特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第3回)議事録

1.日時

令和3年9月13日(木曜日)15時00分~17時00分

2.場所

WEB会議方式

3.議題

  1. 特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等について(諸外国の動向など)

4.議事録


【岩永座長】 今日もまた、この特定分野に特異な才能のある児童・生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議に御参加いただきましてありがとうございます。時間になりましたので、開始したいと思います。
今日は第3回ということですけれども、今回もまた報道関係者等より録音・録画の申出がありまして、これを許可しておりますので、この点について御承知おきいただきたいと思います。
まず、本日の議題に入る前に、会議の留意事項及び本日の会議資料についての説明を事務局からお願いしたいと思います。川口さん、よろしくお願いします。
【川口学校教育官】 まず、本日の会議はWebexを使用したウェブ会議方式にて開催させていただいております。そのため、1、御発言に当たっては、インターネット上でも聞き取りやすいようはっきり御発言いただく、2、御発言の都度名前をおっしゃっていただく、3、御発言時以外はマイクをミュートにしていただく、4、御発言に当たっては「手を挙げる」ボタンを押していただき、発言が終わりましたら「手を挙げる」ボタンを再度押していただき、手を下げていただくよう、御協力のほどよろしくお願いいたします。
続きまして、本日の会議資料について御説明します。本日は、資料1及び資料2、並びに参考資料がございます。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。資料等手元に御用意いただいたと思います。
続きまして、本日の議題の最初ですが、ヒアリングに移りたいと思います。本日は、才能教育に関する諸外国の動向について、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社政策研究事業本部公共経営・地域政策部、長いですね、鈴庄美苗副主任研究員より御発表いただきたいと思います。その後、発表に対する質疑応答や意見交換の時間を取りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
鈴庄副主任研究員は、平成30年度に文部科学省が行った委託調査「社会の持続的な発展を牽引する力の育成に関する調査研究」のプロジェクトチームのメンバーでいらっしゃいました。本調査研究の調査報告書等については、本日の参考資料としてお配りしております。
それでは、鈴庄副主任研究員より御発表いただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
【鈴庄副主任研究員】 御紹介いただきましてありがとうございました。
御紹介にございましたとおりでございますけれども、2018年度に文部科学省の生涯学習政策局から委託を受けまして、まさにこの会議のタイトルととても近しいような調査研究でございますけれども、「社会の持続的な発展を牽引する力の育成」ということで、国内外の調査をさせていただきましたので、本日はその御紹介をさせていただければと思います。
では、次のスライドをお願いできますでしょうか。ありがとうございます。本日お話ししたい内容は大きく4点でございまして、大体30分ぐらいお時間をいただいてございます。
まず、1つ目が調査研究の範囲というところですけれども、今も広義・狭義というお話がございましたけれども、この調査の時点では、さらに定義の曖昧さという問題がございましたので、まず、調査研究の範囲はどの辺にあったのかというあたりを御紹介させていただきました後、諸外国ということで10か国の調査をしてございますので、才能教育の法的な制度がどうなっているのかということと、取組がどうなっているのかということについて簡単に御紹介させていただきます。
本日のメインになるところは、3点目でございますけれども、現地調査ということでフィンランドとアメリカにお邪魔しておりまして、アメリカについては、松村先生や岩永先生から御紹介がございましたとおりでございましたので、フィンランドについて御紹介をさせていただきまして、最後に、諸外国の状況と照らして、今回の有識者会議で今後御議論が進むであろう論点の一部について御紹介ができたらというふうに思ってございます。
では、次のページをお願いします。調査研究の範囲でございます。次のページをお願いします。まず、背景と目的というところでございますけれども、委託調査のオーダーをいただいた文科省様からが、目的としてグローバルに活躍する人材であるとか、イノベーションを牽引する人材の育成に向けてということを国として進めていくに当たって、海外の状況がどうなっているのかであるとか、そこから見えてくる課題などを調査して、我が国の今後の取組の参考として示唆を出してほしいというようなご依頼を頂戴したものでございます。
国外10か国については、主に文献調査でございますけれども、なかなか、古い情報も多かったというところもございまして、岩永先生や松村先生に多々御示唆をいただきながら、フィンランド、アメリカに現地調査ということでお邪魔をしたりとか、あるいは、福本委員もいらっしゃいますけれども、ROCKETのプログラムについてのヒアリングをさせていただくような調査をしてございました。
調査期間が5か月程度ととても短い調査期間の調査でございましたので、できる部分とできない部分があったというところ御理解いただければというふうに思います。
では、次のスライドをお願いいたします。今回調査対象とする教育の範囲を最初どこに設定すべきかというところが今回の調査研究の難しさでございました。1つ、現在の学校教育で学習ニーズを必ずしも十分満たせない必要が可能性があるということで、広く特別なニーズを持つ子供たちへの教育ということで4つ区分けをしてございますけれども、そのうち上の2つ、才能教育と特別支援教育というふうに書かせていただいているところについては、選定の基準みたいなものが必要になるということ、あるいは、特別な指導者の育成が必要になったり、個々のカウンセリング等のケアが必要になるというようなところで、比較的類似しているところかなというふうに思いますけれども、今回は、その中の才能教育と特別支援教育を重ね合わせたような2E教育、この部分についての調査範囲というふうに一旦設定をさせていただきました。
次のスライドをお願いします。一方で、この区切った才能教育についても、今回の委員会でも多々議論になっているとおりですけれども、はっきりした定義が存在しないということで、公式には児童・生徒の優れた能力に応じる教育というものが日本には存在しないという中で、ここに引きずられる形で、研究の中でも、才能教育という表現を使っていらっしゃるものもあれば、「Gifted education」と呼ばれるようなものもあったり、あるいは、実践事例で見ても、民間の学習塾も含めて、ギフテッドというような用語は使われつつあるものの、実際に指しているものはそれぞれ少し違うというようなところで、日本ではまだ定義が必ずしもしっかりと決まっていないような状況だったかなというふうに思ってございます。
一方で、世界・アジアの実施状況はどうなっているのかなというところでございますけれども、まず、アメリカは最先進国ということで、御案内のとおり、1950年代ぐらいから始まってございまして、その後、イギリス、オーストラリア、ドイツ、韓国、シンガポールなどで80~90年代ぐらいに進んでいるようなことでございます。
したがって、どちらかというと、ブームが来ていたのは80年代、90年ぐらいということで、今、世界中で教育トレンドとしてあるかというと、必ずしもそういった分野ではないのかなということ、また、政権交代等々によって非常に浮き沈みが起こりやすい、政治に影響されやすい教育分野でもあるかなというふうに今回調査をする中で理解してございます。
一方で、アジアでも、韓国、シンガポール、中国も含めて、あるいは、タイなども含めて取組が進んでいる中で、日本だけ行われていないというのを特異的だというふうに御指摘するような有識者の先生もおられたかというふうに思ってございます。
翻って定義のところに戻ってみますと、いろいろな国で行われているんですけれども、多面的・定性的に定義をしているような国が比較的多くて、IQだけで定義をするというようなケースは非常に稀だったかなというふうに理解をしております。
こういった動向を踏まえて、まずは、今回の調査対象としては、かなり幅広く才能教育であるとか、「Gifted education」という表記があるものを調査対象としましょうということで調査を進めてございました。
では、次のスライドをお願いいたします。では、諸外国の才能教育の制度と取組状況です。
次のスライドをお願いいたします。今回、10か国を調べてございまして、このうちのアメリカとフィンランドについては、アメリカは前回第1回の委員会で、フィンランドについてはこの後御説明いたしますので、こちら側からのスライドは、それ以外の国の特筆すべき点を御紹介させていただきます。
まず、イギリスについては、2000年になる直前くらいに本格開始というようなところですけれども、どちらかというと、都市部における教育困難な地域と教育機会の平等といった文脈で才能教育が始まってございました。しかし、これは政治によるものもかなり大きくて、政権交代後に予算支援が激減するというようなことであったり、政治によって頻繁に政策が変わっていくことに現場がなかなかついて来られないであったり、教えられる先生がいらっしゃらないというようなことが大きな課題として有識者から指摘をされているというふうなところでございます。
また、オーストラリアについても、1980年代、90年代に、議会の中に委員会を設置するというような形で、かなり政治の色の強い形で暫定的に始まっていったというようなところでございます。
次のスライドをお願いいたします。また、オーストリアについてでございますけれども、非常に印象的なのは、政策を検討した最初のときには、ナチス政権下の影響などもあって、エリート主義的だというような批判もかなりあったんですけれども、最初の特別な学校を立ち上げて取り出し方でというようなとこから、かなり徐々に性格が変わっていって、包括的・体系的な才能教育をしていきましょうということで、インクルーシブを併用していくような方向に徐々に変わっていたという点は、非常に国として面白いのかなというふうに思ってございます。
また、中国については、非常にコンペティティブな印象も強いんですけれども、内外ではエリート主義的というような批判もやはりあったりしていたりとか、一方で、法的な定義としては、進んでいるところでは、例えば、北京ではIQ130以上と、かっちりIQだけで定義するというようなそんな国もあるかなというふうに思います。
また、才能教育の世界で非常に特徴的な国という意味では韓国がございまして、1983年に科学高等学校というものが設置されて、法律上で英才教育振興法というものがきちっと設置された上で、非常にシステマチックに才能教育が国家として進められているというようなところでございます。一方で、ここも財政状況によって自治体間の格差が進むであったり、教える先生を確保できないといったような、そんな現実上の課題も抱えております。
また、シンガポールについては、国の大きさも全然違いますので、一概には言えませんけれども、選抜に小学校3年生段階全員に共通の一次試験を課すというところは、非常に特徴的な国の1つなのかなというふうに理解をしております。
ここまでが制度についてでございますけれども、次のスライドをお願いいたします。ここからが国別の実際取組で、特徴的なもの、どんなものがあるかなというところの御紹介でございます。
まず、ドイツですけれども、ドイツは、ほかの教育政策もそうですけれども、国として大きな方針を持つというよりは州独自に様々取組が進んでいて、それがゆえにSEMモデルをやっているようなところもあれば、飛び級をやっているようなところもあれば、かなり取組進度が州ごとに違うというところが特徴的です。一方で、それをドイツ全域で非政府組織が支援するというような支援体制があるところも面白さの1つかなというふうに思ってございます。
また、オーストリアについては、政府だけではなくて、才能教育研究支援センターというセンターが研究とセットになって力を入れてやっていこうというふうにしておりまして、才能教育についてインクルーシブ型でやっていこうというふうにしているんですけれども、まだまだ研究が量も質も不十分だというような指摘がございまして、こういった支援センターがあって、国として体系的にやっていこうとされているところが特徴的かと思ってございます。
次のスライドをお願いいたします。中国については、全土というよりは北京と上海というような形ですけれども、こういったところでは大学附属校であるとか、重点中学校のモデル校というようなものが立地して、かなり取り出し型のというか、エリート教育的なものが進められているかなというふうに思います。
韓国は、先ほど申し上げたように、英才学級、英才教育院、英才学校というような形で、英才学校を頂点にしたピラミッド構造のように、初等教育段階から高校段階まで幅広く教育が行われているというようなところが非常に特徴的なところかなと思ってございます。一方で、社会的格差を再生産しているんじゃないかといったような御指摘もあるというような点が特徴かなと思ってございます。
それでは、ここまでざっと駆け足でいろいろな国の状況を説明してございましたけれども、こういったものを何となく無理くりプロットをしてみたらどうなるんだろうというのが次のスライドでございます。
横軸のところは目的というところですけれども、何の目的で才能教育をやっているんですかというところで、国家中心的な目的と、学習者中心的な目的。縦の軸については、どんな取組がメインで行われているんですかということで、取り出して、選抜をする形で行っているものもあれば、そういった子も含む形でインクルーシブでやっているものということで4象限をつくりますと、各国いろいろなんですけれども、特に特徴的というか、調査をしていく中で印象的だったのは、かつてのアメリカは比較的特定分野の振興ということで、左上の象限のところにプロットしているのが、ちょっとずつ多様な教育とか、そういった多様なニーズの保障というほうに移りつつあるというようなところ。また、オーストリアについても、少しずつ体系的・包括的な多様な教育ニーズを補償していこうというふうに変わっていっているというようなところが非常に印象的かなと思っておりまして、今回調査した10か国について言うと、比較的、右下の象限のほうに少しずつウエイトが高まりつつあるのかなというふうに感じたところでございました。
続いて、各国の取組からさらに目的というところをプロットしてみてというところで、次のスライドになります。これについては、横が卓越した能力の発展ということを目的にしているような教育。縦のほうが、逆に、個に応じた教育とか、「最善の利益」と言われるものを意識したような目的で行われる教育なのかなというふうに思っておりまして、あえてこういった図の形式にしたのは、才能教育と一言で言っても、どういった目的で行うのかによって関係領域も関係者もかなり変わってくるかなというふうに思いまして、こういった図の形式で作成をさせていただいております。
具体的には、国際協調主義、功利主義という、いわゆる才能教育で対象になるような人たちの技能を発展させるために、その人たちが国でリーダーシップを取っていって経済的競争力を高めることが、ひいては国民全体の生活を改善することになるよというタイプの教育の中にも、例えば、科学技術の領域のための教育という特定の領域の人材育成というものもあれば、右側の国家の指導者育成といったような目的もあろうかと思います。
また、縦の軸になっていきますと、社会矯正主義という言い方をしていますけれども、不平等であるとか、社会格差の是正に対応していきましょうというような教育もあれば、下側の特別な教育ニーズに対応していきましょうというようなものもあろうかなというふうに思います。
この縦のものについて、「最善の利益」という表現を使っておりますけれども、例えば、才能児は障害のある子供と同じように、きちんと特別なニーズを持つ者としてみなしていく。特別に仕立てられたカリキュラムが必要なのではないかというような、才能児の利益に焦点化したような教育というふうに既往の文献では言われているようなところでございます。
では、ここまで各国の状況をざっと御説明させていただきました。次のスライドをお願いいたします。では、ここからは、現地調査国フィンランドの調査結果ということで、簡単に御紹介させていただければと思います。
次のスライドをお願いします。「フィンランド調査の調査先の概要」というふうに記載しておりますけれども、政策立案の中央から地方、また、政策支援者、研究者、実践者ということで、かなり幅広く調査をさせていただきました。
次のスライドをお願いいたします。こちらのスライドがフィンランド調査のまとめみたいなところなんですけれども、今回調査するに当たって、実際にギフテッド教育、「Gifted education」が実践に地に足のついたものとして進むためには、幾つかステップがあるんじゃないだろうかというふうに調査をしている我々としては考えたところです。
具体的には、そもそもその国にどんな社会教育文化があるのかということ。その上で、きちっとしたニーズがあるのかということ。さらに、ステップ2ということで、それに対してきちっとした定義であるとか、理解とか、目的が共通的にあるのかということ。ステップ3としては、それを支えるようなインプットや資源というものが十分あるのかということ。最後のステップ4は、では、具体的にどんな実践とかケアが必要なのかというようなところでございます。
個々の論点については、この後詳しく御紹介いたしますけれども、例えばステップ0では、フィンランドの場合、平等主義的であるとか、ステップ1のニーズはあるかというところについては、残念ながら、ニーズは一部でして、大勢とは言えないというような状況であるとか。
ステップの2つ目としては、まだ定義や目的設定ということがはっきりとしてございませんので、そのために国民的議論が必要だというようなお話であるとか。
ステップの3つ目ですけれども、教育財源自体が減らされているということがフィンランドの大きな課題でもございますけれども、特にフィンランドが施行している拡充型の場合は、どうしてもコストがかかってしまうということで、特別支援教育にも差し置いて才能教育をあえてやっていくということについて、国民的議論ができるかどうかというところが課題になっているというようなこと。
最後のステップ4としては、やはりそうは言っても、彼らとしては個に応じた少人数教育ということは国としての強みであるので、今後も個に応じたインクルーシブに行う教育ができるんじゃないかと。そのために多様なオプションをもっと設定できるんじゃないかというようなことを御発言として確認してございます。
では、それぞれの論点について御紹介できればと思います。次のスライドをお願いいたします。まず、ステップ0ということですけれども、フィンランドのインタビューの中で他者との違いを認容できる寛容性みたいなところについては、何度も御指摘があったところでございます。
つまり、上から3つめのポツですけれども、早期の多言語の語学学習であるとか、早期段階で他者との違いに気付くであったりとか、いじめ予防でKiVaプログラムというものが非常に有名ですけれども、こういったところを通じても、クラス内において違いがあるということを早い段階で理解する、寛容するということが非常に重要だというふうにされていることであるとか、上から2つ目のポツですけれども、実態とはまた別の問題として、優れた教員が個々のニーズを満たすような教育をしてくれるんじゃないかという信頼感があるということですね。安心感があるとか。そういったような実態とは差し置いて、そういう何となくの雰囲気みたいなものがあるということは1つ調査の中で常に種々のステークホルダーから言われていた点かなというふうに思います。
次のスライドをお願いいたします。では、具体的にニーズがあるのかというところについてです。やはり生徒と保護者それぞれ一部はニーズがあるということで、自分自身のお子さんがギフテッドであるために不適応であるというようなニーズもあれば、もうちょっとコンペティティブにやりたいんだというニーズの両方があるような状況かなというふうに思います。
また、教員についても、地域差とか教員の個人差がかなりあるんですけれども、一部の教員においてはニーズがあるというようなところでございます。
また、政府については、課題認識みたいなものはあるんですけれども、スキルフルで非常に能力が高いというような子については正規教育の中で既に十分対応しているので、もう対応できているのではないかというようなスタンスでいらっしゃいました。一方で、研究者としては、このスキルフルだけでは不適応な部分が対応し切れていないんじゃないかということで、もっときちっと対応していく必要があるのではないかというようなところが御指摘としてございました。
そういった意味では、先ほど申し上げたとおりで、緊急度という観点から、特別支援のほうがより高い必要性が認識されているというようなところが今のフィンランドの状況なのかなというふうに思っています。
ただ、全てのステークホルダーが種々おっしゃっていたのは、共通のコンセンサス、国民的な理解がないと目的のぶれた才能教育になってしまうということは、研究者も含めて危険性を警鐘されていましたので、何のために才能教育をするのかというようなところの議論をしていきたいということがフィンランドの中では言われていた論点だったと思います。
では、次のスライドをお願いいたします。ステップの2になりますけれども、そもそも今、定義が必要なのかというところです。研究者は対象者選抜のために必要だという御意見でしたけれども、政府はあえて現時点での定義が必要とは認識していないような状況でございました。
「定義のための国民的議論」というふうに記載をしておりますけれども、フィンランドでもギフテッドの研究を始めた当初は、研究者はエリート主義的なんじゃないのかというふうに批判を受けるようなこともございましたけれども、今、ようやく国民から理解され始めているような段階ですので、これが国民的議論としてきちっと議論につながっていくようにしていきたいというのが今のフィンランドのステータスかなというふうに思います。
次のスライドをお願いいたします。では、ステップの3つ目ですけれども、実際に支えるような資源、インプットはどういったものが必要かというところですけれども、やはりコストのかかる拡充型をやっていくということですので、財源捻出と指導者の育成が非常に重要だということ、また、フィンランドの教育は修士課程を経ているなどで専門性が高いと一般的に理解をされていますけれども、今の時点では、才能教育に特化した教員養成カリキュラムというのは非常に限定的だということ、また、学び直しの義務的機会はまだまだ少ないというようなところもございまして、こういった辺りが課題というふうに示されていました。
具体的には、彼らの印象としては、暗黙知としては個性化教育をできるような教員はかなりいるはずなので、それを言語化・体系化していくようなことが必要であろうとか、あるいは、ギフテッドに対応するときには、心理学の専門知識も、これまでの教員養成プログラムの中にさらに1枚加える形で必要になってくるのではないかというような御指摘もいただいておりました。
では、次のスライドをお願いいたします。ステップの4でどんな実践・ケアが必要かというところについては、これはステークホルダーで共通的だったのは、Segregationみたいな固定的な取り出しというものについては、教員も政府も研究者も含めて、肯定的な姿勢を持っていなくて、基本的にはインクルーシブ型がよろしいのではないかというところでした。
この背景には、障害も含めて、その子自身の生きづらさ、社会に出たときのしんどさということを考えたときに、才能児自身がいずれ社会に出たときに社会生活に困難を感じにくくなるように、また、同様に、才能児でない生徒が社会に出た後、多様性の理解に一層つなげるというような意味でも、インクルーシブ型はやっぱり重要なんじゃないかということ。また、才能児の才能のある部分について見ても、才能児と才能児でないことの間の教育の発展的な展開が望めるというような教育効果からも、インクルーシブ型がよろしいのではないかというような御指摘がございました。
また、中長期的な目線では、多様なオプションが必要であろうというところでして、このために過剰な選抜が必要かというと、やっぱりそういうものではなくて、特に個々人のhobby-ism、楽しさみたいなものとか、遊びとか、わくわく感とか、そういったものを高めるということが今のフィンランドに合った教育だというような御実感が強くおありだったというふうに思います。
では、次のスライドをお願いいたします。フィンランドについては最後になりますけれども、STEAM教育についても調査研究をさせていただいておりまして、非常に近しい分野かなと思いましたので、簡単に御紹介までです。
フィンランドはSTEAM教育の実践が多々行われているんですけれども、明確には国の政策方針としては規定をされておりませんで、教育産業をチームフィンランドという形で国外輸出するときにはSTEAMというような文言を使っていて、むしろ国内のカリキュラムでは、学際的な教育とか横断的な教育という、日本が目指すところと非常に近しいような形でSTEAM教育を実践されていらっしゃいます。
スライドでは載せておりませんけれども、逆に、韓国などはもっともっと厳しい形できちっと法律をつくられて、定義をされて、STEAM教育を進められていらっしゃるので、才能教育とも近しいような雰囲気があるなというふうに理解をしております。
次のスライドをお願いいたします。フィンランドのSTEAM教育では、例えば、KIKSとかArkkiとかというようなプログラムの中では、お子さん自身が遊びとか想像とかそこから始まってくる成功ということで、生徒の関心を大切にするであったり、生徒自身が能動的なエージェントとなることを期待しているような教育が行われてございます。
では、最後になりましたけれども、次のスライドをお願いいたします。諸外国の状況と照らしてということを記載させていただいております。
次のスライドをお願いいたします。まず、2018年度のSociety5.0の提言の中で、アドバンスト・プレイスメントであるとか、飛び入学、そういったような言葉が載ってきて、とうとう変わっていくのかなというようなそんな予感がありながら、やはりこういったキーワードはもちろん出ることは重要なんですけれども、様々ある取組の中の1つなんだろうなというふうに思ってございまして、具体の実践施策のキーワードの前には、恐らく、具体の実態データであるとか、合意形成や、あるいは、どういったインプットが日本にはあるのかというような、そういった基盤の上でいろいろな花が咲いていくんだろうというふうに思います。
イギリスで「施策のパッチワーク」というような表現もございましたけれども、そういった状況に日本がならないようにするためには、ステップ0のどういった社会文化でとか、ステップ1の誰が求めていて、あるいは、今の現行教育で誰が困っていて、また、ステップ2の公的支援として行う合意形成が取れるのかとか、最後の論点ですけれども、そのためにどんな資源が必要なのかというようなところを議論していく必要があるんだろうというふうに思ってございます。
次のスライドをお願いいたします。今後の論点例ということで、皆様のほうがお詳しいところが多いと思いますのであくまで一意見としてお取り扱いいただければと思いますが、どんな教育文化があるのかなとか、才能教育を支えるような、例えば、教員が学び続けられるような、そんなような状況に今あるのかなというようなところとか、あるいは、多元的・ユニバーサルな識別基準というのが日本でつくれるのかなとか、そういったことも含めて検討していく必要があるんじゃないだろうかというふうに思ってございます。そのためには、また、実態調査というようなものも今後必要になってくるのかなというふうに思ってございます。
次のスライドをお願いいたします。まず、ステップ0の平等性の議論というところですけれども、今回導入する教育は何の目的でやるのかによって大きく変わってきますけれども、そのときに、才能教育では公平性と言われるものと卓越性との間の議論がございまして、アメリカの先生がおっしゃっていたのは、卓越性と平等性というのは対立するものでなくて両立し得るものなのではないかということで、国益に焦点化した卓越性と結果の平等性は確かに対立してしまうけれども、学習者に焦点化した卓越性と何かの平等性、など学習者に目を向ける観点があれば両立し得るのではないかというようなお話もございました。
また、何の平等かによっても、この議論は変わってくるところなのかなというふうに理解をしております。
次のスライドをお願いいたします。また、ステップ1ですけれども、一体ニーズはあるのかというようなところですけれども、誰が求めているのか、誰が困っているのかというような視点に当事者の意見というのもやっぱり重要なところかなというふうに思っております。
別の調査研究で スーパーグローバルハイスクール事業の成果検証をさせていただいて、高校生、大学生に複数インタビューをさせていただいたときに、例えば、たくさんコンテストに出なきゃいけないんだけれども、全然違うテーマなのに1位とか2位とかつけられるのはどういった意味があるのかというような話であったりとか、自分たちは過度にコンペティティブにならざるを得ないんだけれども、これは教育の本質的な目的なんだろうかであるとか、自分たちが得ている機会とそうではない人との間に機会の格差があるんじゃないだろうかというのが、御本人たちから得られたすごく印象的なエピソードだったなというふうに思ってございます。
また、困っているという表現についても、行政でラベルを貼れる厳しい困難もあれば、非常に曖昧な、グラデーションのような困難もあるんだろうというふうに思ってございます。また、困難が重なっているような子たちもきっといるんだろうというふうに思うと、それが行政からきちんと把握できるのかどうかということについては、改めて確認が必要なんだろうなというふうに思ってございます。
また、有識者会議では既にアンケート調査が行われているところかと思いますし、もし今後するのであればというところですけれども、才能児というものの才能というのは、何らかの判断基準、これがIQだけのものもあれば、そうでないこともあって、多元的な判断があるのが一番よろしいのかと思いますけれども、やはり判断があって初めて認識できたり、表明できるんだろうということであるとか、調査の目的が、出現割合を把握したいものなのか、あるいは、その子たちのしんどさ、不都合さみたいなものを把握したいのかによってもまた調査が変わってくるんだろうとか、調査設計上、知育とか、IQ担保とか、今、幾つかの民間の中でもあるようなところで、必ずしも全員が全員そのような教育を受けられないだろうなということも確認する必要があるんだろうなというふうに思ってございます。
では、次のスライドをお願いいたします。ステップ2以降については、まだまだこの後の議論になってくるところかと思いますけれども、どういった目的で行うのかというところについては、アメリカであっても国際競争主義的な要素は少し弱まっているんじゃないかとか、ステップの3つ目ですけれども、一元的なラベルというのは研究所も限界というか、識別にはどこまで行っても限界があるとか、ユニバーサル性というものを担保しようとしても、難しさがある。
あるいは、ステップ4つ目も、研究が進んでいる国と実践の対応力が進んでいる国は必ずしもイコールでなく引き受けられる教員はいるのかというところについても、実践をしていく上で大きな課題になるような分野なんだろうなというふうに理解をしてございます。
それでは、私からの発表は以上となります。拙い説明で大変失礼いたしました。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。ただいま鈴庄さんの御発表をいただきましたけれども、第1回の会議では、私と松村先生のほうから主にアメリカの才能教育について少し詳しく触れさせていただきましたが、今回は、アメリカのことはもう発表があったということで、ほかの国、特にスタンスが異なるフィンランドの才能教育について重点的に取り上げていただいたというふうにお聞きいたしました。ありがとうございました。
それでは、これから、約30分程度と少し短いのですけれども、鈴庄副主任研究員の質疑及び意見交換の時間としたいと思います。本日の発表内容に関する御質問や発表内容に関連した御意見などがあれば、御発言いただければと思います。ただ、先回もお願いしたことですけれども、会議時間の都合がありますので、一度の御発言は二、三分以内に収めていただきたいというふうに思います。
では、どちらからでもお願いいたします。どなたかいらっしゃいませんでしょうか。市川先生、お願いします。
【市川委員】 じゃあ、すいません。まず、ちょっと口火を切ってといいますか、簡単な質問をさせてください。
最初にニーズということがあったんですけれども、ニーズを把握するために一体どんな調査を、例えば、国によっては行っているのかというようなことなんです。今回のことで言えば、才能児とは言っていますけれども、基本的には、ほぼイコール優秀児のような感じがするんです。割と勉強がよくできてIQも高い。学校の授業ではどうも物足りなさそうだと。そういう子たちが学校の授業に対してどれぐらいの不満を持っているのかとか、もっとどういうふうにしてほしいと思っているのか。こういうことを国なり自治体なり学校なりが何らかの調査によってちゃんとそれを踏まえた上で決定していこうというようなことをやっている国はあるんでしょうか。あるとすれば、それはどんな調査なのかというようなことをまず伺いたいと思います。
【岩永座長】 ありがとうございました。鈴庄さん、いかがでしょうか。
【鈴庄副主任研究員】 ありがとうございます。
まず、自治体のレベルでやっているものですとニューヨーク市がやっているようなものは、まさに目的のところで行くと、何人ぐらいが出現率としてあり、対象になるのかというようなものの調査でございまして、具体的には、対象となるような小学校に上がる前の未就学のお子さんに対して一律にテストを課すような形です。そのテストを受けられて具体的に大体このぐらいの基準に上がってくる子が何%ぐらいいるのかということ。
ニューヨーク市の場合は、さらにここの中から、人種であるとか経済的な理由であるとかということを組み合わせてプログラムを提供するというようなことを別のアンケートを追加でする形で対象者を選ぶというような目的で調査をされています。
一方で、そういった調査ばかりかというと、必ずしもそうではなくて、フィンランドの研究者の調査で行くと、なので研究者の単位の調査になりますけれども、実際に不満を抱えていらっしゃるお子さんを抱えているであろう保護者に対して、教員のどういった教育内容が問題で問題であるかというのも質問していたりとか、教員自身にそもそも対応ができるのかどうかということ、対応に自信があるのかというようなところについて調査をされていらっしゃっていて、そうすると、どうやら教員によって対応力がかなり違うということ、また、保護者にはかなり一定のニーズがある、一部のところにかなり高いニーズがあるというようなことが研究者のレベルでは分かっているところです。
【岩永座長】 市川先生。
【市川委員】 ありがとうございます。かなり優秀な子供たちがどうも学校の授業だけでは面白くない、物足りないと言って不満を持っているというのは分かるんです。その人たちにとっては、例えば、日本であれば、それを塾に行ける人は塾に行って、あるいは、レベルの高い中高一貫校を受けるから、それは何とか自分たちで対応するというようなことで、あまり不満が出てこないのかもしれないんですけれども、恐らくフィンランドの場合とか、あまり受験だとか学習塾だとかそういうところで吸収し切れなくなるので、不満はどうしても学校に向かう。学校で何とかしてくださいという形になるのかなという気もしたのですが、それは合っていますか。
【岩永座長】 いかがでしょうか。
【鈴庄副主任研究員】 おっしゃるとおりでして、民間の学習塾みたいなもの、テストスコアを上げるためのものというのはほとんどなくて、どちらかというと、課外活動、乗馬をしたりであったり、ピアノであったりとか、ほかの学びを学校以外の現場で獲得しているというのがフィンランドの特徴で、そういう意味では、学力に特化した形のものというのは公的な機関が基本的には担う。そこについては、個性に応じて教育をするというのを基本にしているので、自分の子供の抱える不適応にもきちんと対応してほしいということで、特別支援教育についても非常に進んでいる国なので、なぜ特別支援教育のラベルのある国については対応されるのに、ギフテッドの我が子には対応されないんだというような、そういう御不満があるというようです。
【市川委員】 ありがとうございました。
【岩永座長】 ありがとうございました。福本委員からお手が挙がっています。よろしくお願いします。
【福本委員】 発表どうもありがとうございました。私もロケットの報告書をまとめていたときに、こちらの調査をかなり参考にさせていただきまして、今日詳しくお話を伺うことができまして、大変勉強になっております。
2点ほどお伺いしたいんですけれども、才能の定義自体がかなり曖昧なところがあるというお話が冒頭にありまして、その中で、国によって政治的な影響も受けつつ、国主体で牽引していかないとなかなか実行に移せないような国が多かったかなとは思うんですけれども、国民からの反発があったりですとか、そういう背景も同時に起こっていたかと思うんです。
その際に、国によって、特にフィンランドなんかそうかなと思うんですけれども、国民と対話をしながらどういう合意形成を図りつつ、どんなコンセンサスを取っていきながら才能教育自体を国の中に浸透させていたのかというところをちょっとお伺いしたいなと思いました。
オーストリアのほうも、最初エリート教育のところから始まっていって、最終的にインクルーシブのほうに落ち着いていったという経緯が御報告されていたと思うんですけれども、その事例なんかも含めて、合意形成のプロセス自体をお伺いできたらいいかなと思いました。
それに関して、恐らく、先ほど市川先生のおっしゃったニーズとも関連してくると思うんですけれども、合意形成のプロセスの中でニーズが必要であるというふうに感じられるお子さんたちにリーチができて、募集の仕方なんかもそこでひもづいて決まってくるのかなと思ったんですけれども、そこも併せて、募集の仕方なんかもどのような形で周知をしていったのかというところをちょっとお伺いしたいなと思います。
2点目は、教員養成のところにかなり課題があるというふうにおっしゃっていたと思うんですけれども、今、教員養成系で進んでいるような国に関して、設置の仕方にどんな方法があるのかというところを具体的に教えていただけるとありがたいなと思いました。
【岩永座長】 ありがとうございます。よろしくお願いします。
【鈴庄副主任研究員】 ありがとうございます。
特に1点目については、お答えが非常にしづらいところかなと思ってございまして、フィンランドの場合は、2009年ぐらいからレオプログラムという形で才能教育に特化する調査研究が国レベルで行われてございました。そこでは、才能児を選抜するということであったり、才能児を選抜するための必要なラベルというのは何なのかというような御研究が行われたりとか、実際にプログラムが提供されて一定の成果が出たということで、ここから国民的にニーズが高まってくるんじゃないかと思ったんですけれども、そこでは国民的な議論というか、機運が特に高まらなかったというのが調査時点の現状でして、ですので、彼らとしては、またニーズを高める必要がある。ニーズを高める際に、必要だというふうに言ってくれる国民がいないと国家教育庁としてはお金をつけてくれないので、なので、ニーズを喚起するための対話が必要だというお話をされていらっしゃいましたので、具体的に今時点で何かをオープンテーブルがあって、対話が進んでいるというステータスではなかなかないのかなというふうに思っております。
一方で、議論形成には議会が主導するようなものとか、その議会の主導の前には、保護者団体みたいなところからの強い要求があったりとか、国によってニーズの立ち上がり方というのは、かなり政策形成のつくられ方が違うように、様々なのかなというふうに理解をしております。
2点目の御質問ですが、教員養成の体系化についての御質問というふうに理解をいたしましたけれども、その理解でよろしいでしょうか。
【福本委員】 はい。ありがとうございます。教員養成課程自体がそもそも十分に立ち上がっていないというお話だったと思うんですけれども、その中でも特に立ち上がっている好事例で、どのような設置の仕方になっているのかというところを制度的に教えていただきたいなと思いました。
【鈴庄副主任研究員】 ありがとうございます。
教員養成自体については、立、アメリカとフィンランドに限って申し上げますとはそれぞれ大学ごとにプログラムがございますが、特にフィンランドの場合ですと、才能教育をされていらっしゃる先生が必ずしも多くなくて、なので、その先生がいらっしゃるところで短い時数で学べるプログラムが暫定的にあるというような形でございますので、決して体系的なものとは言えないのかなというふうに思ってございます。
アメリカについても、同様ですけれども、アメリカの場合は、より研究者が広くいらっしゃる、点在していらっしゃるかなというふうに思っておりまして、研究者がいらっしゃるところでは体系的な調査もするような研究室がございますので、そういったところでは学びが進んでいるというようなところがありますが、国全体でこの教員をナショナルカリキュラム的な形でプログラムがあるかというと、そういったわけではないかなというふうに理解しています。
【福本委員】 ありがとうございました。
【岩永座長】 ありがとうございました。続きまして、根津委員から手が挙がっております。お願いします。
【根津委員】 早稲田大学の根津と申します。興味深い御発表、大変印象深かったですけれども、4つほど感想を述べさせていただきたいと思います。お答えとしてはなかなか難しいものもあるかなと思いますので。
まず、1つ目は、ギフテッドに比べればかなり少ないんですけれども、タレンテッドという用例はあるわけですし、報告書の中には少し記述があったかと思うんですけれども、用例の違いをどういうふうに考えるか。そのときに、「gifted」という語にはかなり文化的、社会的、歴史的な背景があるのではないかと。日本語でこれを翻訳すれば恐らく「天賦の才」ですとか「天分」なんて言い方になるわけですけれども、そこの「天」というのは一体何なのかというのは、これは当然違うわけですので、そこは1つ気になったところではあります。
2つ目ですけれども、今回御発表いただいた委託調査の背景と目的としては、育成というところが非常に強調されているかと思うのですが、フィンランドの事例では、むしろ特別支援の緊急度といったところが興味深かったところです。不適応などの困難さの発見と需要というもののほうがニーズとしては高いというところです。
3点目で、先ほども少し合意形成のお話があったかと思うのですが、家庭や本人の意思、意向というものはこの制度の中でどういうふうに反映されるのかというところです。そういうことはないだろうとは思うんですけれども、機械的に振り分けられるようなシステムのようになっているのかどうかというところです。そこが気になったところです。
最後ですけれども、SGHあるいはSSHの話が少し出ていましたが、高等学校段階に限定されるわけです。しかも、これらは子供、生徒に特徴があるというわけではなくて、学校のカリキュラムや教育課程のほうに特徴があるわけですし、高等学校ですから、こういう学校に在籍する時点で何らかの選抜を経ているわけです。また、日本の高等学校の場合には、公立、私立の比率が義務教育と明らかに異なるわけですし、実質的に一部の進学校は、先ほども少しお話がありましたけれども、既に特化した学校になっているんじゃないかなというのが印象です。
この辺りが今回の調査国ではどういうふうになっていたのかなというのは素朴な疑問として感じたところです。
以上です。
【岩永座長】 これは何か御回答をお求めになりますか。
【根津委員】 お時間もありますので、特には結構です。ありがとうございました。
【岩永座長】 どうもありがとうございました。何かありますか。鈴庄さん。大丈夫ですか。
それでは、続いて、藤田委員から手が挙がっております。お願いします。
【藤田委員】 お願いいたします。
今、根津先生が御指摘になられた、高等学校を中心に調査をされたというような印象を私も強く持ちまして、そういった中では、冒頭に御紹介になった一部の研究者であるというふうな御指摘、日本では実施されていないという御指摘に関しては、根津先生と同じような感想を持ちました。それをどう捉えていくのかというのが今後の議論の論点の1つかなと思うところが感想でございます。
1点、質問なんですけれども、今日、とても分かりやすく整理してくださった12枚目のスライドの4象限の図なんですけれども、ヨーロッパの国々がインクルーシブ型を企図している。しかも、特別支援に対する国民的な要請のほうが高く、いわゆるギフテッドに対する要請が少ないというふうな御指摘もあったわけですが、そうなってくると、高等学校と大学との接続を考えたときに、EU全体としての高等教育政策、あるいは、ヨーロッパ共通の高等教育圏の形成ということを考えると、いわゆる今回御発表いただいたようなギフテッドの子供たちに対する教育政策の強調というのがブレイン・ドレインに直結していくのではないか。一部アジアでも議論されているところですけれども、そういった議論というのがフィンランドをはじめとする今回御調査になられたヨーロッパの国々でどの程度あるのか。
高等教育政策との関係の中で、才能ある子供たちを育成していくというのはどういうふうな意味合いを持つのかということについて、もし御知見があれば教えていただきたいと思いました。
以上でございます。
【岩永座長】 ありがとうございます。鈴庄さん、お願いします。
【鈴庄副主任研究員】 ありがとうございます。
そこの部分については、なかなか調査の範囲でお答えし切れなかった、対応し切れなかったところかなというふうに思ってございます。前者の御指摘のところについては、根津先生の御指摘とも重複するところかと思いますけれども、まさにSGHとかSSHと言われているようなものとか、そういったものが、あるいは、飛び入学みたいなものも含めて、日本でも非公式的にというか、才能教育というタイトルはついていないんだけれども、実質的にはそういったものが行われているということは国内の有識者の共通的な見解だったかなというふうに理解しております。
一方で、国外で言われている才能教育、ギフテッド、あるいは、タレンテッドも含めてですけれども、タレントサーチをされる対象というのはやはりかなり早い段階、就学前の段階であるとか、あるいは、小学校3年生に至るまでの子というようなところが多かったのかなというふうに思っておりまして、そういう意味では、日本がこれまでしていた才能教育っぽいことがこの議論の中においてどういうふうに位置づけていくべきかというところは、私自身も調査をしている中でかなり今後の検討が必要なところかなというふうに感じてございました。
すみません、お答えになりませんで。失礼いたします。
【岩永座長】 ありがとうございました。
私はニーズと言ったときにいつも感じるのは、主語がないと何のニーズだか分からないなということは感じておりまして、最近、ある政党の総裁選に3人立候補したというニュースが毎日のように流れていますが、二言目には「国民の皆様に沿って」とか、「国民の皆様の考えを十分くみ取って」とか言いますけれども、そのときの「国民」って何なんだろうなということを常々考えておりまして。やはり誰かということ、特に研究の場合はそうなんですけれども、調査研究の場合は、誰かということを明示しないで、ただただ国民のニーズというふうに言っていると、いろいろなことで曖昧になっていくな、本質がずれていくなという気はしていることは確かですが。
この辺のところ、最初の会議に私と一緒にアメリカのことで発表していただいた松村先生、何かありますか。今日の発表を聞いて。
【松村委員】
今のニーズのことですけど、誰のどういうニーズということを確かにはっきりさせないといけないので、本人が困っている、保護者が困っているのを感じているというニーズもありますが、本人も家庭でも困っていることを感じないという状態があります。アメリカでは、例えば、貧困の家庭だと、どの集団にも一定の割合で才能のある子が存在するはずなので、特定の集団、社会文化的な集団とかマイノリティとか、そういうところの子供たちが公正に才能教育プログラムに参加できないということがあるわけです。
そうすると、それは教師から見て、本人は困っているのを感じてないけれども、潜在的に持っている才能が十分に発揮されていない、養われるようになっていないんじゃないかということで、教師のほうが見つけていくということもあるわけです。ですから、公正に才能を見つけるのか、それから、どれだけ強く困っているのかといういろいろな観点からニーズが捉えることができるかと思います。
ついでに、今お話くださったので、私が感じたことを全部まとめてお出しします、これまで私も強調してきて、才能の定義にも関わりますが、日本での才能教育というのは、困っている才能のある子、2EとかGDFとかを含めて、そういう子供たちを救うということを重点に検討すべきで、また、才能教育の在りかとして新しい制度を創る、「何とか教育」というのを創るのではなくて、これから進もうとしている教室の中で行われる個別最適な学び、その中に位置づけて、学級をベースとして、学校外での活動とも連携していくという形で出していくのがいいのではないかということです。。
そういう方向で考えると、今日お話くださった、フィンランドでインクルーシブのタイプで学習者中心でやっていくという方向が、日本の参考になるのではないかと思います。
ただ、今のお話で、具体的に教室でどういうふうにそういうインクルーシブ教育を行っていくのかというお話が出ませんでしたが、私が文献で読んだ限りでは、確かに、フィンランドで日本の特別支援教育に当たるものが進んでいるというか、違う形で行われているわけです。
アメリカのRTI、MTSSというのがあります。3段階でニーズの高い子を絞っていくというのです。フィンランドでもそれに似て、通常学級で、通常の授業でついていけないような、あるいは、それより進んでいる子供の3割ほどを次の補習授業みたいな、放課後の補習みたいなところで補っていって、それでも難しい子は、日本の特別支援教室や通級指導教室のような、特別な学級とか別の学校とかへ持っていく。そういう構えでやっているみたいです。
だから、インクルーシブといっても、教室の中で全部解決するんじゃなくて、そこにいろいろな補う学習集団、形態があって、その中で学習が進んでいる子も、遅れている子も、初めの段階としては補習的にやってもらえる。そこにはそれをやる特別教師というか、特別支援教師というか、そういう人たちがいるそうです。ですが、日本ではそのような別の場を設けて、補習の場を設けて、そういう特別教師が指導するというのは無理というか、既に形態としては学校外の塾とかでそういうことがあるわけです。だから、学校内で具体的なやり方としてフィンランドのやり方をそのまま持ってくるというのは難しいというような気がしますけれども。
でも、その理念というのは近いところがあるので、日本では、学級内では7割の子の学力を保障して、3割の子は学級外の別の場でやりましょうというのはなくて、学級内の個性化教育でできるだけ学力の定着を図るように、そういう方向で考えていけるのではないかと思います。
それから、才能の定義のことです。これは言われている点ですけれども、どの子が才能のある子かということを、何かプログラムをやるために、この子は数学の才能児だというふうにして見つけるというようなラベル付けは良くない。これは今御発表で出てきたことですけれども。つまり、教師は何らかのやり方ではうまくいかない、でも別のやり方でやればうまくいく、別の内容を学習すればうまくいくという子はいるわけで、その潜在的な才能を持っている子は、別のどういう内容をどういうやり方でやればもっとうまく学習できるのかという才能行動を見つけていきましょうと。才能児を見つけるんじゃなくて、才能行動を見つけましょうと、レンズーリも言っています。
そういうような観点からして、人にラベル付けるんじゃなくて、どういう環境を与えれば、どういう学びの場を与えれば、才能児というラベル付けられるはずの子だけでなくて、全ての子供の学習をその子にとってよりやりやすい、それから、楽しい、身につくものにしていけるか、そういうことが考えられるのではないかと思います。
才能の定義はそのプログラムで何を目指すのか、つまりトップレベルの人材育成を目指して、そのためにやっていくのか、あるいは、その子の困っている社会情緒的な困難を把握して、できるだけもっとやりやすい場を提供しようとしてその子の特性をどう識別していくということにも関わります。
才能の定義というのは、どういう場を提供して何を目標とするかということに絡んでくるので、一口で抽象的なことを言ってしまえば、通常より優れた学力とか、意欲とか、創造性とか、そんなふうになってしまいますけれども、具体的に、どの子がそういう才能行動を示すのかというところは場面によって非常に多面的なので、才能児を仕分けるような才能の定義というのは求めないほうがいいだろうと思います。
取りあえず、こんなところです。
【岩永座長】 どうもありがとうございました。もうお一方。今村委員から手が挙がっておりますが。よろしくお願いします。
【今村委員】 鈴庄さん、大変勉強になるお話をありがとうございました。
改めて、この委員会でも、大きな目的をどこと置いて議論を進めるのかというところは、まだ確かに全ての方の合意には至っていないというか、まだ議論が始まったところなので、まず目的をどこに置くのかというところ次第なんだというこの13ページのスライドについては、なるほどと思いながら伺っていました。
今、CSTIの会議でも、まさに科学技術をどうするのかみたいな側面で同じような議論が始まっているわけなんですけれども、この委員会ではどこを目指していくのかというところが重要なんだなと改めて思いました。
1つ、以前、私も同じ頃にフィンランドに教育視察に行ったんですけれども、そのときに一番印象に残っているのは私が会った45歳の狩猟をしているハンターの方で、今から教員になろうとしてトレーニングしているんだと。ハンターから教員をたとえ45歳からでも目指せる、そういった教育期間に入るということが無料で保障されている国なんだなということに大変衝撃を受けたことを覚ます。一生のキャリアの時間軸、キャリア判断の時間軸に非常に大らかでいられる福祉国家だというところが日本との大きな違いなんだなということと、何よりも、納税額が消費税を含めて全て高いので、教育にもお金をじゃぶじゃぶ使えるという、お金がなくて大変だという話はされていましたけれども、それでも消費税10%にするだけでも大変な日本と比べると大きな違いがあります。その大前提の中で、私たちは才能教育というものをどの目的に向けて、コスパの意味でどういうフォーカスをしながら政策に落とし込んでいくんだろうということを悩みながら伺っていました。
その意味で、各国比較されている中で、日本のように、今は憲法に定められている義務教育段階では、無償で個に応じた教育が受けられるということから排除されている子がたくさんいる。家庭のリソースに応じて才能教育ができる家庭とできない家庭があったりするという大前提に立ったときに、私は、もしかしたらインクルーシブじゃなくて取り出し教育にしてしまったほうがいいんじゃないかという選択肢もまだ残されているんじゃないかなと思っています。
質問は、要は、機会が届くべき人に届いていないという大前提の国の中で、コストパフォーマンスの意味では、日本の議論はどこに落とし込んでいくのがいいと今直感的にお感じになっているのか、各国の状況をよく御存じの鈴庄さんに伺いたいなと思ったんですけれども。それは答えられませんでも構いませんが、いかがでしょうか。
【岩永座長】 ありがとうございました。鈴庄さん、どうでしょうか。
【鈴庄副主任研究員】 ありがとうございました。
まさに今村さんがおっしゃっていただいたようなところ、私も同じく感じるところだと思っているんですけれども。やはり各国の状況を見ていると、インクルーシブで進めていくということと、目的意識を学習者中心だということを打ち出すということは重要なんだろうなというふうに思っております。
一方で、今村委員がおっしゃっていただいているとおり、困難というふうにラベルを貼れる子も、例えば、経済的なものであれば、幾ら幾らという基準があり1円でも上回ってしまうと支援の対象にならないとかということも事実としてあったりとか、表明できる子ばかりではない。それは才能教育についても同じですけれども、この子は才能があるねというふうに認められる家庭で育っていたりとか、保護者が気づけるような状況であれば、その子は自分自身を才能児だというふうに認識できるけれども、必ずしもそうでないというところについては、まさにおっしゃるとおりだというふうに思っていますので、その部分については、実態調査がきちっと必要なんだろうなというふうに思っております。
ちょっと松村委員のお話にも重なるところですけれども、インクルーシブ型と取り出し型ということをはっきり分けて書いてしまうと、どっちかなんだというふうになってしまうかもしれないんですけれども、実際、フィンランドでもインクルーシブ型と言っていますけれども、状況に応じて、例えば、学ぶ教科に応じては、この子たちはこの部屋でとか、この子たちにはマン・ツー・マンでとかいうことを個別に分けているというのが実態に近いようなところかなというふうに思ってございまして、常に固定的にこの子たちだけしか行けない学校とか、そういったものは彼らの文化としては受け入れ難いものなんだけれども、ニーズに応じてチーム分けをするということについては、むしろもっと柔軟であるべきだというところと、あとは、失敗みたいなことについての考え方みたいなのが日本とフィンランドではかなり違っていて、例えば、高校段階においてギフテッド的な才能教育をされていらっしゃる学校についても、留年されていらっしゃる方が結構いらっしゃるんですけれども、それはフィンランドの文脈では非常にポジティブなもの、学びたいものがたくさん見つかった子というような印象なんですけれども、翻訳しようとすると、留年という文脈になってしまうというところもありますので、そこもまさに捉え方ですね。
学ぶ年限、学年主義のところをスライドの26枚目で書かせていただいておりましたけれども、学年主義的であったり、集団主義的であったりするような国とフィンランドとはまたちょっと状況が違うのかなというふうに思ってございまして、補足も兼ねてお答えとさせていただければと思います。
【岩永座長】 ありがとうございました。
まだまだ御質問、御意見等あると思いますが、この件に関しましては、以上で諸外国の動向に関する意見交換ということは終了したいと思います。鈴庄さん、どうもありがとうございました。大変勉強になりました。
【鈴庄副主任研究員】 いえ、とんでもないです。
【岩永座長】 それでは、本日の2番目の論点になりますが、皆さん御存じのように、今回が第3回目の会議ということです。これまでの会議で、特定分野に特異な才能を有する児童・生徒もめぐる議論をいろいろ見てきたわけですけれども、日本における現状とか、それから、今日鈴庄さんにお話しいただいた諸外国の動向、そういうヒアリングを今まで行ってきました。この辺りで一旦これまでの議論を振り返って、整理しまして、今後のより具体的で効果的な議論というものに結びつけていくということを考えて、今後取りまとめられる論点整理につなげていくようなまとめをしていきたいと思います。
既にお送りしてあります資料2を御覧いただきたいんですけれども、有識者会議における主な意見等というので、事務局のほうでまとめていただいてあります。まずは、この資料について事務局から簡単に説明をしていただいて、その後、自由な意見交換の時間としたいと思います。石田さん、事務局から説明をお願いします。
【石田教育課程企画室長】 それでは、資料2を御覧いただければと思います。
座長からお話ございましたように、この後、これまでの議論を振り返ってもう一回御議論を頂戴するということでございますけれども、その際の参考といたしまして、第1回、第2回にいただいた御意見を事務局としまして便宜上項目立てをし、まとめたものが資料2となってございます。前半の御議論も非常に貴重な御議論がありまして、この中に含めていくことが極めて大切かと思っております。
まとめ方でございますが、1ページ目の一番上でございますけれども、これは才能の捉えということに関わってくるかと思いますけれども、広義の才能と狭義の才能という軸でこれまでいただいた意見をまとめたものでございます。
次に参りまして、2つ目は才能の対象と見いだし方という観点。前半でもたくさん御議論いただきましたけれども、そういったところにつきましてまとめたものでございます。
2ページ目に参りまして、2ページ目は、才能を有するお子さんの支援に関わって、児童・生徒が抱える困難、あるいは、支援方策というもの、あるいは、才能を伸ばす方向に関わるというところかと思いますけれども、早集と拡充という観点でもいただいた御意見をまとめてみております。
また、同じ2ページの下からは、そういったものの中でどういうふうに教育課程を編成し、指導していくかということで、教育課程の考え方ということ。また、次のページに参りまして、その下での指導の在り方ということに分けて意見を整理してございます。そうした教育課程、あるいは、学習指導を可能にする条件整備ということに関わる学校の教育課程編成や、指導を円滑に実施するための環境という軸で御意見を整理してございます。
次に、4ページ目でございます。学校だけではなくて、外部のリソースもお力添えをいただくということで、外部機関の連携というところで、外部機関と学校の連携方策、あるいは、外部機関による学びの場という形でいただいた御意見を整理してみております。
最後、5ページ目でございます。今後の議論において留意すべきこと。これも多様に御意見頂戴してございますけれども、例えば、1つ目の丸にございますように、既存の取組の成果と課題を整理する、あるいは、義務教育と高等学校段階について少し分けて考えていくべきじゃないかという御意見も頂戴したと思います。
また、公教育と民間との関わり、子供たちの才能を伸ばしている取組を行う際のリソースということに目配りも非常に重要ではないかと。こういうような御意見を頂戴したところでございます。
冒頭申し上げましたように、あくまで事務局として現状を整理したものでございますので、御意見等先生方からいただいたものを十分に反映できていない、あるいは、ここじゃなくて、こっちのほうの整理のほうがいいんじゃないのという御意見もあろうかと思います。あるいは、前半の議論を受けて、こういうところもしっかり議論していったほうがいいのではないかという話もあろうかと思います。今日、御議論のほうよろしくお願いいたします。
事務局からは以上でございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。
改めてこうやってまとめていただいてみると、いかに私がまとめる能力がないかということがよく分かりまして、一番基本的なところで、何のための議論かというところがまだ、もちろん私が一番分かっていないのかもしれませんが、委員の先生方の中でも共通項はあまりないというふうに感じるところであります。そういうことを含めて、こういう議論を重ねて、それをまとめていく中で見いだしていこうというのもこの振り返りの目的でもありますので、その点よろしくお考えいただきたいなと思います。
細い点は読んでいただいたとおりなんですけれども、幾つかの軸があって、さっきニーズの話をしましたけれども、ニーズについても私はいろいろ思うところがあるんですが、公的な取組と民間という軸もやはり非常に重要で、民間の場合には、恐らく自然発生的に行う。例えばですよ。例えば、日本のこれからの才能教育はインクルーシブ型でやるというふうに文部科学省で決めて、学習指導要領とは言いませんけれども、そういう方針を決めてやったとしても、恐らく、取り出し型の需要があるところには必ずそれに対する供給があって、取り出し型の需要に応えるような実践をするところが出てきます。恐らく民間ですので、それは対価を必要とする。かなりの額の対価を必要とするものだったりするわけです。これがまた日本の教育の部分的な格差というところにつながっていくというような危険性もあって。
考えていくと、何か1つに決めたとしても、そこから先出てくることというのはいろいろ考えなければいけないなというふうに思っているところであります。
今、全然私のコメントはまとめに寄与するものではありませんけれども、皆さんのいろいろな考え方というのが実は現実の捉え方をそのまま反映しているというふうに考えていいのではないかなというふうにここ二、三回で思っていたものですから、そういうことを最初にお話しさせていただきました。
あと、ここにまとめてあるとおりですので、ここについてどんなことでも、私はもうちょっとこういうことを言いたかったんだが、こんなことについてもっと考えていくべきだというようなことがありましたら。それから、ここに書いてあるこういう考え方には賛成だとか反対だとか、そういうことも含めて御自由に議論していただきたいと思います。
どなたからでもよろしくお願いします。挙手をしていただければ。松村委員、お願いします。
【松村委員】 今までの話をまとめてくださってありがとうございます。
この書いている順番になりますが、初めの狭義と広義の才能教育。これはこのまま読めば、よく読めば誤解はないと思うんですが、ざっと読むと誤解を招くこともあるかなと。つまり、狭義というのは、例えば、数学とか領域が限られていて、広義というのはもっといろいろな領域にわたるんだとか、あるいは、狭義というのは人数が少数に限られていて、広義というのは教室でみんながやるんだみたいな、そういうふうに一般の人は思ってしまう。よく読めば分かるんですが、こういうのは大抵自分の先入観に引っ張られるので、そういうところがありそうです。
私が才能教育を狭義と広義に分けました。全然自分の手柄を言うわけではないんですが、日本のこれからの才能教育を考えていくときに、この区別はぜひ大事だと思って分けたんです。つまり、狭義というのは、何らかの才能プログラムを行うときに、個人の才能特性を何らかの一定の識別手段で識別した上でプログラムを行う。これが狭義です。いっぽう初めに才能の識別を行わないで、とにかくみんなで一緒にやりましょうというのが広義です。だから、人数が限られているとしても、何らかの才能の選考基準で人数を絞れば狭義になりますし、先着順とか抽選でやれば広義になるわけです。だから、ここのところが誤解されないように願いたいです。
この区別はどういう意味があるかというと、狭義でやりますというときに、その先、トップレベルの人材育成を目指すときには、どうしても狭義になる。何らかのプログラムはそれにつながるようなものを意図している。そこでそういう才能を識別して、選別、選抜をしようとしているのか、あるいは、そうじゃなくて、教室レベルで全ての子の潜在的な興味とかを掘り出して、初めは、この子はこういう才能がありますとは言わないけれども、やりながら、その子が何に興味を新しく示すか、どういう才能を示していくのかということで、とにかくやりましょうというのが広義なわけです。拡充にもなりますし、今日のお話のインクルーシブ教育につながるんだと思います。
これまでの議論では、狭義じゃなくて広義の拡充のほうをまず先に考えていくほうがいいんじゃないかという御意見が多かった。私もその方向に引っ張っているほうですが、委員全体で合意が確認されていないとはいえ、そういう方向で進んでいくのか、どうかは絶対考えないといけません。
つまり、一般のニーズとして、喫緊の要請として、そういう困っている子がいるので、才能がありながら困っている子がいる、その子をどうしてくれるんだという、ここが大事なので、ぜひそちらのほうから考えていっていただきたいということです。
【岩永座長】 ありがとうございました。続きまして、市川委員から手が挙がっているようですが。市川先生、お願いします。
【市川委員】 今日のお話も伺った上で、改めて、ここら辺は我々の合意として入ってくるんじゃないかと思ったことがまずあります。
1つは、国によっては国力を高めるために優れた子供たちを選抜してというような考え方のところもあるんでしょうけれども、恐らく、日本では国のためにというよりは、個人の要望、ニーズに応じてそういう場を与えるべきではないかということになるのではないかというのが1つです。
それから、2つ目は、何か潜在的な能力というのを割と子供が小さいときに何か評価して、そして、この子はきっとこういう資質・能力があるだろうから、それを伸ばすというのは、あまり日本ではなじまないんじゃないか。
また、心理学から言っても、それだけの予測力のあるテストのようなものが開発されているわけでもないと思います。どちらかというと、日本ではむしろ顕在的。実際に、例えば、学校に入ってからこういうことがよくできるとか、こういうことが好きになったとか、顕在的に現れたものによって、その先何らかの場を設けるというのも多分合意事項になるのではないかなという気が今日いたしました。
その上で、どういうふうに議論するかということだと思うんですけれども、個性が伸びるというのは、1つの特効薬で、どういう方策を取れば全てがうまくいくというようなことはきっとないんだろうと思います。ですから、いろいろなことがこれまでも出てきた。それは一体どういうメリットがあって、どういうデメリットがある。そのデメリットはこういうふうに埋めていくこともできるとか、そういういろいろなやり方についての議論を深める必要があるかなと思いました。
例えば、非常に学力が高い子に関しては民間の塾に行くとか、こういうのが1つあるんです。ところが、民間の塾ですと、やはり経済力がないと行けないとか、あるいは、そもそも塾なんてないというような地域もたくさんあります。ですから、それを補うためには、例えば、地域の自治体だとかNPOだとか、いわゆる経済力がなくてもしっかりそういう場があるようなことも充実させていくなんていうのも、それに対する案としてあったわけです。
それから、もう一つ。日本では取り出しでもない、かといって完全なインクルーシブでもないというのは学校で既にやられていますよね。それは、いわゆる習熟度別クラス編成だと思います。かなり勉強ができる子たちはAクラスとか、非常に遅れている子はCクラスとかDクラスとか、そういうようなクラス編成によって、例えば、算数はそれで行くとかいうようなやり方も取られている。ただ、これも一長一短があるわけです。これは教育課程部会のほうでまた別に議論をされていると思いますが。そもそも習熟度別にクラスを編成できるほど学校が大きくないというところもたくさんあります。ですから、習熟度にすればいいというわけでもない。できるところは、それなりに有効かもしれない。
私は、これまで出ていなかったことですけれども、優秀児、才能児とかがなぜ学校で満足できないかということについての1つの要因を簡単にですが言っておきたいと思います。
例えば、有名大学に入ったような非常に優秀な大学生に「小学校の授業ってどうだった」というふうに聞いてみますと、退屈で仕方がなかったという人がたくさんいます。主に私は90年代以降の授業のやり方、日本のスタンダードでもあった授業のやり方にも問題があると思っています。
基本的には、教科書を開ければ出ているようなことを延々と子供たちに自力発見とか協働解決させる。これは先生はもちろんよかれと思ってやっています。これが表現力や思考力をつけるんだと言っていますが、すぐに分かってしまう子、あるいは、塾で習って知っているとかいう子にとっては、小学校の算数の授業とか理科の授業は非常に退屈です。その子たちは学校に対して大きな不満を持っている。公立の学校では自分たちの力は伸びない。そもそも出ても仕方がないというような気持ちを持ってきた。
その子たちは、塾に行ける子は塾に行くし、例えば、中高一貫校に行ける子はそちらに行くというようなことになってしまうんですが、公立の中で授業設計の工夫によって、
かなりできる子もちゃんと満足してくれるような授業を考える必要がある。これは日本の授業設計の問題だろうと思います。これは時代にもよりますが、90年代以降、その傾向がかなり強くなってしまった。
結果的に浮きこぼれというような子供たちが公立学校で大量に生まれるようなことにもなった。そういうことも要因の1つとして考えて、授業設計そのものを学校で見直していくということも、浮いてしまう子供たちをつくらないようにするには必要かと思っています。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。続きまして、秋田先生から手が挙がっておりますが。秋田委員、お願いします。
【秋田委員】 遅れまして申し訳ありません。
今の御議論ですけれども、この報告の中の冒頭に、子供たちの個別最適な学びとwell-beingということを前提にするということの中に、well-beingというのがその子たちのwell-beingであると同時に、社会がそういう多様な子供を受け入れていくという理念を、入れるのがよいと思います。それから、民間もそうですけれども、市川先生が言われたように、公的なところでこの問題を引き受けていくことがこれからの社会全体、それは国力をつけるとかそういう話ではなくて、誰もがその人の持ち味や特別の才能を生かしていけるという視点を提示するものであるというような内容を、本委員会としての共有の考え方理念やビジョンを入れることが重要なのではないかと思います。
子供たちが困っているということと同時に、この報告書の中でぜひ入れていただきたいなと思うのは、教師もどう支援していいか、実は、つまらないと今言われたように、退屈な授業で、先生にとってもそういう子はどう扱っていいか分からないので困っているというような部分があったように思われます。
全ての教師がこうした子供に関する知識を持つと同時に、ただ、研修等は難しいかもしれませんがしかしながら、官民と同時に、例えば、地方の都道府県の教育センターをはじめ、いろいろなところでそうした子供たちの支援について今後考えていくというような方向性も重要なのではないだろうかと考えます。
それが経済的に豊かで保護者が子どもを支援できる御家庭であればいいわけですけれども、それだけではないので、そうした方向によって、より専門家のサポート、それぞれの学校や基礎自治体のところで行う、それだけの体力を各自治体が持てるかというのは難しいかもしれませんが、何らかの公的な受皿と、それから、公がまた民に、保護者やそういう子供たちにも情報のネットワークを提供できるような形にしていくことも重要なところではないかと思います。
あくまでも特定の子供だけではなくて、評価が多面的である、この多面的な評価の在り方ということも、この委員会から新たなに今後学習を考えていく上で、それぞれの長期的に見た資質・能力をそれぞれが生かしていくために重要であるというようなことが基盤にあって、この子供たちのことが議論されるんだというところを私はぜひ報告の中に入れていただけるとよいのではないかと考えております。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。続きまして、先ほど私、谷中の隣のネヅというふうに言ってしまいましたが、ネツ先生でしたね。根津委員、お願いします。
【根津委員】 すいません。濁らないほうで恐縮です。
資料2の2ページのほうなんですけれども、最後から出てくる「学校の教育課程上の取扱いと資料の在り方」のところで意見を少し述べさせていただきます。この2ページから3ページにわたって教育課程の考え方が5つあるんですけれども、4つ目のものが先頭に来ているほうがいいのかなと。教育課程の全体の中で個別最適な学びと協働的な学びのバランスは重要と。その上で、2ページの最後のところにあります、「才能教育は、通常の学級での個別最適な学び」、あとは、ここに協働的な学びもベースになるんだと思うんですけれども、そこに特別支援教育や学校外の活動がというほうが流れとしてはいいかなと感じたのが1つです。
次は、3ページの上から2つ目の丸のところなんですが、「近年この「共通」のハードルが上がっており」というくだりです。「教育には、全ての子供に基礎的な学力を共通に習得させるという側面があるが、近年この「共通」のハードルが上がっており」。この後、具体的な障害が出てくるわけですけれども、必ずしも限定する必要はないだろうなというふうに思います。
ですので、対応しにくい子供がいる。それはまた、「はみ出す」という表現も口語的だなというふうに思うんですけれども、ここは表現を工夫していただいて、困難を覚える子供が増えているですとか、ちょっと表現を工夫していただければと思いました。
以上です。
【岩永座長】 御指摘ありがとうございました。続きまして、大島委員が手を挙げていただいております。
【大島委員】 大島です。よろしくお願いいたします。
まず最初になんですけれども、今までの委員の先生の御指摘とも重なることがあるかとも思いますがけれども、本日、鈴庄さんの説明にありましたように、資料の12になりますが,ですかねこちらの、例えば、国家中心なのか、学習者中心なのかの点です。恐らく、今までの議論ですと、日本は学習者中心でインクルーシブな形、これを今後1つの指針として、方向性として向かっていくのではないのかなとのいうふうな印象を持っております。
先生がおっしゃっているように、何のための議論で、誰なのかというと、これは学習者中心なのかというふうに思っていますので、その点はこのところは皆様のある程度の共通認識があるかとは思いますがけれども、一度少し整理をして、現状の今の議論の立ち位置についてもが、今日御説明があったこの4章の中での議論がいいのかどうかは別としても、少し整理していいただくと、議論の方向性がより確実になってくるんじゃないかなというふうに思います。
ここで言っている才能の見いだし方。これは今後のGIGAスクール構想なども含めて、いろいろな形で個別最適化の議論が、例えば、教育課程部会でも出てきていますので、そういうところを含めて、学習者1人1人がどのような学びを行っており修学 であり、それに対してこが今の学校の授業で何が足りないかというのが少しずつ見えてくるようなところもあるのかなというふうに思いますので、そこを含めて、才能の対象の見いだし方というのは、今までテストであったりとか、先生であったりしたのが、もう少し別の観点で出てくることも可能になってきているのではないかなというふうに思っていますので、教育課程部会こちらともの連携も議論ができるといいのかなというふうに思っています。
実際に、今の公的な学校に関わらず,で、公的というか、学校の現場で得られない、さらに発展していきたいという児童・生徒がいらっしゃったときに、前回、外部のいろいろ機関との連携ということで、そのようなういう外部との機関との連携を進めるということも含めて、多分、日本が持っているリソースというんですかね,。教員を含めて、そういう外部機関を含めてあまたと、やはり財源ですよね。それも含めて、どのように才能教育も含めてアロケーションしていくかということは結構議論の大事なところかなというふうにも思っています.ので、なかなか難しい議論ではございますけれども、才能のある方を発掘して教育するということは、ある程度リソースの再分配というのは結構大事な観点なのかなと思っていますので、それもうまくこの議論の中に入ってくるといいかなと思っています。
もう一つ、ちょっと私自身があまりよく分からないのは、発達段階においての時間軸です。これをどうするのかというのが、例えば、割と、シンガポールでだったりとかは、幼少期も含めた幼いときの教育が行われていますがですけれども、本日の議論は比較的高校が中心なのかなと思いました.ったりとかしていて、そこの発達段階に応じてそれをどのように判断していくかというのは結構難しいことなのかなと思います。そこの議論は今後どうしていかれるのかなというのが個人的には疑問としてあります少しクエスチョンとしてあります。
私からは以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。
先ほど、鈴庄さんのお示しいただいたスライド12の「目的・取組別に見た各国の才能教育の位置」というのがありましたけれども、御指摘としては、全体的傾向として、左上から右下へというお話があったと思いますが、注意して我々が考えなければいけないのは、政策としての才能教育と、社会的現実としての才能教育というのがありまして、政策としてはどういう方向性という意味で言えば、恐らく、左上から右下へ流れているんだと思うんです。
ただ、さっき私もちょっとフライング気味に言いましたけれども、自然発生的な民間のものまで全部含めると、それが全体として社会的現実なんですけれども、社会的現実としてはどうなのかなということもやはり考えていて、それは公的なところじゃないから、私たちは知らないよというスタンスでいいのかどうかというのは議論すべきところかなというふうに思いました。
次、藤田委員からお手が挙がっておりまして。
【藤田委員】 ありがとうございます。
今まで皆様方のお話をお伺いしてきて、今日、今村委員なども強調されたところですが、何のための議論かということはコンセンサスをどこかの段階でつくるということが重要なのではないかと思います。今回、「特定分野に特異な才能のある」という言葉を使った委員会、有識者会議なので、この「特定分野に特異な才能のある」という言葉に基づく会議として、何を打ち出していくのかということはやはり重要だなというふうに考えました。
例えば、今日、鈴庄さんがお作りになった資料に、たまたま、私たちのこの会の発足以前に情報発信されていた文部科学省からの言葉としてアドバンスト・プレイスメントであったり、飛び入学であったり、いわゆる速習型のそういったエリート教育的な情報発信もかつて先行していた。それを踏まえて、その後、発隊である私たちは何を求めようとしているのかということをきちんと議論すべきかなということを感じたというのが1点目でございます。
それから、市川先生のお話を伺いして、授業設計、まさにそのとおりだと思ったんですけれども、同時に、先生も御指摘であるとおり、小規模校であったりとか、授業設計を行うにもリソースが足りない学校というのがあるかと思います。そういったときに、NPOであったり、あるいは、GIGAスクール構想の中で十分ハードウエアの観点からは水準を満たしてきつつあるオンライン学習であったりとか、そういったものをどのように配分していくのかという議論もこれから必要になってくるだろう。そのときにどうしても避けられないのが公と民とのバランスだなというふうに先ほど秋田先生のお話を伺いしながら思いました。これが2点目でございます。
3点目、最後でございますけれども、先ほど大島先生なども御指摘でしたが、この特定分野に特異な才能のある子供たちをどう気づいていくのか、どう発掘していくのかということについては、やはり保護者や家庭環境とリンケージは非常に強くて、そういう子供たちのしんどさであったりとか、あるいは、輝きであったりとか、そういったものを気づける家庭、あるいは、その気づいたその価値や本質に判断が至る家庭とそうでない家庭があるだろう。
そういったときに、私たちがどういったシステムや仕組みをつくって、子供たちのしんどさを感じ、あるいは、輝きを感じていくのかということも改めて必要なんだろうなと思います。
今日も鈴庄さんのお話の中にもありましたし、ほっておいても感じられない、こういったものだろうというふうに初めから諦めてしまう、あるいは、感覚を研ぎ澄まさずにいてしまう、そういった子供たちや家庭もあるということを私たちはもう一度議論すべきかなということを改めて感じた次第です。
以上3点です。以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。今村委員からお手が挙がっているようですが。
【今村委員】 ありがとうございます。
私も今藤田先生がおっしゃっていたことと先ほどの議論とつながっているなと思っているんですけれども、この委員会はわざわざ「特定分野に特異な才能のある」というところの日本で初めての前提をセッティングされた場です。今、生きづらさを感じている、特にTwice-Exceptionalの状況の方などの中で、リソースを御家庭でかけられないような御家庭の子たちがとにかく今苦労しているという大前提に立ったときに、しっかり質をそろえていきましょう、どこか欠陥を埋めましょうという議論じゃなくて、ちゃんとそれぞれの個に応じた学びを、国策として機会をつくっていくというところに照準を置いた政策を出口にしていくことを目指したほうが私はいいと思っています。
どうしても、とにかく質をそろえるにはどうしたらいいかという議論がずっと動いてきたと思っています。それは日本の国力になっているし、私たちの生きやすさに、私のような凡人にとっては非常に生きやすい社会になっているんですけれども、でも、凸凹がある側の人たちの能力を本当に潰してきているということをどこかできちんと踏まえなきゃいけない。
だから、とにかく、何がギフテッドかということの定義をする場ではもちろんないと思っているんですけれども、ちゃんとその子に応じた学びを、秀でた能力がある子にもきちっと届けることにフォーカスをしていくということを私は勇気をもってすべきかなと。ただ、それはいろいろなこの国の特性、同調圧力のあるこの国の特性で嫉妬を買う論だと思いますし、すごくメディアにもたたかれる論になりやすいとは思います。でも、そこからは逃げてはいけないと思っているというのが基本的に考えているところです。
もう一つ、これはこの資料に書くことじゃないかもしれないんですけれども、今、特異な才能を持っている子どころか、コロナで学校を休んでいる子にすら対応できていない日本の状況があると思っています。1人1台パソコンを配り、9割の自治体がICTを利用した授業が可能だと回答しているとどこかのアンケートにも書いてあったんですけれども、でも、中には漢字の暗記をパソコンを使ってやりましたみたいな学校もあります。個別最適化された学びということではなくて、ドリル学習の代わりに使いましたというレベルのところもすごく多い中で、その子の個別最適化された探究的な学びをどう支援していくのか。学齢期を越えていくことも含めて、どうやっていくのかというところは、才能のある子、困難がある子以外にも全ての子に必要な練習だと思うので、学力の練習が、今、進んでいないということもきちんと踏まえなきゃいけないなと思っております。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。
昔のことをちょっと思い出したんですけれども、小学校のときにすごく賢い友人がいて、当時の一斉授業の中では多分彼は――男の子ですけれども、彼は非常に退屈していたんじゃないかなと今になってみると思いますが。ただ、そのときは彼は簡単に授業が分かってしまって、宿題も簡単に終わるので、毎日が楽しくて楽しくてしようがないという。宿題とか勉強に回す時間を友達と遊ぶほうにどんどん振り向けられるというパーソナリティーを持っている友達でしたけれども、そうなったときに、根拠として、そういう子供が学級の中で不満だとか、退屈だとか、困っているという根拠はなかなか出しにくいかな。そうすると、もう一つの観点として、才能のwastageというものが出てきて、そうなるとまた、個別最適とか個人の望みというのから離れてきてしまって、社会としてその才能を無駄にしているのではないかという話も入ってきてしまうんですね。
だから、困っているとか不満とか退屈だけに議論を限定してしまうと、随分漏れてくるものもあるんじゃないかなとふと昔のことを思い出しました。すいません。感想です。
福本委員から手が挙がっています。
【福本委員】 ありがとうございます。
私も、具体的なところというよりは、この議論がなぜあるべきなのかというところに関連したことなんですけれども、多くの学校からはみ出てきた子供たちに会う中で、様々な状態、様々な環境、様々な特性を持っている子供たちに何が正しいか、何が適切かはすごく定義がしづらいものと思っているんです。
そもそも才能とはこういうものであるという、その才能に合わないか合うかという選考自体がかなり難しいような状況の中で、むしろこの議会自体の位置づけは、才能って何なんだろうということを再定義していく、そこの才能の定義をどれだけ拡張できるのかということをまず前提としてやらないといけないのかなというふうに思ったのと、もう一つは、学習者である前に、1人の幸福な人間としてどういうふうに生きていけるのか。その中で、幸福になるために何を学んで、何を選んでいきたいのかというところの選択が自由意志等を含めてあると思うんです。なので、才能の再定義と幸福であるということはどういうことなのかということを学校教育の学校ということに限定せずに見ていく必要があるのかなと思うんです。
そうすると、非常に議論が拡散していきまして、カオスになっていく、収束しないということも起こり得るかと思うんですけれども、そこの拡散する部分ということを限定的にせずに、議論を根底のところから掘り起こしていかないと、今回のせっかく一歩踏み出す、才能教育というところに手を出していく意義がなくなってくるのかなというふうに思いました。
そのときに、大島先生もおっしゃっていたように、人生の部分、人生の時間軸がどういうふうに定義されているのかというところが少し見えないというお話もあったんですけれども、学校の中で取り出していくのか、インクルーシブで行くのか、あとは、教え方はどうするのかということだけではなく、恐らく、保護者の方は生まれてきて育てていく中で困り感を既に感じていらっしゃる方なんかもいらっしゃって、福祉領域、医療領域で、既に困り感とかをきちんとニーズ把握するようなこともできている環境があると思っています。
なので、医療連携、福祉連携というところと教育がどういうふうに融合していくのかという、その融合点を探っていくということも非常に重要だと思いますし、逆に、学校を卒業して会社に就職した後に、ずっと過適応してきたことが顕在化して鬱になってしまう人とか、ミスマッチが起こってしまって精神病にかかる方、不適応を起こされる方もかなりの数いるということを考えると、経済界の中でどういうふうに自己実現を果たしていくのかという、そこの部分からの逆算的な学びの環境設計を考えていくということも必要なのかなと思いました。
なので、福祉、医療、それから経済のところの連携をどういうふうに図りながら、学校教育、学校教育というよりは学齢期の子供たちにどのような環境を提供すべきなのかということを包括的に議論できるといいんじゃないかなと思いました。
そのときに、非常に多分野の連携が必要になってくるときに、まさにGIGA構想とかのデータをどういうふうに移管しながら情報連携を進めていくのかというところも、これからデジタル庁をはじめきっと動いてくるところなのかなと思いますので、その辺りの横串を刺しながら議論ができていくと非常にいいのではないかなというふうに思いました。
以上、簡単ですけれども、意見を述べさせていただきました。ありがとうございます。
【岩永座長】 ありがとうございました。
それでは、もうお一方ぐらい、いかがでしょうか。委員の方々の意見を聞いてさらにこんなことを思っているとか、こんなことなんじゃないかという意見があったら、お願いいたします。
ブレーンストーミング的な時間ですので、全てが収れんするわけではないと思いますが、いろいろな意見を言っていただければ、報告書にそれだけ幅広に反映できるかなというふうに思っております。あるいは、振り返って、今日の鈴庄さんの発表に対しての御意見でも全然構いません。松村委員、お願いします。
【松村委員】 松村です。
さっきの定義と、それから今の「特定分野に特異な才能」の部分をどうするかということで、報告書の最初のところ、定義にも絡みますけれども、この有識者会議ではそういう「特定分野に特異な才能」というのはこういうふうに解釈しましたということがまず最初に要るのではないかと思いますが、この「特定分野に特異な才能」、私は初回で発表もしましたが、さっき今村先生が良いことをおっしゃったと思ったんです。子供たちの才能というときに、何でも満遍なく伸ばしましょうというんじゃなくて、子供の才能というのは特定分野にあるので、その子それぞれの分野を伸ばせばいいというようなことをおっしゃったと思います。
そもそも才能というのは領域固有なので、特定分野に特異でない才能というのはないので、中教審答申の用語を受けて、ではこれを議論しますということで、こういう用語に、タイトルに上がっていますけれども、これはそれぞれ1人1人の子供の才能というか、「いいところ」というか、それぞれの子供が伸ばせるものというふうに捉えたらいいわけで、とりわけ教室の中で個別最適な学びとして伸ばせるものは伸ばす、そう捉えても問題ないかと思います。
ですけれども、くどいですが、トップレベルの特異な才能という意味に限定して使うのではないんですよということは入れておいたらいいかと思います。議論としては、確かにそちらのほうも要ると思います。日本の国としても大事なので、CSTIでも議論されているわけです。例えばSSHをどうやっていくかというようなところでも、そういう文脈で考えていく、そういうSTEMあるいはSTEAMの本当に1つ飛び抜けた才能をどうやって見つけて伸ばしたらいいかということを考えておられるので、そちらはそれでいいですけれども、この有識者会議としては、またそれとは別というか、喫緊の課題、子供たちが一番困っていること、教室で困っていること、先生たちも困っている、あるいは、学校にはいられなくなって不登校になってしまったような子供たちがどう困っているか、そちらのほうから考えていきましょうと。そのために、特定分野に特異な才能があるというのはこういうふうに解釈しますよというのを先に定義と絡めて言えたらいいかと思います。
【岩永座長】 ありがとうございました。
皆さんの御意見を伺っているうちにふと思ったんですけれども、例えば、現実にこうなんだとか、こういう要求があるんだ、こういうニーズがあるんだという話は、調査をすればある程度分かることですし、それから、もう既にそういう意味で情報が集まっているものとして、先ほど鈴庄さんのほうからも紹介がありましたけれども、平成30年度に「社会の持続的な発展を牽引する力の育成に関する調査研究」の報告書が出ているわけで、こういったものは現実に基づいて展開しているわけです。
ただ、この有識者会議は何をするかということを改めて考えてみると、現実にこうなっていますよということを社会に対して伝えるのではなくて、もちろん重要なことではあるんですけれども、提言していかなければいけないんじゃないか。こういうような問題に対して、こういう道筋が公教育だったらあり得る、それを目指すべきだというような、言葉は皆さんと議論の中でまたもまなければいけないと思うんですけれども、やはり提言をしないといけないんじゃないかという気はしておりまして、今こうなんですよということまとめて言ったとしても、それは屋上屋の話になるというだけだと思っています。
そういう意味では、かなり踏み込んだ議論も必要だというふうに考えておりまして、時間も限られている中でどうなんだろうなというのもちょっと不安に思っているところですけれども、ぜひ、提言まで行くんだという高い志を共有して、これから先の議論に、ヒアリングも含めて、議論に臨んでいきたい、臨んでいただきたいなというふうに思っているところです。
ちょうど指示されました時間が来てしまいましたので、まだまだいろいろあるかもしれませんが、今日の資料ももう一度じっくりお話を聞いた上で見ていただいて、さらにそれに対する考え方というものも整理しておいていただくと、これから先の議論には常に有効ではないかなというふうに思います。
ということで、時間も参りましたので、本日の議事は以上とさせていただきますが、最後に、次回の予定について、事務局からお話をいただきたいと思います。川口さん、お願いいたします。
【川口学校教育官】 次回、会議第4回につきましては、11月1日月曜日、14時から16時で行うことを予定しております。
以上です。
【岩永座長】 ありがとうございました。 
それでは、本日予定していた議事は全て終了いたしましたので、これで閉会としたいと思います。委員の皆さん、ありがとうございました。御退出ください。

── 了 ──