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国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議

2000/12/14 議事録

国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議 「組織業務委員会(第6回)」議事要旨


国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議
「組織業務委員会(第6回)」議事要旨


1  日  時  平成12年12月14日(木)14:00〜16:00

2  場  所  東海大学校友会館「阿蘇の間」

3  出席者
(委  員) 阿部博之(主査)、阿部充夫(副主査)、石井紫郎、石川水穂、板橋一太、大沼 淳、北原保雄、小早川光郎、田中愼一郎、長崎暢子、廣中平祐、馬渡尚憲、渡邉正太郎(副主査)の各委員
(関係者) 住吉昭信、町田篤彦、山崎稀嗣、吉原經太郎の各関係者
(文部省) 工藤高等教育局長、遠藤学術国際局長、清水高等教育局審議官、井上学術国際局審議官、合田大学課長、清木研究機関課長、杉野大学改革推進室長    他

4  議  事
(1)開  会

(2)主査から、第5回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、12月20日(水)までに意見があれば事務局まで連絡の上、修正し、文部省のホームページで公開することとされた。

(3)作業委員に小早川委員、馬渡委員、浦部委員がそれぞれ選出された。

(4)事務局から、資料について説明があり、以下のような意見交換が行われた。
   (○印は委員及び関係者の発言、◇は事務局の発言)


    「高等教育・学術研究の将来像を考えるにあたって大学共同利用機関が具備すべき要件」(平成12年4月14日  大学共同利用機関所長懇談会)は、昨年4月の閣議決定では、「大学共同利用機関等については、他の独立行政法人機関との整合性の観点も踏まえて検討し、早急に結論を得る」とされたことを踏まえ、大学共同利用機関所長懇談会で行った議論のエッセンスを取りまとめたものである。ただし、あまり具体的な書き方をしていないため、現在、大学共同利用機関所長懇談会としては、さらにブレークダウンしたものの作成を進めており、年内ぐらいには出来上がる予定である。

    大学共同利用機関の管理運営組織は、対外的に相当オープンなシステムになっている。
   評議員会は、その構成員の全員が外部の者であり、ある所長が自分の仕事は評議員会に対して責任を負っていると発言したことを今でも良く覚えている。
   また、運営協議員会は、ほぼ外部の者と内部の者が半々の21名で構成されており、非常にオープンに議論を行い人事などを決めている。
   このような管理運営組織の在り方は、今後の大学のことを考えるときにも参考になると思う。

   大学共同利用機関の中でも分野によって違いがある。
   大きな設備を共同で使用するなど研究者のコミュニティーに開かれていなければならない性質を持つ理科系の大学共同利用機関では、評議員会、運営協議員会以外にも、共同研究や次にどのような大型のプロジェクト研究を行うとかいうところに至るまで、本当に研究者コミュニティーの代表者が集まって議論している。そのような日常が普段からあり、その上に評議員会、運営協議員会が機能している大学共同利用機関は、人事の交流も激しくフレッシュな雰囲気があると思う。
   しかし、文科系の大学共同利用機関では多少事情が異なり、外部から参加している委員の参加意識などにも温度差があることは否定できない。その辺をどのように考えていくのか、改善しなければいけないところがあるのではないかと感じる。

   時代の要請に応じて大学共同利用機関が設置されたとすると、世の中はどんどん変化していくわけであり、その時代に対応した運営や財政処置の在り方は誰が決めているのか。

   大学共同利用機関を設置する際に、例えば、特に大型のプロジェクト研究を実施する場合は、国際競争、国際共同という観点から個別の大学の研究所だけでの実施は難しい。したがって、他の研究所と統合するなどして大きな組織として独立し、基本的にはその独立した大学共同利用機関を中心に運営協議員会、評議員会、あるいは各プロジェクト研究チームなども含めそこで十分議論しながら推進をしていくものである。
   お尋ねの必要な組織を設置し、必要な予算を措置するというようなことは、文部省が常に大学、研究所、研究者から話を伺いながら予算要求を行っているところである。

   宇宙科学など巨額な財源を必要とするものなどの将来も含めた適正な研究規模というのは、各大学共同利用機関はもちろん立案するであろうが、その承認は科学技術庁など関係省庁の1つの政治的な意思決定を伴うものなのか。

   大学共同利用機関は国立の直轄の機関であり、現在の仕組みの上では文部省が概算要求を行っている。
   ただし、個々の分野により若干の違いはあるが、例えば宇宙科学に関しては、宇宙科学の全体を眺める場として宇宙開発委員会というものがあり、そこで大学共同利用機関である宇宙科学研究所で行う研究と科学技術庁の宇宙開発事業団で行う開発研究とを合わせた全体の政策を立て、それに基づいて推進するという仕組みになっている。

   これからの大学、大学共同利用機関における研究をどのように進めていくか、どのように資源配分していくか、それが日本の学術研究の発展に1番良いことなのかということは、どのようにして誰が議論し決めるのかということは1番重要なことである。

   どの分野でどのようなことを行っていくのかということなどは、学術審議会で大きな方針を立て決めていくというのが大前提である。

   大きなプロジェクト研究や重要な分野については、学術審議会の中に宇宙科学、原子力などの分科会がありそこで検討を行っている。そこでは、例えば大学共同利用機関だけでなく、各大学の附置研究所の在り方も含めて議論を行っており、その議論、調査、検討の結果を文部大臣に答申など様々な形で伝え、それが前提になって推進されている。

   本年12月1日の行政改革大綱などでも使用されている「大学共同利用機関等の独立行政法人化」という文言の「等」とは何を指しているのか伺いたい。

   国立学校設置法において大学共同利用機関と並んで類似の機関として規定されている大学評価・学位授与機構、国立学校財務センターが念頭に置かれていると受け止めている。

   大学共同利用機関は、国公私立大学の教員が利用するということになっており、その点から考えると国立大学と多少異なるのではないかと思うが、これは何か制度設計に関係してくるか伺いたい。

   評議員会、運営協議員会の構成員には、必ずその分野の私学の教員が参画しており、また、共同利用研究員などいろいろな形で私学の大学院生などが常時多数いる研究所も多く、数の点は別にしても、私学関係者との接触という点で、国立大学とは若干異なる点もあると思う。
   参考ではあるが、大学共同利用機関は、発足当時は「国立大学共同利用機関」という名称であったが、私学に開かれているという点から考えると名称がおかしいのではないかということもあり、平成元年に現在の「大学共同利用機関」という名前に変更したところである。

   非常に細かいことではあるが、大学共同利用機関の収入に関して「博物館の入館料を除き、授業料、病院収入等の経常的収入が見込めない」とあるが、その博物館の入場料も当該博物館の歳入の1%以下である。

   前回も発言のあった男女共同参画の観点については、組織業務委員会よりも人事制度委員会の課題に大きく関わるので、事務局を通じて組織業務本委員会の問題意識を人事制度委員会にきちんと伝えてもらうこととしたい。

   教員組織と事務組織という論点、あるいは開かれた大学の自治ということに関わることであるが、前回も国立大学の事務職員は大学の自治の担い手となり得るかという意見があったが、国立大学において事務職員が大学運営にどのような役割を果たすべきかについては、事務職員が国の行政職員の一部として位置付けられていることから、事務職員に大学運営に対する発言権を与えれば、大学の自治が侵害される恐れがあるという観点から消極的な意見がある。
   また、事務職員は、教授会あるいは評議会で決定された事項の執行に当たることが職務であるから、意思決定に関与する必要はないのではないかという意見もある。
   以上のようなことから、事務職員の大学運営に対する関与については、各大学で消極的に取り扱われるようだが、これから大学が仮に法人格を持って独自に社会的な責任を果たし、色々な意味で経営責任も果たしていくことになると、果たして今のような教員組織と事務組織の関係で良いのかが問題となる。
   教員組織と事務組織は、車の両輪であるとスローガン的にしばしば言われるが、大学運営に関する事務職員の権限は必ずしも明確に規定されておらず、実際にも明確に位置づけられた運営が行われていない。
   教員組織と事務組織がこれから良きパートナーとして大学の運営に関与するための良いシステム、具体的には、両者の権限関係をある程度明確化していくことが必要ではないか。

   前回までの議論で「学内者」と「学外者」という観点が出てきたが、事務職員は「学外者」でもなく、他方、「学内者」は教官のことを指している印象が大変強いように感じる。
   今後、1つの法人として運営していくのであれば、事務職員は法人の職員の1人でもあるわけであり、事務系に練達した人間に学内である程度の位置付けを与える必要があると思う。
   また、これによって、従来のような形での文部省を中心とした事務職員の全国的な人事が行なわれるようにはいかなくなるだろうと思われ、この点も含め、「学内者」として、すなわち法人の職員としての事務職員という位置付けの在り方についてきちんと考えていかなければいけない。

   今までは、事務職員の異動が頻繁に行われたことにより、地方大学に定着して大学のために働くという考えが事務職員にあるかどうかが見えてこなかったために、教官組織の方も事務組織を多少軽視するといった方向があったことは事実ではないかと思う。
   しかし今は変わってきており、例えば、附属病院では事務職員が働いてくれないと病院組織は全く機能しない。
   附属病院と大学とはかなり性格は異なるが、附属病院の運営は事務職員に大きく頼っているところがあり、独立行政法人化によって経営という観点が加わるということになると、事務職員に経営の観点の半分以上を担ってもらわないといけない状況になると認識している。
   したがって、事務組織の経営に関する関与という点はきちんと明確化していく必要がある。

   事務職員及び事務組織の在り方というのは非常に重要であり、その中で一番大事なことは、良い人を採用できることと、良い人をつなぎ止めておけることである。
   このような観点で考えていくと、国家公務員型の独立行政法人化はある意味で障害になるのかもしれない。
   例えば、非常に有能な経営的センスを持った非研究者を外部から採用する場合、多分国家公務員型では、その者に支払う給料について、一定の制限が科されるのではないかと感じている。
   これでは、良い人を採用できないわけであり、サッカーチームのように良い選手は何十億円支払ってでも採るというようなくらいのことでも考えないといけない。
   問題は、これは研究者も含めてであるが、1つの法人の中で一方は国家公務員型と、非国家公務員型を並立させる形態があり得るのか、国家公務員型であるということに固執するのかしないのかなどの点についてきちんと説明を受けないと検討が進まない。また、ある意味でこの問題は、組織業務委員会で議論しても仕方がないことであり、全国の国立大学の事務系の職員の意向で相当話が変わってきてしまう深刻な問題である。

      事務職員の問題は、普通の民間会社で考えると非常に重要な問題である。 結局、独立行政法人化は、研究や教育の質を上げるための競争と透明性と効率性を兼ね備えた大学運営を目指すということである。このため、大学経営や病院経営について専門性を高めていく必要がある。例えば、大学の電子化に関して、アウトソーシングも含めて有能なシステムを大学自身が作っていくことなどである。
   大学そのものの電子化は、透明性と効率性あるいは教育への情報の活用というものを高める必要があり、そのためにはやはり事務職員のリスペクトがないといけない。
   大学で偉い人は研究を行い教育を行う人だという概念を改め、事務職員も同等にしなくてはいけない。
   また、教育というのは、甘やかすという意味ではない学生に対するサービス、学生に対する教育の能率性を上げるためのサービスの観点が重要であり、そのための電子システム開発を含めて、大学運営が効率良く、優秀かつ少ない事務職員で行えるようなシステムが独立法人化の問題と合わせて考えられるべきである。

   公務員型といった時に、これがどういうものなのかについてイメージが各委員によってそれぞれ違うと思う。
   今までの国立大学のように2年、場合によっては1年で異動するような形のものであるなら、全然話にならない。
   例えば、地域の特性から見た病院経営と考えると、充分に職務内容を把握した事務職員が長期間いた方が良いが、他からも採用したいという意見もある。
   公務員型というものが一体どういうものかというイメージがわいてこず、ただ給料だけが国から支給されるものと思って良いのかどうか、公務員型というのは一体どういう形なのか明確化していく必要がある。

   事務職員に対するリスペクトに関する意見があったが、現状の事務職員に対するリスペクトは30年ぐらい前と比べると非常に違ってきている。それだけに実力のある事務職員と必ずしもそうでない事務職員との差が出てきているということがあり、実力のない事務職員には快適でないと思われる状況も出てくる。
   各大学でも相当本気になって自大学のために頑張っている事務職員が増えてきているような気はするが、民間企業に比べると今指摘のあった色々な問題への対応は、現在、過渡状態ではないかと思う。

   事務職員が公務員の場合、事務組織は行政組織の一環として動いていることは、公立大学も国立大学と同様である。
   公立大学の場合、約3、4年位で事務職員の人事異動が行われ、その間に大学の教育や管理運営に参画しようとしても、それは一時的なものになってしまい結果として参画できないこととなる。
   また、先ほど学生に対するサービスという意見があったが、別の言葉で言えば、これまで教員が学生に教えるという形、教室でいかに伝えるか以外のことは考えられてこなかった。 この点はやはり変えなくてはならず、学生自身が自分で学習していくという場に変えていく必要があり、それは教員だけでは絶対に出来ないものである。
   この点で事務職員がどのような役割を果たせるかは、私学の状況を見るとかなり明確になるのではないか。
   さらに、管理という面から見ると、私学の場合、より専門性の高い内容について、勉強しており、そうでなければもう大学を運営していけない状況になっている。
   教育、研究、管理運営、社会的なサービスなどすべてを教員が行うことはできないと考える。すなわち、教員だけがプロパー、オールマイティーではなく、事務組織も含めて機能分化していかなければこれからの大学の運営は行っていけず、それを具体的に検討すべきでないか。

   事務と言わずアドミニストレーションと言った方が良いのではないか。

   文部省による人事異動が頻繁に行われるために大学が良くならないというのは、課長以上の異動に関するものであり、課長補佐までの職員は、原則採用されてから定年になるまで当該大学に勤務することになる。 また、課長補佐以下の事務職員の任命権は、学長が持っている。
   実際の事務職員の人事は、全て事務局が調整を行っており学長の任免権は形式的なものになっているが、そこをしっかり行えば、教官も事務職員も学長が任免することになるわけである。
   したがって、何か事務職員と教官が別のように見えるのは、現実がそのように運用されているからであって、制度的にはもう少し上手に行えることもある。
   良い事務職員を採用するのは学長の責任であり、しっかりと行おうと思えば行える制度になっている。

   事務局に伺いたいが、公務員型の独立行政法人の場合、その職員には現在の国家公務員と比べてどれだけ違う弾力化の可能性があるのか。

   公務員型の独立行政法人の職員は、国家公務員の身分を持つが、現在の国家公務員とは少し異なり一部が弾力化されることになる。
   変わるところ変わらないところの主な点を簡単に説明すると、採用については、原則として国家公務員試験合格者から採用するということは変わらないが、今よりは法人の長の採用できる枠を広げる方向で検討したいと人事院は言っているようである。
   人事権については、独立行政法人通則法によれば各法人の長、すなわち学長がすべての人事権を持つということになる。したがって、係員から事務局長に至るまで学長が人事権を持つということになるので、現在、文部省が行っている事務局幹部職員の全国人事異動は原則に立てば行えず、むしろ学長自身が判断し学内で人事を行うことになる。
   給与については、現在、国が給与法により給与を決めており、これについては教官も同様であるが、独立行政法人化後はこの法律の適用は除外され各法人ごとに給与の基準を定め、1人1人の事務職員の能力に応じてしかるべき処遇をはかるということも各法人の判断で行うことが出来るようになる。
   加えて、労使交渉の結果の協約締結権が認められる点が、現在の国家公務員とは多少異なってくるところである。

   給与に関してはどのくらい弾力化されると推察して良いか。

   まだ前例がないが、制度の仕組みとしては明示的な縛りはなく、独立行政法人通則法では一応訓示的に、従来の国家公務員の給与などその他の状況を考慮しなければいけないということが規定されているのみで、要は各法人の判断で行うことができることになる。弾力的なことを行うことについては、労使交渉の結果を踏まえ出来るか出来ないかについて全て法人が判断することになる。

   独立行政法人化後の事務職員の人事異動の問題、特に上のクラスの人事異動ということを考えると、各法人の長がそれぞれ権限を持って行うのだから、例えば、東京大学の事務局長をどうしても採用したいということであれば、自大学の学長が東京大学の学長と交渉すれば良いという方法が普通なのかもしれない。
   しかし、そのような方法では恐らく全国的な人事異動はうまく行われないので、何か仕組みというもの考えていかなければいけないのではないかと感じている。この点について何か考えがあれば伺いたい。

     人事制度委員会でも議論されているが、規模が大きい大学と小さい大学では事務局長に限らず円滑な人事異動についての差があり難しいところである。
   法律で規定するか運用で行うのかは別として、人事制度委員会における議論でも広域人事は必要であり、そのための仕組みは何か考えなくてはいけないという方向になっている。
   また、人事などは労使交渉によって法人が決める自由があるが、問題は組合交渉によって人件費を研究費で賄うような状況になると大学運営が立ち行かなくなるということである。
   評価との関係もあるが、独立行政法人通則法のスキームでは、法人の運営のために交付金を交付するが、当該法人は、実際の使用状況として人件費の割合がどうか、何人雇用しているのかというようなことを毎事業年度報告することとなっている。これがチェック機能を果たし、実際あまりにも人件費の割合が高いようであると次回の交付金を交付の際にペナルティーを課すということもあり得る。

   独立行政法人制度では、人件費をどのように使っても違法とはならないが、使い方が適切かどうかは、主務官庁が判断するとした場合、判断基準として国家公務員型を選択すれば、公務員の給与体系にそれなりに影響を与えることとなるということは十分に想像できる。
   したがって、国家公務員型を選択した場合の給与に対する縛りというのは、事実上相当厳しいものとなり、良い人を他から採用することも非常に難しくなる。
   また、これは人事制度委員会で議論されると思うが、例えば、国際交流に非常に有能な英語の達人をどうしても課長に採用したいと考えても公務員試験に合格していなければ原則として採用できず、本当に適材適所で有能な人を集めようと考えた場合、何が必要であるかということを全て洗い出した上で、本当に公務員型を選択するのか、あるいは非公務員型を選択した場合に、日本全国で予定調和的に人事の配置を行うというような仕組みが維持できるのかといった観点から、ぎりぎりの選択になると思う。
   仮に、各大学で仲良く人材を分け合うという仕組みが良いというのであれば、多分、国家公務員型を選択することになるが、その場合は、各大学で有能な人を集めることができないという問題は覚悟しておかなければならない。
   これは研究者にとっても同じことである。ノーベル賞クラスの教官を2倍の給料を払って採用すれば、教官1人を学外に出さなければならないとか研究費を削減しなければならないなどの問題があり、そもそも国家公務員型を選択した時に本当にそのようなことが制度として可能なのかどうか疑問である。1人2人の採用ならば可能だが、規模が大きな大学でノーベル賞クラスの教官を20人も30人も採用するということになると、それは相当なひずみが生じるに違いない。
   このように様々な条件を考えると本当にぎりぎりのところ、今大学で働いている研究者やアドミニストレーションの関係者が国家公務員型と非国家公務員型のどちらが良いと考えているのかということを踏まえ、最後の決断を行わなければならない。
   それを聞かない前に、我々のような小数者で議論ができないのではないか。

   規模の小さい大学等では、地区内の人事異動により係長以下の職員まで3年で他大学等に異動している。
   事務についても、長く勤務している教官の方が良く知っているというような状況も生じており、このような短期間の異動を伴う人事が良いかどうかということは大変な問題である。

   事務職員がどのような役割を果たすべきかという問題を考えるときに大事な点として、国と大学、あるいは国と法人との関係がある。国の法人に対する関与にはどのような関与があるのか、逆に言うと、法人がどのように法人格を発揮できるかということが大事な点である。
   法人が独立して自主的に色々考え運営することができることになると、個々の大学における事務職員の役割が、単にこれまでのような国の大学に対する関与を前提として、国の方針を伝えるといったようなものになってはならず、事務組織として相当大学の運営に関与しなければ大学あるいは法人が成り立たない。
   事務職員の問題は、国と法人の関係がいったいどのようになるのかということと大いに関係することであり、まずはこの点から考えていかないと答えが出てこないのではないか。

   アドミニストレーションに求められているものは、情報の透明性と効率性である。
   1つのコンピュータで全国立大学の事務情報処理を行おうと思えばできるが、その中における人事の評価や給与の体系などは、各国立大学で当然異なる。
   しかし、物品の購入やロジスティック、学生へのカリキュラムの伝達などというものは、全国立大学が一斉にということではなく、関係の深い大学同士の事務職員が相談、協力して一番良い情報システムの開発とそれに伴う事務の合理化を行うことが必要である。
   コンピュータ関係や経理、人事の新しいやり方については、その経験者を民間から契約的な職員として採用するなどしてその構築を目指し、それが出来上がれば契約なのでいつまでも雇用しておく必要がないというやり方もあると思う。
   要するに、電子化ということ1つとっても、アドミニストレーションはもっと思いきって改善、合理化し、それによって生まれた資金を教育や研究に充てるというように、発想をもっとダイナミックして行った方が、実質的な得を取れるのではないかと思う。
   政府としても民間人をもっと雇用し、そのための給料は思いきって払うという流れになってきており、アドミニストレーションに関しては、国家公務員試験合格者から職員を採用するという規制は緩和し、1つの目的のために民間などから契約的な職員を採用し、アドミニストレーションの改善の知恵を借りるということを行ってはどうか。
   なお、国立大学の附属病院では、看護婦のマネジメントなど病院運営全体として良いかどうかは別問題であるが、民間よりも進んでいる病院経営のコンピュータシステムというのが部分的には出来上がってきているとの印象がある。

   事務職員は非常に大事であるが、技術系職員も非常に大事である。

   今日の事務職員の問題の議論は、人事制度委員会に伝える必要がある性格のものと、大学の自主性、国と大学との関係から事務職員がどうあるべきかというような、まさしく組織業務委員会で考えなくてはいけないことがあると思うが、きれいに分けることは出来ないので、人事制度委員会に関わることは事務局から連絡願いたい。

   他の委員会も含めた各委員の意見として「国がグランドデザインを描きその基で個々の大学が計画を立てる」、「国が設定する国の目標や目的に対して、大学はきちんと対応すべきである」、「国としての企画立案機能を前提としつつ、大学の企画立案機能を大切にすることが重要である」という趣旨のものがあり、これは、国が枠を定め、その下で大学が自由に運営を行うというニュアンスだと思うが、従来の政府主導で色々なことを行うことは全体としてどうなのかと問われている時代の中で、少しニュアンスが不適切なのではないかという気がする。
   もちろん国の役割、各国立大学の役割はそれぞれあるが、どちらかというと後者の方はボトムアップ的な、各大学の自主性、自発性が発揮できるようなシステムが大事であるということをもう少し強く論じる必要がある。従って、国と大学との間のバランスの良い役割分担について、もう少し丁寧に論じる必要がある。
   また、その場合、国の役割は何なのかということを明確にしてもらう必要がある。
   国立大学の側からすると、国の政策として国立大学はかくあるべきであると明確に言われることは望ましくないところもあるが、やはり国が大学を設置するということを国策として明確にしないと、国立大学としても国の政策目的・目標に対してどのように答えて良いのかについて知恵を働かすための前提が十分に与えられていないということになる。
   国として国立大学をなぜ設置するのかということを明確にせず、国がその時々の様々な短期的な政策判断によって色々なことを大学に要請し、関与してくるというようなあまり望ましくない方向にも行きかねない。
   したがって、国の役割が一体何であるか、なぜ国立大学を設置するのかということを明確にしてもらう必要があるということを論じる必要がある。

   国立大学の法人化を考える場合に、法人化にはどのような意義があるかという観点、例えば、自律性の拡大により研究教育の国際化の面が強化される、学生に対してのサービスが向上する、社会的な色々な貢献が広がるなどが考えられるが、その際には、法人化の意義と独立行政法人化の意義というものは一応分けて考えることが出来ると思う。
   法人化にはこのような本来的な意義があり、自律性の確立という点で意義があると考えられるとしても、独立行政法人化によってそれがそのまま実現されるとは限らないということがあるので、思考方法としては、国立大学の意義あるいは独立行政法人化の意義をより発揮させる、あるいは十分に発揮させる法的な仕組みは何かというように包括的に考え、例えば、非独立行政法人という形で考え、その中に一部独立行政法人というスキームを入れることもあるという考え方と、そうではなく、独立行政法人という枠の中で考えていくという考え方があると思う。
   国立大学の法人化には大いに意義があると思うが、その意義が国民的観点から見て国立大学を良くする方向に発揮されるための国立大学の法人化に最もふさわしい形態を考え、その中で独立行政法人の意義があるとすればどこが関連していなければいけないかというような考え方が必要ではないか。
   ある程度これまで議論されてきたとは思うが、このような観点からもう一度包括的に国立大学法人の在り方、望ましい姿という中で考えるべきではないかと思う。

5  次回の日程 次回は、1月30日(火)に開催することとなった。
以  上

(高等教育局大学課)

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