国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議 「組織業務委員会(第3回)」議事要旨 |
国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議「組織業務委員会(第3回)」議事要旨
1 日 時 平成12年9月20日(水)8:15〜10:45
2 場 所 東海大学校友会館「富士の間」
3 出席者
(委 員)阿部博之(主査)、阿部充夫(副主査)、石井紫郎、板橋一太、浦部法穂、大沼 淳、奥島孝康、北原保雄、小早川光郎、田中愼一郎、長崎暢子、廣中平祐、馬渡尚憲、蝋山昌一、渡辺正太郎(副主査)の各委員
(関係者)住吉昭信、山崎稀嗣、吉原經太郎の各関係者
(文部省)工藤高等教育局長、遠藤学術国際局長、清水高等教育局審議官、合田大学課長、杉野大学改革推進室長 他
4 議 事
(1)開 会
(2)主査から、第2回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、9月26日(火)までに意見があれば事務局まで連絡の上、修正し、文部省のホームページで公開することとされた。
(3)事務局から、資料について説明があり、以下のような意見交換が行われた。
(○印は委員及び関係者の発言、◇は事務局の発言)
○ 我が国においては、明治19年に帝国大学令の公布によりはじめて帝国大学が設置され、大正7年の大学令の公布により、私立大学も正式な大学令に基づく大学となったが、これが1度目の改革であり、昭和22年の学校教育法の制定にともなう新制大学の設置が2度目の改革である。
この2度目の改革の際、帝国大学は高等学校を吸収する形、例えば、東京大学は第一高等学校等を吸収するなど、官立大学を含め様々な形で統合再編が図られ、昭和24年の国立学校設置法の制定にともない新制国立大学として69校が設置され、その後、昭和28年には72国立大学となった。
一方、私立大学は、自主性と公共性の2つの柱のもとに、それまでの財団法人形式から学校法人形式に改革され、それぞれの専門学校が大学として設置され、これらの単科大学が、現在では3、4学部をもつ大学になっている。戦後、私立大学を発展させた原動力は、新しい設置形態によるところが非常に大きいと思う。
このように、我が国においては、学校教育の内容について規定している学校教育法と、国公私立の設置形態を規定している組織法という2つの法的柱がきちんと整理され、また、高等教育に関しては国が、高等学校教育に関しては県が、それ以下の教育については市町村が行うという形が明確であったが、現在は乱れてきている。例えば、国立、公立、私立の違いは何かということ考えた場合、これまでは、基本財産の提供者による違い、つまり、国が基本財産を提供した大学は国立大学、県や市町村が基本財産を提供した大学が公立大学、私人が基本財産を提供した大学が私立大学であると考えられたが、最近では、大学の設置に必要な基本財産などを県や市が提供する形で私立大学を設置したり、県立と国立の役割区分なく県立大学を設置したりしており、その辺の考え方をもう少しきちんと整理する必要がある。
また、学校を置くための法人の在り方については、設置する学校の違い、例えば、小学校、中学校、高等学校、大学によって異なるべきではなく、学校教育法で規定される学校の在り方と学校を設置する形態の在り方という2本の柱を踏まえて、検討を進めていく必要があると思う。
○ 新制大学が設置された際、4年制の大学になれなかったものが短期大学である。その結果、短期大学という曖昧な存在が今日まで続いており、それが現在の環境の変化の中で、経営の悪化という形になってきており、今後は、このようなことが起こらないような制度を考えていかなければいけない。
また、一つ伺いたいが、大学はなぜ4年なのかということである。大学を、小学校、中学校、高等学校以降のある種の教育研究機関であると考えれば、4年制でなければならないということはないと思う。
○ 新制の国立大学は、各都道府県においておおむね、高等学校、師範学校、専門学校などを学部に統合再編する形で設置されたものである。
一方、私立学校は、昭和24年の切り替えの時に、それぞれの専門学校が私立大学となったため、その数が急速に増え、また、昭和30年代には、学部の増設が活発に行われたために、数の上では国立を越えることとなった。
つまり、戦前は圧倒的に官立が中心で私立は極めて少数であったが、私立大学が学校法人という設置形態において設置され、競争で勝つために自ら考えた結果が、新たな学部の設置や新たな大学の設置という形で発展し、現在では、国立大学数を大幅に上回る状況に至っている。この状況が何からきているのかについては、十分考える必要がある。
○ 「高等教育・学術研究における国の役割と国が責任を負うべき大学」の1つの観点として、大学審議会答申(資料4の2ページ目)に国立大学がはたすべき機能がまとめてある。とくに(b)の5つの機能、計画的な人材養成等の国の政策目標の実現、現在は需要が少ないが重要な学問分野の継承、先導的・実験的な教育研究の実施、地域課題や地域的教育の機会均等への貢献、経済的観点からの教育の機会均等への貢献、を挙げている。例えば、大学院教育は、私立大学あるいは独立採算性の中では、十分に運営していけないという点から、国立大学における役割として大学院教育の重点的推進が考えられ、さらに、国際水準での基礎研究を含む学術研究の推進からも、国立大学の機能・役割が考えられる。
また、国立大学とは何かという点は、基本的には、国が基本財産や運営の費用を提供する大学であると思うが、さらに、国から基本財産や運営費用を提供された大学が、このような機能・役割を果たすことが、国の教育制度や学術研究制度の中では、是非必要である。
これは、日本において国立大学だけが必要であるということではなく、国全体の中では、そのような機能・役割を果たす大学が必ず必要であるということである。
したがって、高等教育や学術研究を担う大学に、国が基本財産を提供することを、民営化の一段階と考えるのか、それとも学術研究や高等教育にとって必要不可欠なものであると考えるかによって違いがあり、そういう点では、民営化の一段階ではなく、国として恒久的にそういう制度を持つべきであると考える必要がある。
○ 今の日本の大学制度というのは、諸外国と比べるとかなり特異なものであり、戦後の大学制度が、民間活力をフルに活用して教育研究の体制を整備してきたところに、日本の特色があるということは事実であると思うし十分評価できる。
しかし、国公私立大学の役割がそれぞれ何であるのかについては、平成10年10月の大学審議会答申でも必ずしも明確ではないが、日本は日本なりに今のシステムでやってきており、そこに特色があると理解すべきであると思う。
また、諸外国におけるは高等教育、学術研究に対する公費の投入額は、おそらくかなりの額が国公立に投入されていると思う。日本の場合には、それに比べて民間活力が多いに活用されているという側面がある点を考慮する必要があるが、しかし、公費の投入額を引き下げ、民間活力をもっと活用すべきということになってはならず、高等教育全体に対する公財政支出が現状から後退することになってはならないという基本的なバランス感覚が前提としてあるべきである。
その上で、教育研究に対する公財政支出を、さらに国立大学に投入するのか、私立大学に投入するのかという議論を行うべきである。
○ 「国際的な競争を勝ち抜き、国民が誇りをもてる国立大学の実現」の観点として、確かに国費によって支えられている国立大学がたくさん研究しなければいけないことはその通りであり、その責務は十分果たしていると思うが、国際的な競争に勝ち抜くというのであれば、競争の母体を国立大学だけで考えて良いのか、もう少し母体を増やさなければいけないのではないかというところまで、検討すべき状況にきていると思う。
母体を増やす方策としては、国立大学は、国費を使って自大学だけで研究するのではなく、例えば、他の私立大学や地方国立大学との間で、もう少しサービスをすることを考えた方が良いと思う。具体的には、例えば、図書館における資料を他の大学等にいかにしてもっと利用してもらい、平等な条件で競争し、全体としての研究水準を向上させるかという観点が重要である。
また、これまで、戦前の帝国大学も含め、国立大学では、男性をいかに育成するかという観点からの人材養成を行ってきており、母体を増やすという点からしても、これは国内の半分の人間の間でしか競争していないということであって非常に損をしていると思う。
○ 大学の自治、自主性の確保と自己責任とはセットになっており、それを確立することによって大学が活性化するということが従来から主張されてきたところ、今回、たまたま行政改革からこの問題が出てきたものである。したがって、行政改革から問題が出たことは一つのきっかけにすぎず、本委員会で議論していく時には、行政改革の問題を念頭に置かなければならないが、本来、大学関係者の中で考えられてきた自主性や自己責任の確立ということを中心に検討を進めていくべきである。
また、人事や予算などに関する色々な面での規制の緩和策が、中途半端に終わってしまっては、せっかくの新しい体制が効果を上げず、かえってマイナスの面が出てくるという可能性が多分に強いと考える。
さらに、最近の大学間の統合の動きは、独立行政法人化の問題が1つのきっかけになっていると聞くが、それは、ここ10年20年の間で大学の間での単位互換、教員の交流、共同研究など色々な形での協力体制が整えられ、それが学問や教育の進歩に非常に役に立って来ているという基盤があったからこそ、独立行政法人化の問題をきっかけとして、今後の大学について真剣に議論する中で、出てきたものであると思う。
したがって、統合問題は、国立大学が多すぎるということではなく、それぞれが必ずしも十分な体制ではないから、互いに協力して1つの立派な大学を作っていこうという観点を中心に検討が進められるべきであると考える。
○ これからの日本の生き方としては、教育立国以外なく、学問研究を盛んにする以外に日本の未来はない。そういう意味から、今回の国立大学の独立行政法人化の問題を、我が国における教育研究の発展の1つの突破口と考えていきたいと思う。
今回の改革で、理想的な大学像というものをつくり出し、その理想的なモデルを国立大学で実践してもらいたい。
国立大学が欧米の大学に負けないような理想的な大学として成功すれば、私立大学も同じ競争条件にした上で、日本の学問全体をレベルアップさせるというつもりで、国立大学の法人化の在り方は考えるべきである。
○ 本会議は、国立大学の独立行政法人化の問題が課題であるが、日本の高等教育全体をどうするのかという課題の中で設置形態上の違いがどれほどの意味を持つのか疑問である。現に日本の特色として、大学は、国立、公立、私立に分かれてしまっているが、分かれてきた結果をいかに合理的に理由付けをするかという意図が大学審議会答申にも見える。
例えば、公立大学は、高等教育の機会を与えるなどの一般論はあるが、地域に貢献する大学であると言われ、ローカルな大学でしかないと位置付けられてしまっているが、高等教育という面から見ると、地域からは必ずしもローカルな問題だけ教えてほしいと要望されているのではない。
したがって、国公私立大学に分かれてしまった結果、それをどのように合理的に理由付けするかではなく、果たして国立、公立、私立大学が、今の社会のニーズに適合するような大学としてあり得るのかどうかということを、まず議論すべきである。
○ 日本は、高等教育に対する公財支出が低いというが、国立大学、公立大学、私立大学を全て含んだ形で、公的財政支出を増やすこと、その配分の考え方は、明確に公平な基準に基づいて行うべきであって、国が設置しているから、私立大学だからというような考え方では良くないと思う。
大学審議会答申にも示されているとおり、国立大学は国でなければ行えない大きなプロジェクト研究や将来を考えた人材の育成などを行う必要はあると思うが、全ての国立大学がそれを担うのか、担えるのかという問題が問われている。
国公私立大学を超えた高等教育の在り方の中で、なぜ国立でなければいけないのか、設置形態が変わるにしても、なぜ大量の国費投入しなければいけないのかということを明らかにすることが必要である。
また、大学審議会答申では、私立大学は「建学の精神にのっとった自主的な運営により、社会の多様な要請等にこたえつつ、人文・社会・自然の諸科学の様々な分野にわたってより一層教育研究機能の強化に努め特色ある教育研究を展開し多様に発展していくことが重要である」と指摘されているが、「建学の精神」を除いて読むと、これは私立大学に限らず、どの大学にも言えることである。結果として、大学の特色は様々であるはずなのに、それを、国立は、公立はというようになぜ言わなければいけないのか。
我が国の高等教育の進展や大学の活性化のためには、公平な政策の配慮が重要であり、特に財政的なバックアップがなぜ必要かということが重要になってくる。国立大学になぜ重点的に経費を措置する必要があるのか、逆に言うと、他のところは手薄になっても良いという理由を明確にする必要がある。
○ 戦後の子供が多くなる時代に、マーケット上、高等教育を私立大学に任せ、国として国立大学はほとんど増設しなかった結果、小子化によりマーケットが縮んでいる現在、私立大学が苦しみだしている。これはまさに、国が高等教育のマーケットを私立大学に任せた結果が、高等教育に対する公財政支出の少なさとして表れている。
また、統合ということを考える時に、戦略なき統合というのは一番競争力を弱めてしまうもので、これは企業でも同様である。例えば、非常に特色のある専業メーカーというのは強く、マーケットで生き残るために必死の専門的努力を行い、その競争力がそのまま端的に表れるものである。
過去において行われた帝国大学以外の地域における統合というものは、マーケットの中で、生き残りをかけた色々な改善努力により自主的に行われたものであれば良かったが、教職員は全て公務員で、さらに財政処置も国が全部面倒をみるということになると、競争力のないものまでそのまま生き残ったことになる。その当時、仮に、独立行政法人の形態が実施されていれば、もっと違った形での大学の発展が、自然的に起こっていたのではないか。
○ 産業界としては、当然、行政改革に関心があり、また、国の財政赤字の問題も危機的な状況にあると認識している。しかし、教育費まで削減して財政再建を行うという考え方をもっている産業人は少数であり、むしろ公的資金をより有効に生かす大学運営の組織をつくり、結果として、専門的にも総合的にも強い大学を通して、人材養成や研究成果というものが現実に国民に意識されだすということが重要なのではないのか。
したがって、国立大学、公立大学、私立大学ということではなく、それぞれの大学がどういう特色を持って学問と教育に寄与するかという戦略と成果が問えるようにする方向での検討が重要であると思う。
○ アメリカの大学における経費負担は、公的財政で負担する割合、養成された人材を活用している産業界が負担する割合、授業料など当該学校の収入によって負担する割合が、ほぼ3分の1のバランスである。
しかし、我が国は、産業界の負担は、ほとんどゼロであり、特に、私立大学における人材養成に関し、産業界が無料と認識していることが、非常に大きな問題点である。
我が国における学校形態と産業形態の非常に大きな特徴は、明治から大正にかけて、欧米先進諸国に追いつくため、それぞれが単純にモデルを外国に求めたことから教育界と産業界の接点がないまま、100年間が過ぎた点にある。
そういう点が、21世紀に向けて、クリエイティブな日本の活力を引き出す上で、いろいろと問題になってきているが、それは、教育界にも問題はあると思うが、産業界にも重大な責任がある。
したがって、人材養成ということに関して、産業界としても具体的な取り組みを是非示していただきたい。日本の大学では、クリエイティブなものを欧米から学ぶのではなく、自ら創造するということを産業界と教育界の双方が協力し合っていく必要がある。
○ 規制緩和の目的は、民間の活力を引出すことが目的であると思うが、国立大学は民間ではなく、したがって国立大学と公立大学の自由が拡大し、私立大学の方が束縛されるというのでは、本末転倒である。
国立大学は、国の方針に従って、国として一番重要なことに努力していくという根幹をしっかりと作ってもらいたい。
私立大学の場合は、寄附者や設置者の建学の精神が非常に尊重されるが、それは設置形態の違いによってそういうものがあるのであり、したがって設置形態が国であれば、国の目的や目標に対してきちんと対応することは当然であり、それが規制緩和されては困る。
その辺の基本論をもう少ししっかり踏まえた上で、大きい議論を行っていく必要があると思う。大学の自治や自主性というのは、学問に関してであり、設置形態のことではないということをしっかりと踏まえた上で、議論を行う必要がある。
○ ドイツやフランスにおいては、大学は公的な行政機関ではあるが、同時に法人格を持つというシステムを取っているわけであり、法人格を得るということによって、直ちに大学の自律性、自主性の確保や資金繰りの根拠が何か変わるというものではない。
また、日本の場合、公立は都道府県がその経費を負担し、国立は国がその経費を負担し、私立は基本的に、その設置者たる学校法人がその経費を負担するというように、設置形態と資源配分の方法が密接なものとして考えられている。
だからこそ国立大学が、どういう使命をもつのか、どういう特徴を持つべきか、あるいは持っているかというような問いが出てくるわけであるが、逆に財政支出の相互乗り入れみたいなものがもっと自由に考えられなければいけないのではないか。
日本で国立大学が多すぎると言われるのは、国という1つの主体が設置する大学としては、現在の国立大学の数は多すぎるという印象を与えていると思うが、ドイツにおいても州立大学ではあるが、連邦の資金が色々な形で然るべき大学には入るシステムになっており、アメリカにおいても、私立大学の経費の4割くらいは、色々な形で連邦や州から公的資金が入るシステムになっている。
したがって、設置形態と資金の出所が、ほとんど1対1で対応するシステムそのものも考え直さなければいけないと思うが、少なくとも国によっては、これとは違う形で制度が運用されていることは踏まえておく必要がある。
さらに日本において、国立だけが大型プロジェクトや国際競争を行う役割を担っているというようなおこがましい考え方は全く持っておらず、もっと私立、公立のほうでその主体を増やして、スクラム組んで高等教育研究を推進していく必要があると考える。
そのためには、公的な財政支出が、さらに私立、公立に対して行われなければいけないだろうと考えるが、ただし、現行の配分方式が良いかどうかは全く別の問題である。
したがって、公的資金の出し方はいろいろ工夫しなければならないが、日本の学術研究水準を上げる立派な高等教育を担い、国際的に通用する人材を養成する実績を持っている大学には、国公私立を問わず、公的資金が出せるようにする必要があり、そういう前提で検討を行う必要がある。
○ 今問題になっているのは、現在の国立大学の形態であり、この設置形態を変えることによって良くなるのかならないのか、良くするためにはどのような設置形態にしたら良いかということである。
今の国立大学が行政機関の一部として設置されているのに対して、独立行政法人制度を使うことによって変えられる大事な点としては、自主性と自己責任の確立や個性化の進展という面があるのではないか。
つまり、現在の国立大学は、自己責任によって自分の大学をより良くする、あるいは自分たちが責任をもって方針を決定し、それに関しては社会的な説明もしていくという体制がないということであり、果たしてこのような体制で、国立大学の研究教育の向上や改革ということを行っていけるのかという点である。
裁量権や自己責任や個性化というものが、今の国立大学をより良くする上で必要なことだと考えるならば、法人化ということも1つの方法であると考えなくてはいけない。
○ 国立大学が法人格をもつ場合、それは独立行政法人でない形の法人なのか、それとも独立行政法人というスキームでの法人なのかという議論があるが、今の段階では、独立行政法人のスキームを使わない法人化制度を制度設計しても、それを認めてもらえる前提が整っていない。
したがって、独立行政法人のスキームを上手く使って、大学にもっともふさわしい形になるように検討していくことが現実的である。独立行政法人が完璧な制度であるとは思っておらず、色々な問題がある点はクリアしなくてはいけないと思うが、独立行政法人とは別の法人形態を設計することは、現実問題として無理ではないか。
○ 資源配分と設置形態についてであるが、アメリカの大学などでは、資源配分も、教育に関する部分と研究に関する部分で大幅に違いがある。
研究に関する部分に限れば、いわゆる公的な競争的研究費を獲得している上位の大学は、ほとんど私立大学であり、その意味では私立大学に対し莫大な国費が投入されていることになる。しかし、この場合の私立大学は、個別の非常に限られた私立大学であり、私立大学全体として見た場合には、ほとんど投入されていない私立大学が山ほどあるのであり、つまり力のある私立大学に、日本人の嫌う競争の結果として、公的資金が投入されている。
その際、大学によって競争条件にハンディキャップを付けないようにすることがポイントとなるが、アメリカにおいても、設置形態の違いによって費用の出所が色々と違っているが、公的な競争的研究費の存在が、競争条件をある程度整えていく役割を果たしていると思う。
したがって、アメリカの場合は、研究面については、設置形態にかかわらず、研究費が大学に入ってくるシステムとして確立されていると言えるのではないか。
○ 産業界と大学との関係については、大学側には、これまで自主的に産業界と共同研究を実施することに対するアレルギーがあったと思う。また、産業界側は、我が国における法人税が非常に高く、それに加えて大学に対する個別の援助まで行うのは疑問であるというのが率直な意見であったが、最近の法人税は、国際標準に近づけようとしており、この程度の法人税ならば、教育界に対する経費の支援というものも検討しても良いと考える企業も出てくる可能性はある。
さらに、産業界は、大学の運営に関することは全く知らず、例えば、学生一人あたりに4年間かけて企業として採用できる人材を養成するのに経費がどれくらいかかっているのかというようなことすら意識せずに採用活動を行っている。したがって、大学の財政状況や有意義な研究が行えない実態など、大学に関する情報を、もっと積極的に公開することが必要である。
加えて、日本の企業の場合、ある大学に寄附を行うと他の大学はどうするかといったような横並び意識があり、結局、寄附は行わないという決定をしてしまう場合が多数ある。
このような考え方を打ち破るためには、一生懸命がんばっている大学に支援するということが、日本の人材育成や研究レベルの向上につながっているということを産業界や国民に認識させることが重要である。そのためには、産業界や国民の教育への関心度や、教育や研究には十分な財政基盤が必要であるという認識を高めていくことが必要で、国立大学に投入されている税金が正当に使われているという認識を国民が持てるようなシステムを確立することが重要であり、これによって、さらに活性化された資金の流れと人材の流れが始まるのではないかと思う。
○ 研究費については、どれだけの額をどのように多様な形で大学に投入し、それによってどれだけの成果があがったのかを明確にすることが重要である。
また、設置形態論や独立行政法人化を前提とした議論ではなく、いかにして大学が自主性、自律性を高め、その活動を社会、納税者に対してきちんと説明できるようにするかという議論からまず行うべきである。
また、将来的に国公私立大学の役割をどうするかという話の前に、今の国立大学について何か変えるとした場合、自主性や自己責任を制度に表すと具体的にどうなるかということについて検討する必要があり、それは結局、従来の企画立案部分について、文部省と国立大学との役割分担を変えるのか変えないのかということが基本になる。
これらの議論を踏まえた上で、国として責任を持つべき部分はどこなのかという観点から、国立大学に対する国の関与が明確になってくる。
中期目標や中期計画など独立行政法人通則法に規定されていることから議論するのは本末転倒であり、国立大学の果たすべき役割、文部省が今後も果たしていくべき役割についての議論が必要である。
◇ 現在の国公私立大学の役割や特色は、平成10年10月の大学審議会答申で一応整理されているが、あの程度の整理が限界であり、国立大学でも、公私立大学でも、多種多様であり、その役割について議論することはできても、再整理することはなかなか難しい。
また、資源配分の方法が今のままで良いかという議論があるが、公私立大学としては、国立大学に6割も税金を投入しているのであれば、公・私立大学に対して回してほしいということであろうし、国立大学としては、現状でも不十分であるということであると思う。しかし、同じ大学というパイの中での増減の議論ではなく、日本の高等教育全体として公財政支出の在り方をどうするかというトータルな議論の中で、全体のパイを拡充させる方向に向かって、国公私立で力を合わせていく必要があると考える。
さらに、学校教育法上、国公私立を通じて設置者負担主義という考え方が前提とされており、基本的には設置者が基本的な経費を負担するという原則の中で、競争的研究資金については、例えば、科学研究費補助金をどのような形で配分するかということなどの議論も高まっている。
アメリカの場合、私立大学にも公的セクターから資金が入っているが、日本のような私学助成制度はなく、公費としては、学生に対する育英資金と研究に対する研究費であり、研究費は州立、私立を問わず、まさに競争の環境の中で配分する仕組みとなっている。一方、日本の場合は、私学助成制度や貸与制の育英資金があるが、現下の財政状況の下では、大幅な増額は見込めない状況であり、また、育英資金については、授業料を払うと生活費が賄えないという水準であり、これを国公私を通じて抜本的に改善できるかということも課題の1つであると考えている。
いずれにせよ、全く白紙の状態から議論をするのも1つの手法ではあるが、このように限られた条件や事情もあって今日の我が国の大学制度に至っているわけでもあり、それらも念頭におきながら、更に議論を深めていただきたい。
5 次回の日程
次回は、10月3日(火)に開催することとなった。
以 上
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