主権者教育推進会議(第8回) 議事録

1.日時

令和元年9月17日(火曜日)

2.場所

文部科学省 15F特別会議室(東館15階)

3.議事録

【篠原座長】 定刻となりましたので、ただいまから第8回主権者教育推進会議を開催いたします。本日も御多忙の中お集まりいただき、誠にありがとうございます。本日は8名の委員の皆様に御出席いただいております。
 また、本会議につきましては、報道関係者より会場の撮影及び録音の申し出があり、これを許可しておりますので、御承知おきください。
 それでは、本日の配付資料について事務局から、まず説明をお願いします。
【大内主任学校教育官】 おはようございます。本日もよろしくお願いいたします。
 配付資料でございますけれども、議事次第にございますとおり、資料1から資料3を配付させていただいてございます。過不足等ございましたら、事務局にお申し付けいただければ存じます。
 以上です。
【篠原座長】 よろしいですか。特に欠けているものはございませんね。
 では、議事に入りたいと思いますけれども、その前に、前回の会議で御紹介いたしましたように、本会議の議論を更に深めていくため、新たに神津里季生日本労働組合総連合会会長、それから中村公一公益社団法人経済同友会2018年度政治改革委員会委員長のお二方に委員に御就任いただきました。この2人とも、ヒアリングで来ていただいているから、ここの席が初めてではありませんがが、よろしくお願いします。
 また、日本PTA全国協議会から役員改選に伴い、佐藤会長に委員に着任していただきました。
 本日お三方に御出席を頂いておりますので、どうぞ一言ずつ。二言でも結構ですけれども、御挨拶を頂きたいと思います。一、二分程度で、まず神津会長から、よろしくお願いします。
【神津委員】 改めまして、おはようございます。今御紹介いただきました神津です。これも御紹介いただきましたが、以前ヒアリングで、この場にお邪魔をさせていただいたことがあります。その際に様々な問題意識を述べさせていただいたところであります。
 我が国の将来にとって非常に重要な問題だと思っておりますので、今回、委員としていただいたこと、大変ありがたく思っております。どうかよろしくお願い申し上げます。
【篠原座長】 ありがとうございます。では佐藤委員、お願いいたします。
【佐藤委員】 皆さん、おはようございます。公益社団法人日本PTA全国協議会、6月末の総会におきまして新しく会長になりました佐藤と申します。茨城県の牛久市というところから、今朝、参りました。よろしくお願いしたいと思います。
 公益社団法人日本PTAは、公立の小中学校のPTAの集まりということで、全国に800万人の会員がおりまして、児童生徒数ということになっておるんですけれども、そういったPTA会長さんとか、全国の都道府県政令市の会長さんが、64の協議会がありまして、そこで選出をされて会長になっているということでございます。
 特に今、ネット社会になってまいりましたので、子供たちの得る情報というのも多岐にわたると思いますが、やはりメディア・リテラシーとか、そういったところの基準というのも、親として、学校教育として、しっかり伝えていかなければいけないかなと感じております。初めての参加になりますが、よろしくお願いいたします。以上です。
【篠原座長】 ありがとうございます。それでは、中村委員、よろしくお願いします。
【中村委員】 皆様おはようございます。私も以前この場で、経済同友会で2018年にまとめた部分について少しお話をさせていただきました。ちょうど当時、2045年、戦後100年の社会像ということで、同友会としてはJapan2.0ということで、非常にロングタームの社会像ということで、何をやらなければいけないんだということ、それと同友会も過去、政治についてはいろいろ提言をしたのにもかかわらず、ほとんど受け入れられていないような現状を見て、やはり今、本当に幼稚園、小学生みたいなのが27年後、30代の一番、日本の中核を担ってくれるだろうと。そこから主権者教育をしようじゃないかというようなことでまとめ上げましたので、また、この場でいろいろな御意見を頂きながら、我々も同友会としての意見も出させていただきたいなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。
【篠原座長】 どうもありがとうございました。
 それでは議事に入ります。前回の主な意見などについて、事務局から報告をお願いします。
【大内主任学校教育官】 それでは、資料1をお手元に御用意いただければと思います。資料1、主な意見ということで、前回、第7回におきましては、埼玉県三郷市教育委員会及び公益社団法人日本PTA全国協議会から、それぞれ家庭教育に関する取組などについて御発表いただいたところでございます。その主な意見について御紹介させていただきます。
 まず初めに、資料1、2ページ目でございます。ここは主権者教育、主権者意識の涵養の小見出しのところなんですが、2ページ目のところで、下から3つ目のところです。親や教師、指導主事、社会教育主事など、各教育の指導者によってこれまで行われてきた取組であっても、それが主権者教育の一翼を担っている、こういった意識を醸成することが必要ではないかというような御意見。
 それから、その次のところでございますけれども、やはり家庭教育、学校教育、社会教育全てのステージにおいて、主権者教育を一体となって推進していくためには、関係者が主権者教育についての意識を認識する、共通の認識を持つと、こういったことが重要ではないかという一翼を担っているような点、あるいは共通認識と、こういう御指摘を頂いたところです。
 また、その次の中点でございますけれども、主権者教育について、都市部と地方とでは意識が全然違ってくると思われる。例えば東京近郊であれば、住んでいる町がなくなるというような意識はなく、地域のために自分たちが何かしなければ、そういった意識を持たせるのは意外に難しいのではないか。さらに都市部では、親の意識もとどまっていて、こうした点は非常にやりにくいのではないか。他方で、地方では過疎化が進んでいて、地域の産業を興しながら残っていくような人材を育てる。こういう必要性はあるんだけれども、そのためには子供たちに有用感、自己肯定感、そういったものを持たせるような必要があるのではないかというような、都市部と地方との置かれている状況に着目した御意見を頂戴したところです。
 また、3ページですけれども、学習内容や指導方法に関わる部分で、少し飛びます。7ページになります。7ページのところの小見出しの基盤となる資質・能力の育成の2つ上のところでございます。7ページの上から6点目の中点ですけれども、主権者教育の教育と言った瞬間に、教える側と受ける側との関係、正しい解を求める、あるいは導くといった教える側の力が強く作用しているような感じがしてしまい、受ける側も思考停止になってしまうというところがある。結果として振り返ったら主権者意識が育まれていた、あるいは多様な解があるようなことに気付いたというぐらいの感覚や温度感であってもいいんじゃないかと。主権者教育を進めるに当たって、このぐらいの温度感でやっていってはどうだろうかという御意見を頂戴しました。
 また9ページの下の方ですけれども、家庭教育との連携の中の小見出しの中でございますけれども、10ページになります。10ページ、下から2つ目の中点でございますけれども、親向けの講座で、投票について考えることなどを取り入れるには、同時に子供の発達の段階に配慮する必要があるが、保護者や児童生徒が様々な課題に対して自らの意見を持つということ、あるいは自分とは異なる意見があるということに気付くことは、子供の学習だけでなく、親の学習としても大切なのではないかというような御意見。
 それから、少し飛びますが、11ページの上から3つ目の中点ですが、学校ごとの単位PTAでは、地域住民参加型の多様な活動の実施や地域の多様な人材を構成員としてネットワークの構築、さらには子供の生活習慣づくり、こういったことを多く行っていると。主権者教育を、こうした活動の中で広げていくようなことも考えられるのではないかというような御意見。
 それから、その次の中点ですけれども、PTA、自治体の長、児童委員の子供たちなどが一緒になって地域の問題を考える活動を行うというような取組を通して、子供の変容としては規範意識の高まり、地域の変容としては子供たちは地域で育てようとする意識の高まり、そういったものがそれぞれ見受けられたと。また校区の中では、他の学校のPTAと連携するような意識も高まっていて、変容が見受けられたというような御意見を頂戴しております。
 さらに、その次の中点で、1つ飛びまして、その下の下の中点ですが、家庭の在り方については、まちづくり等のボランティア活動を通して成長していってほしい、子供が意見を持つようにし親が決めつけない、保護者が手を出し過ぎるといったような、社会で生き抜く力が養われない、あるいは大人自身が変わらなければいけないなどの、過保護であったり、親の言うとおりにさせたりということをしているのではないかというような御意見ですとか、家庭において、保護者側もこうしたことを意識しないといけないのではないかといったような御意見があったということを御紹介いただいております。
 それから同じく、この11ページの下の方になりますが、地域との連携の小見出しの中の部分で、13ページになります。少し飛びます。13ページのところで、上から3つ目の中点でございますけれども、公民館活動への参加を通して、子供たちが受動的ではなく、地域に積極的に働き掛けられるよう子供を育てるような取組を行っているということでございます。イベントのボランティアだけでなく、中学生が理事として事前の会議への出席もして、運営に携わっていると。地域の方々が忍耐強く、温かく見守っていただいて、チャンスを与えることで、子供たちの自信につながったり、地域の一員としての意識の高まりにつながったりしているというような御意見を頂戴しました。
 最後の項になりますが、13ページの下の方です。選挙関係の小見出しの中の、1枚おめくりいただきまして14ページになります。14ページのところで、上から3つ目の中点でございますけれども、若者の投票率が下がっている理由については、いろいろあると思われるが、若い時代に自分たちが行動したことがいろいろな良いことにつながっていくというような経験が少ないのではないか。意見を表明したり、交流したり、何らかの行動をしたりすることで、いいことがあったという体験が少ないのではないかというような御意見ですとか、1つ飛びまして、その次の次の中点ですけれども、各政党が出している子供向けの政策集があると。イラストなども入っていて、小中学生でも読める内容になっており、こうしたものは親子で話す1つの材料となると思われるので、家庭において活用してもらえると良いと思うといったような御意見を、あるいは取組を御紹介いただいたところでございます。
 資料1については以上でございます。
【篠原座長】 ありがとうございます。それでは、本日は、主権者教育の推進の在り方や課題などについて、お二方から御発表いただきたいと思います。
 まずヒアリングとして、日本公民教育学会会長の栗原久東洋大学教授にお越しいただいております。また、小玉委員にも御発表をお願いしております。
 初めに栗原教授より御発表いただき、続いて小玉委員より御発表いただいた後、まとめて質疑応答と意見交換を行いたいと思います。
 栗原教授は社会科教育が御専門であり、現在、日本公民教育学会の会長として、学校における公民教育の発展に御尽力されていると聞いております。
 本日は、公民教育の立場からの主権者教育の在り方について、20分程度で御発表いただきたいと思います。
 それでは、よろしくお願い申し上げます。
【栗原日本公民教育学会長】 ありがとうございます。東洋大学の栗原でございます。本日は、お話をさせていただく機会を設けていただきまして、誠にありがとうございます。感謝申し上げます。
 私、もともとは高等学校の教員でございまして、その後、信州大学、そして現在、東洋大学というところで、教員養成の仕事をさせていただいております。 今日、ここにお招きいただいたのは、私が昨年度、そして今年度と日本公民教育学会の会長を仰せつかったということが関係していると思います。なぜ会長になったかというと、年齢が上になったからという単純な理由なんですけれども、ここにスライドにもありますように、日本公民教育学会は1989年の12月に設立をされた学会でございます。この学会が設立された背景には、そこにも書かれていますように、1989年に告示された学習指導要領、平成元年度版の学習指導要領で、それまで高等学校は社会科という大きな枠組みの中で地理と歴史、そして「政治・経済」や「倫理」という科目も含めて、「現代社会」もそうですが、これらも含めて社会科という大枠でやっていたものが、1989年の学習指導要領改訂で現在のような形、すなわち地歴科と、そして公民科というふうに大きく再編をされたという非常に大きな変革が、この昭和から平成へというときに起こったということでございます。
 そのときに、地理については、地理教育学会というような全国的な学会があったり、あるいは日本地理学会の中に教育分科会があったりということですね。それから歴史については、様々な立場の様々な全国的な研究団体があったのですが、公民教育に関わる部分について、そこら辺が非常に弱いということもあって、1989年に、私は当時、まだ20代で、埼玉県の高等学校の教員をやっておりましたけれども、この学会が設立されて、私はその設立したときからのメンバーだということですので、30年以上、会費を払い続けているということになります。
 現在、会員数も大分増えまして、そこには370名と書いてありますけれども、もう少し、実際には増えていると思います。小中高と書かれていますが、中学校、高校の先生が人数的には多い。そして私のように大学で教員養成の立場に携わっている人間が、やはり同じように関わっているということでございます。
 学会ですので、主な学会活動は、そこに書かれていますように、学会誌を発行したり、研究大会を催したりとか、今年は6月に九州大学で研究大会が行われましたが、そのほかテキストを発行したり、それから学会として科研費を受けて共同研究を行ったりというようなことをやっております。
 これもまた言うまでもないことでございますが、学会というのは基本的には、そこにも書かれていますけれども、研究大会等々で口頭報告をする、それから学会誌に論文発表をしていただく、あるいは、そこに集まった方々が共同研究を行うというような、ある意味、ベースといいますか、プラットフォームを提供するのが学会でございますので、公民教育学会が主権者教育に関わって何か統一した見解、考え方というものを表明したことは今まで一度もございません。
 したがって私、今日、日本公民教育学会会長という名前でここに座らせていただいておりますが、当然のことですけれども、私が個人的な見解を述べると御理解を頂ければと思います。つまり、これは学会としての統一見解ではないということでございます。
 そうは言ってもということで言えば、18歳、19歳が初めて参議院選挙に投票した2016年に行われた、鳴門教育大学で行われた学会ですけれども、ここでは大会のテーマが「18歳選挙権時代の公民教育の課題を考える」という形で大会の大きなテーマが掲げられ、その中で課題研究というのが行われるわけですけれども、そこでは18歳選挙時代の主権者教育を考えるという形のテーマが掲げられて、鳴門教育大学の西村先生がコーディネーターとなり、そこにいらっしゃる発表者の方々が登壇して、この問題について学会としても検討をしたことがあるということでございます。
 それから2017年に、高等学校公民科で新しい科目「公共」がスタートをするということが明らかになった段階で、学会全体として新科目「公共」をどう捉え、そしてこの「公共」という科目。何しろ、この「公共」という科目は、いわゆる低学年必履修の科目でございます。現在、高等学校の教育課程でいうと、必履修の科目はない。公民科には必履修科目はございませんが、今度、この「公共」という科目は必履修の科目である。なおかつ、18歳選挙権、それから18歳成人というものを前提として、つまり言い方を変えれば18歳、高校3年生になる前に履修させようという低学年科目ですので、「公共」を中核として公民教育をどのように効果的に進めるのが良いかということの共同研究が行われております。
 当然この中には幾つかの分科会が、研究グループが幾つかに分かれていますけれども、当然その中では、政治的主体という部分で、どういう形で18歳投票権、主権者を育てていこうかということを中核的に研究しているグループもございます。もちろん18歳成人、消費者教育も含めてということになりますが、そういうことを研究しているグループもございますし、SDGsのようなもので、もう少しグローバルな視点から物事を考えるということを関心事にしているグループもあるということでございます。
 こんなプロジェクトが現在進行形で進んでいるということです。
 私、先ほど申し上げたとおり、私自身が高等学校の教員になったのは1984年でした。ちょうど1978年の学習指導要領において「現代社会」という科目。恐らくここにいらっしゃる方々の中でも履修されたという方も多いと思いますけれども、「現代社会」という科目が登場してきて、その科目が、たしか1982年から学校教育の現場で施行された。ですので、ちょうどその時期に私、教員になりました。ですから、それから30年以上、公民教育あるいは公民科教育と関わってきたわけですが、その間に流行のようなものも幾つかございました。
 まずは1つは、2000年代に入ると、イギリスでシティズンシップ教育というものが掲げられて、恐らくこの後、小玉委員の方から詳しいお話を頂けるものと思いますけれども、シティズンシップ教育というものが導入されたことを受けて、それまでの社会科教育あるいは公民教育ではなくてシティズンシップ。日本語で訳して市民性教育なんて訳す場合もありますけれども、それに関わる研究が、この時期ぐらいから増えてきたということでございます。
 それからもう1つは、2009年に裁判員制度というものが取り入れられました。つまり、一般の我々が裁判に関わる、刑事裁判に関わるということが始まってきましたので、これへ向けてどのように、学校教育の中で対応したらいいだろうかということを、法務省、それから文部科学省もそうですけれども、そういうことの検討が進められていて、それに関わって、これ以降、法教育や模擬裁判というものが盛んに取り入れられる形になりました。法教育という大きな分野がここで、公民教育研究の中で立ち上がったということでございます。
 それから、言うまでもございませんが、2015年の公職選挙法改正の頃から主権者教育関連の研究が急増してきて、多くの本、あるいは多くの学会発表が行われるようになってまいりました。そして御承知のとおり、「私たちが拓く日本の未来」というものが2015年に出版、そして各学校に配布されたことを受けてということもありますけれども、学校単位で教科の枠を超えて模擬投票等が行われるような形になってきて、実は、ちょっと学会が違うんですけれども、日本社会科教育学会という学会が9月14日、15日、ついこの間、新潟大学を会場に行われましたけれども、ここでも、やはり盛んに主権者教育を取り上げた。それは模擬投票だけではありませんけれども、主権者教育に関わる発表が盛んに行われていて、主権者教育を巡る社会科関係者の取組は、かなりの程度行われてきているということです。ただし、そのことは、もう一方の逆では、いや、今まで一生懸命やってきたけれども、ここ数回の選挙の結果、むしろ投票率は下がっているじゃないかという真剣な反省も、そろそろ出てきているということになってきております。
 ということで、先ほど申し上げたように、私は1980年代の半ばぐらいから公民教育というものに取り組んできたわけですけれども、ここ数年の間、主権者教育あるいはシティズンシップ教育というものがかなり主張されてくることに対して、若干の違和感は持っていたということです。それはなぜかと申しますと、そもそも社会科教育は、社会認識を深め、そしてそれを通して公民的資質を育成することをねらいとして、もう70年以上ですね。戦後、1947年の学習指導要領が第1回で、そこで社会科という教科がスタートしたわけでございますが、それ以降、公民的資質を育成するということを長らくねらいとしてきた。
 公民というのは、辞書を引けばcitizenと書かれていますから、スポーツマンにシップを付ければスポーツマンシップとなるのと同じように、シティズンにシップを付ければ、それは公民的資質だろうということになってきます。つまり言い方を変えれば、公民的資質を育成する教育、主権者を育む教育は、これは言い方を変えれば、教育基本法の14条の例の公民として必要な政治的教養ということになりますけれども、これを養う教育は、これまで社会科で取り組んできたじゃないか。言い方を変えれば、何を今さら主権者教育ということも、若干の違和感を持ちながら、私自身は思ってきたところであります。
 ただし、このことは、言い方を変えれば、先ほど率直な感想と書いた次に、率直な反省を述べなければいけないわけなんですが。つまり、結局、社会科は社会ということをうたっていながら、実は教室の中で完結する授業。実践と書いていますけれども、授業にとどまってきたのではないかということです。社会科の授業は、社会と言いながら社会科というのは、そこで言っている社会というのは教科書の中の社会であって、実社会との連携、連関がどの程度あったんだろうかということです。
 つまり、言い方を変えれば、合意形成、社会参画、投票行動、あるいは政治参加というところにまで実践は行き着かないことが多かっただろうと。でも、これはもちろん無理からぬところもたくさんあるわけですけれども、ということは1つの反省材料として考えなければいけない。
 もちろん、その次にも書かれていますけれども、先ほど申し上げたことと繰り返しになりますが、公民的資質を育成するという、ある意味、非常に大風呂敷な教科目標を掲げながら、実際の授業は教科書の逐次解説をやっているのにすぎなかったのではないかという反省もあるわけです。
 もちろん社会科といった場合には、単に公民的分野だけではなくて、歴史や地理も含み込みますので、それぞれがそれぞれの分野あるいは科目の目標を持っていますから、一概には言えないわけですけれども、しかし、教科書の逐次解説をやってきたのではないかということは率直な感想として、反省材料として持たざるを得ないということになります。
 それから現在の教育課程では、中学校の教育課程はパイ型という言い方をしておりまして、中学校1年生、2年生は地理と歴史を並行して学習をする。3年生に公民を置くというのがパイ型なわけですけれども、現在の教育課程は若干それが崩れておりまして、中学校3年生、140時間の社会科の授業時間のうち40時間は歴史をやっております。40時間といいますと、週4時間の授業ですので10週間。言い方を変えれば、6月の末、期末試験前までは歴史の授業をやっています。そうすると、中学校3年生にとって、公民的分野の授業がスタートするのは、まあ、実質2学期ということになります。中学校3年生の2学期といえば、もう目の前にぶら下がっているものは1つしかございません。ここにも書かれていますけれども、入試は目前ということになってまいります。
 そうすると、実は中学校の中学校社会科、公民的分野の最後の最後の単元は、「よりよい社会を目指して」という非常に興味深い中身が学習指導要領上設定をされておりますが。問題は「が」であります。中3の2月になって、よりよい社会どころじゃないわけですね。というのが多くの学校の実態ではないかと思っております。
 それからもう1つは、教師の側から言っても、特に高等学校の教員は、ある意味、歴史学を学んできた先生方が歴史の授業をやり、大学で地理学をやってきた先生方が地理を受け持ち、政治学や経済学をやってきた先生が「政治・経済」をやりという形で、学問ベースのトレーニングを受けてきた方が、特に高等学校の場合は多いわけで、そうすると、先生方にもよりますけれども、その先生方の中には、社会参画とか合意形成とかといっても余りぴんとこないよという先生方がいるというのも、これは教員養成の立場にいる私の反省でもございますが、そういう先生方もかなりいらっしゃるだろうということも反省材料にはしなければならないだろうなということになってまいります。
 これからの主権者教育に向けてということでお話をさせていただきますけれども、御承知のとおり、来年から小学校、そしてその次は中学校、高等学校と、新しい学習指導要領がスタートしてまいります。18歳成人は2022年でございまして、ちょうど高等学校の新しい学習指導要領がスタートするところで、ちょうど関わってまいります。当然、主権者教育についても、18歳選挙権がこの後も続いていくわけです。
 そもそもということで最初に言えば、世界史の授業でも、「政治・経済」の授業でも、「現代社会」の授業でも、これまで社会科の教員は何を言ってきたかというと、権利というのは闘って勝ち取ってきたものなんだということを、今まで授業の中でも言ってきたわけなんですね。そこにも書かれているとおり、チャーチスト運動や、普選運動や、あるいは婦人参政権の運動はきっとそうだったと思います。
 ところが、残念だけれども、18歳の選挙権は、若者の切実な願いや行動から実現したものではない。そうすると、こういう、言葉は悪いですけれども、上から降ってきたといいますか、棚ぼたといいますか、このような18歳選挙権を、どういうふうに実効性のあるものにしていくかというのは。つまり、子供たちが本当に欲していて、何とか獲得してやろうということでやれば、18歳のモチベーションも非常に高い。しかし、そうでないというのが現実ですので、そこにおいて主権者教育をどうするかというのは、教育課程上の大きな課題、実践上の大きな課題になってくると思います。
 もちろん、この会のねらいは、何も学校教育だけではなくて、社会教育や、あるいは家庭教育というものも射程に入っていることはよく存じ上げておりますけれども、ここではとりあえず学校教育ということで限定させていただければ、そういう18歳、19歳の子供たち、生徒たちに対して、どういうふうにこの実践していくかという大問題があるんだということを、まずはお話しをさせていただきます。
 そうこう言っていても、実際には授業はスタートしていくわけですので、この後、幾つかの課題を述べさせていただいて終わりにさせていただきたいと思います。
 1つは、やはり小学校、中学校、高等学校の連携をどうするかということでございます。小学校6年生の授業というのは、実は多くの部分、歴史の授業なんです。現行の学習指導要領でいうと前半部分──いわゆる教科書でいえば教科書の上というところですけれども、は歴史の授業。後半部分が政治と国際関係という形になります。しかし、次の学習指導要領は、実は政治が頭に来ます。冒頭に政治が入ってきます。これは当然、主権者教育対応ということになるんだと思いますけれども、そこにおける学習を中学校へどう結び付けていくのか。
 そしてなおかつ、これが大問題なわけですけれども、次の学習指導要領では、中学校3年生、公民的分野が3年生で学習されて、そして先ほど申し上げたように「公共」という科目は低学年科目ですから、1年生、2年生に置かれていく。そうすると、中3でやったことと高校でやることを、どう連携し、すみ分けるのか。
 実際、教科書を御覧になった方、いらっしゃるかもしれませんが、中3の公民的分野と、例えば現在でいえば「現代社会」の中身は、ほぼ変わっていないですね。そこをどう連携をとっていくかというのは極めて大きな課題だろうとなります。
 それからもう1つは、学習指導要領上も、模擬的な活動を導入するということが学習指導要領上、明確に打ち出されました。これはとてもすばらしいことだと思います。これによって外部の方々をお呼びしてとか、あるいは様々な活動をすることができるようになりました。「公共」の学習指導要領には模擬選挙、模擬裁判などということが書かれております。そして、もうこの会でも、神奈川県の教育委員会の方が来ていただいて、お話しをされたようですけれども、全県的に模擬投票等を行われたところもあるようですが、そのいわゆる模擬的な活動を、ある意味イベントですよね。イベント、それは文化祭や何かと同じで楽しいに決まっているわけですから、それを、「ごっこ」ではないものにするにはどうするか。つまり、文科省的に言えば深い学びという言葉があるわけですけれども、「ごっこ」でなく、どう深い学びに結び付けていくかということは、やはり真剣に考えなければいけない課題。これは学校教育の課題だろうと。
 それからもう1つは、先ほど申し上げたように、学習指導要領上も専門家や関係諸機関と円滑な連携・協働を図るということが書かれております。つまり、例えば選挙管理委員会の方に来ていただいて、選挙に関わる授業をやるというようなことが、非常に容易にやりやすくなった。学習指導要領で明確化されましたので。ただ、これ難しいのは、じゃ、どういうふうに、丸投げではなくて、先生方と外部の方々、専門家との間の連携を図りながら、その知見を得ながらやっていくのかということ、これ非常に難しいことです。丸投げが一番楽なんです。選挙管理委員会の人に来ていただいて、1時間どうぞやってくださいって、一番楽です。しかし、それでは、やはり深まりは出てこない。
 一方で、事前にたくさんの打合せをして、そこの1時間の授業のために、どこまで何ができるかというのは、これは先生方の時間というものもあるので、これは非常に難しいというところであります。
 もう時間がありませんので、ここら辺は先ほどお話をさせていただいたこととも重なってまいります。他教科との連携をどうするかということ、それから当たり前のことですけれども、学校教育は時間との勝負というところが常にございます。その中で、特に狭く教科、公民科、高等学校の公民科、あるいは中学校社会科公民的分野という教科でいったら何ができるのかということは考えておかないと、あれもこれもということには当然できない。
 御承知のとおり、特に公民的分野は、○○教育という、何とか教育というのは何でもかんでも持ち込まれやすいということですので、それを全てクリアすることなんか当然できないわけですから、公民科として、学校教育として何ができるかということは、相当絞り込んでいかなければいけない。
 それから御承知のとおり、先ほどのこれまでの議論の中でも、ここでも様々議論されてきたようですけれども、学校教育だけではない、社会教育や家庭教育とどのように連携を図るだろうかというのも、次の学習指導要領における教育課題になってくるだろうなと思っております。
 以上、私がお話ししたかったことは以上でございます。
 資料には、この後、選挙制度を構想する授業という形でパワポの資料が含まれていると思いますけれども、これは私が大学で社会科・公民科指導法という授業で学生たちの前でやった模擬授業のようなもので使った資料ですので、どうぞ、それは御覧いただければ結構でございます。
 雑駁なお話で申し訳ありません。以上でございます。
【篠原座長】 大変現実感に沿った、非常にいい話をしていただいたと思います。ありがとうございました。
 それでは、続いて小玉委員より御発表いただきたいと思います。
 小玉委員は、教育哲学、教育思想史などが御専門でして、日本における政治教育についても深い知見をお持ちでございます。
 本日は、その中で主権者教育を推進していく上での課題について、これもまた20分程度で御発表いただきたいと思います。
 それでは、よろしくお願いします。
【小玉委員】 東京大学の小玉です。よろしくお願いします。私の方からは、主権者教育を推進していく上での課題ということで発表させていただきます。
 大きく3つありまして、1つは、主権者教育のことを考える上で、政治的中立性の確保ということが非常に重要な課題なわけですけれども、中立性の確保というと、政治に触れないということが安全なのではないかみたいな、どうしてもそういう雰囲気になりがちなんですけれども、必ずしも政治を扱わないということではなくて、むしろ政治をタブー視しないことが中立の確保に、本当の意味でつながるということが1点目です。
 2番目は、18歳は、選挙に行かないし、余り政治に関心がないと思われがちなんですけれども、決してそんなことはないという話をさせていただきたいということと、3番目は、先ほどの栗原先生の話ともかなり重なる論点なんですけれども、主権者教育を本格的に推進していくためには、今進められつつある高大接続改革という一連の教育改革の中に正面から位置付けていくことが必要なのではないかということを考えてみたいと思います。
 まず1番目の中立性の確保についてなんですけれども、出発点としては教育基本法の14条というのがあります。これは、2つの構造からなっていて、根本は政治的教養が公民として、教育上、尊重されなければならないというところですけれども、政治的な教養の尊重のためには中立性の確保が重要だというのが第2項になります。ですから、あくまでも政治教育を推進していくというのが第14条の趣旨で、そのためには中立性の確保が重要だという第2項が出てくるんですけれども、戦後の様々な歴史、政治と教育の環境の歴史の中で、第2項が若干、独り歩きしてきたという経緯がある。つまり、中立性条項だけが独り歩きして、何のための中立性かというと、政治教育を推進するための中立性なんですけれども、政治に触らないことが中立性だというような感覚が日本の社会、あるいは学校の現場を支配してきた。そこが、戦後70年たって大きく変わろうとしているというのが現在なのではないか。そのために、シティズンシップ教育の視点から政治教育の問題を考えていきたいということで、シティズンシップ教育の視点をちょっと入れてみたいと思います。
 シティズンという概念は、大きく言うと2つの意味があって、1つは政治に参加するという意味、古代ギリシャ以来の直接民主主義の構成員であるという意味。もう一つは、専門家ではないアマチュアであるという意味、つまり日本語の市民というニュアンスにもありますけれども、例えば市民ランナーとか、市民科学者とか、市民音楽家とか、市民が何々と言うときの市民という言葉は、それ自体を、職業的ななりわいとしていないけれども、楽しみとしてやるという意味です。このように、市民という概念は、政治に参加するということと、専門家ではない素人であるという意味と両方が含まれていて、民主主義の政治というのは、全員が必ずしもそのことを専門としていない、プロではない人も意思決定に関わることが民主主義の大前提ですから、そういう意味で政治に参加する市民はアマチュアであるということと有機的に結び付いているわけです。そういう意味での市民をどう育てるかというところが、まさに学校教育の中心的な課題になりつつあるということだと考えています。
 日本でも、2000年代からシティズンシップ教育の推進ということが、様々な政策サイドからの議論の中でも出てきておりまして、自分自身が関わったところに限定して挙げさせていただいてありますけれども、2004年から2006年にかけて経済産業省が三菱総研と協力してシティズンシップ教育宣言というのを出したのが、いわゆる国側からのシティズンシップ教育のアプローチとしては、かなり早い段階のものだったと思います。
 続いて、2011年に総務省が、常時啓発事業のあり方等研究会というものを立ち上げて、その最終報告書が出ております。これがその中身ですけれども、「社会に参加し、自ら考え、自ら判断する主権者を目指して」という提言を出しました。その中の一番下の所に、最終的には次期学習指導要領において政治教育を更に充実させ、学校教育のカリキュラムに政治教育を位置付けることが必要だという提案をしておりまして、キーワードとしては、社会参加の促進と、政治的リテラシーの向上という2つを掲げております。
 この提言は、重要な意味を持ったと考えています。まさにこの直後に、選挙権年齢が18歳に引き下げられ、国民投票法における国民投票年齢も18歳になったということです。併せまして、次期学習指導要領で、先ほど栗原先生の方から御報告いただきましたように、主権者教育や政治教育を中核とする「公共」という新しい科目ができたという形で、この提言がほぼ実現している。総務省と文部科学省の協力の下で、このカリキュラム改革の動きが実現しているというのが今の状況だと考えることが重要だと思います。
 その際に、政治的リテラシーという言葉がポイントになるわけですけれども、これは、バーナード・クリックというイギリスのシティズンシップ教育の政策文書を起草した中心メンバーの政治学者が提案した概念です。政治の本質というのは、対立の調停や異なる価値観の共存にあるので、異なる価値観が対立している場合に、論争的な問題における争点をいかにして理解するのかが政治的リテラシーの核心だと。つまり、争いごと、争点があるというところに政治の本質があって、政治がある社会と政治のない社会の違いは何かというと、世の中に複数の価値観が争いごととして存在している社会は政治がある社会だけれども、争いごとのない社会は政治のない社会だということで、バーナード・クリックは全体主義国家とそうではない国家の違いとして、政治のない社会と政治のある社会という言い方をしております。
 全体主義国家というのは、1つの政党が1つのドクトリンで国民をまとめ上げているので、異なる価値観とか、複数の考え方というものの存在を認めないわけです。それに対して、非全体主義国家、全体主義ではない社会というのは、複数の考え方や複数の見方が存在していて、しかも、それがせめぎ合っていて争点を形成している、それが政治だと。ですから、世の中に政治が存在しているということは、世の中が全体主義にならないためには非常に重要なのだということで、政治そのものの存在をいかにして守っていくのかが重要だというのがバーナード・クリックの考え方です。ですので、政治的リテラシーというのは、いかにして論争と向き合うか、争点と向き合うかというところがポイントだと言っています。
 したがって、論争的な課題をどう教育するかというところは、クリックが中心となって起草した、イギリスのシティズンシップ教育の政策文書であるクリックレポートにおいて、最後に位置している重要なポイントになっているんですけれども、例えば教師が生徒に接する際は3つのアプローチを組み合わせることが重要で、それによって中立性が確保されるということを言っております。中立的なチェアマンとしてのアプローチ、バランスを取るアプローチ、明示的に自分の意見を言うアプローチの3つです。中立的なチェアマンというのは文字どおり中立的な審判者のところに教師が立つ。バランスを取るというのは、例えばある問題についてクラスの意見が、40人いて1対39とかになった場合には、あえて教師が1の立場に少しサポートに入ることによって議論を活性化させる。3番目は、文字どおり教師自身が自分の考えを問題提起として言うことによって議論を促していく。この3つが組み合わさることによって、論争的な問題を議論することが可能になるんだというのが、イギリスのクリックレポートの考え方です。
 クリックの著書ですけれども、図の一番上の「争点を知る」が扇の要にあるというのが政治的リテラシーのポイントで、物事の争いごとの争点は何なのかというところに向き合い、それを考えることが政治的リテラシーの核心で、そのためには先ほどのような3つのアプローチを組み合わせることが重要だということを言っているわけです。
 それから、旧西ドイツが1976年に出したボイテルスバッハ・コンセンサス、これは現在のドイツの政治教育の根幹になっているもので、イギリスのクリックレポートに並び称されるような文書として位置付けられると思うんですけれども、そこでも似たようなことが書かれております。
 まず、教員は、生徒の判断を圧倒してはいけない。どうしても教員と生徒の関係では、教員の力が大きくなりがちだし、権力関係にもなりますので、教員は生徒に対して自らの意見でもって圧倒することをしてはいけない。
 もう一つは、議論があることが議論のあることとして扱われなければならない。つまり、物事には論点や争点があるので、論点や争点がある問題は論点や争点がある問題として示されなければならない。例えば、2つの国の間で、ある問題についてもめている、対立している場合には、もめている、対立しているということをそういうこととして提示することが重要で、あるどちらかの意見だけを取り上げて、これが正しいとか言うことをしてはいけない。
 3つ目は、生徒自身が、あくまでも自分の関心や利害に基づいて政治に参加できるような環境が形成されなければならないということを言っています。
 日本でも、先ほどの常時啓発事業の検討委員会の提言、意向を受けて、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられて、2016年から高校3年生が投票に参加することになった。これが、これまでタブー視されてきた政治教育を活性化させ、教育基本法第14条の空洞化されてきた第1項を本格的に実現していく契機になる可能性があるということで、それは積極的に見ていく必要性があるだろうと。
 18歳選挙権の実現によって大きく変わったこととしては、1969年通達という当時の文部省が出していた通達、「高等学校における政治的教養と政治活動について」が廃止されたということが一番大きな変化だと思います。それに対して、2015年通知という新しい通知が出されました。「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」です。
 この2つの文書の違いは何かというと、政治に参加することは未成年者には「期待されていない」というのが69年通達の基本的な考え方です。つまり、酒、たばこ、政治というのは、同列に位置付いて20禁だったわけです。未成年者は政治をやってはいけないというのが69年通達、当時の学生運動などの背景の中でこういう通達が出ました。
 それに対して、2015年通知の方では、高校生が政治に参加することが「期待される」となって、つまり20禁だった政治が、むしろそれを積極的にやってくださいということになった。この表現の変化は非常に重要で、180度の方向転換を2015年通知はしているということです。ここは、やはり前提として確認しておかなければいけないポイントです。学校の外での高校生の政治活動は2015年通知によって解禁されたということに、なっています。
 学校の中での政治教育に関しましても大きな変更がありまして、具体的政治的事象、つまりこれは生々しい政治です、それを扱うということが、69年通達の方では取扱注意事項だった。くれぐれも十分注意してやってくださいと。制度とか、仕組みとかを公民の時間とかにやることはいいけれども、生々しく、今、まさに争われているようなことを取り上げることは留意して、十分注意してやってくださいと。
 それが2015年通知の方では、むしろ現実の具体的な政治的事象を取り扱うことが重要だと、取扱注意事項から推奨事項に変わったというのが基本的なポイントで、これは先ほどの西ドイツのボイテルスバッハ・コンセンサスとか、イギリスのクリックレポートなどの影響も踏まえて、2015年通知では、やはり争点を具体的に考えることが重要であるということになってきています。
 栗原先生の方からも御紹介ありましたが、文科省と総務省は共同で副教材を出しまして、そこで生々しい政治的事象について取り上げること、政党の政策を比べてみましょう、座標軸を使って考えてみましょうというような内容が盛り込まれています。例えば、経済問題ではこの党とこの党は対立しているけれども、安全保障問題ではこちらとこちらになっているみたいな形にすると、4象限の中に4つの政党が位置付いて、それぞれの政党や政治勢力の関係を複眼的に位置付けることができて、立体的に今の政治状況を見ることができるのではないかと。そのようなことが提案されておりまして、クリックレポートや、ボイテルスバッハ・コンセンサスの精神が、日本の2015年通知以降の主権者教育の中にも入ってきつつある状況があるということです。
 次に、そういった主権者教育を推進するという環境が整いつつある中で、現実の18歳はどうなのかという問題です。18歳選挙権になって初めての総選挙が平成29年、2017年10月22日に行われまして、そのときの投票率が40.49%と出ております。20代よりは高いけれども、下から2番目みたいな位置付けで、これをどう考えるかというのは結構微妙かもしれないです。
 もう少し考えてみますと、2か月前に行われた参院選の宮城選挙区での出口調査のNHKの結果があります。サンプル数が少ないので正確なデータではないですけども、赤が与党系の候補で、青が野党系の候補ですけれども、もう一つ、黄緑があります。これは、N国、NHKから国民を守る党で、面白いのは、やはり18歳、19歳、20代は黄緑が結構多い。結構個性的な、ほか世代とは違うデータが出ているというところは興味深いと思います。
 例えば、アメリカなどでいうと、前回の大統領選挙の出口調査の結果で、民主党のクリントン、共和党のトランプ、10代から30代と40代から60代とで明らかに分かれているという結果です。
 それから、去る6月16日に香港で行われた200万人デモということで、これも中心になっているのは中学生、高校生、大学生なわけです。そうしますと、香港でも、アメリカでも、イギリスでも、ヨーロッパでも、10代から20代、30代というのは政治を変革していく主体として非常に大きなうねりを作っている。それに対して、よく言われるのは、日本の10代、20代というのは必ずしもこういうようになっていないのはなぜなのかという言い方をされるんだけれども、先ほどの出口調査の結果などを見ても分かるように、いいか悪いかという問題ではなくて、やはりほかの世代とは異なる動き方をしているという意味では、日本の高校生、10代、20代もそれなりに動き始めているというか、当事者としての高校生の声をやはり見ていく必要性がある。
 信濃毎日新聞の7月23日付の記事ですけれども、10代の投票率が27.71%、前回から17.82ポイント低下したというデータが出ています。これは全国的な傾向とも合致しておりまして、これをもって主権者教育の効果が出ていないのではないかという議論があるんですけれども、注目したいのは、18歳の中で高校3年生に相当する4月から7月22日に生まれた人に限ると53.34%だった。この53.34%という高校3年生の投票率というのは、有権者全体の投票率48.62%を4.72ポイントも上回っているということです。
 つまり、高校3年生というのは、これはあくまでも松本市のデータですけれども、全体が27.71%の中で、高校3年生に限定すると53.34%だったというデータですので、推測すると結構多くの高校3年生に当てはまっている可能性がある。したがって、10代全体としては20%、30%の投票率だったとしても、高校3年生に限定すると60%近くが投票に行っている可能性があるんです。ですので、実は高校3年生は政治に参加している。だけど、高校を卒業してしまうと途端に政治に参加しなくなるという問題があります。「18歳をナメるな。」という神戸市の選管が出したポスターもありますけれども、必ずしも18歳そのものが政治参加に対する意識が低いと見るべきではない。むしろ、高校を卒業した後、大学に入ってからの問題と一貫して考えていく必要性があるということで、次の高大接続改革の話です。
 日本の受験システムというのは、シグナルとしての学力と書いたんですけれども、受験学力を養成するというのが基本的なシステムだったので、先ほどの栗原先生の話にもありましたけれども、公民科というのはやはり受験科目としては使い勝手が悪いので、高校3年生は余り公民を真面目に勉強しなくて、社会科を受験科目に使うときには地理とか歴史を使う人が多い。それは、結局、社会科が知識を習得するための暗記科目として活用されるので、本当の意味での公民的な思想を習得するような学習になっていない。それは、実は日本の受験システムそのものがそういうシステムとして存在してきたという問題がある。
 それを変えようとしているのが今の高大接続改革で、センター試験が来年から廃止されて新しいシステムになります。それに即して、学習指導要領も学力の三要素ということで、学びに向かう力、思考力・判断力・表現力、知識・技能の習得、この三位一体となったものを学力として考えています。そのためにアクティブ・ラーニングが重要だとなっているわけです。
 これは、私たち東京大学教育学部の教員の共同研究の考え方ともかなり近いということで少し紹介させていただいたんですけれども、日本の今までの受験システムというのは、アカデミズムが知識を生産して、アカデミズムにおいて生産された知識、先ほどの栗原先生の話で言うと学問ベースという話がありましたけれども、アカデミズムによって生産された知識を下に下ろしていくというのが今の受験システムで、いかにしてアカデミズムにおいて生産された知識を覚えて、習得するかということをペーパーテストで測るのが今までの学力システムだったんですけれども、そこを転換させていくことが重要で、初等中等教育は知識を習得する場で、高等教育からが知識を生産する場だという考え方を転換させて、むしろ初等中等教育の段階から知識を生み出していく、探究していく。それによって、既存の高等教育におけるアカデミズムの体制そのものを組み換えていくような、研究と教育の分業関係を転換させていくというところが、高大接続改革の中の非常に重要なポイントになってきているのではないかとみています。単なる民間試験の導入とか、入試改革ということだけに矮小化されるべき問題ではなくて、初等中等教育とその後との関係構造の転換が目指されていると理解すると、18歳選挙権の問題や、今度、民法も改正されて成年年齢が18歳になりますけれども、18歳までの主権者教育そのものが、こういった高大接続改革の中で、政治そのものを探究する市民を中等教育において育成するということがやはりポイントになってくると思います。
 そういう視点で主権者教育を考えたときに、2015年通知のポジティブな部分を発展させていくというところが、非常に重要な課題になってくるのではないかと思います。
 ということで、私からの発表にさせていただきます。どうもありがとうございました。
【篠原座長】 どうもありがとうございました。
 それでは、今、若干、時間が押していますけれども、11時半近くまで、お二人の御発表に対して、どちらでも結構ですので、御質問、又は御意見などありましたら、どうぞ皆さん、御自由に御発言を頂きたいと思います。本日、初めて御参加いただく委員の方がいらっしゃいますので、御発言の際には名札を机上に立てていただくようお願いします。また、御発言の後には名札を元に戻していただければ幸いです。
 それでは、いかがでしょうか。それでは、松川委員、どうぞ。
【松川委員】 それぞれ大変すばらしいプレゼンで、ありがとうございました。
 栗原先生、小玉委員、1点ずつ質問させていただきたいと思うんですけれども、栗原先生のお話の中で、今、盛んに行われています模擬選挙とか、模擬裁判がやはりイベントになっていて、なかなか深まりが見られないというようなお話があったと思います。小玉委員の御発表の中にありました政治的リテラシーを育てるという意味では、模擬選挙をもう少し深めるという意味で、また、現状でも優れた模擬選挙というのはあるのかもしれないんですけれども、あれは政治的リテラシーを養う場としては機能するものだと思うんです。だから、どういう争点を持ってくるか。それから、その争点について、それぞれの考え方をうまく構成していけば、単なるイベントで終わらない可能性もあると思うんですけれども、その辺、現状と、イベントに終わらないための深まり方というのは、どのようなものがあるかということをお教えいただきたいと思います。
 それから、小玉委員の方には、18歳の特徴的な選挙行動ということで、先ほど見せていただいたN国だとか、30代以上とは少し違う行動が日本でも見られるということだったんですけれども、委員のお話の中で、どこでしたか、要するに高校生とか18歳、大学生もいいですけれども、彼らの自らの関心とか、利害に深く関われば、30代以降とはかなり違った投票行動が出てくる。若者の関心とか、利害というものは、具体的にどういう政治課題だったら出てくるとお考えか、その辺、教えていただければ有り難いと思います。
 以上です。
【篠原座長】 それでは、栗原先生からどうぞ。
【栗原日本公民教育学会長】 御質問ありがとうございました。とても本質的な御質問で、私は十分な答えを持っておりませんけれども、先ほど申し上げたとおり、いわゆる模擬的な活動を行って、それが一種のイベントになってしまって、そこから深い学びに結び付いていかないという形は、実はもう繰り返し、繰り返し批判があって、特に社会科教育の歴史でいうと、1940年代、50年代の社会科教育は、児童中心主義という形でカリキュラムが組まれている時代があって、その時代の、いわゆる「ごっこ」、「はい回る社会科」などと言われたわけです。
 その原因の一つは、模擬投票もそうだと思うんですけれども、結局、振り返りがないということです。例えば、現実の参議院選挙なら参議院選挙、衆議院選挙なら衆議院選挙を素材に、例えば金曜日に模擬投票をやって、日曜日に投票があって、月曜日の授業で結果が出てという模擬投票のやり方が一つあると思うんですが、その場合に、自分たちが選んだ結果と、現実の結果が違ったのはなぜか。その違った原因として、私たち、高校生なら高校生ですが、高校生の重視したものと、そうでなくて大人というか、実際の有権者が重視したものはどこが違うのか。そのどこが違うかということをどう振り返ったらいいのかという振り返りが、やはりイベントを立ち上げるのはものすごく体力が必要ですし、先ほど申し上げましたけれども、高等学校の公民科は2単位科目です。2単位というのは、35週間で考えますから、70時間です。
 こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれませんけれども、決して70時間も授業はできません。学校行事、定期試験がありますから、せいぜい60時間に行くか、行かないか。その中で模擬投票のために何時間を割けるかということになれば、先ほどの繰り返しになってしまいますけれども、そこをやるまでは行くんだけれども、その後、振り返りがあって、そして深い学びに結び付いていくためには、なぜという問いを立てなければいけないと思うんですが、そのなぜという問いに対して、子供たち自身が検討するという時間が恐らく十分取れないだろう。結局、やりっ放しになってしまうだろうということでございます。
 したがって、私が申し上げたいのは、やはり振り返り、デブリーフィングなんていう言い方をしますけれども、振り返りというものをやはり重視したいというのが私の考え方ですが、先ほど申し上げたことですが、これは非常に難しいことではあります。時間の制約がございます。
 以上でございます。お答えになっていないと思いますが。
【篠原座長】 ありがとうございます。
 では、小玉委員、お願いします。
【小玉委員】 例えば、欧米などでは、アメリカでもトランプ大統領や、あるいは民主党の中ではどちらかというと左派系と言われるサンダース候補とか、あるいはヨーロッパでもブレグジットを促している政党だったり、移民排斥を唱えている政党だったり、逆に貧困を救うために富裕者に対する課税強化を標榜している政党だったり、右左両方側から、いわゆるポピュリスト政党がいろいろ出てきていて、そういうところが20代、30代の支持を得ている傾向があります。
 日本の政治状況は、右も、左もポピュリスト政党が欧米に比べるとそれほど出てきていないという状況があって、そういうことも若い人の感性に届かない、日本の政治が届いていないということの裏返しなのかなと思っていたんですけれども、この間の参議院選挙を見てみると、右から左からも、少しずつですけれども、ポピュリスト的な主張をする政党が、部分的に出てきていて、やはり若い世代はそれに敏感に反応するので、日本でも、欧米ほど顕著ではないけれども、そういう傾向が少し出てきているかなと思っています。
 それをどう見るかというのは非常に大きな問題なんですけれども、私は、世の中が変化していくときに、ポピュリスト的なムーブメントというのは、危険な部分と同時に可能性、従来のシステムを組み替えていくチェンジメーカーの創出、到来を促すという面と非常にアンビバレント、両方の面があるので、必ずしも否定的にだけ捉える必要はないと思っております。そのためにも、先ほどのクリックが言っているみたいな、やはり争点をきちんと知ることで、世の中には複数の考え方があって、私たちはその中のどれを選択したらいいのかということを、争点を考えるというところを中心にして、主権者教育を組み立てていくことが学校教育のメインの課題です。
 あとはもう、20代がどう考えるか、どう動くかというのは、学校の外で自由にいろいろ動いて、それがポピュリスト的な動きになれば、それはそれであってもいいのではないか。そういう学校の中でやるべきことと、学校の外で彼ら、彼女らがやることとを分けながら、往還関係というんですか、それを作っていくことが重要なのかなと思っています。
【松川委員】 ありがとうございました。
【篠原座長】 いいですか。
【松川委員】 はい。
【篠原座長】 それでは、他に。どなたが先だったかな。それでは、神津委員、いきましょうか。神津委員、植草委員、田村座長代理。
【神津委員】 それぞれ、今後の実践につなげていくべき問題提起もあったと思います。ありがとうございました。
 質問は、少し振り返りの部分なんですが、それぞれ一つずつお聞きしたいんですが、栗原先生にお聞きしたいのは、まさに率直な反省ということで、文字どおり率直な反省というタイトルで表現されているところは非常に大事なことだと思っています。教室の中での実践にとどまっていた、あるいは教科書の逐次解説をやっているにすぎなかったと、非常に大事な内容と思うんですけれども、公民教育学会として、以前から主権者教育に関わって統一した見解を示したことはないと、これもこれまでの事実経過だと思うんですが、そもそもの使命として、公民教育学会として扱っている公民教育自体が、主権者教育という表現をもって、これを扱うということになっていなかったのではないかと思ったものですから、その辺りをお聞きしたいと思います。
 それから、小玉委員には、教育基本法の第14条第2項が結果として足かせになったというような問題意識だと思うんですけれども、まず、海外、主権者教育が進んでいる欧州の国などにおいて、これに相当するような条文を法律で持っているかどうか、ということ。そことも関連するんですけれども、御指摘のあった1969年通達から、今は2015年通知ということで、ここは相当がらっと変わってきているということがあると思うんですが、先ほど申し上げたこととの関わりで言えば、法律のそもそもの条文が災いしていることがやはり大きかったのかどうか、というところについての見解をお聞きできればと思います。
 以上です。
【篠原座長】 ありがとうございます。
 それでは、栗原先生、どうぞ。
【栗原日本公民教育学会長】 ありがとうございます。先ほど申し上げたように、公民教育学会は、学会ですので、参加者が自由な発言をできる、それから自由な立場から何らかの主張ができるところですから、学会として何か統一見解を持って発言はしてなかったというのは、もうそれはそれで事実です。ただし、先ほど申し上げたとおり、学会の中では主権者教育に関わる多くの研究発表が行われて、それぞれがいろいろな見解を持って研究活動を行っているというのが事実でございます。
 そして、そもそもということで申し上げれば、先ほど私は報告の中でも出させていただきましたけれども、社会科は公民的資質を育成することを長らく教科の目標として掲げてまいりました。その公民的資質の公民という言葉は、すごく割り切って言ってしまえば有権者という言葉に結び付いてきますから、当然ですけれども、それが歴史であろうと、地理であろうとも、最終的には有権者教育に結び付いてくるというのが、建前と言っては何ですけれども、それがねらいだったというのは事実だとお考えいただければいいと思います。
 それは、実は教育課程上もそうなっておりまして、今、小学校は3年生、4年生、5年生、6年生という4年間で社会科という授業が行われていますけれども、最後の最後は、6年生で政治を学びます。それから、国際関係を学びます。公民で終わるんです。それから、中学校3年生も公民で終わります。これは、つまり義務教育の締めは公民で終えるという構造になっております。それから、現在、高等学校社会科は解体されて、先ほど申し上げましたように再編成されて公民科と地歴科になっていますけれども、従来、つまり地歴科と公民科ではなくて高等学校社会科と言われていたときも、実は日本史や世界史が必履修科目であったわけではないんです。必履修科目は、常に公民系科目だったんです。それは、高等学校における社会科も社会科と名乗っていて、先ほど小玉委員から受験は公民ではという話がありましたけれども、確かにそのとおりで、生徒たちにとっては地理や歴史の方が受験科目として重要性が高いというのは事実だけれども、実は必履修科目は一貫して公民系科目だった。それは、やはり70年間の社会科の教育の中で、有権者を育てるというところが究極のねらいなんだということは共通していたとお考えいただけるといいと思います。
【小玉委員】 教育基本法の第14条の規定を受けて、例えば教育公務員特例法とか、中立性確保法とか、日本の法律でも小学校の先生方の政治的な中立性を確保するための様々な法律がありますけれども、それはある意味で当たり前のことを規定しているという部分もあります。つまり、学校の先生方が教室の中で政治的な活動を行うことはやはりよくないだろうと。
 それが、なぜ足かせになってきたのかというところの問題が非常に大きいと思っていて、日本の場合は、冷戦の時代にかなりイデオロギー的な左右の対立が教育現場の中にも持ち込まれていて、例えば教員組合と当時の文部省がイデオロギー的に対立していたみたいな状況の中で、法律がそこに適用されてきたという割と不幸な歴史があったのではないかと思っています。ただ、そこの構図は1990年代の政治改革以降、冷戦が終わって、日本国内でもかなり変わってきていて、教員組合と文部科学省の関係も90年代以降、平成になってからの30年間というのは劇的に変わってきています。日教組出身の文科副大臣も出てきている時代ですので、状況そのものが変わってきているので、いわゆるイデオロギー対立の時代とはかなり変わった形で、学校と政治の関係をもっとポジティブに考える時代になってきているということを考えれば、ドイツのボイテルスバッハ・コンセンサスや、イギリスのクリックレポートの考え方というのは、日本の今の法制度と何ら矛盾しない形で導入することができるのではないかと、今、思っているということです。
【神津委員】 ありがとうございました。
【篠原座長】 よろしいですか。
【神津委員】 はい。
【篠原座長】 それでは、植草委員。
【植草委員】 ありがとうございました。私の方から、質問と意見と両方になると思います。
 まず、栗原先生のところですけれども、私も、もともと公民科、「政治・経済」の教員だったものですから、やはり今までの公民科の単位数、大体2単位ということで非常に難しい、要するに全て教えるのは難しい。あと、高校段階だと、どうしても国とか、国際関係とか、そういったところに費やさなければいけないかなという思いがあります。ただ、私が今いる学校も、いわゆるボリュームゾーンの学校で、やはり生徒の興味というと、どうしても国や国際というと躊躇する部分がある。そうなってくると、生徒がダイレクトに反応しやすい部分というのはやはり地方自治なのかなと。特に、市町村レベル辺りというのは生徒が非常に反応しやすいのかなと。冒頭の説明のところにもありましたけれども、例えば都市部と郡部だけでも大きな課題の違いがあるわけですし、そこはもう自分が生活している中ですから、生徒は非常に分かりやすいのかと。私も、今の学校でそういうことをやらせてみると、生徒がいろいろな活動をしているという感じがします。
 そうなってくると、次の公共にどこまで関われるかというのはあるんですけれども、一つ、少し暴論みたいになってしまうかもしれないんですけれども、主権者教育の一番の根幹というのは、むしろ公共よりも総合的な探究の時間等で中心的にやっていき、そこで小・中学校との連携もあるし、さらに公共はむしろ補完的な格好というのはどうなんでしょうか。その辺、もし御意見あればというのが1点です。
【篠原座長】 それは、どなたにですか。
【植草委員】 栗原先生に。
 栗原先生にもう1点、先ほど模擬選挙の……。
【篠原座長】 短めでお願いします。
【植草委員】 分かりました。
 模擬選挙の分析というのがあったんですけれども、実は模擬選挙の分析というと、私、前に千葉市の学校にいたんですけれども、千葉市の選管が市議会の議論を中心に市長のマニフェストを模擬でやったんです。そのときにIRを入れたんです。小・中学校だと、IRはほぼ反対が出るんです。高校生だと、IRはある程度賛成する生徒が出てくる。その後、何でそうなるのかということを話し合わせると、金が稼げていいのではないかと。治安のことについては、そのお金で治安を何とかすればいいのではないかと、そういうことを言う生徒が出てくる。そういったところが分析としては面白い、話し合わせると面白いのかなというのがあります。
 ごめんなさい、もう一つだけ。小玉委員にも1つだけ質問があるんですけれども、先ほどの分析等で、子供たちがネットに影響されているというのはすごくある。高齢者は新聞とかテレビの方の情報で政治を判断しているんだけれども、子供たちはやはりネットということなんですけれども、そういう世代がどういう情報を得て投票に向かったかというような分析等はあるんでしょうか。その3点です。
【篠原座長】 まず、栗原先生から。
【栗原日本公民教育学会長】 ありがとうございます。私自身も社会科の教員ですので、社会科の教員というのはどうしても天下、国家を論じたがるという習性があって、地方自治よりもということですよね。しかし、一方で、小学校の社会科は典型的ですけれども、いわゆる同心円的拡大というカリキュラムの組み方がございまして、自分自身を中心としながら外へ外へとカリキュラムを組んでいくというのが、小学校の社会科のカリキュラムでございます。ですから、主権者教育ということから考えても、地方自治、あるいは地方政治から考えたらどうかという御示唆はとても参考になると思っております。
 特に、主権者教育、あるいは18歳選挙権となると、どうしてもこちら側は投票者というスタンス、投票行動をどうするかということですけれども、地方というレベルまで持ってきたら、自分が候補者になるという立場での政治参加も考えた方が、考えることもできるのはないかと、常日頃、思っております。と申しますのは、御承知のとおり、今年春、行われた統一地方選挙の一つの大きな焦点は、候補者がいないという問題でございました。そうすると、立候補者になるプロセスを学ばせるという主権者教育の在り方も一つはあるだろうと考えております。
 もう一つは、総合的な学習の時間を中心にして、高校ですので探究ということになるかもしれませんが、「公共」を補完的にということも一つの考え方としてあると思っております。「公共」は、もう植草委員よく御存じのとおり、とにかく時間が、週2時間の授業、1回でも国民の休日が入ってしまったら1週間授業がないということですので、それを改めるためには総合的な探究の時間ということもあると思います。ただし、これも難しいところで、高等学校の場合、担任指導が総合的な探究の時間になってきますし、学年単位で動いたりということがあるので、そこを教員間でどういう合意形成をするかという辺りは難しいところかもしれません。
 すみません。以上です。
【篠原座長】 ありがとうございます。
 それでは、小玉委員。
【小玉委員】 今の前半の論点については、カリキュラムマネジメントで、公民と総合的な探究の時間と、生徒会、学校行事を有機的に組み合わせるというところは、それぞれの学校単位で工夫されていくといいかと思います。
 それから、SNSとかインターネットの一番の欠点は、自分に都合のいい意見だけを見がちなので、どうしても自分と異なる意見と向き合わないというか、自分が思っている意見を満足させてくれるようなメディアとか、人とかを見て満足して、自分の主張をどんどん自己肥大化させていくみたいな傾向があって、それが悪い意味でのポピュリスト的な動きにもつながっていく。今、デジタルシティズンシップという考え方を少し考えておりまして、今度、11月9日にも文部科学省の方にも来ていただいて研究会をやるんですけれども、デジタルシティズンシップというくくりの中で、SNSとか、携帯とか、ユーチューブとか、いろいろなものとどう向き合うのかということを、先ほどの政治的リテラシーの視点を含んで位置付けていくということを、やはり本格的に考えていく時期に来ているのかなと思います。
【篠原座長】 ありがとうございます。
 それでは、中村委員、どうぞ。ただ、時間が少し押していますので、簡潔にお願いいたします。
【中村委員】 簡単に。やはり主権者教育というのは、主権者としての行動をどう取るかということなので、教えるというお話ではないと思うんです。これは、やはり思考を喚起して、判断力を身に付けさせる、そういうことを涵養するような教育はどうあるべきなのか。一方的に教えるという世界の問題とは全然違う話だと思いますので、その辺、栗原先生の御見解も少しお聞きしたいと思っております。
【篠原座長】 どうぞ。栗原先生、お願いします。
【栗原日本公民教育学会長】 ありがとうございます。ここら辺が難しいところでして、思考したり、判断したりということを、当たり前ですけれども、主権者教育でもしたいわけですけれども、思考や判断をさせるときに、やはり頭の中に思考判断できるだけの材料がないと思考判断できないという当たり前の事実があります。ですから、おっしゃったことで言うと、いきなり思考しなさい、判断しなさいという形ではいかないわけで、その前提として基礎的な知識、つまり教えた上で判断させる、考えさせる。要は、ある意味ステップを踏んであげないと、特に学校教育はそこら辺が重要になってくるだろうということになります。ただし、ここら辺はもうバランスで、非常に難しいバランスを取らなければならないと、私としてはいつも考えているところです。
【篠原座長】 ありがとうございます。
【中村委員】 ありがとうございます。
【篠原座長】 それでは、田村座長代理。
【田村座長代理】 両先生から、いいお話を伺いました。ありがとうございました。
 実は、特に栗原先生の、地歴、公民を分けたとき、私、中教審の委員でして、懐かしく思い出されました。あのときの委員長、よく江崎玲於奈先生がおっしゃっていたのは、「まねぶ」ということの重要性をよくおっしゃっていました。つまり、まねをするところから学問は始まると。今の先生のお話のとおりで、まねぶ、まね飛び、それから飛びはねなんだと。
 このまねるというときに、何を基にまねていくか。今の時代は、むしろまねすることを嫌がる、個が強くなり過ぎてしまっているんです。だから、若者は、まねることは何かまずいことをやっていると勘違いしてしまうという時代の風潮があるんです。ただ、そこは非常に難しくて、まねで終わってしまうという長い間の経験があったものですから、そこをどう乗り越えるかということなのだろうと思います。
 実は、主権者教育というのは、まさにその部分が端的に出てくる。学問というのは、もともと、私は江崎玲於奈さんが言うとおりだと思っているんですけれども、全てまねぶ、まねるところから始まるわけで、まねることを基にして、自分がどう考えていくかということを自分で作り上げていく、その過程が学問する中身である。そのまねる対象は、最近で言えば、アドラーのいうところの仲間意識というんでしょうか、ある一定集団、これはいろいろな集団があるわけですけれども、その集団の中で共通に選び抜かれた考え方とか、物の仕組みとか、法則とか、そういうのはまねる価値があると考えられます。
 ですから、そこのところを教える側がよく考えて、伝えていく必要があるだろうと思うんですが、その点でいいますと、これは御質問であり、お答えを頂ければと思っているんですけれども、今の日本の主権者教育については、まず、その部分の柱がない、迷っている、どうしていいか分からない。小玉委員のお話にもありましたが、今の若者たちのニュースの取り方というのは、まさにNHKではなくて、SNSで取っているわけです。だから、自分の好きなものしか見ない。好きなものしか見ない人たちに対して、どう主権者教育するかということを考えなければいけないわけです。それは間違っているんだという言い方をしてしまうと、結局、若者は何も情報を持たないままに、どうなるかというと、面白そうな人に投票する、本当に考えてやっているのか。そこのところが落ちているのではないかという気がするんです。
 同時に、まねる重要な部分を失っているために、かつてのはいずり回る社会科というのが、そのまま今の公民教育の中に残ってしまっているという心配もあるわけです。ですから、その辺のところをきちっと教える側は、やはりまねるから始めるんだと。そのまねる対象は、外国は非常にいい参考を示してくれているわけですから、それを大いに活用するべきだろうと思います。
 現実的に言いますと、私は現場にいますので、高校生の日常を見ていると、日本の高校生は国際会議をやると、本当に実感するんですが、物すごく子供です。これは、もう比較にならないぐらい、いわゆる子供なんです。びっくりするぐらいです。その点、外国の高校生は見事なものです。もう本当に大人としての行動をしている。考えてみれば、18歳主権をしたときに、日本は世界中で一番遅い国の幾つかに入っていたわけです。今、残っているのはロシアぐらいですか。しかし、日本がやったのは、たしか最後から2番目か、3番目ですよね。今の若者は将来、そうでない人たちと付き合って、国際的に活動していかなければいけないわけです。その部分を、今、我々はこの主権者教育というものを通して、学問の仕組みを考え、そして国際化ということの意味を考え、それを普及させていく形に持っていきたいと思っていますけれども、その辺、御意見があれば。
【篠原座長】 どなたにお聞きになりますか。
【田村座長代理】 お二人の先生に。
【篠原座長】 では、少し短めでお願いします。
【栗原日本公民教育学会長】 時間がありませんので、もう本当に短く。
 政治的社会化という言葉がございます。この場合の社会化は、科目の社会科ではなくてソーシャライゼーション、赤ちゃんとして生まれてきた子供が社会に適応していくというところです。今、田村座長代理の方から「まねぶ」という話がありましたけれども、その中に社会科の担い手というか、エージェントには、当たり前ですけれども、学校教育はその一つですけれども、何よりもそれよりも家庭教育がやはり大きな影響をまねぶ対象になってきます。例えば、親が、母親、父親がニュースを見て、その問題について語っている、新聞を読んでいるという姿が見えるか。それこそ、日曜日に選挙に行くか、行かないかという辺りのところは、子供たちの政治的社会化に大きな影響を与えるということが研究結果としてございます。
 まねぶという言葉から、今、私の頭の中にあったのは、その政治的社会化ということですので、それは先ほど申し上げたように家庭教育、それから社会教育、もちろん学校教育という中で役割分担、それぞれ何があるのかということを検討しながら進めていくということが重要ではないかというのが率直な感想でございます。
 以上でございます。
【篠原座長】 それでは、小玉委員。
【小玉委員】 日本の高校生が子供かどうかというところは、結構面白い論点だと思っていて、私は結構可能性もあるかなと思っていたのは、先生のところの渋谷教育学園幕張の高校生と模擬裁判選手権で対話したときに、非常によく考えていて、むしろこちらが勉強させられるぐらいでして、やはり当事者の高校生と語り合う場を持っていくということは結構重要かなと。香港の高校生たちも、日本の若者文化から非常に大きな影響を受けていまして、その意味でも日本の若者文化や高校生の文化というのは、結構、新しい時代を作っていくポテンシャルを持っている部分もあるのかなと思います。
【篠原座長】 ありがとうございます。
 それでは、時間も来ましたので、最後に私から一言だけ。今日のお二人の御意見、お話をお聞きしていても、やはり学校だけではない、社会、それから家庭ですね、そういうものが三位一体でやらないとだめだということが認識として深められたと思います。それから、小・中・高・大学まで通じて、どういう流れを、主権者教育の流れを作っていくかということも大きな課題ではないか。18歳の投票率がそれなりにキープされていても、翌年の選挙で19歳になったときにはがくんと落ちる。これ、身に付いていないということですから、これをどうやって、中村委員もおっしゃったように、教えるのではなくて、自然に子供の頃から身に付いていくような教育をどうしたらいいのか。これも大きな課題ではないかなと感じました。
 最後に、小玉委員に、先ほど総務省の、これは何年だ、最終報告。
【小玉委員】 2011年。
【篠原座長】 実は、御存じだと思いますけれども、田村座長代理もいらっしゃいますけれども、我々、2008年、2009年に教育再生懇談会という、総理官邸で総理直属の機関であって、私と田村座長代理などを中心に、実は主権者教育のワーキンググループで案をまとめたんです。ところが、それを提出する先が、政権がかわったりして、この懇談会そのものも廃止されて宙に浮いてしまったんですけれども、恐らく我々がそれをやったときが、総務省のこういう報告の前に、一番、政府の文書として主権者教育を全面的に取り上げた報告書だったと思いますので、その点だけは少し御留意を頂きたい。そのときの教育再生懇談会、これは田村座長代理も御記憶あると思います。
【田村座長代理】 そうですね。麻生さんのとき。
【篠原座長】 福田、麻生さん。だから、公民教育学会の方々にも、そのときみんなヒアリングで来てもらいましたし、当時の松沢神奈川県知事にも来ていただいて、シティズンシップ教育を非常に熱心にやられて、日教組委員長だったかな、幹部にも来ていただきました。
 そんなこともありますので、小玉委員、余計なことですけれども、パイオニアは我々のところですから、ひとつよろしくお願いします。
 以上でございます。
 では、時間、少し過ぎましたけれども、これで本日の会議は終わりとさせていただきます。どうも忙しい中、御出席、栗原先生、小玉委員もありがとうございました。
 神津委員も、初めての正式なメンバーとして、発言の機会が少なくてすみません。
【神津委員】 いえ、とんでもないです。

―― 了 ――

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