多様な背景を持つ児童生徒への生徒指導に関するワーキンググループ(第1回) 議事要旨

1.日時

令和3年9月16日(木曜日)10時00分~12時00分

2.場所

Web開催(Webex)

3.議題

  1. 多様な背景を持つ児童生徒への生徒指導に関するワーキンググループの進め方について
  2. 生徒指導上の課題(発達障害)に関するヒアリングについて
  3. 生徒指導上の課題(健康問題・精神疾患等)に関するヒアリングについて
  4. その他

4.出席者

委員

浅野委員,奥村委員,野田主査,藤田委員,八並委員


ヒアリング協力者

岡田委員,笹森委員
 

オブザーバー

小野オブザーバー,滝オブザーバー,宮古オブザーバー  
 

文部科学省

江口児童生徒課長,鈴木生徒指導室長
 

5.議事要旨

【事務局】 定刻になったので第1回多様な背景を持つ児童生徒への生徒指導に関するワーキンググループを開催する。
会議の進行に当たり、事務局より、本ワーキンググループに御参加いただく委員の先生方を紹介させていただく。
親会議の座長とも相談し、本ワーキンググループの趣旨を踏まえながら、児童生徒の健康問題、それから発達障害、家庭的背景等に関する有識者の先生方を中心に、10名、親会議のメンバーからお願いさせていただいた。
また、オブザーバーとして、本会議から引き続き3名の先生方に御参画いただいた。
続いて、本ワーキンググループの主査については、立命館大学の野田先生にお願いしたいと思うが、御異議ないか。
(「異議なし」の声あり)
【事務局】 本ワーキンググループの主査を野田先生にお願いする。また、会議の配付資料・議事要旨の扱いについては、親会議と同様とし、特段の事情がない限り、会議は原則公開とし、また資料及び議事要旨については、文部科学省ホームページにおいて公開することとしたいが、御異議ないか。
(「異議なし」の声あり)
【事務局】 御異議なしということで感謝する。それでは、初回会議の開催に当たり、事務局の児童生徒課長より、御挨拶を申し上げる。
【事務局】 これまで生徒指導提要の改訂に関する協力者会議では、改訂の基本的な方向性や目次構成案などについて御議論いただいており、感謝を申し上げる。
これまで、親会議において御議論いただいてきたところだが、本ワーキンググループの設置趣旨にもあるように、いじめや不登校等の生徒指導上の課題については、学校的背景のほかに、児童生徒が抱える障害や健康問題といった個人的な背景、家庭的背景等の子供たちの置かれている環境の影響が指摘されており、このことは、今年1月の中教審の答申等でも示されてきたところ。
このような状況を踏まえ、こうした多様な背景を持つ児童生徒への生活指導に当たって留意すべき事項等については、より集中的な検討が必要であることから、本ワーキンググループが設けられたと承知している。
生徒指導提要が、より学校の先生や教育委員会の方々に、内容、構成とともに使いやすく、また現場において実践していただけるようなものとなるよう、委員の皆様におかれては、忌憚のない御意見を賜れればと思う。
【事務局】 続いて、野田主査より御挨拶をいただきたい。
【主査】 前回の生徒指導提要、それまでの生徒指導の手引と言われていたものからボリュームもアップし、手応えのあるものに変わった。今回の改訂も、また一段と未来志向のような、立体的なものになると楽しみにしている。その一方で、本ワーキンググループで議論することとなった多様な困難というのは、本当に筆舌に尽くせないような困難さだろうと思う。
しかもその困難というものは、横並びということではなくて、縦横に入れ込んでいる。いじめの背景に発達の課題や虐待の問題や子供の貧困等が絡み合っている。この部分をどう分かりやすく表記するかについては、親会議での議論をお願いするしかないが、今日的かつ特に先端で非常に変化している部分もあるので、このワーキングに課せられたことも大きい。それぞれのこの会の公開の趣旨に反さない範囲で、特に専門的に詰めなければいけないところは、それぞれ委員に御相談申し上げるようなことも出てくると思う。
それでは、まず初めに、事務局からアウトラインの御説明をお願いしたいと思う。
【事務局】 事務局から、この会議の背景等について説明させていただく。
本ワーキンググループにおいては、この多様な背景を持つ児童生徒への生徒指導というところの章立ての原稿の骨子をつくっていただくというところが、最終的な作業領域になる。
本ワーキンググループ設置の背景だが、今の生徒指導上の課題は、例えばいじめの重大事態や不登校の増加、また自殺の増加の背景には、学校だけで生じるものに限られない。場合によっては、家庭や環境等、生徒個人の抱える問題に、学校における事案だけでない、健康面や障害、家庭的背景がまさに影響しているということが言われている。学校の問題であれば、学校ですぐに課題解決という導きができるのかもしれないが、このような多様な背景については、学校としても対応に時間がかかる、あるいは、つまずきがあるというような場面も少なくない。このような背景を踏まえ、今回生徒指導提要には特に章立てし、ピックアップしていただきたいと考えている。
生徒指導上の課題の一因としてあるのは、児童生徒の多様な背景である。そこには発達障害、健康問題、家庭的背景等が考えられるが、場合によれば個人的に抱えるような問題の緩和について、学校がどう対処、対応できるか、またスムーズな連携等ができるかについて、本ワーキンググループで検討いただきたいと思う。
生徒指導提要の改訂に関する協力者会議の目次構成案でも提示した、第2部共通の各課題の4項目「関係法規・基本方針」、「組織体制」、「計画、未然防止・早期発見・対応」、「関係機関との連携」を基本にしつつ、提要改定に盛り込む事項を中心に、ヒアリング及びディスカッションで検討、整理を行っていただきたいと思う。
ワーキングの進め方については、親会議と同じような形で、専門の先生方にヒアリングをお願いしたい。話題を提供いただくとともに、ある程度の共通理解を形成することを目的としてヒアリングさせていただき、また、それを基にディスカッションしていただきたいと考えている。さらに、新設項目として盛り込む内容を整理いただき、改訂会議のほうに報告していただくということを考えている。
スケジュールについて。本日、9月16日が第1回となるが、笹森委員から発達障害の事柄について、また、健康問題や精神疾患について、岡田委員からヒアリングを行う。また、第2回は大体10月の上旬を予定している。第2回では家庭背景を議論したいと思っており、第3回では、ある程度その骨組み等を作成したいと考えている。第4回は予備日で設けているが、およそ3回で議論をさせていただければと思う。
【主査】 本ワーキンググループの設置の趣旨並びに具体的な日程について事務局から説明いただいたが、委員の方々から、ワーキンググループの狙いや今後の動きに関して御質問があれば、御発言いただきたい。
それでは次第のとおりに、笹森委員、岡田委員から御報告をいただき、その後、御質問いただきたい。また、本ワーキンググループは、発達、それから健康とか精神疾患、それから家庭家族の問題と、大きく3本柱になっているが、これに関わって、委員の方々の御意見をいただければと思う。
【笹森委員】 発達障害についてのヒアリングということでお話をさせていただく。生徒指導の提要の内容を考えたときに、基本的には、まず発達障害の特性の理解があって、そして付随する二次的な問題が、大きな課題になると考え、そこに焦点を絞って、話をさせていただきたいと思う。
自閉症スペクトラムとADHDのことと、それから学習障害、LDのことを中心にお話をしていきたいと思う。
新たに診断基準が、診断マニュアルである、DSM-5、これからWHOのICD-11おいても、神経達障害群ということで、発達障害が広く概念化されている。この資料に挙がっている疾患名、病名が発達障害ということになる。
図を見ると、ADHD、LD、そしてASDは自閉症スペクトラムとお考えいただければと思うが、中枢神経系の機能障害、機能不全と言われているので、発達障害の特性自体は生涯にわたる。症状としては、それぞれADHD、LD、ASDは違った背景があり、症状が重なる方もいる。発達段階において、例えば行動面で課題があれば、ADHDは早くスクリーニングされ、また、自閉症スペクトラムも特徴的であれば、早くからスクリーニングできるけれども、LD等については読み書きとか学習の課題になるため、多少発見に差が見られる。
発達障害については、障害というラベルはついているが、ある意味で特性のある人たちで、脳機能の問題もあるが、心の問題のケアが必要な子供たちと考えられている。また、スペクトラムな状態像が様々であり、障害として気づかれにくい面もある。
一般的には、それぞれライフステージの中で求められるものが、小学校、中学校、高等学校、大学等、また成人になってからと、子供たちの発達段階、そのコミュニティあるいは社会の中で変わる。発達障害の方の中にも、顕在化する課題が、成長段階で様々に変わってくる方たちがたくさんいると考えられる。
これは、文部科学省の特別支援教育課の、通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査である。2012年には、学習面や行動面に著しい困難を示す児童生徒が通常の学級に6.5%いる可能性があるという調査結果が報告された。青枠がLD、学習で著しい困難を示す子供たちの割合。緑枠はADHD、不注意、多動・衝動性の問題を著しく示す子供たちの割合。オレンジの枠が自閉症の可能性のある子供たちの割合である。この図にもあるように、それぞれ特徴として重ね合わせている子供たちもたくさんいる。
この調査によれば、他の障害種に比べて、障害のある子供の割合としては、とても多いことが分かる。この調査結果を基に、必ずしも診断がつく子供とイコールではなく、あくまで教員のチェックによるものだが、30人、40人のクラスであれば、1人、2人は必ず在籍している可能性があると考えられる。
もう一つ考えなければならなのが、中学3年生のときに、調査の中で発達障害の可能性があると判断された子供たちが、高校に進学するに当たり、どのような進路を選択しているかという話である。結論から言うと、様々な学科、課程がある中で、発達障害の人たちは、全ての課程、学科に進学していると言える。
大学、短大等の高等教育への進学率も、障害のある方たちは極めて高い割合で増えている。令和2年度は7,654人、大学、短大、高等専修学校も含めて、高等教育へ発達障害の方が進学されている。見方を変えると、高等学校の進路指導等についても、障害のある人たちにどのような合理的配慮がなされているのか、入学後の配慮、支援がどの程度整備されているのかということも含めて、これから考える時代になってきている。
ここからは各発達障害の特性について、押さえておきたいことをお話しする。
自閉症スペクトラムをもつ方たちは、他者との社会的な関係、対人関係やコミュニケーションの問題等に興味や関心の幅が狭く、ある意味では、こだわりをお持ちになっていて、それが不安につながってしまうという特性のある人たちである。
自閉症スペクトラムの方たちの特性を考えた上で、どのような配慮、支援が求められるか。まず、見通しが持てないと不安が高まること。他人の感情や事の重大性というのは、場面状況の把握というところにも気づきにくいところがある。結果、自分のペースで、マイペースで行動することが多くなると、わがままで自分勝手というような受け取られ方をされることがある。その結果、いじめやからかいの対象にもなりやすいため、不安の状況の軽減や、適切な社会的行動を習得するための支援、あるいは、そもそも様々な場面でコミュニケーションが円滑に取れるような支援がいつも必要になる。なお、場面をきちっと整理することで生活しやすいというような支援も行われている。
次にADHDについて。ADHDは、年齢あるいは発達に不釣合いな注意と衝動と多動性といった特徴がある障害である。社会的な活動や学校生活で著しい困難を示すという状態になると、診断の対象になる。誰でもこういった特徴は少なからずあるが、やはり社会生活で著しい困難が生じている場合にはADHDが考えられる。
ADHDの人たちの特性を考えたうえで、それに応じた支援が必要になる。ADHDは行動上の課題が多いため、不注意や多動、衝動で早合点してしまう等の失敗経験が増える。また、友達との円滑な関係を保つことに課題が生じ、約束が守れない場面が増えることもある。
また、周りから注意や叱責を受けることで、自己評価が下がってしまうことが課題になるため、注意力や多動・衝動性をコントロールする力を伸ばすことが必要だが、可能な限りそのようなトラブルが起きにくい環境を調整することが必要である。さらに、状態を改善するための薬を使っていくことで、精神的な安定を得た状態で教育心理上の関わりをしていくことが大事である。
したがって、ADHDの場合は、子育て中における保護者支援のウエートは大きく、生活環境の中で本人にとって過ごしやすい環境の改善を図っていくということも大事である。
最後は学習障害(LD)である。これは教育的定義と医学的な診断基準に多少ずれがある。教育的定義としては、全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、または推論する能力のうち、特定のものの習得と使用に著しい困難を示し、学習につまずきが生じやすいということをさす。
医学的診断面としては、特異的発達障害とか限局性学習障害、Disorderとしてもちろん整理されるけれども、教育用語としては、Disabilitiesという表現もよく使うことがある。LDの主な状態像を見ると、読むこと、書くこと、それから計算や文章題、推論、算数の障害の部分が例としてあげられる。
LDの子供たちは、全てができないというよりも、ある特定の能力に困難さを抱えている子供たちが多く、できること、できないことのギャップが大きい。できることがあるため、できないことについても、例えば努力不足ややる気の問題が大きいのではないかと、無理強いをされてしまうこともある。
本人にとって苦手なことへの感度はますます高くなり、自信と意欲を失っていくことも多くなる。学習面だけではなく、生活面にも苦手意識が出てくる。そのため、支援としては、本人が得意なことや苦手なことを、認知特性のレベルで把握することが大事であり、本人の意欲に対して、丁寧に関わっていかなければならないため、本人のよさを認めていくことがとても大事になる。そもそも学習ドリルを進めても、認知機能につまずきがある人たちは、やはり認知機能というレベルから考えていく必要があるため、教科学習だけを練習すればできるようになるというものではない。
最後に、二次的な障害という視点から、まとめていく。
発達障害の人たちは、学習や対人・コミュニケーション、行動や気持ちのコントロールに課題があるので、学校の集団生活はストレスが大きい。氷山モデルにおいて、見えている部分での対策や対応を考えるのではなくて、その背景にある見えない部分も含めて、子供たちの状況を考える視点が大事である。
適応の困難さについては、そもそも環境と個人の状況のミスマッチということで困難が生じているから、発達障害であれば発達障害の個人の特性に合わせた環境の調整と、環境の中で個人の力量を高めていくという視点の両面が大事となる。
二次的な障害について整理した。本来の発達障害の特性が直接の原因ではなくて、特性により本人が抱えている困難さや不安を周りが理解できずに、適切な指導や必要な支援が行われないと、様々な二次的な問題が生じてしまう。表に出る形の外在化部分と内在化の症状が出てくる。
二次的な問題としては、行動上、あるいは身体的、心理的な様々な課題が生じるリスクがある。ことで、いじめが発生し、あるいはからかいが起こることになる。このようなことがきっかけとなり、二次的な問題はさらに二次障害として、うつ病や不安障害などの様々な病態症状になっていく可能性もある。
障害特性による不適応の状態が生じたときに、それを問題行動であると捉えて、これは改善・修正すべきであるという意識や、放っておいてもよくなるだろうと放置されている状況だと、注意や叱責、無理強い、場合によっては、何でできないのかというからかいやいじめが生じ、本人は不安等を抱えてしまう。課題は未解決のまま、自己評価や自己肯定感が下がった状態で、適応困難な状態になる。このような負のスパイラルが起きることも十分考えられる。
発達障害の方は、生物学的に何らかの特性をもともと有しているが、社会学的な環境要因によっても、心の問題に大きく影響するということである。そのため、生物学的な要因をまず押さえつつ、この社会学的要因と心理学的要因の部分が、生徒指導に大きく関与すると考えている。
多層指導・支援モデルは特別支援教育の分野でも取り上げられ始めている。ピラミッドの一番下にあたる学級全体のクラスワイドな支援から始め、ある程度そこでスクリーニングされた子供たちへの丁寧な指導があり、さらに個別的な指導、支援へと向かっていく。
特別支援教育とか発達障害の指導、支援についても、実は個別のところから始まったところがある。個別の指導や支援の難しさは、学級全体での指導や支援の難しさが背景としてあり、並行して取り組むべきことである。
思春期にはこのような課題が発達障害の人たちは顕著に表れ、適応困難な状態になっていく可能性が高くなる。例えば幼少期からの失敗経験や叱責体験で自己評価が低い、自己効力感を持ちにくいことがある。また、周りとの違和感、疎外感を感じていても、自分で対応策を見つけにくいこともある。生まれつきそういう特性をもって成長しているので、生活環境から様々な課題が生じているかもしれないという視点が大事である。
発達障害と生徒指導においては、本人は頑張りたいという気持ちがあっても、どう頑張ればいいか分からないだけで、発達障害の特性そのものが問題行動の原因ではないということであり、一人だけ特別扱いをし、周りが我慢するということで何も支援が行われない状態はかえって混乱させてしまいかねない。一人一人の丁寧な対応は、集団を高めていくものであり、生徒指導の視点の中に、特別支援教育の視点から子供たちを見るということも、生徒指導の充実につながっていくと思う。
また、自尊感情、自己評価はとても重要である。状況に結果的にはそぐわない行動を注意や叱責でその自覚を促すことは難しく、本人の特性に合わせることを前提として考えるべきである。さらに、目の前で起きている行動だけを注目せず、きっかけや前後関係の分析が大事となる。
やっては駄目である等、そのような側面ばかりに意識を向けさせていくと、本人の自己評価とか自尊感情に揺らぎをもたらしてしまうので、意識を適切な行動に向けられるよう、状況を理解するための対応を丁寧に進める必要がある。
最後に、国研の生徒指導・進路指導研究センターの先生方に協力をお願いして、「生徒指導リーフ」について、3つほど発達障害に関連した内容で作らせていただいた。提要の中で、例えば参考資料みたいな形でリンクに飛べるような形でもよいと思う。
【主査】 リーフが出てから大分時期もたっており、この間に基準や要望が整理され、あるいは変化していると思う。国研のほうでも見直していただき、うまくリンクができるといいと思う。
今の笹森委員の御報告に関して、御質問等あれば御発言いただきたい。
【委員】 3点ほどお伺いしたい。スライドの28ページに、BPSモデルが示されているが、平成19年から特別支援教育に関しては、通常学級の中における発達障害の子供たちを含めた学校教育であり、一番大事な点はアセスメントと思う。
子供たちを教員がどのぐらい多角的、あるいは複眼的に見るかがポイントであるので、アセスメントに関しては、既に以前から教育相談でも取り組んでおり、平成19年の特別支援教育が始まる前から極めて精緻にはなされていた。ただし、現行の提要では、このアセスメントに関しては、例えばコラムで説明し、あるいはチーム支援や不登校のところで、少ししか触れられていない。
どういった枠組みで子供を見るかというアセスメントが出発点である。平成30年に、東京都教育委員会が、「児童・生徒を支援するためのガイドブック~不登校への適切な支援に向けて~」という教員向けのガイドブックを出したときに、BPSモデルを使って、アセスメントするという内容が詳細に出ている。このようなアセスメントの方法をBPSモデル等示しつつ、複眼的、多面的に子供たちを見ることが大切であるという提示が必要ではないかと思う。
また、生徒指導に特別支援教育の視点を入れるというよりも、むしろ今は生徒指導と特別支援が同時に展開していくものである。この点、2つ目としては、特別支援教育コーディネーターをどのような基準で指名するかという特別支援教育コーディネーターの専門性についてである。特に特別支援に関する知識、スキル、対応の仕方、それからコーディネート力を考えなければならない。生徒指導主事と特別支援教育コーディネーターは、学校の生徒指導、特別支援の中で、ペアで動いていかなければならない。特別支援コーディネーターをどのように指名して、専門性や実践性を担保するか、調査があれば教えていただきたい。
3つ目は、発達障害に関する認識について。教員と保護者で認識が異なった場合どうするか。発達障害の認識が教員と保護者がずれている場合に、どのように保護者に学校、教員がアプローチすればいいか少し御意見いただきたい。
【笹森委員】 アセスメントに関連して。資料ではRTIとPBISを説明したが、特にPBISはまだまだこれから。問題行動に対するクラスワイド、スクールワイドな指導、支援という試みの中で、地域や学校で取り組まれているところがある。学校は教科指導が中心なので、RTI的な発想が少しずつ入ってきているということだと思う。
それから、特別支援教育コーディネーターについて。高等学校で最初に特別支援教育コーディネーターが入ったときには、養護教諭の方が比率として高かった。学校全体で様々な課題がある子供さんたちに対して、トータル的な視野で見られるというところで始まっていた。
現在は、生徒指導と特別支援教育を一任する形で、教育相談のコーディネーター的なポジションの設置を進めているところも多いので、生徒指導の問題と特別支援教育の問題について、少しずつ歩み寄りはあるのかと思うが、まだまだ中学校、高等学校のことを考えると、発達障害の子供たちは生徒指導のセクションから入ることが多い。
生徒指導でなかなかうまく対応がいかない中で、特別支援教育のコーディネーターが入ってきて、生徒支援と、あるいは特別支援のセクションが一元的に話し合う場や情報共有する場があって、それぞれで動いていくのがいいと思う。
特別支援教育コーディネーターの専門性については、視野の広い方は、教育性の相談的なスキルや子供たちに対する対応の仕方というような広げ方をしている。自治体等で行われている研修で、障害特性の理解プラス教育相談的な内容まで扱っている自治体は、そのような視点で取り組んでいる自治体と思う。
これからの展開としてはやはり、特別支援教育コーディネーター、校内の教育相談コーディネーターや生徒指導コーディネーターがチームとしてコーディネーターのような役割の中で対応できるといいと思う。
3点目について。学校現場としては、目の前に困っている子供たちがいるわけで、指導、支援は保護者の了解がなければ始められないものではなく、先生は既に指導、支援を始めている。ただし、個別の指導計画や、通級による指導を利用する、別な場面での個別な指導、支援を行う等となると、保護者の了解は必要になる。丁寧に保護者には説明をしつつ、時間をかけて、建設的な対話を繰り返していくことになると思う。
学校現場では時々、親の了解が得られないため、個別に関わることができませんと言うが、そのようなことはない。これまでもクラスの中で丁寧に関わって対応してきた先生は多くいる。その延長で考えつつ、個別的な支援のステップを保護者と対話しながら考えていくことも方法かと思う。
【主査】 コーディネーターと生徒指導の関係、教育相談の関係は非常に重要であり、一つ課題提起していただきたい。
また、保護者との対応と学校内体制、あるいは問題行動を、その背景からどう見ていくかについては、本質に関わるところであり、しっかり押さえながら考えていく必要がある。
【岡田委員】 いじめに遭いやすいという話があったが、LDの方にICTを使ったバリアフリー、あるいは支援もより自然な形でユニバーサルになされ、また、リスペクトされているという状況があれば、いじめも起きにくいと思う。
それから、神経発達症の中には知的障害や吃音などのコミュニケーション症、あるいはチック、トゥレット症候群のような運動症もある。これらの情報は教員にとって少なく、何らかの形で盛り込む必要があると思う。
また、親との連携について。医療にかかっているADHDの人は、レセプト調査によれば、0.4%しかいない。3%か7%のうちの0.4%。学校の先生方の気づきがあったときに、親御さんに、ほかの子で医療にかかったらよくなることがあった、あるいは周りの子にどれだけ迷惑をかけているかといったこと、あるいは薬を直接名前まで出して勧められたなど、非常に複雑な思いを持って医療に来られる方もある。こうしたことを踏まえ、医療の勧め方についても盛り込めるといいと思う。
【主査】 引き続きになるが、岡田委員に御報告をお願いしたい。
【岡田委員】 生徒指導上の問題を考える上で、思春期・青年期というのは、実は精神疾患の好発年齢であるが、この事実はあまりに知られていないことかと思う。子供はあまり精神的には病まず、大人になってから病むものという認識が一般的にあると思うが、実はそうではない。
例えば統合失調症というのは、20代、30代になってから発症するというようなイメージがあったけれども、通知表調査によれば、小学校の高学年あたりから、非特異的な認知機能の低下やひきこもり、不登校等、そういう行動変化が出てきている人がいる。
それから、うつ病や双極性障害については、非常に診断が難しい。気持ちの落ち込みや気持ちのアップダウンの躁状態の時期、鬱状態の時期があるのではなくて、1日の中でも気分が変動する。そのような中で、焦燥とか不機嫌といったものがいら立ちとして表れることが多くて、それが果たして神経発達症の症状であるのか、あるいは気分障害として見るべきなのかというところが難しい。
これは見逃された疾患として注目を集めた一方で、過剰診断ではないかと話題になったところがあり、医療につなげれば済むというだけでもなくて、医療の中でも扱いの難しい、しかし自殺企図とかそういうものにも結びつきやすい、複雑な病態であるということは、理解しておく必要がある。
それから、学校では、過呼吸発作はよくあり、集団が過呼吸で倒れたということも、何年かに1度ぐらい聞くことがある。パニック症、あるいは強迫性障害である。コロナで強迫症状が強まったという方もいる。
また、学校で大事なのは摂食障害である。やせ礼賛の風潮があり、そして思春期以降の女子に多いということにはなっているが、男子にもある。思春期以前にもある。発達障害に伴うこだわりとの関連が指摘され、過食とADHDとの関係も言われている。
それからトラウマ。虐待、いじめ、暴力・暴行、そして性被害といった問題もある。
また依存症について。日本の場合、物質依存は海外に比べれば少ないと思われがちで、実際には少ないと思うが、ないわけではない。そしてインターネットやゲーム障害も出てきて、依存症に含まれる幅が広がってきている。
こうした精神疾患の兆候を見る中で、学校の役割というのは大きい。表情がどうなのか、活動性がどうなのか、行動様式、例えば自傷があるのか、いら立ちがあるのか、あるいは仲間関係が以前と変わってきているのか、体重はどうか、出席状況はどうか、あるいは成績は下がってきたのかと。
このような兆候があるときに、学校の先生は生徒の表情がどうだということを思っている。そして保健室で測定したら体重が減ったなと思っている。そのような兆候は、常日頃から、担任、養護教諭やスクールカウンセラーとの連携がなければ、うまく気づけない。
また、連携によって何か異常を察知したとしても、それをどのようにアプローチするのかという問題もある。行動変化の理由を聞けば実情が分かるというものではない。どういった心理状況があるのか。それから、身体面、行動面、例えばやせが始まっている人については、「寒くないか。ちょっとやせたように思うけど大丈夫か。」というような行動面、あるいは身体面からアプローチし、いたわりというところから始めるといったノウハウがやっぱり学校にあるべきと思う。
家庭との連携がよく言われるが、家庭の状況は様々である。日常的に家族状況が把握されていなければ、見えてこない。
また、幼稚園から小学校、小学校から中学校、中学校から高校への情報伝達が必要と言われるが、実際の引継ぎ文書を見ると、当たり障りのないことが書かれており、家族の非常に難しい問題が、活字に起こすことが難しく、伝わっていない現状がある。学年間の引継ぎも、行われてはいるが、どの程度ソフトな情報を伝えられているのか難しい。
例えば子供の変化を見てから、初めて家族にアクセスするということでは、家族の側も構えてしまい、また、その児童生徒との信頼関係も壊れてしまうことがある。子供たちからは、家族には言わないでほしいと言われる。自傷や切迫した自殺といった、そういう安全上の問題が目の前にあるとき、言わないでいることが正解なのか、それとも迅速に何らかの対応を家族と協議すべきなのかという状況に教師が立たされたときに、対応に非常に困惑することがある。
家族に連絡をしたとしても、そもそも複雑な家族状況というものが影響していることがある。教師の先生方は家族の状況をどうにかしてくださいということを言いたくなるわけだけれども、家族にはそうならざるを得ない事情があってそうなってしまうこともある。
子供にアプローチしたいけれども、家族が子供に合わせてくれないとなったときに、家族の問題に踏み込んでしまって、逆に閉ざされてしまうということがあるので、どのように家族にアクセスしていくかは、極めて難しい問題と思う。
また、校内連携の重要性について。子供たちのために校内で連携するかということも大切だが、同時に担任のために連携が必要でもあると思う。医療という枠組みやこれまでの経験があり、あるいは治療での入院、薬などの環境があって対応できるものであり、担任1人が抱え切れるとは限らない。
担任が、これだけ一緒にやっているのになぜ伝わらないのかと思ったときに、感情的になり、抱え込んでしまい、また、自責になってしまうなど、メンタルヘルスの不調になって、交代するということも起こる。クラス全体が機能不全になってしまうことも予想される。
このようなことを踏まえ、担任を孤立させないためにも校内連携が必要となる。そのためには、学年主任や養護教諭、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー、また、管理職が子供の状況を把握し、担任の置かれた状況、家族とのはざまに置かれている状況等を把握して、校内で話し合っていくというソフトな枠組みが必要である。
それから医療との連携が、精神疾患の場合には重要となる。幾つかの障壁があり、例えば、重大性について家族との認識がずれていること。それから家族に伝えたとして行動力がないということもある。
あるいはどこの医療を紹介すればいいのかという問題もある。つまり児童思春期の精神医療は非常に供給と需要のバランスが悪く、しかも地域格差が非常に大きいという状況になっている。
それから、受診誘導のノウハウが不足している。つまり児童生徒や家族の心配事を出発点に話していけばいいけれども、学校側の困りを伝えて受診を誘導しようとすると、うまくいかず、受診したとしても家族が協力的でないということにもなる。受診誘導のノウハウということも大切にする必要があると思う。
それと教育・医療の連携の円滑さの欠如について。医療側の教育への先入観があると思う。教育文化が不登校を生み出すといった極端な図式も一方ではあったと思う。医療から主治医訪問としていったときに、登校刺激をしないでください、という形になってしまう。しかし、いろいろな支え方があり、学校という場をどのように子供と共有していくかということもある。そういう意味でも、教育側の現場に踏み込んでいない医療の先生方の理解は不足している。
同時に医療に委ねてしまうと、教育の役割が医療任せになってしまい、主治医の指示というところで全部動いてしまう。もちろん主治医の指示は大事だが、教育の場というものがその子の日中の活動の場であること、あるいは仲間関係の場であること、そのような医療受診後も存在する教育の役割をきちっと意識していくということが大事である。
実際に特別支援学校以外で、スクールカウンセラーはいるが、精神科的な見立てというところで、医師の助言を仰ぐことは難しい。
次に子供の自殺について。中高生の死にたいと思う人の割合と自殺した児童の数を見てみると、決して子供たちは死にたいという気持ちがないわけでもなく、それから自殺もまれなわけではないということが分かる。
自殺の原因について見ると、学業不振、進路の悩み、うつ病、その他の精神疾患、親子の不和、学校問題、失恋、家族からのしつけ・叱責、学友との不和とある。このことから見えることとして、1つは自死への閾値というものが非常に低い。家族、友人とのトラブルの後に衝動的に自殺してしまう。トラブルから自殺までの道のりが非常に短い。
助けを求めるサインは必ず出ているが、うまくキャッチできるかというと、誰もが必ずしもキャッチできないということがあり、うまくキャッチしてもらえなかったことへの絶望感というのは、子供の場合には非常に大きい。それからSNSの中でのいじめ、自死というものを無責任にあおる風潮がある。
こういったときに、自殺、いじめの背景には、多様な複合的要素があり、その背後には、うつ病などの精神疾患があることが多いということも言われている。しかし、うつ病などの精神疾患が起こってくる背後にいじめやもともとの発達特性があり、あるいは家族の問題があったときに、うつ病が原因で自殺したと総括するのは適切ではない。うつ病を発症し、最後に自死に至っているときに、精神疾患が背後にあるから精神科医療が大事であるというだけでなく、あくまで複合的な要因であるということを考えていく必要がある。その中で、学校で受け止めること、道徳教育、それから疾患啓発が重要になってくる。
それから、学校におけるメンタルヘルス教育、適切なケアが大切であること。初期兆候についての基本的な理解、あるいはスティグマを払拭する。精神疾患は、特別な人がなる病気だと一般的には思われている可能性がある。少なくとも子供たちは実際に精神疾患になるとはあまり思っていないようである。このようなギャップが常にあるのではないか。そのような中で、保健体育でメンタルヘルス教育が開始されたというのは、非常に大きな要素だと思う。
もう一点、ありふれた障害であれば、家族とか近親者とか同級生に精神疾患がある。周りの人が精神疾患になった場合、子供たちがどうすればいいのか、適切な心理教育というものも、提要にきちんと盛り込んでいく必要がある。
次に、回復モデルを示すということ。環境調整、休息や医療的ケアやカウンセリングの中で回復していくことが大切である。その中で理解者とか仲間がいること、仲間には自助、つまり当事者同士のつながりもあることを伝えること。例えば、物質依存のときに「駄目、絶対」と、この道に踏み入れてしまったらもう後戻りはできないと聞こえるようなメッセージは、本当にそれでいいのかという話がある。同じように精神疾患で見たときにも、精神疾患になったときにそれが回復すると、どの程度の児童生徒が思えているか課題があると思う。この点もしっかりと教えていくということが大事である。
最後にCOVIDの感染拡大下の児童のメンタルヘルスについて。文献ベースで各世界的にいろいろな報告が出ている。その中では、不安や抑うつ症状が高率に認められること、自殺念慮・自殺企図が増加していること、強迫症状が増悪していること、あるいは家族が亡くなったという報告もある。外傷性のストレス反応、あるいは不活動、外に出られないものだから、家で活発に運動して、体重を減らそうとして、思春期やせ症の人、摂食障害の人が悪くなったりとか、あるいは睡眠のリズムが取れなくなったりとか、インターネット・ゲーム依存が悪化しているという報告が出てきている。
特に変化への適応の困難な神経発達症の子供では、内在化症状、外在化症状、生活の質の悪化とか養育者ストレスの増加が報告されている。
また、オンライン教育とかICT機器が、この機会に広がった。これは教育の機会を広げるけれども、家族に教育を持ち込むことになって、家族が勉強を教え、また、家族が座らせること、あるいは家族が在宅勤務であり、子供と接する時間も増える中で、家族の間での衝突が激化していて、家族が崩壊してしまうような状況も起こっている。
そのような中で、私たちはICTで達成できたことと、オンラインでは達成できなかった教育の役割をそろそろ見ていく必要があるのではないか。
また、子供たちの姿が見えず、家庭訪問なども実施されないということになると、家族の中で虐待等が起こっているかもしれない。あるいは子供が精神的に不調になるかもしれない。このようなことをキャッチできないということが起こってしまう。
学校教育は教育ツールの提供だけではないことは、学校の先生は当然分かっているけれども、学校の役割ということについて、いま一度認識できるようなことも大事ではないかと思う。
【主査】 今の岡田委員の御報告について、御質問いただきたい。
【委員】 1つは、4ページに書いている学校におけるメンタルヘルス教育について。前回の親会議で委員のほうから、自死に関する報告があった。統計上は子供の自死の約7割が高校生である。高校生は自死に関してはハイリスクであり、特に女生徒は、鬱といった精神疾患系の原因もあるという指摘があった。
今から20年ほど前に、既にもう小児鬱に関しては、北海道の調査なども出ていたが、それを生徒指導分野でしっかりと受け止め切れなかったところもあるのではないかと思う。特に来年度から、高校の保健体育で精神疾患に関する教育も始まるが、もっと早い段階として、小学校、中学校段階から系統的なメンタルヘルスに関する教育プログラムを積み上げていかないと遅過ぎるのではないかと思う。
子供たちもストレスや鬱という言葉を知っている。だからそういう意味では自死予防も含めて、こういったメンタルヘルス教育を小学校段階から、保健体育領域だけでなく、生徒指導の一つの教育プログラムとして実践していくほうがいいのではないかと思う。
また、先ほど学校と医療の連携について御指摘いただいた。それをどう実践するかとなったときに、今コミュニティースクール、学校運営協議会がある。医者にも参加してもらい、専門的な御見解も含めて、学校運営を考えていく必要があるのではないか。
また、学校と医療が密接な関係性をうまく保つための制度的、システム的な御助言をいただけないか。
【岡田委員】 まず1点目、メンタルヘルス教育において、低い年齢のときからきちっと教育をすべきではないかということについては、まさにそのとおりだと思う。日本の中で、精神主義的なところ、あるいは繊細な子供がメンタルを病むみたいな発想があるのではないかと思う。精神的に調子が悪くなるということは、誰でも生涯の中にはありえるものであって、そのときに適切に休息を取ったり、あるいは相談できる人に相談したり、あるいは医療を受けたりということの中で解決していく対処方法を、小学校段階から入れていくことが大事なのではないか。
それから、教育と医療の連携については、そのコミュニティースクールに医者が絡んでいるということであれば、先生が、こういうケースでは、どのように対処したらいいか、相談ができる体制が大事ではないかと思う。
受診を勧めたいがどうしたらいいだろうかという相談は、最も多い相談の一つである。相談の中では、例えば夜が寝にくくなっているとか、あるいは友達付き合いの中でいらいらしてしまうことが多いとか、あるいは睡眠のリズムが崩れているとか、そういうその子と共有できる主訴から入っていくことをアドバイスすることが多い。そのようなノウハウを医療の人は持っていると思うので、困っている担任の先生や養護教諭が相談できる枠組みがあればいいと思う。
ただ学校医という枠組みであれば相談しやすいけれども、そこで相談できるということを知らないと、学校の先生は生徒のことを相談できないということもあると思う。各学校に1人いなくても、巡回でもいいと思うけれども、このように相談できる制度をつくるというのは一つのやり方としてあると思う。
【委員】 学校と医療との連携という話が出たけれども、いわゆる学校から直接病院のほうに、この病院を受診したほうがいいという進め方が、教員の先生にとって悩ましいこともある。特に大きな病院であれば、そこにMSW(メディカルソーシャルワーカー)の方を仲介して、学校と医師との連携を結ぶようなケースはあったか。
また、ケース会議の中にかかりつけの医師が参加していただくことがあるかと思うが、そのような事例はあるか。
【岡田委員】 MSW、あるいはPSWから紹介されたケースというのはあまりない。MSW、PSWの活用は、主に医療と医療との連携の間にあり、学校からはその存在が知られていない。病院あるいは学校の先生との間で、MSW、PSWを介して紹介するそもそものシステムが構築されれば活用しうる。
ところが児童思春期の病院の多くが、予約が取りにくく、そこに一患者として教員のほうがアクセスしようと思ってもできないということが起こってしまっているのが現実だと思う。そのときに、学校でこういう子がいるけれども診てもらえるかということで枠を空けてもらう等、医者と普段からある程度協力的な関係がないといけない。地域の精神科医のように、ここにいつもお世話になっているという関係が役立っているということは、実際にあるかと思う。
それから、学校の会議に出るかについて。非常勤勤務であり、なかなか会議の日に合わないことが多く、また、医師は可能な限り直接支援のほうに回ることが多いので、会議はスクールソーシャルワーカー、養護教諭、あるいはスクールカウンセラーが入っていることが多い。
【主査】 今日の2つの報告をめぐって、最終的には提要にどのように書いていくかという話になるが、この関係で確認しておきたいことなどあれば、御意見いただきたい。
まずは主査から用語の問題について。医学とか発達に関して、例えばDSM-4-TRから5になったところで、精神疾患の疾患名、名前を変えた部分があると思うが、一方で学校現場だと、いまだに広汎性発達障害やアスペルガーという用語も使われている。
このような状況を踏まえ、提要の中にどう記述すべきか、認識をすり合わせておく必要があるかと。この点について何かお考えがあれば、御意見いただきたい。
【笹森委員】 ICD-11がWHOの基準になるので、基本的に厚労省は、そのICD-11に従っていると思う。2022年にはもうその基準で進めていくと伺っており、2022年の段階では、例えばADHDだったら注意欠如にする等、そのような診断に整理がされると思っている。
【岡田委員】 現在精神神経学会の用語委員会では、ICD-11の翻訳名が確定している状況と認識している。ただICDは精神疾患だけではないので、全体をどう統合するかというところまでのタイムスケジュールは把握していないところがあるが、DSMで使われている「症」という言い方を、基本的に全ての用語に徹底しているということがある。
基本的には、ICD-11で使われる訳語に統一するのがいいと思う一方で、例えば学習障害という言葉が全部学習症になっていたら、現場とのギャップが非常に大きいとも思う。ICD-11の場合にも同意語という欄があって、その中に、旧来の障害というような言い方も入っているが、そのような形で対照表のようなものを付録的につけて、本文は「症」で書くということでもいいと思う。
【笹森委員】 特別支援教育のことだけで言えば、国の障害種別は、身体障害、知的障害、精神障害という大きなカテゴリーがあるが、教育のほうでは、視覚障害や聴覚障害というように、8、9つに分けている。これまでもいわゆる厚労省、医療、福祉のほうで使われている用語と教育用語は、多少違いがあるので、整合性がうまく取れればいいと思う。
【主査】 この辺りは、最終的には文科省としてどの言葉を使うかということとの関係で、事務方との認識のすり合わせの問題も出てくると思う。
【笹森委員】 二次障害の予防の話について。生徒指導でも、予防というところが大きいと思う。医療にどうつなぐかもそうだが、教育相談にしても、あらゆる全ての子供ができるはずだがしているわけではなく、相談することは特別なことという意識がある。
教員が相談を進める場合には、ほかの子と同じようにできないところがある、気になるところがあるというところからスタートする。子供や保護者に話すときも、その子供がうまく適応できていないところばかりの相談を進めるとすると、抵抗感があるのだろうと思う。
保護者にとって、先生がどれぐらい自分の子供について知っているのか、自分の子供のよいところを認めてくれているのかが大切。困難なところに対しては、次のプランを考えるときに、専門機関のアドバイスとか助言だとかサポートがあると、より適切な指導、支援が考えられるのではないかと、そのような流れができるといいと思う。相談というのは、駄目なところをよくするためということだけではないという色合いが出ると、先生方の歩みがスムーズにいくかもしれないと思う。
【主査】 提要で言えば、第1部と第2部とのブリッジをどう考えていくかという話になるかと思う。
今日の全体のことについて、委員の方々お一人ずつ、御発言いただきたい。
【委員】 特別支援は、生徒指導と密接な関係であることが多く、現場でも、養護教諭、生徒指導主事と特別支援教育コーディネーターといつも話をしているという日常であったと思う。全国の養護教諭もそのような対応をしており、養護教諭が様々な場面でコーディネーターも務めていると捉えている。
また、発達の面で特性を捉えるというところがあったと思うが、捉え方は教員、保護者、一人一人によって大きく違うということを感じている。発達検査結果を具体的に示しながら特性を確認し合うと、保護者も教員も特性と捉えて、それから支援がしやすくなったというケースがあった。正しい特性の捉え方について記述し、学校と保護者が同一歩調で支援することが大切だと思う。
それから、小学校の高学年でも相談するということをよく分かっていないこともあり、メンタルヘルス教育の低年齢化が必要と思っている。
【委員】 発達障害や健康に問題がある子供たちはよく児童相談所に来る。また、学校の先生の方々の中には、問題行動を起きた時に、発達に課題があるに違いないというような意識をされている方や、病院に行けば障害は治るのではないか、薬を飲めば治るのではないか、医療にどうつなげばよいかと児童相談所に相談されることがある。やはり医療とのことで、専門性が高い分野ではあるけれども、学校の保健の先生も正しい知識や理解を得ることが必要と思う。
また、連携について、子供たちが相談したときに、家族には言わないでくださいというケースも多数あるけれども、そのようなときに、教員の先生一人で抱えてしまうと、教員の先生のメンタルヘルスの問題にもなってしまうので、組織としてどうバックアップしていくかという視点も非常に大切と思う。
【委員】 学校環境適応の視点から、児童生徒を理解すること、早期からの心理・予防教育の必要性を認識できた。メンタルヘルス教育の一環として、SOS発信教育は、中学生で初めて学ぶより、小学校高学年でも学習ニーズが高く学びの蓄積が重要である。
【委員】 今回の新学習指導要領の総則部分で、学級経営・ホームルーム経営の充実、生徒指導の充実、キャリア教育の充実が言及されているように、ベースは学級経営・ホームルーム経営だと思う。学級をどのような集団にするかが、二次障害の予防につながっていくと思う。
学級経営では学級崩壊しないという視点に限定されず、授業を成立させる、あるいは友達同士が安心して勉強できるといった、相互扶助的な雰囲気をつくり上げていくことが大切である。そのような学級の風土づくりがまずベースになるため、学級経営の充実というところで、生徒指導提要にも盛り込んでいければと思う。
また、医療との連携というのは極めて重要だと思う。学校運営協議会の中に、医者や法律家にも参画いただいて、地域ベースで学校を運営していければ、より制度的に連携しやすくなると思う。
また、障害を持っている子供の保護者、あるいはいじめを受けた子供の保護者、あるいは子供たちは極めてよく勉強し、知識がある。教員が相談相手として信頼されるためには、先生の受容性、傾聴性、共感性もさることながら、知識も重要である。保護者の質問に関してすぐ答えられなければ、見切られてしまうことすらあると思う。したがって、教育相談コーディネーターや特別支援教育コーディネーターはある程度専門性を持ち、常に研修で知識を蓄えながら、保護者からの質問にも答えられる、あるいは実際に児童相談所や病院につなげられる、実践的なコーディネートの力を持った人を指名し、充てていかなければならないと思う。
【オブザーバー】 まず1つ、今回の提要の改訂趣旨である、「積極的な生徒指導」の充実が常に意識されるように、を部分、部分で繰り返し提示をしていく必要があるそういう意味でも、この「多様な~」というリード文のところにでも、学校で一番大事なのは、まず未然防止のところをしっかりと徹底していくことであり、学級経営だけでは厳しいといったときに、こういう個別の支援をという順序であるときっちりと整理して書いておく必要がある。
それから2点目、我々が忘れてはいけないこととして、先生方は、1日の大半は授業を行っていて、それが教員の専門性のメインであること。その上に個別支援が求められているというところを、明確にしておく必要がある。
また、一方で先生方は個別支援の専門性を高めることが求められていることは分かっているが、そこに手を差し伸べるだけの時間的な余裕、人的な余裕がなく、そこが一番困っている。このような人的補償や時間的補償が必要であるということも、この提要の中に何らかの形で表現し、教育委員会や国に求められる役割も見える化しておくことで、現場の先生たちも、自分たちばかりがまだ足りないと責められているというような感覚を持たずにすんだり、あるいは教育委員会が何か施策をというときに、予算要求するときの基にしたりすることでも役に立つものとなる。
さらに、研究現場、大学等でもこれを活用したいという話があり、学校の中で個別の支援はこういうことが大事であるという話ばかりにならないよう、集団指導も大事であるというバランスも含めて、これから教員になっていく学生たちに伝えていくという意味でも、提要に入れていく必要はあると思う。
最後、3点目だが、コーディネーターについての記載がしっかりとされる必要がある先生に支援の専門性が求められるのは仕方がないが、全ての先生に同じようにということではないということ。むしろ全ての先生方に必要なのは、気づいてつなぐということ、養護教諭にしても、メンタルヘルスも含めていろいろな役割があり、全部はとてもやりきれない。
そこで大事になってくるのが、コーディネーターである。コーディネーターの位置づけというのは、ただ分掌に位置づければいいわけではないということも含め、コーディネーターに求められていること、必要なこと、人的保証の必要性など、コーディネーターだけで1つ項目をつくってもいいぐらい大事な部分である。
【オブザーバー】 生徒指導提要の中で一番書かなければならない内容、例えば、次に関係機関へつなぐ必要があるとまでは書けるが、つなぎまで書くのかどうかといった点を整理しなければならないと思う。
【オブザーバー】 現在の学校の教員の専門性に鑑みたときに、今回の生徒指導提要の改訂で、学校の教員が担う生徒指導の範疇をどのように線引きしていくかということは大事ではないかと思う。本日のテーマであった発達・健康問題、精神疾患に対して、それぞれの教員の分掌等に応じてどんな形で関わることが望ましいのか、求められるのか、ある程度、具体的に示されるといいのではないかと考える。
多層指導・支援モデルにおける1層、2層はほとんど学級内でそれぞれの教員が対応している。1層の部分については、全ての子供を対象に分かりやすい授業を行う等が学級担任の主な仕事であろうが、2層については、教員とともに、スクール・サポート・スタッフ等の指導員や支援員と協働しながら行わざるを得ないのが実情ではないだろうか。
これらのスタッフは、地域間でも格差がある難しい問題だと思う。だが、1層の教員による未然防止を大事にしつつも、リスクの度合いに応じて、2層は教員だけでなく、どういうスタッフとどのような役割分担を方向性として打ち出していくのか、今回の提要改定では検討していくことが求められるのではないだろうか。
また、チーム学校の記述の在り方で、最前線に立つのはいつも教員で、それをスーパーバイズするのがその他の専門職というモデルで、チーム学校を考えていくのか。チーム学校における生徒指導を考える上で、あわせて検討事項にすべきではないだろうか。教員とその他の専門職を完全に分業させてしまうと、そのはざまに落ちてしまう子供たちが出てくるので、明確に線引きできないところはあるとしても、ある程度、具体的に、専門家にお任せできるようなこともしっかりと明記していくことによって、今後の時代に応じた効果的な役割分担というところにも踏み込んでいければ、教員やSC、SSWといった学校に関わる様々な専門職にとって非常に有益な提要になるのではないかと思う。
【主査】 本日の議論であったアセスメントについては、一度抽象的に、前回の提要ではコラムレベルで扱っていたけれども、もうちょっと広い知見から踏み込む必要があるかと思う。それから今日のテーマはいずれも、学校現場としては、保護者にどう言うかだけではなくて、関係機関につなごうとしたときに、保護者が納得してくれているかどうか、関係機関につなぐことに同意しているかという話であった。今後、今日の多層プラス外部機関とのアクセスが一つ課題だと思う。
【事務局】 第2回の開催については、10月8日の金曜日の朝10時からを予定している。
【主査】 ワーキングの中でまた、御専門の方で調整してもらうことがあるかと思うので、メールアドレスの共有等について事務局のほうで調整いただきたい。
本日は以上で散会とする。
―― 了 ――

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初等中等教育局児童生徒課