「心のノート」の改善に関する協力者会議(第3回) 議事録

1.日時

平成20年11月7日(金曜日)10時~12時

2.場所

文部科学省庁舎16階 特別会議室

3.議題

  1. 「心のノート」の改善について

4.出席者

委員

中西座長、上杉委員、新宮委員、中川委員、馬場委員、無藤委員、横山委員

文部科学省

徳久大臣官房審議官、高橋教育課程課長、牛尾視学官、森友学校教育官、永田教科調査官、谷田教科調査官

5.議事録

○ 事務局より配布資料の確認が行われた後、「心のノート」の改善等について審議が行われた。議事については以下のとおり。

【委員】

 まず最初に事務局から改善案についてのご説明をお願いします。

【文部科学省】

 それでは、まず、小学校の改善案について前回と変わった部分を中心に説明いたします。
 小学校低学年の基本的な生活習慣にかかわるページにつきましては、前回のご指摘を踏まえ、鼻や目、指などをきちんと見られるような形に改善をいたしております。
 社会生活上のきまりにかかわるページにつきましては、見やすさの点でバッジを減らすなどして、全体として、すっきりさせております。
 善悪の判断、人間としてしてはならないことをしないことにかかわるページにつきましては、やや明るいお化けにしたものとお化けの代わりに人間で描いたものと2案ご用意しました。
 「約束やきまりを守り、みんなが使う物を大切にする」にかかわるページにつきましては、絵の中の人物に配慮して改善を図りました。
 「働くこと」の後半のページでは、1年と2年の記入枠を分けて記入欄の充実を図っております。
 記述欄の充実にかかわるページにつきましては、シンプルさ、わかりやすさと記入しやすさの観点から改善を図っております。
 次の思いやりや親切にかかわる内容のページですが、内容項目の表現の改善を踏まえて、お年寄りや幼い人だけではなく妊婦や障害のある人を加えるなどの改善を図っています。
 「小さな親切運動」の作文が掲載されたページにつきましては、イラストを一部変更しております。
 次に小学校中学年ですが 、規範意識にかかわるページについては、発達の段階や子どもの受け止めを考慮して「こんなことをしたら恥ずかしい」と見出しを変更しております。
 「助け合い」にかかわるページは色をつける、写真を置くなどしてより見やすくしております。
 「自分をふりかえって考えよう これからの自分」というページにつきましては、配置、記入枠等を工夫し、前回より見やすくしています。
 「気持ちよくすごせるきまりやマナー」というページにつきましては規範意識にかかわるページに比べてより子どもの自発性、自主性を強調する方向で、現行ページの改善案をお示ししています。
 次のページは、中学年において早寝、早起き、朝ごはんの要素を位置づける観点などからの部分修正をお示ししています。
 次のページにつきましては、内容項目が「正しいと思うことは」が「正しいと判断したことは」に改訂されたことに伴って、構成を調整したものです。
 次に高学年になります。
 規範意識にかかわるページにつきましては、修正案を出しております。
 次に、社会の一員としての自覚にかかわる内容のページにつきましては、写真の配置等の工夫をさらに図っていきたいと考えております。
 次に「自由」「自律」「責任」にかかわるページにつきましても今回の改訂の趣旨を踏まえ、全体的に「自律」と「責任」の内容をしっかり位置づけて改善を図っております。
 1枚めくりますと、道徳の時間の記録ページということになります。最後の1枚は高学年の生活習慣で、早寝、早起き、朝ごはんについての記述を充実して示しています。

【文部科学省】

 それでは、中学校について説明いたします。
 先生方のお持ちの資料、資料1-1の最後のページに中学校の冊子用のページ進行表がございますので、それとあわせてごらんいただければというふうに思っております。中学校版の改訂は今回が初めてということになりますけれども、今回、お示ししておりますのは、それぞれの内容項目については基本的にこれまでのものをベースにしながら、それぞれ今回、重点的な課題と言われているものを中心にしながら、そういったものを項目間を通すような形でそれぞれ配置しておりますので、その部分についてだけご説明をさせていただくような形に基本的になろうかと思いますので、ご承知おきいただければと思っております。
 まず、生命尊重にかかわる内容のページですが、前回の会議におきまして全体に詩の文章が冗長ではないかというご指摘をいただきましたので、唯一無二の存在であるということと、自他の生命の尊重に関することをしっかり押さえる形で簡潔にまとめました。
 また、生と死について考えようという部分につきましては、箴言を修正するなどの改善をしています。
 次の自立心や自律性にかかわる内容のページにつきましても、文章を簡潔にするなどの改善を図っております。
 規範意識にかかわる内容のページにつきましては、が「一人ひとりが厳守すべきものがある」ということで、福沢諭吉の「ひゞのおしへ」、そして「什(じゅう)の掟」というものを載せながら、その意味するところを解説をするような構成にしております。
 また、中学生の発達の段階等を踏まえて、例えば「うそをついてしまったとき、そのことが『いつまでも気にかかる自分』がいるのはどうしてだろう」ということで、子どもたちに思考を促すような問いかけを出しています。
 次に社会参画にかかわる内容のページですが地域のお祭りへの参加、あるいは災害被災地域でのボランティア活動、バザー、交通安全の運動、清掃活動、職場体験、施設への訪問といったような形で、社会がみんなのことを待っているという形を示すとともに、社会参画することによって子どもたちも成長できるということも押さえた改善案としております。
 「日本人としての自覚をもって、真の国際人として世界に貢献したい」というページですが、文化財、歌舞伎等々、あるいはオリンピックの写真等を盛り込んでいます。今後、ノーベル賞の授賞式なども追加したいと考えております。
 続きまして、人間関係にかかわる内容のページにつきましても、前回文章が冗長ではないかあるいは、小学校の高学年の発達の段階等について重なりがあるのではないかとのご指摘がありましたので調整しております。
 また、「感謝」にかかわる新しい内容項目に対応するページについてでございます。前回の会議でたくさんの人の写真が載っている改善案をお示ししたのですが、こういう写真を見ても具体的に自分自身に投影させて、感謝の心を思い浮かべることは難しいのではないかというご指摘をいただいたので、例えばチューリップの花であるとか、一言書きの手紙から感謝ということにかかわって考えていこうという改善案をお示ししております。
 そしてまた、道徳の時間の活用を意識したページを増設するということで、それにかかわる改善案をお示ししております。
 また、この会議で新しくお示ししている「私の自我像」につきましては、現行の「心のノート」にも既にあるページですが、記入欄と取り扱う学年を工夫しています。この「私の自画像」は、自分が考えたり、思ったりしていることを言わばポートレートとして描いていくものです。これまでは中学校1年の最初と中学校3年の最後にこれを持ってきておりましたが、学校で実際に使用されている先生方からご意見をいただきましたところ、担任が1年ごとにかわるということが多いため、各学年での道徳の時間の導入、あるいは特別活動の時間等において使うことがあるということでしたので、1年、2年、3年と各学年毎に記入することができるようにしております。
 また、「コミュニケーションは心のキャッチボール」につきましても、これまでの「心のノート」にあったものですが、情報モラルにかかわる改善を図っております。

【文部科学省】

 最後に規範意識にかかわる内容のページについてでございます。前回会議におきまして発達の段階を踏まえて表現の工夫ができないか、あるいはもう少し学年が上がるにつれて考えさせるようにするといった手当ても必要ではないかといったご意見もいただきました。
 そのようなご意見を踏まえまして、今回、表現上の工夫等させていただいておりますが、低学年につきましては基本的に前回と同じでございますが、「してはならないことがあるよ」ということで見出しをつけて、お化けの絵をかいております。中学年につきましては「こんなことをしたらわたしははずかしい」といった形で、より内面に訴えるような見出しにしております。高学年では「なぜしてはいけないのだろうか」ということで、考えさせる側面を強くしております。中学校につきましては、「多様な価値観をもつ、さまざまな人々が共に暮らす社会。だからこそ-一人ひとりが厳守すべきものがある」といった形で、発達の段階を踏まえた表現ぶりに改善いたしました。
 さらに小学校中学年以降につきましては、発達の段階を踏まえ、子どもたちに投げかける問いを工夫しながら、問いに対する記述欄を設けております。
 中学年では、「まだまだあるぞ。どんなことかな」ということで、子どもたちが考え記述する欄を工夫しております。
 また、高学年につきましては、右下の欄でございますが、「人間として生きていく上で、してはいけないことはしないという思いが、すべての人に必要なのです。それはなぜでしょうか」といったことで考えさせる。
 さらに、中学校につきましては先ほども説明申し上げましたが、例えば「うそをついてしまったとき、そのことが『いつまでも気にかかる自分』がいるのはどうしてだろう」ということで、より自律的に考えられるような問いを投げかける。そのことを通じて、こういうことはしてはいけないということをより深めてもらうというような構成にしています。
 さらに、低学年につきましては、お化けの目の様子を変えるなど印象をやわらかくしてお示ししております。さらに、お化けの絵とは別に人間の絵もつけております。これらにつきまして、どちらがより適切であるのかについてもご議論いただければと思います。

【委員】

 「してはならないこと」というものを明確に伝えるということ自体は非常に良いことだと思っていますが、「してはならないこと」というのは、いわば「消極的道徳」であり、「こういうことをしなさい」というのは「積極的道徳」だと思います。
 つまり、「うそをついてはいけない」ということと「正直であれ」という対比があるわけです。もう少し「積極的道徳」にいきなさいよということは、もちろん他のページにあるのですが、ここでも何か一言入れられないかという感じがあります。 私が小、中学校の現場で、特に最近感じるのは、例えばいじめにかかわる 指導方法が普及、浸透してよくなってきたと思うのですが、その弊害のようなものもあります。例えば人とかかわらないほうがいいとなってしまっているのではないかと思うのです。例えばいじめられやすい子にかかわると色々と面倒なので、なるべく近寄らない、話をしないとなってしまって、気の合う子同士だけでやっていくというところもあるわけです。
 ですから、「いじわるをしてはいけないよ」ということで、いじわるをしないのはもちろん大事ですが、その一方で、今度は一切かかわらなければトラブルも起きないということになることもあるわけです。
 それから、悪口を言ってはいけないということについても、小学校では非常に指導が行き届いている感じがあるのですが、今度は正当な批判もしなくなってきます。例えば誰かが発表したことについて意見を言いなさいという時に、立ち入ったことを言ってはいけないということがすぐ出てくるわけです。
 ですから、もちろん悪口を言ってはいけないのですが、人のためになることはするということが大事だと思いますし、小学校高学年あるいは中学生になれば世の中のために頑張ろうとか、正義を実現しようとか、そういうことが必要だと思います。 他のページとの関連もあると思いますが、そういうことが1つあります。
 それからもう一つ、例えば低学年のお化けの次の子どもの挿絵は非常にいいのですが少しで気になるのは、例えば鉛筆を盗っている女の子の目つきですが、別に悪いことをしている子では無いのですが、本当にいそうな感じなのです。ちょっと目が寄っていたりすると、からかわれます。あと、高学年のの改善案で人を脅して何かしようとしている人の服装や髪の色についても、そういう人は暴力を起こすみたいな感じが あるので、そこについては配慮が要るのではないかと思います。

【委員】

 今の「積極的道徳」に関する御意見ですが、これは全体的なバランスの問題だろうと思います。ここでは「してはならないこと」を押し出して、他の部分でバランスをとっていくということではどうでしょうか。教師用の手引きにおいてもそのことはしっかりと書き込んでおくことが大切なことかなと思います。
 前回の改善案に比べますと、全体的には、随分「心のノート」の趣旨が生かされてきたように思います。

【委員】

 規範意識にかかわるページですが、学校現場でも、例えば高校生が廊下を走って命を亡くしてしまった、小学生が天窓から落ちてしまったという事件がありますが絶対してはいけないことをしているのです。学校でそういうことを注意すると、子どもは「なぜ?」、「どうして?」と聞くんですね。「どうして?」と聞くのも大事ですが、やはり「してはいけないことはしてはいけない」ということをしっかり教えることが今大事だと思うのです。
 それで今回お示しいただいた改善案を拝見したところ、中学校が一番しっくりときましたが高学年が一番気になります。中学校は「いつまでも気にかかる」という言葉があります。それから、中学年は「はずかしい」という言葉があります。ところが、高学年は「なぜ」というのが前面にきているのです。「なぜ」というのは理由です。ここでは理由ではなくて、心に訴えた方が良いと私は思います。

【委員】

 今の心の重要性に関するご指摘をどこかで生かしたいという気がいたします。私は「なぜしてはならないのか?」と聞かれると、人間としてしてはいけないからだと答えます 。ですから、人間としていう観点がどこかで出てくれば、今のご意見も吸収できると思います。

【委員】

 原案の中学年では「人間としてはずかしい」という表現をしていましたが、発達段階を考え、「人間」をとりました。そして、「わたしははずかしい」という表現にしています。高学年の場合もこれを受けて、「人間として」という表現をどこかで生かしたらどうかと思います。そうすれば、「なぜ?」に対応するものが出てくると思います。
 中学校の「どんな時代にも共通の規範があった」という表現は非常に適切だと思いますので、できればもう少し大きくした方が良いと思います。

【委員】

 前回の会議の中で様々な問題が指摘されましたが、今度の改善案ではほとんどが生かされていて、全体的に非常に良くなったという印象を受けています。
 気になるのは、先ほどのご指摘にもありましたが、いろんなものを用いて総合的に道徳を子どもに教えていく時に、その一部として「心のノート」があるとした場合に、 「心のノート」を通して文部科学省が伝えたいことが全体像として先生方につかめるようなものが必要ではないかという気がいたします。
 また、これは今回のノートにはあまり関係ありませんが、どうしても気になってしまうのが随所に「人として」とか、「人間として」と出てくることです。 ですから、全体の生物の中の「人」とは一体何なのかという、生物倫理みたいなものを少しでも考えられる余地があればいいなと思います。

【委員】

 例えば、自由、自律、責任について教える時に、その考え方があるところでぽっと出てくるのでは仕方がありませんので低学年からそれに沿ったやさしい言葉の同じ内容の教育というものがあるべきだというご指摘かと思います。ですから、教師用手引きを作る際に、先生方の心がけとしてそのようなことを配慮していただくということで、ご意見を踏まえながら工夫していく必要があると思います。

【委員】

 「人としてしてはならないことをしない」という部分について、冒頭にご指摘がありました。
 「心のノート」はこれまで、基本的には、積極的に子どもたちに推奨する生き方を示す方向で考えてきたつもりでおりますが、今回の改善にあたっては、昨今の子どもたちをめぐる状況から、してはならないことがあるのだというところを全体のバランスの中で提示することもあっていいだろうということを確認しながら検討を進めてきました。
 したがいまして、改めて全体を見ますと、その点についてのバランスとしては特に問題はないという理解をしております。
 それからもう一点、私は、低学年の作業をしたのですが、「人としてしてはならないこと」の「お化け」についてですが、人でないのは一体何なのかというところで「お化け」という発想が出てきたのです。 低学年のワーキンググループでも、お化けの図柄か子どもたちの図柄か、どちらがいいのかをかなり検討をしてまいりました。
 ワーキンググループの結論は、実際の人物が出てくると、かなり抑制的に書かなければならないので与える印象の強さというのは逆に薄れてしまうが、お化けなら表現の可能性が広がるというものでした。したがって、このページは「お化け」ではどうかというのが低学年のワーキンググループの提案です。

【委員】

 お化けの問題ですが、日本では古くは心の鬼という言葉がありました。『源氏物語』にもたくさん出てまいります。それがすべての悪い働きをするというものです。まさに心なんですね。私はこのお化けをその心の鬼だと考えました。ここでは心の中に宿っている陰りのようなものとしてこのお化けを学校の先生方に説明していただくということにしてはどうでしょうか。

【委員】

 小学校低学年の4ページに「時間をまもる」とあります。一般的には時間を守ると言いますが、正しくは「時刻をまもる」でしょう。時間と時刻という使い分けの問題を低学年では、どのように考えたらいいのかという問題があります。

【委員】

 ここはニュートラルな「時間」という概念を指しているのではないでしょうか。「時刻」ではなく「時間」というそのものの決まりを守ろうということだと思います。具体的な時間となると「時刻」となると思いますが、ここは「時間」で良いのではないでしょうか。

【委員】

 中学年の「『合い』の力で・・・」というタイトルのページですが、タイトルの下にある「学び合い」「ささえ合い」「助け合い」というのがあるからこそ、「『合い』の力」という言葉に集約できるので、これは上下の順番を逆にしたほうが良いのではないでしょうか。「学び合い」「ささえ合い」「助け合い」が前面にあって、結論としてこのような大きさで「『合い』の力」でつなげようということのほうが、子どもの思考段階に合っていると思います。これはタイトルとして上に出ているのですが、いきなり出てくると、この「『合い』の力」とは何だろうと思いますので、工夫をした方が良いのではないでしょうか。
 「自分のよいところはなんだろう?」というページがありますが、「自分のよいところは・・・」というと「なんだろう?」ではなく「どこだろう?」になるのではないでしょうか。「自分のよい点はなんだろう」で良いのではないでしょうか。
 最後のページの左側に「あいうえお」とございまして、そこにずっと言葉が「いろはがるた」のような格好で書いてあります が、「え」のところだけ、「えいっ、力いっぱい」というのは無理をえいとばかりにこじつけたみたいな感じがしますので、「いろはがるた」にすることも無いのではないでしょうか。
 「あぶない」とか、「うそ」とか、「お年より」とかいうのはわかるのですが、どうも「え」を「えいっと力いっぱいのスピードで下り坂を自転車を競争するような人」とするのは果たしてどうだろうかと思います。
 最初の「あ」の「あぶないことを、『弱虫。』と言われたくなくてやった人」というのも「弱虫と言われたくなくて危ないことをやった人」というほうが、言葉としてはるかにわかりやすいです、そのあたりについて、少しお考えいただけないかという気がいたします。

【委員】

 中学年の「きまりやマナー」にかかわる内容のページですがきまりとマナーの区別というのはこのようにくくることでよろしいのか、むしろその違いに敏感になるのかというあたりで、若干迷いがありますので、その点を御検討いただければと思います。

【文部科学省】

 このページでは、左側を主に学校、右側を主に地域という場面を設定していますが、きまりとマナーは重なっていることも多く、峻別というところまでは確かにいってないところもあります。

【委員】 

 例えば、左側にきまりの系列を置くとして、それに対してどういうキャプションが必要か、一方、マナーにどういうキャプションが必要かということの整理がしっかりとできていればいいと思いますので、ご検討いただければと思います。

【委員】

 高学年の改善案には、幾つか詩が入っているのですが、横書きが多いので、少し読みにくいのという感じました。

【文部科学省】

 詩の内容については前回のご指摘を受けて、中学校との表現の重なりを減らして、絞り込んでおります。また、現行の「心のノート」の記述の多くが横書きになっているので、それをそのまま踏襲した形になっているというのが実際のところです。さらに、このページは横に広がりのある空の写真を掲載しているので横書きの方がいいのではないかということで検討を行いました。

【委員】

 左開きでもありますし、こうなるのでしょうが、なかなか日本語自体として悩ましいところです。縦書き、横書きの問題はよろしいでしょうか。
 私はご指摘の詩の中に「しまう」という言葉がたくさん出てきているのが気になっています。
 中学校の改善案の「生命尊重」にかかわる内容のページについてですが、「唯一無二」という言葉は果たしてなじんでいる言葉なのでしょうか、例えば「かけがえのない」とか、いろんな言い方ができると思います。あまり皆さんが気にならないようでしたら良いのですが、私はそう思いました。
 次に「生命尊重」にかかわる内容のページですが、もう一つ、中学生の発達段階として何をどういうふうに与えるのが適切なのかということが私は気になっています。「生と死について」とありますが、むしろ死と生というものを対立的に考えないという考え方が日本人には伝統的にありますので、このような形で絶対的に一つの真理だという形で、中学生に一つの考え方を与えるということは、前途をふさいでしまうような気がしているのですがいかがでしょうか。
 最近は例えばモーツァルトの音楽を聞かせると植物がよく育つとか、あるいはおなかの中で赤ちゃんが音楽を聞いているとか言われますし、最近は喜びとか悲しみをグラフで表現するような科学者も出ております。そういうことから見れば、死というものが全く死の存在で、生は有限と考えるだけが一つの考えではないような気もしますので、もう少し緩やかな日本人がDNAの中に持っているような、死を包含したような死生観、生命観といったものがここに出るのが良いのではないかという気もいたしております。

【委員】

 ここでは、生きがいを見つけようとするような生き方に誘いたいという思いがあります。また、ただ時間の流れの中にいるだけのように見えてしまう子どもたちにそうじゃないよということをメッセージとして送りたいという思いがあります。
 それともう一つは、死ぬなよということを言いたかったのです。死はいずれは来るのだけれども、自ら命を絶つようなことがあってはならない、命はもっともっと大事なものだということをここで伝えたいのです。

【委員】

 「してはならないこと」の一つとして、自ら命を絶つというのを入れたいぐらい大事なことですね。ですから、キリスト教は自殺を禁じております。
 一方で、仏教は生を完全に凍結して、死を賛美します。ですから、極楽往生や来世というものがあるというのですが、それが日本に入ってくると逆になって、薬師如来信仰のように生を救済しようとするのです。
 死を救済するのは阿弥陀様ですが、それが逆転して生を救済しようとする信仰に変わったのです。  やはり生きることを避けてはいけないというのが人間の尊厳さだと思うのですが、そこをもう少しここで出せたらと思います。
 例えば『徒然草』では、死というのは満ち潮のようなもので、気がつくとひたひたと侵しているものだとか、満月だけではなく欠けた月もいいのだとか、散りかけの花がいいのだとか、どこかに死をインクルードしたような生を常に言います。

【委員】

 ここで言っているのは大体生物学的な死なのです。 生物学的には確かに一つの個体とすれば有限であって、消滅すればそれで終わってしまいますが、生物学的に子孫を残すという形で考えれば、生命は無限につながっていくわけです。
 それは他の人間以外の生物もみんなそうなのですが、ただ、人間だけにあるのは文化だと思うのです。人間が生み出した文化は残っているわけです。例えば、アルタミアの洞窟の絵画もそうですし、『源氏物語』を読んですごく感動するのもそこだし、そういうものが人間特有の一つのつながりとしてあるのです。

【委員】

 今の「心のノート」に偶然性と有限性と連続性という言葉が書いてあります。個体の存在はたまたま偶然ですよという面と、それからそれ自体が1回切りで終わりますよという面です。しかしそれは個体としては消滅するという非連続的なものであるにもかかわらず、命というものはずっと連続しているという面も書いています。単細胞のところからずっとつながっているということを示しているページがございます。 私が中学生に出したいメッセージは、「そう簡単に死ぬなよ」とか、「そう簡単に殺すなよ」といったものなのです。そういったメッセージを伝える上でより適切なものがないか検討してみたいと思います。

【委員】

 「命」について教えるという時には、「人間というものは何か」という究極のところが、そこにあるのだろうと思います。まさに動物にはなくて人間にあるものを表現するのは極めて難しいと思いますが、教える側の先生が生命とは何かということを改めて考えなければならないと思います。人としてあるべきこと、人としてなさなければならないこと、なすべきことといった時には、人は他の動物とは違うということを前提にしているのです。人であるということを強調する時には、そこのところがやはりあるべきだろうと思っています。ここでお示しいただいた内容については特に大きな問題はないと思いますが、このようなことを教える時には先生の持っているバックグラウンドというか、そういったものが必要で、数学を教えるとか、国語を教えるのとは違う難しさがあるのではないかと感じています。

【委員】

 中学校の「自立、自律」にかかわる内容のページの写真を見ると、私は東山魁夷の『道』を連想してしまいますが、このページのメッセージには「人間はみな、発見の航海の途上にある探求者である」とあります。これを素直に受けますと、村井実の「学習者は航海者である」ということで、船出などの海の写真の方がしっくりくるのではないかというイメージがありまして、選択肢の一つとして考えてはどうかなと思いました。

【委員】

 海の写真ですか。

【委員】

 ええ。

【委員】

 私の方でも色々な写真を検討してみましたが、なかなか、ここは難しいですね。

【委員】 

 例えば詩の中で人生を「たび」と読ませるというところは国語的な観点からいって問題はないのかということなどは一応検討しておいたほうがいいかなと思います。

【委員】

 社会参画にかかわる内容のページには「社会がみんなのことをマッてました!」とあります。私も共鳴したんですが、「みんなのことを」という「ことを」と言っているのは何を指しているのかがはっきりしない。みんなの心の成長を待っていましたという意味なのでしょうか。私はそう理解したのですが。そういうメッセージをしっかりと送った方が良いのではないでしょうか。

【委員】

 私は「あなたの参加を」とか「あなたの登場を」という意味に理解しました。

【委員】

 そうすると参画を「こと」とした方が良いでしょう。

【委員】 

 やはり「こと」というのが気になります。

【委員】

 「こと」をとった方が文章が成り立つのではないでしょうか。

【委員】 

 「社会がみんなを・・・」ですか。その方がいいかもしれません。

【委員】

 「感謝」にかかわる内容のページですが、これはまだ「有り難い」という言葉はあることが難しいという意味がひいてありますが、「ありがとう」というのは言葉の理屈を超えて、もっと体感的なものです。ですから、下から3行目はとっていただきたいような気もします。「そんな人々の自分に向けられた善意が自然とわき上がってきたんだ」で十分だと思いますが、いかがでしょうか。

【委員】

 この「有り難い」と「滅多にない」をとって、「そんな人々の自分に向けられた善意が心の贈り物だと気づいたとき自然とわき上がってきたんだ」というほうがいいかもしれませんね。

【委員】

 それでは、予定の議事はおおむね終わったと思います。ここで一段落ということにいたしまして、この後の作業は事務局、私並びに各ワーキンググループの主査にお任せいただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。この会議につきましては、今後、必要のあるときに改めてまたご参集いただくということにいたしまして、一応当初の予定の会合はこれで一段落というふうにご理解いただけたらと思います。お忙しいところありがとうございました。

(机上資料)

○「心のノート」の改善に関する協力者会議(第2回 配布資料3)
○小学校学習指導要領(平成20年3月告示)
○中学校学習指導要領(平成20年3月告示)
○小学校学習指導要領解説 道徳編(平成20年6月)
○中学校学習指導要領解説 道徳編(平成20年7月)
○「こころのノート」(小学校1、2年)
○「心のノート」(小学校3、4年)
○「心のノート」(小学校5、6年)
○「心のノート」(中学校)
○「心のノート」 小学校 活用のために
○「心のノート」 中学校 活用のために
○「心のノート」 活用事例集

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課