特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第4回)議事録

1.日時

令和3年11月1日(月曜日)14時00分~16時00分

2.場所

WEB会議方式

3.議題

  1. 特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等について

4.議事録

【岩永座長】  皆さん、こんにちは。お久しぶりでございます。定刻となりましたので、ただいまから第4回の特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議を開催いたします。
 本日は、先生方、大変御多忙の中、会議に御参加いただきまして、誠にありがとうございます。
 本会議につきましては、これまでどおり、報道関係者等より録音・録画の申出がありまして、これを許可しておりますので、その旨、御承知おきいただきたいと思います。
 まず、本日の議題に入る前に、会議の留意事項及び本日の会議資料の説明を事務局からお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
【川口学校教育官】  まず、本日の会議はWebexを使用したウェブ会議方式にて開催させていただいております。そのため、1、御発言に当たっては、インターネット上でも聞き取りやすいようはっきり御発言いただく、2、御発言の都度、名前をおっしゃっていただく、3、御発言のとき以外はマイクをミュートにしていただく、4、御発言に当たっては「手を挙げる」ボタンを押していただき、発言が終わりましたら「手を挙げる」ボタンを再度押していただき、手を下げていただくよう、御協力のほどよろしくお願いいたします。
 続きまして、本日の会議資料について御説明します。本日は、資料1から資料4及び参考資料がございます。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 なお、10月6日付の文部科学省の人事異動で、常盤木初等中等教育局教育課程課長が事務局の担当課長として着任しております。
 それでは、議題に入ります。
 第2回会議の際に、特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議としてアンケートを実施する旨、お知らせしておりました。このたび、その集計結果が取りまとまりましたので、御報告させていただきます。
 アンケートの回答データにつきましては、委員の皆様に事前にお送りしておりましたけれども、本日は回答の中から代表的なものを抜粋し、便宜的に分類する形で、資料1、アンケート結果まとめをお示ししています。
 それでは、詳細について、事務局より報告をお願いいたします。
【川口学校教育官】  それでは、資料1に基づき、アンケート結果まとめについて御紹介いたします。
 このアンケートは、特定分野に特異な才能のある児童生徒の情報等を得て、その指導・支援の在り方などに関する具体的な検討に役立てるために、本有識者会議として行ったものです。
 アンケート調査における特異な才能のある児童生徒とは、同年齢の児童生徒の中で、知能や創造性、芸術、運動、特定の学問の能力(教科ごとの学力等)等において一定以上の能力を示す者と定義をいたしております。また、いわゆる2Eの児童生徒等も含んでおります。
 短い時間であったにもかかわらず、本アンケートには多くの方にお答えをいただくことができました。一つ一つの内容が大変詳しく記述されておりました。また、この事例が該当するのかと迷いながら書いてくださった方もあります。アンケートを通じて貴重な情報をいただいたと受け止めておりまして、まずもって、積極的な御協力に感謝申し上げたいと思います。
 それでは、資料2ページ目を御覧ください。アンケートの結果について御紹介いたします。
 まず、回答者の内訳、それから寄せられた事例の数は表のとおりです。
 続けて、具体的な事例の内容を御紹介いたします。本資料のまとめ方についてですが、アンケートの4項目、すなわち、1つ目、特異な才能とは何か、2つ目、特異な才能を有する児童生徒が学校で経験した困難とは何か、3つ目、児童生徒に対する効果的な支援とは何か、4つ目、学校、教育委員会、国に期待することは何かの4項目に区切って事例を書き出しております。事例は多様であり、ここに記述した内容は代表的なものを便宜的に分類して、原文のまま列記したものです。本資料は大部にわたっております。委員の皆様には、事前にお目通しいただいていること、また、説明時間も限られていることから、本日はかいつまんで御紹介するにとどめたいと思います。
 まず、特異な才能についてです。特異な才能としましては、2ページ以降、言語、数理、科学、芸術、音楽、運動、様々な領域に高い能力を示す例が見られました。
 例えば、数理では、3ページになりますが、1ポツ目、小2にして中学校数学まで終了する勢いで、整数問題については大学レベルの数学にも理解を示す例も見られました。
 そのほか、4ページ以降、特定の事柄への強い関心や創造性、集中力、記憶力などといった特性が見られました。
 続きまして、7ページ目を御覧ください。次に、特異な才能を有する児童生徒が学校で経験した困難について御紹介します。この項目では、特に児童生徒自身の感じ方が重要かと考え、本人の回答と、そのほか保護者等の回答に分けて記述をしております。
 まず、本人の回答になりますが、1ポツ目、教科書の内容はすべて理解していたが、自分のレベルに合わせた勉強をすることができず、授業中は常に暇を持て余していた。それから、3ポツ目、発言をすると授業の雰囲気を壊してしまい、申し訳なく感じてしまうので、分からないふりをしたが、それも苦痛で、授業中に自分を見出すことができなかった。4ポツ目、学校で習っていない解法をテストなどで回答すると×にされることが嫌だった。5ポツ目、書く速度の遅さと、脳内の処理速度が釣り合わず、プリント学習にストレスを感じていたなど、学習に関する困難が見られました。また、その下のポツ、同級生との話がかみ合わず、大人と話している方が良い。あまり周りに理解してもらえず、友達に変わっている子扱いされる。2つ下のポツ、学校の友達と話すとき、言葉を簡単にしなければ、話が通じ合わないなど、対人関係に関する困難が見られました。
 おめくりいただいて、8ページ目、保護者等の回答についてです。まず、学習に関することとして、1ポツ目、授業がつまらなく登校しぶりがある。2ポツ目、授業の内容がすぐに理解できてしまい、満足できる知識は提供されず退屈。できない人へ教えるなどの機会は得られるが、知的好奇心は満たされない。8ポツ目、同じ字を何度も練習することや同じパターンの計算問題が大量にある算数プリントが苦手などがありました。
 次に、対人関係に関することとして、1ポツ目、趣味の合う、同じ熱量と知識の子が身近におらず、学校生活を楽しめない。3ポツ目、言語能力に反してコミュニケーションが不得意なので、どうしていいかわからない。おめくりいただいて、9ページ目の3ポツ目、早熟な知能に対して情緒の発達が遅く、感情のコントロールが未熟なので、些細なことで怒ったり泣いたり、他の児童と言い合いになることなどがありました。
 次に、ルールへの適応に関することや、様々な障害による困難に関すること、おめくりいただいて10ページ目、感覚過敏に関することなどがありました。
 次に、教員の対応に関することとして、3ポツ目、先生の間違いを指摘してもすぐにわかってもらえず悔しい思いをしたり、先生の矛盾している指導に対して納得いかず学校へ行く意欲がなくなる。4ポツ目、ギフテッドというものに対する基礎的知識がないなどがありました。
 おめくりいただいて12ページ目、効果的な才能への支援についてです。
 まず、学校における指導やかかわり方の工夫に関することとして、1ポツ目、正しい答えだけでなく、「何故、そのように考えるのか」の考え方を発表する場面の設定。2ポツ目、自信をつけさせる声かけ。3ポツ目、暇になってしまう時間に、他の生徒を助ける役割を与えたり、2つ下のポツ、授業から一歩進んだ発展的な課題を提示したりすることなどがありました。
 また、読み書きなど学習上の困難への支援として、ICTの活用や、おめくりいただいて13ページ目の1ポツ目、口述が得意、筆記が不得意な場合に、音読をベースに学習をすることなどがありました。
 次に、学校内の環境として、1ポツ目、友達から認められ、助け助けられるつながりがあること。2ポツ目、生徒に何かあれば、担任一人が抱えるのではなく、みんなでその子や家族の為に何ができるのか共有する環境があること。そのほか、スクールカウンセラー、養護教諭、図書館司書の存在などがありました。
 次に、学校外の学びの場の提供については、適応指導教室や博物館、大学の研究所、民間の学習の場、コンクールやジュニア数学オリンピックなどの催しなど、児童生徒の知的好奇心を満足させる取組がありました。
 おめくりいただいて15ページ目、最後に、学校、教育委員会、国に期待することについてです。
 まず、学習内容に関しては、3ポツ目、横並びの教育から、個々の能力を認め合える環境、理解済みの学習範囲においては難易度を変えた問題や一歩踏み込んだ問いかけをすること。その2つ下、3つ下のポツ、習熟度別指導の実施、下から2つ目のポツ、全ての単元において「何の為にする学習なのか」を理屈で説明できることなどがありました。
 おめくりいただいて16ページ目、そのほか学習環境や支援体制に関することがありました。
 次に、教員の理解啓発に関して、学校の先生を育成する機関や現職の教員に対する研修の機会の場の提供、4ポツ目、ポータルサイトによる事例や関わり方の共有といったアイデアや、おめくりいただいて17ページ、1ポツ目、教師の多忙を解消し、一人ひとりのよさを伸ばせる支援や教材研究できる時間を求める声もありました。
 次に、学校外での学びの場に関して、1ポツ目、地域のプログラムなど外部との連携、3ポツ目、同じ興味を持った子を集めて部活動できる場を設けること、そのほか図書館や博物館、美術館、科学館ほか研究室などの活用や、芸術、科学分野の無償で参加できるワークショップの提供などがありました。
 そのほか、保護者に対するサポートや教育分野にとどまらない要望をいただいております。
 以上、アンケート結果のまとめの御説明でした。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 まず、これについての話をしたいと思うんですけれども、本アンケートについて、松村委員から才能教育研究の立場から分析を加えてくださったということですので、資料を提出していただいております。
 ちょっとその前に、今の御報告の聞き方だけ、私がちょっと理解が乏しかったのかもしれませんが、確認しておきたいんですけれども、7ページのところに本人の回答という部分がありますよね、先ほど説明していただきましたけど。この本人の回答という言葉があるのはこのページだけなんですけれども、その次のページからは保護者等の回答になっていますが、本人からの回答というのはこの1ページだけというふうに理解してよろしいんですか。
【川口学校教育官】  回答者の区分としまして、本人、保護者、関係者などということでタグがありましたけれども、特に学校で経験した困難につきましては本人の感じたことに着目する必要があるかと考えまして、この項目についてのみ、本人の回答を特別に取り出して書いております。そのほかの項目に関しては、本人の回答も含まれておりますけれども、明示的にくくった書き方はしていないということです。
【岩永座長】  分かりました。社会学的な観点から言うと、どういう回答者がどのように回答したかというところの属性部分は非常に重要なので、誰が答えたかというところの明示は必要かなと思いました。今の御説明で、この部分は特出しで出ているということで理解しました。すみません、私の個人的な質問をさせていただきました。
 それでは、松村先生、資料を提出していただいておりますので、御報告をお願いいたします。よろしくお願いします。
【松村委員】  松村です。では、5分間でお話しします。
 アンケート結果について、結局、何が言えるのかを明確にするために、私が勝手に分析しました。私が勝手にやったことです。小学生の保護者だけの回答で、結果は大まかな目安です。
 次の2枚目をお願いします。まず、特異な才能の表れとして、多様な才能行動を挙げられたのですが、その中で「突出した才能」として抜き出してみました。これはここにあるような明確な指標で言及されたものです。明確な指標では表せないような優れた才能もたくさんあるので、才能の定義としては、例えばIQ130以上の上位2%ほどの子供を「ギフテッド」とラベルづけして、残り98%の「ギフテッドでない子供」と区別するのは好ましくありません。連続的ということですね。
 次の3枚目。それでも突出した才能を暫定的な基準で抜き出すと、回答の約半数に突出した知能とか学力、技能が見られました。
 次の4枚目。次は学校で才能が原因となる困難を分類しました。学習面での典型は、先ほどの例にもありましたが、授業が簡単すぎて退屈・苦痛だというものですね。対人関係では、友達と難しい話が合わないというものです。また、先生の対応として、才能を理解してもらえず、発言、質問を無視や否定されるといったものが挙げられました。しかし、一方で、先生が子供の興味や能力を理解して、個別の配慮など才能への支援をしてくださったという回答もありました。先生もこういう子供がいるということは分かっているけれども、困っているという、そういうジレンマな状況があるでしょう。
 次の5枚目。才能による困難の人数比率です。学校での困難には才能によるものが結構あるということが広く認識されてほしいです。これは本人や保護者には当たり前でしょうけれども、一般には必ずしもよく理解されていないことも多くて、不登校とか、さらに困難を招くこともあります。
 次の6枚目。個人をタイプ分けしてみました。まず、障碍特性にも言及した回答をここで暫定的に「2E」としました。そして、2E以外で才能による困難に言及したものを「GDF」としました。そして、それぞれに先ほどの突出した才能がどれだけ含まれるかを図示しました。
 次の7枚目。こうして見ると、才能と併せて障碍特性でも困っている子供が3割ほど見られました。GDFに分けた子供は6割ほど見られ、そういうふうに自己認識すれば納得できる人も結構いると思われます。そして、障害のあるなしに関わりなく、才能で困っている子供の半数に特異な才能を持つ子供が見られたというのは、この調査限りですけれども、注目すべきです。
 次の8枚目。「ギフテッド」という呼び方、ここでも幾らかの人がされていて、一般的な傾向どおり、一つは高いIQ、もう一つは多様な種類や程度の才能があって、才能による困難があるという意味合いでした。CSTIでは特異な才能がすなわちギフテッドだとして、IQ130以上、上位2.3%と仮定したりして議論をされています。この有識者会議ではギフテッドを語るなら、これはそのようなごく少数の子供なのか何なのか、意味を明示していただきたいです。もう一つ、不登校への言及が3割近く見られました。不登校でなくても、不協和感を持ちながら、学校に合わせている才能児もいます。現在、不登校に関する協力者会議が開かれていますが、不登校のきっかけとして、今回分かったような才能による困難は浮かび上がっていません。今後、広く議論の高まりや調査を待ちます。
 最後の9枚目。今回、ギフテッド保護者団体からも多く回答してくださった様子で、突出した才能や才能による困難が多くの子供に見られたというのももっともです。そのような子供たちは、私の推測ですけれども、全体から見ると数%ぐらいかと思います。それでも保護者が期待する支援には、本人や保護者が痛切に求めているという場合もあるので、少しでも応えられる、そういう提言を目指さないといけないと思います。
 細かい点は、またぜひ振り返って御覧ください。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。無理やりお願いしましたけれども、コンパクトにまとめていただきまして、5分に収めていただきました。
 なお、アンケート結果に関する御意見などあろうかと思いますけれども、この後、福本委員と中島委員の御発表がありまして、その予定されている御発表が終わった後で意見交換の時間を取りたいと考えておりますので、そのように御理解いただきたいと思います。
 さて、先ほど御紹介したアンケート結果の中には、学校外の学びの場の提供に関する回答も多数見られました。これは先ほど川口学校教育官のほうから御説明があったとおりであります。ここで、民間の立場から、学校とも連携しながら、まさに学校外での学びの場を提供されていらっしゃる福本委員及び中島委員からそれぞれの取組などについて御発表いただきたいと考えております。
 まず初めは、株式会社SPACEの代表取締役を務めていらっしゃる福本理恵委員からお送りした資料3に基づき御発表いただきます。
 福本委員、よろしくお願いいたします。
【福本委員】  皆さん、こんにちは。株式会社SPACEの代表をしております福本と申します。
 本日は、私が前職で関わっておりました異才発掘プロジェクト、ROCKETという、不登校の中でも特に特異な才能を持った子供たちを支援していくプロジェクトについて御紹介させていただきながら、個人の才能がどういうふうに伸びていくのかというところの参考事例として皆様と議論ができたらと思います。
 そうしましたら、画面のほうを共有させていただきたいと思うんですけれども、こちら、今、見えていますでしょうか。
【岩永座長】  はい、見えております。大丈夫です。
【福本委員】  ありがとうございます。「個才」の時代というタイトルで、今日、お話しできたらと思います。20分近くということで、なかなかハイスピードで御説明することになると思うんですけれども、分からないところ、不明点等、後ほど議論させていただけたらと思います。よろしくお願いします。
 まず、先ほどお話ししました東大先端研と日本財団さんが支援をしてくださって2014年に開始された異才発掘プロジェクト、ROCKETに集まった子供たちの才能の多様性というところでお話をしていきたいと思います。
 ROCKETは、こちらのような頭文字を模したプロジェクト名になっているんですけれども、本当に多様な子供たちが集まってまいりました。
 およそ6年で2,000名強の応募者がありまして、スカラー候補生として採択された子供たち、2020年4月時点では130名弱となっております。卒業という概念がございませんので、年齢自体は年々高くなっていくというような傾向がございます。
 集まってきた子供たちの登校状況なんですけれども、こちらが示したものとなります。ほとんど行っていないという完全不登校の割合自体が22.6%というところなんですけれども、4分の1弱の子供たちが完全不登校という状態なんですけれども、ほぼ行っている子供たちも半数近くおりまして、多様な登校状況を背景に持っている子供たちのコミュニティだったかなというふうに思います。
 子供たちの関心領域としましては、左の図に示すように、芸術、サイエンス、テクノロジー、数学等々、本当に幅広い多様な関心領域に興味を持つ子供たちの集まりだったというふうに思います。特に芸術系の子供たちが26.9%と、4分の1以上いるというところが特徴でもあるかなと思っております。こちらの原因としましては、学力テストの成績が評価されるということがなかなか難しい子供たち、言語で表現をしていくとか、書いたり、それから発言をしたりというところが難しい子供たちも多くおりましたので、そういった子供たちが自由な表現ができるという環境が学校の中には少なくなっている現状があるんじゃないかなというふうに思います。それ以外にも、学校内では十分に学ぶことができないというような専門領域もございますので、そういった環境の中で、エキスパートのレクチャーを受けたり、同じ興味を持つ仲間と交流するということで、ROCKETのような場でニーズを満たしていた子供たちが多いんじゃないかなというふうに考えています。
 子供一人一人のやりたいことをかなえるというのは、プログラムというよりも申請制度というものを設けておりまして、こちらの申請制度で自分のやりたいことを申請書として提出しまして、それが認められましたら、お金を提供するというような支援の仕方でやりたいことをかなえていくという、そういったプロセスがございます。特に物品の提供を求める声、それからオルタナティブな学習機会を求める声が高かったと思います。コンテストのようなテーマ別の優劣がつく性質ではないような子ども版クラウドファンディングのような仕組みがあると、やりたいことをかなえていけるという子供たちが増えていくんじゃないかなというふうに感じております。
 続きまして、ROCKETに来ていた子供たちの特性の異なる集団コミュニティについて御説明いたします。分け方がかなり特殊なんですけれども、Rocketタイプ、それからSubmarineタイプ、Balloonタイプ、Airplaneタイプというふうに、内部のほうでは共有しながら、コミュニティの分類をしておりました。ロケットが勢いよく突き抜けていくように、好奇心旺盛で様々なことに興味を持ち、学びつけ続けるタイプをRocketタイプと呼んでおりました。一つの領域、または狭い領域を深掘っていくような学び方を好むタイプのお子さんで、かなりこだわりを持って没入していくようなタイプのお子さんのことをSubmarineというふうに呼んでおりました。さらに、色々な知識の関連性が繋がっていることを上から俯瞰して、気球で地上を見ていくような形で、繋がりを分かっていくと学びが実現していくようなタイプをBalloonタイプというふうに呼んでおりました。最後のAirplaneタイプなんですけれども、こちらに関しては情緒がかなり不安定な子供たちが多くおりましたので、この子供たちがかなり情緒不安定な状態で個別のフォローを行わなければ集団でプログラムの中に参加するということがなかなかかなわないような、そういうお子さんたちもおりました。それぞれRocketタイプが10%、Submarineタイプが30%、Balloonタイプで学校に戻っていけそうな子供たちが35%、そして不安定で個別のサポートが必要な子供たちが25%というような割合になっております。子供たちの認知特性や学び方の指向性によって学ぶスタイルも異なっておりましたので、こうした特性に合わせてプログラムをたくさん用意していくということをやってきました。
 用意されたプログラムとしましては、こちらに示していますような興味関心から選択するようなプログラム事例というものをたくさん挙げさせていただいているんですけれども、日本の61市町村、それから海外の14か国、21都市を渡り歩いて、寝食を共にするような合宿形式のプログラムを約6年にわたって370個ほど実施をしてきたというような状況でございます。子供たちの多様な興味に合わせるような形でたくさんのプログラムを用意することで、その中から自分がどういったことに興味があるのかということを見極めつつ、プログラムを取捨選択しながら自己決定していくというような形で参加を促していくというようなプロセスを取っておりました。
 実際にプログラムでは、リアルな現場で知識を教えるというよりは知識を活用していく、そして知恵に変えていくというようなところを重視しておりまして、例えばこのような5年間かけて行ってきた炭プロジェクトというのがあるんですけれども、炭プロジェクトの中でも、現地のおじいさんの生きてきた知恵でありますとか、あと、大人がやるような土木工事なんかもやりつつ、ちょっと労働環境が悪いんじゃないかというふうな写真が写っているんですけれども、彼らは楽しんでやっていましたが、こういった現場の中で物理を応用的に活用していく。テント一枚張るのに、どこに支点を置いて固定させると危険がないのか、雨を防げるのかというような形で、知識を活用していけるような場面というのをとにかく多くつくってきたかなというふうに思います。
 そして、ROCKETの中では、ポリシーとしまして教科書をなしにする、そして時間制限をなくす。そして、目的もなくしてしまうというようなことを行っております。
 教科書なし・時間制限なしのところは、一つの答えを求めていくということではなく、自分のクリエーティビティーを発揮させていく。その中で時間制限もなくす中で、何度も何度も試行錯誤ができるという場面、時間を設けることで、納得のプロセスを経て、自分の自己決定を認めていく、それを実現していくということを感じてもらう、学んでもらうという場をつくっていくというところがモットーとして大きく置かれていたところかなというふうに思っています。
 また、目的なしのところに関しても、目的的に動いていくということではなく、答えのないような問いに向かっていくというところで、子供たちが哲学的に考え始めるようなきっかけを持てたり、または旅先でスケジュール等もなかなか分からない中で出会っていく衝撃的な場面とか感動といった体験が人生の学びに必要な原動力になっていくような、そういう貴重な体験を起こしてもらうような、そういう意図で目的なしというところもやってきたかなと思います。結果的にはレジリエンスであるとか課題解決能力の部分も上がってきたんじゃないかなというふうに感じております。これは目的地を告げずに、原料、製品、エネルギーを考えるために行き先不明のままインドへ出発するという、そういう海外研修の様子を示した写真になっております。
 2つ目に、凸凹な認知特性を持っている子供たちと、そのユニークな知性の様相について、詳しく具体的にお話しできたらと思います。
 ROCKETには、スカラー候補生のほかにパルという情報提供を希望される方が登録するというシステムがありました。そちらのパルの方々が2019年12月の時点なので、かなり古いデータにはなるんですけれども、1,200名強の方を対象に取った読み書き困難の割合を示したものがこちらになります。2012年の文科省の調査では、読み書き困難児・者2.4%という数字が上がっているかと思うんですけれども、ROCKETのパルの中では28.5%と、国の調査の約10倍以上の困難さを抱えていると認識している子供たちが存在していました。読み書きというところが一つ、認知特性の偏りの指標にもなっているのかなというふうに感じています。
 具体的に、どういった子供たちがいたのかというところを事例を通じてお伝えできたらと思います。
 まず、Aさんなんですけれども、Aさんは自分の名前を漢字で書くこともできないというような書き障害を持っておりましたが、描くということができるという特徴があります。右側のほうはAさんが書いた細密画なんですけれども、Aさんの話を聞いておりましたら、文字は書き順とか形の規則性があって、正しい答えを書こうと思い、想起させようとすると、余計に書けなくなるという話をしておりまして、絵のほうは頭の中にファンタジーを描くように、好きなように自由に表現できる。浮かんできたものを描いていくため、どれだけ大きな画用紙であったり、小さなものであったりしても、端っこから書いても、完全に一枚に収めるようなことができるような形で書くということをしているんだという話を教えてくれたことがあります。
 また、Bさんに関してですが、会話が非常に苦手なお子さんでした。ただ、絵の創作はこちらに示させていただいたように、本当にファンタジーの中で出てくるようなキャラクターを創造することができるようなお子さんです。言語でのコミュニケーションがなぜ苦手なのかという話を聞いていたときにも、会話中に映像が浮かんできてしまったり、また、会話で相手が言った言葉が気になったり、その定義が正しいのかというようなことを追考しているうちに会話がどんどん進んでいって、自分の投げかける言葉自体も正しいのかということを追考している間に話についていけなくなってしまうという、そういう会話の難しさを抱えているお子さんでした。その一方で、自由な創造上の世界に関しては自分の時間軸で想像していくことができるので、このようなユニークが世界感を体現することができるというふうに語っておられました。
 Cさんについてなんですけれども、Cさんも読み書きが苦手なお子さんでした。なんですけれども、ロボットの制作というものに関してはかなり自由自在につくることができるという方です。特にCさんの場合は読みの困難さもありましたので、情報の入力というところで、文字からの入力ではなくて、YouTubeを見たり、または解説書等、図示されたものや映像を通じてロボットを作ることができるというところで、情報の入力を補っていたんではないかなというふうに思います。その中で、自分で作ったものをまた検証するということで、映像と検証するというのを手元で行いながら、自分のやりたいことをかなえていたという方になります。
 Dさんです。Dさんは新しく一から想像上のものを作っていくという創作はできないんですけれども、模写が完璧にできるというお子さんでした。写真の模写が精巧に再現できるというところで、創作もできるのかなと思っていたんですけれども、例えば三次元の立体物の特徴を捉えるなど、影をどこにつけたらいいのかというところなんかを考えていくと、それだけでも非常に困難を示すというところで、創作と模写するということが別の認知特性といいますか、処理をしているということを教えてくれたお子さんです。
 次、Eさんです。Eさんは学校の授業が苦手だったんですけれども、高卒認定を受けるというところで、YouTubeを見ながら学習をしてみたところ、分からないところは何度も何度も聞き直すという反復学習ができたりですとか、とにかく反復学習がかなり有効だったみたいなんですけれども、そういった自分のペースで調整できると、内容自体も理解ができる。あとは先生の話を耳だけで聞くのではなくて、イメージとかアニメーションとか、そういうドキュメンタリータッチのもので学んでいくことで理解が進むということを発見したというお子さんです。
 Fさん、彼に関しては完璧主義で、なかなか完成度に納得できないので、もう私たちから見ると、かなりクオリティーの高いものを作っているというふうに思えるものでも、なかなか終わりをつけることができないということが特徴としてありました。ただ、そういった中でもいろいろな分野に創作をしていくことができるというマルチなタレントを発揮するようなお子さんでした。
 Gさんは興味がないものに対しての理解というのがかなり難しかったんですけれども、興味のあるものには没入でき、これぐらいの細密画を描いていく力があるお子さんでした。
 Hさんは英会話が苦手だけれども、結局、メールで仕事ができるようになって、今はミュージックムービーの仕事を在宅で半ひきこもりになりつつ続けているというお子さんです。
 彼らに認められた特徴としましては、認知的な偏りや感覚過敏、それから強いこだわりへの固執性がありましたり、あと過度な探究、過集中といったことも見られました。興味も拡散するタイプのお子さんと、かなり限局的に深掘っていくタイプの2種類の方がいらっしゃいました。コミュニケーションに関しても、多様なコミュニケーションを取りまして、きまりやルールを遵守することが困難だというような特徴も見られています。そして、最後に自分の学びや生きる意味というものも真摯に考えるような姿勢、人生に対して自分の考えを哲学的に問うていくような姿勢を持っている子供たちも多くいたように思います。
 その子供たちに対して、多様な認知特性の理解を示したりですとか、あとはICT機器の導入などをしながら、合理的配慮や個別支援を行うというような環境調整も行ってきました。既存の枠組みを外すような環境をつくらないと、なかなかこだわり等強くて学べない子供たちも多くいましたので、そういった既存の環境を外していくというようなことは積極的にROCKETの中ではやってきたかなと思います。あとは多様な人たちとの接点を持つことで、人生にはいろいろなやり方がある、多様な価値観があるということを伝えていったかなと思います。特に子供たちを潰さないというところをモットーにROCKETを行ってきましたので、適度な努力やトレーニングでできないことというものはできるだけ防ぎながら、できることを伸ばしていくということをやってきたかなと思います。
 続きまして、専門的リソースとの連携についてです。
 ROCKET等は専門的なリソースを活用させていただきながら実現できたプロジェクトです。大きくは、資金提供、主に財団さんからの資金提供と寄附、それから国の大学に対する運営交付金や自治体からの委託費というところが主な資金源になっておりました。運営組織としましては、教育・心理学を専門とするもの、それから特別支援教育、あと各種領域の専門家や児童精神科医といった医療系のスタッフも含めて、教育・心理・医療福祉の専門性を有するスタッフが運営組織に関わっていました。それ以外のところでもプログラムを多岐にわたってつくっておりましたので、専門家機関、それから専門家の方々にかなり手を入れていただきながら、プログラムをつくってきたかなというふうに思います。
 こちらも同じ形かなと思います。
 とにかく実践知になりやすいところがかなりありましたので、実践知、暗黙知を共有化するというところを非常に重要視してきたかなと思います。まず1つ目に情報を一元化できる仕組みと支援体制を整備していくということが非常に重要になってきますし、また、2つ目には現場で子供の状態を見取りながら、最適な環境を組み立てられる人材育成を進めなければ、なかなかROCKETのような場というものは継続できないんじゃないかなというふうに感じております。
 続きまして、ROCKETのようなオルタナティブな教育を公教育としてどのようにインクルーシブしていく形があるのかについてお伝えしたいと思います。
 ROCKETの中でも、自治体との連携プログラムを2020年度までに4地域に関して実施をしてまいりました。東京都渋谷区、港区、それから群馬県の館林市、広島県の4か所になります。単発ごとに連携したケースに関してはかなりの数が上がっています。対象としましては、小学校4年生から中学校3年生までで、募集の要件としては、学校になじみにくい、読み書きに困難さがあるとか人間関係でしんどさがあるというような説明書きの下、募集をするというようなやり方で応募をしていただきました。内容としましては、教員研修をセットとして自走モデルに変えていくというような中身と、活動から特に教科を生んでいくというABSLプログラムというものを年に何回か提供するというような形で、自治体連携の中で提供させていただきました。
 特にこういった活動から学ぶ「探究学習」の機会を提供するというところが特徴的だったかなというふうに思います。その際に出席配慮は求めてきたんですけれども、また、教科の紐付けも想定はしたんですけれども、評価にまでは制度化できないというところで、なかなかカリキュラム・マネジメントのところの壁が高いかなというふうに感じています。
 学校内でもしROCKETのようなものを入れていくとなればどのような環境整備が必要かというところなんですけれども、まずは個人の才能、認知的個性というふうに松村先生もおっしゃっていますけれども、「個才」の理解と多様な学びの環境を実装していく。この辺りはAIドリルを使ったりですとか、認知特性に合わせて動画学習をしたり、オンライン授業の参加を認める等の環境の実装が必要になってくるかなと思います。また、2つ目に発達特性に理解のあるスタッフの育成や教員研修も必要かなと思っております。そして、3つ目には専門家ですね。特に学校の中には養護教諭の先生がいらっしゃると思いますけれども、心身の専門家であるスタッフがハブとなりながら、校内外の情報連携を一元化できるような支援体制の構築も必要なのではないかなと思っております。4つ目にカリキュラム・マネジメントと多様なプログラムを提供する上で必要なことかと思いますけれども、大学、企業、それから社会教育施設、研究機関等の専門機関と連携するというような拡充プログラムへの接続も必要になってくるんじゃないかなというふうに感じています。
 実際に鎌倉市さんと今年度から始めているものもあるんですけれども、それもまた参考に見ていただけたらと思います。
 最後です。多様な道を歩むスカラーの様子とROCKETからのSPACEということでお話をさせていただきます。
 ROCKETに参加した子供たちのプログラム前後の登校状況です。こちらを見ていただきますと、実はプログラムに参加した後に学校に行き始める子供たちが増えるというような現象が起こっています。大体1.8倍に増えているんですけれども、こちらの理由としましては、オルタナティブな学びの場が提供されることによって、どのタイミングで学校に行くのか、どのタイミングで何を求めてROCKETに行くのかという学びの選択肢が子供たちのほうに権利として認められるような状況の中で取捨選択ができるようになったというところがかなり大きいんじゃないかなというふうに思います。納得感がありましたら、学校の中で過度にストレスを抱えることなく調整することができるようになってきますので、自己調整、自己決定というところが認められていくような学びの提供というものが必要になってくるんじゃないかなと思います。依然として、ほぼ登校していないという子供たちがいるんですけれども、これ、ちょっと色が逆転していますね。すみません。濃い色のほうがほぼ登校していなかったという子供たちになります。依然としてひきこもり等、起こっている子供に関しては、やりたいことがかなり明確であって、学校の中でなかなか学べないというタイプの子供たちと、もしくは学校への拒否感が強いという子供たちに分かれます。前者に関しては自らの学びをサポートするような場が必要になりますし、後者に関しては社会から孤立するということを何とか防ぐようなフォローが必要なんじゃないかなと思います。
 ROCKETの効果としましては、興味や関心が違う仲間と出会えたという子供たちが72.5%と非常に高かったというところと、精神的な自立とROCKETの存在として、ROCKETがあってよかった、心理的な安全性を高め、価値観の変容や自分の捉え直しに繋がる機会になったというような子供たちが多く見られたというところが大きな成果かなと思っております。
 現在、多様な道を歩むROCKETスカラーなんですけれども、絵本作家になったり、映像クリエーターになったり、デザイナーになったり、そういった道を選ぶ子供たちが増えています。もちろん、大学進学をしている子供もおりますし、まだまだひきこもりの状態を続けている子供たちもいるというところでも多様かなと思います。
 ROCKETからSPACEへというところで、異才を発掘して育てていくだけではなく、本当に私が出会ってきた子供たち一人一人がユニークな認知特性とか興味関心の特性を持っているなと感じましたので、異才から個才というところに行かないといけないんじゃないかなというふうに考えております。
 「個才」を見える化していくというところで、一人一人どう違うのかというところを、興味関心であったり、あとは思考スタイルの違いであったり、認知特性の違いということをアセスメントを通して簡単に日常的に取れるようなものというのを学校現場にも導入していきながら、子供たちがどういうふうに変化をしていくのか、子供自身も自分自身を見詰めていくような、そういうツールが必要なのではないかなというふうふうに思います。
 こちらは昨年度、経産省で行った実証なんですけれども、登校状況にある子と不登校傾向の強い子と、それからROCKETのようなアクティブな不登校の子供を比べてみたところ、認知特性の入力と出力の傾向が、不登校傾向以上の子供たちが登校している子供たちと結構違う傾向が見られたという結果を示したのがこちらです。特に不登校傾向の生徒は、体感覚的なインプットとか、あと話す、描くというアウトプットを好むというような傾向も見られています。なので、学び方を変えながら、環境に合った自分の認知特性を伸ばしていけるような環境を選んで行けるというところが子供たちにとっては非常に必要になってきているんじゃないかなと考えます。
 そうしたデータサイエンスが教育界にもたらす価値としては、今まで属人的に、しかも暗黙知的にやっていたことをきちんと見える化し、全ての先生たちが属人的なやり方ではなく、個人に合った環境提供というものを個別最適化していくためにも、こういったデータサイエンス、アセスメントを入れていくというところも非常に重要なのではないかなというふうに思っています。
 個人の才能と地域のリソースをマッチングさせていくというところで、地域の地方創生にもつながるような動きにもつなげていけるんじゃないかなというふうに考えています。
 こちらは環境省で去年行いました宝島キッズラーニングプロジェクトというプロジェクトなんですけれども、例えば東京諸島の三宅島を丸ごと教材にしていくというところで、火山の爆発がどういう原理で行われているのかというところなんかをエネルギーを調べていくというところで、まず、オンラインでエアインチョコを作りながら、爆発の原理を知った上で、オフラインのほうで実際にそこの場に行ってみて、これが地球規模で起こったということや、爆発してできたものがどういう形で堆積し、削られていって、また森が再生されていくのかというところは、オフラインの中で実際に体験しながら知識の活用を行っていくというようなプログラムなんかも行いました。
 こちらに関してはオルタナティブな環境が非常に必要だというところで、先月、ロートさんと一緒に立てたロートこどもみらい財団というものです。こちらに関しては、子供たちが学校の中でなじまなかったときに集まって仲間と交流できるというふうなギャザリングという仕組みと、それから自分がやりたいことにチャレンジができるというファンディングの仕組みと、それから何かのきっかけを得るために多様なプログラムから選んで参加をするというプログラムの仕組み、この3つの仕組みを子供たちに提供して、子供たちが学びを止めずに学校外でも学んでいけるような形でつくっているような財団になっております。
 以上のような形で、オルタナティブな学び場をつくっていくことで、結果、子供たちの個才というものが伸びていくのではないかなというふうに思っております。今回の委員会の皆さんとの議論の中で具体的にお話ができたらと思います。
 すみません、長くなってしまいましたが、以上とさせていただきます。ありがとうございました。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 福本理恵委員から事例を詳しく御説明いただきました。御質問等もあると思いますけれども、テイクノートしておいていただいて、中島委員の御発表の後で先ほどの松村委員の御発表とも併せて議論をさせていただきたいと思います。
 それでは、続きまして中島委員からsteAmなどの活動紹介、多様ないのちが輝く社会に向けてということで、20分程度、御発表いただきます。よろしくお願いいたします。
【中島委員】  よろしくお願いいたします。
 皆様、こんにちは。ちょっと画面共有をさせていただきます。見えておりますでしょうか。はい、ありがとうございます。
 では、20分ほどお話をさせていただきます。今、福本さんのほうからいろいろ本当に面白い御発表で興味深く伺っていたんですけれども、私たち株式会社steAmのほうでも多様な学びというものの展開をしていまして、今日はそのお話をさせていただければと思います。何か御質問とかあれば、後ほどこちらのインフォのほうにもいただければと思います。
 まずは自己紹介になります。私自身がいろいろ好きなものがありまして、音楽、それから数学。そして自分自身がそういう音楽、数学のつくる喜び、答えがある、できる・できないではない、もっと一人一人違う多様な「好き」を模索してつくり出していくという、そういう喜びのようなものをもうちょっと社会にも届けられないかというようなところからSTEAMという教育を推進したりしております。一番最後のほうでちょっと御紹介しますけれども、国際数学オリンピックなどにも出させていただきまして、やっぱりああいう場があったことは、自分自身の心の安定とか仲間に出会うという意味ですごく大きかったなと思っているので、いろんな場があるということは大事だなと思っています。
 今、いろんな委員などもさせていただいていますが、こちらにありますように、先ほど異才から個才へというお話もありましたけれども、変わった人とか何か特別な人というよりは、本当に一人一人が違うと。本来的には一人一人全く多様な、でもあふれんばかりの創造性を持っていると。それは一人一人違うからこそ、むしろ全体としても非常に面白いことが起こり得たり、新しい価値が生まれていく。この時代はいろんなツールも出てきている中で、また改めて自然や原始的なものなどに立ち戻ったりしながら、万人万物にひそむいのちの創造性をひらいていくんだと。そのためのいろんな活動であったり、場づくりであったり、仕組みづくりであったりということを、日本とか国外も含めて、今、いろんな活動をさせていただいています。比較的一般的な学校の場合でも、結構入らせてもらってきておりますので、十分その中に多様性があって、本当にその多様性を一律ではないやり方でひらいていくことができるし、それが従来型の教科教育をされてきた先生方にとっても、少しなじみが出てきたら、きっとそのベースの上で今の探究などの方向が新しい学びの教室の在り方というものを目指せるんじゃないかなと思っております。本日は、その辺りのヒントになるようなお話ができればと思っています。
 こちら、1枚、差し込ませていただいたんですけれども、私は2年間ほどニューヨーク大学の芸術学部のテクノロジー部門みたいなところにいました。ニューヨークなどだと本当に多様性のるつぼみたいなところなので、バックグラウンドとしても、いわゆるプログラミングとかコーティングもやるんですけれども、全くそういうものを知らないようなアーティストであったり、音楽家であったり、経営者であったり、小説家であったり、でも、一方で建築家であったり、エンジニアであったり、そういう人たちがみんなで集まってものをつくっていました。本当にこれからの時代、ギフテッドという言葉をどういうふうに定義するか、先ほど松村先生からありましたけれども、もうちょっと広く捉えて、何かしらみんなが持っている多様な在り方を認め合えて、それが共創、コ・クリエーションできるような環境をつくっていくということが大事かなと、その可能性みたいなものをちょっと見ましたので、御紹介します。
 ちょっとまとまっているかどうかなんですが、幾つか思っていることを事例とともに紹介したいと思います。まず、ファーストステップとして、恐怖感とか、いろいろ自分がなじまないことに対して抵抗感がある方が多い中で、アートとか遊びというものの価値を感じています。これも人によるので、全員ということではないんですけれども、比較的、自分なりの表現ができる、あと、自分なりのやり方ができる。先ほど無目的のお話もありました。遊びというのは、実はもともと無目的から始まるところなので、そういうところの価値があると思っています。そして、今、新しい学習指導要領でも重視されています探究という言葉、これ、小学校でも徐々に入ってきているかと思いますが、やっぱり探究というのは自分で問いを立てて、自らそれを形にしようとするところまで持ってくる。先ほどのアンケートの結果にもありましたけれども、なぜそれを学ぶのかとか、社会とどうつながっているとか、そういうところが見えるということは、これはいわゆるギフテッドと呼ばれるような、特異な才能と呼ばれるような方々にとってもそうですし、ほかの方々、割と多くの方々にとって、そういうことが見えれば見えるほど、やっぱりわくわくしやすい、学びに対する恐怖心が薄れる、むしろ喜びが出てくるという傾向があるのではないかと思っています。
 楽しそうなスライドばかりで恐縮なんですけれども、こういうアートの力ですね、内容としてはプログラミングであったり、それを表現するときには実は数学であったりを多様に使っています。ただ、真面目にプログラミング教育をしましょう、座標平面を使って何とかしましょうというと、多分、なかなかわくわくできないんですけれども、こういう何かしら描きたいものがまずあって、自分なりのものを打ち出せばよくて、それは個性が発揮されてよくて、その状態で出会いますと、びっくりするぐらい皆さん、多種多様なやり方で、もちろん、座っているとか動いたりとか、姿勢とか、時間の使い方とかも多種多様にはなるんですけれども、出来上がってくる作品みたいなものも多種多様な状態で、でもかなり前のめりでやってくれるということが分かっています。やっぱり凸凹とか多様性の大事さ、あと、コンセプトの醍醐味、何でそれを描きたいと思ったかということを問うてみると、ただ描いたというだけじゃなくて、だんだん背後に自分が思っているものというのが出てくる。それが深掘りされてくるのがやっぱり探究だと思っているので、遊びの中にも何でそれを描きたいと思ったのかなみたいな自分自身を問うていくような体験をしていくということが意味があるかなと思っています。
 これは、実際に一般の学校でも160人ぐらいの子たちが同時並行でワークショップを行った後のプログラミングの作品です。ある意味、一斉的に行ったとしても、やっぱりアウトプットというか、出てくるところ、図画工作に近いと思うんですけど、図画工作の場合もうまい、下手と評価されてしまうときはなかなか萎縮してしまったり、自分の創造性に自信がなくなるという結果が出ていますけれども、あまりそういうところの評価ではなくて、新しい絵筆に出会って、その喜びを表現するみたいな形にすると、みんな夢中になる。このときも驚いたことに160人、ほぼ全員、みんな夢中になって思い思いの形で没頭してやってくれまして、三、四時間ほど、7月30日ぐらいにやりまして、その後、ある意味で夏休みの宿題みたいな形で出したんですけれども、当日もみんなほとんど休まずにやって、最終的に夏休みの宿題としても出してくれました。もちろん、キャラクターなどで似たようなものを出してくれる人もいるんですけれども、やっぱりそこに各々の個性や「好き」が発揮できるということが一人一人にとって喜びになっているのかなと思います。なので、場合によってはもう本当にいわゆる普通のクラスとか普通に生きていても、どんな社会でもやっぱりいろんな凸凹があって、むしろ、その凸凹こそが結構面白かったり、新しい気づきになる。自分と全く違うタイプの作品を見たりすることで新しい視点が生まれたりする。そういうことが感じられるような学びの設計だと、比較的、いろんなやり方ができるのかなと思っています。ある意味でプログラミングとかも、コンピューターと向き合うだけだと面白くないんですけれども、その先もどんどん見据えてとなれば、試行錯誤がしやすい環境になりますので、使いようによってはすごく多様性を推進するやり方ができるのかなと思っています。
 こちらは数理女子というウェブサイトがあるんですけれども、もしよければ、ぜひ見てみてください。そこの中でやっているワークショップの様子です。ここでのテーマは、左上にあるように、「あなたも数学者!」というのがまず大前提にあります。設計を大きく2つに分けていまして、数学を発見するということと、数学で創るということ。数学の本当の研究の喜びみたいなものをみんなに伝えたい。ただそのときに、これがこういうことでこういう研究があるんだということを幾ら伝えても、やっぱりそれは与えられてしまうものなので伝わりにくくて、やはり体験を通じて、ああでもない、こうでもないという試行錯誤を通じて得られるものに喜びがあると。
 これは女性数学者たちが中心になって議論してつくっているんですけれども、私たちが絶対大事にしているのは割と一貫していて、答えは一つではないということ。いろんな数学がありますけれども、やはり研究とか芸術になってくると、答えは一つではないと。ちょっと仮説一つ変えると世界が変わってくるし、見え方が変わる。大学に入ると、急に自由で多様な発想というものを求められたりして混乱する方もいらっしゃいますが、そここそが面白い。もしかしたら、これから従来の教科指導でも少しだけ変えてみると、数学を通じてとか、何かしらの世界を通じて、正しい知にアクセスするというよりは、そこからいろんな物の見方にアクセスしていけば、それがいかに深い世界につながっていくかということを感じさせるということが大事なんじゃないかなと。大人の方も一緒になってやってみる、五感を使ってやってみる。むしろ、子供を助けるのではなくて、一緒になってやってみるということがこういう学びの変革期に大事なのかなと思っています。
 すみません、事前にお送りした資料に入っていない1枚なんですけれども、どうしてもギフテッドというのが先ほど松村先生のほうにもありましたけど、意欲のあるIQ130以上みたいな定義だったりすると2%ぐらいと言われていたり、あとはどうしても才能がある人は変わっているとか、実際そういうこともありますし、コミュニケーションがなかなか難しかったりとか、そういういろいろな多様性があるということはそのとおりなんですけれども、変人奇人の天才であるみたいなイメージをつけ過ぎてしまうと、逆にカテゴリー分けにしてしまう。ちょっと生きづらさが生じる。それは例えばジェンダーの問題でも同じようなことが起こっているのかなと思っています。守るというか安全性を出すということは大事なんですけれども、イメージ変化ということは大事かなと思っています。なので、今回のこの提言が割りと今、苦しんでいる人たちにとってもリリースされて、でも、それが特異であるということが強調されるというよりも、みんなが特異であるという、どちらかというとそれがポジティブに応援されるような社会をつくっていくという方向性で見せられると、もしかしたらいいのかなと。
 ちなみに、米国ではギフテッド・タレントプログラムとかスクールとかも確かにたくさんあるんですけど、本当にたくさんありまして、六、七%というのが多いかどうかですけど、やっぱり2%と比べると三、四倍あって、十五、六人に1人という形なので、あんまり特別であるという感じでもないんですよね。なので、おのおのが何か持っていて、特にそこに自信をつけるために、むしろ、そういうプログラムを受けてみると。だから、それに選ばれなかったとしても大したことではないというようなニュアンスになりつつある気がしていて、それでもかなり過激な競争を生み出しているとか、いろんなこともありますが、日本の中でもどういうニュアンスでギフテッドなのか、どの言葉をどういうふうに使うのかというのはちょっと慎重にやって、定義というかニュアンスづけというものは大事にしていけたらいいなと思っています。
 併せて、先ほどアートとか遊びの大事さを言いました。ただ、やっぱりだんだん社会の誰かのためになぜこれをやるのかというコンセプトの深さですね、これはやっぱり問うていくということがこれから大事だと思っています。これも本当に一般的な学校でも大事になってくると思いますし、全ての人が多様であるという状態の中で、これは一人一人違うと思うし、自分の個性、自分の周りの環境、自分が育ってきた家族であったり地域であったり、そういうものに密接に関わるものだと思っています。だからこそ違う地域とか、違う家庭環境とかの人たちと出会ったときの学びも増えると思っています。
 ほかにもいろんな取組をさせていただいてきたんですけれども、その中で同じようなツールを使いつつも、全く違う地域の情熱というか、なぜそれがやりたいかというコンセプトの部分を互いに共有することで刺激をし合うという事例があって、ちょっと御紹介します。
 これは北海道とか沖縄とか徳島とか、そういう地域の子供たちがロボティクス、例えばロボティクス一つとっても、最初はいろんなもので遊ぶ。ただ、だんだん自分たちの中での目的が生じてきて、与えられた目的というよりも自分たちが生み出す目的、あそこでおばあさんが困っているからこうしたいとか。でもそれを今度、形にしようとすると、じゃあ、このためにはどういうふうにこれを設置すればいいのか、電圧はどれぐらい必要なのか、本当にこれだけの容量で殺菌されるのかとか、いろいろ計算も、数学も科学もエンジニアリングもマテリアルの材料工学とかも、いろんなものが必要になってきます。なので、やっぱりコンセプト、何のためにそれをやるのか、それがまずとても大事。次に、それを実際に形にしようとすると、そこにはやっぱり専門家とかメンターのサポートがあると、もしかしたらできるんじゃないかという、遠いかもしれないけど、ちょっとずつできるに、形に近づいていくというわくわく感があるかなと思っています。なので、いろんな人が学びに参画できる継続的な社会の仕組みが必要だと。
 ちょっと時間もないので、おのおののことは御紹介しないんですけれども、やっぱり本当に一つ一つ、お国柄とかもそうだと思います、地域柄とか、グループの特性とか、その子たちの特性とかが見えるということは、互いにとって非常に刺激になると思っています。
 これはもう少し前のところですけれども、ある学校ですね。旭川農業高校のほうで公開しているものなので大丈夫だと思うんですけれども、遊びながら、レゴのマインドストームも使いながらやっていました。だんだん自分たちがやりたいことが見えてくる。そうすると、これは毎年ですけれども、先生方から明確に言われているのが全く目つきが変わってくると。目つきが急に変わるというか、自分たちの思いが形にできるということが大きいみたいで、言われていることをやる。与えられた目的があるということではなくて、自分たちで自分たちなりにやれる。しかも、五感、身体性を使う。机にずっと座っているというよりは、いろいろ動いてみる、試してみる、なかなかうまく行かないということも含めて、そういうところが非常にわくわくにつながるということで、やっぱりなかなか来なかった子たちがこれだけはものすごく参加してくれるみたいなことが生み出されていました。
 実際に実機も作れると。いろいろな人たちの知恵があれば、実際に世の中で動くものまでたどり着くのはそんなに難しいことではない。この辺りは創造性の民主化と言っていますけれども、自分たちでアイデアを立てて、それを本当に動くもの、オーセンティックなもの(本物)につなげていく。
 ただ、オーセンティックにも2種類あると。Personal Authentic、その人にとって本物であるということと、Professional Authentic、産業界とか学術界においてもある意味で通用するようなレベルの本物であるということ。この2個とも両方大事だけど、なかなか両立させるのは難しいと言われたりしていますけれども、両面のオーセンティックということが非常に大事なのかなと思っています。
 あとは、やはりこれからの時代、多様な空間・時間の使い方、それはバーチャルにおいても大事であると。
 ちょっと音も出ているかもしれませんが、こういう勉強会みたいなものを今、オンラインで開いています。そうすると大学生メンターたちが県を越えて、地域を越えて、あるいはカンボジアの人たちも今入ってきていまして、この後にも出てきますけれども、オンラインを通じての学び合いが全く違う属性を持つ人たちでかなり起こっています。学ぶという、何か没頭するところはもしかしたら一人一人なのかもしれないんですけれども、何かこうしたコミュニティができることで、自分がやったことをちょっと誰かに聞いてもらったり、分からないことを聞いたり、それで答えが得られるか分からないけど、わいわい一緒に考える。そんなコミュニティみたいなもの、多様な人たちが同じような遊び道具みたいなものに連なって、より深く求める、ある種のメタ大学みたいなものが今、生まれつつあって、面白いなと思っています。
 こういうことは恐らく大学だけじゃなくてできるかなと思っていまして、今、私たちのほうで実は未来の地球学校構想というのを立てていまして、半ば妄想なんですけれども、今年の時点で三、四十か所、日本の幼、小、中、高、年齢も超えていて、場所も北海道から沖縄まで、海外はカンボジア、ドミニカ共和国、ニューヨークとかをつなぐことで、緩やかなつながり合いの中で何が生まれるか。中には特別支援学校やろう学校も入っていただいていますし、企業さんにも入ってもらうことで、場所を開いてもらったり、学校一つではなかなかできないことが実際に物理的に集える場を何か持つことで、緩やかな連携の中で、例えばプログラミングとかロボットとか、そういうのも軸としてはあってもいいかもしれないけど、その先、何が生まれるのかということを試すようなネットワーク:未来の地球学校というのをやっています。
 この辺りは資料を見ていただければと思うんですけど、残り時間が短いですけど、掛け算の在り方というのが大事だと思っています。あと、これも先ほど福本さんのほうにありましたけど、多様な表現・関わり方を許容する。人によって表現の仕方が違うので、前に出てしゃべれる人もいれば、しゃべりは得意じゃないけれども、いろんなことができる。例えば歴史が好きだとか、動くのが好きだ、動物が好きだとか、いろんな人たちがいる中で、ただ、徐々に大きな目的みたいなものに対して、いろんなコントリビューション、貢献ができるとなると、生き生きしてきたりします。
 これは例えばSTEAMとスポーツを掛け合わせたもの。これももともとスポーツ好きで算数が嫌いな子が算数に途中から夢中になったり、プログラミングで自信をつけた女の子たちや、それまでスポーツから逃げるようにしていた子たちがとにかく積極的に動くようになって、ボールを持っていないときもいろいろ考えながら動くようになったり、声がけをしたり。あと、数学もいろんな世界とつながっているよというのを見せると、ほかの世界のほうに興味がある人が、数学というのは苦手だとか怖いと思っていた人たちが、実は、ああ、なるほど、そういう顔もあるのかということで、苦手意識とか怖さみたいなものが取れたり、そのほうがよっぽど本質的なものが学べると思っています。
 あと、算数・数学の自由研究、サイト上に今まで賞を取った子供たちの作品がずらっと見られますので、もしよければ見てください。賞といっても、競争になっちゃうと面白くないというか、あれなんですけど、これの場合、明確に私たちは何を選ぶかというところに思想を反映させていまして、あっ、こんなところにも数学があるんだとか、どんな思いで、なぜそれを研究したいと思ったのかとか、中には失敗に失敗を繰り返すとか、そういうことのほうがよっぽど研究としては面白いので、そういうところを評価してあります。走れメロスが実はあまり走っていなかったとか、幾つか非常に面白い作品がありますので、もしよければ見てみてください。
 なので、やっぱり多様性の担保ということが大事、コミュニティも大事、空間とか時間の多様な使い方が大事。最後に、弱さや凸凹を受け入れられる文化・環境、ここがやっぱり、特に日本の場合、なかなか難しいのがどうしてもモノカルチャーになってしまっていたりしがちなのでややもすると弱さが開示しにくい環境になってしまう。これはいろんな多様性の問題につながると思うんですけれども、大事な視点で、ぜひ発信ができればいいなと思っています。
 先ほど言った数理女子なんかも、女性が中心になって何か企画するときは、あんまり派手な強烈なものというよりは、ゆったりおいしいものでも食べながら、でも面白いことを、絵とかを使いながら学んだほうがいいよねとか、なのでいろんな人たちがいろんな学び方でより心が喜ぶというのがあって、例えばジェンダーの問題でも、少ないと、なかなかそれが主張できなかったりして、どうしても似たようなコンテンツとかが並んでしまうんだけど、またちょっと違った角度からの企画とかがあるといい。実は、こういう多様性の問題と今回の問題というのはすごく関係しているのかなと思っています。
 あとは、これは経産省「未来の教室」でSTEAM Libraryなんかも開いていますけれども、こういう開かれたバーチャルの場も、物理的な場も大事かなと。そうすると、そこを基軸にまた人が緩やかに集まるとか、そういうこともできるかなと思っています。こういうオープンプラットフォームということを大事にできたらと思います。
 最後に少しだけ、国際数学オリンピックなんですけれども、2023年に日本で開催されます。100か国ぐらいで6名ずつなので、五、六百人の人たちが集まるんですけれども、2023年に五、六百人の人が日本に集まります。国際物理オリンピックもコロナの影響で延期になりましたので、同時開催というか、ちょっと時期はずれますけれども、開催されます。これはフィールズ賞とかもたくさん輩出しているようなものではあるんですけれども、もちろんここでメダルの色にこだわる国とか、そういう傾向もあるところもありますけれども、やっぱりそれ以上に、こういう場を通じていろんな人に出会う、いろんな数学にも出会う、もっと先、先が見えたりする。あと、やっぱり世界と出会うことができるということも大きいと思っています。なので、ぜひこの大会に出るだけじゃなくて、その周辺を支えるようなことでも関わっていただけると面白いかなと思っています。
特に夏季セミナーですね、夏のセミナー、ゼミ形式なんですけど、これ、非常に面白いです。ぜひ参加してほしい。
ただ、やっぱり多様性があまりないということが特に日本では顕著に出ていまして、ジェンダーの問題もそうですし、学校も結構限られてきてしまっています。一方で、この間、イギリスチームの話を聞いたんですけど、毎回のように学校が違ったりとか多様性が出ています。比較的、偏差値とかそういうものの印象があってそもそもの参加者に偏りがあったり、そういう傾向、これは文化の問題、思想的な問題、心理的な問題とか環境もあるんじゃないかと思います。何とかもうちょっと多様な形でこういう機会が利用されて、いろんな人たちがいろんな形でこれを利用して、遊ぶ、戯れる、仲間になる、そういうことが大事かなと思っています。
 これで終わりにしますけれども、ということで、私の周りでもこの委員会に入っているということで、いろんな方から実は御連絡をいただいたりします。どうしても悪気がなくてだと思うんですけれども、凸凹というものが認められない、それを否定されるような発言がやっぱり周りでされてしまう。あと、ちょっと変わっているからといって、なかなか普通に学校に行けないということが、普通とは何ぞやというのがあるので、必ずしも普通の学校って何なのかと。もっとサードプレイスを増やすことも、私も大賛成なんですけれども、でも、時にすぐにそうしたラベルがついて分けられてしまったり、分断のようになっていくということに対する抵抗感を持っている方々、カテゴリー分けされる、ラベルライズされるみたいなことへの抵抗感を持っていらっしゃる方もたくさんいる。ちょうど「探究」という学び方の価値も強調されてきていますので、やっぱりそういう多様性、凸凹がちゃんと認められる思想や文化、環境が大切だと。あと、弱さが受け入れられるという意味では、スクールカウンセラーとか、先ほど養護教諭の話もありましたけれども、スクールカウンセラーの方々についても、できれば学校に常時いてもらって食べていける、生活できるようにする。ただ、今、ちょっと逆に時給が高い設定だから、なかなかそれも難しいみたいな声もあったりします。その辺りも、現場の声を丁寧に聞かれながら、うまく回るような仕組みができてくるといいなと思っていまして、この会で皆さんとどんな発信をしていけるのかということは非常に楽しみに思っています。
 長くなりましたけれども、これで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
【岩永座長】  ありがとうございました。お二人とも資料を事前にちらっと拝見した段階で、これは長くなるなという予感がありましたけれども、大変中身の濃い刺激的な御発表をいただいたと思います。
 それでは、お待たせいたしましたけれども、これで会議終了までを意見交換の時間にさせていただきたいと思います。
 まず、思い出していただきたいんですけれども、一番最初にアンケート結果に関する御報告がありました。それに対する意見、それから松村先生のアンケート結果に関するまとめの御指摘、それから福本委員、中島委員の発表内容ということで、大変盛りだくさんで、いろんな内容があると思いますけれども、その他、この会議に関連する御意見などがありましたら、御自由に御発言いただきたいと思います。できるだけ皆様の御意見をしっかりと伺いたいので、終了時刻から少々延長してしまう可能性もございますけれども、この点、御了承いただければと思います。
 それでは、御発言のある方は「手を挙げる」ボタンを押して御発言いただきたいと思います。いかがでしょうか。根津委員から手が挙がっております。よろしくお願いいたします。
【根津委員】  早稲田大学の根津です。皆さん、御発表ありがとうございました。また、アンケートのお取りまとめ、非常に大変だったと思いますけれども、こちらも大変中身の濃いものだったと思います。
 全体にわたって3点ほど意見を述べさせていただきたいと思います。ちょっと時間もありませんので、本当は質疑応答をじっくりできればいいんですけれども、申し訳ありません。
 まず、1つ目はアンケートの結果、そして松村委員のおまとめいただいた内容と、後半の福本委員と中島委員との発表内容とでちょっと焦点が違うかなという気がしました。具体的には資料1の2ページは今、共有のほうで出ますでしょうか。資料1の2ページのほうにまとめがあるわけですけれども、このまとめからしますと、回答者は保護者が圧倒的に多いわけですし、そして事例の数も小学校関係が多く、中学校と高等学校を合わせた回答の倍以上あるわけですね。どうもこれらの結果から見ますと、幼稚園の入園前から小学校にかけてという辺りの議論が必要ではないかと思われるわけです。ただ、それに比べますと、福本委員、中島委員の御発表はどちらかというと小学校の高学年から主に中学校や高等学校が中心だったのかなと思うんです。そうなりますと、幼児や子育て期への保護者へのアプローチというのはどういうふうにされているのかなというのが気になったところです。義務教育は御存じのように大多数が公立校ですので、各学校もそうなんですけれども、より専門的なといいますか、広範な対応ということになりますと、各教育委員会の力量ですとか経験値が問われるだろうと思います。幼稚園や高等学校は義務教育ではありませんので、ちょっと別の対応、別の議論が要るのかなというのが1つ目です。
 2つ目ですけれども、回答の結果、アンケートの内容、表現はいろいろなんですが、一斉授業のような同年代で横並び、同調圧力などというふうに言われることもあるわけですけれども、これに起因する困難さというものがうかがえたというふうに思っています。学校内での異年齢集団は近年では縦割りなどという語で定着しつつありますけれども、給食や清掃といった生活面や学校行事に比べますと、教科の学習面でこの縦割りというものをどういうふうに考えるか、異年齢集団をどういうふうに展開するかというのはこれからの課題だろうというふうに見ています。アンケートの結果や御発表の内容からしますと、校外の異年齢集団ですね、コミュニティという語もあったと思うのですが、さらには専門家集団や各種社会教育含めた機関との連携の有効性、これも非常に確認できるところだろうというふうに思います。義務教育の性格やリソース、あるいは子供の自己決定、自己調整というお話もございましたけれども、こういったところを考え合わせますと、一斉か個別かという二者択一の議論というよりは、一斉も個別もという柔軟で多様な組み合わせのほうがより現実的かなというふうに思いました。
 最後ですけれども、子供の多様性から見て学ぶ内容ですとか学び方の多様性に重きが置かれた御発表だったかなと思います。それはそれで非常に興味深く意義があるというふうに考えておりますが、学ぶ内容として、社会的、外的な制限や歯止めというものが全く何もなくていいのだろうかというのはちょっと気になったところです。極端な話、反社会的な事柄を学びたいという子供がいた場合、どう対応すべきなのでしょう。特に義務教育の場合には、これだけは学んでほしいという社会的な合意、コンセンサスが前提として欠かせないように思えた次第です。
 以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 それぞれについて、御回答いただけますか。即答できる部分があれば、福本先生か中島先生からどうでしょう。一番大きなところは、最初のずれですね。アンケートや松村先生のおまとめは対象としているのが小さいお子さん、せいぜい初等教育までという感じが中心だったんですけれども、あとのお二人の発表はどちらかというと中等教育から大学にかけてというような部分であると。このお二人の発表の部分を幼児、あるいは初等教育というところに敷衍するとどのような話になるのかということですけれども、どちらからでも、どうですか。福本先生。
【福本委員】  先にお話をさせていただいてよろしいですか。
 1点目からなんですけれども、ROCKETも丸7年やってまいりましたけれども、その間に高校のほうはオルタナティブな学習というのができるような通信制高校とか、中学校も通信制、単位にならないところはありますけれども、オルタナティブな教育環境というのがかなり整ってきた印象があります。ROCKET自体も応募者の層が変わってきまして、最後のほうは低年齢化していったというところが特徴だったかなと思います。なので、私が関わった最終年はキッズというカテゴリーを設けまして、どちらかというと、お母さんが悩んでいらっしゃる、多動のお子さんがかなり多かったかなと思うんですけれども、どうしても幼稚園のときから問題を起こしてしまうような子供さんたちが低年齢のときに、まだ多動性のある子供たちがなかなか落ち着きを取り戻していけないというようなところで、小学校1年から3年生ぐらいですね、そういった悩み相談をかなり受けておりましたので、どちらかというと、根本的に解決がされてないといいますか、オルタナティブに何かフォローがされてないというようなところが、保護者の方のフォローが必要だったり、あとは幼稚園から小学校に上がるときにかなり環境が変わるんですけれども、そこに対して、やっぱりしつけの面とか学校の中でこういうふうにしようというところで先生の御理解がなかなか得られにくいところで、先生とお母さんがちょっと感情的なもつれを起こしてしまうケースも多く見られましたので、どちらにも、学校にもフォローが必要だし、保護者の方にもフォローが必要だというところが今から解消していくべきことなのかなと思いました。ありがとうございます。
 2点目の同調圧力のところも、やはり同一年齢とか、同じ興味関心を集めるということをROCKETの中でもやってしまうと、とにかく競争心をあおってしまうということが起こりましたので、かなり異年齢で役割も違って、分野も違うものを混ぜこぜにしながら、興味関心で集める場合もありますし、逆に興味をばらばらにしながら俯瞰していく、逆に共同していけるようなコミュニティをつくるというのを両方共存させるような、そんなコミュニティのつくり方をしてきました。その場合は、それぞれがそれぞれのよさを認め合っていくというようないい空気が生まれていくような流れはあったんじゃないかなと思っています。
 3つ目のところですね、反社会的なことも学びたいというような事例が出てきたときにどうするんだというお話、本当に大事なことだなと思います。そこはやはりファシリテーターとかメンターの方々の力量によってくるのかなと思うんですけれども、それをそのままうのみにして伸ばしていくということではなくて、違う形のものに昇華させていく、汎用性のあるものに変えていくということももちろん必要になってくると思いますし、ROCKETの場合は生き方のポリシーというのも、先ほどの学びのポリシーと併せてやっていました。なので、多様性を認めていくということもそうですし、あと筋を通していく。その筋を通すという、社会の中で人がどういった考えを持っているのかということもそうですけれども、その考えを押し通していくときにどんな亀裂が生じてくるのか、誰に危害が加わっていくのか、どういう形で自分のやりたいことを突き詰めてやっていくとサポートが得られて、結果的に自分のやりたいことがかなっていくのかという、そこの部分の人間性のところに関わってくるような生き方のポリシーもかなりしっかりと寝食を共にした合宿の中で子供たちと対話をしてきたかなというふうに思います。すごく時間がかかってしまうんですけれども、非常に重要な観点かなと思いました。
 どうもありがとうございました。
【根津委員】  ありがとうございました。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 中島委員、いかがでしょうか。
【中島委員】  ちょっとかぶってしまうところもあるかと思うんですけども、非常に大事な御質問をありがとうございます。
 この辺りは、質問に答えるというだけじゃなく、ぜひ皆さんとも議論したり、何が小学校とかこども園とか、私の周りでも確かにちっちゃいお子さんのお母さんで苦労されているという声をよく聞きます。それは文化的なものも生じているかもしれないなとも思っています。明確に凸凹がよくないという発言がまだ出てしまっているところというのも、結構聞くので、もしかしたらそういうこともあるんじゃないかと。ただ同時に、恐らくやっぱりちっちゃいので、感情のコントロールがなかなかできなかったりとか、そもそも育児そのものがやっぱり大変な時期なので、先生方にとっても、お母さんたちにとっても、もちろん、お父さんにとっても大変な時期であるということも影響しているのかなというふうなことを思いました。私たち自身も、結構、ちっちゃいお子さんとかと御一緒したりするんですけど、特に小学校2年生までぐらいは、言語というよりは感情とか身体的なもので表現するというところと、それこそ忖度とかじゃなくて、思うままに動くと思いますので、その辺りが難しいものの、うまくはまると、非常に多様な力が発揮できて面白い。それこそ、環境としては、特に小学校よりも下の未就学児の場合は、外に出たりとか、あんまり机に座って何かをするというよりは自由なことができますので、本来だと、比較的多様な人たちのやり方が認められるべきところなんですけれども、ただ、私の周りでも実際になかなか難しいという声を聞いていますし、アンケート結果にも確かに低い年齢層からの声が多いですし、私も改めてそうだなと思いました。その年齢のお母さんたち、お父さんたちで苦労されている方が多いということは、何が問題なのかということをちょっと改めて私自身ももう少し掘り下げてみたいなと思いました。
 あと、異年齢のところですけれども、私もあえて仕掛けるようなことを時々しています。海外ですと、結構、当たり前のように、ちょっと上に行ったり下に行ったりみたいなことがあるので、年齢が何歳であるということが大人になってからと一緒で、あまりこだわらないというか、傾向がある気がするんですけど、日本の場合は、多くの場合、同じ地域で、同じ年齢で、同じようなものでということがやっぱり当たり前のようになっている中で、あえて、だからどっちがいいということではなくて、いろんな体験をするという意味で、あえて混ざることで役割ができたり、自分でも見えてなかったような特性が見えてきたりとか、それが結局、自尊感情につながったりということがあるかと思っています。なので、あえて時々でも異年齢とか混ぜこぜの状態をつくってみる。そこには先ほどお話がありましたけど、目的があってもいいし、あえてなくてもいいと。そういう仕掛けをすることで新しい体験が生まれるということがあるかなと思っています。
 最後の反社会的なもの、これも本当に大事な御質問だと思いました。ちょっとニューヨークの話が多くなって恐縮なんですけど、ニューヨークにいたときに面白いなと思ったのが、例えばブラック・ライブス・マターの話が出ましたと。そうすると、もう次の日にはクラスの中で、あれどう思うみたいなことを先生が仕掛けて、みんながどんどん議論を始めると。聞かれることに慣れているので、皆さんどんどん答えたりするんですけど、そのときに、決してこれは悪いとか、先に教えるような形を取ってなかったというのは、私は面白いなと思いました。黒人の方がどうこうだから、これはよくないことですと言ってから議論をしてしまうと、恐らく本当に出てくるべきものが出てこなくて、ちょっと本音と建前みたいなものになる。その中で、まずは対話をする。あと、傷についていることを知らないだけということが差別とかいじめの中に多くあると思っています。悪気がなくてやってしまっていると。なので、それを言われると嫌なんだ、なぜ嫌なのか、なぜ悲しいのか、なぜ寂しいのか、そういう議論を繰り返していくということがやっぱり大事かなと思っていまして、なのでは反社会的なことを絶対私も教えるべきだと。駄目だということを伝えるべきなんですけど、正しい倫理として上から伝えるというよりは、対話の機会を持つ、いろんな人がしゃべる、そこであまりにもおかしな方向に行くときは、うまくちょっと入り込みながら、いろんな人たちがいて、いろんな感じ方があるんだということに気づかせるようなこと、法律というのはそういう多様性を守るためにむしろ生じてきているのであって、皆さん自身もどうやったら自分も生きやすくて、相手も生きやすくて喜びがあふれる社会にできるのかということを考えさせるということが大事なのかなというふうに思いました。
 すみません、長くなりましたが、以上です。
【根津委員】  ありがとうございました。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 いろいろこれで丁々発止の議論になると面白いんですけれども、秋田委員からお手が挙がっているので、まず、そちらの御質問、御意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
【秋田座長代理】  ありがとうございます。アンケート並びにお三方の貴重な意見、本当に私もわくわくしながら聞かせていただいておりました。
 まず、福本委員と中島委員に2点ほど伺いたいことがあります。
 1点は、ROCKETであったり、それから未来の地球学校などの場合に、例えばROCKETの場合、その後、登校するようになった子もいたというような話とか、それから未来の地球学校の中でもいろんな学校が入ったりされているというときに、子供たちが入ってやっていく、学校外にそういう活動を発揮できる場所ができるということだけではなくて、私は実はそういう活動の影響を受けて、学校自体がそういう子供たちから学べたり、要するにインクルージョンじゃなくてトランスクルージョン的な、学校そのものが多様にそういう場から学べる先生がいたり、そういうことができていくように変わるといいなと思っています。今日伺いながら、特にNPOをはじめ、学校外にそういう場がつくられることはとても大事なことですが、一方でそうやって生き生きしている子供たちの姿があるんだとか、そういう経験によって、学校が影響を受けるような可能性が生まれるとよい、そういう意味で先生方が学校とつながったりされることがあるんだろうかということが、伺いたい点です。1点目の意識として、特に先ほど根津委員が言われた義務教育の学校って、どうしても難しい部分があるように思っていましす。でも、異質な人を内に適応させ含みこむインクルージョンなくてトランスクルージョン的に多様性をもっと学校が持って変わりつつ内包していく、それは学校外からのいろんなアイデアで変わっていけたらいいなと思いまして、そこが1点、伺ってみたいところであります。
 それから、2点目として、今日のアンケートの中で、本人も困っているけれども、保護者の方がとても悩んでいたりするというような結果がありました。その場合に、福本委員や中島委員がやられている活動は、活動自体がその子に合っていて面白いということで、その活動を夢中にしていくところにだけ焦点を置くのか、でも、時には悩みというか、どうも学校ではうまく行かないとか、それから付き添ってくる保護者が困っているというようなケアの部分と、それからラーニングとかプレイフル・ラーニングの面白さみたいなところをどのように両立させていくのか、それとももうプレイフルなラーニングこそ面白いんだよという、その子に合った表現や活動やプロジェクトだったら、こんなにやれていくという、そういうストラテジーを取られるのか、その辺りへの保護者や子供が学校で抱える悩みというようなところについて、学外の民間の方たちがどのように受け止めていくことができるんだろうかということを2点目として伺ってみたいと思ったところです。
 あと、3点目は個人的な意見として、私は幼児教育も専門にしているので、そこではやっぱり遊びが中心です。本当に自由に遊び中心の園だったら困らないんだけれども、ある意味で小学校に近い園であったり、それで就学相談などのときに多分、保護者はとても心配になってしまって、うまく行かないのかなと思いながらうかがあっておりました。中島委員が言っていたプレイという部分が今後、学校の中でもより重視されていったり、そうするといいんだろうなと、オランダのイエナプランなども、もともと異年齢ですし、遊ぶときには同年齢ということは園などでも決まってなくて、外で遊んでたらいろんな子が混じっていく、何かそういう異年齢を含むプレイの形がこの子たちが生きやすかったり、この子たちだけじゃなくて一般の子供たちにとっても生きやすいのかなというふうに今日のお話などを伺いながら感じたところです。
 ぜひ2点のところを伺えたらと思いました。以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 今、市川委員のほうから手が挙がっておりますが、これに関するような御質問だったら一緒に伺っておきたいと思うんですが、市川先生、どうですか、全く別ですか。
【市川委員】  半分は今の秋田委員の御発言の関係の質問をします。
【岩永座長】  そうですか。じゃあ、関連してちょっと質問していただけますか。お願いします。
【市川委員】  まず、秋田委員の御発言と関係ある部分なんですけど、今日、アンケートの結果も伺っていて、保護者とか御本人、それから学校の先生から見ても、どうもやっぱりやりにくいなと思っているギフテッドと言われるような子供たちに関して、学校は嫌だったと感じている子も結構いるというのは、やっぱり真摯に受け止めないといけないことだと思うんですね。これから議論を整理していくときに、どうやって切り分けていくかだと思うんですけれども、このアンケートにも出てきたようないろんな御不満ですよね、その中のまず一つは、学校が少し努力すればできることというものがまずあると私は思うんです。少し努力すればというのは、特に予算をかけたり、それから外部人材を入れたり、そういうことをしなくても、授業の仕方とか、学校の先生がその気になれば明日からでもだんだんやっていけることというのもあると思っています。
 例えば学校の授業はあまりにも単純な課題が多くてつまらないという子が一方ではたくさんいるわけですよね。これは私もよく聞く話です。この30年ぐらい、例えば算数や数学ですと、いわゆる問題解決型授業と言われているものが一見、問題解決ということで聞こえはいいんですけれども、教科書を開ければ出ているような簡単なことを教科書を閉じて子供たちに自力発見させると。これがつらい子にとっては非常につらいし、あるいは少し学力高い子にとってはすぐ分かってしまうこと、あるいはもう塾で習ったとか、教科書で予習してきたというような子にとっては、とてもたまらなく退屈であると。これを小学校の間、ずっと受けさせられると、もう公立の学校には行きたくない、学校はつまらない。せいぜい私立に行くか、そのために塾に行くというようなことになってしまう。
 こういう授業設計の問題というのは、この30年間、非常に強く出てきてメジャーになったことなので、私は少し考え直す必要があると思います。それから英語についても、あまりにも簡単なことを中心にやっていると、それはもうつまらないという子がこれからもたくさん出てくると思いますから、これは学校での授業設計、どちらの子にとっても満足できるような、つまり、基本的なことはちゃんと教えるけれども、かなり挑戦的な課題も入れていくというようなことをやっていかないと、とても学校の授業が魅力的に感じられない子が増えてくるだろうという気はしています。
 それから、2番目には、少し努力すれば学校でもできること。これは秋田先生がおっしゃったこととも関係すると思うんですけど、例えば予算とか、あるいは地域の人材のような方々のアイデア、こういうものを入れていけば、学校でも可能になるものというのもあると思うんです。それはぜひ学校も総合的な学習の時間とか、自由に使える時間が増えたわけですから、そういうところで入れていくということにはなるんだろうと思います。
 ただ、3番目に、それでも学校では無理だということは、やはり今日の中島先生のお話でもあると思うんですよね。ROCKETの話もそうなんですけれども。これを学校で何とかしてくださいと言うと、恐らく学校教育のコンセプトとやっぱり合わないところがある。つまり、学校というのは学力保障というのが非常に大事なことですし、むしろ共通的な学力をどう育てるかということが中心になっていくことはやむを得ない。それから、あまりにも自由な学習というのをやり過ぎても、先生が対応できない、準備もできない。先生がただでさえ忙しいのに、とても学校ではできない。それから、学校でいろんなことをやると、どうしても責任というのを学校が負わなくてはいけない。いろんな体験活動などをさせたときに、そこまで学校は責任を負い切れるだろうかということになってしまう。すると、それは無理に学校が取り組まなくてもいいことなんだろうなと。むしろ、社会の中でそれぞれ自立的にいろんな考えを持った人たちがいろんなプログラムを提供してくれるほうが、むしろ実施する人にとっても、子供たちにとってもいいのではないかという気がしてしまいます。そのときに学校ができることは、「実は学校以外にもこういうプログラムがいろいろあるんだよ」ということを情報として提供してくれることで、それは、教育委員会や学校がやってくれるといいなと思います。「学校は学校の学習があるけれども、それが全てではない」ということを子供たちに教えてくれるのも学校じゃないかという気がするんです。ですから、むしろ学校外のいろんな活動に参加することによって、こういうところで自分も生き生きと学習できるんだということが分かったら、「じゃあ、学校も行ってみるか」という感じで、不登校だった子が学校に来るようになったというふうに私は先ほどのデータも見ています。
 2つ目はちょっと細かなことですみませんが、中島委員がおっしゃった数理女子、私は面白いと思ったんですけど、例えばいろんな人と関わって多様な学びをということからすると、じゃあ、男女一緒にやればいいじゃないかという気もするのですが、あえて数理女子、女子だけ集めてやる。何となく分かる気がするのは、恐らく一緒にすると、がちがちの数学好き男子がかなり方向性を引きずってしまって、むしろ、数理女子が伸び伸びとできないような雰囲気がもしかしたら数学の世界にあるのかなと。私も数学者の女性というのは何人か知っているんですけれども、中島さんも含めて、やっぱり女性のほうは数学得意な人でもある種の柔らかさがあって、ごりごりの数学好きな男子とはちょっとカルチャーが違うのかなという気もしています。ちょっとその辺りのお考え、なぜ数理女子で女子だけでやっているのか、これはちょっと個人的な質問ですみません。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 国会答弁ということではないので、全ての問いに一つ一つきちんとということではなくて、基本はやはり才能と学校という軸だと思うんですね。それについて、秋田先生、それから市川先生からいろいろな角度から質問が出たと思うんですけれども、これについて、御自分のお考えというか、御自分の実践からの、知見からの御意見というのを福本先生、中島先生、それから松村先生も何かありましたら、きっちりと御回答というんじゃなくても全然構わないと思うんですけど、御意見がありましたらお願いします。いかがでしょうか。
【中島委員】  ありがとうございます。どれもすごく面白い御質問だなと思いながら伺っていました。なるべく短くいきます。
 最初は、学校に与える影響、インクルーシブとかトランスクルージョンみたいなところ、これは非常に面白いなと思いました。私自身もそうなんですけど、例えば目が見えない方、耳が聞こえない方と、ふだんは分けられてしまっているので、道端で会うことはあるかもしれないけど、なかなか友達とかにいなかった。でも、やっぱり何か企画したりする中で、私も友達ができると、もちろん、彼らがどこで困っているかということも知るようになりますけど、それだけじゃなくて、自分自身にとっても、目が見えないと、こういう感覚が開くんだなとか、五感でより開くような体験をさせてもらったりしています。今、ダイアログ・イン・ザ・ダークさんとかダイアログ・イン・サイレンスさんとも結構いろいろ御一緒させてもらっているんですけど、やっぱり目が見えないからこそ見える世界、聞こえないからこそ聞こえる世界、それは恐らく自閉症の方々とか、他障害の方々とかも同じくだと思っていまして、もちろん、パラリンピックみたいな場があって、今年は見られたわけですけど、できるだけそういう自分と少し違う方々と出会う機会をあえてつくる。もちろん、分けられていることにも意味はあるんだと思っているので、完全に一緒にずっといるというのがなかなか難しいということも理解はしているんですけど、少なくとも友達になるような出会いの場、何かを一緒につくったり、どっちかが上に立つような形ではなくて対等に与え合うような関係性というのをつくることができると。今、海外だと、アクセシビリティーの話とかインクルーシブネスの話というのがすごく話題になっている中で、日本ではどうしてもまだまだ形骸化してしまっているところがあるんですけど、やっぱり友達ができると大きな影響があるんじゃないかと思っています。なので、そこは積極的に仕掛けていただいて、これは普通の学校とかも仕掛けること自体は全然できると思いますので、何かそういう影響があるはずなので、ぜひと思っています。
 2点目の弱さのところですね。これも適切か分からないんですけど、私がニューヨークですごく好きだったなと思っているのがニューヨークって、結構、どんどん新しいことを試そう、全部エンタメにするようなところがあるんですけど、必ず一番最初に今日、コロナの後とか、今日弱っている人みたいなことを聞かれて、弱っているに手を挙げたりすると、当然だと。今、弱ってない人のほうがむしろおかしいと。弱っているのが当たり前で、でもそういうときはちゃんと素直に弱さに向き合って、ちょっと来たくないんだったら、一回、自分と向き合えばいいし、こういう場所もあるからちょっと行くといいよとか、まず、弱さがあることを前提にして、初めてプレイフルネスというか、楽しいこと、もう一歩進んでみようかなというのがあるかなと思っています。なので、全員が全員、とにかくこういうときだから、逆境をバネにして前に行こう!オー!みたいな形だと、やっぱりどうしても取り残されてしまう人たちがいると思っていまして、まず、弱いときがあることを認め合える、弱いということを誰か、特にいわゆる立場が上の先生だったりとかも、時には弱さを見せたりする、見せ合うことができる。ちゃんとスクールカウンセラーとか、相談ができる窓口みたいなものもきちんと用意する。でも、そこがしゃべりにくい人だったりとか多様性がないとか匿名性が保たれないとか、そういうことで機能しないこともありますので、そういう弱さを吐き出させるような場所の多様性や教育みたいなことも多分重要なことで、今回の話の中の大前提の第ゼロ番としてやっぱりそこの弱さを開示できる文化・環境の構築があるべきなのかなということはすごく思っています。
 あと、学校の中にどうやって取り込めるかというところなんですけれども、学校の先生たち、確かにちらっと変えるだけで変えられることがあると思うんですけど、意外に自力発見させる問いを出すとか、ちょっと先の難しいものを見せるって、意外になかなか慣れてないと準備が要るということを感じています。私自身もやっぱりやりながらも、0→1で何かを生み出すのはなかなか難しい、多様なこどもたちの主体性をのびのび多彩に引き出し、かつ場合によっては深い学問世界や実践につながるようなよき問いの設定や活動例の提示、きっかけの与え方を考える・・・というのはなかなか難しいなと思っています。さらに即興性も必要で、これも経験が必要ですね。なので、今、学びの変革期なので、先生たちのサポートがすごく大事だなと思っています。そもそも、先生たちがまずそういうオープンエンドな問いをちょっと考えてみたりとか、ああ、そうか、これだったら答えがなくてもいいけど、いろんなアイデアが浮かんでくるんだなとか、体験をしないと、なかなかそもそも先を見せるということが結構難しいんだろうなと。だから、そういう意味での研修とか、ある種、先生たちの遊びの場みたいなところをつくることが、多分、それこそ学校の中で先生たち自身が変わっていくときにちょっと必要かなと思っています。学校外が多様になるのは非常にいいと思うんですね。それももちろんすばらしいと思います。ただ、私たちがご一緒しているところは、実は結構、地方の公立学校とか専門高校とか、普通の学校です。最初の頃は、直接、私たちが行って何か一緒に活動したりもしているんですけど、途中からむしろ関わるのは先生方にして、やっぱり子供たちを毎日見続けている先生にそういうものを託していくというやり方を取っています。先生たちがプロになる必要は一切なくて、ちょっと先生も遊んで、あっ、こんなものか。答えがないので、子供たちがむしろ試行錯誤するのを見守る。困ったときに、直接、子供たちが聞けなくても、先生が媒介して、こんなことで悩んでいる子がいるんだけどみたいなことが、こっち側の研究者とか企業の人とかエンジニアとかも忙しかったりするんですけど、緩やかなつながりのところで、つながりさえできていると聞き合ったりすることができて前に進めると。だから、がっつり密着して入るということはもちろん、ある意味ではベストかもしれないけど、そうすると展開がなかなかできなかったり、格差が生じてしまったりする中で、やっぱり先生方の存在というのはすごく大きいので、先生方が橋渡しをしながら、子供たちをやっぱり一番見ていて、支えて、教科ともつなげながらですけど、新しい学びをつくっていけるような先生のサポートというものがすごく大事なのかなと思っています。
 数理女子、自称女子でよいことにしているんですけど、確かに子供たちの場合、男の子もいると、結構盛り上がったりしていいんです。これ、実は女の子とお母さんに来てもらって、隣の部屋で全く同じことをやってもらって、お母さんたち、オブザーバーでもなく、サポートでもなくて、自分たちがえーとか言いながら、数学をちょっと五感を使って楽しんでもらうということをやっていました。どっちかというとお母さんのほうが問題で、そこにお父さんが1人入った瞬間に、皆さんしゃべらなくなっちゃったりするんですね。どうぞどうぞって、人数がたくさんいても、なかなかしゃべれなくなっちゃう。やっぱり年齢が上がっていくにつれて、何となく刷り込みで数学に対してのイメージができてしまって、男性もしゃべりたくなっちゃうというのがあって、子供たちは比較的みんな本当にいい形で協働ができていることも多いんですけど、年齢が上がるにつれて、だんだん何となくのイメージで、ある種の文化的バイアスで恐らくなってしまうということを見て、難しいなぁと感じていました。私たちも確かに多様性といいながら、なぜ女子なのかということはよく聞かれる問いですのでそこには丁寧に御説明するようにしているんですけど、ただ、女の子たち、特に女性のもうちょっと上の方とかお母さんとかが心理的安全な状態で、間違っていても、こんなこと言っていいのかなみたいなことでも平気でしゃべりながらいろんな自分たちのアイデアを楽しむという環境をつくるということを時に優先させてもらって、今回は自称女子の方々に限定させて頂いていますということでお答えになっているか分かりませんけれども、ありがとうございます。長くなりました。
【岩永座長】  ありがとうございました。
【福本委員】  松村先生、先にお話しなさいますか。
【岩永座長】  じゃあ、松村先生、お願いします。どうぞ。
【松村委員】  まず、市川先生の御質問に関連してですけれども、先ほど私が言った才能があるために困っている子、これは学校で先生がすぐにでもできることもあるでしょうといっても、どうしてもできないことがある。そういうときは学校外に任せないといけないのですが、この前、市川先生もおっしゃっていた、地域にも基盤があって、地域が子供を受け入れる、そういう場がたくさんできて連携していったらいいなと思います。
 中島先生の先ほどのお話ですけれども、そういう民間のプログラムが学校と連携するときに、特定の学校と連携してしまったら、そこにいない子供がはじかれてしまうというか、公正ではないということが起こるわけですだけど、今、こういう情報社会ですので、子供たちはネットでいろんな情報を得ることができるので、どんどんネットで情報発信されて、個別にでも、個人的でもプログラムに加わってくださいみたいなことでやられると、先に子供たちが加わって、こんな面白いことをやっていますということを学校の先生に言えば、あなたはそういう興味を持っているのかということで、新しい才能を見つけるきっかけにもなると思うんですね。そういう風土を学校でつくってほしいというふうに思います。
 それから、すみません、ついでにさっきの中島先生のお話に関連してですけれども、これもほかに言う機会がないんですが、最近、私が気になっているので、今、言っておきます。最近、アメリカでは才能プログラムが大体、6.7%やられているということを誰かが日本語で発信して伝わっちゃっていて、誤りではないんですが、正確ではない。というのは、古いデータで、州によって十数%の子供がプログラムに加わっている州もあれば、1%未満の子供しか加わっていない州もある。それはその州、地域でどれぐらいプログラムを提供できるかということに関連しています。ということは充実したプログラムがあれば、十数%の子供がそういうギフテッドのプログラムのニーズを持っているわけで、だから6.7%が選ばれた才能児なんですよみたいなイメージがもたれるといけません。まさにSTEAMのいろんなプログラムに適合するような子供が結構多くいるということをもっといろいろなところで発信していただきたいです。
 それと、すみません、ついでに福本先生に質問していいですか。さっき異才から個才へという方向を仰った、これは非常にいいと思うんです。本体のROCKETでも突き抜けた才能に特化するプログラムをやめちゃったというか、別の名前で出直しています。突き抜けた才能だけでなくても、いろんな才能、特性を把握して活動するというのはいいことで、先ほどMIやら思考スタイルの例を挙げられましたが、これを学校と連携してやるときに、可能ならば多くの子供をスクリーニングみたいなことをすればいいのですが、これは不可能なわけです。そもそも思考スタイル、私のスターンバーグの訳本でもチェックリストがありますが、精度が低い、場面によって同じ子供がこういうスタイルであったり、別のスタイルであったりというようなことがあります。そうすると、子供の特性を的確に捉えて、それに対応するような民間プログラムをやるときに、学校と連携して、どの時点で特定の才能特性を見つけるみたいなことをすればいいんでしょうか。今、そういう積極的な具体的な案というのはお持ちでしょうか。
 私からは以上です。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 福本委員。
【福本委員】  お答えさせていただきます。
 松村先生、御質問ありがとうございます。さっき御指摘があったように、精度の問題がもちろんあるかなと思っているんですけれども、そもそも学校現場に子供たちがどういうふうにそれぞれ違うのかということを認識する場面がないんですよね。なので、先生たちが例えば子供たちが合理的配慮を求めてきたときにも、なぜ一緒に同じようにできないのという返し方がまだ現場の中では普通に出てしまうような状況なので、そもそも聴覚的に聞くとか、視覚的に優位に情報を処理するとか、体感覚優位とか、あとは宿題の出し方も、一辺倒ではなくて、思考スタイルに合わせて、ちょっと配慮があるだけで、この子は締切りを守れないけど達成できるかもしれないという、そういう捉え直しみたいなところの先生方の意識づけをしていくとか、保護者の方の自分の子供は勉強ができないとかという観念を取っ払っていくということも必要だと思いますし、それがなければ、子供たち自身が自分は勉強できないとか、何か集団行動をうまくできないとか思いがちになってしまって、自己肯定感が非常に下がってしまうところがあるので、それぞれの人たちがどういう考え方をしながら多様に動いているのかとか、目に見えない脳の中での処理とか認知的な特性というものがこういうパターンがあるけれども、診断ではなくて状態を把握していく、状態を把握していくときのフィルターとして、こういうアセスメントというものが非常に考え方を多様にしていくんじゃないかなというふうに私は思っているんですね。なので、まずは先生と保護者、それから子供自身が、いや、自分の限界はここにあるのではなくて、環境が変われば自分の力を発揮することができるんだというふうに子供も思ってほしいし、先生と親御さんもそれを見つけていくという楽しみが増えるような形で導入していただきたいなと思っています。
 今年から鎌倉市さんがかまくらULTLAプログラムというのをやり始めまして、そこの中で実際にアセスメントさせていただいたんですね。そうすると、これ、自分の中では確かにこういうことに興味があるとか、僕は自分で一つのことをコツコツやることはできないんだけど、いろんなことを同時にやることは得意なんだよねというふうに、子供が自分のやり方を俯瞰して見ていて、それがなおかつ定期的に取られていくと、興味の移りやすい子もいれば、固まって同じような形でMIが構成されるようなお子さんもいるので、傾向自体を子供が把握しながら、なおかつ先生もそれを見ながら対話もできるというような環境が生まれてくるんじゃないかなと思っています。なので、実際に今年からちょっと実証を始めていますので、またこちらでも発表させていただきつつ、先生方の御意見も伺えたらなというふうに思います。
 先ほど市川先生と秋田先生からいただいた御質問の中で、本当に学校の中にこういった多様な学び方というものが入っていくと、先生方自身も学びが大きいんじゃないかという御意見が秋田先生のほうからあったと思うんですけれども、これも鎌倉のプログラムでおとといまでやっていたんですけれども、学校では問題を起こす扱いづらい子って言われている子たちがすごく生き生きと活動していたというところを学校の先生、指導主事の先生方になりますけれども、おっしゃっていて、先生方も童心に戻ってプログラムの中で一緒に活動していただくんですが、子供たちが楽器を作るということやったんですけども、先生たちが試しで音を出していくというようなことをやっていくと、子供たちも伸び伸びと自分のやり方で楽器を作っていくというような姿も見られまして、一律で今までやっていた授業のつくり方ではないやり方、活動ベースで答えのない問いに向かって子供たちが学んでいくという、その現場自体を見える化していく。その見える化したときに、置かれた環境で子供がこんなにも発揮する力の在り方というのが変わってくるんだということを実感されると、実際に、じゃあ、学校の中に入れてみたいってまず思われていくと思うんですね。そこからのスタートで研修がきちんと入っていって、頭で理解するだけではなくて、フィールドワークの中で子供たちも理解をし、見取りをし、自分がやるんだったらどういう授業にしようかというところが実践的に入っていけるような研修というのが非常にこれから重要になるんじゃないかなというふうに思いました。
 2点目に、子供さんと保護者のプレイフル・ラーニングをやっていけばいいのか、それとも保護者の方の困り事を解決するというのが必要なのかというお話がありましたけれども、ROCKETのプログラムとかSPACEでやっているものって、子供が変わっていくと、保護者の心理的な安全性がかなり高まって、結果的に保護者の方の困り事というのが減っていくというのが今までの流れではあったかなと思います。保護者の会もROCKETの中では非常に重要視してきましたし、保護者が変われば子供もゆったりと学んでいけるという、本当に相乗効果なので、どちらもかなり関連してくる、連動してくるというふうに思います。特にROCKETなんかで旅をしながらわくわくすると、プレイフルな学びをつくっていくということをやってきましたけれども、常に家の中で一緒の限られた空間の中で日常的に過ごしていくと、どうしても受け入れられないような瞬間ってあると思うんですね。そこを一旦、家から出ていく。家から出ることで子供たちが自立をするとか、家のありがたみとか、お母さんの存在って本当はすごい大事だったという気づきとか、そういうことがもう一度、自分の中でリフレーミングされる時間が必要ですし、それは保護者の方にとっても同じように重要なのかなと思いますので、その枠組みを一旦離脱しながら捉え直しをしていく。根本的に本当に必要な時間というものがあるんだということを認識できるような、そういうオルタナティブの学びも同時に重要なんじゃないかなというふうに感じました。
 御質問に対しては以上です。ありがとうございます。
【岩永座長】  ありがとうございました。
 時間ももう過ぎてしまったんですけれども、私がいろいろ伺っていて、今日は随分、お勉強をさせていただきましたが、大変失礼ですけれども、秋田先生、市川先生や松村さんも私と同じ世代で、根津先生も同じかもしれませんけれども、キャッテルの本によると、やはり我々は流動性知力に頼らずに結晶性知力でいろいろ物事を考える世代になっているのかなということを今日しみじみ感じまして、若いお二人の発表を聞いていると、事例中心ですよね。あれもあります、これもありますというのがすごく本流のように私たちが学ぶことができるわけですけれども、私たちの頭の中でどういうことを考えているかというと、じゃあ、それをまとめるとどういうことになるんだって、すぐまとめのほうに行くんですよね。結晶しよう、結晶しようというふうに行くので、多分、その辺のところはいい意味で2つの方向性が絡むと生産性が高まるかなというふうに感じているところですけれども。
 まとめようという方向で少し考えますと、市川先生が言われたように、問題は学校と才能教育というところに今のところフォーカスされているわけですけれども、学校が少し努力して工夫すれば何とかなる、方法論、技術論というところがまず非常に初歩的なというか、段階としてはプリミティブなところにあると。それから、他からの関わりとか精度とか、そういったものを少し手を加えないと、それは解決しないというようなレベルの問題もあると思うんですね。それから、3つ目はやはり学校の中だけでどんなに手を加えても、やはりどうにもならないということは、これは社会体制とか教育体制の問題になって、やはり方法と制度と体制という、この3つのフェーズだったら、この問題についてどう関わっていったらいいのかということを考えていかなきゃいけないなということ先ほど市川先生の御指摘の中で私もそうだなというふうに思いました。
 どうしてもこういう議論をしていると、学校悪者論という、学校は遅れているんだ、学校が対応してないんだ、学校はそういう子供たちを見捨てているんだというような話になりがちなんですけれども、どのフェーズで議論をするかということにもよりますけれども、学校を通じてそれに対応するということになったら、学校を悪者にしているだけでは先へ進まないので、じゃあ、どうしたらいいんだという話になっていくと思うんですね。一つの問題としては、技術的なこともありますけれども、私は教員の意識改革とか能力開発とか、あるいは端的に言えば教員養成の問題ということをどうしても避けて通れないと思うんですね。そういうようなことを知っているだけで教員の対応が変わってくるということも十分考えられるところでありますし、私たちの世代の考え方で言えば、事例でこういうのがある、ああいうのがあるというよりも、じゃあ、どういう制度をつくったらいいかというところに軟着陸していったら、着地していったらいいのかという議論になってくると思うんですね。そういうようなことを考えると、やはりそこには学校を使ってどういうふうに制度的に、あるいは体制的に対応していったらいいのかという最終的な結論が見えてくるのではないかなというふうに思いますけれども。
 今日はいろんな事例を伺って、最終的に感じたことは、こういうような才能のある子供たち、あるいは2Eも含めて、学校で困っているような子供たちに私たちは対策を提示すべきなのか、それとも才能教育や才能への対応の仕方のモデルを提示すべきなのかというところがこの有識者会議の最初から私は個人的に悩んでいるところですけれども。例えば、今日発表いただいた様々な事例があったんですけれども、お二方のお話を伺っていると、これはちょっと語弊があるかもしれませんが、パリコレとかミラノコレクションとか、そういう感じがしないでもないんですね。つまり、非常に特殊な、すごくとんがった実践という感じがするわけですね。じゃあ、とんがった実践があって、それをどういうふうに私たちは捉えたらいいのかといったときに、じゃあ、みんなそういうふうにしたらいいのかとか、こういう要素をみんなが学校の中に加えていったらいいのかというと、果たしてそういう問題なのかなということも少し感じられて、もしこれがミラノコレクションとかパリコレクションであれば、そういうものを一つのモデルとして、じゃあ、普通の子供たち、普通のというか才能が突出していない子供たちの教育もこのように変えていくべきだろう、こういう技能も技術も導入していくべきだろうということになるんじゃないかなと。ミラノコレクションの格好をそのまま虎ノ門の辺りですることはまずできませんし、あんまりやっていると警察に捕まっちゃうかもしれませんけれども、だけど、そこに何かファッションのヒントとか到達点、あるいは何かとんがった鋭いヒントというのがそこにあるんじゃないかなというふうに思うんですね。そういう意味で言うと、やはり私たちは特殊な議論をすべきではなくて、日本の学校教育全体に関わるような議論にやはり着地していかなければいけないんだなということをますます強く感じているところです。
 時間も大分過ぎてしまいましたので、今日のところはこの辺りにさせていただきますが、次回を含めまして、これからどのように進めていくかということについて、これは事務局からお願いしたいと思います。よろしいでしょうか。
【川口学校教育官】  次回の会議の予定につきましては、第5回につきましては、11月29日月曜日、10時から12時で行うことを予定しております。
【岩永座長】  なかなか方向性が見えないというか、どの辺りに着地したらいいのかというのが見えないところではありますが、チャットが入っていますね。
【中島委員】  すみません、私がちょっと書いただけなので。大丈夫です。さっきの事例は全部、普通の専門高校とか一般高校とか公立学校とかの先生方にやったものでしたというのをちょっと書かせていただいて、パリコレというのがどういうニュアンスで使われたのかなと思っただけです、すみません。
【岩永座長】  失礼しました。普通に使ってしまいました。厳密に言うと、いろんな問題があるかもしれませんが、申し訳ありません。
 今後の方向性については、いろんな議論を出していただいて、事例も紹介していただいていますので、おのずからそちらのほうに軟着陸できるのではないかなというふうに思いますけれども、まだまだ私の頭の中では、さて、どういうふうに着地をするかなというのがなかなか難しく、立ちはだかっているテーマとしてあるんですが、皆さん、それこそいろんな意味で才能をお持ちの方たちなので、お任せしていけば議論は収束するのではないかなというふうに期待をしているところです。
 それでは、本日予定した議事は全て終了しましたので、これで閉会いたしたいと思います。
 どうも今日はありがとうございました。時間が過ぎて失礼しました。
 
── 了 ──