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薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議

2003年3月5日 議事録
薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議(第6回)

薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議(第6回)

1.日    時 平成15年3月5日(水)10:00〜12:30

2.場    所 文部科学省分館201・202特別会議室

3.議事進行 1)開会
2)薬学教育制度の在り方について
3)これまでの議論を踏まえた総括的な議論について
4)閉会

4.配付資料
資料1   薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議(第5回)
議事要旨(案)
資料2   薬学教育の改善について(最終まとめ)(教育制度関係部分)
資料3   学校教育法の規定の推移 (PDF:112KB)
資料4   論点整理(厚生労働省薬剤師問題検討会第7回資料) (PDF:216KB)
資料5   第5回までの議論の整理 (PDF:310KB)
資料6   第1回〜第5回における意見

5.出席者 末松座長、佐藤副座長、野村副座長、秋尾、市川、乾、北澤、桐野、佐村、
全田、高柳、舘、寺田、富田、福田、望月、矢内原の各協力者
文部科学省:木谷審議官、小松医学教育課長、新田課長補佐、宮田課長補佐、
ほか関係官

6.議事
(1) 東京医科歯科大学附属病院等を見学した委員から意見・感想等を述べた。発言の概要は以下のとおり。
   医療現場の薬剤師に求めるニーズに今の教育が応えきれていないと感じた。薬剤師免許をとっただけでは病院薬剤師として働くには足りないところがあり、自ら研修などを受けることにより始めて病院薬剤師として仕事ができるとの話も伺った。

   今の薬剤師を巡る状況を見ると、医療チームの一員にまだなりきれていないと感じた。病院における薬剤師も変わって欲しいが、病院におけるニーズに応えるような薬学教育も必要。しかし、薬学部卒業者は病院以外様々な分野で働いており、それぞれの職場で異なるニーズがあるのかもしれないことも、病院見学を通じて感じる。

   入院患者に対し薬剤師が果たす役割への需要が強いが、現在ではそれに応えるだけの体制がないとの説明があった。

   病院での薬剤師の業務は多岐にわたっており、卒前教育と卒後の継続教育とがともに重要であるとの印象を持った。

   東京大学の附属病院を見学したが、病棟でも薬剤師も含めたチーム医療が徹底していており、うまくいっている例と聞いた。しかし、このケースは部長の熱意がある場合これによりそこまで出来ているのだろうと思うが、そのような人材がいない場合、教育でどこまで担保できるかを考える必要がある。全体をどう引き上げるかというときに教育が責任を負わないといけないのではないか。

   実務実習に関しても、東大病院では指導員がつけば6ヶ月の実習も可能だと言うが、指導員の質・量をどのように確保し、他の病院をどのように一定水準まで引き上げるか考える必要がある。

   東大、医科歯科大、千葉大の附属病院を見学しての感想であったが、いくつかの例と認識すべき。例えば私立大学病院などでは、経営も考えながら病棟業務も指導しなければならないなどの現状がある。本来の医療業務を行いつつ薬学生を指導することの大変さを認識すべき。

(2) 薬学教育制度の在り方について議論があった。議論の概要は以下のとおり。
   これまでの薬学教育は、なぜ学ばなくてはならないかという点の教育が不足していた。医学教育ではearly exposure(1・2年次の早期の段階での専門教育・実務体験などによる、意識を持たせるための経験)などを通じて学ぶ目的を明確化させている。薬学教育でも、実務実習後、学生から、薬学の勉強をすることの意味・目的がわかったとの感想が出てくる。早い時期からの専門教育により、医療人としての意識、倫理観、技術、知識が身に付くと考える。

   1・2年次のうちから現場に出ればモチベーションを早く持てると思うが、それは見学程度としておくべきであり、患者の立場から言えば不安がある。医療事故の引き金を引きかねない。実習などに進むには、共用試験などにより質の担保をする必要がある。

   1・2年次ではある程度の見学体験で十分。2年次の終わり頃から専門的な内容のコアに入り、6年次で完全に患者対応ができ、指導薬剤師の下で現場で実務実習を出来るようにすることが必要。このためには一貫した6年間の薬学教育が必要。

   薬学教育として、トータルとして6年間の教育が必要であろうということはこれまでの議論で概ね一致しているのではないかと思うが、この6年間の教育について、6年間の学部において行うのか、それとも学部4年と修士2年により行うのかということの議論がある。これら以外の教育制度は我が国の教育制度の現状を考えると現実的ではないと思う。

   今後の薬剤師には研究者精神、問題発見・解決を自分の頭で考えられる人が必要であるということが大方の意見としてあった。このことはすなわち、物質と生体及びその間の相互作用に関する深い知識を備え、研究者的精神を備えた人を育てるということにつきる。

   薬学部卒業生の進路は多様で、その多様性を薬剤師養成だけに絞ってしまうのは、薬学の今後の発展としては望ましくない。

   平成14年3月の薬学部卒業生の24.5%が薬局に就職し、15.7%が病院等の薬剤師に、製薬会社等への就職は10.2%となっている。大学院に進学した者は25.9%であるため、現在既に4分の1の学生は4+2という制度に実質的にはなっているということとなる。

   修士課程を修了した者の進路としては、病院薬剤師は16.5%、薬局はその約3分の1程度。製薬企業や化学会社、食品会社など薬学に近い企業が39.2%、博士課程進学は19.5%となっている。

   現在でも、大学院進学が社会の需要に応える道であると薬学部・薬科大学も考えており、学生自身もそのように考えてその4分の1は修士に進学している。平成8年には学部卒業後修士課程に進学したのは15%程度であり、この7年間に約10ポイント増えている。

   大学・学部の現状及び薬学教育の内容から見ると、学部4年でコアカリキュラムを修了し、共用試験を受け、大学院修士課程に進学し、アドバンストの内容と実務実習、卒業実習を行うとともに修士論文を書くこととなるが、このような教育が望ましいのではないか。

   学部課程と修士課程とで修業年限が切れていることのメリットとして、アドバンストコースで特徴を出して薬学全体の多様性に応えることが可能である。また、学部卒業段階で自らの進路を考える機会があることにより、例えば薬剤師としての進学が不適格と思う学生は学部卒業段階で他の進路に進むなど、社会に貢献する道が開かれるのではないか。また、例えば共用試験を4年の後半に課すこととすると、それまでの間にモデルコアカリキュラムの主要な部分を終わらせておくこととなり、修士2年間で実務実習とアドバンストコースを履修することとなることから、学部課程と修士課程とで一度切れることに問題はないのではないか。

   特に、研究者精神を持った人材を養成しようとする場合、学部の修業年限を2年間延長することよりも、大学院に入ることで質的な変化がある方がいいのではないか。

   昨今、研究大学を目指している大学では、どの理系学部も、大学院を修士課程2年だけでなく、博士課程3年も合わせて5年間の大学院教育により研究者養成を行おうという仕組みがますます充実されようとしている。薬学部は職業教育とともに研究者教育という面も持っており、これを一体の学部とするためには、学部卒業後修士課程に進学し、その中からさらに研究者になる者は博士課程に進むという制度が望ましい。

   薬学教育に関し、アメリカでは現在、専門教育課程を4年課程に統一する方向にある。日本の場合、戦後教育のスタートはアメリカモデルであったが、その後徐々に、医学部の場合大学の入り口の段階から、6年間専門教育を行うという方向になってきたのではないか。

   教育一般に関し、これまで批判されてきたのは、高校卒業の18歳の段階で、高校まで勉強と進路指導のみから生涯の進路を決められるのかという点であった。アメリカの場合は、学部卒業後共通試験を経て、進学動機がしっかりした人を専門職課程に入学させることになている。現在のような高学歴社会では、このタイプの教育システムに移行した方がいいのではないか。

   日本薬学会の作成したモデル・コアカリキュラムの中身を見ると、少し量が多すぎるのではないか。

   薬学教育の専門課程として6年間が必要なのか、あるいは大学教育全体として6年間必要なのか、議論する必要がある。

   これまでに、国公立大学では薬剤師にならなくてもいいとのニュアンスの発言があったが、薬学部にとって、薬剤師の国家試験受験資格があることが必須ではないか。

   薬学は医療薬学と創薬・基礎薬学に大別できるが、薬学における創薬・基礎薬学研究・教育の在り方を考え直し、医療の中で薬がどうなっているかを薬を創る人が十分知っていないといけないし、他方、医療人は創薬科学を理解するようにする必要がある。

   薬学教育では、薬剤師免許を取ることを目指す一方、創薬科学・基礎薬学も学ぶという、両方を理解するという過酷な条件を課されているが、そこが日本の薬学の特色ではないか。

   薬学とは「薬と生体成分との生体の相互作用」との発言があったが、これに「生体の生理条件に応じた相互作用」を加える必要があると考える。

   年限の問題について、単純に数字の議論をしては、教育制度として絶対おかしくなる。学生が教育を受けるべきカリキュラムは何かということを、大学人同士が築き上げ、本当にいい教育するためにはどうすべきなのかを含めて、大学人が検討しなければいけない。ただ箱を決めてしまうようなこととなると、何年か昔に戻るような気がする。

   薬剤師免許に関しては、薬剤師の社会的使命、命を預かるという役割の観点から、6年一貫の教育が基本である。

   ポイントになるのは教官の意識改革である。

   6年一貫の課程であると、カリキュラムを作る際に柔軟に対応でき、また実務実習を6ヶ月程度の長期とした場合にも、複数回に分けて行うに当たって容易である。

   薬剤師となる者に対しても、調剤過誤を防ぐために、科学的な思考形態、問題解決型の能力といった研究マインドが必要であり、卒業実習や特別実習といった研究活動が必要である。

(3) 資料5に基づいて、これまでの議論を踏まえた総括的な議論があった。議論の概要は以下のとおり。
   教育は人生を教えなくてはいけないのではないか。医療関係者には社会性のない人が多いと感じる。職業人としての薬剤師の人生を教えることも重要だが、一人の人間として患者と向き合うことから、人間の人生を理解できる人でないといけないのではないか。

   人間性に関する教育を、どのように教育の中に含むのかが課題。6年間同じ大学の学部にいるということになると、そこでの人間関係で終わってしまう。様々な人の人生を理解するため、あるいは社会人としてコミュニケーションをとっていくためにはどうしたらいいのかについても、教育に含める必要があるのではないか。

   学士入学あるいは学部卒業で一度外へ出ることができるのであれば、他の職業を経験してから養成課程に進学するという方法も考えられる。医療人以外の人達の人生を見たり理解する経験を、教育の中で義務づけることも考える必要があるのではないか。

   学生に人生を教えなくてはいけないのではないかという点は、非常に大きな問題であり、むしろ養成課程だけでなくずっと長い間で培っていくものではないか。また、大学教育だけの問題ではなく、日本の社会の中にそのようなシステムがないことが問題なのではないか。非常に大きな提言であるが、そのようなことが大事だということはどこかに入れておく必要がある。

   動機のはっきりしない事件の原因究明が出来ていないような中で、仮に精神的なバランスを欠いている人達であっても、知識があれば薬学部や医学部にも入ることもでき、医療現場に出してしまうこととなるかもしれない。この点は重視して考えるべき要素ではないか。

   実務実習をするためには、その前段階で共用試験によりその適性を評価する必要があるのではないか。

   制度論も含めたこれまでの議論を聞くと、6年一貫あるいは4+2という命題があってそれに向かって進んでいるように見えるが、その前に社会に向けてアピールできるようなものになっているのか、議論する必要がある。外部のものから見るとその議論の中身はなんだろうという疑問がある。専門の人達は物事を進めていく場合、あれもこれも必要だと言うが、社会が受容できる内容になっているかどうかがポイントではないか。

   医学教育の場合、医療事故等問題から社会的な批判を浴び、このことが大きな改革のきっかけとなり、極端に言うと教育内容を削ってコアカリキュラムを作った。薬学の場合は修業年限の命題があるために、増やしてコアカリにしたように見える。

   医療系に進む場合、リベラルアーツの部分がきちんと行われないまま、6年一貫のあるいは4年一貫の専門教育に進んでしまうことが問題になっている。薬学教育においても、現在の4年間の教育の中でリベラルアーツの部分はどこでやっているのかについて議論が必要。

   内容の精選が必要であり、特に実務実習について、日本薬学会の作成した実務実習ガイドラインの内容が全て必須であると言うのは乱暴な議論であり、内容のつめをきちんとする必要がある。

   修業年限については、トータルとして6年間の教育が必要との点では議論が収斂しつつあると理解している。研究者養成と薬剤師養成は分離したものではなく、密接に関連しているという点で一致している。

   これからの薬学を考えたときに、科学技術立国の中で大学院の重要性は大きい。

   実務実習についてはまだはっきり方向付けられておらず、また、中身についてもコア化されていない。

   一応薬学関係者の意見はある程度収斂されていくようであるが、薬学関係者の思いと、それが社会に受け入れられるものとなっているかどうかは、薬学関係者でない委員がなるほどと思われることが結論されているか否かということではないか。広く社会が納得できるデータの上に立った意見の交換でなければならないのではないか。

   医療事故の中で医薬品が関わっていることが多くなり、それに対して薬剤師がどれだけ役割を果たしているのか。それを達成するための教育が不十分ではないか。原点に戻ると、薬剤師法に規定されている薬剤師の任務を果たしてきたのか、実際に送り出してきた教育が極めて不十分で、社会に対して十分応えていない。したがって、薬学教育の基本的考え方のところに、社会に対しての期待に本当の応えているかどうかを自己批判をも含めてしっかりと書く必要がある。

   従来の薬剤師がいい加減にことを運んできたわけではない。当時の社会に対しての薬剤師の役割というものは十分に果たしてきたが、現在の社会がより多くのことを要請するようになっており、現在ではこれまでの薬剤師像では合わなくなってきているという現状がある。

   6年一貫の教育というが、これが専門教育を意味しているとするとおそらく世界最長の薬学教育になるのではないか。その際心配するのは、もし旧医学部のような一時期のイメージの6年一貫だとすると、6年間は若者の期間としては非常に長い時間であり、様々な問題を起こしてきたのではないか。一般的に考えて、高校卒業で入学して、6年間同じ学部の環境の中だけで社会性が育つとは思えない。

   大学教育全体として、社会の期待は、教養教育をしっかりして欲しいということだろう。リベラルアーツの質についてこれまで必ずしも十分な理解がないため、人間性と言い表しているが、この修得を大学が果たすにあたっては、大学が持っている学問の力でこれを果たさなければいけない。
   このように考えると、薬学教育だけの問題ではないが、高校を卒業して大学に入学したすぐの段階で専門教育としてスタートするのがよいのか考える必要がある。

   今議論されているリベラルアーツは、一部準備教育として入っているのではないか。その上で、6年間の教育ということだと理解。専門教育を1年からやれということではない。

   コアカリキュラムとは専門科目のコアであって、それ以外の教養・一般教育科目等はその前にあるというのが前提と理解。これにどの程度の時間・内容を費やすかは各大学で異なる。

   コアカリキュラムは、必要なものの6〜7割にあたるものであり、残り3〜4割で各大学における自由な教育をつくっていただき、それによって個性のあるものを作るとの前提。前回のカリキュラムイメージのパターンのいくつかが6年になったのは、無理なく余裕を持ってやっていくためにはこの程度の期間が必要であろうとの発想。

   実務実習に関して、本当にガイドラインの全部を全員がやるべきなのかどうなのかに関しては、今後議論が必要。

(4) 次回は、今回の議論を整理した上で、総括的な議論をすることとなった。

(5) 閉会


(高等教育局医学教育課)

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