幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方に関する調査研究協力者会議(第5回) 議事要旨

1.日時

平成22年5月11日(火曜日)10時~12時

2.場所

文部科学省3F1特別会議室(3階)

3.議題

  1. 幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方について

4.出席者

委員

無藤座長、秋田副座長、岩立委員、太田委員、岡上委員、押谷委員、神村委員、岸本委員、木下委員、河野委員、嶋田委員、角田委員、北條委員、向山委員、山本委員、湯川委員、若盛委員

文部科学省

德久大臣官房審議官、濵谷幼児教育課長、先﨑幼児教育企画官、梶山教育課程企画室長、湯川幼児教育調査官、津金幼児教育課教科調査官 他

オブザーバー

(厚生労働省)丸山保育指導専門官

5.議事要旨

  • 事務局からの配付資料の確認の後、幼児期の教育と小学校教育との接続に関して、委員からプレゼンテーションが行われた。その概要は以下のとおり。

(1)岩立委員から、幼児期の教育と小学校教育との接続に関して意見発表があった。その後、質疑応答の時間が設けられたが特に質問はでなかった。

(2)押谷委員から、幼児期の教育と小学校教育との接続に関して意見発表があった。その後、質疑応答が行われた。

(○は委員の質問、●は発表者からの回答)

○ 資料2のp2で「幼稚園段階で勉強を意識させ」とあるが、これは幼児が自ら学びたくなる場としての勉強なのか、それとも教員や他の幼児などの外部からの提供という形での勉強ということなのか、その辺りをもう少し説明してほしい。
● 小学校の教科のような形ではなく、遊びや生活をベースにしながら興味・関心を持てるような形で幼児が体験したことを発展させながら学んでいくことを考えている。遊びの延長として勉強があり、子どもたちが主体的に取り組んでいくことを目指している点では原理は同じである。遊びに対する主体性が小学校での主体的な学びに発展すればよいと考えるので、そういった意識を幼稚園段階で持たせてほしい。
○ 「これから勉強するよ」と言うと、小学校のお兄さんやお姉さんの世界、未知の世界に自分も参加していけそうだという期待感やわくわく感を幼児が持てる。そういう意味では「勉強」という言葉はキーワードとしてよいと思う。我々は勉強というと黒板があって先生がいて「はいこれから始まりますよ」という意識があるが、子どものイメージの中でいう勉強はまた違った意味で大きなものを学べるんだという認識がある。
● 幼児の知的探究心を刺激し、無意識の学びから、徐々に意識させていくことが大切であると考える。

(3)若盛委員から、幼児期の教育と小学校教育との接続に関して意見発表があった。その後、質疑応答の時間が設けられたが、特に質問はでなかった。

(4)太田委員から、幼児期の教育と小学校教育との接続に関して意見発表があった。その後、質疑応答が行われた。

(○は委員の質問、●は発表者からの回答)

○ 自治体レベルでの取組として、幼稚園や保育所、関係団体等が一緒になってやっている幼児教育研究協議会があるとのことだが、行政はどのような形で関与しているのか。また、園長や校長等の管理職が変わると保幼小連携に対するスタンスが変わると聞くが、市では、管理職がどのように関与するようにされているのか。
● 市の教育委員会の指導室にこの協議会の事務局があり、そこが中心となって進めている。保幼小の懇談会については小学校を会場として開催することが多く、校長も出席して、懇談を行っている。

(5)各委員からの意見発表及び質疑応答の後、全体を通じた意見交換が行われた。その概要は以下のとおり。

(○は委員の発言(発表者への質問を含む)、●は発表者からの回答)

○ 資料1で「質の高い様々な学びの可能性を考えて内容群を構成する」とあるが、具体的にこれはどのようなものをイメージしているのか。
● 学びには知的なもののほか、感情の学びや関係性の学びもあり、広がりを持っている。それぞれの内容が、どのようなシーケンスで学ばれていくかという平面的、2次元的な学びに立体的な発達の次元が加わるような内容群を考えたい。本学附属の1つの学校区にある幼小でプロジェクトを立ち上げつつあるが、そこでは子どもの中から学びの芽を取り出してきて、それを書き出していきたいと考えている。例えば、「物の操作」や「関係性の認識」といったところから、具体例を記述していくなど、そういったものを検討している。幼稚園教育要領の文言には一言の中に非常に膨大な内容が隠されている。教師は個々の子どもの学びを直感的に見取っているが、書かないとなかなか理解してもらえないし、それらの重要性にも気付いてもらえない。小・中学校の学びと関連付けた形で、子どもの学びの実態をすくいとる形で書きとってみたい。子どもが主体的に学ぶ姿をとらえるための手がかりとして考えている。
○ 幼児教育や小学校教育に、家庭教育は密接に関わっている。小学校でも子どもが幼稚園から小学校に進学してきたときに、小学校教育に関する保護者の理解を深めることに力を入れて取り組んでいる。家庭との連携を進めることが重要である。
○ 子どもに我慢というものをいつ頃どのように学ばせたらよいか。幼稚園でも保育所でも、小学校でも当然我慢する場面は出てくる。子どもが自分の伸びや成長を自覚できるときに、併せて我慢する力もつくのではないか。例えば、自分が年長になったという自覚であるとか、スポーツ選手が自分の記録が伸びたことを自覚すると、練習を我慢できるといったことである。我慢する力は意欲につながっている。だから、成長するタイミングをとらえて我慢できている自分を更に次の意欲につなげていければいい。「これは今我慢できる場面なんだな」といったことを幼児教育と小学校教育の関係者で共通認識が持てるとよい。
○ 子どもの発達の根底には命の尊厳、命への感謝があるということを幼稚園や小学校の教員にしっかりと伝えていかないといけないと考える。
○ 我慢については、例えば、上から目線で「待ちなさい」と言うのではなく、子どもが待つことができたときに、周りがほめてあげる、認めてあげることで、子どもが待つことの意義を理解していくことができる。それが自覚につながる。
○ 小学校からは生活習慣や聞く力を身に付けさせてほしいという声を聞くが、幼児期での生活習慣や聞く力と、小学校段階での生活習慣や聞く力では同じ言葉でも意味することが実際には違っている。身に付けさせたい力の具体的な中味を議論することが必要である。
○ 幼児期のカリキュラムの立て方として、生活体験で領域を立てていく生活領域と、認知、言葉、数量、運動、情動など発達で立てていく発達領域の2つが考えられるが、どちらを考えているのか。
● その両者を統合していきたいと考えている。例えば、我慢する、自己調整するといっても、年長の段階での我慢と年少の段階での我慢は内容も違ってくるはずで、発達という時間軸が関わってくる。
○ 生活領域と発達領域は両方とも重要なのはわかるが、どちらに重点を置いて考えておられるのか。
● 人間が生きるというのは、その両者が絡み合っている。接続期の場合には、どちらかというと生活領域を中心にしながら考えていきたい。
○ 幼稚園や保育所の先生方は子どもと一緒に生活しているので子どもの発達が見えてくる。一方、小学校の教員は子どもと一緒に生活しているが、どうしても教科の内容が先に立つので、子どもの発達や思いが見えにくいところがある。幼稚園や保育所の先生が小学校1年生の教科の学習をつくるとどうなるか。子どもの気持ちを理解しながら、数や言葉の学習ができるのではないか。それを目に見える形で小学校に対して発信してもらえると、小学校の教員も子どもの発達や理解を踏まえた教科の学習が展開できるようになるのではないか。
○ ある学区で、4歳児、5歳児、小学校1年生、2年生という4学年の子どもたちが、ある行事を題材にして、そこで一体どんな内容群が学ばれているのか、学びの芽をひろうワーキングを幼稚園と小学校の教員が一緒になってやっている。4歳児は、自分が2年生になって引っ張っていく立場まで4年間経験していく。4年間継続してやっていくと、単年度の学びではできない、見通しが持てるので、2年生になったときに非常にいろいろな役割を中心に、様々な問題を学べるような状況になる。小学校低学年の授業を幼稚園の先生と一緒になって組むというアプローチはいろいろなところではじまりつつある。
○ 我慢する力というと誤解を招く面もあるので、「回り道をする力」と呼んだ方がよい。どういう意味かというと、我慢するんだけど、自分のやりたいことを目的として意識しながら、それを目指して回り道していく、工夫していくということである。ただ待つのではなく工夫しながら、考えながら待つというところに持っていきたい。

  • 座長から次回の会議も引き続き各委員から幼児期の教育と小学校教育との接続についてのプレゼンテーションをお願いする旨、発言があった。
  • 事務局から次回の会議の開催日時について説明があり、閉会した。

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初等中等教育局幼児教育課