子どもの徳育に関する懇談会(第12回) 議事要旨

1.日時

平成21年9月3日(木曜日)14時~16時

2.場所

ホテルフロラシオン青山 クレール

3.出席者

委員

(委員)
鳥居 泰彦 座長(日本私立学校振興・共済事業団理事長)
大野   裕 委員(慶應義塾大学保健管理センター教授)
押谷 由夫 委員(昭和女子大学教授)
加倉井 隆 委員(江東区深川第一中学校長)
河合 優年 委員(武庫川女子大学教授)
小泉 英明 委員(独立行政法人日本科学技術振興機構社会技術研究開発センター領域総括)
坂口 一美 委員(社団法人日本PTA全国協議会理事)
馬場喜久雄 委員(財団法人総合初等教育研究所室長)
平野 啓子 委員(語り部・かたりすと、大阪芸術大学放送学科教授、武蔵野大学非常勤講師)
森   隆夫 委員(お茶の水女子大学名誉教授)
森田 洋司 委員(大阪樟蔭女子大学学長)
山田 昌弘 委員(中央大学文学部教授)
鷲田 清一 委員(大阪大学学長)
渡辺 久子 委員(慶応大学医学部小児科講師)

文部科学省

金森初等中等教育局長、德久大臣官房審議官、坪井官房政策課長、高口男女共同参画課長、
伯井教育課程課長、磯谷児童生徒課長、有松企画・体育課長、池田青少年課長、
岸田生徒指導室長、塩川児童生徒課課長補佐

 (国立教育政策研究所)
大槻国立教育政策研究所次長

オブザーバー

天野保育指導専門官(厚生労働省雇用均等・児童家庭局保育課)

4.議事要旨

(1)開会

(2)議事

 「審議の概要について」

 ※事務局より、資料の確認及び資料の説明。その後、資料について議論。

【鳥居座長】

 この懇談会の報告の案を7月6日の会議で既にご了解いただいているが、審議の概要を公開するとともに、関係団体に書面で意見聴取を行った。その結果を踏まえて審議の概要に修正を加えたものが、本日お配りしてある資料、報告(案)である。前回座長一任をいただいたので、これでおしまいでもよいが、念のために皆様のご意見を伺い、かつ最後でもあるので、いろいろとご意見、ご感想をお伺いするためにお集まりいただいたという趣旨である。それでは、まず資料の説明を事務局にお願いしたい。

(事務局から資料の説明)

【鳥居座長】

 ありがとうございました。先ほども申し上げたが、前回の7月6日の第11回の会議において、お示しした審議の概要について皆様にご審議をいただき、最終的に座長一任ということでお願いした。会議の後、委員の皆様からのご意見を事務局にいろいろと改めていただき、そのご意見も踏まえ、文章に反映できるご意見はできるだけ反映するという方向で審議の概要を修正した。

 8月10日に公表するとともに、関係団体から先ほど資料2でお示ししたようなご意見をいただいた。いただいたご意見で反映できる意見はできるだけ取り入れるという形で文章を整理したものが、本日今お示しした資料3の報告(案)である。もう一度繰り返しになるが、一応座長にご一任いただいたが、2度そういうわけで皆様のご意見をさらに伺ってまいった。

 本日は、前回座長にご一任いただいているので、最終報告ということでもよいが、せっかく審議を続けてきたので、ぜひ委員の皆様からご意見を伺っておきたいということでお願いしている。今日は委員の皆様お一人お一人から最終的なご感想、それぞれのお立場から今後どのような取り組みが必要であるとお考えになるか、さらにご意見があればお述べいただいて、記録にとどめて事務局のほうで今後の参考にしていただくということにしたいと思う。よろしくお願いいたします。

 どんな意見でも結構なので、順番にお一人ずつお願いできれば幸いである。

【大野委員】

 突然ご指名いただいたが、この会に参加させていただき、いろいろな先生方のご意見を伺えてとてもよかったと思う。

 1点だけお伝えしたかったことがある。どうしても徳育というと、何かを教えるとか場を設定するということに話が行きがちだが、やはりお互いにお互いを思いやる気持ちが一番基本だろうと思う。座長先生がお話しいただいたように、困った状況を見たらさっと手を差し伸べるという気持ちをどう育てるかということで、そういった意味では、子ども同士がお互いの気持ちを理解し、手を差し伸べる環境をどうつくるかというあたりが、具体的な方策としてこれから必要になってくるのではないかと思った。

 内容的には非常にいいものができたと思っているので、そういうあたりを深めていっていただければと思う。またご協力できることがあれば、協力させていただきたいと思う。どうもありがとうございました。

【鳥居座長】

 ありがとうございました。それでは押谷先生、どうぞ。

【押谷委員】

 いいまとめができていると思うが、ただ、気になるのは政権交代ということで、これがどの程度具体化されていくのかというところが関心事としてある。国民側、あるいは先生側から見れば、こういうことをやってください、道徳教育は大切ですというのは常に言われ続けているわけである。その中で、皆さんもがき苦しみ取り組まれているわけだが、それを少しでも手助けしようというのがこういう会議だと思う。

 そこで、いろいろ提案しているが、この提案に対しては財政的な援助、あるいは人的な援助、考えているというメッセージも同時に伝えていただきたいと思う。そういったことを、学校現場で考えたときに、例えば道徳教育推進教師というのが今回学習指導要領の中で提案されて、推進教師をもとにした協力体制をしっかりつくっていきましょうとある。

 それはわかるが、ただ、先生は仕事が手いっぱいであるとなったときに、道徳教育推進教師に対して加配的な形で学校現場に配慮するという方向で考えましょうとかあるいは推進教師が家庭、地域との連携においても中核的な役割を果たすというと、副校長先生的な役割も果たされるかと思うので、そのようなことも考慮すると加配に対して具体性があると思う。

 また、この報告には心のノートを重視する旨の提案がある。今ようやく8年目で、心のノートが一応認知されてきつつあるので、そのところをもっと強調したい。要するに心のノートというのは道徳の時間に使うのではなくて、学校教育全体を通しての道徳教育、かつ学校、家庭、地域連携にかかわって大切なものというとらえ方であるので、心のノートと道徳の時間で使う副読本への補助は、二本柱で考えていかなければいけない。そういったことをもっと提案していけるといい。教材の補助にかかわっては、二本柱で推進していけるようにいろいろと努力いただきたいという思いを持っている。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。では、加倉井先生、どうぞ。

【加倉井委員】

 それでは、中学校の立場からということで、学校教育として、これからどういうところを重点的に行っていくかについて話します。新学習指導要領でも道徳教育のかなめとしての道徳の時間ということであるので、まず1点は道徳の時間の充実を第一義にしたい。前にも言ったが、中学校は、どうしても教科担任制ということで、自分の教科を教えることに専念してしまうというところがある。心の目、徳育、生き方を重視した教育がこれから先生方に求められていく。その意味からも「道徳の時間」を重視したいと思っている。

 子どもがどんなに頭がよくても、その知恵を悪いことや人をだますことに使うような知恵では何もならないのではなかろうか。どんな立派な体を持っていても、どんな力があっても、悪いことに使ったなら暴力ではなかろうか。そういう原点が我々教師の中に必要なのではなかろうか。知・徳・体とあるが、これからの中学校教育では、徳を重視した教育を推進したい。この報告書では、「徳育の十分な取組は、知育・体育・食育などの、基盤となる教育が着実に実践された上で、はじめて期待できるものと考えられる。」とある。ベース(基盤)の意味が違うのかもしれないが、教育のベース(基盤)になるのは徳育ではなかろうか。特に中学校では、道徳の時間について充実していくことが大切と思っている。

 それから2つ目は、どうしても私たち教師は教え込むという感じが強い。私は数学だが、どうしても「これがこういう理屈でこうなる」ということで、知らないことを教え込んでいく形になってしまう。しかし、中学生ぐらいになると、だんだん先生、親、大人を批判をするようになってくる。それに伴って主体的な学習、自らが獲得していくことの喜び、そのような学習になってくる。科学的・学問的な疑問から、「何なんだろう、これは」ということや、大人に対しても「ずるい」とか、「自分たちだって怠けたい」みたいな弱い気持ちもあって、いろいろと葛藤している。そういう中で、「果たしてそんな生き方を自分自身で許していけるのだろう」とか自問自答しつつ毎日を送っている。そういう時期に、教師の立場として、子どもと一緒に考えていくというか、子どもと一緒に悩みながら、教師自身の生き方を示していくことが、この時期の本当の教育なのではなかろうか。それが、教師自身の質の向上になるし、これからは、そういう面にも目を向けていく必要がある。教えるというより一緒に学ぶというところが、徳育を進めていく上で大事な点と思う。また、教師・生徒が一体となった活動は、ボランティア教育や教育環境の推進にもつながる。中学校教育での教師の姿勢というところかと思う。

 それから3点目は、地域ぐるみということで、学校だけで徳育といってもだめなのだろう。家庭はもちろんであるが、この提言にも載っている、それこそ地域と一緒になって子どもを見守っていくというか、育てていく環境づくりが大切であると思う。その中で、郷土愛であるとか郷土の文化みたいなものともかかわってくる。学校が、地域と一緒になって活動し、文化や伝統に接し、子どもに、その地域・郷土を愛していく気持ちを培っていきつつ、子どもの徳育を育んでいきたいと思う。

 1つは、道徳の時間の充実。これを重点的にやっていきたい。2点目は、教師の資質というか、中学校という時期に際しての教師の姿勢、生徒への接し方もこれから改善していくべき点である。3点目は、地域と一緒になって、地域に根差した教育、地域と一体になった教育活動の推進です。これらを、これから中学校として推進していくことが大事だと思っている。

【鳥居座長】

 ありがとうございました。それでは河合先生、お願いします。

【河合委員】

 私のほうからは、2点意見というか、お話をさせていただきたいと思う。1点は、発達心理学をやっている者として、発達の段階がこういう提言の中に盛り込まれたということは、非常に大きなことであると思う。特に、徳育ということから言うと距離がある赤ちゃんとか幼児期の関係性が、大人になってからの人と人とのありよう、関係のありようと非常に関係しているのだとこの中に盛り込んでいただけたということは、非常に意味があったと思う。

 発達の最近接領域という考え方だが、子どもが今自分ではできないけれども、だれかがそれを少しだけ手伝うとできるようになるという部分を私たちがいつも考えながら、物事の判断とか人に対する思いやりを子どもたちに与えることができるといいと思う。

 2点目、この資料を事前にいただいて読ませていただいた。その中に1点だけ、もし可能であれば10の提言を束ねるようなもう一つの大きなものが示されるとよい。私が思っていたのは、この中に大人というのが出てこない。私どもは、例えば「大人が示そう子どものモデル」と言っているわけだが、大人自身が夜遅くまで平気で起きているとか、電車の中でこういうものをみんなの前で見ていいのかなと思うような新聞、タブロイド紙とか雑誌を平気で見ている。私たち自身そういうことを子どもたちに言いながら、ではあなたはどうですかと言ったときに、まずするべきは私たちではないか。

 だから、大人がまず子どものモデルとなるように努力して、10の提言がその具体のもので、何をするべきかということのイメージとして挙がるといいのではないかと思った。まず自分たちが範を示すことから始まると思った。ありがとうございました。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。それでは、小泉先生からお願いします。

【小泉委員】

 まとめるのが大変難しいテーマを、このようなよい形にまとめてくださって、個人としても大変感謝している。そして、さらにこれから先が大変と言うか、大事になってくると思う。今回、まだ時期が熟していないので、十分に中に盛り込む段階には至っていなかったけれども、このような問題をサイエンスの視座から考えていくことが、これから必要になるかと考えている。特に、進化生物学とか発達認知神経科学を踏まえた視座が大切だ。今、「脳科学と倫理」という領域が、世界の一つの潮流としてやっと産声を上げつつある。脳を研究する倫理のみならず、倫理や道徳の観念が、脳のどのような神経回路によって生成されるかという問題である。また、そのような神経回路は、幼児期にどのように形成され、成人のどの時点で定着するのか、あるいは可塑性が残り得るのかという視座である。

 ちょうどこの懇談会が始まった1年ほど前から、倫理や規範の脳科学に関する国際会議の準備を進めてきた。エトーレ・マヨラナ財団というイタリアの科学文化財団が、このテーマを中心に5日間の国際会議を開催することを決定し、この8月に実施した。私も、ディレクターの一人としてお手伝いしてきたが、結果は成功であったと考えている。その中で今見えつつあるのが、「社会規範」から「生存の規範」へというパラダイムシフト。環境問題、文化や生活、人間の尊厳など、すべてを含めて人間が地球上で生きていくための規範を考えていく。

 なぜそういう会議が可能になってきたかと言うと、徳育の中でも大変重要な「温かい心」「思いやり」「志」など、脳の中で実際にはどんな神経回路が動いてこういう心を生み出しているかが、やっとこの数年の間に少しずつ具体的に見えてきたからである。

 もちろんすべてがサイエンスで解決できる訳ではないが、神経科学的な脳の働きが理解されてくると、具体的に明らかにされた「生存規範」というものを、子どもから大人まで多くの方々が、得心のいく形で受け入れることが可能になるかもしれないと考えている。我々はこうあるべきものだというものが論理的な基盤の上につくれる可能性があるのではないかということで、今回のイタリアでの国際会議は大変に白熱した。将来、そういうものにこの報告書がつながっていくと、大変うれしいと考えている。

 それから1点だけ申し述べたい。それは、最後のところに資料としてまとめてくださっている内容である。1から順番に並んでいる参考資料の意義については、私もまさに同感であるが、ただ、儒学系の思想がいささか多いように感じる。武士道関係も儒学との関連が深い。また、旧約聖書の例を紹介してあるのは、これはユダヤ教から始まりキリスト教、回教全体にも共通するので幅広い。ただ、仏教の視点については、私が拝見した範囲では資料のなかで気づかなかった。例えば、十善戒あたりは資料として適切ではないか。不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪険である(巻末資料としては、分かりよく言い換えた方が良い)。私は、特別な宗教はもたないが、古くからの宗教については尊敬しており、徳育とは切り離せないと感じている。

 全体としては大変すばらしくまとめてくださったと深く感謝している。ありがとうございました。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。それでは坂口委員、お願いします。

【坂口委員】

 私はPTAの立場で出席しておりまして、今回徳育の有識者会議で議論していただいた内容は、本来は家庭の中で培われてこないといけないものであって、今までの長年の時代の中で、親から子へ、子から次の世代へと引き継がれてきているものであるはずで、家庭の中でしっかりと子どもが徳育、道徳といったものを身につけていかないといけない。けれども、それが現代の社会の中でなかなかできていないというところで、先生方にいろいろ議論いただき、こういった報告書という形でまとめていただき、ほんとうにありがとうございます。

 家庭の中の教育力が落ちているとか、地域の力が落ちていると私自身はそんなには感じていない。ただ、伝統文化を引き継ぐということが非常に手薄になっているし、世代間交流みたいなものが実際になく、そういったものが引き継がれていない社会であるということは非常に感じている。

 そういった中で、私は自然のうちに子どもたちがそういったものを身につけていくのではないかと思ってきていたが、今回この会議に出席させていただいて感じたことは、やはり子どもというのは、真っ白な状況の中で発達段階に応じてある程度強制して、いろいろなものを身につけさせることが必要だということを改めて考えさせられる機会となった。具体の発達段階ごとの取り組みというか、かかわりがどんどん形になって報告書の中にあらわれてきたときに、目からうろこのような状況になった。

 だから、教育というものはある一定の強制力も必要であり、教え込む時期もあって、それで子どもたちの中にいろいろなものが芽生えてきて、自発として自分自身の自己を形成していくのだと感じた。

 そういったことを、今度どういった形で保護者の中に啓発していくかということが非常に大事で、いろいろな文科省の取り組みの中で、地域支援本部とか家庭や学校を助けていただくシステムづくりをいつもしていただくが、それを保護者、学校、地域の中に具体に展開していくときに、なかなか落ちていっていないという現状がある。

 いろいろな団体からのお話にもあったが、直接保護者にどうやって落としていくか、それから保護者に向かっての啓発活動をどうやっていくかというところが今後の大きな課題になっていくと思うので、私も団体の代表として来ているので、それを具体にどうするかというところを共同してやっていかないといけないと痛感している。

 徳育は自然のうちに身につくものではなくて、きちんと教えていくことが大事であるということを、今回の会議を通じて非常に感じた。ほんとうにありがとうございました。今後立場の中で、どんどん先生方のご意見を広く伝えていく役割を果たしてまいりたいと思っているので、どうぞよろしくお願いいたします。

【鳥居座長】

 ありがとうございました。それでは続いて、鷲田先生からお願いします。

【鷲田委員】

 徳育という問題について、私たち、それこそ大人が集まってどう充実していくか、進めていくか考えるときの出発点というか基本は、子どもは大人、あるいは年上の先輩を見て育つという1点。子どもというのは、大人の二枚舌、口先だけの発言、建前と本音を使い分けるといった偽善にこそ一番敏感だと思う。

 つまり、先ほど河合委員もおっしゃっていたが、大人が携帯、IT、お金、時間をどう使っているか、テレビとどうつき合っているか、近所の人ときちんと協調できているのか、不具な人に対してもきちんとした思いやりや尊敬心を持っているか全部子どもは見ていて、あの程度でいいのかとか、ああしないといけないのかと大人を見て学ぶわけだと思う。学力で言った場合に、両親は自分たちの学力、偏差値の平均値以上を求めてはいけないのと同じで、子どもたちに自分たちの特性、品位以上のものを絶対求めてはいけないと思う。

 そうすると、結局徳育の問題は、一にそのまま子どもたちが見ている大人たちの特性、品位をどこまで上げるかという問題である。つまり、大人の側の問題であると思う。そういう意味で、先生に任せるのではなくて家庭、あるいは地域が総がかりで、大人たちがみんなで子どもたちの徳性をはぐくむ教育にかかわるべきだという点で、この懇談会では意見の一致を見たのだと思う。

 そう考えると、私はこの中で今回も意見を言わせていただいたが、学力の問題ではなくて徳育という問題を考えるときに、道徳教育推進教師というプロフェッショナルを要請することについてはやや危惧している。こういう意味であればよい。つまり、ちょうど戦後ヤミ米が流通したときに、正義を自分に強く求める裁判官の方が、絶対二枚舌にしないということで、みずから家族を追い詰めてしまわざるを得なくなったのと同じで、もしも一枚舌で道徳の見本のようにならないといけない先生、あるいは道徳はこうしなさいと指導しなければならない先生だとしたら、多分その先生を追い詰めることになると思うし、一般の先生は徳育のことはあの先生がプロだから任せておいたらいいということで、ちょうどスクールカウンセラーが入られたときに、その方に学生の問題は全部傾聴してもらって、逆に一般の先生が生徒からじかに聞く力、機会を失ってしまうという倒錯したことになっては絶対いけないと思う。

 そういう意味では、もし道徳教育推進教師を養成するとしたら、ほんとうに自分をさらけ出せる人、つまり自分でも恥ずかしくなる、あるいはあこがれるけれども、とにかくこんな人もいる、でも自分はできていないから恥ずかしいと、きっちりと自分の中の矛盾を生徒に見せて、しかし人としてあこがれる特性、見本のようなものを語り聞かせられるタイプの先生を養成するなら意味はあると思う。

 だから、こういう答申というか報告を出した後、国としては地域総がかりでという大きな方針を提示されて、あとは徳目等の内容についての指導型に入られるのではなくて、むしろ地域で大人たちが必死で子どもの徳育のために頑張っているものを支援するタイプ、つまり指導型ではなくて支援型、サポート型の教育行政をしていただければありがたいと思っている。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。それでは、続きまして馬場先生からお願いします。

【馬場委員】

 小学校の現場からということで参加させていただき、ありがとうございました。いろいろな考え方、立場の方のいろいろな意見を上手にまとめられて、大変感謝している。私の意見なども取り入れていただいたものもあるし、改めて読むと、10の提言等に絵本などが出てくる。そのときに、少ししか言わなくてもっと言っておけばよかったと反省もしている。というのは、小学校で子どもたちの子守歌、唱歌、童謡などの大切さをもう少し強く言っておけばよかったという反省もある。

 今後これをどのように使っていくかという点については、私は道徳授業地区公開講座などにおいて地域の方、保護者、学校の話し合いなどに参加したり、話す機会があるので、そのときにぜひ使わせていただきたいと思っている。さらに今後、まだまだ議論が深まっていない部分もあると思っているし、具体的にこれをどう活用していくか、実際に小学校の現場、あるいは保護者、地域にどのように投げかけて、どのように実現していくかということが大事と思っている。そのような点で、さらに発展していくことができければいいと思っている。いろいろありがとうございました。

【鳥居座長】

 ありがとうございました。続いて平野委員、お願いします。

【平野委員】

 前回おまとめいただいたものも、私はとても楽しく読ませていただいていたが、今改めてこうやってまとまったものを見ると、やはりとてもすっきりと見やすくて、さらに読みやすく、この会議に出ていなかった方が初めてごらんになったときにも、どこに何が書いてあるのかわかりやすくできているのではないかと思う。

 それで、10の提言というのはとてもわかりやすいし、すばらしいと思っている。前回の会議で言うべきだったが、提言7、とてもすばらしいことだと思うが、「絵本の読み聞かせや古典に親しむ等の読書活動の充実を幼児期から図ること」を読むと、声に出して伝えるのは幼児期には絵本でよい。古典については別に声に出さなくてよいように受け取れないかと。まして、ここに書かれていない近代小説は気がつけばやればよくて、どうでもいいと取られ、誤解を受けてしまうような気がする。

 この中身に関する22ページのほうは、「絵本等を使った読み聞かせ」と「等」が入っていて、よかったと思っている。私自身も、絵本の読み聞かせは年間50回から100回ぐらい実演家として行っているが、実演の仕方は、児童文学の先生、文章を書かれる方、絵を描かれる方それぞれの重鎮といわれる方も含めてご指導を受けて行っている。その立場から、お話し申し上げておいたほうがいいかということだけお話しさせてください。短くまとめます。

 言葉がわからない子どもにとって、絵が視覚的、補足的に助けになるということは確かだが、子どもは主に絵を見ているために、読み手を見ることや読み手と子どもとのアイコンタクトの量が断然少なくなってきます。また、読み手の側も、声の表情や顔の表情は、絵があるために通常のコミュニケーションより抑えて伝えるということが、一つの手法としてとても大事な要素である。

 でも、それは下手すると、声の表現レベルを磨かなくてもよいというところにとどまってしまう場合もある。そのために、声で伝える訓練をしていない人も読み手として多くの人が参入しやすいというよさはあるが、一方で言葉を適切な声の表情、全身の表情で伝えようということに読み手が集中しなくてよいことから、子どもが言葉をじっくり耳でとらえるということを享受しにくいということも多々起こってくるのではないかと思う。これは、絵本の欠点ということではなく、つまり絵本は読み聞かせというものの一つのメディアであって、古典も小説も読み聞かせができる。

 また、幼児は言葉だけでは無理なのかというと、決してそんなことはなくて、私たちは子どものころから大人の言葉を全部わかって聞いているわけではなくて、知らない言葉が出てくると、何だろうとその都度思いながら、1つの言葉が使われるいろいろな場面を見ながら、言葉の意味を知っていくと思う。

 事実私は、『銀河鉄道の夜』を30分ぐらいにまとめた短いものだが賢治の原文を生かしたもの、『走れメロス』も30分ぐらいにまとめたもの、「春はあけぼの」の古典そのものは、声だけで聞かせても小学校低学年も聞いてくれるし、1歳未満の赤ちゃんが、泣くのではなくてアーとかウーとかにこにこ笑いながら反応してくれる。だから、言葉の変化を十分感じ取っているのではないか、そうやって日本語を耳から受け入れてとらえてくれているんではないかと思う。

 それで、そういう立場から申し上げると、提言7のところは「絵本等」とか「古典等に親しむ」とか、何か少し工夫して少し幅広いものにしていただけたらと思うのと、読み聞かせを幅広くとらえて研究していく分科会などを立ち上げられたらどうかということを、最後に提案させていただきたい。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。それでは、森田委員からお願いいたします。

【森田委員】

 社会学をやっている人間からすると、新しい学習指導要領の自己に関すること、他者に関すること、自然、崇高なものに関して、もう一つの視点としての社会、集団とのかかわりという面をかなり酌み取っていただいて、随所に入れていただいたということは、私どもとしてもこれからの教育へのかかわり方の一つの方向性が出たと思って、大変うれしく思っている。

 それと同時に、今後懸念される一つのこととして、先ほどからも少しずつ意見が出ているが、やはり徳育というのは価値的なものにかかわる部分がございまして、それをどういうぐあいに子どもたちにおろしていくのか。先ほど鷲田先生は指導型に陥らないように、支援型とおっしゃっておられた。あるいは、価値観の多様性というところで非常に多様化、相対化してしまって、かえってコアが抜けてしまうという欠陥も持っている。

 私は、この報告書の全体を見て、世の常識に大体合致するかと思っている。そういう面で、私は高く評価している。世の常識というのは、この中に書いてあるように、いつの時代にも、どの社会でも、どの国であっても、他社とのかかわり、自己とのかかわり、自然や崇高なものとのかかわり、社会や集団のかかわりにおいてもきちんと押さえておくべき基本、コアがある。それから、その周辺に時代、社会、国、文化によってさまざまに相対的に変化するものがある。もちろん、徳育というのは何も新しく戦後、あるいは今日でき上がったものではなくて、私ども人類が営々としてお互いに社会を営み、自然、人間とかかわりながら築いてきた英知の集積が、今日の一つの普遍的なものと称するものだろうと思っている。

 そういうものをベースに置いて、子どもたちに、自分に関してはこういうことはあってはいけないこと、あるいはしてはいけないこと、他者との関係ではこうだ、社会、あるいは集団とのかかわりにおいてこれはきちんと守っておかないといけない、ミニマムというか普遍的なものはしっかりと教育現場で押さえていただいて、なおかつさまざまな時代、社会によって変わるものを相対化していって、それで力をつけていってもらうことが今後望まれることだろうし、先ほど政権の話が出ておりましたけれども、私どもはまだおやめになっていない現政権を意識してつくったわけではないので、やはりこれらの子どもに何をやっていってもらわないといけないかということを基本に置いて、私どもは議論させていただいた。

 そういう意味では、先ほど常識と申し上げたが、それは政権がかわろうが社会が変わろうがやはり押さえておくべきものだろうと思っている。今後先生方が基本を押さえて、教育の中へ生かしていただきたい。新しい学習指導要領の中では、「学校教育全体を通じて」という文言が入っており、それをどうおろしていくかということが今後の一つの課題だろうと思っている。

 そうすると、いろいろなところにある。しかし、例えば教育課程の中における徳育、特別活動の中における徳育、総合的な学習の時間における徳育と今各所に分かれてさまざまな形で入っている徳育を改めて統合して、徳育の観点から総合的に体系化していくという作業が、学校教育全般を通じて行っていくならば、おそらく必要な作業として現場のほうでは出てくる作業だろう。それをおやりになることによって、先ほどから出ているように、先生、家庭、地域もみんな総がかりでやらないとならないが、学校教育の場面では教師自身が自らの徳育を磨き上げていきながら、教育の中へおろしていくことから、実践主体でもあり教育の主体でもある先生方が育ってくるのではなかろうかと考えている。それが1つこれからの作業として必要なことだろう。

 もう一つは、徳育というのは頭の中でわかっているだけではだめであり、いかに実践できるか、つまり実践力が非常に要求されてくる。そういう意味では、今それぞれのところでまとめていただいたものをどう実践していくか。学校教育を通じてできる実践、あるいは家庭教育や地域社会の中でできる実践とさまざまな形がある。学校教育の中でできる実践力をどう育てて、先生方の中で検討していただきながら、実際に教育へおろしていき、我々の徳育の報告が実際に身を実らせていくかという、実行力のある報告書になっていただくことを大いに期待したいと思っている。

【鳥居座長】

 ありがとうございました。それでは、続いて順番にお願いいたします。山田先生からどうぞ。

【山田委員】

 すばらしい報告書ができ上がり、ほんとうに喜んでいるところである。

 最後に幾つか意見をしゃべらせていただく。1つ報告書でよかったのは、「個々のモラルや意識のみには帰し得ない大きな社会構造の問題」というものが取り上げられて、書かれていることだと思う。私は社会学者としてこの社会を見た場合、ここ20年ぐらいの社会の環境、特に子育てをめぐる環境が激変してきたのではないかと思っている。激変している環境の中で、徳育を新しい形でつくっていく必要があるのかと思っている。

 先ほど儒教が多いという話が出たが、私は儒教の四聖人の一人の孟子の「恒産なくして恒心なし」という言葉が非常に好きで、経済的に安定している中で恒なる心、つまり平穏な心があらわれてくる。逆を言えば、恒産がなければなかなか平穏な心があらわれてこない。孟子自身が中国の戦国時代、明日国はどうなっているかわからない時代に生きた中で出てきた儒学の知恵だと思う。

 その中で、8ページから社会構造の問題が幾つか出ているが、まさにここ20年でメディア環境も地域社会も激変してきた。地域について言いたいのは、私自身東京下町生まれで、私が小さいころは、確かにみんなで外で遊び回って近所のおじさん、おばさんに怒られたという経験をしながら育ってきた。私は50年間同じところに住んでいるが、私の子どもをそうやって育てたいから自由にさせたらいいのではないかと言ったら、そんなことをして何か起こったらどうするのかと妻に猛反対された。

 確か、1989年だったか、幼女バラバラ事件以来、子どもを外で遊ばせたら何か起こるかもしれない。もちろん起こらない可能性も高いが、起こるかもしれないという状況になってしまった。これは都会だけではなくて、よくご存じのように地域のさまざまな事件があり、子どもを遊ばせておいて何か事件に巻き込まれたらどうするのということになった。

 だから私は、仕方がないからなんて言ってはいけないが、ガールスカウトに子どもを入れまして、異年齢集団との接触とか奉仕活動をやらせた。逆に言えば、ガールスカウト、ボーイスカウトとか、何とか団体でもいいが、そういうところに入れられる親はいい。そこからはじかれた子は、そういうものとは全く無縁のまま育たざるを得なくなってしまった。つまり、こういうように地域社会が二、三十年前とは随分大きく変わってしまった。だから、地域との協調も構わないが、変化してしまっていること、変化する中でそういう団体に入れられる子と入れられない子が出てきてしまっている、漏れてしまっているということを考えなくてはいけない時代になっていると思っている。

 さらに、厳しい家庭環境の中で育つ子がいることも何度も言わせていただいたが、私は、東京都の児童福祉委員会というところで、虐待児童の親の対応等について審議をする機会を持ったが、そこで出てくるのは、明日の生活がどうなるかもわからないという環境で育てる親が出てきた。20年前に比べて、低収入の非正規雇用の親がどんどん増えてきている。私は、全国消費実態調査のレポートを今ちょうどまとめているところだが、子どもを育てている親の平均収入はここ15年ぐらいの間で下がったし、90年代前半まではひとり親も結構収入を得ていたが、ここ15年の間に非正規化によって収入が激減している。

 そういう中で、ここにいらっしゃる方もそうだと思うが、私も安定した収入の中で子どもを育てていたから気持ちはわからないが、明日のおまんまが食べられるかどうかわからない中で子どもを平常心で育てられるのかなという人が出てきていることに、我々はもう少し注意を払うべきではないか。そういう中で、環境が激変しているのに気づいている学校の先生もいるのだろうが、実感として気づきにくいのではないだろうか。特に公務員は、何十年収入が安定しているのが当たり前だと思っている人が、明日の生活がわからないながら育てている人の気持ちがわかるかどうかという問題に直面していると思う。

 少し前に教師に呼ばれて研修でそういう講義をしたら、後で、私は非常勤の講師で先生が言っていることはよくわかりましたと言われたので、教師の世界も全員が正規雇用というわけではないので違うと思う。メディア環境も教師自身が今のメディアを使いこなしているか。これも、先日ある教師グループから研修をお願いしますと丁寧な手紙が来たが、メールはありませんかと言ったら、私はメールを使っていませんと言われた。今メールを使わないで仕事をしている人がいるというのは実は驚きだったが、もちろん使うことがいいことということではないが、今のメディア環境、経済状況がどうなっているか教える立場の人がわかった上で、さまざまな対策を立てるべきかと思っている。

【鳥居座長】

 ありがとうございました。それでは、続いて渡辺先生からお願いします。

【渡辺委員】

 私も本会議でいろいろなことを考えさせていただいた。ほんとうにありがとうございました。

 特に、私自身の日常は、おなかの中に赤ちゃんを抱えながら、5月からずっと修業のように動けないで苦しんでいる切迫流産、切迫早産のお母さんたち、つまりまだ生まれていない胎児から実際に幼児や思春期の子どもたちのいる病棟で、若い私よりも年下の先生たちと一緒にチームを組んで治療しているので、私はシニアの立場から、今の時代を生きている子どもたちの姿に日々衝撃を受けるというか、そういう思いでいるときに、この会議は私の知らない戦前、戦時中、戦後を生き延びられて、日本を支えてきた先生たちのいろいろな思いを伺うことができて、大変勉強になった。

 要するに、それぞれの時代にそれぞれのインポッシブル、不可能だと思う課題が突きつけられて、辛うじて私たちは生き延びていくのだろう。新しい時代の子どもたちは、私たちの知らないとても恐ろしい、よく生き延びているとしか言えないような発達環境で生き延びていると思う。例えば緑がない、遊び場所がない、遊ぶ兄弟がいない、けんかする兄弟もいない、絶えずメディアとか日常の隅々に至るまで小さなことの競争だらけである。

 そうなると、子どもたちが生きていく新しい時代は、私たちの知らない価値観、私たちが考えようもない、予想もつかないような複雑な時代になっていくわけであるから、この人たちはやはり新しい時代のパイオニアになっていくと思う。ちょうど私どもの先輩が戦後の日本をつくるときに大変な思いをされたのと同じように、この子たちも商業主義と物質主義がはびこり、自然を失い、親子関係や地域のつながりがなくなった中で、もう一度人と人が楽しい、思いやりが豊かな、一緒に生きるのはいいよねというものを取り戻していかないといけない世代になると思う。

 そういうときに、私はいろいろな子どもたちに向き合う機会を与えられているが、心身症の子どもたち、特に拒食症などの子どもたちが治るか治らないかの一つの予測のかぎは、取り組むチームと特に取り組む主治医が誠心誠意本気でやるかどうかである。それ以外の小児科の部分では、血液疾患の先生たちも心臓疾患の先生たちも、誠心誠意どころかほんとうに明日命がないというところで泊まり込んだり、必死になって生きているわけだから、まさに命との戦いである。

 新しい乳幼児の精神保健で、ニューロサイエンスに基づいて今世界中でどんどんいろいろな所見が出ていて、先生方がおっしゃったとおり、その中で焦点として、人間というものは一者関係の心理学や精神学はない。やはり二者関係以上、三者関係、集団関係の心理学や精神医学がこれからの時代の新しい課題だと言われている。その中で、人は生まれ落ちたときから、あるいは未熟児であっても、相手の動機、意図、感情の奥にある思いを読み取るものなのだというのが、すごく大きな新しい展開になっていると思う。

 そうなると、やはり思いというものをきちんと大事にしていく視点を私たちの社会は持つ必要がある。そうなると、今先生がおっしゃったように、明日の御飯がどうなるのだろうと思う家族が診療場面でも増えているが、その方たちの悲惨さと同時に、その方たちしか示せない我が子を何とかしようという必死なひたむきさがありまして、私は今現在、生活保護を受けていて、父親に虐待されていて、児童相談所の中で腫瘍があるということがわかって、腫瘍の治療をしてしまったらがんの治療の副作用で肺の機能が落ちていて、死につつある子どもを毎日見ているが、その子はほんとうに人生の先生と言うしかない。

 貧しいからおもちゃがないとなると、食事の紙をどうちぎるか、どうやって折るか、どうやって並べるか、どうやってしまうかということで一生懸命生きている。それは、かつて戦後何もなかった時代に育った私たちと全く同じであって、この子が苦しい治療の中で生き延びる方法として、みずから大好きな紙をちぎったり並べたりしているという姿を見ていると、子どもたちの持つたくましさとかひたむきさを実は私たちの社会が奪っているのではないかとか、徳育推進教師もいいが、私はむしろこういう子どもたちから本気で学ぶ。

 私どもは病院だが、学校のクラスの中に必ず片親家庭がいると思う。片親家庭たちが感じているのは、日本の社会がこれだけ裕福になりながら、基本的な社会的なセーフティーネットがない。もしお母さんが入院してしまったら、その子は安心した生活や教育の機会が奪われてしまうといったセーフティーネットがない中で、でもひたむきに生き延びて、立派な大人になろうとしている子どもたちからむしろ学んでいくということが必要なのではないかと私は思う。

 であるから、動機をしっかり持って何とか生き延びようとしている人たちが、仮にクラスで友達から見てダサい服しか着ていないし、学力も低かったり、あるいはばい菌と言われていても、それは教師であるべきだと思いますけれども、だれか一人がそうじゃない、この子から学ぶんだと言い切っていくということが大事ではないかと思う。もちろん小児科病棟は至るところそうですし、1人の子どもが亡くなっていくときにはだれも何も言わなくても、みんな自分たちのできる範囲でその子どもに寄り添うことが自然にできていく。

 そういった自然な人間のよさをはぐくんでいくプロセスとして、大野先生がおっしゃったように、子ども同士がどうやったら思いやりを学ぶのだろうか。それはクラスの授業もあるかもしれないが、授業外の放課後とか休憩時間の中で子どもがもっと思い切り喜怒哀楽の感情を出して遊び切り、安心して遊び込み、けんかも許されるというところも大事なことだと思えるような、大きなスケールを持った大人が必要なのではないかと思う。

 そういう意味で、私も今回出席しながら、果たして私自身が自分の持ち場でそれができているかというと、新しい時代のいろいろな波の問題で、ほんとうにどうしようもないような世の中だとついつい思ってしまう。もうだめだと思ってしまう。私自身が子どもの時代に自由だったのに比べると、今の子どもたちの環境はあまりにもゲームなどで汚染されているので、ゲームなどに勝てないのではないかと思う。

 最後にするが、1人2年間の白血病の治療を生き延びて家に帰った子どもが、新潟という自然のある環境の中でいじめられて、思い詰めたお母さんが「あなた、社会に出られなかったら、学校にいけなかったら大人になれないんだよ」と言って、そのお母さんも生活保護に近い状態だが、そうやって迫ってきたときに、思春期の子どもがどうしようもなくて新潟からこちらに来て、私どもに「これじゃあお母さんを殺しそうだ、入院させてくれ」と言った。お母さんのほうも、「この子を殺しそうだ、入院させてくれ」と言った。

 もちろん私どもはベッドがあいていたので入院させたが、夏休みは検査入院があるから、邪魔といったらおかしいが、場所がないから外泊してほしいと。強制的に小児がんの子どもたちのキャンプに出した。そうしたら、その子がたった3泊のキャンプで人が変わったように帰ってきた。つまり、小児がんという死と向き合った中で生き延びた先輩たち、思いやりのある仲間同士が、生きているだけで大事なんだ、やれることをやろうと本気でその子を励ましてくれた。

 今その子は家に帰っているが、どんな社会になっても、人がどう言おうともひたむきに生きている人たちが至るところにいて、私たちはより成熟した大人、専門家として、そういう人たちの持つユニークな力を絶対に一般的ないじめ、あるいは競争社会の比較でつぶさない決意をしていくことを本気で考えていかないといけないと思う。

 そういう意味では、今回の会議の中で、私自身がもう一度改めて子どもから納得してもらえる、あるいは子どもの心の中に少しでもさわやかな大人として残る自分を必死でやるところから、ほんとうの徳を伝えていける担い手というか、この会議に出席させていただいた責務を果たせるのではないかと思った。いろいろなことを教えていただいた。ありがとうございました。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。それでは森先生、よろしくお願いします。

【森委員】

 皆さんの話と重なるかもしれないが、5点ほど感想を述べさせていただきたい。

 1つは、この報告書が出る意義は非常に大きいと思う。なぜかというと、教育は知・徳・体の調和だといいながら、現実には知と体のほうに非常に傾斜して、知は学力テストをはじめ巨大化し、体のほうはメダルに執着するとか。ところが徳については、何ら目立つ施策がないと私は思う。そういう意味で、この報告書が出ることによって徳育推進のプロモートになることを期待いたしております。それが第1点。

 それから、第2点は報告書全体を通じてだが、一般的にも歴史的にもそうだが、道徳教育の必要性を論ずる人は非常にたくさんいる。それはみんなわかっているが実行できないとなると、わかっていないということになるが、そうすると、考えることは可能性というか方法論に集中して、できればこの報告書も必要性は3分の1で、可能性のほうを3分の2ぐらいがよかったのかと今ごろ言っている。

 それで、結局教育関係というのは人間関係の営みであるから、自然に感動して心が養われるということもあるが、人間同士の心と心の触れ合いには感性が必要で、心の教育とか感性を養うということが非常に大切だと思う。なぜそのようなことを言うかというと、私は最近『心の礼儀作法』という小冊子をまとめたが、これは心のマナーモードと言っているが、電車の中で携帯の電源を切ってください、マナーモードにしてくださいということにヒントを得た。人間の心にもマナーモードがあるのではないかと思うが、それがなかなか守られていない。

 例えば、学習指導要領でコミュニケーション能力の育成、言語教育と言っているが、言葉が心を育てるということをあまり考えていなかったのではないかと思う。つまり、感動的な言葉で人は心が動くと思うが、司馬遼太郎も「感動的な魅力のない言葉は拷問だ」と言っており、先生方は現場で子どもと向き合う時間と言っているが、子どもと向き合ったらその次にはどうするのかというところまで踏み込んでいない。だから、向き合ったらどういう言葉でしゃべるのか、どういう行動をするのかというところまでいかないと、ただ向き合った時間を確保しただけではだめなのではないかという感じがする。

 感動的な言葉にはどういうものがあるか。最近では小児糖尿病の子どもが自分で注射をすると針が痛い。そこで、町工場の職人が痛くない注射針をつくった。現に使われているが、それをつくるのに何と500回も試行錯誤でやったという。普通ではちょっと考えられないぐらいでやっとそういうものをつくったというので、なるほどと思ったが、我々は500回もやっていないのではないかと思うが、宇宙飛行士が地上でシミュレーションを1,000回するというのは有名な話だが、1,000回も練習すれば大体試験問題をマスターできるような気もする。

 それはともかくとして、魅力的な言葉、大山名人が「年をとると進歩がおくれる」と言ったときに、私は年をとって退化するのが当たり前だと思っているが、すばらしい人は進歩するのだなと思った。また、食べるためにやせているというのを聞いたときにはっとした。食べるためにやせるとだれが言っているのかと思ったら、モデルさんが言っている。自分がモデルとして食べていくには、やせていなければいけないという。これは魅力的かどうかわからないが、非常に考えさせられる言葉だと思う。

 ともかく、心の教育ということで、心のノートも出ているが、私はもっと各論が必要で、感動を与えるような言葉をもっと考えないといけないのではないかというのでアンケートをとったら、一番多いのは「ありがとう」だった。「ありがとう」というのはすばらしい言葉だと。詳しいことは小冊子に載っている。

 それから、次に方法論として人間は生まれてから死ぬまで大体家庭で育って、学校へ行って、社会へ出る。それで生涯を終わるが、そうすると、家庭、学校、社会で何をするか考えないといけないと思う。人生最初の教師は親であるから、親が手本になっていないといけない。だから、親は子の鑑、子は親の鏡。親子関係というのは、発音は同じで字は違うが、鑑と鏡の関係。

 そういうことを前から言ってきたが、なかなか効果が上がらないので、もっと踏み込まないといけないと思い、最近は家訓をつくろうというので、あるシンクタンクと協力して懸賞論文をやり、その結果、家訓は家庭のマニフェストだということに気づいた。この本は11月に出るが、各家庭で家訓づくり。文科省はルールづくりの標語募集をやったが、私は家庭のマニフェストをそれぞれつくる。行政機能というのは強制できないが、誘導機能はあると思うので、そういうことをやってもいいのではないか。

 学校ではどうするのか。学校では、先生と生徒は同じ生で結ばれているから、日本語はすばらしいと言ったのはグスタフ・フォスさんだが、先生の生も生徒の生も人生の生だから、日本はすばらしい国だと言った。日本人としては当たり前のことが、外国の人には感動を与えたらしい。そこで、フォスさんのもっと先を読みますと、我々は教えると言っているが、そうではなくて、人生の先達として我々が経験して学んだことを子どもたちに分かち与えるのだと言っている。そのためには、ひざを突き合わせて話さないといけないということである。学校では「先生徒」との関係。

 それで、学校には校訓が最近ぼつぼつできているが、社会へ出たらどうか。社会へ出れば、大人はみんなお手本であるから、吉川英治の「我以外皆教師」といった意識を、強制できないがスローガンにしてもいいのではないか。

 最後に、いろいろな可能性があるが、みんなやろうと思ってもできないので、人間というのは1つのことすら満足にできないから、1年に1つとか半年に1つずつやればいいと思う。いつも学校教育目標、学年目標、学級目標、今月の目当て、今週の目当てがあって、くるくる回って何からやっていいかわからない。そんなことをあちこちで書いていたら、総選挙で近くの小学校へ投票に行ったら整理されていて、今月の目当てと今週の目当てはかなり相関していたが、1年に1つでもいいと思う。

 1つやれば5年で5つできるので、知・徳・体の知・体よりもおくれた道徳教育を推進するには、1年に1つずつでもいいから焦点化して、人間の徳の構造化は非常に難しいので、私は徳の価値の構造化をした学者は知らないが、倫理学の教授に聞いてもわからないとおっしゃったが、心理学者のマズローの欲求の構造化はややそれに近いのかなという気もする。1年に1つずつ、半年に1つずつというので、イチローが毎日1歩、毎日1歩とやっているからあんなにいつまでも強いのだということではないが、そういうことを感じている。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。今日ご出席の方々は以上だが、本来であればご出席のおつもりだった柳田委員が今日ご出席になれないということで、事務局にお手紙をくださっているようなので、ご紹介をお願いしたい。

【塩川児童生徒課課長補佐】

 柳田委員のほうから、ファクスで来られない旨のお手紙をいただいているので、読み上げさせていただきます。

 「前略、9月3日の会議に出張のため参加できず残念です。しかし、配付いただいた報告書(案)についてこれ以上意見を申し上げることはありません。事務局におかれましては、大変ご苦労さまでございました。よりよい形でこの建議が生かされますことを願っております」というご意見をちょうだいしております。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。今日は以上ご意見、いろいろなお考え、ご感想を伺ったが、一回り回ったところでもしまだ補足という方がおられましたらいただきたいと思うが、いかがか。 事務局からは何かありますか。それでは局長、どうぞ。

【金森初等中等教育局長】

 初等中等教育局長をしております金森でございます。

 子どもの徳育に関する懇談会は、子どもの心身の健やかな成長に向けて家庭、地域、学校などにおける徳育の推進について、基本的な方向性をご検討いただくということで、昨年の8月に設けられました。以来1年間、委員の皆様には精力的にご審議をいただき、また、貴重なご意見を数多くちょうだいいたしました。厚くお礼を申し上げます。

 また、鳥居座長におかれましては、徳育の問題は一人一人の生き方、あり方、価値観に深くかかわる問題でございますことから、懇談会を座長としておまとめいただくには大変なご尽力をいただきました。厚くお礼を申し上げる次第でございます。

 今回お取りまとめいただきました報告では、乳幼児期からの発達段階を踏まえた徳育の充実の必要性を明確にお示しいただきました上で、家庭、地域、学校といった社会総がかりで今すぐ取り組むべき事項について、10の提言としておまとめいただきました。今後文部科学省といたしましては、この報告を踏まえて子どもたちの徳育の充実に向けて着実に、また、早急に対応していきたいと考えております。引き続きご指導、ご助言を賜りますようお願い申し上げまして、ごあいさつにさせていただきたいと思います。1年間大変お世話になりました。ありがとうございました。

【鳥居座長】

 どうもありがとうございました。

 以上、皆様のご意見をいただいたわけだが、どうか子どもの徳育に関する懇談会の報告書(案)が、報告書としてできるだけ多くの方々に目を通していただいて、参考にしていただいて、次の世代を育てるために必要な資料として使っていただけるようにお願いしたい。やはり、次の世代を育てていく、時代を受け継ぐ力を子どもたちが持ってくれることが何よりも大事である。子どもたちの志、精神力、もちろん体力もそうだ、同時に徳育を通じて人生観、世界観まで広がっていくことを期待したいと思う。

 今日は、たまたまフロラシオンで最後の会の集まりを開いたが、ここは実は港区南青山3丁目、4丁目町会の区域であり、1,000年ぐらい続いているお祭りがある。これまでで初めてらしいが、今年はやっていない。いろいろな影響がある。この辺はみんなビルばかりになってしまったという社会的な変化、学校はこっち側に青南小学校、こっち側に赤坂小学校、向こう側に青山小学校があるが、小学校の構成がどんどん変わっていっている。親の構成が変わっていっている。そして、何よりも大きかったのは、都議会選挙の直後で大きな政変がこの町にも起こっているわけである。そんなわけで、ついに何百年か、それこそ1,000年近く続いた夏祭りがない。したがって、子どもみこしもあそこにしまったままである。みこしは出ない。

 こういうふうにしてだんだん世の中が変わっていくので、変わっていく中で我々が守らなければならないものをどうやって守っていくか。それが大きな宿題として、大人の世界に結局残されたということだと思う。どうか文部科学省におかれても、この報告書をできるだけ有効に国民の皆さんに見ていただくことができるよう、ご努力いただきたい。まさに政治的な状況の変化で、すぐに出せるのかどうかも難しいかもしれないが、ぜひご努力いただきたい。

 今日は、特にこの後ご意見がないようなので、若干時間が余ったが、これにて終わりにしたい。今後の予定については、適宜様子を見て我々に呼びかけていただきたいと思う。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。 

(3)閉会

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