資料7 言語力の育成に関して予めいただいた意見(概要)

言語体験の充実

  • 子どもに言葉の力がないと感じている。何も言わなくても物が買えるなど、便利な世の中で子どもが言葉の感性に触れる機会がない状況である。子どもに言葉の感性に触れる経験が必要ではないか。
  • 子どもの言葉の感性が鈍っていると感じる。英語活動などで、子どもが身振り手振りを見て分かることの喜びや、子どもが自分の意思で何かして欲しいことを伝えるため自分の知識を総動員して考えるような、体験的な場面を作ることは大事である。
  • 今の子どもは、生活経験が少なく、ゲームや消費など偏りのある経験が多い。また、核家族で地域とのかかわりが減少し、家庭では単語による会話しかない。言葉がないことで考える力がなくなっているという危機感を感じている。学校では、子どもに体験させることが大事である。

体験の言語化

  • 体験は、やりっぱなしと言われることが多いが、体験を言語化して経験化することが重要である。
  • 理科において学習する現象については、子どもの経験は皆無である。どこまで体験としてやらせて言語化し、実験に入るかが問題である。
  • 言葉と体験の関係性を議論し、教師が適切な役割を果たすことが求められる。

言語に関して身に付けさせたい力

説明する、論証するなど

  • 「他者を理解し、自分を表現」するばかりでなく、先ずは「自分を理解」することが重要である。自分の理解はコミュニケーションの基本的なことである。
  • 経験や既習をもとに、子どもなりに考え、解決することは基本である。また、行ったことを自分で納得し、まわりに「説明できる」ようにすることは重要である。
  • 論理的思考を身に付けるためには、技術的な部分も大事だが、新聞を読んで「意見が言える」ようになるなど、基盤となる日常生活の中にもっと論理的思考を取り入れていくことが重要である。
  • 論理的思考力は、持論や意見を言うことではなくて、ある思考に対してどうしてかという説明ができることである。必要なのは、結果に至るまでの論拠を示せるかどうか、「○○(まるまる)だから・・・」というように「論証できる」ことが大事である。
  • 言語教育のねらいは論理的に考え表現する力を育成することである。論理的に考えるとは、事象を互いに「関連付ける」ことである。表現する力とは、表現すべき内容と表出方法の2つである。
  • 議論には、人の話を聞くマナーだけでなく、分析的に聞く力や、聞きながら議論の流れに応じて聞き分けて使うことが必要になる。論理的思考力を他者に知らせるためには自分の思考を表現する力が必要になる。国語を中心として教科に応じて聞き分け、自分の主張に合わせた証拠・推論をまとめ上げ表現する力を連携して育てていくことが必要である。論理的思考力を議論ができるという狭い範囲で考えるのではなく、広く捉えるべきである。
  • クリティカルシンキング、つまり自分の頭を通してものを言う、一度は疑ってみる、自分の体験と照らしてそれを追求するという態度を身に付けるべきである。早い段階から自分の頭を通して考えるという態度をすべての教科の中で意識的に取り組む必要がある。
  • 問答や対話は基本である。対話をする際に、他者に対して他者との違いを明確にして自分を表現し、証拠を示して話をする能力が幼児教育から小学校、中学校を通じて各教科の中で必要になってくる。
  • 能力の育成において、力とは何かということを明確にすることが今回の学習指導要領改訂に求められている。力の範囲は性質上、国語力に大きく依存している。学習や社会の中で日常的に使う言葉の力を分析的に捉え、幼児・小学校教育の中で順に高めていくことや、各教科の適性に合わせて組み込むことを考えていくべきである。
  • 小学校6学年で身に付けさせる力として、例えば他者との関係性の中で知識を身に付けさせる能力、論理的に自分なりに考えて他者に伝える能力が期待されている。これを学習指導要領あるいは、別の基準により示す必要があるのかどうか。そこを決めた段階でそれぞれの発達段階での内容やプロセスにつながっていくのではないか。
  • 力を付けるための活動が、子どもたちにとって必然的なものでなければ、読むためにやらされていると子どもが感じてしまうことになる。
  • 言葉だけでは誤解が生じることがあるので、「モラルにかかわること」をしっかりと教える必要がある。

集団との関係性、コミュニケーション

  • 個人の能力のみに焦点を当てるのではなく、集団に目を向けるべきである。小学校や地域等の集団の力に目を向け、言葉の力だけでなく、言葉を使ってどういう関係性を作るかということについて検討すべきである。
  • 集団の中で個人がどうやって効率を上げるか、相互的に考える必要がある。人とどうやって関わるかきちんと整理しておく必要がある。
  • 解答を導く際にわからなければ子ども同士で共同で考える関係がある。この子ども同士で形成される集団の関係性を大事にしていくことは重要である。
  • 社会との関係性の中で、自分と同じ集団にいない人に対して説得したり、論理的に説明するということを体験させなければならない。教室の中だけで完結するのではなく、授業内容を拡張するとかグループで学習するということを国語教育の中で取り入れていくべきである。
  • 論理的思考力は大事であるが身近な他者に届く言葉を話せるようにすることも大事である。子どもが言葉に即して考えられるように、これらを両輪で考えていく必要があるのではないか。
  • 論理的思考力だけでなくコミュニケーション技術を身に付けさせることも必要である。具体的には、ディベート等で言われたことに対して意見が言えることが大切である。

言語教育の構造や体系性

  • 言語生活を全体的に見ると、1認知能力の負担の程度、2経験や既存知識への依存の度合い、3証明することはどのようなことか、というメタ認知の三つの軸がある。
  • 国語の先生と接触して感じることは、論理的に考えることと情感的又は共感的に考えることを二項対立的に捉えていることである。しかし、違いを論理的にはっきりさせることが相手のためになるという情感的や共感的なことにつながる。
  • 言葉の能力として、言語学上2つのスタンダードモデルがある。一つは、知っていることの言語的能力と、それをもとにして使える能力である。日本人に欠けているのは、文法・書き言葉のような知っていることを応用する能力である。もう一つは、概念的能力、操作的能力、発見的能力、創造的能力から構成されている。
  • 言語教育について、自分が伝えようとするメッセージの明確化や整理は重要である。
  • 構成的能力の受容と表出の相互作用が考えられる。
  • 最初に自分の意見をきっちりと言って初めて、説明の仕方等を学び論文につながっていく。思いつきの取り組みでは、何を意図しているのかわからないので、体系化が必要である。
  • 日本語は分かり合っていれば言葉はなくてよいということもあるが、我々が目指す国語力とは何かということが重要である。
  • 段階型ではなく、スパイラル的な発想は大事である。そのため、子どもが今持っているものを整理することが重要であり、1自覚する機会の提供、2論理内省の道具としての言葉を身に付けることが必要ではないか。
  • 論理的思考の育成と情緒的な思考の育成は二者択一ではない。

言語に関する基本的な技術の指導

  • 日本人の日本語の言語表現には危うさを感じるものがある。言語表現のトレーニングを義務教育期間に十分に与えていないというのはとてもよくないことだと思う。
  • 国語で言語技術の指導がなされていない。欧米諸国では、言語技術については、国語をベースとして幼児期から小学校低学年において読み聞かせを行い、クリティカルリーディングの基礎を学ばせ、それを発展させ、最終的には、社会に出て各国に負けずに議論できることを目標にしている。

学校段階別での指導内容の重点化

  • 幼児期は体験や知識を共有している人にいかにうまく伝えるかを身に付け、小学校は体験を共有できていない人に伝えるためにはどうするかを身に付けさせることができる。小学校高学年では物事を複眼的にみることにより論理的な思考を身に付けることができる。このように子どもたちの成長がどの段階にあるのか考慮する必要がある。
  • ドイツでは、小学校低学年から5年生まで、子どもたちに読み聞かせて自分で対話をさせることを意識的に組み込み、小学校5年生から中学校2年生では一冊の本を要約する作業を行う。論理的な構造を理解し、議論させ完成させることで論理的思考が身に付く。このようにゴールから一つ一つ落とし込んで幼児期から教育を行うことが大事である。
  • 学校段階の各教科等における言語力の育成について、社会科に関しては次のとおり。
    • 小学校は観察・実験において、丁寧に見て、記録を求めることが重要
    • 中学校は問題を発見、検証し、それを他人に説明できるようにする指導が重要
    • 高等学校はなぜかと問いながらの活動で、事実判断に加え、価値判断を自分の言葉で他人に言えることが重要
  • 発達段階によっては、ミクロな視点で捉え、具体から言語を通じて、抽象に飛躍することが重要である。意図的に指導に入れていけるように、学習指導要領に入れるとよいのではないか。
  • 幼稚園は先ず体験する時期、小学校は体験を組織化し目的に応じて整理できる時期、中学校は自らの考え方にのっとり論理的に考える時期、高等学校は妥当性をチェックしながら論理的に表現できる時期と考える。

各教科等における言語に関する指導

教科間の連携

  • 総合的な学習の時間を中核にして、教科等における体験の体系化を学校カリキュラムで作成するのは有効ではないか。
  • 学習指導要領の改訂ごとに、社会科の時数が減少している。意図的・体系的に高等学校学習指導要領の国語の教材選定の中に社会の内容をちりばめて欲しい。
  • 教科書は入口と出口しか示されず、プロセスがないため覚えるしかない。言葉の関与を認識するため、方法論ではなく、活動の一つとして各教科がリンクをして国語を教えていくことが重要である。
  • すべての教科等を通じた国語力の育成について、国語では学習用語としての言語力を付け、他教科ではコミュニケーションとしての言語力を付けるべきではないか。教科の枠組みを離れてどれだけやれるかが重要である。
  • 学習指導要領は教科縦割ではなく、教科横断的に考えるべきである。
  • 国語の教師が他教科の授業を分析して、考えを述べるなど双方向の議論が必要である。国語で教えていることで他教科で使えば効果的なこともある。
  • 国語と他教科とのすみ分けをどうするかが重要である。
  • 国語科においては、説明をきっちりやり、できたことに一人一人が責任をもつ。そういう生き方ができる子どもを育てるべきである。
  • 国語力として何を求めるのかについて、国語科が担うのか、論理を担う各教科がやるのか、また、コミュニケーションという側面でも、国語より英語活動がふさわしければそちらが担うなど、見極めが重要である。どのような具体的活動が期待されるのかをリストアップし、より適した領域はどこかを整理する必要がある。
  • 思考や論理にかかわり、国語科と各教科でどちらが担うかということについて、区別すべき点と一体として考える点を整理する必要がある。
  • 他教科が総合的な学習の時間を支えていく必要がある。
  • 小学校においては言語力が大事であり、国語できちんと教え、各教科でも意識して指導すべきである。
  • 国語科では他教科で使える言語技術を教えることが必要であり、実際に指導した後、他教科と国語の先生が話し合うなど、使えるものになっているか吟味する必要がある。
  • 言語教育を実のあるものにするためには、国語以外の教育が必要である。

英語教育との関係

  • 小学校の英語教育の必修化について、英語が話せることは、スキル面の向上のみではなく、幅広い言語力の育成になることが世間に理解されていない。日本語では無自覚で使っていた言語を、英語では異言語として自覚できる。また、人にものを伝える難しさを知り、緊張感を持って話ができることなどが英語の導入の効果として考えられる。
  • 子どもに、気付いていないことに対する驚きを与えることは母語でも可能である。また、母語で知っていることをつめて考えるようにすると言葉の構造についての興味を付けていくことができる。
  • 英語をどうするのかという課題もあるが、知識は言語や文化に依存している。子どもを育てるとき、国語が立派な日本人をつくり、立派な世界人をつくる。
  • 高等学校の英語教育は国語力に効果を発揮している。英語、数学、国語の連携が大切である。

漢字、語彙、読書など

漢字や語彙

  • 小学校の配当漢字の音、訓には三千を超える読み方がある。基礎・基本を国語が担っている。
  • 語彙を増やすことを学校でやっていく必要がある。
  • 使用語彙について、小学校では生活的語彙が多く、中学校では思考・論理的語彙が多い。日本の国語教育は生活的語彙を持つ子どもを対象とし、総合的な学習の時間や生活科を通じて日常体験を追体験させる。そうした生活語彙の充足の上で国語科は論理、情緒に関する高度な語彙を身に付けると、思考力や情緒力が身に付くのではないか。

読書

  • 読書をしっかりさせることで批判的に読むための技術を身に付けることが必要ではないか。
  • 基礎から本との触れ合いを増加していく必要がある。子どもは教師の意図を汲み取って動くけれど友達の意図は汲み取らないという子どもが増えている。教師が最後まで読み聞かせ、子どもたちはそれを聞き創造して模擬的な構成力を身に付けるという関係も学習指導要領にきちんと組み込まれる方がよいのではないか。
  • 読書の良さを子どもに感じさせる活動を学習指導要領に入れ、活動だけが空回りしないようにバックアップすべきである。また、PISA調査での学力の低い子どもたちがさらに落ちていることは問題であり、解決のためには読書の基礎体力を養うことが重要である。
  • 国語とその他の教科の違いを認識した上で、どういう本を読んで何をするのかという指導内容を明記しないと教える側はわからない。

文化

  • 日本特有の細やかな言語を国語でやって欲しい。そうでなければ、日本の文化が崩れてしまうことになる。

教員・授業・教材

教員・授業

  • 批判的思考力や論理的思考力を養うため、従来の教え込む知識偏重型の授業スタイルではなく、ディベートなどにおいて、教師が答えを持たないで行う授業が重要である。
  • 論理的思考力を身に付けさせるため、学校現場では、どのように指導してよいか方法がわからず困っている。このため、ワークブックなどの教材が必要ではないか。
  • 教師自身の体験が不足している。
  • 大事なところを落とさない授業づくりが大切である。また、授業の振り返り時間をつくることも必要である。
  • 伝え合う力は音声ばかりなので、もっと書いて、自分の中でフィードバックすべきである。国語の時間では意図的に論理的に考えさせることが大切で、感想文ではなく、「説明文を書かせる」べきである。
  • 学習指導要領には、指導する内容や目標だけでなくプロセスをどうするのかを書き込んでほしい。論理的思考力を身に付けるため、小学校修了段階でどのようなことができるかを明示し、そこから降ろすことを考えていくとよいのではないか。
  • 今までの教科書は素材に焦点が当たりすぎているのではないか。生徒がこの素材で何ができるかということが理解できないために、批判的思考力が育たないのではないか。そういう意味でプロセスと力は不可分である。
  • 学習指導要領に言葉の定義をきちんと明記すべきではないか。
  • 教師が論理的思考力のトレーニングを受けていないことがネックとなることがある。

教材

  • 国語教育では従来の作家中心主義でない教科書の在り方が望まれる。
  • 欧米諸国ではゲーテなどしっかりとした小説を読み込ませ分析的に討論させて小論文を書かせている。小説を読み、自分では体験できないことを小説を通じて、深く考え理解する。このことが社会で生きていく上で大きな経験となる。学習指導要領の改訂では小説の取扱いも含めて考えていただきたい。
  • 小説を扱うことは非常によいことであるが、一部分を読んだだけで、作品と作家を結びつけることはよくない。内容についての討論を前提に小説を扱う、あるいは登場人物の関係性を分析する、あるいは作家はどういうメッセージを読者に発信し、コミュニケーションをしたいのかという分析ができればよい。

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