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全国的な学力調査の実施方法等に関する専門家検討会議(第6回)議事概要

1. 日時: 平成18年2月9日(木曜日)10時〜12時
2. 場所: 丸の内東京會舘 11階「シルバールーム」
3.
議題:  (1)問題作成及び質問紙調査について
 (2)調査結果の公表及び返却について
 (3)その他
4. 出席者:
(委員)
梶田座長、浅田委員、大江委員、加藤委員、喜多委員、清水(静)委員、清水(美)委員、高木委員、田村委員、寺井委員、中村委員、耳塚委員

(事務局)
文部科学省 :  銭谷初等中等教育局長、樋口審議官、布村審議官、宮川視学官、田中視学官、常盤教育課程課長、高口視学官、山下専門官
国立教育政策研究所 惣脇教育課程研究センター長、舟橋研究開発部長、三宅基礎研究部長、長崎総合研究官、井上調査官、富山調査官、西辻調査官、吉川調査官、永田調査官、長尾調査官

5. 議事
(1)問題作成と質問紙調査に関して前回までに示された意見の整理について、事務局から説明後、質疑応答が行われた。主な意見は以下のとおり。(○:委員、●事務局)

委員  全国的な学力調査は、国の責任として行う調査である。国レベルでのPLAN-DO-SEEにおける、SEEを担うとの観点に絞って性格づけをする必要がある。

委員  資料1の1(2)1つ目のマルについて、「全国的な状況との比較を通じて自らの位置づけを知り」は、序列を意味しているようにも取れる。全国的な学力調査は、比べることを前提にした枠組みでなく、国が求めている水準にどこまで到達しているかを知るために行われる調査であると思う。

委員  資料1の2(3)将来の展望について、よりよい調査になるよう絶えず見直しは行うが、変えてはいけないところもあると思う。継続することの展望を何らかの形で書き加える必要があるのではないか。

委員  教育課程部会の審議経過報告の素案の中で、国語と理数の充実の必要性が強く打ち出された。学力の構造としては、能力的な面と内容領域の面の2つがあるが、学習指導要領の内容的な面における中核に国語と理数を置くということだろう。そうすると、特に中核になる部分を全国的な学力調査で見ていくと考えるのかどうか、踏み込んで書いておく必要がある。ただし懸念されるのは、学校で国語と理数だけやればいいということになると困る。

委員  全国的な学力調査は、集団標準に準拠した調査ではなく、到達基準に準拠した調査である。標準化して平均より上か下かや、順番を出すものではない。今後、公表に関するところで議論するが、大臣の発言のように、良い成績のところがでるのは個人的には良いと思うが、それが目的ではない。比較だという誤解があってはいけないので、まず、1(1)の2つ目のマルの「児童生徒の学習到達度・理解度を」の後に、「学習指導要領で期待しているところとの関わりにおいて把握することにより」などと書いておいた方がよい。  また、(2)の1つ目のマルの「全国的な状況との比較を通じて」を、深読みにより序列化ととられ、都道府県のどこが一番良くてどこが駄目だということばかり言われると困るので、「全国的な状況との関係の中において」に変え、「自らの位置づけ」を「自らの状況を知り」や「自らの状況を検討し」に変えるなど、「比較し」「位置づけ」といった表現を使わないことで誤解を生まないようにしなくてはいけない。

委員  スコアが教科ごとに1つ出るのではなく、例えば記述式問題と選択肢問題について別々にスコアを出すなど、複数のスコアが出るということを、論点の整理に書いておいた方がよい。1つだけにするから、算数何点と出て、序列化が始まるわけだが、この面では何点、この面では何点というようになれば、序列化にはならない。この議論は前にもされていたので、論点の整理の中にニュアンスとしては含まれているが、明示的に書いた方がいいのではないか。

委員  国語と算数・数学だけを実施する意味づけをもう少し論点の整理に書き込んでおいた方がいい。国語と算数・数学はいわゆる基盤的なもの。学習指導要領では、どの教科についても基礎基本に関わる内容をそれぞれ示しているが、そのどれにも関わるようなものが言葉の力と数量・図形の力である。いわば抽象的な能力、抽象的なものを操作する力。そういう基盤的な力を全国的な学力調査では取り出して問題にするのである。学習指導要領をそのまま問題にしたものが教育課程実施状況調査だが、そういった資料1の別紙1の内容を、少し論点の整理にも入れておいた方がいい。

委員  経年的な調査の意義について、資料1の4(1)の2つ目のマルに調査問題の内容の構造化・体系化の議論があるが、小中学校間の問題のリンクと各学年の中での問題のリンクの張り方を考えておく必要がある。基礎的な知識・技能等を問う問題とその活用に関わる問題の2種類の問題があるが、それぞれ単独で出題すればいいのではなく、知識・技能等を問う問題が、また別の問題の中で文脈として問われるというような工夫が必要になってくると思う。特定の課題に関する調査では、問題間でリンクを張ったり、共通の問題を複数の学年で出題したりするなど工夫しているので、問題の構造化・体系化の観点から、特定の課題に関する調査の趣旨を参考にしてはどうか。

委員  調査結果がでた後の対応として、教科ごとに点数が一つ出るだけだと、確実に心配している懸念が現実のものになってしまう。全国的な学力調査では、複数の視点それぞれについての状況を出したり、あるいは課題が見つかった場合には、データに基づいて改善のための手引きになるようなものを準備するなどの工夫が必要である。資料1の6は手続きのことしか書かれていないので、アウトカムを受けての情報発信などの対応についてもう少し書いていただきたい。

委員  算数・数学も日本語で作られているので、読解力がないとできない。国語の内容と算数・数学の内容の一部は、リンクを張られてしかるべきではないか。

委員  資料1の1(2)2つ目のマルあたりに、「目標に準拠した評価」という趣旨を入れてほしい。調査の意義・目的をどのように書くかが、その結果の活用を左右すると思う。授業改善には評価が重要なので、どこかに「評価に関する」という言葉が入れば、教員にとっても、より視点が明確になって改善に活用できるのではないかと思う。

委員  序列化については、公表や返却の方法と密接に絡んでくるが、そもそも学力調査という行政的な施策は、アウトカムの評価を通じて質をコントロールする作用なので、序列化のような働きを伴わざるを得ないと思う。それを序列化と呼ぶかどうかは別として、何かしらの形で学校間や地域間の優劣が明確になることは避けられない。  国が結果をどこまで公表するかということについては、都道府県レベルくらいまでではないか。市町村別や学校別に結果が公表されるかどうかは、都道府県や学校の設置者である市町村が判断すべきことではないか。すでに市町村別に結果を公表するような自治体は決して珍しいわけではないので、国が公表しなかったとしても、市町村別、学校別に公表されるという事態は、当然予想されることではないかと思う。それを国が公表してはいけないと言えるのかどうか。自治体がそれを妥当だと判断するのであれば仕方ないのではないか。

委員  国が、結果をどう読むか、どう読んではならないのかなどについてのガイドラインを明確な形で示しておくことが重要である。また、義務教育の質の保証が目的であるので、水準に達していないところが出た場合には、そこに対してこれまで以上に資源配分を行って、質を水準まで引き上げるような施策を同時にとるなど、調査結果を生かす手だてを明示することが重要。

委員  質問紙調査について、国が家庭教育に対する提言といったものを検討するならば、資料1の5(1)の3つ目のマルの「教育条件、教育施策、さらには学力との結びつきが強いと考えられる質問項目」の中に「家庭教育」という文言を入れ、学力との相関を見てもいいのではないか。

委員  質問紙調査は、児童生徒を対象にしたものと、学校を対象にしたものを予定している。家庭の問題については、学力の規定要因であるが、子どもに聞きすぎると問題もあるので、校区の家庭の状況という間接的な形で聞く部分も出てくるのではないか。

委員  調査問題について、小中学校間の問題のリンクが大事。各学年で習得する内容に依存する問題については、それ程リンクできないと思うが、実生活に活用するとか、問題解決のための構想を立てて実践し評価するという力は、ある面、学年に内容依存していないと思うので、その点で子どもたちの力がどういうふうに伸びてきているのかを見る必要がある。

委員  特定の課題に関する調査で行われているように、自らの学び方や解き方に対する働きかけはどうだったかや、なぜ答えが導けなかったのかというようなことについて、記述式問題や質問紙調査で見る必要がある。

委員  全国的な学力調査は、毎年同じことをやることに意味があると思う。この調査では、成績がすごく高いということに一喜一憂するのではなく、あるレベルに達しているかどうかを検証することに重点をおくべき。成績が良いところを公表するというのは構わないが、そのために実施しているのではないということをはっきり言っておかないと、勘違いするところがでてくるのではないか。ここができなければ駄目だということを確認することがむしろ大事である。国の調査であることを考慮すると、競争するとか、平均点が高いので威張るとか、それだけはやめた方がいいのではないか。

委員  国として実施する全国的な学力調査は、学習指導要領を基礎・基本であるとするならば、それをまた支える基盤となるもの、ナショナル・ミニマムの中のさらにミニマムとなるようなものである。都道府県の調査は、少し発展的な内容を入れるなど、ローカル・オプティマム的な要素を入れた調査になるだろうし、設置者である市町村では、もっと大胆にローカル・オプティマムの要素を入れるなど、変化していくのではないか。全国的な学力調査においては、オーソドックスで実直な問題作りをしなくてはいけない。都道府県の比較が多少なされても悪くはないが、それはエピソードであって本筋ではない。児童生徒、学校、都道府県が、ミニマム・エッセンシャルの中のまたエッセンシャルを、どの程度満たしているかを把握することを根本に据えて、公表についての検討をするべきであるし、問題作成も含めて全体の原理原則とすることが重要である。

委員  児童生徒自身が、調査問題に触れて考えることが、それぞれの学習にプラスの影響を及ぼすということ、あるいは、教員がその問題を見たり考えること自体が、学習指導の改善のための重要な示唆が含まれている。参画自体がそれぞれの教育の効果にプラスの影響を及ぼすように考えているというメッセージを、資料1の1に入れた方がよいのではないか。

委員  技術的な問題だが、4(2)の調査問題の時間配分について、「小学校6年生は3単位時間、中学校3年生は4単位時間程度」とあるが、このくらい時間があれば、かなり綿密なものができるのではないかと思う。その際に、6つ目のマルの「何年かのサイクルで考えるということも可能ではないか。」とあるが、この点については、疑問形ではなく、鮮明にしておかないと、後々の作業する時に作業が進みにくいだろうと思う。

委員  資料1の4(1)に3つ目のマルを加えて、「問題作成にあたっては、学校の教員にとっては非常に基盤的な学力の具体的な内容を示すものとなり、子ども自身にとっては、あらゆる学習をしていく上で土台として必要不可欠なものであるということが十分に理解・認識されるようなことを念頭において問題の内容や形式を作成する。」というような文があった方がいいのではないか。

委員  実施した後の問題だが、これだけの費用をかけて実施した調査を、現場に戻したり、行政施策に役立てるということのために使うのは当然であるが、研究者から見れば宝物のようなデータであるので、学術研究に用いることができないか。難しい問題があるとは思うが、適切な学力の測定方法や教育水準の測定状況についての研究レベルを上げることは、全国的な学力調査の目的の一つとして挙げてもいい重要な視点だと思う。このことを資料1の1の意義・目的のところで、触れることはできないか。また6の実施体制等のところで、継続的に研究を続けることを明示できないか。

委員  資料1の2(2)調査の実施規模について、一つ目のマルにある3つの項目に学校現場の先生方の視点として、この調査に参加することによって、個々の先生方も目の前の子どもたちについての情報が得られて、指導の改善に役立つというメッセージを入れてもいいのではないか。

委員  子どもにとって学校が楽しいかどうかについては、いわゆる表のカリキュラムである教育課程の内容も大事であるが、裏のカリキュラムである学級、学校が自分を受け入れてくれる人間関係があるか、良しとされる価値観、行動様式が子どもにとって合っているかどうかも大事。勉強を取り巻くクラスの雰囲気を子どもがどう感じているかどうかを質問紙調査で聞くことも大事なことだと思う。「学校が好きですか、楽しいですか」という項目の中に、その理由を問う内容として、例えば「勉強がわかる、友達がいる、友達とのおしゃべりが楽しい、友達と遊ぶことが楽しい、先生が自分のことを受け止めてくれている、クラブ活動が楽しい」などを入れると、教員にとって改善の手がかりとして役立つのではないか。

委員  資料1の1(2)の指導の改善について、例えば2つ目のマル「後の学年等の学習内容に影響を及ぼす内容」までも考えると、かなりの問題数になって、実施できるのかどうか。記述式も入れるとなった時に、かなり問題量が増えて、心配されている無回答や時間切れということもでてくる。全国的な学力調査でできそうなことはたくさんあるが、実際そこで何を一番におくか、重点化すべきか念頭において問題や質問紙調査を作らなくてはいけないと思う。

委員  全国的な学力調査で問う「学力」がもしミニマム・エッセンシャルだとすれば、学習指導要領にかなり基づいたようなものになるが、日本の学校教育で「学力」として何を考えるのかということになると、学習指導要領を踏まえながらもプラスアルファの新しい学力の構造、学力観というものが提案されないとメッセージにならないのではないか。

委員  指導の改善につながるということを考えた時に、調査実施後に学校現場において、九九の練習とか計算練習だけが徹底して行われるような状況は困る。もちろん基礎・基本は大事であるが、思考力や表現力を育成するという意味での指導の改善があるべき。知識・技能など毎年変わらない基本的に大事な問題と見方や考え方を問う問題とをきちんと分けて考えるべき。見方や考え方を問う問題が公表された段階で、実際それを使って授業が行われるなど、その問題自体が教材として一つの価値があるというくらいの問題にすべき。指導の改善のために作られる指導資料においては、調査問題を解いた時にどういう見方や考え方があるのかというねらいを明確にすることが大事だと思う。

委員  九九は覚えないと仕方がないが、それだけではだめ。くり上がりくり下がりもできないといけないが、それだけになってはだめ。教育課程部会の審議経過報告素案においても、基礎基本を覚えたり身につけたりするものとそれを土台にして考えたりするものを「相乗的に」という表現が入ると思う。両方の要素が大事だということが、具体的な問題作成によりメッセージとして表れてくることが重要である。

委員  規制改革・民間開放推進会議からの指摘は真摯に受け止める必要があるが、個人的には、教育というものを考えた時、若干危険な要素を持っていると思う。例えば、学力調査により把握したある一人の先生の一つの学級の学力には、当然その先生の力は反映されているが、同時に校長や教育委員会の取り組みやサポートなども反映されている。つまり、校長の努力により学校全体が活性化すると、少々駄目な先生の学級の学力も向上することがあり得るし、逆に、とんでもない校長の下では良い先生が動けなくなり、学校全体の雰囲気が沈滞し、学力が落ちていくこともあり得る。その先生の責任を超えたところで子どもの学力が上下するということは、極めて良くあることである。こういうことをいっさい考慮しないで、あらゆるデータが全て個別の先生の責任、個別の学校の責任ということになるのは、いかがなものかと思う。少なくとも今までの色々な実証的な研究の蓄積を考慮しない表層的な解釈だと研究者として思う。

委員  一つの学級の成果はすべて一人の教員の責任というような趣旨がニュアンスとして入ってしまうと、全国的な学力調査が、教育を改善していくためのPLAN-DO-SEESEEであるということがゆがんでいき、今まで本検討会議で心配してきた弊害、副作用の方が非常に強く出てしまうのではないか。本検討会議の報告書では、研究の蓄積を考慮すると、単純で薄っぺらな結果解読にならないよう書く必要があるし、同時に副作用が大きくならないよう、そのようなニュアンスがでないように配慮しないといけない。教員にフィードバックすることについては、公表や結果の生かし方のところでもう少し議論しなくてはいけない。大前提として、教員一人の責任を追求する内容にならないようにしなければならない。

委員  規制改革・民間開放推進会議の第二次答申「問題意識」部分について、これをそのまま受け取るのは問題があると思う。この答申の意見は、非常に耳に入りやすいが、実はこんなに簡単な問題ではない。教員と子どものつながりは多様である。子ども自身も多様であり、個々の教員と合う子と合わない子がいる。学力はやる気を持っているかどうか、やる気を持たせられるかどうかなど、子どもの意欲が大きく影響している。その前提に信頼というものがあるが、今、日本の義務教育の問題は、信頼が欠けつつあり、これが欠けているとどんなにいいことをしても効果は上がらない。学力調査は、さしあたって信頼回復に資する程度から始めないとこのような勘違いするところがでてきてしまう。このような簡単な方法で学力が上がるのであれば、もうすでに上がっている。それができないから苦労している。多様な先生がいて、多様な子どもがいるという前提でやっていかないとうまくいかない。一人の先生に責任全てをかぶせるという単純な発想では問題解決にならないことを、文部科学省から規制改革・民間開放推進会議に言っていただきたい。

(2) 調査結果の公表及び返却について事務局から説明があり、次回会議において質疑されることとなった。

(3) 事務局より今後の日程について説明があり、次回会議の公開・非公開については座長に一任され、閉会となった。

(以上)


(初等中等教育局教育課程課)

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