今後の幼児教育の振興方策に関する研究会(第4回) 議事要旨

1.日時

平成20年8月21日(木曜日) 13時~15時

2.場所

文部科学省6階 6F2会議室

3.出席者

委員

 無藤座長、秋田副座長、稲毛委員、岩立委員、岩淵委員、大竹委員、佐藤委員、森上委員

文部科学省

 徳久審議官、濱谷幼児教育課長、大谷幼児教育企画官

4.議事要旨

1.前回の補足について、資料1に沿って事務局から説明が行われた後、以下のやりとりがあった。

【委員】
 この義務教育に関するアンケート調査の結果であるが、2つ質問がある。一つは、反対の理由というのは調べられていないのか。もう一つは、小学校の入学年齢を5歳とすることという、質問はこれ以外の情報はなしで聞かれたのか。どう聞くかでずいぶん答えが変わると思うので教えていただきたい。

【事務局】
 反対の理由については、手元の資料で見る限り聞いていない。質問の仕方については、質問票が手元にはないが、質問はダイレクトに「小学校の入学年齢を5歳とすることについて」という形で聞いているようである。その他質問事項としては幾つかあり、これは教育制度の改革に関する意見を伺うという包括的な質問の中の一つの項目として取り上げられているものである。質問の仕方は、賛成、まあ賛成、どちらとも言えない、まあ反対、反対、よくわからない、不明、という選択肢に絞って回答するというものになっているが、質問項目としては、例えば、「6‐3制を4‐5制に変更する」といったもの、「小学校の入学年齢を5歳にする」というもの、あるいは「義務教育の期間を9年より長くする」、「学力の高い子は飛び級ができる制度を作る」、「一定の基準を満たさない子の留年制度を作る」、こうした幾つかの質問事項に対して、先ほどの選択肢で回答するという形になっている。

【座長】
 前に中教審で議論があったと思うが、小学校の入学年齢を1年下げるという意味で5歳児を義務化するということと、もう一つは、幼稚園教育として義務化するという議論と、これは別の話であるが、両方あり得る。この質問については、就学年齢を下げるという意味で質問しているということである。
これまでの議論の関連で義務教育化について申し上げたが、もう一つの論点としては、保育所がある。義務化と言ったときに保育所との関係をどうするかは難しい問題。また既に議論が出ているが、義務化と言ったときに、家庭教育を敢えて選ぶという子についてどうするか。つまり保護者に対する義務をどうするかという問題であるが、その辺も念頭に置きつつ次に進みたい。

2.大竹委員より資料2に沿ってプレゼンテーションが行われた後、以下のやりとりがあった。

【委員】
 就学前教育が経済的に効果があるということが見事に示されたと思うが、2ページ目の「恵まれない境遇」ということが米国では貧困によるリスクということだと考えてよろしいか。

【発表者】
 その通りである。

【委員】
 ここでいう就学前教育というのは、施設教育だけでなく、家庭訪問も含めた、家庭の教育の質を改善していくことも含まれると思う。例えば4ページ目のペリー計画で、先生の家庭訪問も含む介入とある。施設教育の効果は家庭教育と相互作用してくるので、家庭教育の質もインテンシブに変えていかないと効果がないという研究がある。ここでいう就学前教育というのは、施設教育と家庭教育の両方と考えてよろしいか。

【発表者】
 この実験ではその通りである。

【委員】
 最近、家庭訪問者の専門性に関する議論もあり、この研究は家庭まで行って観察をして、親子のネガティブな関わりをポジティブなものに転換したり、感受性を高めたり、といった家庭教育への介入と施設教育との両面でやっていくのがよいことを示したものだと思う。もう一点、ヘックマン教授の主張で、非認知能力とあるとき、一般的には非認知能力という場合には、情動的、行動的、対人的能力が含まれてくると思う。根性、忍耐、やる気だけでなく、その他、情動的発達や、他者に対する思いやりの発達、行動コントロールといったものも含めて認知的能力として、それが、学校でうまく成功していくために非常に有効であることを示す研究だととれるのだが、ここでいう非認知能力といのは忍耐、やる気といったものに限って結論を出しているのか。

【発表者】
 もっと広い意味なのだと思うが、経済学者の論文であるので、多分、忍耐というか、どれだけ将来のことを考えるかは経済学的には非常に大事な能力で、そこを考えていると思う。御指摘の通り、一般的にはそれが重要と考える。

【委員】
 この図を見ると教育投資の収益率で、市場金利よりも高いことが示されているのはプレスクールの時期だけではなく、スクールの低学年、8歳くらいまでであるが、この年齢くらいのところまでをうまくサポートした方がよいという解釈でよろしいか。

【発表者】
 どこにお金を使うべきかと言えば、そこを優先すべきだということになる。ただ、市場金利より低くなっているところでの投資が全く意味ないかといえばそうではなく、ヘックマン教授が強調しているのは、プレスクールのときにきちっと教育レベルが上がっていれば、その後の教育投資の効果も高くなるということである。どこにお金を追加するかということになれば、若いところに追加した方がいいということになる。

【委員】
 貧困への介入の場合には、幼児教育で非常に効果を上げるのだが、小学校移行期も大事であり、そこをちゃんと継続的にサポートしていかないと効果が継続されないという研究成果もあり、やっぱり幼児期だけでなく、このあたりの低学年までの移行期も含めての介入が大事かと思う。

【委員】
 ヘックマン教授の研究を踏まえて、我が国の教育の無償化を考えたとき、どこの年齢から投資をすることが教育経済学的に見ると効果があると考えるか。もう一点、ヘックマン教授のデータは大変美しく幼児教育、乳幼児の大切さを明らかにしているが、一方、ペリー就学前教育でもこのヘックマン教授が引用しているデータはヘッドスタートの教育プログラムであるので、いわゆるリテラシーが中心である。日本が保育・幼児教育において重要と考えてきた遊びを中心として育てていくスタイルというよりは、学校教育へスムースにつながるような教育を行うことの効果を明らかにしている研究ではないかと思う。英国でもシュアスタートの一環で、ブックスタートなども0~1歳でやると小学校2年生の学力が上がるとか、米英型の幼児教育の効果研究として、投資効果が明らかにされている。日本の幼児教育の無償化の議論の時に、日本の幼児教育の独自性・方向性との関係をどう考えていくのかが重要と思う。4~5歳は就園率が高いので、早く教育を始めた方が投資の効果が上がるということであれば、3歳からということが重要ではないか。小学校以上の教育とは違った、年齢ごとの教育の効果があるのだから、幼児教育は小学校に上げるための効果ではなく、幼児教育独自の年齢の効果があるので投資をすることが有効だというヘックマン教授の主張は非常に意味がある。そこで言われている幼児教育の質というものの議論をここで行っておかないと、このデータ・表だけで教育投資を我が国に当てはめて考えることが可能だろうかということが疑問。これについて経済学の視点からどう考えるか伺いたい。

【発表者】
 最初に、どの年齢層にターゲットを絞るべきかという点については、このグラフが正しいとすれば、一番若いところ、一番収益率が高いところに投資するのが一番効率的なやり方である。もう一点は、全般的に無償化すべきかターゲットを絞るべきかという議論があり、ヘックマン教授の主張はターゲットを絞るべきというものである。どうしてかというと、既に教育がちゃんと行われているところもたくさんあり、そこにお金をつぎ込んでも効果は変わらない。教育をしていないところがあり、そういうところにターゲットを絞ってお金を使うと、収益率が高いので、お金が限られているときはそこからやるべきというのがヘックマン教授の主張。それから、御質問いただいた、ペリー就学前教育やアベセダリアン実験の教育の内容が日本の幼児教育の内容と違うのではないかという点については、違うとすれば、これは全然使えないデータなのかもしれない。ただ、そのためには、日本でもこういうデータを作っていく必要がある。潜在的にはできるはずで、実験が一番望ましいが、既にどういう就学前教育を受けたかということをデータで集めて、同じような特性の人で受けた人と受けなかった人を比較するということをすれば近いことはできる。そういう統計をとって分析することが必要。それをやってみないことにはわからない。もう一つは、ペリー実験の面白いところは、IQを上げるわけではなかったということ。IQを上げたわけではないが、学力が上がったりとか、きちっとした生活ができようになったりということがある。ヘックマン教授の主張によれば、先ほど議論になった情動の発達を促したことが社会的な成功に導いたということである。そういうことから言えば、日本型の教育にも類推ができないということではない。ただ、一番収益が高いところ、年齢層が低いところについては、ひょっとすると日本型では難しいかもしれない。他人との協力ができるようになった年齢以降で教育投資をすることは、ペリー実験と同じような効果があるかもしれないが、それ以前のときは、認知能力の発達に影響を与えて違った効果が得られるかもしれないが、そこはよくわからない。いずれにせよ、日本ではこういう研究が全然なされていないので、どう解釈するかには留保条件がつく。

【委員】
 日本でこういった研究ができればいいと思うが、こういう研究のほとんどが、明確な貧困水準によって対象が決められている。日本の場合、それは難しいと思うがいかがか。

【発表者】
 同じことをやるのは難しいと思う。やったとしても結果が分かるにはずいぶん時間がかかる。日本でこういう実験に参加してもらって、ある人はこういう便益を受けて、ある人は受けないというのが認められるかというのは難しい。やり方としては、アンケート調査、所得調査などの質問項目で就学前のどういった教育を受けたかということを聞いておいて、同じような家庭属性、背景の人で、たまたま就学前教育を受けた人と受けなかった人でどれほどパフォーマンスが違うかというタイプの統計分析が望ましいと思う。それならできると思う。あるいは学力についてもそれは比較的簡単にできる。

【座長】
 ヘックマン教授の分析は、特に非認知的能力を重要視しているが、ペリーのプログラムは知的な部分に必ずしも完全に焦点を当てた内容ではなく、わりと広めの、子どもの活動全体を高めていくことを強調していたと思う。ヘッドスタートプログラムは複数あってこれに類した効果研究もいくつかあるが、リテラシーに特化したものは、一時的には上げるが続かないということが多かった。だから、ここにあるように家庭への介入と継続的なサポートということを、極度に認知的な課題だけに焦点化せず、レディネスに直結したものだけでなくもう少し拡げていくことが重要。ペリーのデータの中にも学校への肯定的な態度が生まれ、それが小学校でよいという話がある。その辺は日本でも関連づけられる。日本の場合は、経済格差、地域格差、学歴格差とが重なりながらあるが、これを教育とつなげて取り上げるということがあまりなかったのでどうつなげるかが課題。日本の場合、経済格差だけではうまくいかない部分があって、学歴格差や地域格差と重ねなければならない。小さい子どもの場合には、親の学歴が非常に高くても経済的には収入が十分高くない場合がある。極端な例では、大学院生で子どもがいれば、とても経済的に低い。米国でも地域格差が重要であるが、日本でも地域・家庭の文化的環境の差は非常に大きいはず。それを何で定義するかは難しいが、例えば単純な指標で言えば、絵本の数にも大きな差がある。

3.森上委員より資料3に沿ってプレゼンテーション、事務局より追加説明が行われた後、以下のやりとりがあった。

【委員】
 歴史的にもっとも大事なのは、EUの1985年の質目標。これからEUに限らず世界的に保育の質の問題が議論されるようになった。保育の質というのは各園に自己評価を求めればよいというものではなく、国の政策として、無償化とセットとして質の評価を行うべきであり、各国がそうしているという御報告を頂いたと認識。私も無償化を議論するならば質をセットにするべきで、幼児教育であるので、幼稚園、保育所、認定こども園含めて質の問題をどうするのかを考えていかなければいけないと思う。その保育の質の評価と言うときに、どこまでの次元をセットにして考えていくかが問題になると思う。 OECDが2006年に出している質をどう捉えていくかの文書によれば、国全体がどういう方向性で幼児教育の機能を認識するのかという方向性の質が、発表者の言われる1番目のところにあたると思う。それを実現するために幼児教育が公教育としてどういう役割を果たしているのか、そしてそれを実現するためにどういう構造を保証するのかというのが条件の質と言われるところだと思う。それとセットになって、プロセスの質という、どういう保育の過程があるのかということがある。そして最後にセットになるのが、子どもにどう反映されて成果が上がっているのかということ。つまり大きく分ければ、最初の方向性、それを支える構造とプロセス、それらが現れる成果の質、これらをどう質としてチェックしていくのかというのを国が作っていくべきだという議論がなされているのかと思う。多分世界的な動向を見れば、発表者も言われるように条件の質、構造の質は最低基準であり、それだけでは十分でないのではないか。保育過程の質というときに、保育の内容の問題と、内容にどう実践的に関与しているのかという尺度は様々な視点があるが、無償化に伴って求める質はどこの水準の質をいうのかを本研究会では考える必要があると思う。また、自己評価か外部評価かということについては、どこの国も今は第三者的な評価というものと自己評価というものが組み合わさっており、英国でも自己評価はEEL(Effective Early Learning)という自己評価項目と、OfSTEDも、2008年から2010年に新たなプログラムで、第三者評価も人が足りなくなってきているので、教育水準局だけではなく民間団体にも委託して、第三者評価をするという形で拡げながらやってきている。ニュージーランドにしても自立性を促進しつつもやっている。アジアで一番早く幼稚園の評価を始めたのは台湾で、94年からやっているが、そこでも第三者評価と自己評価がセットにされてきている。そういうときに我が国はどう考えるのか。保育所が第三者、外が先にあり、外の問題というのもある。厚労省で自己評価の検討委員会が行われているが、そこでもあくまで質の評価の基準は当事者評価と言われている。当事者が当事者として責任を持って行っていく評価だという考え方が重要であると思う。そこに起点があるということを明示しつつも、一定の指標に伴う第三者評価が重要になってくるのかと思う。算定基準というか、無償化に伴うところは大きなチェックが入る必要があるのかと思う。私個人としては、大きな枠組みだけでは保育の複雑な豊かな営みをつかむことができないだろうと思う。そうすると、保育所そのものが当事者として考えていける仕組みを援助するということを、国かどこかがやっていく仕組みが必要なのではないかと思う。保育の質の評価という部分でも、環境がどうなっているかという部分と、保育の内容がどうなっているかという尺度と観点がある。だんだん環境から保育の内容や過程に移ってきているが、内容についても、セットして「こういうカリキュラム」があるかということから、米国でもCLASSという子どものインタラクションを捉えていく尺度が開発され、今年になって全体で使われるようになっている。外や保育者の関わりを見るのではなく、客観的に子どもが保育の状況においてどう生きられているかという、子どもを起点にした評価の視点になるが、そういったものは国が全体としてチェックするべきものではない。無償化では大きな枠組みとしてどこまで質として求めるのかという議論が重要ではないかと思う。

【委員】
 高知県では国に先行して今年7月の補正予算で認定こども園の既存の財政措置のない人件費や施設整備費などへの財政措置を行うこととしたが、県費を投入する以上、保育の質を確保することが必要だという議論が当然ながら持ち上がった。現在、本県では認定している施設で年3回園内研修を開催してもらい指導主事が出向いて、幼稚園教育要領や保育所保育指針に沿った保育の実践ができているか評価するとともに、それらの実施に向けた支援を行いながら、保育の質の確保に向けて取り組んでいる。しかし、先ほどの話にもあったように、幼児教育の質をどう評価するのかというのは、現実的には非常に難しい。

【委員】
 質の評価には、構造、内容、実践、評価といろいろなレベルがあるのだと思ったが、レベルによって、例えば構造であれば第三者評価が可能かもしれない。内容や実践では当事者評価を主軸において関係者評価を入れるとか、それぞれに応じた評価の在り方が重要なのかと最初思ったが、過程の質、内容・実践についてはかなり専門性が必要で、一般的に指導主事の先生が全て評価できるかというと難しいと思う。当事者評価を中心とすべきだと思うが、例えばいろいろなクラスを拝見すると、4歳児クラスでも学級崩壊の兆しとも思える現象が見られるところもある。保育者・子ども間の相互の応答性や、保護者による子どもの尊重の姿勢などが欠如していて、子どもの非応諾的な行動が非常に多かったりして、大変気になることもある。そういう場合に全くの当事者評価だけに留まっていると問題が改善されないばかりか、非常に大きくなるのではないかと思う。構造の評価は第三者評価でできると思うが、過程の質、内容・実践に関しての評価の在り方は、何か助言機関というか、専門的なサポート機関が必要だと思う。評価は評価するだけではなく、プラスでサポートというのがセットになっていないと意味がなくて、評価を行うというのは最終的な善し悪しの判断なのではなくて、次に良い方向に向かうアセスメントでもあるので、専門的なサポート機関を今後どういうふうに作っていくのかが重要かと思う。

【座長】
 委員が御指摘のことは、国全体としてどう質を確保するかは、比較的客観的に見られるところを中心とせざるを得ないわけで、第三者評価にしても棲み分けしようとすればそうなってくる。同時に個別の園のサポートと評価を組み合わせるとすれば、おそらく、それを全部の園に義務的に行わせると言うよりは、園の自己改善の中でサポートするところに依頼していくような仕組みをつくるということだろう。今依頼したくても、ほとんど専門機関・専門家がおらず、きわめて個別的な関係で何人かにお願いするという状況であろう。そこをどう組織的にやっていくかということだろう。

【事務局】
 御参考までに申し上げると、保育所を含む社会福祉関係は、社会福祉法で自己評価と第三者評価が努力義務とされており、サービスの質の改善ということで、座長が今おっしゃったように、自己評価をベースとしながら、第三者の専門家がサービスの改善のためにアドバイスをするという位置づけである。また、児童福祉施設最低基準や保育所保育指針といった最低ラインは行政が監査等で指摘することで担保することになっている。その上でのサービスの質の向上の部分は、第三者の評価も含めて、自主的な取組という構造になっている。

【座長】
 保育所における第三者評価のサポート機能などが十分機能しているかというと、保育所の現場としては不満も強い。また、第三者評価を担う団体が十分な専門性があるかという点についても批判があるのが現状。

【委員】
 台湾では行政による構造的な保育の質のチェックは第三者の保育の専門家でない者が複数名で、きちっと管理・運営が行われているかという評価をしている。一方、保育の過程の質を一緒にサポートしながら評価していくのは、ガイドラインを作っていた委員や、幼児教育の養成をしているところの先生などが、アドバイザーの資格を得て、全国に配置されている。そういう人が評価委員となり、園内研修に関わりながら改善していくというサポートの仕組みを作っているようである。

【座長】
 プロセスにまで関わってのサポートは専門性の高い人が行わないといけないが、例えば日本で行けばそれは養成校の教員であろうか。そこにある種の資格を入れるなり、養成校として義務化は難しいかもしれないが、養成校が行う仕事の一つとしてそれを入れていくか、養成の教授科目の一つとして保育の質をいれるとかいったことがあると思う。

【発表者】
 プロセスの質はマニュアル化できないというところに難しさがあると思う。マニュアル化できないけれども、ここをこう見たらいい、例えば遊びでも、遊びの集中度はこういうところを見たらいいというような、そういう視点を提供できるような開発研究が必要になるのではないか。英国の文献では、現場の人が、プロセスの質を見てもらえず、その見方がおかしいという声がある。行政施策としては、OECDの出しているようなガイドラインが重要だとは思うが、それだけでは、現場で「本当に保育の質を見てくれているのか?」という疑問が起こるので、共通理解が得やすいようなところから始めて見る必要があるのかと思う。

【委員】
 先ほどの説明を聞き資料を見て、保育の質の維持向上の鍵を握っているのは、一点目がまず養成校での質の高い養成教育の実施。二点目が現職研修の実施。三点目は評価の実施。四点目は、資料にもあるが、公正な労働条件の整備が必要ではないかと考えた。他県で、最初は幼児教育を目指した優秀な男性幼稚園教諭が、将来の生活設計が描けないという理由で小学校の教諭に転職し、県の教育委員会の指導主事をしているという現実がある。先ほどの四点に加えて、幼児教育を小学校の学びに円滑に接続させることで、幼児教育への国民の理解が深まるのではないかと思う。

【委員】
 質についての理解がコンセンサスとして一致していないと、園側としては何が問われているのかがわからなくて躊躇するのではないかと思う。もう一つは、質の担保方策が用意されていないと、それでどうするのかというところで困ってしまう。行政としてそこに介入していけるのかという点でも難しくて困る。なので、質とは何かということについての、国民的、ないしは業界的なコンセンサスというものが必要だろうと思う。それから質の担保についても、一定のコンセンサスがお互いにないと難しいのではないかと思う。

【委員】
 厚労省の会議で自己評価を考えている会合では、共通基準は、保育所保育指針に現れた姿であるという話になった。そして幼稚園教育でもそれは同様だろう。それが達成されているかという点については、少なくとも告示行為としてあるので、それを評価の質として担保していくというのが国が最もやっていくべき仕事ではないかという話があった。

4.無藤座長より、次回は、これまで会議で出た意見について事務局で整理して提出し、これをもとに抜けている論点について確認して、今後どのように議論を進めるか検討したい旨の発言があった。

 事務局より、次回は9月29日(月曜日)午後1時から、文部科学省内で予定している旨の説明があり、閉会となった。

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初等中等教育局幼児教育課