資料2 修士レベルの教員養成課程の改善に関するワーキンググループ(第4回)の主な意見(案)

教員養成の修士課程について

○ 学校教育のニーズに基づいて高度専門職を養成するという本来の目的が全うされていないことは認めざるを得ない。今後、教職大学院と修士課程とのすみ分けどうするかという議論の前に、まず修士課程は抜本的に在り方を変えなければいけない。

○ 修士課程をどのように変えていくにしても、教育学研究科なり教員養成学部なりの理念が明確でなければ意味がない。どんな人材を養成するのかという人材養成像と、どの程度規模を養成するのか、今まで余りメスが当たっていないが、検討しなければならない。例えば、教員養成学部では、専任教員が少し大規模な学部だと100人を超える一方、大学院生の数は非常に少なく、このアンバランスが、簡単に言うと教科専門をずらっと並べなければならないというところから成り立っている。そこで、修士課程をどういう教育目的を立てて、どういう人材を、どの程度の規模で、その大学のミッションとして担っていくのかということから、もう一回見直さなければならない。設置基準にあるから当然維持するのだという論理は、社会から見れば今後通用しないだろう。

○ 既存の修士課程をどうするかについては、この会議で出す方向性をもとに、各大学が自発的に検討すべきだと思うが、それには三つくらいのパターンが考えられる。1.年次的に全専攻を教職大学院に移行させる。2.教科専門の探究に重点を置いた課程として教職大学院と差異化して、一定の分野について独自の存立を図る。これは最初から不可能というわけにはいかないがその中身次第であり、それが成り立つのかどうかは十分に検討、吟味する必要がある。3.既存の修士課程を維持しながら、山梨大などの理数科等、地域のニーズに合致した幾つかの特色ある分野について教職大学院を設置する。

○ 既存の修士課程が全部教職大学院に移行する場合に、いわゆる教員養成大学・学部の学問的なアイデンティティーは何なのかということが問われる。大学というのは、どの学部も学問的なアイデンティティーがあるものであり、主に研究的な面で成り立つので、大学院の研究目的にかかわる。そこで、教員養成大学が高度専門職へ切り替えていくと同時に、改めて教員養成学部・大学の学問的なアイデンティティーは何なのかという問題を検討していく必要がある。

○ 医師養成の場合はもう少し幅広く、医師として養成されるのと同時に、研究者としてのアイデンティティーも当然持っている。教員養成の場合も、制度設計さえうまくやれば、どちらかに極端に偏るようなことなく、うまい着地点が見つかるのではないか。

○ 専門職大学院と在来の修士課程をどう切り分けていくかという問題は、教科教育をどちらでやるかという問題になるかと思う。教職大学院は従来のスクールリーダー養成でおいて、教科の方は、理学部的、文学的なものということではなくて、教科の教員をつくるのだというミッションをはっきりさせて、カリキュラム等も整えていけばいいのではないか。

○ 設置基準は今のままだと身動きがとれないことは確かであり、大くくり化はされていても、大学の認証評価ではそれが全く認められておらず、講座を専攻と読みかえて人が足りないと指摘されている。認証評価は重要なことであり、解決しなければならない。

○ 教職大学院と既存の修士課程とでは、修士レベル化という高度な教員の専門職養成ということでは、基本的な遠い目標は一致するが、全く一緒ではなく、45単位と30単位の違いは大きい。とりわけ10単位分の実習が特徴になるのだろう。修士レベルの養成として協働しながら、その機能を養成する人材等の部分で違いを出していくことが必要。

○ 教育学研究科については、研究を深めることの先に子どもが見えているかどうかが、ほかの大学院の方との大きな違いである。子どもが見えていて研究をされていれば、教科指導のリーダーシップをとれると思うが、どうもそうではない人が多いらしいというのが、この文章から見えた。
 現場から見ると、一つのところに集中して深く考えたり研究したりしたことがある方は、ほかの分野でも、応用することができて伝えられると思う。浅く広くやった方は、浅く広くしか教えられないのではないか。例えば水辺の生物なら任せてほしいという人は、ほかの分野でも探求する喜びや、子どもたちがどこにスイッチがあって、どういうところに学ぶ力が出てくるかというのもよくわかっていると思う。研究することは全く悪いと思わないが、そこに子どもが見えるかというところが重要。

○ 教職大学院あるいは教員養成の大学院の先生の多さには驚いており、このように豪華で経営が成り立っていくのか、また質が確保できるのか。

○ 大学院に来る学生には3種類あるのではないか一つはストレートマスター、いわゆる新人であり、どうやって教えるかという本当に初期的なものが欠けている。次に、教科専門をより磨きたいという人については、教職大学院で用意するのは無理ではないかと考え、そのような人は、専門の研究科に行くことで対応できるのではないか。もう一つは管理職候補者であり、いわゆる教員の実務家というよりは、マネジメントや学校をどのように経営していくかという経営論になっていくことが多いと思う。

○ 小学校と中学校、ストレートマスターと現職の教員とは全然違う。現職の教員は、必ず自分の問題意識をしっかり持っているので、彼らに足りず、望んでいることは、日ごろ問題意識はあるのだが、余りにも忙しくて、それをじっくりと考えたりすることができないということではないか。教職大学院等に行って、1、2年間じっくり今まで思っていたことを学修するということになると、自分のしっかりした研究意識を持っており、実践レベルも随分あるので、大勢の教員は要らないのではないか。

○ 本学の教職大学院は、100名の学生定員で教員は40数名おり、確かに潤沢に見えるが、実際はこれまでの大学教員の仕事ぶりを覆すほど忙しい。現場とのつながりがあるためであり、頻繁に学校現場に行ってフィールドワークや実習指導をしなければならない。

○ 修士課程の教科専攻の問題は、各学校の制度改革ではなく、例えば従来の教職大学院の教科の比重を高めるなど設置基準の問題として教育課程の編成基準をつくることでは解決しないことではないか。

○ 県や市町村の教育行政のキャリアパスとして、教職大学院がきちんと位置づけられ協力体制ができていき、ストレートマスター、現職教員ともに、自分の教員としてのキャリアがどういうふうに位置づけられていくかということを各自が理解することにより、地元の教職大学院が成立していくと思う。

○ 現行の大学院設置基準は、教員養成系だけが独特の書き方になっており、例えば法学は法学系で5人となっている一方、教員養成は、10の教科ごとに人数が全部詳しく出ている。よって、例えば他の学部と同じように、教員養成系の専攻で非常にシンプルに他学部と同様な記述にし、それに関連して教職大学院はこうだと設定すれば、事実上、設置基準上で大きな変化が起こったということになる。

○ 現実的には、学習指導要領は教科別になっており、特に中高では教科の専門性が強調され、免許も教科ごとに出ている。その大前提が変わらない以上、高度専門職である中高の教員を大学、大学院で養成するときには、相応のスタッフはそろえるべき。

○ 免許の種類、教科の種類に応じたスタッフはそろえる必要があるが、教職大学院では今の修士課程の物理学・科学・生物学・地学や、日本史、東洋史など、従来どおりの専門家をただ並べるのではなく、教科内容、学校教育にかかわらなければ教職大学院のスタッフとしてはおかしいのではないか。

○ 教員免許は学部で出しているが、そのときの必置教員数の設置基準は、例えば小学校は少人数であるように緩いものになっている。そういう中で、教員養成の修士だけが、経営的に考えてもほとんど成り立たないような人件費をかけてやっていることは、総合大学では異常な状態であり、今回、現実的なものにしていただきたい。

○ 修了者の2割が既存大学院から教員になっていない。教職大学院も修了者の1割がなっていない。この方々は何を求めて大学院に入られて、何を求めて社会に出られたのかということが気になった。

○ 乱暴な理論ではあるが、小学校は教職大学院、中高は既存修士という区切り方を仮にしたら、どこにどんな問題があるのか議論すれば、論点が明確になって話しやすいのではないか。

教職大学院の教員組織について

○ 教職大学院の教員数の算定根拠となる現在の国立の教育学研究科の修士課程の専攻については、今ある人数を増やすことは現実的な問題として恐らく無理であり、数的には、今の人数を基本に置かざるを得ない。場合によっては、それを下回ることもあるかもしれない。そうすると、特別支援教育や教科指導を担当している教科専門を含めた教員を前提に、現実的には考えざるを得ない。総合大学では、文学部、理学部などにいわゆる教科専門の教員がいるので、そういう方々と連携し、可能となればダブルカウントという形で専任教員にもなる、又は特定の科目を担当することはあり得る。

○ 教職大学院で教科に関する教育を行う場合、教職大学院では実践的指導力や専門性を身につけさせるという意味であれば、教科名をそのまま専攻名にするのは従来の修士課程とイメージが変わらないなという印象を持つので、何か特定教科の実践的指導力をあらわすような名称をつけて専攻名にするとか、大くくりとするならその名前をつけるとか、一工夫が要る。

○ 多くの教職大学院では入学定員が20~30人で、学校教育専攻を基準として成り立っている中で、今後どのように教職大学院の量、質等を増やしていくのか考える際に、単に今の修士課程の教科の専攻をもとに教職大学院の必要教員数をはじき出していくという在り方でいいのか大いに議論が必要。高度専門職養成の独自機関としての教職大学院らしい専攻の在り方、教育課程の在り方を踏まえた必要教員数のはじき方というものがあっていいのではないか。

○ 教育学研究科と教職大学院の両方がある本学の教育学研究科の設置認可の書類を改めて見直してみると、学校教育に関する研究、中等教育教員養成、特に高校教員養成、現職教員への教育の三つが目的となっている。教職大学院に教科専門を入れて、教育学研究科に実践的な科目を入れたとしても、それぞれのミッションというのを明確にしていけば、違いは打ち出せると思う。教職大学院の必要教員数は、大学院設置基準の学校教育専攻の基礎にその1.5倍になっているが、教職大学院独自の設置基準の考え方や理念、哲学のようなものがまだない。教職大学院に教科専門を入れるときの教員数についてどういう理念なり哲学なりで考えるのか検討が必要。

○ 私学で国立のような中学の免許教科に応じた教科専攻をあまり立てていないのは、それだけの数の教員をそろえることが難しいためである。現実的な課題として、私学の理事長からは、教職大学院は教員数が1.5倍必要でハイコストであると聞いている。国公私にオープンに、教職大学院に参入してもらいたいと考えており、教育上の効果をきちんと踏まえた上で、適正な規模でよいのではないか。

○ 教員免許で修士取得が必須になるということでないと、仮に設置の垣根が少し低くなったとしても、私学で教職大学院は学生確保の点で経営的に難しい。教職大学院を設置する大学の学長と話す機会があるが、本音を言えば今でも撤退したいと言っている。

既存の修士課程の存在意義や役割について

○ 既存の修士課程について、職業人養成以外の機能を否定はできない。いわゆる総合大学の理学部や文学部の研究者養成と同じレベルではない、実務家教員でドクターを持つようなEd.Dという研究者養成は十分あり得る。

○ 既設の大学院では研究者の養成が大きな柱の一つになっているが、教育学研究科での研究者養成では、実践は必ず必要。具体的には、既設の研究科の指導教員が、院生を学校現場へ連れていって、研究授業に一緒に参加させるのが、院生の力を伸ばす大きな糧になっている実績がある。また、例えば教育哲学という学問領域であっても、哲学という純粋学問というか、理論研究、基礎研究の部分でしっかり足腰を鍛えておく一方、道徳の現場で学校教育とかかわらざるを得ない。理論と実践が相互に往還しながら鍛えられていくという意味においては、学問研究と学校教育での実践というのは、教科に限らず、教職科目においても基本的に同じ構造で往還があるだろうと考える。

○ これまでの修士課程が、教員としての高度専門職業人養成にこたえてこなかったということがはっきりしているわけであり、本来のミッションに戻すため、少なくとも国立については教職大学院化することが望ましい。その上で、教育学系の修士課程に、本来の機能として何が残ってくるかというと、 一つは、例えば教育哲学、歴史とかをやりたいという人には教職大学院のカリキュラムでは対応できない。そういうニーズは現職教員、これから教員になろうとする者にも共通して確実にある。また、教科専門で、特に高校の先生では、実践力を高めるためには、ある意味、物理・化学あるいは芸術系などを究める必要がある。ただ、市場原理として、たくさんの教員をそろえてやって経営として成り立つかどうかは疑問。

○ スクールカウンセラーの基盤になる臨床心理士を大学の修士課程で養成しているが、これは教職大学院のカリキュラムでは無理であるが、従来の修士課程なのか、あるいは別の専門職大学院をつくるのかわからないが、それは依然として教員養成系大学がやるべきである。

○ 養護教諭も教職大学院で養成することが難しく、学部時代、医学等で必修科目が膨大にある。また、音楽、美術、芸術などは教職大学院的なコンセプトがなじむかどうかは議論が必要。芸術の質が問われるので、教職大学院というスクールベースの学修がなじむかという議論がある。

○ 学校教育に関連して地域などでコーディネートするような教育支援、社会教育という分野も、教職大学院になじむか。また、教育学についても、学校の実践に即した教育学は、研究大学の教育学部ではやっていないので、学校教育、学校実践、教育実践というものに根差してやる教育学の探求は、教員養成学部、大学が担ってもいいのではないか。

○ 教職大学院と既存の研究科の種別化は重要であり、全部教職大学院というのではなく、従来、教育学研究科が担ってきた研究的素養はなくならないようにしなくてはならない。ミトコンドリアが専門分野の生物の先生は、専門を踏まえて現場できちんと生物学の教育に当たることができ、更に踏まえてより普遍化する研究能力を持っている。

教科に関する教育について

○ 教科については、大学の資源や特色づくりの考え方において大学自身が判断し、フル装備を置くのではなく、選択して設置できるような方式をとっていかないと、現実的には必要な教員数はそろわないし、学生が来るような充実したカリキュラムにならない。

○ いわゆる教科専門というものを高度専門職養成の教育の中でどう位置づけるかについては、これを教科内容学などとしてきちんと組み直した上で、具体的に教科内容に重点を置いた修士課程が、同じ高度専門職養成でも教職大学院と別個に成り立ち得る根拠があれば維持されていくことになる。一方、そこが明確でないならば、既存の修士課程をそのまま維持するということにはならないと考える。ただし、問題は、小中と高では中身が違うことに十分考慮する必要はある。特に高校教員の場合は、教科の個々の学問、専門的な研究内容に立ち入って修得しなければならない。

○ 教職大学院で教科をやる場合に、教育内容では、小中と高で随分違うと思うので難問である。例えば中学では、歴史は日本史、世界史、東洋史とかと別に区別して教えるわけではないが、高校では、日本史の先生が世界史を教えることは難しい。今の仕組みでは、修士課程は、高校の専門に合わせており、社会科学関係の先生は、日本史も東洋史も西洋史も全部そろえなければ教員養成ができないと言うが、中学は必ずしもそうは言えない。今後、小中高で区別して、小中の段階での教科専門は、教職大学院で授業法や子ども理解を踏まえた教科の内容を修得するべきではないか。

○ 小学校の場合は、教える内容は、大学を出た人であれば、はっきりとわかっており、教え方そのものや学級経営が中心になるのではないか。中高になると、専門であり、教科研究が中心。自分が教えることの10倍以上ぐらいがわかっていて初めて教えられるのが専門性であると思う。その専門があって、それを一つの中心の軸として、子どもたちにどのように教えていくかということが教科研究になると考える。

○ 教科に係る専攻を例えば英語、国語、日本語でくくると、例えば共通科目をつくって異分野の学生が学ぶとか、指導法でも新しい授業研究の開発など共通する部分について共同研究するなどプラス面も考えられる。

実務家教員について

○ 教職大学院の拡充を目指すに当たり、その質を保証する観点から実務家教員の資質力量及び資格要件に関して基準を設ける必要があるとともに、各大学がその特色に応じて実務家教員を採用できるような柔軟な制度設計ができるようにする必要がある。実務家教員に求められる資質力量としては、まず学校を取り巻く環境が急激に変化する中で、自分の経験を絶対視することなく、環境の変化に柔軟に対応できる力が必要であるということである。つまり、実務家教員は、自分の経験だけに頼ってしまう傾向がなきにしもあらずだが、環境は激変しているという例が見られている。もう一つは、大学の文化と、実務家が仕事をしてきた学校や教育委員会の文化とが違う面があるので、大学の文化にうまく溶け込んで、従来型の大学教員、研究者教員と連携・協働する幅広さや、柔軟性が必要である。大学教員に対して敵対をするような人材は全く向かない。三つ目としては、教科指導・生徒指導・特別支援教育・学校経営の間では実務家教員に求められる資質力量には大きな差があるので、例えばコースとか専攻を設けるのであれば、実務家教員に求められる資質力量をある程度明確にする必要がある。

○ 教員養成の大学については、極端に単純化して言うと、戦前の師範学校から戦後の大学になって、いわゆるドイツ型の大学になり、非常に研究志向、アカデミック志向が設けられたために、実務経験あるいは実務能力がさほど重視されなかった。しかし、実践的な指導力、実務に対応した高度な能力が求められるということになると、基本的には全ての教員が実務経験を持つべきだと思う。ただ中長期的な目標であり、今は全く非現実的。実務家教員と研究者教員に分けなければいけないというのは、経過的な措置であるという考え方をとるべきだと思う。新しい教員を採用する場合は、実務経験を可能な範囲でみるようにしている。

○ (学校教員出身者中心の)今までの実務家教員では狭いのではないか。教育委員等をさせてもらったが、先生の世界は狭いと思う。管理職になると、学校というのは地域との関係もあり、幅広いことをしなければならないので、管理職候補者のための大学院では、もっと幅広い方々を先生にしていくべきではないか。

○ 実務家教員については、大学に現職教員を期限つきで大学教官として送っている。その逆に、3年間、大学の先生を校長として迎え入れるというプロポーズはしたが、全く返答がなかった。実現すれば、早い時点で、いろいろな大学教員に実務経験を持ってもらえる。

○ 現場実習が必要で、実務家教員がいるのであれば、現職教員が、大学のキャンパスにいなくても、実務家がいる現場で教育を受けて単位を取ることを教育委員会が制度として認めればよいのではないか。

以上

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総合教育政策局教育人材政策課教員養成企画室

(総合教育政策局教育人材政策課教員養成企画室)