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資料1

第2回初等中等教育における国際教育推進検討会議事要旨(案)


1.日時   平成16年10月7日(木曜日)9時45分〜12時15分

2.場所   経済産業省別館1012会議室(10階)

3. 出席者
 
(委員)   池上 久雄(座長)、佐藤 郡衛(副座長)、奥村 芳和、小野 清二、佐藤 裕之、多田 孝志、中島 和子、根道 博、長谷川 祐子、船橋 力、森 由美子、吉谷 武志、渡邉 寛治の各委員
(文部科学省)   山脇国際教育課長他関係者

4. 概要
  (1)開会(池上座長)

 
(2) 中島委員自己紹介
 第2回からの出席となる中島委員より、自己紹介が行われた。

 
(3) 配付資料確認
 事務局より配付資料の確認が行われた。

  (4)議事
 
1 国際教育の在り方について

【池上座長】
 まずは、国際教育の意義、あり方、あるべき国際人の姿について、意見交換したいと思いますが、私は今回、途中退席させていただく関係上、先に一言言わせていただきたいと思います。
 国際人の在り方、国際教育の意義というものについて、私もいくつかの機会で議論してきておりまして、その1つが、配付資料4の「国際社会における日本人像等に関連する提言」の中にある「グローバル化時代の人材育成について」です。これは私が、経団連の教育問題委員会の委員をやっていたころに取りまとめたものをベースとしている提言でございます。
 それから、2001年2月の「海外子女・帰国子女教育に関する懇談会」報告の中でも、グローバリゼーション下での海外子女・帰国子女教育の新しい理念ということで、経団連「グローバル化時代の人材育成について」で述べられている人材像について言及しています。
 過去の日本の国際化について考えてみると、それは企業や学校などの集団が国際化してくるプロセスであったのではないかと思います。つまり、企業が海外に出ていって、企業として経営をしていていく中での国際化です。
 したがって、人材という面からみれば、海外に進出するといっても、ミッションが終われば、企業としての人事異動により、また帰ってきてしまうということで、国際化も一つの集団の中での一フェーズに過ぎませんでした。
 ところが最近の、殊に1994、95年頃以降、グローバリゼーションという大きな波の中での国際化というものは、個人レベルの国際化という風になってきたと考えます。一番典型的なのが、日本の野球選手が大リーグの中で、個人として堂々と伍して戦っているというようなところにみられます。あれは決して企業からとか集団で、という形で送り出されているわけではない。
 経済活動についても同じで、国際企業や国際機関で、個人がその一員として働くということが出てきている。そこで、その人たちの持っている資質が何なのかというようなことを見据えながら、そういう国際人をより多く輩出していくというのが、日本としての今後の大きな課題の一つであろうかなと。
 ただし、こういった人材が輩出されるためには、国民全体の国際化というものを図っていかないといけないと思いますが、それには二通りの面、特定の活躍できるリーダーシップを持った人たちの国際化と、もう1つは国民全体の国際化、があると思います。国民全体をみれば、どうもまだまだ内向きであるし、言葉だけではない、意識的にも、日本独特の意識の中に固まっていて、それが、外に対する日本人としての主張の弱さとか、ディスカッションに対して躊躇してしまう気持ちなんかにもつながっているので、国民全体の国際化はどうしても必要だけれども、国際的に指導的立場に立てる人材の育成という観点からも見るべきじゃないかと、私自身は考えております。
 そのように考えて、先ほどの経団連提言「グローバル化時代の人材育成」の6ページで、必要とされる国際人像というものを2つに分けて考えようと主張したわけです。これは、経団連の提言ですから、企業という立場からみていますけれども、どういう分野でも、かなり似ているんじゃないかなと思います。
 やはりベースになるのは、1つは、基礎的な能力をだれもが国民ベースで持っているということが必要であるということです。基礎的な能力の意味を、基礎知識、基礎学力の水準以外に、やはり、主体性、プロ意識、知力が必要になるということを、我々実際に企業活動で第一線で当たってきますと感じています。そういう基礎的な能力が、全員が高まっていく中で、もう1つは、国際的に通用する能力を持った人材を意識して育てるというものが必要になろうと。
 国際的に通用する能力とは何なのかというと、第一に、時代の変化を先取りして将来ビジョンを示すことができるということです。世界をリードできる独創的な人材というのは、まだまだ日本は足りないし、こういう人を意識して育てることが必要だと思います。第二に、さまざまな意見をまとめ、また、人材を糾合して、物事を確実になし遂げるという、これは国境を越えての組織化能力ということです。第三に、各国のリーダー、これは何も政治面だけではありませんけど、いろんなリーダーと対等に渡り合える能力です。対等に渡り合えるということは、単に聞いたり、にこにこして協調できるというだけじゃなくて、自分の持っている意見については、確実に強く主張ができ、相手との主張を取り交わして、それで、向こうにも自分を理解させることができる能力を持つということがここで必要になってくるんだろうと思います。
 それから、起業家精神旺盛であるとか、さらには、高度な専門知識、最先端の知識といったものも必要とされると思います。
 そうなると、これだけの能力を国民全員に持てと言っても、難しい話だと思いますので、意識してそういう国際的な人材を育てていくというということが必要だと思います。これは、ある意味ではエリート育成と言われるかもしれないけれども、日本の今までの教育が、ややもすると平等とか、機会均等のほうに、機会均等はいいかもしれないんですが、どうしてもそういう、全員が同じにしていくということを中心にしてやってきているので、国際化の時代はそうではないんじゃないかと。
 私も、海外で、ヨーロッパに6年、アメリカに5年半いましたけれども、やはり、その中で子どもを育ててみると、欧米では、相当いいところは伸ばす、足りないところは補なってやるという形で、ユニークな人材をつくる努力をするし、それから、それぞれの分野で突出した人をつくっていき、何も全部平等にしないというところがあります。国際的な人材育成という大きな方向を考える場合には、そういったことも見据えていく必要があるんじゃないのかなと思います。
 ちょっと抽象的な話になりましたけれども、私自身は、人材育成というか、今後の日本の国際化というものを、この2つの面から考えていったらどうかと感じておるところでございます。

  【渡邉委員】
 おっしゃっている趣旨は、ほぼ私も賛成でございます。そこで、そういった国際人を育成していくとして、例えば義務教育レベルで何をやるかということを考えたときに、どのあたりのところまで、そういうことを推進していきたいのか、イメージはお持ちですか。

  【池上座長】
 イメージとしては、今、日本に欠けていて、欧米でも非常に強く意識してやっているのが、論理的思考を鍛えること、もしくはそれを口に出して言う主張、ディベート力やディスカッション力を鍛えるということですので、それに早い段階から取り組んではどうかということを考えています。論理的な思考を鍛えるということについては、フランスでも、アメリカでも、小さいころから非常に徹底してやっておりました。日本に帰ってくると、どちらかというと、そういう論理的思考というよりは、知識やひらめきを尊重するというような感じですが、論理的思考やディベート力は小さいころから訓練していかないと伸びていかないのではないかと、思っています。
 ただ、小学生から全員がやる必要があるかについては、国民全員に持ってもらいたいのはむしろ、プロ意識や主体性、それから知力などですから、国際的に通用する能力については、それを身に付けてからだんだん育てていく、それもグローバルに向いた人材に意識して育てていくという形になるのかなというふうに漠然と分けてはおります。もっとも、論理的思考やディベート力の基礎となるものは、小学校段階からある程度は高める必要があろうと思います。

  【船橋委員】
 率直な印象として、経済団体の提言の場合は、日本の経済をより発展させるためにという視点に若干立っているような気がしましたが、私の個人的な思考プロセスとしては、国際社会の中で、決して日本人だけじゃなくて、世界の人たちがどういう人材としてあったらいいだろうかというのがまずあって、その中で、日本人は、どこが足りないんだろうというのがあるように思うんです。私は、これをぱっと見たときに、日本人に足りないところばかりがまず出てきているように見えたんです。
 私の個人的な意見としては、まずスタンスとか、人としてのマインドみたいなのがあって、それから、能力、スキルとか、知識とか、そういう二階層に分かれるような気がします。日本人に限らず、グローバル人材として、これからの時代にあるべきなのは、倫理観も含めた社会性とか、共存、共栄的な視点とか、世界だけじゃなくて、宇宙的な視点で物事を見ていくというようなのが、基本的にスタンスとか、マインドであったらいいんだろうなと思ったんです。
 その上で、日本人に足りないスキルとか知識ということになりますけど、私が海外に育って思ったのは、多様性とか自己の確立ということが言われているけど、日本人のアィデンティティーもそうだし、日本人は、自分に自信がない人が多いから発言ができないのかなと。それと、単にコミュニケーション能力の部分もあると思うんですけれども、そういうところに原因があるのかなというふうに思いました。

  【根道委員】
 目指す人間像という観点からは、特に私の経験からいきますと、西洋と日本で最大の違いというのは、主体性というような言葉に少しあらわれていると思うんです。もっとはっきりというと、教育というのは、子どもを自立させ、いかに一人で生きていくことができるかというところに、かなり焦点が当たっているんではないかと思います。ですから、日本でも、要は何かと言われれば、そういうことが教育の目的になるのではないかと思います。これは、ただ、単に教育現場だけの問題ではなくて、おそらく家庭も含めて、子どもを自立させるという、つまり、そのための道具としていろんなものを子どもに与えていく。子どもを自立させるために、社会性だとか、倫理観を持たせている。そういう出発点のところが少し、この中では力点が少ないような感じを受けておりますし、これはなかなか非常に重要なポイントではないかと、私は思っています。

  【森委員】
 グローバルレベルで通用するリーダーというのを考えたときに、「グローバル化時代の人材育成について」に書いてあることを私はすごく理解できます。私が、今、小学校、中学校の現場で子どもたちと接していると、みんなの意見が大体まとまりかけているときに、誰かがぽんと違うことを言いますと、そのグループの中で、何となく気まずい雰囲気になってしまうことがあります。子どもたちもそうですし、周りにいる大人たちも、何となく心地が悪いという気持ちを抱いてしまうことが結構あって、はっきり物を言える、自分の主義、主張を言えるということは、多分、グローバルで発言していくにはとても必要なスキルだとは思うんですけれども、もう一方で、社会の中でうまく、みんなと仲よくというところから、時々それと衝突してしまうことがある。
 だから、その2つの相反する部分で、みんなが一緒にやっていこうと思う、日本人の和を尊しとする部分というのは、実はすごくいい部分でもあるんですけれども、それが国際化といったときに、どういうふうにいい部分を残しつつ、かつ言わなければいけないときに言えるのかというところが、自分では葛藤している部分ではあります。

  【中島委員】
 私は語学教育が専門ですので、すぐその立場からみてしまうのですが、やはり本当の意味の国際理解というのは、語学力なしには考えられないと思います。本当の意味のいろいろな国の人たちとの交流というのは、やはり言葉がわからないと、その文化もなかなかわからない。また、論理的な思考の構築とか、相手にわかるような言い方というのも、その言語のパターンに従って言わなければならない面があり、語学教育と日本人の国際化というのはもっと密接に関連させなければいけないと、いつも思うんです。
 世界的には見れば、学齢期の間に3カ国語を、皆同じレベルでないにしろ使いこなせるという形で育った人たちが国際人になっていくという時代ですので、日本であれば、もちろん、日本の国の言葉プラス近隣のアジアの言葉1つプラス国際語である英語やスペイン語などの言葉も触れておくというような、言語教育と関連させた国際理解教育というものをしないといけない。私はカナダに長くいましたが、カナダは多文化主義の国なんですが、多言語主義ではありません。そのために、いかに多文化教育、国際理解教育が薄っぺらなものになってしまうかということを経験しておりまして、国際理解教育における言語教育の重要性というところは非常に大事だと思います。
 それから、日本人の足りないところについて言えば、論理性とか、いろいろ出てくるんですが、私から見ますと、やはり日本の大変大事な部分として、グループ指向性、グループで行動する傾向であるとか、和の精神であるとかというものがあります。これからのグローバルな問題というのは、環境問題にしても、みんなで協力して解決していかなきゃならないものばかりです。そういうときに、そういった日本人の精神が非常に役に立つんではないかと思います。だから、あまり個の主張だけではなくて、グループでまとまってどう主張していくかというような点のいい点というのを強調していくことも大事だと思うんです。

  【小野委員】
 私は小学校の校長なのですが、池上座長の言われたのは、基本的にそのとおりだと思いますが、学校教育が行う本来の目的というのは、将来の人材育成であって、それが経済界に役立つかもしれない、労働力として価値があるかもしれないし、それから、それ以外の生活でも役立つかもしれない。いろんな場面を想定して学校教育は行われているわけで、企業の論理に立った教育だけが目的ではないと思います。この点は、非常に大切な点だと思います。
 日本全国の小学校で、昭和59年ごろから国際理解教育を展開してきていますが、その中では、かつて日本が世界に進出したときに、必ずしも日本人の経済活動等がいい評価を受けなかったという反省にも立っているということは、その当時の国際理解教育推進に当たっての、要綱でも述べられているとおりです。
 国際理解教育には2つの要素があって、1つは、精神的な面といいますか、子どもたちに意識として、誰とでも共生できる力とか、異民族とか、異言語に接したときに、どんな意思決定と行動を起こすかということです。いわば、人格が中心になるわけですけれども、それを求めてやってきましたが、実は、現在に至ると、日本の子どもたちも、この国際理解教育の意識の面、例えば外国人に対してどんな接し方をするかというのは、かなり熟練して鍛錬されて、小学校流に言えば親切な気持ちとか、優しい気持ちで接することができるようになっています。
 それは、例えば東京都の研究会の調査においても、むしろ日本の子どもたちが外国人を理解する能力と、日本に来た外国人が日本人の子どもたちに接する意識の違いは明確にあらわれているわけでして、今、僕たちが研究している分野では、意識の中では、かなり日本人、特に子どもたちというのは、外国人に対する接し方を身につけてきていると思います。
 そこで、今一番足りないのは、国際理解教育の2つ目の要素、対話能力とか、自主性とか、自己表現力とか、ディベート力とか、そういったことではないかと思います。
 私は、これから国際化を目指していく上では、学校教育の基礎部分としての小学校や中学校で、こうした対話能力、ディベート能力、それから、自己表現力、まさに平成14年度から新しい教育課程で文科省が示した学習指導要領、教科書に基づいて行われている教育そのものを、さらに定着していく必要があると思います。
 ところが、現場では、そういったことが国際理解教育の中で必ずしも取り入れられていないというところがあるんです。日本人を育てるという意味で、国際教育とか、国際理解教育の中心的議題は、私は、人間理解とか、異文化理解とか、共生とか、それから、対話能力ですから、国際教育としても、初期の段階で、こうした自己表現力、ディベート能力をもっと学校教育の中で取り組むべきであるということを、私は申し上げたいと思います。

  【池上座長】
 教えるということと、実際に交流している姿を見せていくということの両方がないといけないのかなと思います。少し東京大学の取組をご紹介させていただくと、あさって9日に、東京大学の合唱団と、ソウル大学の合唱団と、北京大学の合唱団と、それからベトナムのハノイ大学の合唱団が、BESETOHA(ベゼトハ音楽祭)というのを東京でやります。これは第2回で、今回は東京大学が主催校なっています。この4大学が集まって、それぞれの自分の国の歌を、自分の国の言葉で歌い、それをみんな発音から練習して、最後に、それぞれの国の歌を全員合唱します。その音楽祭は一般公開しているのですが、同時に、都内の中・高の70校くらいを招待して、見においでよ、このような交流をしているよというのを見せることをしています。
 NHKの「おはよう日本」の中でも、おもしろい試みだということで取り上げてもらいました。実際に教えるだけではなくて、そういう交流の場というのをできるだけ作っていくということが、実際にはみんなの気持ちの中に、あっ、そうかと、アジアの人々とこんなつながり方もできるんだと、感じてもらえるのではないかと思います。

  【佐藤(郡)副座長】
 池上座長が提案されたことで、私どもが学ぶべき点が幾つかあると思うんですけれども、要するに今議論していることは、国際的に求められる人材、あるいはどういう人間像なのかということで、国際人に求められるのは、基礎、基本という基礎的な能力にプラスアルファがあるということです。ところで、実はこの経団連の「グローバル化時代の人材育成」の中で書かれている、ビジョンの持つ力とか、独創性とか、意見を集約する力、遂行力、対話力、企画力、専門性といったものは、文脈を切り離して読んでみると、全部当たり前で、かつ非常に重要なことなんです。
 そうすると、私どもが学ぶべき点というのは、国民全体に底上げしていくべき基礎、基本になるような力というものを、私たちが想定する必要があるんだろうということです。これは一体何なのかというところがはっきりすればいいと。さらに、プラスアルファとして、例えば中等教育段階で一体何を伸ばしていくのか、あるいはさっき中島先生のほうから出たような、多言語というのは非常に難しいかもしれませんけど、2言語ぐらいの力をきちんとつけていくようなこともプラスアルファでやっていくようなことが、必要なんだろうと思うんです。
 学校現場の中でやられている国際理解教育の目標などを抜き出して整理してみましたが、4つぐらいに集約することができます。
 1つは、現代の社会を読み解いていくような力が必要だということが言われています。複雑な社会を読み取るためには、科学的な、基礎・基本を踏まえた力が必要になります。
 2つ目が、自分と違う文化を理解していくためには、多様な物の見方が必要だということが言われています。これは、批判的思考力と通じるものがあると思うんですけれども、私どもの文化なり、社会ではこういうふうに見えるものでも、違うところに行ったら、違ったように見える、そういう力をつけていかなきゃいけないんじゃないかということです。
 3つ目が、異なった文化を持つ人を思いやる力、いわゆる共感性みたいなものが必ず出てきます。
 そして、4つ目が、さまざまな葛藤場面を超えるような力として、対話力とかコミュニケーション能力ということがあげられます。
 つまり、まとめますと、複雑な社会を読み解いていくような力、科学的な力、多様な物の見方、共感性だとか、対話力だとか、コミュニケーション能力みたいなものが、集約すれば、学校現場での国際理解教育の目標として掲げられているのではないかと思います。
 そういった国際理解教育の目標に掲げられている能力と、ご提案があった基礎・基本にプラスアルファというようなところが、どう結びついていくのかという議論が重なっていくと、国際人に求められる能力やあるべき国際人像というものが見えてくるかなという感じがします。

  【多田委員】
 池上座長と佐藤副座長のお話を聞いていて、ちょっと思ったことを申し上げたいと思います。特に、基礎的能力というところで、これが重要というのは、なかなか論議になっていなかった部分だと思います。私の意見の背景は2つあって、1つは、多文化共生社会が現実化したという点と、もう1つ、見逃せないのは、日本の青少年の現状として、自己肯定感を持つ人たちが非常に減って、人間関係づくりが非常に苦手な若者たちが出てきているということがあります。この辺は、国際教育を考える上でも、非常に重要な課題だろうと思うわけです。
 その辺をちょっと念頭に置いて、私は、自己の確立、いろんな人と創造的な関係性をきちんとつくっていく力やネットワーク力、それから変化に対応する力という、3つが非常に重要ではないかと思っております。自己の確立というのは、いわゆるcapabilityをどう伸ばすかということです。今の若者たちは、自己の内的な能力に懐疑的なんです。国際化に向けて、日本が国力としての若者像を持っているとすれば、そういう人たちに、さまざまな能力がお互いの中にあるんだ、共有しているんだということを感じ取らせるような教育として、国際理解があっていいんじゃないかと思います。
 それから、多様な他者と創造的な関係性をつくっていく力についてですが、私は中近東のクウェートと、中南米のブラジルと、カナダと、計6年住みましたが、ときには、互いを理解することがほとんど不可能だと感じる場合がありました。だから、人といい関係をつくるといったときに、無条件でなくて、やはり理解が不可能だったり、難しいということを理解した上でどうかかわっていくかというような力も、実は現実的には必要なんじゃないかなと、私は思うんです。
 それから、変化への対応力ということについて、かつて私が出会った海外で活動する人たちの多くが、与えられた条件の中で、その最善を尽くす力はかなりあったと思うんです。ところが、今の若者像というのは、障害にちょっとぶつかると、へこんでしまうという感じがあるわけです。
 もう1つは、さっきから、ディベート、論議の話が出ますけれども、私自身が日本の学生や生徒を海外に連れていったときにすごく感じるのは、特に欧米の子と議論したときに、日本の子どもは意見は言えるんですが、一度言われたことに対して、もう一度自分の意見を出す力がないんです。相手の言っていることを要約して受けとめて、論議の全体の方向をきちんとつかまえて、自分の意見を構築し直す力というのも、国際社会で実際に役に立つコミュニケーション力というものを考える際には必要になります。それを例えば小学校レベルではどうやるという論議がないと、言葉だけが先に行ってしまうという感じがします。

  【奥村委員】
 高等学校の現場のほうからお話しさせていただきたいと思います。
 現在、高等学校は、いわば公正、公平、平等を重視した戦後の民主教育から、それが解禁されて競争の時代に入ったということで、今大きく階層化が進んでいると思います。私は大阪府から来ておりますけれども、大阪は比較的昔から階層化がそのまま温存されており、いわゆる底辺校とそうじゃない学校というふうな形での二分化が進んでいる。私立も同じような形で、しかも、中学校や、あるいはひょっとすると小学校へも私立が参入して、さらに階層化が進んでいく可能性も今見えてきています。
 今、池上委員のほうから、国民全体としての国際化というお話がありましたが、これをどう身につけさせていくかを考えながら、我々は国際教育を進めています。大阪で非常に困難な学校なんかとも一緒に手を組みながらやっているんですけれども、やっぱり、長谷川委員から前回ご報告いただきましたように、外国人労働者などを多く抱え込み、教育の困難を極めた中で、いかに国際教育をしていくかという切実な問題を抱えているところがあります。
 私のほうは、国立の高等学校ということで、試験をして、選抜をしてという形で、どちらかというと上澄みのほうを教育している立場になるんですけれども、やはり外国人労働者などの問題、人権であるとか、民主主義であるとか、寛容であるとか、多文化理解をどうするかとか、そういうふうなものを一緒にやりながらも、さらに、リーダーとしてどういう資質をつけさせていくかという部分にも目を向けながら教育しています。文科省からは、国際理解教育を総合的な学習の時間の中でやりなさいなどと言われてきていますが、やはり、現実の受験圧力というものも大変なものです。学校教育の半分以上は塾にとられ、塾産業の中でやせ衰えた学校教育というものが行われる中で、せっかくの我々の努力が、どこへ消えていくんだろうという思いがしているんです。競争社会というのには、そういう部分があり、一方でやはり本来のあるべき姿の国際教育をどうするかという課題があり、その辺を学校現場ではどう融合させながらやっていくかという、非常にシビアな問題があります。特に、私の高校では、国際理解教育を総合的な学習の時間の中で大々的に取り入れてやっているわけなんですけれども、その総合的な学習の時間自体に、生徒がどういうふうな意識で向かってくれるか、なかなか難しいところがあります。
 ただ、そういう2つの側面から、リーダーとしての側面、それから、多文化理解、お互いを理解し合うという、その両側面からきちんと見据えながら教育の現場におろしていくということが必要なんじゃないかなと思います。

  (ここで、座長中座)

  【渡邉委員】
 今ずっと池上座長からの資料をもとに論が始まった中で、いずれも、佐藤副座長も言われたように、幾つか我々が、日本の全人教育の中でも考えていかなきゃいけない話題が出ていると思います。その中でもとりわけ生きる力が何なのかということと、国際人としてどうあったらいいのかという資質、能力ということを考えて、しかも、初等中等教育で何がはぐくまれる可能性があるかということを考えたときに、少なくとも後で申し上げる理由から、池上先生の言葉を借りると、主体性とか、私流に言うと、イニシアティブと言いたいんですけれども、誰にも言われなくても、自分で決定し、行動する力、こういったことが国際的な面でも当然必要とされています。と同時に、それは、我々が行ってきている義務教育レベルでも非常に欠けている部分ではないかと思います。それは、次の理由によるんです。
 私は小学校英語活動に14年間、携わってきましたが、コミュニケーション主体にやっていて、簡単な、例えばWhat do you like?と言われても、もじもじして答えられない子がいるということを聞きます。これは、多くの学校の先生に聞くと、ほかの教科領域の授業のときも同じだと言います。このように考えてみると、主体性ということは、我々が今後考えていかなきゃいけない生きる力の基礎・基本の中に入れてもいい問題じゃないかなと、感じております。学校現場の先生とお話しすると、このようにALTを入れて、いろいろコミュニケーション中心の体験活動をしていると、それが子どもの主体性を重視した体験活動ゆえに、そのことがもろに見えてくると聞きます。
 私は昭和21年生まれの58歳なんですが、ずっと教え込まれるような知識、理解中心の教育を受けてきました。どこを切っても同じの金太郎飴でも、それでよしという部分もありました。そして、受験競争に勝って今日まできました。それはそれで感謝しなけりゃいけないことがあるかもしれません。しかし、現実には、こう改めて子どもと一緒に歩んでいますと、我々のときと変わっていない部分というのは、自己決定力、そして行動力が非常に欠けているという部分だなと感じます。教えられ、教え込まれていく、知識、理解中心の、あの教科型の中で力を発揮できない子が、体験活動をしているコミュニケーション中心の場では、自己決定力や行動力を発揮する。それは改めてとても重要なことで、基礎・基本に入れなければいけないことだと思います。
 今、私どもの国立教育政策研究所でも、こういった問題を取り上げまして、初等中等教育段階で求められる資質、能力とは何かという研究を、今年度からスタートさせました。今まだ論議し始めたところですけれども、その一端としてご紹介しました。

  【長谷川委員】
 一番初めに、池上座長のほうからお話があった点について、経団連の「グローバル化時代の人材育成」についてですが、教員に要する資質というものと同じだなと感じました。国際性の豊かな子どもをどう育てていくかというような視点で、日々いろいろ議論しながら、いろんな事業を考えていっているわけなんですけれども、その資質、能力としては、先ほど佐藤副座長のほうから出たような、要するに多様な見方、共感性、それから対話・コミュニケーション能力という部分と、あと、先ほど池上座長から一番初めに出た論理的思考、そういうものは、やはり、これからの子どもの教育の中では、非常に大切な部分だと思います。
 ただ、義務教育は全人教育です。そういうことを基盤に考えていく中で、国際理解教育という教科や領域の枠組みというのは実際は設けられておらず、総合的な学習の時間の中で、今日的な課題ということで大きくクローズアップして進めることができる機会、学習の場ができたということはすばらしいことだなと思います。ただ、限られた時間の中ということですので、いろんな教科、あるいは領域の中で、こういうような資質、能力を伸ばしていかなければなりません。こういうものをまず教員が意識していくということが非常に大切だと思います。
 今、横浜市でも、どういう資質、能力が必要なのかと考えたときに、先ほどからも出てきていますように、やはり子どもたちが、いろいろな人とかかわり合う力、それがすごく大切なのではないか、あるいは、かかわるだけではなくて、相手を受容できる、異なるもの、異なるというと、それがすぐ外国の異文化というふうに行きがちなんですけれども、子どもの場合は、自分以外は皆、異なるもので、友達、あるいは地域、そういう部分の人とのかかわりの中から、どれだけ自分が、そういうものを受容できるか、そういう受容力、そして、受容したものから、自分が発信していく力、この3つの力が、これから非常に大切になるんではないか考えています。
 あと、やはり、柔軟な発想、これは子どもだけではなくて、教師にも言えることだと思います。多様な見方ということが出ましたけれども、一方的な固定観念で見てしまうということではなくて、いろいろな、さまざまな外国人の子ども、帰国の子どもがいるわけですけれども、その子どもの多様な個性、そういうのをいかに教師が受容して、その子どもを学習の場に生かしていけるのかというのが、やはり、非常に大切になってくるのではないかなと考えています。

  【佐藤(郡)副座長】
 こういう議論をしていくときに、やはり、子どもの現実の状況を踏まえて、しかも、国際人、あるいはグローバル化という一つの時代状況の中で、こういう基礎的な目標をどうつくっていくのかが、大事なんじゃないかなということが一つ出てきて、ただ、問題なのは、そういう目標というものを学校の中に具体的にあてはめていくときの、どうも学校なり、地域の実情もあるなというような議論が出てきたと思います。
 今、長谷川先生のほうから、すごくおもしろい、こういうのは教員養成、教員研修の視点としても必要なんじゃないかということが出てきたと思うんですけれども、これはもう、全体的な議論にかかわりますので、今後も継続的に進めていく必要があるんだろうと思います。もう1つ、今日、次の議題がありますので、ひとまずここで終えまして、海外子女教育のあり方というところに議論を移していきたいと思いますけれども、よろしゅうございますでしょうか。
 まず、配付資料の説明を、山脇課長のほうからお願いできますでしょうか。

2 海外子女教育の在り方について

【佐藤(郡)副座長】
 お二方から――私も含めてですが――少し意見をいただいた上で、集中的な議論をさせていただきたいと思います。まず、この分野で長くご活躍されている根道委員のほうからご意見をお伺いし、私のほうは、資料9に基づきまして、この海外子女教育の課題について意見を述べさせていただきたいと思います。
 それでは、まず根道委員のほうからお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

  【根道委員】
 海外子女教育振興財団に来てから現場で聞いた声等を中心に、感じたことをお話し申し上げたいと思います。
 海外子女教育の在り方については、前回配付された資料の中にある「日本人学校における教育の充実方策」、「帰国子女教育の充実方策について」、それから「海外子女・帰国子女教育に関する懇談会報告」を拝見しますと、私の感想としては、これら提言すべてが実現できるのであれば、ほとんど言うことは何もないなということではあります。これらの中には、本検討会の委員である佐藤 郡衛委員や多田委員とか、その他海外子女教育に携わってきた皆さんが、過去十数年にわたって積み上げられた知識と、問題点の指摘があるわけであります。
 実際、関係者のご努力のおかげで、過去30年間を振り返ってみますと、いろいろな意味で課題が改善された、あるいは日本人学校や補習授業校、それから帰国子女の受け入れとか、かなり整備されてきたことは事実だと思います。
 しかしながら、全体的に見て、ここに挙げられた課題がほんとうに解決されたのかと一度振り返ってみますと、どうもそうではないようだと思うこともあります。なぜ、そう申し上げるかと言いますと、海外子女教育財団の行っている教育相談からは、例えば、帰国子女の受入だとか、あるいは途中編入だとか、あるいは子どもの学校における扱いとか、いろんな面においてやはり問題があり、子どもと両親の悩みは尽きないということを感じているからです。
 帰国子女も、かつてのように珍しくなくなりましたし、片や、外国人の子どもへの対応ということが喫緊の課題となって、外国人児童生徒教育や国際理解教育といったことが盛んに言われるようになって、極端な表現ではありますが、世の中では、帰国子女教育の時代は終わったという、ショッキングな言葉を聞くこともあります。
 ただ、帰国児童生徒に関する課題というのは、おそらく外国人児童生徒教育や国際理解教育と非常に共通するところが多いということで、これらを全体としてとらえることは非常に正しいと思いますが、逆に言えば、帰国児童生徒の教育の解決なくして、実際は、外国人児童生徒教育だとか、国際理解教育とかという問題の解決もないのではないかと、私は思っておるわけであります。
 一般的な傾向として、文部科学省の教育改革の方針も、画一と受け身から、自立と創造へと、個性や能力に応じた教育がうたわれているわけであります。このこと自体はまことに妥当な方針と申すべきであります。一方、海外子女・帰国児童生徒教育の問題については、個性尊重、長所伸長、あるいは相互啓発といったキーワードでいろいろ語られています。両者がそういう傾向にあるのだとすると、帰国児童生徒と一般の児童生徒を一緒に扱っていくようになっているという傾向を生んでいるのではないかなと思っております。
 しかし、先ほど来お話がありますように、こういう国際化の時代にあって、帰国児童生徒は、我が国にとって貴重な人材であると思います。もちろん、すべてがそうだとは言いませんけれども、少なくとも人材の種がそこにあると私は思っておりますので、我が国の教育の現状を考えると、ある程度、帰国児童生徒を対象とした特別な育成指導というものが必要だと考えております。特別な配慮というのは、私は必ずしも教育界の実情に通じているわけではありませんが、私から見た、その最大のポイントは、生徒を指導する先生です。さっき長谷川委員も言っておられましたけれども、結局は先生の問題に返ってくると思います。
 もう1つは、文部科学省による帰国子女受入協力校制度というものはなくなったわけでありますけれども、帰国生というのは、ある程度1カ所にまとめて教育することのほうが、効果が上がるのではないかなと思っております。この受入協力校制度が廃止されまして、加配の教員がなくなりました。これは、ある程度事情があってなされたということはよくわかりますけれども、それに伴い、おそらく知識、経験のある教員が分散化されたり、あるいは協力校に蓄積された経験を適切に継承していくということが難しくなってきたことが起きているのではないかと考えます。私が申し上げているのは、主として公立高校の場合です。私立の場合は若干異にいたしますが、私立というのは、日本の全体から見ると、大都市圏にどちらかというと集中しているという面もありますので、特に地方については、それが問題だと言えると思います。もっとも実は東京でも問題だという方もいらっしゃいますが。
 それから、先ほど申し上げましたように、先生の問題との関係から言えば、従来からも、必ずしも帰国生の受入について知識や経験のある先生が協力校に配置されていなわけではないようですけれども、やはり、加配だとか協力校ということで、ある程度の配慮がありました。特に大きかったのは、校長先生の理解が高いということだったと思います。海外経験のある先生は1万人を超えると言われておりますが、これとて、先生全体から比べると極めて少ない数です。しかも、これらの先生の経験が必ずしも生かし切れていないということが言われていますので、この検討会の課題の一つでもあると思います。つまり、教員の配属が、多少素人的に誇張があることをお許しいただきたいんでありますが、機会均等が重視されて、多少の配慮はあっても、言ってみれば先生の特性伸長というのは行われていないということではないかと思います。
 さらに、帰国児童生徒の問題に関して言いますと、ただ単に個性尊重、特性伸長という一般論だけでは、なかなか問題が解決できないのではないかと思っております。
 いろいろな方からご意見が出ていますけれども、我が国においては、企業や地域社会、あるいは教育界でも、さらには子どもの社会でも、諸外国に比して、個性の特異性というか、変わった者に対する許容度とか容認度が低いわけです。だから教育するんだとおっしゃられればそれまででありますが、言ってみれば、外国に比して全体の調和のほうがはるかに尊ばれる、そういう世の中だと思います。帰国生が――もちろん、多少年齢だとか、期間、子どもの性格にもよるんですけれども――日本に帰ってきたときのカルチャーショックのほうが、海外へ行って、海外の学校へ入ったときよりも大きいということを、かなりの方から聞きます。海外に行くときは、ある程度覚悟があるのに対して、帰国時はすぐ慣れるだろうという予想して帰ってくるので、その分ショックが大きいんだという見方もあるんでありますが、私はやっぱり、最大の原因は、日本の教育現場で一般に考えられている個性尊重の個性という考え方と、海外、特にアメリカ等の先進国で帰国生が身につけてきた個性の概念の間には、相当大きなギャップがあって、だから、個性を尊重しているんだと一方が言っても、片方はそのように思えないというようなところに、大きな原因があるのではないかと思います。したがいまして、また、先生の話に戻りますが、帰国児童生徒の教育に当たっては、こういった子どもの特性について、知識、経験のある教員を配置するということが鍵になると思うわけであります。
 もう1つは、帰国生の入学等によって一般の生徒の国際理解の促進や、相互啓発が期待される、あるいは国際理解教育にも役に立つと言われているんですが、突然日本的発想になって恐縮なんでありますが、帰国生が少数である場合に、帰国生が特別扱いされたりすると、かえって反発を実際に買う、あるいは買うのではないかという恐れを子どもが持つということは、容易に想像ができると思います。したがって、個性のある子どもを育てるには、我が国のそういう社会的な現状を考えると、帰国生をある程度集めて教育した方が、効果が上がるのではないかと思います。つまり、相互啓発の効果を上げるためにも、帰国生にある程度クリティカル・マスのようなものがあるのではないかと思います。もちろん、1カ所に集中する弊害というのも、しばしば言われますが、だからといって完全に分散すればいいということではないと、私は思うのであります。
 一方、教員についても、先ほど申し上げましたように、海外経験のある、あるいは外国人児童生徒教育又は国際理解教育のできる先生の数は限られているということでありますが、よく言われているのは、これも多少極端に過ぎるかもしれませんが、ところによっては、そういうことに従事する、あるいは海外から経験を持って帰ってきて、国際理解教育、帰国児童生徒教育などをやろうとすると、えてして孤立無援に陥る危険があるということも、仄聞いたします。したがって、先生も、生徒も、ある程度一定の箇所に集めていくということのほうが効果的ではないかと思います。確かに帰国生の受入経験を多くの学校に広めていくことは必要かもしれませんけれども、拡散し過ぎると、先ほど申し上げましたように、学校に受入経験の蓄積やその継承ということができなくなるということはあると思います。
 また、帰国児童生徒教育には、一人の先生だけではなくて、学校全体、特に校長の理解と支援が必要であります。帰国子女教育研究協力校の廃止というのは、実はこの点でも非常に大きな痛手ではないかと、私は考えています。指定がなくなったけれども、引き続き帰国生がたくさん来るというような学校があるということではありますが、学校の方では、うちは受入校じゃないということで、特別な措置はしない、それから、なるべくこれ以上増えないように工夫をするというようなことが行われているやにも聞きかじるのであります。
 せんじ詰めると、教育制度全体に関わることとなってしまい非常に難しいのかもしれませんが、教員の人事異動を配慮するということがやはり、帰国児童生徒受入のための鍵ではないかと思います。一部の地域では、教員の海外経験を配慮した配属をしているという話も聞いておりますけれども、必ずしも一般的ではないようであります。
 また、一方で、せっかく経験を積んで帰国児童生徒教育に当たりたいという思いがあっても、ある程度恒常的に帰国生、あるいは外国人児童生徒の仕事に従事するということが予見されないと、やはり教員も、幾ら思いがあっても、そういうものを志望するという傾向は当然減ってきて、実際にやりたいと思う教員が減ってきてしまうのではないでしょうか。例えば、全国海外子女教育・国際理解教育研究協議会(全海研)に所属しようという派遣経験教員が少なくなっているという話を聞きます。全海研に入って、海外経験をしているということを標榜することが、教員にとって魅力的でなくなってしまったんだろうと、私は思って、恐れているわけであります。
 もう1つの海外にいる、あるいは海外から帰国した子どもの重要課題は、日本語教育の問題だと思います。海外子女の低年齢化、滞在の長期化傾向は今も続いているわけで、今後日本語の指導を要する子どもの数が増加すると予想されております。JSL(第2言語としての日本語カリキュラム)の開発とその実践が進んでいると理解しておりますけれども、それがもっと普及することが期待されています。
 次に、海外における教育の問題でありますが、これも、先ほど申し上げました海外子女教育に係る各種報告の中で、ほとんど網羅的に、しかも詳しく触れられておりますので、私は、3点についてのみ、申し述べさせていただきたいと思います。
 1つは、幼稚園の問題であります。幼稚園というのは、母語取得の重要な時期であるということもあって、非常に重要であり、今後、幼稚園に力を入れていく必要があるのではないかと思います。現在は、日本国外での教育は、憲法上国の責任ではないが、義務教育段階については国の政策として支援をしている、しかし、幼稚園は――これはおそらく文部科学省のご本心というよりは、予算上の関係ではないかと思いますが――していないという整理になっています。しかし、国内を考えた場合、幼稚園にも国の支援が行われているわけですし、海外でも何らかの支援策をとれるようにお考えを変えていただくことをぜひ検討していただきたいと思います。
 2番目は、補習授業校でありますが、これも、特に子どもの日本語維持という観点から重要なところで、例えば永住者の問題だとか、国際結婚の子どもの問題だとか、いろんなあるわけでありますけれども、また、日本からの塾の進出もあって補習授業校に通う子どもの数も減っているということも言われています。しかし、補習校の重要性というのは極めて大きいというふうに思いますので、そういう問題を何とか克服する方法を考えていかなければいけないのではないかと思っております。
 3つ目は、赴任されるご両親の語学に対する認識の問題であります。中島委員も、いろいろなところでご講演をされたりしておりますけれども、先ほどの報告にもありましたとおり、今は現地校、インターナショナルスクール志向が強まり、補習校へも行かない子どもが増えているということが言われています。海外子女教育財団では、小中学生のための通信教育をやっておりますが、この受講生も、過去5、6年の間に1万数千件から5,000件へと半減をしております。一つには、帰国児童生徒の受入が充実してきて、多少、親御さんが昔ほど慌てなくなったという面もあると思うんですが、どうも昨今の英語学習ブームが、この傾向に拍車をかけているのではないかと思います。第2言語の取得は、もちろん、帰国してくる子どもにとって大変なメリットであり、財産でもありますが、片や、母語としての日本語軽視の傾向があるのではないかと危惧されております。ご専門の中島委員がここにおられるので声を小さくしたいんでありますが、母語の確立は、子どもの学習能力、あるいは感性や論理思考の形成の重要な要因であり、どういう過程をとるか、慎重な選択と対応が必要であると言われています。海外子女教育財団では、教育相談の際に、皆さんに母語の重要性について呼びかけたり、母語維持に関するパンフレットをつくってお渡ししているわけでありますが、まさしく、何となく蟷螂の斧というか、相手に効いているぞという実感がなかなかないのが実態であります。何らかの対策、例えば日本語判定能力を確立して、親に子どもの力をはっきり指摘する簡便な方法がないかなど、何か手を打つ必要があるのではないかと思っています。
 これは全く余談でありますが、先日、財団で海外文芸作品コンクールをやりました。その受賞者の中で帰国した方のシンポジウムを開いたんです。そうしたら、受賞者のいわく、日本に帰ってみたら、生徒の書く文章が幼稚で驚いたということでございますので、日本語能力の低下の問題は、帰国児童生徒だけの問題ではないかもしれません。しかしながら、やはり、海外にいる子どもは、その意味で、明らかに不利な環境にあると思います。
 最後に、海外から帰国してくる子どもの日本人としてのアイデンティティーの問題というのがよく取り上げられるんですが、これは単なる私の感想だけかもしれないんですが、海外子女は、日本にいる一般の子どもよりも、はるかに日本を強く意識します。かつ日本人であるということの自覚を持つ度合いがかなり強いと思います。もちろん、年齢とか、滞在期間にもよります。問題は、帰国してから、それを潰さないことだと、私は思っております。一般論としては、あまり心配のないことではないかと思いますが。

  【佐藤(郡)副座長】
 それでは、私のほうは、簡潔にポイントだけお話をさせていただきます。
 この前、ある先生方の会合に、海外子女教育振興財団の『海外子女教育』という雑誌の創刊号をコピーして配り、「これ、いつの主張だと思いますか」と聞いたところ、今のものだと、皆さんおっしゃるんですね。つまり、国際人の養成とか、活躍できる日本人の育成とか、国際性の涵養とか云々という同じ議論が、ずっ繰り返されているということなんです。私は、やっぱり診断なき処方せんがずっと書かれ過ぎているのではないかという気がするんです。
 そうすると、やはり、現状をきちんと把握した上で、その成果と課題を踏まえた議論というものをきちんとする必要があるんじゃないのかと思います。
 現状を踏まえるということで一例ご紹介したいのが、平成13年度に日本人学校で実施した学力調査です。小学校5年、6年、中学1年から3年まで、教科別に結果を出しているのですが、国内調査の通過率を上回ると考えられるもの、国内調査の通過率と同程度と考えられるものを比べますと、実は日本人学校のほうがはるかに成績がいいんです。つまり、こういう事実があるということです。
 もう1つは、それと一緒に子どもたちの意識調査をやりましたが、国内の子どもと比較して、「学校が好きである」、「勉強が大好きである」、「勉強は受験に関係なく大切だ」という回答が多く、学校と勉強に非常に親和的であるという結果がでました。それから、国内の小中学生と比較し、「授業がよくわかる」、家庭学習も含めて「1日の勉強時間が長い」、それから、「よく読書をする」といった回答比率は非常に高くて、基礎学力を支える学習の構えを非常にしっかりと持っているんじゃないかという結果も実はあるんです。
 例えば、補習授業校に通う子どもの日本語能力について議論するのであれば、それに関する研究成果をきちんとデータとして示していくことが大切だと思います。なぜなのかという点がないままに議論すると、実のない議論になるだろうと思うのです。ですから、保護者の要求や教員の実態であるとか、学校経営、運営の実態であるとか、日本の国内と比較してという場合にも。いろんなことを、一つ一つの観点から、実態把握をしなければいけないと思います。その事実を踏まえて議論したいと思うんです。課題が解決されないものについてはなぜなのかという原因も考える必要があると思います。
 続けて、本日主張したいことを簡潔に申し上げます。
 1つは、海外子女教育の成果というのは、やっぱりあると思うんです。その成果をどう生かしていけるかという議論をまずしたいと、ぜひ思うんです。例えば今、6・3制の見直しの議論があります。日本人学校のことを考えた場合、大概の日本人学校は小中学部が併設されていて、小中学校の乗り入れが日常的です。そのメリット、デメリットを含めた議論というのを、やっぱりきちんと考えてみたらどうか。そのメリットがあるのであれば、きちんと提案していく必要性がある。
 例えば、教科指導に関して、日本人学校では、中学校の先生が小学生を教える、小学校の先生が中学校を教えるということは、日常的に行われているはずなんです。とすると、中学校の先生が小学校を教えることによって、小学校段階ではこういうことを踏まえる必要があるんじゃないかといった、ポイントに気づきます。つまり、小中学校の教育課程を通じてその教科を見通す力が非常に強くあるのではないかと思います。そういうことを、きちんと私たちが提案していかないといけないのではないか。
 また、教員の指導力ということなんですけれども、6・3制の柔軟な学校制度、小中一貫であるとか、日本の国内の教育改革の中で、いろんな制度が行われていたり検討されていますけれど、こういうようなことに関しても、日本人学校なり、補習授業校での教員の指導力というものが生きるんじゃないかという議論があって、本当に何が、どういう形で生きるのかというところまで突っ込んだ議論をしてはどうかと思います。
 学校運営や経営の視点で言えば、日本人学校は、危機管理のノウハウや経営的手腕というものをお持ちだと思います。今、日本の学校では、学校評価や学校運営というものが、管理職に強く求められていますが、日本人学校なり、特に補習授業校の管理職として派遣された先生方というのは、全部が全部とは申し上げませんが、そういったことをやってこられたのではないでしょうか。
 そういったことを、どう発信するのかという戦略が重要になりますが、そのような議論をこの場でしていったらどうでしょうか。
 確かな学力と豊かな教養ということで言えば、例えば基礎的学力の保障については、先ほど言いましたように、日本人学校のほうが非常に高いとするのであれば、なぜなのか。同じ調査の中で、いろんな教科の中で、ティーム・ティーチングや少人数指導を多くの時間で取り入れている、習熟の程度に応じて学習グループを編成した授業を行っている、宿題を出す、コンピューターを活用した授業や、課題解決的な学習を取り入れた授業を行っている、読書を習慣化させる特別な取り組みを行っている、発展的な課題を取り入れた授業を行っているといったような、いわゆる多様な指導形態をとっているという結果ができました。そういったことから非常に学べるものがあるのではないか。
 総合的な学習の時間と、基礎的な学力というものがある程度あるということを大前提にしたときの基礎的学力の両立のために一体どういうような教育課程が適切なのかということについても、日本とは違う教育課程編成をとっている日本人学校等から、当然私たちは学ぶことができる。
 英語教育について、日本人学校では、小学校の英語教育も、長年の経験があるわけです。もう40年近い経験、蓄積がある。それから、中学校の英語科の成績は、日本の学校と比べるとはるかに高いんです。これは授業時間数だけの問題ではどうもなさそうだというような示唆もできるのではないか。
 国際理解教育の実践という点からは、国際人材の育成に関しても、義務教育で底上げするとするのであれば、国際化、あるいは国際理解というような視点からカリキュラム全体を見直すということがどうしても必要だろうと思うんです。例えば、いろんな日本人学校等を見ますと、国語で国際化という視点から教材を見直したり、授業実践しているわけです。理科でそういう授業実践をしている。ただ単なる特設としての国際理解ではなくて、そういう視点からカリキュラムそのものを見直すということが、今求められているのではないかということだと思うんです。その際に、日本人学校の蓄積というものを極めて多く生かせるのではないか。
 また、派遣教員の実践的力量の向上、それをどのように国内に還元できるか。私などの大学などの関心から言えば、専門職大学院というような構想もありますので、そういうところでの活用ということも考えられるのではないか。私がここで申し上げるのは、一つの話題提供でございますので、つまり、成果があるのであれば、その成果をきちんと踏まえた上で、それをどう国内に生かしていく、その発信の仕方をどういうふうにしていったらいいのかということを、ぜひ議論をしたいなということです。
 もう1つは、中長期的な視点からは、グローバル化の中で、国際学校化構想というものを考えています。これは、今すぐにとは言いませんけれども、日本人の多様化への対応とか、学校経営戦略であるとか、現地への貢献であるとか、日本からの発信といったようなことのために、東アジア人学校というようなもの、アジア人の育成というのを海外子女教育でできないものだろうかというようなことを、実は私自身は大きな夢物語として抱いておりまして、日本人学校を拠点にするなどして、こういう学校を国際学校というようなものとして、日本人学校をもう1回位置づけ直していくようなことができないものだろうかということを、少し議論を俎上にのせてみたいなという思いがあります。
 それから、補習授業校のあり方、これは第15期の中教審の第一次答申で提言されているんですが、現地の授業の共同開催と情報通信ネットワークの活用といったようなものが提言されておりますけれども、いわゆる新しい授業のあり方、補習授業校というものがもともと持っている意味と、そして、新しい補習授業校の授業のあり方といったようなもの、それから、思い切って日本国内の構造改革特区的な発想から海外子女教育の構想というものができないものだろうかと。これも、船橋委員などおられますので、何かそういう案を少し出していただければ、何か中長期的な視点から議論していくことが可能なのではないかということが、私自身の今の問題意識です。

  【長谷川委員】
 帰国した子どこたちの教育ということをどう考えて、学校の中で受入体制や支援をどうやっていくのかという観点で考えていましたが、今日、お二人の提言を伺って、そういう子どもたちが海外で受けていた教育や海外に派遣されている教員が行っている教育について知ることが重要だと思いました。
 あと、帰ってきた子どものことを考えると、横浜市では、教員の配置や学区を、以前に比べると、非常に緩やかに運用していますが、現地でいろいろ体験されてきた先生たちをどう生かしていくかということを、これからもっと考えていかなきゃいけないなと感じました。海外の日本人学校の小中連携や現地校との連携などに関するいろんなノウハウをそういう先生が持っていらっしゃるわけです。そういう先生の持っているものを、今後、我々は、子どもに生かしていくと同時に、その先生自身を生かしていくいう、両方の視点で考えていかなきゃいけないなというふうに思いました。

  【佐藤(裕)委員】
 川崎で帰国・外国人児童生徒の受け入れを担当している者ということから、少し情報提供するというようなことでお話させていただきたいなと思います。
 帰国生に、現地校出身者が増えてきているということ、それから、低年齢化しているということは、川崎でもその通りです。それから、根道委員からの、帰国生が生かされていないという話も全くそのとおりで、帰国児童生徒とともに国際理解を進めるということがなかなか難しいということもあります。その大きな理由としては、やっぱり情報不足がすごくあるなと思っております。つまり、受け入れた学校側としては、その子が現地でどういうような学習をしていたのか、どういう経験をしているのか、全く知らないんです。学校とすれば、まず当座は日本語が話せるかということで、日本人学校から帰ってきたということならば日本語は大丈夫ねというような形で受け入れているケースがほとんどです。
 私のところには、海外からの国際電話がよくかかってきますが、それは、ほとんどが保護者からの電話で、今度川崎に帰るんですけれども、受入校はどうなっていますかというような情報を求めるものです。私は総合教育センターに勤め始めて今年4年目になりますけれども、現地校はともかく、日本人学校から、今度こういう子どもが帰ります、こういうような学習状況ですというような情報交換できたのは、たったの1回だけです。あとはすべて、保護者の方が、自分で、今度川崎に帰ります、川崎はどういうふうになっていますかというようなことなんですね。
 我々は、前から、帰国生を生かして国際理解をしようと思いながらも、その子がどういうものを経験して、どういう力を持っているのかすら知らない。それなのに、その子どもに、あなたのいた国について説明してくださいみたいに、ぽんと表に出してしまって、実はその子がほとんど日本人社会の中にいて、海外とのかかわりというか、学校でそういうような経験がなくて、そういった我々の一言で大変な思いをしてしまったりすることもあるんです。ですから、そういう意味では、海外での学習状況に関する情報を共有するようなシステムがもっともっとできないと、日本に帰ってきたときの受け入れ体制というか、自分の経験したものを生かすというようなことが全くできないような状況ではないかなと思います。
 さっき、長谷川委員は、横浜では、学区外や指定変更を弾力的に行い受入の幅を広めているということを言っておられましたが、逆に川崎では、一つの学校に二百何人の帰国生いるという状況もあって、基本的には学区指定を厳密にやっています。そのように都道府県によって受入の制度が全然違うんです。その辺の情報を、海外にある学校の先生が全く知らないというような状況の中で、こういう話がされているということを、非常に感じております。

  【小野委員】
 まず第1点は、現地校に行く子どもたちが増えているというようなデータを見ると、例えば北米では、現地校に行く割合は、かなり多いです。実数でいいますと、北米、欧州等が多いです。オセアニアの実数も同様であり、ではなぜアジアが少ないのかということになりますと、ここにやっぱり国際理解教育、子どもや親の意識の違いがあるように思います。北米とか、欧州とか、オセアニアに行っていた子どもたちの保護者たちが、何を考えて自分の子どもたちを現地校に通わせているかということ、議論する必要があるだろうなということを思います。
 2点目は、例えば小学校における教科の実施状況なんですけれども、日本の学校の教育課程の基準は945時間ということで決められているんですが、日本人学校とこういう差があるというのは、このとおりだと思います。しかしながら、調査の仕方や内容の細かいことがわからないのではありますが、海外ではどういうふうに行われている、日本とどこが違うという分析が必要だと思うんです。
 すなわち、平成14年度の日本人学校における平均年間授業時数として1,086時間、日本の教育課程の基準より約140時間多いという数字が掲げられています。その中で、「その他」が70時間、「英会話」が71時間あります。一方では、「総合的な学習の時間」が110時間となっていて、日本の基準からはやや少ないです。一方、日本の学校では、英会話は「総合的な学習の時間」でやっていて、行事にかける時間は全国平均で140時間となっています。すると、日本人学校と日本の学校とで一致してくるわけです。日本の小学校での年間授業週は、過去5年間の平均で43週となっているのに対して日本人学校の年間授業週はどうなっているのか、といった点を含めて、もう少し詳細な分析や調査が必要な気がします。それからそうすると、海外の日本人学校ではどういう教育課程と行事等をこなして社会性を身につけたり、基礎的学力を身につけるかなということがよくわかるような気がします。
 3点目なんですが、学力調査の結果について、ぜひもう少し細かいデータがあるといいと思います。すなわち、重要な問題が1つあると思いますが、国内調査の通過率を上回ると考えられるものと国内調査の通過率と同程度と考えられるものがあります。ところが、国内調査の通過率を下回ると考えられるものは0となっています。海外の子どもたちは現地学校に行って、日本人学校を敬遠しがちであるのに、調査をしてみると、学力は日本人学校に通う子の方が上じゃないか、日本国内の子どもたちよりも優れている、というふうに評価をしがちなんです。
 しかし、えてして帰国児童生徒の調査を私たちがしてみますと、海外に赴任している保護者というのは、教育熱心だし、保護者自身ある程度の教養があって、自分の子どもへ教育をつけてやるという環境が、割合でいえば、日本にいる子どもたちの保護者よりも非常にすぐれています。ところが、日本でやる調査というのは、公立学校においてあらゆる種類の保護者の子どもを対象にして、あるAという学校の3年生と5年生を対象とする、そういう中では、全然学力の状況が違うわけです。だから、そういう意味では、ほかにもう少し国内での調査と外国との比較のそういう状況による違いを示す参考資料がもしいただけたら、もっと、本当はどうなんだということが今後の議論で役立つんじゃないか思います。

  【佐藤(郡)副座長】
 今の議論の中で、逆に私としては、アジアで現地校に行っている子どもたちが極端にどうしてこんなに多くなったんだという実感が、初めて見るこのデータからはするんですが、小野委員のほうからは、アジア地域で現地校に通うものが少ないというのが日本の国際理解教育にあらわれているのではないかという重要な問題提起をいただいたと思います。学力調査に関しては、日本人学校の全数調査ですけれども、出せるかどうか、私のほうも、事務局と相談させていただいて、できるものはお出しするというふうにさせていただきたいと思います。

  【中島委員】
 データに関してですが、国内では、日本人学校についてはあるけれども、補習授業校の生徒たちの実態というか、そういう調査の結果は、なかなかないと思います。補習授業校の生徒たちの実態については、アメリカを中心とした、日本語教育に関する全米日本語教師会というのがあって、その中の部会に、そういう問題を扱うグループがありまして、過去10年間、かなりいろんなデータが集まっていますので、そういうデータもぜひお使いになっていただきたいと思います。
 ついでに3つだけ申し上げます。私は海外子女教育において幼児教育の問題は非常に重要だということを以前より主張してきました。6・3制の枠を超えるという議論をするのであれば、ぜひ幼稚園も一緒に含めて考えないと、問題だと思います。
 もう1つは、地域との連携で、海外の日本人学校などは非常に苦労してきたわけですけれども、その体験は非常に貴重だと、私は思います。教員研修の一貫としても、海外の学校に行き、異文化接触を図り、異文化体験してきた先生方の苦労を見て、生徒たちがその後ろ姿から学ぶことは非常に多いだろうと思います。
 3つ目は、国内の教育に、海外の補習授業校や日本人学校を利用してはどうかと思います。実体験というものがないと、日本のような箱庭の中で、外国人を入れて異文化接触しろと言っても、限界があるのではないかと思います。語学的にも、理解の上でも、それを国外で実体験としてやらないと教えられない分野の1つだと思います。例えば、2週間なり3週間なり、日本人学校に体験入学する、あるいは、積極性のある子は、補習授業校の親御さんにホストファミリーになっていただいて、そこのお子さんが行っている現地校に体験入学してみる、など、こういうような体験の場として海外子女教育を使ってはどうかと思います。

  【吉谷委員】
 佐藤 郡衛委員の話された日本人学校の学力調査について、帰国予定の子どもと、永住者の子どもと、何か違いはあるのか。日本から赴任した親の子どもの学力が親の教育水準が高いために学力が高いということなのか、海外にいる子ども全体の中でどうなっているのか、ということが分かればもっといいと思います。
 それから、先ほど佐藤 裕之委員から、外国から帰った子どもを受け入れたときに、日本人学校出身者かどうか程度のことで、向こうでの状況をほとんど知らずに受け入れているということが言われましたけれども、外国人の子どもさんの場合も全く同じで、南米のどこそこの国から来た、言語は何か、といった程度の情報で受け入れるんです。その子が行っていた学校なり、地域、あるいはその国の学校教育制度の中で、例えば数学では割り算を教えているかどうかとか、かなり具体的な問題があるにも関わらず、そのようなことは気にせず、日本の学校にぽんと受け入れてします。つまり、同じことが日本の子どもに限らずたくさん起こっているということです。それは、ほかの分野も全部そうだと思います。
 その辺のことは、実は前半の議論とも関係しているんだけれども、理念としては、国際理解教育や国際教育、あるいは海外子女教育で言われたきたことは全部同じで、昔からもずっと言ってきたことで、みんな納得できる。ただ、それは結局、こんなもんだよねという大枠のところでずっとやっているから同じことが言われているということであって、それを解決するための提案としてなされたのが、具体的なデータに基づいた議論をするということではないかと思います。学校教育現場というのは、地域性みたいなものがあって、先生たちが、生きる力と言ったとき、抽象的には理解できているけれども、自分の教育の現場でそれを具体化したときには違う理解をしているはずなんだと思います。我々がもし何らかの提案をしたとしても、学校現場では、生きる力は分かった、私たちも尊重していますよというものの、実際にはその通りにはならない。
 つまり、情報を具体化して伝えることとともに、それから、言っている理念的な言葉を、今回、伝えるときには、その地域性みたいなことも考えてはどうかと思います。つまり、いわゆるキーワードとして地域性を入れておいて、それで、じゃ、国の政策として考えている国際理解教育の理念というのは、具体的にはこういうものですよ、というようにきちんと伝わるような言葉に、今回議論している中で、つくっていかないといけないんじゃないかなという感じを受けています。これは多分、先ほどの海外子女教育の議論、データが必要だとか、ちゃんと伝わっていないというところで多分必要だと思うし、全般の議論でも全く同じところではないのかなという印象を持っています。

  【奥村委員】
 今、現地校志向であるとか、インター校志向が強まっていると言われています。確かに我々の高等学校で帰国生を一定の枠で受け入れておりますけれども、それは1週間に数度は確実にかかってくる海外からの電話連絡を聞いていると、よくわかると思います。
 ただ、親のほうが、子どもの発達段階、年齢との絡みで、インター校であるとか、現地校に入れる場合、いつの時点で入れて、何年間経過して日本へ帰ってくるか、あるいはそのままずっといるか、そのあたりでミスマッチがものすごくあるんですね。ですから、いわゆる日本人学校か、現地校か、インター校かと、この選択をするときに、やっぱり子どもの発達段階と、それから、親の滞在年数と、そういうふうなところをきちんと考えてアドバイスするような親への指導というものも必要じゃないかなと思うんですけれども、そういうふうなところで、それも何かデータがありましたら、ありがたいと思うんですけれども。

  【根道委員】
 まことに同感でございますし、我々は、先ほどもちょっと申し上げましたように、母語の大切さとか、いろいろ発展段階や子どもの性格など、そういうものを一応面接で見た上で、相談員がアドバイスをするわけであります。我々は子どもの意見をよく聞いてくださいと言いますけれども、当然のことながら、最終的選択権は親御さんがなさる。
 ところが、親御さんは、ほとんど現地校に行くことに決めているんですよね。海外に行くからには現地校に行かせるのだ、と思っている人の意思を変えさせるということは、かなり至難のわざですし、下手をすると、時代錯誤ではないかと言われる世の中ですから、かなり気をつけて我々はアプローチしなければいけないというのが、現状だと思います。

  【佐藤(郡)副座長】
 今日話にあがった中で、幼児教育の支援という話が具体的に出てまいりましたし、それから、補習授業校への支援という話も出てまいりました。要するにそういう新しい何かに関して、国としてやるべきことなのか、海外子女教育振興財団がやるべきことなのか、あるいは民間がやるべきことなのか、その辺のところを線引きする、あるいは先ほど自己責任の問題が出ましたけれども、自己責任の大前提として、やっぱり情報開示が必要なわけであって、その選択をするだけの情報開示があって初めて自己責任を問えるわけで、その辺のところを、国としてもどう考えていったらいいのかというようなところも議論がまだ残されておりますけれども、時間が来てしまったんで、もう一度、12月に予定している第5回に議論をさせていただければと思います。

 
(5) 今後の日程について
 事務局より、今後の日程について説明した。

  (6)閉会

  (了)


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