平成22年11月18日(木曜日)13時~15時
中央合同庁舎第7号館(金融庁)9階共用会議室-1(903)
東京都千代田区霞が関3-2-1
池上委員、市村委員、岡田委員、杉山委員、太郎良委員、中村委員、松本委員、本下委員、吉田研作委員、吉田広毅委員
鈴木文部科学副大臣、山中初等中等教育局長、德久審議官(初等中等教育局担当)、中井国際教育課長、岩井外国語教育推進室長
国内外の国際化・グローバライゼーションが、急速に進んでおり、これからの生きる力の中心にコミュニケーションする力を据えて、これまでの動きを加速していきたいと考えています。その際、日本語でのコミュニケーションが重要であることは言うまでもありませんが、加えて、国内外の国際化という中で、外国語を用いたコミュニケーション能力、異文化に対する理解も含めたコミュニケーション能力の充実が重要だと考えています。
平成23年度から小学校5・6年生において外国語活動が始まります。さらに、中学校・高等学校においても新しい学習指導要領のもとで外国語教育・英語教育の充実を図っていきます。その際、外国語教育の目的、手法、教材のあり方、あるいは教える人材のあり方をもう一度議論していただき、さらにソフィスティケートした形で実施していく体制を充実させていきたいと考えます。これから本当に必要とされるコミュニケーション能力をこれからの若い世代にきちんと獲得してもらうため、皆さんのお知恵をぜひいただきたいと考えます。そして、それらの成果を現場にきちんと反映させていきたいと考えます。
今年の6月に策定した新成長戦略においても、こうした観点が中心となっています。これからは人材がすべての源です。我が国は鎖国では生きていけません。菅総理も国を開くということを政権のキーワードにしております。国を開く、そういう時代において、まさにそれを担える人材を本当に育てていく必要があるいう認識で、今回の検討会を設置いたしました。
これからの外国語教育のさらなる改善、充実のために、皆様方からの忌憚のないご意見、ご指導を心よりお願い申し上げまして、私の開会に当たりましてのお願いと御礼のご挨拶とさせていただきたいと思います。
山中初等中等教育局長、岩井外国語教育推進室長から本検討会の設置趣旨等について資料1・2・4・5・6・参考資料に基づき説明。
※自己紹介を兼ねて、外国語能力の向上方策に対するそれぞれの考え方について、各出席委員から発言があった。
【池上委員】 私はビジネスマンの出身で1965年に大学を出ました。当時ちょうど日本の経済の高度成長がこれから始まろうという時期でしたので、海外でも、国際的にも大いに活躍したいということもあって、三菱商事に入社しました。その後、かなり長い時間を商事で過ごしまして、海外駐在は、フランスのパリに6年、それからニューヨークに5年半ということで、その間人事担当の副社長などもやっていましたので、日本人学校の運営その他も含めまして、多少教育に関与したりしてきました。若いころに人事部長をやったり、その後事業投資の投資担当ということもやっておりましたけれども、途中、60歳近くなってから、市村委員と同じ日本貿易会の役員に出まして5年間ぐらいやりました。
ちょうど2004年に国立大学が法人化する、独り立ちして経営を独立していくということで、母校の東京大学から声がかかりまして、理事として来いということで、7人いる理事の1人、文科省の人が1人と、副学長が5人、それで私と、あとは大学の総長ということで、大学の経営に参画するというがらっと人生が変わった経験を持っております。それで、その間、大学が法人化前は国の1つの機関として、経営体としての組織、マインド、人事がなかったところが、大学の合理化ということで、徹底した1つの有機体に作り上げていくということで色々なことをやってきました。
その後、総長顧問ということでやってきましたけれども、その間、フランスに長くいたこともあって、日仏経済交流会という日本にあるフランス商工会議所のパートナー組織の会長を4年間ぐらいやって、日仏のつながりで活動してきました。ここのところ海外生活が長いのですけれども、その間を考えてみると、英語の使えない日本人ということで始まって、実務の中で少しずつ英会話、フランス語会話をやり合うということを身につけてきたというような感じがしています。
その後、東京学芸大学に呼ばれて客員教授に就任いたしました。ただ、物を教えるというのはほんの少しで、むしろ、学芸大というのは小中高の教員養成の一番メインの学校の1つですけれども、そこが国際化していないということで、大学の国際戦略をどうするのかということを議論してきました。それから、附属の小・中・高等学校の中で新しい試みで国際性を持った学校を作りたいということで、附属国際中等学校の設立準備委員長みたいなものをやり、その後、校長はほかの専門の教授がなり、私はそこの経営会議の議長ということで、今その学校の運営をやって4年目になります。イマージョン教育という非常に新しい試みで、例えば算数、理科、社会を英語で教えています。また、日本で初めてインターナショナル・バカロレアの指定校に選ばれたり、新しい国際化の試みを色々トライしております。
それからもう1つ、アメリカのペンシルバニアの州立大学の1つであるテンプル大学が、日本にテンプル大学ジャパンということで、既に25年学校運営をやっていまして、日本人が50パーセント、アメリカ人が30パーセント、あとの20パーセントがほかの外国人で大学、大学院をやっているのですけれども、そこの理事ということで、経営に参画しています。このように、初めの商社の経歴からがらっと変わり、最近では大学のほうに関与することが多くなっています。
その関係で文部科学省からも声がかかりまして、現在あります国際交流政策懇談会の委員に就任しております。ついこの間まで、日本に来ているブラジル人の学校教育が非常に問題になってきていまして、そのためのタスクフォースが出来たのですけれども、その座長をやらせていただいて、提言を提出させていただきました。このように文科省とのつながりもだんだん増えてきました。
このような私の経歴の中で、今回2つだけディスカスしてみたいなと思うことがあります。今回本検討会の委員になるに当たって、大きな会社の経営者とも色々と話して、意見を聞いてきたりしました。我々がビジネスで海外に行って日本に帰ってきた際に感じることは、日本人は論理的な思考が非常に弱いということが挙げられるかと思います。論理的思考ができた上で、さらに道具としての英語で表現、発言できるということが非常に必要だと思います。例えば、フランスのバカロレアという試験は知識試験ではなくて論理試験です。哲学を中心にした論理試験で、とにかく物の考え方について、いかに筋道を立てて考えていくかということをやっているので、帰ってきて、中国、韓国をはじめアジアの人たちを色々な会議をしてみると、やはり彼らも非常に論理的、あえて言えば理屈っぽい。日本人はあまり理屈っぽいと、かえってあいつは理が立ち過ぎるとか、理屈っぽいと言われてだめなのですが、むしろ日本が異質なんだということだと思います。論理を展開できる、その延長上にある道具としての英語というものを少し真剣に考えていく必要があるのではないかと思っております。
それには、会議の場であるとか、色々なところで日本人が議論に参加できるという態度とか習慣を、小・中学校、特に高校ぐらいで身につけるということが、必要であると思っています。
それから2つ目が、先ほども出ましたけれども、これはもう皆さんご承知だと思うのですが、30万人計画で留学生を多くして国際化だと言っているのですけれども、東大では今2,800人留学生がいて、1,000人以上が中国人です。中国の人たちが日本語を覚えて、一生懸命日本化しようとしていて、彼らとつき合うことは別にいいことなのですけれども、彼らとつき合うことが日本人の国際化と言えるのかという意味で、留学生を増やして日本に呼ぶことも大事だけれども、もっと小中高、大学と日本人を外に出し留学する機会を作る、日本人が外で経験する機会をもっと真剣に考えるべきではないか、ということです。
この2つを今回は論議させていただきたいと思ってまいりました。
【市村委員】 私は、今年の4月まで伊藤忠商事のインドネシア支配人兼伊藤忠インドネシア会社の社長をやっておりまして、現業からこの貿易会のほうに移ったばかりでございますけれども、この名簿に記載されていないもう1つの役職がございまして、これは池上さんが初代の理事長でございますけれども、NPOで国際社会貢献センターという、商社のOBを中心として、メーカーさんや銀行さんや公共機関のOBの方が活動員になっていただいております。現在2,100名ほどおりますが、この方が英語を使って中小企業あるいは地方自治体の海外市場への進出支援、あるいは大学での講義、高校での講義など、色々と支援活動をやらせていただいています。
こういう活動の中で、私は理事長をやっておりますので、色々な方とお会いするのですが、英語教育の現場という観点で言いますと、やはり英語で何でもやろう、日本語の授業をやらないで、下手でもいいから英語でやろうというような動きが最近色々なところで出てまいりまして、大学でも留学生が増えていますので、留学生だけを対象にした英語教育ではなくて、そこに日本人も入った英語教育、英語の授業というようなものが最近増えてきております。
先週、一橋大学の杉山学長のところへご挨拶に行ったときに、一橋大学もタイのタマサート大学と300名の留学生の交換の包括契約を結んでおられまして、人数がどんどん増えてきている。そういう中で、英語の授業がどんどん増えてきている中で、先生方の対応がなかなかできない。これは英語ができないということではなくて、コマ数が増えてきたものですから、教授の対応ができないということで、我々商社のOBがその講師役として派遣して評価されている、という事例もございますけれども、いずれにしても英語教育の必要性、あるいはそれをどう生かしていくかという面では我々はかなり経験を積んできていると思いますので、今回のこの検討会の中で私が申し上げたいというのは、いかに英語を身近なものにしていくのがいいのかということです。自分の経験からしても、ほぼ40年近く前に入社しているわけですが、そのときに日本人の英語力というのは、当時AFSの留学制度がありましたけれども、ほとんど英語のできる人はいなかった。ましてや英語の塾もなければ、英語のバイリンガルの人もほとんどいない中で、商社へ入って英語を勉強しろと言われて、試験を何回も受けて、それでやっとのこと受かって、それから海外へ送られて、そこから英語力がついたという経験がありますので、ましてや2カ国語をしゃべるということで、私の場合は海外に約18年駐在しましたけれども、アジア中心で駐在した結果、アジアに11年駐在したものですから、インドネシア語が簡単ですがしゃべれるようになったわけです。学校にも通わず、家庭教師はつきましたけれども、英語以外に第2外国語もしゃべれるようになるわけです。
ですから、こういうことはすべて機会をとらえて、どうやって自分で吸収するかということに尽きると私は思っていますので、今度の英語教育の外国語の向上という観点では、いかに言葉を生徒たちに接することができるようにするかというのが鍵ではないかと思っていますので、その辺の議論をしていきたいと私は思っております。
【岡田委員】 現在、財団法人英語教育協議会、エレックといいますが、そちらで理事をさせていただいております。ただし、今年の春まで英字新聞ジャパンタイムズにおりました。吉田研作先生と多分大学が同じで、同じ時期にいたのではないかと思うのですけれども、あのころは学園闘争でキャンパスを封鎖しているような状態で、私はほとんど英語の勉強もしないで卒業したのですけれども、たまたまジャパンタイムズに拾われて、日本情報を英語で発信する仕事に40年間携わってまいりましたので、どちらかというと、情報発信、そのためのツールとしての英語ということだと思います。
そういう意味で、文科省とか、大学とか、あまり教育現場との接点が少なかったですが、ただ、日本の情報を英語で発信するというこのところがかなり傷んでいると思います。これはすさまじい状態になっていまして、昔は国際会議でどうやってインド人を黙らせるかというのが司会者の役割で、もう1つは日本人をどうやってしゃべらせるかでした。これはよく言われる事なのですけれども、今は違う。どうやって日本人にしゃべらせるかどころか、どうやって日本人を見つけるか。つまり会議に日本人がいないというのです。それだけ色々な国際会議で日本人のプレゼンスが薄くなっているというかなり深刻な事態で、国としては、このような状態が続くとますます沈没していくだけではないかという危惧を持っております。
ですから、英語教育を改革して、英語のできる日本人をつくらなければいけないとは思いますが、その先のテーマかもしれませんが、どうやって日本を世界に知らしめていくか、伝えていくかというところがやはり究極の目的であるべきだというふうに私は思っております。
もう1つの現実としては、国際化が外と中で急速に進んでおります。たまたま最近大手商社とか製造メーカー、サービス産業などの会社を幾つか取材して回る機会があり、社員の英語教育の実態をヒヤリングしてみました。かつては、トヨタとかパナソニックといった製造業の大手が中心に海外にどんどん進出していった。それを担う人材がいたということだと思いますが、今は、製造業だけではなく、中小企業、それからサービス産業にいたるまで、総がかりで社員に英語力をつけないと生き残っていけないという現実に今の日本の企業が直面していると思うのです。
たまたま訪問した先の1つが大田区の大きな埋立地にあるメッキ工場でした。社員は14、5名しかいない。国内では公共事業の予算が減っているし、大手も設備投資をしなくなってきていますので、この会社は日本ではもう食べていけない。たまたま縁があってタイに進出していたらしいのですけれども、数年前に現地に大きな工場を建てて、そこで何と日本で雇っている社員数の倍以上のタイ人を雇っていて、これからタイをベースに東南アジアで大きくビジネスを展開しようとしていました。メッキ工場だけれども、立派な機械をつくるノウハウがあるのです。大田区のメッキ工場で働こうと思って入ってきた人が、まさか会社に入って英語を勉強されられると思わなかったと思うのですけれども、毎週1回就業時間後の2時間ぐらい、レベルはまだ入門段階ですが、社員のほぼ全員が必死で英語と取り組んでいる。
産業界から見ると、現在の問題は大学が人材の供給源になっていないということに尽きると思います。制度として、また実態的に今日本が抱えている英語の教育の問題が解決できないのであれば、極論ですけれども、企業が自分たちのコストとリスクをとって社員を教育するしか方法がないことになってしまいます。
さらにいえば、これからは英語ができなければ仕事が見つからないという時代になっていくと思いますので、本人もしくは親が家計のコストで子供たちに英語力をつけさせる。こうなると、小学校から大学までの16年間の英語教育というのはどうなってしまうのかという、かなり根源的な問題になってしまう。例えば、極端に言えば、英語を教えない。本当に必要性があって、好きな人とか必要のある人だけに英語を教える。極端ですけれども、そこまで突き詰めて考えないと、この問題は解決できないのではないかという危機感を逆に今持っております。
【杉山委員】 自分のこれまでやってきたことをお話しさせていただきたいと思います。私は、4歳でテニスを始めまして、17歳のときにプロになりました。高校2年生だったのですけれども、当時としては早いプロ転向でしたが、もうそのときからは海外にどんどん転戦するという自分のライフスタイルが始まりまして、約17年間のプロの現役生活を終えて、昨年10月に引退しました。
私自身は本当に小さいときから英語への興味がありまして、多分知らないうちに両親からの影響などを受けていたということもありますが、日本語も片言というか、ままならないときから英語にも触れていて、例えば移動の車の中で日本語と英語のカセットテープなどの教材を自分から、「これかけて」と言って、聞いたりとか、カードを流しますと英語の単語が出てきて、それを耳にするという、英語の教材を用いてゲーム感覚で英語に触れたりとかしていました。小さいときから自分の近くに英語があったということもあって、英語の憧れは本当に強かったことを覚えています。
そして、特に小さい頃英語教室に通ったわけではないのですが、学校の教育、中学校の英語をしっかりと勉強する基本のところだけで、その基礎をベースに海外の遠征が始まりました。私が海外、アジアの国を回り出したのが14歳のときだったのですけれども、中学校のときに片言の英語でも使いながら、実践の場をどんどん自分のものにして使っていったことによって、自分自身の英語力というものがついたと思います。
そしてプロになれば、記者会見ですとか、あとは試合前のインタビューとか、そういうものも英語で行われるので、そういったところに自分の身を置かないといけないという状況があえて与えられたので、だんだんもまれて自分自身の英語力がついていったような気がします。
まわりの人を見ていても、シャイでなかなか自分からしゃべれないと、ツアー自体がつまらないものになって、それで引退を早めてしまって、自分の思うパフォーマンスができなかったり、あるいは、海外の試合が多いので、アウェーでの試合をホームとして考えられずに、自分の現役生活を短くしてしまったりということも多々あると思います。そういったことは会社でもそうでしょうし、英語力を身につけると同時に、そういったことができていくと、海外での結果も伴ってくるのではないかと感じました。
そして、引退してからは、色々海外の試合には行って、解説などの仕事もしております。この夏はユースオリンピックと言いまして、18歳以下の子どものオリンピックゲームがありました。そちらでアスリートの現役ではない選手、引退した選手などが「アスリートロールモデル」という形で大会の教育に携わるという役を務めたのですが、そのときに、日本人選手が英語ができないことにより情報も得られなかったり、その場になじんでいなかったりするところを見ると、これは本当にいけないなと実際に行って感じました。
テニスという場がワールドワイドなので、テニスで頑張る=海外に挑戦する=英語が絶対的に必要だという立場にあったので、英語がうまくなりたい、しゃべれるようになりたいということを自分から自発的に思ったところが大きかったと思うのですけれども、一方で、留学生が少なくなったり、ハーバードに行く人が今年は1人だったり日本人はどんどん内に向いているというふうに思います。もちろん日本が素晴らしい国ということもありますが、もっとしゃべれるようになりたいとか、インターナショナルな仕事がしたいとか、グローバルに物事を見られる大きな人間が若い世代からどんどん生まれてこないと、英語がしゃべれるようになりたいと思わないのではないかと思います。しゃべれるようになりたいと思いさえすれば、英語は絶対に習得できるものだと思うので、若い人たちが世界に目を向けるという目をどうにか培えられないかというふうに思いました。
【太郎良委員】 まず、簡単に自己紹介させていただきますと、太郎良というのは大変珍しい名前ですけれども、育ち生まれは九州の大分の日田というところでございます。かの有名な広瀬淡窓が咸宜園という塾を開いておりましたところで、そちらのほうの人間でございます。
私は大学を出てから、複線的な人生を歩んでおりまして、大学を出まして、まず民間の企業で仕事をいたしておりました。いろいろ考えることがありまして、それから教職の道に入りまして、英語の教師として汗まみれになって学校で仕事をしてまいりました。そして、16年ほど学校で管理職の仕事をしながら、その一方、英語についての研究であるとか、実践であるとか、その普及であるとか、そのようなことについては一生懸命やらせていただきました。そして、そのような中で文部科学省のほうからも色々な場でお声をかけていただきまして、ご協力させていただくことになりました。
私は自分自身を実務家、実践家というふうに自認しておりますので、そのような視点から色々な考え方、改善案等もあるかと思いますので、これからの会議で色々意見等述べさせていただきたいと思っております。
さて、本題に入りますと、実は今日この会に参加させていただくに当たりまして、私は平成15年版の「「英語が使える日本人」の育成のための行動計画」を改訂するという趣旨のように伺っておったわけですが、実は先ほど文部科学省の方のお話を聞きまして、我が意を得たりという思いがいたした言葉が何点かございました。1つは、鈴木副大臣から英語力の向上について検討したことについて、現場に反映させていきたいという言葉がありましたけれども、まさにそのとおりでありまして、議論のための議論になってしまっては、何のためにこういう場が設けられているのかわからないのでありまして、議論した結果がとにかく実際に学校の中にどう還元されるのかという視点がとても大事であると思います。私自身、現場に反映させる、還元させるという視点を忘れないでこの検討会に臨みたいと思っております。
あともう1つ、その通りだというふうに私が感じましたのは、山中初中局長から、特に中高でどうするかということにターゲットを絞りたいというお話があったかと存じます。日本人は英語をしゃべれないではないか、十何年やって一体何をやっているのかという議論が今まで幾度となく蒸し返されてきました。でも、そこに帰ってしまうと何も出てこないのです。
議論する場合、何でもいいからバズセッションのように言いたいことを言いなさいというやり方と、議論する以上、明確にこういう目的でこういう対象について議論しようという2つの方法が大きく分ければあるかと思いますが、私はやはり今回は具体的な目標というものを明確に意識した議論をしていく必要があると思います。でないと、議論が非常に拡散してしまう危険性があるのではないかと思います。
そのような中で、特に中高での英語教育をどうするのかという視点を意識するということはとても大事ではないかということをまず冒頭感じました。
そこで、時間の関係で数点柱だけ私の考えておりますことをお話しさせていただきますと、中学校あるいは高等学校でもいいのですが、何のために英語をやっているのかということを考えますと、これは言うまでもなく基礎基本ということだと思います。私はこれに尽きると思います。ただ、この基礎基本というキーワードがなかなかのくせ者でありまして、これを一人一人の方が具体的にどう考えておるかということであります。
私の体験をお話しします。実は先ほど学校を出てからすぐ民間に勤めたと申しましたが、民間に勤めまして、即人事部に配属されました。そこで仕事柄、昇給のときの予算計上の仕事であるとか、ボーナスの折の予算計上の仕事だとかいろいろやらされました。当時はそろばんでした。私はそろばんはほとんどできませんでした。ほんとうに四苦八苦しました。これではいかんなということで、実は、年齢的に23でしたか、会社が引けた後、そろばん塾に通いまして、小学生ともども一生懸命やりまして、約3カ月間で3級まで行きました。基礎基本というふうに先ほど申しましたけれども、英語についても、中学校あるいは高等学校、大学を出た時点、あるいは企業に入った時点で企業から求められたときにあるいは自分がもっとこれから伸びようと思ったとき、自分で勉強できるある程度の力がついておればいいのではないかと自分の体験から考えております。
そして、例えば中学校、高等学校の英語教育というのもそこが一番大事なのかと思います。申し上げたいのはそれがまず第1点であります。
第2点目として、この会議の中でご念頭に置いていただきたいのは、資料4-1のところに目標として、「国民全体に求められる英語力」と「専門分野に必要な英語力や国際社会に活躍する人材等に求められる英語力」というこの2つの概念がありますが、このことをしっかり押さえて議論していかないと、話が拡散してしまうのではないかという気がいたします。国民全体に求められる英語力と専門分野に求められる英語力、これを明確に意識して議論を進めることがとても大事ではないかと思います。
また、これからの会議で、例えば教材はどうあるべきか、教科書はどうあるべきか、生徒への指導法はどうあるべきか、生徒に対してどれだけの英語力を求めるべきなのか。先ほどの3級以上の取得者の32.4パーセント云々の話がありましたけれども、そのあたりをどう考えるのか、あるいはまた英語教員の研修はどうあるべきなのか等々についてお話しさせていただきたいと思います。
【中村委員】 私、キヤノンから出向していまして、現在、社団法人日本在外企業協会というところに勤めております。私は人事をやったことないですし、教育にも携わったことはないもので、どうして私が選ばれたかというと、やはり私の海外生活が長い経験というので選ばれたと思っています。キヤノンでは事業管理、事業企画、あと販売会社の責任者をやっておりました。今年の1月に20年間の北米生活を終えて帰国したばかりです。ですから、今はリハビリみたいなものですけれども、社団法人のほうでやらせてもらっています。
自分の経験について申し上げますと、私自身、学校で語学を学んだのですけれども、初めて行った外国では実際に英語を使ってみて全然通用しませんでした。私たちの時代の英語教育というのはそんなものなのかもしれないですけれども、まず初日にホテルをとるためにホテルに電話しました。聞けませんでした。私はその前、日本ではイギリス人の人と結構おつき合いもしていまして、話せるし聞けるような気になっていたのですけれども、実際には通用しなかったというような経験がございます。
私はメキシコでも6年ぐらい販売会社の責任者でおりまして、スペイン語のスの字も知らないで送り込まれました。キヤノン自体があまり語学関係を一生懸命やる会社ではなくて、みんな行ったところでどんとやってみろみたいなところがありまして、現地では毎日のようにスペイン語を教えてもらったのですけれども、仕事のほうを優先ということで、スペイン語はあまり身につかなかったのですけれども、6年いますと、レストランでのお話とか、ディーラーさんとのちょっとした交渉事とかはできるようになりますけれども、難しい話は一切できません。ですから、ベースになるのはやはり英語、北米の場合、英語だと思います。英語を話すことができればまず管理者は務まると思います。ですから、英語をまずやってほかの言語というお話がありましたけれども、ほかの言語はとりあえず日本人には必要ないのではないかと私は個人的に思います。
教育関係のことは本当に経験ありませんので、私が今この委員になってくれと言われて、ちょっと考えましたのは、やはり日本自体の問題というのが根本にあるのではないかという気がします。やはり言語というのは毎日使わないとどんどんさびていきますので、そういう状況がない日本というのはやはりかなり無理がある。ですから、教育者の方々が一生懸命やってもある限度までしか行かないのだろうという気がします。ですから、日本からの留学生を増やすというのは非常にいいと思います。ですけれども、それがずっとつながらないと、やはりさびていってだめになるのではないかと思います。
私は大学時代ドイツ語を少し勉強していて、そして、30年ぐらい前にドイツにも3年ぐらいいて、当時はドイツ語をしゃべっていました。今は全然言葉も出てきません。というのは使わないからです。ですので、小学校で例えば週5時間、中学校でも5時間、高校でも5時間やったとしても、大学になったらやらないということではだめだという気がします。
今の、日本を開国するという話もありましたけれども、本当にそれができるのかというところが結構問題かなという気がしています。あと、アメリカなどにいますと、小学校から、自己主張できない生徒はだめなんです。ですから、日本人は奥ゆかしさが美徳とも言われますが、日本人でも自己主張をいかにできるようにするかが大事なのではないかと思います。出る杭が打たれるというのは日本ですけれども、アメリカは出る杭でないと消えてしまうのです。こういう意識改革も含めて教育というテーマがあるのかという気がしております。
【松本委員】 私は、大学4年間は英語ディベートに没頭しまして、アメリカでのディベートのコーチをしておりましたので、議論をして、そして大きなことを考えるというのが大好きです。普段は立教大学でも雑務に追われておりますので、ここでアカデミックな議論ができるということを大変うれしく思っております。このような機会を与えていただいてありがとうございます。
私は英語教育の改善とか改革にかかわるようになったのは平成4年でして、もうかれこれ20年近くなりますけれども、筑波で優秀な高校あるいは中学の先生を集めて研修をしていたことがあります。そのプログラムに関わらせていただいて以来ということになります。前職の東海大学では教育開発研究所というところに所属しまして、8年間にわたりまして全国に14校ある附属高校、8校の中学、1校の小学校の教育改革、特に英語教育の改善のために、全国の高校へ行ったり、あるいは教員研修をやったりということがメインの仕事をやっておりました。ほぼ同じ時期に文科省のSELHiの委員にさせていただきまして、これを機会に吉田研作先生などとも一緒に全国の高校へ行って、現場を見せていただいて、選ばれた学校でもこういう状態なのかということをつぶさに見せていただいたということであります。
2006年、4年半前に立教大学が新たに経営学部を創設したときに、国際経営学科では英語で経営学を学ぶプログラムをつくるということで、そのプログラムのディレクターとして移っておりまして、そこでも高校との連携を進めておりますし、それから企業の皆さんとの連携も文科省から教育GPをいただいて進めている次第であります。
この検討会に関しては、とりあえず4つ期待したいことがございます。まず1つは、長期的なビジョンを示す会議になるのかということです。先ほどの資料6の2枚目の最初のご意見というのは、ある意味ごもっともだというふうに思っています。ここには「少なくとも小学校、中学校を通じてのどのような英語力を子供たちに身につけてもらうのかという目標、学習内容の発展段階などの全体的な計画があってから英語教育事業を組み立てるべきである」とあります。ここに私はあえて高校、大学も加えていただきたいと思っています。小学校から大学、場合によっては大学院までなのかもしれませんけれども、総合的な考えというか、全体的な計画というものがあるようでないという状態で、今回もし何らかの計画を提示するのであれば何年までとか、目標となる期日を提示していただきたいというように思います。
それから2番目は、到達目標あるいは学習成果を提示する会議になるのかどうかということです。学習指導要領は方向目標は提示しておりますけれども、他の教科との足並みを考えて、「何々ができるようになる」というような到達すべき目標は提示されておりません。お手元の資料5-2の10ページに大変いいことが書いてありまして、中学校の学習指導要領で、高校もこういうものを書くべきだったというふうに思うのですけれども、3の(1)のアの部分で、「各学校においては、生徒や地域の実態に応じて、学年ごとの目標を適切に定め、3学年間を通して英語の目標の実現を図るようにすること」とあります。
現在ではこのように各学校に目標設定をゆだねているという状況であって、中学の場合には地域とか学年によってさまざまでありますので、これは実態に合っているのかというふうにある意味では思います。ただ、全体として、小学校から大学までCommon
European Framework of Referenceのように、Aの1とかCの何とかとか、そういう形で目標を設定する必要があるのか、あるとすれば、それをこの会議でできるのか、あるいはそういうものをつくりましょうというような提案ができるのか、というところの議論が必要なのかと思います。
それから3番目は、新しい学習指導要領が提示されて、現在教科書がつくられているわけですけれども、それを実施するに当たって、この会議が何らかの形でサポートする具体的施策が提示できるのかということです。お手元の資料5-2の21ページ、高校の学習指導要領の抜粋ですけれども、「その特質にかんがみ、生徒が英語に触れる機会を充実するとともに、授業を実際のコミュニケーション場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする。その際、生徒の理解の程度に応じた英語を用いるよう十分配慮するものとする」というふうに書いてあるわけですけれども、これが実施できるようになるためにやはり何らかのサポートが必要で、この実現というのはこれからの10年、ものすごく重要なことになっていると思います。ですから、実現されるためのサポートをどうしていくのかということをこの会議で提示できるのかというのが3点目です。
それから4点目、これが最後ですけれども、学校全体の取り組みをサポートできるかということです。資料4-1の「英語教育改善のためのアクション」の1の英語の授業の改善の目標という枠の中の二重丸の最後に、「地域に英語教育に関する先進校を形成する」ということがありました。これは先進校が必要かどうかは別にして、学校全体での取り組みはある程度支援したということです。これはものすごく重要で、高校へ行ってみると、ほとんどの高校がそれぞれの先生がばらばらな教え方をしていて、個人商店になっていて、例えば英語科に10人いますと、1人の先生は英語だけで授業をして、生徒中心の活動をしているけれども、あと9人がそっぽを向いているという状況で、すごい孤独感と寂しい思いをされている。
ですから、学校全体としてどうしていくのかということについてサポートしないと、一人一人の指導力を上げたところで、それだけでは英語教育は変わらないということです。ですから、学校全体の取り組みを何とかしてサポートしていただければということで、以上4点です。
【本下委員】 今日は最初ということで、大きく2つ考えていることをお話ししておこうと思います。私は1986年、当時の東京銀行に入行いたしまして、海外で働きたい、活躍したいという思いを描いて入りましたけれども、願いが叶って海外の駐在ということでは、95年から2000年までニューヨークで働くことができました。私も勉強したというよりはしなかったわけではないという感じですけれども、やはり実際に赴任してみますと、苦労したこともたくさんございまして、そこで感じたことをベースに、私はポイントしては2つあるのかと思いましたので、それをちょっと簡単にご披露させていただきたいと思います。
キーワードはコミュニケーションということで、まずは自分の言うことをはっきり言える、意見を言える、これが大切だと思います。英語はあくまでもコミュニケーションのツールでありますので、まさにそこで自分の言いたいことをしっかり伝えられるかどうか、そのベースになっている考えであるとか、ロジックであるとか、それがしっかりしないとだめなのではないかというふうに感じた次第です。
例えば、中学、高校の教育の場では、「これはペンです」というのではなくて、「私はこう思います。なぜならば」というようなベースで話せる、聞ける、それに必要な語彙は何なのかとか、こういうことをやっていくのがいいのではないかというふうに思っております。
あともう1つは、コミュニケーションの立場を変えて、今度は自分から相手です。相手の言っていることがわかるということです。もう少し言いますと、相手の言っていることだけではなくて、相手をわかるといいますか、言っていることの背景だったり、文化的なことも含めたその人のベースであったり、こういったものに対して何か知識がある、ベースがあることが大事なのではないかと思います。例えば小学生のときに、外国の方というのは、例えばこんな暮らしをして、例えばこういうふうに考えるのだということを教材の中に織り込むような形で教えていく。その中で相手とコミュニケーションするときに、相手をリスペクトできるような格好で話せるのだということを肌感覚で身につけていくということを初等教育でやっていくとよろしいのではないかと思います。
海外で働くとなれば、当然衝突といいますか、いろいろと意見を闘わせるようなこともありますけれども、やはりベースに相手のことをわかる、理解するという根本的な態度がないと、逆に相手からもリスペクトされないということになるのかと思います。
ということで、もちろんツールとしての英語というところは非常に大切ですし、それをどうやっていくのかという議論をしないと建設的でないというようには思うのですけれども、特に小学生ということであるならば、少しその辺も議論する場があればというふうに感じた次第でございます。
【吉田(広)委員】 私はそもそもの専門は視聴覚教育、すなわち、映像メディアを使った教育を専門にしております。なぜこの場にお誘いいただいたのかということをちょっと考えてみますと、個人的なことではありますけれども、私は父の仕事の都合で3歳から10歳までアメリカで生活しておりました。日本語より英語が早く身についたということはありませんけれども、現地校に通っておりましたので、当時の第1言語は英語であったように記憶しております。家族の中でも英語を話しておりました。
当時、英語はあくまでも道具として使うという姿勢でありましたので、まさか自分が将来的に英語を教えたり、英語を内容とした授業をやったりするなど想像もしていませんでしたが、大学に入って大学院に行って、教育について学ぶ中で、メディアの学校教育での活用を考えると、やはり何かしらの教科と関連付けて考える必要がある、ということで、英語をいかにメディアを使って教えるのかに興味の焦点を当てました。
現在では、中学校と高等学校の英語の教員養成に携わっております。その中で日ごろ感じていることを申し上げます。英語力と英語を指導する力というのは果たして一緒であるのか、もしくは累加性がある、すなわち英語力をベースにして指導する力があるのか、もしくはその逆なのかということです。
私の勤めているところでの教員採用の状況を見ますと、明らかに英語力がある学生が採られていくというのがここ10年ほどの現状です。どちらかというと、こつこつ自分たちで英語の教え方を勉強してきた人よりも、小さいころにアメリカやイギリスに住んでいたというようなバックグラウンドを持って、英語を使って流暢にコミュニケーションを図ることは流暢にできるのですが、例えば指導案を書かせてみたりすると、一体どういう人間を育てたくてそのような指導計画を立てているのかが不明瞭な学生が教員採用試験に通る傾向が強いと思っています。
私はどちらかというと、教育のほうに力を置きたいものですから、あまりこの状況は歓迎していません。しかし、例えば、観察可能な行動目標を授業の目標として立てて、それを達成するためにどういうことが必要なのかを考えて指導計画を立てるのだというようなことを言うと、英語のできる子たちは、いや、英語ができればいいんでしょうという顔をするわけです。
ですので、おそらく英語力は必要であり、英語を指導する力も必要だと思うのですけれども、英語力イコール英語指導力だというふうにとらえると道を誤る可能性が高いのではないか、特に教員養成に関しては個人的には感じております。
もう1つ、これまでやらせていただいた文科省の調査研究といいますと、生涯学習政策局のほうで一番古くは、教員のための教育メディア研修のカリキュラムの標準の作成があります。要するにメディアにかかわる研修、コンピューターですとか、もしくはインターネットの活用などの教員研修をどうやって考えていくのかというカリキュラムの大もとになる、言ってみれば教員研修のための学習指導要領のようなものの作成から出発して、その後は新しい機器の活用、デジタルテレビと電子黒板の学校での活用に関わってまいりました。一番新しい中では、生涯学習政策局でエル・ネットというeラーニングシステムがあるのですが、このeラーニングシステム、エル・ネットを使った社会教育研修のあり方についてここ5年ほど研究に関わらせていただいております。ですので、おそらくそういった絡みから、教員養成のところと、あとは教材も含めて新しいメディアの活用の検討のためにお誘いいただいたのだろうと思います。
そこで1つ、少し気になっていることがありますので、申し上げます。先ほどの資料6の中の「行政刷新会議事業仕分け結果」の中ではかなり厳しいことが書いてありますが、最後のところで、研修はeラーニングでやるべきだ、PDCAもはっきりするので回しやすいというふうにあります。どのような形でやるにせよ、もしeラーニングが内容も一定でPDCAで回しやすいということを前提として考えているのであれば、これは全教員に対象とした話になって、さらにそういうシステムをつくるのであれば、教員だけでなくゆくゆくは学生、生徒、児童たちにも使えるようなシステムをという想定がおそらくあるのだろうと思うのです。しかし、現実の状況を考えずに話を進めていくのはおそらく危険であろうと思います。
すなわち、教員全員の知識、技術、態度、そして動機が等しいという前提に果たして立っていいのかどうかということです。eラーニングというのは、かなりやる気があって、機械や学習に対する不安が低くないとあまりうまくいかない可能性があります。さらに、だれもチェックするような役の人ですとか、学習をモニターするような役のような人がいないと、かえって効果が薄くなる危険性もあります。そういうことなどを深く考えて、理想だけではなく現実に沿った提案が何かしら、非力ですけれども、できればと思っております。
【吉田(研)座長】 私は上智大学で37年間教えております。もともとは英語教育というよりも言語学を中心に、言語習得などを研究しておりました。留学しているころは言語習得の中でも母語の習得、赤ん坊がどうやって言葉を学んでいくかという研究をしていたのですが、日本に帰ってから、まだ独身で赤ん坊がいないものですから、第2言語習得のほうにチェンジしまして、主に学習者が英語を学んでいく過程でどうなっていくのかということをやり始めました。
また先ほどイマージョンという話もございましたけれども、同時にバイリンガリズムなどの観点の研究などもいろいろやりながら、ここ十数年は文部科学省のいろいろな委員会に参加させていただいて、今は英語教育に完全に浸ってしまっているという感じです。ただ、もともとは心理言語をやっていて実験とか調査というものをやるのがかなり好きなものですから、ここ10年ぐらいの間にかなりたくさん色々な調査をやらせていただきまして、そこから色々なデータなども出させてもらっています。
先ほど松本委員からもありましたけれども、私も計画のようなものを策定するとしたならば、期限をはっきりさせて、いつまでに何ができるのかがわかるとよいかと思います。
私も小学校外国語活動の導入に関しましては、中教審の外国語専門部会の委員をやらせていただきましたし、それから、SELHiも松本先生などと一緒に委員をやらせていただいて、そこで副委員長ということでスーパーイングリッシュランゲージハイスクールのいろいろな形を実際に調査しながら検討していったという経緯もあります。
また、もう1つ大学のほうでは大学の国際化ということでいわゆる「グローバル30」と言われる文部科学省が立ち上げた支援プログラムがありますが、これも事業仕分けにあってしまいまして、本当は「グローバル30」で30あるはずが13のところで終わってしまっていましたが、そのときの選定委員をやらせていただきましたし、それからまた私の属している上智大学もその13の中の1つとして選ばれました。これについては、いかにして留学生を集めるかということが問題です。それと、大学の中でどうやって英語での授業をもっとたくさん開講していけるのか、英語だけでも学位が取れるようなコースをつくっていくかということが1つの目標になっていますので、それも現在推し進めている最中です。
ただ、先ほどからも色々ございましたけれども、また資料を見せていただいてもなるほどと納得するところが強くあるのですけれども、必ずしも留学生が本当に増えているかというと、増えてはいないと思いますし、もう1つ大きな問題はその留学生に対して、どうしても今の日本の大学の場合は日本語の1級を持っていないと普通の日本人と一緒には授業が受けられないという状況が普通だと思います。ところが、その1級というレベル自体に到達できている留学生が非常に少ないです。ですから、結局どうなるかというと、留学生特科というところで1年間勉強して帰っていってしまうという結果になり、結局は日本人の学生と交流するということがあまりない、少なくとも学問の上ではほとんどないと言ってもいいのではないかと思うのです。かといって、では日本人のほうがそれだけの英語力があるかというとありません。私たち上智大学の場合は国際教養学部といってすべて英語でやっている学部もありますけれども、やはりなかなか普通の日本の学生がそこに行って授業を取るということはないです。できないというか、英語力が足りないという部分がどうしてもネックになっています。
そこで、現在上智大学では、グローバル30に採用されたということもありますので、現在CLIL(クリル)という取組を実施しています。これはContent
and Language Integrated Learningの略でしてつまり、内容的には専門の内容を教えるのだけれども、それをより易しい言葉を使いながら、またビジュアル情報だとか、さまざまなサポート情報を使いながら提示していくという方法で、ヨーロッパで開発されたものです。これは主に初等中等教育が対象なのですが、上智大学の場合は大学教育でこれをやろうというので、昨年もフィンランドから先生をお呼びして研修会を大学でやってもらいましたし、今年度もまた2月にやります。
これは何のためかというと、先ほど申しましたように、留学生がなかなか十分に日本語を習得するところまで行かないのですが、できるだけ日本人の学生とも交流しながら勉強を切磋琢磨する状況をつくりたいわけです。ということはどこかで真ん中の状況をつくらなければいけない。日本人だけが学べる状況とアメリカ人だけが学べる状況との中間の段階をどこかにつくらないことには両者が交わるところはあり得ないので、それをつくるのがこのCLILという1つの体制です。今年度はそのような体制に基づき4つ新たな科目を設置しました。来年はまたお金の申請をしているのですけれども、もう少し授業数を増やせるかと思っています。
英語で内容をやっているので、英語に堪能な学生、例えば留学生もとろうと思えばとれる。しかしまた同時に日本人でまだ十分に英語ができないという人でもそこ来れば一応英語を使って内容を学ぶことができる。もう一方で今度は日本語のCLILをつくりたいというふうに今思っています。つまり、留学生が来ても、普通の日本人と同じレベルの日本語ではとてもついていけませんから、日本語のCLILという真ん中の島のようなもの、中途の段階のものを大学の中でつくれないだろうかということで、今現在いろいろと模索している最中です。そういう真ん中の部分をつくることによって両者がもっと交流できる場をつくりたいというふうに思っています。
かなり具体的な話をさせていただいていますけれども、大学がこうだよということをある意味ではっきりと示さないと、高校、中学、小学校は目標をなかなか立てられないと思うのです。つまり、日本人としてどういう英語力が必要なのかということというのは、ある意味で大学がきちんと率先して示していかなければいけないという、我々はその責任があるような気がするのです。ですから、大学に入ったらこういうことやるよ、こういう能力をつけさせるよ、こういう国際人を育成していくんだよということを高校現場にも知らせていく必要があるだろうし、それがまた中学校だとか、小学校に浸透していけば、全体として1つの柱となるのではないかと思います。英語教育改革に関する懇談会というものが10年以上前にありましたけれども、そのときも一貫した英語教育が必要であるという議論がありました。その「一貫した」というものは、小学校から大学まで、あるいは大学院までも貫いた1つのきちんとした政策に基づいたものでなければいけないと考えます。ということで、まず大学がしっかりしないことには高校に対しても何も言えなくなってしまうということがあるような気がするのです。
そういう意味で、まず1つ大学もしっかりやらなければいけない。もちろんこの会議では中高を中心に考えるということですけれども、しかしその先にある大学で何を求めているのか、またその先に国として何を求めているのかというところもやはりきちんと私たちとしては視野に入れて中高を議論していく必要があるのではないかというふうに思っています。
私が上智大学の中でずっとやり続けているものに、夏休みにうちの学科の学生たちが全国色々なところに行って1週間、中学生を中心に英語を教えるというプログラムがあります。私自身が学生のころからやっていまして、もう40年以上になります。実を言うと、これを去年からカンボジアで始めたのです。今年2年目です。上智大学学長の石澤先生がアンコール・ワットの修復で非常に著名な先生で、シエム・リアップというところに人材養成研修所というものがありまして、そういう意味でカンボジアともつながりもあるわけです。それで色々な話を聞いていると、カンボジアでいわゆるポル・ポト以降、教員が非常に足りない、教育をする人間が非常に足りない、ソフトの面で非常に大きな問題があるということがわかりまして、さらに色々話を聞いていると、必ずしもネイティブから英語を学びたいと思っていないと言うのです。それで、どういうことと聞いたら、むしろ逆に、同じアジア人で自分たちも苦労しながら一生懸命頑張って学んできて成功した人たちから学びたいんだというような希望があるということがわかったものですから、去年うちの学生11名を連れてカンボジアに行きました。中学生が集まってくれるかと思って行ったのですが、最初から50名以上集まってくれました。今年は60名集まってくれました。
この理由の1つは、もちろんカンボジアの子供たちのためということもあるのですが、実は、これは逆に日本の学生たちのためです。つまり、先ほど内向きという話がありましけれども、自分の中しか知らない、日本のことしか知らなくて、あまり外向きになっていない状況の中で、しかも外向きになるとほとんど西洋を向いてしまうというところがある。その中で、アジアに目を向けて、自分たちがここで貢献できるものは何だろうということに気づいてほしい。うちの学長もそれをずっと言っているのです。それで、実際に現地に行って、自分たちでアジアの子供たちに何かできないだろうかということを考えてもらう。そうすることによって、教育の意味をもう1回再確認することが出来るのではないかと思います。特に、英語を学ぶというのが日本以外の国においてどんなに大切なものなのかということを肌で感じてもらう、それを知ってもらうことによって日本に帰っても英語教育の重要性というものをもう1回知ってもらうことができるではないかとも考えています。
私としては、日本における中高の英語教育改革をどうするかというのはメインテーマであるとはいえ、そこだけに焦点を当てたら、結局何も生まれてこないので、そこから派生する色々な状況や問題も随時議論できたらと思います。それこそ色々な体験を持っている方もおられるわけですから、そのような体験をお伺いしながら考えていける最高の場ではないかと思っています。今まで私が入っていた委員会はほとんど教員ばかりでして、その中だけの議論になってしまうので、そういう意味では今回私としても非常に楽しみにしております。これから皆さんと一緒に有効な議論を進めていければというふうに思います。
次回会議の日程について事務局から説明があり、閉会となった。
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