審議会情報へ

学校法人会計基準の在り方に関する検討会

2003年9月10日 議事録
学校法人会計基準の在り方に関する検討会(第2回)議事要旨

学校法人会計基準の在り方に関する検討会(第2回)議事要旨

1.日   時     平成15年9月10日(水)13時30分〜15時30分

2.場   所   文部科学省別館9階   特別会議室

3.出席者  
(協   力   者) 大橋英五、齋藤勉、齊藤秀樹、佐野慶子、清水至、西村昭、長谷川昭、松本香、森公高、森本晴生の各委員
(文部科学省) 加茂川私学部長、久保私学行政課長、栗山私学助成課長、石井参事官、岡参事官付学校法人調査官   他

4. 議   事
(1)    事務局から資料について説明があり、その後、学校法人会計基準の在り方についての自由討議を行った。

○:委員      ●:事務局

:前回は、自由に意見を述べていただいたが、今回は、「何のために作成するのか」、「どういう内容が求められているのか」という点についてご議論いただきたい。

:学校法人制度の改善方策についての中間報告の中で財務情報の公開の範囲について触れられているが、「国民に対してアカウンタビリティを果たすという観点からも、財務情報の公開は避けて通れない課題である。」とされている。単に保護者に対してというよりもっと広い範囲を想定した考え方が必要だと思われる。

:この中間報告では、財務情報の公開について閲覧という形を基本とする義務化が打ち出されているが、財務書類の内容や公開の方法については、さらに理解を求めるための工夫として事業報告書を付加することなど別の課題として整理されているということを付言させていただきたい。

:必要な財務情報は何かということを議論する際には、財務情報の利用者はだれかということを明確にする必要があると思われる。非営利法人の場合、誰を対象とするかという議論は難しいが、ある程度対象を明確にし、その者が財務情報に対してどういうニーズを持っているかを明確にしないと、財務情報としてどのようなものが必要なのかがはっきりしない。

:生産行為を伴う企業であれば、経常的収支を整理して、収支の状況あるいは利益がどういう源泉から出てきたかを分からせることが必要となる。しかし、私立学校は生産を伴わない消費経済であり、その収入の大部分が学生生徒納付金である、それに対してどういう形で支出しているのかという状況を分からせるようにすることが重要である。
       基本金の問題は、基本的に私立学校を維持継続させるための理念を計算構造の中に取り込むかどうかの問題だと思う。基本金以外に別の仕組みでやる方法は今の会計基準の中にはないと思う。企業会計の利益の概念を導入すれば、一定額を利益として出していくこととなる。そういうことが社会的に受け入れられるかどうかが課題である。
       それから、国立大学の会計基準をみると収入源泉に対して支出をどういうふうに説明していくかという側面がある。これを達成しようと思うと、会計の中に管理会計的なマネジメント、いわゆる予算の部分をどういうふうに構築していくかということを強く私立学校に求めることになる。

:情報公開については、公共性を担保することが重要であるが、私立学校の場合は、自主性を尊重するということも大切であると思われる。高校法人以下では直接プライバシーにかかわる面も少なからず出てくるので、情報の公開に当たって、大学法人も高校法人以下の法人も全国一律にするというのではなく、何か考える必要があるのではないか。

:公開の目的は、例えば個別の先生の給料がどのくらいか、というようなことを公開することではないと思う。大事なのは、詳細な資料を出すことよりも、短時間で簡単に理解できることだと思う。

:寄附をしたのだけれども、その法人が存続できるかどうか分からないというようなことでは、寄附をしていいかどうか判断がつかない。そういう意味では、当分の存続可能性というのを示す必要がある。そこが、財務情報の利用者のニーズの一番大きな点なのかなと思われる。教育理念に則った寄附をしたにもかかわらず、赤字の穴埋めに使われるということでは寄附者の意志が生かされない。

:幼稚園の場合は、幼稚園のみの単一で運営している学校法人が多いので、公開の仕方によって、今後の経営方針や方向性について大いに影響を受けるだろうと思う。

:分かりにくいと言われるが、その財務書類から何を読み取ろうとするかによって違ってくる。資金収支計算書は活動の全体が分かる、どれくらい資金を借りたのかとか返したのかとかそういう活動が分かるという意味では分かりやすい。一方、存続性が分かるかとか、経営が順調かとか、そういったことを見ようとすると分かりにくい。

:学校の運営に当たっている者の立場とか、文部科学省の立場から、財務分析しようとすると、正確に法人の実態が反映されていれば、今の計算構造から簡単に分析することができる。ここで、求められているのは、広く一般の人が見たらどうなっているかということを大枠で分かるにはどうすればよいかということではないか。

:財務的存続性をどうやって図るか、これは企業でいうと資本の概念だと思うが、学校法人はすでに基本金の概念を持っている。それを計算書類上誰でも分かるような形でいかに示せるか。基本金はまさに財務的存続性を表すものであるから、消費収支差額との関係を整理することによって、財務的存続性が分かるようになっている。会計そのものを全部新しいものに変えるということは必要ないのではないか。

:企業等と比べると私立学校というのは教育活動が中心となっているので活動が複雑だとは思えない。それを財務上あえて色々な形でセパレートした状態の計算体系にもっていくというのは、いたずらに分かりにくくするだけではないか。
       寄附金の議論では、例えば寄附者に対し、寄附金をどういう形で使ったかを明確にしろといっても、今の財務構造では難しい。それをするには支出の特定をしなくてはならない。もしそれをやっていくのであれば業績評価等の仕組みを別に管理会計上成立させていって、そちらから説明していく構造にしないと、財務会計でそれをすればいたずらに複雑にしていくだけと思う。
       収入の大部分は学生生徒等納付金であり、支出は人件費と教育研究経費と管理経費で構成されているというすごくシンプルな構造なので、これをあんまりさわるのはどうかと思う。

:外に向けて理解を得るための分かりやすい財務諸表を作っていくという必要があるということは全員異存はないと思う。それでは、外からは何を要請されているかということを少し議論していただいて、そのためにどういう計算構造にするかというのは、次の段階で考えていくのがよいと思う。

:直接的な利害関係者は学生の親だと思う。その立場に立てば、学校の存続性が確保されても、十分な教育が受けられなくては困るのだから、教育研究にきちんと経費を使ってくれているかどうかも必要ではないか。

:基本的な考え方の中に、本来学生が支払った授業料は年度年度で全部使われるべきであるということがある。しかし、施設設備費のように、例えば2、3年後に建物を作るために集めているという約束事の中で徴収されているものもある。

:学校関係者でも分かりにくいと考えている人がいるが、学校法人の特性をよく分かっていない人ではないか。

:一般的な理解として、資金収支の構造はわりと単純に分かる。ところが、基本金と以前に購入した資産の減価償却の関係になると、そこで分からなくなる。一般の企業でも新聞で貸借対照表の概要が出ているが、あれだけでもある程度は分かる。ところが具体的な商品の売り上げがどうだということになると分からなくなる。

:学校法人会計が分からなくても企業会計が分かるという人は圧倒的に多い。そこに論点を絞って分かりやすくするという考え方はあると思う。企業会計も分からないという人に説明するのは非常に難しい。収支は均衡するのがいいというが、マイナスになる場合もある。国の財政でも同じだが、収支がマイナスになったときはどこまでが許容されるのかということを、企業会計でなじんだ人に対して理解させるのは難しい。

:学校運営に関わっている学内者ですら理解のレベルに差があるのだから、学外者であればなおさらである。財務諸表の公開は、現在多くの学校法人が分かりやすい公表の方法について取り組んでいるが、それと分かりやすい財務書類はいかにあるべきかは分けて議論していく必要があるのではないか。分かりやすいといっても限界があって、一般の人が誰でも分かるというレベルまでは下げられるものであろうか。

:企業会計になじんだ人には、まず、資金収支とか消費収支という言葉が理解できないようである。しかしその構造は企業会計の構造を取り入れていて、基本金の概念だけが違うということが分かるとそれらの人も理解をしてくれる。企業会計が分かるレベルの人にとって学校法人会計基準は難しい会計ではない。そういうレベルの人を念頭において考えればよいと思う。

:分かりにくさの一つの例として、2号基本金の引当預金化の問題がある。総務省の勧告の中で2号基本金を引当預金化するよう指摘がされている。これに応えようとすると、2号基本金専用の口座を作ることになるが、これにどう対応していくかは基本金の本質的な問題であろう。

:企業会計が分かる人もそんなにいないと思う。企業会計が分かる人向けに学校法人会計基準を見直すとした場合、すごく難しくなってしまうのではないかという危惧がある。

:企業会計というのは発生主義である。ある学校法人が内部的に公表していく資料として、企業会計に組み換えて実施してみたら、利益が出て、もっと教育に投資せよ、あるいは給与を上げよという意見を誘発したので、その試みは1年でやめたという例がある。

:基本金組入れの額の決定が、任意的、恣意的であるという指摘についてはどう考えるか。

:62年の改正の際には、基本金の組入れについては、基本金明細表で、いつの理事会で決定され、どういう将来計画でどう組み入れるのかということを整理することとした。実態の問題として、恣意的と言われているのは、収支がどうなるか分からないという見通しもなく組入計画を立て、バランスが悪くなったので組入計画を変更するというのが見られるという指摘である。また、とりあえず積んでおくということに対する指摘もある。

:62年の改正はそもそも任意性、恣意性を排除するための改正であり、制度が悪用されているということである。必ずしも特定預金化しなければいけないというわけではないところに恣意性がある。

:目的を明確にして集めた寄附金であれば会計事象がはっきりしているので基本金組入れを行う。単なる余剰資金の場合はルールを厳密にすることで任意性、恣意性が排除できる。計画を作っただけでは会計事象としての認識はできない。そのようなものはルールを厳密にすべきである。

:膨大な支出超過が出るような場合であっても基本金組入れを行わなければならないのか。

:例えば、寄附をいただいた時点で支払資金とは区分しておくという問題と将来の計画があって2号基本金に組み入れるのはタイムラグがありうるので、寄附金の受入れ、特定資産化、2号基本金への組入れは段階的に区分して考えたほうがよいのではないか。昭和50年から60年代には帰属収入からの組入れについて赤字になるのであれば組入れはできないという認識が一部にあったが、今は赤字であっても組入れられるという認識に流れが変わってきている。

:学校経営を実際にやってみると2号基本金を規制緩和してもらいたいと思うような状況がよくある。果たして学校法人というのは何年も先まで経営の見通しができるものであろうか。2号基本金についても一般的な施設・設備の充実のための基本金という程度の認識しか持たれていないのではないか。さらに、消費収支差額の補助金に及ぼす影響もあるから、よく検討しないといけない。

:赤字の場合に組入れができるかできないかという議論は、まさに基本金とは何ぞやという問題の根幹ではないかと思われる。基本金は帰属収入から組み入れるといっておきながら、経営が厳しくなって赤字である時には、組み入れた基本金とはどういうことなのかはっきりしない。

:62年の改正の時、3号基本金は特定預金化をルール化されたが2号基本金はならなかった。今の基本金の中で手当すべきことがらの一つではないかと思う。

:62年の議論の背景について補足する。その時は基本的な理念として、消費収支の均衡を前提とし、その上で基本金の未組入れの統一化についても整理をした。消費収入から先に基本金組入れを控除するという消費収支構造は壊すべきでないということであり、プラス、マイナスを見てから組入れをするという考え方を排除した。その際、2号基本金と3号基本金の恣意的組入れの問題については明細表を作成することで恣意性を排除しようとした。また、基本金取崩しを容易にしてしまうことについては恣意的な運用を引き起こすおそれがあるという議論があって、取崩しの制限は維持した。

:帰属収入から基本金を先に控除するのか後にするかということを基本金の本質的な問題としてとらえようという発想がよく理解できない。その時その時に資金をどう使うかという判断の集約が年度末の3月31日に基本金組入れとなってでてくるだけではないのかと思われる。

:学校はその特性から、帰属収入を全部消費支出に充ててはいけないということを、しつこく説明していくべきと考えており、計算構造は今の構造でよいと考えている。以前は授業料とは別に施設費を徴収している学校も多かったが、今は一本化しているところも増えている。その点も基本金の問題に関わっていると思われる。

:今回の議論をよく整理した上で、次回は基本金の問題を中心に議論したい。

     (2)    次回開催日については後日事務局から連絡することとなった。

以   上



(高等教育局私学部参事官室)

ページの先頭へ