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高等学校におけるキャリア教育の推進に関する調査研究協力者会議(第2回)議事概要

1. 日時
  平成18年4月26日(水曜日) 10時〜12時

2. 場所
  三菱ビル地下1階M4会議室

3. 議題
  普通科を中心とした高等学校におけるキャリア教育の改善・充実

4. 出席者
 
(協力者) 渡辺(主査)、新井、上田、鹿嶋、西山、和田の各協力者
(文部科学省)  

5. 議事概要
   和田委員、新井委員からのヒアリングの後、自由討議が行われた。

 

学校からのヒアリング

和田委員 本日は城南高校のドリカムプラン、筑紫丘高校のプロジェクトPCの2つを紹介したいと思う。
 最初は城南高校と筑紫丘の両方を並行してプレゼンを行おうとしたが、重なるところも多いので、城南高校が先にプロジェクトを立ち上げたということもあり、またドリカムプランの立ち上げにも私自身が関わったこともあるため、城南高校のドリカムプランの話を中心に話しを進めていきたい。
 よくドリカムプランは何かと聞かれることがあるが、進学指導から進路学習へのモデルチェンジと言うことができると思う。
 城南高校は昭和39年に創立され1学年10クラスの普通科高校である。
 ドリカムプランは12年前の平成6年の31期生から始まったものだが、平成6年という年は全国7校で総合学科が始まった年であり、そして総合学科の中で産業社会と人間という科目があるが、その科目とドリカムプランはよく似ている。
 そもそもドリカムプランがなぜ始まったのかというと、平成6年という年は高校を取り巻く2つの危機があった。1つは高校の新教育課程がスタートしたこと(現行の教育課程の1つ前のもの)、2つめは、城南高校を取り巻く私学の台頭という2つの大きな危機があった。
 新教育課程のスタートにより新しい学力観、つまり生徒の意欲、関心の有無、態度の可否等を学力の中核に位置付けた新しい学力観が提唱され始めたことにより、学校の先生はどのような方針を採っていけばよいか非常に戸惑った記憶がある。
 私学の台頭ということでは、我が校の属する学区は私学の多い激戦区であり、県トップの私立高校があり、また、この年私学は男女共学がブームとなり私学人気が高まり私学に受験生が流れる傾向にあった。そして、ドリカムプランが始まった平成6年に我が校に入学した生徒は活発ではあるが全体的に学力の低下、忍耐力の低下を感じざるを得なかった。
 そこで1年生を受け持つ先生方は、学習指導要領の新しい学力観について調べたり、色々な教育課程の研修会に行ったりするなど、このような生徒達への対処の仕方について情報を集めた。また、中高連携事業を行っていたので、中学校の授業の見学にも行った。そこで見た光景だが、クラスの生徒全員が前を向いて授業を受けているのではなく、コの字型の配列に机を並べて授業をしたり、5〜6人のグループに分かれて授業を行っていたり等、様々なバリエーションの授業が行われていて、以前との変わりように非常に驚いた経験がある。中学校がここまで変わっているのであれば高校も変わらなければならないと思った。中学校が変わったという点では、英検3級を持って入学してきた生徒はこれまで10人いるかいないかだったが、その年では1学年440人のうち、220人にまで増えた。中学校までが変わっているのであるから高校は今までどおりにはいかないということを1学期の終わり頃に気がついた。そのような新入生の変化を主任主事の研修会で報告したところ、ある教師は黒船の来航とまで形容した。そして、先生方が危機感を共有し、1年生を応援しようという雰囲気になった。また、新しいことを始めるのは教育課程が変わったのだから当然だという雰囲気も重なったことも大きい。
 1年生の担任が行った情報収集で学校訪問をいくつか行ったが、その中で影響を一番受けたのが、ある高校の訪問だった。その高校の校長先生に社会に貢献できる生徒をどのように育てるのか、大学卒業後の学生の生き方を考えるのが重要であり、その観点から教育活動を行うべきである、ということで校長先生に「目先の進学実績ばかりに目を向けてばかりというのは好ましくない。」と忠告された。実際にこの高校では土曜日に体験学習を行っていて、体験学習を経験した生徒はものすごく勉強をするという事例を聞いた。そのような経緯からドリカムプランの構想が固まった。
 以上のような経緯でスタートしたドリカムプランだが、これまでの観念的に進路を考えるということから、具体的に進路を考えるようにするということを掲げてスタートした。
 まず第1段階として、進学か就職かを回答させるだけの進路希望調査に変えて、10年後、20年後の自分はどこで何をしているのだろうかを作文に書かせた。
 その書かせた作文の内容によって生徒をドリカムグループと呼ばれる9つのグループに分け、グループ別に活動をさせた。ドリカムグループの傾向として、大学の学部の構成とよく似た構成になった。ドリカムグループを担当する教員はドリカム顧問と呼ばれたが、ドリカム顧問の専門性は必ずしも自分の担当教科とは関係ない。
 ドリカムグループは特に校外での活動を重視した。平日の活動であったとしても公欠扱いにし、将来の進路に役立ちそうなことなら何でもやるというスタンスで行った。グループごとで志望が同じなので生徒同士でお互いに良い刺激を与えあったのは効果的だった。具体的な活動例としては、ボランティアでわくわくワークキャンプ、県庁へのインターンシップ、地元の大学での講演会等があげられる。
 第4段階では、1年生時に職業研究ということで、どんな職業があるのかを生徒に逆引き辞典等を使いながら自分で調べさせる取り組みを行った。
 第5段階で、シラバスレポートということで地元の大学の情報サービス室に全大学のシラバスがそろっているので、大学ではどのような授業が行われているのかを生徒に調べさせ、レポートに書かせる取り組みを行った。
 第6段階としてオープンキャンパスを実施し、2年生の夏休みに全国の大学に行き、模擬講義や体験入学を実際に行った。
 第7段階として、1年生の活動がメインだが、職業ガイダンスを行い、OBの講師を呼んで公演をしてもらい、生徒にレポートを書かせた。
 第8段階として2年生の2学期にジョイントセミナーを実施し、大学教官による学問案内講座を行った。20講座以上を設定して、その当時は少なかったが出前講義を活用して高大連携事業として、例えば薬学部に進学しようと思っている生徒が大学の薬学部はどういうところかが分かるようにガイダンスを行った。
 第9段階としてドリカム企業研修をフィールドワーク型の修学旅行という形で行い、色々な企業に行き、生徒に自分の将来像を描かせた。
 第10段階としては、ドリカム課題研究を行った。2年生のジョイントのメインだが、ドリカムグループ別に自分が将来働こうと思っている分野について課題を設定してレポートを書かせ、10分程度のプレゼンテーションをさせた。
 学年進行で見るとドリカムプランとは、1年生の調査の年で自己理解を深める、2年生は行動の年で自己啓発をし、3年生で実現を目指すということになる。
 ドリカムプランによる生徒の変容だが、進路意識が形成され、意欲が喚起されることによって、それが学力のみならず生活全体にフィードバックされ、活性化されたということができる。
 今から振り返って見ると、これまでの教師主導の進学指導から生徒主体の進路学習への転換ということになる。
 筑紫丘高校では 教育プロジェクトPCと呼ばれ、10年後、20年後の自分の将来像を作文で書かせたり、職業ガイダンス、企業研修等を行っていたりで、ドリカムプランと非常によく似ている。

新井委員 我が校は、1学年3クラスで全校生徒360人程度の小規模な学校である。9年前に「求めて学び、耐えて鍛えよ」というスローガンを掲げた。10年前までは生徒指導が困難な生徒が多く、授業が成立しないこともあった。その時に校長が学校を建て直そうという決意を込めてこのスローガンを掲げた。同じ学区内に他の高校があるが、中学校時代の上位層がその学校に行き、そこに行けなかった生徒が我が校に入学する。昔の生徒指導が困難な時代には自己肯定観がない生徒が多かった。
 我が校の生徒の進路は大学進学、専門学校への進学、就職に3分割される。7年連続就職者全員第1希望合格、進学者についても、ほぼ第1希望合格で未決定者が7年連続ゼロというのは我が校の特色である。
 進路指導方針は社会に出る準備は職業だけではない。私生活、遊びの部分も含めて、人間の根本的なものを育てるのが我々の使命というスタンスである。自分なりの職業観、勤労観は、何も職業、就職だけに直結しているわけではない。
 自分なりの職業観、勤労観を育てると言うと、とかく学校の先生は生徒へホワイトカラーの職業を勧め、生徒がブルーカラーの職業に就くことを考えていると、きついということで目指すのを止めさせることがよくあるが、我が校では、生徒がやりたいと思っていることに関しては何でもやらせ、自分なりの人生観を創らせるのが我が校の進路指導の方針で生きる力につなげたいということで行っている。
 本校では、入学後4月のオリエンテーションでキャリア教育をスタートさせている。本校の場合は、自分のことは自分でやる。就職したかったら自分で行きたいところを探すようなことをオリエンテーションから意識付けている。
 また、集団宿泊研修と呼ばれるものがあり、クラス別に1泊2日で合宿する。そこでいいかげんな価値観を払拭させる。
 我が校は「人間力」を重視し、3年間でこの能力を伸ばすよう指導している。これは日々の学校活動を含めてこの能力を伸ばすよう指導している。具体的には日々の学校生活の中で就職、進学につながるようなことを9年前から行っている。普段の生徒の職員室への入り方、先生への挨拶の仕方等、日々の生活の中で常に行っているので、テスト直前の一時的な指導は行っていない。職場実習を行うにしても進学希望と就職希望に分け隔てはしない。また、進学模試を受けるにしても進学希望者、就職希望者に分け隔てはしない。学力に進路は関係なく、就職希望の生徒がテストで満点とってもおかしくはないという観点に立っている。
 9年前に新しい校長先生が来た時に学校を変えようということになったが、その際、保護者、地域を味方にする、というように学校だけではなくて、地域、保護者、学校の先生のトータルの品質管理をしようということで企業のTQCに近いものを導入し、要因分析をし、何が欠けているのかを研究し、その要因を取り除く発想を進路指導全体の運営に取り入れたところうまくいった。
 また、我が校の先生が中学校に行って進路についての説明をしたり、反対に中学校の先生が我が校に来て説明をしたりしている。
 一番の課題は教師のキャリア教育への意識の低さである。教師が社会を見る目が適切でないと生徒もこちらを信頼しない。
 「ものをつくる前に人をつくれ」、ということで集団宿泊研修もまずはハートを育てるという考えで行っている。
 最近の子どもはあきやすいと言われるが、1つのことを考えさせる教育が必要ではないか。創意工夫とは閃きではなく、1つのことを考えて続けていて、そのベースがあってこそ新たな発想は生まれてくる。何もないところからアイデアが生まれてくることはないということを生徒たち、先生たちにも話している。
 日本は資源がない国なので人的資源が勝負なので、生徒たちをよく育て、世界に通用する人材を育成するのが進学、就職問わず、学校の責務だと思っている。職業のみならず社会生活全般に関しての接続、適合、適用が不可欠だと思っている。
 国立大学の合格者の数、大企業の就職者数を数値目標として重視せよということをよく言われるが、現場の先生は進学者の数で学校を評価するのではなく、生徒の進路希望に対してその希望がどれだけ達成できたかが重要ではないかということを主張しているのだが、国公立大学合格者数、大企業への就職者数がホームページ上にでてしまうことから、なかなか難しい面がある。
 「人間力」が重要で、これには人と接する、部活動等は欠かすことはできない。
 これからは正解がない時代がくる。その時代に備えるためにも暗記型ではなく、自分自身で正解を探求していく生き方を探求させるキャリア教育を推進していきたい。裏キーワードは「竹馬」である。一歩が常に前に出ているが、その一歩は時には勉学、時には部活動や進路であったりする。その一歩が何であるかは状況により異なるが生徒がその時々でやらなければならないことを真剣にやらせる。
 我が校は生徒が当たり前のことができたとしてもほめない。成果が積み重なった段階でほめる。レールをひいてそれにのせるのはキャリア教育ではない。

質疑応答

 ドリカムプランの導入に対して保護者の反応はどうだったのか。

 平成6年の31回生の時の保護者は保護者自身ドリカムプランの趣旨をよく分かっていなかったと思う。一期生が卒業してから数年経って初めて保護者はドリカムプランの趣旨が分かったのではないか。
 生徒が将来どのような職業選択をするかということを考えるのは家庭教育で本来やることである。生徒の社会的自立のために我々教師ができることは何かということで始まったものである。ドリカムプランが始まって生徒が家で自分の将来について語りだしたのを見て、また、子供の自立という親と学校が共通に目指しているものであるので、ドリカムプランそのものは保護者に好評だった。

 しかし、保護者はまず大学に入学させるのが第一で、就職は二の次と考えるのではないか。

 我が校は志望動機を高めるドリカム活動と進学指導を平行して行っている。ドリカムプランは注目度が高いため、進学指導は行っていないというような誤解を招くことがあるが、実際はそうではない。生徒が家で多くの宿題をやっている姿を見て親もそのあたりは安心していたようだ。

 保護者が子供を観察してドリカムプランについて好印象を持ったのか、それとも学校が機会を設けて保護者に説明をしたのか、

 ドリカムプランを説明した文書を親に配付した。それまでの観念的な志望から具体的な志望にしようということを伝えた。創設の段階では保護者もドリカムプランが具体的にどんなものかについてよく分かっていなかったようだ。

 ドリカムプランについてだが、オープンキャンパスには生徒全員が参加しなければならないのか。

 基本的に夏休みに1人につき1校は行かせるようにしているが、強制ではない。

 引率の先生はいるのか。

 我が高校の場合、地元の九州大学の場合は多くの生徒が参加するので、先生が引率する。高校からのキャンパスツアーは、東大、一橋、慶応、早稲田、京大に行き、約120名の生徒が参加し、教員も同行した。

 ドリカム企業研修は修学旅行で行うということからすれば、生徒全員が参加するということだが、受け入れ先の企業は確保できるものなのか。

 教員が持てる全てのつてを使って様々なところに連絡をし、受け入れ先の企業を探している。また、生徒が行きたいと考えている企業に生徒自身でどのようにして行けば良いのかも生徒に調べさせる。それも勉強になる。

 12年も続いている秘訣は何かあるのか。

 ドリカムプランで行っている取り組みはどこの学校でも行っていること。これを3年間で体系的に組み立てたことが特色であるだけで、何も全く新しい取り組みを取り入れたわけではない。
 生徒に卒業後の力を育てるためにと思ってやり始めたことだが、創設1年目の時に、我が校の校長がドリカムプランを全学年で行うと宣言してくれたことが大きい。職員がボトムアップで始めたことを上が拾い上げてくれた。
 我が高校の場合では「のれん分け」をやった。具体的には、10人の最初のスタッフがいたが、その年の学年主任を最初の10人の中から選び2期生の時に1年目に行ったことをよりブラッシュアップして伝達するというようなことをし、1つの学年が行っているのではなく、学校全体で行っているというようなシステムづくりを特に2年目からは意識した。

 組織化がTQCを入れたのか。

 なぜ生徒指導の困難な学校が改善したのかというと、まず学校と生徒、学校と保護者の関係になると対立してしまうので、学校を変えていくに当たってはまず保護者を味方にしようと思った。PTAの役員に話しをして、生徒の保護者を一軒一軒説得しにまわった。そして、学校の方から保護者に対し要望するのではなく、逆に保護者の方から学校に生徒指導基準を提示するようにした。また、茶髪、ピアスにしても、教師がなおさせるのではなく、保護者に学校まで来てもらいなおすようにした。保護者が都合により学校に来られない場合は、地域で保護者の代わりとなる人に来てもらう。その結果、茶髪、ピアスを学校にしてくる生徒は全く見られなくなった。

 進路指導、キャリア教育にしても保護者、地域、家庭との連携は重要ということだろうか。

 連携もそうだが、もう一つの大きな要因としては、先生方のベクトルが一致していたので、一気に学校を変えようという機運が高まったことが大きい。さらに管理職のバックアップがあったため、弱い立場にある先生も物怖じせずに意見が言えるようになった。

以下自由討議
【キャリア教育の教育課程上の位置づけについて】

 私はキャリア教育は既に全国の学校に広がったと認識している。我が高校の職場ガイダンス、出前講座、オープンキャンパスのような取り組みはどこでもやっていることだろう。
 我が高校に話を聞きに来る先生がドリカムプランのノウハウだけ移行しようとするが、うまくいかないのではないか。学校が持つ文化も異なるし、それぞれの学校の問題点、学校として目指すべきものを考え、学校それぞれのドリカムプランを創るべきだ。キャリア教育の教育課程上の位置づけだが、キャリア教育は全体の学校活動でやるべきことだが、全体でやると分散してしまう可能性もあるため、やはり核となる時間が必要ではないか。総合的な学習の時間が一番核となりやすいのではないか。これがキャリア教育だというのはなく、もちろん核はあるだろうが、キャリア教育は学校それぞれのバリエーションがあるはずだ。

 我が校の課題として、各教科の中で学ぶことと社会のなかで生きる力がつながらないかということで、授業の中で試験のためのだけの知識ではなく、社会に出て役にたつようなことも教えるよう、各教科の先生に働きかけている最中である。
 キャリア教育は日々の生活が全てそれにあたる。雨が降ったとしても親に迎えにきてもらうか、傘をかりるのか、雨が上がるまで待つのか選択肢はたくさんあるので、解決策を生徒に考えさせる。これがキャリア教育ではないか。

 キャリア教育は広まっているようで広まっていないというのが現状ではないか。やはり教育課程上、位置づけを明確にすべきではないか。

 キャリア教育が広まっていない要因は現場の先生がそもそも必要性を感じていないからだと思う。進学校では進学実績が全てと思っている先生もいることは確か。そのような先生は社会の雇用情勢の変化に目を向けていない。生徒達が大学へ進学したとしても、卒業後の生徒の不安感を考えているのだろうか。その不安を私たち教師が取りのぞく必要があるのではないか。学校の先生も社会の変化に目を向けるべきだ。

 キャリア教育が教育の問題だとしたら、教育課程に組みこむことによって先生に気づかせることが重要だと思う。学校教育の中でどのように位置づけるかが重要ではないか。

 キャリア教育は評価で1〜5というような数字で表すものではないと思う。評価を求めると基準が必要になるし、教師の負担の問題もあり、なかなか難しい面がある。それらは特別活動、総合的な学習、ロングホームルーム等の時間を使って効率よくやるべきであり、教科の中ではできる範囲でやれば良い。社会は非常に良い題材が転がっていると思う。

 教育委員会にいるので、18年3月の卒業生の就職状況調査をしたが、昨年が96.2パーセントで今年が96.1パーセントだった。就職状況が改善した学校の多くが2、3年生の総合的な学習の時間でキャリア教育を導入し、生徒に考えさせる教育をしたことによって未内定が減った。本県ではキャリアカウンリング研修を行っており、先生の意識も変わった。また、本県では、学校経営品質というものに取り組んでおり、例えば管理職のリーダーシップはどうか、情報の発信、共有化の観点から、公開授業をどのくらい行っているのか、、特に高校の場合だと、地域の小学校、中学校の先生に公開しているのかということでアンケートをとっている。また、キャリア教育を含めた学校の取り組みについての保護者、生徒の満足度を調査するための調査を実施している。そして、その結果を踏まえて、キャリア教育をどうするかについてのOJT研修に多くの学校が取り組んでいる。

 教育課程上にキャリア教育を位置づけることには賛成だ。キャリア教育はあらいゆる場面でできるが核になりやすい時間は総合的な学習の時間ではないだろうか。すぐに効果はでないだろうが、後々大きな効果が出てくるのではないかと思う。以前、沖縄のキャリアセンターで講演を行ったが県の教育委員会が全校にキャリア教育を実施するようにと要請していたために全校の先生が講演にきたことがある。やはり旗振り役が必要ではないかと感じた。トップがリーダーシップをとるべきではないか。そうすれば下からキャリア教育の良い事例があがってくるかもしれない。

自由討議【接続の在り方について】

 大学でキャリアプランニングの授業も出てきていると思うし、高校から大学への接続はできてきているのではないか。

 大学でそのような授業は既にある。大学の教育がキャリア教育の視点でどのように組み立てられているのか見直してみると、大学全体で、キャリア教育を行うためのシステムができていると私は思っている。しかし、大学の先生はそれを意識していない。中学校、高等学校の学校教育も少し手を加え、見方を変えれば学校のシステムとしてのキャリア教育の姿はありえるのではないか思う。
 キャリア教育の柱を何にするのかをまず考えて、それをもとに、高校のシステムを見直し、キャリア教育の位置づけを見直し、どう学校教育で構成させるかを見直すべき。

 うかがった委員の話の中で職業だけではなく、社会に適合していく力の養成が重要だとうかがったが、それは非常に重要な考え方だと思う。また、委員の仰った大学生のキャリア形成の視点で大学教育全体を見直すと、キャリア教育は既に行われているのではないかと仰ったが、高校においてもどのようにキャリア教育が行われているのかを洗い出し、今すでに進路指導、生活指導等、あらゆる面で無意識のうちに行われているキャリア教育が生徒の職業観、勤労観の形成にどのように貢献しているのかを意識化することが重ではないか。また、その意識化をするための核となる時間が必要でないか。

 高校の進路指導、キャリア教育がいかに大切なのか大学の先生も分かっていない。大学の学生で、自分がやりたいこととかけ離れたところに就職してしまった学生が相談にきたことがあるが、そのような学生を見ると、大学生がもつ悩みを高校にも発信する必要があるのではないかと思う。

 高校時代の状況がどのように大学教育を意味づけるかという連携が必要になってきていて、大学という教育機関と高校という教育機関の接続というのを考えてみるべき。

 キャリアカウンセリングで肝心なのはどういう高校を目指すから、あなたはどのような分野で練習が今必要で、高校でどのような科目を学習するのかをしっかり指導するのが重要ではないか。
 高校教育で問題なのは、選択の余地が文系・理系の2つしかないことである。生徒のやりたいこととあまりマッチしないケースがある。やりたいことが決まる前にコース分けが決まってしまうという問題がある。

 我が高校では1年の6月に文系・理系コースに分かれる。それとドリカムのグループ分けは同時並行で行われるが、ドリカムグループは自分の希望が変われば、別のグループに変えることができるが、文系・理系コース分けでは途中から変更ができないということで、保護者からも不満が出ている。
 選択していく力が高校で教科を選択する過程で行われ、大学の学部を選ぶ過程で行われ、その結果どのような結果になるかということの話をするのが重要。また、それと全くの逆の視点で、ドリカムの視点で、高校生段階で知っている知識には限界があり、高校生のうちにやりたいことを探させると視界が狭くなってしまうことがあるので、ある程度のいいかげんさも必要だと思う。

(初等中等教育局児童生徒課)

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