2 教員の勤務とその処遇について
(1)教員の勤務時間管理の適正化に係る課題と解決のための方策について
(4)いわゆる持ち帰り業務に関して、教員の負担軽減の観点から、必要な対応について
(1)(4)は、問題の根っこは同じなので、合わせて論じる。
同じ学校でも、小・中と比較して、幼・高・大の勤務実態はどうか。過酷な勤務実態が取りざたされるのは、小・中が圧倒的である。なぜか。単に発達段階の違いとはいえない。社会が学校に期待(要求)する事柄の絶対量の違いである。(小学校教員の持時間数を減じ、十分児童と向き合える時間を確保する。その方が結果的に金がかからないですむ。)
また、教員の勤務時間や持ち帰り業務等が問題視され、こうまでして負担軽減を検討しているのは、他の国も同じなのか。否。
1−(2)でも論じたが、学校全体としての業務量の削減・委譲は多寡が知れている。つまるところは「人」である。
よって、定数改善を敢然と推進することが不可欠である。ただし、定数改善の目的は児童生徒の教育指導の充実がその趣旨であるため、教員の負担軽減には直接的には波及しない。そこで、教員以外の新たな職(たとえば、教材作成支援員、学級事務等を担任から分離して行うための教育事務支援員 等)の設置はどうか。(ボランティアでよい。学校応援団を含める。)
(2)教員の能力・実績に応じた処遇やメリハリのある給与体系について
考え方としては結構。ただし、給料査定の根拠となる大元の「能力・実績」を誰が、どう査定するがが問題である。校長にその最終責任を持ってきたのでは、制度は形骸化するだけで、現場の混乱は大きい。(つまり、人情として人は最終責任を自分が負うことに一番警戒感を持っている。これが、客観的な事実に基づいて誰もが明らかな事柄について決裁するのならともかく、教員の能力・実績といった、不確実性を含む内容の場合、かつての勤務評定がそうだったように、形骸化するのは目に見えている。極端な場合、校長は人の恨みを買うのを恐れ、混乱を避けるために部下を皆、A評価にする。)
(3)教員の負担改善のための、部活動指導に対する対応について
極論を言えば、部活動の役割自体を社会教育・社会体育への全面的な移行をすることである。
これまでにも、外部指導者やボランティアの導入などで、実技指導面では、僅かだが負担軽減がなされた。しかし、根本的な問題の解決には至らない。
たとえばある部活動で外部指導者を委託して、土曜日の指導を依頼している場合、練習の数時間の実技指導は面倒見てもらえるが、生徒や施設・設備等の管理責任まで委託できるわけではない。肉体的負担は軽減できても、精神的・時間的負担はなんら変わらないところに課題は残る。
中には部活動を生き甲斐にしているような教員もいる。一方で、生徒・保護者・地域の期待に応えるために、負担を感じながら、それが教員の使命とあきらめて指導している教員も多い。
問題なのは、給料外だからと割り切って、名ばかりの顧問としてほとんど指導せず、生徒・保護者等の期待に応えられないことが、学校への不信につながっているケースもある。この場合、その教員は服務上の法令等に反しているわけではなく、勤務としては全く非難されるべきところではないが、社会のニーズ(部活動の役割)を考えれば、学校としては頭の痛いところである。(たいがい、こういう場合は人事異動等で対症療法的に対応してしまうことが多い。)
これらは、部活動が教員の職務として、非常にグレーゾーンに位置づけられているからである。(給料外でありながら、やらなければ肩身が狭いという現実。)
3 教職調整額の見直し方策について
(1)時間外勤務について、一律の処遇を見直し、時間外勤務にふさわしい手当を支払うべき、との意見に対する考え
反対。
教員の仕事は、その質を高めようとすれば際限がない。多くの教員はその質を高めて保護者・生徒の信頼・期待に応えるために、正規の勤務時間を度外視して奮闘している。しかし、それは教職に対しての使命感・責任感からくるもので、決して金銭的な動機付けからではない。しかし、職務の専門性・特殊性からそれなりの待遇がなされているところ(人確法・給特法)であり、それら関係法令等の制定時の精神は尊重されるべきである。
(2)逆にほとんど時間外勤務をしていない教員には4パーセント(の教職調整額)を支払うことは適当ではない、との意見に対する考え
「ほとんど時間外勤務をしていない教員」とは何か。単に学校に定時に出勤し、定時退勤する教員をさしているとすれば、そうとは言い切れない。自宅に持ち帰っての業務や電話等での相談や苦情に対する対応、土日や休日に出できての仕事、休憩時間を度外視した勤務実態、等々、教員の現実の勤務実態は一様ではない。
「時間外勤務」が給特条例7条を適用した「命令」に基づく勤務と「狭義な定義」によれば教員の時間外勤務はいたって少ない。しかし、問題はいわゆる「命令外の自発的な、あるいは義務的な業務」が多くの教員の多忙感を生み出している。
こういった多様な「広義の時間外勤務」こそが、職務の専門性・勤務態様の特殊性であり、ここに教職調整額が導入された所以がある。
(3)仮に、教職調整額を廃止し、時間外勤務手当を導入する場合の課題と対応策について
(4)仮に、時間外勤務手当を導入する場合の必要な準備と、それに要する期間について
【問題点】
- ア 教員に、「金のために仕事をする」という姿勢を植えつけることにならないか。
- イ 時間外勤務の管理・監督を誰がするのか、校長・教頭(主幹)がすべてを管理監督することが果たして可能か。(書類の上でだけなら可能かもしれないが、本当に必要不可欠な業務なのかどうか、やったほうがベターな業務なのか、どちらでもよい業務なのか、等の見極めをどうするか)
- ウ 財政上、時間外勤務手当の財源に上限が設定されると、その範囲内での時間外勤務だけが認知されることになる。
- エ 教員には、その教員でなくては対応できないといった、職務の特殊性・専門性がある。何らかの事情で、仕事を持ち帰えらざるを得ない教員は、時間外勤務と認知されなくなる恐れがある。特に、家事、育児に多忙な女子教員は仕事を家に持ち帰り、家族で手伝わななければできない状況がある。
【対応策等】
教職調整額を減額(例えば4パーセントから3パーセントに)してでも維持しつつ、時間外勤務手当を導入する。
時間外勤務手当を支給する際の対象となる業務を、運用で厳格に限定する。また、実績について「天井」を設けることはせず、そのための財源は確保する。
社会やマスコミ、現場への周知・理解を進めるためにも、複数年の準備期間を設け、制度導入後、10年を目安にして制度の再評価をする。
4 その他
予算(財源)は行政の源泉であることは百も承知だが、このかた10年、あらゆるものが経済効率のみを尺度にして評価・実施されている。(よく言われることだが)
何事も成果を挙げるには「人・もの・金・情報」を投入しなければならないのは自明の理である。国家百年の大計としての教育行政に「米百表」の精神はどうしたのか。制度をいじることだけで、ローコスト・ハイリターンを望んでばかりいないか。
日本はこの100年、何が国を支えたのかといえば、他ならない「人材」である。今後100年を考えた場合、エネルギー危機、食糧問題、外交、国際協調、環境問題・・等々、どれをとっても未曾有の局面が控えている。いま、10年、20年のスパンではなく100年後、200年後のわが国のあるべき姿を描いて、将来への積極的なかつ戦略的な投資としての教育財源の投入をすべきである。
「1年単位の変形時間労働制」の導入について
- 「1年単位の変形時間労働制」の定義が不明なので、ここでは、例えば課業中と比較して、長期休業中は業務量が少ないとの前提で、課業中の勤務時間を例えば9時間とし、その分、長期休業中の勤務時間を例えば6時間にするなどして、年間の1日あたりの平均勤務時間を8時間にすること、との前提で考察する。