ここからサイトの主なメニューです
未定稿
資料3

子どもを守り育てるための体制づくりのための有識者会議(第1回)の主な意見

いじめに対する基本的な認識
 
 いじめ問題の責任は、いじめる子ども自身、保護者、地域社会、学校・教育委員会、文部科学省、社会全体それぞれにある。特定の誰かにのみ責任があるということはない。
 いじめは一過性の問題ではない。30年前のいじめが原因で今も苦しんでいるという例がある。いじめは学校内の問題ではなく、社会全体の問題である。
 子どもたちとともに、教師たちの負担が増加して鬱が増えている、また保護者たちの鬱から虐待などの問題も派生している。いじめは子どもたちだけの問題ではない。
 いじめの問題は社会全体の問題として財政当局や地方行政当局も主体的に取り組むべき。
 人間社会である以上どのような対策をしてもいじめは存在すること前提に対応を考えることが必要である。
 心の悩みを相談したり、他人を思いやる心を育てるなどの機能を外国では宗教が担っているが、我が国では学校が担わないといけない。

子ども、保護者、社会……が変わった
 
 20年前には子どもたちの「病気−普通」の区別がはっきりしていたが、最近はその境目がわかりにくくなってきている。
 厳しく指導すると「そんな厳しいことを言うと死んじゃうよ」という言葉が子どもたちから出てくる。そんな言葉に教師たちが萎縮してしまう。子どもたちと教師の関係が変わった。
 いじめ問題については20年前にもクローズアップされて様々な取組を行っている。現場の教員がさぼって取組が不十分であることが原因とは思えない。
 20年前の子どもと今の子どもを比較すると、答えられないことについて「なぜ」「どうして」という問いかけが多く、手がかかる。
 保護者も大きく変わり、保護者の要求に対応するための教師の負担が大きくなっている。
 いじめはあって当たり前といいつつ、いじめが少ない学校がいい学校という意識はまだ根強いし、それが評価基準となっている。また、「いじめがない学校を作るべき」というような非現実的な要求が保護者から突きつけられている。
 子どもが変わっているのに対応策が変わっていない。報道における判断基準も変わっていない。

現代のいじめの態様
 
 携帯電話、メールとパソコンでいじめが変容した。
 かつていじめは強いものから弱いものに向けられていたから、もっと強い大人が出てくれば解決した。しかし、最近は目で見えないいじめ(一日に何十も「死ね」というようなメールが送られてくる等)が起きており、解決が難しい。
 被害者と加害者が常に入れ替わる不安定な人間関係。
 大人が「自分のときにもいじめはあった(が克服した)」というが、今のいじめは全く異質。
 道徳の授業や、上からものをいって解決できる状態にない。制度を変えて解決する問題ではない。

マスコミとの関係
 
(自殺事件が起こったときの学校側の対応)
 事件が起きたときの学校や教育委員会のマスコミ対応がうまくないことから、問題を拡大している。危機管理が必要。
 報道を通じて、先生・学校・教育委員会が右往左往している姿や、嘘つきや隠蔽体質と糾弾される姿を見て、子どもの大人不信が高まり、その後の教育指導が難しくなる。

(いじめ自殺報道に関するもの)
 マスコミの過熱報道が連鎖反応を引き起こしている。英国には報道のガイドラインがある。自殺については、そのようなものを我が国にも導入していくことができないか。
 学校・教育委員会もなんでも発表するという姿勢を変えなければならない。
 報道関係者自身も報道することがアナウンス効果を生み、次の自殺を引き起こしているのではないかという悩みを持っている。
 少なくともアナウンス効果を止めることが必要。報道すれば自殺は必ず増える。
 このような会議をしていることが報道されること自体がアナウンス効果を生む。
 先日、松井秀喜選手のコメントが載ったが、いじめられている子どもの立場に立てば、自殺すれば松井選手が気にしてくれると思うだけでも自殺したいと思うのではないか。

(テレビ一般の問題)
 子どもの平均テレビ視聴時間は年間1,400時間、一方学校における主要4教科5教科の授業時間は400時間程度。テレビの方が子どもに強い影響力を持っている。
 テレビのバラエティ番組では、売れない芸人が大勢に「いじられて」、それを大物芸人が傍観するという映像を一日中流している。このことの影響も大きい。
 マスコミの影響力は大きいので、マスコミ自身が社会を構成する大人として一定の役割を果たしていくべき。

対策(案)
 
 いじめ対策にパーフェクトなものはない。様々な取組を重層的に行うことが必要。
 緊急に対応するものと本質的な解決策と二段階で考えることが必要。

(いじめの加害者)
 いじめの加害者に対する指導がこれまで不十分だった。これを強化すべき。「いついじめの被害者になるかわからない」というような抽象的な呼びかけの効果があるのか。

(学校・教員)
 いじめについて子どもが先生に言うことをためらうのは、本当に先生が自分を守ってくれるかわからないから。
 スクールカウンセラーに相談したという事実が新たないじめを生む。スクールカウンセラーに相談しやい環境・雰囲気を作ることが必要。
 いじめ問題などの事例集があっても、教員がそれらをじっくりを読む時間がない。
 「付け足し教育」が学校を多忙にしている。IT教育、環境教育、いのちの教育、心の教育、経済教育、金融教育……。
 国会、都道府県議会、市町村議会で行政に質問すると、現場に調査ものが落ちてくる。その調査がまた現場を忙しくする。
 本来子どもに向き合うべき教頭や教務主任が調査などの事務作業で忙殺されている。学校における事務作業負担を軽減すべき。
 教員の数を減らして、もっとよく子どもを向き合えと言われても限界がある。お金で済む話ではないけれども、お金も必要。

(保護者・家庭・地域)
 保護者が積極的に関わることが必要である。保護者が関わっているところはうまくいっている。
 正規の教員人件費の平均額の半分(約600万円)もあれば、保護者など数十人の大人のボランティアが学校に常駐できるようになる。
 地域社会が崩壊して直接の関係者以外とのナナメの関係が喪失している。学校でこのナナメの関係が唯一残っているのが保健室。学校に地域社会の大人たちを受け入れて子どもたちとのナナメの関係を作ってやることが必要。
 NPOなどの様々な取組を支援すべき。


ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ