国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議
2002/02/07 議事録国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議「連絡調整委員会(第6回)」議事要旨 |
1 | 日 時 | 平成14年2月7日(木)14:00〜16:00 |
2 | 場 所 | 東海大学校友会館「富士の間」 |
3 | 出席者 | |
(委 員) | 長尾 真(主査)、中嶋嶺雄、阿部博之、阿部充夫(副主査)、渡邉正太郎、松尾 稔、小出忠孝、堀田凱樹、梶井 功、河野俊二、田中健藏、鈴木章夫、石 弘光の各委員 | |
(関係者) | 荻上紘一、奥島孝康 | |
(文部科学省) | 工藤智規高等教育局長、清水 潔高等局審議官、坂田東一振興局審議官、樋口修資人事課長、森口泰孝会計課長、板東久美子高等教育企画課長、合田隆史大学課長、吉川 晃学術機関課長、杉野 剛大学改革推進室長、 他 |
4 | 議 事 | |
(1) | 開 会 | |
(2) | 主査から、第5回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、2月14日(木)までに意見があれば事務局に連絡の上、修正し、文部科学省のホームページで公開することとされた。 | |
(3) | 事務局から、資料2『国立大学法人の職員の身分ー「公務員型の場合に考えられる対応例」』、資料3『承継職員に対する措置』及び資料4『「新しい『国立大学法人』像について(中間報告)」に対する国大協意見の補足説明について』について説明があった後、以下のような意見交換が行われた。 | |
(○印は委員及び関係者の発言、◇は事務局の発言) | ||
○ | 国大協の意見について、この補足説明にもかかわらず、法律で規定できないということか。 | |
◇ | 学長の部分については、当然そういう規定が置かれることとなる。ただし、それ以外の教員等の人事については、教学事項についての審議機関が適切な形で人事についても関与するというシステムが確保されるのであれば、全体として国大協の意見にあるようなことは、確保できるのではないかという主旨である。 | |
○ | 基本点を法律に定めることが適切である、法律の形で明確に規定されるべきであるというのが国大協の主旨であると思うが、それはできないということでよいのか。 | |
◇ | 法人化後の学長の持っている任命権について、それを法律で特例を規定する、あるいは別の形の手続きを規定するということは、考え方としてはなかなか難しいのではないかという主旨である。 | |
○ | 法律の形で明確に規定することが難しいということであれば、中間報告の中で、「人事の自主性・自律性の考え方は、」とあり、「法律で規定される事項を除き、大学内部の規則として定めることになる」と記載されているが、「法律で規定される事項」というのは、具体的に言えば学長の任命に関わるもののみということになるのか。 | |
◇ | 端的に言えば、そういう形になるということである。文部科学大臣が学長を任命するにあたって、学長人事についてのルールが法律で特例が定められるということである。もう一つは、学長が任命権を有するということが、最低限必要な事項ではないかということである。 | |
○ | 国大協としては、前回の会議で誤解があったため、補足説明を作成した。国大協は当事者の一番重要な機関ではあるが、国大協の意見がすべて認められるとも思っていないため、他のいろいろな方の意見を聞いて、その中で議論すべきものであると思っている。現に、前回、運営組織のところは、国大協の意見は無視され、重要事項は議決を経ることとなり、全く同じケースであると思っている。 | |
○ | 必ずしも無視したとは私は思っていない。 | |
○ | 国大協の意見として、きちんと「議決は好ましくない」と記載してあるが、議決を経るという案になり、この場合と全く同じケースである。 | |
○ | 今の議論の段階では、そういうことである、ということである。 | |
○ | 国大協の意見が、すべて何でも認められるとは思っていないが、我々としては、これは機関決定したものであり、無視されるということは非常に問題であるということは、公の立場から言えると思う。 | |
◇ | 前からのご懸念であるが、なぜ教特法が設けられたかという経緯については、ご存知のように戦前、教員の人事関係については確たる規定がなく、そういう中でいくつかの事件、紛争があり、学問の自由を守るために教員の人事というものはアカデミアンの自主性に任せようということで、そのプロセスを規定するために作られたのが教特法である。特例法とあるように、国家公務員法、地方公務員法の特例という形での法律であり、今回、こういう人事形態になれば、文部科学大臣の任命権が及ばない教員の部分の人事について、法律でそのプロセスを規定することは、学長なり学内の自主性を侵害するというか、いかがなものかということである。国立に限らず私立でも伝統ある大学は、それなりの教員人事についてのルール、良識をもって行っているわけである。もう一つ、法律上の担保としては、運営協議会、評議会というものが置かれ、学内の評議会が何をするところかという任務規定のなかで、人事に関すること、人事の基本方針に関することのような任務は規定されることになると思うので、そこで教員人事のルールをどうするかということは、学長が勝手なことを行うということではなく、十分学内のアカデミアンの意向を聞きながら、就業規則というか法人内の勤務条件の規定の中で反映されるということで、実質、適切なルールが確立されていくと思う。この教特法が適用されないからといって、不安であるというのは杞憂ではないかという気がしている。 | |
○ | 新しい法律を作る時は、杞憂であっても十分議論したほうが良いと思う。 | |
○ | 私の見方からすれば、参考の「任命関係の比較図」というのは、むしろ下のほうが大学の自治を獲得しているのではないかと思う。したがって、すべて国が人事の任命権を持つというよりは、大学の自主的な任命というものは、下のほうがはるかに良いし、拡大的図ではないかということは、我々民間から見ると当たり前である。ただ問題は、学長の権限が非常に大きくなってくるわけであり、それをガバナンスするために役員会の在り方や外部の人たちがどういうふうに良い意味でうまく監視しながらアドバイスをしていくかということであり、こういったこととの一体なのではないのかと思う。例えば、部局長から教員まで全て任命されたのでは、特色ある大学の確立、運営というものはとてもできないということが当たり前なのではないかと思う。したがって、今、御発言のあった法律で何かをつくって身分を保障してくれということは、どういうことをいわんとされているのか。つまり、非公務員化というものを前提としながら、どういう法律をつくって保障してもらいたいというのか具体的にわからないわけである。私はむしろ、大学を運営する立場としては、この下の考え方のほうがはるかに大学自治ということを確立できる道なのではないかと、このように拝見している。 | |
○ | この問題は大事なことであるが、教職員全般の問題についてもいろいろ限られた時間の中で議論しなければならないと思っている。教員の任命について、学長個人が行うということではなく、やはり学内のいろいろな審議に基づいて当然学長が行うべきであり、その辺のところをどういうふうに表現するかということは、工夫する余地があるのではないか。 | |
○ | 議論が非常に重要な局面にきていると思うが、ただ今の御発言を含めて、もう少し本音で語る必要があると思う。今までの教特法があり、文部科学大臣が任命権を持っているわけだが、実際の個々の教員の任命権というものは、形の上で持っているだけにすぎず、実際にはご承知のように学部、教授会に選考委員会がある。つまり学部自治だったわけである。企業のようにトップがそれぞれの人の任命権を持っていたわけではない。つまり、本音のところは別にあって、形の上ではいかにも文部科学大臣が任命権を持っているようにしていたところに実は問題があるわけである。そこで、学部自治とか大学の自主・自律性ということがいわれてきたわけだが、もしも各大学が本当に人事においてもすばらしい人事をやっていれば、日本の国立大学がこんなにかすんでいるはずがないわけであり、世界のトップの大学と伍して、当然それだけの知的基盤の伝統があるわけだが、それがなくなってきている。そして、何らの競争原理が入らない。建前だけはこういう形で法律で保護されていて、まさにファシズムの時代かのように教特法というものが隠れ蓑になって大学を聖域化していた。そして、ひとたび国立大学の教官になれば、全くの競争原理にさらされずに一生身分が保障されていたわけである。こういうことは世界の大学にはあり得ないわけである。したがって、本当は国立大学がもっときちんとした人事をやっているだろうという、その前提自身あるいは国立大学の自主・自律性ということ自体が問われているのだと私個人としてはずっと思っている。したがって、非公務員型にしてみると霧が晴れたみたいに非常に多くの問題が開かれたような気がし、実はこんなに国立大学というものは問題があったのだということを逆に非公務員型にした時に非常に明確に、しかもかなり透明感をもって国民にも訴えられるようなアイデアがでてきたと思い、そういう意味では、むしろたいへん結構であると思っている。 | |
○ | 学長が任命する内容について、法律の中で決めることは不適当であるということは、ある意味で正しいと思う。法律で決めることは、学長というものの性格を決める、ということなのではないかと思う。この国立大学法人法というものが何故特別につくられなくてはならないかということを考えた時に、独立行政法人通則法の中で教育研究にふさわしくない、不適当な部分を改めて、その部分を改善したものを国立大学法人法として制定しようというのが本来の主旨であり、そういうものの中に、理事長に相当する学長の機能というものについてもある種の規定を設けるということは、なんらの不自然な事ではないように私には思われる。実際、私も教員の任命等については、従来のやり方が適用されるような形を学長の機能としてきちんと定めるということが適当なのではないかと思う。点線から上の問題として法律化しうる思う。 | |
○ | 教員の人事について、私は国立大学でも私立大学でも、現在は学部自治の中に入っていると思う。各学部で選考委員会をつくり、推薦し、学部の教授会その他で決めている。国立大学の場合には、学長を介して文部科学省に上申し、文部科学大臣の任命になっていると思う。私立大学の場合も同じであり、やはり理事会の了解を得ているわけである。内部的には国立も私立もあまり変わっていないと思うが、今度法人化されるならば、学長にそういう権限を与えることがひとつの方法ではないかと思うし、そういう意味で大学全体がまとまっていくということが大事ではないかと思う。したがって、私は下の絵のほうが良いと思う。 | |
○ | 大学間の人事交流の問題について、これは非常に重要で前にも発言したが、今の説明では、人事交流は「必要であれば」という立場で書いたということであった。私が申し上げたいのは、人事交流というものは「必要であれば」ではなく、必ず必要であるということである。そうでなければきっと囲い込みなども起こると思う。仕事ができる人は離したくないと思うし、そういう問題も起こってくると思う。したがって、今のように強制的なものではないにしても、一定の異動ができるようなことの調整機関が必要であるということは、国大協でも当初から主張しているわけであり「必要がある場合には」ではないと思う。本省もそういう人がたくさんいるからこそ活性化していると思う。 | |
○ | 今の問題に関連して、退職手当の通算の問題であるが、これは国立の他の研究機関との交流という場合でも、退職手当の規定等で相互に通算できる根拠規定を設けることが可能であるということかどうか伺いたい。例えば、既に国立の研究機関で独立行政法人になっている研究機関がたくさんある。そういう機関との人事交流というものは結構あるわけである。そういう場合に退職手当の通算はいったいどうなるのか。 | |
◇ | 退職手当の通算については、今、国の機関にいる人が例えば特殊法人にいくとか、あるいは非公務員型になれば、大学にいって帰ってくるという場合には、国の退職手当の方では通算できることになっている。逆に、特殊法人にいる人、あるいは非公務員型の独立行政法人にいる人がいってまた帰ってくる場合には、独立行政法人のほうのルールで決めることになる。ただ問題は、片道の場合にどうなるのかということは、新しいルールの中で適切な規定を設けるかあるいは通算ができるなど、何らかの形で対処できると考えている。 | |
○ | 退職手当は法人内の規定であると思うが、片方の規定だけでも通算できるのか。 | |
◇ | 国がからめば国の退職手当法の問題になるが、それは当然国のほうの規定で考慮されることを念頭に整理する必要があると思っている。 | |
○ | 国の退職手当法の改正も行わなければならないということにになるわけか。 | |
◇ | 国の規定の整備が必要になってくる場合も出てくると考えている。 | |
○ | 今の段階では、それが必ず通算できるということは確約はできないということか。 | |
◇ | 今のルールではそういうことになっていないし、そういう形態が想定されていないため、当然、新しい法人の中でそういうことが想定されるということであれば、そういうことを念頭に制度の整備をするということが必要になってくると思う。 | |
○ | 従来、国立の研究機関から大学に新たにお迎えするということがあった。こういう場合には、従来は国家公務員としての同じ身分のままであるため、そういった問題は生じなかった。それが今回仮に非公務員型ということになった場合には、そのところは新たに国の方でも対処して制度を変えてもらわなくてはならない。 | |
○ | 今のことに関連して、法人化された後の話であるが、非公務員として大学に採用され、文部科学省に異動するという場合は、今は公務員であるため単純であると思うが、非公務員から公務員に異動する時に、今までと同じようなスムーズさが可能なのか。改めて国家公務員の試験を受けなくてはならないという状況が、一般には起きるような気がするがそういうことなのか。 | |
◇ | その辺の問題については、場合によってはそういったケースも考えられると思う。しかし、今でも例えば民間から採用するという場合に、一定のクラス以上の方は選考採用ということが可能であり、一般の係員であれば試験の対象になるので、そういった問題が出てくる可能性はある。 | |
○ | 法人の職員から国家公務員に変わられる時は、その法人を退職にするか出向にするかどちらかになるわけである。退職した場合には、退職金は前の大学にいた期間を通算するかどうかということは、移った方の退職金規定で明確に約束される。ただ、その退職金の財源を大学と国とで調整するかしないかということはあると思う。例えば、国家公務員から法人に異動する場合に、仮に非公務員型とすれば、一応出向にするか退職にするかということによって退職する場合に払われる退職金規定というものは、それを受け継いでどういうふうに決めていくかということになっているということである。いろいろなやり方は、退職金規定で本来は決められる。 | |
○ | 教職員の身分については、最終的な結論を出すまでにはまだ慎重な議論が必要であると思うので、次回には最終報告に関する案を出していただくことにしたいと思うが、そこでまた改めて引き続き検討していただきたいと思う。 | |
(4) | 事務局から、資料5『学長選考のパターン(例)』について説明があった後、以下のような意見交換が行われた。 | |
○ | 非常に重要な問題が隠されているような気がするが、現行制度をどれくらい変えるかによるが、現行制度はどこの大学でも一応何らかの候補者を選んで結果的には教官が投票して決めている。最終的には評議会がアップロードするという格好を形式にとっているが、その結果を覆すということはまずあり得ない。ということは、すべての大学が一票一票を持っている投票者の範囲をどうするかは別として投票で決めているわけである。それを前提にしてこれを見れば、その両者の関係をあえて書いていないというところがミソだと思うが、そこを全く書かないで、おそらく今ある投票は意向投票とか参考投票に格下げして学内でやらせるのか、それをあらかじめ禁止するのか、全く自由にやらせるのかということである。大学に帰り学長が説明会をするとどこの大学もまず質問が出てくる。従来の我々の持っている投票権行使はどういうふうに変わるのですか、といった時にこれだけ見ればやって良いともいけないとも書いてないため、良いではないかという説明をするのか、それともこれはやってはいけないという、つまり学長候補に至る経緯において、教官の投票はいっさい加味しないというように読むのか、あるいはその背後でそういうことをやってよいというふうに読むのか、これまで決めていないと思う。決まっているのか決まっていないのかを聞きたいということと、それを我々ここでどう決めなければいけないのかということが重要なことである。決めているのか決めていないのか、あるいは白紙の状態か、ということから議論を始めないといろいろ問題は難しいと思う。 | |
○ | 中間報告では、別に投票を否定はしていない。「具体の選考過程において投票を行う場合であっても」といういい方であり、投票のいろいろな問題は大学でそれぞれお考えになるということであると思う。 | |
○ | したがって、そう読んでいいのか、それには縛りがあるのかということである。 | |
○ | その縛りというものは、それぞれ各大学で考えればいいということである。これは選考の方法であり、人事制度委員会で議論した時には、別に投票について全然否定はしていない。 | |
○ | それは参考投票とか意向投票の意味ではないのか。 | |
○ | 私は前回の会議でこれに関連した意見を言ったが、運営組織についてバリエーション案の1ということを考えると、学長選考は案の2ということになるのではないかと思う。学長の選考というのは非常に重要事項であるわけであり、どういう選考をするということも含めて、私は評議会が主でいいのではないかと思う。ただ、運営協議会もあわせて審議はするけれども、決定は評議会でいいのではないかと思う。問題になるところは、評議会と運営協議会で結論が異なる場合ではないかと思う。異なるということはなかなか候補者が絞り込めないなど、いろいろな問題があると思うが、いずれにしても非常に重要な問題であると思う。その場合に評議会と運営協議会がどういうふうに作用するかということになるが、先程申し上げたように、私は評議会が決定の優先権を持つということで良いのではないかと思う。 | |
もう一つは、運営協議会の審議を踏まえて、評議会で審議をして評議会が決定をする。3番目がその両方から代表者が出て、そのどこに問題があるかという意向等を協議して、それを評議会で再審議して決定するということが考えられるのではないかと思う。そこで、2番目と3番目のいずれかでよいのではないかと思っている。この運営協議会とか評議会の学長選考についての役割というものは、やはり法律で規定する必要があるのではないかと思う。先程からお話があったような選考委員会とか、推薦委員会というものを別途設けるということについては、評議会、運営協議会の下部機関として位置づけるのではないのかと思う。また、設けるか設けないかということは、各大学の自由でよいのではないのかと思う。また、学長の選挙を行うとか、全学で行うとかどうかという問題は、評議会や運営協議会の役割や仕組みが明確になっていればいいのではないかと思う。それでなければ、その機関が後で選挙の結果の信任機関みたいになってしまう可能性があるのではないかと思う。最後に、学長の解任ということもあり得るわけだが、これも評議会と運営協議会で協議して行使できるようにする。そして、一貫して先程から申し上げているように、最終的には評議会で決するということでいいのではないかと思う。そして、そういうことをきちんと規定しておいたほうがいいのではないかと思う。 | ||
○ | ぜひ、現場の声というものをお聞きいただきたいのだが、今の御発言はまさにそのとおりであり、会社の社長などであればおそらく少数のある有力者が決めて、全職員、全会社員が社長であると認めて命令系統がしっかりする。大学は評議会とか運営協議会とか少数のグループで仮に候補者を選んで、学長ですといって全学がそれになじむかといったらまず無理であると思う。一部の人が選んだ学長で、私たちの学長ではないと思っているわけである。今までの学長は、そうやって皆が一票ずつ投じて選んできた人である。それを全部、権限を取って上が選んだとしてどれだけ説得性があるかという問題がひとつあり、これは悩ましいのである。 | |
もう一つは、学長は人事権も予算権も会社の社長みたいな権限を持っている。会社の社長を選ぶ時に、全従業員に投票させないと思う。そうすればおそらく、予算権とか人事権を乱用すると思う。私は、学長はみんなで選んだというスタイルをとらないかぎり学長になった人は立ち行かないと思う。 | ||
○ | 一つは質問であるが、投票ということをどこかに入れるというその場所は、候補者を選ぶ段階なのか、それとも候補者が選ばれた後で必要に応じて学内の意向を聴取の手続きを行えばよいというこの部分なのか伺いたい。 | |
○ | 両方あると思う。つまり、候補者の段階で全職員に投票させて15人とか6人とかがとおってくる大学もある。また、まず部局長級で選考委員会をつくり、候補者を3人選んで、そこから投票させる。最初、第1投票で選んで、第2投票をセレクティブに5、6人とって投票する。普通だいたいそれをとると思う。したがって、2とおりある。 | |
○ | 両方のやり方があって、例えば、候補者が決まってから投票するということであれば、この案ではそれは排除していないわけである。必要に応じて学内者の意向の聴取の手続きを行うということになっている。 | |
○ | 学内者の意味であるが、ほんの一部のボードメンバーの意味で使っているのではないのかと思いつつ、これは全構成員をいっているのか、質問はそこである。 | |
○ | これまで私は、この問題については基本的な運営組織がどうあるかということと、学長選考のやり方はどうなるかということは密接に関連するという発言をこの会議でもしてきたわけだが、先程の説明にもあったように、今度の新しい学長には、教育研究の識見と優れた経営能力の2つの資質が要求されている。そして、大学の運営組織としては、前回だいたいこんなところではないかということで、主として経営面を審議する運営協議会と、主として教学面を審議する評議会というものを並立する格好でもっていったらどうか、という方向にだいたいまとまりつつあると思っている。そうなってくれば、当然のこととして理論的には、学長は両方の能力が要求されているわけであり、両方の組織から委員が出て、そこで相談をして選考するということが、ごく普通のやり方であると思う。実態から言えば、運営協議会というものは全員が学外者ではない。学外者が半分と学内から出ている役員とが半分ぐらいの感じになっているわけである。評議会のほうは、学内者だけということであり、両方から委員が出れば四分の三は、学内者の意見になるのかもしれない。そこはよくわからないが、委員の選考の仕方によると思う。したがって、そういったことも念頭に置きながら考えて論理的に整理すれば、私としては案の3がいちばんわかりやすく、皆が納得しやすいやり方ではないかと思う。学内での意向の聞き方というのは、いろいろなやり方があり得ると思うので、それはそれで工夫すればよいのではないかと思っている。 | |
○ | 教特法の学長の選考に関する書き方についても、別に選挙がどうとは書いていないわけである。その書き方でいいわけである。 | |
○ | 学長選考についても非常に重要なところであると思うが、今のご意見については、私はかなりの部分一致するところがあるが、前からこの問題については、少し意見が違っていた。やはり、国立大学が今後どういうふうに変わろうするのか、現状ないし従来の国立大学から根本的に生まれ変わろうとしているのではないか。またそれが必要であると思う。確かに、特に人文社会系の単科大学などにおいては、学長選考というのは非常に面倒なことがある。しかしながら、こういうかたちで選挙によるというのは非常に問題が多い。どういうところに問題が多いかというと、一つには一種の人気投票になってしまうということである。 もう一つには、どうしても大きな学部なり大きな単位の票が左右するということである。したがって、大学の運営そのものが今後生まれ変わる国立大学としては、ここは思いきって変えなければいけないと私は思っている。現に、諸外国の大学で、こういうかたちの選挙で選んでいるというところは、非常に少ない。この間も、ユーマップのオーストラリアの責任者でラトュル大学の学長は、7年間契約でこの間までほかの大学の学長をやっていた。学長として契約で7年間は何でもできる、もちろん独裁するということではないが、学長のリーダーシップとしてやれるのだという例である。また、私の親しい友人であるが、カリフォルニア大学のサンディエゴの学長が、カリフォルニア大学全体の学長になった。これも選挙などではやっていないわけである。まさにカリフォルニア大学サンディエゴにおける実績を評価してUC全体のリージェント、そのプレジデントになっていくプロセスは、決して選挙ではないのである。まして今までのように、助手から全部が投票権を持っている。しかもこの選挙は、本来、投票するなら教員だけではなくて職員も、あるいは場合によればドイツが行っているように、学生にも権利があってもいいが、日本の場合はとにかく教員だけが、場合によれば助手までいれた形で選挙を行うわけである。そして、学長が候補になるプロセスというのは非常に曖昧で、不透明で、なんとなく一割の得票をとった者が候補になっていく、というようなプロセスが多いと思う。こういう形になれば、本当に適任者を学長に選ぼうというプロセスがすっぽり欠落してしまっているわけである。やはり、本当に国立大学が生まれ変わろうとしたら、場合によっては非常にふさわしいなら外国の人が学長職になってもいい、外国人でもいい、そういうような状況ができるようなものにする必要がある。もちろんそれは学長が私的にやってはいけないわけだが、そのために、今後は外部評価や大学間の競争が入ってくる。そして、いいかげんなことをやっている大学は当然、淘汰されるわけであり、そういうことを考えると文部科学省の思案の中に、「選考する場合には」という及び腰のようなことを書くからかえっていろいろ混乱するのであって、今まで私共が議論してきたのは国立大学が生まれ変わること、学長がリーダーシップをとること、そして経営と教学が一体となって光り輝く大学という方向で進めてきたわけであり、それはやはり今までの、多くの国立大学がとっていた選挙というプロセスを根本的に変えない限り、国立大学はなかなかよくならないと思う。混乱も一部生じるかもしれないが、現場との対話や混乱も覚悟のうえで乗り切らないと、生まれ変わらないのではないかと思っている。 |
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○ | せっかく法人化して大学の長を選ぶわけであるため、教官が候補者を選ぶということは良いと思うが、やはり今までのような選挙で人気投票のような形になるということでは、法人の運営というものはあまりうまくいかないのではないかと思う。したがって、今までのような人気投票というものは、やはり慎まなくてはならないのではないかと思っている。 | |
○ | 従来の方法がまちがっているとは言わないが、全学で助手までならまだよいが、学生までいれてやっている選挙もあるわけである。たしかに人気投票という面もあり、まずい面もあるわけである。この際、国立大学が独立した法人に変わるわけであるため、スタイルが全部変わったと、思いきりやらなければ永久に駄目になってしまうと思うので、私はある一定の選考委員会で、選考してやるべきではないかと思う。 | |
○ | 私も選挙が必要であるということを言っているわけではなく、現実として選挙を行う大学もあると思うので、その場合には大学に任せたほうがいいのでは、という意味で申し上げた。私自身は、やはり選挙ではなく、選考委員会で絞って出てくるのが筋であると思っている。 | |
○ | 学長選考というのは、本当に大事なことであると思うが、私の経験からしてみてもいろいろ考えるところがある。今後、国立大学がこう変わるのだという時に、やはり学長の選考のところも民間の方々をいれた方法をとるということが、基本的に大事なことではないかと思う。教授会あるいは投票ということになれば、先程からご意見が出ているように、どうしても大きな学部の意見が強くなる。それが本当にいいかどうか、ということを考えることが必要であると思うし、学内からの選考ということがかなり強くなってくる。運営組織の中に学外者をいれた運用をするということになれば、この選考の中にも学外者が入って選考するということが必要になるのではないかと思う。したがって、教員あるいは構成員の意見を聴くという方法はいろいろあるとは思うが、原則として運営協議会が行うというのがひとつの方法であると思う。中には当然、教員も入っているわけであり、そういう方法がいいのではないかと思うし、また、両方から委員を出して選考委員会をつくる。もちろん評議会あるいは運営協議会の意見を聴くという方法は、その中にいろいろいれられるだろうと思うし、いれたらいけないということはないわけであるため、そういう方法をとればいいのではないかというように思う。 | |
○ | 私は、今までの国立大学の学長が、それほど不適任な方が選挙で選ばれているとは全然思わない。また、大きな学部の意向が、ということであるが、そういうことであれば私などは学長になれなかった。必ずしも大きい学部がということは、選挙を行っても、それぞれ先生方は良識をもって投票していると思うし、だからこそ50年間定着してきたと思う。その意味で、別に選挙を行うと書く必要はないが、選挙方式を否定する必要はさらさらないと思う。むしろ、全学の意思を決して、ということがあるとすれば、自分たちの関与しないところで、頭がどこかで決まったということは甚だ好ましくないと思う。 | |
○ | 社長の選び方というものは、民間会社においても、今、非常に問題になっている。これは、非常に透明性が問われているし、日本の場合は社長が次の社長を指名するということで、今、コーポレートガバナンスで、何もアメリカ型がすべていいといっているわけではないが、外の人をいれた選考委員会というものをつくって、そういうひとつの客観的な評価というものをいれていこうということである。民間会社も方向としてそういう流れに徐々になりつつある。したがって、私の見方から言えば、大学の独自性や改革というものは、それこそ外部の目というものを上手にいれながらやっていくとすれば、選考過程において大学関係者、運営関係者と外部の方々とが加わった過程における透明性というものが担保されなくてはならないのではないかと思っている。そうすれば、運営協議会か3番目の学長選考委員会というものがあり、例えば、内輪だけで行えば当然、中の人たちだけを重点にした傾向にいくわけだが、もっと各大学が競って最優良な学長を広く探すということも大学間の競争なのではないかと思い、どちらかというと運営協議会、あるいは学長選考委員会がこの両者が入ったそういう過程というものが工夫されているのではないかと思う。したがって、選挙をやるのかやらないのか書いてなく、我々は、いったいどういうふうに選挙というものが行われているのかわからないが、何人か立候補し選挙を行うということは、これは大変なことなのだろうと思う。かえって、先程から出ている独自性や改革という視点をむしろ阻害する要因にもなるため、例えば、信任投票とし、しかしそれは過半数というよりも三分の一以上が反対であれば、やはりこれは大学として考えなくてはならないのではないかと思う。こういう総意の作り方も工夫としてはあるのではないかと思う。どういうやり方がいいかわからないが、いずれにしても選挙をやるのかやらないのかということを大学に全部任せるということは、かえって混乱のもとになるのではないかというように受け止めた。 | |
○ | 結局法人型でこうやるということになってくれば、アメリカなどの例が出てくるわけだが、その場合にボードオブトラスティズは運営協議会なのか、評議会なのかと言えば、どちらかというと運営協議会であると思う。そうすると、アメリカ型であれば、この案の1で決まるということになる。しかし、おそらく日本の場合には、この運営協議会だけで選ぶというような形になるとなかなかそうもいかないと思う。やはり、その国の一種の社会的なバックグラウンド、文化というものがあるので、案の3であっても一向に差し支えないと思っている。むしろ、案の3のほうではないかと思っている。しかし、いちばん大事なことは、選挙人の範囲ではないかと思う。例えば、早稲田大学の場合には、かつては助手まで入っていたが、今は助手は完全に排除している。また、職員も入っているが、職員の場合には、採用されて1年の方がいきなり行うというのはおかしいということで、教員の場合を考えてみれば、平均就職年齢は34から35歳であるということになってくるとそれに近いようなキャリアを積んだ者でなければならないということで、就職後7年のキャリアをもった職員しか投票権はないという形で行っている。決してこれがいいと申し上げているわけではなく、ひとつの考え方の参考である。要するに、選挙人の範囲をどのあたりにするのか。つまり選挙人を0ということも、この学長選考委員会で決めるということもできる。信任投票という時にはその投票者の範囲をどこにするか、これで選ばれた候補者について投票するとすれば、その投票の範囲をどこにするかということであると思う。結局そのところに、現実問題としては絞られざるをえないというふうに思っている。 | |
(5) | 事務局から、資料6『今後の大学共同利用機関の在り方等について(報告)』について説明があった後、以下のような意見交換が行われた。 | |
○ | 総合研究大学院大学との関係との関係について、やはり大事であると思うが、なにか具体的な提案というのはあったのか。 | |
○ | 大学共同利用機関は、総研大の基盤機関というものになっており、我々が各専攻になっているという状況である。我々のところは本来研究所であるが、研究所の最先端の研究の場で教育も行うということが非常に望ましいということで、博士課程を置いているわけだが、この体制自体はぜひ続けていきたいということが全員の一致した意見である。ただその場合に、総研大というものは、国立大学法人の一つになるわけであり、大学共同利用機関は国立大学法人の一つの形ではあるが、かなり違う形の法人がそこに存在するということである。その間の関係をどういうふうに整理するかということは、法律的な問題も多分絡んでくると思うので、事務局からご説明いただければと思う。 | |
◇ | 大学共同利用機関は、研究の進化、発展に伴ってできた日本独自の類型である。一番最初に出来たのが、筑波にある高エネルギー加速器研究機構である。これは、もともと東京大学の中にそういう研究組織があったわけだが、東京大学の中では不自由で、全国の英知を集めて研究しよう、しかも大きな加速器というファシリティでもって日本の英知を結集し、かつ外国からも研究者を招聘して取り組もうということでできたのが初めてである。名前にあるように、特定の大学を越えて国公私を含めた英知を集めようとする機関であるが、大学コミュニティの中であるため、同じような人事等の仕組みがあるわけである。他方で、学位授与権というものは、国際的な常識として大学のみが行うことのできる権限であり、立派な研究所ではあるのだが、大学でないために、教育を受けるということよりは、研究しながら先生方の指導を受け、博士論文を仕上げていくという立場であるため、せっかく大学院生がいっても学位がとれないということで、総合研究大学院大学という大学がつくられた。総合研究大学院大学の実際の研究者は、それぞれ大学共同利用機関の先生方であり、学生もそれぞれの研究機関にはりついているわけである。そこで研究指導を受け、学位を総合研究大学院大学で授与するという仕掛けである。その後、USでは、ご承知のように伝統的な大学のほかにポリテクニックというものが、日本でいえば高専のようなイメージだが、そういう教育機関があり、その卒業生に学位が授与できないということで、学位授与機関というものがイギリス独自に発達した。その後イギリスでは、ポリテクニックも大学に昇格し、学位授与権が与えられるようになったが、日本でも高専や短大を卒業し、一定の勉強を積み上げた方に、学位が必要であるということや、あるいは各省の大学校があるが、防衛医科大学校においても、まさに学部と同じような勉強をしているので、そこを出た方にも学位を授与すべきではないかということもあり、大学以外の機関に学位を授与する一般的な仕掛けとして学位授与機構、今は、評価も加わったので、大学評価・学位授与機構というものができている。大学共同利用機関は、総研大との関係が学位を授与する観点から必要であるが、大学共同利用機関の重要性や必要性というものは、今後、にわかにはなくならないと思うので、そういう機関の存続を前提として、かつ若手の研究指導あるいは育成を図りながら、学位を差し上げる仕組みというものは必要なわけであり、総研大をやめて学位授与機構で行うということにもいかないのだろうと思う。そうすると、総合研究大学院大学の必要性というものは今後もあるわけで、問題は今まではそれぞれが必ずしも法人格がない中で、特別会計全体の中でお金のやり取りを調整していたものが、それぞれが法人格を持てば、入学料どこにいれるのか、先生方が外部から奨学寄附金をもらった時に研究所に全部入って、総研大に収入がないとなれば大学として立ち行かないということになる。それぞれ法人格を持つにあたって、どういうルールをつくっていくかということがポイントではないかと思う。法制的に法人格を持つからもういらないとかいるという話では多分なく、先程のような大学共同利用機関の研究所というものを教育上の必要性から考えていけばいいことではないかと思っている。 | |
○ | 両方が法人になった場合に、大学共同利用機関と総研大がより密接に協力できるような態勢をつくっていただきたいと思う。 | |
○ | 大学共同利用機関について、こういった結論が現段階で一応出たというわけだが、これからの運びはどうなっていつごろ全体の方向が出てくるのか。国立大学の法人化の動きとの関連を考えると、そうゆっくりとやっているわけにはいかないだろうと思うが、その辺のことを教えいただきたい。 | |
◇ | ご質問の主旨は、現在、この場で検討されている国立大学法人の制度案とそれから大学共同利用機関の機構をつくるという意味では、統合のような話がどうリンクし、どう整理しているかということであると思うが、制度論としては、現在でも大学共同利用機関には機構という仕組みがあり、これは高エネルギー加速器研究機構と岡崎国立共同研究機構であるが、研究所がひとつの機構の中にあるという形態がある。したがって、大学共同利用機関といっても単独の研究所である場合と、機構である場合の2種類あるわけである。今回、制度論としては当然機構というものもこの中間報告等でふれられているように、機構を法人にしていくというスキームが既にある。したがって、機構は研究所の数が増えていくとお考えいただければ、現在の制度論の中で、いわば大学の統合のような話というように整理がつくのではないかと考えている。もちろん多数が集まることによって、法人内部でさまざまな工夫をしなければならない面はあると思うので、その部分についての議論は、審議会で工夫していくということになるかと思うが、制度論としては、3月の最終報告の中に記載していただくということになると考えている。最後に、審議会における検討については、今後の法人化の法案作業あるいは15年度概算要求等もにらんで、今年の夏ごろを目途に基本的な方針をかためていただく必要があると考えている。 | |
○ | 社会主義国において、社会科学院であるとか、自然科学院をもっており、その中にはたくさんの研究所があり、ものすごい巨大機構であるということは、皆様もご存知のとおりである。そして、こういうところがロシアにおいても中国においてもどんどん力を失ってきている。かつては最高の研究機関だったものが、大学におされている。なぜかというと、大学は次々と新しい若い知が通過していくところであり、やはり、そういうことによって活性化するわけである。したがって、私はこういう大学共同利用機関等の存在というものは、非常に高く評価しているが、どうしてもそういうところで学生を育てたいということがあるように、そうしなければ現実に活性化しないのである。また、ドクター課程の学生がいなければ、現実に先生たちだけ集まっても研究ができないというのが実態であり、そういうことから考えれば、私はむしろ、こういうものはすべて研究大学院大学として整備するというような基本的な方針の下に、この在り方をお考えになるのがいいのではないかというように思い、発想を転換するのはどうかと思う。こういうものを置いて、それに大学院の機能を少し付与するということではなく、むしろこれがこれからの大学院大学である。そしてそこへ共同利用機関としての機能を付与するという発想の転換があっていいのではないかということが私の結論である。 | |
○ | 大学共同利用機関のほかに、全国には大学の附置研でありながら共同利用機関としての規模がかなり大きいところがたくさんあるわけである。それをどういうふうに考えるかということも、ぜひお考えになっていただきたいとういうことが一つである。もう一つは、それぞれの必要に応じて、こういう大学共同利用機関ができたのだが、社会のニーズというか、新しい時代にそうした必要な学問というものが、規制の枠であればと取り入れられない。私の専門に近いところで言えば、デモクラシー、人口枠などはものすごく必要であるが、大学共同利用機関がこれだけあり、国立大学が99あって、アジアや中国の人口がどうなるか、そういうことを研究している人というのは、私の知る限り誰もいないと思う。こういうようなことをひとつとっても、新しい学問分野が積極的に取り入れられるような、同時にノーベル賞受賞者は、やはり自分で学生を持っているというところに新しい知見の意味があるので、学生を持たずにこのような研究機関だけがあるということ自体が、学問の在り方として根本的に問題があるのではないかと思う。その辺も含めた検討が必要ではないかと思う。 | |
○ | 大学共同利用機関としては、国立大学等、その他の研究機関との関係というものが非常に重要であると思うからこそ、この調査検討会議でぜひ外の方も含めた議論をしていただきたい、ということを申し上げた。また、もう1点は、大学共同利用機関の研究所長の懇談会としての統一的な見解は、機構としても合理的な運営ができる、ということがこの科学技術学術審議会で明らかにイメージが出てくるまでは、やはり今までの個別法人化ということを基本路線としているということが我々の考えである。したがって、これが最終報告で間に合う形でできるかと言えば、非常に難しい問題であると思うが、しかし、最終報告の中に上手にそれを書き込んでいただければありがたいと思う。こういうことが検討され、検討如何によっては一つになり、本当に日本全体の役に立つものになるという、そういうことを目指すことができるのかどうかということが、我々だけでは決められないということが結論である。 | |
○ | 今まであまりディスカッションされなかったが、財政の細かいことが何もわからないので、何とも言いようがないという声を多く聞く。財務会計制度委員会としては、今の流行の言葉でいう骨太のことはおおまかにいれてもらっているように思うが、確かに若干言葉の点であまいというようなところもある。しかし、多くの先生方の意見で、大きい大学はいつまでも大きい、小さい大学はいつまでも小さいというシステムでは困るということを言われているが、私としても、小さなところも自己努力し、一生懸命やるならば余剰金の活用などによって、大きいところをしのぐようになれるということこそ本当の競争であろうということで、そのような制度設計になっていると思う。しかし、運営費交付金の積算方法や根拠などは細かくは示されていない。この間も他の委員会で国立大学の教授から、基盤経費、積算校費は必要ない、全部競争的資金にまわして国公私立で競争できるようにして配分してはどうか、というような意見が出た。しかし、積算校費の55%ぐらいは、それこそ光熱費、清掃その他に使われている。したがって、私としては、それは絶対なくてはならないものであると考えている。その後、ノーベル賞をもらった白川先生が、本当に自分の研究費の中で自由になったのは、積算校費だけであった、というようなことを言っているので、少しは助かったと思っているが、そういうところが運営費交付金の積算方法という形で最終報告案に盛り込まれるのかどうかお聞きしたいと思う。 | |
◇ | 運営交付金の積算方法については、中間報告において特定運営費交付金と標準運営費交付金を用いるとか、標準運営費交付金については、標準的な収入と支出の差額を交付する、ということが書いてあり、その範囲内で、今、事務的な検討を行っている最中であるが、文言自体を最終報告までにさせに具体的に書き込むというところまでは困難ではないかと思っている。 | |
5 | 次回の日程 | |
次回は、2月21日(木)に開催することとなった。 | ||
以 上
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