障害のある学生の修学支援に関する検討会(令和5年度)(第3回) 議事録

1.日時

令和5年7月13日(木曜日) 16時~18時

2.場所

オンライン開催

3.議題

  1. 関係者へのヒアリング等
  2. 第三次まとめの取りまとめに向けた基本的な考え方及び骨子について
  3. その他

4.議事録

【竹田座長】  定刻となりましたので、ただいまから「障害のある学生の修学支援に関する検討会(第3回)」を開催いたします。皆様には、御多忙中にもかかわらずお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
 本日、柏倉委員が遅れての参加と御連絡をいただいております。
 まずは、事務局より配付資料の確認をお願いします。
【小栗補佐】  文部科学省学生支援課課長補佐の小栗でございます。本日は、御多忙中にもかかわらず御出席いただき、ありがとうございます。
 配付資料につきましては、議事次第のとおりとなっております。
 なお、資料4-2につきましては、委員のお手元のみに補足版を配付しております。
 過不足がありましたら、事務局まで、議事の途中でも結構ですので、遠慮なくお知らせいただければと思います。
 以上でございます。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 本日は、まず、これまでの御議論を踏まえ決定した資料1「論点整理」に基づき、「障害学生支援の基本的な考え方に関すること」について、川島委員、高橋委員から御説明をいただいた上で御議論いただきます。その後、第三次まとめの取りまとめに向けた基本的な考え方及び第三次まとめの骨子(案)について御確認いただきます。
 それでは、最初の議事「関係者へのヒアリング等」に入ります。
 まず、川島委員より「合理的配慮の不提供と不当な差別的取扱いとの関係について」について御説明いただき、高橋委員より「合理的配慮と根拠資料」について御説明いただきます。
 それでは、川島委員から御説明をお願いします。
【川島委員】  ありがとうございます。川島です。
 本日、私は資料2に基づいて、合理的配慮の不提供と不当な差別的取扱いとの関係について、御説明差し上げます。
 画面共有してもよろしいでしょうか。
【小栗補佐】  お願いいたします。
【川島委員】  今、画面に映っているレジュメに沿ってお話しいたします。
 まず最初に、障害のモデルというところですけれども、障害者差別解消法は社会モデルに基づいているというのが広く一般に合意が得られているわけですけれども、社会モデルとは何かということについて簡単に見ていきたいと思います。社会モデルというのが出てきた背景には、障害の個人モデルないし障害の医学モデルという考え方があったわけです。それは、機能障害があるということが原因で機能障害がある人の不利益が発生するというような還元主義的な考え方を言いますけれども、不利益というのは障害者差別解消法の文言でいいますと、日常生活、社会生活に相当な制限を受けている状態ですね。これは機能障害があるから発生しているんだという考えが医学モデル、個人モデルと言われて、他方で、障害の社会モデル、日本の障害者差別解消法及び障害者権利条約はアメリカ型の社会モデルだと理解されていますけれども、こちらは機能障害と社会的障壁との関係の中で不利益が発生するという考え方でして、沿革としては個人モデルに対抗するモデルとして登場しましたので、実質的には社会的障壁の問題性を強調するというところに特徴があります。他方で、イギリスの社会モデルというのは日本では広く輸入されてきた考え方ですけれども、こちらですと、社会的障壁のみから不利益が生じるということになりますので、誰の不利益かが必ずしも明確ではない。社会的障壁とそれから生ずる不利益とを障害(ディスアビリティ)と名づけようということなんですけれども、実は機能障害のある人の存在というものが前提となっているのがイギリスの社会モデルです。結局、英米の社会モデルはどちらも社会的障壁の問題性を強調する視点だといえます。モデルというのは理論のことではなく視点なわけです。ひとつの視座であるわけで、物の見方として社会的障壁の問題性を強調しようというのが社会モデルです。
 この視点を踏まえてできているのが障害者差別解消法でして、社会的障壁の除去という方法を2つ用意しています。1つは、合理的配慮によって社会的障壁を除去するということです。こちらは、特定の障害者個人のためのバリアフリー、社会的障壁の除去というアプローチを取ります。他方で、障害者差別解消法5条に定める環境の整備、これは事前的改善措置と言いますが、こちらは特定の障害者個人ではなくて不特定の障害者一般のためのバリアフリーの措置で、基本方針では両者の関係性などが議論されていますが、本日はこの両者の関係性ではなくて、合理的配慮と不当な差別的取扱いとの関係についてお話をします。
 では、まず、合理的配慮の例を見ていきたいんですけれども、合理的配慮というのは7つの要素、あるいは7つの要件から成ると言われています。個別のニーズ、社会的障壁の除去、過重な負担がない非過重な負担、そして障害当事者の意向を尊重する、5番目が本来業務に付随する、6番目が機会の平等で、7番目が本質変更不可となっています。
 今年の3月14日に閣議決定された基本方針というのがあります。既に基本方針というのはあるんですけれども、3月14日に改定されました。この基本方針は、以前の基本方針と異なりまして、比較的例示が多くなっていますので、そちらを紹介しながら、合理的配慮とはどういうものかというのを見ていきたいと思います。
 合理的配慮義務の違反に該当する例というものが幾つか基本方針に挙げられていますので見ていきますと、まず、前例がないことというキーワードがあるんですけれども、前例がないことを理由に対応を断る、今までそういうことをしたことがありません、だから申し訳ないけれども、その調整はできませんということです。調整をしない理由・根拠となるのが前例がないことのみに求められると、これは合理的配慮義務違反に当たるだろうというふうに考えられます。
 続きまして、抽象的な理由というのがありますが、イベント会場内の移動に際して支援を求める申出があった場合に、「何かあったら困る」という抽象的な理由で支援を断る。これは「何かあったら困る」という何かが具体的ではないんですけれども、何となく抽象的に考えれば危険があるかもしれないというような漠然、不明確な理由によって支援を断るというのは合理的配慮義務違反だというふうに理解されています。
 続きまして、既存のマニュアルというのがあるんですけれども、これは電話利用が困難な障害者から電話以外の手段により各種手続が行えるよう対応を求められた場合に、自社マニュアル上、当該手続は利用者本人による電話のみで手続可能とすることとされていることを理由として、メールや電話リレーサービスを介した電話等の代替措置を検討せずに対応を断るという例があります。マニュアル上、駄目なんです、というような既存のマニュアル上、自社のマニュアル上、自社の方針上、それはできませんというようなことは合理的配慮義務違反になるということなんですけれども、まさに自社のマニュアルに変更を設けてほしいというのが合理的配慮であって、障害者権利条約の文言で言いますと、合理的配慮というのは必要かつ適切な変更及び調整ですので、現状を変更、調整するのが合理的配慮なわけですから、自社のマニュアル自体を変更、調整してほしいということを障害者側から言われたときに、自社のマニュアル上、駄目なんですというのは法律上認められないということです。
 次が特別扱いはできないということですけれども、こちらの例は、自由席での開催を予定しているセミナーにおいて、弱視の障害者からスクリーンや板書等がよく見える席でのセミナー受講を希望する申出があった場合に、事前の座席確保などの対応を検討せずに「特別扱いはできない」という理由で対応を断るというものです。ある意味では特別扱いをするのが合理的配慮であるわけです。先ほど合理的配慮というのは、変更、調整のことなんだと申しました。現状を変更、調整する、その一環として障害者のみ特別に扱う、あるいは障害者のみルールに例外を設けるというような形で現状を変更、調整していくというのが合理的配慮なわけですから、「特別扱いできない」というのは、単に合理的配慮ができないと言っていることに等しいわけです。この「特別扱いできない」というのは、当然、合理的配慮義務違反になりえます。
 ですので、前例がない、抽象的な理由を挙げる、既存のマニュアルや方針を根拠とする、特別扱いはできないみたいなものは、合理的配慮義務違反が疑われる例だということを閣議決定された基本方針は言っているということです。
 それでは続きまして、合理的配慮義務違反に該当しない例ですね。こちらも基本方針は例示していますので見ていきたいと思いますが、合理的配慮の7つの要素のうちの1つで、本来業務付随性というのがあるんですけれども、本来の業務に付随しないというのが一般に合理的配慮義務違反にならない根拠として挙げられます。飲食店において、食事介助等を求められた場合に、当該飲食店が当該業務を事業の一環として行っていないというところで、これが本来の業務に付随しないんだというふうなことになるわけです。典型的な例ですと、食事介助、排せつ介助、医療行為などは本来の業務に付随しないということが高等教育の文脈では議論されているかと思われます。ただし、何が本来の業務に付随するかというのは、これはいろいろ議論があります。ただ、本来の業務に付随しない場合には合理的配慮義務に当たらないということは言える、ということをここで確認したいと思います。
 続きまして、平等な機会、同等の機会と言ったりもしますけれども、平等な機会というのも合理的配慮の7つの要素のうちの1つに入っています。抽選販売を行っている限定商品について、抽選申込みの手続を行うことが困難であることを理由に、当該商品をあらかじめ別途確保しておくよう求められた場合に、当該対応を断るという例が挙げられています。こちらは、抽選販売という文脈が重要でして、抽選の手続における機会の平等を実現しないといけないのに、そのような手続を飛ばして障害者に特別に商品を用意しておくというのは同等の機会とは言えないんだというふうに基本方針では考えています。
 では、続きまして、本質変更不可、こちらも合理的配慮の7要素のうちの7つ目ですけれども、本質変更不可の原則というものがあります。オンライン講座の配信のみを行っている事業者が、オンラインでの集団受講では内容の理解が難しいことを理由に対面での個別指導を求められた場合に、当該対応は事業の目的・内容とは異なるものであり、対面での個別指導を可能とする人的体制・設備も有していないため、当該対応を断るという例です。これは合理的配慮義務違反にならないとされます。その理由は、オンライン専門の事業者なわけでして、そこで対面の個別指導というのは、事業の目的・内容の本質を変えてしまうことになるわけですから、それは合理的配慮義務違反を問われないということになるわけです。
 では、続きまして、過重な負担なんですけれども、人的・体制上の制約というのがこちらの例なんですけれども、小売店において、混雑時に視覚障害者から店員に対し、店内を付き添って買物の補助を求められた場合に、混雑時のため付添いはできないが、店員が買物リストを書き留めて商品を準備することができる旨を提案することとありまして、混雑時に付き添うということは人的・体制的に負担が重過ぎる、代わりにより負担が軽いリストを準備してもらって商品を用意するというようなことを提案するというのが基本方針の例です。以上では、本来業務付随性の要件、平等な機会の要件、本質変更不可の要件、あとは過重な負担の要件という、基本的には合理的配慮の7要素のうちの4要素を例として挙げていると言えます。
 それでは、今から不当な差別的取扱いについても、この基本方針に沿って御説明します。
 不当な差別的取扱いというのは、理由が2つあります。「正当な理由」なくという理由と、「障害を理由」としてという理由です。そして、障害者を比較対象者よりも不利益に扱うことなのですが、比較対象者というのはコンパレーターと言われているものですけれども、比較する対象としては障害がない人というのが1つの要件です。もう1つは本質的事情が同じという要件がありますが、本日はこれについては省略したいと思います。
 基本方針で正当な理由がなく、不当な差別的取扱いに該当すると考えられる例として幾つか挙げていますけれども、まず1つ目が漠然とした安全上の問題です。この漠然としたというのは抽象的と言い換えてもいいですが、漠然とした安全上の問題を理由に施設利用を拒否する。具体的に安全面を検討することなく、何となく危ないということを理由として障害者の施設利用を断れば、これは不当な差別的取扱いに該当するということです。
 続きまして、業務の遂行に支障がないことで、業務の遂行に支障がないにもかかわらず、障害者でない者とは異なる場所で障害者に対応するという異なる扱いです。
 次が一律にということで、一律に待遇の質を下げる。障害者だからといって、言葉遣いや接客の態度など一律に待遇の質を下げる。これは典型的な不当な差別的取扱いになります。
 また、一律に利用条件を付す。支援者・介助者の同伴を利用条件とするというような形で、個別の検討をすることなく、一律に条件を付すことは、これも典型的な不当な差別的取扱いになるということです。
 では、続きまして、正当な理由があるため、不当な差別的取扱いに該当しないと考えられる例ですけれども、本人の安全確保というのがあります。これは重要ですので読み上げますと、実習を伴う講座において、実習に必要な作業の遂行上具体的な危険の発生が見込まれる障害特性のある障害者に対し、当該実習とは別の実施を設定することと記されています。ここで抽象的な危険性ではなくて具体的な危険性というのが一つポイントになってきます。具体的な危険性が見込まれる場合は、正当な理由が認められる余地が高くなるわけですけれども、重要なのは基本方針には書いてないんですけれども、合理的配慮を尽くさないといけないということなんですね。合理的配慮を尽くさないで危険があるから実習は受けさせないとなってしまうと、これは不当な差別的取扱いになるということで、後ほど合理的配慮と不当な差別的取扱いとの関係に言及する際に、ここにもう一回、立ち戻ると思いますけれども、危険があるという前に合理的配慮をちゃんとしたのかということが問われるということです。
 では、続きまして、事業者の損害発生の防止ですけれども、飲食店において、車椅子の利用者が畳敷きの個室を希望した場合に、敷物を敷く等、畳を保護するための対応を行う。障害がない人には敷物を敷くことをしないわけで、障害のある人には畳を守るために敷物を敷くというのは差別的取扱いなんですけれども、事業者の損害発生の防止のためにそのような異なる扱いをするということは、正当な理由があるということになるわけです。なお、障害のある人が畳の部屋を利用したいといったときに、敷物を敷くことなどもせずに、床が傷つくから畳の部屋は使えませんと言うのであれば、これは不当な差別的取扱いになる可能性があるということですので、どの観点から差別的取扱いを観念するかというところが重要になるわけです。
 次が障害者本人の財産の保全なんですけれども、こちらは銀行において口座開設等の手続を行うため、預金者となる障害者本人に同行した者が代筆をしようとした際に、必要な範囲で、プライバシーに配慮しつつ、障害者本人に対し障害の状況や本人の取引意思などを確認するという例です。障害者の財産の保護のために障害者に対して特別にこういうようなことをすることは不当な差別的取扱いではないということです。
 そして、最後が事業の目的・内容・機能の維持ということでして、電動車椅子の利用者に対して、通常よりも搭乗手続や保安検査に時間を要することから、十分な研修を受けたスタッフの配置や関係者間の情報共有により所要時間の短縮を図った上で必要最小限の時間を説明するとともに、搭乗に間に合う時間に空港に来てもらうよう依頼することということで、事業の目的・内容・機能を維持するために障害者に早く来てもらうということは不当な差別的取扱いではないわけですけれども、所要時間の短縮や必要最小限の時間など、つまり、障害者の負担の程度を最小にするという方策を尽くした上で異なる扱いをするというところが重要になってくるわけです。
 以上で、合理的配慮と不当な差別的取扱いについての概要を基本方針に沿って御説明しましたが、ここからは両者の関係性についてお話しします。
 まず確認したいのが不当な差別的取扱いをすることは作為による差別と言われて、合理的配慮をしないことというのは不作為による差別と言われていることです。これは国会で差別解消法の審議の際に政府の説明でもあった作為による差別と不作為による差別という区別ですが、どちらも障害者差別解消法の下では差別になります。そして、もう一つ重要なのが不当な差別的取扱いと合理的配慮は、どちらもルールに例外を設ける機能を持つことがあるということなんですね。ルールというのはちょっと広めに捉えていまして、法律のようなルールもあれば、学内の規則のようなルールもあるし、慣行とか基準とか規定、様々なルールというものがあるわけですけれども、フォーマルなルールもインフォーマルなルールもあるわけですけれども、不当な差別的取扱いと合理的配慮はどちらもルールに例外を設ける機能を持つことがあるために、ルールに例外を設けるという行為が不当な差別的取扱いになる場合もあるし、合理的配慮になる場合もあるという、そういうふうな関係性が出てくるわけです。
 レジュメを見ますと、まず、教員がルールに例外を設けるという行為が、不当な差別的取扱いに当たるか、合理的配慮に当たるかのどちらになるかが問題となることがあります。例えば、教員としては合理的配慮のつもりで授業中に聴覚に障害がある学生を当てなかった。それに対して、その学生は、自分は障害ゆえに当てられなかったので不当な差別的取扱いを受けた考えたというような例があります。教員は他の学生を全員当てるんですけれども、その障害学生だけ例外的に当てない。これは合理的配慮になる場合もあるわけです。発達障害のある学生さんで、場面緘黙等でどうしても当てないでほしいといったときに、合理的配慮として授業中に当てないということも考えられるわけですけれども、他方で、障害があるから自分は当てられなかった。ほかの学生さんはみんな当てられたのに、全員、授業中当てられるというルールが慣行というか、その授業のルールであるのに、自分だけ例外的に当てられなかった。それは不当な差別的取扱いだと学生は思う場合もあるわけです。このような場合に、問題を解決するためには、まず、障害学生の意向を確認する、意向を尊重するということが重要になるわけです。そのような意向を尊重しないでルールに例外を設けると、合理的配慮のつもりが不当な差別的取扱いになるということでして、合理的配慮の7要素というのがあったんですけれども、こちらの意向の尊重というのが実は障害学生支援の文脈では非常に重要な意味を持ってくるということです。
 次が、どちらにもなり得るというところでして、教員がルールに例外を設けないという行為が、不当な差別的取扱いに当たるとともに、合理的配慮の不提供に当たることもあります。例えばですけれども、犬の帯同を認めないという方針があったとします。それに例外を設けないで障害者に盲導犬の帯同を認めない場合に、ルールに例外を設ける、つまり、障害者の連れている盲導犬だけは帯同を認めるというのは合理的配慮なわけです。他方で、盲導犬の帯同を理由とする、いわゆる参加の拒否となる場合は、不当な差別的取扱いにもなります。
自分だけ例外的に特別扱いをしてほしいというのが合理的配慮だったわけですから、一般の犬を連れている学生に対しては、犬は連れてきちゃ駄目ですよってなるんですけれども、盲導犬は合理的配慮として認めてほしいといったときに、それを認めなければ合理的配慮の不提供になり得ます。他方で、盲導犬を連れて参加を拒否するというのは、障害者のみに関連する事柄を理由とする拒否なので、これは不当な差別的取扱いになります。例えば盲導犬を連れていて、タクシーが乗車を拒否する場合は、これは不当な差別的取扱いになるというのは、国交省などが昔から不当な差別的取扱いの典型例として挙げているものですから、不当な差別的取扱いにもなり得るし、合理的配慮の不提供にもなり得るというふうに理解できます。両方に該当しても、少なくともどちらか一方に該当しても、それで法の義務違反になるということです。
 残り2つですけれども、表面上中立的なルールというものがあります。ルールというのは規定・基準・慣行を広く含むフォーマル、インフォーマルなルールですけれども、表面上中立的なルールの設定というのは、基本的には不当な差別的取扱いには当たらないけれども、合理的配慮の対象になることがあります。例えば、マイカー参加の禁止というルール、これは表面上中立的なルールですけれども、これは障害を理由とするものではないし、盲導犬、車椅子など障害者のみに関連する事柄を理由とするものでもないので、不当な差別的取扱いには当たりませんが、そのルールに例外を設けるという合理的配慮義務の対象となり得る。例えば、学外研修などの案内の中で、公共交通機関で来るようにというルールがあったとしたときに、車椅子の障害学生がラッシュ時等で公共交通機関の利用が非常に難しい場合に、自分だけマイカー参加を認めてほしいというのは、ルールに例外を設けるので合理的配慮の問題になるわけです。もっとも、マイカー参加禁止、公共交通機関限定というルールは、障害者であることを理由とする区別でもないし、盲導犬や車椅子を理由とする区別でもないので、不当な差別的取扱いには当たらないというような理解になるわけです。表面上中立的なルールが障害者に事実上の不利益を与えるような場合は間接差別というものが問題になるわけですけれども、不当な差別的取扱いは基本的には間接差別を含まないというのが現時点での政府の解釈に合致するものと理解されています。
 レジュメの最後なんですけれども、過重な負担と正当な理由というところで、合理的配慮というのは、過重な負担がある場合は配慮しなくてもいいということになるわけです。他方で、不当な差別的取扱いというのは正当な理由がない差別的取扱いですので、それぞれの差別にはそれぞれの正当化事由があるわけです。そして、この2つの正当化事由が密接に関連することがある。教員が過重な負担のため配慮を提供できないことで、やむを得ず障害を理由に差別的取扱いをした場合には、「正当な理由」が認められることがある。ここでは、過重な負担のため配慮を提供できない結果、やむを得ず障害を理由に差別的取扱いをするという場合は、過剰な負担で配慮を提供できないことというのが正当な理由として認められることがあるということで、これがレジュメの上記4-2の障害者本人の安全確保と関連するので、最後にこれを見て私の話を終わりたいと思いますが、障害者本人の安全確保の論点の中で、実習を伴う講座において、実習に必要な作業の遂行上具体的な危険の発生が見込まれる障害特性のある障害者に対し、当該実習とは別の実習を設定することは差別的取扱いなわけです。正当な理由があれば、この差別的取扱いは「不当な差別的取扱い」にはならないですけれども、基本方針の考え方ですと、具体的な危険の発生が見込まれた場合には、これは正当な理由があるというふうに考えるわけですけれども、大切なのは、この文脈で合理的配慮をどう位置づけるかなんですね。もし合理的配慮を尽くしたのであれば、具体的な危険の発生がなくなるということもあり得るわけです。にもかかわらず、合理的配慮をしなくて、現状のままで危険があるから実習参加は認めないということになると、これは正当な理由として認められないこともあり得るということですので、正当な理由というものを判断する際には、合理的配慮を尽くしたかどうかというところが重要になる。その際に、過重な負担があって、合理的配慮ができなくて、その結果、具体的な危険の発生が見込まれれば、異なる取扱い、差別的取扱いには正当な理由が認められるというような両者の関係性というのがあるということです。
 駆け足でしたが、私からの話は以上となります。ありがとうございました。
【竹田座長】  どうもありがとうございました。
 ただいまの御説明について、御質問等ありますでしょうか。
 村田委員、お願いいたします。
【村田委員】  ありがとうございます。京都大学、村田です。川島先生、非常に分かりやすい御説明、ありがとうございました。私からは本来業務付随という合理的配慮のいわゆる判断の要素についてお伺いしたく存じます。
 本来業務付随というのは、事業者として合理的配慮を提供する範疇がどこにあるのかというような、その範囲を示すようなものだと理解しております。今の御説明の中で、例えば高等教育機関における排せつであるとか食事の介助であるとか、そういったものに関しての考え方というのも言及があったように思います。これについて、一般的な解釈というか先入観としては、物理的にその中にいる、つまり、学生という身分で大学という敷地の中において起きることについては大学が責任を負うというような解釈がなされるようなこともあるのかなと思います。ただ、今の御説明からは、そこが物理的に大学の敷地であるかとか、身分が学生であるかということよりも、むしろ、機能としてその大学が果たすべき本来の業務に付随していると考えられるかどうかによって、物理的にそれが大学構内の内側であっても外側であっても、責任の所在が変わるというように理解をいたしました。まず、このような理解が間違っていないかということについて教えていただければと思います。
 また、同様のことではあるのですが、例えば障害のある大学院生が学会に参加するということになったときに、その合理的配慮の提供の責任の所在、つまり、誰の本来業務に当たり得るのかという考え方についても、補足、御説明をお願いできればと思いました。お願いいたします。
【川島委員】  ありがとうございます。
 例えば学会に参加する場合は、恐らく学会の主催者が合理的配慮義務を負うのではないかなとは思っています。ただ、学会と大学との関係性とか、具体的なところによっても変わるかもしれませんけれども、学会というものが学生との関係で合理的配慮義務を負うというのが基本ではないかなとは理解しております。
 そして、もう一つはいわゆる食事、排せつ、あるいは医療行為等々、大学の本来の業務とは言えないのではないかというような事業があって、それは介助とか介護を専門とする事業者がいたり、医療行為は医療従事者が国家資格を持たないとやってはいけないというので、医療を専門にする事業者がいるわけですけれども、大学というのはそういう事業を本来行ってはいないわけで、言わばパーソナルな事柄について、大学の本来の業務に付随しないだろうという理解があると思うんですね。
 それと、現状では、いわゆる食事、排せつ、移動介助とかも含めてですけれども、パーソナルな部分について、大学からも地域資源等からも支援がなされないような状況になってしまうというのが当該学生にとってみたら大きな不利益になるわけですので、そこについては合理的配慮義務の考え方だけではない部分で柔軟に対応していかないといけないのかなとは思っています。非常に難しい議論があるところですので、また議論できていければいいかなとは思っております。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 とても難しいテーマだと思いますので、ほかの委員とも多分重なるところもあるかもしれませんが、殿岡委員、お願いいたします。
【殿岡委員】  殿岡です。
 私からは、差別解消法のことで、今回、違反する例、違反しないと考えられる例とあったのですが、1点、大きな部分が抜けているので、ネットを見られている一般の方もいらっしゃるので付け加えたいんですが、それは建設的対話という概念です。これはあるこういう状況があったら義務違反になるとかならないとかということを線引きするのが差別解消法ではなくて、例えば基本方針で言うと、一部を読むと、「代替措置の選択も含め、双方の建設的対話による相互理解を通じて、必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされる」であるとか、それから第二次まとめの中でも、建設的対話を通じずに一方的に出されたものというのは合理的配慮ではない、「本人の意思を尊重し、意思確認が不在のまま、一方的に合理的配慮の内容の決定が行われることは避けなければならない。」これは第二次まとめの文章なので、そこに当たるかどうかを基本方針に当てはめると、先ほどのようなことが言えるんですけれども、それは判定されるべきものではなくて、あくまでも建設的対話を通じて解消されていくべきものということで、大きな議論になったのですが、最後まで川島先生の話には出てこなかったので、付け加えさせていただきます。
 それから、もう一つは、先ほどの本来業務の付随の部分、あそこの部分だけ言うと、食事介助、トイレ介助なんかの議論が第二次まとめとは違う流れで出てきてしまうんですけれども、基本的には障害者基本法とか権利条約の批准のところまで立ち戻っていくと、他の者との平等という概念があります。例えば、本来業務でないからといって、大学にトイレを設置しないとか、大学に食堂を設置しないということにはならない。そこにトイレがある、そこに食堂がある、ほかの人は普通に使うことができる。ただ、障害のある人だけがそれを使うことができないというときに、他の者との平等という概念から、基本的に第二次まとめにおいては、これらが本来的に大学の合理的配慮の範囲内に入ってきたという流れがありますので、この辺も第二次まとめを踏まえて改めて確認させていただければと思います。
 殿岡は以上です。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 川島委員、お願いいたします。
【川島委員】  殿岡委員、ありがとうございます。重要な御指摘だと思います。
 私が建設的対応に今日言及しなかったのは、基本的な考え方のところで、本日の私の論点とは別で建設的対話の論点が取り上げられていたので、今日私の話す内容からは除外してもいいのかななんて思ったんですけれども、それでも除外しちゃまずいだろうと言われたらそのとおりかもしれないですけれども、どなたか他の方がまた、基本的な考え方の4番目の論点ですかね、障害学生支援に関する基本的な考え方の上から5つ目ですね、建設的対話の重要性という論点を別途取り上げることを期待して、そちらで議論していただければなと思うんですけれども、おっしゃるとおり、建設的対話というのは合理的配慮の重要な核になるんですけど、これはプロセスに関わるんですよね。つまり、実体面と手続面というのがあったときに、手続面というのは英語で言うとプロセスなわけで、その際に合理的配慮というのは建設的対話というプロセス、手続を通して提供されなさいということになっています。建設的対話の提供の中で何が重要かというと、相互理解を通じて合理的配慮の具体的内容を考えていくというところなんですけれども、実は私が強調したかった点としましては、建設的対話の重要な側面でもあるのですが、障害のある人の意向の尊重をすることでして、それをしないと、不当な差別的取扱いという結果になりうるということでした。プロセス(手続面)のところでも実体面のところでも、障害のある方の意向の尊重というのが重要なポイントになるというところを不当な差別的取扱いとの関係でお話しさせていただきました。
 そして、もう1つお話しされたのは何の問題でしたっけ。
【竹田座長】  平等の件ですね。
【川島委員】  それもまさに重要でして、他の者との平等を基礎としてという障害者権利条約でいう平等なんですけれども、これは多義的でちょっと難しかったりもするんですけれども、平等の反対が差別だと考えた場合、不当な差別的取扱いをしないことは差別であるというのはいいんですけれども、合理的配慮をしないことがなぜ差別なのかと。これは機会の平等に反するからだということがいえます。他の者との平等というのがまさに機会平等を指しているというのが差別解消法の中の理解だと思います。他方で、結果平等や実質的平等、事実上の平等というのは、差別解消法の下では命令されているのではなくて許容されていて、それをやったからといって、非障害者に対する差別にはならないという理解になるわけですよね。なので、障害のある方に対して不当な差別的取扱いをしないとか合理的配慮をするとかという以上に、積極的に何か大学がイニシアチブを取って、いわゆる事実上の平等を実現しようとするところは、積極的差別是正措置、アファーマティブ・アクションとして差別解消法の下で許容されているという理解なのかなとは思います。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 また論点整理とかでもこの部分は繰り返し議論になるかなと思いますので、あと三方、お手が挙がっておりますので、順番に白澤委員、矢澤委員、中野委員の順番でお願いいたします。白澤委員からお願いします。
【白澤委員】  筑波技術大学の白澤です。いつもクリアで分かりやすいお話、どうもありがとうございます。
 1点質問したいのですが、お話の中で、何か既存のルールがあるときに、そのルールに対して必要かつ適当な変更・調整を加えなければいけないんだというご説明がありました。これは非常に分かりやすかったと思うのですが、大学現場と関わっていると、あたかも国から来たルールであれば合理的配慮を上回ってよいとか、別の法律があれば、合理的配慮を上回るものであるといったような感覚をお持ちの先生方が多いなと感じるんですね。例えば、通院が必要で実質的に15回の授業に出席できなくなってしまう学生が、レポートに変更してほしいとか、オンラインでの受講を認めてほしいといったときに、本質的変更や機会平等等の要件について十分検討するわけではなく、ただ単に文科省が単位の実質化を謳っているから認めるわけにはいかないと考えてしまうなどがその例です(オンラインについては、最近、別途ガイドラインが出たので事情が変わってくるかもしれませんが)。他にも、英語の4技能などもあります。今、英語の免許を提供するためには、読む、聞く、話す、書くの4技能すべてをカリキュラムとして提供しなければいけないとされているので、合理的配慮を申し出ても、文科省が4技能の重要性を述べているから、合理的配慮を提供するわけにはいけないと言われるといった例です。
このように、国から来た通達は障害者差別解消法を上回るんだというふうに考えている大学って結構あると思うんです。そこで質問なんですが、障害者差別解消法を上回る法律や規定というのはあるものなのでしょうか。あるいは、大学に伝えるときには「一切ない」と伝えていいものでしょうか。この点、何か分かりやすく伝えられるといいなと思っているのですが、いかがなものでしょうか。
(上回る規定は「ない」場合、本人の求めている合理的配慮と既存の規則が)緩衝するような部分があったとしても、障害者差別解消法で言われている本質的変更不可や、過剰な負担といった原則によって解決できることになると思うのですが、そういう理解で大丈夫でしょうか?あるいは、それでも解決できなくて、この場面ではこの法律を優先する必要があるといったようなことはあり得るんでしょうか。
【川島委員】  ありがとうございます。
 非常に重要な論点だと思います。基本的に差別解消法は法律なので効力順位は憲法より低いんですけれども、命令(政令、省令等)よりは上なわけですけれども、だから差別解消法が憲法違反になるという論点はあり得るんですけれども、ならないとは思いますけど、要するに法律は憲法に違反しちゃいけないということです。
白澤委員がおっしゃったように、基本的には差別解消法に反する命令は出せないはずですし、もちろん通達や指針も差別解消法に違反してはいけません。一見したところ抵触しているように見えても、差別解消法等の枠内で調整可能なんですね。もしも抵触が起こって、それが紛争になって、どうしても解決できないときは、それは裁判で問題になるかもしれないのですけれども、差別解消法ではそういう例はないんじゃないかなと思います。例えば15回のうち5回までしかオンラインできないとか、いろいろそういうのが出てきたときに、一定の合理性はあると思うんですよ。一定の合理性があるということと、それが事業の本質部分に当たるのかというところは異なってくるわけですよね。ついつい一定の合理性をもって本質だと勘違いして、だから一切の変更、調整ができないんだという結論にもなりがちなんですけれども、それは一定の合理性にすぎないもので、障害がない人にとってみたら、それは合理的なんだけれども、本質とは異なり、一定の合理性の部分は変更、調整が可能な部分であるんだというようなロジックで調整していくというのは十分あり得るのではないかなと理解しております。
【白澤委員】  とてもよく分かりました。ありがとうございました。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 ちょっと司会の不手際もあって、これ、かなり難しい議論で、委員の先生方、たくさん手が挙がってしまっていて、この後、高橋委員から根拠資料のプレゼンもいただきます。矢澤委員、中野委員、近藤委員からは手が挙がっているんですけれども、恐縮ですが、根拠資料の後にそこと関連づけても可能でしたらお願いしたいということでよろしいでしょうか。すみません、ちょっと進行上の問題もありまして、まず一旦、ここで質疑応答をちょっと止めさせていただきまして、続きまして高橋委員から根拠資料についての御説明をいただきたいと思います。
 高橋委員、よろしくお願いいたします。
【高橋委員】  信州大学、高橋です。30分ということでお時間いただいておりますので、パワーポイントを共有させていただきつつ、時間内に収まるように話をさせていただきたいと思います。画面は共有できておりますでしょうか。ありがとうございます。
 合理的配慮と根拠資料というテーマでの話題提供なんですけれども、こちらは検討すべき事項の中の基本的な考えの中の合理的配慮の捉え方、そして根拠資料に関する考え方についてというところが検討すべき事項として挙がっておりますので、それに関連する情報提供ということになります。
 その中でも、なぜ根拠資料というところを取り上げて情報提供するのかといいますと、こちらに関して誤解があるケースもあるだろうと。実際、いろいろなところで見聞きする合理的配慮の判断の中でも、根拠資料について適切に扱われていないと思われるようなお話も聞くという中で、この中で、まず概念について確認、そして具体的にどんなことが課題となっているのかという点について情報提供をしていきたいと思います。前半は関連概念の整理、後半は課題についての紹介です。
 まず、関連概念の整理の中でも、今さらというような話も出てくるんですけれども、そもそも論といたしまして、合理的配慮の対象は「障害者」であるというふうに書いてあります。といいますのも、私がこの根拠資料に関して課題があると感じている点、問題意識を感じている点は、主に発達障害、精神障害がある学生に関するケースで見聞きすることが多いかなと感じるところです。もちろん、それ以外でもあるんですけれども。例えばで言いますと、あの学生、発達障害があるっぽいけど、合理的配慮をどうしたらいいかなみたいな話というのは、その学生は障害者ですかということになるわけですね。今回、こちらの検討会における対象範囲の中でも、対象は「障害のある学生」ということで、ここに定義も示されております。
 この定義というのは、障害者基本法に沿った定義だと思うんですけれども、こちらを図示いたしますと、まず、障害、これは機能障害と言ってもいいと思うんですけれども、障害者基本法の中で、障害という言葉がどう説明されているかというと、身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)とあります。ですので、ここで言う障害は機能障害のことです。障害のある人が社会的障壁があることによって、生活に相当な制限を受ける状態にある人を障害者というのだということですね。こちらは先ほどの川島委員のお話の中でも、機能障害プラス社会的障壁なのか、イギリスの場合には社会的障壁のみみたいな情報提供もありましたけど、それは初めて、あっ、そうなんだと知ったところでした。
 じゃあ、機能障害ってどういうことかということで、これの定義というのを調べてみました。こちらは世界保健機関、WHOの定義なんですけれども、機能障害は「身体の構造や生理機能(精神機能を含む)における喪失や異常」であるということです。その機能が失われていれば機能障害なんですけれども、完全に失われた状態でなくても機能障害という状況はあるわけですね。
 では、完全に失われていない「異常」という状況はどのように定義されているかというと、「確立された統計学的正常範囲からの有意差を指すもの(すなわち測定された標準平常範囲内での集団の平均からの偏差)という意味に限定して使われており、この意味でのみ使われるべきである」という定義があります。ですので、厳密に言うと、明確に基準が示された医学的検査ですとか、標準化された心理検査に限らないですけれども、標準化された検査の結果がなければ、機能障害を示せないというのが厳密に追求するとそうだということですね。ただ、もちろん、想定される機能障害が必ずしもこういった明確な検査がそもそもあるとは限らないので、そういった場合には、それ以外の方法ということも含んで考えなければいけないということです。
 さて、こういった障害者、そして、機能障害の定義を踏まえまして、合理的配慮の申請に必要な情報は何かということを2点にまとめて整理すると、まず第1に本人が困っていること、求めていることが示されているということが挙げられると思います。そして、2つ目に合理的配慮の対象であることを示す情報、そして合理的配慮の内容(妥当性)を判断するために必要な情報が含まれていると、どのような合理的配慮が適切かといった判断ができる。そういったことで、この2点が必要な情報となるだろうと考えられます。このうち、2に当たる部分ですね、こちらを根拠資料ということになるのかなと思います。
 ですので、改めて根拠資料というのは主に2つの判断をするための情報であって、そのうちの1つがまずは合理的配慮の対象であること、つまり、障害者であることを示す情報、2つ目が、じゃあ、どのような配慮が妥当であるか、それを判断するための情報という2点になるかと思います。
 問題は、明確にこういった情報がなければ支援ができないのかという話ですね。こちらも議論になる点だと思うんですけれども、支援できないということは全くないわけで、そもそも対象学生ですね、この学生、困っていそうだなという学生が障害のある学生ではない場合であっても、多くの大学は学生支援機能というのを持っており、学生相談や学修支援、キャリア支援等、障害のあるなしに関わらず利用できる学生支援というのはたくさんあるわけです。ですから、まずはそういったことの利用ということが考えられます。
 また、どのような合理的配慮が妥当かということを判断する情報が十分でない、もしくはその情報と照らし合わせたときに、学生が求めている配慮というものが適切ではないのではないかと考えられた場合には、建設的対話を通して、学生が求めているものとは異なるけれども、ほかの合理的配慮を検討する、もしくはほかの学生支援を利用する、そういったことが考えられるわけです。
 こういったことで、まず根拠資料がないと、学生に対する支援ができないなどということは一切ないですし、それと同時に、これも確認事項ですけれども、障害がある学生への支援、イコール合理的配慮ということではないということですね。合理的配慮以外の支援というものがたくさんあるし、もっと言うと、その合理的配慮以上か以下かということではないんですけれども、学生の成長のために支援者ができることというのはたくさんあるわけです。
 ちなみに、今、図にして示しておりますのは、大学、多くの高等教育機関で利用可能な学生支援の分類のようなものになります。丸が3つ描かれておりまして、下のほうの丸には学修支援、就職支援、奨学金、学生生活支援などが記載されております。これらは、障害の有無に関わらず、さらにほとんどの学生が対象となるような支援ですね。次の丸には学生相談、保健相談と書かれています。こちらは、何らかの支援ニーズ、比較的高い支援ニーズがある学生が利用する学生支援ですが、これも障害の有無とは関係がない支援になります。そして、狭い意味での障害学生支援というのは、障害のある学生が対象となるということだと思うんですけれども、ただ、現実問題として、大学によっては明確に障害のある学生以外も含めて障害学生支援といったような形で学生支援を設計している大学があると思いますので、それは大学の考え方にもよるかなと思います。合理的配慮というのは、障害学生支援の枠組みの中の一つの支援の形という捉え方もできるかもしれません。
 また、これらの丸の重なりを広く囲う形でグリーンに色づけがしてあるんですけれども、そこに教育的対応という文字を入れてあります。これは何かといいますと、特定の学生支援サービスではないけれども、日常、学生と関わる教員や職員が困っている学生に対して大丈夫かと声をかけたり、学生の状況に応じて様々な対応をするということは、これまた障害の有無に関わらず行われていることです。ですので、大学は様々な形で、障害の有無に関わらず、多くの支援を提供しているというまとめになります。
 ですので、考え方によっては、教育的対応が十分に行われていれば、合理的配慮の必要性というのは減ってくるのかもしれません。ただ、教育的対応というのは、障害の有無に関わらず提供できる支援ではありますが、それでも判断というのが教員の裁量に任されている部分があり、教員の判断によっては、学生が希望しても受けられない場合がある。それに対して、正式な手続を踏んだ合理的配慮というのは、要件を満たせば、教育機関としては提供が義務となりますので、個別の教員の判断とか考え方に関わらず提供しなければいけないという点で、教育的対応とは異なってくるかなと思います。
 さて、では、先ほどお話しした2つの判断をするための手がかりとなる根拠資料、どういったものが第二次まとめで示されていたかということは、ここに示してあるとおりです。障害者手帳、医学的診断、心理検査、専門家の所見、そして入学前の高校等における支援状況に関する資料、このようなものが具体例として示されております。これらはアンドでつながれたもの、手帳アンド、所見アンドということではない、オアでつながれている、もしくはと解釈できますので、これに従えば、手帳や診断書がなくても合理的配慮の提供は可能であるということになります。ただ、多くの場合、特に入試等においては、医師の診断書が必須のような形になっている例は多いのかなと思うところです。とりわけ、学内に専門部署や専門家がいない状況ですと判断が難しいということで、医師の診断を持ってきて、お医者さんに相談してきてというような大学も多いのかなと思います。ただ、医師の診断というものが必ずしも必須ではないんじゃないかというところはこの後の課題で示していこうと思います。
 では、後半のどのような課題があるかというお話です。
 まず、今、お話ししたところなんですけれども、医師の診断書は必須かという話ですね。実は診断書があるからといって、機能障害が様々な制限を生じさせているとは示せない場合というのもあり得ますね。例えば、これはよくあるといいますか、具体的に聞いたことがある事例で、ASDの診断があって、読むのに時間がかかる学生が試験時間延長を求める場合。ASDの診断には読むことが遅いという要素は含まれていないはずなので、ASDの診断があるということは、試験時間延長とか読むのに時間がかかるから時間延長をしてくださいということの根拠にはならないということなのではないかと思います。ですから、ASDの診断のある学生が読むことが遅いということを示す検査結果を追加することによって時間延長が可能になると考えるといいのではないかと思います。
 これをあえて提示した理由は、じゃあ、逆にASDの診断がある人であれば、要するに困っていることが何でも配慮の対象になるのかというお話ですよね。同じような機能障害があって、何の診断もない学生は合理的配慮の対象にならないのかという問いです。これに対して、診断はないんだけれども、標準化された検査で読むのが遅いことが示されているのであれば、先ほどの理屈、つまり、機能障害が示せて、社会的障壁があって、制限が生じているんであれば、合理的配慮が認められるのではないかということです。
 もっと言うと、例えば日本語では読み書きに問題がないんだけれども、英語のみ読むことに困難が生じるという状態があります。これはバイリンガル・ディスレクシアの症例報告ということで論文も出ているんですけれども、このような方というのは、恐らくいろんな検査を取ったとしても、日本国内で何らかの医学的診断が下りる可能性というのは低いと思います。この方は、じゃあ、合理的配慮の対象にならないのかということになります。ですので、ディスレクシアとつながるような何らかの機能障害を示せれば、合理的配慮の対象にはなるのではないかというのが私の考えです。
 そのように考えてくると、そもそも「診断」があるということは、実は必要条件にも十分条件にもならないということで、必要なのは「機能障害」の有無を示す根拠であるということになるんじゃないかなと思います。
 さて、次の課題です。根拠資料が妥当なものであるのかという問いです。まずは、自己報告に依存する根拠資料というのは、これは様々なところで批判もなされておりまして、例えば障害があるということを示すことによって何らかの実質的な利益が得られる状況において、人は実態の状況に関わらず、症状を多めに報告するという研究結果があります。そのようなことから、どうしても自己報告に依存すると、バイアスは避けられないということですね。
 一方で、じゃあ、検査をやればいいかというと、検査絶対主義ということでもなくて、その方が訴える様々な症状は、本当にそうですかということについて表す概念というのは症状妥当性、あとは能力検査みたいなものの場合には成績妥当性という概念があるんですけれども、これは実は国際的に非常に大きな課題となっておりまして、海外では様々な心理検査等をやるときに、その成績に偽りはないか、訴える症状に偽りはないかということを示す検査というのが存在するんですが、そういったことを含むことが推奨されております。残念ながら、そのような検査は日本国内ではないので、それ以外の方法、つまり、複数の情報源に当たるというようなことが研究論文等でも報告されているので、国内でもそういったことが必要なのかなと思います。
 あとは、こういった機能障害に対して、こういう配慮が妥当かどうかみたいなことというのは、非常にたくさんの研究がありますが、残念ながら、日本国内ではあまり研究が多くありません。日本国内のそういった研究をレビューしてみたんですけれども、視覚障害の領域ではそれなりに実証的なデータというのが提示されているんですが、そういったところが分かりにくい要素が多い発達障害等では、海外では非常に多くの研究があるんですけど、国内ではとても限られています。ですので、こういった研究をしていくというのも今後の課題なのかなと思います。
 根拠資料に関する次の課題です。根拠資料を準備することの難しさがいろいろな支援を受けることのハードルを上げてはいけないというのはあるのかなと思います。例えば、発達障害に関して言うと、成人期に発達障害に関して丁寧な対応をしてくれる医療機関というのは、もう半年待ち、1年待ちというような状況が言われております。ですから、そういったところを受診することを配慮条件にするということは、言ってみれば、新たな障壁を加えるような状況でもある。また、これは残念なことではあるんですけれども、以前診断を受けましたというケースでも、詳細な検査報告書が提供されていないケースというのも多いです。診断書と言いながら、診断名と、よって何とかの配慮を求めるみたいな一言だけ所見が書いてある。これでは根拠にならないわけですね。海外ですと、発達障害ですと、そういった診断を受けるということ、イコール非常に詳しい検査報告書等をもらえます。ですから、逆に言うと、大学の障害学生支援で改めて詳しい検査報告を取らなくていいということも、アメリカなんかではそういう制度変更みたいなことも行われたわけですけれども、実はその前提条件として、そもそも診断を受けるときにきちんとした検査が行われているかいないかという社会状況の違いもあるということは理解をしておく必要があるかなと思います。
 そこで、こういった根拠資料を入手することを逆に支援する、検査等を受けられる体制整備ということが高等教育機関の中では課題となってくるのかなと思います。まずは、学内にいる有資格者と障害学生支援部署が連携をして、そういう検査等を受けられるようにするということが考えられると思います。例えば、障害学生支援部署というのは、私立の大学も含めれば、3割に満たないぐらいの設置率だと思うんですけれども、それに対して、学生相談カウンセラーというのは90%以上の大学が配置しております。そういった方は心理士の資格等を持っていると思いますので、検査を実施することができる人の一人なのかなと思います。また、障害学生支援室のスタッフ、そういう部署がある大学等であれば、そこに検査ができる有資格者がいる場合も多いかなと思います。合理的配慮の判断をするのは、そのスタッフじゃないかもしれないんですけれども、障害学生支援室で検査を取るということかどうかという議論もあるとは思うんですが、海外の事例でいうと、ケンブリッジ大学に視察に行ったときには、障害学生支援室のスタッフが読み書きの障害に関しては実際に支援室内で検査を実施するというようなことが行われているようでした。
 あとは、学外の有識者との連携ということで、結局、学生相談カウンセラー90%以上というお話をしましたが、多くは非常勤職という扱いになっております。ですから、同様に地域のそういった検査実施可能な有資格者の方を非常勤で契約をして、学生が検査を受けられるようにすれば、医療機関に行ってきなさいというよりは、はるかに学生が支援を受けやすい環境が整うということになるかなと思います。
 また、理想的なことを言えば、地域の拠点大学に人材を配置して、そこに行けば、そういった検査を受けられるというような形がいいのかなと思います。ここに米国ジョージア州の事例というのがあるんですけれども、ジョージア州というところは州立大学がたくさんあるんですけど、大学機構の中に3か所、専門の検査センターみたいなところを設けて、安い料金で検査を受けられるようにしているというサービスがあります。後ほどウェブページも紹介したいと思うんですけど、後でまた別のページを紹介したいので、時間節約のために後ほどちらっと見ていただくといいかなと思います。
 このように検査を実施するとなると、仮に学内でできるとしても、すぐにぱっと今日やってあした結果が出て判断できるというようなものではありません。ですので、検査結果がなければ何もできませんというのは、これは明らかに学生にとって不利益なると思います。ですので、その時点で入手可能な情報を基に可能な対応を考えていくということが必要かなと思いますし、取りあえず暫定的にこれをやってみようという形でやっていくのはいいんじゃないかなと思います。また、前半で紹介した合理的配慮以外の学生支援、教育的対応によっての困難の低減、これは当然やっていけることかなと思います。ただ、それでいいということではなく、より適切な在り方というものは時間をかけてやっていく、こういったことは必要なのかなと思います。
 また、どのような配慮、支援を行うかということの判断ですけれども、学生の語りのみに依存すること、希望どおりにすることが必ずしも学生のためにならないケースがあるよということを支援者は理解しておく必要があるかなと思います。特に専門スタッフがいない大学でありがちなんですけれども、学生が何かを言ってきたら、全てそのとおりにするという対応ですね。これは不適切というよりも学生のためにならないケースもあるかなと思います。例えば、そもそも学生が自分の状態をうまく語れない場合、そしてその学生がうまく語れないからといって支援者が主観的にこうだろうと決めて判断してしまうこと、これは誤った判断のリスクというのが必ず伴います。また、学生自身がそもそも高等教育における支援というのにどういったものがあるということを全て網羅しているわけではないので、必要なオプションを把握しているとは限らないわけですね。
 そういったことから、こちらは海外の例ですけれども、検査結果と学生の希望を総合的に判断しながら、段階を踏んで適切な合理的配慮の内容を決めていくというようなことを紹介されている事例もありました。こういったことも参考になるんじゃないかなと思います。
 それから、学生の希望どおりにすることがためにならない、ちょっと言い方としては一見、それはひどいな、学生の希望をできるだけかなえろというようなこともあるとは思うんですけれども、特に精神障害に関するケースで、状況によっては、今、無理をして配慮しながら学習を続けるというよりは、医学的な判断として治療に専念すべき状況というのはあり得るということです。具体的な例で言いますと、例えば希死念慮が高くて、独りで部屋に置いておくということが非常に危険であるといったようなケースですね。学校に来ているときは元気そうだけれども、独りで部屋に戻ると、死にたいという気持ちが止められないみたいなときに、果たして学習を続けることがその学生のためになるのか。ただ、そういった辺りの判断を支援者がするというのは、これはまた非常に厳しいものがあります。ですので、主治医の判断というところが必要になってくるのかなと思います。
 すみません、もう時間ですので終わりにしますけれども、根拠資料、判断のためということを言ってきましたが、そういった検査結果等は自己理解の強力なツールになるということです。京都大学とか筑波大学では、実際に学生の希望に応じて検査をして、それについて一緒に考えることで自己理解を深めていくということも行われております。ですので、そういったプログラム等も御覧いただくといいかなと思いますし、こういったサービスを全ての大学がやるということは難しいですけれども、拠点大学でそういったサービスを提供して、多くの大学が利用できるという形もいいかなと思います。
 すみません、ちょっと時間がなくなりましたのでこれで終わりといたしますけれども、ジョージア大学の拠点大学におけるアセスメントみたいなものはURLもつけておきましたので、ぜひそちらも御覧いただければと思います。
 以上で私の話題提供を終わりにしたいと思います。
【竹田座長】  高橋委員、ありがとうございました。
 時間の関係で、お一方だけ御意見をいただければと思います。それから、先ほど申し遅れましたけれども、御議論がすごく盛り上がった場合には意見交換の時間を十分取れておりませんので、その場合には、先ほどの谷澤委員、中野委員、近藤委員も含めまして、会議終了後、事務局までメールで、それぞれの委員の先生方の御意見は貴重な御意見ですので、当然、今後の取りまとめに反映する当然なりますので、ぜひ御協力のほど、よろしくお願いいたします。
 それでは、手がたくさん挙がっていますけど、先ほど挙がった順ということで、申し訳ありません、矢澤委員、お願いします。
【矢澤委員】  仙台高専の矢澤です。川島先生、高橋先生、大変分かりやすいお話、ありがとうございました。
 もともと川島先生の資料で質問というか確認したいことがあったんですけど、高橋先生の話にも通じるところがあるのでちょっと聞かせていただきたいのが、川島先生の資料の2枚目で、3-2の項目の本質を変更する事例があるんですけど、すごく端的に言うと、逆も真なり、でいいですか。と言うのは、つまり、この例だとオンラインを対面にしてくれという例なんですけれども、大学とか高専とかの教育現場で、最近、私もよく見聞きするので多いのは逆の例で、「対面での講義が難しい、だからオンラインにしてくれ。」という要望があったときに、もちろん、合理的配慮の検討は尽くした上ですし、一律という意味ではないんですが、やはり対面でないと本質が変わってしまうというような科目の場合には、違反しないと考えられる例というふうになると私は思っているんですけれども、結構そこに現場では誤解があって、「オンラインと言われたら、絶対しなきゃいけないんじゃないか。」みたいなことがあるので、そこはちょっと確認したいと思いました。
 具体的に言うと、高専なんかでよくあるのが、実験、実習の手を動かしてものづくりをするような講義をオンラインでと言われると、全くその科目の本質が変わってしまうので、そこをオンラインにしなきゃいけないのか、と物すごく悩む先生方もおられたりするので、ちょっとそのことをあえて確認したかったということで、それに絡んで高橋先生のお話で、根拠資料の話があったんですが、これもちょっと見聞きした例なんですが、医師の診断書をもらってくるんですけど、診断名が書いてあって、「ゆえに対面での講義が厳しいので、オンラインの講義が望ましいと考える。」みたいなコメントがついてくる例があって、根拠資料で診断書というのが出てくると、やはりこれも真面目な先生方は、「診断書でオンラインと言っているんだから、何としてもしなきゃいけないんじゃないか。」みたいに縛られてしまう事例があるんですが、高橋先生のお話であったように、それがきちんとした検査に基づいて出ているような診断とは限らないのではないか。コロナ禍の後、オンラインというものの敷居が学生にとっても、学校側にとっても低くなっているというのは事実だと思うので、現在進行形でもそうですし、今後もオンラインの授業を求めるような合理的配慮というのは増えると思うので、その根拠資料の解釈も含めて、両先生に一言ずつ伺えればと思いました。
 以上です。
【竹田座長】  川島委員から順番にお願いします。
【川島委員】  矢澤委員、ありがとうございます。非常に重要な論点だと思います。
 簡単ではありますが、お答えいたしますと、対面の授業の目的・内容・機能の本質を変更してしまうような配慮は合理的配慮義務に当たらないので、しなくてもいいわけですけれども、実験、実習系の授業というのは、一般的に言えばオンラインは難しいというようなことになるかと思いますけれども、例えばその学生さんの障害がどういうものであるのかとか、あとは15回の授業のうち、15回全てが実験をやるのか、それとも一部はオンラインでするのか、あとは当該高専の体制とか実験の内容によっては支援者を使ってオンラインでできるような類いの実験か、それとも専門分野のほうから見てどうしても実際に現場に来てやらないといけないのか等々、個別具体的な様々な事柄を総合的に考えるというもので、抽象的・一般的に実験があるから対面だという結論にすぐ行き着く前に、もうちょっと細かく分節化して、ここの部分はオンラインでもできるんじゃないかとか、あとはその学生の障害というものがどういうものかにもよるとは思うんですけれども、症状が変化する障害なのかとか、あとは身体系の障害なのかとか、そういったところで先ほど殿岡委員がおっしゃったような建設的対話みたいなところで一緒に考えていきながら、何か解決策を継続的に見いだしていくというようなことになると思いますけれども、いずれにしても、授業の目的・内容・機能の本質部分を変えてしまうような場合に該当するということでお互い納得できれば、それからまた別の配慮を考えていくということになるかなと思われます。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 今日はお二方の委員からの御発表は、この検討会の本当に中心的なテーマかなと思うんです。合理的配慮、あるいは不当な差別的取扱い、あるいは根拠資料ということです。御提案させていただきたいのは、この後、第三次まとめの基本的な考え方とか骨子の御説明がございますので、そちらを先にしていただいて、その後、関連して今、御発表いただいた内容は当然、この中に非常に重要な部分として入ってきますので、順に中野委員、近藤委員、殿岡委員というふうに御発言いただきたいというふうに思いますが、よろしいでしょうか。ありがとうございます。
 それでは、一応、議事では次の議事ということになっておりますが、「第三次まとめの取りまとめに向けた基本的な考え方及び骨子」について、事務局より資料4-1及び資料4-2の御説明をお願いします。
【小栗補佐】  資料4-1を御覧ください。こちらは第三次まとめの取りまとめに向けた基本的な考え方の(案)です。
 最初に、1ポツとして、令和6年の改正障害者差別解消法の施行に伴い、全ての大学等に合理的配慮が義務付けられること、その対応のためには、教職員の理解や関与、支援人材の育成や学内外の連携が不可欠であるため、教職員の理解を深めるとともに、適切な支援体制の更なる充実を促すべく、取り組むべき内容について出来るだけ具体的に記述すること、また、全ての教職員が様々な取組を行うに当たり、考え方等を常に参照できるようなものとするとしております。
 2ポツ目は、第三次まとめをどのような方が参照することを想定しているのかについてです。こちらは第二次まとめと同様に、大学の教職員、障害学生及びその関係者、障害のない学生、特別支援学校や高等学校等の初等中等教育機関、専修学校、ハローワーク等の就職支援機関、企業の関係者、民間の障害学生支援団体等とし、これにより、関係者間の共通理解・連携の推進を図るものとしております。
 続いて、3ポツとして、この第三次まとめについては「第5次障害者基本計画」の趣旨を踏まえ、その成果目標の達成に貢献するものとしております。
 4ポツとして、過去の検討会の検討を踏まえて、現在実施している大学等連携プラットフォームの充実の在り方について検討・記述するものとしております。
 最後に、5ポツとして、個々の学生の支援内容に関する資料の作成、活用について、別途、文科省において改正作業が行われております。「対応指針」と整合性の取れた検討を行い記述するとしております。
 資料4-1については以上です。
 続いて、資料4-2について御説明させていただきます。
 資料4-2は、資料1の論点整理や資料4-1の基本的な考え方を踏まえて第三次まとめの骨子(案)としてまとめたものになっております。
 最初に、1ポツ、はじめにとして、これまでの施策の流れや第三次まとめの目的について触れて、続いて2ポツ目、大学等における障害学生の現状として、学生数等の状況について記述いたします。
 続いて、3ポツ目、これまでに取り組むべきとされた事項の進捗状況につきましては、こちらは「第一次まとめ」や「第二次まとめ」において取り組むべきとされた事項について、進捗を取りまとめる予定です。
 続いて、4ポツ目、本検討会における検討の対象範囲は、前回の検討会でも御意見をいただきました論点整理における検討の対象範囲について、「第二次まとめ」から継続しつつも、オープンキャンパス・進学説明会や大学院生、通信教育課程、単位互換、交換留学生など、明確にされていなかった箇所について、新たに明示すること等を記述することを考えております。
 5ポツ目、障害学生支援に関する基本的な考え方につきましては、論点整理の検討すべき事項の(1)について、こちらは基本かつ重要なことですので、1つの章として独立して取り扱うこととしてはどうかと考えております。
 次のページにいきまして、6ポツ目、合理的配慮の提供における諸課題への考え方と具体的な対処の取組は、論点整理の検討すべき事項の(2)から(5)までを取り上げることとしております。
 7ポツ目、大学等連携プラットフォームの枠組みの更なる活用に関することにつきましては、前回、近藤委員、村田委員から御説明いただきました大学等連携プラットフォームの今後の在り方について、ここで取り上げたいと考えております。
 最後に、8ポツ目、おわりにとして、今後、検討が必要な事項や課題、障害のある学生への修学支援に関する検討会という位置づけ上、検討の対象には含んでおりませんけれども、差別解消法に基づいて大学等に求められる合理的配慮への留意、それから障害者差別解消法以外の観点で求められる障害学生への対応について触れることとしてはどうかと考えております。
 なお、委員の先生方のお手元にある資料4-2の補足版につきましては、資料4-2の中にこれまでの検討会でいただいた御意見などを事務局として骨子のどこに盛り込もうと考えているかということを赤字について追記したものとなっております。
 以上、御審議のほど、よろしくお願いします。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 それでは、中野委員から先ほどの御質問も含め、今回の骨子(案)、あるいは基本的な考え方――特に骨子(案)の5番は本日、高橋委員、川島委員から御説明いただいたことともすごく関係ある中心的なテーマということで含まれている部分かと思いますが、中野委員、お願いいたします。
【中野委員】  中野でございます。
 まず、骨子(案)についてですけれども、基本的なところはよいと思いますが、資料4-1の4ポツに大学等連携プラットフォームと記述してあるんですが、こう書いてしまうと、前回報告していただいた2つの取組、東京大学と京都大学の取組のみを指すように思われてしまう可能性がありますので、「等」を入れていただけるとありがたいと思います。
 資料4-2に関しても、7ポツのところで大学等連携プラットフォームと書いてあるんですが、そこも「等の枠組みの」というふうに「等」を入れていただけると、より広がりがある取組になるかなと思います。
 以上が骨子(案)に関してで、それから先ほどの2つのプレゼンに関して、短くコメントさせていただきます。
 まず、川島先生へのコメントなんですけれども、合理的配慮と不当な差別的取扱いとの関係の説明の中で、盲導犬の帯同を例示した説明が幾つかありました。しかしながら、盲導犬をはじめとする補助犬の利用に関しては別の法律、つまり、身体障害者補助犬法で盲導犬の同行を拒んではならないということが定められていますので、これは今回の差別解消法の中で合理的配慮か不当な差別的取扱いかというようなことを議論する以前に、既に禁じられていることだと思いますので、例として出していただけのであれば、補助犬ではなく別な例を出していただいた方が適切ではないかと思いました。
 それから、高橋先生の御説明の中で、障害の定義のところで、障害者基本法を参考にされたのですが、教育においては、「特別支援学校、特別支援学級、通級による指導の対象となる障害の種類及び程度」が「学校教育法施行令第22条の3」及び「平成25年10月4日の初等中等教育局通知」によって定められています。その例では、必ずしも機能障害が確認されていなくても、例えば、読書の速度が遅い等の学習上の困難さが確認できれば、特別支援教育の対象になり得るというように定義されています。今回の高等教育における話は、初等中等教育との連続体でありますので、その観点では、障害者基本法だけでなく、この施行令等も例示していただきたいと思います。初等中等教育の段階で配慮が必要な子供たちは、大学でも当然配慮が必要だと理解するような枠組みもあってよいのではないかと思います。
 これはコメントですので、以上で終わります。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 資料4に関しては、事務局のほうで検討したいと思います。
 あと、お二方の先生方についてはコメントということで、ありがとうございました。
 川島委員、お願いします。
【川島委員】  中野委員、ありがとうございます。
 補助犬法で義務づけられているのは、おっしゃるとおりだと思います。その上で、コメントの趣旨が私にはよく分からなかったのですが、身体障害者補助犬法という既存の法律で義務づけられているから、差別解消法の例として補助犬を取り上げるのはふさわしくないという趣旨のコメントでしょうか。
【中野委員】  すみません、説明が不十分でした。ここで説明をされたいのは、合理的配慮と不当な差別的取扱いの関係の説明なので、補助犬ではない例を出していただいたほうがいいのではないかというのが私のコメントの趣旨です。
【川島委員】  すみません、その理由を私は理解できていないんですけれども、補助犬法で義務づけられているからというのが理由でしょうか。
【中野委員】  そうです。ですから、大学が補助犬を拒否するということそのものが、あってはならない話だと思うんです。
【川島委員】  法律の観点からいうと、そういうような理解はあまりしないのかなと思っていまして、つまり、補助犬法が確かに義務づけていますけれども、差別解消法も義務づけているわけなんですよね。だから、例を挙げましたけれども、既に国交省の対応指針の中で、タクシーの運転手が補助犬の乗車を拒否するのは不当な差別的取扱いの例であるって書いてあるわけですよね。補助犬法に書いてあるから、差別解消法の文脈では補助犬の記述をする必要はないとか、盲導犬を取り上げるべきではないとか、盲導犬を議論する必要はない、ということは通常は主張されないと思うのです。理解を容易にする身近な例として、補助犬を例に用いて合理的配慮の不提供の問題にもなり得るし、不当な差別的取扱いの問題にもなり得ると説明したわけですが、これは普通にこれまでの行政の解釈にも沿った説明じゃないかなと思っています。
【中野委員】  時間を取るのは申し訳ないのですが、先生がおっしゃることはすごくよく分かっていて、そのとおりだと思うんですけれども、ここでこういう例があると、補助犬に関して別な形で議論してよいのかと勘違いされることはないかなという懸念から申し上げただけなので、その懸念がないのであれば構いません。あのように書いてあると、法律で同行が許可されている補助犬に関しても、別の法律に基づいて議論をした上で、同行を拒否できると誤解されないかなという懸念があっただけです。この懸念は、私の単なる杞憂なのであれば、先生のおっしゃるとおりでよいと思います。
 以上です。
【川島委員】  私としては、懸念の必要はないのかなと思って挙げた例です。さまざまな考えもあるかもしれませんが、とりあえず私のほうとしては大丈夫じゃないかなと思っております。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 この辺の解釈ってとても難しくて、最終的な取りまとめをするときに、例えば内閣府等もいろんな事例というのを出していますけど、大学の場合は具体的に学内の教職員とかに示す場合に、やっぱり分かりやすくというのはすごく重要なポイントかなと思うので、先生方のこういう御議論をさらにいただきまして、どういう形で理解を深めるか、いろんな法律が重なっている部分って当然あるかなと思いますので、求めているものは多分同じという場合もあるのかと思いますので、その辺、また引き続き御議論、あるいは御意見が足りない部分はお送りいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
 近藤委員、お願いいたします。
【近藤委員】  近藤です。
 すみません、私も全体の骨子(案)というよりも、先生方お二人の御発表のところで気になったところがありますので、申し上げたいと思います。
 まず、川島先生のお話の中で、本来業務付随のところなんですけれども、すごく難しい問題がたくさん残っていると思って。例えば、先ほどの例の中で、学会の場合だと、それは大学の本来業務に付随していないというふうに考える、付随であると考えると、それは学会が提供するということになるのではないかという話があったわけなんですけれども、実際、学会も介助については本来業務付随ではないとした場合に、本当に宙ぶらりんの状況になってしまって、結局、そこを具体的にどう調整するのかというのは、誰も手を出しにくい領域になってしまうということがあります。同じようなことで大学の中にはたくさん問題がありまして、例えば日本学術振興会の研究員の場合だと、学振に雇用されているわけでもないですし、大学に雇用されているわけでもなく、結果として非常に宙ぶらりんな状態になってしまうので、例えば身体介助が必要であるとか、介助者の同行が必要であるとか、様々、通訳等の追加的なものが必要になると、一体、誰が支援するのかということで宙ぶらりんな状況になってしまうわけです。ここには、現実的にお金がたくさんかかりますので、それをじゃあ誰がどうやっていくのかというのはかなりシビアな問題になります。
 こうした異なる組織の押しつけ合いになるような部分の対応をどう進めていくのかというのは、当事者をサポートする機能というのが今、どこにもないのではないかなということがちょっと気になっておりまして、例えば第三次まとめのスコープにならなかったとしても、こういった課題が起こりやすいという点については、残された課題のところには何とか明記できないかと思っています。
 例えば、先日公開された国大協のひな形においては、もちろん、大学の中でやるべきこととしてひな形の中に含めるんだけれども、そこだけではカバーができないような部分については、大学が地域社会の資源と連携をすることによって、そこで解決していくべきことなんだということが前文のほうに付記されておりました。こうしたことをやはり付記しておくというのが、問題を明確化しておくということが第三次まとめにおいては必要なのではないかなというのが川島先生の御発表から気づいたことでしたので、ぜひお含みいただければと思います。
 それから、高橋知音先生の御発表についてです。こちら、ちょっと気になるところがありまして、まず、前提としまして、私自身なんですけれども、入試等の競争的な場面で、かつ、対面で一人一人の学生の障害であったりとか社会的障壁をどう経験しているかという存在を支援実施担当者が現認することができない場合、こうしたケースにおいて、根拠資料が極めて重要であるという考え方を私自身も持っています。今回の御発表については、そのようなケースのことを非常に重要にまとめてくださっていると思いまして、私もとても重要なことを御指摘いただけたなと同意しております。また、検査の社会的資源が明らかに不足している、圧倒的に不足している状況であるという御指摘についても私も深く同意いたします。最後のほうに挙げていただいた拠点大学でのアセスメントのようなことというのは、今後、第三次まとめの中でも議論していくべき重要なポイントではないかと思います。
 一方で、ちょっと気になる点がございまして、8枚目のスライドの説明の中に、支援自体はできると。支援はもちろんできるんだけれども、根拠資料がはっきりしない場合、それは障害学生支援における合理的配慮ではない、他の支援を使う、そのことを意味しているというふうに取れるようなことがありました。これは注意が必要だなと思います。もしそうなってしまうと、日本国内の大学においては、合理的配慮の提供について、明確に根拠資料が必要であるという誤解が広まってしまうのではないかなと危惧しております。根拠資料がなければ、障害学生支援や合理的配慮ではなくて、他の学生支援を当たるべきと誤解されてしまうのではないかと。
 例えば1990年につくられたアメリカのADA、障害を持つアメリカ人法ですけれども、アメリカの差別禁止法ですが、こちらは1990年のバージョンでは根拠資料の提出を必須としていたようなんですが、2008年の改正においては、合理的配慮の提供について、根拠資料の提出を必須とすることをやめて、支援の専門性のある担当者がその学生と対面して、明確な障害を現認するということによって、根拠資料なしにも合理的配慮の提供を行うことができるというふうに転換していったと思います。これは特に競争的な場面とか入試で本人と全く会えないということではなくて、大学にとって負担が極めて軽微であったりとか、他の学生との不平等を導きにくいような合理的配慮については、より支援実施担当者の現認を重視する必要があるのではないかと思います。この8枚目のスライドの見解というのは、根拠資料が必ず必要だというような誤解をされてしまうと、現場の理解を大きく左右してしまうと思いますので、障害学生支援全体に考え方を敷衍してしまうのではなくて、競争的場面などでは特に重要であるとか、そういった形になったほうがいいのではないかなと思います。
 実際に高橋先生のスライドの18枚目では、暫定的な合理的配慮の提供についても言及されておりましたので、高橋先生の本意ではないかなというふうに私は考えたんですけれども、資料というのは時々独り歩きをすることがありますので、この辺り、御注意いただいたほうがいいのではないかと思います。
 時間の関係もあるので難しければ結構なんですが、川島先生に質問なんですけど、日本の配慮においては、こうした合理的配慮の提供について、根拠資料が必要条件となると考えられるようなものがあるのでしょうか。時間の関係もあるので、竹田先生、後回しに飛ばしていただいても結構なんですけれども、そうした点が気になったというところが私のコメントです。
 以上です。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 あと1時間やりたいぐらいのテーマだと思いますけど、じゃあ、高橋委員、川島委員、一言ずつ。多分、読まれ方の危惧というふうにお聞きしましたけれども、高橋委員、お願いいたします。
【高橋委員】  高橋です。
 近藤先生とは恐らく考えているところはそんなに違わないというのはいつもお話をしていて分かるところではあるんですけれども、川島先生の御質問で根拠資料が法的に必須なのか、根拠資料を求めるかどうかというところは、必須かということではなくて、そもそも合理的配慮という概念は、機能障害があって、社会的障壁があって、制限がある人に対する提供すべきものであるので、そのときに機能障害があってという部分の前提が確認できない場合に、その人が障害者ではないと大学が判断をした場合に、それが合理的配慮の対象とならない可能性があるということだと思います。ただ、そのような場合でも、障害の有無に関わらず利用可能な支援というのは幾らでもあるので、やっぱりそういったところからやっていくことがいいのかなと思いますし、例えば負担のかからないようなちょっとした支援を、事業担当者に例えば座席を出口に近いところにお願いしたいんですけどと言って、いや、それは根拠資料がなければ、私は認めんみたいな教員はいないんじゃないかなとは思うので。私が合理的配慮にはという書き方をしたのは、要するに合理的配慮の対象は障害者である、そしてその障害者であるのかどうかが分からない場合に、それを示す根拠を示すことによって確認をするというところなのかなと思います。
【竹田座長】  続いて、川島委員、願いします。
【川島委員】  ありがとうございます。
 近藤委員の御質問は回答が難しくて、すぐに結論的なことを言えないという悩ましさがあるんですけれども、要するに手帳保持者に限らないというのは広く認められていまして、では手帳保持者じゃない者をどこまで認めていくかというところは解釈の幅がありますので、どこまで認めるべきか、つまり、根拠資料、診断書がなくても認めるべきなのかというのは、実は解釈に委ねられているところがあると思います。そのときに、これまでの第二次取りまとめの中で比較的広く解釈されてきたというところがあって、そこは保持しつつも、説得力を持つ解釈を出さないといけないというところがあると思うんですね。そのときに、常に障害者差別解消法の趣旨、目的に照らして考えていく。つまり、社会的障壁を除去するという観点に立ち戻って考えていくというアプローチですけれども、そういったことも必要ではないかと思います。
 あともう一つ、近藤委員から学振の特別研究員等の話がありまして、今日は時間がないので論点だけお伝えしますと、障害者雇用促進法の下での合理的配慮義務の論点となりますが、雇用関係の場合は障害者雇用促進法の適用範囲になると思いますので、その整理というのも今後必要になるかもしれません。雇用関係が入ってきますと、そういう問題も出てくるかなと思います。
【竹田座長】  どうもありがとうございました。
 それでは、殿岡委員、お願いします。
【殿岡委員】  殿岡です。
 少し私から今の議論の重複になってしまうかもしれないんですが、根拠資料の部分に関してなんですが、まず、全体として政府の閣議決定された基本方針には根拠資料という言葉は一個も出てきません。つまり、障害者差別解消法は教育の場に限定した立法ではないので、例えばレストランを発達障害の人が利用するときに、それに対する発達障害の根拠資料を求めるということは、そもそも前提にされていません。
 川島先生から手帳のことの言及がありましたが、手帳がある障害がある人も、ない障害がある人も、分け隔てなく合理的配慮が受けられるというのが基本方針の趣旨になります。根拠資料で言うと、障害と社会的障壁、この2つのことの根拠資料が必要になるんですが、障害の根拠資料に関しては随分と御説明もあったんですが、社会的障壁の根拠資料というのは、社会モデルである以上、その原因は本人ではなく社会の側に存在している。つまり、社会の側を検査して、社会の側を診断しないと、社会的障壁の根拠は出てこない。今回の障害者権利条約の批准、障害者基本法の制定、そして差別解消法の制定というのは、従来の医学モデル、つまり本人の医学的検査や診断ではなく、社会モデルに日本が転換していく契機となる立法がされてきたという経緯を踏まえると、本来は社会的障壁という社会の側の問題を指摘していく根拠が必要であって、機能障害の側に寄った根拠というのはもちろん一定必要ですが、それが必ずしも中心にはならないというのがこの法令のそもそもの趣旨だと思います。そうした中で、教育の分野だけが根拠資料に寄ってしまうというのは、差別解消法全体の中の整合性が取れなくなっていくと思いますので、今後、やはり社会的障壁の根拠という社会の側の問題をいかにしてできるかという辺りをやはりきちんとこの検討会で議論していきたいと思います。
 殿岡は以上です。
【竹田座長】  障害学生支援の5番の1番目、社会モデルの理解に関することというところの一番大事な点をコメントいただいたかと思います。引き続き、そういった御意見を参考に取りまとめにつなげていければというふうに思います。ありがとうございました。
 それでは、資料4につきましてはマイナーな御指摘をいただきましたが、本日の御議論を踏まえまして、事務局と原案の作成を始めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
 最後に、「当面の検討会のスケジュール」について、事務局から御説明をお願いいたします。
【小栗補佐】  資料5を御覧ください。
 次回、第4回は8月3日木曜日、14時から16時となります。また、先日御連絡いたしましたとおり、第5回、第6回の日程が決定し、第5回を9月15日金曜日、15時から17時に、第6回を10月26日木曜日、10時から12時に開催することとなりました。
 日程決定に当たり、日程の調整などをいただいた委員の先生方におかれましては感謝申し上げます。
 また、委員の皆様におかれましては、御多用のところ恐縮ですが、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
 以上でございます。
【竹田座長】  ありがとうございました。
 本日の議事は以上ですが、その他、会合全体を通しまして御意見等ございませんでしょうか。
 それでは、次回も引き続きヒアリングと議論を進めていきたいと考えております。今回同様、ヒアリングに御対応いただく方や御説明に御協力いただく委員につきましては、私のほうで事務局と調整をして、委員の皆様にお伝えしたいと思います。
 以上で、「障害のある学生の修学支援に関する検討会(第3回)」を終了いたします。どうもありがとうございました。

―― 了 ――