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研究開発成果の取扱いに関する検討会

2002/04/19議事録

研究開発成果の取扱いに関する検討会(第5回)議事録


研究開発成果の取扱いに関する検討会(第5回)議事録


1. 日  時  平成14年4月19日(金)    10:30〜12:30
2. 場 所  文部科学省別館大会議室
3. 出席者
 
(メンバー) 小原、牧野、井上、井邊、隅藏、高田、玉井、長井、馬場、平井、藤川、山地、各メンバー
(事務局) 山元科学技術・学術政策局長、井上科学技術・学術政策局次長、坂田研究振興局審議官、尾山政策課長、土屋基盤政策課長、田中ライフサイエンス課長、加藤研究環境・産業連携課長、磯谷技術移転推進室長、吉住研究環境・産業連携課専門官
4. 議  題
 
(1) 研究開発成果の取扱いに関する検討会報告書(案)について)
    資料2、3等に基づき事務局より説明後、自由討議が行われた。
その内容は以下のとおり  
   
  (○・・・メンバー、△・・・事務局の発言)
   
 
事務局より資料2、3等について説明があり、これについて以下の討議が行われた。
   
 
  公的研究機関の範囲について再度説明いただきたい。

  報告書(案)の28ページに定義があるが、国立大学、独立行政法人、特殊法人等の公的な研究機関を対象としている。
  この定義では公的研究機関から「地方公共団体が設置した公設試験研究機関は含まれない」としてあるが、公設試験研究機関についても、基本的には同様の考え方に沿ってやっていただければと考えている。

  研究成果の帰属について何かコメントはあるか。

  研究開発成果の帰属が原始的には研究者とする点について、基本的にははそのとおりだと思うが、その法的根拠は何なんだろうかということが前回問題となった。それで、いろいろ考えてみたが、この報告書の9ページ、第4章の1の1の(1)のところに書いてあるような考え方で一応は法的な根拠づけはできるだろう。ただ、有体物についてもさまざまなものがあるので、すべてこれで割り切れるかという問題はある。
  特に現実の問題として、民法 246条の「加工」を適用する場合に、その価値が材料よりも大きく上回るというその限界、上回るのか上回らないのかというのをいったいどう決めるかという問題がある。「研究機関に帰属させる」という研究者と研究機関の間の合意、契約の中で、最終的には研究機関の方に行くという合意があれば問題は生じないだろう。原始的にどちらに属しているのかわからないけれどもその付帯の合意で研究機関の方に帰属させるということがあれば、研究者に原始的に帰属したものは契約で研究機関に帰属し、一方、研究機関に帰属していたものは、やはりそのまま研究機関に帰属することになることから、そのような合意があれば恐らく法的な問題が生ずることはないだろうと考えている。
さらに考えると二重譲渡の場合の対抗要件をどうするかという問題が残るが、これも研究者と研究機関の間の契約の中に具備の意志表示、恐らくこれは有体物の場合は占有改定の形になると思われるので、その合意も明示した形式の契約にしておけば、この問題もクリアできるのではないかと思う。
  私としては、この報告書としての法的な根拠ということで書けるのはこの限度で、またこれで最小限度のところは抑えていると思っている。

  ここの原始的帰属の記述について、今の解釈はよくわかるが、ここの文章の構成は、一読してわかるという構成になっていないのではないか。正確に説明する上ではこういう書き方になると思うが、例えばここの括弧に書いてあるのを脚注のような形で読み手が頭の整理をしながら読んでわかるように工夫をした方がいいのではないかと思う。

  もう少し整理を、あとで考えてやらせていただく。

  前回検討会で、理化学研究所はいきなり機関帰属にしたと言っていたと思う。これは各機関で実質的に決定していく問題とは思うが、この委員会としては原則としてこのようなツーステップを踏むのが適当であろうということと思うがいかがか。

  この書きぶり、これで基本的にはもちろん十分かと思う。これは公的研究機関を対象にしている報告書であるが、ただ、現実にはこれは民間の方も見ると思うし、ある意味で民間の方のルールも今まで未成熟な部分があったので、民間サイドに対する影響というのは無視できないと思う。
  その場合に、最初に研究者に帰属し、次に機関に帰属すると書いてあると、例えば就業規則等が未整備な民間企業の従業員がこれを見たときに、「ああーっ、そうか。私がつくった成果物というのは私のものなんだ」と、「これ、いい値でライバル企業に売ってもいいんだ」と、それでライバル企業に持っていって、これをいい値で売る、会社はそれを見て訴えるといったケースでは、その従業員はこの報告書を持っていって文部科学省に、「これを見ると研究者に帰属と書いてあるじゃないか」と、だから「会社が就業規則を設けていない以上は、これは文句言えないはずだ」というふうなことを言いだすことも論理的にはあり得るのではないか。
  何を言いたいかと言うと、今までルールがあいまいなものとなっている状況でいきなり先頭に「成果物は研究者に帰属」ということが書かれていると、インパクトが強いのではないか。書きぶりとして例えば最初になるべく機関帰属が望ましいということを書いて、それはどういう仕組みになっているか。つまり、研究者に原始的に帰属するのだけれどもそれは契約とか就業規則で機関に移るという法的な仕組みをさらに脚注か何かで綴じ込んで、そこを見るとより詳細に書いてあるというような書きぶりの方が、今の日本の現状を考えるといいのではないかという気がするが、いかがか。

  今、委員から日本の現状を踏まえた意見があり、それはそれでそうだと思うが、書きぶりとして私はこれでいいのではないかと思う。企業の方も原始的には研究者個人に帰属して、そして企業がその研究成果を譲り受けるというシステムになれば、それはそれで首尾一貫しているシステムであると思うし、例えば企業がコンソーシアムを組んで研究しているような場合に、恐らく原始的には個人に成果物が帰属して、そしてそのコンソーシアムなり企業の方なりに権利が移転するというような考え方をとった方がクリアになると思う。
  また、特許を受ける権利の取扱いとも整合性がとれる点がいいと思う。確かに短期的に見れば先程のような極端な事例というのが発生する可能性もあるとは思うが、それはそうしたルールを各企業が整備すればいいだけの話ではないかと思うし、こうしたルールも企業へ浸透していくことと思うがいかがか。

  少し違った観点から。ここ何年間か大学等においても、特別に国が措置した研究費を受け取っていない場合に発明者である大学の先生が特許を保有してもいいということがようやく浸透してきたように感じている。身近な先生でも自分のポケットマネーで4万ほどのお金を出して特許を出すというインセンティブというか自らのやったものであるという意識が芽生え、国立大学等でも活気が出てきたような印象を受けている。
  ここでまた反対に法人化に向けて、いろいろ国際摩擦という問題が出てきたことによって、個人に帰属するとは言いつつ最終的には法人に帰属するというのでいろいろ議論され、一見また逆戻りの感があるが、それについてはいかがか。

  特許に関しては指摘のとおりだが、研究成果物に関する扱いに関しては、むしろ機関帰属の方がよいというのが検討会の議論であったと思う。

  私も大学の中で先生方の発明を取り扱っているが、今の現状から言うと、確かに個人に帰属するということでインセンティブがはたらくが、従来はやっぱり個人に帰属といっても個人では手に負えないということが実状であったと思う。そういう背景があったので、例えばTLO等の企業に頼む発明の数がどんどん増えてきていると現状を認識しており、その観点から「原則個人に帰属する」というのは、私もそのとおりだと思うし、それを今度は組織としてどのようにきちんとマネージメントしていくかという観点が出てくると思う。

  あまりご議論しても仕方ないのことかもしれないが、私は組織の中の研究者の行った研究成果について、特に有体物、特許法に規定する職務発明以外の有体物は本来法人のもので原始的にも法人のものではないかという気がする。その指揮命令関係にある場合に、「おまえ、これをやれ」と言われて何かここの加工をしたという場合は、それはその個人の行為なのではなく指揮をしている人、要するに法人の行為なので実際に手を動かしている人というのは手足としてやっているに過ぎないことから、もともと法人のものなのではないかと思う。
  ただ、国立大学の場合はその指揮命令関係でやっているのではなく、まったく研究の自由として好きなことを研究者がやっていることから、それは普通の企業の研究機関とは違い、このとおりでいいと思う。そこのところは少し違うんだという考えの方が、私は何か実情に沿うような気がする。

  「最終的には研究機関に帰属させる」という言葉の意味について。これは契約とかいろいろな手段によって「させる」という意味合いはわかるが、この「研究者に帰属させる」というのは「原始的には」という言葉とのニュアンスからすると少し意味合いが不明ではないか。
  要するに、もともとどういうことで帰属するのか、しているのか。あるいは解釈としてそうなるのか。そもそもいろんな規約がなければ本来原始的にもう最初から研究者に帰属しているというものなのか。そのあたりが少し読めない、そこを少しご議論いただきたいと思う。

  確かに「原始的には帰属させる」というのは、何か言葉としてはおかしいように感じられる。報告書としてこういうふうな形になったのはいろいろ法的な問題があるが、考え方としてはこういう考え方をとれる、法的にもこういう根拠づけでいけるということを記述していると思う。括弧内の文章は再検討する必要があるかもしれない。

  私の感覚からいうと、原始的にどちらに帰属するかというのは両方の見解があり得ることなので、それを立法でどちらかにはっきり決めましょうということだと理解する。そうだとすると、立法するのは人間だからその立法の考え方によってどちらかに帰属させるという考え方だとすれば、この文章で別にそれほど不自然ではないと思う。

  私が最初に研究者の原始的帰属を少し引いた形にしたいと思ったのは、他の先生からも指摘があったことだが、ここの部分というのは判例や立法のない部分と考えるからである。この報告書が新しい立法かというと、これはガイドラインなので立法ではなく、これは法律採用しないものとなる。だから、条件的な解釈はむずかしい部分だと思う。
  もちろん、9ページに書かれていることはロジックとしては正しいと思うし、正統な意見だと思うが、恐らく反対の議論ももちろんあり得るし、争点であり得るところと思う。
  さらに言うと、この議論というのは非常にアカデミックな分野で通用する議論であって、民間企業では、職務発明の問題とかあるいは職務上の性格づけの問題とかがあるので、また事情は違うと思う。だから、非常に怖いのはこれが一人歩きし、これですべてが適用になるというようになっていくのが非常に怖いと思う。やはり機関帰属というのをある程度前面に出しながら、しかし確かに原始的にはこういうように、研究者に帰属したであろうことをどこかに、「帰属させる」ではなくて「帰属していたのだろう」というような形で補足的に書いておく。それが結果としてはよいのではないかという気がするが。

  確かにこの書き物そのものは法律ではないが、委員会としての考え、統一された考え方をまとめたものだと私は理解している。
  だから、これを実現するために例えば必要であれば立法にいくかもしれないし、あるいは契約で済む範囲のことであれば契約をそういう内容にして、そのことによってここで書かれた内容を実現しようとするのかもしれないと理解している。したがって、「原始的には帰属させる」という言い方でも論理的にはおかしくないと考える。
  それから少し戻って、最終的に機関に帰属させるというのが時代の流れに逆行するのではないかという発言があったが、それはここの場でずいぶん議論があったと私は理解している。特に利用の観点からいうと個人帰属では非常に問題が多いということから、機関帰属を支持する意見が多かったと私は理解している。しかしながら、個人のインセンティブを考えなければいけないということも同時に議論になり、その結果、相当の対価という概念がここに入ってきており、研究者個人に対しても相当な対価で報いるべきだという概念が入っているので、それはそれでいいのではないかと考えている。

  理研事件の昨年からの流れの中で、理研がある程度判断をしてきたのは、経費の性格というのをずいぶん議論をし、理研の経費、理研の出資金の経費ということだから、その成果物というのは理研の機関の成果であるとの議論だった。若干、研究費の性格みたいなものを少し加える方がいいのではないかという気がする。

  確かに先ほど委員から紹介があったように研究費でもかなり応用をめざしたものであれば特許も国有ということが謳われているし、それ以外は個人有ということがある。大学でやっている限りは大体は外部資金を教育者が自らが取ってきて研究するわけだから、そういう意味では、研究者個人に帰属するという考え方はある。一方、特別法人では運営交付金等でブロックで機関に資金が来るわけだから、その場合はまた違った考え方もあり得る。その辺はどいかがか。

  この考え方のところだが、あくまで知的貢献をしたのはいったいだれなのかというとことと、それから研究者が知的貢献をするに際して公的研究機関はどういう貢献をしたのかというところの問題は別であるという気がする。特許法第29条だとこれは創作をした人が権利を持つという立て方をしている。その使用者、特許法第35条の規定だが、今の規定では使用者の貢献を考慮してこれは契約等で職務発明になれば帰属させてもいいという立て方になっている。あくまでそれと同じ考え方に沿った並びで書いている。
  知的貢献をしたのはまずだれなのか、それに対して公的研究機関は設備なりあるいは材料なり資金なりでどういう貢献をしたのか、これはまた別の問題だと考えている。

  今の資金の話しについては、私は公的研究機関の話ではないと思う。それは民間の話だと思う。例えば企業は研究開発費を何十億、何百億と投資した場合、それで得た成果はこれは企業のものと考える。これは企業の論理だと思う。
  だから恐らくこのマテリアルの世界というのはダブルな話しだと思う。民間的な企業の論理とそれからアカデミアの論理、つまり通常の科研費の世界で細々とやっていく中で非常に優れた発明が生まれてくる、そこには非常にその個人の知的な作業の成果が結実するというケース。これと企業のお金あるいは研究所のお金、これも何十億、何百億突っ込んでいるケース。その結果出てくる成果物の帰属、これはまったくダブルな話しだと思う。その両方の成果を混在すると非常に議論が錯綜する。
  今、事務局から出た帰属の問題とそれから職務発明ないしは職務成果物というのは分けて考えるべきとの見解は、恐らくこれと関係すると思う。

  この件いかがか。研究費の性格というのも、科研費という非常にベーシックなものから例えばミレニアムという国費的な性格の強いものもあり、いろいろな議論があってむずかしい面がある。ここは公的機関と書いてあるから、それで統一できることにしていただければと思うが。

  事実関係というか経緯だけ言うと、昭和52年答申の話が出ておりますので整理させていただく。当時25年ほど前だが、特許の権利の帰属についてまだはっきりしないことがあったので、いろいろな議論が起こった。
  特許法35条の職務発明の範囲が大学の先生の場合はなかなか決めにくいという議論があり、あの答申を注意深く読むと大学の先生方の職務発明の範囲はこうであるという結論は出ていない。ただし、その中で国が使用者として承継できる部分ということがあり、開発目的で、かついろいろな研究費を措置しているという形で整理をして、そこのところは少なくとも35条の職務発明の中に入り得るという形で構成されている。
  逆に申し上げると、では、研究費なり今の開発目的ということだけが職務発明の定義で固定されているということではなくて、もう少し広げる広げないということは恐らく35条の職務発明の中であり得るのではないかということだと考えている。したがって、研究費のロジックについてはあくまでも線引きとしてのロジックであり、それが絶対的な基準ではないと考えている。
  先ほど先生方から発言があったのは、それから25年たっており世の中の情勢はだいぶ変わってきているので、ここでのご議論も踏まえて、さらに大学における職務発明あるいは特許の帰属のあり方についての議論は進めさせていただきたいと思っている。

  費用の性格についても多少言及された方がいいというのは同感だが、もう1つ、研究対象の性格についてもふれた方がいいと思う。
  例えば電子加速機、サイクロトロンみたいな巨大な構造物をつくる。何か鉄の塊を何十億円も出して巨大な構造物をつくった。それは確かに鉄の塊と比べると新たな創作物だと言えると思う。この文言を読むとそれは研究者に原始的に帰属するのかということにもなる。10人の研究者で 100億円使って巨大構造物をつくったらそれは10人の研究物の共有物で、原始的に所有権はそちらにいくのかというとどうもおかしい。それはやはり国に機関帰属するのではないかという気がする。
  そもそもこれは、バイオだとかゲノムだとかそういう分野を頭において議論してきたので、そういう場合にはいくら有体物とはいいながら、研究者個人帰属でいいという議論であったと思う。しかし、費用の性格ないし研究対象の性格の話しが何もないので、これだけを読むと「あれっ」と、「天文台の天体望遠鏡だって新たなものをつくったら個人に所有権は原始的に帰属しちゃうぞ。それはちょっとおかしいんじゃない」ということになると思う。だからそういう面についてもちょっとふれたらいかがか。

  この点は前回指摘があったことであり、何か注釈等でうまく書けると思うが。

  少し文言を考えてみたいと思う。

  帰属に関して少しリテールの話をさせていただくと、当面の国立大学における帰属の問題で特許等については原則個人帰属ということだが、この10ページの四角で囲んであるところの一番下だが、成果物としての有体物が国の帰属ということで、ここだけやはりどうしても違和感がある。
  当面はやはり国立大学が独法化するまでの間は・・・

  それは国の帰属だが、一部は個人へ残すという意味か。

  結論からすると、当面、発明委員会等で決めないとしようがないだろうと思う。テクニックの話だが。

  その点について、国立大学を念頭におけば正しいと思う。原始的に個人のものであるとすると、この囲みの「C」みたいなことは実際上の問題ではなくて理屈としてできないと思う。つまり、この鉛筆が私のものだとして、「いや、これをあなたのものにしておくのは適当でないから国の帰属とする」のと同じ性質のことだから、それはむずかしいと思う。これはまさにガイドラインではなくて法律で決めないとできないことではないか。個人の財産を奪うということはできないことだから。
  「本来、国のものである」というのが確認されるということはガイドラインにあり得ることだが、「本来、個人のものである。だけど法人化するまでは2年間我慢してちょうだい」という、これはできないと思う。もちろん、任意で「私はもう国のものにしてもいいです」という人は多いと思うが、「いや、いやだ」と頑迷な人がいると、これはもうそこでまったく動かないということになる。
  それから実際上の問題としても、先ほどの大型加速機とかその類のものは当然国のものであると考える。だれもが思うようなものはそれはあらかじめ契約なんかしていなくても、それは黙示のうちにそういう意志で業務に従事していると考えても、結論的には知的財産権、特許についての53年の通知と同じ基準で研究成果物が有体物である場合についても国のものとなる。しかし通常は個人帰属でその個人の発意で特許権なんかと一緒に民間に譲渡してもいいというようなルールにするしかないのではないかという気がする。これは実際上もそうだという話があったが、理屈上もそうではないかという気がする。

  今の話の流れでもまさにそうだと思うが、前にもここで議論があり私も発言したと思うが、国の帰属と仮にするとするならば、随意契約でTLOが扱えるようにするとか、あるいはバイオのサンプル、TRPとかそういうものに特化した話になるかもしれないが、消耗品として扱って事実上は研究者が個人でやり取りできるようにするとか、そういうこととリンクしていないと、何か「国の帰属とする」と書いただけだと今後流通していくのかということが若干不安であるという感じがするので、今意見があったように「個人の帰属とする」ということの余地を残しておいた方がよいのではないか。

  個人に帰属をするとした上で原則国の機関で管理する、そういう意味か。

  要するに事実上は法人化後の国立大学法人あるいはTLOのようなところがやり取りを自由に流通させることが、ある一定の契約に基づいた上でできればいいのだが、国に一元的に帰属してしまうと、そのあとに随意契約でTLOが扱えるとか消耗品として扱えるとか、そういうこととリンクしていないと流通がむずかしいのではないかという気がするということである。

  これは法人化までの間の問題。この間は国に帰属するとすると要するに国有財産になってしまって非常にややこしいということがあり、それをどうクリアするのかという問題が生じる。

  前回、ご紹介したとおりだが、研究開発目的であれば無償譲与の省令があるので、それに基づいて簡単な手続きでできるように考えているところである。
  それからそうではなくて、有償の場合とか研究開発目的でない場合は、先ほど委員から発言があったように随意契約でやるしかないと今のところは考えている。

  今の背景は私もよく理解はできるものの、例えば11ページに書いているように「原則研究開発成果は国の帰属とすることが望ましいが、現段階で原則国の帰属とすると以下のよう問題が生じる」ということで、問題がざっと書き連ねてあるが、これはまさにマテリアル、有体物を国に帰属させたときに起こり得る問題であり、それを鑑みると、やはり有体物についても原則個人という選択肢もあるのではないかと思っている。何か特許と有体物ということで少し矛盾が生じているような気がするが。

  帰属の問題と利用の問題は分けて考えた方がいいと思う。TLOの方での懸念というのは利用の問題だと思う。ここの報告書には帰属と管理と利用というふうに3つの言葉があるが、帰属であればだれが所有権を持つか、管理はだれが実際にそれを管理するか、利用はどうやってトランスファーするかの問題。今の問題はトランスファーの問題ではないかと思う。だから独法化になるまでの間、帰属をどうするにしてもトランスファーの仕組みができればいいのではないかと思う。
  仮に国の帰属だということにしても、例えばシンプルな契約でできるようにするとか、あるいは前倒しを適用して例えば研究者がシンプルな契約を、これに定めているような契約をして、それを例えば事務局に提出すればそれでオーケーという形にする。あるいは適正な価格もその実費の範囲内で自己決定できるとかする。そうしたことが書いてあればいいと思う。

  第4章の具体的なところの議論に入って、これはもともとむずかしい問題に加えて独法化ということがあって、そのトランスファーをどうするかということがあるので、非常に悩ましい面がある。この報告書の精神は、特に基礎研究をやっている成果物をいかにして基礎研究に流通させるあるいは産業に応用させるかというところであり、そこのところは具体的にうまくいけばいいわけだから、今、委員から発言があったように帰属と流通あるいは利用ということをうまく分けて、しかし整合性を持てるような形で書ければよいと思うが。

  繰り返しになるが、国に帰属というのはできないと思う。原始的に個人に帰属しているわけだから、それをガイドラインで国のものにするというのは法律上できないと思う。法律もつくらないとだめなはず。個人の財産を奪うわけだから、それはガイドラインではできないことだと考える。それは適当だから国に自発的に供出してくれというお願いはできるが、「国の帰属とする」ということは書けないのではないか。
  唯一書けるのは53年の通知にあるような本来、特許権という一番大事なものですら国にいく場合は、当然それに付随する有体物も国にいくということではないか。それ以外の遺伝子とかそういうものは「もともと個人のものだと言いながら国が取っちゃいます」と、これはちょっと理屈としてむずかしいと思う。

  なぜ、これを国に帰属させるかその根拠は何かという話になると思う。今考えているのは、1つは大学とその教官の雇用関係。特許法は確かに35条、職務発明の規定があるが、では、有体物について明文の規定があるのか。法的根拠があるのか。というところが1つ問題になってくる。
  もう1つは、発明委員会方式だが、これは問題点が2点想定されると思う。1つはいわゆる成果物についてすべて発明と同じように扱う形にすると、あらゆる成果物を発明委員会で判断しなければならなくなるのではないかというのが1つ。あともう1つは、発明に付属する成果物を国に帰属させるというルールにすると、それをは帰属が途中まで定まらないことあるいは途中から帰属が変わるということ。それでいいのかどうか。

  それはそうではなくて、発明委員会というのは発明という特別のものについて審議するので、有体物は本来個人のものである。別に発明委員会にかからなかったものは全部個人のものだということだから問題はないと思う。
  それからこれは原始的にどちらに帰属しているかという話だから、発明委員会というのは確認しているだけのこと。特許権等についても、「これはもともと国のものですね」ということを確認しているだけなので、当然それに伴った有体物も国のものですねということを確認するだけだから理屈の上では最初から決まっている。途中で浮動的な状態にはなっていないはず。理屈の問題はそうだけれども、実際の問題を考えても「国のものですよ」といってもそれを管理する体制というのがまったくないし、動かないのではないかと思う。
  それからこれはあと2年の問題では実はない。これは要するに法律上は現状の確認に過ぎないのであるから。ということは、今までに国立大学はいろいろ持っている有体物全部、つまり3年前にできた動物であろうと何であろうと、それは全部これにかかる話なので、ここは法人化後も影響の大きい話だと思う。

  現状の大学の実務として5万円以下のものは消耗品として流す。5万円を超えると物品管理法令の適用受けるということは現場から聞いている。そういうのをもう少し明確な形で現場にルールを示してあげればいい。こういう契約書を作ればとにかくできると。ルールさえつくれば現場は動く。まず、現場を動かしたいのが私の一番思うところ。そのためのガイドラインだと思う。
  帰属の問題については、原始的帰属のところに書いてあるが、必ずしも百パーセント研究者帰属ではなくて、加工の類推適用ができない場合は機関帰属というのもあり得るし、また、発明委員会の話もあるし、結局、帰属の問題というのは議論すると止まらないのではないかという気がする。
確かに国の帰属にするのは権利の剥奪だということは十分考えられるが、そうでない場合もあり得るわけだし、だからその議論はそれとしてどこかにきちんと書くとしても、現場が動ける形にまずしてあげたいというのが私の考えである。
  それからもう1つ、何でそういうふうに考えるかというと管理をしたい。管理が行き過ぎると問題だと思うが、無管理状態もよくない。だからとにかく簡単な契約を出して、それを事務方に報告すればそれは一応管理になるから、それによって無管理状態ではなくなる。個人帰属は放置すると独法化まで2年間無管理状態になるので、それもよくない。そこをうまく折衷するにはそういった報告のシステムぐらいがいいのではないかと思う。

  今の報告趣旨というのは、個人帰属のものが国の帰属になる、その法理みたいなものも含んでいるということが前提になっているわけか。

  もしかすると国立大学にも職務発明的な工夫があって、機関に帰属するのかもしれないが、明確にはわからない。
  何をガイドラインとして示したいかというと、研究者の持っている有体物、マテリアルというのは研究者のものかもしれないし、機関のものかもしれない。いずれにしてもガイドラインとしては事務方にこういうシステムをつくったので、これに則ってトランスファーをして報告をしてくださいという一つの指針を与えることだと思う。だからこれが法律になってこれによって権利を奪うとかそういう問題ではないし、これがルールになってどちらかに帰属を決めましたというものでもないのではないかと思う。

  先の委員からの発言にあったように確かにここにポンと「国の帰属とする」と出てきますと、いったいこれは何だということになりかねない懸念もあることから、そのあたりのつなぎの説明が必要かもしれない。

  先の委員からの発言のとおりで、帰属をどこにするかというのはある意味で二次的なもので、どちらかというと大して重要ではない。何をすればいいのかというのが現場でわかっていることが一番大事だと思う。だから原始的な帰属は法人だが、しかし職務上研究した成果でものすごく価値のあるもの、例えば1億円の価値のあるネズミが出てきて、そういうものを民間にトランスファーしたときは報告しろという義務は職務命令としてかけられるから、職務命令としてトランスファーする。そのようなガイドラインとして決めるというのは大変重要なことで、帰属がどうであるかという議論は二次的なものではないか。

  今のお話、消耗品として扱うということには、私も前から言っているように実務としては賛成である。国の帰属とした場合に消耗品だったらトランスファーしていいのかどうかというのも実は詰めなければいけない話で、サンプルなどではなくて、例えば鉛筆とかを大量に買って消耗品にしてどこかにやっていいのかということになってしまう。だからあえて言えば、非常に暴論かもしれないが、特に書かないというのはどうか。実際には独法化が決まるわけだが、それまでの2年間はあえて書かないで現状で流通するようにする、事実上管理はするが帰属についてはあえて書かないというのは、荒い議論だがどうか。

  例えばマテリアルをトランスファーするときの契約書を思い浮かべると、やはりそのマテリアルがそもそもだれのものであるのか、それを前提に何の権限によってTLOがそれをトランスファーするのかということは契約書の中にきちんと書かざるを得ないことなので、私は原則発明と同じ帰属の流れで運用していくのが一番合理的なのではないかと思う。そして流通させる必要がある段階で初めて発明委員会に届け出て、そこで個人なのか国なのかというのを最終的にジャッジするということでいいのではないか。
  そもそもマテリアルはたくさん日常的に出ているものであろうが、そのすべてを出てきた段階で即発明委員会にかけなければいけないという必然性があるわけではないと思うので、やはり流通させる必要がある場合に、事前にこれはだれのものであるかという帰属だけをなるべく従来のやり方を踏襲する形で発明と同様に帰属を決めて、その上でしかるべき取扱いを行うということが、この2年間という限られた時間の中でやるとすれば合理的な結論ではないかと感じるが、いかがか。

  それは個人帰属ということか。

  原則個人だが、流通させる必要がある場合に発明委員会に届け出て、そこで機関帰属なのか個人なのかを決めてもらう。それで、個人の場合は個人で例えばTLOに頼んでもいいし、国の場合は先ほどの譲渡の話もあるが、別な措置をとらなければならない。

  しかしその流通というのは、マテリアルはどんどん出てくるわけだから、その度に発明委員会にかけるのか。

  それは本来個人のものなのだから、例えば適当な線を決めて対価10万円以上で民間企業等に譲渡した場合は届け出るという義務を課せばいい。それは個人のものであっても職務と関係しているものであるから、それは譲渡した場合に届け出をさせるというのは職務命令として出せること。だから管理はすべきだと思うが、全部管理するというと大変だし、全然管理しないというと無責任になる。線は別に10万なのか100 万なのかそれは適当な線で決めればいい。

  今のマテリアルが日常的にたくさん出てくるのではないかという話に関連して、ここの議論でも特に書かれていないことだと思うのは、今現状でトランスファーしているのは結構あるということ。論文にこういう資料だと書いてあって、それを見てこれを欲しいと思ったらその本人に申し込んで、その本人が無償あるいは実費で提供して、その論文にクリップして名前が書かれるという形で行われている。そういう現状を追認するというか現状のままに認め、ある程度機関がそれを把握する。理研の場合にはそれは一元的に管理するということになるのであろうが、少なくとも独法化前の大学においては現状のものが現状のまま行えるようにした上で、それで流通以前、特にライセンス契約に係わるようなマテリアルに関しては、先ほど委員から発言のあったような方法で移転できるようにするということだと思う。
  だから、話の原則としては、特に独法化前の大学においては現状において行っているトランスファーはそのまま行えるようにするということが前提になると思う。

  今各委員からの意見は、それぞれみなごもっともな意見であるが、我々もそれらの点を考えてこの形にしてある。まず第一に、成果物はそもそもだれのものなのかというところだが、この判断では今のところは国のものだという判断をしている。その根拠は雇用関係にあると考えている。
  ただ、選択肢として教官というか研究者に帰属するという方法もないではなくて、我々もはじめはそれを考えたのだが、それをやると当面の措置にすることができない。恐らくこれをやるならば財務省に明確に確認をとる必要があるが、それをすぐできる見通しが立たない段階では選択肢として適当でないと考え、現状を追認した解釈の形になっている。
  あと、利用の話だが、それは現状をそのまま維持する形を今のところは考えている。ただ、報告書だけ1枚出して外にも知らせるようなルールを考えている。その根拠は文部科学省所管に関する物品の無償譲与または貸与に関する省令を根拠にしようと考えている。  管理は省令には別に何も書いていないが、実質的な管理は教官に任せる。そして出すときには紙を出して渡すという形を考えている。要するに1枚紙を出す作業だけがそこに入るという形の運用を今のところ考えている。

  帰属を明示するかしないかについて、私は明示した方がいいと思う。というのは、この帰属というのは何の帰属かというと有体物についての所有権の帰属という意味だと私は理解している。
  文脈からいうと通常の鉄の塊とか鉛筆とは違い、自己増殖するようなバイオの世界、そういうタイプのものも所有権がどっちになるのか、個人なのか機関なのかというところだと思う。自己増殖しない通常の鉄の塊のようなものについてはわりと常識で判断できると思う。バイオの世界ではそれは必ずしも自明とは言えないことから、いろいろ問題が出ているので、それをクリアにしようというのが、この委員会の根源にあるのではないかと思う。
  端的にいうと、例えばMTAを発行するときに署名するのはいったいだれとだれか。機関の長だけなのか個人だけなのか両方なのかという、その判断ですら所有権が明確になっていないとできないと思う。いったいだれがサインすればいいのか、そしてだれのサインがあれば有効なのか、だれのサインがなければ無効なのかという判断ができないとあいまいな状態になって、また事件が起きるのではないかということを懸念する。

  利用のところで確認したいが、16ページの1「利用手続」というところだが、下から2行目のところに「研究者は公的研究機関の了承を得て利用を図ることとする」と、今の委員からのご指摘とまったく同じことだがが、この文言は恐らく非常によく考えられてつくられた文言ではないかと思う。非常に包容力のある文言になっている。
  逆に包容力がありすぎていったい何を言わんとしているのかを委員会の席上で確認しておかなければいけないと思う。「了承を得て利用を図る」わけだから、考え方によっては例えば公的機関があくまでサインをするものと考えられる。ただ、「了承」と書いてあるので非常に簡易な手続だという読み方もできる。もう1つは、これは研究者がサインするのだとも読める。ただ、サインしたあと報告して確認すればいいというようにも読める。
  私が思うに、独法化後はきちんと公的機関が自らサインをして次のページにあるようなシンプルなMTA、1枚か2枚ぐらいの紙のシンプルなMTAでトランスファーできるというのがいいと思う。独法化以前についてはなかなかそこまでできないかもしれないが。今、報告書1枚と事務局から発言があったが、検討会の報告書の中にはMTAの条項が入った簡易なMTAという形式で行うことを記述する。
  サインは研究者になるか機関になるか、そこはわからないが、包容力のある1の中身を若干詰めてみた方がいいのではと思う。報告書はこれでいいと思う。

  考え方としては、まず実際にある研究開発成果については研究者が一番よく知っているし、そのコミュニティの状況も研究者がよく知っている。だから何をだれかに提供したいとか、だれかから何をもらいたいということは、研究者が一番初めに基本的には知ることになるのでははないかというイメージがある。しかしながら、その研究者が勝手に持ち出したりまた持ってきたりということになるとまた問題になる。管理がされていないと問題が生じる。
  そこで研究者がやるかやらないかを判断するが、そのあと簡易なMTAみたいなものをつくって、それで公的機関のサインをもらって出す。この報告書の中はそういうイメージで記述している。

  独法化以前についてもか。

  独法化以前は今のところ有体物は国に帰属させることとなっており、それを前提に同じように考えている。いわゆる無償譲与の譲与条件をMTAにして、簡単なシステムでやるということを考えている。

  今話しにあったルールを適用したあとにこういうシステムが想定されるというところを研究現場の方が十分に認識できるように図式化したものがあるとよいのではないか。

  「帰属」のところだが、原則として利用促進をするために最終的には公的機関に帰属させるのが適当であること、原始的な帰属は個人にあること、よろしいか。
  最終的に公的機関に帰属するということであれば、もう少しただし書きに注釈が要ると思うが、当面の間、基本的に国の帰属としてやるということにせざるを得ないと思う。
  つまり、いろいろなリソースに関するプロジェクトが始まっており、今、MTAにしてもだれがサインをするのか早く決めなといけないという状況が現実としてある。個人にするといろいろな問題が逆に生じてくる。したがって、これを次の法人化以降につなげるためには何らかのサインをする人をきちんと決めておかなければいけない。それは帰属を決めることなので、ここはある程度合意を得ておきたい。

  私が申し上げたのは理屈の問題である。私は、公務員関係というのは雇用ではないので雇用契約だという説明はできないと思う。国立大学というのはかなり複雑な説明が要ると思うが、国の帰属とすることが望ましいというような書き方にして、どうしても承服しない人は個別に申し出て自分で勝手に契約していいとする。しかし、申し出てこない限りはこういうことは周知徹底しているわけだから、その人の意思として国の帰属とする。そういうことであればいいと思う。
  また、実務上どうしても国になっていないと困るというわけではなく、それは個人の記録でも動くのではないかと思ったところから意見を申し上げた。

  両面あって個人の記録で動く場合もあるが、問題の方が多いということが、むしろこの議論の出発点であったと思う。結局は機関帰属ということにせざるを得ないのではと思う。その理屈づけだが、これは事務局案で認めていただきたいと思う。

  質問だが、国立大学の先生が発明した特許についていうと、現状は80%が個人帰属となっており、過去既にもう個人帰属になっている特許について、それが法人化されたあとは国立大学法人に帰属させる、組織に帰属させると考えてよいのか。

  基本的にすでに個人の財産になっているものを組織にまた返すということは、法律でもつくらない限りむずかしいと思う。
  それから法人化後は法人化された大学において生じた発明の特許を受ける権利について、その所有権が国に行くということはバイ・ドール規定との関係もあり、まずほとんどない話であって、法人が組織として取るかあるいは今までどおり個人にまかせるか、その判断ということになると思う。
  繰り返しますが、それまでに取られた特許で個人有の特許になっているものについては、法人化後も個人の権利ということになる。

  そうしたら過去のもの取扱いと状況によっては経過措置も必要になるかと思うが、そういうことについても触れたらいかがか。
  常識的にはそうだと想像はできるが、この文言だけ読むと明確にはわからないのではないかと思う。

  いくつか注釈がもう少しあるとわかりやすいと思う。それから成果の形態にしても極論を言いだすときりがないので、そういうものをある程度排除できるというような書き方にしておいた方がいいのではないかということが委員会の意見だと思う。
  それから研究費に関しては微妙であるが、もし何かふれられるのであれば、そういう場合もあるわけだから、うまい表現ができると助かるなという印象がする。

  帰属のところにこだわって申しわけないが、7ページの「研究開発成果活用の基本的な考え方」の「1.研究開発成果の帰属」ここには明確に一般論として、しかも法的な解釈とか類推ではなく考え方として「研究開発成果の帰属というものは原始的には研究者とする」と記述がある。すべてをこれに基づいて例えば不備なところがあれは法改正、法令改正などをしていくべきと考える必要があるのかどうか。
  それが9ページの四角の議論につながってくるのではなかろうかと思うが、いわゆる民間であれ、国の活動であれ、一般的な研究開発の成果というものは基本的には研究者に成果が帰属するとこの報告書として言い切った上で次の9ページ以降に入っていっていいのかどうか。
  ここでの議論が先ほどから移転やら管理やらそこに焦点があるときに、ここまで言い切った上でスタートしていかないといけないのか、基本的な考え方を結論として書いた上で
議論を進めるべきなのかどうか。

  事務的に説明させていただくと、第3章の基本的考え方というのは、第4章の具体的なあり方を詳細に述べてあるもののエッセンスをとりまとめて書いてある章であって、要するに第4章の考え方を簡潔にまとめたものが第3章だという整理である。先に基本的考え方ありきという考え方ではないと私どもは考えている。

  第3章の基本的な考え方があって第4章の具体論と、報告書を読んでいけばそういうようになる。

  今、指摘の箇所だが、私はこの「研究者の創作力・努力に大きく依存していることから」という、そのあとにもう1回「研究者の創作力・努力に大きく依存している研究開発成果の帰属は原始的には研究者とする」というか「研究者となる」という考え方に基づくものだろうと思う。そういうものでない設備の価値そのものの方がずっと大きいような場合には、本来的にはやはりその所有者なりその材料提供者に所有権が帰属するという考えをあくまでも前提にしてこういう書き方をされたのだろうと思うので、それならこの表現でいいと思う。

  表現は多様なところがあるものの、この報告書が最終的に出たときのインパクトというのは考えておかないといけない。いかがか。

  そもそも考え方としてこうした研究開発成果の帰属は知的創作力・努力に大きく依存している。だから原始的には研究者のものだと考えるという、その考え方を述べるのはいいのではないかと思う。では、成果の利用とかあるいはお金の出し方とか、いろいろな面からあるいは発明の場合とか、具体的にどういう帰属とか管理とか移転をどういうふうに法令上位置付けていくかということは、その次にあるのではなかろうかと思う。
  我々はこういう研究活動の成果の基本的な考え方として原始的には研究者にあり、そして産業利用の促進という新たな観点から公的研究機関に帰属させるという、こういう基本的な考え方でやっていくということをここで述べるのはいいのではなかろうかと思う。
  少し言葉づかいの意味が先ほどから気になって申し上げたまでである。

  では、これは表現の仕方なので、そこを少し検討いただきたい。

  少し表現を考えた方がいいかもしれない。ただ、大筋からいうと事務局案でいいと思うが、 やはりかなり限定が入るのではないかと思う。例えば、巨大構造物は当然除かれる。さらに関連していうと、少し気になるのは2ページの「研究開発成果の範囲」のところだが、これみると、やはりバイオのようなことをイメージしている、あるいは特許の知的財産を意識しているのはよくわかるが、ただ、2のところに「部品」とある。情報処理装置を生産するのに用いられる「部品」とあり、これが若干気になる。つまり、1億円の装置をつくる場合に 100万円、 200万円の部品がいろいろある。それも意味するとなると若干気になるところである。対象となる研究開発成果は相当限定されるのだろうと思うし、その限定する解釈はこの2ページの定義のところを読むことによって類推される思うことから、その類推に若干悪影響を与えるのではないかということを懸念する。

  今までと違う議論なのだが、ぜひコメントしたいことがある。
  21ページの(4)のところに対価の還元というのがあるが、対価を研究者に還元するというのはこれはポリシーとしては非常に重要だと思う。いずれはこういうことをきちんと書かざるを得ないと思うが、ただ現状、特に独法化の前にまだ還元システムができていない状況のもとで「還元する」と書いてしまうと、これ非常に苦しいことになると思う。
  というのは、「還元する」と書いて、みんな還元しようと考えたときにどういうシステムで還元するのか。つまりお金がどういうふうに流れてそれぞれの流れ方、法的な説明はこうであるとか仕組みはこうであるということがきちんと説明できればいいのだが、恐らくそれはまだできないことと思う。ない状況で還元するとなると非常に困るし、当事者は苦労する。恐らくできないという可能性がかなり高いことと思う。「還元する」というのは独法化してきちんとシステムができてからにしてもらいたい。それまでは「還元するように努力する」とか、「なるべくそういった方向で考える」とかそういった方向でまとめて、システムがないところにそれを強制することはないと思う。

  独法化になる間に機関に帰属させるとしても、大学はかなり困るのではないかと思う。管理にしても大学はそれぞれ何かをやるということがいろいろ書いてあるが、措置できるのか。個人ではなくて組織としてやるときに事務当局がかなり混乱する。あるいは人が足りないとかこの2年間のうちにいろんなことがあると思うが。

  今の質問に対する直接の答えはなかなかむずかしいことと思うが、努力をしていくべき事柄だと思う。
  一言だけ申し上げたいのは、この研究会が始まったきっかけは例の理研のスパイ事件である。あれが起こり、我々はあの問題の教訓を得て研究現場において何らかのきちんとしたルールをつくらないと結果として日本全体の先端的な研究がうまく進められないのではないか、あるいはそういう研究成果の産業利用もうまく進められないのではないか、こういうことがきっかけであった。
  理研のスパイ事件というのは、もちろんまだ完全に決着していないが、結局、材料の所有者はいったいだれなのか。それで物理的な移転が行われ、それは了承が正式に取られた形で行われたのか、それとも盗まれたのか、そういう問題であった。だから所有と移転に係わるルール、本来守るべきルールというのがあったのかなかったのかということが原点としてあった。
  したがって、この研究会で必要最低限度のご議論をいただきたいのは帰属、所有といってもいいのかもしれないが、それから管理、利用、移転に関し、それはいったいだれの責任で行うことなのかということであると思う。きょうはそういう議論を十分にしていただいたと思うので、先生方のご議論はもちろん、そこのところは必要最小限きちんと抑えていきたい。
  ただ、議論があったとおり、一種の手続きになってくるかとは思うが、その手続きのために結果として研究が進まないのでは話にならないので、資料3の目次にもあるが、知的財産権の帰属と利用は両立するということでないと困る。確かに帰属の問題自身が、それだけが一番大事というわけではないが、結果的にはきちんと利用が進んで研究が進む、産業利用が進むということでなければ話にはならない。その前提として繰り返しになるが、この研究会のきっかけになったことの反省に立てば、いったいだれの責任なのか、だれの責任で何をやるのかということをある程度ルールとして現場に考え方が提示できるようにしなければ、本来この研究会を始めた意図が実現できないということを申し上げたい。

  特に利用のところに関して意見はあるか。

  利用の話だが、国立大学の研究成果とか何かを利用するというのは、結局最終的に生産行為を行うのは民間なので、民間が使い勝手しやすいようなことが入っていないとまずいのではないかと思う。大体基本は入っているが、企業がパテントを使う意味合いに関することが必要ではないか。例えば私は製薬だが、製薬では非常に独占性が要求される。実施権を国からもらうというときに、ある程度独占性が保障されていないととてももらう気にならない。民間側の理屈では、そういうオプションがとれるという考え方が必要となる。
  だから利用する側の企業とか、利用する側の要求の度合いに応じた条件設定ができるようにしていただきたい。今まではその辺が非常に堅くてほとんど通らない。例えば医薬であれば文部省とは限らず厚生省とか関係することだが、ほとんど融通性がない。通達があり、それから一歩踏み出すことはもうほとんどない。本省からの通達があり、出先の機関はほとんどそのとおりしか動かなくて、新しい条件を加えようとしてもとても入らない。本当にこれを活用しよう、利用させようということであればその辺の自由がとれるようにする必要がある。
  例えば産総研の実施許諾の例では一応そのような独占性を含めた案が出てきている。それから一方でこれをさらに進めると、国の研究費でやったものであっても場合によっては民間に権利さえ移すという時限立法がある。権利移転さえ民間に移すということは国策としてアメリカがやっていて日本もこれを真似した。その中の権利の移転というのは実施権の話だから、当然そういう余地があるように考え方の中に盛り込んでいただきたい

  予定した時間がきたので、今回はここまでとする。帰属に関し明確なことが打ち出せるかと思うが、表現の問題もかなりあり、これは上手に書かないと誤解を招くということもあるので、そこを事務局で検討いただきたい。
  それから、まだいくつか問題があり、意見を出せなかったことがたくさんあると思うが、次回までに事務局へ意見を出していただいて、そして再度まとめてもう一回議論することとしたい。それでは事務局からその辺のスケジュールをお願いする。

  コメントがありましたら、来週の水曜日、24日をめどに事務局の方に提出いただきたい。それからきょうご欠席の先生方にも意見をうかがうことと事務局では考えている。
  それから次回の会議に今回のコメントを踏まえてもう一度報告書を審議いただきたいと思っている。次回は5月10日、金曜日の午後2時、14時から。場所はこの同じ会議室で開きたいと考えている。

  では、本日の検討会を閉会させていただく。本日はどうも長時間ありがとうございました。
   
5. 今後の日程
    次回は5月10日(金)午後2時から文部科学省別館大会議室で開催する。
   
  (文責:研究振興局研究環境・産業連携課)



(研究振興局研究環境・産業連携課)

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