○ |
研究開発成果について、原始的にその創作者に帰属させる。これは無体物については特許がそうなっている。最も価値が高いと思われるものがそうであるならば、それ以外のものも全部そうだろうと考えられる。ここの研究開発成果の中に有体物がもし含まれているならば、これはきちんと最初から議論しないといけない。無体物については創作者に帰属させる。これは法律上全部そうなっている、著作権についてもそう規定されている。
有体物については、研究者に帰属させるという話になると例外が出てくる。例えばSPring−8のような加速器について、それが最初からつくった人の所有であるとは通常考えられない。SPring−8は、研究者が知恵を絞ってつくったもので、建設過程で特許なども出ているが、でき上がったものは研究者の所有では明らかにない。したがって、有体物と無体物をまずきちんと分けて議論する必要があるだろうと思う。
私の所属する研究所はこの4月から無体物については基本的に創作者のものであって、その取扱いは職務発明規程やその他の規則に従って、雇用関係のもとで研究所に帰属させることとしている。一方、有体物は、できた瞬間に研究所のものというように規定を変える。特にその中で生物系の有体物は自己増殖するので、他の化学物質とか個体とかというのとは取扱いを若干分けようと考えている。基本的に有体物と無体物とに研究成果を分け、有体物については、できた瞬間に機関の帰属にしようと考えている。
大学が一番問題で、MTAの問題等、大学の事務の負担を軽くするという考えでこの案になっているのではないか。当面は現状のまま行くというのは仕方がないことだろう。法人化をにらんで、どういう方策を編み出したらいいかということが議論になるだろう。
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△ |
事務局の案では、研究開発成果については無体物か有体物であるかを問わず、あくまで創作した人に原始的な権利があると考える。ただ、有体物である研究開発成果物について、なぜに最終的に機関に帰属するかというと、まさに契約とか勤務規則に基づいて所有権が移転するものであると考える。以上のことから、先ほどの委員からの指摘については、おそらく結果としては事務局の考えと同じであって、先の例でも、契約とか勤務規則に基づいて、創作された瞬間に機関のものとなると考えられる。
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○ |
今の有体物の議論だが、資料には原始的な帰属については法令等による明確な定めがないとあり、これは確かにそのとおりだろうと思う。そうすると、それが創作者に原始的に帰属するという法令上の根拠というのは、法律の原則のようなところから導き出すということになるのか。それとも、そこは明確に規定を置くということを考えているのか。
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△ |
原始的に帰属させる法令の根拠は何かということについては、前回までに他の委員からプレゼンテーションがあったように、民法の246条第1項のただし書きに根拠を求めている。著しく価値が高いものであれば、加工した人が所有者になるという民法の246条第1項のただし書きの規定を拡大解釈というか、論理解釈してその根拠としている。今までにない新しい知的な価値をつけたのだから、その価値を付加した者に所有権を帰属させるのが適当であると考えている。
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○ |
資料の1と2の関係が明確でないので、もっと明確に記述するべきだと思う。原始的にどこに帰属して、それを別途契約で処理をするという考え方を明確に記述すべきだと思う。
また、現在、特許法でも非常に問題になっている点だが、契約で帰属を変更するときに、創作した個人への補償をどうするかということが問題となっている。少なくとも特許では現在非常に問題になっており、ここで扱う有体物である研究開発成果についても共通する問題なので、どういう考え方をとるべきかということについて触れる必要があるのではないか。
特許法が規定しているのは特許についてだけなので、特許以外の研究開発成果についてはその規定は当然には適用されないだろう。
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○ |
無体物と有体物と仮に分けると、特許に代表される無体物については、原始的に研究者、発明者に権利がある。これは特許を受ける権利という権利としてである。そしてその後、職務発明規程等により機関に承継される。我が研究所においても職務発明規程を置き、全職員がこれに従う。従わないというオプションはなく、それは企業と同じだと思うが、職務発明規程に全員が従い、特許を受ける権利は機関のものにしている。
その場合に、対価的なもの、補償的なものはどうするのかという問題がある。2つあり、1つは登録報償金、これは特許出願した後特許庁で審査され、特許になった際に登録報償金というものを研究者に出す、これが対価の1つ目。2つ目は、特許等が実施されたら、実施料が入ってくる。これはいわゆる実施料だけではなく、公開前の特許について企業に開示し対価を得る情報開示料なども含めた実施料を意味するが、その実施料の25%を研究者に還元するというものである。これらは、研究者が発明を機関に帰属させることの反対の対価ということができると思う。
それから、有体物、これはMTAという形で外部に出ていくものについての議論である。有体物については、我が研究所では、その成果物が発生した段階から何ら登録とか申請とかを要せずに研究所に帰属するのものとしている。その関係を成果物取扱規程で規定し、昨年の11月16日から実施している。
その後、問題になったのが、すなわち学会の著作物となる論文の取扱いの問題である。ここで学会に対して、個人から譲渡するのか、研究所が機関として譲渡するのかという問題がある。その点は、あいまいなままで来た経緯があるが、半分は研究所も法人著作権として持っているし、学会のほうも著作権を持っているのではないかと考えている。
あとは、それ以外の研究成果物については、運用上はすべて発生した段階で機関のものとしている。その結果、特許と取扱いの違いが出てきた。特許については特許法35条に相当の対価を発明者に支払う旨の規定がある。特許に対しては実施料に対応した相当の対価が発生するのに対して、有体物については相当な対価が発生しない傾向がある。もともと機関のものだから対価を与える必要がないという議論もある。一方、実施料に相当する収入があった場合は、報償金ではなく、補償金と言うのか、そういう形で特許と同様に25%は還元するという解決の仕方を試みた経緯がある。
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○ |
横長の資料で成果物の実質的な管理は教官が行うと書いてあり、その理由として、教官帰属のところで、保存方法等を熟知する教官等が行うため適切な管理が可能であると書いてある。これ自体は合理的でいいと思う。
しかし、例えば前回提起された糖尿病マウスのような動物成果物等の管理というものについては、こうした系統を純粋に確立していくことが学術的に非常に価値があるし、また、動物モデルを使った研究成果が価値を持つためにはその成果が標準化されていく必要があるが、現場の先生方個人にこれを管理させることは、極めて困難なことだと思う。そういう過程では、管理のための体制とか予算の支援とか、そういった制度、システムもきちんと整備していかないといけない。教官の個人的な管理にただ任せるというのでは限度がある。これは国立大学、あるいは研究機関等だけの問題ではなく、実は企業についても共通する問題である。企業から生まれたこうした成果物についても、結局企業内にあっては、あの人が趣味でやっているんだから、あのネズミと一生過ごせばいいんだという感じで軽視され放置されてしまう傾向がある。
結局は系統の維持管理に持ちこたえられなくて、ほかの研究機関からの要請等に応じて提供したものが徐々に世界中に広がっていってしまい、オリジナルな成果物であるにもかかわらず、標準化されたときには別の国のものになってしまっているという状況が生じる。だから、やはり企業は企業としてやるべきであろうが、まず範を示すのは国であって、国のような研究機関でこういう成果物が出た場合にどのようにしてフォローしていくのかという仕組みをぜひ考えてもらいたい。そういうことが基礎研究の最も重要なインフラではないかと思う。
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○ |
今の意見は2つあって、基本的な帰属をどちらにするかということと、実質的な面ではこうした国からの支援、あるいはシステムをきちんと整備した上で、実質的な管理は教官等、あるいは専門家が行うということだと思う。後のサポート体制はまた本検討会の議論とは別の問題であると思うので、意見は意見として伺っておきたい。
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○ |
1ページ目の(2)の のb、国立大学の著作物について、原則個人に帰属という説明であったが、これは民間企業の場合には原則個人帰属とすると問題がある。企業の場合には、こうした職務に基づいて成した著作は職務著作になり、企業に帰属する。企業帰属でなく個人帰属にすると利用を促進する上で問題が生じることとなるのではと危惧する。
例えば企業では、データベースにしろ、コンピューター・プログラムにしろ、チームでつくって、長い期間かけてずっと改良を積み重ねていく。その際に個人に権利を帰属させると、その個人の許諾を得ないと以後改良ができなくなってしまいうことから、複雑かつ大きな問題をはらむことだと思う。
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○ |
プログラム著作については、我々の研究所では発明と同じように扱おうとしている。ただ、著作物であることから、補償金ではなく報償金であるとか、細かな違いはある。プロジェクトの中で、例えばゲームのソフトをつくった場合、著作権は創作した人にできた瞬間に帰属することから、著作権に限っては法人著作という概念がある。我々の研究所ではVCADという大きなプログラムをつくるプロジェクトを進めているが、職務発明規程に従って理事長が指定したプログラム著作については法人著作を適用するという規定があり、その規定に従って法人著作としている。
もちろんその前提となる考え方として、雇用契約の中で理研の職務発明規定に従う旨を宣誓しているので、それが適用されて、そこから得られるプログラムはすべて法人著作であるとの考え方がある。ただ、一身専属性で、創作した人に最初から生ずる権利として、著作者人格権というものがある。この著作者人格権は研究所に対して行使しないということを宣誓した上で、プロジェクトがやっとスタートできる。公的機関でも企業と同じように、著作物については法人著作にすると最初から決められるようにしておけば、基本的には問題がないと思う。
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○ |
有体物に関する原始的帰属というのは、先にあった研究所の場合でも実は原始的には個人帰属だが、運用上は規程等により即機関に帰属するというようにとれる思うが、いかがか。
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○ |
発明については特許法に原始的に発明者に帰属する旨記述があり、後は、雇用関係でその権利をだれが承継するかということは個々の法人が決めればいいことと思う。有体物については法令上何ら取り決めがない。ただ、先ほど言ったように、SPring−8はつくった人のものだとだれも思わないという関係がある。
これは決めの問題であり、税金を使ってつくられていることから、アイデアはその人のものとしても、できた瞬間にそのもの自体は機関のものとするように我々の研究所では取り決めた。急には決められないので、本年4月1日に契約制職員ないし全員の契約更改があることから、その時に研究所の規則を変更し、契約にサインした者には4月1日から創作した有体物については全部できた瞬間に研究所のものとすることで進んでいる。
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○ |
SPring−8について、発明者の帰属としないのは確かにそう思うが、DNAの場合は限りなく発明に近いという印象を実際に研究を行う者としては持つが。
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○ |
それは資料の2番にあるとおり、流通を促進するという観点が非常に重要なのだと思う。
無体財産の場合は特許のライセンスとかその他は個人でできる話ではないので、法人がきちんと面倒を見る。
有体物についても、非常にこれから普及するであろうものは、先ほど話しがあったように公的なバンクをつくって、そこに寄託して流通を促進するということも大事であろう。まだそこまでに至らないものについては、研究所として何らかの方法でその材料を広く普及する、あるいは商業用に使ってもらうということを、組織として創作者をサポートするということが大事であろう。それ故に、組織としてこれを自由にハンドリングできるようにするために、組織の権利にするという方向で、すなわち、流通促進とか、商業化とか、産業界へのトランスファーということを念頭に置いて、個人帰属よりは機関帰属が適切ではないかと考えている。
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○ |
先ほどの例で、「サインをして承諾を得た方については」という留保があった。これを斟酌すると、有体物についても原始的には研究者に帰属するが、研究所の規程に基づいて承諾した者については、そこから直ちに法律的には無償譲渡で機関に所有権が移転するという考え方で説明はつく。
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○ |
事務局から、この2段階にしてあるという点に関して何か意見はあるか。
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△ |
我々はSPring−8を念頭に置いて成果物を考えていない。あまり極端な例を事例として挙げて議論すると議論が拡散してしまうのではないか。
また、原始的に研究者に帰属させるという考え方をとったのは、特許等の無体財産権との整合性をある程度とったほうが後々流通のためによいのではないかという考え方が根底にあった。
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○ |
資料2ページのcの次のところについて事務局に確認したい。研究開発成果については、「原則として契約、勤務規則等により公的研究機関の帰属とするのが適当である」とあり、私の理解ではこの記述を、原始的には個人に帰属するが、それを契約や勤務規則などによって別途機関に移転させるという文脈で理解したのだが、いかがか。
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△ |
そのとおり。
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○ |
資料の1番の原始的帰属で個人ということは、将来権利化されたところでその教官、あるいは関係者にその原始的な権利というものを発揮させるという意味も含まれているのか。最初から原始的に機関帰属であるとしてしまうと、発明、あるいは開発した個人というのは一切かかわりがなくなってしまう。この点はどうか。もし原始的に最初から帰属は機関であるとしてしまうと、開発した人の権利というのは未来永劫ないということになるのではないか。
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△ |
ここの原始的な帰属というのは、何を対象としているのか。有体物の所有権ということか。
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○ |
所有権を対象としている。
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○ |
先ほどの加工の理論について、この理論で全部加工者に帰属するということは説明しにくい場面が出てくると思う。もしそうであるなら、やはり法令の根拠を定めておくほうがいいと思う。そうしないと、仮に契約で機関等に移すといっても、移す元の権利がその研究者に発生しておらず、別の人に帰属している場合だと、機関への移転というもの自体も無効になってしまう。その辺は、やはり何らかの法令上の根拠が必要だという感じがする。
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○ |
法令上、根拠がなかったらどうなるのか。今は明確な法令上の根拠はないということか。
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○ |
民法上の加工の規定が確かに一番の手がかりだと思う。ただ、それですべてまかなえるかという問題は前回の検討会でも指摘されており、その辺の手当てをやっておかないと、後でトラブルが生じたときに困るのではないかと思う。
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○ |
資料の2番以下のことにもかかるので、1番に関しては何らかのコンセンサスが要ると思うが、もう少しご意見を。
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○ |
先ほど原則として契約、勤務規則等により公的研究機関の帰属とするのが適当であるという文言についての確認があった。原則、有体物についても、原始的にはそれを発明した人、創った人に帰属する意見と有体物はできた瞬間に機関帰属となるとの意見があった。そこのところがまだ明確になっていないが、いかがか。
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○ |
有体物にもいろいろなものがある。通常の有体物、例えばこうしたスピーカーとか文房具のようなもの、これはもともと売り主に所有権があって、企業でいうとそれを購買部が買ったときに買い主である企業に所有権が移転されると、民法で規定されていると思う。
ただ、今議論している場で有体物といって問題になるのは、微生物のように自己増殖していくものについてだと思う。いわゆる通常の有体物を購買経由で伝票で買うというのではなくて、それが知的思考の成果であり、かつ自然と増殖する性質を有する場合が問題となる。リアル・ワールドで言っている商取引の世界で言う有体物という概念できれいに整理されるのか、そこに議論の余地がいろいろとあるところだと思う。
専門家でないのでよくわからないが、有体物はどこまで含むのかという境界がグレードアップすると非常に問題が複雑化すると思う。しかしながら、1つの考え方として研究成果物である有体物について、原則は個人に帰属して、それを後ほど機関にトランスファーするという考えは成り立つと思う。ただし、指摘があったように、そもそも何が有体物かというところに実は議論があって、グレー・エリアがあり、もう少し議論を深める必要があるかと思う。
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○ |
有体物の中で、生物系とそうでないものを分ける必要があるのではないか。例えば植物新品種などは、種苗法上で基本的に創作者に帰属すると規定されている。原始的帰属は研究者ということになる。それで、生物系であるものとそうでないもの、そういう分け方も可能ではないかと思う。
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○ |
我々の研究所では、生物系の試料について、一体どこの研究室にどういうものが幾つあるか、その生物系試料がいつどこに出ていって、あるいはどこからいつそれが来たのかということを、全部きちんとして把握しておこうというのが元々の発想だった。そのためには、研究者が自分で権利を持っているということは自分で自由に処分できるということだから、だれにでもあげてしまう、あるいは誰からでももらえるということになれば、一体どれだけのものが研究所の中にあるのかということを把握できない。だから、全体を研究所として把握する必要があるとの発想にたった。また、研究所が新たな価値をつけ加えた生物試料をさらに普及させるためには、研究所が研究者をサポートすることが非常に重要なのだという考え方にたっている。
いままで決まりがないので、決めてやってみる。具合が悪ければ、また直していけばいい。研究者にとっては無体財産は最初から研究者のもの、一方、得られた有体物については研究所のもの。両方セットで動くこともあるだろうし、そうでない場合もあるかもしれない。少なくとも、例えば炭疽菌のような生物試料の場合、研究所に研究者が持ち込んで研究していることについて、研究所は一切知りませんというわけには絶対にいかないだろうと思う。
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○ |
今の議論について、DNAとかマウスといった研究成果は、有体物であっても限りなく知的資産、無体物に近いものになると思う。私の考えとしては、特にそれを原始的に研究者に帰属させて、勤務契約によってそれを研究所のほうに帰属するという形にする、と考えている。先の研究所の考え方と大きな違いはないと思うが。どういった状況を想定しているのか。
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○ |
そのとおり大きな違いはないとも言える。元々は研究者のもので、それを研究所が100%譲り受けるということであって構わないが、幾つかあるうちの一番大きな問題は、先ほどのSPring−8の例のように有体物のうち研究者の帰属に帰さないとのカテゴリーに入るのはどこまでかという、ミシン目を明確に引けないという問題点がある。例えば、生物試料は全部かというと、牛などの場合はどうなるのか。また、無機物で言うとダイアモンドのモノクロメーターというものがあり、これはすぐ壊れてしまうが、300万もするもので、消耗品に分類されているが、こうしたものを研究者が自由に処分して構わないかという問題もある。
有体物のうち生物系試料のうちここら辺までは研究者に帰属させて、それを雇用契約又は規則に従って研究所が譲り受ける。一方、ここから先のものは、最初から研究所のものだというミシン目を一体だれが、どのように考えるかとことは、この場で議論して結論が出ることではないだろうと思う。
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○ |
その点が、先ほども話にあった民法の加工の規定の解釈の関連するところで、元々の価値を加工によって極めて高い価値にしたか否かということが判断基準になるのではないか。それを判断するのにどういう具体的な指針が必要かという議論はあるだろうが、1つの基準として切り分けることができるのではないかと思う。むしろ、どういった場合に加工によってかなり価値が高くなったかということを指針として議論することが必要なのではないかと思うが、いかがか。
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○ |
今、無体物か有体物かというカテゴリーで論議が進んでいるが、無体物であろうと有体物であろうと、知的財産権という発想でこれは考えるべき問題だと思う。特許の対象になる、あるいは特許として権利化されるか否かにかかわらず、創作の成果という形で整理しないといけないのではないか。新しい知的財産権のあり方という観点で発想を変えないといけないのではないか。
マテリアルのトランスファーの観点から発想していくということになると、有体物、無体物というカテゴリーが出てくると思うが、研究の結果あるいは、企業活動の結果、創作の成果として出てきたものを広く知的財産権という形でとらえるというのが、今の流れだと思う。まさに理化学研究所の研究員がアメリカの経済スパイ法で起訴されたということは、広く創作の成果を知的財産権としてとらえる概念を米国は確立しており、そうした論拠に基づいた法の執行によって起訴されたものと言えることから、国際的に競争するためにはそうした考え方に立って日本も法整備をしていかないといけないのではないかと思う。
これは、この検討会でやるべき問題からは少し外れるかもしれないが、やはり、例えば知的財産権の保護強化についての世界の産業史的な視点で見ていくと、ほとんどの新しい特許の概念、あるいは知的財産権の概念というのはアメリカが先導している。例えば微生物を特許として認めるとか、ソフトウエアを認めるとか、あるいはトランスジェニック・アニマルを特許の対象にするとか、科学研究の先端の成果を特許として認める新しい概念はアメリカが全部先導してきている。それを、今回、経済スパイ法というのは特許の対象になるかもしれない研究創出の成果、そういうものまで知的財産権として位置づけた概念で法律を運用して、執行することとなったものだろう。
そうした経緯で、理化学研究所の研究員は起訴されたことから、日本も広く特許であろうとなかろうと、創作の成果というのは知的財産権という権利が生じているんだという観点に立つ必要があるのではないか。それを特許の場合は研究者に帰属させるのが原始的帰属であると言うならば、特許であろうとなかろうと創作のすべては研究者に帰属させる。その後で、機関に帰属させるかどうかは契約の問題であると考える。そういう観点で整理しないと、現在の知的財産の流れには合わないのではないかと思う。
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○ |
かなり時間がたちましたが、いかがでしょうか。おそらく、今、委員が話された内容が答えではないかと私も思う。開発成果というのをどこまでをもって創作と言えるかどうかという点は、先に他の委員から指摘されたところではないかと思う。研究を行う際は必ずものを買って始めるわけだし、買ったものそのもの自体は購買した機関のものである。そこから加工を加えるわけだが、どこまで加えれば、それが新しい創作物になるのかという点、これはまさに特許と同じようなことが言えるのではないかと思う。
そこの線引きは非常に難しいが、買ったものはその時点では研究者のものではない。それに加工を加えて創作すれば、原始的にはそれは研究者のものだというのが理屈だと思う。その後、ほぼ自動的に機関に移管するというのは、運用の問題である。そうした場合に法的根拠がないとまずいのではないかというのが他の委員から指摘されたところだが、この件に関してはいかがか。
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○ |
そうすると、例えば糖尿病ラットをつくった場合は、契約上、その権利は全部所属する大学に帰属するということになる。新しいトランスジェニックのネズミでも、新しい微生物でも、つくったものを雇用契約に従って機関に譲渡することになる。そうでないと流通しないことから結果において妥当と考えるが、その法的根拠が雇用契約であってよいのか。機関に譲渡したことに対する補償などの問題も関連する。その法的根拠が明確でないと、研究者にもともと帰属しているものを機関が取り上げるということ自体が、公序良俗に反し、日本中で裁判が起るような気がするのだが、いかがか。
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○ |
法的には、今の話しのようなことが起るおそれは十分にある。確かに、創作の成果物というのはその創作者に原始的に帰属するというのは非常に望ましい方法であるし、理念的にはそうであろうと思う。法的な処理として、それではそれを明記するかということになると、先ほど申したようにさまざまな有体物について、加工の規定が適用されるものと、そうでないものとが生じる。
法的な処理としては、有体物については最初の材料等の所有権は研究機関にある。それに加工を加えた場合、研究者と機関との2者だけの法律関係なので、それは2者間の合意をあらかじめ職務規定でも何でもいいのだが、予め2者間で取り決めておけば、どちらかの所有権が発生することから、それは両者で研究機関のほうに帰属させるという合意をしておけば、あいまいな部分がクリアされるだろうと思う。
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△ |
有体物という議論をしてしまうと、生物的なものからSPring−8みたいなものまで幅広いものが対象となる。研究開発の成果に知的な部分と、一方で何百億、何千億、あるいは何十億というお金、その両方があって1つの成果が出てきているだろうと思う。そこで研究のアイデアとか考え方とか、研究者が貢献した部分、そこだけを切り出して、それについての帰属はと言われたら、それは原始的に研究者という感じはする。
ところが、その考え方で実際に出てきたものの所有権そのものまでを研究者の帰属だと言われると、一方で結構なお金が投入をされているのに、全部研究者にアイデア的なところのみならず、ものの所有権まで帰属させると言われると、疑問に思うが。
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○ |
そこが民法の加工の規定と関係するところで、今話しがあったように、少しでも知的貢献があれば、すぐ研究者のものになってしまうというものではない。
例えば、DNA、あるいは特許と考えるとわかりにくいので、ある芸術家で芸大で先生になっている人が、購入された絵の具とキャンパスを使って絵をかいたということを想定するとわかりやすいのではないか。絵の具、材料代は国から出ているとしても、かいたその絵というのはものとしてだれに帰属するかという問題になると、原始的にはその絵をかいた人に帰属するということが適当で、それと同じように考えるとよいのではないかと思う。
これは創作活動をしたことによって、価値が絵の具の材料代よりもかなり大きく変わっていることによる。価値を少しでもつけ加えると自動的に研究者のものになってしまうというよりも、価値が材料だけの価値よりも大きく上がったようなものについて考えていくとよいのではないかと思う。民法の加工の規定でも、価値が大きく上昇したようなものという書き方がされていたと思う。むしろ、加工で価値が大きく上昇したもの、それが知的貢献になるわけだが、その知的貢献の大きさというものをどういうふうに判断していくかということを判断基準として議論していったらよいのではないかと思う。
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○ |
どこを想定すればいいのか。生物資源だと、かかった費用は非常に莫大であっても、できたもの自身の価値というのは非常に少ないので、むしろ絵と同じような形が多いと思う。一方、SPring−8のような工学的なものであれば、価値そのものが残ることから、それを研究者のものだと言うと少し違和感がある。
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○ |
私なりに考えを整理して言うと、どのように研究費を投与してものをつくったとしても、その人間とそのアイデアがない限りは成果が出ない。その限りにおいてはどっちに権利があるのだというと、鶏・卵の論議と同じようになってしまう。そういう環境と研究費を投与した人なのか、それとも、そういうものを応用して考え出した人なのかということになりがちだと思う。
そこのところを整理して考えると、結局は、私はやはり頭脳を使って考え出した人間に原始的には帰属させる。ただし、できてしまったものを即研究者の帰属とさせることに甚だ不合理だと感じるときがある。そこで、その後の契約、勤務規則等においてそれを解決するという方法をとれば、つまり生まれてきた成果の評価、その観点に基づいて契約で処理するという考えに立てばこれは解決できることと思う。
従来の知的財産権のあり方の延長線で考えても解決できない問題であって、これは全く新しい知的財産権の概念を我々が今解決していくのだという発想に立つべきだと思う。したがって、こうした有体物の場合も原始的には発明者に帰属する。それは、契約上、規則上でその扱いについてはきちっと取り決めをしておくというようにする。そういうルール、あるいは法的なルールを確立することが重要ではないかと私は思う。
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通常の有体物について所有権というと、基本的には処分する権利である。あるいは借りた有体物を返すと、自分の手元にはなくなってしまうというのが通常の有体物の特徴である。ところが、微生物については事情が違う。例えば100万個の微生物を借りてきて、それを200万個にした場合、100万個返せば、もとの貸してくれた人は同じ状態に戻るわけだが、残りの100万個については借り手側に残ってしまう。そこが通常の有体物と違うところだと思う。いわゆる無機質の有体物を頭に置いて所有権を議論すると、これはかみ合わないのではないかと思う。ぜひ専門家の方に、その辺について所有権という考えをどう適用させるといいのか、知恵を拝借できればと思う。
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○ |
これは非常に難しい問題である。子孫が生まれる、増えていくということは、法律上一種の天然果実ということになり、それはその時に収取する権利を有する者の所有に帰するということになる。やはり所有権で考える限りは、そういう考え方しかとれないだろうという気がする。
この場合に適切な解決法として、成果物自体が一種の知的財産権として保護されるべき創作物だということにすれば、それについての基本的な帰属というのは法律の世界で法令によってきちんと決めておくべきことであり、またそれは法律で決められることだろうと思う。例えば、著作権法上の法人著作だと原始的に法人に帰属するけれども、特許の場合は特許を受ける権利がまず発明者に発生して、次に使用者のほうに帰属させるという構成で法的には取り扱うことにしている。その辺の法的な取り決めというのは、法律ならできることである。
確かに法律で定めるとした場合、その目的物をどう定めるかというのが非常に難しいところはあるが、原則的な規定を置くべきだろうと思う。そうしないと、後で法的な混乱が生ずるような気がする。その辺はもう少し整理させていただきたいと思う。
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原始的帰属に関してはかなり重要な問題であるが、いままでの議論で理念は理念としてかなり合意はできていると思う。それが運用として法的にも大丈夫なのかというところは、宿題として残るのではないか。これは一旦これで置かせていただく。
もう一つの議題として、研究開発の場での広い利用のあり方ということでまとめがある。そちらを説明をいただき、両方まとめて議論を進めていきたいと思う。
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