平成22年12月16日(木曜日)13時~15時
中央合同庁舎第7号館(金融庁)9階共用会議室-1(903)
東京都千代田区霞が関3-2-1
吉田座長、池上委員、市村委員、卯城委員、岡田委員、杉山委員、太郎良委員、根岸委員、松本委員、本下委員、吉田広毅委員
山中初等中等教育局長、德久審議官(初等中等教育局担当)、中井国際教育課長、岩井外国語教育推進室長
【吉田(研)座長】 定刻でございますので、これから第2回外国語能力の向上に関する検討会を開催させていただきたいと思います。
本日は、前回欠席されました筑波大学大学院人文社会科学研究科教授の卯城先生、そして東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授の根岸先生のお二人もお見えになっておられます。卯城先生、根岸先生、よろしくお願いいたします。
また今日は、英語教育に関する目標の設定のあり方について、特に生徒の英語力に関する目標設定のあり方について議論をしていきたいと思っていますので、それに際しまして、財団法人日本英語検定協会様にご説明をいただくことにしております。
それでは初めに、本検討会の今後の進め方について簡単に説明をさせていただきたいと思います。扱う議題ですけれども、設置要綱にも記載しておりました英語教育に関する目標設定のあり方についてということ、さらに英語教員の英語力の強化について、ICTの活用をはじめとする英語の授業の改善について、生徒が英語でコミュニケーションを行う機会の充実について、それに加えまして、前回皆様方からご発言がありました英語学習へのモチベーションの向上方策について、また授業改善のための体制の整備などについても検討をしていきたいと思っております。
また、扱う議題の順番としましては、まず英語教育に関する目標設定のあり方について議論をすることとしますので、その後、順次ほかの議題についても扱っていきたいと考えております。
それでは続きまして、事務局のほうから今回の検討議題の趣旨についてご説明をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
岩井外国語教育推進室長から検討議題の趣旨、資料1,2,3,4,参考資料について説明。
英語検定協会より英語力の指標という観点から英検を指標として設定することについて説明。
【(財)日本英語検定協会】 改めまして、私は財団法人日本英語検定協会制作部の本間と申します。それでは早速ですが、「英語力の指標」としての英検というテーマでお話をさせていただきたいと思います。
まず、英検とは、英検は1963年、つまり東京オリンピックの1年前に開始されて以来、受験者数は延べで8,300万人を超えております。現在では、受験者数は年間約230万人、国内では最大規模の検定試験であると言えます。Accessibility、受験のしやすさという意味では、本会場、これは日曜日の公開会場という意味ですけれども、主要約230都市で400、そして準会場、これは中学や高校などの教育機関という意味ですが、その準会場では約2万の団体で実施されている、かなり受験のしやすい検定試験であると言えます。
それでは、「英語力の指標」としての英検、今日は7つのポイントを中心にお話をさせていただきたいと思います。ごらんの7つのポイントを中心に話をすることで、皆様に英検の全体像をつかんでいただけたらと思っております。
最初に、7つの級設定についてですが、英検は1級から5級まで、7つの級が細かく設定されております。大きく分けますと、3級から5級の初級、2級、準2級の中級、1級、準1級の上級というふうにレベルは分かれておりますけれども、このように7つの級に細かく設定されているということは学習者にとってどういうメリットがあるかと申しますと、自分のレベルに合った目標設定で、無理なくステップアップができるという大きな利点がございます。
2つ目ですが、英検はどういう試験かと申しますと、4技能、つまり聞く、話す、読む、書く、この4技能を評価する試験であると言えます。1次試験ではリーディング、リスニング、ライティングを、そして、3級から始まります2次試験では、対面式でスピーキング能力を評価する試験です。つまり、英語を知識としてだけではなく、実際に活用できるのかどうかという点を評価する試験であると言えます。
引き続きまして、どのような視点で問題が作成されているのかについては、まず、話題・題材という点からお話をさせていただきます。英語のレベルが上がるに従って、話題・題材がどのように変化していくのか見ていきたいと思います。3級から5級の初級、このレベルでは、日常生活の身近な話題・題材が中心となります。例えば家族や友人など。それが2級、準2級になりますと、社会性のある話題・題材、例えば海外文化、歴史などというように、広がりと深みがだんだんと増していきます。これが1級、準1級の上級になりますと、社会性の高い、幅広い話題・題材が出てきます。政治、経済というものがトピックとして挙げられます。そして、英語のレベルが上がるに従いまして、求められる英語の処理能力も、つまり認知的負担というところですが、レベルが上がるに従って大きくなると言うことができます。
これだけですと、まだ広がりと深みという点がわかりにくい点もあるかと思いますので、Foodというトピックで、英語のレベルが上がるに従って広がりと深みがどのように変わっていくのか見ていきたいと思います。横軸に広がり、縦軸に深みという線をとりまして、私の好きな食べ物というテーマ、これは初級のテーマですけれども、これが広がりを増していきますと世界のさまざまな食べ物、そして、これが考える、質的な深みを増していくと私の食生活と健康、広がりと深み両方が増していくと世界の食糧問題というようにトピック、テーマが変わっていきます。
そして、話題・題材が広がりと深みを増すとともに、語彙力、文法力も拡大、向上していく、つまりはレベルが上がっていくという変化があります。英語のレベル的には、左上が初級、3級、4級、5級です。真ん中が中級、2級、準2級、そして右下が上級、1級、準1級となっております。このように広がりと深みが増す英検の話題・題材ですけれども、では、その部品となる言語材料はどうなっているのかをまずは文法事項から説明します。
2級から5級に関しましては、学習指導要領に示された文型、新学習指導要領では文構造となっていますけれども、及び検定教科書での使用状況を参考にしながら問題作成をしております。ただし、1級、準1級では文法事項に焦点を当てた出題はございません。
語彙は、同じく2級から5級に関しましては、検定教科書の語彙を、使用状況を確認しながら問題作成の際に参考にしております。1級、準1級では社会性の高い、幅広い話題に対応できる語彙を出題しております。ただし、特別な専門知識を前提とする出題はございません。
それでは、このような視点で問題を作成している英検ですけれども、実際に受験をした受験者の方々にどのようなフィードバックをしているのかについて、お話ししたいと思います。画面でごらんのとおり、多くの観点からフィードバックをしているのですけれども、資料5の個人成績表、1枚の紙を、ごらんください。英検はとかく合格、不合格の通知しか出さないというイメージを持たれている方もいらっしゃるかもしれませんが、現在では受験者へのフィードバックはとても充実しております。
例えば、左ページの真ん中あたり、合格とありますが、その横のグラフをごらんください。このグラフによりまして、同じ合格でも自分がぎりぎりに受かったのか、それとも余裕で受かったのかということがビジュアルにわかるようになっております。さらにその下の解答状況、そして、右ページに行きまして真ん中あたりの分野別得点というところで、自分の弱点を把握できる、つまり今後の自分の学習上の課題をきちんと把握することが可能となるわけです。さらに、その下の学習アドバイスで、今後どのような学習をしていけばいいのかということが具体的に書かれている。このように、英検というものは受験者へのフィードバックが非常に充実している検定試験であると言えます。
ある受験者が受験をして、合格したとします。2級でも準1級でもいいのですが、合格をしたとする。皆様の中には、合格したから何なのか、合格したから、一体何がわかるのかと疑問を持たれている方もいらっしゃるかもしれません。その疑問にお答えするのが、英検のCan-doリストというものです。
英検Can-doリストというのは、一言で言ってしまえば各級合格者が英語でできる自信の高いものをリスト化したものです。どのように調べたかといいますと、2万人を超える合格者へのアンケート、そのアンケートに統計処理を施しまして、リスト化したものです。例えば、2級Can-doリストをごらんください。話すという欄で、「日常生活の身近な状況を説明することができる(遅刻や欠席の理由など)」、「印象に残った出来事について、話すことができる」となっております。旅行やイベントなどの中で印象に残ったことについて話すことができるという意味ですけれども、各級合格者にどのような英語運用能力があるのか、つまり英語で何ができるのかということが、このCan-doリストを参照することで明確に、具体的に、技能別にわかる利点がございます。
このように利点があるCan-doリストなので、いろいろな活用ができます。学習者にとっては、学習目標、運用目標が具体的につかめる利点がございます。例えば、2級に合格した人がいたとします。その人が、上のレベルの人は何をやっているのか、上のレベルの人は何ができるのかということを知りたいときに、9ページの準1級Can-doリストをごらんください。読むの欄を例にとりますが、「英字新聞で社会的な出来事に関する記事を理解することができる」とあります。例えばThe
Japan Times、The Daily Yomiuriと挙がっていますけれども、2級合格者がこのようなものを読んだときに、僕は、私はこれからThe
Japan Timesを読んでみよう、そうやって勉強して、英語力を上げていこうというように、具体的に学習目標を立てることができる利点がございます。逆に教員の立場でいうならば、指導上での目標設定になるということが言えますし、企業の方々、特に人事、教育関係の方々になりますけれども、人事の際の参考資料にすることができるということも言えると思います。
同じく準1級Can-doリストの話すというところをごらんください。「調べたことについて、まとまりのある話をすることができる(仕事のプレゼンテーションなど)」、「自分の仕事や専門分野に関する講義や発表などを聞いて、それについて質問したり自分の考えを述べたりすることができる」となっております。ある従業員が準1級に合格したとして、このCan-doリストを見てもわかるように、こういったことができると推測できます。そうなりますと、この人員は海外勤務の要員にできるのではないか、そのような判断の材料になるかと思います。
このように、いろいろな活用のできるCan-doリストを持つ英検ですけれども、何も国内だけで通用する資格ではございません。最近では、世界の多くの地域で使われている指標との関連も調査をしております。まずはCEFRとの関連ですが、CEFRといいますのは、2001年にヨーロッパ評議会によって公開された外国語能力、第2言語能力の指標とも言えるもので、公開以来、世界各地で注目されて、使っている指標でございます。一番上のC2から基礎段階のA1まで、6段階ある指標ですけれども、これと英検の関連はC1が1級、B2が準1級、B1が2級、A2が準2級、A1が3級、4級、5級と、このような関連になっております。
TOFEL
testとの関連も調べてございます。私どもで調べましたのはPBT、ペーパー版との関連でございますが、1級合格者が600、準1級合格者が550、2級合格者Aが500、2級合格者が450、準2級合格者が400となっております。ちなみに、英検の2級合格者Aといいますのは、1次試験で正解率が75パーセント程度以上の人たちを指します。TOEFL
testには、このほかにインターネット版のiBTがありますけれども、アメリカの非営利教育団体、テストをつくる団体ですけれども、ETSが発表したPBTとiBTの関連を間接的に英検に当てはめますと、1級合格者が100、準1級合格者が80、2級合格者Aが61、2級合格者が45、準2級合格者が32といった相関となっております。
このように、外部基準との関連を調査している英検でございますので、最近では、国内だけではなく、グローバルに認定される資格となっております。それが7番目のポイント、海外留学につながっていきます。皆様の中には、英検というものは、国内の大学や高校で何かしらの入試の優遇、単位の認定をされていることをご存じの方は多いかと思いますが、最近では350以上の海外の大学において、語学力証明資格として認定をされております。つまり、日本人にとって身近な英検で海外留学、進学ができるということであります。
それでは、具体的に見てみます。「英検で海外に進学しよう!」という冊子をごらんになりながら私のお話を聞いていただければと思います。留学申請の際、資格として認定されるのは2級以上、1級、準1級、2級でございます。そして、認定される教育機関は、アメリカをはじめとしたごらんの国々、そこの4年制大学を中心に、中には大学院であるとか、2年制大学といったところもございます。とかく最近日本人の、特に若い世代の中では内向き志向というものがありますが、我々も英検で海外留学を少しでも広めることで、日本人の若い世代の方々を、少しでも外向きといいますか、そういう志向になるきっかけを与えることができたらと考えております。
それでは、最後になりますけれども、まとめとしまして、2003年に発表されました「英語が使える日本人」の育成のための行動計画、以下、行動計画と申し上げますけれども、と英検の関連について少し触れさせていただきたいと思います。
行動計画によりますと、中学校卒業段階の達成目標は「挨拶や応対、身近な暮らしに関わる話題などについて平易なコミュニケーションができる」となっており英検3級となっておりました。そして、高等学校卒業段階でも「日常的な話題について通常のコミュニケーションができる」となっており、英検2級、準2級という形です。英語教員の目標設定としては「英語を使用する活動を積み重ねながらコミュニケーション能力の育成を図る授業を行うことのできる英語力(及び教授力)を備える」というようになっておりました。英検としては準1級が挙がっておりました。ここで「及び教授力」をあえて括弧づけにさせていただきましたのは、理由といたしまして、準1級というものは、英語教員の教授力を評価する試験ではないという点で、このように括弧づけをさせていただきました。ただ、英語教員のコアスキルである英語力を評価する試験として適切だと判断されて、行動計画では準1級と挙げられたのだと我々は理解しております。
このように設定された目標設定ですが、2003年に設定されたものですけれども、これは、その3年後に我々で発表した英検Can-doリストによって、その目標の適切さは説明できると思います。中学校、それから高等学校の文ですが、この目標文と英検Can-doリストには多くの共通部分があると思います。
ここでは時間も限られておりますので、英語教員の部分、準1級の部分についてお話をさせていただきますが、準1級のCan-doリストの読むのところに「英文の種類や読む目的に応じて、適切に読みこなすことができる」といったもの、それから、聞くのところに「テレビやラジオのニュース番組を聞いて、その要点を理解することができる」とあります。このようなリセプティブなスキルというものは、英語教員が授業準備をする際に必ず生きてくるスキルであると思われますし、話すのところに「調べたことについて、まとまりのある話をすることができる」とありますが、こういうスキルというのは、英語教師が授業を英語で進める際に役に立つ、生きてくるスキルであると思われます。そういった意味におきまして、英語教員のコアスキルである英語力を評価する試験として、準1級は適切であると言うこともでき、2003年の行動計画の目標設定はCan-doリストの観点からも適切であると言えると我々は考えております。
以上をもちまして、私からの発表を終えさせていただきます。2013年に、英検というのは実をいうと50周年を迎えますが、これからも日本の英語教育、それから国際化に向けて、少しでもお手伝いができればと思っております。本日はご清聴ありがとうございました。
全国高校生ディベート大会の概要を説明後、実際の大会の様子をDVDにて紹介。
(DVD上映)
高校生ディベート大会についてや、英検協会に対する質問もふくめ、英語教育に関する目標設定のあり方について、各出席委員より発言があった。
【太郎良委員】 今日の会の目標が、中学校・高等学校を主とした目標はどうであろうかということでございますので、その一番の基礎となるであろう小学校ないしは中学校、特に現時点においては、中学校はどういう英語教育をなすべきかということについて、私の考えていることなど、まずお話しさせていただきたいと思います。
まず、第1番目に申し上げておきたいのは、前回の第1回のときも私が申し上げたことなのですが、いわゆる国民全体に求められる英語力という概念と、専門分野に求められる英語力という2つのものを、私たちはきっちり頭の中で整理をして、議論していく必要があるのではないかと考えます。どういう意味かというと、ただ漠然と、今の中学校の生徒の英語力は足りない、今の目標のあり方では生ぬるい、もっと高い目標にすべきである、調査によると3割ぐらいになっているけれども、これでは不十分であり、5割、6割、7割にすべきであるということは、言うことは簡単ですが、なかなかこれは大変であると思います。
そこで、この2つの概念を、中学校や高等学校の中に置きかえて考えますと、結局、各生徒が持っております英語に関する実力の高い低いや得手不得手ということに言いかえることができるのではないかと思います。いろいろな生徒がいる公立学校の中で、その生徒を対象にした目標設定がどうあるべきかということは、そのことをよく踏まえて考えていきたいなと思っておりますので、この点よろしくお願いしたいと思います。
2つ目といたしまして、公立学校の生徒の英語力をどう考えるかという指標が資料4にございましたけれども、この数字を拝見いたしまして、英検3級以上を持っておる生徒が中学生で約3割であり、高校生の場合もやはり3割ぐらいでした。一見、低い、3割では十分ではないのではないかという気がいたしますけれども、しかし英検という実情を言いますと、強制的に全員に受けさせているわけではないし、また特にそういったことをやってみたいという気持ちを持っている生徒や先生や学校の人たちが受けているということもありましょうから、そう考えるとここに出ている3割程度というのは妥当な数字なのではないかなと私は感じております。
また、あわせて、過去にいわゆる教育課程実施状況調査というものが行われておりましたけれども、ここにはその内容は載っておりませんけれども、その問題の中身などを見ても、決してそんなに高い問題ではありません。その数字は決して高いものではなかった。しかし、それが実態であるということで、いいか悪いかは別にして、実態はこんなものなのだろうなというのが私の率直な意見であります。
そのようなことを受けまして、中学校における目標設定はどうあるべきかと考えますと、これは言わずもがな、義務教育なのですから、国民全体に求められるものでなければいけない。ということは、逆に言えば、理想を言えば全部の生徒に、ある一定以上の英語に関する学力水準を保証してあげなければいけないということが出てくると思います。これはとても大切なことではないかと思います。そうした場合、中学校ではいわゆる基礎基本というものが学習指導要領にも明記されておりますように、修得させることがあるわけですが、学習指導要領の記述の仕方を見てみますと、必ずしも、非常に具体的には記述されていないのです。先ほど英検さんからCan-doリストを使っての説明がございましたけれども、あのような明確な規定の仕方はしてございません。ある意味でかなり包括的な記述の仕方をしているのが、我が国の学習指導要領の特色の1つではないかと思うのですが、それによって学校も、各教員も、やりやすい面もあるし、ある面、任せてしまっているから、具体的な成果や目標がつかみにくいということが出てくることも事実だと思います。そのような課題が、私は現在の学習指導要領にあるのではないかと思うのですが、それを踏まえて、私は自分なりに具体策として、目標設定の場合、やっぱりこういったことをこれから考えていくべきではないかなということをご提案申し上げたいと思います。
1つ目といたしましては、先ほど申し上げましたように、義務教育ということですから、全員の生徒を対象にしたものでなければいけない。しかし、全体の対象を平均的に並べてしまいますと、できる子から、できない子から、みんな平均化してしまいますから、数字としては3割とか4割とか5割とか、その程度にどうしてもなってしまうのだと思います。効果というものがはっきり出てこない。先ほどの高校のディベートにしても、ああいったことのできる生徒もいるし、できない子もいるわけです。それを一緒にして、1つの目標としてあらわしても、なかなか説得力は出てこないだろうと思います。
そう考えた場合、中学校の場合、先ほどの英検さんがCan-doリストを提示されましたけれども、この考え方をもっと、今回の会議を機会に文部科学省からリーダーシップをとっていただいて、推し進めるべきであると考えます。このようなことを導入することによって、生徒自身も自分がどこまでわかっているのかということで大変わかりやすいし、保護者にとっても非常にわかりやすいし、教師にとっても教えやすいというように、非常にメリットがある。そういったことを文部科学省でぜひリーダーシップをとってもらって、進めていっていただいたらどうだろうかなと思います。
さらに、私が思うにリストを出すだけではまだ不十分であって、それをもとに、例えばCan-doリストの3級なら3級レベルにおいて、どういう具体的なテスト問題を作成したら、適切に自分の教えている生徒の到達度を把握することができるかということがわかるような、モデルとなるようなテスト問題であるとか、そういったものをぜひつくって、各地方の教育委員会であるとか、学校に周知して、それをもとに各地方や、各学校や、各教員が努力をして、各生徒の明確な到達度に応じた学力把握、そして学力向上を図るという方策を考えたらいかがだろうと私は思っております。いずれにしても、Can-do的なより具体的な考え方は入れなければいけないと私は思います。
最後に、ステップの級を目標の中に載せる云々という話をさせていただきます。載せるのはいかがだろうかという話が先ほどありましたけれども、私は、ステップの何級相当の力を持っているというのを載せるのは必ずしも反対ではないけれども、やはりステップ自体は全員が受けるものではないし、お金がかかりますし、義務教育のことを考えた場合、全員対象にすることが望ましいわけですから、私はやはり文部科学省がリーダーシップをとって、Can-do的なものの考え方を入れた到達目標をきちっと出して、こういったレベルに到達するのが、中学校の義務教育における英語の求める力ですよという方向であるべきだと思います。そして、あわせて、それに準ずるものとして、英検のこの中身というのは非常にすばらしいものですし、質が非常に高いものです。私は非常に高く評価しておるものでございまして、それをあわせ含めて、国で出したリストと同時に、気持ちのある学校や生徒、保護者はどんどん英検の試験なども受けて、自分の力を試してくださいよということで、活用したらいかがだろうかなと思います。
【吉田(研)座長】 ありがとうございます。今、太郎良委員からございましたように、特に中学校において、できるだけ具体的なCan-doのような目標をきちんと定めるべきではないか、また、それを文科省が主体となって作成をし、それを全国の教育委員会、学校に示していくことが重要ではないかというご意見ではなかったかと思います。
【卯城委員】 筑波大学の卯城です。私も前回の議事録を拝見しまして、太郎良先生と同じ思いを強く持ちました。というのは、私は今、大学は2校目で筑波大学におりますけれども、それまで振り出しは北海道の公立高等学校を3校経験しております。最初は町の進学校でした。最後は英語科のある学校で、ほとんど英語で授業するという学校でした。ただ、2校目は離島の困難校でした。そういう3つの学校を考えますと、やはりどれも生徒の実態は違います。そして全員の生徒を対象とするのかどうかといったときに、なかなか全員が、例えば英検2級を目指すとなると、もう既に、入学時点でとっている生徒がいる高校があったり、それを聞いただけで何か違う目標を考える必要がある高校が出てきてしまいます。
私の意見が少し違うのは、そこで教えていた思いからすると、今までのように、一部の生徒と全体とを目標で分けるのではなくて、こういった英検2級といったものを指標の念頭に置くということは私は大賛成で、一般的ですし、わかりやすいと思うのですが、もう一つ、どの生徒も取り込むような、どこの教室でも当てはまるような目標というものも持つべきではないのかと思います。
例えば、先ほどのCan-doリストで、準1級の読むところで、「英文の種類や読む目的に応じて適切に読みこなすことができる」というのがあります。これは何も、難しい英文ではなくても、中学校の1年生や2年生が扱っているような英文でも、例えばストーリーを読む場合、手紙文を読む場合、説明文を読む場合ということで当てはまるわけです。そういったところを共通して持っていくと、何も例えば、指標、数値だけでやると、ここから以下は切り捨てられるわけですけれども、どの教室にも当てはまる目標というのは必要ではないかなと思っております。今までは、特に中学校もそうですけれども、高校は学校によって目標がバラバラである、進学であるとか、今言った英語科とか国際科であるとか、困難校、それぞれがバラバラの目標を実態として持っていました。そこを束ねるものを、例えばコミュニケーション、読むなら読むで書き手の意図をとるといったところで共通できればいいのではないかなと思っています。
例えば600語ぐらいがセンターテストの長文の長さですけれども、その長文を将来的に、辞書を用いずに読む生徒がいてもいい、英英辞典を使って読める人もいてもいい、また、英和辞典を使って3日間かかっても読める人がいてもいい、それぞれのありようが違うけれども、目標が同じだというところを、何か数値目標とは別に持ってほしいなと思っています。
2つ目は、Can-doリストは非常にわかりやすくていいと思うのですが、例えば準1級とか2級に受かった受験生が、この4技能すべてにできるわけではないと思います。ですから、パーシャルコンピテンスというような部分的な能力をもっと評価していくことが大事だと考えます。例えば同じ準1級に受かっていても、読む、あるいは書くというところで点数が高い生徒と、満遍なく出来る生徒と、聞く、話すができる生徒とがいる。そこを現在は分野別得点といったところで示されていますけれども、もっとスコアシートとか、あるいは我々の指導の中で、何級受かったから、何点取ったからすべての分野にできるのだということではなくて、それぞれの力というのを、もっと複眼的に見るということが、個性を生かすということでは大事ではないかと思っています。
最後に、私は日本人の生徒たちが英語というものが彼らの中に全くないのかというと、そういう困難校であっても全くないということはないと思っています。ただ、その英語自体が使えるようになっていない、あるいは使えない英語であったり、一番大事なのは使う意欲がないということだと思います。そういったところを今、小学校の外国語活動から中学校、高校に向けて育てていこうとしている、この意欲、関心を育てるというところは一番大事なところで、例えば授業の具体的な場面でいうと、教科書の英文をスラスラ言うことはできるけれども、違う場面で同じような表現を使うことはできないとか、あるいは語彙についてたくさん知っている、広さはあるけれども使えるようになっていないという、いわゆる深さの問題であるとか、そういったところも目標の中に組み込んでいければと思っています。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。いろいろな場面で教えてこられた経験から、非常に具体的なお話をしていただけたと思います。確かに、全体が、全員がここをできるようにというのはなかなか難しいと思います。ただ、読むときにこういうことができるようになる、それぞれのレベルに合わせて、この生徒の場合はこういう材料で、こういうやり方でという提示の仕方、また今おっしゃったようなパーシャルコンピテンスの問題もそうですね。全員が全員、4技能すべてできる必要が果たしてあるのか、また強いところをどう伸ばしていくのか、それがまた、最後におっしゃった意欲、関心などとも結びついてくるのかもしれません。
【池上委員】 今、専門の方のご意見をお聞きして、私自身、委員として来ましたけれども、実は全く英語教育ということに関しては素人で、企業で長くやった後、大学に来て、今、東京大学と東京学芸大学と関係しているのですけれども、大学生が学生間の討議だとか、それから外からお客さんが来て話したときの討議に対する質問、意見等の返しのときに、なぜ全然積極的に話そうとしないのかと感じます。中国、韓国なんかの学生に比べて、やもすれば寡黙になってしまうという状況を見ながら、過去どういう英語教育をやったのかなということを具体的に知る機会ができたのは1つの理解が深まったと思います。
そういう意味で、学習指導要領というのは、これだけ立派なものがあってやってきているのですけれども、この中で、読み、書き、それから聞く、話すという4つの能力を、ほんとうにバランスをとって教育しているのかということについて多少疑問を持ってきます。殊に話すということについて、勇気を持って話を切り出していく、もしくは人が話しているときに「ちょっと待ってくれ」と、自分の意見はこんなふうに思うのだということをほんとうに論理的に話していくことが欠けていることについて、それがもっと小さいころからの習慣ということでできていないのかなということを思いながらもう1回読み返してみたときに、2つ疑問を持つのですが、1つは、日本の英語教育、もしくは今の英検の試験も含めてですけれども、正しい、間違っているということを常に判定され、したがって外国人、もしくはむしろ、一般的な現象として日本人の前で英語で話すときに、間違ってないのかな、笑われるのではないかということを思って、なかなか話し出せない、そうこうするうちに議題が変わっていってしまって、ついに黙っておしまいになるとか、いずれにしても、あまりにも正しい英語を使わないとだめだという教育で来ていて、積極的に言葉を道具として、下手でも間違ってもいいから使ってコミュニケーションをとる、話すという教育が指導要領の中にあるのかな、ということが1つ思うわけです。
それから2つ目として、指導要領にあったとしても、実際に生徒たちが勉強をする場というのは、今は受験があるので、中学生は高校入試を考え、高校生は大学入試を考えます。大学進学率がついに50パーセントを超えていますから、かなりの高校生が大学進学を考えています。そうすると、進学のときに試される英語というものを常に念頭に置きながら勉強するだろうし、勉強意欲も持つ。それ以外のものについては、学習指導要領がすごく立派に書いてあっても、これはこれとしてあったほうがいいけれども、ほんとうにそれを目指して勉強しているのかどうか、これは教えてもらわなければわからないので。そういう疑念を私としては持つわけです。その辺を判定していくとすれば、入学試験と連動する必要があるのではないかと考えます。
高校入学試験、大学入学試験で、殊に積極的に話す。これは当然のことながら技術的に難しいのはよくわかります。それから、話すことを判定するのは1人ずつということになりますから、マス処理には向いていないこともわかっていますけれども、そういうものがあるということを何とか研究して、入れていかない限り、今と同じような、勉強はよくできるし、正しい英語は使えるけれども、話すのは下手な日本人ができてしまうのではないかなという感じがして、今までの単なる学習指導要領をブラッシュアップしたり、それから多少の修正を図るということでなくて、少し根本から使える英語を考える必要がないのかなということで、皆さんに議論をしていただきたいと思います。
それからもう一つ、英検のこれだけ立派なことをやられて、年間300万人というのは大変な率だと思うのですけれども、その中で、話すことの判定は、3級から一応、対話が始まるのですか。
【(財)日本英語検定協会】 そうですね。
【池上委員】 それも一応、例えば積極性とかじゃなくて、正しく話せるかどうかということが中心になってくるわけですね。
【(財)日本英語検定協会】 細かい基準というのはいろいろ申し上げるわけにはいかないのですけれども、コミュニケーションに対する、積極的に取り組もうとしているのかというアティチュードであるとか、同じ間違いでも、コミュニケーションを阻害しない間違いであれば、英語を間違えたから不合格になるとか、ただ単にそういうものではない。アティチュードのようなものも積極的に評価をしている試験でございます。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。今おっしゃった点、非常に大事な点がたくさんあったと思います。特に話したり、いわゆるプロダクションの点に関して、なかなか日本人は積極性に欠けてしまうということ、その原因として、どうしても指導要領も含めて、試験中心になってしまっている部分、あるいはアキュラシー、正確さというものがあまりにも中心になってしまっているのではないか。だから、なかなか思い切って話せない、積極的に自分の意見を言えないということが考えられるのではないか。入学試験というものも、結局は同じような正確さというものを強調するような、そういう性格を英語教育そのものを自縛している可能性があるということではないかと思います。
学習指導要領も、もっと、ほんとうに使える英語というものを念頭に入れた内容のものに変えていく必要があるのではないか。特にまた、入試テストなどにおいても、特にスピーキングとか、またライティングなんかもそうでしょうけれども、非常に測定は難しいかもしれないけれども、それを何とか、何らかの形でやっぱり連動していかないと、なかなかうまくいかないのではないかというお話ではなかったかと思います。
【吉田(広)委員】 常葉学園大学の吉田広毅と申します。私も日ごろの経験を踏まえて申し上げたいと思うのですが、まず、1つの指標ですとか、目安として、英検、もしくは、TOEICなどを使うことについては反対いたしませんし、むしろ学生であったり、児童生徒の励みになるという意味では賛成致します。しかも、これはあくまでも目安である、指標であるということを強調した上で提示したほうがいいのではないかと考えます。
TOEICなどを1つの指標として使うと、例えば私の大学でも、近隣の国立大学でも、標準テストとしてTOEICを取り入れているのですが、ややもすると、日ごろの授業がTOEICの点数を高めるための授業になりかねない。そうすると、池上委員もおっしゃったように、TOEICなどの標準テストでは結果が正解か不正解かで出されるものですから、子どもたちは合っているか合っていないかということに殊さら関心を持つようになって、なぜという説明を一生懸命しても、あまりそこは聞こうとしなくなることが少なくありません。ですので、目安として英検などを使うのはいいのですけれども、むしろ、先ほど太郎良先生がおっしゃったように、Can-doリストを前に持ってきて、「こういう力が身につくと、結果としてこういうところに到達する目安として、英検の何級がありますよ」という記述の仕方が望ましいのではないかとまず考えます。
次いで、具体的に中学校なり高等学校でどのような力をということに話を移したいと思います。コミュニケーション能力を育成するというのはもちろん必要なことだと思うのですが、ここで言っているコミュニケーション能力というのは何を指すのかということをもう少し明確にする必要があるように思います。どの資料を見ても、例えば基礎的なとか、実践的なとか、もしくは使用場面を想定したような記述の仕方です。つまり、どちらかというコミュニケーションの内容であったり、要素であったり、適用場面についての記述が主です。一方で、どのようにコミュニケーションを図るのかという方法ですとか、形態についての記述がどちらかというと少ないのではないかと個人的には感じております。すなわち、何を話すのか書くのか、どのようなことを話すのか、書くのかということに、つけ加えること、「どのように」ということをこれからもう少し考えたほうがいいのではないかと考えております。
中でも重要だと考えておりますのが、前回の検討会でも指摘されておりますが、「論理的に」ということです。そのためには、当然のことながら、「みずからの考えや思いに、明確な理由や根拠をつけ加えて」ということが大事なのだろうと思います。
私の大学でも、例えばTOEICで900点をとる学生は、少なからずおります。では、その学生が、私が求める英語力があるのかというと、必ずしもそうではない。例えば、英語で一問一答で話をしている分には、きれいな英語を使います。しかし、一貫性のある文章を書かせたりですとか、スピーチをさせたりすると、英語は正しいのだけれども、支離滅裂な文章を書いたりするのです。それはTOEICの勉強ばかりしているからかどうかはわかりませんけれども、文章が全体として構造をなしていないということが往々にしてございます。そこで、学習者に求められる英語力の目標のどこかに、例えば論理的ですとか論理性という言葉を入れていただければと考えております。
ただ、これは何も英語を話したり、英語でコミュニケーションを図るときだけに起こっている問題ではありません。こういうことを申し上げるのも何なのですが、私は日ごろ学生と接していて、彼らが英語ができるようにならないのは、むしろ英語力より日本語力の問題なのではないかなと考えることが非常に多うございます。そこで、英語の学習の中でも、もちろん論理的な思考力を育成することも大事だと思うのですが、やはり国語教育との連携を図ってということも必要でしょうし、これはあくまでも私の個人的な見解ですが、論理的思考力を育むことを目指すのであれば数学教育との連携を図るというのが、実はかなり大事なのではないかと思っております。
もう一つ、日ごろ学生と接しているときに感じるのが、学習指導要領にも記されておりますが「相手の意向ですとか意図を酌み取ったり読み取ったりする力」の育成です。例えば、教員採用試験対策などで、英語の面接や日本語の面接を行うのですが、あなたはなぜ教師になりたいのか、「Why
do you want to be a teacher?」などと聞くと、まず9割の学生が「子どもが好きだから」ですとか「中学校のときにすばらしい先生に出会ったから」と答えるのです。近所のおじさん、おばさんと話をしているのであれば、その答えでもいいと思うのですが、教員採用試験対策の面接で求められているのはそういうことではありません。要するに、字面で意味をとらえることはできているのだろうとは思いますが、相手が求めている真の意図ですとか、コンテクストというものをとらえようとしていないのか、とらえる力がないのか、とらえるための訓練を受けていないのか、そこに非常に大きな疑問を感じます。当然、質問をしている相手はなぜ英語の教師なのか、なぜ中学なのか、なぜ静岡なのかということを求めているはずです。
総合しますと、個人的な見解ではありますが、相手の考えですとか、思いですとか、そういう相手の意図、意向を読み取ったり酌み取ったりして、みずからの考えや思いに、理由や根拠などを明確につけ加えて、論理的に表現する力というのが、今、私が学習者に欠けているのではないか、そして、育成する必要があるのではないかと考えていることです。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。確かに英検だとか、あるいはテストというのは1つの目安に過ぎないというこの考え方はそのとおりだと思います。そうでないと、テストのための勉強しか学生は確かにしない。そういう意味で言うと、先ほど出てきたCan-doというのは非常に大事な、1つの新たな概念ではないかなと私も思います。
それからもう一つ、コミュニケーション能力とは一体何なのかというお話がありました。どうやってコミュニケーションを図っていくのかということについて、今まであまり議論がないのではないか、また、そういう点についてもっと考える必要があるのではないか、それを最後にまとめておられましたけれども、相手の意向だとか、意図だとか、そういうものをきちんと酌み取った上で、それに対して自分の意見なども論理的にきちんと表明していくという能力を育成していく、そういう記述なども必要なのではないか。また、特に英語だけの問題じゃなくて、いわゆる今回学習指導要領の根底にある言語力の育成ということにもつながると思うのですけれども、日本語でそれができなければいけないという点だったかなと思います。
【根岸委員】 根岸です。私はテストとか評価とかを専門にやってきたので、その観点からをいくつかお話ししたいと思います。
最初に確認したいことがあります。この委員会の名前が、「外国語能力の向上に関する検討会」とあって、今回、目標を論じるとなっています。ただ、先ほどからも何人かの発言に出ていたと思うのですが、目標といったときに何を決めるのかというのが私自身はっきりわからないのです。太郎良先生からあった、日本人全員に対する最低保証としての目標値なのか、目標といったときに、単に目指すだけの目標も目標と呼ぶことがあって、議論しているとその辺がごちゃごちゃになってしまいます。目標は「全員英検1級」と言うのは簡単ですけれども、最低保証としては多分現実的ではないと思います。私たちはここで、最低保証としての目標を議論するのか(それも多分必要だと思うのですが)、日本人全体の平均値を議論するのか、決める必要があると思います。また、それ以外にも、日本人のどのぐらいの人たちがどのぐらいの外国語能力を持つべきかという議論もあると思います。多分これは今後日本人が社会に出てから、どれくらいの人が実際にどの程度の外国語を使うとのかを考えて議論しなければならないかもしれません。
それから、先ほど出ていた入試の話は、私自身も最近とても強く感じていることでした。、全体的として日本のテストを見ると、やはり読むとか聞くとかの受容技能の測定に偏っていて、発表技能の測定がきわめて少ないと思われます。もちろん、話すことはほぼ入試ではテストされていませんし、英検でも、話すことの測定はあるのですけれども、残念ながら、書くことの測定に関しては、2級までのところは並べかえ問題だけです。これを先ほどのCEFRのCan-do、descriptorや英検自身のCan-doリストと照らしてみれば、書くことのテストとしてかなり限定的であるということが分かります。そうすると、英検を目標にしたときには、実際に書いてみようという波及効果は準1級という非常に上のレベルまで出てこない。つまり、実際に子どもたちは英検に向け書く練習をすることはないわけです。面接に向けて、話すことはするのですけれども、書くことをしていないので、これは言語の習得ということを考えても、あまりいいことではないし、実際に書いてみるとどういう英語になってしまうのかというようなところは、実は教員側もあまりよくわかっていないのではないかと思います。文法問題とか、あるいは並べかえ問題で見えてくる括弧つきの「ライティング力」のようなものしか見ていないというところがあるので、なるべく発表技能そのものを見る必要があるかなと思います。
それから、入試の場合は公平性とかということが大きく問題にはなりますけれども、発表技能の評価というのは、最終的にはフィギュアスケートの点数を出すようなもので、主観的な要素を完全に排除することはできないという認識を持って、私たちは腹をくくる必要があるのではないでしょうか。その上で、それでもやっぱり、発表技能のテストはした方が私はいい影響がきっとあるのではないかなと思います。
それから、先ほどから出ていたコミュニケーション能力という問題で、今、吉田先生もおっしゃった「言語力」という言葉が新しく学習指導要領に入りました。先日吉田先生と同じシンポジウムに出させていただいていたのですが、そこでも日本の教室の場合、英語に限らず他の教科でも、ディスカッションやディベートなどが、ほとんど行われていない。教室をのぞくと、先生が1人で講義をしている。これは別に大学だけでじゃなくて、高校も、中学校も、多くの教科で、というかほとんどの教科でそういう状況です。そういう状況にありながら、英語の授業になって突然ディスカッションしてみようと言っても、あまりにも距離があり過ぎるのではないかと思います。
私たちは、学校教育全体として「言語力」というのを考えていかなければならないと思います。学習指導要領に「言語力」というのが入ったとしても、例えば体育の先生が自分の教科における「言語力」は何なのか、例えばテニスの指導における「言語力」とは何なのかということまでおろして考える必要があります。「言語力」は、英語だけで解決できないことはたくさんあります。「日本人のもともとのコミュニケーションスタイル」と、「英語を使うときに求められるコミュニケーションスタイル」の乖離のようなものはあるので、そこら辺も考える必要があるかなと思いました。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。最初にまず目標の問題ということで、一体この目標というのをどういう意味でとらえているのかということについて、先ほどの、最低ここまでは全員がというものなのか、それとも、こういう人はこういうことができればいい、こういう人はこういうことができればいいというように、それぞれの個性だとか能力に合わせた目標の話をしているのか、その辺もはっきりさせる必要があるだろう、それはその通りだと思います。
それから、入試における発表技能の重要性、これが欠けているという、特に今のご発言ですと、書くというところに焦点が置かれたと思いますけれども、確かに私たちもいろいろな問題をつくったりして、書く問題をつくるときには、言葉の並びかえをやったり、いわゆる正誤問題をやることによって、これで書く能力がつくというか、それで測定できていると何となく今まで、そういう習慣があるので、それを使ってしまっているところがありますけれども、果たしてほんとうにそれは書くという力に相当するのかという問題ですね。これは大きいと思います。また、時によっては文法がちゃんとわかっていれば書けるというのも、これも必ずしもわからないことで、昔、TOEFLが一番最初にできたころというのは、ライティングがありました。それと文法問題があって、ところが文法問題の得点とライティングの得点の相関が非常に高かったので、同じことをはかっているならば、面倒くさいほうをとって、結局ライティングをはからなくなったという時代がありました。ところが、文法でいい点をとったとしても、結局は書いてないものだから、文法ではかれた知識はライティングの知識ではなかったと、ただライティングをするために文法が必要だったというだけの話だったわけです。ですから、その辺のことを考えて、実際に書くという作業自体をどうやって入れていくかというのは、今後、非常に大事な部分だと思います。
非常に大切な点でもう一つおっしゃったのは、こういうプロダクションをはかる際に、非常に主観的な面が入ってくるという、これは入試の際に難しいですよね。1つ、点が少し下がっただけで、落ちるか、合格かという非常に難しい点があるので、大変な点はあるのですが、ただ、そういう主観的な面も、もっと勇気を持って何らかの形で導入していくべきではないかという発言だったと思います。
それから最後は言語力の問題です。これはまさに先ほどから出ている問題で、英語だけでやってもなかなか難しいので、ほかの教科においてもやる必要があるだろうという考えです。それから最後におっしゃった、日本語とか英語、それぞれが自分たちの意見を言ったりするときのパターンが違うということです。そういうこともしっかり認識した上で、発表力というものを身につけていく方策を考えなければいけないのではないか、そんなことではなかったかなと思います。
【岡田委員】 岡田です。専門家の先生方のコメントが続いたので、素人の意見も少し入れさせていただければと思います。
目標設定について、私はこう考えております。英検様の開発した目標なり、Can-doリストはすばらしいし、ヨーロッパででき上がった制度もございますし、どれもそれなりの制度設計するときの思想哲学があってのものだと思います。文科省としてどれかを特定して目標設定の指針とするのは、なかなか政策的には難しいのではないでしょうか。ただ、日本語の特性といいましょうか、それと日本の教育環境なり、もっと言えば日本人のパーソナリティー、マインドセットを十分考慮したうえで、そういうこともよく加味したうえでベターな姿を模索することが、英語を具体的に浸透させていく上では好ましいのではないかと思います。
もう1つは、どれほど立派な目標設定なり、制度設計がなされていても、結果が問われるということです。我々素人は、結果がどうなのかということに、どうしても目を向けがちです。例えば大学を卒業した新卒の平均的なTOEICの点数は、450から460とお聞きしています。名前は言えませんけど、超一流某商社の例を出しますと、全社員にTOEIC、730点の目標を課しております。新卒の採用時においてTOEICのスコアで輪切りすることはしていません。ただし、入社3年以内に730点をとりなさい、これをクリアしないと、プロモーションもない、海外赴任もないという、かなり厳しいターゲット設定をしています。この企業の人事担当者にお聞きしましたら、ほとんどの社員がクリアしているそうです。もともと大手商社を志望していた学生なので、ある程度の英語力があってもおかしくありません。この企業の新卒のTOEIC平均スコアは、多分600から700ぐらいだったのではないかと推察します。お隣の韓国の場合、入社する新卒に要請されているTOEICスコアはサムソンが900点、現代(Hyundai)で800点と言われています。あくまで、メディア報道でしかありませんが、かなり高い英語力のレベルでが要請されているのが日本をはじめとする今の産業界の現実だと思います。
そんなに高いレベルの英語力を要請されているビジネスパーソンが日本でどのぐらいいるのかというと、話は別で、数パーセントの世界ではないかと思います。社内公用語にするという企業も出てきておりますが、まだまだ例外的で、前回ご紹介した大田区のメッキ工場のケースですけれども、タイを中心に、今後、東南アジアで商域を拡大しないと生きていけないという厳しい現実の中で、社員全員が必死に英語と取り組んでいます。ただ、この工場の場合では、TOEIC730点は必要ないでしょう。おそらく、最低限のコミュニケーションをネーティブとできる470点ぐらいをとりあえず目指しているようです。もう少し低くても構わないかもしれません。今、日本の産業界のほとんどの現場で問われている平均的なスタンダードが、このレベルの英語力なのではないかというのが私の実感です。
逆に言いますと、このCan-doリストでもありましたが、前回のアクションプランで、中学卒業レベル、高校卒業レベルで設定された基準、目標値は、私から言うと、ちょっと高いのではないかという印象を受けています。つまり、このアクションプランで設定された目標は、Can-doリストからしますと、かなりのレベルのことができるようになるはずです。ところが、現実はなかなかそうなっていません。大学の先生に聞けばわかると思うのですけれども、大学に入ってきた新入生の英語のレベルの低さには、皆さん愕然とするというお話をしょっちゅう聞ききます。このギャップはどこから生じているのかというところにメスを入れて、具体的な改善策を提起していかないと、日本人の英語力を高めるという課題は一歩も前に進まないのではないでしょうか。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。最後の点、非常におもしろい指摘ではないかと思います。
目標設定というのは、制度設計というのもいいけれども、しかし結果が問われるのだという、これは当然だと思います。企業において、それぞれTOEFL、TOEICの点数などを設定しているところはいろいろあるけれども、ただ、それぞれの場面で、どの程度の英語力がほんとうに必要なのかというのは必ずしも一定ではないというお話ではないかと思います。したがって、英語ができる日本人の育成の構造計画の中でも、中学3年では、あるいは高校卒業程度はと設定されているのも、それぞれのレベル、級とCan-doリストを照合してみたときに、果たしてここまでできる必要があるのかというお話が今あったと思います。ですから、もう少しそういう意味で、すり合わせといってはおかしいですが、こういうときは何が必要だということも頭に入れて、もう一度考えるということが必要なのではないかと、私はそうお聞きしました。
【市村委員】 日本貿易会の市村でございます。この4月までインドネシアに支配人として5年間おりました。その間――先ほど岡田委員から某商社というのが出ましたけれども、おそらく私が出てきた伊藤忠商事じゃないかと思っているのですが、インドネシアの場合で申し上げますと、大体駐在員が50人ぐらい、ナショナルスタッフが250人ぐらいいるわけです。事業会社を入れますと、それの数倍になるのですが、いわゆる事務所、現法としてそのぐらいの規模がおります。
そういう中で、確かに若い社員がどんどん駐在に来ますけれども、英語力という社内の試験、渡航試験と言っていますが、それをクリアして駐在に来ます。それに受からないと、駐在は出せませんので、難関ですけれどもそれをクリアして来ます。ただ、来て即戦力になるかと言ったら、全然なりません。やはり、若手は実務研修なりして、語学力をそこで磨きます。磨く方法というのは、とにかく日本語を使わせないで、英語だけの世界にぶち込んで、そこから出るなというやり方で、かなり強引ですけれども、聞く耳をまず勉強させます。聞く耳を持たないと、しゃべるのはできません。理解ができませんから。
それと、話すほうは我々よく指導するのですが、日本語が下手な人は英語も下手です。やっぱり、文章力も一緒ですけれども、論文、あるいはレポートを書かせてみて、レポートが日本語で下手な人は、やっぱり英語はうまくなりません。ですから、そういう観点で、現場に行けば、才能あるというか、それなりのものは当然、英語力はついてきます。ですから、あまりそこは我々心配してないのですが、問題は初等・中等教育の中で、どの程度のレベルまで持っていくかという議論をさせていただいているわけですから、ハイレベルの議論ということになれば、全く違う議論になると思いますけれども、いわゆる平均的な話ということになると、先ほどの目標設定、この議論は、私自身は平均的なことを描いた指標といいますか、水準というものを設定すべきではないかと思います。
現在まで、過去から英検協会での水準といいますか、レベルで、中学校で3級、高校で準2級か2級と、こういう基準は目標設定されていますけれども、ただ、資料4を読んでいますと、英検の試験を受けた人、受けなくても、みなしたものだと思いますけれども、大体3割という数字が報告されています。この3割というのは、平均的な数字と見ていいのかどうか、平均と言ったらやはり50パーセントとか60パーセントとか、その辺があるべき姿じゃないだろうかと考えますと、目標設定の3級というのがほんとうに正しいのか、あるいは高校の2級、準2級というのがほんとうにこれでいいのかと、この議論をしないと、同じようなことをやっていたら、あまり成長がないのではないかなという気もいたしましたので、あえて申し上げさせていただきたいと思います。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。実際にテストを日本で受けて海外赴任しても、実際に実践で必要な英語力、あるいは外国語の力というのは全く違うという、やはり実践を通してきちんとやっていかなければいけないというお話でした。それから、特にまた聞く力の重要性ということについて強調された点、これは、文科省の中でも同じではないかなと思います。
それから、特に話をする、あるいはプロダクションの面です。日本語ができなければ、やはりプロダクションは英語でもできないということは私もそのとおりだと思います。ですからきちんと言語力ということも含めて育成する何らかの方策をとっていかなければならないないのかなと思います。
それから、目標に関しても平均的なものがよいのではないかということですが、私も今、いろいろな話を伺っていて、それぞれの必要な場面で、それぞれ必要なものというのは実践で身についていく部分があるのでしょうから、であるとするならば、学校教育に求められるものは、そこのどこにも基本的に適用できるような、ベースとなるような平均的なものなのかなと私はお聞きしていました。
ところが、そこで3級だとか、あるいは準2級というのは、30パーセントというのは果たしてこれでいいのだろうかということです。確かに、平均と言われますと50ぐらいになってほしいというのはありますので、今後どうこの目標に向けてきちんと協力体制を整えていくかというのを考えなければいけないのではないかと思います。
【杉山委員】 杉山愛です。私も皆さんの意見を聞いて、ほんとうにそのとおりだなと思うのですけれども、目標設定のところでは、根岸さんと同じように、人それぞれ目標が違うので難しいですけれども、やはり平均的にここで議論するには考えたほうが、みんなのためになるかなと、全体的なことを思うとそう感じます。そして、平均的に英語力を上げるというところで考えますと、英検協会のようなCan-doリストで、具体的にどういったところを目指してやっていくのかがどうしても必要になってくると思います。
私自身は、実は英検も受けたこともなく、TOEFLやTOEICなどを受けたことがないので、自分自身の英語力というのが不確かなところではありますけれども、ほんとうに中学校、高校の基礎英語で、それを持って海外に飛び出しました。その中で、初めはブロークンイングリッシュで、間違った文法で、思いきり話していく中でだんだん英語力が身についたと思いますので、やはり恥ずかしがらずに話す、人前で自分の意見を言うということの大切さをすごく感じます。
そして、日本人という――私自身も、プレーヤーズミーティングというものがあるのですけれども、ほんとうに海外の選手は積極的なので、どんどん手を挙げて、自分の意見を言って、「こんな質問をここでするの?」というような、ちょっと恥ずかしい質問も堂々としたり、それはほんとうに国民性だなと思いますけれども、やはり小さいころから物事についてディスカスする時間であったり、授業内容というのをもうすこし具体的に考えていかないと、やはり人とのコミュニケーション力というのは上がらないのかなと感じました。
難しい単語ですとか、難しいことについての議論をする必要はなく、例えば私の好きな食べ物について、「I
like hamburger」とか議題で、「じゃあ、どうしてハンバーガーが好きなんですか?」とか、「ハンバーガーのどこが好きなんですか?」とか、そういった簡単な議論を中学校のうちからして、人と意見を交換し合うという練習をするということも、英語力、コミュニケーション力の向上につながるのかなと思いました。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。今のご意見も、やはりどんどんどんどん自分で話していかなければだめなのだということですね。それを恐れていてはいけないという環境を、果たして日本の中で、どこでつくれるかが問題です。今のお話の最後にありましたけれども、小さいころからとにかく自分のコミュニケーション能力を育成していくという場面をつくっていく必要があるだろうと。最後、簡単なとおっしゃいましたけれども、中学校でもよくやる、「Why」「Because」という発想だと思います。そういうものをもっと取り入れていくことによって、自分の意見を言えるような、素地をつくっていく必要があるのではないか、そうお聞きいたしました。
【松本委員】 前回のこの会議で、到達目標や学習成果を設定することが重要であるということを発言したので、今日こういう議題になっていることは大変うれしいのですが、国の施策としてこの問題を考えたときに、3つポイントがあると思っています。この時期に設定する必要があるのかということと、だれが設定するのかというのと、何のために設定しようとしているのかということです。
この時期にというのは、新しい学習指導要領に基づいた指導が中学では平成24年、高校では平成25年から始まるわけです。その学習指導要領に基づいた指導をしていただくために、現在、教科調査官や指導主事の方々が大変苦労されているわけで、もし、この設定をしようという動きになる、あるいはした場合、それがこういう学習指導要領の実現というもののサポートにならないと意味がないと思っています。それを今の時期に、国がやるべきかということを考えると、前回も申し上げたように、中学校の指導要領の中に、各学校において生徒や地域の実態に応じて学年ごとの目標を適切に定め、3学年を通して、英語の目標の実現を図るようにするということで、指導を変えていく上で、この目標設定が大事だということが学習指導要領に書かれてあるので、国が上からこうしなさいと、また目標設定をすることが、必ずしもいいことではないのではないかと思います。もし、出すとするならば、こういうことを参考にして各学校、地域の実情に合わせて、到達目標や学習成果を設定してくださいという流れのほうがいいのかなと思います。
今回の指導要領の場合には、授業のスタイルを変えるということが一番重要なところで、先生がずっと一方的にしゃべっているのではなくて、生徒が授業中に英語を使って活動するという方向に持っていこうとしています。そのために、授業中の主たる言語は英語なのですよということを明記したわけなので、ここが一番大変なところで、これをどう変えるのかという第1番目のステップは、各学校で目標をどうしようかというところを先生方が共有化しなければいけないということだと思います。そこで、国がサポートしてほしいと思います。
私は公立高校2校の英語教育のアドバイザーをしておりますけれども、やっぱり、国ができることというのは、以前やっていたSELHiのように、外部の専門家をアドバイザーとして財源を与えて指導するシステムをもう一度つくりなおすということです。前回はいろいろな意味で、最後、頓挫してしまった部分も確かにあるのですけれども、あれは、システム上は非常によいシステムだったと思います。運用上は多少問題がありましたけれども。なぜかというと、高校の先生の、それこそコミュニケーションというのは、同じレベルの人たちがおり、1年目の人も10年目の人も同じ先生であり、お互いの授業については不可侵条約を結んでいるような感じで、個人商店が並んでいるわけです。その状況を変えるには、やはり外部のアドバイザーが必要なのです。お互いでは言えないことを言ってあげる人がどうしても必要であり、意見が違う議論をしているときに、それをまとめ上げていくということが必要なので、そういう面で国がサポートをして、各学校で目標を設定しましょうという新しいタイプのSELHiを何かしていただければと思っています。
もう1点、国にしていただきたいという点は、大学の入試で問題を変えようという動きがあるところに資金援助をしてもらえないかということです。競争的資金ですね。やはり、大学というのはお金がぶら下がると変わるところでありまして、大学の入試問題というのは、こう言っては何ですが、専門にそれをやっている人はいなくて、なるべく少ない時間でそれを片づけてしまうというタイプの場合があります。ですから、何とかして入試を変えようというすばらしい取り組みに対して、そういう取り組みがほかの大学にも進んでいくためには、やはり資金が必要です。それなりに人も専門家も必要だし、問題をつくったり分析したりということに、時間と労力がかかるので、積極的に変えていこうというところに対して資金援助するといったことも考えていただけると変わっていく部分もあるのかなと思いますので、到達目標とか学習成果を設定することに対しては賛成なのですけれども、この時期にだれが、何のためにというのは考えていただければと思っています。
【吉田(研)座長】 ありがとうございました。今、最後にまとめていただきました、なぜ、この時期に、だれが、何のためにということは、確かに、おっしゃるとおり、これから新学習指導要領が施行されようとしているこの時期に、新たに「こうしろ」と言うことが果たしていいのかどうかという問題ですね。ですから、これはそれぞれの学校、各地域において、学習指導要領の内容を自分たちの実情に合わせて、それを実際に実践していくという時期ですから、それに対する、今おっしゃったとおり、参考としてこういうことも可能なんじゃないかと、こういうことをやってみたらどうですかという形のものが重要性ですね。
それから、SELHiのときのような、外部からのアドバイザーの話ですが、今、個人商店という話をされましたが、確かに私も、SELHiのときというのは非常に成果が上がったと思うのです。非常に大きな進歩が見られましたので、何かそれに類似するものがあるといいなという気がいたします。
それから、最後の入試に関してはありがたいお話で、確かに、一生懸命変えようとしているところはたくさんあるわけですから、そういうところにもっと援助をしていただければ、ほんとうに、よりいいものができてくるのではないかなという気がいたします。
【本下委員】 本下でございます。今回、目標設定のあり方ということで、まず目標を決めるからには、到達度、達成度、これを検証していくということが必要なのかなと思います。そのときはどこまで到達したかという検証の方法といいますか、内容、それから、どれだけできているのか、さっき30パーセントは少し寂しいというお話がありましたけれども、私もそう思います。やはり5割以上、半分以上の人はできていますよねと、こういうのが必要かと思います。
もちろん、半分以上の人が到達しているよねというために、バーを下げることは意味がないので、当然、ある一定のバーを保つといいますか、クリアする上でということですけれども、そのときの目標設定の内容ですけれども、ポイントはやっぱりコミュニケーションだと思います。やはりツールとしてコミュニケーションをとれるかどうかというのが、今回、1つの大きなテーマになっているのだと思います。
いただいた資料の、諸外国における外国語教育の実施状況調査というのを見ても、例えば台湾では、間違いをおそれずに話すであるとか、例えばドイツでも、聞くこと、話すこと中心で、つづりや文法はある意味補助的な機能と位置づけますよとなっています。海外の人たちもそういうベースで、まずはコミュニケーションというところに重点を置いています。
実際、日本の人が今後海外で活躍するだとか、そういうことを想定した場合に、ないしは外国の方がやってくるということを想定した場合に、やはりまず話す、聞く、これができるかどうかというのが重要なので、能力検定の試験なのか、学校の中での先生の判定なのかはわかりませんけれども、まさにコミュニケーションをどうとれるのかというところに重点を置いたような、いわゆる検証手段というのが大切かと思います。
あとは今度、レベルの高度化という話ですけれども、先ほど、好きだ、嫌いだという感情的というか、情緒的なというところから一歩進んで、論理的に物事を言えるかどうかというのが次の発展段階だという話がございました。そのとおりだと思います。また、そのときに必要なのは、英語の力というよりは、日本語も含めた考える力であるということだと思います。何が言いたいかというと、あるテーマについて議論ができる、かたく言うと議論とかディスカッションになるのですが、もう少しやわらかく言えば、先ほど杉山さんもおっしゃいましたけれども、例えばハンバーガー、「私は好きです」、「僕も好きだ」、「ファストフードと言っているけれども、やっぱり便利でいいよね」、「でも栄養が偏らない?」、要はこういうふうに、あるテーマについて何か考えを表明していくことが大切だと考えます。
おそらくこれを授業の中では、英語というよりは例えばコミュニケーションというコマの、そういう授業で、ただ、それを英語で考えるわけです。日本語はややもすれば情緒的な、やさしい言葉です。「よろしくお願いします」に代表されるような。何を言いたいのかわからないですけれども、やんわりした、例えば「よろしくお願いします」というのは何かを依頼することなのか、それとも私は、すいません、遠慮したいですということなのか、例えばそれをはっきりさせようという授業をする。英語は実は、曖昧さが許されない言葉で、ある意味ロジックを前提にしたところもあるかと思います。なので、例えばテーマを決めて、英語で議論するのだというコマを設け、それの検証という形で、何らかをつくっていくことが何か必要なのかなと感じました。
【吉田(研)座長】 どうもありがとうございました。達成度の検証というものが必要であろうというご意見でした。その際の基準としては、やはりコミュニケーションがどれだけとれているかという、これが一番の基準であろうということです。ほかの国のいろいろな内容を見ても、正確さというのは補助的なものであると言われているということです。
さらに、その次の段階として、ほんとうにコミュニケーションといっても、進むべきところは今までもいろいろな方も言っておられましたけれども、論理的にものを考えるという力をどうやって育成していくかということで、具体的に今、ハンバーガーの話ということで出されましたけれども、日本語と英語ということを考えたときに、こういう論理的な思考をきちんとやっていくという上では、英語的思考というものは、英語という言語はそういう思考に適した言語ということを考えれば、非常にいいのではないかということだと思います。
それでは、次回は引き続きこの英語教育に関する目標設定のあり方についてということについてお話しします。今日は生徒を中心にいろいろ考えたわけですが、次回は、できれば教員の英語力、これも非常に大事な問題だと思いますが、教員の英語力に関する目標設定のあり方について、少し皆さんとお話をさせていただきたいと思います。
特に、次回はTOEFLについては国際教育交換協議会様、そしてTOEICに関しては国際ビジネスコミュニケーション協会様から、それぞれ今日の英検と同じようにご説明をいただく予定でおります。
次回の検討会の予定について事務局より事務連絡。
企画調整係
電話番号:03-5253-4111(内線3787)