算数・数学の学びと言語力の育成-「筋道を立てて説明する力」に焦点を当てて- おわりに

 ところで、授業は、「教師」、「子ども」、「教材」の3つの要因によって成立するといわれる。しかし、真に授業として成立するためには、そうしたとらえ方ではすまされない。教員が教材を通して子どもに教えること、子どもが教師の提示する教材を通して学ぶということ、教師と子どもが教材を媒介として教育的な関係を結ぶということなしに授業は成立しない。とりわけ、学習指導は、教員と子どもが教材を媒介として教育的な関係を結ぶために必要不可欠となろう。このようにみると、授業では教員と子どもが教材を介して相互に関わりながら主体的に活動する過程ということができる。そもそも、過程とは単なる変化とは違って、通り過ぎることによって、そこに何かが起こり、何かが生じることに過程らしさがある。G.W.F.ヘーゲル(Hegel、1770-1831)は、Prozessということに「そこを通り過ぎる(durchlaufen)」という意味とともに、その後ないかが「生み出される(erzeugen)」ことがあるという意味を見出していたという。教師の教授や学習指導の過程においても、子どもの学習の過程においても同様の事態が生起するということであり、それらに応じて適切な手立てをとることが重要な意味をもってくる。また、授業の過程では、教員も子どもも主体的な営みをするとすれば、そこには激しいぶつかり合いや葛藤が生起することとなる。すなわち、学習の主体として子どもが立てば立つほどそこには子ども同士、教師と子どもの間で激しい対立や矛盾などが生起する。それらはそのままで終わらない。それらは、克服や統一のきっかけをつかむことによって新しいことの生産や創造へと導かれることとなる。このように、授業は、単に教師・子ども・教材の3者によって成立するのではなくて、教師の願いを実現するための教授や学習指導、子どもの学習、教材の本質から導き出された教材の論理との相互矛盾・弁証法的関係のなかに成立する。したがて、授業の過程では、コミュニケーションが重要なはたらきをし、ために言語力は不可欠である。
 冒頭で述べたように、算数・数学の学びと言語力の関係は、密接である。算数・数学の学びを通して言語力は育成され高められる。また、言語力は算数・数学の学びに不可欠である。算数・数学の学びでは自他共に説明する場面が頻繁に生まれる。そこでは、目的に応じて適切な説明をかくこと、説明からその意味を的確によみとることが必要である。説明の「よみ」と「かき」には、算数・数学に固有なことと広く学びに共通することがあり、前者は算数・数学科の守備範囲であり、後者は各教科等で横断的にかかわることであり国語科の守備範囲である。しかし、国語科で育成される一般的で普遍的な言語能力は算数・数学の学びの過程ではたらき、強化されて本物になる。

参考文献等

  • (1)G.ポリヤ(Polya):”Mathematics and Plausible Reasoning, Vol.1 Induction and Analogy in Mathematics” 、1954。日本語訳『数学における発見はいかになされるか第1巻 帰納と類比』、1959、柴垣和三雄訳、丸善。
  • (2)M.クライン(Kline):”Mathematics in Western Culture”, Oxford Univ. Press,1953,1st。日本語訳『数学の文化史 上下』、教養文庫、1974。
  • (3)松野武・山崎昇訳ヴィルチェンコ編『数学名言集』、大竹出版、1989初版、1995新装新版2刷(原著:キエフ、1983)。
  • (4)「授業」(砂沢喜代次担当)、『教育学大辞典3』、第一法規、1979。
  • (5)国立教育政策研究所編『生きるための知識と技能2』、ぎょうせい、2004。

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