いいですか。
【岩永座長】  はい。松村先生、どうぞ。
【松村委員】  結局、ここの表現はできるだけ曖昧にすればいいということかなと思います。だから、もう「特定の基準で」でいいんじゃないですか。
【岩永座長】  そうですね。
【松村委員】  「単一の」とか言わないで。
【岩永座長】  「特定の基準により選抜された子供たちに対して」ということですね。
【松村委員】  はい、そうですね。特定の基準によって選抜したら特定の子供にラベルづけするので、特定、特定でどうですか。その辺りで。
【岩永座長】  「特定」が3つですね。ちょっと言葉の問題も含めてそこは引き取らせていただけますか。
【松村委員】  とにかく曖昧にしていただいたらいいかと思うんです。
【岩永座長】  はい、お考えは非常によく分かりました。
【松村委員】  いろいろ突っ込まれないようにね。曖昧な方向で直すということでいかがでしょう。
【岩永座長】  はい。中島先生、どうぞ。中島さん。
【中島委員】  中島です。すみません、ありがとうございます。
 私も答えが見えているわけではないんですけれど、大きく2つの問題があるのかなと思っていて、1つが、そういう本当は困っている人たちに適切な支援が届かない。困っている人たちが困ったままの状態になる。多分、今村さんが懸念されたのは、どちらの方向に転んでも、何か非常に客観的ではないような基準で何かが行われる、で、やったことになるということもあるかもしれないし、逆に今度、じゃあラベルづけをすればいいのかということで、本人が望んでもいないのにラベルづけがされてしまって何か別の場所に入れられてしまうとか、そういうことも実際起こっていることで、やっぱりそこがすごく問題なんだろうなと。なので、だから、この定義が非常に困難であると。ただ、課題を抱えていて、適切な支援とかが必要な人をどういうふうに探し出していくかというか、そこに対してもっと検討すべきであるというのが多分非常に大事なことなのかなと。だから、どちらかというと、「しない」という否定形ではなくて、なかなかそういう定義づけというのは難しいところだけれど、ちゃんと適切な人たちに適切なものが――その「適切」という言葉は多分不適切なので、どういう言葉がいいのか分からないんですけれど、でも、やっぱり困っている人たちにちゃんとしかるべき何かしらの支援、その支援というところも、先ほど御指摘あったようにどういう支援なのかというところはあるんですけれども、多分その辺をある程度具体化していかないと逆にふわっとし過ぎてしまって、ここが逆にあまりそういう積極的な支援に対することを行わない言い訳と言ったら変ですけれど、そういうことになることを懸念されているのかなと思いました。なので、両方の懸念があるんだろうなと思いました。
 あわせて、2つ目なんですけど、そういう特別な課題を持っている方々をちゃんと拾い上げるということはすごく大事だと思うんですけど、もう1点、大島先生が先ほどおっしゃったように、もう一つの問題として、恐らくより広い問題としてやっぱり多様性の問題があるとは思っています。ここでよく問題になっていることの多くが、多様性がやっぱりないがゆえに、課題を、何かしら非常に生きづらさを感じてしまうということがあることは、多分アンケートの結果でも結構明確になっていることで、この2方向は両方ともすごく大事なような気がしていて、それをちゃんと考えていきますよという宣言というか、何をします、やらないというよりは、こういうことに課題があると考えていて、そこは定義は難しいけれども、だから、今、拙速に定義をしてしまうとかということではなくて、しかるべき検討をここからまた進めていくということが書かれていると、何か困っている方々とかにとっては希望になったり、あと、多様性についてやっぱり課題を感じていて、本当は別に普通に通いたいけど、でも、なかなか今の学校とかだとすごく違和感があるみたいな、そういうお子さんも多分たくさんいらっしゃったり、保護者もいらっしゃる中で、両方が書かれているといいのかなということをちょっと聞きながら思っていました。ありがとうございます。定義は難しいんじゃないかと思っています。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 問題点はよく分かりました。市川先生、手が挙がっているのは消し忘れですか。あ、お願いします。
【市川委員】  ここで、やっぱり趣旨としては、何らかの形でそういう子供たちを見いだすというのは大事だと思いますけれども、これまでの議論でも見いだし方に私は2つあったと思っているんですよ。1つは、要するに、潜在的にどれだけの能力を持っているかということを何らかの心理テストとかそういうものから判定して、予測するわけですよね。この子は将来的に非常にすばらしい能力を発揮するだろうという、潜在的な能力を何らかのテストなり指標で見いだして、その子たちに特別の処遇をしていく。これは避けようと。私が言ったのかもしれませんけど、それならば、どうするかというと、顕在的に、つまり何か新しい心理テストとかを導入するのではなくて、例えば学力テストというのは当然学校ではやっているわけですね。そこで優れたパフォーマンスを示す。これはもう顕在的に現れていると。それから、その子たちに直接面接をしたりして、学校の授業については飽き足らないという不満がはっきりあると。どういうものに参加したいというようなことも自分の意見としてもちゃんと言える。これ、かなり顕在的なことですね。そういうことを手がかりにしながら処遇を決めていくというのは、私はそれはあってもいいんだろうと思うんです。
 結局、何で潜在的なのをあまり奨励しないかというと、それだけの予測力のあるツールというものを心理学もまだ提供していないし、あんまり当てにならないわけですよね。本人の意思もよく分からない。あまり当てにならないテストというのを使って何か選抜をしてしまうというようなことはよろしくないという趣旨だと私は受け取っているのです。ですから、あんまり幼児期からそういうことをやったりとかいうのではなくて、小学校のある程度いろんな力が発現してきたときにそういうものに基づいて何か特別なプログラムを用意するということは、私はあっていいのだろうと。だから、何は駄目だというだけではなくて、どういうことならいいのではないか、それ、書けるかどうかちょっとよく分かりませんけど、私が思っていたのはそういう趣旨です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 これ、実は才能教育の一番本質的な部分に関わることで、これは恐らく一晩中議論していても解決しないような話になると思います。この有識者会議が何を求められていて、この有識者会議で何をすべきかと、何を結論として出すべきかということを一番着地点に置いて、そこに到達するにはどういうような合意をしておいたほうがいいのか、どういうような考え方を進めたらいいのかということで少し機能的に考えていきたいなと思っておりまして、今、先生方からいただいた議論も踏まえて、ここのところ、非常に大事なところで、消すわけにもいきませんし、この有識者会議にいろんなことを期待して固唾をのんで御覧になっている方たちもいらっしゃると思うんですね。そういう人たちは、こここそ大事なんだ、ここがポイントよというふうに思っていらっしゃるかもしれないので、それは逆に非常に危険なところでもありますので、書きぶりには注意を要するんですけども、ただ、先ほどありましたように、「適切な」とか「適した」とか「有効な」とか、そういう言葉で逃げていると、「ああ、また『適切』か」というような意見が出てきそうな気がして、大変危険な感じもするんですね。その辺のところが難しいかなと思いますけれども。
 今、根津先生から手が挙がっていますか。
【根津委員】  じゃ、すみません、根津です。
 2か所ある「IQやテストの得点」あるいは「IQやテストによる一定の基準」という、ここの趣旨としては、恐らくそれが問題というよりは、何らかの基準を設けて、特別扱いをする子供たちだけを一まとまりに集めて、その子たちだけにそのプログラムを提供するというところが問題なのかなと思うんですね。ですので、先ほどの松村委員の御発言にもありましたように、「特定の基準により」というのも一つのやり方なんですけど、「何らかの基準により才能を定義し」、あるいは「何らかの基準により選抜された子供たち」と。つまり、本人の意思に基づかないような形で、先ほどの市川委員の御発言にもありましたけど、潜在的にそういうものを持っているということと、それをどう生かすかということは別の話だというふうに思いますので、具体的にそれを「IQやテスト」、この場合のテストというのも、学力テストのことなのか、あるいは心理テストのことなのかというところはちょっと判然としませんので、あえてここで例として出すのがいいかどうかというのは正直疑問なところです。ですので、「何らかの基準により選抜された」、「何らかの基準により才能を定義し」というふうにしておくほうが、「一律」、「一定」という言い方をすると、先ほどのようにやはり複数ならいいのかって議論になりますので、やらないことについて書いているのであれば、そのくらいでいいのかなというふうに感じました。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 やらないというよりも、それだけでということも言いたいので、「何らかの」というのは一つの大人の解決かなと思います。
 中島委員から手が挙がっています。どうですか。
【中島委員】  すみません、度々。ありがとうございます。
 ここ、本当に難しいところなので、ちょっと分からないんですけれど、ただ、例えば私自身、数学オリンピックとか出させてもらって、やっぱりそういう場があることですごく救われたということはあると思っています。でも、それもやっぱりある種選ばれたということになってしまう。
 一方で、市川先生のおっしゃることも本当によく分かるんですけど、今度、でも、学力だけで見てしまうと、客観的に今、信頼されているものがもし学力だけだということになってしまうと、今、課題を抱えている生徒さんって、やっぱり学校の試験とか学び方に合わなくて、そのために学力は出せないけど、本当は潜在的な才能を持っている。確かにおっしゃるように、潜在をはかるすべはない。すべはないんだけど、これって答えがあるものじゃなくて、学力も一律でははかれないものなので、じゃあ、これがあなたの学力の全てか、例えば数学オリンピックの結果が全てか、何かが全てかというと、決してそんなことはないということを考えると、やっぱり多様な取組が必要なんじゃないかなと思っています。なので、時にはもしかしたら、個人的には、私もどちらかというとアグリーで、IQとかだけをはかるとか、それはどうなんだろうと考えるほうなんですけれど、それで救われる人もゼロではないかもしれなかったりすると。そこの部分がうまく、何かどちらかに寄せ過ぎないほうがいいのではないかと。だから、どちらかというと、リスクをしっかり書くことと、もしかしたら多様な施策を生み出していくということこそがいいんじゃないかなと。先ほどおっしゃっていたように、もしかしたら時にはIQを見るのもあるかもしれない。それによって、学校のテストは全然駄目だけど、IQテストはすごくよくて、それが本人の意図じゃなかったら問題かもしれないけど、親御さんがすごく困っている中で、何かそれで、ああ、なるほど、じゃあ、これ、本人、アンバランスで困っていたんだなということを知る。病気の診断とかと一緒で、100%のあれはないんだと思うので、IQが高いからといって、じゃあ本当に将来的にこの人がどうなるか分からない。だけど、それが一つの指標として見えるということではあるのかもしれない。ただ、危険性があるので、多様な形を取り組んでいくということがいいのではないかというふうにちょっと思いながら聞いていました。
 繰り返すようですけど、私自身も、IQとかだけじゃなくて、どちらかというと多様性をもっと持っていくということが大事だと思っているんですけど、困っている人を何かしら見いだすということを考えると、学力テストだけに頼るのはちょっと怖いというか、その人たちはある意味で見いだされて、本人ももしかしたらある程度の達成感が持てている状態になりやすい中で、達成感とか自己肯定感が持てない生き方をしてしまっている。でも、それは学び方とか環境が変われば、もしかしたらすごく自分の個性を発揮することができる。本当は全員そうだと思うんですけど、そういうことに何かできないかなというふうに、何か希望が見えるような文章の書き方にできないかなということをすごく感じておりました。ありがとうございます。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 大分時間も過ぎてしまいまして、今村委員から。じゃあ、あと今村委員だけということで、あとは引き取らせていただいて、もう一度、この部分、私、消すことは選択肢にはないと思いますけれども、この部分をどうにかして生かしていくということで、先生方の御意見を踏まえて少し検討させていただくということにしたいと思います。
 今村委員、お願いします。
【今村委員】  ありがとうございます。すみません、私も具体的な提案ができてないんですけれども、先ほど市川先生がおっしゃっていた心理検査の妥当性のところでいうと専門家ではないので、本当にWISCなどのものが一番いいのかというところは、そこの信頼性について分からないんですけれども、現状、現場感とか先生の見立てとかだけに頼っていて、ほかの客観性がない状態が機会を逃してしまっているということになってしまっているという現状に即したときに、何らか特性を見いだす施策がやっぱり必要なんじゃないかということで、先ほど中島さんに補足いただきましたけども、発言させていただきました。なので、この点については、ごめんなさい、掘り下げるというよりは、今後の議論の中心に、中核に置くということ、現場の先生の見立てによらない、やっぱり全ての子供たちの困難さをきちっと見いだすということのためにどのように見立てをしていくのか、どのようなツールを使うのかというところを、今後議論すべき論点のところに大きく、支援策以外に見立てるというところも、後ろのほうにありますけれども、大きめに書いていただければと思いました。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 すみません、私の不手際で議論が長引いてしまいましたが、先ほど申し上げましたように進めさせていただきたいと思います。御意見ありがとうございました。
 年内に論点整理の「案」を取ったものを取りまとめて、公表したいと思っております。もちろん、事前に先生方にはお回ししますけれども、基本的に今回までの御意見を踏まえて取りまとめるということで御了解いただきたいと思います。特に文言の調整等については私に御一任いただくということで御了解いただきたいと思うんですけれども、御意見がある方は、「手を挙げる」ボタンでお知らせいただけますか。
 ありがとうございました。御一任いただいたものと受け止めさせていただきます。今いただいた意見も踏まえて論点整理を取りまとめたいと思います。
 ここで、特定分野に特異な才能のある児童生徒の指導・支援に関する最近の文部科学省の取組について、事務局より説明いただきたいと。その時間を設けたいと思います。説明に対する質問などは後ほどまとめて受け付けたいと思いますので、まず、大学における先取り履修の取扱いについて、高等教育局大学振興課より御説明をお願いします。
【伊藤大学振興課専門官】  高等教育局大学振興課の伊藤と申します。時間がございませんので、手短にさせていただきます。
 今、共有させていただいております資料の内容でございますけれども、本年の10月29日に学校教育法施行規則の改正を行っておりまして、この改正の内容について御説明いたします。
 大学において、科目等履修生という形で、いわゆる正規の学生以外の方が単位を修得するということが可能なのでありますが、この単位を修得した場合に、ある一定以上のまとまりでもって単位を修得すると、その単位を取った大学に、その後、いわゆる正規の学生として入学した場合に、もともとその科目履修生として取っていた単位の量を勘案して修業年限を通算することで、実質的に正規学生として入った後、学部生であれば4年を待たずに卒業することができるという制度がございます。これ、実は10月に改正する前までは、大学入学資格をもともと持って科目履修生として単位を取った人じゃなきゃいけないということで、大学入学資格というのは高校とかを卒業すると取れるわけなので、要すると、高校生のときに科目履修生で単位を取っていても、そのとき幾ら単位を取っても、先ほど申し上げた修業年限を通算して通常より早く卒業するということはできないという制度に10月まではなっておりました。ただ、これを制度改正いたしまして、先ほど申し上げた入学資格を持った後で取った単位に限るという制限を外すことによって、現在は、高校生を含めて、大学入学前に科目履修生として単位を一定程度取っておれば、その大学に入ったときに、実質上、通常よりも早く、通算して卒業することができるというふうな制度改正を行っております。
 次のページに条文とかを参考に載せておりますけれども、この赤字で線を引かせていただいた分を削除すると、そういった内容の改正をしております。
 最後、3ページ目に、これは事例として、WWLの中で、例えば広島で言うと、広島大学や県立大学の科目を高校生が取るというような取組が一部行われておるんですけども、この中で一定の、例えば15単位とか、かなりまとまった単位を仮に取る高校生が出てきたときには、その高校生が申請をすれば、その大学に入ったときに、例えば3年半で卒業するとか、そういったこともやり得るようになったということでございます。
 以上でございます。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 質問等がありましたら後でまとめてということで、続きまして、大学へいわゆる飛び入学した高校生へ高校卒業資格を付与することについて、初等中等教育局の高等学校担当参事官付より御説明をお願いします。酒井さん、お願いします。
【酒井参事官(高等学校担当)付補佐】  失礼いたします。初等中等教育局の高等学校担当参事官付の酒井と申します。よろしくお願いいたします。
 現在、文部科学省では、大学へのいわゆる飛び入学者に対して高等学校卒業資格を付与する制度の創設を検討しているところでございまして、その概要について御報告させていただきます。資料3を御参照いただければと思います。
 資料1ポツの制度の必要性というところでございます。
 学校教育法においては、現在、高等学校の修業年限は3年、定時制・通信制は3年以上とされておりまして、学校教育法の施行規則において、高等学校の全課程の修了を認めるに当たっては74単位以上修得した者について行わなければならないというふうに規定されていて、この点は御案内のとおりだと思っています。一方で、様々な多様な生徒がいらっしゃるということでございますので、高等学校に2年以上在籍し、特定の分野において特に優れた資質を有する者については、大学へいわゆる飛び入学ができるという旨が規定されているところでございます。
 しかしながら、現行の制度につきましては、このいわゆる大学への飛び入学者については、高等学校を中途退学して大学へ入学するというふうになっておりますので、大学入学後に大学を中途退学するなどして進路変更しようとした場合、その飛び入学された学生さんは高等学校卒業の扱いとはなっておらずに、就職や資格試験等の受験において困難が生じるとともに、飛び入学の活用が促進されていない一因というふうに指摘をされているというところでございます。
 そのため、2ポツでございますけれども、この大学への飛び入学者に対しては、高等学校卒業資格を付与する制度の創設がこれまでも指摘をされてきたところでございます。
 平成26年12月の中央教育審議会答申には、この1ページ目の参考1というところでございますが、文部科学大臣が高等学校卒業と同等程度の学力を有する者について、いわゆる飛び入学者に対して、高等学校卒業と同等の法的地位、社会的評価が得られるようにするというようなところを御提言いただいたところでございます。
 具体的には、高等学校での50単位以上の修得及び大学での16単位以上の修得と、それぞれ修得した単位の分野が著しく偏っていないことを確認することにより、文部科学大臣が飛び入学した者に対して、いわゆる高校卒業程度の資格を有しているという旨の認定を行うという制度を創設してはどうかという旨が答申をいただいたところでございます。
 さらに、本年6月の教育再生実行会議の第12次提言におきましても、同様に、高等学校の3年間の課程を修了した者と「同等以上の学力」を有するという者に対して文部科学大臣が認定を行うことで、高等学校卒業資格を付与する制度の創設といったものを提言いただいたところでございます。
 現在、文部科学省では、速やかに制度創設を行うべく、制度改正に向けた具体的な内容について検討しているところでございまして、準備が整い次第、関係法令の改正を行いまして、新たな制度を創設してまいりたいと考えているところでございます。
 簡単でございますが、概要の御報告は以上でございます。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 今、大学振興課及び高等学校担当参事官付から説明があったことですが、この点について、もし委員の皆様から御質問などありましたら、「手を挙げる」ボタンを押して御質問いただきたいと思います。いかがでしょうか。
 市川先生、お願いします。
【市川委員】  これは質問というか、確認なんですけれども、この問題は、前、教育課程部会でかなり議論されて、一応の決着をそのときは見たと思うんですね。そのときと何が違うのかと。具体的には、高校側から「高校卒業とはできない」という非常に大きな反発があったわけですね。やっぱり幾ら学力が高くても、高校教育は何も授業の単位や学力の高さだけではないし、特別活動とかいろんな活動もありますから、それにふさわしい活動を全部やって初めて高校卒業なので、高校卒業とは絶対できないという強い反発があっただ、今回は、高校卒業ではないけれども、学力面に関しては高校卒と同様ですよという、そういうものを出すということで一種の妥協案にして、むしろ飛び級した人が困らないようにしようという、そう理解してよろしいでしょうか。
【岩永座長】  これは、後のほうの酒井さんのほうからお願いします。
【酒井参事官(高等学校担当)付補佐】  失礼します。高校参事官付でございます。
 ただいま市川先生の御質問に対しましては、その教育課程部会の御議論等を踏まえて出された答申が平成26年の12月の中央教育審議会答申というふうになってございます。その答申の中ではまさに様々そういった御指摘ございましたので、高等学校卒業と同等の法的地位、社会的評価が得られるようにするということで、大学で中途退学された方が、その後、困らないように、様々な措置を講じていくというところで制度設計をしていくというふうに答申をいただいておりまして、今、私どもの内部の検討でも、そういった旨で制度改正していきたいと考えているところでございます。
【岩永座長】  いかがでしょうか。
【市川委員】  はい、分かりました。
【岩永座長】  これは、私がそれにかぶせて質問ですけど、とすると、例えばB高等学校を中途退学して飛び入学をしたという学生さんがいらっしゃったとして、A大学を中途退学した場合に、この規定によって認定されたとすると、将来、B高校卒業の卒業証明ですか、そういったものは出ないということですね。それ、B高校で出すことはできなくて、文部科学省なり何なり、高校卒業の証明はそこで出すということになりますか。
【酒井参事官(高等学校担当)付補佐】  失礼いたします。高校でというよりは、現在考えておりますのは文部科学大臣が認定するという形で考えていますので、文部科学省から何らかの形のいわゆる資格というか、そういったものが付与されるということになろうかと考えております。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか、御質問があれば。
【根津委員】  すみません、「手を挙げる」ボタンがうまく動かないので、失礼します、根津ですけれども。
【岩永座長】  はい、どうぞ、根津先生。
【根津委員】  今の大学への飛び入学者に対してというところなのですが、これはあくまで大学への飛び入学者に対してというところにまず限定されているということで、さらに、大学で単位を取った人についてということですね。高等学校の50単位以上の修得及び大学での16単位以上の修得と。そうすると、高校で50単位を取っただけでは、当然これは高卒とはやはり認定されないと。でも、大学での16単位以上の修得というところが、この16単位の根拠というものはどういうところにあるのかなというのは素朴に疑問に思ったのですが、何か御議論ありましたら御紹介いただければと思います。
【岩永座長】  いかがでしょうか。お願いします。
【酒井参事官(高等学校担当)付補佐】  まず、全体のスキームは、今、根津委員御指摘のとおりでございまして、いわゆる高校の50単位に加えて大学での16単位というところになってまいります。この16単位というのは、当時、平成26年の中教審の御議論の中では、いわゆる大学1年生相当のときに、高校3年生の学習と相当するような内容の学習量であったりとか、あと、この中教審の答申では単位の分野が著しく偏っていないことというふうにも要件をされていまして、これは先ほど市川委員から御指摘がありました、いわゆる高校段階の者として必要な、バランスよく学習ができているという点を確認するというところでこういった単位数が必要だというところが御議論があったというふうに聞いておるところでございます。
【岩永座長】  根津先生、いかがでしょう。
【根津委員】  御説明ありがとうございました。
【岩永座長】  どうもありがとうございました。
 特段の御質問がないようでしたら、これは情報提供ということで共有させていただいたということで、以上、説明がありましたとおり、文部科学省においては、高校生の飛び入学に関して制度の活用を図るべく取組を進めようとしているところということです。着実に進めていただければいいなと私も思います。御説明のあった内容については、論点整理においても簡単に触れておきたいと思います。
 続きまして、会議の残りの時間を使いまして、令和4年以降の議論の進め方について意見交換を行いたいと思います。
 この会議は、年明けに論点整理の4「今後議論すべき論点」に沿って、ヒアリング含めた具体的な議論を進めていき、令和4年中に有識者会議としてのまとめを行う予定です。
 そこで、ここでは、議論を具体化するための手立てについて委員の先生方から御意見をいただけると幸いです。例えば、論点整理からより掘り下げて議論を行うべき具体的な施策のイメージを議論すると。あるいは、例えば、関連してヒアリングをこのように、このような方から行ったほうがいいというような新しい取組ですね。先ほどの延長線上ですけれども、の取組などについて、具体的かつ建設的な御意見をいただければと思います。その際には、先ほど御説明いただいた論点整理(案)の関係する部分をページ番号などで指定していただけると、ひもづけがしやすくて議論を共有しやすいと思いますので、よろしくお願いします。
 それでは、御意見のある方は「手を挙げる」ボタンを押して御発言いただきたいと思います。松村先生、早速です。お願いします。
【松村委員】  時間が押してきましたので、提案が3点、最短時間でお話しできるようにちょっとメモしておきましたので、それを見ながらお話しします。
 1つは、21ページに関連しますが、授業における教材や指導方法の工夫ですね。ここで、結局、個別最適な学びとか協働的な学びの一環として、才能のある子も含めた教室ベースで拡充を行うという、そういう可能性を探ってくるんですが、そのときに教師の負担増がないような取組の研究開発を行っていけるような、そういう指定校なり協力校などを設けるのが一つの検討すべき方策かと思います。あるいは、論点整理にも出てきました天童中部小学校のように、既に草の根的にやっておられる学校に教育行政の支援を投入して実践の質を上げていく。それをモデルにしてウェブ公開したりして、全国の関心のある先生方に見ていただいて実践を広げていく。それを新しくやろうという新規の取組も後押ししていく。そういうふうに、国とか地方の後押しとかお墨つきがあったら何かやりたいけれども、どうやったらいいか分からない、できない、ためらっておられる、そういう先生方の後押しができるかと思います。それが1点。
 それから2つ目、22ページに関連します。学習とか学校生活に困難を感じている場合の対応策とか、学校外の学びの活用ですけれども、どうしていくかというより、まだ情報が必要なんですね。この前のアンケート調査で、才能・特性がきっかけになって不登校になるという、そういう児童生徒が少なからずいることがアンケートでも出てきたわけですけれども、よそで行われた調査では、そういうことが教師には全く認識されていません。だから、教師の認識ではなくて、本人や保護者の意識を、しかも学校や教育支援センター以外のオルタナティブスクールなり、ほかの組織を通じて本人や保護者に調査への参加を呼びかけて、でも、その回答は個別にオンラインで行って情報は保護しながら、回答者の属性も細かく取れるというというような、何かもう一つ調査をしていただきたい。だから、困っている才能のある子供の調査ですね、綿密な調査がこちらでもできないかと。才能で困っている子供の不登校についての調査ですね、何かそんなのを行っていただけたらいい。
 3つ目、22ページ、23ページに関連しますが、今年は進みませんでしたが、来年ぜひ進めていただけると、私が一番関心を持っているところですけれども、才能と障害を併せ持つ場合の対応策、2E教育についてですね。今の論点整理の段階では「学習困難」でくくられてしまいましたけれども、今後、発達障害の位置づけも明確にして検討されると思います。1つは、教室ベースの拡充では、この有識者会議の方針として、才能や障害を特定しないで、子供が主体的に自分の学び方を選択できるような学びの環境を学校の内外で進めていく、連携を取っていく、そういうのが望ましいでしょう。でも、その一方で、特別支援教育から見ると、2Eの障害が適切に診断されるならば、才能と併せて障害面への適切な支援が必要ということもありますので、そのようなところをどうするかというところをやっぱり突っ込んでいただきたい。でも、さっきの特別プログラムをつくってラベルづけしてという問題が生じますので、新たに何か2Eプログラムを設けて、そこに参加することが何かステータスになるような、そういうことにならないようにすべきかと思います。
 それと関連して、施策の普及方策、23ページのところに関連しますけれども、2Eについて実証的研究で好事例を蓄積するという、そういう観点から、1つは、通常学級では、才能や障害の有無を問わないで、個別最適な学びを通じて2Eへの支援を行う。もう一つ、通級指導とかで、障害のある子供の才能面を生かす取組を行う。そういうようなことについて何か研究開発を行っていくような指定校なり協力校などを、国とか教育委員会から、リソースが要りますが、予算、人材のリソースを含めて支援していただければ、何かそういう方向で考えていただけたらと思います。
 2E教育についてもう一つ、関連してヒアリングを行ったほうがよい取組というので、これ、ぜひ提案したいのがあるのですが、すみません、あと1つだけ、これは後でまたお話しさせてください。
 ということで、メモをばーっと読み上げましたので、以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。何か御提案がありましたら。大島先生、お願いします。
【大島委員】  大島です。すみません、先ほどチャットに書かせていただいたんですけれども、それに関連して、23ページの「学校外の学びの場の促進方策」というところに関連すると思います。「リソース」という言葉がよく出てきているんですけれども、ここで言っているリソースというのは何であるかというのをやはりきちんと議論したほうがいいかなと思っています。ここで言うリソースというのは、例えば人であったりとか、予算もありますし、多分、学習コンテンツであったりとか、あと地域のそういうフレームワーク、そういうのもリソースかと思います。なので、そのリソースということが何がリソースかということと、あと、やはり現状のリソースがどういうふうになっているかということをきちんと把握するということも大事だと思っています。なので、そのリソースの把握とともに、それをやはり分析して、市川委員、あと前回、今村委員もおっしゃっていましたけれども、それをどういうふうに再分配するかということと、それに含めて、じゃあ何が足りないのか、その足りない部分に対してどういうふうな措置をしたらいいかということをやはり現状把握とともに分析、そして施策として何らかの形で具体的に議論していけるといいのではないかなと思っております。
 以上です。よろしくお願いいたします。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 ほかにいかがでしょうか。市川先生、どうぞ。
【市川委員】  どんな調査をこれからやっていくかということに関してですけど、私は、学校の先生に対する調査。これまで、今回、教育委員会への調査はやったわけですね。それから、先ほど松村先生も御提案あったように、生徒あるいは卒業生、つまり学習者に対する調査。これもこれからやっていくといいと思うんですけれども、私は、学校の先生がこれをどう捉えているか、初めは、できるだけざっくばらんな座談会のようなヒアリングを幾つかやってもいいと思うんです。この問題を考えるときに、教育委員会が答えるときも、何か暗黙に、すごく新しいプログラムをやれというようなことを仮定して、それはできないと考えてしまったりすることもあると思いますので、こちらからも、例えばこんな実践があります、こんなことも意見として出ています、そういうのはどうでしょうみたいな話をまずヒアリングのほうでやっておいて、そして、どういうことなら可能かというようなことをある程度整理した上で、今度は質問紙調査というようなことを学校の先生にやっていただけるといいかなと。
 学校の先生はとにかく忙しくて目いっぱいということはもう分かっていますので、これが新しいプログラムをさらに学校でやってくださいということだと、それはもう「とても無理です」みたいな回答しか来ないかもしれませんけど、例えば、学校がやるのではないけれども、地域のそういういろんなプログラムにつなぐとか、先ほどはどういう子供を見いだすかということがありましたけど、私は何も学力テストだけを言っているわけではなくて、学校には実技教科もありますし、少なくとも学校でやっているいろんな教科とか広く見た上で、この子はすごく高い才能を持っていそうだなと。それは顕在的にそういうものが現れているので、外のリソースにつなぐとか、そういうつなぐ役割だったらできそうだとか、そういうのはいろいろあり得ると思うので、そういうできそうな例も示した上で、学校の先生からも、何はすぐにでもできそうか、こういう人や予算をつけてくれるんだったらここまでできそうだとか、何かそういう感触を学校の先生を通じて少し得てみるということはやってもいいのではないかなと思いました。
【岩永座長】  はい、どうもありがとうございました。
 私もいろんなところで議論させていただくときに、日本の先生は、子供たちの指導にかける時間がOECDの国々の中で一番短くて、それにもかかわらず仕事の時間が一番長いというお決まりの言説を、調査に基づく言説ですが、使っておりましたけれども、私のごく近しい人間が小学校の教員をやっておりました。もう辞めていますけど。そのときのことを思い出しますと、忙しいというのは、仕事が多いということ自体は、それはもちろん嫌なんですけども、ただ、仕事が多いということよりも、何をするのが私たちの仕事なのかをきちんと自分で理解して仕事をしたいということのほうが多かったように思うんですね。だから、わけの分からない仕事、何で私がこれをやらなきゃいけないのというような、そういう仕事をするのが一番つらいということだったので、これは、先ほどの市川先生の教員に対する調査というのは私は必須だと思うんですけれども、ただただ時間が多いので大変ですかというような、こちらから思い込みで調査をするのではなくて、やはり意味のある仕事を意味がある形でやりたいと思っている方は非常に多いわけで、そういうことをやってくれる先生ほど私はいい先生なんじゃないかなと思いますけれども、そういうような観点で調査をすると。だから、必ずしも、先生方の時間が増えるからこういう仕事は大変とか、そういうことではないと思うんですね。何かもっといい方法があるのではないかなということも考えますので、その辺のところも考えた調査というのは必要だと思います。
 それから、これは、そういう例に引きつけるとちょっと誤解を生じるかもしれませんが、例えばお医者さんが、昔は患者に聴診器を当てていろんな情報を自分で得ながら、最終的に自分がこれは何々病だねということを判断して、適切な治療をするということだと。私の小さい頃まではそんな感じでしたけれども、最近はほとんど理学系の試験をして、その試験の結果がコンピューターの画面にばっと出てきて、それを見て医師が総合的に判断して、この患者にはどういう治療をするのが最適かということを決定して、実際の治療なり実際の手当などは看護師がするとか、療法士がするというようなのが、今、医学のほうでは主流なのではないかなと思います。
 それと同じことを教育でやるというのは大変難しいと思うんですけれども、何かそういうような合理性のある役割分担というか、何でもかんでも教師に一から十まで任せてしまってやらせるのではなくて、そういう合理性のある仕組みづくりというのが私は必要なのではないかなと考えるわけで、そこから先ほどのアメリカのようないろんなデータを教師に集めて、教師が判断すると。いろんな試験をしたり、それからいろんな聞き取りをしたというようなことで、いろんな指標を基にしたりということで判断するというやり方は、一つの教師の働き方の方向性かなというふうにも思っています。それが理想だということは決して思わないんですけれども、あまりに先生方に何でもかんでも押しつけてしまっては恐らくこれから先は成り立たないだろうし、ましてや才能者を発掘して、それに合った個別最適な教育をするということは望むべくもないんじゃないかなということを常々考えておりまして、そういう意味での示唆がこの有識者会議の中でもその結論の一部として出せればなということを考えております。その意味でも、教員への調査というのは私も必須ではないかなと。やり方にもよりますし、それから聞く内容にもよりますけれども、必須ではないかなと思っているところです。
 その点も含めて、何か委員の先生方から御意見があれば。今村先生、お願いします。
【今村委員】  ありがとうございます。個別的な対応のためのリソースをどのように獲得し、配置するかということは、全てを対応づけるというのはなかなか難しいと思うんですけれども、ここは本当に国としてきちんと財源を確保して投資していくところだと思いますが、どのような方法があるのかということを、費用算出までをきちっとしながら、どんな地方の地域でも、たまたまそういった能力で生まれてきた子たちがその高い能力を困難さに転じることのない支援を届けることができるかということを、費用も明らかにした上でここからは議論していくべきなのかなと思っています。東京だったらこういう機会が巡ってくるよねとか、特別な地域に住んでいればこういうことが巡ってくるよねという形だと、国策としてはあまり有効ではないと思いますので、そこの点は重要かと思います。
 同時に、私もたくさんの保護者の方々にお話を聞いている中で、お会いしていると、比較的、社会経済的背景と言われているSESが高めの御家庭の方にお会いすることが多いなと感じるんですけれども、これは因果関係なのか、相関関係なのか分からないんですが、多分、こういったことに課題意識を持って、専業主婦にまでなってお子さんに伴走している方がこういったところに声を発しているからSES高めな御家庭と関わっているのか、もしくは、もともとこういった能力が高といいますか、IQが高いといいますか、そういった御家庭のお子さんが育っている環境はSES高めの方が多いのか、この因果関係がちょっと分からないんですけども、そういった先行研究があれば、それも教えていただけたらうれしいです。
 もう1点、かなりたくさんの御家庭から聞くのは、やっぱり経済的な負担が本当に大変だということです。図書館が常時開いていないという学校もあって、本を読むということにもお金がかかるとか、いろんなお話を聞くんですけれども、もし今後、調査をさらにするのであれば、御家庭が一体幾らぐらい想定外支出をされているのかというところも明らかになると、国として幾ら財源を確保しなければいけないのかというところのヒントになるのかなと思うので、そこももし調査の中に盛り込めたらありがたいなと思いました。
 以上です。
【岩永座長】  ちょっと私はこの議論をしていくと危険な感じも、最終的にベルカーブのほうに近づいていくなという感じもするので少し怖い感じはしますが、御趣旨はよく分かりました。
 根津先生からお手が挙がっております。
【根津委員】  根津です。やはり学校の中での担当者として教員への調査というところは非常に価値があると思いますし、私は興味があるのですけれども、一方ではまた、その調査をすること自体が非常に教員にとっては負担になるという、この現実がやはりあると思うんですね。公的な調査への回答というところは、そもそも行わなければいけないもの、でも、かなりのものになっているという認識があると思いますし、ましてや、今、研究の場でも、学校での調査をお引受けいただくというのは非常に大変な状況であると。ここはもう座長の先生もよく御存じだと思います。そうなりますと、答えがいのあるといいますか、あるいは積極的に答えていただけるところもそうですし、調査に回答すること自体が一つのインセンティブになるような、なかなか報酬というところまでは難しいかもしれないですけれども、少なくともこれだけの時間を割いてこれだけの情報を提供したのであれば、これだけのことがきちんと施策に生かされるんだというところがないと、やはり政策の根拠を取るために数を取る、あるいはかなり突っ込んだ内容まで聞くことになると思いますので、それが教員にとって負担にならなければいいなというところはちょっと懸念するところです。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 私は社会調査も一応フィールドにしているんですけれども、調査をするときに、いつも前書きのところで「決して御迷惑をおかけしませんので」って書きますが、書きながら、「これ自体、迷惑だろう」って必ず突っ込む人がいるよねと思いながら書いているんですけれども、本当に調査に協力してもらうというのは大変なことだなと思っております。それだけに、やはりこの調査には意味があるということを納得していただいた上でやっていただく。それから、全ての先生にランダムにべたで聞くというよりも、例えば教務主任クラスの人に伺うとか、何かそういうものについて広く目配りをしている立場の方に聞くというのも一つの考え方かなと思いました。
 ほかにいかがでしょうか。よろしいですか。
 それから、これにつきましては、例えば、この後、こんなこともやったらいいとか、こんなことをやってほしいというようなことがありましたら、まだ時間はありますので、メールででも事務局のほうにお寄せいただければと思います。やはり今日の議論を冷静に振り返ってみると、ここのところはこれを調べなきゃいけないだろうというようなことが出てくると思いますので、ぜひそういうような御意見がありましたらお願いします。
 課長から御発言の希望が出ています。よろしくお願いします。
【常盤木教育課程課長】  事務局からすみません。皆さんありがとうございます。今の今後の話合いの中で調査という話がかなり出ておったんですけども、我々も皆様の御意見をしっかりと受け止めて、何かしらこの議論に反映させるのが事務局の役目と思っていますが、根津先生も大変心配していただいたように、今はコロナ禍の中で、学校に対する調査というもの自体は全て文科省においては抑制的にするべきだという方針が出ております。そんな中で、ただ、現場の意見とか学校の先生の意見等、皆様のこの議論に反映していくことはとても重要だと思いますので、少しやり方は個別に検討させてください。
 そんな中で、もちろん、皆様、研究の中で、また日頃の活動の中で、事例としてになっちゃうのかもしれないんですけども、そうした例があれば、ぜひそれをお寄せいただければ、学校現場に負担を新たにかけることなく、1つの事例に偏ってはいけないんですけども、複数の事例が集まる中で相場観みたいなものを見つけられれば、それはそれで学校現場には特段の負担をかけることなくまた次の施策というものを検討できるかと思っていますので、ちょっと個別に調査の件については今後相談させてください。よろしくお願いいたします。
 失礼しました。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 それでは、時間は多少早いのですけれども、そういう形で個別に御連絡いただく、御意見をお寄せいただくということで対応させていただきたいと思います。
 今日のもう一度復習ですけれども、一番最初……。
【松村委員】  すみません、松村です。
【岩永座長】  松村先生、どうぞ。
【松村委員】  いや、先ほど「後でお話しします」と言いました、ヒアリングを行ったほうがいい取組というのをお話ししていいですか。
【岩永座長】  はい、どうぞ。
【松村委員】  2E教育についてなんですけども、私の隠し玉です。実はアメリカの公立学校の教育委員会で2E教育を担当している方がおられるんですが、日本語でお話ししていただけます。日本人なんですね。市川真希先生といって、これ私の『才能教育・2E教育概論』の第6章にちらっと書きましたが、シアトルの2E教育のプログラムの部署の責任者をされておられます。今、シアトルでは、以前の障害のある才能児を認定してからプログラムを提供するという方針から、インクルーシブ教育をベースにして、全ての子供の興味・関心を見いだして支援するという、そういう方向へ移行しているところなんですね。だから、“gifted”とは呼ばないという、そういう方針で進んでいます。それを可能にするために、SEM(全校拡充モデル)、レンズーリのモデルですが、それを導入しつつあるところです。ちょうど進めている方向、その理念が今後の有識者会議の方針と一致しますし、さらに、シアトルで2Eの支援の方策を検討するときに、教師だけでなくて保護者もそこに参加するという、そういうことをやられているそうです。そうすると、学校と保護者との連携の在り方についても何か示唆するところがあるんじゃないかということで、ぜひお話を伺いたいと思ってちらっとお聞きしたら、個人的にはよろしいよということで了解いただけているので、どこかの回でぜひヒアリングということで入れていただけたら有意義かなと思います。よろしく御検討ください。
【岩永座長】  ありがとうございました。前向きに検討したいと思います。
 チャットは、今村委員から、課長の発言を受けて、「おっしゃるとおりかと思います。私も追加調査があるならばということで申し上げさせていただきました。既に民間でされている調査研究や実践があれば、それを議題にされて……」ということですね。
【今村委員】  すみません、学校への御負担を配慮されている件は、私もそう思いますということだけチャット欄に補足させていただきましたので、もし調査があるならばということでのコメントだと受け止めていただければということで書きました。すみません、以上です。
【岩永座長】  市川先生とは必ずしも話したわけではないので、共通するかどうか分からないんですけど、私、調査をよくやる身としては、やはり自由記述でいろいろ答えていただくというのは、すごい負担なんですね。それで、できるだけプリコードしておいて、つまり選択肢を用意して、それをクリックしていただければ答えられるような形でする調査であれば、案外、マルティプルチョイスの調査というのは信用ならないという一般的な御意見があるようですけれども、私はそうではなくて、いろいろ心の真実の一部分をそのマルティプルチョイスの一つ一つが表していて、それを組み合わせたり合成したりすることによって、実は本人もそこまで具体化していなかったような意識が現れるということもよくあることなので、これ、市川先生の心理学のほうの調査によくあることですけれども、そういう意味であまり負担がないような形で考えたいとは思っておりますが、これも先ほどの課長の御意見にもありましたように、現場との調整ということを前提に考えますので、やっていただきたいことは有識者会議としてはやまやまなんですけれども、実際にできるかどうかということはこれから検討させていただくということで考えたいと思います。
 ほかにいかがでしょうか。よろしいですか。市川先生、どうぞ。
【市川委員】  今、岩永先生がおっしゃったことは私は全く賛成で、できるだけ答えるのが簡単なような選択肢型で大量な調査はいいと思うんですが、どんないい選択肢がそこに盛り込まれるか、そのために予備段階でのヒアリングとか座談会をやっておいて、いい項目を選択・作っておくことがすごく大事だと思います。
 やった側のメリットですけど、私は一番理想的な調査というのは、それに答えることによってかなり考えが触発されるといいますか、自分の考えがこの調査をやってみたら結構広まったとか、あ、こういうことも教師はやろうと思えばできるんだなみたいな考えが広がったと言ってくれる調査が理想だと思っています。そのために、やはり選択肢として、あ、そういう教師の関わり方もあるんだというような、いい項目を予備的な座談会などで選んで作っておくことが凄く大事かなと思います。
【岩永座長】  ありがとうございました。私の言葉の足りないところをよく御説明いただいたと思います。
 いかがでしょうか。あと、松村先生の御提案ですけど、私もそれは聞いてみたいなというふうに思っていて、いいんですけども、あまりそれに引っ張られると、これは私だけの感じ方かもしれませんけども、文部科学省がこれを提案されて、大本は中教審ですけれども、この有識者会議が立ち上がったと。最終的には何か行政の対応ということを提案したり、考えたりしていかなければいけないということだと思うんですね。着地点はその辺にあると。そうすると、行政の対応というのはどういう意味があるかなということを私は考えると、やっぱり、困っている人とか、至らないところとか、何かにぶつかっている部分とか、執着している部分とか、撞着している部分とか、そういうところに対して関わっていくのが行政の仕事だろうと。普通に心地よく展開している部分にあまり行政は関わらないのかなと。
 具体的に言うと、例えばすごく才能があって、すごく能力があって、でも、その隠し方とか対応の仕方もちゃんと分かっていて、普通の子供たちの中で爽やかなリーダーとしてずっとやってきているという子供たちに、本当はそういう子供たちにもうちょっと別の拡充でも早修でもいいんですけども、もうちょっと別のカリキュラムが提供できたらもっと伸びるはずだったという者に対しても考えていかなきゃいけないというのが最初に含みとしてあったので、あまり困っている人とかぶつかっている人だけを考えていいのかなというのもふっと思っております。それは本当に行政の立場からいうと、行政が何かするということから考えると、困っている、ぶつかっている、悩んでいる、何かが足りないというところに関わるのは当然のことなんですけれども、何かはっきり言えない。言葉が下手くそで、言葉が十分ではないんですけれども、その辺のところも視野に入れた、例えば論点整理の中で、実はそういう子供たちに対する対応が、普通の子供たちとか普通に能力のある子供たちにもプラスになる、そういうような教育上のプラスになるところもあるというふうに考える。例えば、家の中で、バリアフリーでいろんな仕組みをつくりますよね、手すりをつけたりなど。あれが一応整ってみると、健常の人たち、普通に生活できる人たちにも、あ、これがあったほうがいいじゃないというものがだんだん増えてきて、段差がなくなるとか、手すりがつくとかということが一般化してきたというのは、私はそれは一つの典型だと思うんですけれども、やはりそういう視点までも含めて、今困ってないように思っている、今困ってないように見えているところにも実は目配りをしなければいけないんだという観点はどうしても私は持ちたいなという気でおりました。
 そういう意味で、これは単に困っている人たちだけに対する回答ではない、そういうものに対する議論の論点整理ではなくて、そこから先、一般的に、普通の子供たち、あるいは普通に賢い子供たち、普通に才能のある子供たちに対しても、十分に対応するような議論なんだということを示していきたいという思いがありますので、その辺のところはもし御共感いただければいいかなというふうに思いますけれども、そういう意味で、あまりネガティブなところばっかりを視野に収めるということには、私はちょっとどうかなというふうに思っているというところです。
 今回の先生方の御意見を伺った論点整理の中では、その意味でいろんな視点から、いろんな方向から御意見をいただいたので、とてもよかったかなと思いますので、語句の統一とか語句の調整とかということはお任せいただいたとして、最大限、今日いただいた御意見、それからこれからも出していただく御意見、今までいただいた御意見を最大限生かして論点整理にまとめていきたいと思います。
 ということで、時間になりましたので、この辺りで議論を終了したいと思いますが、本日の議事は以上とさせていただきます。
 最後に、論点整理の扱い及び次回の予定について事務局からお話をいただきたいと思います。川口さん、よろしくお願いします。
【川口学校教育官】  事務局です。本日、岩永座長に御一任いただいた論点整理については、年内に取りまとめ、委員の皆様に送付するとともに、有識者会議のホームページに掲載をさせていただきます。
 また、本有識者会議の次回の日程については追って御連絡をさせていただきます。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 それでは、本日予定した議事は全て終了しましたので、先生方、大変お忙しい中、御参加いただきまして、ありがとうございました。これで閉会したいと思います。ありがとうございました。
 
―― 了 ――