資料3-4 全国高等学校PTA連合会提出資料

平成27年9月30日

18歳選挙権年齢引き下げに関する意見(修正版)

一般社団法人全国高等学校PTA連合会
会長 佐野 元彦

※用語について
 各種の紙誌、書籍、報道では主権者教育・政治教育・公民教育・シチズンシップ教育(市民性教育)など類似の用語が併用されている。それらに学術的上の定義に区分があるとしても、一般市民にとっては使い分けるのが難しい。よって、ここでは「主権者を育てる教育」及び「主権者に対する教育」の意味で「主権者教育」の語のみ用いる。 

1 基本認識

(1)制度改革について
  今回の選挙権年齢の引き下げは、我が国において本格的に主権者教育を推進する転機となる画期的な政策であり、若者の政治参加を促す起爆剤として本会も大いに歓迎し期待するものである。また、全国のPTA活動に新たな公共的使命を与えるものとして受けとめ、大いに責任を感じている。

(2)昭和44年の通達について
  当時の高校生・大学生の過激な政治行動を抑制し、学校における政治的中立性を確保するためには止むを得ない措置であった。一方、そのような過激な政治行動が発生した背景には言うまでもなく当時の緊張した政治状況と大学紛争があるが、看過してはならないことは、当時において十全な主権者教育がなされてはいなかったという問題である。

(3)通達後の主権者教育について
  通達以降、主権者教育は後退の一途をたどった。行政も学校・教員も政治的中立性を意識するあまり、学校における政治的教養の陶冶という優先的課題を事実上封印してしまった。つまり、主権者教育の責任は政治経済・現代社会、公民など一部の教科・科目の役割に矮小化され、3年間総計しても実質1~2単位程度の履修時間で細々と行われてきたにすぎないのである。この結果、日本国民の多くは現在まで半世紀近くにわたって、政治的教養の基礎となる一部の限定的な知識を習得するだけで有権者となってきたのであり、いわば政治的教養の貧困な有権者が大量に生み出されてきたのである。この歴史こそが「民主主義の危機」と喧伝される今日の状況をもたらした主因ではないだろうか。

(4)政治的活動の現況と今後について
  半世紀近い政治的活動の制限の結果、現在の学校においては高校生や教員の政治的活動という表現形式や文化が存在しないと言っても過言ではない。生徒も教員も自身の政治的行動は勿論、政治的信条を表出することには極めて抑制的であり、その点では学校に政治的な文化風土そのものが存在しないともいえる。時代状況も大きく変わり、高校生にとって昭和44年当時の大学生のような政治的行動モデルも存在しないに等しい。また一部を除いて学校にも教員一般にも「政治的教養の陶冶」という視点自体が欠落している。従って、選挙権年齢の引下げによって高校生や教員の政治的行動が俄かに活発化するとは考えにくい。仮に活発化したとしても、それが学校における政治的な過激行動につながるとは想像しにくい。むしろ、今後の体系的な主権者教育の拡充により、生徒・教員が今まで以上に政治的中立性を強く意識するようになり、政治的な活動には慎重な態度を保持するものと思われる。周囲も個人の政治活動には敏感になり、その過激な政治行動を厳に許さない風潮が醸成されるものと想定される。

(5)主権者教育における連続性について
  義務教育段階での主権者教育を前提にしても、わずか2年余りで有権者になる総仕上げをしなければならない。つまり入学時から彼らに対して体系的で手厚い主権者教育を施す必要がある。その際、教育の連続性や基本的人権の普遍性に照らせば、選挙権以外の政治的権利は高校生すべてに一律保障すべきであると考える。同時に高校生と大人との間にも権利上の差別があってはならない。高校生だからという理由で高校生の政治的権利・政治活動を制限することは論理的根拠を持たないであろう。選挙権が付与された時点で、私たち大人は高校生を同格の政治的仲間として迎えたのであり、彼らを「未熟な若者」として見下したり、保護と引き換えに権利を抑制したりすることは許されない。今後は高校生に対する大人の抑制的な姿勢そのものが高校生の批判にさらされることは覚悟した方がよいだろう。

(6)主権者教育の担い手について
  残念ながら現在の高校教育は様々な教育課題への対応に迫られ、学校も教職員も疲弊しきっている。週5日制移行後は学習時間も削減され、新たな課題に対応するにはカリキュラム上にもゆとりがない。従って、主権者教育を学校の責任だけに帰するのは酷であり、むしろ学校外の社会が主権者教育の実質的責任を負うべきものと考える。国・地方自治体の責任は当然としても、さらに今後は「地域*」がその重要なプレーヤーになるべきである。つまり、学校が基礎とコアの学習プログラムを用意し、地域が実践的な探究と訓練を受け持つような姿が想定される。この点に私たちPTA(学校PTAと各連合会)の引きうける役割があると考える。(*「地域」の規模や範囲については別の機会に提起したい。)

(7)大人への主権者教育について
  選挙権年齢の引き下げは高校生に対する主権者教育の契機となるだけでなく、遅ればせながらも国民一般に対する教育の絶好の機会となる。高校生だけではなく、大人にも主権者教育が必要なのであり、その政治的教養の質的向上こそが高校生に対する主権者教育の成否を握る。大人自身が学ぶことにより主権者教育の土壌が豊かになり、それが子どもの教育を支え、牽引する力となるはずである。そして、大人と子どもが共に学び、互いに高め合うことで大きな成果が生まれるだろう。そのいわば教育的チャレンジが現下の喫緊の課題である高校教育改革、大学教育改革の突破口にもなるものと期待される。

2 主権者教育の充実に関して

(1)大人の政治的態度
  大人が高校生に対して単一の価値観をもって政治的信条を主張したり、特定の政党の立場から主義主張を行ったりすることは政治的教化であって、主権者教育とは異なるものである。この点、大人は十分に心しておく必要がある。さらに、自己の主義主張と対立的な意見も合わせて提示する姿勢と度量を持たない限り、学習を積んだ高校生の批判に堪えられない可能性がある。様々な論争的課題に対して多面的な考察と多様な解答がありうることを大人が提示しなければ、高校生から尊敬されることはないだろう。主権者教育が定着するということはそういう緊張感が日常化するということであり、大人自身が現実の社会を多面的にそして深く考究する態度が求められるのである。大人たちの政治的教養が厳しく問われる時代になったともいえよう。

(2)論争的問題へのアプローチ
  主権者教育は有権者の実際の政治的行動を促すものであるから、教育の方法論としては実際的な課題、問題を題材にして多面的に考察させる方法が効果的である。いわゆる論争的問題の教育である。これは知識習得に傾斜しすぎた日本の初等中等教育を是正するための突破口となる方法論であり、今後の学校教育のみならず社会全体で意識し追求すべき方法である。生徒を信じ、生徒自身にしっかりと政治・社会・経済など現実の諸問題を考究させる姿勢と度量が社会全体に求められている。

(3)学校への期待 
1) 各学校では主権者教育を学校全体の教育活動を貫く基本原理とし、教育目標に明確に位置づけていただきたい。
2) カリキュラム内で位置づけは、公民科と「総合的な学習の時間」を中核として教科横断的なプラットフォームを設け、他のすべての教科・科目の乗り入れを 可能にする取組みを推進していただきたい。
3) 公民科のみならず、すべての教科・科目で主権者教育に向けた教材開発や教授法開発に努めていただきたいし、それは可能であると思う。一見関係なさそうに思える「数学」でも論理的能力を練磨する素材には事欠かないだろう。例えば「多数決」の功罪・長短について理解するために有効な「論理パラドックス」の分野があり、その教材化が待たれる。
4) このようなカリキュラム開発に関しては、各都道府県にある国立大学教育学部を中心とする大学の協力・支援が不可欠である。また、学校と教育委員会との創造的連携も欠かせない。神奈川県など先行的な優れた実践例があるので、関係者は積極的にそれらをモデルとして活用していただきたい。

(4)地域の役割とPTAの責務 
  高校におけるカリキュラム整備とならんで、学校・地域・自治体とそれを接合するPTAが独自の主権者教育プログラムを開発することが期待される。大人自身が子どもたちに対する教育の責任者であることを自覚するとともに、大人自身が高校生と共に学ぶ姿勢が重要である。そのような互いに学び合うような教育プログラムを地域ごとの取組みに発展させることが期待される。この点で、各地のPTA連合会がその仕掛け人となって動くことが可能である。所属する会員には法曹関係者、自治体関係者も含め、多種多様な職業人が含まれているから、その連携協力によるプログラム開発が可能である。これを自治体や選挙管理委員会など公的機関がサポートすることによって中立性を担保した責任ある教育プログラムが成立するだろう。文部科学省にはそのモデル開発を牽引していただきたい。

(5)社会全体への役割
1) 国や自治体は主権者教育に関わる副教材を早急に制作してすべての高校生に配布してほしい。特に論争的問題に切込むためにディベートその他の討論手法に関する教材の作成と供給が急務である。
2) 特に来年実施の参議院議員選挙に向けては早急に「公職選挙法」を現在の高校2年生に周知徹底すべきである。これは学校だけではなく、地方自治体・選挙管理委員会の責任で行うことであるが、国・自治体はそのために必要な予算措置を惜しんではならない。
3) 高校生に強い影響力のあるマスコミは、政治的に多様な意見を広く公平に提供する責任がある。報道番組や政治的討論番組等においては、多様な論者を幅広く出演させるなど、くれぐれも特定の党派・言説に偏向することのないよう努めてほしい。
4) とりわけ、国ならびに地方自治体における議員などの政治家あるいは政治活動家は、常に高校生や子どもたちの知的眼差しを意識して節度と教養ある言動を心掛け、政治に夢と希望を与える存在となってほしい。

3  学校における政治的中立の確保および「昭和44年通達」に関して

(1)学校における政治的中立の徹底的な確保に関しては、上記の基本認識「1-(4)・(5)」に示したような考えから、高校生の政治活動制限に関する新たな規制や法的措置は不要であると考える。主権者教育が定着していけば、高校生の政治的教養が深まるから、かえって安易で軽率な政治行動はとりにくくなるはずである。それこそ主権者教育の到達点といえるであろう。あらかじめその到達点を値引きする態度は、主権者教育の趣旨と矛盾すると言わざるを得ない。また、今日の社会情勢や高校生・大学生の状況に鑑みても規制の必要あるとは思えない。むしろ政治的中立性が損なわれないように見守ることが大人の役割である。まさに周囲の大人の政治的教養そのものが問われるのである。
 万が一にも高校生の政治活動が活発化して逸脱や過剰な行動の恐れある時は学校、地域、行政がしっかり連携して総がかりで介入すればよい。学校の教員についても同様であり、現行の法制以上に新たな規制法令を用意することは教員の指導意欲をそぐとともに、指導内容の貧困を招くのではないかと危惧される。

(2)昭和44年通達は当時の政治的社会的状況の必要から策定されものであり、半世紀の間十分に効力を発揮してきた。しかし、今回の公職選挙法の改正により、その歴史的使命は終了した。実際、通達の全文が現在の政治社会状況には全くなじまない。また通達別添の「第1 高等学校教育と政治的教養 -1-(2)、(3)」・「第4 高等学校生徒の政治的活動」は18歳選挙権および主権者教育の趣旨にそぐわない。さらに「第3 政治的教養の教育に関する指導上の留意事項」はそのまま学習指導要領に組み込むべき性格のものである。以上の観点から、本通達を即時廃止するとともに、今回の選挙法改正を踏まえた新たな指針を策定すべきである。

4  最後に
  日本国民は、国民として市民として公民として、政治的教養の陶冶をあまりにもないがしろにしてきた。長い間、主権者教育という意識さえ一部の学校関係者以外には存在しなかった。今後の主権者教育の前途には様々な課題があって試行錯誤の連続となるであろうが、必ず上手くいくものと信じている。なぜなら、高校生が強い知的好奇心と柔軟な思考力を持ち、純粋な正義感に満ちているからであり、彼らを信じて粘り強く教育を継続することによって高校生の政治的教養が飛躍的に高まることは疑いない。従って、彼らに対して敬意を持って遇することが大切である。大人の不合理で抑圧的な態度や言説こそ若者の反発や社会の不安定を招く要因となる。私たち大人は過剰な介入や抑制を避け、理性と知性と経験によって高校生を導かなければならない。このことを肝に銘じておきたいものである。
  今回の選挙権年齢の引下げは、瓢箪から駒のように実現したが、狙い通りに若者の政治参加を促す起爆剤になることかどうかは予断を許さない。その成否の鍵は大人が握っている。すなわち大人がこれまでの主権者としての自分自身を振り返り、若者に寄り添って共に学び直す姿勢があるかないかにかかっている。私たち高校PTA団体もかつてない重い課題に直面している訳であり、覚悟して取り組まなければならないと思う。実際それだけの価値あることでもある。もしかするとPTA活動の在り方にも変革をもたらす可能性さえ秘めているように思われる。関係の皆様とともに協力し合って学習、研究、実践に努めたい。

(平成27年9月30日)

お問合せ先

初等中等教育局児童生徒課

電話番号:03-5253-4111(内線3054)