児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議(令和元年度)(第1回) 議事要旨

1.日時

令和元年9月10日(火曜日)15時00分~17時00分

2.場所

文部科学省3階 3F2特別会議室

3.議題

  1. SOSの出し方に関する教育を含めた自殺予防教育の在り方について
  2. その他

4.出席者

委員

新井委員,荊尾委員,川井委員,窪田委員,阪中委員,村瀬委員

文部科学省

蝦名大臣官房審議官(初等中等教育局担当),大濱児童生徒課長,
松木生徒指導室長,伊藤専門官

5.議事要旨

※議事に先立ち,主査の選出が行われた。その後、蝦名大臣官房審議官(初等中等教育局担当)・主査より挨拶があった。
※事務局より配布資料の説明があった。

≪議題(1)SOSの出し方に関する教育を含めた自殺予防教育の在り方について≫

【主査】 ただいまの事務局からの説明を受けて、審議のまとめ案について忌憚のない意見を出していただきたい。
【委員】 審議のまとめ案の12ページ・3行目、「SOSの出し方に関する教育を、保健師等の」と書かれているが、ここで事例を紹介した自治体は実際に保健師が担当している場合が多かったが、審議のまとめとする場合、「外部専門家」として保健師等を代表で記載するのがよいのかということが気にかかる。
【事務局】 SOSの出し方に関する教育について、進んだ取組をされている足立区にヒアリングに来ていただいたが、実際足立区は保健師を活用している。確かに全国的な状況は必ずしも把握できていないが、そこは例示を工夫するなどできる。
【委員】 関連して、参考資料4-1の既に出された通知の中では、保健師、社会福祉士、民生委員等を活用という、外部の者としてこうした方々が例示されているので、この辺りとの整合性も含め最終的に整理していただきたい。私自身は臨床心理士だが、臨床心理士がなぜ入っていないのかと思った。
【主査】 これからの自殺予防教育について、従来より文科省が提唱してきた自殺予防教育とSOSの出し方に関する教育とを比較対照しながら検討している。そのなかで、援助希求的態度の育成という点については、文科省の自殺予防教育とSOSの出し方教育とは、ほぼ重なってくる。そうなると、例えば北九州市でやっているように、スクールカウンセラーが担っている部分は相当あるわけで、それを「保健師」と限定して出してしまうと、SOSの出し方はSOSの出し方、従来型のものは従来型で、何か別個のもので担い手が違うというような印象を与えてしまう。そうなると、広がりが弱くなってしまうような気がする。お二人の委員からの意見を踏まえて、内容や担い手など、全体の枠組みの方向性も検討する必要があると思っている
【事務局】 その点についても今日委員の意見を頂きたい。
【主査】 他はどうか。
【委員】 審議のまとめ案については、素晴らしいまとめ方と思って読ませていただいた。議事の(1)が「SOSの出し方に関する教育を含めた自殺予防教育」と書いてあるが、この辺の言い回しは何か事務局の意図が何かあるのか。
【事務局】 従来我々が冊子などにまとめてきていたものとは、また少し異なる思想で出てきたのがSOSの出し方教育だが、広い意味では自殺予防教育なので、新しく出てきたSOSの出し方教育を含めた自殺予防教育全体の在り方を議論したいという思いからこのようなタイトルにした。
【委員】 これは前からこうだったのか。今回が初めてか。
【事務局】 前からこのような言い方はしている。
【委員】 先ほどの説明の中で、自殺予防教育とSOSの出し方で類似している部分と、相反することがあった。全く相反するものを含めた自殺予防教育で上手くいくのか。
【事務局】 自殺予防教育において我々がこれは必ず守ってほしいと考えていた留意点が、SOSの出し方教育の中で守られていなくて、それが実は深刻な影響をもたらし得る事態がもしあれば、それは望ましくないことだと思う。
ただ、共通点としては、援助希求的態度の育成というものは非常に重なっている。もう一つの、早期の課題認識の部分が、SOSの出し方教育では実は様々である。SOSの出し方教育の中で、早期の課題認識にも力を入れているようなものについては、割と自殺予防教育と近付くところがあり、その場合は、例えばハイリスクの子供が見つかったときのフォローなどといった部分では、やはり同じように留意点を守ってもらわなければならないという発想である。
【委員】 審議のまとめ案で、自殺予防教育の取組に関する報告が2ページ以降にあって、4ページにさいたま市の報告が自殺予防教育の枠組みで挙げられている。これは内容的に、自殺予防教育と言っている下地づくりや合意形成などといったことを重視した取組なのでこちらに入れていると理解しているが、文言としてはSOSの出し方に関する教育という言葉を使っている。
そのため、もう援助希求の部分をSOSの出し方というふうに分かりやすく呼んで、それは共通しているが、そこだけではなくて下地づくりなどもあるため、従来型のものとして入っていている点には異論はないが、ただ、ここで「SOSの出し方に関する教育については」という、この部分だけを見た人はちょっと混乱するのではないかなと思うがいかがか。
【委員】 今の委員の質問と少しずれるかもしれないが、自殺総合対策大綱には、SOSの出し方に関する教育の推進と書いてある。今、事務局の説明を聞いたときに思ったのは、子供たちを自殺から守っていくための取組、いわゆるSOSに関する教育の定義が非常にうまく使い分けられているというか、時と場合によって違っていると思ったので、先ほどの事務局の説明は、何とか納得できる。
【委員】 名称よりも、子供たちにとって役に立つ内容が含まれたものがきちんと提供されていればいい。その時々の色々な文脈の中で、SOSの出し方教育をとても狭い意味で使う場合もあれば、もっと広く使う場合もある。そのような趣旨でここはそのように大綱等に即してなっているが、内容的には決して援助希求の部分だけを扱っているわけではなく、信頼関係作りのようなところからやっているというように理解した。
【委員】 そのとおり。
【委員】 表記の仕方次第で、その辺が将来的に非常に分かりにくくなっていくという危惧を少し持ったため質問した。こちらに入れているのは正しい。
【主査】 関連して、教育現場という観点で言えば、自殺予防について何らかの取組をしている、あるいはしていかなければならないというような方向性はかなり強く出ている。恐らく従来型とSOSの出し方教育の違いがどこにあって、重なりがどこにあるのかという点については、学校現場で明確に把握していない場合も少なくないと思う。
自殺対策基本法の改正や自殺総合対策大綱の閣議決定の中で、SOSの出し方に関する教育が出てきて、今までも既に自殺予防に関する取組をしていたが、その取組をSOSの出し方に関する教育というように名前を付け直してやっているという場合もあれば、やれということなので、従来型との違いを認識しているか認識していないかは別にして、SOSの出し方教育として示されているものをともかくやっているというケースもあり、やり方にしても、呼び方にしても、様々なものが混在している状態だと思われる。混在しているところを少し整理する必要があるのではないか。さいたま市の件もそういうことではないかと思う。
【主査】 単純に、これらを例えば学校現場に出したときに、「何をするように言っているのか」が、本当に伝わるのかという疑問がある。仮にここにあるような参考資料を全部付けて、「子供に伝えたい自殺予防」を読み、そして他の取組との比較が行われれば、分かるかも知れない。しかし、結構「子どもに伝えたい自殺予防」の冊子を読んでいないケースも結構あるし、その辺を考えると、通知の出し方という部分も気になる。
【事務局】 まず、審議のまとめ案で、ブランクにしてある最後の「おわりに」の部分については、そういった色々な懸念や、すぐには解決しそうにない点を今後また引き続き検討する必要もあると思っているので、そういった点を是非書かせていただきたい。
他方、短期的課題として、今意見が出ているが、教育現場が実際どうすればいいのかよく分からないというような話も多分あるので、何らかの形で今回整理した留意点、SOSの出し方教育という形で割と実行しているけど、実は守ってほしい留意点が守られていないというような実態を何とかしなければいけないと思うので、それに対応する何らかの通知なり、事務連絡なりということを、この留意点をお知らせするような形のものは考えたいと思っているが、それは飽くまで短期的な課題であり、もう少し色々な、ここをこうしたらいいのではないかといった、広い視点での意見があれば、是非中長期的課題ということで、審議のまとめ案の最後の部分に書かせていただきたい。
【委員】 下地づくりの教育として出ている部分は、自殺対策基本法の中では、自他を尊重するとか、心の健康の維持・増進という形で、一方、SOSの出し方に関する部分は、強い困難に直面したときの対処の仕方を身に付けるといった部分だと思う。また、自他を尊重した人間や、心の健康の保持・増進といった下地づくりの教育も含むような教育をやるようにというように、基本法には書いてあると思う。
それが大綱になったときには、SOSの出し方教育というところだけが少し突出してしまったが、我々にとってはその違いを明確にすることは重要だが、学校現場にしてみれば、何をやらなければいけないのかが明確になることが重要だと思うので、そこはさっき事務局がおっしゃったような形で留意点のところで出ればいいと思う。
ここでも出ている自尊感情、自他尊重のコミュニケーション、日々の衝動コントロールといった部分は、まさに自殺予防に限らずあらゆる問題に共通するところなので、いじめ予防などとも直結している。
所管の関係で難しいとは思うが、そのような様々な、例えば薬物に関わる問題や性に関わる問題など、子供たちが直面する問題に適切に対処して健全に成長することに共通して必要な部分が体系化したようなことは学校も積極的に取り組んでいるので、その辺りも含め、SOSの出し方という新しいことを何か特別にやらなければいけないというようなことではなく、様々な問題に共通するものとして、今取り組んでいることとの関連性みたいなことが明確に出るような形で示せればよいと思う。その際、いじめのところで出しているものとの整合性などが付かないと難しいと思われることから、その辺はどうしていけばいいのかというのは1つの課題かと思う。
【事務局】 確かに「○○教育」を実施してほしいというような様々な要望、例えば、文部科学省も出している薬物教育や交通安全教育から、ネットの被害に遭わないように教育しましょうなど情報モラル教育と呼んでいるが、それらを一個一個独立して別途やっていくというのは、学校の負担などを考えると現実的でない。行く行くは働き方改革的視点とも整合が取れるような形で、実際どのようにやると取り込めるかといったようなモデルや例など、何か役に立つようなものを示せればと思うが、例えば薬物教育とどのようにセットにするかといった難しい点もあり、中長期的課題かなとは思っている。
【委員】 審議のまとめがきれいにまとまっているという印象がある一方、この文書そのものがどうこうということではなく、先ほど他の委員が指摘したが、現場にこの文書を出したときに、では、何をどうすればいいのかということが分かりにくい。
この自殺予防教育やSOS出し方教育に関してある程度理解している人や知っている人は、この文書に書いていることの意味は行間も含め、ある程度読み取れると思うが、都道府県の教育委員会や、学校のそれぞれの現場の人たちにとってみると、これを以てしてどうすればいいのか分からない。これまでの文書・通知をずっと遡って、例えば「子供に伝えたい自殺予防」も含めて読んだとしても、SOSの出し方教育をどうしたらいいかというのは、素人の受け止め方かもしれないが、やはり非常に分かりにくい。
そもそもSOSの出し方教育とは何かということ自体が、必ずしも一定の定義がなされているわけではない。こういう例があるというツール例は出してあるが、それはやはりそれぞれの作成者が考えて作ったものの結果に過ぎず、そもそもSOSの出し方教育とはどのようなものかということ自体の定義や、プロトタイプ、基本形があるわけではないので、一部の人たちがそう思って作ったものを以てして、これが基本形だと言い切れない中で、SOSの出し方教育を推進してほしいと言われているのは分かるが、どのようなものがSOSの出し方教育なのか分かりにくいという中で、自殺予防教育との比較をし、共通点・相違点、留意点を見せても、自殺予防教育をやるように言っているのか、それとも、SOSの出し方教育を重点的に優先的にやってほしいと言っているのか、やはり分かりにくいところはある。
言い方が適当でないが、SOSの出し方教育というものが、ある日突然出てきた形で、それをどう自殺予防教育との関係を付けて整合性を取るかということを議論せざるを得ない状況なので、やはりもう一回立ち止まってどうすればいいか考えた方がいいと思う。
審議のまとめ案自体は、分かる人には非常によく分かるが、余り分からない人が見ても、では、予防教育を年間何コマかやった方がいいのか、とりあえず1コマだけやればいいのか、どのように考えて授業を、1年間のカリキュラムの中に組み込んでいいのかということがよく分からないような気がする。
【主査】 今の点は、私自身も、示し方というか、実際に受け取った人がどうすればよいのかというときに、とても重要な点だと思う。
【委員】 本日一番聞こうと思ったのが、これで審議のまとめが終わった後のまず国のスケジュールはどのようにするのかという点が1つ。審議のまとめとして多分オープンにすると思う。それに基づいて、何か次のアクションがどのように出されるのかという点を聞きたかった。
それから、先ほども議論されていたが、出し方の問題。素晴らしい内容の冊子が以前も出た。さいたま市ではそれを全部の学校に配って、必ず読んだか読まないかのフォローもし、さいたま市全体で行う授業時数も決めて、学年も決めて、それから、委員の皆さんにも学校に研究授業を見に来ていただいたが、こういう授業でやるんだよという指導内容まで全部さいたま市で統一したものを出すことによって、さいたま市の全ての小中学校で「いのちの支え」を学ぶ授業がやっとできた。当然そこに至るまでには、予算を取らなければいけない、校長会の承認を得なければいけない、教育委員会会議の承認を得なければいけないという、様々な行政上のプロセスをやらなければいけない、非常に厳しさがある。
これを、ある程度国にも制限があるので、そこまで細かい指定はできないと思うが、今までのような出し方で、こういう冊子ができましたよ、こういう報告書が出ましたよという形だけになってしまうと、教員の中でそういうことに非常に堪能で優秀な先生がいる学校は、それについて非常に研究が進み、子供たちにその教育が施され、子供たちが還元を受けることになると思うが、そうではない学校については、国から言っているから1時間程度でとか、よく中身が理解されないまま進んだりする可能性や危険性もあるかもしれない。そうなると、やはり国、都道府県や政令市等の教育委員会等が現場にどこまで、どのような形でそのようなものを下ろしていくのかということがどうしても大きな課題になる。
【主査】 今のさいたま市の進め方は、文科省が出した「子供に伝えたい自殺予防」に依拠している。これはどちらかというと、モデルを示すという方向性で作られているので、かなり内容的に濃く、色々な要素が入っている。例えば7時間ぐらいのモデルがあるのを、実情に応じ1時間や2時間など、さいたま市の場合は3時間ぐらいに凝縮したり、または切り取ったりして、学校の実情に応じてやってくださいという示し方だった。したがって、市として、または学校として、何をやればよいのかという選び取りの中で使われる素材というような意味合いが強かった。
今度、SOSの出し方教育の方は1時間でやれますよ、そして、DVDでやっていますよというような形で、単体で出ていったときには、練り直しでこれさえやればよいというように受け止められる可能性がある。それでよいのかという思いがある。つまり、本来の自殺予防教育を考えたときに、こういう領域があって、その中のこれなんです、こういう取組もありますという示し方の方がよいのかなと。何かやらなければならない、それでは1時間、DVD使ってやろうというようになってしまうと、危ない気がしている。
極論してしまうと、例えば文科省でやってきた自殺予防教育の2本の柱のうち、援助希求的態度を促進するというのはSOSの出し方教育と同じなんですと言ってしまって、それをやる。それで、更にもっと裾野を広げれば、心の危機理解というのがありますよというような示し方をした方が分かりやすいという気もする。その辺について委員の意見を伺いたい。
【委員】 主査の考えの通りだとは思うが、普通に教員に当てはめて考えたときに、この会議にいる委員が持つような自殺に関する知識や授業を進めるスキル、そういうものは必ずしもスタンダードではない。ましてや、今、年配の教員がどんどん辞めて、新しい教員が一杯入ってきている。このように教員間で持っているスキルや知識、経験が全く違う。そこで、大枠を示して、好きにやってくださいと、今そのようにも聞こえたのだが。
【主査】 そうではない。今、援助希求的態度の育成とSOSの出し方教育が、重なるけれども違うものだというように示されている。今回、自殺予防教育という大枠がある中の2つの柱を文科省が出してきた。心の危機理解と援助希求的態度。援助希求的態度の育成というところは、自殺対策基本法、及び大綱の中で言っているSOSの出し方教育と重なります、という言い方をしてしまった方が捉えやすいのではないかという気がする。このような捉え方でよいのかどうか多少不安はあるが、分かりやすさという意味でいうとその方が伝わりやすいと思う。要するに、この柱の中のこれをやっているんだという自覚が重要。それであれば、それにはこういうやり方がいろいろありますよ、それで取り組んだらどうでしょうかという示し方ができるのではないかと思う。
【委員】 基本的にはそう思う。やはりあのピラミッドの下地づくりのところにいくつか要素があって、そして、自殺予防教育と援助希求と心の危機。その援助希求の中身の展開例としてはこんなものがあると。しかし、これが生きるためにはこの下地のこういうものが要ると。だから、可能な限りこういうものをやった上でこの1時間のものをやるといいとか、そのようにピンポイントで援助希求のところだけを取り出したものを実はSOSと言っているという枠組みにしてしまった方がすっきりする。必要だと思っている構成要素のこの部分に焦点化したものをSOSの出し方教育と言いますというように明言してしまって、でも、これを効果的に安全にやれるためにはこの下地が要るという整理だと比較的分かりやすいのではないか。
【主査】 そう思う。この理解でどうか。
【委員】 自殺予防教育にしても、SOSの出し方教育にしても、結局は子供たちが動けなかったら何の意味もないと思う。そのためには知識も技術も必要で、そして、やはり感情とか心の動きといった点も必要で、3本柱があって初めて少し動きだせると思う。そういう意味でもSOSの出し方教育を1時間で行うということには無理があるような気がする。
私は今、不登校の子供たちと関わっているが、そこで子供たちが自分の気持ちを出すまでに、何日も関わって、ここだったら大丈夫かなという気持ちになったときにやっと自分の思いを語るようになる。そういうことを考えると、子どもたちが不安な気持ちを出すまでには時間がすごくかかるし、知識だけでは難しい。
例えば私のところでは、スタッフがモデルになって、感じたこと、思ったことを素直に口にしてみたり、子どもが何を言葉にしていいか分からないことや、うまく言えなかったりすること等をスタッフが子どもの反応を見ながら言葉にして確認し、自己表出する体験を丁寧に行っている。何度も体験する中で気持ちが出せるようになるので、1時間とか短い時間で行う学習としては、厳しいものがあると思う。
SOSの出し方というのは、自殺予防だけではなくて、生徒指導、学校教育の根幹だと思う。自殺予防教育で援助希求的態度の育成の内容を充実させ、確実に実施することで子供たちが自分の言葉で気持ちが出せるようになってほしい。学校現場は、「自殺予防教育」、「SOSの出し方教育」の二つが示されると、何をどのように整理して実施していけばよいか迷うことがあるかもしれないと思う。
【委員】 審議のまとめ案の中で、従来の自殺予防教育とSOSの出し方教育の共通点や違い、留意点は何かということを書いている。ところが、SOSの出し方教育の中身について言及しているところがほとんどないような気がする。
「子供に伝えたい自殺予防」では、アメリカを視察した例などが書いてあって、その中で、アメリカでは具体的にどのようなプログラムなのかということも書いてある。内容として、今の日本で行われているSOS出し方教育のいくつかの例が、援助希求的態度の育成をするに当たって、一定の効果がある、妥当なのかどうかという点についての考え方はいかがかと思っているが、どうか。
内容的に一定程度の妥当性があるのであり、自殺予防教育の大きな柱の2つのうちの1つの援助希求的態度の育成にマッチするという言い方が相当だということが言えるのであれば、では、それを推進していこうという言い方がリーズナブルにできるかと思う。
仮に内容的にどうかなというところがあっても、もし内容的にバージョンアップしてもらうことで一定の妥当性が確保できれば、そのバージョンアップを促すのがいいのかなと思う。
【主査】 これは根幹に関わる部分で、例えば「子供に伝えたい自殺予防」の中でモデルとして示している中で、友達のSOSに気付こうとか、信頼できる大人につなげようとか、「SOS」という言葉をかなり使っている。だから、このSOSの出し方というものが、あたかも新たな名前としてパーンと出てきたような感じがするが、実はそうではなくて、従来言ってきたことでもある。逆に、従来型の自殺予防教育がもうひとつハードルが高くて浸透していかないという中で、1時間でもやれますよというので出してきたものにSOSの出し方教育という名前を付けたとも言える。それが自殺総合対策大綱の中で出てきたので、お墨付きができ、それで行きましょうという話になっているのではないか。
ただ、実態としては、既に言ってきたことでもあり、重なる部分ももちろんある。だから、その中で、新たに出てきたものを新たなものとして示すのか、今までのやり方でやろうとしてきたものの1つに包含される部分であるというようなスタンスに立つのか。それはこれを認めるということになるが、示し方としてすっきりするためには、対立軸行くのではなく、私は包含していった方がよいかなと思う。そういう示し方で行くのかどうかという点について、委員の意見を伺いたい。
【委員】 主査が言うように、SOSの出し方に関する教育は、「子供に伝えたい児童予防」で考えてきた援助希求的態度の育成に含まれているという示し方で良いと思う。教員のSOSの受け止め方の研修も充分にとれないまま、1時間でどんどんやればいい、と示していくことには少し懸念を持っている。今まで文科省の冊子で示してきたものの中の一部、援助希求に関するところを、SOSの出し方に関する教育として位置付けた方が、現場の先生はやりやすい、受け取りやすいのではないかと思う。
また、マニュアルをやればいいというよりも、それをたたき台に学校の実情に応じて先生方が授業内容を考えていくことが大事だと考えている。一緒に先生方と考えていくことによって、ハイリスクな子供への関わりも大きく違ってくるといった経験をしている。与えられたものを実施するというよりも、やはりそれを土台に学校内や、また、専門家を交えて、共に考えるということが、日々子供と接している教員が自殺予防の正しい理解や対応を学ぶことに繋がると思う。
【委員】 自殺予防教育、従来の考え方から来るSOSの出し方というのはどういうものなのかということを、例えばプログラムを作ることなどによって標準形を見せるという方法はあるとは思う。それは誰が作るかというのはあるし、国が作ってそれに学校現場や都道府県が従うパターンがいいのかどうかというのはあるとは思うが、そのような考えも1つあると思う。
【主査】 子供の自殺をどう予防するのか、これが最大の目的である。今苦しんで、死を選ばざるを得ない、死に至らしめられてしまう子供たちがいるが、そこを何とか防ぎたい、同時に、生涯にわたる精神保健の一環として自殺予防ということを考えていきたいというのがまず大前提にあるとき、高校生の自殺の原因を見ていると、うつ病その他の精神疾患というのが女子の場合にはトップに来る。男子でも3番目に入ってくるという現実を考えると、実際に自殺の原因として上がってくる心の危機、心の病について、自分自身が、または周りの人が気付いていくというものを外していいのだろうかと思う。
だから、これまで自殺予防教育の2本柱として文科省が「援助希求」と「心の危機理解」を示してきたのは、実態を踏まえれば当然のことなのではないかと思う。そう考えると、SOSの出し方教育をやれば自殺予防になるというのは、少し危ない気がする。自殺予防というのを従来こうやって考えてきて、その中の大事な柱の1つとしてSOSの出し方というのが大綱の中でも出てきた。具体的な取組も進んでいる。文科省としては、従来の捉え方としてこういう内容や方向性を持っているということを示し、全体の位置付けを踏まえながら、援助希求とSOSの出し方が重なることがあるので、こういう取組をしたらどうでしょうかというふうに示したらよいのかなと思う。
そうでないと、東京都の取組みを批判するように聞こえるかもしれないが、教師が授業をやるわけでなく、授業の進行を担当し、DVDを流す。それで子供たちに何がどうやって伝わっていくのだろうか。これは先生に対する信頼感の問題でもあるのだが、DVDを流して、それで済ませてしまったら、その後色々なことを思って先生に相談してきた子に、もちろん対応できる先生が大半だろうけれども、「それはビデオでやったことだ」みたいな話になっていくと非常に危険である。
もちろんDVDを一部使ってもよいと思うが、自分としてどうこの問題と向き合うのかというようなことを問い直した上で1時間の授業が生まれてくる。何かそういうものとして位置付けておかないと、やればよいみたいな感じになってしまうのではないかという危惧がある。そのようなところで、SOSの出し方教育を含む自殺予防教育というのは、ある意味分かるというか、非常に苦労して作られた方向性の名前だなと考えている。
間もなくこれはまとめとして出して、現場に下りていくので、懸念に思うことはどんどん出しておいていただいた方がよいと思うが、いかがか。
【委員】 「子供に伝えたい自殺予防」のときも、一応モデルとして、あくまでたたき台として出しているが、やはりそういうものを既に東京都のDVDも含め、北九州市も名古屋市も作っているし、さいたま市もあるし、そのように現場で検討しながらできている。そういうものがたくさん示されている中から、それぞれの先生方が、子供たちの実態等に応じてアレンジをしてやっていく。ポイントを外さない形で、具体的な進め方や内容については、色々な参考資料がある中からアレンジしてやっていく。そのときに、このポイントだけは外さないようにということが明確に示せるとよい。
また、子供や学校の状況をどのような視点で見ていくか、先生たちにしっかり考えていただく意味では、やはり文科省のお墨付きのプログラムなどが出てしまうと、もうそれをやっておけばいいみたいになると思うので、その意味で、既にある素材で利用できるものも使いながら、ただ、一番大事なのは、目の前の子供たちの状況等に応じて先生が自分のものにして実施していくというか、そのようなイメージを持っている。
北九州市もそうだが、やはりある程度形を作って、とにかく教員研修だけを先に5年間ぐらいやって、それから全児童というように実施していった。その間やはり色々なところでアレンジして、先生方の独自の展開が広がるなどしていき、やはり何より先生たちがそういう視点で関われるようになることが大事という観点からすると、何もないでは何をしていいか分からないが、あまり形になったものが出てしまうというのは危険かと思う。
【委員】 違う視点になるかもしれないが、あとは、自殺予防教育も、SOSも含めた自殺予防教育をやるということで進めたときに、子供たちがそういう学習をして、実際の場でいわゆるスキルトレーニング的な、要素的なものになる可能性が高い。そうすると、今度、そのスキルを活用して、子供が実際の場面で体験、相談をする。そのときに、子供がせっかく相談をしてきたのに、ああ、相談して良かったという成功体験、これがないと、何だとなってしまう。
だから、この審議のまとめ案に書いてあるが、やはりSOSの出し方の教育だけでいいわけではなくて、相談体制や相談を受け止める教員の力量、システムなど、本当に総合的な計画的な大きな体系の中でやらないと効果が上がらないと思うので、そういった点も考えていただきたい。
【主査】 そういう点で言うと、審議のまとめ案の中で、文科省が進めてきた従来の自殺予防教育は、ハードルが高いという批判もあるが、関係者の合意形成、適切な教育内容、フォローアップなど、そのやり方は様々だが、やはりここは外せないところだと思う。そういう書き方になっているのでよいかと思うが、この辺りはいかがか。
教員研修が大事だということは皆言っている。保護者に下ろすか下ろさないかというところは判断を少し要するところかも知れない。下ろし方も、お便りで連絡するなどというやり方も考えられるし、実際兵庫県でもそうやっている。ただ、そのように保護者にも、こういうことをやっていますよ、だから、もしもお子さんが相談に行ったら、受け止めてくださいねというような構えを作っておくということは必要だと思う。それがないと、やりっ放しで、せっかく相談したのにそれが定着しないということになりかねない。
他にいかがか。今ここで出てきている意見がまとめの最後のところに反映されていくような形になるので、気になるところがあれば言っていただきたい。
【委員】 「子供たちに伝えたい自殺予防」の冊子を作るにあたって、アメリカ視察を行い、マサチューセッツ州で実施されているSOSプログラムについて学んできた。そこで言うSOSは、Sign Of Suicideの頭文字で、いわゆる助けを求めるモールス信号のSOSとは違うということをふまえて、商標登録などのことも確認したうえで「SOSの出し方」という言い方で良いのかを検討することも必要であるように思われる。 保護者との合意形成はハードルが高いと言われているが、保護者参観といった公開授業も一案だと思って公開授業の案内を出すことも、保護者に周知するやり方の一つだと思う。実際の参加者は多くはないとしても、子供と保護者と先生が一緒に学び合うということに意味があるのではないかと考えている。また、保健体育の授業は、5年では不安や悩み、その対処、それには相談することの大切さという内容もあり、中学や高校の教科書にも載っている。その辺りのことをカリキュラムの中で位置づけて示すことができれば、現場の教員は取り組みやすくなるのではないか。私自身も、これまで総合的な学習の時間とか学活の時間で実施することが多かったが、保健体育の授業の中でも実践してきた。実際、保健体育の先生が核になって、自殺予防教育が広がっている学校もある。だから、色々なルートを示して、学校や児童生徒の実態に合わせて取り組むことができるということを伝えられたらよいと思う。
【委員】 精神疾患の件は、私も高校生を見ながらいつも気になっている。だから、保健体育の中できっちり心の病について教えるということ、そのような、色々な教科の中で関連したことを明確に位置付けて教えるということ。例えば、現代社会では社会問題としての自殺の問題や国際比較などがテーマになり得るし、例えば経済的な危機とかリストラとかそういうところでも自死に至るという、そういう色々な教科との中で関連したものとしてトータルに学校教育の中で扱えるというような視点というものを考えている。
北九州市は、道徳の中のこのテーマは自殺予防教育との関連で扱うようにという、市独自の教育案の中にそういうものが今年入ってきていると言っていたが、そのような教科との関連みたいなことを位置付けながらやってくださいというか、何か特別なことを、今までとは全然別のことをやらなければいけないということではなくて、既存の教科の取組の中にもそういう視点を先生たちが持っていれば生かせるというか、その辺りがすごく大きいと思う。
【主査】 私も同感で、さっき働き方改革の話しが出た。だから、自殺予防教育だ、新しいことをやりましょうと出していくとプラスアルファとなり、負担になっていく。そうではなくて、今やっていることの意味付けをきちんとしたらどうか。兵庫県も、中学生は心の危機、高校生の方は心の病というように出している。そして、保健体育の保健の授業で1コマ必ずそこは触れる。保健体育の先生と養護教諭、可能であればスクールカウンセラーが組んで授業づくりをしていく。
そうすると、新たにやるというよりも、今やっているところの意味付けを高校に関しては少し深めていく。それが学習指導要領のどこまで踏み込んでよいのかというような議論にもなるが、その位置付けをしっかりする。中学校も、ストレス対処というのは保健の授業の中であるので、そこをやはり保健体育の教員と養護教諭と、できればスクールカウンセラーで組んで進めていく。そうすると、授業づくりには時間と手間がかかるかもしれないが、複数の人間で1コマの授業を充実させていくという意味から考えれば負担がさほど大きくなるものではない。そうやって、例えば、社会科の中で、失業の問題や多重債務など色々ある学びを自殺予防と関連付けてやればよいのではないか。そのときに、今まで文科省が示してきた従来の自殺予防教育の安全安心な学校下地づくりはこの授業の1コマに、そして、核となる部分は、例えば、この授業のこの部分でやっているということが見て取れるようしたうえで、その中の1つとして、国が出してきたSOSの出し方に関する教育というのもここに位置付けることができるんですよというような示し方ができるとよいと思う。
【委員】 今年度県内で全部の学校から担当者とスクールカウンセラーに出ていただいて、「子どもに伝えたい自殺予防」についての話をし、指導者が自殺予防教育の意識をもって今やっている教育の意味づけをしたり、深めたり、校内の下地つくりの大切さも伝えた。そうしたら、これだったらやれそうだという気持ちを持っていただけたのではないかという気がしている。
それから、以前、性に関する教育を学校で取り組み始めたときに、保護者等から「その内容は学習指導要領の中にあるのか」という質問や意見が学校や教育委員会に多く寄せられ、学校現場がちょっと苦しんだ経緯があるので、その辺りについて、学校も少し慎重になっているところがあるのかもしれないなという気がしている。

【委員】 警察庁の報告で、中高生男子は自殺の要因として学業不振が1番に挙がっている。そのため、先生方と一緒に子供の自殺予防を考えるとき、分かる授業に取り組むことが自殺予防につながっているということを伝えるようにしている。
中学校や高校は教科担任制なので、英語・数学で授業内容を一緒に考えるというのは難しいが、特別活動や道徳などについては、学年で一緒に先生方が考えることができる。私は自殺予防教育において体験型を重視してきたが、学年の先生方と一緒に学び合って取り組んだときには、時間的には大変だったが、後でとても役に立ったという声も聞いている。その学校から他校に転校しても、そこで工夫しながら取り組んだ自殺予防教育を転勤先でも実施している先生もいる。
危機は人間誰もが遭遇するかもしれないし、学校の中でも起こる。先生方自身が自殺予防教育について、一緒に学びあい考え合うことが、児童生徒の危機の深刻化を防ぎ、未然防止の根幹とも言える。「分かる授業」を展開したり、「主体的・対話的、深い学び」を具体化したりすることに直結するのではないかと思う。
【事務局】 この審議のまとめが議論の打ち止めということではなく、今頂いた中には中長期的課題のようなものもあり、時間をかけて議論した方がいいものも、割とすぐできるようなものもあるかと思う。一旦整理をして、短期的課題と中長期的課題という形で最後のところに書いてはどうか。短期的課題については、やはり留意点を現場にお知らせするのは急いだ方がいい。残りは、中長期的課題というように整理することになるかもしれないが、いずれにせよ作成してまた委員に見ていただきたい。
【主査】 大枠として、自殺予防教育の枠組み、そして、その中での位置付けを俯瞰できるような形で示して、その上でSOSの出し方教育を実施していく上での留意点を示していくという方向。そして更に、中長期的にこれからの学校における自殺予防、自殺予防教育をどう捉えていくのかということで、出てきた意見を踏まえて今後の取組の方向性や課題等についても示していくというような方向で原案を出していただいて、またここで議論ができればと思う。
以上で審議のまとめ案についての意見交換はここまでにしたいと思う。
【事務局】 今後の会議の進め方については、本日頂いた意見を踏まえて、審議のまとめの最後の部分を埋めて、また次回お示しをして議論いただきたい。

―― 了 ――

 

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初等中等教育局児童生徒課