基礎科学力強化懇談会(第2回:平成20年11月21日)頂いたご意見の概要

 
 

[基礎科学研究の目標]

  • 大学での基礎研究ほどには深くはないが、企業においても基礎研究が行われている。個々の学術分野だけでは製品を作ることは出来ず、企業の基礎研究には、産学官連携で目的意識を持って様々な分野と融合しながら製品に結びついていく土壌がある。異分野との交流が生まれれば別分野に生かせる。横のコミュニケーションが重要である。
  • アメリカのオバマ次期大統領は、10年間に研究開発予算倍増、特に、若手育成や重要テーマの基礎研究強化を公約として打ち出した。基礎科学力強化に当たっては、このような国際競争も視野に入れていく必要がある。

[実験施設・設備の重要性]

[人材確保]

  • 金融危機など世界情勢が大きく変わりつつあり、世界的な人の流れが変わっていくことが想定される。見極めが必要だが、我が国は魅力があり安定的との見方が生まれるかもしれない。我が国に人材を引き寄せる有効な施策をしかるべきタイミングで講じることが重要。
  • 増えすぎたポスドク対策について、文部科学省がポスドク全員のために大学の教授の席を用意する必要はない。博士号を取得することと、一生涯その分野で研究を続けていくことは違う。大学での研究は向いている人が続けるべきであり、企業などで活躍する道が必要。
  • ポスドク問題については、いろんな問題に対処できる人間を育てることで対処すべき。
  • ポスドク問題については、やりがいとか自分が役立つ途が色々あるということを本人に気付かせることが必要であり、そのための施策を講じる必要がある。
  • アジアの若者の留学先が、かつての日本から完全にアメリカに移ってしまっている。日本の教育は、博士課程ではなく学部レベルで留学生をもっと受け入れるべきであり、そのためには大学の国際化が不可欠。英語での講義や学位取得を進めるべき。

[研究環境]

  • 研究設備は立派でも効率が悪い。研究設備を運用する専門スタッフ(技術者)が諸外国に比べて貧弱。
  • 1960年頃に比べれば、現在の日本は研究費も設備も遜色ないが、だからと言って、日本の大学で十分な研究ができるかどうか疑問である。日本の大学では、授業や教授会出席で研究の十分な時間が確保できない。インターネットが普及した今の時代に一年中世界を飛び回っている日本の研究者を見ると、研究が出来るのか疑問に思う。
  • ノーベル賞受賞の対象となったいずれの成果も、科研費の総額も、伸び率も鈍い時期に出たものであり、理論の実証に多額の実験装置が必要だったことを除けば、必ずしも金額の問題ではない。個々の研究者が地道に使う研究費が継続して使えることが重要である。
  • 創造的な成果を上げるためには、自由闊達な思考が出来る環境、優れた経験者達と触れ合う環境が必要であり、資金・財政的な裏付けが必要。アジアの中では、中国が台頭してきているが、自由な発言や活動が保証されている民主主義国家の日本には十分なポテンシャルがあり、博士課程などてこ入れすれば十分にやっていける。
  • 科学技術振興機構の「さきがけ」のように、若手を上から押さえつけずに自由に活動させるための資金的裏付けが必要。若手が自由に研究できる構造を作るべき。
  • 科研費については、研究者個人に渡る基盤的経費であり、若手が自由に研究するために不可欠。近年、伸び率が鈍化し、特に間接経費を措置するために直接経費が減っていることは問題。
  • ノーベル賞は若いときの成果。才能ある若手研究者が良き師、良き仲間とのコミュニケーションに支えられて研究に没頭できたことがノーベル賞級の成果につながったと思う。現在の状態はそれと程遠く、若手への眼差しが必要で人材育成の中身疑問である。特に、限られた期間内に一定の成果を出さなければならないと研究者は追い詰められてしまう。拙速な競争を強いるのは成熟した競争環境とは言えず、欺瞞や捏造が起こる危険性がはらんでいる。
  • 幕末や戦後に従来の価値観が大きく変わったが、今も価値観が変わる第3のチャンスではないか。科学技術や教育の価値観を変えるべき時。今までは平等でやってきたが、これからは「きらり」と光る才能ある人を発掘し、思い切って投資する方向に転換すべき。それには失敗を許す文化が必要である。ERATO(エラート)等は才能ある人へ投資していた。今の競争的な資金制度では、採択数が少ないため、落ちた人達が批判をし、採択された人達は批判に萎縮する。批判に耐え得る論理構築が必要。一案として、幕末のように選ばれた才能ある人達を外国に送り、ノーベル賞学者に5人に会わせるとか。
  • 時間のかかる研究を支える基盤的経費は重要。科研費は非常に重要であるが、大学の運営費交付金や私学助成金が年々減少していることも問題。基盤的研究をサポートするシステムの制度設計が重要。科学技術基本計画には基礎研究の振興という謳い文句しか書かれていないが、制度まで踏み込んだ記述が必要。
  • 分野によって、研究方法や資金量などが違い、きめ細かいファンディングのメカニズムが必要。現在の方法は、分野の違いにかかわらず同じ方法論を採っているため、自然科学と人文社会科学の間に対立構造を生んでいる。

[創造性に富んだ人材を生み出す教育]

  • 「深く考える」、「正確に判断する」ということが重要であるが、時間を限ってたくさん問題を解かせる日本の一般的なテスト方法では、ノーベル賞をもらうような人材をふるい落とすようなものである。
  • 子供達に自然に興味を抱かせることが大事であり、親をもっと啓蒙する必要がある。ビデオゲームなどは基礎科学振興のためには有害無益である。
  • 理系・文系を早期に切り分けることを正当化する議論などは20世紀の古い産物。世の中はいろいろリンケージしている。教育の細分化は問題である。
  • 教育と研究は違う。教育の目的は分析力(知識力、理解力、判断力等)を学ぶこと。「学ぶ」とは「真似ぶ」が転じた言葉であり、真似ることから始まるが、研究は創造力(新しいものを生み出す力)が必要であり、真似してはならないものである。若者を育てることと研究者を育てることは別である。教育と研究ははっきり区別し、教育重視の大学と研究重視の大学は分けることも必要ではないか。

[大学]

  • 2004年の国立大学法人化後、教官当積算校費として各研究者に配分されていた基盤的研究費が減少している。悪平等との批判もあるが、毎年一定額が配分されることにより、じっくり腰を落ち着けて研究活動ができた。性急に成果をあげることも必要ではあるが、10年、20年のスパンで捉える研究が大切である。
  • 大学における研究について競争性が強調されすぎていることについて注意を要する。米国の大学などでは、研究サポートに関わる相当な数の人的資源を抱えているが、日本の大学はサポートが貧弱であり、「逆三角形」の無理な構造となっており、そのような中でさらに競争を進めることは危うい。基盤、基礎の安定した環境の構築を常に念頭に置くべき。競争的資金のカテゴリーに入らない基盤的資金の確保が重要。競争的資金が増えて、プロジェクト化されすぎている。
  • 応用科学はどうなるのか。日本の大学には税制面の問題から寄付講座を設立する魅力が薄く、日本企業までもがアメリカの大学に流れている。文部科学省が財務省と協議し、大学への寄付税制をアメリカ並みにすべき。
  • 大学の人員、研究員の年齢構成が「逆三角形」となっている問題は、入試問題を作成出来る教官が少なくなっている問題でもある。入試問題は大学の顔であり、入試問題を作成できないような大学は研究所にすべき。ポスドクも学内の教育問題。そのためには、弱体化し統合の対象となっている教養部を昔の状態に戻して欲しい。
  • 一国の文化が栄えるためには、学術、文化、芸術が栄え、国民が享受することが重要。基礎科学力は自然科学に留まらず、人文、社会、芸術を学ぶことにより、専門の自然科学でも力を発揮する。そのためには、大学での教養教育を強化する必要がある。

[その他]

  • 応用科学の振興について、どの分野をどれくらいの期間でどれだけやるのかという計画を誰が作ることが出来るのか。その分野で苦労した人間が真剣に次のことを考えること、その方が当たっていると経験的に思う。そこで、定年後の経験のある教授を文科省が一定期間(5年程度)雇い、審査委員として内外の各分野の状況をつぶさに把握させ、その考えを基に物事を決めていくことが良いのではないか。
  • たくさん論文や報告書を書いて、それを学会誌での発表や国立国会図書館に納めるだけでなく、社会に対して平易な言葉での報告書も書くべき。その努力が、自分の仕事の位置付けを再確認でき、意義等を社会に説明することになる。科研費の成果を中高生にわかりやすく説明する日本学術振興会のひらめき☆ときめきサイエンスは非常に良い取組。
  • 外国には賞がたくさんある。日本学術振興会賞等もあるが、賞を創設することは評価するプロセスを作ることであり重要。社会科学分野からの推薦数が研究者数の割合に比して少ないのは、評価するメカニズムが出来ていないのではないか。