国際教育の在り方について
【池上座長】
まずは、国際教育の意義、あり方、あるべき国際人の姿について、意見交換したいと思いますが、私は今回、途中退席させていただく関係上、先に一言言わせていただきたいと思います。
国際人の在り方、国際教育の意義というものについて、私もいくつかの機会で議論してきておりまして、その1つが、配布資料4の「国際社会における日本人像等に関連する提言」の中にある「グローバル化時代の人材育成について」です。これは私が、経団連の教育問題委員会の委員をやっていたころに取りまとめたものをベースとしている提言でございます。
それから、2001年2月の「海外子女・帰国子女教育に関する懇談会」報告の中でも、グローバリゼーション下での海外子女・帰国子女教育の新しい理念ということで、経団連「グローバル化時代の人材育成について」で述べられている人材像について言及しています。
過去の日本の国際化について考えてみると、それは企業や学校などの集団が国際化してくるプロセスであったのではないかと思います。つまり、企業が海外に出ていって、企業として経営をしていていく中での国際化です。
したがって、人材という面からみれば、海外に進出するといっても、ミッションが終われば、企業としての人事異動により、また帰ってきてしまうということで、国際化も一つの集団の中での一フェーズに過ぎませんでした。
ところが最近の、殊に1994、95年頃以降、グローバリゼーションという大きな波の中での国際化というものは、個人レベルの国際化という風になってきたと考えます。一番典型的なのが、日本の野球選手が大リーグの中で、個人として堂々と伍して戦っているというようなところにみられます。あれは決して企業からとか集団で、という形で送り出されているわけではない。
経済活動についても同じで、国際企業や国際機関で、個人がその一員として働くということが出てきている。そこで、その人たちの持っている資質が何なのかというようなことを見据えながら、そういう国際人をより多く輩出していくというのが、日本としての今後の大きな課題の一つであろうかなと。
ただし、こういった人材が輩出されるためには、国民全体の国際化というものを図っていかないといけないと思いますが、それには二通りの面、特定の活躍できるリーダーシップを持った人たちの国際化と、もう1つは国民全体の国際化、があると思います。国民全体をみれば、どうもまだまだ内向きであるし、言葉だけではない、意識的にも、日本独特の意識の中に固まっていて、それが、外に対する日本人としての主張の弱さとか、ディスカッションに対して躊躇してしまう気持ちなんかにもつながっているので、国民全体の国際化はどうしても必要だけれども、国際的に指導的立場に立てる人材の育成という観点からも見るべきじゃないかと、私自身は考えております。
そのように考えて、先ほどの経団連提言「グローバル化時代の人材育成」の6ページで、必要とされる国際人像というものを2つに分けて考えようと主張したわけです。これは、経団連の提言ですから、企業という立場からみていますけれども、どういう分野でも、かなり似ているんじゃないかなと思います。
やはりベースになるのは、1つは、基礎的な能力をだれもが国民ベースで持っているということが必要であるということです。基礎的な能力の意味を、基礎知識、基礎学力の水準以外に、やはり、主体性、プロ意識、知力が必要になるということを、我々実際に企業活動で第一線で当たってきますと感じています。そういう基礎的な能力が、全員が高まっていく中で、もう1つは、国際的に通用する能力を持った人材を意識して育てるというものが必要になろうと。
国際的に通用する能力とは何なのかというと、第一に、時代の変化を先取りして将来ビジョンを示すことができるということです。世界をリードできる独創的な人材というのは、まだまだ日本は足りないし、こういう人を意識して育てることが必要だと思います。第二に、さまざまな意見をまとめ、また、人材を糾合して、物事を確実になし遂げるという、これは国境を越えての組織化能力ということです。第三に、各国のリーダー、これは何も政治面だけではありませんけど、いろんなリーダーと対等に渡り合える能力です。対等に渡り合えるということは、単に聞いたり、にこにこして協調できるというだけじゃなくて、自分の持っている意見については、確実に強く主張ができ、相手との主張を取り交わして、それで、向こうにも自分を理解させることができる能力を持つということがここで必要になってくるんだろうと思います。
それから、起業家精神旺盛であるとか、さらには、高度な専門知識、最先端の知識といったものも必要とされると思います。
そうなると、これだけの能力を国民全員に持てと言っても、難しい話だと思いますので、意識してそういう国際的な人材を育てていくというということが必要だと思います。これは、ある意味ではエリート育成と言われるかもしれないけれども、日本の今までの教育が、ややもすると平等とか、機会均等のほうに、機会均等はいいかもしれないんですが、どうしてもそういう、全員が同じにしていくということを中心にしてやってきているので、国際化の時代はそうではないんじゃないかと。
私も、海外で、ヨーロッパに6年、アメリカに5年半いましたけれども、やはり、その中で子どもを育ててみると、欧米では、相当いいところは伸ばす、足りないところは補なってやるという形で、ユニークな人材をつくる努力をするし、それから、それぞれの分野で突出した人をつくっていき、何も全部平等にしないというところがあります。国際的な人材育成という大きな方向を考える場合には、そういったことも見据えていく必要があるんじゃないのかなと思います。
ちょっと抽象的な話になりましたけれども、私自身は、人材育成というか、今後の日本の国際化というものを、この2つの面から考えていったらどうかと感じておるところでございます。
【渡邉委員】
おっしゃっている趣旨は、ほぼ私も賛成でございます。そこで、そういった国際人を育成していくとして、例えば義務教育レベルで何をやるかということを考えたときに、どのあたりのところまで、そういうことを推進していきたいのか、イメージはお持ちですか。
【池上座長】
イメージとしては、今、日本に欠けていて、欧米でも非常に強く意識してやっているのが、論理的思考を鍛えること、もしくはそれを口に出して言う主張、ディベート力やディスカッション力を鍛えるということですので、それに早い段階から取り組んではどうかということを考えています。論理的な思考を鍛えるということについては、フランスでも、アメリカでも、小さいころから非常に徹底してやっておりました。日本に帰ってくると、どちらかというと、そういう論理的思考というよりは、知識やひらめきを尊重するというような感じですが、論理的思考やディベート力は小さいころから訓練していかないと伸びていかないのではないかと、思っています。
ただ、小学生から全員がやる必要があるかについては、国民全員に持ってもらいたいのはむしろ、プロ意識や主体性、それから知力などですから、国際的に通用する能力については、それを身に付けてからだんだん育てていく、それもグローバルに向いた人材に意識して育てていくという形になるのかなというふうに漠然と分けてはおります。もっとも、論理的思考やディベート力の基礎となるものは、小学校段階からある程度は高める必要があろうと思います。
【船橋委員】
率直な印象として、経済団体の提言の場合は、日本の経済をより発展させるためにという視点に若干立っているような気がしましたが、私の個人的な思考プロセスとしては、国際社会の中で、決して日本人だけじゃなくて、世界の人たちがどういう人材としてあったらいいだろうかというのがまずあって、その中で、日本人は、どこが足りないんだろうというのがあるように思うんです。私は、これをぱっと見たときに、日本人に足りないところばかりがまず出てきているように見えたんです。
私の個人的な意見としては、まずスタンスとか、人としてのマインドみたいなのがあって、それから、能力、スキルとか、知識とか、そういう二階層に分かれるような気がします。日本人に限らず、グローバル人材として、これからの時代にあるべきなのは、倫理観も含めた社会性とか、共存、共栄的な視点とか、世界だけじゃなくて、宇宙的な視点で物事を見ていくというようなのが、基本的にスタンスとか、マインドであったらいいんだろうなと思ったんです。
その上で、日本人に足りないスキルとか知識ということになりますけど、私が海外に育って思ったのは、多様性とか自己の確立ということが言われているけど、日本人のアィデンティティーもそうだし、日本人は、自分に自信がない人が多いから発言ができないのかなと。それと、単にコミュニケーション能力の部分もあると思うんですけれども、そういうところに原因があるのかなというふうに思いました。
【根道委員】
目指す人間像という観点からは、特に私の経験からいきますと、西洋と日本で最大の違いというのは、主体性というような言葉に少しあらわれていると思うんです。もっとはっきりというと、教育というのは、子どもを自立させ、いかに一人で生きていくことができるかというところに、かなり焦点が当たっているんではないかと思います。ですから、日本でも、要は何かと言われれば、そういうことが教育の目的になるのではないかと思います。これは、ただ、単に教育現場だけの問題ではなくて、おそらく家庭も含めて、子どもを自立させるという、つまり、そのための道具としていろんなものを子どもに与えていく。子どもを自立させるために、社会性だとか、倫理観を持たせている。そういう出発点のところが少し、この中では力点が少ないような感じを受けておりますし、これはなかなか非常に重要なポイントではないかと、私は思っています。
【森委員】
グローバルレベルで通用するリーダーというのを考えたときに、「グローバル化時代の人材育成について」に書いてあることを私はすごく理解できます。私が、今、小学校、中学校の現場で子どもたちと接していると、みんなの意見が大体まとまりかけているときに、誰かがぽんと違うことを言いますと、そのグループの中で、何となく気まずい雰囲気になってしまうことがあります。子どもたちもそうですし、周りにいる大人たちも、何となく心地が悪いという気持ちを抱いてしまうことが結構あって、はっきり物を言える、自分の主義、主張を言えるということは、多分、グローバルで発言していくにはとても必要なスキルだとは思うんですけれども、もう一方で、社会の中でうまく、みんなと仲よくというところから、時々それと衝突してしまうことがある。
だから、その2つの相反する部分で、みんなが一緒にやっていこうと思う、日本人の和を尊しとする部分というのは、実はすごくいい部分でもあるんですけれども、それが国際化といったときに、どういうふうにいい部分を残しつつ、かつ言わなければいけないときに言えるのかというところが、自分では葛藤している部分ではあります。
【中島委員】
私は語学教育が専門ですので、すぐその立場からみてしまうのですが、やはり本当の意味の国際理解というのは、語学力なしには考えられないと思います。本当の意味のいろいろな国の人たちとの交流というのは、やはり言葉がわからないと、その文化もなかなかわからない。また、論理的な思考の構築とか、相手にわかるような言い方というのも、その言語のパターンに従って言わなければならない面があり、語学教育と日本人の国際化というのはもっと密接に関連させなければいけないと、いつも思うんです。
世界的には見れば、学齢期の間に3カ国語を、皆同じレベルでないにしろ使いこなせるという形で育った人たちが国際人になっていくという時代ですので、日本であれば、もちろん、日本の国の言葉プラス近隣のアジアの言葉1つプラス国際語である英語やスペイン語などの言葉も触れておくというような、言語教育と関連させた国際理解教育というものをしないといけない。私はカナダに長くいましたが、カナダは多文化主義の国なんですが、多言語主義ではありません。そのために、いかに多文化教育、国際理解教育が薄っぺらなものになってしまうかということを経験しておりまして、国際理解教育における言語教育の重要性というところは非常に大事だと思います。
それから、日本人の足りないところについて言えば、論理性とか、いろいろ出てくるんですが、私から見ますと、やはり日本の大変大事な部分として、グループ指向性、グループで行動する傾向であるとか、和の精神であるとかというものがあります。これからのグローバルな問題というのは、環境問題にしても、みんなで協力して解決していかなきゃならないものばかりです。そういうときに、そういった日本人の精神が非常に役に立つんではないかと思います。だから、あまり個の主張だけではなくて、グループでまとまってどう主張していくかというような点のいい点というのを強調していくことも大事だと思うんです。
【小野委員】
私は小学校の校長なのですが、池上座長の言われたのは、基本的にそのとおりだと思いますが、学校教育が行う本来の目的というのは、将来の人材育成であって、それが経済界に役立つかもしれない、労働力として価値があるかもしれないし、それから、それ以外の生活でも役立つかもしれない。いろんな場面を想定して学校教育は行われているわけで、企業の論理に立った教育だけが目的ではないと思います。この点は、非常に大切な点だと思います。
日本全国の小学校で、昭和59年ごろから国際理解教育を展開してきていますが、その中では、かつて日本が世界に進出したときに、必ずしも日本人の経済活動等がいい評価を受けなかったという反省にも立っているということは、その当時の国際理解教育推進に当たっての、要綱でも述べられているとおりです。
国際理解教育には2つの要素があって、1つは、精神的な面といいますか、子どもたちに意識として、誰とでも共生できる力とか、異民族とか、異言語に接したときに、どんな意思決定と行動を起こすかということです。いわば、人格が中心になるわけですけれども、それを求めてやってきましたが、実は、現在に至ると、日本の子どもたちも、この国際理解教育の意識の面、例えば外国人に対してどんな接し方をするかというのは、かなり熟練して鍛錬されて、小学校流に言えば親切な気持ちとか、優しい気持ちで接することができるようになっています。
それは、例えば東京都の研究会の調査においても、むしろ日本の子どもたちが外国人を理解する能力と、日本に来た外国人が日本人の子どもたちに接する意識の違いは明確にあらわれているわけでして、今、僕たちが研究している分野では、意識の中では、かなり日本人、特に子どもたちというのは、外国人に対する接し方を身につけてきていると思います。
そこで、今一番足りないのは、国際理解教育の2つ目の要素、対話能力とか、自主性とか、自己表現力とか、ディベート力とか、そういったことではないかと思います。
私は、これから国際化を目指していく上では、学校教育の基礎部分としての小学校や中学校で、こうした対話能力、ディベート能力、それから、自己表現力、まさに平成14年度から新しい教育課程で文科省が示した学習指導要領、教科書に基づいて行われている教育そのものを、さらに定着していく必要があると思います。
ところが、現場では、そういったことが国際理解教育の中で必ずしも取り入れられていないというところがあるんです。日本人を育てるという意味で、国際教育とか、国際理解教育の中心的議題は、私は、人間理解とか、異文化理解とか、共生とか、それから、対話能力ですから、国際教育としても、初期の段階で、こうした自己表現力、ディベート能力をもっと学校教育の中で取り組むべきであるということを、私は申し上げたいと思います。
【池上座長】
教えるということと、実際に交流している姿を見せていくということの両方がないといけないのかなと思います。少し東京大学の取組をご紹介させていただくと、あさって9日に、東京大学の合唱団と、ソウル大学の合唱団と、北京大学の合唱団と、それからベトナムのハノイ大学の合唱団が、BESETOHA(ベゼトハ音楽祭)というのを東京でやります。これは第2回で、今回は東京大学が主催校なっています。この4大学が集まって、それぞれの自分の国の歌を、自分の国の言葉で歌い、それをみんな発音から練習して、最後に、それぞれの国の歌を全員合唱します。その音楽祭は一般公開しているのですが、同時に、都内の中・高の70校くらいを招待して、見においでよ、このような交流をしているよというのを見せることをしています。
NHKの「おはよう日本」の中でも、おもしろい試みだということで取り上げてもらいました。実際に教えるだけではなくて、そういう交流の場というのをできるだけ作っていくということが、実際にはみんなの気持ちの中に、あっ、そうかと、アジアの人々とこんなつながり方もできるんだと、感じてもらえるのではないかと思います。
【佐藤(郡)副座長】
池上座長が提案されたことで、私どもが学ぶべき点が幾つかあると思うんですけれども、要するに今議論していることは、国際的に求められる人材、あるいはどういう人間像なのかということで、国際人に求められるのは、基礎、基本という基礎的な能力にプラスアルファがあるということです。ところで、実はこの経団連の「グローバル化時代の人材育成」の中で書かれている、ビジョンの持つ力とか、独創性とか、意見を集約する力、遂行力、対話力、企画力、専門性といったものは、文脈を切り離して読んでみると、全部当たり前で、かつ非常に重要なことなんです。
そうすると、私どもが学ぶべき点というのは、国民全体に底上げしていくべき基礎、基本になるような力というものを、私たちが想定する必要があるんだろうということです。これは一体何なのかというところがはっきりすればいいと。さらに、プラスアルファとして、例えば中等教育段階で一体何を伸ばしていくのか、あるいはさっき中島先生のほうから出たような、多言語というのは非常に難しいかもしれませんけど、2言語ぐらいの力をきちんとつけていくようなこともプラスアルファでやっていくようなことが、必要なんだろうと思うんです。
学校現場の中でやられている国際理解教育の目標などを抜き出して整理してみましたが、4つぐらいに集約することができます。
1つは、現代の社会を読み解いていくような力が必要だということが言われています。複雑な社会を読み取るためには、科学的な、基礎・基本を踏まえた力が必要になります。
2つ目が、自分と違う文化を理解していくためには、多様な物の見方が必要だということが言われています。これは、批判的思考力と通じるものがあると思うんですけれども、私どもの文化なり、社会ではこういうふうに見えるものでも、違うところに行ったら、違ったように見える、そういう力をつけていかなきゃいけないんじゃないかということです。
3つ目が、異なった文化を持つ人を思いやる力、いわゆる共感性みたいなものが必ず出てきます。
そして、4つ目が、さまざまな葛藤場面を超えるような力として、対話力とかコミュニケーション能力ということがあげられます。
つまり、まとめますと、複雑な社会を読み解いていくような力、科学的な力、多様な物の見方、共感性だとか、対話力だとか、コミュニケーション能力みたいなものが、集約すれば、学校現場での国際理解教育の目標として掲げられているのではないかと思います。
そういった国際理解教育の目標に掲げられている能力と、ご提案があった基礎・基本にプラスアルファというようなところが、どう結びついていくのかという議論が重なっていくと、国際人に求められる能力やあるべき国際人像というものが見えてくるかなという感じがします。
【多田委員】
池上座長と佐藤副座長のお話を聞いていて、ちょっと思ったことを申し上げたいと思います。特に、基礎的能力というところで、これが重要というのは、なかなか論議になっていなかった部分だと思います。私の意見の背景は2つあって、1つは、多文化共生社会が現実化したという点と、もう1つ、見逃せないのは、日本の青少年の現状として、自己肯定感を持つ人たちが非常に減って、人間関係づくりが非常に苦手な若者たちが出てきているということがあります。この辺は、国際教育を考える上でも、非常に重要な課題だろうと思うわけです。
その辺をちょっと念頭に置いて、私は、自己の確立、いろんな人と創造的な関係性をきちんとつくっていく力やネットワーク力、それから変化に対応する力という、3つが非常に重要ではないかと思っております。自己の確立というのは、いわゆるcapabilityをどう伸ばすかということです。今の若者たちは、自己の内的な能力に懐疑的なんです。国際化に向けて、日本が国力としての若者像を持っているとすれば、そういう人たちに、さまざまな能力がお互いの中にあるんだ、共有しているんだということを感じ取らせるような教育として、国際理解があっていいんじゃないかと思います。
それから、多様な他者と創造的な関係性をつくっていく力についてですが、私は中近東のクウェートと、中南米のブラジルと、カナダと、計6年住みましたが、ときには、互いを理解することがほとんど不可能だと感じる場合がありました。だから、人といい関係をつくるといったときに、無条件でなくて、やはり理解が不可能だったり、難しいということを理解した上でどうかかわっていくかというような力も、実は現実的には必要なんじゃないかなと、私は思うんです。
それから、変化への対応力ということについて、かつて私が出会った海外で活動する人たちの多くが、与えられた条件の中で、その最善を尽くす力はかなりあったと思うんです。ところが、今の若者像というのは、障害にちょっとぶつかると、へこんでしまうという感じがあるわけです。
もう1つは、さっきから、ディベート、論議の話が出ますけれども、私自身が日本の学生や生徒を海外に連れていったときにすごく感じるのは、特に欧米の子と議論したときに、日本の子どもは意見は言えるんですが、一度言われたことに対して、もう一度自分の意見を出す力がないんです。相手の言っていることを要約して受けとめて、論議の全体の方向をきちんとつかまえて、自分の意見を構築し直す力というのも、国際社会で実際に役に立つコミュニケーション力というものを考える際には必要になります。それを例えば小学校レベルではどうやるという論議がないと、言葉だけが先に行ってしまうという感じがします。
【奥村委員】
高等学校の現場のほうからお話しさせていただきたいと思います。
現在、高等学校は、いわば公正、公平、平等を重視した戦後の民主教育から、それが解禁されて競争の時代に入ったということで、今大きく階層化が進んでいると思います。私は大阪府から来ておりますけれども、大阪は比較的昔から階層化がそのまま温存されており、いわゆる底辺校とそうじゃない学校というふうな形での二分化が進んでいる。私立も同じような形で、しかも、中学校や、あるいはひょっとすると小学校へも私立が参入して、さらに階層化が進んでいく可能性も今見えてきています。
今、池上委員のほうから、国民全体としての国際化というお話がありましたが、これをどう身につけさせていくかを考えながら、我々は国際教育を進めています。大阪で非常に困難な学校なんかとも一緒に手を組みながらやっているんですけれども、やっぱり、長谷川委員から前回ご報告いただきましたように、外国人労働者などを多く抱え込み、教育の困難を極めた中で、いかに国際教育をしていくかという切実な問題を抱えているところがあります。
私のほうは、国立の高等学校ということで、試験をして、選抜をしてという形で、どちらかというと上澄みのほうを教育している立場になるんですけれども、やはり外国人労働者などの問題、人権であるとか、民主主義であるとか、寛容であるとか、多文化理解をどうするかとか、そういうふうなものを一緒にやりながらも、さらに、リーダーとしてどういう資質をつけさせていくかという部分にも目を向けながら教育しています。文科省からは、国際理解教育を総合的な学習の時間の中でやりなさいなどと言われてきていますが、やはり、現実の受験圧力というものも大変なものです。学校教育の半分以上は塾にとられ、塾産業の中でやせ衰えた学校教育というものが行われる中で、せっかくの我々の努力が、どこへ消えていくんだろうという思いがしているんです。競争社会というのには、そういう部分があり、一方でやはり本来のあるべき姿の国際教育をどうするかという課題があり、その辺を学校現場ではどう融合させながらやっていくかという、非常にシビアな問題があります。特に、私の高校では、国際理解教育を総合的な学習の時間の中で大々的に取り入れてやっているわけなんですけれども、その総合的な学習の時間自体に、生徒がどういうふうな意識で向かってくれるか、なかなか難しいところがあります。
ただ、そういう2つの側面から、リーダーとしての側面、それから、多文化理解、お互いを理解し合うという、その両側面からきちんと見据えながら教育の現場におろしていくということが必要なんじゃないかなと思います。
(ここで、座長中座)
【渡邉委員】
今ずっと池上座長からの資料をもとに論が始まった中で、いずれも、佐藤副座長も言われたように、幾つか我々が、日本の全人教育の中でも考えていかなきゃいけない話題が出ていると思います。その中でもとりわけ生きる力が何なのかということと、国際人としてどうあったらいいのかという資質、能力ということを考えて、しかも、初等中等教育で何がはぐくまれる可能性があるかということを考えたときに、少なくとも後で申し上げる理由から、池上先生の言葉を借りると、主体性とか、私流に言うと、イニシアティブと言いたいんですけれども、誰にも言われなくても、自分で決定し、行動する力、こういったことが国際的な面でも当然必要とされています。と同時に、それは、我々が行ってきている義務教育レベルでも非常に欠けている部分ではないかと思います。それは、次の理由によるんです。
私は小学校英語活動に14年間、携わってきましたが、コミュニケーション主体にやっていて、簡単な、例えばWhat do you like?と言われても、もじもじして答えられない子がいるということを聞きます。これは、多くの学校の先生に聞くと、ほかの教科領域の授業のときも同じだと言います。このように考えてみると、主体性ということは、我々が今後考えていかなきゃいけない生きる力の基礎・基本の中に入れてもいい問題じゃないかなと、感じております。学校現場の先生とお話しすると、このようにALTを入れて、いろいろコミュニケーション中心の体験活動をしていると、それが子どもの主体性を重視した体験活動ゆえに、そのことがもろに見えてくると聞きます。
私は昭和21年生まれの58歳なんですが、ずっと教え込まれるような知識、理解中心の教育を受けてきました。どこを切っても同じの金太郎飴でも、それでよしという部分もありました。そして、受験競争に勝って今日まできました。それはそれで感謝しなけりゃいけないことがあるかもしれません。しかし、現実には、こう改めて子どもと一緒に歩んでいますと、我々のときと変わっていない部分というのは、自己決定力、そして行動力が非常に欠けているという部分だなと感じます。教えられ、教え込まれていく、知識、理解中心の、あの教科型の中で力を発揮できない子が、体験活動をしているコミュニケーション中心の場では、自己決定力や行動力を発揮する。それは改めてとても重要なことで、基礎・基本に入れなければいけないことだと思います。
今、私どもの国立教育政策研究所でも、こういった問題を取り上げまして、初等中等教育段階で求められる資質、能力とは何かという研究を、今年度からスタートさせました。今まだ論議し始めたところですけれども、その一端としてご紹介しました。
【長谷川委員】
一番初めに、池上座長のほうからお話があった点について、経団連の「グローバル化時代の人材育成」についてですが、教員に要する資質というものと同じだなと感じました。国際性の豊かな子どもをどう育てていくかというような視点で、日々いろいろ議論しながら、いろんな事業を考えていっているわけなんですけれども、その資質、能力としては、先ほど佐藤副座長のほうから出たような、要するに多様な見方、共感性、それから対話・コミュニケーション能力という部分と、あと、先ほど池上座長から一番初めに出た論理的思考、そういうものは、やはり、これからの子どもの教育の中では、非常に大切な部分だと思います。
ただ、義務教育は全人教育です。そういうことを基盤に考えていく中で、国際理解教育という教科や領域の枠組みというのは実際は設けられておらず、総合的な学習の時間の中で、今日的な課題ということで大きくクローズアップして進めることができる機会、学習の場ができたということはすばらしいことだなと思います。ただ、限られた時間の中ということですので、いろんな教科、あるいは領域の中で、こういうような資質、能力を伸ばしていかなければなりません。こういうものをまず教員が意識していくということが非常に大切だと思います。
今、横浜市でも、どういう資質、能力が必要なのかと考えたときに、先ほどからも出てきていますように、やはり子どもたちが、いろいろな人とかかわり合う力、それがすごく大切なのではないか、あるいは、かかわるだけではなくて、相手を受容できる、異なるもの、異なるというと、それがすぐ外国の異文化というふうに行きがちなんですけれども、子どもの場合は、自分以外は皆、異なるもので、友達、あるいは地域、そういう部分の人とのかかわりの中から、どれだけ自分が、そういうものを受容できるか、そういう受容力、そして、受容したものから、自分が発信していく力、この3つの力が、これから非常に大切になるんではないか考えています。
あと、やはり、柔軟な発想、これは子どもだけではなくて、教師にも言えることだと思います。多様な見方ということが出ましたけれども、一方的な固定観念で見てしまうということではなくて、いろいろな、さまざまな外国人の子ども、帰国の子どもがいるわけですけれども、その子どもの多様な個性、そういうのをいかに教師が受容して、その子どもを学習の場に生かしていけるのかというのが、やはり、非常に大切になってくるのではないかなと考えています。
【佐藤(郡)副座長】
こういう議論をしていくときに、やはり、子どもの現実の状況を踏まえて、しかも、国際人、あるいはグローバル化という一つの時代状況の中で、こういう基礎的な目標をどうつくっていくのかが、大事なんじゃないかなということが一つ出てきて、ただ、問題なのは、そういう目標というものを学校の中に具体的にあてはめていくときの、どうも学校なり、地域の実情もあるなというような議論が出てきたと思います。
今、長谷川先生のほうから、すごくおもしろい、こういうのは教員養成、教員研修の視点としても必要なんじゃないかということが出てきたと思うんですけれども、これはもう、全体的な議論にかかわりますので、今後も継続的に進めていく必要があるんだろうと思います。もう1つ、今日、次の議題がありますので、ひとまずここで終えまして、海外子女教育のあり方というところに議論を移していきたいと思いますけれども、よろしゅうございますでしょうか。
まず、配付資料の説明を、山脇課長のほうからお願いできますでしょうか。
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