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育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会(第6回) 議事要旨

1.日時

平成25年6月27日(木曜日)10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省3階 3F1特別会議室

3.議題

  1. 教育課程の編成に関する基礎的研究(国立教育政策研究所より発表)
  2. その他

4.出席者

委員

安彦座長,無藤副座長,西岡委員,松下委員,吉冨委員

文部科学省

布村初等中等教育局長,関大臣官房審議官,塩見教育課程課長,大金教育課程企画室長,橋田教育課程企画室専門官,尾﨑国立教育政策研究所長,勝野国立教育政策研究所教育課程研究センター長,松尾国立教育政策研究所総括研究官,後藤国立教育政策研究所総括研究官,白水国立教育政策研究所総括研究官

5.議事要旨

(1) 国立教育政策研究所より,資料1「教育課程の編成に関する基礎的研究」及び資料2「社会の変化に対応する資質や能力を育成する教育課程編成の基本原理」(教育課程の編成に関する基礎的研究 報告書5)に基づいて,国際的な動向に関する発表があり,その後,質疑応答が行われた。

【委員】 コンピテンシーがどの国でも強調されている点について,報告書にも明記されていたが,実際にはコンピテンシーの育成のために特定の時間を確保しているのではなく,何らかの形で教科にクロスさせながら指導されており,かつその方が効率的であるという理解で良いか。

【国立教育政策研究所】 キーコンピテンシーの育成方法は,国によって異なっている。例えば,ドイツやフランスのように教科・知識を中心にカリキュラムを作ってきたところは,どちらかというと教科の中で,特に言語や外国語といった形で取り組もうとする傾向がある。一方,例えばイギリスやオーストラリア,ニュージーランドのように,歴史的に学校レベルで自由にカリキュラムを作ってきたところは,より総合的な形でコンピテンシーを考え,取り入れる動向が見られる。

【委員】 今日的な能力として提唱されている様々な能力が「基礎的リテラシー」「認知スキル」「社会スキル」の三つにおおむねまとめられているが,この三つの分け方で良いのか。例えばDeSeCoのキーコンピテンシーでは,三つの軸をまとめるものとして中央に「思慮深さ」を置いていたり,この整理では「基礎的リテラシー」に入れられている「相互作用的に道具を用いる」の中にも,「認知スキル」が含まれていたりする。また,「自律的活動力」については,ヨーロッパでは80年代以降,日本では90年代以降に,会社に頼って生きていくのが困難になり,自分の人生を自分でオーガナイズする必要が生じたことによって提唱されたという社会学的背景があるため,「異質な集団での交流力」とまとめて「社会スキル」として良いのか,気になるところだ。個人的には,「対象世界」「他者」「自己」の三つの軸でキーコンピテンシーを捉えている。各国の能力の共通項をとったためこのような提案になったと思うが,実際は,それぞれの能力の提唱された背景にも目を向けることが必要ではないか。

【国立教育政策研究所】 各国の能力を整理していく中で,「考える力」「思考力」の位置付けが最も異なっていた。実際は,一つのモデルに整理しきれるものではなく,概念ごとにずれている部分もあり,特に「考える力」については,全てに関わる能力として考えている国も多くあった。例えばEUでは,DeSeCoを基にキーコンピテンシーの定義を行っているが,DeSeCoが理念的・理論的に組み立てているのに対し,EUでは政策レベルに落としていく過程で,言語や数学,教科との対応も考えながら配列している。一方,ニュージーランドもDeSeCoをベースにしているが,「思考力」を1項目として挙げる形で構想している。やはり,「思考力」は教育課程を考える上で核となるものであり,モデルの中に位置付ける必要があると考える。「社会的スキル」については,「思考力」を中心としつつ,思考をより意味のあるものとする「意欲」や「態度」などを含んだモデルを検討した結果,このような三層構造として整理している。ただし,これらは飽くまで試案であるため,いろいろな御意見を頂戴し,検討させていただきたい。

【委員】 キーコンピテンシーと21世紀型スキルについて,国によっていろいろな定義があるようだが,両者には本質的に異なる面があるのか,あるいは,単なる呼び名の差なのか。

【国立教育政策研究所】 両者の背景として,21世紀の知識基盤社会において,知識を持っているだけではなく使えるものとする必要が生じてきたことから,「知識」「スキル」と対応とを含んだ能力観として出ている点では,両者は類似している。相違としては,キーコンピテンシーが,生涯学習の文脈の中で出てきた印象がある一方,21世紀型スキルは,ICT技能に力点があり,エンプロイアビリティーという点が強調されている。

【委員】 「基礎的リテラシー」について,文章の読み書きやごく単純な意味での計算などを含めて,それらを活用するものと理解したが,それは教科の個別的な内容を含んでいるのか,あるいは,教科とは別のものなのか。「コンピテンシー」や「21世紀型スキル」と呼んでいるものは,比較的汎用的で個別の教科内容とは区別した「学習する力」のようなものとして決めていくのか,あるいは,教科内容を組み込んだ部分を持つのか。

【国立教育政策研究所】 基本的には,このモデルは汎用的な能力として出している。教科領域固有性などの問題もあるが,学校の教育課程を通して汎用的に身に付ける必要がある力として,このモデルを提案している。

【委員】 「力」という言葉で表現されている部分と「スキル」という言葉で表現されている部分があるが,これは意味のある使い分けなのか。

【国立教育政策研究所】 「力」と「スキル」の使い分けについては,後半の発表で触れる。

【委員】 スライド10枚目の表の各国の色分けについて,色の違いには何か意味があるのか。

【国立教育政策研究所】 まず,ブルーは,「キーコンピテンシーの影響を受けている国」を意味している。例えば,EU諸国は,いろいろな国のベストプラクティスや進捗状況についてレポートを出して進めており,OECDの影響が強い。ニュージーランドは,DeSeCoに参加しており,概念的にも近いため,ブルーとした。韓国も,「核心力量」という言葉が示すように,キーコンピテンシーをベースに考えているため,ブルーとしている。次に,赤は,「21世紀型スキルの影響を受けている国」を意味している。アメリカでは,P21という団体が州の教育省と関連を持ちつつ進んできたことから,コモンコア・スタンダードにも影響を与えるなど,21世紀型スキルの影響が強いと判断し,赤とした。一方,カナダでは,21世紀型スキルという言葉が非常に普及しており,21世紀型スキルの定義と育成に向けたプロジェクトについて,発表の際に説明したオンタリオ州以外でも言及があることから,赤としている。その他,オーストラリアとシンガポールについては,キーコンピテンシーと21世紀型スキルのどちらの影響が強いか判断がつかないため,中間的な色としている。オーストラリアでは,メルボルン大学の先生を中心に国際的プロジェクトが組織され,教育省でも21世紀型スキルと汎用的能力の関係について図示しているが,キーコンピテンシーの影響も受けていると考えられる。また,シンガポールについても,国際プロジェクトに参加している一方,キーコンピテンシーの影響もあると聞いている。

【委員】 スライド14枚目の三次元のカリキュラム構成について,「三次元」という言葉がぴんと来ないが,どのように立体・三次元になるのか。

【国立教育政策研究所】 一般的なカリキュラムの作り方としては,教科ごとに教科領域と学年とでスコープとシークエンスを作るが,オーストラリアの場合は,従来の教科ベースの傾向が強いものの,将来的には七つのキーコンピテンシーをスコープとし,学年をシークエンスとしたコンピテンシーベースのカリキュラムを構想している。また,先住民の問題,アジア志向,サスティナビリティの三つの優先事項をスコープとしたシークエンスについても検討している。教科ベースのスコープとシークエンスではどうしても埋まらない部分があり,そこを埋める方法として,キーコンピテンシーベースや優先事項のカリキュラムが検討されている。「三次元のカリキュラム構成」とは,立方体ということではなく,次元分けが三つあり,それぞれがシークエンスを持っているという意味。

【委員】 御説明いただいたスコープとシークエンスの考え方に基づけば,平面で足りるが,もう一つ「学習活動」の要素が加わると,立体として考えられるのではないか。学習活動・内容・時期の三つによって,全てを決めることができるが,カリキュラムとしてそこまで絡めて考えているのか。あるいは,学習活動は現場に任されているのか。

【国立教育政策研究所】 学習活動の基本形は構想されているが,オーストラリアは連邦制であり,既に州レベルでカリキュラムを持っているため,国のカリキュラムとしては,骨格部分を作っているというイメージ。具体的な活動や子供の作品のレベルも収集しており,活動がある程度分かるレベルでの構想はなされている。

(2) 引き続いて,国立教育政策研究所より,「教育課程の編成に関する基礎的研究」に関する発表があり,その後,質疑応答が行われた。

【委員】 本検討会は,国内外の動向を踏まえ,これから求められる資質・能力を明らかにすることを目的としているが,今回の国立教育政策研究所の御報告により,非常に貴重な足掛かりが得られた。現時点でこの研究を上回るような提案はないのではないか。今後の課題は,資質・能力と教科の関係の問題をどう決着させていくのかということ。生活科の形成過程の研究を通じて,よって立つ物の見方を転換した時,初めて新しいものが生まれるということが分かってきた。そもそも,昭和50年前後において新教科設置の議論が進まなかった理由は,社会科と理科という枠組みで物を見ることを脱却できなかったため。昭和62年にスコープとシークエンスを更地で議論し始めたことで,新教科としての内容選択の具体的な視点ができていき,生活科としての理念がまとまっていった。この経験を踏まえると,「今のままでもできる」という考え方は一旦置いておいて,教育課程全体の中で教科等を貫いて資質・能力を育てていく道筋を議論していくことが最優先の課題ではないか。

【委員】 非常にすぐれたまとめを出していただいた。今回提案いただいた整理をベースとして,現在の問題点を検討していくとすると,特に教科内容と資質・能力の育成との密接なつながりという指摘は大事なところ。資質・能力を内容と切り離して育成するのは困難であり,両者をつながりの中で検討していく必要がある。提示いただいたスライド46枚目の二つのモデルは,議論の整理として有効であるが,個人的には「moderate」であるべきとの立場。幼・小・中・高の発達段階によって,教育の質が大きく異なるため,時期ごとの特徴を取り出して検討しなければ,学習指導要領の組立ては難しい。また,パフォーマンス評価のようなものを本格的に導入する中で,「思考力」「実践力」をある程度成果として取り出せるようにしておかなければ,結局現場が動かなかったり,活動ばかりになってしまったりする危惧がある。さらに,国としての教育政策を考えた場合,アカウンタビリティの問題が一層強く求められるため,「思考力」「実践力」等についてもある程度の概括的な評価を入れなければ,結局,従来のペーパーテストで簡単に評価できる部分の議論にとどまってしまう。もちろん,評価の方法や,形成的評価の具体化という視点も大事であるため,今後検討する必要がある。そこで,質問だが,今回の御発表を含めた議論全般において,学習指導要領における「習得」「活用」「探究」のうち「習得」についての位置付けが余り見えない。様々な方法の訓練や,基礎的な知識事項を覚えさせることも,それが全てではないが部分的に有効性を持つからこそ,「習得」「活用」「探究」という分類を入れたのではないか。

【国立教育政策研究所】 今回提案した三つの力について,「基礎」「思考」「実践」という言い方をすると,従来言われてきた「教科の基礎・基本」と同じではないかと誤解されるが,「基礎力」と言う際は,道具としてのリテラシーを想定している。単に教科の基礎・基本としてのリテラシーを習得するだけではなく,例えばドキュメントを読む力を理科や社会に使ったり,社会の中でデータを見る力を数学的なリテラシーから転用したりするような力を目指しており,「教科の基礎・基本」とは位置付けが異なる。ただし,教科の基礎・基本の習得・活用とどう絡めていくかについては,今後の課題。従来の知識・技能との関係をどうするか,教科で必要な基礎的リテラシーとして,「言語」「数量」「情報」の三つで足りるか,実践や活用がどの程度「基礎力」の習得を動機付けるかなどの点について,実践研究を進める必要がある。今後の検討において,知識の「習得」「活用」「探究」が残るかは分からないが,各教科とは独立に資質・能力を考え,知識の「習得」「活用」「探究」についても一度切り離して考えた上で,再度検討するという流れが妥当ではないか。

【委員】 スライド46枚目の表は非常に明快に整理されているが,その分,抜け落ちているものもあるのではないか。例えばアメリカの評価論では,「内容スタンダード」を教える中身(インプット)として位置付ける一方で,「パフォーマンス・スタンダード」を生徒たちが学習した結果,どのようなことができるようになることが期待されているのか(アウトプット)を示すスタンダードとして整理している。しかしながら,この二つのマトリックスでは,パフォーマンス・スタンダードの部分がうまく浮かび上がってこない。スライド40枚目に示されているような学習内容や能力については,現在の学習指導要領にも目標としては書かれているが,現場では,同じ文言でも受け止め方によって評価のレベルが異なっている。スライド15枚目で,オーストラリアで子供の作品がウェブ上で提示されていることが紹介されたが,これはパフォーマンス・スタンダードとして機能しているものと思われる。イギリスのナショナル・カリキュラムでも,同様に子供の作品例を示すことで,期待されるパフォーマンスのレベルを分かりやすく提示していた。何らかの形で児童・生徒に求められるパフォーマンスの中身や水準を明確にしていくことが重要ではないか。

【国立教育政策研究所】 「内容スタンダード」と「パフォーマンス・スタンダード」について,今回の発表では,具体的な基準までは踏み込まず,原案の提示にとどめている。ただし,どれだけ標準化するか,標準的な枠組みを示して現場が動きやすくなる面と,標準化を外すことで逆に現場の創意工夫を優先する面とのバランスをどう考えるかが大事。参考として,アメリカで今年の4月に出された「ネクスト・ジェネレーション・サイエンス・スタンダード」という理科の学習指導要領では,「コンテンツ」「プラクティス」「領域横断概念」の三つのマトリックスでそれぞれPerformance Expectationを示している。具体的には,中央に「Disciplinary Core Idea」として学習内容を,左側に「Science and Engineering Practice」として学習活動を,右側に「Crosscutting Concept」としてパターンや因果など本質的に重要な概念を記載しており,内容とパフォーマンスとの関係がはっきりと分かる形で整理されている。このようなスタンダードを作成した背景には,理科教育の底上げという文脈があり,現場の先生方や研究者によれば,毎回の授業のやり方の底上げになっている一方,それぞれの内容に応じた授業モデルを一対一で作成しようとすると,非常に狭いものになるとの意見もある。日本でも,授業研究の意欲や教員の力量を踏まえ,どこまで枠をはめていくか,検討していく必要がある。

【国立教育政策研究所】 今回,moderateとradicalという形で,二つの構造を分かりやすく示しているが,実際はいろいろな要素が埋め込まれており,決して二つで示せるものではない。いろいろな観点があり,たくさんの軸がある中で,議論が進むようにこの二つを示しているところ。パフォーマンス・スタンダードをどこまで示すかという点についても,我が国では優れた指導事例集なども作っているため,どこまでその基準レベルで示すかという問題があり,現時点では案としてこのような形で示している。

【委員】 マトリックスと評価のつながりについてだが,スライド46枚目の「radical」のマトリックスとパフォーマンス課題とがつながることもあり得るのではないか。また,全ての授業で全ての力の形成的評価を行うことは,研究的には興味深いが,現場では形成的評価と総括的評価の区別が不明瞭であるために評価に過剰な労力が割かれているという問題も見られる。そういう状況においては,全ての授業で全ての力の形成的評価を実施し,かつ総括的評価にも利用するという提案は,実行可能性の面で疑問を感じざるを得ない。

【国立教育政策研究所】 評価においては,子供の多様性が大きな問題になる。学び方が一人一人異なる中で,一人一人の異なる学び方をどの段階でどう評価していくかというところまで降りて考えると,どこまで左側の画一的な評価で行けるかということを問題とする必要がある。

【委員】 スライド45枚目の「実践力」について,単純な徳目主義でやろうとしているのではないと思うが,資料2の報告書94ページ,95ページの表1「各学校段階で育成することが期待される実践力と共有価値」を見ると,従来の日本のカリキュラムでも強調されてきたような徳目的なものも並んでいる。徳目は,教えようとするとかえって抑圧的に機能してしまうこともあり,価値を伝えることの難しさがあると思うが,そのジレンマをどう乗り越えていけばいいか。

【国立教育政策研究所】 報告書の94ページと95ページは,まだ生硬な作りかけの段階。今回スライド42枚目にお示しした「思考力」の先に「実践力」があると考えると,一人一人が自分の考えを深めていくため,あるいは一人一人が自分の発達を進め,人格の完成を目指していく中で,他者あるいは社会とどのように関わっていくかを考えていくような形として,「実践力」を今後位置付けていきたい。加えて,「自律」と「異質な集団の交流」も,社会スキルにおける大きな問題。現在の社会的スキルの中には,「コミュニケーション能力」として「自分の意見をはっきり言うこと」と「周りの空気を読んで適応すること」の二つの相反する要求が含まれているようなものが多い。個人の自律や成長と社会への適応をどのようにバランスをとりつつ考えていくか,その相互作用を通した社会の創成どうデザインできるかという点も,「実践力」の問題として残っている。

【委員】 資料2の報告書について,引用注や巻末の文献リストにやや不十分な箇所があるように思われる。補足していただけると有り難い。

【国立教育政策研究所】 今後は引用に注意していきたい。

【委員】 報告書を拝読した段階では,学習内容を名詞的に捉える一方,「すべ・手立て」を動詞的に捉え,両者を掛け合わせることで学習活動が行われ,それを通じて21世紀型能力が養われるという提案だと理解していた。ところが,今回の発表では,「moderate」には「すべ・手立て」が示されているが,「radical」には示されていない。「radical」の方でも,「すべ・手立て」が含まれると思うが,この点について再度御説明いただきたい。

【国立教育政策研究所】 「すべ・手立て」について,後者にも「すべ・手立て」を加えることは可能。実際にはたくさんの軸があるが,議論の進展を考え,入れている部分と入れていない部分が浮き上がって見えるように提示している。そして,例えば「調べてごらん」と言った際に,「どうやって」「何を」という形で認知過程を動詞化すると,動詞の次元が原理的なものにならなければ,実際に生きて働く力にはならず,活動主義に陥ってしまう。「どうやって」に当たるものを導く一つのツールとして,今回提案したモデルを機能させていくことができれば,学校現場にとって役立つのではないか。

【国立教育政策研究所】 「調べてごらん」は一つの好例。「『調べてごらん』と言われただけでは調べ方が分からないため,それを『すべ・手立て』で詳しく誘導する」という考え方があるが,それが果たして調べ方のスキルの獲得につながるのか,検討する必要がある。

【委員】 「すべ・手立て」や「21世紀型能力」は要素的に細かく分けられているが,現場に入った際に,要素ごとに細かな評価が行われるとすると,問題である。例えば,実際に科学的な問題を考える際は,最初に事実関係を整理し,既有知識と照らし合わせながら仮説を立て,調整をしながら解決に至るという一連の流れがある。ところが,要素的に分けていくと,各部分を調整して何らかの解を導くという,途中の部分が抜け落ちてしまう。本来,一連の流れの中には,他者と議論をしたり,自分で振り返ったり,その中で道具を使ったりというキーコンピテンシーの三つの要素が含まれており,それをうまく自分で統合しながら解を導く中で,キーコンピテンシーの中心に据えられた「思慮深さ」が発揮されるのではないか。
今回,「統合」という言葉が多く出てきた割には,最後のカリキュラムマップが要素的な組合せになっており,一連の流れが十分体得されていなければ,非常に要素主義的になる危険性があると考えるがどうか。

【国立教育政策研究所】 スライド46枚目で,二つのモデルについて「課題」か「すべ・手立て」かと,左右に分けているのは,現場に何を明示するかによって,授業でのゴールが変わってくる可能性を示唆したかったからである。例えば,「すべ・手立て」を前面に出すと,「調べてごらん」と言われた子供が調べようとしている際に,調べるためには「まず情報収集して」,「次に仮説を立てて」…と指導するというように,非常に要素主義的なゴールが立てられる可能性がある。指導が逆に子供の自発的な活動機会を奪うことすら考えられる。そうではなく,「調べたくなるためには課題が明確な方が良い,生徒の既有知識に合った問題を出した方が良い」という考えに従って,「すべ・手立て」は明示せずに学習活動の中に埋め込む形も考えられる。そうすると,活動の中で子供たちが,実は「すべ」を自分で使っていたり,先生がその場でうまくタイミングをつかんで「手立て」を言えたりする。この場合の授業のゴールは,子供が自分たちなりに問いに答えを出すことである。どちらが資質・能力の育成につながるのか,そのためにこの二項対立がどれほど意味のある二項対立なのか,検証が必要。

【委員】 世界的な動向として,コンピテンシーと21世紀型スキルが紹介されているが,絶対的なものではなく,飽くまで動向。主だった国が皆そういう方向に動いていることは念頭に置かざるを得ないが,DeSeCoやPISAなどのコンピテンシー概念の基には,当時のEU・OECD諸国の社会状況を前提として,一人一人の効果的・主体的な社会参画により,社会を創り変えていく力を身に付けようという趣旨があったと考えられる。その点が抜けてしまうと,社会の変化に単純に対応するだけの,社会に振り回される人間の育成で終わってしまう。「社会の変化に主体的に対応できる」という点をもう少し前面に出した能力の位置付けができると良い。今回の発表では,いろいろな考え方が対比的に出されたが,飽くまで学校現場への示し方の問題が重要である。人間は非常に多様な可能性を持っており,どちらかだけでアプローチをすると偏ってしまう。逆に言えば,いろいろな対応能力があるため,それを生かせるような構えが必要。報告書を読んだ印象として,新しい研究動向だけでなく,前から言われている心理学や,最近の脳科学における知見も生かせる余地が人間にはある。この研究の方向だけで検討しようとすると,その幅だけに固定化されてしまうし,今回の発表でも例示という位置付けであったが,実践の方法まで示すことは避けたい。いろいろな部分で偏らないようにしたいというのが個人的な感想。全体としては,国立教育政策研究所がこのような形で具体的な政策について非常に包括的な研究データを提示したのは,特に学習指導要領については初めてではないか。プロジェクト研究はあと1年残っているため,しっかりと最後のまとめを詰めて質の高いものを作っていただき,有効な足場を省内に与えていただきたい。

※後日,委員より以下のような内容の意見の提出があった。
包括的な提案で,検討会の審議の重要な足場になるものと評価するが,幾つか疑問点がある。一つは,三つの力を全て「実践力」に結びつける一元化の方向でまとめているが,このまとめ方に客観性があるか。例えば,アメリカやOECD諸国などではどうか。一元化すると,全てが「力」に集約されて,「力」でない特性は軽視されないか心配である。「信用がある」とか「誠実である」といった人格性や道徳性を,「力」特に「できる力」か否かだけで見ていくのは無理がある。そういう資質は「力」とは違うのではないか。もし「力」を一面的に強調すると,老人や子供,障害者などの存在は余り社会的に価値あるものとされなくなる。現にそういう傾向にあるが,果たしてそれは妥当なことか。
 二つは,それと絡んで「教養」というものに対する価値付けが低くなる可能性がある。「力」ばかりが強調されると,それをどう使うかの方向を決める「思想」や「考え」が軽んじられる。現実に,「力」は諸刃(もろは)の剣であり,この意味でそれをどう使うのかについては,「教養」や「哲学」が必要との声も大きい。こういう声に応えることができるか。「できる力」ばかりを一面的に強調することの問題性がここにもある。
 三つは,この学力の捉え方は,どこか経済社会的性格が強く,「流行(りゅうこう)」の面から見ていて,社会の動きには対応しているようだが,「不易」の面から見ていないように思われる。人間としての在り方を抜きにして,ただ社会の変化に対応するだけでは,教育の個人的な観点「人間的・人格的に自分をいかなる人間にしていくか」という関心に応えられないのではないか。

―― 了 ――

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-- 登録:平成25年08月 --