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(2000年1月18日、「21世紀日本の構想」懇談会より小渕内閣総理大臣に提出)
【グローバル化】
グローバル化(グローバリゼーション)はもはやプロセスではない。それはれっきとした現実である。世界の市場とメディアの一体化が進んでいる。人、モノ、カネ、情報、イメージが国境を越えて自由に、大規模に、移動する。国の垣根はますます低くなり、瞬時に世界は影響しあい、地球はぐんぐんと狭くなっている。この流れは21世紀にはさらに加速されるだろう。その結果、経済・科学・学術・教育などのさまざまな面で、制度や基準の汎用性と有用性が世界標準に照らされ、問われ、評価される。 いずれの国でも、それまでの制度や慣行を世界的な視点や基準から見直し、再評価し、変えざるをえなくなっていくだろう。制度と基準の大競争時代の到来である。その影響は政治と外交から経済、社会、生活にも及び、国の中だけで完結する「閉ざされたシステム」は空洞化し、疲弊していくだろう。 グローバル化は、国内的にも、国際的にも多様化を急速に進める。それは、人々にさまざまな選択肢と可能性をもたらし、活力を高める方向へと働くと同時に、異質の物が生の形で触れ合うことで新たな軋轢や紛争の種ともなる。 日本にとってグローバル化は、そのスピードへの対応、ルールづくりでの発言権、個人のパワーアップなどの多種多様な問題を投げかけている。日本では意思決定は稟議制によるコンセンサス方式で時間がかかり、ルールは明文化されず、以心伝心が尊ばれ、この中で責任は不明瞭となり、個人のアイデアや創造性は十分に活かされてこなかった。 これではこれからの時代、不利になる。日本の課題は、仕組みもルールも、誰もが参入できるように明示的であり、かつ世界に通用する基準にすることである。説明責任を負い、意思決定過程を透明にしてスピードを速め、個人の知恵やアイデアをもっと大切にし、個人の権限と責任を明確にすることである。先駆的な発想や活動に対して、先例、規制、既得権などの邪魔を許さない、そして、失敗した時にはやり直しや再挑戦ができる社会を育てることである。 グローバル化はアメリカ化に過ぎない、いや、アメリカ基準の押し付けだとの見方もある。たしかにグローバル化の中で、アメリカは現在圧倒的に有利な立場に立っている。しかし、アメリカといえども、それに伴う国内と世界での所得格差の拡大と、それに対する反発と反感の広がり、反米感情の高まりに直面せざるを得ない。内外で反グローバル化運動や保護主義の動きが高まれば、国際的ルールについての国際的な合意形成を難しくする。日本は、そうしたグローバル化の影の部分にも十分配慮しつつ、光の部分は思い切って使いこなすべきである。それに止まらず、グローバルな制度と基準形成、さらにはルールづくりに向けてより積極的に参画していくべきである。 【グローバル・リテラシー】 ![]() それでは変革によって切り拓く、21世紀日本のフロンティアはどこにあるのだろうか。日本の中のフロンティアをどのように開拓すべきなのか。
第2章以下に各分野別にさまざまな提言がなされているので、それらも通読していただきたいが、ここでは、分野横断的に、新しい機軸となるものを特記しておきたい。
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